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30日の朝日朝刊を肌が凍りつくような思いで読んだ。米軍再編中間報告である。米軍再編は世界情勢の変化に対応して行われるものであるが、それはドイツなどEU内の米軍を大幅に減らす一方、アジアの方に集中強化する方針である。沖縄から後方部隊を7千人グアムなどに撤退させる代償に自衛隊との一体化をますます強化し、日米軍事同盟をつくりあげる魂胆である。撤退費用まで日本が持つ。必要ならいつでも米軍は増員できる言質までとってある。テレビなどでまたぞろ森本氏などの元外務省OBがのさばり出て、中国の軍事力に対抗する抑止力云々、座間の米陸軍司令部の進出を米軍のさらなる前方展開でラッキーなどと言っているが、これで日清戦争まえの状況になってきた。当時の清国は日本が明治維新以降軍事力を強化し始めたのでこわくなって、定遠、鎮遠など3隻の軍艦を急遽イギリスから買ってバランス・オブ・パワーを実現しようとしたが、日本もそれに対抗して軍備を強化し、ついに戦争になった。中国が台湾進攻をはじめたら、米軍との衝突が起こるのは避けられない。自衛隊も米日一体になって戦争に巻き込まれる。中国のミサイルはアメリカ東海岸にとどくかとどかないかだが、日本なら集中ねらいうちできる。アメリカは自国の防衛のために日本を利用しているだけだが、日本は危険にまるごとさらされる。今度は郵政民営化どころではなく、日本人の命にかかわる問題である。一方で自民党の憲法草案は9条維持などをうたっているが、ごまかしではないか。実際は日米軍事同盟、集団自衛権がそれより先にすすんでいる。アメリカ側は軍事のプロがどんどん進めて来るが、戦争プロの論理にこちらの政治家、官僚は対抗できないだろう。軍事をできるだけ無効にする外交もからきしだめである。そもそも安保条約は日本が単独講和を急いだために、ソ連との間に無講和状態つまり戦争終結がない状態が残ったので、北海道にソ連が侵攻してくるのではないかという恐れが生じた。アメリカ側は日本の再軍備をダレスが進めさせようとしたが、吉田首相は、当時の状況からして日本人が再軍備を認めるわけがないとして、それに反対し、その代案としてアメリカに守ってもらおうとして日本の土地にアメリカ軍の基地を貸し、日本が費用を負担する安保条約を内緒でごく結んだ。これは名案として考えられた。誰にも知らせず、ごく少数の側近しか知らなかった。宮沢元首相の回顧録にそう書いてある。このことが今につながっている。日本の官僚の責任上いちばん彼らが心配するのは防衛であるが、一番彼らにとって安心できるのは、アメリカの軍事力によって日本の安全を保つことである。それでこのことを言い出されると、アメリカのいいなりになってしまう。イラクから自衛隊を引き揚げよと主張する社民党から共産党までが日本からアメリカ軍は引き揚げよとは言わない不思議。平和憲法を死守せよといいながら、アメリカ軍がいつまでも日本を占領している事実をみてみないふりをしている不思議。日米軍事同盟がすすむことに黙っている不思議。いったいどうなっているのか。日本人は金縛りにあった状態だ。日本はアジアに近接しているという立場を利用すれば、アメリカに対してきる外交カードはいくらでもあるのに、無能な外務官僚はそういうことに頭がまわらない。
2005/10/30
1週間ほど北京、天津を旅した。9年ぶりの北京はオリンピックを控えて高層住宅や大ホテルがどんどん建設中で、道路の渋滞がひどかった。9年という月日の経過をつくづく感じた。北京の昔住んでいた家の地所もレストランに変わっていた。しかし、すこし奥に行くと昔のままの胡堂がまだ残っていた。天津は8か国の租界があったところで、ヨーロッパ風の銀行、事務所、住宅がたくさん残っている。老朽化のひどいものは壊しているが、がっしりした石づくりの建物は歴史遺産として保存をきめたようで、元イギリス租界の由緒ある銀行や会社などの歴史的な遺産にはきちんと説明のプレートが貼られていた。私の育った元日本租界の家や小学校などを見た。その後引っ越した元イギリス租界の家は建てかえられていてとうとう見つけることができなかった。天津日本中学時代の友人でロシアのエカテリンブルグからやってきたボリス・カラエフ氏の育った家は破壊作業が進行中で、彼はやっと残骸の中から過去の片鱗をみつけて感慨無量といった様子だった。オリンピックのサッカーほか数種目は天津で行われる予定で、猛烈な工事がすすんでいた。同じく中学時代の先輩である金山氏は南開大学の客員教授をしていて、彼の手引きで天津理工大と南開大学で知的生産の技術、KJ法、図解についての講演を始めて中国語で行った。なんとか理解されたようで、2,3人の熱心な生徒にぜひ詳しく教えてくれといわれ、来年を約した。ちょうど神州6号の宇宙飛行士が帰ってきて歓迎ムードであったが、同じ日に小泉首相の靖国神社参拝のニュースが報じられた。南開大学の学長や教授たちとの会食のときに、その話になった。日本人は全部あれに賛成なのかという質問が出た。また小泉氏の後に安部内閣ができることをものすごく心配していた。私は今回も北京で資料をしこたま買ったが、近代史、現代史の棚をみるとやはり相当な冊数がいわゆる日本人からみたら“反日”といえる本で占められている。中国人はしつこく歴史の記録を残す民族である。南開大学は日本軍が爆撃して破壊し、その後、昆明に避難し、その後に私たちの日本中学が残った校舎の一部を修理して入っていたが、南開大学80周年史の編纂のために8年間の日本占領時代の空白部分を埋めたいという先生からくわしく当時のことを聞かれた。このようなこと全部を含めて中国人の日本に対する関心度は異常といっていいほど高い。一種の恐怖心が伴っている。日本ほど深く彼らの国の歴史にくいこんだ国はないからである。アメリカについてはほとんど敵愾心や関心はないと言っていい。つまり日本人が日米が一体となって中国に当たるというような感覚は、日本の官僚や一部の評論家が日本が丸腰でいることの不安からそういう条件づけをしている部分が大きく、中国人はアメリカとはうまくやれるという自信をもっているようである。
2005/10/22
戦前戦時中私がいた天津には日本人が約8万、北京には約10万人がいた。このうち約半分は日本国籍をもつ。朝鮮半島の人であった。当時は日本、朝鮮、台湾、満州、中国の日本占領地域は円ブロックに入れられ、日本が供給する物資は常に足りなかったので、実勢価格は大陸側は日本より2倍から3倍高く、したがって今、中国人が日本に着て一生懸命働いて数年で200万か300万円貯めて帰れば豪勢な家が買えるのと同じように、これと逆の現象があったので、日本から大陸に出稼ぎに行って、日本で家を買うという人が多かった。だからよからぬ人もたいへん多かった。そういう人はアヘンを仕入れてきて小さな部屋で麻薬をつくってもうけていた。日本租界は麻薬は解禁されていたので、中国が禁止していたアヘンを吸いたい中国人は日本租界にやってきた。これ以外にもやくざ集団が密輸出入をやるのはおおっぴらで毎晩のように天津の花柳界はにぎわっていた。しかし、まじめで立派な日本人もいたわけである。一般的に言うと朝鮮出身の子どもたちを教えていた学校の先生たちは差別なく献身的だった。私の父などはその口に入ると思う。アメリカから経済封鎖されていよいよ海外から食糧が入らなくなると、父は天津百万の市民の食糧統制会社の長になり、軍納の食糧以外は日本人にも中国人にも公平に配給しようとし、日本人はコメ以外にトウモロコシ、コウリャンも食べるよう指導したが、さんざん恨まれて社内の不逞な者による横流しが横行した。朝鮮半島出身の人は日本人からも差別されていた。昭和14、5年になると、中国から接収した紡績工場や新しい鉄道網の経営のため、たくさんの経営者や労働者が日本からやってきた。このひとたちは安全な日本租界に住みたがるが、空き家がないので、中国人や朝鮮の人の住所立ち退き強要問題が起こった。やくざまがいの人がやってきてわずかな金で退去を迫り、隣に李さんは日本国防婦人会の副団長をしていたほどの人で、親戚同然のつきあいをしていたが、ここにも退去が強要されたので、父は骨を折ってなんとか解決した。あれやこれやで父のところに日本側のいじめにあって助けを求めてくる中国人がずいぶん増えた。父の会社もとうとう占領地域の地主から小麦や雑穀をあつめることができなくなって行き詰まり、軍が力によって地主から略奪同然の価格で買収してくる以外になくいなった。みな中共軍の方に流れてしまうからであった。仕事がなくなってからの父はわびしく、とうとう引き揚げ寸前に母とほとんど一緒に死んでしまった。戦後、私は中国関係の資料を調べているうちに目ずらしく中国人が日本人を感謝している記事に出合った。日本人のやくざが中国人商店街に出没してはゆすりたかりをくりかえし、被害がはなはだしいので、小さな商店街でさえ、用心棒をやとって置いていたが、その用心棒もまた日本人やくざか大陸浪人というような人たちであった。その中のある人はひがな一日アヘンを飲んでいるような人であったが、この人はやくざが来ると凄みをきかせて追い払い、この人のおかげで周辺一帯の商店街は被害をまぬかれた。終戦になりこの人が引き揚げるときに中国側商人は感謝のしるしとしてかなりの謝礼を申し出たが、この人は受け取らなかった。私はこの記事を日本語に訳してその人の遺族を訪ねて渡したところ、あのおとうちゃんはどうにもならないやくざ者と嘆いていた遺族たちは泣いて喜んだ。もうひとつの挿話をあげると、私たちが有蓋貨車につめこまれて北京からタンクウに引き揚げで移動したとき、夜中に途中の田舎でストップさせられた。中国軍がやってきて全員から腕時計を巻き上げた。それから1貨車から女を一人づつ出せ、出さないと貨車は出さぬということになった。それで貨車の中は大騒ぎになり、リーダー役の人がある若い女性に土下座してなんとかこの場を救ってくださいと懇願し始めた。すると、すっくと立ち上がった女性がいてタンカを切り始めた。なんと言ったかは正確にはおぼえていないが、素人の娘を出すとは何事か、恥を知れ、私はクロウトだからかまわないよと言って出て行ったのである。こうして貨車はゴトンと音を立ててうごきだしたのである。 さて何をいいたいのかというと、戦時中はあれほど団結していた日本人が敗戦になると一気崩れて会社の財産を売り飛ばしたり、蜘蛛の子を散らすように我先に人を国に帰ろうとする阿修羅のようになった極限状況にあっても、普通はどちらかというと、下に見ていたこういう日本人の中にもこうした立派な人がいたということである。国際間で信頼を受けるのは無私の個人の行いのみが評価される。その集積が国の評価になる。これしかない。自分の国の国権拡張や富国強兵に尽くした英雄とか偉人はその国の人には自慢になるが、グローバルな世界では決してよく思われない。フランス人がナポレオンを持ち出したらしらけるだけであろう。『国民の歴史』の中で西尾幹二氏は豊臣秀吉が大陸制覇を考えていた英雄として褒め称えているが、このように何事もアグレッシブに考えたがるのが、海洋国、特に島国的根性の日本人のうらがえしである。こんなことを言って何になるのか。韓国人や中国人が聞いたらそれだけでケチョンケチョンであろう。なんとグローバル感覚が欠如していることか。
2005/10/13
この前、アジア人を蔑視する一部の日本人のことを書いたが、それを特に感じたのは十年以上も前に朝鮮半島出身の老女の数人が日本政府を相手取り損害賠償を求めたときである。この老女たちは最初は挺身隊として日本軍に徴用されたが、中国の戦地に送られて慰安婦にされ、毎日、数十人の兵隊を相手にさせられて、体も人生もめちゃめちゃにされたという訴えであった。この訴えは却下された。理由は日本政府の一部である軍がそういう慰安婦を徴用することなどはありえないということであった。この問題ですさまじい非情さを示したのは、テレビに出てくる評論家たちで、まるで不潔で忌まわしいものにさわるような形で老女たちを非難した。そのときの新聞記事に慰安婦だったという一人の老女は毎日50人もの兵隊を相手したが、日本兵そのものへは憎悪は今でも感じていない。そのなかに恋愛した兵隊がいて、戦争が終わったら結婚しようねと言い合っていたが、その兵隊からはその後音沙汰がなくなりおそらくは南方に回されて戦死してしまったのだろうという話がのっていた。私は子供時代天津で育ち、終戦は北京で迎えたが、当時の見聞を回想すると、天津の日本租界や北京にはすごい数のいわゆる水商売の女性たちがいた。九州や関西から集まり、若い兵隊や軍属、華北交通など中国から接収した工場で働いていた独身者たちの相手をしていた。そういう売春宿はピーヤと呼ばれ、兵隊たちはいつもそういうところで遊んだ話を面白そうにしていた。日本軍が駐屯していたどんな奥地にも茶屋ができて、兵隊たちを慰安する女性たちがいたことが除隊してきた人の話でわかった。しかし内地人(つまり日本列島)の女性は絶対数がたりず、圧倒的多数の女性が朝鮮半島出身者だった。彼女たちは和服を着て日本式の髪型をしていて、日本語もできたから(当時は朝鮮の人たちは日本国籍で日本語を教育されていた)外見は日本人と変わらなかった。こういう女性は軍と関係の深い業者の施設で売春をさせられていたのだろうと思うが、ここで重大な指摘をしたいと思う。中国大陸にいた百万の陸軍、軍施設、鉄道現場で働いていた多くの軍属に対してはロジェスティックスつまり弾薬、食糧、医薬品、馬秣などが補給されるが、唯一欠けているのがSEXであった。世界のどこでもそうである。そこで戦地では常にレイプ事件が多発する。20代、30代の男性であるから当然性欲をおさえられずに住民を襲う事件が起こる。ヨーロッパ戦線でも各地ですさまじいレイプ事件が起きている。世界の軍隊でこの問題を解決したところはないし、この問題を研究した学者もいない。したがって日本軍が慰安婦を利用したのは十分理由のあることである。この問題に日本政府が敏感であったことは米軍が進駐してきたとき、いち早く業者を集めて慰安所を開設させたことでもわかる。満州ではソ連兵による日本人女性へのレイプ事件がすさまじかったが、同じように日本における米兵によるレイプ事件も多発した。しかし、こういう報道はいっさいGHQにより禁止されていた。したがって慰安婦は必要悪の存在で決して非難嫌悪する対象ではない。朝鮮半島の女性が中国大陸その他でこの役割をしたことは日本軍に貢献したのであって、評論家たちが示した嫌悪感は無理解にもとづくものである。貧苦のために出稼ぎしていたこういう女性たちにはもっと同情的な配慮が必要であると思う。
2005/10/09
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