全2件 (2件中 1-2件目)
1
仕事中に昼飯を買いに行ったときに、子供が3人くらいでコンビニの駐車場で不思議な踊りを踊ってた(´_ゝ`)一緒に買いに来てた上司がそれみて「なんぞあれ?」と俺に聞く。俺「深く考えたら負けっすよ。子供の考える遊びに理屈なんかないんだし」上司「確かにガキのころって色々な遊び発明したよな。今思うと危険な遊びとかw」その後、職場で子供の頃に流行った遊びや禁止令が出た遊びの話をした。まぁ子供なんかどこの地域でも大体同じ様な事を考えるもんだなw○プロレスごっこ禁止令毎日必ず誰かが軽い怪我をしてたが、あるときクラスの森田君がアームロックで肩外れてから禁止になった○ベランダ立ち入り禁止オレがベランダで懸垂して二階から転落してウサギ小屋の屋根を破壊してから禁止になった○シーソージャンプシーソーにチビを乗せて反対側にデブとかデカイ奴を4人くらいで飛び乗ってチビを発射する遊び。着地にミスった奴がヒザ擦り剥いて親が担任にチクって朝礼で校長直々に正しいシーソーの使い方の話をされた○こっくりさん放課後発見した担任が翌日の朝に危険性を説明したプリントを刷って全員に配った○におい玉あまりに爆発的に流行しすぎて校内が異臭騒ぎになって全員持ち物検査された○ビックリマンシールをランドセルとか筆箱に貼る行為デコトラみたいになったランドセル背負ってるバカがいたから禁止○校内一晩キャンプ校庭でキャンプをするという6年生の夏の恒例行事だったが、俺の代で夜中に校庭を脱走して近所の森にカブトムシを獲りに行ったら、巡回の教師が5人行方不明なテントを見つけて大騒ぎ。教師総出で捜索する事態となり捕獲された俺たち5人は1時間ほど正座で説教を食らい、翌年からキャンプ廃止となる○登下校中のカブトムシ狩り登下校ルートにあるカブトムシ群生林を通る生徒が夏になると遅刻者続出するために登下校ルートの変更がされた。○爆竹遊び近所の駄菓子屋で買えて一時期これもマンホールに放り込んで遊ぶのが爆発的に流行ったが、近隣の家の水道栓パイプに放り込むバカがいて苦情が学校に行ったため全校集会になった○廊下で寝るの禁止スカートの女子児童が通行できなくなる為○トイレ掃除が禁止になり教師が代わりにやり始めたトイレ掃除中に水遊びでトイレ中を水浸しにして全身ずぶ濡れで下校する子が親に叱られたから○給食の牛乳瓶の一気飲み大会禁止中学時代は毎日恒例だったが、最初は単純にスピードだけを競ってたが、途中から笑わせようとする奴が出始めて遂には正面の女子生徒に頭から牛乳噴き出した奴が出た為。…まぁ俺だけど(´_ゝ`)制服を洗って返すといって平謝り、家に女子の制服を持ち帰ったらオカンに質問攻めにされる二次災害も伴う。こうして思い返すだけでこんだけ出てくるあたり、如何に子供が目を離すと何するかワカラン生き物であるかが我ながら思い知らされるな(´_ゝ`)無駄に時間と体力が余ってるからこんな事になるんだろうか。
2011年04月17日
コメント(2)
ウチの職場には何故か三国志好きが多い。まぁ逸話やエピソードの多さや、脚色やフィクションの度合いが物語としては秀逸なので大衆に好まれるのも当然ではある。なんとなく職場で三国志的な話の中で、誰が一番優秀かとか、最強は誰かみたいな話になった。しかし歴史全般に言えるけど、本当のことなんか誰にもわからないので、結局は個々の好みの問題になるんだろう。資料や物語や史実をソースにし始めたら、歴史は勝者が書くものだし、演義ソースにしたら、まさか孔明が本当に祈祷で風を呼んだと信じてる人はおらんだろうし、赤兎が馬としては異常に高齢まで生きてるとか無理な部分がありすぎるからな。ただ、歴史なんて見る側の立場でいくらでも善悪は変わるし、結局は物語として楽しけりゃそれで役目は果たすのだな。事の真実は歴史家が研究すればいいだけの話である。だってさ、日本でも源義経はガキのころから寺に預けられて、およそ武家としての教育も武芸の嗜みもないはずが、どう見ても万夫不当の豪傑である弁慶を懲らしめる美青年にされてしまってる。挙句に重い具足を装備したまま壇ノ浦で八艘飛びをブチかますんだぜ?そういう事いちいちツッコミ入れてたら歴史小説なんて全然面白くない。三国志だって正史は単なる人物伝だしな。だから面白けりゃ脚色だろうが歪曲だろうが構わんのだ。学問として読むやつもおらんしなwただ、歴史好きが高じて色々な本を読むうちに、オレはオレ個人の勝手な解釈で、その物語の人物評みたいなのを同時進行で考察しながら読むという新しい楽しみ方をいつからかするようになった。物語の中では悪と描かれてる人物が必ずしも悪に見えない事がある。話の中では優秀に描かれてる人物が、冷静に判断してみると意外とダメに見える事もある。日本なら例えば織田信長の延暦寺焼き討ち。一般的にこれは信長の虐殺行為として名高い。ただコレ、見方を変えると、信長の敵対勢力が叡山の非戦闘員や僧を人質にして立て篭もってるだけに見える。現代で言うなら教会に立て篭もったテロリストを軍が攻撃したとか、病院に立て篭もったゲリラを空爆で病院ごと破壊したというのと同じやな。ましてや当事の叡山の僧は僧とは言ってもすっかり堕落して、武装はするわ肉は食うわ女は抱くわで、僧は僧でも実態は破戒僧である。そして、宗教が兵を養い武力を持つという事の危険性は今も昔も変わらんだろう。信長もバカじゃないんでそのあたり変な前例を許さないという意図は当然あったんだろう。同じ事を三国志演義でみてみると、一般的に曹操は悪役で劉備は善人として描かれる。よく劉備は「漢王室の流れを汲む中山王劉勝の血筋」というのを謳い文句にしてはいるが、ぶっちゃけそんな事いったら、当事の中国全土に漢室の流れを汲む家なんぞ数え切れないほどいた。なんせ当の中山王劉勝には子供だけで100人以上はいた。それから数百年経過した時代で、子孫の数はネズミ算式に増えてるわけで、今更言われても「あぁ、そうですか」くらいのもんだろう。むしろ血筋のレア度で言ったら、宦官の孫にあたる曹操の方がレアであるwとはいえ、ただのヤクザ者を主人公にすると物語が面白くないからな。王室の血筋というのは主人公には適役だ。そんな事を考えながら三国志を読んでると、なかなか正当に評価されて無い人とか過剰評価されすぎてる人とかが出てきて、そんな話を昨日職場でしとった。以下、オレや職場での評価○明らかに過剰評価されてる人・諸葛亮名軍師として描かれる割には、実際に総指揮を執った戦で勝った相手が南蛮の孟獲しかいない。まぁ赤壁に至る経緯では逃げる位置や孫権を担ぎ出すのに使者として一役買った政治手腕はあるが、ぶっちゃけ劉備軍いなくても周瑜はハナから主戦派だし、周瑜の戦略に劉備軍は入ってない気がする。赤壁勝利後のドサクサで南部に地盤作ったのも戦略的な手腕とも思えるが、立地考えりゃ長江の南じゃなく北側とるべきで、北部を守る魏軍の曹仁を駆逐して確保したのは周瑜。おいしいとこ持ってったのが周瑜で孔明が初動の駆け引きに負けたように見えるしな。蜀漢成立後の北伐に関しては目も当てられない。わずか10年前後の間に彼は何度の遠征をしたのか?しかも国を挙げて遠征してるのに魏軍の指揮官の曹真に勝てず、兵糧切れで撤退という戦術的には初歩ミスを何度も繰り返す。曹真死後の後任の司馬懿を相手にも同じミスをしとる。オレの中で彼は軍師というよりは優秀な能吏であり官僚向きの人物じゃないかと思う。ちなみに孔明の話になったからついでに出すけど、孔明のライバルとして魏の軍師的なキャラで登場する司馬懿。彼は孔明と違い宰相でもなけりゃ軍師でもありません。職歴を見れば仕官当初は文官として任官したが、後に軍才を認められ驃騎将軍や大将軍の職に就いてる事から解るとおり、生粋の軍人である。しかも、ほぼ国家の全権を行使できた孔明と違い、司馬懿はただの西域の軍司令官でしかないので、使える権限には限界がある。それでも彼、局地戦で負けても戦略的には結局はどこも失わずに勝ってる。まぁ神算鬼謀の孔明に勝ったのが単なる軍人じゃカッコつかんから、策士イメージで描かれてるんだろうと思うけど。・関羽まぁ人気が高いから多少脚色されてるのは三国志演義の中では仕方ないけど、この脚色や功績の横取りを一番恩恵受けてるのは関羽だろうな。まず虎牢関で華雄を斬ったのは関羽じゃなく孫堅なんだが、手柄を横取り。官渡で顔良は斬ったけど、斬ってない文醜の首まで取った事になってる。横取りに飽き足らず戦功水増し。個人的には、部下から裏切りを出すってのは総大将としてのカリスマ性に欠けるという見方をしてるので、その点では減点かのう。曹操に降ったのは経緯はどうあれ助命された形になるはずなんだが、その後に官渡で敵将斬って手柄立てたからという名目で何故か曹操の敵対勢力で戦争状態のはずの袁紹の元にいる劉備の所に帰っちゃった。これ冷静に見れば、戦線に召集された武将が敵前逃亡に加えて敵方に造反した事になるわけで、「劉備への忠節」といえば聞こえはいいが、誰がどう見ても不義理な背信行為にしか見えん。戦場で「敵軍に兄弟いるからオレ向こう行くわ」は処断されても文句言えんぞ…○扱いは地味だけど意外に優秀な人・賈?この人いまいち地味だけど、実はすんごい人なんだろう。まず、仕える主君がコロコロ変わってるが、その全ての主君から参謀として高い評価をされてる。董卓死後の王允の粛清には涼州に引こうとする李?に長安攻略と帝の確保を進言。その後に張済、張繍にも参謀として使えて曹操を殺す一歩手前まで追い詰めて曹昂や典韋を討つ。その後に袁紹・曹操の対立が激化したら袁紹ではなく曹操に帰順するよう進言。息子を殺したはずの賈?を重用する曹操。つまり私怨を捨ててでも得るだけの才能はあったわけだ。曹操の南方遠征には反対。「無理に攻めずに腰をすえて鎮撫すべし」と進言するも、曹操は却下し結果的に赤壁で大敗。関中で馬超、韓遂の仲を裂き瓦解させる。曹操の死後に曹丕の出兵に反対。進言を無視して呉を攻めた曹丕は大敗。まぁ提言に間違いが無く失策も無いあたり、戦力分析や広い視野はあったんだろうな。魏帝時代には外様の臣の身でありながら縁戚を押しのけて三公まで出世してるし、重ねた功績と周囲に評価も相応だったんだろう。軍師というとどうしても局地戦での計略や用兵術のイメージがつきがちだが、そんなのは戦線の武将が持つべき才であって、軍師たる者の仕事は戦略的見地から道を示す事なんだろう。「主君に進言を聞き入れさせる」というのも才能の一つではあるんで、そこで何度か無視されてるのは惜しいが、それが結果として「だから言ったじゃん」という面で自分の評価に繋がるあたり、処世術にも長けてるなと。もし三国志が蜀の劉備が主役じゃなく曹操主役で描かれていたら、この人もっと目立つと思うんだけどね。・張?光栄の三国無双じゃとっても残念なキャラにされてしまってる彼。実はトンデモない武人である。まぁ戦歴は言うまでもなく、曹真や司馬懿の懐刀として常に前線で戦ってた将軍だが、彼の何が凄いって、外様の将でありながら、確か魏の歴代将軍の中でトップクラスの高給取りなんだな。夏侯惇や張遼ですら食邑で言うなら2000戸台の中、張?は4000以上も貰ってる。縁戚や外戚の将軍なら別として、外様で食邑が増えるってのは、それだけ戦場での功績が積み重なってる証でもあるわけで、常に一番危険な場所にいながら生還し続けてないとこれだけの高給取りにはなれん。最後は軍人の本懐であろう戦場で矢傷が元で死んだわけだが、史書で出る限りで判断するなら袁紹配下として公孫?との戦いにも登場して、死んだのが陳倉の戦いのあとって事になると、少なく見積もっても40年くらいは戦場で現役として戦ってた事になる。この人いったい何歳で戦場に出てたのか(´_ゝ`)おそらく、三国志史上において最多戦闘数を誇ると思うんだが。・魯粛この人も司馬懿と同じで三国志演義だと知略の人でお人好しのイメージで描かれてるが、正史記述だと大局的な見地から私心に寄らず剛毅で毅然とした峻厳な軍人である。周瑜の死後はその後任として呉軍の都督として軍を掌握して、戦術眼だけじゃなく国内民政も整えた上で国の地力を伸ばし、頑固で気難しい劉備軍の関羽とたびたび衝突しながらも呉との間でパイプ役をしながら、ちゃっかり荊州南部の三郡を関羽に無血で割譲させる立ち回りの巧妙な交渉術も持ってる。史書じゃ魯粛が提案した策も演義じゃ孔明に横取りされてたりするが、呉軍内で同じく重鎮である張昭との折り合いが悪かったようで、たびたび張昭は孫権に傲慢な性格だと彼を重用しないように薦めたがシカトされてたあたりから、やっぱり才能はあったんだろう。というかオレの中では関羽が荊州守っていられたのは、半分は魯粛のおかげだと思ってるけど。・簡雍今まで挙げた人物と違い「なんだかわからないけど凄いやつ」というカテゴリーに勝手に入れてる人物。劉備と同郷で若い頃から行動を共にして各地を転戦してるが、物語の中でも派手な活躍が無い。敗戦で散り散りになっても、しぶとく死なずにしばらくすると戻ってきてる。ただ流浪に近い劉備が受け入れ先を探す使者として立てるのは大体この人。しかも必ず成功してる。益州攻略時に劉璋を降伏させる使者として説得したのもこの人。外交官とでもいうべきか、敵にも味方にも信用される男ってのは貴重だろう。さぞかし立派な人徳者なんだろうと思いきや、その性格は傲慢で無頓着で酒と女が好きで軍師の諸葛亮だけじゃなく主君の劉備にも遠慮が無く、寝転がりながら談笑するような有様だったようだ。周囲からは「いい加減でしょーもないやつだ」という目で見られつつも、しかも意外と出世してるんだから「仕事はできるが出世はできない」みたいなタイプでもなさそうである。会社組織でもそうなんだが、こういうタイプのオッサンが一人いるだけで仕事が上手く行くというケースは多々ある。あんま目立った仕事もできず窓際に近い位置にいるようにみえるが、職歴が長いせいかなんだかんだ出入りの業者とか会社の上司とか役員と仲良くて不思議なおっちゃんとかな。他部署からクレームとか来ても、その人が電話出ると丸く収まってたりみたいな。意外とこの人いなかったら劉備はもっと早い時期に路頭に迷って歴史から消えてたかもしれんとか考えてしまう。まぁ、職場で休憩時間に下ネタや芸能の話題ばっかしてるわけじゃなく、こういう話もしてんだよって話。
2011年04月14日
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()

![]()