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ノコリへのライバル心から水浴びを始めたオッキ 年寄りの冷や水と言えば、あの怜悧な直江兼続を、何だかよくわからないフニャラけた男に描いているNHKの大河ドラマ『天地人』が、まったく触れていない前田慶次を思い出す。この人、加賀百万石の前田利家の甥だが、ずいぶんと自由奔放だったらしく、お堅い叔父の小言に我慢ならず、ある時自宅に招いて、欺いて真冬の水風呂に叔父を放り込んで出奔したそうで、その後上杉に仕えて最上氏攻めでも活躍している。 我が家の文鳥オッキは、実は6歳未満でまだ年寄りとは言えないが、行動の不自由さは老体と言って良い。しかし、水風呂には進んで入っていくのだから、なかなか大した女傑と言えるだろう。今日は日々エサを掠め取る大嫌いなノコリがいたので、むきになって水浴び器に入っていた。 もちろん自力で乾かせないので、テッシュペーパーで包んで、しばらく手の中に置いておかねばならない。やはり年寄りの冷や水であろう。
2009年09月30日
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ヒエ好きになったらしいヤッチ 息子のキューは天才だが、父のヤッチは狂気の文鳥だ。心も体も病んでいるようで、いつ何が起きるか、または起こすかわからず、飼い主を緊張させてくれる。初めは素直でかわいい性格だったのに・・・。 そのヤッチが、今日になって何故か国産ヒエに取りつかれた。やたらとそればかり、ムシャムシャモシャモシャ食べている。何につけ狂気に満ちているところが、魅力的ではあるのだが。
2009年09月29日
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キューの営巣 ヘイスケ以来の天才と呼ばれるキューは、実はヘイスケを凌駕している面がある。どちらも巣作りの名匠だが、ヘイスケが何でもかんでも持っていくのに対し、キューにはこだわりがあって、綿ボコリだとか煮干しだとか、そういった飼い主がやめてもらいたいと願うものは使わない。 どちらも長細い新聞紙が大好きだが、一つ一つ大慌てで運んだヘイスケに対し、キューは2つ以上を一度に持っていこうとする。確かに1つより2つ運べた方が効率が良い。当たり前のようだが、必ず2つ持とうと試みる文鳥は、我が家ではキューが初めてだ。 そのキュー様は、昨年あまり巣草(パーム椰子の繊維)を使わず、専らイグサで巣作りしていたが、今年は巣草を多用する方針に変わったようだ。さすが名匠ともなると、シーズンによってトレンドも変えてくるのだろう。飼い主はとても感心するのであった。
2009年09月28日
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夜な夜な浮気オスと戯れるニッキ ニッキは毎夜の放鳥を楽しみにしている。ポン・ラック・デコなどのオスが言い寄ってくれるのを喜んでいるのだ。これを見て、我が家の人間の年寄りが娼婦だと言うので、港のメリー(マリー、ヨコハマメリー)を連想した。 港は横浜港周辺のこと、メリーは顔を真っ白に塗りたくり白いドレスを着た娼婦の成れの果てのことだ。戦後進駐軍相手に娼婦を始め、十数年ほど前まで関内・伊勢佐木町近辺を徘徊し、夜の仕事を継続していた救いがたいホームレスのろくでなしだが、昼間にフラーリ、フラーリと歩いたりベンチにたたずむ風情に、何か哀愁を感じて好意的に受け取る人もいたようだ。好意的な受け止め方は、晩年になるほど、またその死後時間がたつほど強くなっているが、実際のところは、まともな人は完全に無視するか白眼視、小学生は「マリーを探せ!」と好奇心でからかいの対象としていただけで(本当に行ったかは知らないがそういった話題で騒いでいた級友がいたのは事実)、本人は習慣的にホームレス娼婦を続けていただけに過ぎない。いちおう晩年の10年ほどの期間も、頭がまともに動いていたと仮定すれば、特に褒められるべき点も、同情を寄せるべき点もないだろう(嫌な生き方ならとっくの昔にやめていたはずである。ああいった手合いは、娼婦になったきっかけなどを仲間内で記憶を共有するものなので【いいなと思えば自分の体験として、実は違うことすら忘れる】、近づいて話を聞いたところでデタラメが多いものだろうと思う)。 ニッキはまだ若いので、あの老娼婦とは違って元気はつらつだが、私の目にはあの白いドレスも茶けて見えたものだったので、何となくイメージが重なってしまうのであった。老いるまでこの生活を続けるのは、ニッキにとっては願ってもないことのような気もするが、そうはならないように飼い主の側で考えたいところだ。
2009年09月27日
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水浴びするシュー 真面目に抱卵するシューだが、朝と昼の短時間放鳥では普通に出てくる。夜は、カーテンを引いたり掃除をする騒音で飛び出して、水浴びをしたり食い散らかした挙句、掃除が終わるのを見計らって30分未満で帰っていく。立派なものだ。これで夫のラックが途中交代するようになれば完璧なのだが。 そのシューも散々撒き散らしてくれるが、ここ数日水浴びが盛況で、確実に3リットルを消費している。この大入り状態は、秋が深まり涼しくなると治まるのだろうか、・・・2リットル以下にはならないような気がしている。
2009年09月26日
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シューとラックの巣 あのシューが、半ば巣ごもり状態となった。しかし、今シーズンは孵化させる予定はないので、擬卵とすり替えた。7個の卵。すぐに温めにカゴに戻る姿はいじらしいのだが、別段温めた結果、自分の子供が出現するのがわかっていてしている行為ではないので、そこのところは擬人化して誤解しない方が、飼い主の精神衛生上良いかと思う。 巣にある物体を温めなければならない本能で行っているわけだが、この繁殖に関する本能には個体により強弱があり、我が文鳥たちの家系は、この点すこぶる優秀だ。おかげで11代も連綿と続いているのだが、シューもその血を受け継いでいると言えるだろう。ただ、ラックの巣作りの才能は、今ひとつのようだ。 今日、頼んでおいた小粒の青みかん↓が届いた。かなりすっぱいかと思ったが、さわやかな酸味で食用として問題なかった。 文鳥たちにも、みかんを食べてもらって、繁殖期を乗り切ってもらおうと思う。【チビ玉大豊作お御礼祭】★【cg3】チビ玉極早生吉田みかん (訳あり、チビ玉、家庭用) 3kg999円(税別)しかも、農園主からの大ご奉仕!同一お届け先に限り3箱のご注文でもう1箱分(+3kg)おまけ付き【全国どこでも送料無料】
2009年09月25日
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水浴び後に尾脂腺をつまみ身だしなみを整えるノロ シュー・カナ・アイ・エコが抱卵を始め、適当に遊んだ後はカゴに戻るようになった。実に我が家のメス文鳥たちは勤勉だ。 おかげで、放鳥の前半は水浸しの修羅場になるものの、後半は数が減って静かになり、テーブルの上を離れられないオッキやノロがのんびりしやすくなったように思える。例えばノロは、水飲み入れで頭だけ水浴びをして、意気揚々と羽繕いをしていた。まだまだ元気でいてくれそうだ。【バリ絵画の独り言】 ARSANA、RAKA、OKA各画伯の絵はあるので、次の狙いはBAGIA、GAMA両画伯の絵となる。 なお、TEGIG画伯の文鳥の絵は、我が家に飾る適当な場所が物理的になさそうなので、残念ながら購入候補に入れることが出来ず、RAJIG、LABA両画伯の文鳥を主題にした小・中サイズの作品があれば(「Dewa Nyoman Laba」で検索すると、LABA画伯の文鳥絵画を現地でお買い上げになった方が、その絵画をブログで公開されている)、借金をしてでも速攻で買ってしまいそうだが、今のところ見当たらないので、残念かつ安堵しているところだ。 現在いろいろな出費がかさんで動けない状態にあるので(エコポイントの事務処理がとても遅い。おそらくそのうち暴動となるだろう)、とりあえず貯金が肝要である。
2009年09月24日
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繁殖期のメス文鳥の図(アイ) 朝、カナに変化はなくいつもどおり。ただ運動能力は低下しているような気がするので、オスたちに追われないうちに早々に戻した。エサは食べている。先日ゲンの急変があったので、考えすぎているのだろうか。お腹が大きく食欲が旺盛なら、産卵期のいつもの現象とも見なされるのだが、どうもとらえどころがない。 その後も様子をうかがうたびに、デコと並んでケロッとした顔でこちらを見返している。午後の短時間放鳥も朝と同様だ。 やはり気のせいかもしれない。夜の放鳥時も一時間ほどうろついた後、自主的にカゴに帰っていった。今日は開口呼吸なし。何かを食べあさったり、水浴びをしたりしていないのが気になるが、抱卵中は普通のことだ。やはり昨日は、オスたちに終われて息が上がっただけなのだろうか。 どうも自信が持てないが、今のところ要観察程度に止めておくしか無さそうだ。 悪女と呼ばれたカナが比較的に静かな様子だが、それが全体に影響はしていない。昨日も今日も水浴び場はすさまじい水しぶきが飛び散り、2リットルの水が15分で空になった。 また、やはり抱卵中のアイが、こちらは元気はつらつで、いろいろなものをいろいろとむしり取り口にくわえて右往左往していた。多くは煮干しで、これを巣に塗りたくるつもりなのだ。ただ、右往左往するうちにほとんどクチバシから落ちてしまい、アイの企図はあまりうまくいかなかったようだ。 とにかく、少し念入りに掃除して、綿ボコリなどを持ち出させないように気をつけよう。【余談】 母方の従兄弟に子供が生まれたそうで、母が絵を送りたいと殊勝なことを言ってきた。芸術の欠片も理解出来ない老婆が、このような発言をするとは、何とも驚きだ。これは、玄関に飾られているRAKA画伯の作品に感化されたに相違あるまい。実に結構なことだと思う。 しかし、予算が少ないので、額を入れれば50cm超の作品には手が出ないし、そもそも資金が潤沢でも、大きめの絵は他人の家に送るのは考えものだ。その家が手ぜまな場合は飾る場所がないだろうし、もし送った絵がその家族の趣味に合わない場合、無理してスペースを作って飾った絵が大きいほど目障りになってしまう。その点、コンパクトな絵は、玄関の端などにひっそり飾る分には、よほど目立つ絵柄でなければ邪魔にならない。 残念ながら、RAKA画伯やBAGIA画伯の文鳥の絵にコンパクトサイズのものはない。とりあえず、アート・ルキサンさんの小サイズコーナーにある作品から、TEGIG画伯の実にお値打ちな作品を薦め(文鳥愛好者ではないので、文鳥を描いた作品である必要はない)、さらに、それより高いGAMA画伯の「水辺の野鳥」を強く薦めた。強く薦めるどころか、こちらにするなら、両者の差額である新渡戸稲造さん1枚は、自分が出すとまで申し出たのであった。 「水辺の野鳥」、なぜこの作品が福沢諭吉さん1枚で買えてしまうのかと、常々不思議に思っていた作品だ。機会があれば自分で買おうと決めていたので、絵を見る目など節穴以外ではない従兄弟何ぞにはもったいなかったが、子供(女の子)がいる家庭にはカラフルな小鳥も描かれている、くっきりしながらシンプルなデザインのこの作品、ディズニーアニメのセル画的な雰囲気をもつこの作品がピッタリだ、という自分自身の論理的帰結に抗うことが出来なかった。口惜しいことだ。 そこで早速注文したのだが(オマケしてもらいました)、しかし、作品の画像を改めて見れば見るほどもったいない気分がしてきた。やはりこの絵は、芸術を見る目があることにしてしまっている『俺様』の手元にこそ置くべきではなかったか?まぁ、もしかしたら22世紀まで生き続けるかもしれぬその子供が(そう考えると有り難いような、空恐ろしいような・・・)、少しは絵を見る目のある人間に育ってくれたら万々歳なのだろうが・・・、親がその前に売り払わないとも限らないし・・・。「他に売るなら俺に売れ!」、と会った時に言っておこう(転売してみろ、ぶん殴ってやるぞ!)。
2009年09月23日
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煮干しを食べるシュー 2、3日前から産卵の微妙な気配が見受けられたシューは、箱巣を確認したところ、すでに3個産卵をしていた。安産な体質なのだろう、今日も動きには何の変化も見られなかった。 産卵が重たくなる体質の場合、初卵が一番心配になるものだが、顔色も変えないシューは頼もしい。 一方、悪女と呼ばれて久しいカナの体調が怪しい。血色も毛艶も変わりないが、何となく痩せて見え、オスに追われて開口呼吸するシーンが見受けられる。他の文鳥を追い払うなどの態度はいつもどおりだが、食欲があまりないような気配だ。 浮気ばかりしていたので、オスたちに付けねらわれやすく、逃げ飛ぶ必要がある。そのような時は肩で息をするので、いつものことと言えばそうなのだが、何となく不安なものを覚える。 取り越し苦労であって欲しいところだ。
2009年09月22日
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『育て親』に乗るノコリ カナが少々疲れているように見えること以外は、今のところ異常なし。まずは産卵初期を無事に乗り切ってもらいたい。 クチバシやアイリングも赤く色づき、すっかりおとなの姿となったノコリだが(胴体の毛艶だけがおとなでない)、まだメス文鳥を追い掛け回すようなことはしていない。 従って好みは明確ではないが、今のところ、少し関心を示したように見えたのが桜文鳥のアイと白文鳥のメイだ。・・・特に外見のこだわりはないのかもしれないが、シナモン文鳥には興味がないようだ。ニッキにはまるで近づかないのだ。 とりあえず、飼い主を「恋ビト」として、しばらく生活してもらいたいと思っている。
2009年09月21日
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文鳥夫婦水浴びの図(アイ・ポン、脚はノコリ) 8月のカレンダーをめくった時に、やたら赤い数字が続いていてびっくりしたくらいに、連休とは無関係な飼い主だが(その代わり細々と時間単位でサボれる)、文鳥たちも、人間社会の連休など無関係だ。 日々に巣作りにいそしみ、煮干しを持っていくことも多くなり、メス、特にカナとシューが砕いたカトルボーンをバリボリと食べている。・・・もう産卵を始めているか、明日にも産卵する気に相違ない。 抱卵までは問題無しのアトも、しっかり巣作りしているようだ(もっとも巣材を入れては出ししているだけかもしれない)。今シーズンは育雛をするか、期待したい。
2009年09月20日
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朝、昨日まで異常がなかったクチナシの若芽に虫食いを見つけました。即座に点検し、小指の先程度の幼虫を駆除していったところ、10匹近くにもなりました。さらに葉の表裏に産み付けられた7、8個の卵も発見したので駆除しました。 まだいるはずなので、時折目を皿のようにする必要がありそうです。 オオスカシバの幼虫と卵
2009年09月20日
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初みかんに喜ぶデコとアイ 漢字で書いたら温州蜜柑である。たんに「みかん」とすると、数多ある蜜柑科の果実(柑橘類)すべてを指す場合があるので、昔からコタツには欠かせない、外皮も簡単にむけるあれは、温州(ウンシュウ)と付けた方が正確な表現となる。 食品成分データベースで調べるとしたら、「果実類/うんしゅうみかん/砂じょう/早生、生」となる。果実部分だけの場合は「砂じょう」と言うらしく、人間なら食べた方が良いはずのあの果肉の周りの袋(じょうのう)を、文鳥は普通食べないので、こちらを検索することになるだろう。 見ればわかるが(あんなもの見慣れないとわからないか・・・)、果肉だけでも、ビタミンA、C、葉酸を多く含み、実にありがたい存在だ。 河内晩柑でお世話になっている愛媛県の温州みかんは、まだすっぱさが多すぎる段階らしいので、あと1、2週間は晩柑の在庫(冷蔵庫保存中)でしのごうと考えていたのだが、ネットスーパーに「沖縄など国内産 極早生みかん(Sサイズ)10個入298円」とあったので購入した。沖縄でみかん?と思ったら、実際は宮崎産であった。宮崎県、日向の国南部、略して日南は暖かく、みかんも愛媛より少し早く出来るのだろう。うかつにもそれに気づかなかったが、ネットでもすでに売られていた↓。 文鳥たちは、今シーズン初の温州みかんに喜び、特に果汁を吸うのが好きなデコは、大喜びで、普段にはない積極的な動きを見せていた。晩柑は主に飼い主が頂き、文鳥たちには主に温州みかんを食べさせた方が良いだろう。在庫を持たせようと晩柑は思うさま食べられなかった飼い主にとっても喜ばしい。【送料無料】南国宮崎の日南極早生みかん3kgいよいよ最速出荷開始!甘さと酸味の絶妙なバランス!今年は、極早生みかんといっても甘さがのってます!美味しさがぎゅっと詰まった大人気の小粒サイズでお届けします♪【激安】【家庭用】【小粒サイズ】【宮崎みかん】
2009年09月19日
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2世が期待されるアト・メイ 基本的に今年は繁殖させず、卵の回収業者に徹する必要があるのだが、別枠で考えなければならない夫婦の存在を思い出した。アトとメイだ。 昨年一羽孵化したのだが、巣の外に放り捨てられてしまい、その後無精卵が続き、春を前に産卵しなくなってしまった夫婦だ。従って、今シーズン産卵するかどうか、有精卵があるかどうか、育雛するかどうか、いずれも怪しい。しかし、この夫婦の子は白文鳥になる可能性が高いはずで、数十年ぶりに白文鳥のヒナを育てたい願望を持つ飼い主には、得がたいチャンスなのである。 白文鳥で、母に似た愛らしいメスの手乗り文鳥になって、ノコリと夫婦になる・・・、これが見果てぬ夢だ。夢には違いないが、育てば、そうなる可能は十分にあるはずだ!が、得てして父のアトに似たあばた顔の桜文鳥的なオスが生まれてきてくれるのだよなぁ・・・。 どうなるかわからないが、この夫婦に限り繁殖の機会を与え、今年も育雛せず、その後有精卵があれば、他の夫婦に抱卵・育雛てもらうようにしよう。いちおう、そのように考えておきたい。
2009年09月18日
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特に文句もないらしいキュー様 キューは4歳手前だが、おそらく爪を切ったことがない。それが、徐々に徐々に伸び、今夜は「エンガチョ」をするように、前指の外側の一本が中央の一本に絡んでいる瞬間があった。ここまで伸びると、いろいろなものに引っかかりやすくなるので、早速爪を切ることにした。 初めて保定され暴れるのではないか、それよりも尊敬する天才キュー様にしばらく嫌われてしまうのではないか、と大いに心配したが、電気を消せば簡単につかまったし、保定中は暴れなかったし(人差し指と中指で目を隠す少し特殊な保定をしている。不安定になるのでお薦め出来ないが、布をかぶせるなどするのが面倒なのでこのようにしている)、爪切り後も特に何もなかったような顔をしていた。やはり、彼は賢い文鳥だと、さらに尊敬を篤くしたのであった。
2009年09月17日
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晩柑を食べるオッキ 通常なら、まだ寒さ対策を考えることはないが、今年はオッキがいるので、万全の用意が必要と考えている。今のうちにいろいろシミュレーションしておいた方が良いだろう。 ただ、オッキ自身は元気で、ゆっくりした換羽も終盤になり、羽毛は密になった。そして何より声が大きい。オスのさえずりや飼い主の口笛に反応し、メス的な「チッ!」「チュッ!」といった鋭い鳴き声を盛んに発する。 一冬越せば、春にはさらに元気になると考えておきたい。 考えてみれば、オスのヤッチとメスのニッキが一羽暮らしをしており、この両者が同居すれば万々歳のはずであった。しかし、ヤッチは「精神を病んでいる」気難しい文鳥で、さらに若いのに運動能力が低下しており、おまけに好みは濃い桜文鳥で、ニッキの存在など気づいていないのではないかというくらいだ。 同居はをさせると、悲惨なことになりそうなので、やはりここは波風を立てずに一羽暮らしをさせ、ニッキには適当に夜の放鳥時間に遊んでもらうことにしよう。 イブ・マキもシュー・ラックも、ともに晩秋くらいには産卵・育雛を目指せる気配だが、今年は基本的に見送る予定だ。卵査察が大変なことになりそうだが、とにかく今シーズンも大きな産卵障害が起きないように、今から祈っておこう。
2009年09月16日
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民主党の鳩山さんが総理大臣閣下になり、自民党の麻生さんが影響力ゼロの政治家の一人になった。はっきり言えばどちらの人物も嫌いだが、無責任だった鳩山さんは、君子が豹変し、地位が人を作って変ることを期待したい。 麻生さんは、もうどうでも良いのだが、返す返すも負けっぷりが悪い人であった。都議選で大惨敗した時に結果は見えていたはずで、あの時点で衆議院選も負けることを前提に動くべきなのに、それは負けても首班指名選挙に名前を書ける人間を総裁にしなければならないということに他ならないにもかかわらず、両議員総会を流し、総選挙に持ち込み、代わりのやっつけ集会では仕込んだ連中に予定調和の発言をさせて居座った(麻生さんを励ましていたあの議員どもはどうなったのかね?)。挙句に馬鹿なコマーシャルで揺り返し票まで手放し大敗して、名前を書いてもらえず、総裁を辞任するのだから目も当てられない。救いは、あの時離党も出来ないくせに口ばかりで混乱させた軽薄輩も、選挙で負ければ維持した体制など吹き飛ぶことすらわからない頑迷なジジイどもなどなどの愚かな連中が、当然の苦杯をなめて、「ザマーミロ!」と思えた点のみだ。 このように書くと思う様けなしているようだが、これでも遠慮している。なぜならどちらにもごく微弱な個人的な縁を感じているのだ。鳩山家は私が6年通った大学の創設に関わっており、首相閣下は教鞭をとっていた時期もある。一方の麻生さんの母方の祖父である吉田茂は、近所の小学校の卒業生で、近くの寺の開創にかかわった吉田茂の養父のお墓は、目の前の道を行った先で、ワンマン総理も墓参にリムジンに乗って通ったそうだ。・・・といった余計なことを知っていると、あまり悪くも書きたくなくなるのである。だから、「まあ、せいぜい頑張ってください」(これは至極名言だな)。 それはさておき、昨夜NHKで放映された『爆笑問題のニッポンの教養』という番組の話だ。 これは漫才コンビ『爆笑問題』のお二人が科学の第一線で活躍する研究者を訪ねる番組で、私は見たことがなかったのだが、文鳥を使った実験をされている慶応大学の渡辺茂教授の元を訪れるというので、楽しみに拝見したのであった。 いろいろな実験は面白かったし、野生の文鳥らしき映像があって興味深かった。しかし、最後の座談の内容にはがっかりさせられた。語るのが身上の『爆笑問題』の太田光氏が、「動物はなぜ死を認識しないのか?」にこだわり、それに対して違和感を繰り返し表明しているのに、げんなりさせられたのだ。 渡辺教授も、進化の中で死を考えることが有利ではなかった、といった趣旨のご返答をされていたが、生きることだけに集中しなければならない動物が、死を認識し恐れて生きていけるだろうか。いけないので、考えないようになるべきで、それ自体は合理的なだけであり、良いも悪いもない。 太田氏の発言を聞いていると、その疑問の背景には、法廷で被害者に対する気持ちを尋ねられた土浦で連続殺傷事件を起こした出来損ないの発言があるようだ。「ライオンがシマウマを食べる時、ライオンはシマウマに何か感じるでしょうか?」といったものだが、太田氏の鋭い感性は、この発言から人間は他の死を思いやれるのに、動物が他の死を思いやることが出来ないのはなぜか、といった疑問に行き当たり、さらに考えを進めて、近くで仲間の死を目撃しているはずの野生動物が、それについて何とも思わないらしい点を、不思議以上に気味悪いものを感じるに至っているようだ。 しかし、そこに考えを止めず、自然の生き物が仲間の誰かが死んでしまった時に、なぜ死について考えなければならないのか。と問い返すべきで、そうすれば、死を考えることが、自分自身が生き伸びるという生物にとっての大命題に、何の利益ももたらさないことくらいは気づくはずであった。そして、なぜ自他の死を考えない自然の動物は普通なら仲間を殺さないのに、自他の死を十分に考えられる人間だったはずの出来損ないが、それを平然とやってのけるのか。これこそ究明すべき人間性の謎だと気づくのではなかろうか。 この日彼が見たはずの生物心理学は、認識しない動物に対し、認識する人間があれば、その違いはどこにあってどのように生じるのか、つまりは、人間の特異性を究明する学問のはずだった。それにもかかわらず、「人間はなぜ死を認識するのか?動物との違いはどこにあるのか?」ではなく、「動物はなぜ死を認識しないのか?」などと質問を発するのは、的外れと言うしかない。彼が学生なら、おそらく落第は必至と思われる。 「ライオンがシマウマを食べる時、ライオンはシマウマに何か感じるでしょうか?」、なぜライオンではない人間が、このようなことが言えるだろうか。自分は人間として、他の人間との協力が無ければ有り得ない社会、当然ながら相手を突然襲ったりしない規律を持って保たれているその社会で、ぬくぬくと人間の姿で成長しておきながら、突然にサバンナでもない街中でライオンを気取ることに矛盾を感じないのは、たんなる社会に対する甘えであり、論理的崩壊すら自覚できない知能の欠落を示すに過ぎない。 捕食動物が自分が生きるために獲物を狩る時に何の感傷も持たないのと(感傷を持つ個体と感傷を持たない個体がいたとして、どちらが狩りがうまく生き延びる可能性が強いであろうか?)、人間である両親から生まれた人間であることすら忘れ、自分は社会的平和の中で成長したという事実も自覚せず、その社会で昨日の自分同様に平和に暮らす、同じ生物種に属し、社会を共にし、コミュニケーションすら取りあえる仲間を殺すのに、一体どのような共通性があるだろうか。 太田氏は、もしかしたら出来損ないの弱いおつむがひねり出した屁理屈を真に受け、無差別殺人の背景に自他の死に対する認識の欠落にあると感じ、それは人間以外の動物性への回帰ではないかといった疑念を持っているのかもしれない。確かに、自他の死の認識の欠落が無ければ、あのような身勝手なだけの振る舞いは出来ないが、それは動物性への回帰では有り得ない。当然食べ物ではない、自分に危害を加えない仲間を殺すような動物は、基本的に人間だけである以上、それは人間の特異性から生じていると考えるしかないのである。 人間以外の動物が死を認識しないのは必然で、不思議でも無ければ不気味でもない。不思議で不気味なのは、他の死を認識できるはずが殺人をする人間という動物だ。その原因が個人にあるにせよ、社会にもあるにせよ、それは完全無欠に人間性という化け物のなせる技であると認識すべきであろう。違和感を感じるなら、人の人らしい部分で、人の人らしい部分が明らかになるように、研究者たちには頑張ってもらいたいものだ。
2009年09月16日
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「ちんくしゃ顔」のミナ ミナは禿げた状態から立ち直り、顔がチンクシャで愛らしい。・・・と、さてチンクシャと言う表現は正しいのだろうか?頭が平たくクチバシが小さい文鳥のことを「ちんくしゃ顔」だと、かなり良い意味で使っているのだが、改めて辞書で「ちんくしゃ」を調べるとこうある。 『大辞泉』・・・狆(ちん)のように目・鼻・口が中央に集まった、くしゃっとした顔。一説に、狆がくしゃみをしたような顔とも。容貌が醜いこと。 『大辞林』・・・狆がくしゃみをしたような顔の意。鼻が低く、くしゃくしゃとした感じの顔。また、そのような顔の人。 『大辞泉』の目鼻口が中央に集まるでは、昔の「くしゃおじさん」で、個人的なイメージとは違うなあ。しかも「容貌が醜い」と言われると、何となく腹が立つし。一方『大辞林』の「鼻が低く」を、文鳥に置き換えればクチバシが小さいと言うことになるだろうから、これなら個人的なイメージに齟齬は無さそうだ。 まあ、ミナは文鳥の、愛らしい「ちんくしゃ顔」で良いことにしよう。【余談】 バリアート。RAKA画伯とBAGIA画伯の文鳥の姿が似ているという話があり、改めて見ると確かにシルエットに共通するものがあるのに気づいた。それで、さらに改めてRAKA画伯のプロフィールを見たら、BAGIA画伯の叔父にあたられるとのことで、それで画風に共通点があるのかと納得したのであった。 私は文鳥の絵姿を、全体よりパーツで見ているらしく(実物でもそうで、「チンクシャだ」と思ったりして喜ぶ)、両者の表現は初めから別物に見えていた。RAKA氏のかわいらしい表情と、BAGIA氏のひょうきんな表情、そして、脚・指やお腹の彩色などにも違いがあり、それらに無意識のうちに注目して区別しているようだ。 個人的には、「文鳥とヤマネコ」で描かれたBAGIA氏の文鳥、そのクチバシが分厚くアイリングがしっかりした文鳥の表情と(我が家では亡くなったキタやオッキ・カエ・イブ)、脚・指がしっかり正確にそして少々デフォルメされて描かれている姿が、まさにストライクであった。その画伯独特の表現による文鳥を主題とした絵画が今回多かったのは、何ともうれしいところだ。
2009年09月15日
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トウモロコシを食べる文鳥夫婦(ポン・アイ) 文鳥たちの過半は、巣材のいぐさをせっせと運んでいる。ただ、運んでは出してしまう者が多く、しっかり巣作りできているのかは疑問だ。 夜はトウモロコシを食べ散らし元気そのものだ。飼い主にとっては面倒な季節が始まったと言うことだろう。しっかりしたいところだ。【余談のはずの本題】 芸術の秋。バリアートの専門店アート・ルキサンさんが、現地での買い付け旅行から戻られ、実に頭の下がる勤勉さで、休みなく新作の画像を公開されているので、近日中に日本にもたらされるそれら新作の画像を見て楽しんでいた。 まず文鳥ではないが、LABA画伯の『オームと葡萄の木』に魅かれた。ただ、描かれている鳥は、 正確には「オーム」=オウムではなく、ナナクサインコだろう。雌雄で姿が変る鳥ではないはずなので、手前は幼鳥だろうか。成鳥の厳しい表情と幼鳥のやさしい表情の対比、手前に来るほど明るい色使いとなり、暗い奥のぶどうがそれでも立体的に見える描写力、大したものだ。 そして文鳥。TEGIG画伯待望の『文鳥とピンクのプルメリア』は、期待を裏切らない秀作だ。少し遠目に見ると、落ち着いた背景から青みの文鳥の姿と赤みの花びらが飛び込んでくる印象的な作品になるのではなかろうか。引いて見て良し、近寄って見ても良しだろう。 文鳥の表情の描写が、個人的な嗜好に最も合っているBAGIA画伯の作品3点も、すべて秀作と言えるだろう。特に横長の『文鳥とラン』は、左右で陽と陰が明確に表現される構図で、とても芸術性が高い作品だと思う。 プンゴセカンの文鳥と言えばRAKA画伯で、今回も現在まで3点が紹介されている。大きな変化は無いが、『文鳥とプルメリア』のクチバシを開けてさえずっているらしい姿や、『文鳥と野生ラン』のかがんだ姿など、表現がより多彩になっているようだ。定番的表現を踏まえつつ、それにとどまらないところに、画伯の創作意欲が感じられよう。その点、大きな方の『文鳥とプルメリア』は、遠近取り混ぜての文鳥の姿一つ一つの表現や姿勢のみでなく、全体の構成の変化を模索しているようにも思われる(渦巻きのように、中心の奥に周辺が引っ張られるような構図だろうか?うがって見すぎか?)。 と言ったところで、まだ後から出てくるのかな?それも楽しみにしよう。
2009年09月14日
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地味マキと天才イブ 新しい学年が始まる時、真面目な教師は、これから受け持つ生徒たちの顔と名前を覚えようと努力する。そして、いい加減な教師はこう言うのである。 「先生に名前を覚えられない生徒が一番エライ!なぜなら、問題を起こして先生に覚えられるようなこともなく真面目に過ごして、先生が他の問題児の相手をする時間をくれているからね。本当に偉い。心から感謝していることを覚えておいてください!!」 卒業後になって、居たのか居なかったのかわからないくらいに影の薄い地味な存在が居るものだが、教師どころか世の中全体が、そういった者のおかげで助かっているのである。もし影の薄い傾向があると自覚してマイナスに考えている人がいたら、むしろ世の役に立っていることを密やかに誇るべきだろう。 で、文鳥の場合は目立たぬ存在は有り難いと言える。我が家で具体的に挙げればマキだ。実に手がかからない。 放鳥時には出て来るもののテーブルには降りず、カゴには自主的に帰る。夫のイブとは問題なく仲良しで、今のところ体調を崩すことなく、今はひっそりと地味に何の変哲もない換羽をしている。 飼い主は、たまにその存在すら忘れているが、もちろん心から感謝している。このまま目立たずにいて欲しいものだ。
2009年09月13日
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9月にも咲いた八重クチナシの花 オオスカシバの幼虫をかろうじて駆逐し、『文鳥墓苑』クチナシは青々とした葉を茂らせ、バラのような花を咲かせてくれました。 一方、放置状態であった朝顔は、まだ花をつけ、実も膨らんでいます。しかし、スズメガの巨大な幼虫が発生していました。 園芸の素人のため知りませんでしたが、エビガラスズメという種類の幼虫が、朝顔の葉を好むようです。↓はまだ青い状態でかわいげがありますが、しばらくすると褐色の縞柄になります。一昨日からベランダの朝顔についたそれを、6匹ほど駆逐しましたが、オオスカシバの幼虫にに比べて大きく、指でつまむことが難しい代物です(無慈悲のようですが、ハサミで切って捨てる)。 土いじりとは、芋虫との闘いなのだと気づかされる今日この頃です。
2009年09月13日
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今日も食べまくるオッキ 人間も食べられなくなると、かなりの危機的状態と言えるが、文鳥の場合は食べられなくなるとすぐに死んでしまうといっても良いくらいに極端だ。 人間でも、スポーツ選手のように筋肉質で脂肪がなかったり、モデル以上に痩せすぎていると、病気になって食べたり消化できなくなった時、蓄積された脂肪がないのでそれをエネルギーに変えてしばらく持ちこたえる余力がない。従って、一流のアスリートや一流の美容家ほど、ちょっとした風くらいのものが案外大変な事態になるケースが多いものだ。 その点、小鳥は脂肪を蓄積することが、本来は出来ない生き物なので、食べられずエネルギーを得られなくなったら危険になるは、もはや宿命と言える。 従って、危篤でも何が何でも食べようとすることも多いのだが、それにしてもオッキの食い意地は立派だ。湯漬けエサをヒナ並みにバクバク食べるし、トウモロコシや枝豆となると目の色が変る。「食べるのネン」と昔から食べるのが好きな文鳥だったが、これからもその調子であって欲しいものだ。
2009年09月12日
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キューの後頭部ぽっちと孔雀明王フィギュア 画像とはまるで関係ないが、今日は8つのカゴでつぼ巣を箱巣に切り替えた。ノロ・コウ、クラ・ミナ、マル・シンはそのままとした。 昼の水交換時に、夫婦そろってカゴから出てくるキュー・シズ、デコ・カナ、シュー・ラックの3つを交換し、夜に5つ交換した。これだけでも、かなりしんどい作業だ。ついでに、人間用のイスを組み立てたりもしていたので(数量限定で値下げしている↓。ちょっと固く姿勢が悪いとつらいかもしれないが、作りは思ったよりしっかりしていた。座面を高めに出来るのが、個人的嗜好に合っているような気がする)放鳥時間が終わるとくたびれ果て、巣が変ったことに対する文鳥たちの苦情に耳を傾ける余裕は、まるでなくなっていたのである。 なぜ箱巣にするかといえば、つぼ巣だと数日で破壊され、不経済な上にメスが落ち着かないからだ。精力のあふれた若いオスには、せいぜい巣作りに勤しんでもらうのが上策で、それには箱巣のほうが適当だと思う。 なお、箱巣には国産の皿巣を入れた。昨シーズン長く使わずにきれいなものが多かったからだが(オレンジエックス溶液をかけ日光干し済み)、『ワラジー』の商品名で売られる、四角い製品よりも、巣作りが下手な個体にはこちらのほうが良い。すり鉢状の皿巣の方が、卵が拡散せず抱卵しやすいのだ(巣作りがうまいと、巣草などで自分で適した形に作り上げるので、『ワラジー』でも問題ない)。 箱巣の上には、重石として書道の硯(すずり)を乗せるのだが、これは製品としてメーカーがそのうち工夫してくれるものと期待している(重石がないと巣作りの際に持ち上げてしまう)。【イチオシ】【おすすめ限定特価商品】【送料無料~9月14日(月)AM10:00】[在庫あり]オフィスチェアー イス ネットチェアー ハイバックチェア OAチェア 激安 イス 背中 蒸れない (ブラック) 【WEB限定商品】
2009年09月11日
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孤高?のシナモン文鳥(ニッキ) ゲンの急死が、文鳥の死にはすでに耐性があるというか、そういう時はとりあえず思考を凍結して時間に委ねるしかないのを心得ているはずの飼い主に、かなりの衝撃を与えたのは、墓穴を掘りながら、今後の展開を考えてしまったからだ。 何しろ、ゲンより早く彼岸に飛んで行きそうな様子の文鳥たちがいるのだ。介護状態のオッキ、いよいよ飛べなくなってきた高齢のノロ、片目が見えず活力のないクラ、体力も精神もちょっとおかしいヤッチ、そして産卵期となれば、メス、特にマルやカエに問題が起きそうな気がする・・・。より元気な文鳥が先に行き、先行しそうだった彼らが、ゆっくりしてくれるのか甚だ心もとない。そのあたりに考えが及び暗澹としたわけだ。 しかしながら、考えても仕方がないことだ。たまに、自分が犯罪に巻き込まれたら、自然災害に遭ったら、などとと考えると、とても一人で文鳥など飼えないと言ってくる人がいたが、しかし、事態はそれほど単純であることはむしろ少ない。人生いろいろなのだ。 例えば、結婚して子供が生まれ、その新しい人間の家族にアレルギーが生じれば、文鳥は誰かに譲らなければならなくなる。もちろん、犯罪や事故に巻き込まれるのが自分だけとは限らず、まして、どこの世界のどのような場所であれ、天災が起きる可能性のない桃源郷など存在しない。 このような絶対的な事実を理解していれば、「~になるかもしれない」と想定するのは良いとして、だから「~しない」と言うのは、結論としてありえない。かもしれない可能性など無限大であり、それを考えたら何も出来なくなるからだ。となれば、考えるだけ無駄で、新規のことなど何もせずに何も考えず生きていくしかないではないか。従って、「~になるかもしれない」と考えたら、それに備えて何らかの準備をしておくだけであり、その準備は心の準備だけでも構わないだろう。 我が家の文鳥たちにしても、どうなるかはわからないので、やはり思考は凍結しつつ、覚悟だけはしておこう。 それでニッキだ。 同居のオッキとは夫婦と言えるほど仲良くならず、産卵・営巣・抱卵を通じて本当の夫婦になっていく未来も失われた。そして、現在独身のオスはノコリだけだが、ノコリのタイプは桜文鳥で、白文鳥を嫌い、シナモン文鳥の存在すら気づいていない感じだ。また、そもそも、ノコリの子孫を残すのを前提にするなら、シナモン文鳥と夫婦にするわけにはいかない。 ニッキには、しばらく気ままな一羽暮らしをしてもらうしかなさそうだ。ニッキにして見れば、あの店でオスと見なされて売れ残っていた時に、今の生活など想像できるはずもなく、そして未来もわからないのだ。
2009年09月10日
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文鳥ゲンの急死にかなりの衝撃を受けた飼い主は、こういう時は仕方がないので、1968年ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」でも聞こうと思い立ち、早速ユーチューブを漁ったところ、オリジナルとオダギリジョーさんと桑田佳祐さんとおおたか静流さんと矢野顕子さんのバージョンなどを試聴することが出来た。中でも、オダギリジョーさんの歌を聴いたのは初めてだが、頭を使って真面目に唄い込んでいる感じがして一番聞きやすいように思う。 この歌の歌詞は、無頼派のサトウハチローの感傷的な詩なのだが、1番よりも夢はもつれわびしくゆれる2番がお気に入りだ。 白い雲は流れ流れて 今日も夢はもつれ、わびしくゆれる 悲しくて悲しくて、とてもやりきれない この限りないむなしさの 救いはないだろうか 救いなど無い、が現実主義の個人的な結論なので、宗教に救いを求めたと見られては心外だが、実は数ヶ月前に『光明真言』を覚えていたので、ゲンを埋葬した後、それをムニャムニャと唱えていたのは事実である。 もちろん、他人が信仰するものは何であれ(他人に迷惑をかけていない限りは)尊重しても、自分には信仰心は無いので、文鳥用の日本的なお墓の前では日本的にお経を唱えた方が様になると思い、それらしく短いのを聞き覚えたに過ぎない(実に有難いことに音声付でお教えになっているお寺のサイトがある)。こういったことは形が大事で、合理的に見ればどうでも良いことにこだわれるからこそ意味がある。儀式や儀礼とはそうしたものだろう。 実は、呪文ならすでに一つ知っていた。適当に区切ると「ノウボウ・アキャシャギャラバヤ・オンアリキャ・マリボリソワカ」と言うものだ。これは高校生の時の英語の文法の講師だった先生が、東京外語大を出て高野山金剛峰寺で修行された密教のお坊さんで、級友S君の「頭の良くなるお経ってありますよね。オンアボ何とか言うの!」とか何とかといい加減な質問に対して、板書して口ずさみ教えてくれたものだ(この先生の外見は、頭をつるつるにそり上げ、顔は鼻が高く黒縁眼鏡でドイツの技術将校のようであった。それでスーツは三つ揃えをビシッと着てイングリッシュを教えているのだから、ずいぶんとけったいな御仁であったと言えよう)。 本当は虚空蔵求聞持法と呼ばれ、虚空蔵菩薩さんの真言(仏さんを称える現地【インド】の言葉。「考えるより感じろ!」と、耳に入ってくる音の響きに共鳴するタイプのお経で、意味がわからない日本の一般ピープルにとっては一種の呪文と言える)であり、弘法大師空海が百万回唱えたことで有名な記憶力を増進させるとされるお経だ。百万回など無理なので、一日七回声に出して唱えるといいですよ、と聞いたような気がする。もちろん、英語がことのほか不得意な私は、当時ノートの端に書いて七回声を大にして唱えたはずだが、効果はまるでなかった。 しかし、墓の前で記憶力を呼び出すというのはどうだろう。なかなか意味深長にも思えるのだが、やはり少し的外れだろう。そこで、真言つながりで光明真言にたどりついたわけだ(般若心経が一般的だと思うのだが、長いのでやめた)。こちらは大日如来さんの真言で、大日如来さんと言えば光を放つ世界の中心、キングオブ仏さんであり、一般ピープルとして俗っ気だけで簡単に言えば一番ご利益ありげではなのである。 ただ、世界の中心のお方に辺々から直にお願いするよりも、文鳥についてよりふさわしそうな、言うなれば担当の仏さんを通した方が良いかもしれない。と、さらに余計なことを考えはじめ、探してみると孔雀明王さんに行き当たった。この方、もともとマハーマユリーと言う女性神だったそうで、マハーマユリーとは偉大なる孔雀の意、つまりはクジャクが神格化した存在らしい。クジャクはオスは姿も美しいが、実用的にも害をなすヘビを食べるとして、現地で人気があり、尊ばれたものらしい(『孔雀王』という昔の奇妙なマンガについては覚えていないので触れない)。 クジャクは当然鳥類だ。ヘビは食べるかもしれないが、おそらく小鳥を食べることはないだろう。過去に何度かヘビの侵入を許した我が家では、クジャクさんは大歓迎なので、この仏さんを守護神と勝手に決めてしまうことにした。何しろ仏さんの慈悲心は広大無辺なので、このような凡愚な衆生の身勝手も、(他人に迷惑をかけるわけでもないので)笑って許してくれなければならないのだ。有り難いではないか。 孔雀明王さんは「オンマユラキランディソワカ」、真言もシンプルでよろしい。そして、つい先日、数百円の孔雀明王さんプラスチックフィギュアを取寄せることにして、どうやら明日にも届きそうなのだから、めぐり合わせと言うのは恐ろしい。ようするに、そのちっちゃな仏像にゲンの冥福を祈っていろと言うことか、ではせいぜい数日は心しよう。※ なお、こういった密教系の話をペラペラ話すと、みだりに法を説くことを禁じる越法(おっぽう)ではないかと心配する真面目な人もいるようだが、たぶんそれは誤解だろう。 私のような一般ピープルなんぞが、真言でも陀羅尼でも、もしくはどこで知識を仕入れたのか、印まで結んでそれを唱えようと(そこまでしたければお寺で少し修行すれば良いものを、と私は思う)、そんなものは真似事のおままごとなので、意味など持つはずがない。何となくやっている当人だけが、形になっていると満足しているだけで、目くじらを立てるほうがよほどおかしい。 越法などと言うのは、おそらくは仏教修行の妨げとなるよう虚言を戒めたもののはずで、求道の埒外にある一般ピープルなど初めから最後までどうでも良いはずなのである。そもそも密教系の仏教は、修行者と一般ピープルを高い壁で隔てなければ成り立たないのである(修行者自身の解脱を目指す)。解脱に至ろうとする修行者を導くには、それなりの知識や資格が必要で、それがないのに判ったようなことを言って修行の邪魔をする坊主がいたら、他の修行者を惑わせる「悪魔」に他ならない、と言うことだろう。玄人さんの仲間内での話なのだ。 従って、私の高校時代の恩師のような出家者が、雑多な一般ピープルに真言を教えるのは、宗門としては教化のためであり、修行者としては教えを求める者への功徳に他なるまい。有り難いことである。ナムナム。【追記9/10】 先ほどミニチュア孔雀明王像が届きました。8cmほどの物ですが、思っていたよりも精巧なつくりで驚きました。元の像は仏師の向吉悠睦さんの作品ですが、それをミニチュア化する技術に感心しました。
2009年09月09日
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朝、カゴの底で動かなくなっているゲンを発見する。 経験上そうではないかと怪しんでいた飼い主でも驚かされるので、おとといの夜に元気だった者の急変には、ブログをのぞく人はよほど驚かれるだろう。しかし、現実なのである。 亡くなって1時間ほどだろうか、毛並みなどつやつやしていて、体重はそれでも28gあった。もともと雄大な体格だったので、これでも痩せているのだが、衰弱からの飢餓が直接の死因ではないだろう。例によって、心臓が止まってしまった、人間で言えば心不全である(心不全でない死など無いので、これを死因とするのは妙な話だと思うのだが)。 6歳手前、このくらいの時期に多い血統なのだろうか(血統外はもっと早いこともあるが)。それなら以降遺伝していて欲しくない体質だ。 重陽の節句、とにかく早々に「文鳥墓苑」に埋葬する。ゲンさん、やすらかに。
2009年09月09日
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掛け時計の上でたたずむゲン 数日前から運動能力が少し低下していている様子を見せていたゲンだが、6歳手前で年齢的な体力の衰えくらいに考えていた。昨夜も、水浴び場で激闘を繰り広げていたし、あまり気にもしなかったのだが、今夜かなり疲労困憊した様子を見せ、びっくり仰天することになった。 血色も毛づやも良いものの、翼は垂らし加減で時折開口呼吸、かといってゼーゼーと荒い息をするわけではなく、羽毛を膨らますこともないが、食欲はないし、目に力がない。・・・この状態に良い思い出はない。しかし、まだ2メートル上空に飛び上がれるだけの体力はある。しかし、手の上でも静かで、手の中に包まれてもあまり抵抗せず、ついでに爪を切ってやろうと思ったが、それは差し控えた方が良さそうな様子だ。 ニッキは特に邪魔にはならないようだが、明日は別居させることになるかもしれない。準備だけはしておこう。
2009年09月08日
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ゲンを押しのけようと飛び込むシュー 顔だけなら父のキューと見間違えてしまうシューは、外見も性格もいわゆるボーイッシュな文鳥だが、それでも最近はさえずって来るオスの背中に乗らずに、尻尾を振る動作も見せるようになった(相手のオスは即座にラックの飛び蹴りを受けていた)。少しは女の子らしくなってしまったのか、しかし、水浴び場で誰彼構わず攻撃する勇姿は健在だ。 最近は実父のキューの水浴びを邪魔して、カメラを構えた飼い主を喜ばしてくれていたが、今日はキューの邪魔をした後、横入りした曽祖父のゲンにも果敢な攻撃を繰り返してくれた。 まったく、水浴び場の争いを撮るのが大好きな飼い主にとっては、最重要なキャラクターだが、これから繁殖期で産卵・抱卵となると、巣に閉じこもりきりになってしまうかもしれない。それでは困る。しかし、変らないことを祈るしかないのが悲しいところだ。
2009年09月07日
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「文鳥墓苑」の植木であるクチナシは、まだ花を咲かせるつもりらしく、現在2つのつぼみが成長中です。1ヶ月ほど前にオオスカシバの幼虫が発生し、かなり葉を食べられてしまいましたが、その跡も癒え、さらに青々とした葉を茂らせてくれています。 ところが、今日葉っぱにごく小さな丸い穴があり、じっとよく見たところ、1センチ足らずのアレがいました。さっそく退治し、さらに同様の大きさの青虫を2匹、都合3匹排除しました。 さすがに、かなり早期に発見できるスキルは身についたようですが、卵は発見できませんでした。おそらく明日も、目を皿のようにして探す必要があるかと思います。今回が最後の闘争なら良いのですが。
2009年09月07日
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強烈な個性を持つ文鳥カナ 日中、カゴの中で逃げ回る音がするのでよく見ると、デコがカナに追い掛け回されていた。・・・本当の理由はわからないが、想像するに、カナが浮気をしつつ卵を産み、抱卵する気になっているにも拘らず、夫のデコが巣作りをする気がまるでないので腹を立てた、といったところのように思える。「手伝わないなら、巣に近づくな!」と言うわけだ。 好き放題に浮気をして、巣作りは夫にさせようという腹か、さすが毒婦は違うわい、と思ったものの、さすがに毒婦は気の毒な気がして悪女としようと考えつつ、「ウチの子のデコをいじめるな!!」と教訓した。 そう、デコは我が家生まれの文鳥としては、ほとんど唯一ぼんやりしたキャラクターだが、我が手で育てた息子であり、血脈をたどれば、ヘイスケ系とノロ系双方の血を受け継ぐ由緒正しい?存在なのだ。血統だけ見れば、我が家を代表する存在と言って良い。 それに対してカナは、小鳥屋さんで買った「よその子」だ。ただこのよその子は、やって来た当初から手乗りであった(お店で餌づけされたに違いない)。本来キューの嫁になるはずだったが、弟分のデコがアタックして夫婦になったのだ。 ・・・もともと好きになった弱みのあるデコは恐妻家となる運命だったのかもしれない。それにしても、我が家の代表としては頼りない。下手をすると離婚か、とまで考えたのだが、夜の放鳥時間には仲が修復していた。夫婦喧嘩は飼い主も食べたくない。
2009年09月06日
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キューを押しのけようと飛び込んだシュー(左) 子供が親に似るのは当然だ。何しろ親の遺伝子を半分ずつ受け継いでいる。しかし、本来半分のはずの片親に偏って似ている場合があるもので、一卵性親子などと呼ばれるようだ。 我が家の文鳥たちでは、父キューと娘シューがまさにそれだ。異性なのに外見も性格も似ている。となれば若い方が強いので、今日は水浴び中のキューがシューに蹴飛ばされ追い出されていた。 どこの世界も父は娘に弱いのだろう。
2009年09月05日
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テーブルの上でたたずむことが多くなったノロ 放鳥中、ノロがエサ入れのすき間に脚を取られてしまった。原因は長い爪と言うより動きが鈍くなったことにありそうだが、爪も伸びていたので早速切ってやった。 この文鳥は、あまり自然木止まり木に止まらず、ワラ巣の上を定位置としているためか(爪が曲がっているのも大きな要因か)、我が家では唯一、頻繁に爪を切る必要がある。動作が鈍いので、簡単に捕まえられるので、その点ありがたい。 ノロの場合、推定年齢9歳と高齢でもあり(我が家での生活7年9ヶ月)、徐々に体力が衰えているのだが、何となくこの数日は少し元気が無いように思える。冬は暖かくしてやらないといけない。
2009年09月04日
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今年は、予想よりも遅れてどっと芽吹いた朝顔の始末に困り、家の周りに植えつけまわりました。その朝顔が9月に入ってから、これまたどっと咲き、上から朝顔を見下ろすと、小さな花がたくさんで、「やはり利休の朝顔はこれじゃわい」と思わせる光景をみせてくれています。 ただ、写真だとあまりうまく写らないのが残念なところです。 で、以下はイモ虫の類が苦手な人は見ないでください。カブトムシの幼虫の話です。 衣装ケースに幼虫マット(クヌギなどの木片を粉砕したり発酵させた土)を入れて、孵化した幼虫を発見次第にポイポイ入れたわけですが、どうやら無事に成長しているらしく、表面に幼虫の糞が目立ってきました。そこで、予定よりもずいぶん早いのですが、マットの交換を行いました。 掘り起こしては、とりあえず10リットルのマットの入ったバケツに入れ・・・。「う、デカイ」、「う、まだいる」と、少々この類の生き物が苦手になってきているため、げんなりしながら数えたところ、何と大小取り混ぜて70匹いました。移した数がそれくらいですから、ほとんど脱落せずに生きながらえているようです。 70匹を40リットルのマットでは、専門家はどう考えるのかわかりませんが、感覚的に過密に過ぎるので、20リットル入りのバケツに近日20匹ほど移し変えようと思います。それにしても、また、マットを大量に調達しないと・・・。
2009年09月04日
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煮干しをむさぼるアイ カゴの中の巣も、放鳥部屋にある巣も、破壊されている。繁殖気分が強くなり、巣材集めの本能がそうさせるのだろう。 今年もやはりワラ巣を木製の箱巣に取り替えねばなるまい。何しろ我が家の若手のオス文鳥たちの場合、繁殖の最盛期になれば、数日でワラ巣をバラバラにしてしまう恐れがあるのだ。破壊よりも箱巣の中へ巣材を運ぶことで、有り余る力を発散させたほうが良い(産卵場所が崩壊してしまうとメスが落ち着いて産卵できない)。 ただ、ノロやクラは巣作りする体力がないと思われるので、今年はワラ巣のままにしておこうと思う。 まずは晴れるのを待って、天日干しだ。
2009年09月03日
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息子ラックの水しぶきを浴びる父ポン 今日は涼しかったが、文鳥たちの水浴び量に変化は無かった。家の周囲に植えつけた原種系朝顔は9月になってから咲き乱れているし、やはりまだ夏なのだろう。 そう言えば、なぜか最近デジカメ(リコーR8)がオート設定で問題なくなった。 当初、室内の蛍光灯の元でオート設定のまま撮影すると、青みが強すぎる画像になるので、いろいろ試して「くもり」設定を基本とし、たまにオートを試しては失敗していたのだった。それが最近うまく撮れることが多くなり、今日はほぼ完璧であった(今日の写真は色や照度の修正なし)。学習機能は無いはずだが、不思議なものだ(気にせず使っていたが、実は初期不良だったのかも・・・)。
2009年09月02日
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颯爽と飛んでくるミナ 推定年齢7歳の夫クラは、片目が見えないこともあって飛べない鳥と化し、放鳥時間にもカゴから出なくなってしまった。一方推定年齢4歳の妻ミナは、すっかりまともな白文鳥の姿に戻り、今日も元気はつらつであった。 このように、文鳥夫婦の一方の体力が衰えると、元気な方はあっさり浮気に突っ走ることも多いものだが、ミナは偉い。とうの昔の死語となっているが、貞女言ってよろしかろう。時折、出てこない夫を呼び、それでもやって来ないので、自分がカゴに帰って安否を確認し、そしてまた飛んでくるのである。もちろん他のオス文鳥には目もくれない(実は他のオス文鳥に相手にされていないとのうわさもある)。 この夫婦とは反対の意味で、デコとカナの夫婦も変っている。妻カナは、どうしようもない、史上最強のメスの浮気者で、ハル、キュー、ポン、テン、ラックにさえずられたら、横に夫がいても尻尾を振る横着者だ(デコは何とかして交尾の邪魔をするが、浮気妻を責めたり、相手のオスを責めたりしない)。この4羽以外のオスは無視し、特にキュー、テン父子を特別視している露骨な態度は、ビジュアル重視を鮮明に示しており、なぜか飼い主はとても不愉快になるのであった。 文鳥妻もいろいろ。デコには体力減退で見捨てられないように、カナよりも一日でも元気で頑張ってほしいところだ。
2009年09月01日
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