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いじめとは今に始まった事ではない。動物の世界では常に見受けるし、人類に一番近い類人猿の世界も、日常茶飯事にいじめたり、いじめられたりしているのはテレビ特集等でも見受ける。それより進化した筈の人間社会でも、子供はおろか、大人の世界でも、大昔から現在まで、常にある事。問題は、万物霊長の人間社会で、その解決方法が未だに確立されていない事から、いじめられた子供が自殺して初めて公になり、安穏に職務を全うしている振りをする教育委員会や、やとわれマダム的校長が、見苦しく保身にあたふた弁明ばかりするから、問題をややこしくしている。(第一、教育文化省の記録では平成9年以来「いじめ」による自殺者は、ず~と0だった事自体、何の対策も取ってこなかったという、自明な証拠)個人個人で、胸に手を当て思い返せば、100%,と言っていいほど、 程度の差こそあれ、いじめられたり、また無意識にせよ、いじめたりした事がある筈。これは、人間(むしろ生物として)の業に近い、原罪 ともいえるテーマ。今時の子供の間同士で、その解決を図らせるのは、どうしても無理だと思う。親が充分聞いてやり、いじめに負けず自立をする様に納得させ、それでも、親子とも納得いかない場合に、しっかりと相談に乗れる場所・機会を、設置するのが教育委員会だと思っていたが・・どうも、その用意が全然できていない単なる(不)名誉職の様だ。本来察知すべき、先生方の目を盗んで、いじめが起きるケースも多いだけに、なにもかも担当の先生方に全責任をかぶせ、追及するのも、無理だし、そんな全知全能な先生がいたらお目にかかりたいと思う程、今時の先生は多忙なご様子で・・・別に皮肉でなく、ご同情申し上げます。唯、日々問題が大きくなるまでに、もっと対策を取れなかったものか、取ろうとしなかったのかには、大いに疑問を感じますが・・・問題は、「人間とはそういう原罪を持った生物」という事を、小さい時から、繰り返し、良く教え、「だから仲良くするのは教育を受けた人間としての、最低の最初の義務」を意識させる事だと思う。野生の地球上の生物は自分だけが勝手きままに、背伸びし一人勝ちできる訳でなく、お互い雑居し、お互い我慢しあい、共生し、その結果が、共同繁茂している自然を良く観察させる事も大切だ、一番、問題なのは、いじめの現場にいる周囲の傍観者だ。「自分じゃないから知らない」とか「見て見ぬふりをする」ことが、如何に加害者をつけあがらせ、被害者に絶望の心を植えつける事だろう・・・今や、飲酒運転の際、それを知っていて同乗したりした場合も、罪に問われる時代、一見、無関係にみえるが、法体系上、その延長上で、傍観者も見て見ぬふりは罪である事を、意識させる教育ができれば、かなり未然に防ぐ方法があるのでは・・・密告に見えて、決して、そうではなく、人間同士仲間を救う義務であることを教え、又その子供が逆恨みされぬ報告先の確立や、システム、(例えば、これだけ普及した、いたずらでないと判断される、無記名携帯メールの数のカウント等も一例)が、最重要なのは言うまでも無いが・・一般の大人の場合も、いずれ、そんなシステムが必要かも知れないが・・・民事不介入を原則とする警察が、根本的に考え方を変えない現状では、こちらはまだ時間が掛かるだろう。事は思いつきで書くほど簡単でないのは、充分判っていますが、・・何か声を上げたくて、書き込みしてみました。 いじめの傍観の結果がどうなるか、その辺りの例をNetで捜していると、ドイツのプロテスタント、ルター派神学者のMartin Niemollerが、ナチスが行った数々の弾圧を傍観して悔やんだ有名な言葉に出会った。「はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。」 blogランキングへ
October 31, 2006
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「海外の風力発電事情・・・往信」への返事:「お帰り遊べ、 ゴルフの腕あがりましたか?食い物は旨かったですか?他にどんな所へ遊びに行きましたか?モット詳しく・・もっとおもろい話を聞かないと、この写真だけでは、アメリカの荒野のイメージしか伝わってこない・・処で今売り出しの「ガイアの復讐」ジェームス・ラブロック(中央公論新社)によれば、例えばドイツの風力発電機の年平均稼働率はわずか16%とか・・本当のコストは助成金でごまかされ、自然界の再生可能な風力エネルギーは都会人にはロマンチックに見えて実現不可能な夢と断定している・・例として英国の年間電力量を賄うに27万6千基の風力発電(3機/平方マイル)のウザイ林立を想像せよとも読めるが・・??ましてや、狭い国土の日本では無理、海岸沿いに立てても、これだけ風水害の多い地理条件では、メンテナンスに膨大な経費が掛かるのみ・・・それより、「原子力をもっと利用せよ!」と云いたいのか、今日22日の日曜朝刊には、「日本原子力文化振興財団」の半面広告が「ガイアの復讐」をこれ見よかしに宣伝PRしている。・・こんな文化?振興財団があるのも初めて聞いたが・・まぁわけありな財団が色々あるものだ。この本を、深読みすれば、もう生産性(稼ぎ)の無い、我々用済みの人間共は資源を無駄使いするばかりだし、・又有能な国家民族以外はジュノサイドで早く消えてなくなれと云われて居る様で、・・・何とも嫌味な本です・・」 と書いたが、色々考えさせる。我々先進国の国民、特に我々の年代は、ある意味、社会基盤が何も無かった頃を知っているだけに、高速道路といい、ビルやダム等、その他ハードモノの、社会基盤充実策は、もう充分すぎると思っているが、翻って、途上国は今からの設備投資が殆ど・・それに対して、もう過分な設備投資をするなと云うほど、横暴な言い方はできない・・。しかし自国内での節約や資源使用の偏りを防ぐ平均化位は、やる気で知恵を出せば方法論がある様に思えるのだが、・・預金金利や各種年金や貯蓄・保険制度をケチり、国民大衆に我慢せよと言う政治家は成る程いるが、そういった意味の「我慢をせよ」という政治家は各省の利権や土建屋さんに遠慮して、安部政権も何処まで本腰なのか、?まだ伝わってこない。(愛知万博で「MOTTAINAIキャンペーン」をマータイさんを招聘して環境問題特集を開始したが、果たして??)原子力発電にしても、リスクは地方に押し付け、都会は便利さのみ供応という考えばかり・・・むしろ「清貧に甘んじる考え」は宗教家も参加して云うべき知恵かも知れない・・・ blogランキングへ
October 30, 2006
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同期の友が最近アメリカ西海岸に、一月滞在して帰国し、近況を報告して呉れた。「1ヶ月ほどアメリカに行ってきました。知れば知る程この国と戦争したのは間違いだったと感じました。物量のすごいこと。スーパーマーケットで売ってる個々の製品の大きな事。それを食べてる人間の大きな(太ってる)事。そんな国で感心したのは写真のような風力発電機が何100基と延々並んでいました。 場所はロスの東約200キロのコーチェラバレーの入り口付近。 ちなみにこの地域は元砂漠にコロラド河の水を引いて、ロスの金持ち相手に避寒地として開発。今や100以上のゴルフ場が有り、日本の丸山プロも住んでいました。」それへの返信は、項を改め、次回書き込む事とする・・・ blogランキングへ
October 29, 2006
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この11月3日(文化の日)、高槻にある、JT生命誌館で、催しとして、語る仮面劇「土神と狐」があると知り、先日150人分座席満席という事で、締め切ったが、どうにか間に合い、ヨメと二人分の観覧券を送ってきた。演出:遠藤啄朗 出演は:横浜ポートシアター 宮沢賢治の童話は昔、それなりに、読んだことはあるが、「土神と狐」は読んでなかったので、これもNetで探して読んでみた。童話らしからぬ「嫉妬」をテーマにしたストーリーだったが、さて、生命舘の趣旨と、宮沢賢治がどう関連するのかも、よく判らない・・・生命や自然、科学を含めての人間の知を基本から考える必要を感じた時(今がまさにそうです)、宮沢賢治に向き合うと何かが見えてきます・・。と案内にはあるが・・・それはそれとして、興味がある。ついでに、宮沢賢治の懐かしい童話も、まだ読んでなかった分も、斜め読みしてみた。「セロ弾きのゴーシュ」「イギリス海岸」「注文の多い料理店」「オッベルと象」「月夜のでんしんばしら」etc.その発想の奇抜さ、語り口の豊かさ・・どうしてこんな話を思いつき、又書き留めておいてくれたのか・・改めて驚くばかり・・宮崎 駿 の「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」「となりのトトロ」にも通じるファンタジーな共通性を感じるのはほぼ一貫して子供の目線に立ったストーリーだからだろうか・・但し、宮沢賢治は子供の残酷さまでちゃんと書いているが、宮崎駿の映画にはそこまでの残酷さはない・・子供の頃「風の又三郎」の映画も見たし、「セロ弾きのゴーシュ」の人形劇風な映画もみて、影響も受け、おぼろげにストーリーも記憶にあるが、当時、「となりのトトロ」程、世間は支持しなかったように思う。ある意味、その辺りが宮沢賢治の童話ものは敬遠されるのかも知れない・・これをきっかけに宮沢賢治の世界に暫く浸かってみるのも・・いいかも・・ blogランキングへ
October 28, 2006
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例により 札幌より、落葉の写真がS氏より送られてきた。晩夏以来の同期会の表紙頁もぼちぼち、模様替えしないと・・と逡巡している折なので、それを使って作業に取り掛かったが、題が思いつかない・・・・写真を編集した後、季節に合う文言は・・と一風呂浴びているうち「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみて・・」迄、思い出し、検索にかけた。こんな際にはPCとは本当に便利な機械で、じきに、以下の「海潮音」訳まで辿り着き、どうにか仕上げた・・・高校時の国語の時間に、無理々々音読させられた頃が懐かしく、その折の、川田先生の眼鏡越しの眼差しまで、ついでに思い出した・・最近もの忘れが多いので、忘れずに済むように、以下書き留めておくこととする。Chanson d'Automne___ 落葉 ___(上田敏 訳) Les sanglots longs _____秋の日のDes violons _____ ___ヴィオロンのDe l'automne ________________ためいきのBlessent mon coeur ____________ 身にしみてDe l'automne ____________________ひたぶるにMonotone. _______________________________________うら悲し Tout suffocant ___________鐘のおとにEt blême, quand _______ 胸ふたぎSonne l'heure, ____________色かえて Je me souviens _______ 涙ぐむDes jours anciens ________ 過ぎし日のEt je pleure; __________ おもいでや Et je m'en vais____________ げにわれはAu vent mauvais_______ うらぶれてQui m'emporte_____________ ここかしこDe çà, de là, _________ さだめなくPareil à la ________________とび散らうFeuille morte. ______ 落葉かな Paul Verlaine______ ポール・ヴェルレーヌ blogランキングへ
October 27, 2006
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この10月19日 日経新聞に、H氏の高校時の学友の「交遊抄」が掲載され、その経緯を同日October 19, 2006に書いたが流石に全国紙なので、知り合いからの反響も多く、北海道 帯広在にて、高校ではなく、H氏の大学時の友(仮にK氏としておく)より 「懐かしくなって・・」と、H氏に今日電話があり、掲載された主人公 馬場氏との思い出話を詳しくしてくれた・・「慕情」・・と言えば香港ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ主演の有名な主題歌 でLove Is a Many Splendored Thing は今でも耳にする何方もご存知の名画 国内では何故か、ごく一部にしか以下の話は知られていないが、当時その日本版実話として、香港、特に台湾で一躍有名になったのが、馬場氏と高校時のマドンナ美穂さんの Love Romance Storyその仕掛け人というか、プロデュースした人物がそのK氏。1968(昭和43)年の春 当時卒業後、ヒッピー同然に欧州で暮らし、帰国途中の馬場氏は船を乗り継ぎシンガポールまで辿り着いたが、そのシンガポールの街中で、偶々インドを放浪し、同じく日本へ帰るK氏と、日本人観光客もまだ少ない当時の事ゆえ、お互いに、暫く振りで日本語をしゃべれる気安さで出会い、既に数日前に、Shipping&trade情報紙で安い船便を確保していたK氏に教えを請い、(或いは例により押しの強さで強要し?)先ずは香港まで行く貨客船の切符を手にする事ができた。船名は“大寶石(タイホウセク)”という香港船籍の船。どうにか二人とも同じ船の格安のデッキクラスの切符を手にしたが、早く云えば、船倉での船旅。貨客船の事とて、香港に向かう船旅は凡そ一週間、その間、馬場氏がまるでけんか腰のブロークン英語で船員と待遇交渉する等、意気投合し、偶然共通の友人(・・と云えば高校時では馬場、大学時ではK氏の友人だったH氏)の名前も出たりして、何でも語り合える仲になっていた・・・欧州からの帰途、港々から熱烈な恋文を送るも、郵便事情もあり、果たして帰国時、出迎えてくれるかどうかと「幸せの黄色いハンカチ」の健さんの心境宜しく、航海中、南十字星を眺めつつ、恋人を想い、ため息をつく、馬場氏をみて一肌脱ぐ決心をしたK氏は、(同映画では武田鉄矢の役どころ・・か)、二人を何とか結ばせようと、逡巡する馬場氏を後押しし、連絡を取り、彼女を飛行機で香港迄向かわせる決意をさせ、更に得意の中国語を駆使し、月下氷人として、香港~台湾間の段取りを取り仕切ったそうだ。 香港~台湾間の船は“WORKING”と言う船名の貨客船、K氏は邪魔せぬように相変わらず船倉旅、二人は当然ながら美穂さんの心遣いで上等クラスの船旅だったそうで・・台湾のキールン港に着くと、当時、台湾は国民政府の外省人と本省人と対立中で、戦後40年間も戒厳令が布かれていた最中でもあり、暗い話題しかなく、先にタラップを手続きに降りた中国語の得意なK氏が手持ち無沙汰気味な記者に入国の理由を聞かれた折、「日本版慕情物語」として、その情報を台湾紙記者筋に伝えるや、港で同様に話題を探していた台湾の新聞社十社がタラップに群がり、馬場氏と美穂さんが眠い目をこすりながら新婚旅行寄航先となった台湾キールン港に降り立つ時分には、その主人公として華々しくフラッシュを浴び、当時の台湾の新聞の写真は、(カラー写真は当時まだ新聞では使われていない中、)「日本版慕情物語」として色枠付きで飾られ、一躍有名人となり、立ち寄る先々のホテルや有名料理店で大歓待されたそうだ・・・二日後、二人の行く末に幸多かれと、馬場夫妻より一足先に、キールン港を離れる貨客船に唯一人乗り、沖縄経由鹿児島に帰り着いたK氏とは、その後すれ違いばかりで、未だ馬場氏夫妻と出合う機会がなく、若いお似合いのほほえましい、当時の印象のまま脳裏に残っているだそうだ・・・勿論以前から良く話題にしていたが、改めて詳しく良き話を聞かせて頂いた、かくいうK氏と、H氏とは、同じ大学の学友で、卒業以来四十数年、無二の親友として往来交遊し、今春は吉野で今夏は釧路で、ともに遊んだ仲だが、現在K氏は道東財界の雄として悠々自適の生活を送っている。世の中広い様で狭く、男と女が結ばれるには隠れた秘話があり、又、類は類をよび、朋は朋を選ぶもの・・を実感するお話。・・(♪Love Is a Many Splendored Thing ♪が流れる中)・・THE Happy END blogランキングへ
October 25, 2006
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22日(日)の近江八幡への遠足 以降のH氏のスケージュールもメジロ押し、秋にはメジロも余り見かけないので四十雀押しとでも 造語命名して記憶しておかねばド忘れしてしまいそう・・(百舌押しの命名でも良いが・・この鳥は余り大勢で寄り集まらないので・・・)10月28日(土) 報恩講 29日(日) 早朝ラウンド 11月1日(水) 町内会会合 3日(金・・文化の日) 宮沢賢治仮面劇(JT生命誌研究館)観劇 5日(日) 早朝ラウンド9日(木) 定例高校同期会 11日(土)中学同期会(渡米会員送別カラオケ大会) 12日(日) 早朝ラウンド14日(火) 錦秋高校同期ゴルフコンペ 19日(日) 早朝ラウンドと、10月22日~11月20日間で 11回の予定・・この位予定が入っていると、一ヶ月は脱兎の如く過ぎ去り、いよいよ残された年末に向け 加速してゆく事となる・・まさに光陰矢のごとし・・
October 24, 2006
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22日 定刻9:30am に近江八幡駅に集合した同期の仲間7人と、その他7名の団体は、バスで近江八幡国民休暇村へ向かい前の桟橋から船に乗り、最初の目的地の琵琶湖に浮かぶ沖島巡りに出発。 主に漁業の人口450人の島をボランティアの案内人の、曰く謂れの説明を聞きつゝのんびりと島巡り。 高台にある沖津島神社の境内から、琵琶湖の中心にある竹生島方面も眺めた後、島の家々の迷路の様な路地を通って港に戻り、もろこやジャコ等の湖魚弁当を、漁業組合の捌き場で食べ、島を後に・・ 元の出港地の近江八幡国民休暇村に戻り、天然温泉に浸かって、露天風呂から湖を眺め、一時間の休憩。 その足でJRに戻る他の団体さんと別れ、今日のメインテーマの奥津島神社に参拝し、宮内庁に献上予定のむべとその籠や行器(ほかい)と御対面。 明後24日、東京まで献上にあがる宮司さんの説明を聞いた後、この写真の手前に並ぶ むべから、恐れ多くも陛下より一足お先に、輪切りに斬って頂き、御賞味に預かる。食感は何ともいえぬ甘みに、まさに「宣なるかな!」但し、果実には沢山の種があるので、口の中で選り別けながら食べるのが、かなり面倒・・・どうして、このように大きなむべが成るのか、果樹園の持ち主(近江八幡市議)さんにお聞きした処、むべの花には雄花と雌花があり、その時期に養蜂を放し、良く交配させるのがコツとの事。沢山の花がなっても、その花全て実るわけではなく、各枝にほんの数個らしい。その後、広い干拓地のなかにある、むべとあけびの果実園へ向かい、むべ酒を頂いた後、籠とはさみを渡され一人1K(大小5~6)を採果。 ついでにあけびと食べ比べてみたが、H氏としては、やはりむべの方が、上品な甘さでなんともいえぬ口当たりの良さに思えました。各々、むべや果実酒や、ついでにむべの苗まで両手に抱え、長寿を授かった思いで、電車座席の一角を専有しながら楽しく阪神方面へと帰路についた。 blogランキングへ
October 23, 2006
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寝覚めの悪い日々が続く。H氏の事ではなく、北隣の総統閣下の不機嫌な寝起きの事。やることなすことうまくゆかず、テポドンの発射実験には、金詰まりで外国からの購入予約に気が急いて、即燃料を入れる様指示した後、都合で一月もクライアントのI国秘密使節の入国が遅れ、やっと7月に実施の運びとなったが・・。前祝のドンペリを呑みすぎた為、持病の腎虚でゲップが止まらずグズグズしてる間に、燃料タンクまでが、施主の内臓と同様に腐ってしまい、空中分解。秘密使節団の手前、慌てて、ノドン他6発打ち上げて実験失敗を誤魔化してみたが、まるで夏の浜辺の打ち上花火程度で首を横に振られて商談にもならず・・。最後の切り札でこの10日前に核実験やってみせたが、せいぜい廃坑の落盤程度の成果。例により「今度失敗したら全員石炭採掘員に格下げじゃ!」と、科学実験班に雷を落とすも、・・これでは、国民あげての一週間後の党のお祭りの気勢もあがらない・先日は周囲の取り巻きが気を使って「総統様を御守して、全員弾となり盾と為る」と参加者に叫ばせ、ピョンヤン市内を松明行列で行進しても、気が塞ぐばかり・・彼らが幾ら喉を痛めるほど叫んでも、全員に行き渡る程の"のど飴"も、もうないからだ・・「あいつら、スイスに預けてある、わしの秘密資金5000億円まで封印しよってからに・・」と悔やんでも、もう後の祭り・・。おまけに、何かとちやほやしてくれていたお隣の中国の偉いさんが最近代替わり以降、風向きが変わって、ちっとも気遣いしてくれず、核実験後は、まるで虎の尾を踏んだかのように威嚇してくるし・・、18日はアメリカ・ロシヤを回って来た唐家旋国務主席には、カメラが廻っている間はニコニコと取り繕っていたが、会議室の戸がバタンと閉まるや態度を急変,・・足を斜めに組み、"お前"呼ばわりされ・・「判っとるのか、こらお前!、何時までも甘い顔する思うたら大間違いやど・・いつでもお前んとこの電気もガスも石油も止められるんやど!」と家主顔で脅かされ思わず「へぇ、えらいすまんこって、もう2度と核実験しまへん・・」と謝ってみたものの・・・どうにも気が治まらぬ・・・と今朝はドンペリでヤケ酒・・痛い胃を擦って総統執務室で作戦モニターを眺めてみれば、東海(日本海)黄海の両方の海には、米軍の潜水艦群はおろか、イージス艦や、この14日に横須賀を出港した航空母艦等に、びっしり取り囲まれ、上空には米・韓、日の静止衛星で、逐一監視され、中国国境には、中国特科二個師団がいつでも侵攻するべく張り付き、韓国国境には同様に米韓陸軍が臨戦態勢・・これじゃ、蟻の這い出る隙間もなく、地下にでも潜るしかない・・夜毎、グアムや韓国から飛来してきた、ステルス戦闘機は、脅しで総統の寝室の上空で急降下して、ドカ~ンと衝撃波を起し、「すは敵襲!」と浅い眠りから飛び起きて、電話で航空部隊に出撃命令を出すが、上空に辿りつく頃にはもう国境の向こうに出てしまって、貴重な航空燃料の無駄使い・・・今夜からは地下深く掘られた防空壕でモグラの様に寝る事にするが、生憎、閉所恐怖症でまた寝つきが悪い・・・「えらいことしてしもうたな~、ぼくちゃん一体どうしたらええんやろう~」「だれか代わってくれへんやろかな~」と悶々と悩み、寝汗でびっしょりの今日この頃でした・・ blogランキングへ
October 21, 2006
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今朝19日の日経新聞の「交遊抄」を読むようにと仲間からコピーが届いた。同期内で大人しかったが、最優秀だった、八田(阪大-東大-現国際基督教大)教授が、高校時代の朋友交遊録を懐かしく書いていた。「行動力と温かさ」八田 達夫「こいつが小倉でケンカが一番強い中学生だ」。中学三年の春、北九州の紫川のほとりを一緒に歩いていた同級生が、馬場重信君を紹介してくれた。本人は照れていたが、否定はしなかった。 中学は別だったが、ともに小倉高校に入学して再会した。彼は二年生の時に生徒会長になり、その明るい人柄は全校生を魅了した。別のクラスだった彼との親交が始まったのは、三年生の香、夜八時に二つの電車を乗り継いで突然私の自宅まで訪ねて来てくれた日からである。我々は意気投合した。うらやましい行動力だった。 彼は大学を出るとシベリア鉄道で渡欧し、フィンランドと英国で精神病棟の看護助手などをしながら三年暮らした。帰国直後、高校のマドンナだった美穂さんと結婚した。皆が驚いた。注目のなか就職したが、七年間に四度転職した。 その後、旅で学んだ英語を生かして家具の輸入販売を始めた。当初は道にゴザを敷いて売った。しかし事業は大成功し、四十四歳で海外に家具工場を持つほどになった。 小倉に帰るたび、彼は生の経済状況を教えてくれる。その際にいつも感じるのは、彼の温かさだ。不良に絡まれた友達を救っていた中学時代以来変わらぬこの温かさが、彼の事業の成功の源に違いない。(はった・たつお=国際基督教大学教授)平成18年10月19日 日経新聞「馬場君は元気にしているか、美穂奥様はお変わりないか、感想の一文を、同期掲示板に寄せるように!」と、早速、確認しようと携帯電話したが、代わりに出た女性事務員によれば、生憎、社長室に携帯を置き忘れ飛び回っている・・・如何にも彼らしい・・・八田教授には、約10年ほど前頃、阪大社会経済研究所教授として在阪時、普段着の作業服を着たままよく訪問したが、その折、偶々、阪大社会経済研究所の同僚に彼の米国経済研究留学時に後輩にあたる竹中教授(前 小泉内閣総務大臣)も在籍していた訳で、友人としての”ひいきめ”からか、どうみても八田教授の方が優秀に思えたし、「貴君が経済専門大臣をやってくれれば・・」等、彼の東大教授栄転送別会の司会の席上でも、その後の同期会でも不満を述べたものだが・・・今の処その気配はない・・思うに・・それは、「交遊抄」寄稿文でも読みとれるが、偶の金曜日のテレビの「ニュースステーション」等に出演の折に感じる「八田氏の人への温かさ」と、ご存知の通りの「竹中氏の利への敏さ」にあるような気がしてならない・・・ blogランキングへ
October 19, 2006
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アケビの仲間にムベがあり、方や熟すと果実が割れ、ムベの果実は割れないらしい・・実物を今度見に行く事とする。 4月頃の花の開花 10月頃の果実この春の同期会の宴席でその話題で盛り上がり、それでは、その果実が実る頃、現地まで見に行こう・・となり近江八幡観光物産協会主催の「ムベなりツアー」に、同期生家族共々7名で参加する事となった。 沖島22日(日)「琵琶湖・沖島ハイキング」の後、特製の「湖魚弁当」を食べ、休暇村にて温泉入浴後午後から奥津島神社に廻り ムベ果樹園にてムベを食べ放題だそうだが・・そんなに食すほど美味いのだろうか?・・百聞は一見、一食 に如かず・・にて。 「ムベ酒」(1500円)、「ムベおかき」(650円)、「ムベ飴」(350円)の販売もあり宮司さんより「ムベ」の謂れや宮中へ献上行事の説明を聞くのだそうだ。壬申の乱(672年)の折、天武天皇亡き大津京を潰すべく、琵琶湖周辺の近江八幡まで遠征した天智天皇の後日談なのか・・・『(大津から)琵琶湖を渡って蒲生野に入る途中の北津田の里にある奥津嶋神社に天智天皇が立ち寄った時、8人の男児を持つ長命堅固な老夫婦に出会ったので、「汝等如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ?」と尋ねた。老夫婦は、「この地に産します珍しい果物がございます。これは無病長寿の霊果と伝えられ、毎年秋になりますとこれを食します。」と、天覧に供したところ、天智天皇は賞味の上、たいそう感銘され、「宣(むべ)なるかな。」と仰せられ、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ。」とご下命された。老夫婦は喜んで、「以後、この果物を"むべ"と呼ぶ事に致します。」と答えたそうである。』それ以来宮中へムベを献上しているとの事・・・(今年は今月24日とか)・・ 宮中献上籠まあ話の種にて、ヨメはん連れで、皆で同期会を屋外でやるのも日頃の罪滅ぼしで乙なもの・・ blogランキングへ
October 18, 2006
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久し振りに札幌の友人より便りあり「・・ばたばたしているうち、季節は巡り、昨日は朝方の気温はマイナスとなり、初霜が降りました」・・との事 今夏、ともに散策した真駒内公園の大樹の黄葉も一夜で進み、雪虫が飛ぶと冬がやってくるそうだ。 その折、公園を流れる真駒内川のほとりで親鳥と変わらぬ程大きくなって泳いでいた鴨どもの親子に、 何処からオシドリが一羽舞い込んで、せわしなく餌を捜して、こちらも渡りの支度で忙しそう・・とあった。訪問の折り、生憎の雨で彼の庭でガーデンパーティーは出来なかったが、その庭では遅咲きコスモスの花も咲き。 彼の亡母仕込みの俳句も添えられていた・・・「初霜に はぐれオシドリ 遅れ花」 blogランキングへ
October 17, 2006
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”今 北摂が 熱い! ”として October 09, 2006にレポを書いたが衆議院補欠選挙がたまたま全国で2地区(西日本では、ここ大阪9区)だけ今月10月22日実施されるため、ラストサンデーとなった、昨日15日は、安部首相まで、茨木・箕面で街頭演説に駆け付けた。選挙戦としては、こんな大阪・北摂郊外に永年住む住民としては初めての事だけに、物珍しさもあり、又、今北朝鮮問題の渦中でもあり、安部総理の生の演説にて時勢を聞くのも又とない機会と、阪急茨木駅まで、散歩を兼ねて、のこのこ歩いて出かけて聞いてみることにした。駅前まで行くと、予定時間の1時10分前に着いたため、さしもの広い駅前も”人山の黒だかり!” ・・・後で新聞で確認すると概ね4~5000人程集まっていたとか・・・野球場に例えてみれば、外野から見るより、折角だから、街頭宣伝カーが正面を向いている、バックネット側に当る、駅建物側に回り込んだせいもあり、身動きもままならぬ程で待つこと暫し・・・周りを見渡すと、何やら日の丸の小旗を持った人達が大勢いる・・・皇族方がお見え頂いても、これだけ日の丸の小旗が振られるのは見たことがなく、もっと静かにお迎えするのが、昨今の日本人の礼儀と思いきや・・、ましてや、今、北朝鮮問題で、微妙な折、余り熱くなって、妙に国粋的な盛り上がりはどうも頂けぬと思いながら、周囲をみまわして我慢していたが・・これが、直に公明党の動員された人々と判ったのは、安部総理が到着するまでは、公明党アジ演説が殆どの独壇場で、特に大田新代表 がアジ演説を始めるや、千切れる程に打ち振られ、何だか、同党の釈伏会場にでも居る趣きで、ましてや、正面に回り込んだばかりにスピーカーからは最大音量でのがなり声。 まるで本来自民党の候補者の応援会場である場所で、しかも、日本の総理大臣が応援に駆け付ける場所が、乗っ取りされた様で、命じられれば、北朝鮮の金正日に、北朝鮮国旗を千切れるほど振る、あちらの国民と、どれほどの差があるのかと思うと、何だか嫌~な雰囲気。逆に言えば、それ程彼等を当てにしなければ、現下の安部政権も維持できぬ程、情けない党に成り下がっている自民党に、改めてショックを受けたのが実感・・・。 流石に安部総理は東京からの車中で勉強してきたのか、自民候補の府議会議員当時の細かい実績まで縷々披露していたが、日差しもキツク、一緒に連れてきていたヨメが、段々気分がすぐれぬと、肝心の北朝鮮経済制裁の話を聞くまでも無く、ぐずり始め、止む無く会場を抜け出したのは、やや心残りではあったが・・・今夜6:30には小泉前総理も来て、演説会をやるそうだが、ご苦労様にも、また動員された日の丸を見るのも、余り気分が選れないので、止めておくこととする。 blogランキングへ
October 16, 2006
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約3万年前までに絶滅したとされていたネアンデルタール人が2万8000~2万4000年前まで生存していたことを示す生活跡がジブラルタル沿岸の洞窟で発見された。先行現世人類(クロマニオン人)は約3万2000年前にイベリア半島へ進出してきたとされているため、両者は共存し、混血もあった可能性があるという説もある・・・現実的には、後から進出してきた現世人類に、まるで西部劇で云うアメリカインディアンの如く、狩や森の収穫の多いヨーロッパの中心から、不便な谷間や、収穫の少ない岩場等、西へ西へと追いやられて、最後の場所がジブラルタル沿岸の洞窟だったのでは・・と、H氏は勝手に想像している・・・。ネアンデルタール人は埋葬の儀式も持っていたらしく、貝で創ったビーズの装身具もでてきたり、イラク北部のシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人の化石とともに数種類の花の花粉が発見されたことから、副葬品として花を添える習慣も考えられ、内輪ではやさしい平和的な人類ではとも言われている。 復元上のネアンデルタール人 成人女性 と少女 ネアンデルタール人の遺跡には焚き火の跡があった。そして狩をして生きていた形跡も残っていた。木を切ったり動物の解体に使ったと考えられる石器群もあった。しかし彼らは、どうやら25万年以上もの間、同じレベルの道具を作り続けていたようだ。道具の形も作る方法も、ほとんどかわっていない。つまりネアンデルタール人の文化は、25万年もの間進歩が無かったようだ。骨相学的に、現世人とは異なる顎骨などの構造上、現生人類の祖先(ホモ・サピエンス)と比べ、喉の奥(上気道)が短い為、言葉の発音が悪く、細かい複雑な語彙が述べられず、つまりは文化の伝承積み上げが出来なかったのでは・・という説もある・・・ (NETで調べる際・・、余りしゃべれぬ低脳な単なる哺乳類の一種族という解説もみかけたが・・乱暴な解説をするものだ・・・)しかも、3万5千年前から、ヨーロッパの気候は急速に寒冷化し始めたらしい。一方、ネアンデルタール人の遺跡の洞窟の上の土質等から発掘される、替わって澄み続けたであろう現生人類の祖先(ホモ・サピエンス)は、用途に合わせてかなり複雑な形の石器をつくっていた。この発明力の差が、(つまりは、言葉の発音の巧みさが)、伝承積み上げが出来、適応能力の差を生んだのでは?結果、ホモ・サピエンスの方が創造性が豊かだったから生き延びることができたのでは?一説には、先住人のネアンデルタール人等を追い詰め、滅ぼして、人類として単一化したわれわれ現代人は殺戮者集団の子孫という見方もできる。DNAを分析してゆくと、現代の人種の差は黒色人種・黄色人種・白色人種とも、ほとんど、アフリカで発見された、ホモサピエンスのDNAに収斂されて差異がなく、ヨーロッパ辺りで一時同時期に暮らしたであろうネアンデルタール人との混血は起こらなかったか、あるいは、僅かに起きても淘汰されていったという結論だそうだ・・。 blogランキングへ
October 15, 2006
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ヒトという生物は一口に言えば、サルから進歩したもので、これは、一応形も似ているので、常識的には誰もが認めざるを得ない。問題はそれがいつ頃別れたのかだが、現代人のプライドとして、成るべく大昔にしておきたい意識が働き、主にアフリカで発掘された、猿人の骨相学上で分析する古人類学という学問で、これらの類人猿からヒトの系統が分かれたのは2400万年前に遡るとなっていた。その間、ミッシングリングといって、未だに完全に繋がってはいないが、1000万年前とされる地層から歯の化石だけのラマピテックスと命名された猿人こそ現生人類の直接の祖先だとされ、「フムフム?」と骨相学の学者先生のお説を信用せざるを得なかったわけだが・・・処が、DNAを分析して進化を推定してゆく「分子進化学」が発展するに従って、1000万年前の化石のラマピテックスは、寧ろオランウータンのDNAに近く、ヒトに最も近い類人猿のDNAはチンパンジーで、その分岐時期はたったの500万年前だとする説でごく最近決着したようだ。人類進化の揺りかごアフリカから、ヒトの祖先である旧人(ホモ・エレクトス)は150万年前頃になるとユーラシア大陸へ次々と進出し、各地の旧人となっていった。それらが、その後も60万年前に各地に生存していたジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人といった先行のグループ(旧人)でもあるわけだ。 (復元)ネアンデルタール人 現代のヒト・現生人類(新人)(ホモサピエンス)もそれらより40万年も遅く、現生人類は20万年ほど前のアフリカ南部が起源と考えられる。それが約5万年前にアフリカから北へ向かって移動を開始し、3万5000年前にはヨーロッパ全土に広がった。(移動原因は?気候の変異?獲物の移動を追って?)相前後して各大陸に進出したわけだし、どこかで旧人と出会い、混血して、世界各地で見られる人種の肌・目・身長の差もそのせいかと思われていた・・・。 blogランキングへ
October 14, 2006
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今年は2006年 、しかし、今から38年も前の1968(昭和43)年に公開された映画「2001年宇宙の旅」のストーリーの様に、まだまだ現実は、そんなに宇宙を自由に旅できる訳ではない・・この映画を見た折の驚きは、未だに新鮮で、色あせず、それまでのSF映画の、はるかに想像を超えた画面とストーリーは完全な理解など今だにできていないほど、ショッキングだった。始めに宇宙に浮かぶ地球と月その後ろから昇る太陽の輝きに併せ「ツァラトゥストラはかく語りき」の荘厳なBGM・・感激してレコード屋に走り買い求めたが・・(・・その頃はCD・DVD等しゃれたものはなかったのです・・) ビデオで何度見直しても飽きないし、又、見終わった後も、特に後半になればなるほど、良く判らない・・・、画面構成上(まるで映画の中で)、神からの預言を見るかのようで、単なるSF映画を越えたSF叙事詩とも言える、謎だらけな終わり方・・クライマックスでは、ワープを暗示する光の乱舞の後、ボーマン船長が孤独に年を取り、その指差す先に一人の胎児が生まれ、それがいつとも知れぬ時代の地球上空に戻り、瞑想するかの如き顔付きの場面で終わる・・ 類人猿がはじめてヒトとして知性を持ち始めた300万年前の地球なのか、或いは、本日唯今の相変わらず騒乱多き地球上なのか・・どちらにせよ、ある輪廻を物語っているのが理解できるのがせいぜいで・・それも正解かどうかも解らない・・・H氏にとって、忘れる事すらできず、その折、買い求めたハヤカワ・ノヴェルズ 「宇宙のオデッセイ2001」アーサー・C・クラークを再読しては、現実にその後発見された宇宙空間の事実の追認や、また、人間(ヒト)の進化の新事実と比較確認している始末・・。それをベースに、一項を設け、疑問に思い、興味を持ち、謎解きに向かうのも、一興と思いはじめた。あの映画以来、ヒトの発生と分化・進化・に興味を持ち続けているし、またその言語能力の獲得により、文明がはじまり、ついには宇宙にまで乗り出し、思考の限りを尽くして、神の領域まで迫ろうとして、万物霊長を名乗るほどの高邁な生物に成りあがっているが・・・、それは長い宇宙の輪廻や地球上の38億年に及ぶ生物発生以来、本当に許されるべき生物なのかどうかにまで疑問も感じている。 blogランキングへ
October 13, 2006
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どうも きな臭い雰囲気になってきた。やるかも知れないという時期が過ぎ、実際に事が起きると、核実験の現在の成功不成功は問題ではなく、目が離せず、落ち着かぬ情勢となった。手を拱けば、経時後、必ずミサイルに乗せる技術も獲得するだろう・・・・。日本以下、国連安保理の経済封鎖の結果 暴発する恐れが現実のものとなってきている。歴史は繰り返すとも言われるが、過去を思い起せば、日本も、昭和十六年(1941)四月、ABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網の経済封鎖をきっかけに肝心な石油が入らなくなり、「米国」と平和裏な解決を願いつゝもそれが適わず、(・・丁度北朝鮮が米国と差しで話し合いしたがってるのと良く似ている・・)ついには軍指導部より「座して死を待つよりは」と、強硬論が出て、同年12月8日太平洋戦争に突入した訳だし、北朝鮮軍指導部も当然それは 同じ事を考えるだろう。一方、同時期、欧州では「武力紛争や戦争は起こしてならないし、また起こらない」というイギリスのチェンバレン首相の判断の下、ヒットラーに対する融和策を打ち出し、これを弱腰とみたヒットラーはオーストリアに進駐し、チェッコスロバキアに食指を動かした。それをみたチェンバレンは自らドイツに飛んで、ヒットラーのなだめ役をつとめ「チェッコ全領土を即時ドイツに割譲する」提案をした。強腰でヒットラーを追い詰め、欧州戦争を招くより、チェッコ全領土を餌としてヒットラーに与える妥協の道を選んだことになる。「まあまあ主義の妥協」の結果は・・(丁度今、アメリカ・中国という立場の違う国の主導の下、6ヶ国会議など北朝鮮が出たり入ったりと成果の上がらぬ、煮えきらぬ会議を延々とやってきて・・これを弱腰とみた金正日の判断と良く似ているが・・)つけあがったドイツはポーランドを攻め、フランスを占領し、ソ連に攻め入り、イギリスを爆撃し、全面的な戦争に突入していった訳だが・・・その理屈も「国家体制の保持の為」だ何時かは確実に起きる筈の大地震は、我々が日々それを忘れているだけで、如何に安穏に過ごした処で、複雑な地形の美しさの原因の結果、出来上がった日本列島に住んでる以上、覚悟はおぼろげにしている・・。予想される人為的な混乱は杞憂であって欲しいが・・2200万人ともいわれる北朝鮮に住む人々、その周辺に住む、何億の人々は知るや知らずや、あんな変なおっさんの偏狭な思惑に、振り回されていると思うと、それなりの覚悟のうえ、収まる処に行き着かねば、解決は難しくなってきた・・・。・・・時期は、遅くとも食料も底をつく、来春までの半年以内が山か??・・・それとも・・。 blogランキングへ
October 12, 2006
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連休を挟んで、ここ数日はすっきりとした好天が続く、6日の中秋の名月までは、各地に強風が吹き荒れ、海に山に痛ましい遭難者が出たのが信じられぬ程の穏やかさ・・あの低気圧の急激な発達ぶりは何だったのだろう・・、天気には素人にせよ、余り記憶になく、あんなに急変する例を知らないし・・ある意味その影響は台風よりひどかった様だ・・俗に、変わり易いたとえに、「○○○心と秋の空」とあるが、男・女 どちらが正解なのか、・・今や両方とも使われているようだが・・・調べてみると、元々は「男心と・・・」が古くから言い伝えられていた様で室町時代に上梓された狂言の「墨塗」(すみぬり)という演目に「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」旨の台詞があるのだそうだ・・。その昔の狂言の上演は山城の国(今でいう京都)での演目であろうし、元々京都は盆地ゆえに特に天気が秋に限らず変わり易く,(H氏が初めて修学旅行で京都に行った折、晴れかと思えば、急に曇り、苔寺ではしんしんと降る春雪の風情となり、それからまもなく嵐山の渡月橋での記念写真を撮る頃には、背中からぽかぽかした春の陽気だった記憶がある位だ。)処がその例えも、近世になり、そうとも云えぬこととなり(当然男性の方から異議・苦情?があった訳だが・・)レディファーストの国、英国で「A woman‘s mind and winter wind change often(女心と冬の風は変わり易い)」とあるを見て、そら見たことかと、合点したどなたか女性恐怖症?の英文学の学者先生、が尤もらしく言い出し、ついでに、戦後強くなったのは「靴下と女性」等のウーマンリブな流れとともに、今や「女心と・・・」も堂々肩をならべる諺に進化してきたのだろう・・・それはともかく、先日来、秋の空は、高く々々澄み渡り、穏やかに流れる雲が美しい風情となりました・・・。 8日、休日の午後、散歩に出歩き、近くの鎮守の森の前の池で人待ち顔に、空を見上げて、PCの背景にでも使えないかと思わず撮ったもの・・(クリックすると拡大)今日10日の仕事帰りも、淀川に架かる 鳥飼大橋は相変わらず渋滞していた為、ジャストな日の入りには一歩間に合わなかったが・・ それでも六甲山に日が沈んだ直後の夕焼けが淀川の水面に映え、とりわけきれいな色使いでカメラに収めることができました。 blogランキングへ
October 10, 2006
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先月末から10月1日にかけて 宮里 藍 や 諸見里しのぶ 横峰さくら 等 女子ゴルフプロの、今売り出しの有名どころが日本女子オープンで茨木カントリーに集合し、生でたっぷりお目にかかつたばかりだが、続けて今度は政界の有名人どころが、こゝの処 大阪・北摂の街を徒歩でうろうろしている。安部総理 は中国・韓国の訪問予定が入らなければ、本来10月7日に来る予定だったそうだが、急遽延期され、替わりに麻生外相がきていたそうだそれでも帰国後直ぐの12日には駆けつけるらしいので、今日9日の北朝鮮の核実験実施に対し、我が国としてどう対処しようとするのか、生で目の前で聞いてみるのも良いかもしれない・・。昨日8日は、カミさんと買い物帰りの街角で、鳩山民主党幹事長や、ヤッシーこと、田中康夫前長野県知事にも出会ったので、数メートルの距離で、なるべく報道陣のカメラに写らぬ角度で話を聞いてみた。 10日には志位共産党書記局長も駅前で街頭演説をやるようだし、 退院後の小沢民主党党首も11日には駆けつけるそうだ。その他、大物小物の忍者か、くの一の議員先生方も、ここ数日、スーパー前広場や駅頭で街頭演説をやっているらしい。まあ選挙の時のみの、パフォーマンスだが、衆議院補欠選挙がたまたま全国で2地区(西日本では、ここ大阪9区)だけ今月10月22日実施のため、動員がかかり、選挙応援合戦が比較的狭い範囲の北摂の街角や駅頭で繰り広げられている為だが・・・いつもの選挙風景とは流石にちょっと違う雰囲気だが、郵便受けにはどっさりと各党の資料が放り込まれ、すでに交代でガーガーと事前運動しているが、明日10日の告示後から22日迄は、住宅地で窓を閉めてじっとしていても、各党の選挙カーが更に足繁く、朝に晩にうるさく走り回る事だろう・・こんな折しか一票の重みは実感しないが、良~く考え投票する積り。 blogランキングへ
October 9, 2006
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月日の経つのは早いもので、去年の中秋の名月は9月18日だったのは、鮮明に覚えている。その日、H氏の無二の親友だった医師のW君らと小豆島に行き、民宿の風呂上りに、同行の同期友人5名と浴衣に着替え、下駄を鳴らしながら、民宿からほど近い小豆島の内海の浜に夕涼みがてら散策し、まもなく松原越しに昇ってきた満月が余りに見事な為、皆で記念写真を撮り、暫くその中秋の名月の風情を楽しんだ事が忘れられないからだ・・・。 思えば、それが図らずも、友人らとの最後のお別れの船旅で、その一週間後、彼は 敦賀の海からサーフィンであの世に旅立っていった・・・ そんなこんなで、その折、たまたま民宿前の畑に咲いていた珍しく白い彼岸花を見かけると、少し悲しい思いがするし、まだ暫くは、中秋の名月を見上げると、その日取りと、彼を思い出してしまう。""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""気分を少し前向きに変え、去年は確かに9月18日が中秋の名月だったのに何故今年は半月も遅い10月6日なのか?NETで調べると、月の満ち欠けの周期(朔望月)は29.53日なので、12回繰り返すと354.36日にしかならず、太陽が天空を一周する時間365.2422日に10.88日ほど足りません。そのため大雑把に言えば3年に1度くらい余分な月「閏月」を入れて調整しないと季節とずれていきます従って今年の陰暦は閏月が加わり、(13ヶ月あることになり)満月が今年13回ある為、中秋の名月が通年よりいくぶんか遅くなったのだそうで。・・・判ったような判らない話です。(閏月には色々なルールがあり、ここで詳しく述べる程精通してないので又お勉強しておきます。)それでは10月6日の中秋の名月・15夜が月齢13.6で、昨夜10月7日の十六夜が満月な訳は?これは月と地球の公転軌道の関係で新月から満月までの日数が14日間から16日間と日数に差があるため十五夜が満月にあたる年のほうが稀なのだそうです。(例えば 新月から16日後が満月の場合プラス2日ずれる事になる?)これも、元々理科のお勉強が足りませんので、解説できる程理解できておりません。十三夜は十五夜に次いで美しい月だと言われているため中秋の名月(十五夜)から約1か月後に巡ってくる十三夜のお月見を昔から大切にしていて、十五夜または十三夜のどちらか一方しか観ないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いこととしているそうで・・。 また、十三夜には無事収穫した栗や枝豆を供えることから別名「栗名月」「豆名月」ともいうそうです。十三夜とは旧暦9月13日のお月見のことで旧暦8月15日の十五夜の後に巡ってくる十三夜をさします。そのため、旧暦を新暦になおして10月13日とするのではなくその年によって日付が変化するのです。・・2006年の十三夜は11月3日になるそうです。・・今日陰暦17日の立待月(たちまちづき)を眺めつつ、約一月先の十三夜までにはもっとお勉強しておきます。 blogランキングへ
October 8, 2006
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天王寺・味原町にある得意先に、例のXXIOブランド用のブラインドステッカー校正刷りを無事届け、後は本番注文を待つだけとした安堵感に帰り道、車上から携帯で写真を撮ってみることにした。 一見何の変哲もない街角だが、通りすがりに見ると、結構この辺りの大阪・鶴橋~玉造界隈はおもろい看板が目を引く。先ず目にしたのが鶴橋側の「居酒屋風にぎり寿司屋」の看板、一貫62円の本格職人にぎり寿司と書いてあるから、かなり安そうだ!なにより復古調の映画館風の看板「君の名は」に曳かれて、懐かしさに目が行く、佐田啓二は兎も角、岸恵子は余り似ていないな~?等しげしげと見入ってしまう。 同僚店は確か、天王寺・寺田町にも同じ「君の名は」の看板をみかけたから、今やチェーン店を拡大中なのだろう中年の郷愁を誘う佇まいには、いつか歩きで行って、ふらりと入り、食べてみたくなる上手い誘い方だ・・その並び通りの玉造側には、以前から、これも中年おじさん、憧れの「イングリッドバーグマン」の看板が負けじと架かっている。 まあ入る事はないだろうが、スロット屋さんの看板。両方のお店の中間には、屋上に大きな金のたまごが飛び出しているパチンコ屋がある。 店名は「マジックバード」と言い、AMラジオで良く宣伝している。金を生み出す?(誰に取ってかは兎も角)魔法の鳥と卵、それにパチンコの玉を引っ掛けた宣伝だろうが、通りではパンダの縫い包みが愛想をふりまいていた。反対車線を走っていたので「イングリッドバーグマン」看板を撮りそこね、裏通りに廻り、玉造駅北出口をUターンする際、屋上を見上げてビックリ駅を挟んで、こちらのパチンコ屋には、屋上にヘリコプターを着陸させ、(勿論、中古廃棄品だが本物)ローターををゆっくり回転させていた。 玉造駅を挟んで、宣伝合戦もここまで対抗すると街に活気があって面白い。裏通りから、所謂 「疎開道路」に出て(・・昔々この辺り鶴橋・玉造界隈はS20年6月の大阪空襲の戦災で丸焼けとなり、戦後大きな道を通すのに、焼け跡住民を疎開させて拡げた)東に向い深江橋方面への帰り道、昔からあった眼科が最近3Fビルを建て替えた際,建物の窓さえ、大きな目玉にした。 何事も目だってナンボの大阪精神の満ち溢れる界隈・・・だからスキャネン大阪!。 blogランキングへ
October 7, 2006
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俗に、"月に群雲" といえば"花に風" という対言葉があるが今年の中秋の名月はその言葉通りの風情・・・。正確には今日10月6日は 月齢13.6 だが十五夜お月さんという訳で、この日が今年の中秋の名月 ・・・それでも雲の流れが速いため、ここ関西は、時間とともに、折々の高さでお月見できるだけでも望外のしあわせ。 10/06 19:42:33 10/06 21:14:45 10/06 21:32:48新古今和歌集に 「 むら雲や 雁の羽風に 晴れぬらむ こえ聞く空に 澄める月かげ」・・朝惠法師 とあるが昔の風流人は、中秋の名月の折には、曇っていても、"無月"の風情の薄明かりを愉しみ、たとえ雨が降ろうとも"雨月"という美しい言葉を残してくれている。低気圧の通過の為か、10時過ぎからかなりな強風で向かいの森のヤマモモの葉々がきしむ・・しかし、それも開発で今年限りの葉音と思えば、なんとなくせつなく聞えるそこで一句 「 限りある生 ざわめきて 月 映える 魏侯」 blogランキングへ
October 6, 2006
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北朝鮮外務省が「核実験をすることになる」と発表したそうだ。いよいよ ”彼の国”も諸々と、手詰まりしてきたのだろう。一説にはこの8~9日にでも実施するという見方もあるやに聞く。10月4日の「毎日新聞」に北朝鮮・寧辺(yongbyon)の核関連施設の下記見取り図が載っていたので久し振りにGoogle earthで上空から現地を眺めてみた。去年6月頃から上記Googleearthが無料解放され、世界中何処でも移動観察でき、しかも余りの鮮明さと、高々度の折は宇宙船を操縦する如く、低空では自分でヘリコプターを操縦する如き、ソフトの自在さにH氏も暫く嵌まり込み夜毎眺める内、その三次元感覚に酔い、寝起きに頭がふらつくは、車の運転中に、視野が狭まるはで、その視力限界に恐れをなし、最近は極力長時間、見ないようにしているが・・・しかし便利なソフトをGoogleも無償で提供するものだ・・・。当然DATAは、本日唯今の画像ではなく、軍事上の制約もあり、少なくとも数年前のものだとは思うが、折々、より鮮明な衛星画像に貼り替えている様だ・・まずは、Nuclear plantsの見取り図通り、上を北に取り、高度1670mからの画像核燃料加工施設工場を目標に高度を328mに下げて近づき更に、核燃料加工施設工場の真上82mまで下げてみた画像。いずれも、昨年見た画像(仮に01年頃の画像として)より、鮮明になっているし、より新しい年次に張り替えたのか、工場も何となく追加建て増しされた様だ・・・米軍やその情報をもらう防衛庁等は(或いは昨年?頃打ち上げ成功した日本製の衛星画像を既にお持ちか?)勿論、現在上空にある軍事衛星から見た、本日唯今の生の映像をチェックしているに違いない・・・その証拠に北朝鮮の北東部海岸沿いにあるテポドン発射基地も、去年見た画像では日本海を見下ろす荒野に、白い発射台がぽつんとあり、周囲には大きな施設などなかったのに今日見た画像(実際は数年前)では、巨大な格納庫と思われる施設がループ状の広い道路と共に、撮影されている。いずれにせよ、上空から生で常時監視していれば、燃料注入時のタンクローリー等、その他うろうろしているのが、丸見えの筈で、いつ準備完了したかは丸判りの筈。現在のアメリカの軍事衛星画像では、人物は勿論、40センチメートル程度の鞄位の持ち物まで識別可能とか・・・そのうちか、将来かは兎も角、或いはに手にもっている新聞や命令書の文字まで読み取れる?位、恐ろしき解析力を持つ事になってくるのかも知れない?・・これだけ、情報を我々素人にまで公開できる自由陣営のパワーに、金正日は、何をもって、何のメリットあって、核実験をしてみせようとしているのか・・・????金回りが悪くなってご機嫌斜めの軍の攻勢に指導力低下し、身動きとれないのか、それとも元々の腎虚の持病でも悪化して判断力が鈍ったのか?? blogランキングへ
October 5, 2006
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普段、居間にある飾り棚は目線に入っても、余り注意深く眺めたりしない。殆どヨメ専用の飾り棚になっているので、中身は殆ど彼女の趣味の粘土人形や造花に覆われている為だが・・・。昨夜、何時の間にかたずけたのか、その棚の一角が、それなりに隙間をつくり、また新しい人形が飾られていた。お互いの趣味は内政不干渉としているから、それはそれで気にしていないが、・・よく見ると、馬の彫り物とウイスキーの瓶が二つある。「ウン?これはなんだった?」と、もう完全に記憶外の瓶。持ち上げて調べると、大した銘柄のウイスキーではないが、空瓶ではなく中身は入ったままで重い。ビールは飲むし、昔々は帰宅後大瓶1本、それが中瓶になり、缶ビールになり、今やプリン体99%カットの発泡ビールと段々格下になり元々飲兵衛ではないので、最近友人が送ってきた青森の地酒をヨメが食前酒に飲んでも平気で許可するし、ウイスキー等余り、自分で買った記憶がなく、貰い物だろうから余計思い出せない。 馬の彫り物は、昔、すぐ上の兄が、インドネシヤ駐在員の折に土産にもらったものだが、ギャラリーコレクション風のゴッホの「跳ね橋」がプリントされた陶器の瓶に入った「ニッカウヰスキー」は・・??確か、H氏が某社を辞めた際、若手の社員か女子社員から送別会の折り、もらった記憶をやっと思い出した。もうかれこれ二十年程前にもなる・・・「サントリーロイヤル」は、昨年亡くなった友人のクルーザーに積んでいた瓶を、これも4~5年前に、持って帰らされたもの・・・瓶の注口を丁寧に拭きとり、古いからもう駄目かもしれないと恐る々々コップに注ぎ、ストレートで飲んでみると・・・ほのかに香り、これが結構旨い・・(ホンマもんの酒飲みからは、そんな忘れ酒など、アホかと言われそうだが・・・素人ゆえに判らない??)かすかに廻る酔いに、当時を懐かしく想い出しながら、何となく癖になる予感がした昨夜の深夜ではありましたが・・・今夜もテレビで「エリザベス1世」なる洋モノを眺めながら、早速チビリと飲りましたが、ヨメは手出しする様子もなく・・ウイスキーは矢張り、西部劇かこんな洋画を見ながら、独り占めしてチビリと飲むが一番を実感した秋の夜長でした・・・。 blogランキングへ
October 5, 2006
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帰宅後,机上に現在横浜在住の同期の友人より、角3封書が置かれておりました。彼は元大手の建設会社の偉いさんだが、昨年退職した元気人。開けると、昨年8月中旬から、主にチビチャリに跨り、28日間で達成した88札所通し打ち遍路旅の、160頁に渡る紀行文で、今年9月吉日発刊の謹呈本が届いておりました。 昨年6月2日、宇治は平等院の山奥にあるH氏ホームコースにて彼の関西からの歓送ゴルフ大会が行われた折。ちらりとその壮挙に挑む事を聞いた記憶がありますが、人生還暦を向え、思うところと、母上のご長寿(百一歳)を願っての事だった様です。惜しくも結願後、本紀行文編集中のこの4月、天寿を全うされたご様子ですが、かような本まで発行される、孝行息子をお持ちになって、さぞ御安堵されて冥土へ旅立たれた事と拝察しております・・ 内容は目次以外はほとんど手書き印刷で、日頃の彼の性格通り、微細に渡り、 「或いはこれから遍路旅をされる老若男女の方々に何かしらお役に立てられゝば幸甚」の趣旨にて彼の意図する処は以下の通り・・同感の思いにて”あとがき”の一部抜粋ご紹介してみます。「・・前略・・・私達還暦を迎えた年代の人々は、ほとんどの人が、右肩上がりの時代を駆け足でひたすら上を目指してきた。この還暦という節目に「行き過ぎは賢者の知恵」と勝手に思い、お遍路の旅に出掛けた。遍路道を無我夢中で歩く、真言宗、般若心経に触れる、歴史を知る、四国の人、お遍路さんとのふれあい、歩きをベースにしたスローな遍路旅には、今までにない感じ方、味わいがあった。そしてこの旅最後の高野山でのひととき。還暦という一つの区切りが決められたと実感した。これからは私には自由に使える時があり「個」に戻る時を持てる。「個」を大切にしながら、人のため、特にハンディキャップを持った人のお手伝いをするという今迄の経験にはなかった事に挑戦していこう。そして、バブル時代以降、特にひどい、間違った資本主義・勘違いの個人主義・とんでもない消費社会(ケニア・マータイさんの「もったいない」運動賛成)孝・義・忠・信・礼 の欠如には染まらず、上手に”老”を過ごしてゆき、自分の可能性を信じ、これからも”青春”をし続けてみよう・・・後略」 blogランキングへ
October 3, 2006
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名古屋の山好きの同期のお姉さんが先日、長野県の南木曾岳に登山し、御嶽山の遠望写真や途中で撮ったミヤマリンドウ(竜胆)の写真を送ってきてくれた。モディファイし、勿論、同期会HPポータルサイトを飾ったのが、下の写真 我々同期生で登山を趣味にしているのは、もはや彼女のみ・・・何しろ山の景色や花は見たく想えど、足腰弱った、この歳には勝てず・・・、せいぜい、ゴルフ場を歩き回る処を、カートに乗ってアップダウンなコースを廻る程度が運動と心得違い・の男共が殆ど・・。その後、更に、名古屋のお姉さんから、食欲の秋として自分で作った「鬼まんじゅう」の写真と話題を俳句弐句とともに書き込んでくれた。 「こだわりを捨てて気ままに秋桜」 「竜胆や山には山の出会ひあり」うまいものだ。 「鬼まんじゅう」という言葉自体も関西に住むH氏は聞き始めだったので、NETで調べると、名古屋・岐阜を中心に売られ、愛・地球博でも売り出していたとか・・(中部地方の何方様か、そのレシピと食感のおいしさ!?でもお聞かせ頂ければ・・・幸甚)・・芋まんじゅうらしいので、今一、H氏も食指が動かないが、同じ考えの男子同期が{自分で好物の饅頭を作れるなんて、羨ましい限りです。孫らとペースを合わせて、饅頭を食べた時の思い出です。「饅頭を ゲップの度に 思い出し」・・・ 甘い物が食べれなくなってきました。 歳ですな。} と書き込んできた。更にH氏よりそれへの返事で、同情とひやかしを兼ね、胃炎の君へ、{・・「饅頭を食ってゲップ」が出る折は、リンドウの根の生薬で苦味健胃作用がある「竜胆瀉肝湯」でも飲まれて胃を整えられては如何?彼女への健脚にとても敵わぬ我々男共への哀れみと皮肉を込めて・・・「竜胆や里には人の歳ひあり 」 }と書き込んだ。折角の俳句をひねって川柳にしてしまい、彼女の逆鱗に触れそうだが・・まあ同期生の仲間内の怪気炎のこと故に、お許しいただこう・・・ blogランキングへ
October 1, 2006
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September 21, 2006 「思いがけぬ小雑誌 」としてJT生命誌研究館をご紹介した手前もあり、9月29日(金)、近場のユーザーを新規訪問した余りの時間で、ついでに、これも”思いつき”で訪問することにした。・・・といっても、直ぐ隣町の高槻市なので、どうっていう程の距離ではない・・一体このJT生命誌研究館とはどんな趣旨で民間で運営されているのだろう・・とは言え、この前まで、日本専売公社として、塩や煙草を売っていた会社の施設だから、過去の資本や土地の蓄積は相当なければ出来ない事・・案の定、H氏の持っているやや古めの「道の地図」には元々日本煙草研究所とあり、JR高槻駅近くの広い敷地に建造されていた。3時過ぎに車を駐車場に入れ、辺りを見渡すと、まるで、どこかの大学の構内の雰囲気。JT医薬研究所に付属する形の建物で、しゃれた館内に入ると、受付のお姉さんが笑顔でお迎え。 勿論無料で、記名を求められるだけ、客は、H氏唯一人。1~2Fの展示ホールをじっくりと見学する事とした。要は生物学の実験室の成果や研究の様子を伝える展示場を合わせもったユニークな施設。展示は、初めて生物学に触れる人にもわかり易く、例えば世界中の飛べない昆虫「おさむし」や東南アジア原産の「めだか」の分布標本やその進化と、地球の地軸の変化や、日本の地形の変化との相関を分かり易く展示してあり、 生きている各地の「ななふし」等をそのまま見せ、その他「骨と形ー骨ってこんなにかわるもの?」展や、「いろんな生物の脳の模型」展、「DNAって何?」「ゲノムとは?」等、コンピューターグラフィックやビデオルーム・図書室など、H氏の苦手としてきた生物分野のものばかりのオンパレード。 ・・・「おさむし」といえば確か阪大医学部出の漫画家手塚治虫が少年時代に収集に熱中した昆虫だが・・しかし、40億年近く続く生物からどうやって人間が進化してきたか?には永遠な興味があるので、一から吸収してみようと、辛抱して、じっくり見学・・確かに今までこんな場を独り占めで見学できる機会もなかっただけに最高に贅沢な場所ではある訳で・・或る意味、こんな施設が近場にあるのを知っただけでも値打ちで、一度の訪問では、あらかた理解するのは、到底無理と、出口付近の喫煙所(流石にJT・・ゆったりと喫煙できる)で一服。 (写真上は展示場奥のサロン・・喫煙所ではありません・・・)そこでやっと、別の見学者が入場・・良く見ると、ご近所の若奥様風の子供連れ・・こんな小さな子供の頃に研究資料のチョウや昆虫の現物標本を眼にするだけでも、「値打ちだろうな~!」と納得。3Fは一般入場者は上がれないが、そこの研究所員を訪ねてきたのか、学者風の先生がH氏に会釈して退出・・H氏の格好は普段の仕事用の作業着の格好だけに、何か勘違いされたのだろうとあわてて答礼だけはしておいたが・・4時半閉館までねばったが半分も理解できず、結局、客はそれだけ。受付のお姉さんにも悪いので、JT生命館発刊本のうち一番H氏の興味に近い2002年度生命誌を一冊購入して退館する事とした。目次では「情報から人間を考える」「言語とゲノムの意外な関係」「脳と言語、そして音楽」「塩基配列に隠れた情報を探し出す」etc.文系人間には恐ろしく歯ごたえのありそうな本。まあ、何事にも興味を持つことのできる間は健康な証と、行間の細い文字の綺麗な本をパラパラっとめくり、写真だけでも眺めてみる事にしてみようか・・・ blogランキングへ
October 1, 2006
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