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さて前回に続いてカプの思い出を振り返ってみたいと思います。物覚えが良くて賢いカプのもう一つの姿の「イクメン」です。彼は22歳という事は息子(高1)よりも年上で有り、息子が生まれる前より我が家の一員で有った事。 赤ちゃんの頃からカプが側にいるのが当たり前で、良き遊び相手でカプも嫌がらずに良く相手をしてくれていました。 息子が幼かった頃は何をされても怒らなかったカプですが尻尾を引っ張られようと抱き付かれようと大人しくしていました。でも息子が幼稚園の年長さんになる頃から怒るようになり、時には爪でガリッとお仕置きをする事も。ある日、私達が帰宅後に息子の顔を見ると頬っぺたに爪痕が・・・聞くと「カプに怒られた」と言うのが彼の答えでした。ちなみに今も息子は「カプに怒られた」と言うので面白い息子にとってはペット以上だったようで、お兄さん的な存在だったのかも知れません。カプも息子を育てている気持ちで接していたのかも知れません。現在、息子は勉強机の上にカプの写真を飾っております。いつも「カプに怒られないように勉強しろよ」と言われると、普段は何か言うと必ず文句を言うのに何も言い返してきません。 これもまた面白い 更にカプのイクメン振りが発揮されたのがチョコちゃんが来た時です。 オス猫なのにオッパイをしゃぶらせたりして、一生懸命に子育てをしておりました。おかげでチョコは親と思ったようで、いつもカプの追っかけていました。オテンバでイタヅラ好きのチョコちゃんの面倒をよく見てくれました。最初は何をされても怒らなかったのですが、チョコちゃんが大きくなるにつれて「フーッ!」と猫パンチをしたりするようになりました。「これって息子の時と同じ?」なんて思ったりしていました。 カプはチョコちゃんにゴハンの時間・トイレの場所・寝ている人の起こし方や人との接し方等、色々な事を教えてくれましたおかげで比較的早く家族にも慣れてくれました。 とにかくカプは息子とチョコちゃんの面倒を良く見てくれました。チョコちゃんは分りませんが息子の心の中にはいつまでもカプが生き続けている事と思います。 まだまだ半人前の一人と一匹、心配な事も多いかと思いますが空の上から見守っていて欲しいと思います。 ☆次回からは通常の内容に戻りたいと思います☆
2016.01.31
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西日本中心に40年に1回ともいわれている寒波が襲来の週末。雪が降らない所にお住まいの方は大変ではないでしょうか? カプが旅立ってから早いもので、もうすぐ2週間になろうとしています。 彼のいない生活にも慣れましたが、思い出を振り返ってみたいと思います。 彼は熊谷市生まれ。知人より里親になってくれと頼まれて我が家の一員となりました。私の仕事の都合で最初は大宮市、次は新潟市と転居をしており引っ越した回数は合計3回になります。小さい時はカーテンや網戸を上るのが大好きで、上まで登ったはいいけど降りられなくなって鳴いている何てことがよくありました。また、オモチャを投げると走って捕りに行って私の前に置く事を繰り返す、そんな子猫時代でした。彼は2・3回「ダメ!」と言われると2度と同じ事はしない猫でご飯の時は「お座り」と「待て」を完璧にマスターし、更には「お手」もマスター。とても賢い猫でした。 写真撮影も慣れてカメラを向けて名前を呼ぶとカメラ目線で答えてくれました。さらに色々な表情を見せてくれてシャッターを押す回数も知らず知らずに多くなっておりました。晩年は眠り猫のごとく1日の内寝ている時間が殆どで、ご飯とトイレ以外は起き上がらなくなりました。彼の足腰に弱りが見え始めたのは、ちょうど1年前位。そして昨年の秋ごろからヨロケル様になり、年が明けた1月10日から自力で立つことも歩く事もできなくなりました。でもご飯の時に「カプ、ご飯だよ!」と声を掛けると来ようとしますので抱いてご飯の所へ連れて行き、食べはしないのですがいつもの様にお皿にご飯を入れてあげました。 彼は私が夕食を終わらせ部屋に戻ると私の前に座り「お手」を3回程度してから膝の上に乗る事を毎日のようにしていましたが、亡くなる前の晩もベッドから這い出て同じことをしようとしました。真っ直ぐ私の顔を見て一生懸命に来ようとする姿が今でも目に焼き付いております。 最期の3日間は常に私の側にベッドを置いていました。か細い声で呼ぶ時は顔や体を撫でてやり、出ようとする時は水を飲ませたりトイレに連れて行ったりと付きっきりでした。ご飯も「ちゅーる」を水で薄めて注射器で口の中に入れて食べさせました。亡くなる前日、もう彼には残された時間が無いと感じたので、彼のお気に入りだった窓の所へ連れて行き雪で少し白くなった外を眺めさせてあげました。これが彼が見た最後の外の景色となりました。 先週の土曜日に斎場から共同墓地への納骨が終わったとの連絡を受けましたが、天候が悪かったりスケジュールの関係でまだ墓参りに行けておりません。来週には行けるようにしたいと思っています。 でも無事に虹の橋を渡った事と思います。 22年間の思い出は尽きる事が無く書ききれませんので数回に分けてお送りしたいと思っています。
2016.01.23
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Facebookでお知らせしたので存知の方も多いかと思いいますが 新潟市で今年の冬初めて雪が積もった次の日の1月12日の早朝カプは旅立って行きました。Facebookで参加しているグループでは多くの暖かいコメントを頂き感謝感謝です。カプも多くの方々に見送られて幸せ者だと思います。 夜中の12時過ぎに見た時はベッドから抜け出ていたので戻してあげたのですが、朝5時過ぎに気になって目が覚めると冷たくなっておりました。まるで寝ているようで今にも起きてきてそうな安らかな顔をしておりました。きっとチョコが親離れできるようになった事と皆が無事に眠ったのを確認してからの旅立ちだったのかと思います。 嫁さんは号泣し涙が止まらず、いつも寝起きの悪い息子は飛んできて大きな声で名前を呼びながら同じく号泣。 悲しい朝となりました。この日は嫁さんが泣きながら作った為か少し塩味の利いた朝食となり息子は下を向いたまま・・・・・悲しい朝食となりました。カプが我が家にとって大切な一員であったか再認識させられました。9~11日の 3日間、私は彼の看病を行っていましたが今までで一番長く側にいた時間だったかもしれません。とても内容の濃い3日間だったように思います。 翌13日にはカプの葬儀をおこないました。 合同葬として共同墓に埋葬する事といたしました。 某大手スーパーのペット葬祭サービスにお願いした所、家から車で30分の霊園を紹介していただき、その費用もとても良心的でした。更に思っていた以上の内容でビックリ!息子は学校なので立ち会えなかったのですが、朝出かける前に長い時間カプに何かを話しかけておりました。最期に「カプ行ってきます」と言って涙を浮かべながら登校していきました。帰宅後息子は「いつお墓参りに行く?年に1回は必ず行こうね。」と言っておりました。 お盆などの墓参りはめんどくさがるくせに、カプの墓参りは自主的に行く気になるとは・・・ 我が家に来てから22年。あっという間の出来事のように思えます。今はカプの写真を壁に飾り、毎日思い出話をしております。 ※一番下はカプが最後にしていた首輪。彼の遺品です。 このブログのタイトル「カプの日記」は当分変えません。また当分の間はカプの思い出をブログに乗せる事となると思いますのでご了承願います。
2016.01.16
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今年のお正月はあっという間に過ぎた感じが有ります。4日からは家族全員、活動開始!息子も部活が始まりました。※これは昨年末に撮った練習試合の様子です。 そう言えば、お正月休みに「スターウォーズ」をご覧になった方が多く色々話を聞かされて羨ましく思う今日この頃です。私は未だ見に行けていませんやっぱりTV放映かDVDで見る事になりそうです。 こんな事して気を紛らわせていたりして・・・ さて、ここに登場する「カプ」爺さん。ここ4日ほど何も食べていません。水は飲むのですが食事は一切口にしようとしません。習慣でしょうか「カプ、ゴハンだよ!」と声を掛けるとヨロヨロしながら自分のお皿お前までやってきますが一切食べようとはしません。大好きな海苔も食べようともしません。昨日は急にバタッと倒れたと思ったら痙攣をおこしました。今年で22歳。ご高齢の為に老衰状態のようです。 残り少ない事は確実です。 最期の時を迎えるまで家族で見守って行こうと思っております。
2016.01.10
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明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします 今年の元旦は、朝から良い天気で初日の出も見る事ができました。気温も比較的に高くて過ごしやすいお正月でした。このような穏やかな1年となるよう願います。 カプは元旦から食欲が無くて少々心配してます。一方チョコは元気いっぱいに暴れております。今年もこの2匹共々お付き合い頂けます様お願いいたします。
2016.01.03
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