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わが国の教育を戦前の劣悪な状態に戻そうとする教育基本法改悪の法案は、継続審議となりましたが、この間の同法案をめぐるメディアの在り方について、弁護士の加藤美代氏は「しんぶん赤旗」日曜版コラム「メディアをよむ」で次のように論評しています; 教育基本法「改正」法案が継続審議となりました。この間、マスコミの報道だけでは、国会で何がどう議論されているのか全くわからないまま、この法案が衆院特別委員会に付託されました。 子どもたちは、いじめ、不登校、学級崩壊、学力低下など、さまざまな問題を突きつけられています。政府は、教育現場でのこのような問題を、子どものモラル・学ぶ意欲・家庭や地域の教育力の低下などに問題があるとし、この危機を打破し、新しい時代にふさわしい教育の実現のために教育基本法の「改正」が必要だと述べます。しかし、これらの問題は、教育基本法の理念と遠く離れた、知育偏重の選別的、競争的教育や管理教育、平和教育や社会参加のための教育の不足などがその根底にあります。 マスコミは、教育基本法「改正」法案に「愛国心」が「我が国と郷土を愛する」という文言になったというような報道はしても、なぜ教育基本法を改めなければならないのかという最も基本的な問題を追及したのか、国会審議でこの問題がどれだけ明らかになったのか、検証したといえるでしょうか。いま子どもたちに生じている問題をどうすれば解決できるのかを追及することこそがマスコミの責務ではないでしょうか。 5月24日の特別委員会で志位委員長が小学校で愛国心をランク付けする通知表「愛国心通知表」について取り上げ、小泉首相も子どもの「内心の自由」を評価することはできないと答えました。これを契機に、多くの教育現場で愛国心を評価の対象としている事実が報道によって明らかにされ、「愛国心通知表」は見直されはじめました。 「愛国心通知表」の報道で、教育基本法「改正」法案の危険性をマスコミがやっと取り上げてくれたと思う半面、やはり法案の問題を正面から論じてと願わずにはおれません。2006年6月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ 「メディアをよむ-教基法報道に願う」から引用なぜ教育基本法を変えなければならないのか、という検証はまったく不十分です。いま教育基本法を変えることの危険性もあわせてよく検証し、次期国会では否決または廃案にするべきです。
2006年06月30日
80年代に、わが国の青年ら3000人が中国を訪問したことがありましたが、この度また、訪問要請がきたと23日の東京新聞が報道しています; 中国共産主義青年団を中核とする青年組織、中華全国青年連合会(全青連)が、1984年に北京などを訪れた日本の青年ら三千人訪中団のメンバーらに対し、近く訪中するよう要請し、受け入れ準備を進めていることが22日、明らかになった。中国側は小泉純一郎首相の退任後をにらみ、日中関係改善を模索しており、今回の訪中要請もその一環とみられる。 胡錦涛国家主席は84年当時、全青連主席を務め、三千人訪中団の受け入れを指揮しており、今回も胡主席の意向を強く反映しているとみられる。全青連国際部の責任者は「中日の青年交流を進めたい。当時の参加メンバーの子女も対象として招待者の人選を進めている」と語った。当時首相だった中曽根康弘氏も招待される可能性がある。 全青連によると、受け入れ人数や時期は未定という。 胡主席は今月10日、初めて訪日希望を表明。「私は三千人訪中団を受け入れて以来、二十数年にわたって有効事業に関与し、日本に友人も多い」と語っていた。2006年6月23日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「3000人訪中団 再び訪問要請」から引用このような交流活動を通じて、冷え切った外交関係が少しでも改善されるように望みます。
2006年06月29日
戦争中、日本軍が南京へ進軍する際に二人の日本軍将校が「百人斬り競争」と称して捕虜や民間人を虐殺する事件がありました。これら二人の将校は戦後、戦犯裁判にかけられて処刑されました。当然のことです。ところが、そんな事件は無かったと主張する右翼弁護士が遺族をそそのかして裁判を起こしました。が、判決は、5月24日、東京高等裁判所で出ました。そのいきさつを「週刊金曜日」6月2日号は次のように報道しています; 「主文。本件控訴をいずれも棄却する」 裁判長が短い主文を述べて法廷を後にすると、被告側支援者の拍手と原告側支援者の怒鳴り声が法廷に響いた。 1937年、日本軍の南京攻略戦のさなか、二人の日本軍将校が行った「百人斬り競争」。この殺人競争を報じた『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)や本多勝一氏、朝日新聞社らを相手取り、二人の将校の遺族が「報道はすべて虚偽」だとして起こしていた名誉毀損裁判の高裁判決が出された。すでに一審で、本多氏ら側の勝訴判決が出されているが、高裁判決は、事実認定などの部分で地裁判決よりも踏み込んだ内容となった。 判決は、当時の新聞報道の内容をそのまま「信じることはできない」としながらも、「両少尉が、『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはでき」ない、と認定した。 裁判の過程で、百人斬り競争が、農民や捕虜に対する虐殺行為だったことを示す数多くの資料が発掘されたことが、今回の認定につながったといえよう。南京事件を否定したい側にとってはまさに「やぶへび裁判」となった。2006年6月2日「週刊金曜日」 7ページ「『百人斬り競争』裁判 高裁でも勝訴判決!」から引用南京大虐殺を否定するための糸口として『百人斬り競争』など無かったんだという話をでっち上げようとする邪悪な発想で始められた裁判でしたが、「無かった」どころか、どう考えても無かったとは言えないという資料が、この裁判をきっかけにどんどん発掘されたため、上記のような判決となりました。こうなると、南京大虐殺否定派の行動は滑稽というほかありません。やっぱり、悪は滅びるね。
2006年06月28日
卒業式や入学式で君が代斉唱のときに起立しない来賓や保護者について、埼玉県戸田市の教育長・伊藤良一が市議会で「はらわたが煮えくりかえる」と、まるでけんか腰の答弁をしたと、20日の東京新聞が報道しています; 埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が今月13日の市議会で、同市立小中学校の卒業式や入学式の君が代斉唱の際に起立しない来賓や保護者について「はらわたが煮えくりかえる」と答弁、調査する方針を示していたことが分かった。伊藤教育長は19日、本紙の取材に対しても起立しなかった来賓の氏名や人数を調査する意向をあらためて表明。起立の徹底を図ることを明らかにした。 君が代斉唱をめぐっては、東京都教委が、起立しなかった教員を処分するなどしているが、教委に指導権限のない来賓や保護者までも調査対象とするのは異例だ。 関係者によると、13日の定例市議会で、民主クラブの高橋秀樹市議が「保護者や来賓で起立しない人がいる」と指摘。これに対し、伊藤教育長は「(事実なら)はらわたが煮えくりかえる」「『内心の自由だ』と言う人がいるようだが、生徒たちの前で規律を乱すようなことはあってはならない」と答弁し、調査する意向を示した。 伊藤教育長は、本紙の取材に対しても「表現は適切でなかったかもしれない」としながらも「式典は規律や礼節を学ぶ大切な場。来賓らには子供の模範となってもらいたい」と不起立を批判。市立の全小中学校長に、今春の入学式・卒業式の君が代斉唱で起立しなかった来賓の氏名や保護者の人数の報告を求める考えを明らかにした。 起立しなかった来賓や保護者に対しては、教育委員に対応を慎重に検討してもらう方針。市教委では、以前から校長を通じて式典前に、君が代斉唱の際に起立するよう依頼していたという。 市教委は、教員や児童・生徒の不起立については「チェックしていないし、報告も受けていない」としている。2006年6月20日 東京新聞朝刊 12版 31ページ「君が代 起立せぬ親と来賓調査」から引用国民の総意に基づいて制定された国旗と国歌であれば、児童・生徒に対して「国旗・国歌に対する態度」を画一的に教えることは可能だったかも知れません。しかし、保守反動派が無理矢理日の丸と君が代を国旗・国歌に決めてしまったため、事態は複雑になりました。先の戦争で肉親を失った人々の多くは、戦争のシンボルだった日の丸・君が代に接するたびに心を痛めます。そういう人々が、日の丸・君が代を忌み嫌うのは人間の気持ちとして当然だと思います。したがって、児童生徒に教えるとすれば、こういう現実を教えなければ、片手落ちで児童生徒は眼前で起きていることを正しく認識できないと思います。日の丸・君が代の過去も教えて初めて、国旗・国歌に対して起立できない人々がいることを理解できるというものです。そういう視点を持たない伊藤良一は教育者の風上にもおけない。
2006年06月27日
政府与党は、今国会で共謀罪を審議する中で「国連の条約を批准するために」必要な法律であると説明してきましたが、どうも、これはウソだった可能性があることが明らかになりました。15日の東京新聞「こちら特報部」は次のように述べています; 共謀罪創設法案の今国会成立が見送られたが、この間、政府・与党が繰り返し行ってきた「共謀罪を創設しないと国連の条約を批准できない」との説明の根幹にかかわる指摘が専門家や野党から出始めている。「国連条約などの原文は必ずしも共謀罪創設を求めていない」というのだ。その理由は? 政府が共謀罪創設法案を国会に提出した理由から振り返ると、「立法事実」はない、と言われたりしてきた。小難しい言葉だが「立法事実」とは「提出した法案が必要な背景事情」という意味らしい。では、なぜ法律を作るのか。政府・与党は「共謀罪を創設しないと、既に日本の国会が承認した国連国際組織犯罪防止条約を批准できない」と強調してきた。 条約には自民、公明、民主、共産各党が賛成した経緯があり、今国会では、政府案以外に、自民・公明、民主案が出され、共謀罪法案の「中身をどうするか」の議論に審議時間が費やされてきた。 ところが、である。最近になり「国連条約や国連が作成した立法ガイドの原文をきちんと読むと、共謀罪を創設せずに、現在の日本の刑法体系のままで条約を批准できるはずだ」という声が出てきた。 米ニューヨーク州の弁護士資格も持っている喜田村洋一弁護士は、これまで共謀罪創設の是非にまつわる議論に加わってこなかったが、つい最近、A4版用紙で約十センチもの厚さがある国連条約と立法ガイドの原文(英文)を二日がかりで読破してみた結果、共謀罪が条約批准の条件でないことに気付いたという。 条約は、第五条で共謀罪を求めているとされてきた(別項参照)が、条約の文言を、各国の法体系にどのように生かすかについては「立法ガイド」に記されている。 その立法ガイドの「51パラグラフ」の下線部が焦点だ。 外務省の「仮訳」では、「これらのオプションは、関連する法的概念を有していない国において、共謀または犯罪の結社の概念のいずれかについては、その概念の導入を求めなくとも、組織的な犯罪集団に対する効果的な措置を取ることを可能とするものである」と翻訳されている。「共謀罪」か「犯罪の結社」(参加罪)の概念の「両方とも」を導入する必要はないけれど、とちらか一方は導入しなければならない、という政府・与党の主張は、これが論拠となっている。 しかし、喜田村弁護士は「直訳すれば『この選択肢は、関連する法的概念を有しない締約国において、どちらの概念-共謀または犯罪結社-の導入も要求することなく、組織的犯罪集団に対する実効的な措置を可能にする』となる」とした上で、こう続ける。 「平易に翻訳すると『この選択肢は、共謀または犯罪結社に関する法的概念を有しない国においても、これらの概念の導入を強制することなく、組織的犯罪集団に対する実効的な措置を可能にする』という意味だ。共謀罪などを導入している国もあるという記載は『そういう国もあります』という例示列挙にすぎず『そうせよ』という意味ではない」と指摘する。 あえて、法律に詳しくない人にも、純粋な英文解釈として聞いてみよう。医学翻訳者の小林しおり氏は・・・(以下、中途省略) 喜田村弁護士らの指摘通りなら既に組織犯罪処罰法を持っている日本は、わざわざ共謀罪や参加罪を創設しなくても条約を批准できるのに、できないと思いこんで共謀罪創設法案を審議し続けてきたことになってしまうとの声も出ている。 (中途省略) 弁護士の間からは「共謀罪でなく参加罪というオプションもあるなら、それを検討すればよい。参加罪は組織的な集団犯罪への参加を罰するものだから、日本の場合、暴力団対策法、破壊活動防止法、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律など、既存の法律でカバーできる。共謀罪をやめて参加罪を選択すれば条約を批准できる」との声も上がっている。 (後略) 2006年6月15日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「共謀罪 国連求めているのか」から引用現行の法体系では国連の条約批准ができないと思いこんだと、記事は書いてますが、国家権力は常に国民を押さえ込む方策を考えるもので、共謀罪創設法案もその一手段として出てきたと言えます。国内の治安と国連条約対応だけなら、現行の暴対法、破防法で十分対応可能ですから、共謀罪のような愚劣な法案は次期国会で即刻否決、または廃案にしてほしいと思います。
2006年06月26日
安倍官房長官名の祝電が統一協会の系列の団体が開いた集会に寄せられたと、20日の東京新聞が報道し、安倍氏と反社会的な行動で悪名の高い統一協会との不適切な関係が明らかになりました; 統一協会の関連団体「天宙平和連合」が開いた集会に安倍晋三官房長官名の祝電が寄せられたとして、全国霊感商法対策弁護士連絡会が19日、参院議員会館で記者会見を開き「統一協会の活動にお墨付きを与える遺憾な行為だ」として、安倍官房長官に公開質問状を出したことを明らかにした。 統一協会をめぐっては、霊感商法や違法な勧誘などが問題となり、各地で訴訟が相次いでいる。安倍長官は「私人の立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送ったとの報告を受けている。誤解を招きかねない対応であるので、担当者によく注意した」とのコメントを出した。2006年6月20日 東京新聞朝刊 12版 34ページ「統一協会系集会に祝電」から引用担当者が勝手にやったことでオレは知らないみたいな言い分ですが、担当者にしてみれば今までの慣例があったから事後報告でいいと判断した可能性もあります。これから総理大臣になろうという人物が、統一協会などと不適切な関係を継続するのはいただけません。弁護士連絡会の公開質問状には、誠意をもって事実関係と責任の所在を明らかにしてほしいものです。
2006年06月25日
サッカーのワールドカップ予選リーグで日本がクロアチアと引き分けた日、アメリカもイタリアと引き分けたらしい。翌朝の東京新聞には、アメリカの若者の不用意な発言がメディアのやり玉にあがったことについて、スポーツライターの藤島大氏が次のような文章を寄せました; サッカーは戦争だ。 そう口走った若者は、たちまちメディアの標的とされた。エディ・ジョンソン、22歳、君は若かった。あまりに純粋で間違ってもいた。戦争と言ったから? ノー。よりによって君が米国人であること、つまり米国人がサッカーの試合を戦争にたとえたのは、いかにも失敗だった。 イタリア戦の2日前の「ここには戦争をしにきた」という発言は、相手の国のうるさい新聞から批判された。 君がトリニダード・トバゴやコートジボワールの国籍を有していたなら許されただろう。おい、やつらも本気だぞ。その程度の反応に収まった。 しかし米国だけは別だ。あなたがたに目をつけられた標的はピンポイントの精度でこの世からなくなる。「誤爆」に泣き叫ぶ村人の涙、おびえる赤ん坊の悲しいほど澄んだ目。米国人は気づいていないかもしれないが「USA」と「戦争」が結びつくと、そんなイメージばかり浮かんでくる。フロリダに生まれ、チョコレート色の肌をしたFWも、戦争の一言で、ブッシュやチェイニーと同類とされるのだ。 イタリア人は「カルチョ(サッカー)が戦争のようなものだ」と熟知している。そうやって勝ってきた。そして優勝してから「本当の戦争とはちょっと違うけどね」と静かに笑う。 1-1。戦争でない戦争は終わった。サッカーUSA代表の名誉のために記せば、そこに最新の破壊兵器はなかった。あったのは退場者を出して9人になっても粘り抜く知恵と忍耐だった。 「サッカーのブラジルを応援するということは、米国の戦争を支持するようなものだ」(『世界の作家32人によるワールドカップ教室』白水社、ショーン・ウィルシーの序文) 3億の人口と最強の軍隊と独善的な正義を抱く巨人は、サッカーの世界では、カビくさい地下壕で爆音に耳をふさぎながら反攻を期す側なのだ。2006年6月19日 東京新聞朝刊 11版S 16ページ「ピッチの余韻-米の戦争でない戦争」から引用アメリカの若者は、自国の政府や軍隊の行動について責任を追及されてもちょっと・・・と思うかも知れませんが、しかし、世間の目は厳しいわけで、発言内容が間違っていなくても、TPOを間違えるとこういう目に遭うというわけです。
2006年06月24日
経団連の奥田前会長はテレビ番組の収録で「次期首相は靖国神社に行かないほうがいい」と発言した、と16日の東京新聞が報道しています; 日本経団連の奥田碩前会長(トヨタ自動車会長)は15日、TBSの番組収録で次期首相の靖国神社参拝問題について「行かなければいい。それをきっかけにして(中国や韓国と)話し合いができればよい」と述べた。 奥田氏は中韓両国との首脳会談が途絶えていることに懸念を示し、「人間は話し合えば和解につながる。靖国神社に行かないと言えば(話し合いの)きっかけになる」と指摘した。2006年6月16日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「靖国参拝せずに中韓外交改善を」から引用次期首相になる方は、経済界の声にも耳を傾けるのが良いと思います。中国に対しては「おたくの圧力に屈する気は全然無いけど、こっちの独自の判断で行かないことにしたから」と言えば、双方丸く収まることでしょう。
2006年06月23日
超党派の国立追悼施設設置を推進する議員連盟が、総会を開いて提言をまとめたと、16日の東京新聞が報道しました; 新たな国立戦没者追悼施設の在り方を検討する自民、公明、民主の三党の有志による超党派議員連盟「国立追悼施設を考える会」(会長・山崎拓自民党前副総裁)は15日、総会を開き、新たな追悼施設の設置を求める提言をまとめた。 提言では「内外の人がわだかまりを持つことなく、不戦、平和の誓いを新たにすることができ、かつ、そう受け取られる施設を設置すべきだ」と明記。施設の名称や内容、場所を決めるための調査費を政府が早急に計上することを求めた。山崎氏は総会で「次期政権で予算化してほしいということだ」と説明した。 提言では、靖国神社について(1)公式参拝に憲法違反の疑いがある。(2)A級戦犯が合祀されている(3)空襲などの戦争被害者がまつられていないなどを問題点として指摘。新たな追悼施設が靖国神社に代わる役割を果たすことへの期待をにじませた。 総会には、山崎氏のほかに自民党の福田康夫元官房長官、公明党の冬柴鉄三幹事長、民主党の鳩山由紀夫幹事長らが出席した。2006年6月16日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「新追悼施設 調査費を」から引用わが国が戦争に敗れて、陸軍省や海軍省が廃止になったとき、これらの省が共同管理していた靖国神社だけは、そのまま存続したのがおかしな話で、戦争への反省が不徹底であったことの証ではないかと思います。戦没者は国のために命を犠牲にした人々ですから、一宗教法人に任せておかないで、国の責任で追悼する必要があると思います。
2006年06月22日
横須賀市長が米軍の原子力空母の寄港を容認したことに関連して、16日の東京新聞「筆洗」は次のように述べています; 「6・15」が戦後長く、日米安保条約反対のデモ隊によって国会が包囲された「安保の日」だったという記憶は、ついに国民の脳裏から消え去ったかに見える。 あれから四十六年、十五日付の本紙は、米海軍横須賀基地に、原子力空母「ジョージ・ワシントン」の配備を容認する横須賀市長の市議会表明を伝える。空母の原子炉の安全に政府保証を得たからという。殺人兵器の安全論議の珍妙さはこの際おく。 米軍再編の世界的な流れの中で、日米安保体制はいつしか日米同盟となり、米国の世界戦略の一翼を担う日本の防衛費は昨年、世界第四位の四百五十三億ドル(五兆一千八百六十四億円)で中国を十億ドル上回る。 今後、米軍基地再配置に伴う三兆円の別枠支出を見込む。政府は防衛庁の省昇格を九日に閣議決定、関連法案を提出した。この国の「安保をめぐる風景」はかくも変化した。 石原東京都知事は月刊誌の「愛国心大論争」特集への寄稿で、日米が戦ったことを知らぬ若者の事例にあきれながら若者に日本の近現代史を教えよと説く。自身の対米意識の基本を米議員に問われ、かつて米艦載機から機銃掃射を受けたときの敵意にあると説明したともいう。 戦後この国は平和国家として再出発した歴史も教えなくてはならない。佐藤内閣が一九六七年十二月に打ち出した「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の“非核三原則”は、いまもこの国の国是であること。六八年一月、佐世保市民の「米原子力空母エンタープライズ寄港阻止」のことも。往時茫々(ぼうぼう)にしてはならない。2006年6月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用私は、若者に限らず日本人は近現代史を勉強し直したほうがいいと思います。戦争の犠牲者が200万人とか原爆を2回も落とされたとか、被害もさることながら、わが国が「自衛」と称して侵略戦争をした事実を正しく認識するべきだと思います。
2006年06月21日
「我こそはポスト小泉」の意欲に燃える麻生外相は、靖国問題を解決する方法として靖国神社を非宗教法人とすることを提案したと、13日の東京新聞が報道しました。記事は次のように述べています; 麻生太郎外相は12日の衆院決算行政監視委員会で、首相の靖国神社参拝問題の解決策として一部で浮上しているA級戦犯の分祀論に関し「東京都認可の一宗教法人に問題をすべて投げ、問題があると(憲法上)宗教法人に政治は介入できないと(の立場で)ずっときている」と述べた。その上で、分祀に道を開くため同神社の非宗教法人化を検討すべきだとの認識を示した。2006年6月13日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「靖国問題解決に非宗教法人化を」から引用靖国神社に子供の頃からお参りしているという麻生氏にしては、大胆な発想だと思います。宗教法人であることをやめて、鳥居やしめ縄、賽銭箱などは取り払い、神官も置かず厚生労働省の出先機関として管理事務所だけを置く。これなら、昼日中に総理大臣が来て、戦没者を追悼し不戦の誓いをするのに大変ふさわしい環境であり、誰も憲法違反だなどと批判することはないでしょう。 国の命令で戦争にかり出され命を落とした人々への「追悼」を、一宗教法人に任せっきりにしておく現在の政府の姿勢は無責任であると言えます。戦没者追悼施設は国の責任で運営されるべきです。国家管理となれば、憲法の規定から当然無宗教の施設でなければなりません。そういう方向で前向きに検討していってほしいと思います。
2006年06月20日
歴史・社会学が専門の慶応大学助教授・小熊英二氏は、今回与党が提出した教育基本法改正案に問題が三つあると、12日の東京新聞で述べています; 教育基本法の与党改正案を読んで、三つの問題を感じました。 一つは、この改正案は在日外国人を含めた一般の国民、住民が持つ教育への不安に即したニーズに応えたものではないということです。 いま切実に論じられている教育の問題は、格差や不登校、学力低下や学級崩壊などで、与党改正案が重視している愛国心とか道徳問題ではありません。そんなことには、一般国民はさほど関心がないでしょう。この改正案で喜ぶのは、自民党文教族をはじめとした年配の保守系の人たちだけではないでしょうか。 二つめは、「国と郷土を愛する」「態度を養う」と記していること、さらに家庭教育の重視と社会教育との連携を強調していることです。 多くの人が指摘していることですが、「態度を養う」ということは、生徒が君が代を大きな声で歌っているかを評価したり内申書に書いたりできるという拡大解釈につながりかねません。また、卒業式にきた父母が君が代を大きな声で歌わなければ、家庭教育がよくないという評価もできる。さらには、祝日に日の丸を揚げない家庭は教育基本法に反している、そうした家庭には教育委員会から職員を派遣して日の丸を揚げるよう指導する、というような家庭教育と社会教育の「連携」が起こるかもしれない。 つまり、いま学校の卒業式などで起きている国旗国歌をめぐる事態が、家庭や社会全体に及びかねない。政府や与党が「そういうことをやる気はありません」と答弁したとしても、国旗国歌法の時も「学校で強制はしない」と答弁したのですから安心できません。 三つめに、自民党は「万年与党ぼけ」ではないかと感じました。 今の教育基本法第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って」と書いて、教育への政権の介入を禁じている。これは戦前の軍国主義への反省もありますが、制定時の状況では、共産党や社会党が政権を取って教育を左右したら大変だという危機感もあったはずです。 基本法を発案した文相の田中耕太郎、教育刷新委員会(今の中央教育審議会)の初代委員長安倍能成、二代目の南原繁、首相の吉田茂らは、みな反共自由主義者でした。実際に1947年3月の教育基本法公布の直後、4月の選挙で社会党が勝って政権を取った。基本法を作った当事者たちは、間に合ってよかったと思ったのではないか。 ところが与党改正案では、この10条に当たる部分を「不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより」として、政権の介入ができるようにした。これは自民党が教育を意のままにする道を開きかねないと批判されていますが、そればかりではない。もしも今後、民主党と共産党の連立政権ができたり、極右政党がかつての日本新党のようにいきなり台頭して政権を取ったら、自民党や公明党は「あんな改正をしたのは自殺行為だった」と後悔することになるかもしれません。 しかし与党改正案にはそういう可能性を考えた形跡が全然ない。永遠に自分たちが政権党であることを前提にしている。緊張感ゼロの「万年与党ぼけ」だと思います。 以上三つの点から、一般国民にも、場合によれば自民党にも得にならない改正案だから望ましくないと私は考えます。 そもそも、愛国心を教えなければいけないと法律でうたうのは、それほどこの国は魅力がないと自分で言ってるようなものです。日本がアジア諸国からも国連でも尊敬を集めていて、政治が立派に行われていたら、教育されなくても国に愛着を持つでしょう。そういう政治や外交をしないでおいて、年に一回の入学式や卒業式での国旗や国家の扱いにこだわる人たちになど、国の政治をまかせたくありませんね。2006年6月12日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「国民にも与党にも利なし」から引用小熊氏の指摘は実にもっともなことです。政治家が内政や外交をしっかりやって、近隣諸国からも尊敬されるなら、国民はいちいち教えられなくても、誇りをもって自分の国を愛することでしょう。そんな努力もしないで、法律に「国を愛する心」などと書き込めばそれで事足れりと考える政治家のレベルの低さはこっけいです。また、教育基本法の改悪が行われた場合、家庭教育と社会教育の連携と称して各家庭に祭日の日の丸掲揚が強要されることは容易に想像できます。そうなると戦前と同じ、ものを言えない社会の再現になっていく危険性もあり、この改悪には反対するしかありません。
2006年06月19日
中国の南京大学へ出向いて講義を行った関西学院大学教授・村尾信尚氏は、その時の体験を12日の東京新聞「本音のコラム」に書いています; 「そうか、硬座車が普通車で、軟座車がグリーン車か」。車両に記された漢字を見て、新たな発見をしたような気分になった。三時間あまり列車に揺られただろうか。中国は上海から鉄道で南京に入った。6月1日、南京大学で日本の環境行政について、南京師範大学で日本の財政政策について、学生に講義。講義の後は、学生や先生と一緒に食事をした。 翌日は、「南京大虐殺記念館」に行った。多くの中国人入館者にまじり、説明を日本語で聞くのは私一人。私を無言で見つめる彼らの視線は冷たく鋭かった。遺骨の前で静かに敬礼する若い兵士の姿が今でも目に焼きついている。今回の南京行きは、中国の知人にお願いをし、学術交流の一環として実現した。たった四日間の中国訪問だったが、私にはとても重い四日間だった。中国の反日教育について意見があるのなら、先ずは自ら現地に行って、自分の肌でその空気に触れなければならない。そして、体当たりで学生や市民と話をし、今の生の日本人を知ってもらうほかない。 「私のおじいさんは日本軍に殺され、子供の頃から日本人は悪いと教えられてきた。しかし、今日村尾先生と話をして、今の日本人は昔の日本軍とは違うかもしれないと感じた」。南京の人たちとの対話のなかでこの言葉を聞いたとき、また南京に来ようと思った。次は一人でなく、もっと多くの日本人を連れて。2006年6月12日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-南京へ」から引用南京大虐殺というと、そんなものは無かったとか国共内戦の犠牲者を日本軍のせいにしたものだとか、いまだにそういう愚かなことを言う者がいるが、学問の世界では既に「南京大虐殺虚構論」は破綻したといわれている。そんなことはどうでもいいが、地理的にも近い日中両国民はお互いの正しい認識を深めて、豊かな未来を築くべきだと思う。
2006年06月18日
憲法とともに、わが国の戦後民主主義を支えてきた「教育基本法」について、高橋庄太郎氏は11日の朝日新聞に次のような文章を寄稿しています; 人間で言えば還暦に近い教育基本法。前文と計11の条文からなる短い法律だが、戦後の教育界で格別の重みを持ってきた。たとえば教員採用試験では、「教職教養」の一つとして、教育基本法の知識をはかる問題がよく出される。志願者は必死に覚えて試験に臨む。 「ノートに書き写し、何十回も繰り返し読んだ。最後には全文をそらで言えるほどになった」と小学校の先生が約20年前の日々を振り返る。 採用時、一人ひとりに、「教育基本法の本旨を体して仕事に当たる」という宣誓書を書かせる教育委員会もある。 教育基本法は、法律の形をとった一種の「教育宣言」として登場した。そのころ、熊本の学校で教師生活のスタートを切った丸木政臣さん(元和光学園園長)が職員室のできごとを書いている。 職員会議で校長が教育基本法の講義をした。格調高い前文を声に出して読み進むうちに、その声は嗚咽に変わり、講義が中断した。教え子を戦場に送った自分に民主主義や平和を語る資格があるのか? 嗚咽の理由を校長はそう説明した(岩波ブックレット「あの『青空』をふたたび」)。 お国のための教育から、子どものための教育へ。戦後、百八十度転換した理念と枠組みを支える上で教育基本法の役割は大きかった。だからこそ「教職教養」として重んじられてきたのだろう。 制定以来、初めて手を加える教育基本法改正案が国会に出されたが、会期の都合で継続審議になるという。この法律がなぜ生まれたのか。「水入り」になれば、改めて原点を見つめたい。2006年6月11日 朝日新聞朝刊 12版 33ページ「あんてな-『子どものため』に転じた証」から引用戦前の教育は国家権力に都合のいい人間を育成するのが目的であったため、国は進む道を誤りその挙げ句に敗戦という結果になりました。その反省として、現在の教育基本法は教育への政治権力の介入を禁じています。それを改悪しようとするのは、「反省」が足りないということです。
2006年06月17日
私たちの憲法は、信教の自由を保障しています。この保障が完全なものであるためには、目の前で直ちに「信教の自由」が侵害される場合でなくても、こんなことを続けているとそのうちヤバいことになるぞ、という危険性も排除されなくてなりません。そのために、憲法第20条第3項には、つぎのように書かれています。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。ところで、「首相」が国の機関であることを否定する人はいないでしょう。また、神社へ出かけて神様を拝むという行為を、宗教的活動ではないと言う人がいたら、その人は日本語を理解しないと考えるほかありません。したがって、首相が神社を参拝することは憲法に違反するということになります。このような考え方は、私だけのユニークな考えではありません。裁判所の憲法判断も同じような内容になっています。 1991年1月10日、仙台高裁は天皇・首相の「公式参拝」などを違憲とする判断を示しました。これは、まず靖国神社は憲法上の明確な宗教団体であると認定した上で、靖国神社は宗教施設ではないとする靖国神社側の非宗教論を否定しました。次に、参拝は、靖国神社の祭神への拝礼という宗教的行為であると認定しました。参拝者が、たとえ主観的には戦没者追悼の目的を持っていたとしても、また正式な作法ではない「一礼」方式であっても、客観的には参拝の宗教性は排除できないと明確にいい切ったのです。したがって、天皇や首相の「公式参拝」は、公的資格で宗教団体の靖国神社に参拝するのであるから、宗教との関わり合いを持つ、と判断したのです。ですから、このような意味を持つ「公式参拝」が実現すれば、国またはその機関が靖国神社を特別視することになります。他の宗教団体より優越的な地位を与えているとの印象を社会一般に与えて、靖国神社に特定の関心をよび起こし、国の非宗教性・宗教的中立性を没却する恐れが極めて大きい。特に天皇の「公式参拝」が行われれば、政教分離との関係では首相のそれとは比較にならないほど国家社会に大きな影響を与えると断定したのです。 以上のような判断を示した上、判決は天皇・首相の「公式参拝」は「憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為である」と結論づけたのです。また玉串料などへの公金支出についても「公式参拝」とほぼ同じ論理構成で違憲、違法と結論づけました。これにより1992年9月、天皇・首相の靖国神社「公式参拝」は違憲であると判断した仙台高裁の判決が確定したわけです。山下恒著「すっきりわかる『靖国神社』問題」(小学館)268ページから引用このように、小泉首相の靖国神社参拝が直ちに国民に神道を押しつけて「信教の自由」を奪うものではないにしても、それでもなお、小泉首相の靖国参拝は憲法に違反するということになるわけです。
2006年06月16日
十分な議論をする時間が無いため継続審議になる見通しの「教育基本法改悪」について、東京新聞コラム「政理整頓」は次のように論評しています; これらの答弁、ごく常識的で当たり前に聞こえるのは、正常か、それとも異常か。 小泉首相 「(愛国心を)評価するのは難しい。こういう項目は(評価基準に)持たなくていいのではないか。小学生に愛国心があるかどうか評価する必要はない」 小坂文部科学相 「総理が愛国心を評価すべきでないとおっしゃるのは、その通り。(子どもの)内心に立ち入って愛国心の強さをABC評価するなど、とんでもない」 幕切れへわずかな日数を残すだけの国会で進む教育基本法改正論議。通信簿の項目に「愛国」の度合いを掲げる学校があることを野党に指摘されて、首相らが答えた。 文教行政を担当する責任者が「とんでもない」と言っている。が、この通信簿問題ははたして、学習指導要領をはじめとして愛国心教育を推奨してきた文教行政と、無縁であるのかどうか。 仮に例外的な行き過ぎであったにせよ、それにブレーキをかけなかった責任の所在はどこに求められるべきか。 論議の舞台になっている衆院の特別委員会はメンバー45人。委員長の森山真弓氏も含め、うち十人が自民党中心の文相経験者だ。森喜朗、海部俊樹、町村信孝、鳩山邦夫・・・といった人たち。大物文教族として、過去と現在に責任を負う立場にある。 文相をすると皆さん、教育基本法がなぜか大嫌いになるようで、それぞれ愛国心を称揚する「変えろ」派。森山氏は「議論すればするほど教育基本法を何とかしなくてはという結論になる」などとホームページに書いている。 何人かの文相OBは首相に直談判して、この国会の会期を大幅延長して改正法を成立させるよう求めた。「この機を逃せばもうできない」と迫ったOBもいたそうである。首相は取り付く島もなかったようではある。 不登校やいじめの原因が基本法にあるわけではないと、小坂文相は言っている。OBたちも同様の見解ではないかと推察する。法を変えたところで、事態は変わらないだろうとみんなが思っている。 秋田の男児殺害もまた、子どもの命や心が危険にさらされる社会病理をうかがわす。ここでバタバタと法改正へ走るだけでは、教育の規範など語れまい。2006年6月6日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「政理整頓-自ら省みて規範を語れ」から引用教育の現場で何が行われているのか知りもしないで、野党から指摘されて「愛国心の強さをABC評価するなど、とんでもない」などと言う文部科学相とは何なのか。責任の所在を明らかにするべきだ。歴代文科相経験者もしょせんは教育の素人にすぎない。こういう者たちには、そもそもの現行「教育基本法」の意義を先ず学ばせる必要があるのではないか。
2006年06月15日
外務大臣を務める麻生太郎氏は、自らの外交活動を通じて国際社会の常識を身につけたようで、靖国神社参拝の問題についても国際的な視野から見た問題点に気づき始めたらしい。5日の東京新聞は、次のように書いています; 靖国問題でどういう立場を取ればいいのか-。麻生太郎外相がその位置取りに腐心している。先の日中外相会談で自身の靖国参拝見送りを示唆して関係改善の糸口を見いだし、9月の自民党総裁選に向けて得点を稼いだが、中国の圧力に屈したような印象が強まれば「弱腰」との批判を浴びかねない。 5月23日にカタール・ドーハで開かれた日中外相会談で、麻生氏は自分の参拝について「個人の信条と公的な立場を踏まえて、適切に判断する」と表明。「適切に判断する」とだけした従来より、慎重さを前面に出した。 中国側は「麻生外相は中日関係の改善と発展に必要な、大事な仲間だ」(劉建超報道局長)と高く評価した。 麻生氏は外相就任後、小泉首相の靖国参拝を積極的に評価。「中国が言えば言うだけ、(靖国に)行かざるを得ないことになる」と刺激的な発言を連発していた。 だが、最近は解決策に力点を置く。中国が批判するA級戦犯の合祀について「国家の英霊を祭るという大事なことを、一宗教法人に任せているところに問題がある」と指摘。分祀できるよう、靖国神社の法人格を見直すことをほのめかす。 総裁選は、参拝慎重派の福田康夫元官房長官の支持率が急上昇し、積極派の安倍晋三官房長官を追い上げている。麻生氏が慎重姿勢に重心を移したのは、こうした世論の動向を考慮したとみられる。 ただ、麻生氏は小学生の時、靖国神社を訪れて以来、頻繁に参拝を続けていると公言。参拝積極派と見られてきただけに、慎重派の色合いが強まれば、自民党内の対中強硬派の支持が逃げるジレンマを抱えている。2006年6月5日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「対中改善か『弱腰』回避か」から引用靖国神社参拝を控えることを「中国の圧力」などと表現するのが間違いの始まりです。元々は、日本の首相の靖国参拝が、中国の国民感情を傷つけ、それを放置すると自分たちの立場が危うくなるから自重してほしいというのが中国政府の言い分ではないでしょうか。中国政府がそう言わざるを得ないような歴史が、日本と中国の間にあったわけで、我が国と中国はそういう関係なのですから、この問題については我が国政府の配慮が必要であることは言うまでもありません。
2006年06月14日
自民党・与謝野議員は4日、岐阜市内で講演しA級戦犯の分祀について発言したと5日の東京新聞が報道しています; 与謝野馨金融・経済財政担当相は4日、岐阜市内で講演し、靖国神社におけるA級戦犯の分祀論について「昔は皇族や政治家、遺族、一般国民が何のためらいもなく参拝できた。その状態に戻すかどうかは靖国神社の自主的な判断を待つしかない」と述べ、同神社が自発的な判断で分祀することに期待感を示した。 与謝野氏は「『宗教法人だから国の干渉は受けない』『国の唯一の慰霊施設』という二つの主張が同時に成り立つのか」と疑問も呈した。2006年6月5日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「A級戦犯の文祀 神社が自発的に」から引用A級戦犯の分祀を政府が命令したり指示したりということは、明らかに政治が宗教に介入することで「政教分離」に反すると言えます。しかし、遺族会の要望や信者の声、議員連盟の意見など、広く世間の議論を踏まえて靖国神社が自主的に判断し分祀を行うのであれば、何の問題もありません。それでこそ靖国神社も我が国のメジャーな神社になれるというものでしょう。
2006年06月13日
日韓両国が領有権を主張している竹島問題について、科学ジャーナリストの柴田鉄治氏は「南極条約」が解決のヒントになると、5月31日の朝日新聞に書いています; 国際紛争の中で、領土問題ほどやっかいなものはない。ナショナリズムを刺激し、国民感情を熱くするからだ。竹島(韓国名・独島)問題のような、日韓両国間に突き刺さった「トゲ」を、なんとか抜く方法はないものだろうか。 どんな解決案も、両国の「愛国的な人々」から、袋だたきに遭うのが落ちだと言われている。それを承知で、あえて提案したい。 竹島問題の解決に「南極条約の知恵」を活用できないだろうかという考えだ。 61年に発効した南極条約は、南極大陸に領土権を主張していた7カ国の主張を凍結し、「人類の共有財産として学術観測の場」にしようというものだった。 南極条約が生まれたきっかけは、厳しい冷戦下、互いに相手側が南極に軍事基地を造るのではないかという疑心暗鬼からだった。動機は不純でも、出来上がったものは素晴らしかった。 国境もなければ軍事基地もない、環境を守りながら各国が科学観測に協力し合うという、地球上で唯一の「人類の理想を実現した地」が誕生したのだ。 私もかつて南極の各国の基地を歴訪したことがある。今年も日本の観測隊に同行し、初の日独共同観測などを目のあたりにした。南極がパスポートもビザもいらない、国境も軍事基地もない「平和の地」であることを改めて実感した。 「南極は極寒の地だから実現できた」と評する人もいるだろう。竹島には複雑な歴史的経緯もあれば、漁業権などの現実の利害もからむので、そう簡単にはいかないことも確かだろう。 しかし、南極でも領土権を主張する7カ国のうち英国、アルゼンチン、チリの主張地域は重なり合っていた。条約制定前には、互いに旗を奪い合ったり、「南極ベビー」を産んで領土権をアピールしたりもした。条約発効後も鉱物資源をめぐって、一時「生臭い風」が吹いたこともあった。 南極条約は、領土権主張国の言い分を「領土権を放棄するのではなく、一時凍結するだけだ」という形で抑え込んでいる。そして30年後の改定期まで凍結が継続したことで、人類の共有財産化が事実上実現した。 この知恵を日韓両国も活用するのだ。30年でも50年でも期限をつけて、領土権の主張を凍結し、その間に周辺の海も含め事実上の共有化を進めていくわけだ。 日本は戦前、白瀬隊の探検を根拠に、南極に領土請求権があると主張していたが、戦後の講和条約でいち早く放棄し、南極条約の制定にひと役買っている。 この実績を背景に、日韓両国民に誠実に冷静に訴えかけていけば、案外、道は開けるかもしれない。 南極条約の「人類の共有財産」という考え方は、宇宙・天体条約や海洋法条約にも引き継がれている。 人類と地球の未来を考える時、「国境の敷居を低くする」ことこそ、真の「未来志向」だ。日韓両国が世界の先頭に立って、その新しい道を切り開いたら、どんなにうれしいことか。2006年5月31日 朝日新聞朝刊 12版N 12ページ「私の視点-竹島問題解決に南極条約の知恵を」から引用私は以前から「竹島」は「日韓友好の島」にするのが理想的な問題解決であると考えておりましたが、それを具体的に実現する方向性を「南極条約」は暗示していると思います。人類の英知に期待したいと思います。
2006年06月12日
植民地時代に日本人が朝鮮から持ち出した史料を、このたび韓国へ返還することになったと、5月31日の朝日新聞が報道しています; 東京大学は、付属図書館に所蔵している朝鮮王朝の業績を記録した「朝鮮王朝実録」を、ソウル大学に寄贈することを決めた。両大学が31日発表する。日本人が植民地時代に朝鮮から持ち込んだ史料で、韓国の文化財専門家や国会議員らが「略奪された」として返還を求めていた。東大側は「学術交流を進めるため寄贈が望ましい」としている。 4セット現存するとされる朝鮮王朝実録のうち、東大が所蔵するのは「五台山本」と呼ばれるセットの一部47冊。東大によると、東洋史学者の故白鳥庫吉氏が朝鮮から持ち出し、1912年に同図書館の蔵書となったという記述が、当時の学術雑誌にある。だが、関東大震災で大半が焼失、偶然持ち出されていた74冊が焼け残った。 このうち27冊は1932年に当時の京城帝大に移され、韓国では国宝に指定。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記録遺産にもなっている。東大図書館は47冊を貴重本に指定してきた。解説・朝鮮王朝実録14世紀から19世紀までの国王25代の業績を王の死後に官吏がまとめた王朝の公式記録。災害などによる消失をおそれて複数つくり、朝鮮各地の寺などに分散して保管されていた。東大に一部ある「五台山本」以外に韓国に2セットあり、北朝鮮にも1セットあるとみられている。2006年5月31日 朝日新聞朝刊 14版 34ページ14世紀というと日本列島は鎌倉幕府が滅亡し足利氏が天下を取った頃ですが、その頃朝鮮半島には王朝が存在し後生に残る記録を作製していたとは、なかなか歴史のロマンを感じさせます。
2006年06月11日
埼玉県の一部の公立小学校では通知表に生徒の「愛国心」を評価する欄があるそうで、知事自身は「愛国心」は評価になじまないと認識していると、(5月)31日の東京新聞が報道しています; 上田清司埼玉県知事は(5月)30日の定例会見で、同県内の一部公立小学校の6年生の通知表で取り入れられている愛国心の評価について「市(町村)の教育委員会で決めたことなので知事としては何もできませんが」と前置きした上で「自分が教師なら、愛国心を五段階評価しろと言われても困る。(関心とか意欲とか)点数がつけにくくて、全員にCならC、BならBをつけちゃう」と話し、評価になじまないという認識を示した。2006年5月31日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「自分が教師なら愛国心評価困る」から引用上田知事の上記の発言は極めて常識的だと思います。生徒の愛国心を評価しろなどと言われている先生たちは気の毒だし、「キミは愛国心が足りない」と評価された子はどんな気持ちになるのか、教育的配慮がまったく感じられません。こういう下らないことを思いついた教育委員会の考えを聞いてみたいものです。ちなみに、数年前に福岡県の一部でも同じ試みがありましたが、父母の猛烈な反対で頓挫したという経緯があります。
2006年06月10日
古賀元幹事長は都内で開かれた会合で挨拶し、日本遺族会もA級戦犯の分祀について議論すべきであると語ったことが、5月31日の東京新聞に報道されました。記事は次のように述べています; 日本遺族会会長の古賀誠・自民党元幹事長は(5月)30日、都内で開かれた遺族会理事会・評議会であいさつし、靖国神社に合祀されているA級戦犯について「個人的には分祀した方がいいのではないかとの意見を持っている。できれば今後、遺族会として議論してもらうとありがたい」と提案した。 これに対し、出席者からは「避けて通らずに議論すべきだ」「靖国神社側が分祀できないと言っており、議論は必要ない」などと賛否両論が出された。このため、この日の会合では「A級戦犯の扱いについては靖国神社が決めることであり、遺族会は関知しないとの従来の見解に変更はなかった」(尾辻秀久副会長)としている。2006年5月31日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「A級戦犯の分祀論『遺族会も議論を』」から引用合祀か分祀か、決めるのは靖国神社であるというのはその通りですが、しかし、氏子のみなさんには、国際問題になっていることも考慮して、自分たちが信奉する神社がこのままで良いのかどうか、考えていただき又議論していただくことは必要なことだと私は思います。
2006年06月09日
私が教育基本法改悪に反対する理由は、これまでこの基本法を変えようとして来た人たちの主張が間違っていると考えるからです。自民党の中で最も熱心に教育基本法改悪を主張してきた森喜朗氏は、2001年に発表した「教育基本法改正へ5つの提言」の中で、我が国国会が1948年に排除・失効を決議した教育勅語を肯定する考えを表明しています。教育勅語は、子どもに「いざというときは国に身を捧げるべきだ」と教え込むもので、侵略戦争遂行の道具立ての一つであったことを反省して、国会において排除・失効となったものです。このようなものを評価する人々によって教育基本法が変えられるということは、教育勅語の方向へ近づくことになるので、私は反対です。この辺のところを、5月28日の「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように解説しています; (前略) その森派が2001年に発表したのが『教育基本法改正へ5つの提言』です。 これがすごい内容です。「教育勅語が謳うあげている『目指すべき教育のあり方』が、けっして間違ったものではなかった」「かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指す」と主張しています。 1890年に発布された教育勅語は、戦前、天皇がその家来である臣民(国民)に、こういう道徳を持てと指示したものでした。最も大事な徳目は、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。つまり「万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ」(1930年の文部省図書局の全文通釈)ということで、天皇のために命を差し出すことをうたっていました。 戦後、衆参両院は、この教育勅語について「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」(1948年6月19日、衆院決議)と、排除・失効を決議しました。 現在の教育基本法は、教育勅語が、国民を侵略戦争に動員する道具となったことへの反省の上に立って制定されました。「教育の目的」は「人格の完成」としました。市民道徳や真の愛国心も、「人格の完成」をめざす教育の自主的な営みを通じてつちかわれるべきものとなりました。 この教育基本法をいま全面的につくり変え、教育勅語のように愛国心をおしつける--。それは「海外で戦争をする国」をつくろうとする憲法九条改悪と一体であり、その「愛国心」は「戦争をする国」に忠誠を誓え、というものです。2005年5月28日 「しんぶん赤旗」日曜版 17ページ「一緒に考える教育基本法」から引用結局、いま教育基本法を変えようとする勢力は、何か教育上問題があって、それが今の教育基本法に原因があるから変えるべきだというのではなくて、将来憲法を改悪して軍隊を世界中のどこへでも派遣するようになったとき、兵隊の補充に事欠かないように、今から国民を「国のために命を差し出す」ように仕込んでおこうという、こういう邪悪な魂胆によっていることを、我々は見抜くべきだと思います。
2006年06月08日
ジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所所長ケント・ガルダー氏は、朝日新聞のインタビューの続きで次のように述べています;--米国人の目に歴史問題はどう映りますか。 「現在のところ積極的な反発を呼ぶようなことはありませんが、日本のイメージを傷つけたり、信頼性を低下させたりする可能性があります。90年代の終わりから、日米安保の協力関係が進み、特に同時多発テロ以後は、日本のインド洋への護衛艦派遣などが高く評価され、米国では日本は本当の同盟国になったという見方が出ています。私も、小泉政権の下での日米同盟の深化を高く評価しています。ところが、そこにこの靖国神社の問題が出てくると、米国民の間に、日本は理解できない国だという印象を生むのです」 --理解できないとは。 「靖国神社の歴史解釈は、第二次世界大戦における日本の立場を正当化し、美化しているものではないでしょうか。米国内でこれがはっきりとした問題になれば、かつて日本と戦った米国人には、この歴史観は受け入れにくい。異なった歴史解釈の上に、安定した同盟関係を築くのはむつかしいでしょう。この問題が顕在化して、多くの米国人が靖国神社を知るようになると、日米関係の障害となりかねません」 --日本とアジア諸国との関係がぎくしゃくしても、日本には日米同盟があるから大丈夫という声がありますが。 「それはどうでしょうか。もちろん日米同盟はそれ自体で価値のあるものです。しかし、歴史問題のために、日本が米国としか話ができないということになると、米国にとって日本の意義はかなり小さくなります。大事なのは、韓国や東南アジアを含め、アジア全体できちんとした日本が果たすことです。中国の力が大きくなると、そういったアジアの国々が重要になってくる。彼らもまた歴史問題に影響されます」 --歴史問題は日中関係にとどまらず、日本外交全体に影響を与えるというわけですね。 「日本は中国に対する影響力を失っているため、ロシアや東南アジア、他の地域に対する日本の影響力も低下しています。外交とはそういうものです。日本が米国にしか頼れないとなると、日本の米国に対する発言力すら低下します。ひとつの選択肢しか持たない国は、意見を尊重されなくなる可能性がある。現実主義者ならだれでもわかることでしょう」--歴史問題は微妙です。かつて戦った国民同士が、歴史観を共有できますか。 「それは確かに難しい。だが、歴史問題で相手をわざわざ挑発することはないでしょう。日米はかつて敵国同士でした。両国民は自分の国を信じて戦いました。そのことは国民として当然だと思います。私の父といとこは、真珠湾で戦死しました。しかし、私たちは今日、過去を過去として乗り越えねばならないのです。かつて、95年ですが、当時のモンデール駐日大使が東京大空襲の記念式典に出たことがありました」--当時の新聞にも出ていましたね。大使はどんな考えで何をされたのですか。 「大使は後ろのほうで黙って座っていました。出席は、大使の判断による個人的な非公式行動です。でも、犠牲者の遺族には気持ちが通じたのではないでしょうか。政府の公式的立場をそこなわない範囲で、できることはあるのです。そういうやり方で、彼は空襲の犠牲者に配慮を示しました」 --今後は、歴史問題にはどのような取り組みが必要だと思いますか。 「米国が公式に直接、この問題に介入するべきではありません。むしろ、政府ではない民間レベルで協議することが望ましい。それも多国間の枠組みでやるべきです。日米中の3カ国だけでなく、多くの国、たとえば、カナダやスゥエーデン、ドイツなどの善意の第三国、さらには歴史問題に直接かかわりのないアジアの他の国などが加わることが望ましいと思います」2006年5月4日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「歴史と向き合う-『靖国』米国はどう見ますか」から引用歴史問題でわざわざ相手を挑発することはないだろう、という指摘はごく当たり前の常識です。この常識を欠いた人物を首相に選んだのが間違いの始まりだったと思います。
2006年06月07日
米国の外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」で日中関係の今後を論じたジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所所長ケント・ガルダー氏は、朝日新聞のインタビューに応えて、次のように述べています; --歴史問題をどうとらえていますか。 「死者の追悼は日本の国内問題で、どのように追悼するかは日本人だけがきめることだ。ただし、その権利を行使するにあたって、外交的配慮をすることが重要でしょう。本来は外国人である私は発言すべきではないかもしれません。しかし、歴史問題は日本の外交的立場を弱め、それは米国にとっても影響を与えかねません。私が論じるのは、外交問題としての側面です」 「何人かの保守政治家が言うように、靖国参拝は政治問題化してはいけないと思う。中国がこの問題で日本に指図するのはおかしい。しかし、残念なことに、現実には首相が参拝し続ける限り、政治争点であり続けるのです」 --靖国参拝は、中国に屈するなという文脈で語られています。 「靖国参拝が、日本の中国に対する強い姿勢を象徴するようになったのは、非常に不幸なことだと思っています。いま、東アジアは戦略的な過渡期にある。日本は中国から大きな挑戦を受けている。東アジアにおける領土や資源をめぐる地政学的な挑戦です。本来は歴史とは別の問題なのに、日本が靖国問題などで中国を刺激したので両者が結びついた側面があります」 --そのことが、日本外交にとってはどんな意味を持ちますか。 「日本にとっては不利な状況になっています。日中の競争は、日本がもっと道徳的な高みに立てる分野でやるべきです。国際世論の戦いで日本が負ける可能性のある歴史問題をわざわざ持ち出すことはない。日本は、核不拡散や環境問題への取り組み、政府の途上国援助など、誇るべき戦後の資産がある。中国に対しても、日米が協力して中国のエネルギー効率を高めるということをすべきでしょう」 「ところが、歴史問題はこうした戦後日本が築き上げた肯定的なイメージを損なっている。国連安全保障理事会の常任理事国入り問題でも、日本の扱いはフェアでないと思う。日本は責任ある地位を与えられるべきです。だが、歴史問題を抱える限り、現実にはむつかしくなるのではないでしょうか」2006年5月4日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「歴史と向き合う-『靖国』米国はどう見ますか」から引用第三者の目でクールに分析していることがわかります。また、自覚の足りない首相の行動によっていかに国益が損なわれているか、私たちはよく考えなければなりません。
2006年06月06日
先頃、我が国政府の招待で中国から約200人の高校生が日本にやってきました。そのことについて、5月29日の東京新聞は次のような解説をしています; 政府の招きで中国の高校生約200人が来日、名古屋市、三重、滋賀県などを訪れました。若者たちに日本を理解してもらう「21世紀交流事業」の一環で民間交流の拡大が本格化しました。 「ホームステイが日本を理解する一番良い方法かもしれませんね」。皇太子殿下は19日、中国の高校生代表30人を東宮御所に招き親しく懇談されました。高校生たちは「日本のことはテレビなどでしか知りませんでした」と実際の日本を見た感激を口々に語っていました。 これは中国の高校生約1100人を本年度中に招き10日間程度滞在させ、一般家庭への1日ホームステイや各地の高校訪問などを通じ日本を体験してもらう事業です。第一陣として約200人が16日から24日まで来日。東京から2グループに分かれ中部や関西地方を訪問し各地の高校で授業やクラブ活動を経験、同世代の若者と交流しました。中国側も今年から同じぐらいの日本の高校生を招待する事業をスタートさせます。 日中関係は歴史問題をめぐる政府の対立から、相手の国に対する国民感情が悪化しています。3年前には日本人留学生が西安の大学で演じた下品な寸劇がきっかけになり、侮辱されたと感じた中国の学生たちが大規模な「反日」騒乱を起こすなど若者が当事者になるトラブルも増えています。背景には日本の若者は過去の歴史をよく知らず、中国の若者も平和国家となった戦後日本の姿を理解していないことがあります。 若者たちをはじめ双方の人々が相手の実際の姿を知ることが国民感情の緩和に必要です。政府は今年から百億円の「日中21世紀基金」を設立、長期間、若者を招く事業をはじめ、民間の交流ネットワークや中国国内の交流拠点づくりへの支援も始めます。しかし、政府主導の事業には限界が付きまといます。経済や文化など各界の人々が中心になり、さまざまな交流を広げることが欠かせません。2006年5月29日 東京新聞朝刊 10ページ「本格化する日中民間交流」から引用このような事業の積み重ねによって若者の間に相互理解が深まるように期待します。
2006年06月05日
本格的な論戦が始まった衆議院教育基本法特別委員会では、5月24日と25日に日本共産党の志位和夫委員長が質問に立ち、極めて重大な問題点を指摘しました。今日の「しんぶん赤旗」日曜版で、志位委員長はインタビューに応えて次のように述べています;--国会論戦のポイントをお聞きします。志位 政府・与党の教育基本法改悪案には、憲法にまっこうから反する二つの大問題があります。それが2回の国会質疑で明らかになったと思います。 第1は、「国を愛する態度」をはじめ、20に及ぶ「徳目」を「教育の目標」として列挙し、その「達成」を義務付けるという、新しい異常な条項が入ってきたという問題です。これでは特定の価値観が子どもたちに強制され、憲法19条が保障する思想・良心・内心の自由に反することになるではないか-そこから質問を始めました。 これにたいし、小泉首相は「内心の自由を侵害するものではない」と答弁しました。そこで私は、「それではこれはなんですか」と福岡市の小学校で2002年度に使われていた「通信表」を示し、その写しを手渡しました。「国を愛する心情」などの項目について、ABCで評価するものです。 そうしたら首相は評価項目を読み上げたうえで、「これは評価することが難しい」「あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないか」と答弁したのです。 これは重大な答弁です。というのは、これは、福岡市の教育委員会や学校が勝手にやったことではありません。2002年度の文科省の学習指導要領のなかに「国を愛する心情を育てるようにする」と書いてあるから、「愛国心」を評価する「通信表」が出てきたのです。「通信表」での評価が「難しい」というなら、号令をかけた学習指導要領が間違いだということになる。 さらに、今度の改悪法案に書き込まれた20項目におよぶ「徳目」は、学習指導要領に入っているものを、法律に「格上げ」しようというものです。評価は「難しい」といいながら、法案に書き込むことは大きな自己矛盾になります。 「愛国心通信表」をきっかけに、学習指導要領の非合理性が明らかになり、それを法律に「格上げ」する法改悪が、重大な破たんに直面しているのです。--なるほど。首相答弁を受けて、小坂文科相も「愛国心をABCで評価するなんてとんでもない」と翌々日の委員会で答弁しました。 志位 私の質問をきっかけに、全国各地で「愛国心通信表」が使われていることが明らかになりつつあります。埼玉県では県教育局が把握しているだけで52の小学校が「愛国心通信表」を実施していることがわかりました。岩手、茨城、愛知などでも使われていた。質問をきっかけに、埼玉県騎西町や岩手県大船渡市などで「愛国心通信表」を見直す動きが出ています。首相が「難しい」といったのだから、こういうやり方は、あらためさせていくことが大切ですね。--もう一つの憲法違反の問題については・・・。志位 国家が、教育内容・方法に無制限に介入することが許されるのかという問題です。改悪案は、現行教育基本法第10条にある「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」から、「国民全体に対し直接責任を負って」を削除してしまいました。 現行法でいう「不当な支配」というのは、主として国家権力の支配です。戦前の「教育勅語」を中心とした軍国主義の教育が、教え子を戦場に追いやった反省から、国家権力が教育への「不当な支配」をしてはならない、と明記されたのです。そして「不当な支配」を排除することを保障するために、後段に「国民全体に対し直接に責任を負う」ことが明記されました。 「間接責任」ではなく「直接責任」というところが大事です。子どもや父母、そして国民全体に「直接責任」を負うということです。これも戦前への反省から生まれた。つまり、国家権力が何をいおうと、教育は人間の内面にかかわる営みであり、教育に携わる者の良心と自主性にもとづいて、国民に「直接責任」を負わないといけない。「上からいわれたから」ということで責任をまぬがれることはできないということです。 改悪案は、この教育基本法の「命」ともいえる重要な条文をすっかり変えて、国が、教育内容に対して無制限の介入ができるようにしているのではないか。私が追及した第2の論点は、この問題でした。 --この問題で、政府は、学力テスト裁判の最高裁判決(76年)を持ち出して正当化していますね。志位 政府は、この最高裁判決をひいて、あたかも政府が教育内容に全面的に介入できるかのような主張の「根拠」に使っています。しかし、判決をよく読むとそんな曲解は成り立ちません。この判決には、私たちが容認できない弱点もありますが、政府の見解は最高裁判決にてらしても、とうてい成り立つものではないのです。 とくにこの最高裁判決で、日本国憲法のもとでの国家と教育の関係を論じ“政治は政党政治のもとで多数決原理で決まるものだが、教育は人間の内面的価値にかかわる文化的営みだ。だから教育内容に対する国家的介入はできるだけ抑制的でなければならない”とのべていることは重要です。 私は、特別委員会での2回目の質問のさい、判決の中に「国家的介入は抑制的」と書いていることは間違いないか、とただしました。文科相も「書いてあります」と認めました。それでは基本法改悪案のなかに、国家的介入を抑制する条項はどこにあるかと尋ねました。しかし文科相は、答弁につまってしまい、抑制する条項を示せませんでした。 こうして、この法案が、国家が教育内容に無制限に介入できるものとなっていることが、明りょうとなりました。これは教育の自主性、自立性、自由を保障した憲法に反するものであり、「国家的介入は抑制的」であるべきとした最高裁判決にも反するものです。 政府の法案は、第1に、憲法19条が保障した内心の自由に反し、第2に、憲法の人権諸条項が要請する教育の自由にも反する。憲法への背反が二重にはっきりしました。憲法とのかかわりで二重の破たんがあらわになった。それが論戦の到達点です。2006年6月4日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「教育基本法改悪 憲法違反の2つの大問題」から引用私たちは何故、教育基本法の改悪に反対しなければならないか、この記事でわかると言うものです。それにしても、詭弁を弄してでも改悪を実行しようとする政府・与党と文部科学省の職員は、恥を知るべきだ。
2006年06月04日
戦後60年間、わが国政府が曖昧にしてきた歴史認識について、これではいけないということで、けじめを付けようとする動きが出てきました。5月24日の東京新聞は次のように報道しています; 民主、共産、社民の野党三党の有志議員は23日、中国、韓国との関係悪化の要因ともなっている太平洋戦争の歴史認識に関し、真相の解明に取り組むため、国立国会図書館内に「恒久平和調査局」を設置する国立国会図書館改正法案を衆院に提出した。 法案を提出したのは、民主党の鳩山由紀夫幹事長、共産党の石井郁子副委員長、社民党の辻元清美衆院議員ら。いずれも超党派でつくる「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」(鳩山会長)のメンバー。自民、公明両党議員は提出者に加わらなかった。 設置する同調査局では(1)開戦に至る経緯(2)強制連行の実態(3)従軍慰安婦の実態-などを調査し、結果を国会に報告する。戦争被害の実態を明らかにすることで、戦争の惨禍を次世代に伝え、アジア諸国をはじめ、他国との信頼関係を築くことを目指す。 同法改正案の提出は4度目で、過去3回いずれも廃案になっている。2006年5月24日 東京新聞朝刊 2ページ「歴史認識の調査局設置法案を提出」から引用本来は、侵略戦争を心底反省して再出発した日本であれば、今頃こういうことには成っていなかったはずですが、不幸なことに侵略戦争を遂行した人々の極一部が国際裁判で処刑されただけで、大部分がそのまま戦後の政治を担当したため、反省を怠り、その結果、今頃こういう法案を提出しなけらばならない羽目になりました。この「負の遺産」を我々の子孫に残さないように、我々の世代で解決するべきだと思います。
2006年06月03日
今月中に、国立戦没者追悼施設に関する中間報告が出る見通しであると、5月26日の東京新聞が報道しました; 新たな国立戦没者追悼施設の在り方を検討する自民、公明、民社の三党の有志による超党派議員連盟「国立追悼施設を考える会」は25日、会合を開き、国会会期末の6月18日までに、中間報告を取りまとめることを決めた。2006年5月26日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「18日までに取りまとめ」から引用どのような報告になるか分かりませんが、是非、前向きで積極的な報告にしていただきたいと思います。
2006年06月02日
最近の考古学調査によって、正倉院に保管されている華厳経が古代朝鮮半島で写経された物である可能性が高くなったと、24日の東京新聞が報道しています; 奈良・正倉院の宝物「大方広仏華厳経」は、統一新羅の時代(677~935年)に朝鮮半島で写経した可能性が高いことが分かり、宮内庁正倉院事務所が23日、発表した。 調査した山本信吉・元奈良国立博物館長(古代史)によると、新羅は日本と交流、金属製品が正倉院に残るなど文化的影響が大きい。朝鮮半島で盛んだった華厳経は日本に伝わり、東大寺建立にもつながるが、新羅時代の写経は日本で未確認だった。 朝鮮半島に現存する最古の写経とされる韓国の国宝「新羅白紙墨書大方広仏華厳経」(755年)とほぼ同時期で、筆遣いの特徴から、さらに古い可能性もあるという。 55枚の紙をつなぎ合わせ幅26センチ、長さ30,8メートル。コウゾでつくった白い紙は、当時の日本に使用例がなかった。 力強い楷書(かいしょ)は日本の官立写経所で写した経に見られない筆遣いで、端正な鋭い線は新羅の特徴を伝え、中国・唐(618~907年)前期の影響をうかがわせるという。2006年5月24日 東京新聞朝刊 12版 29ページ「正倉院の華厳経 朝鮮半島最古級?」から引用このように、わが国は2千年も前から中国文明の下に発展してきたわけですから、つい最近の不幸な歴史は早く克服して、近隣諸国と共に、さらに豊かな未来を志向したいものです。
2006年06月01日
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