全1790件 (1790件中 1651-1700件目)
< 1 ... 29 30 31 32 33 34 35 36 >
和歌山県知事の選挙で自公の推薦が勝った。構造的な談合や汚職と分かっていても仕事をくれるところに票は流れるのだろうか。基本的に、誰がやったって変わらないのだ。そのときにそれらしい顔を持ってきてお茶を濁すやり方がもうずっと続いているというのに、しっかりとその系統の血を引く人に投票する。「地方と国は違う」いや、同じだ。権力は腐敗する。腐敗に蓋をするから無理がでる。議員宿舎に女を囲うのもそう。自民党は財界から金をもらって好き勝手にやっているのだ。和歌山の知事については、なぜ共産だけの対抗馬になったのだろう。「民主は寄り合い所帯」というのがもっぱらの雑言だが、反自民統一候補くらい何とかならないのかと思う。
2006年12月18日
コメント(0)
多勢に無勢で、本会議に出たらもう通ることは確実だったが、教育をいっそう混乱させることだろう。競争が激しくなると、相対的な関係で評価され、いっそう格差が大きくなる。真っ先に切り捨てられそうなのは知的障害の特殊教育、いや、今は特別支援教育だった。この言葉も、私自身は気に入らない。special educationの直訳でいいと思うのだが。「能力に応じた教育」とは、「しても効果が期待できなければしない」と解釈されるのが現状だ。もう10年以上前になるが、地域に知的障害の養護学校新設を訴えて運動したことがある。それは結局10年の歳月を経て実現したのだが、自民党県議に訴えたときにも「税金を使うんだ。学校時代に力(金)を入れるのがいいとは限らない。一生は長いんだ」などと言われた。無駄な税金は使えない、という訳だ。自民党の本質はこれだ。就学猶予、聞くもおぞましい言葉だが「学校に来なくていいよ」という判断が昔はなされていたのだ。これの復活は十分にあり得る。特殊学校の人件費は大きなもの。マンツーマンに近いような教師の配置数だが、この非効率が児童の支えになっている。知的障害は誰の指揮人でもないのに、その家族にずっしりと負担が乗ってくるのだ。就業の門はほとんど開かれていない。例えば進物品の化粧箱の組み立ては彼らにとって重要な社会参加だったが、不況でロボットに奪われ、それに見合わないものは健常者に奪われている。どこまでも「厄介者」扱いなのが現状だ。効率、人件費、教育効果、どれをとっても黒字になるものはなく、切り捨てたい順位の高いものだろう。基本的人権を揺るがしかねないことなのだ。解釈次第でそれが出来る新教育基本法は切り捨ての道具となりうる。また、為政者に都合の良い法解釈は自民党政府のお家芸でもある。 だから余計に危険なのだ。まことに、やらせミーティングをカネで解決しようとしたと野党議員に言われて「失礼じゃないか」というならば、国民に対してそう言った情報操作は実に見苦しい、恥ずかしいものではないか。自分の責任を取るべきところ、やらせミーティングに関係した総ての役人に対し、懲罰を与えてしかるべきだろう。それにしても「考えない国民」を育てた功績は大きい。しかし、長い目で見ると大損になると思う。こんな国を誰が愛するものか。
2006年12月16日
コメント(0)
私はマックユーザーなのでウィンドウズの話であるウィニーには恩恵を被ったことも被害にあったこともない。この話になると必ず出てくるのが「よく切れる刃物を作った人がそれを使って人を殺した人がいたら責任を負うか」だ。パソコンの黎明期、もちろん今でもそうなのだがバックアップソフトはユーティリティーとしてOSについていた。それを使ってVISICALCをコピーし、元のは大事にしまっておいた。ところがいくらでもコピーが出来ると、別にそれくらいやるよ、ということになってくるのでオリジナルが売れなくなるから著作権が侵害されると作者が怒ったのと似ている。このウィニーはフリーウェアだから、金銭上の利益はない。作者は金銭を得ることを目的に作ったのではない。子供が自分で何かを作って、「みてみて!」というのとおなじだ。「危険性を知りながら配布した」かどうかの証明は難しい。利用者の良心の問題だと思う。飛行機という便利なものの発達は軍用だった。ライト兄弟は戦争に飛行機を使うなんて考えなかっただろう。まして原爆なども。性善説に立たないと、物事は始められない。悪用するのも内部の問題。考えるだけなら犯罪にならない。どうもこの事件での有罪性は立件困難とみる。
2006年12月14日
コメント(0)
自民党総裁選で安倍首相の支援グループとして活動した中堅・若手議員による「再チャレンジ支援議員連盟」(会長・山本金融相=再チャレンジ担当)は12日、安倍政権発足後初めて総会を開き、首相が掲げる再チャレンジ支援策を後押ししていく方針を確認した。 今年6月の設立総会には94人が集まったが、この日は52人(本人出席)にとどまった。党内では、「安倍政権誕生とポスト獲得の目的が達せられ、熱が冷めつつあるのではないか」との声も出ている。 総会では、最近の内閣支持率低下について、「歳出削減や道路特定財源などが、改革を後戻りさせるものであってはならない。改革に後ろ向きとの印象が、支持率低下につながっている」など、改革姿勢を前面に打ち出すべきだとの意見も多く出された。[読売新聞社:2006年12月12日 21時56分]自民党による自身の改革なんて、絵空事だ。改革するたびに自身の居心地が悪くなるから。既得権益は離したくないし、パトロン=お金持ちの機嫌は損ねたくない。だから法人税減税、庶民の負担アップと言う構図を描くのだ。改革の声が上がったら、いかにもそれらしく見えるキャラクターをたてて議席だけ確保し、好きなように法律を変える。このパターンでずっとやってきたが、いよいよ持ち駒がなくなってきた。人材を育てなかったから。人材育成に力を入れることは自滅に結びつくからだ。社長は自分以上の能力を持つものはたたく。それと同じだ。 復党問題も逆風。というか、変えたくない訳だ。変革は自民党にとってはタブー。しかしポーズは必要。だから小泉だったのだ。そして福祉切り捨ての基盤と流れを作った。しかし安倍氏は北朝鮮からの救出仕掛人と言うイメージだけしかない。外車で大学に通っていたと言うから、要はオボッちゃまな訳だ。益々変革は遠い。変革することは自己破壊だから。自民党というグループを、もっと正確に見る目を持たないと、ただの「アホな国民」だ。ODAだって、国家が赤字というのにやめないのは、そこに利権があるからだ。
2006年12月12日
コメント(1)
「絶対に生まれ変わってやる」などと自室に書き残し、飛び降り自殺をしたという。詳細はまだ明らかでないらしいが、「生まれ変わる」などということがあり得ないことが、この年ではまだ理解できないのだろうか。輪廻転生という言葉もありはするが、あくまで頭の中での観念論だ。死んでしまったらそこで終わり。生物とはそう言うものだということは教えるものなのか学ぶものなのか分からないが、親にすれば何とも悲しい、痛ましい事件だ。高校の頃、親に「人間死んでしまったらそこで終わりだろ」と親にいって、ずいぶん機嫌を損ねたことがあるが、「肉体は滅びても魂は残る」とでもいってほしかったのだろうか。しかしこれは親の勝手な思い込みだと今でも思っている。でも、子供が持つDNAには、確実に自分の転写部分が生きていて、それこそヒトが滅ぶまでこれは続く。しかし、脳のかなりの部分は誕生後の学習により形成されるから、同じ人格にはなり得ない。親のすることを見て学習するから、することが似る可能性は高い。このことを、コンピュータのリセットになぞらえてゲームを批判する人もいるが、私は「人の死」というものを身近に経験する機会が激減したためととらえている。私の父が亡くなった時、私はむしろ積極的に子供に死骸を見せた。長男には葬式の手順さえ話した。都会の葬儀に立ち会った経験は少ないが、どうも葬儀屋の都合・主導でことは運ぶようだ。友人が癌で亡くなったとき、大阪までいったが、既に別室で安置され、肉親にも自由に会わせなかったそうだ。父親の遺体をドライアイスで冷やしていたが、脳が消化して耳から汁が漏れてきた時、ああ、これはもう腐ったイワシと同じなのだと実感した。人が死ぬということを、祖父母のときよりも冷静に感じた気がする。それはもう、自分が年を食ったということだろうが。祖父が亡くなった時、私は中学1年だった。その頃はまだ地元の焼き場で火葬していた。父が自分の手で火をつけたから、思いは私以上だっただろう。焼け具合を夜中に見に行き、きちんと焼けているか見たらしい。燃え残っているときにはくべ直したそうだ。これは他家の世話のときもある。ずいぶん露骨な話だが、死とはそう言うものだということを段階的に理解するには、3世代同居というのはいい環境なのかも知れない。うちは4世代いたことがある。
2006年12月09日
コメント(2)
道路特定財源の一般化は抵抗勢力に屈して、平成20年度からにするという。やっぱり道路の利権はすごいんだ。適当な理由をつけてとれるときにとっておいて、自由に使うという魂胆か、と追求されても返答出来まい。何より、年金の約束は見事に反古にされた。要するにご都合主義で、国民の幸福なんぞどっちでもよくて、財界に尽くす自民党の姿が浮き彫りになってきている。財界に使いやすい人間づくりの象徴が教育基本法の改悪だ。政治は国民の方なんか見ていない。利権だけ。だから首にしたやつを復党させたり「背いたら議員を辞めます」と言わせたり。いじめの構図ではないか。残業不払い、見なし労働、偽装請け負い、これら総ていじめの構造だ。子供がそれを見ていじめ、悲観して自殺・・・大人の世界の縮図だ。国民いじめをやめることが愛国心を育て、生きる希望を持つ子供を育てると思うが。競争に強い子を作ったって、創造性は生まれない。東大卒のやってること、創造的かい?村上ファンド、ライブドア、ソフトバンク、「勝ち逃げ」の姿勢が透けて見える。 何より品がよくない。
2006年12月07日
コメント(0)
まさかと思うような記事だった。現行の派遣社員は、3年以上継続すると企業の方から正社員として迎えるよう働きかけねばならないことになっている。それがいやだから、とっかえひっかえになったりしているのだが、経団連の御手洗会長はなんと、そのことが労働力の固定化につながるから外せと言ったそうだ。誰が好きで派遣なんかやっているものか。収入も身分も、また健康面でも不安定だと言うのに。派遣は安く使えるからキャノンも違法な偽装請け負いに走ったのだ。金の亡者になって、会社を儲けさせるのは間違ったことではない。しかし、購買しているのは庶民だ。庶民に買えるだけの取り分を渡さなかったら誰が買うのだ?昭和の好景気は庶民にもまわしたから消費も進んだ。しかし、今度は庶民にまわさない姿勢だ。そうなると売れるものも売れなくなる。「親の総取り」は何も生むまい。身分の分化が進んでいったら、それは争いに直結するだろう。今の子供たちの姿は大人の行動の鏡だと思う。世の中、もっと悪くなる。
2006年12月01日
コメント(0)
4月から総ての障害者サービスに1割負担とした支援法が早くも修正、一時的に無償の部分を作るという。当然のことだ。そもそも、「金が要るようになったらしょうことなしにでも働くやろ、取ったれ」が発想の原点なのだ。知的障害者が働けるところがどれだけあるだろう。だから仕方なく、親が小規模作業所を作るのだ。それに職員をつけるのがせめてもの「措置」だった。それを有料にしたら、目減りしかない。彼らの労賃が年額1万円に届かないことを法律を決めた連中は知らないのだ。私の次男は自閉症で、月額8万ほどの年金を受けている。これが、4月から利用料を月額3万円払うことになった。「できるだけ休まないで」という。売り上げが減るから、施設がやっていけなくなるからだ。将来、グループホームを親が作っても、維持に5万円はかかる。着るものを確保しようと思ったら施設には通えない。施設に通うものがいないと、職員はいらなくなる。職員は失業する。これが福祉の実態か?美しい日本か?そんなアホな法律を作ったのが自民党なのだ。世の中の幸福をどんどん奪い取り、格差を拡大する。口できれいごとを言ったって、それが実態なのだ。 自立させようと思ったら、まず働くところを確保しなければいけない。車いすや補聴器だけが障害の対策ではないのだ。知的障害者がどのように困っているのか、親にも分からない。ましてや大臣様になど分かる訳がない。
2006年11月28日
コメント(0)
自民党と言うのはよほど居心地のいいところなのか、郵政造反組がこぞって提出したそうだ。おまけに「郵政民営化に協力します」と言う一札まで取られたんだそうな。なんか意地もプライドもないのかと思う。勝てば官軍、負ければ賊か。公認しない、と除名は違うんだろうな。除名になったのか、公認を受けられなかっただけなのか、離党届をだしたのか、そこらあたりが曖昧でわからないが、居心地はいいのだろう。でも復党というからには除名か離党があったのかなと思う。まあ、庶民にはあまり関わりのないことだ。税調ものんびりしている。景気回復と同時に財政の健全化を図らねば、と会長が言えば、「危機感が足りない」と突っ込みがあったとか。一番危機感のないのは自民党国会議員ではないかと思うが・・・国家財政破綻の非常時に、自分の歳費返上を提案するものはいないではないか。しかも政党交付金はきっちりもらう。庶民は政党を養うために税金を払っているんじゃないぜ。筋を通しているのは共産党だけかい?
2006年11月27日
コメント(2)
教育再生会議というけれど、子供の行動が大人の社会を反映していると言うことが分かってないんじゃないの?と思った。この日本の現状が「いじめの構造にある」ことが分かっていない人がいくら頭を付き合わせたって、解決する訳がないと思うのだ。いわゆる「有識者」と政府が位置づける人は、いわば勝ち組なのだ。いじめに回る側の論理の人が考えだすのは、「排除」だけなのだ。美しい国などと訳の分かったような分からないようなことよりは、「優しい国」を目指す方がいくらか分かりやすいと思う。住んで、暮らしてよかったと思うのが「愛国心」だと思うのだが。自分を優しく包んでくれない国に愛国心を感じる訳がない。一部企業のぼろ儲けの陰がいじめ/自殺と心得るべきだ。国が赤字だからと防衛費削減交渉をしたりODA援助を見直したり、やめたりしているか?それで本当に潤っているのが誰か、検証したのか? 北朝鮮から「アメリカの一地方」と言われてもさほど違和感を感じなかったのは隷属関係を誰もが認めているんじゃないか?正面切って抗議したというニュースも目にしなかった。
2006年11月26日
コメント(0)
朝日新聞の1面の見出しは、「正社員化義務見送り」企業の業績回復のポイントとなった労務費抑制を今後も続ける、と解釈する。このことは、搾取側と被搾取側の二分化をさらに進め、固定化し、企業の収益を守っていくことだ。この上、法人税減税まで提案されようとしており、自民党の体質が露骨に出てきている。政治献金の復活も目前、あれは賄賂性の非常に高いものだ。政治を金で買っているに等しい。こんな生活が進めば、目の前で効果のでない年金の滞納が益々進むだろう。その結果給付過剰となり赤字計上、社会保険庁の民営化で解決するような問題ではない。 政府による詐欺行為とも言える。給付金を約束よりも減らし、時期も遅らせる。その原因が少子高齢化だと。長年のアメリカ盲従、行き当たりばったり政治の結果がこうなったのだが、それにはほおかむりしている。そんな中、若年層の自民離れが進んでいるという。当然だろう。今の若者には夢とか希望が描けない社会になっているのだ。社会的地位の固定化、賃金抑制、もろにその並をかぶっているのだから。しかも年金は払った分が返ってこない。 慈善事業をするには経済力がなさ過ぎる。夢も希望も持てないから自殺するんじゃないのか。再挑戦可能な社会づくり、と言えば聞こえはいい。しかしその前に挫折するから再挑戦なのだろう。勝ち組とか負け組とか、経済的な競争がいじめにつながっているとは考えないのだろうか。それでも儲けなければいけないのが企業だとしたら、ずいぶん歪んだ資本主義ではないか。人は皆幸福になることを目指して生まれてきたはずなのに、「カネ」と言う尺度でしかはかれないような世界なら、その世界の方がおかしい。
2006年11月25日
コメント(0)
淡路島と言うのは兵庫県だと言うこと、意外と知られてないらしい。香川県だとか徳島県だとか思っている人が多いそうだが、自動車のナンバーで言えばれっきとした「神戸」だ。ここを水害が襲ったのは確か2年前。その復旧の援助金を限られた期間に使い切れなくて、領収書の偽造に走ったらしい。悪いには悪いが、そもそも災害復旧に期限を設ける方がよほど無理があるんじゃないかと思う。佐渡に次ぐ二番目の面積を誇る島だが、経済基盤は弱い。建設業者の数だって限られる。神戸から呼べば明石大橋の料金が必ずネックになる。いつまでもずるずると言う訳にもいくまいが、自然災害はどこまでいったら復旧と言うのか、定義は難しい。大規模であればあるほど工期も長くなるだろう。そこを一律に期間を限ると言う方が無理があると思う。農地の被害は、地力回復までと言うのが筋だろう。土砂を取り除けば回復、と言うのは無茶だ。作物を作ったことがない役人の発想だろう。運用が悪いのか、法律が悪いのかまだわからないが、こんな法律こそ教育基本法より先に見直しが必要だろう。およそ国家百年の大計を語るのに、やらせ発言や100時間そこそこの議論らしくもない議論で事足りると考える連中の考え方こそ理解できない。しかも実施についての議論は全くなされてないというではないか。選んだ国民はもっと馬鹿か。
2006年11月23日
コメント(0)
いじめなどの問題はなくならないだろう、と考えている人が6割以上いる、とニュースが伝えていた。その通りだよ。法律が悪いんじゃなくて運用が悪いんだから。日本人の判断力もまだ捨てたものじゃなさそう。文部省総入れ替えの方が効果はあるんじゃないか?今朝の朝日新聞にはその観点からの「東大解体論」が出ていた。考えてみりゃ、役人天国は東大卒が作ったんだものなあ。「くさい臭いは元から絶たなきゃダメ!」と言うコマーシャルがあったが、「東大がないと何が困る?」と言う観点も必要かも。塾があるのは日本、韓国、中国だけだそうだ。中国と言えば科挙。韓国は知らないが日本は官僚。政治のゆがみの温床かも知れない。なぜ塾がはやるか?そこに東大があるからだ、と言う話、何となく納得がいく。
2006年11月20日
コメント(1)
NHKクローズアップ現代を見ていて、「日本は美しい国だ」と教えている教師の見るからにやりにくそうな・・・ 季節のない国から来た子供が「日本は美しくていいね」と言って、それを聞いた日本の子供が日本の景色の美しさに気づく、という授業立てだ。日本の美しさは人間が作ったものではないから、自慢するような筋合いのものではないだろう。汚いところは人間が作ったものばかりだ。日本には優れていることは多い。犯罪が増えたとはいえ治安の良さは先進国屈指だろう。 劣っているところもある。福祉の認識の低さ、一般人の老後の生活不安は先進国とは言えない。高い国民総生産でこんなことが起こるのは富の偏りがあるからで、それは政治の怠慢がもたらすものだ。美しい国だから愛せるか?安倍首相が本気でそう思っているなら実におめでたい話だ。庶民がもっとも納得がいかないのは 税金の集め方、使い方だ。実に美しくない。この国は景色だけでできているのか?人でできているのだ。人がいなければ国はない。その人づくりをきちんとしなかったのが歴代政府。考えない人づくりを進めてきた。潜在的な問題に取り組まず、顕在化してから基本法が悪いと言う何とも稚拙なやり方だ。日本の教育基本法を参考に実践したフィンランドを見るがいい。歪めたから現在のようになったのだ。そこには全く触れない。日本のダメなところ。政治家が政治屋になっているところ、国民が1票の参政権を保証されていないところだ。
2006年11月14日
コメント(1)
この記事にはちょっと驚いた。バイオエタノール自身は既にブラジルなどでさとうきびなど豊富な炭水化物原料を使ってエタノールを作り、ガソリンに混ぜて使っている。最大ガソリンの40%くらいを混合できるという。しかし主食の米を利用してエタノールとなるとコスト面で問題があるだろうと思っていたが、美味くはないが収量の多い稲があるのだという。何によらず、地球温暖化の対策で必要なことは植物体の増産だ。二酸化炭素が増えると言うことは実感が薄いかも知れないけれど、酸素が減っているともいえるのだから。実用的に酸素を製造できるのは植物しかない。 ところで、日本酒と言うのはもちろん酵母でできるが、日本酒用酵母は世界に類を見ない高アルコール耐性を持っている。20%を超えるような高濃度のアルコールを生産できるのは日本酒の酵母だけだ。アルコールは殺菌に使えるが、酵母は自分の生産したアルコールで死んでしまう。もっとアルコールの濃いウォッカやウィスキーは蒸留するから濃度が上がるので、原酒で濃いのはなんと言っても日本酒。酒造りには雑味の元になる糠をできるだけ多くとらねばならないので原料高になるが、飲用にしないなら場合によれば精米せずに利用できるかも知れない。それでも飲む人は出てくるだろうが。アルコールの税制が邪魔になってくるだろうが、今のままでは石油も酸素もなくなっていく。 温暖化で竜巻災害も増えるかも知れない。アルコールはガソリンに比べ発生させられるエネルギーは小さいが、再生産が可能だ。もう一つの問題はアルコールが燃えると必ずカルボン酸ができることだ。今のままではエンジンを腐食するが、対応できるエンジンもあるので今後はこの方向に進むべきだ。ディーゼルは菜種油、ガソリンは半分でも米で動くとなれば楽しいではないか。ただし、質量不変の大原則に従うならば、石油の燃料利用をやめて植物を増やさない限り、酸素の減少は続く。
2006年11月11日
コメント(0)
何と、数年前に文科省はその実態を把握していたという。教育基本法をいじくる口実を作るために今までほおかむりをしていたのではないのか。いじめによる自殺との因果関係があるかどうかはともかく、先のタウンミーティングといい全くやらせの雰囲気ではないか。この時期だから明らかにしたと勘ぐられても仕方ないだろう。子供に教養や考える力をつけさせるのではなく、権力に都合のいい人間を育てようとする恣意的な「教育」が見え見えだ。美しい若者の姿はいきいきとしていること。美しい人作り無くして美しい国はあり得まい。
2006年11月10日
コメント(0)
イラク戦争の批判に乗り、中間選挙で民主党が圧勝とのこと。アメリカはこういうブレーキが常に効く状態なのだろう。また、選挙民が関心を持つこともやはり日本より優れているのだろう。日本人の政治的無関心さは自民党長期政権を支えてきた。と言うよりも、ものを考えずにカネ払いのいい、誠にお人好しにしてしまった。ブレーキが効かないのだ。小泉は派手だったが、何か暮らしがよくなっているかと言えば何も無い。弱肉強食がいっそう進んだだけで、富めるものはなお富み、そうでないものは次第次第に落ちていく。企業は空前の利益を出したと言うのにまだ法人税減税だと。 国の考える「富める高齢者」は年収180万円以上だそうだ。ここで扶養に入れられなくなる。郵政民営化に賛成か、反対か、で低い投票率から自民党が勝った。ムードだけに酔う、いい国民に仕立てた成果だ。小選挙区で大成功もしたし、自民党は偉い! 自民党の出す法案は、裏を読まないとえらい目に遭うことがよく分かった。障害者自立支援法は見事に自滅促進法になっている。
2006年11月09日
コメント(0)
昼の弁当を食べながら聞いていたニュース。教育基本法改訂に賛成するように根回しが文科省からあったという。公聴会くらい馬鹿にされた行事も少ないのではないか。「はじめに結論ありき」ではどうにもならないではないか。そもそも、教育基本法と言うのは理念を書いたものであって、教育関係法の憲法とでも言うべきものだ。学級崩壊、校内暴力やいじめ、学力低下などの責任は運用側にあるのであって教育基本法には何の責任も無い。改訂にいるのは口実だけなのだ。これをやらせとみるならば、実にストーリーは自然に流れる。学校5日制による学習時間の短縮。薄っぺらい教科書。教職員組合の懐柔。「教育の方法に問題がある」と思わせること。 古い本だが、学生時代に金沢嘉市氏の「ある小学校長の回想」を読んで、いまだに思い出す一節がある。「アメリカの子供は「生意気だからやっつけちゃえ」というが、日本の子供は「仲良くしよう」という」前後の文は忘れてしまったが、ここだけは覚えている。教育に競争原理を持ち込んだら、障害児はどうなる?真っ先に最低線に持ってこられるのだ。「役立たず」「アホ」「カタワ」教育とはできることを増やそう、と言うのが目的のはず。まさにエリート教育/戦前への回帰だ。差別と選別は身分を生み出すだろう。差別の世界が復活する。学力試験でいい学校が予算をたくさんとるとなると、生まれるのは偽装だろう。要領のいい子供だけが上に行け、日本を動かしたら今以上におかしくなる。現状を分析し、法律をゆがめた運用を直すだけでも改善されると思う。理念の改訂など、するべきではない。しなければならない理由付けが何とも曖昧だ。基本法を変えればすむ問題ではない。
2006年11月07日
コメント(2)
瑞浪市の中学生がいじめを苦に自殺したと言う報道。「いじめられていたと言うことを把握していない」「無記名のアンケートで調査する」担当大臣のコメントもコメントだ。「私が指導要領を策定した訳ではないが管理者として責任を感じている」どう見ても逃げ口上だが、「しっかりと兆候を把握して速やかに対処を」なんてできる訳がないと思う。何が問題なのか。いじめる方といじめられる方の価値観が一致しないことが何より問題なのだ。いじめられていると言う意識を被害者が持っても、いじめる側にその意識がなければ、「いじめていない」で終わりだ。教師が入っても、いじめられた・いじめていないの水掛け論にしかならないし、教師に取っては雑事は引き受けたくないのが本音だろう。人の痛みを自分の痛みに感じない、対人関係作りのまずさ、競争社会、差別社会。これら、今まで放置してきたことが絡み合って今悲劇を生んでいると思う。そしてこれは行政の姿勢そのものだ。難病の制限はきつくする、年金は減らす。保険料は高くする。そして企業は空前の利益を手にする。いったん自分のものになったものを誰が離すものか。「会社が儲けないと給料は上がらない」もっともらしいが、分配率の問題だけだ。生活が追い込まれているからもっと欲しいだけ。もてる者がさらに増やそうとするのとはちがうのだ。行政による資本の再分配が悪のようにいわれている。しかし、利益に走って手に入れたものは、行き着くところ環境破壊と戦争だけではなかったのか。
2006年10月30日
コメント(2)
「知らんの?ありえへんわ」と言う娘につられ、話題の番組を見たが、これも時代遅れなのか、どうも波長が合わないのか。クラシックはまあ好きな方だと思うのだが、ストーリーと言うよりは本当にそのページの中での面白さと言うのか、漫画にそのまま人間が入っていった感じだ。「ようわからんな」と捨て台詞を残し、風呂へ。昨日のことだ。いわゆる月9と言うのを意識すると大分感覚がずれるようだ。漫画をもとにした物語作りでもないようなので、 まあはやりものとはこういうものかと思った。しかし、楽器相手の芸術は大流行りだが、声楽や合唱は影が薄いなあ・・「天使の歌声」くらいか。
2006年10月24日
コメント(2)
教育再生会議、安倍色薄い人選 側近からも不満 2006年10月11日(水)00:59 10日に設置が閣議決定された「教育再生会議」の有識者メンバーにはバラエティーに富む著名人が並び、ひと目で分かる「安倍カラー」は浮かんでこ ない。歴史認識の国会答弁で見せた安倍首相の「安全運転」ぶりが人選にも見られるようだ。一方、会議で議論する政策課題の方向性も顔ぶれと同様、はっきり した像を結んでいない。 ◇ 「あまり偏ってはいけないね」「この人かな」 2日の首相執務室。安倍首相と教育担当の山谷えり子首相補佐官は、数十人の名前が載ったリストを見ながら、丸印をつけていた。元五輪代表の小谷実 可子氏や「百ます計算」の陰山英男氏など話題作りのためと見られる面もあるが、「幅広く議論を深めてほしい」(首相)との観点から選んだ。首相の「タカ 派」イメージと異なり、バランスが取れていると見られている。 だが、首相のブレーンからは不満もくすぶる。首相に近いある文化人は、海老名香葉子氏が11月に共産党の赤旗まつりで市田忠義書記局長と対談する 予定であることについて「怒りというよりあきれている」。元文科事務次官の小野元之氏が委員になり、文科省私学部長が担当室副室長に就任したことについて も、「官邸主導どころか、文科省寄り」と批判する。 人選に安倍色がにじんでいないわけではない。小渕~森内閣時代の教育改革国民会議や中央教育審議会と異なり、労組幹部は排除されている。葛西敬之 氏は張富士夫氏とともに、首相を囲む経済人の集い「四季の会」のメンバー。「安倍首相好みの仕切り屋」(閣僚経験者)との声もある。*******************************************以上、asahi.comから一部転載。「首相の側近」とやらの言葉にはあきれる。共産党と話する人はふさわしくない、まさにこの感覚がいじめの原点だと言うことが分かっていない。というよりも、役人たちはうまく受験競争社会を 勝ち抜いてきた人の集まりで、その中に入らなかった人の心境なぞ分かるはずがないと思うのだ。まさに「あんた自身がいじめの原点なのだ」と言うしかない。そして、昨日も書いたが、35年前の中教審答申実行の結果が今なのだと。メンバーが替わっても、底に流れるものは変わらないはずだ。悪化している可能性さえある。その中教審をまた使うなぞ、愚の骨頂。現場を分かっていないものが集まったって方向は見えない。むしろ「あまり偏らないように」を「もっとまんべんなく 」するべきで、いじめの当事者や親の声こそが大事なのだ。東大出身でない首相の方が劣等生の悲哀をまだ分かっているのかも知れない。いわゆる「識者」は何も知らないと心得るべき。知的障害の人がどう困っているかを分かる健常者がいないのと同じだ。政党とか、イデオロギーとかを越えてこの問題を語らないと、いつまでも改善できない。むしろ変なことをせずに「百年河清を待つ」方が早いか知れない。教育が国家100年の大計ならば、35年で行き詰まった現在は、それが誤っていたことの証拠だ。
2006年10月22日
コメント(2)
ここまで教育の現場が混乱して、今更教育委員会の強化でもあるまい。30年前の中教審答申、早期の差別選別の教育が発端と私は考える。むしろ教育委員会は必要かまで論議を深めるべきだと思う。教育長。私は趣味のコーラスのコンサートで、教育長にプログラムに載せるメッセージを頼んだ。 「原稿を書いてください」と係の返事。不審に思って聞きかえすと、時間がないのであなたが書いてくれたらそれを添削する、と言うのである。あきれかえった。たかが祝辞のメッッセージもかけないのか。時間がないったって、半年先の話だぜ。念のため回りに聞いてみるとみんな「そうだよ」と口を揃える。強化と言う話じゃない。総入れ替えでも結構だ。こんな教育長が管轄している教育委員会なんて、市民のことは考えていない。むろん子供のこともそうだろう。子供が育つ手伝いをするんじゃなく、上意下達で自分の保身に走っているだけだ。 そうしてきたから今の混乱がある。と言うことは、中教審答申が誤っていた。ここから出発しなければ立て直しはできない。過去の過ちを素直に認めることが何よりも大事だ。むろん自民党は誤りを認めないだろう。「運用が悪かった」「部下が悪かった」誤りがなかったと言うなら、教師の生活を1週間もして見れば良い。この役には高市早苗氏が最適と考えている。ただし、管理職はいっさい関わらないこと。実態が見えないだろうから。
2006年10月21日
コメント(3)
昨日の朝日新聞。久しぶりに読み応えのある記事があった。「保守とは何か」朝の慌ただしい時間に読み切れなくて、今読み返してみる。戦後なぜ保守政治が生きながらえたかについて論じている。終戦を機会に、保守は崩壊するはずだった。天皇制と民主政治は相容れるものではないからだ。皇族は産まれたときから年収300万円。一般庶民とは違う。単純に考えれば、戦争をした政治家、それに加担した政治家は総て除かれるはずだった。しかしながら現実には保守は脈々と生きている。それはなぜか。保守の多面性だと論じている。吉田茂は敗戦国として徹底的にアメリカに追従した。「追従も協調だ」とさえ言ったと言う。岸信介は社会主義に興味を持ち、国民皆保険制度、最低賃金法などを成立させた。アメリカとは距離を置く。今の自民党は顔を変えながら派閥のバトンリレーで切り抜けてきたのだ。多面性があると言うことは、「得体が知れない」でもある。さて、その中で小泉政治は派閥を壊したように見える。しかし、これは多分再生するだろう。カネの力は強いから。金を持つものがさらに太るのが保守政治だ。小泉はアメリカ的な競争原理を持ち込み、社会主義的な部分を壊した。格差拡大だ。安倍氏が首相になった今の状況は 吉田茂の造船疑獄による退陣から岸信介に引き継いだ状況に似ていると思う。違うのは、小泉人気が未だ健在であり、失政による退陣でないこと。アジア外交は落ちるところまで落ちたから、回復は比較的簡単にできるだろう。北朝鮮の核実験も追い風になっている。ただ、安倍氏が岸氏と同じように、アメリカも含めた多方位外交ができるかどうかは分からない。小泉で味をしめたアメリカが簡単に日本からの資金吸い上げを諦めはしないだろう。アメリカを振り切ってでもアジアと仲良くするのかは小沢氏との対決軸になると思う。自主憲法を主張するなら、この点はさけて通れまい。私自身はいい加減保守にはやめてほしいと思っている。金持ちのための政治と言う基本的なものが何も変わらないから。
2006年10月20日
コメント(0)
自転車通勤の途中で見た風景。思わず自転車を止めてロスタイム。まず、ハザがけの稲。昔は、これで茎に残っている養分を米粒におろすのだとまことしやかにいわれていた。最近はコンバインで刈り取るそばから脱穀し、乾燥機にかけるからハザにかけて乾燥なんてめったに見なくなった。この田圃ではほんの少しだけハザがけにしている。三本の木を組み合わせて竹をかけ、それに稲束を引っ掛けていくわけだ。後ろの煙は籾殻を焼いて炭にしているものだ。これも秋の風物詩だったが、近頃は少なくなった。一斗缶に適当に穴をあけ、煙突の切れ端をくっつけて火をつけ、籾殻(地元ではすり糠という)を周りに積み上げていくと、蒸し焼きになって炭になる。昔は炭団と一緒にこたつに入れたものだ。また、籾殻のままでも風呂焚き時にくべて燃料にしていた。風呂の追い炊きには重宝したものだ。手がイガイガして痛いのは痛かったが、懐かしい思い出だ。子供の小さな手で、どのくらいくべられたかは、大いに疑問だが。考えてみると、稲の捨てるところは株だけだったのではないだろうか。種は食用にするし、 茎は縄、むしろ、畳の材料になる。私の祖父はこもやむしろを編んでいた。百姓と言う言葉は、実に多くの種類の仕事をするからだ、と言うことを聞いたことがあるが、本当にそうだと思う。糠は漬け物の床になるし、肥料にもなる。稲の株は冬の間にすき込んでいたような気がする。
2006年10月18日
コメント(2)
そろそろ稲の刈り取りも盛り。早稲が終わり、今は中手。奥手はこの通りだ。この写真は会社の行きがけに自転車を降りてとった。何年か前に北日本で冷害が出たことがあった。兵庫県でもあまり作柄は良くなかったそうだ。この写真の地区は昔からの暦を守っている、数少ない田圃だそうだ。早稲、中手の作柄が良くなかったのに、この地区は平年通りの収穫があったと言う。台風を避けたり、労働力確保で、どんどん稲作も早くなっている。しかし生き物は生き物。やはりそれなりの時計のもとに生きているのだろう。無理に人間にあわせさせるとそのつけも回ってくるのだろう。 稲は元々もっと暖かいところで育つものだったのを品種改良して今は北海道が一大産地になっている。もっとも、日較差の 大きいところの米ほどうまいそうだ。夜になってもなかなか冷えない高知の米は雀がまたいで通ると言う話を聞いたことがある。冷えることにより、日中に作った澱粉をため込むのだそうだ。新潟、山形、秋田はうまい米の全国ブランド。我が兵庫県も内陸の丹波は酒米の「山田錦」の名産地だ。この山田錦、背が高くて粒が大きく、倒伏しやすいのでどちらかと言えば作りにくい米らしい。
2006年10月17日
コメント(0)
祭りの話題を先に書いたが、休みにわざわざいくこともできず、地方版の新聞からの盗作写真。photoshopで多少色調を修正したが、やはり汚い。70人で担いでいるようには見えないが、重さ2トン、一人当たり30kgだ。http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/hi/index.shtmlhttp://www.e-himeji.com/kenkamatsuri.htmhttp://www.nadamatsuri.jp/index.htmlこの辺りの写真の方がきれいでしょう。俗に「灘のけんか祭り」とよばれます。ちなみに、姫路市に灘中学校はありますが、灘高校はありません。 両方あるのは神戸です。
2006年10月15日
コメント(2)
どうも国体のために作ったものらしい。まあみっともないものでもないのでこのくらいの演出は仕方ないかとも思うのだが、いつも自動車で走っていると、コスモスは途切れなく植えられているように見えるのだ。ところが、裏に回るとこの通り。しっかりと節約できるところはされている。ところで、このコスモス、国体開催の10日ばかり前に咲いた。何もなかったところにある日突然、と言う感じで。これが今後どうなるのか知らないが、4車線設計の道を半分だけ通している。この道で国道2号線と山陽自動車道をつないでいる。今はそれで十分さばけているのだが、残る半分は普段は草ぼうぼう。老人会などがボランティアで草刈りをしてくれている。兵庫国体も終盤になり、明日はさよならコンサートがある。これが終われば、いよいよ合唱祭に向けての取り組みが本格的に始まる。 来年、コスモスの種が落ちて再び芽を吹くだろうか。 来年こそ見頃かも知れない。
2006年10月08日
コメント(0)
実は、この人あまり好きじゃないんだが、(これは難しいところ。テレビタレントの場合、番組の流れ上の発言なのか、やらせの発言なのか、本音かを見分けることは不可能に近い。発言していることと本人のキャラクターとは必ずしも一致しないのだ)今日は「言ってくれるじゃない」と思ってしまった。関西では毎日テレビなのだが全国区でいえばTBSになるのかな?衆参両議院の議員を相手にやってくれた。3000万円からある歳費他の収入でお金は十分と思うか?と言う質問に全員が思わないと回答。ある議員は「50万円そこそこで子供は3人学校に行ってるんだぜ、足りる訳ないだろう」と発言していた。これには驚き。30万円そこそこで誰でもやってるよ。全部私立にでもやっているのか?こんな金銭感覚しているから「庶民からはもっと搾れる」と思っているんだろう。庶民は搾るが自分の懐は守る。売り上げ3000万円の個人商店を考えてみればいい。仕入れなし、派閥の会費、秘書の人件費、これにほとんど消えてると言うことになる。秘書の給与の見直しはしないの?会費は下げる要求をしないの?もう一人、これも自民党議員だが、「庶民の生活を直撃する法案審議はさっさとするけど、社会保険庁や特殊法人の見直しはなぜ進まないの?」と言う質問への回答がふるっていた。「国会は最高の国権機関だから」平たくいえば、「審議をする内容も順番も決めるのは儂らの権利や。お前ら、いうことだけ聞いたらええんや」と言うことだ。権力は腐敗すると言うが、 全くだと思う。ちなみに二世とか言ってたな。この時点でテレビを自閉君に消されてしまった。それにしても、政治家ってよほど世間を分かっていないんだなあと思う。二世君なんか、うまみがわかっているから跡を継いだんだろう。割に合わない仕事だと言っておきながらやるというのはおかしい。だから日本の政治は良くならないんだ。秘書は増やして陳情承り、だからそうは減らせない・・・昔「芸能人は芸しか能のない人間」だと自嘲しているのがいたが、 これは政治家でなく政治屋の方向だろう。まともに政治が進むはずがない。私は私立高校卒業だが、同級生には教師の子供もたくさんいた。「公立の教育には期待できないんだな」と悪口をたたいていたが、あながち当たらずとも遠からずだったかも。
2006年10月07日
コメント(2)
と石原知事が言ったとか報道されている。まあ、彼らしい一面だが、50年に一度の国民的運動会だ。昔(40年くらい前)は、毎年記念切手が醗酵されていたのを覚えているから、まさに大行事だったのだろう。あの頃は切手集めに凝っていたのでそんな記憶もあるが、その後どうなっているだろう。当時は5円、10円の世界だったから子供なりに対応できたが、今は80円もするのでシート買いは馬鹿にならないだろう。それはさておき、国体と言いながら国は実際は広報しかしないのだそうだ。総て地元の負担になるから、「財政を圧迫するならやめればいい」まあそれも真実だろう。地元の動きは、婦人会だったり、スポーツのグループだったり、ボランティアで持っているところが少なからずある。我々コーラスもそれが縁で地元の高校生と交流ができたのだからまあ感謝すべきだろう。地域コミュニティが弱体化しているときに、こんなことも悪くないと思う。納税者として気に入らないのは、税金が無駄に使われることだ。官官接待はいうに及ばずだが、国体にどれほどのお金が使われるのか、通りには花が植えられている。終わったら抜いてしまうと言う話も聞くが、兵器を買うよりはましなのではないか。石原知事は兵器の方がお好きなようだが。それから、国体がかくも盛大にキャンペーンされるのに、「国民文化祭」がほとんど知られていないのはどういうことだろう。我が団にも出ないか?と言う話だけで数年前不発に終わったが、高校と同じように運動会より文化祭の方が影が薄いのか。軍事教練を引きずった運動会の嫌いなものにとっては甚だ面白くない。 大学の体育理論の講義で、スポーツの意味の中に「人間の闘争本能を平和的に満足させる」などと言うのがあったが、どうも私の場合この闘争心が希薄のようだ。合唱が好きなのも勝ち負けがない世界だからと考えている。国体、なくてもいいが人のコミュニケーション作りには有効かも知れない。地域がまとまるのなら50年に一度ぐらいあってもいいんじゃないか。姫路駅に50年前の国体の写真が展示してある。実に素朴だ。国体は巨大化しすぎて経費がかかるようになったのかも。原点復帰で抑えられるものもあるかも知れない。弁当屋、交通関係、宿屋は確実に潤う。
2006年10月07日
コメント(2)
ここまでくると頑なと云うか、太平洋戦争前の日本と同じ心理状態なのだろうか。かつてのABCD包囲陣である。経済的制裁を加えられて、日本は暴発した。心理的には似ているように思う。だから制裁をやめよと云うのではないが、ともかく話し合いのアドバンテージを握りたがる。(国益とはそう言うものかも知れないが)それよりも、「安全な核実験」などと真顔で云うだろうか。中性子が飛び出し、ガンマ線を出し、こんな状態で安全であるわけがない。北朝鮮の原発の場面が流れるたび思うのだが、放射能に対応した服装にしてはずいぶん間の抜けた気がする。理論は確立しているから核実験は出来るのだろう。しかし制御するまでの技術を独自に持っているかは疑問だと思う。(根拠はない)覚醒剤の密輸や拉致の事実、まことにうさんくさい国だ。武力で支配できる時代ではないことを分かっていないのだろう。話の出来る代表者はいないのか。専制政治はもう古い。しかしあの国では見事に洗脳してあるのだろう。
2006年10月04日
コメント(0)
憲法と教育基本法の改悪に熱心な石原氏だが、圧力で人心が操れると思っているらしい。国歌をきめたから、国旗を決めたから敬愛しなさいよ、ではなかろう。日本を作ってきた祖先たちは同時に日本を壊しもし、アメリカに追従せねばならぬ構造を作ってきたのだ。歴史の認識は功も罪も両面せねばならない。蒙古が侵略してきたが、朝青龍はモンゴル出身。今は至極友好的。何せ800年ばかりも前の出来事だ。しかし中国、韓国への侵攻はわずか60年前なのだ。外交上の配慮は当然なことと思うが、内向きの発言。元々国なぞ存在しなかったのだ。国があっても人民に有益なことは何もない。公共物の管理人にしては組織が大きすぎるだろう。領主の土地や資源の取り合いの延長が国境なのだ。富は一部の人間に集中する、それが抗争の元だ。競争がなければ発展しない。発展した成れの果てが地球温暖化か?国旗、国歌だのとセクト主義をたてているときではなかろう。都立学校が荒れているのは、自分たちの心を理解しようとしてくれないから、日本が敬愛できないのはしなくてもいいことをし、しなければならないことをしないから。天皇制のような差別社会も不要なのだ。徳川家の末裔はどうだ?おなじことだろう。今回の判決は久々にまともなものだ。石原氏は時代遅れ。
2006年09月24日
コメント(2)
と言うニュースを昼を食べながら聞いて、笑ってしまった。地球温暖化はお前らがジドウシャを作って売ったからそれが原因で温暖化ガスが増えたのだと。自動車が走らなかったら排ガスも出ないが、こぞってガスガズラーを生産したのは他ならぬアメリカではないか。車社会を自認するアメリカが言うかな~ 今からさかのぼること30年、マスキー法が業界の反対を押し切って制定され、ホンダとマツダが低公害車の名乗りを上げたのだった。それにしても、これはウィニーと同じ話だ。便利な道具を作って、それを使って悪い結果が出たら制作者をたたく・・・マジかい?と言いたくなるような報道だ。話題取りのためには手段を選ばないのかな?シュワちゃん。
2006年09月21日
コメント(2)
報道2001。いかにもフジテレビチックな(先に結果があってそこに誘導していくやらせ風ドキュメントか、ドキュメント風やらせか)番組で総裁選の立候補者が顔を揃えていた。その中で一番人気の安倍氏が、一番頼りない印象。「歴史観」だ。「専門家に判断は任せる」などとのんびりしたことを今から言っていて大丈夫なのだろうかと、素朴な疑問を持つ。企業では「経営スピードを上げる」のが常識だ。何より、外交の席で「戦争をどうあなたは見ているのか」 と吹っかけられて「学者の意見に従う」などと言ったら「お前何しにきたんや」と私なら思う。戦争が終わって60年だが、中・韓両国軍は日本に来なかったけれど、日本軍は大陸にわたって軍事行動をしたのだ。この事実がある限り、日本の侵略性は明らかだ。仮にそれを認めなくても、「思想の丸投げ」自体、政治家として容認されるものではなかろう。そんな人に外交ができるのだろうか。「丸い卵も切りようで四角、ものもいいようで角が立つ」体質の古い自民党員だったらこんな言葉は耳にタコができるほど聞いたはずだ。北朝鮮から拉致された人を取り返した功績効果はいつまでもは続くまい。
2006年09月17日
コメント(0)
『平和目的以外の宇宙開発はしない』と言う大義名分が崩れていく。国産ロケットの打ち上げ能力は実証されたが、こんな使い方がエスカレートする先には日米軍事同盟の名の下の戦争ではないのか。今の政治は誠にブルータス的だ。感情に訴えることでの拡大解釈を進める。北朝鮮のミサイルが飛んできたらどうする、防衛は、安全は・・・大事でないとは言わないし、北朝鮮のでたらめぶりもひどいものだ、マスコミによれば。しかし、先日も書いたように既成事実の追認ばかりではとても政治とは言えなかろう。国民の感情に訴えるポピュリズムばかりでは困るのだ。ウケ狙いの政治ばかりが幅を利かして、『あるべき姿』の議論が誠に乏しい。 民主党は小沢氏が無投票当選の見込みとか。この人はもう少し語ってくれるようだが。
2006年09月11日
コメント(0)
月に一度、神経内科に通院する為、通勤定期を使わせてもらっている。所要時間は圧倒的に長いが、かくもガソリン高になると、接続のバス賃を入れてもJRの方が安くなる。毎日の通勤電車とは違う乗客。高校生だろうか、大きなバッグを肩にかけて通路をふさいでいるので、クロスシートの通路はがら空きでドア前だけが異常に混雑している。降りる人があったので隙を見て通った。この姿は女性に圧倒的に多い。満員電車でカバンが腹に当たる気持ちの悪さは何とも云いようがない。どうして手で提げないんだろう、といつも思う。リュックは私も利用しているが、込んでいるときは必ず手に提げる。女子大生風の若い女。電車に乗ってから「すみません、バスに乗り遅れちゃって・・」どうやらバイト先に遅刻の連絡らしいが、本当ならバスに乗り遅れた瞬間に入れるべき電話だろう。言い訳の可能性が高い。しばらくして、仲間らしい女の子に「9時半からでいいって。ヤッタァ!」バイト先も嘗められたものだ。時給はカットだろうけど、ドタキャンというのが担当者にはどれだけ迷惑か、分かってないのだ。買い手市場なら時間を守らないのは即解雇だが。駅について下りのエスカレータの入り口に帽子が落ちていた。どこからともなく「帽子落としてませんかあ」の声。ほどなく「ぼくです~」やがて青い帽子がエスカレータの途中でリレーされて持ち主に戻った。胸の中が明るくなった。一つの親切で2つの不快感が解消する。
2006年09月09日
コメント(0)
こればかりは「紀子様男児ご出産」よりも英語版の方が活気がある。日本語の冗長さを久しぶりに思う。「坊やだよ!」というところか。主語がなくて、十分分かるから英語は面白い。関西の感覚としちゃあ、雅子様が男児の要望に苦しんでいるところに「ほな、私が産んだるわ」と見事に男の子を産んだ、と言うところか。紀子ちゃんはすごい!で、めでたしめでたしなのだろうが、一方では女性天皇を認めるのか否かと云うことがぶっとんだ。次の次の代までは確保されたからだ。妊娠が分かって一遍に議論がさめたが、憲法をいじくるならば、天皇制の是非からして議論されるべきだろう。「広く国民に認められている」かどうかではなく、いかにあるべきか、を論じなければならない。良くも悪くも、現状追認が多すぎると思う。サラ金の利息もそう。だいたい、あんな商売で大もうけができること自体がおかしいのではないか?
2006年09月08日
コメント(4)
安倍晋三氏の自民党総裁立候補で誌面をにぎわせているが、そのキャンペーンポスターで「美しい日本」という言葉には失笑。朝日新聞の「天声人語」でも「こういわれると正面切って反対はしにくい」と書いてあるが、今の日本のどこが美しいだろう?景色だとしたらこれは人の入っていないところほどそうだろう。最も開発の遅れた四万十川がいい例だが、ここにも往年の清流が細っていると聞く。自然を散々壊してきた自民党員の言葉ではなかろう。人民の扱いはさらに美しくない。水俣の問題、重税・低福祉・軍備の充実、公務員の不祥事、社会保険庁、対米盲従、所得格差の拡大。これをさらに進める為に憲法を改悪し、教育基本法も変えるというわけだ。古い言葉だが、企業は人なり、と言う。国も人なり、だ。戦後一貫した文部省の教育基本法の骨抜きのなれの果てが今の日本ではないか。一旦荒廃した教育に、日本の教育基本法の精神を取り入れたフィンランドの充実はどうだ。障害者の生活費もそうだ。「応能負担」から「応益負担」に切り替え、負担額は倍以上になった。障害年金はカットされた。一方で高額所得者の負担は相対的に減っている。低所得者の負担は考慮する、と言う話も今はどこへやら。一方で働く女性が子供を産みやすいように云々の事務官確保。産めよ増やせよというなら、先天的障害があることもキャンペーンするべきだ。「こんなリスクはありますがね・・・」と。遺伝子の異常で生まれたものに責任はない。産んだ方にも責任はない。しかし、確率的に先天性異常は絶対に0には出来ない。それが生物であることの宿命だ。表にはならないから切り捨て。何よりも美しくないのがもう一つある。こぞって勝ち馬に乗ろうとする自民党議員の品性。政治家の品格を疑う。ここを綺麗にして初めて「美しい日本」を語れると思うが?
2006年09月02日
コメント(2)
朝の改札というのは大勢の人で混雑している。困ったちゃんもいる。改札機の前で定期を探している人。出たところでしゃべっている人。どちらも動線というものを考えていないか、無視している。動線というのはものが動く線だが、この場合は人が動く線だ。この線上に邪魔者があるとスムーズに動けない。ところが、立ち止まっている人以外にも流れを乱す人があるのに気がついた。それは「左手で切符を扱う人」だ。改札機の切符の入れ口は右側だ。左で入れようとすると体の前を手が通りので、一瞬止まらなければならない。これが流れを乱している。女子高生、中学生。女性の方が男性よりも多いように思う。なぜ?右手に荷物を持っている場合が多い。ところが、改札の前で左手に持ち替える人はなぜかいない。どうして?左手が極端に弱く物を持てないから?単に持ち替えるのが面倒だから?左で入れる人が右手に持っているのは以外とくだらない物。傘、紙袋、バッグは左肩。これで入れたらバッグはずり落ちる。 本当のところは聞いてみないと分からないが、大きな理由は「左手で入れると流れが乱れる」という考え方が働かないからではないか。あとに続く者は、半歩ずっこけるのだ。朝からそんな思いをしたくない。流れを読めない人がいるんだ。
2006年08月28日
コメント(5)
文部省の方針だ。こういうことをやる度に現場が混乱して、着実に子供たちの教育レベルが落ちて行くような気がするんだが・・・JISでもJASでもそうだけど、基準だけ示して口出しは最低限(これも曖昧だけど)にする方が結果がいいように思うんだけれども。文部省って将来の人づくりの責任を担うところじゃないの?詳しく読んでいるには時間がないので、また改めて書こう。
2006年08月28日
コメント(2)
矮惑星に格下げされた冥王星。まあ私たちの生活になんの影響があるわけではないが、マスコミはいろいろなことを書いている。アメリカが見つけ、ディズニーのキャラクターの名を取ったなどと書いているのもある。ギリシャ神話のプルートというのは新聞で見た。まあどっちでもいいのだが、アメリカ人が発見してアメリカの打ち上げた惑星探査機で惑星の定義に合わないことが分かり、降格するのなら紛争になる危険はないだろう。ナショナリズムの強い国だ。独立戦争をかいくぐるとこうなるのだろうか。ところで水金地火木土天海を横文字では・・と考える。マーキュリー、ビーナス、(アース?)マーズ、ジュピター、サターン、ウラヌス、ネプチューンかな?数年前にセーラームーンのアニメがあったときはひょっとしたらそらんじていたかも知れないが。でも久しぶりに星の世界のことを考えると、小さな人間の存在に改めて気づく。小さな地球で争っている様は何とも困ったものだ。地球の周りは人工衛星のゴミだらけ。宇宙の中の人間の存在は困りものなのではないだろうか。宇宙の流れに比べたら、我々の存在なんかほんの一瞬に過ぎないし、人間の歴史だって短いものだろう。まだテレビの数も少ない頃に、太陽に向けて核の廃棄物を打ち込む(要するにゴミ捨て)などと言うとんでもないドラマを見た記憶があるが、結構今の姿を予測したものだったのかも、と思う。
2006年08月27日
コメント(0)
「声」欄である。「タカ派の台頭を憂う」安倍氏の政策目標「改憲」「教育基本法改正」この2つともがなし崩しの限界に来た為の提案だ。解釈の変更や拡大を重ねてきたが、余りにも立派な表紙なのでこれ以上破れなくなった。だから表紙もより軟弱に変えようと言うのだ。靖国は今は時期が悪いのでふれないが、戦前への回帰は自民党の大きな流れだ。戦死者のおかげで(戦死者がいたから)今の日本がある、と言う認識は誤っている。戦争がなければ今の日本はないか?日本が侵略した為に出した戦死者なのだ。敗戦の故に民主化が(強制的に)行われ、農地の開放が行われ、一部に集中していた富が分散されたのだ。これが戦死者がなければ行われなかったことと位置づけるなら、当時の政治の方向が間違っていたと言うだけだ。国の為に犠牲になったというのは当時の為政者の戯れ言に過ぎず、国に殺されたのだ。その人たちは悼まれても、称えられる筋合いのものではない。論理のすり替えであることを見逃してはならない。そして押しつけられた憲法と改憲論者は言うが、その憲法が果たしてきた役割は小さくない。昔の甘い汁が忘れられない輩が戦前への回帰を求めても、基本的人権はそれを許さなかった。戦争放棄も防衛費(こいつは天井知らずの厄介者だ。セキュリティを考えてみればよくわかる。いくら鍵をかけても完全と言うことはなく、起こりうる確率とのなれ合いで決着するしかない)を抑制してきた。三権分立は今や三権もたれ合いになっているが、これは国民へのアピールを積極的にしないことで実現してきた。「白票は信任」という国民審査なんて、全く馬鹿にしている。良きも悪しきも公開し、白票は「公開資料の内容採点」と心得るべきだ。投稿者も書いているが、気がついてみたらいつか来た道になっていないよう、しっかりとした判断を出来る人間を作らなければ。
2006年08月26日
コメント(1)
先日奈良で同じような事件があったが、今度は中学生が「宿題を親に意見され、むかっと来て困らせてやろうと思った」「家がなくなれば困るだろうと思った」末の蛮行で、弟が焼死したという。複雑な家庭の事情もあったようだが、短絡的としか言いようがないではないか。考えない人づくりの結果だと過去に書いたが、そう言えば日教組と文部省が対立していた時代の教育の方が少なくとも活気があったような気がするのだ。対立するばかりがよいとは思わないが(子供がほったっらかしにされるので)一定の議論は公開でするべきだと思う。しゃべると言うことは思考の咀嚼であり、また結果だ。表現力も要求される。教師自身が考えなくなった可能性も否定できないだろう。子供はじっと見ているはずだ。長男が小学校の時、運動会の行進の練習の時に歩き方が悪かったのか、「隊列から出ろ!」と言われて、素直に出たらしい。なんてことをするんだ、と親に矛先が向いた。しかし、これは教師の方が分が悪いと思ったが、子供の前で批判するのもはばかられる。行動療法でもあるまいが、出ろ、と言う指示に従った子供を叱れるだろうか。あの時、「あんた教師なんならもう少し指導法考えたらどう?」と親に居直られたらどうしただろうかと今になって思う。指導要領に従ってやれば出来るってもんじゃないだろう。文部省も子供の頃からできのいい役人ばかり揃えているから、それで出来ると思っている世間知らずの馬鹿になっているんじゃないだろうな・・・その文部省が発行する教員免許状って???
2006年08月25日
コメント(1)
朝日新聞のニッポン人脈記に昨日書いた東条英機元首相の孫の言葉が載っていた。「汚れた俗世間の人間が神様の神格を剥奪したり出来ますか。でも東条がいやであるならば、どうぞ心の中で分けて拝んでもらってもいいんですよ」A級戦犯の分祀についてこう語っている。失礼ながら、神は人間が作ったというのが私の持論だ。観念上の存在として神をでっち上げると都合のよいことがあるのでそうしたのだから、この孫さんの言うことはおかしいと思う。神だと思えば神だが、思わなければなんでもないのである。神格を与えるのも奪うのも人間の仕業である。が、こういうところに日本人の曖昧さがでてくるので、話は単純には行かない。この孫さんは67才という。「おじいちゃまは人がなんと言おうと立派だったのよ」これは身内の論理だ。小さい頃からそう刷り込まれたら、この発言は当然かも知れないが、これこそ小泉首相の内向きの論理に通ずるものだ。外国ではそうは認められない。特に侵略を受けた国においては「とんでもない論理」であるはずだ。結局我々も含め、この問題については回答が得られていない。歴史の事実を認めなければ対話はないだろう。やった方は忘れても、やられた方は忘れない。
2006年08月18日
コメント(4)
テレビのニュースのはじっこでみたこんなコメント。どう解釈したらいいのかなとまだ結論は出ない。多分幼い頃からいじめの対象になったのだろう。戦犯の孫だからといって攻撃するのは本当は間違っている。彼女にはなんの責任もないだろう。まあ、人々が飢えているときにうまいものを食べていたかは知らないが。たぶん東京裁判は無効だという主張もあるのだろうが、戦勝国側が裁判をするというのは当然のことだと思う。「何でも受け容れます」が無条件降伏なのだから。A級戦犯を合祀したのが1978年と言うから、戦後ずいぶん経ってからだ。 「そろそろほとぼりも冷めた」からか?総理が参拝したから何が嬉しいのだろう。「神と認めてくれた」からだろうか。「功績を認めてくれた」からだろうか。功績と言うには、300万以上の人が死ぬきっかけを作ったのだから、これは当たらないだろう。先のブログで日本人の信仰について若干述べたが、「死者にむち打つな」が日本の考え方だ。しかし「殺しても飽き足らない」という言葉もある。我々はそれをお互い適当に使い分けているのだ。戦没者の家族が減っていけば、靖国はつぶれる。「ひいおじいちゃんの話でしょ?関係ないよ」というのが若い世代の大方の意見だろう。うちには戦死者がいないので余計に実感がないのだが、戦争は絶対悪だけれども、靖国が生き残る為にはそれを賛美して客がつくようにしなければならないのだ。客を集めようとすれば、「父よあなたは強かった」「昔の兵隊さんは偉かった」しかないのである。しかし、靖国のような作られた信仰というのは長期的には滅ぶしかない。かつての武将の首塚などひっそりとしたものだ。そんな宗教法人を残す価値があるだろうか。我々にとって大事なことは不戦・非戦であり、「ツマラナイカラヤメロ」と言う口であり、60年前の戦死者を賛美することではない。そのはずなのに軍事費のカットがないのはどういうことだ?航空自衛隊はまだイラクではないか。
2006年08月17日
コメント(0)
「仮に危険部位がまたでた場合でも日本は全面禁輸すべきでない」「1台の欠陥自動車が出たからといってアメリカが輸入禁止をしたか?」待ってました!これがアメリカの商売の本音なのだ。「お客様満足度」など知ったことではない。昔横行した押し売りとなんの変わりもない。日本の自動車が受け入れられるに、当時の通産省が「アメリカは拒否すべきでない」と言ったか?安くて、高性能で、燃費がいい。だから消費者が受け入れて売れたのだ。 アメリカ肉を支持しているのは外食業者。それも長い間の輸入停止で他のルートを見つけているから今さら「やばい」アメリカ牛に手を出す理由が無かろう。吉野家がアメリカ牛を積極的に使うなら、そこには商売以外の何かがある。と解釈すべきだろう。農務長官、商売の基本は消費者に支持されることですよ。オーストラリアを見習いなさい。輸入するのは勝手だが、積極的にアメリカ牛は買わない。商社だって売れないものは買わない。買ってもらえるにはどうするかを考えない商売を「殿様商売」という。消費者の安全と健康を考えないような人の考えには同調できない。
2006年08月03日
コメント(0)
久々にひどい内容だった。納豆のポリアミンが体を若くする、と言うのだが・・・微生物を扱う人なら「そんな!」と言ったのではないか。「納豆1g中の菌数を数えてみると・・・かき混ぜて置いておいたら7千万個も増えていた・・・」のくだり。細菌数の数え方を知ってる人だったら、これがいかに無意味な数字かはわかるはず。最近数というのは、10倍ずつ薄めていって培養し、培地にいくつコロニーがでるかを数えるのだ。10倍、100階。1000倍という風に段階的に薄めていく。だから、10の何乗という数え方をするのだ。1回薄めたものなら1乗だ。2回なら2乗。だから、1億なら8乗だ。こんなレベルで3億と4億の違いはないのが本当なのだ。更にいうなら、1gだって、正確には測れない。1g測って目分量を決め、だいたいそのくらいを滅菌水に入れるのだ。だから初めが2gの時だってある。その程度の精度の話なのに、何千万多い、少ないというのはナンセンスなのだ。どうして正確に測れないのか。べたべたしたものはきちんと測れないし、測った段階で汚染されて正確でなくなるからだ。血中のポリアミン含量もナノモル台。計測方法も明らかでなく、血中アンモニアだって測るかも知れない。納豆は実は多量のアンモニアをふくんでいる。ナノモルが測れるのは液クロか何かではないかと思うが、明らかにせず、奇々怪々のデータだ。うちも今朝は卵付きの納豆だった。視聴者をもてあそんでいる感じ。ちょっと微生物の知識があれば、まことにおかしな番組だ。
2006年07月31日
コメント(0)
今日は谷垣財務大臣の総裁立候補と牛肉のニュースばかりのようだ。自民党の総裁選はいつも「できレース」の感じが否めないのは貧乏人のせいか。消費税10%を掲げているが、こんな正直に言うのは総選挙のときにしてほしい。それに、増税を呼びかけるならまず節約と軍縮をと言いたい。武器がなかったら外交ができないのではアメリカと同じではないか。道理を圧力が上回っている。ブッシュの信念と小泉の信念はよく似ているし。で、ブッシュへの土産が牛肉解禁だったのだろうが、一般への流通は多分大きな影響がないと思う。「アメリカなくてもいいじゃん」と言う率直な思い。ただ、MSA協定がある。日本に食料の輸入を義務づける、安保とワンセットの条約だ。気をつけるべきは、既に出来上がっている外食ものだ。だいたい、自分で食材は選ばない、料理はしない、と言う横着者が、「食の安全」などと言うのも滑稽だが、「とにかく安けりゃいい」の路線は安全もそれなりだと思うべし。食べたってBSEにならない人もある、は噴飯ものだが、牛丼、焼き肉、バンバーグなど練り物、この辺りは、元々安い内蔵肉を使っている。内蔵肉だからどうと言うものではないが、元々屑肉だったもの。肉に変わりはないが、関西で言う「ホルモン」だ。この名前、別に男性ホルモンとかが関係している訳ではなく、「ほる(捨てる)モン」だというのが有力な説だ。オーストラリアの細かい対応が放送されていたが、こうあるべきだと思う。一頭ずつ管理しているのだ。アメリカのようなほったらかしではない。アメリカ牛肉は顧客満足度が低いと思っている生産者、どれだけいることか。「とにかく買え」がアメリカだと私は思っている。またほころびがでるだろう。いや、でるほど売れないかも知れない。
2006年07月27日
コメント(0)
アニメ「ハウルの動く城」の放送があるというので女房が「録画しなきゃ」と言いながら長女の迎えに出て行ってしまった。DVDでマニュアルがないので圧縮録画の仕方、録画の仕方がまるでわからず、とりあえず新聞を見てチャンネル合わせだけしておこうとしていたら、話題の国会議員やタレントを集めたバラエティ風座談会(逆かも?この手の番組を時間内にまとめようとしたら編集してでもシナリオが必要だ。座談会風バラエティという方が正しいか)そんな中での若い女性タレントの発言だから、受けねらいの台詞かも知れないが、「政治は難しくって」という言葉が妙に気になった。「若いくせによく言うよ」とつい口にでてしまった。昨今の都市型選挙で、投票率が3割だの4割だのというのは「考えない子」の教育を進めてきた自民党の実績によるものだと思う。安定政権への成果と言えるだろう。若者なら言い意味での幼稚性がある、少なくとも昔はあった。見方が一面的でも当を得ているところは必ずある。だから「自分の見方」を主張することが考えることになるのだが、初めからそれを「難しい」ではじめなかったら、何もならないだろう。不得手なゲームには初めから参加しない、というのが「若者」か?「若者たち」という映画の主題歌もよくうたわれたが、今はもうタレント一筋で「愛だの恋だの」の時代みたいだ。 「だのになぜ歯を食いしばり君はゆくのか そんなにしてまで」ははやらないのだろう。などと考えているうち、宮崎アニメが始まった。 このアニメも昔(ナウシカ・トトロなど)はストーリーがわかりやすかったのだが、だんだん難しく(人に説明しにくく)なっているのは年をとった所為だろうか?
2006年07月22日
コメント(2)
昼飯を食べながらつけてあるテレビの声に引かれた。「昭和天皇が合祀に不快感」「親の心子知らずとはこのことだ」一瞬、えっと思った。故人とはいえ、戦前の大元帥であった人の意見としては、また聞きにしても画期的だと思う。政治的なものを何ら持たない人の意見だ。誰が考えてもおかしいものはおかしい。A級戦犯を彼らが殺した人と一緒にまつるのはどう見てもおかしい。戦争に駆り出され、本人の意向とは全く関係なく、殺されたのだ。殺したものと殺されたものを一緒にまつる、と言う矛盾。おそらくは分祀に向けて動き出すのではないか。このことが、冷えきった中韓関係を立て直すきっかけになるかもしれない。それにしても小泉政権は日本を情けない国にした。借金大国!パロマ、トヨタの (奇しくも両方名古屋!)欠陥品問題。つまるところ、正社員を減らして社員の質を落としたことのつけだと思う。利益が上がるのは一時のこと、お金のやり取りだけの雇用者と被用者は信頼も何もあったものではない。社員を大事にしない会社のために誰が過剰に働くものか。国民を大事にしない国に誰が住みたいと思うか。そう言えば、自民党の集票マシン、軍人の遺族会の年金(軍人恩給だっけ?)はカットしたとか聞かないが、どうなのだろう。 戦後60年を超えているが法事も50年で一応終わりにしている。票になるところは削らないんだろうな。それって、買収にならないのか?ふと思った。障害年金はしっかりカットされている。
2006年07月20日
コメント(2)
年ごとに天災の規模が大きくなっているような気がする。地球温暖化と関係があるのかどうか。天竜川のような整備されたはずの暴れ川が決壊。やはり人間の知恵くらいでは押さえきれないのか。私宅から200mばかり離れたところにも1級河川があるが、こちらもよく増水し、河川敷の公園が水没していた。いつも簡単に水没して、あとまた修復するのだが、どう見ても地元の土木屋の救済事業ではないかと・・・まあ、遊水エリアみたいにも考えられるわけで、堤防が切れる第一段階を吸収しているとも言えるのだが。通勤電車は軒並み遅れ。兵庫県は南北に川が沢山流れている。神崎川、猪名川、武庫川、最大の加古川、市川、夢前川、揖保川、千種川。そのすべてが増水し、鉄橋は徐行。私の乗る電車の1本前のが10分遅れ、次々に遅れていったようだ。気が短いもので、来た電車に乗り、だいたいいつもの定刻についた。それより遅い人は大変だったようだ。長女の学校も始まり、いつもの倍の時間がかかったそうだ。崖が崩れているかも知れないと言うので徐行運転ばかりだったという。
2006年07月19日
コメント(0)
全1790件 (1790件中 1651-1700件目)