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明治末から大正、そして昭和初期に、たくさんの変わった道具が考案されます。それは特許制度の整備に伴った、アイデア商品の数々。「道具の謎とき」(INAX出版、1997)には、不思議な道具が謎ときで紹介されていて面白い。海外の道具もあり、新しい発見もあります。年末の大掃除の合間、この本をご覧になられて、休憩されてはいかがでしょう。ネットでは、残念ながら、この本にあるような珍品は見かけません。仕方がなく、骨董市では良く知られた「蠅取り器」をご紹介します。最近では、インテリアに使われる方も多い様ですね。道具。それは、積み重ねた知恵の証。そして、人が人であることの証。道具と共にあるとき、私は人であることを感謝します。○蠅取り器
2007.11.30
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マリー・アントワネットは、友達を求めていました。6歳年上で、やさしく穏やかな女性、ランバル公妃。それが彼女の女友達でした。女官長に任じられたランバル公妃は、マリー・アントワネットを支えます。決して、その寵愛に、つけこむことはありませんでした。しかし気まぐれなマリー・アントワネットの寵愛は、ポリニャック伯爵夫人に移ります。そしてランバル公妃の女官長の地位も、ポリニャック伯爵夫人に移ります。ポリニャック伯爵夫人は、無邪気で美しい女性。しかしそれは、うわべの美しさでした。ポリニャック伯爵夫人は、一族ぐるみであらゆる地位と金銭を巻き上げます。彼女の無能な親族達は、次々と高官になります。彼女自身も破格の高級で雇われ、ますますフランスの国家財政はひっ迫します。「彼女といると私は王妃ではなく、自分自身に戻るのです。」マリー・アントワネットは、パリニャック伯爵夫人をこの様に讃えました。しかし、フランス革命が勃発。その時に、ポリニャック伯爵夫人は、マリー・アントワネットを見捨てて真っ先に国外逃亡します。マリー・アントワネットの悲しみは、どれほどだったでしょう。一方、冷遇にも関わらず、ランバル公妃はマリー・アントワネットを見捨てませんでした。そして不幸にも、ランバル公妃は9月虐殺で殺害されます。国王の否定を強要された彼女は、それを拒否します。あまりに彼女は、マリー・アントワネットに忠実でした。民衆は、彼女を裸にし、腹を切り裂き、首を槍に刺して翳します。革命に名を借りた、暴徒の虐殺行為。これが正義のフランス革命の実態です。ここで、ポリニャック伯爵夫人も、亡命先のウィーンで病死したことは伝えなくてはなりません。それはランバル公妃が虐殺された翌年、奇しくも享年もランバル夫人と同じ44歳でした。マリー・アントワネットは、親友を取り違えたことが不幸でした。真の友は、謙虚で、ひかえめなのです。そしてその真の友を、見出すために必要なこと。それは、わたしたちが、友以上に、謙虚でひかえめであることです。【関連日記 1】私は何者か? ― マリー・アントワネット ― 【関連日記 2】誰が正義を語ることができるのでしょう - フランス革命 -
2007.11.29
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古来から、人が神様として祭られることは多い。菅原道真、平将門は、神様としても有名。学問の神様に人がなることは多い。滋賀の藤樹神社には、陽明学者の中江藤樹が祭られる。また幕末の志士の多くも神になった。長野県高田では、助弥という義民が祭られる。重税を幕府に直訴して、斬首の刑に処せられた。享年わずかに18歳。佐倉宗吾郎も、同様に直訴ではりつけに。千葉県佐倉の口之宮神社に祭られる。私が気になるのは、浦島太郎。京都の丹後半島付近には、浦島太郎を神として祭る神社がある。特に有名なのは、伊根町にある宇良神社。なぜ浦島太郎は神様なのか。中世の本地物の流行によるらしい。それは現地で苦労した人が、神として祭られるというもの。竜宮城を経て数百年生きた浦島太郎は、十分に苦労し神になる資格を得たらしい。そういえば、神になった人は、紛争に巻き込まれたり、処刑された苦労人が多い。どうも神になるのも大変らしい。それならば、生きている今を楽しむことにしましょうか。
2007.11.28
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「奇想遺産」を読み、世界の奇想建築を眺めまる。表紙のル・ピュイ=アン=ブレを始めとして、驚異の建築物ばかり。しかし私は昔から、さざえ堂に魅かれている。内部にらせん状のスロープがあり、それを上り下りできる。上まで上ると、下りのスロープ。上りと下りのスロープは別のルートで、決して交わらない。スロープの構造は二重螺旋。高さも16mに過ぎず、行けば何のことはないと思われる。むしろ実際に行けば、落胆するかもしれない。しかしその今にも崩れそうな外観は、妖気すら感じさせる。二重螺旋の階段は不思議なだけではなく、DNAの螺旋構造と共振するかのよう。不思議と魅かれるもの。世の中には、そういうものもある。【さざえ堂】さざえ堂 公式HP【内部構造】さざえ堂 内部階段構造
2007.11.27
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日本の神社などでは、石が祭られています。石には邪気を払う力があるとされ、古くから信仰の対象でした。祭られた石は、静かで清らかな落ち着きがあります。今日、1枚の写真を見ていました。それは銃器を構えたイスラエル兵に立ち向かう、パレスチナ人の写真。民間人と思われる彼の手には、石が握られていました。いわゆる民衆蜂起、インティファーダ。武器のない民衆が石を片手に立ち上がったインティファーダは、人々が独立の意思を表明するきっかけとして評価されています。石を手に機銃を構えた兵士と対峙する男たち。銃口の前に立ちはだかる女たち。そして兵士に石を投げつける子供たち。石は人々の自由への願いの象徴でした。しかしその後の長い戦いは、十万人を越える民間人の命を奪います。投げられた石は、鉛の弾丸として返されました。石を武器として使えば、その代償は人の命にもなり得ます。日本の神社の石は清らかです。それに対し写真の男の手の石は、憎悪に汚れていました。石は地にあり、人々を見守るべきです。だから、その石を投げてはなりません。石は人の心を返すから。清らかさには、清らかさを。憎悪には、憎悪を。
2007.11.26
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細菌と呼ぶとイメージは悪いものの、私たちは細菌と共に生きています。皮膚に数百種、腸内に500~1000種以上の細菌がいる私たち。私たちの体は、60兆~100兆個の細胞で構成されています。しかし腸内細菌の数だけでも、100兆~1000兆個。私たちは、その90%が細菌からできた生き物なのです。その理由は、細菌の繁殖力にあります。例えば、1個の大腸菌は、24時間後には300兆個にも増えるのですから。体内細菌は、外部から侵入した病原菌を排除し、私たちを病気から守ります。ただ寄生しているだけではありません。しかし有名になった、胃に住むヘリコバクター・ピロリの様に、胃潰瘍や胃がんの原因を作る細菌もいます。その時は、乳酸菌LG21をヨーグルトと共に食べることで、ヘリコバクター・ピロリは激減します。ただしヨーグルトを食べるのをやめると、やがて元に戻りますが。さて、今日も細菌たちが食事を求めています。なにしろ、90%は細菌たちの体です。彼らの意見には逆らえません。今日も、なるべく美味しい食事を頂くことにしましょうか。グルメな住人の、彼らのために。
2007.11.25
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好き嫌いはあるでしょうが、アメリカ元副大統領のアル・ゴア氏の本をご紹介します。2007年6月出版。内容は地球の温暖化です。北極の氷は意外と薄い。暑さはわずかに3m。その氷が解けて割れ、ホッキョクグマが溺れ始めている。南極の氷は厚く、3000m。しかし学者が100年は融けるのにかかると予想した氷壁が、わずか35日で融けて崩壊した。2002年のこと。氷の上にできた水溜りが、異常に早く氷を溶かしたため。グリーンランドの氷は、厚さ1500m。この氷が融ければ、6mも平均海面が上昇する。そして今、その氷は急激に融け始めている。世界のツンドラは、1万年融けていない。そこには700億トンもの炭酸ガスが封じ込められていて、融ければ温室効果が急激に促進される。温室効果ガスは、アメリカから世界の30.3%も排出されている。ヨーロッパから27.7%、ロシア13.7%、東南アジア・中国から12.2%、そして日本は3.7%。アフリカは2.5%だから、如何にアメリカが多いか分かる。日本は例えば自動車の燃費規制で、温室効果ガスを低減している。アメリカもカリフォルニア州で燃費規準を制定しようとした。しかしアメリカの自動車メーカは、なんと州に対して訴訟を起こしその規制を排除した。その結果、燃費の悪いアメリカ車は競争力を失い、世界中で売れない車に変わりつつある。この本では、アメリカが変わるべきと訴えます。様々な企業の思惑から、いつまでも変われない国、アメリカ。しかしアメリカが変わらなければ、世界は危機に瀕するかもしれません。アメリカ、そこは反映を謳歌する国。そして、私たちの運命を左右する国。
2007.11.24
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2007年7月出版の「世界の黄砂・風成塵」を読みました。日本の黄砂は、平均粒径10マイクロメートル。国際法の規定で、「砂」とは大きさ20マイクロメートルから2mmまでのものを呼びます。つまり、日本の黄砂は「砂」ではなく、「泥」なのです。「黄泥」と言われますと、とても汚く感じます。実際、過去の日記で書いたとおり、中国の大気汚染で汚染されているのですが。この本では、黄砂が日本の土地に長く積み重なったと述べています。鳥取砂丘などには、黄砂の層が確認できるとのこと。さらに世界各地でも、雪などに取り込まれた黄砂が堆積した地層が厚く残されています。黄砂で土地が作られているのです。しかし過去の文明も、黄砂で埋もれていきました。また黄砂の発生源では、農耕用の土も奪われてしまうのです。今後、砂漠化が世界的に進めば、多くの土地が風にとばされ、そし埋もれて失われることでしょう。急激に乾燥化が進む世界。キリスト教では、神は塵から人を創世したと言います。塵から生まれた人類は、黄砂とともに生き、そして塵に戻るのです。
2007.11.23
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茶碗という言葉は、うかつに使うといつも混乱します。結局は、お茶を飲む茶碗とか、ご飯を食べる茶碗とか言い直すはめに。抹茶碗も飯茶碗も同じ言葉なのは、本当に紛らわしい。日本人は陶磁器好き。食卓もインテリアも陶磁器に囲まれています。さすが世界最古の土器、縄文土器を、1万2千年前に生んだ国だけあります。海外最古7千年前のメソポタミアの土器を、遥かに凌ぐのですから。しかし磁器では遥かに中国に遅れ、室町時代まで日本にはありません。そして国産で磁器が作られたのは、1616年の伊万里焼。それまでは、磁器に憧れ、様々な陶器が生み出されました。白い長石釉をかけた志野焼は、白い磁器に憧れて作られた陶器です。伊万里焼の磁器の量産は、上流社会でのみ使われた磁器を庶民にも普及させます。そして上流社会の茶会で用いられた「茶碗」をまね、人々は一番大切なコメを「茶碗」で食べるのでした。そうして、庶民のとっての「茶碗」は、飯茶碗となったのです。今日も食卓に置かれた茶碗。私にとっての茶碗は、やはり飯茶碗です。ご飯を茶碗で頂きます。庶民であることに感謝して。
2007.11.22
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見えない光、放射線。この放射線照射による食品の殺菌処理について、私はあまりに何も知らない。放射線照射は殺菌作用があるものの、1968年にアメリカでもハムなどへの照射が禁じられます。動物実験で繁殖能力低下と死亡率増加が認められたため。しかし1999年からアメリカは、牛肉への放射線照射を再開します。食品の殺菌コストが低下するから。しかしアメリカ国内でも、放射線照射した肉は売れません。そこでアメリカは、食品輸入大国の日本を狙います。日本はジャガイモだけは、1967年から放射線照射が認められています。放射線照射で、ジャガイモの芽が出なくなるから。しかし続いて認可されるはずのタマネギの動物実験で、奇形が発生。認可済みのジャガイモのみを残し、1978年、放射線照射は禁止されます。アメリカの食品戦略に従い、2000年に全日本スパイス協会は、唐辛子など94品目への放射線照射を申請します。その放射線の強さは、タマネギの動物実験で奇形が発生した強度のなんと200倍。そして日本原子力委員会での、放射線照射スパイス認可の動きが2005年から推進中です。食品への照射放射線量の検査法がない現状。そして予測できない遺伝子レベルの放射線損傷の危険性。何もかもが見えない、放射線照射がもたらす結果。しかし曖昧な判断で、照射され続けるジャガイモへの放射線。私たちは、今までそのジャガイモを食べ続けてきました。そしてさらに、200倍の放射線を浴びた食品を、94種も食べる特権が与えられるかもしれません。見えない放射線。そして見えない遺伝子の破壊。その予測不能な効果は、やがて日本人の体で証明されるでしょう。いや正しくは、もうすでに、証明されつつあるのかもしれません。ジャガイモによって。少子化という形で。
2007.11.21
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11月は、韓国ではキムジャンの季節。キムジャン、それは文字通りキムチを漬ける季節。会社もキムジャン・ボーナスを支給するほど定着しています。しかし遠い昔、キムチは野菜の塩漬け、あるいは醤油漬けでした。つまりキムチには、唐辛子は入っていなかったのです。韓国で唐辛子が登場するのは17世紀。焼酎に唐辛子を入れて呑む風習が、広がり始めました。とても刺激が強いお酒だったことでしょう。しかし18世紀ごろ、赤い唐辛子は、災いを招く鬼神を払う霊力がある香辛料として、食べられるようになったのです。日本でも、唐辛子はあまり使われていませんでした。うどんですら、唐辛子ではなく、コショウをかけて食べていたのですから。その唐辛子は、昭和初期に広く普及したといわれます。このキムジャンの季節。皆さんも昔を懐かしんでみませんか。キムチは、唐辛子抜き。うどんには、コショウ。そして焼酎には、唐辛子。キムジャン、万歳!
2007.11.20
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フェルメールを語るなら、この人は忘れられない。ハン・ファン・メーヘレン。史上最高のフェルメールの贋作者。メーヘレンは優れた才能の画家。しかし1920年代、オランダの画風はモダニズムが主流でした。反モダニズム派の彼は、宗教的絵画を描き、美術評論家から無視されます。古い絵画の修復で生計を立てるまでに忘れられた彼は、美術界への復讐を誓います。17世紀の無名の絵画を集め、古いキャンバスと枠を手に入れます。青金石、ラピスラズリを含む古い顔料を買い集め、当時の技法で調合します。17世紀の穴熊の毛の筆までも自作したのです。こうして古いキャンバスに、当時の顔料で絵を描きます。メーヘレンの天才的な宗教絵画の技法によって。完成して絵は、暖炉で繰り返し過熱され、丸めて伸ばされます。そうしてできた細かい亀裂に、墨汁を塗りこみ、古色をつけたのです。ここでは美術修復の経験が役立ちました。そして、ついに復讐の時は来ました。フェルメール研究家の権威、プレディウス博士に絵を見せたのです。「この絵に驚愕を覚える。全ては一体化し、崇高な美を形成している。」絵は真作と認められ、彼は復讐を果たすはずでした。しかし、なんと彼は、その絵を売却し、多額の金銭を受け取ってしまったのです。「自分がコントロールできない。ただ、流れに逆らえず、作り続けるしかなかったのです。」その彼の言葉どおり、9作もの贋作を作り、売却したのです。その売価は、フェルメールの真作の売価の1万倍と言われます。そして彼は浪費生活に明け暮れ、女性と麻薬に溺れます。彼が贋作作りを名乗り出た時、誰も信じませんでした。顔料の化学分析でも17世紀と同じその絵は、全くにフェルメールの絵そのものだったから。今日になって、ようやく顔料の鉛210の半減期の違いから、真贋が判別できるようになったほどに。当時、彼の贋作の実演で、ようやくその贋作が認められたとき、評論家はこう述べました。「我々はフェルメールを失い、メーヘレンを得た。」しかし1947年11月12日に有罪判決を受けた彼は、病院に入院します。そして12月30日には他界したのです。死因は心労からの心臓麻痺でした。最高の技術を持って美術界に挑戦したメーヘレン。彼はその歪んだ信念と、自らの欲望の前に、全てを失ったのです。彼は忘れていました。優れた才能も、純粋でなければ、輝かないということを。【関連日記】デルフト フェルメール
2007.11.19
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フェルメールを観たい一心で、行き慣れない国立新美術館の「フェルメール -牛乳を注ぐ女とオランダ風俗絵画展-」に行きました。会場は、この展示会のチラシさえなくなるほどの人出。展示は17世紀頃の油絵が半分、版画が半分です。板に描かれた緻密ですが暗い色調の絵画のエリアを抜けると、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」があります。第2エリアは「牛乳を注ぐ女」一枚。そして大混雑。他の絵より遠く1mほど離れて、A4よりわずかに大きい小さな絵を観ることになります。印象は、とにかく明るく綺麗な絵です。この時代の暗い色調の絵画と一線を画すのは分かります。カメラ・オブスキュラを使った説もある1点に視線が集まる遠近法。たしかに時代を一歩リードしていたのでしょう。37枚しかないという絵の1点が観れて、とりあえず満足です。盗難されて、いまだに発見されていない絵もあるのですから貴重です。しかし、まさにフェルメール1枚のための展示会。見所の少なさは、否定できません。また今回は絵の寓意の説明を期待して、珍しく音声ガイドを借りました。前半は寓意の説明も多く面白い内容でしたが、後半はおざなりな説明と感じました。ところで、デルフトの陶器の展示もありました。しかしミュージアムショップでは、デルフトタイル一枚が22,000円と高額。私としては、会場の1番最後にあるニコラース・ファン・デル・ヴァーイの「アムステルダムの孤児院の少女」がお勧めです。最近行った美術展に、順位付けをします。ムンク展がベスト、次にフィラデルフィア美術館展、そしてフェルメール展が最後でしょう。ムンク展は「叫び」がなくても、十分楽しみました。フィラデルフィア展はここの絵は素晴らしいのですが、まとまりの悪さが減点です。後で音声ガイドを借りてもよかったかと思いましたが。皆さんも、芸術の秋をいかがですか。【展示会】「フェルメール -牛乳を注ぐ女とオランダ風俗絵画展-」【関連日記 1】デルフト フェルメール 【関連日記 2】それは 魂の叫び ― ムンク展 ―【関連日記 3】ふたつの眼に 翻弄されて ― フィラデルフィア美術館展 ―
2007.11.18
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原油の高騰で、ガソリンも値上げ。今更ながら、未発見の石油資源がないかを考えたくなりました。今日の本には、石油が生物起源ではないという説も紹介されています。もし生物起源でなければ、地下深くにも石油があることになります。結論としては、どう贔屓目に考えても、石油は生物起源。ただしメタンは、バクテリアの分解による生物起源と、地下深くでの熱分解起源があります。地下1km深くなると、地温は15℃上昇します。この高温で、メタンが生成しているというのです。このことから、メタンは地下深くにもあることになります。その総量は天然ガスの数十倍で、多量のエネルギー源となり得ます。日本の周辺の海底にも、多くのメタンが眠っています。このメタンの積極的な利用を始める時も近い。度重なるガソリンの値上げに、そう実感するkopanda06でした。
2007.11.17
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15世紀頃の画家の絵には、モノグラムが見られます。モノグラムとは、作者の姓名の頭文字や記号を組み合わせたサインです。例えば、アルブレヒト・デューラーはA.Dのモノグラムを使用しています。しかし当時でも、ダヴィンチやミケランジェロは、作品にモノグラムもサインもありません。その違いは何でしょうか。比較しますと、モノグラムを使うのは、版画も作品に持つ画家です。またイタリアより北のドイツ、オランダなどの画家に多くみられます。つまり、版画などで多量に作成する画家。また、注文ではなく、自ら絵を売り歩く画家に多いのです。生計を絵で立てるには、自分の作品を主張しなくてはなりません。そのために、絵にモノグラムのサインを入れたのです。デューラーほどの画家も、モノグラムでサインを入れました。私たちも大切なものには、サインをすべきですね。皆さん、カードの裏にはサインを書いていますか?【参考】 デューラーのモノグラム:個人のH.P.*ところで、2008年はロイヤル コペンハーゲンのイヤープレートは100周年目ですね。
2007.11.16
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過去を否定したくなる。その気持ちは分かります。人は絶えず、成長しているのだから。形而上絵画で有名なキリコは、過去を否定しました。1910年頃、形而上絵画で有名になりながら、やがて古典的絵画に作風を変えます。そして驚くべき行動に、キリコは出るのでした。1946年.彼はパリのアラール画廊に飾られている彼自身の作品を、贋作と宣言します。それらは1910年頃の形而上絵画でした。さらに1947年、画商サバテロの所持する作品を贋作と断じます。彼自身が売った作品にも関わらず。そして彼は裁判で負け、賠償金を払うことになるのです。しかし次々と贋作宣言を出す彼。画廊、コレクター、さらには美術館にまで。多くが裁判になり、真贋を巡って紛糾することになるのです。彼は自身の過去を否定したくて、真作を贋作と宣言したのです。100点以上の形而上絵画の作品を残したにも関らず。後年の古典的絵画の作品は、十分に評価されなかったにも関わらず。しかし、彼は1933年、1973年に、自身の過去の形而上絵画作品を模写するのです。自身が否定した作風の、ある意味で贋作を作ったのです。この過去を否定しつつ、人気のある過去は捨てきれない。この自己矛盾は、彼を苦しめたことでしょう。自身の真作を贋作と認定し続けた晩年の彼。否定したい過去があり、今を認めてくれない世の中がある。認めたくない過去と、認められたい現在。この葛藤は、とても辛い自己矛盾への入り口なのです。【参考】 キリコの作品:徳島県立近代美術館
2007.11.15
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昨日、8万ヒットを迎えることができました。つい1年前の日記を懐かしく見ておりましたが、まだ1万ヒットに遠い頃の日記でした。この1年で多くの皆様の応援を頂きましたことに感謝いたします。ありがとうございました。1年前の日記のコメントは5名様。そのうちの3名様は、吹雪深雪さんと、★野いちご★さんと、璃花ちゃんさんでした。他のおふたりは、ブログを止められています。1年に渡り、コメント頂きまして、ありがとうございます。これからもブログは続けて行きますので、皆様の応援をお願いいたします。よろしくお願いします。ところで、こんな嬉しい日に、ちょっと悲しいニュースが。嬉しさも半分というところでしょうか。*****<森永製菓>「チョコボール」など主力商品値上げへ(11月13日 毎日新聞) 森永製菓は13日、主力商品の「ミルクキャラメル」や「チョコボール」「小枝」の値上げを決め、小売り各社と交渉に入ったことを明らかにした。12月上旬から、出荷価格を15%程度引き上げる方針。 対象は12粒入りのミルクキャラメルとハイソフト、小枝の48本入り、箱入りの各種チョコボールといった定番商品で、それぞれ30~17年ぶりの値上げとなる。例えば60円程度で販売されているチョコボールは、10円程度の値上げが想定される。原料のカカオ豆や砂糖、乳製品の価格が高騰しており、価格の維持は困難と判断した。 同社は消費者の反応を見たうえで、ほかのチョコレート菓子などについても値上げを検討するという。菓子業界では江崎グリコの「ポッキー」など内容量を減らす形での実質値上げが多く、大手菓子メーカーで価格そのものの変更に踏み切ったのは森永が初めて。* ****
2007.11.14
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表と裏の区別がつかないメビウスの輪。そして外と内の区別がつかないクラインの壺。意外なことだが、クラインの壺はメビウスの輪を2個立体的に貼り合わせたもの。クラインの壺を縦に2つ割にすると、そこにはメビウスの輪が現れる。私の好きなメビウス・ショーツという2個のT型を貼り合わせた立体もあるが、残念ながらネットには見つからない。私にはクラインの壺は納得しがたい。なぜか外と内が明確に区別できる気がしてしまう。陶磁器を見すぎているためでしょうか。しかし、何でしょうか、表と裏とは。そもそも宇宙には、多くのワームホールがあるという。それならば、この宇宙のすべては、実はメビウスの輪であり、クラインの壺なのではないでしょうか。果てしのない宇宙。それは果てのないメビウスの輪、そのものに思えます。宇宙の本質は、きっと果てしのない世界。宇宙が望むのは、メビウスの輪の世界。それは自他を区別しない、愛に満ちた世界。そして私は、いつまでも夢を追い続けます。その果てしのない、メビウスの輪の上で。○メビウスの輪○クラインの壺
2007.11.13
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過去へのタイムトラベルは、決してできない。これは分かっているはずのこと。それでも過去に戻れたら。ワームホールを利用しても、過去へのタイムトラベルはできません。ワームホールは小さく、しかも不安定だから。それでも過去を知りたいなら。原子の内部には、11次元が詰まっていると言われます。しかしその世界は見ようとしても見えない、不確定な世界。「量子の泡」と呼ばれます。その世界は電子の大きさの十億分の一の、さらに十億分の一。果てしなく小さなこの世界には、過去へのタイムトラベルの可能性が秘められています。この世界では、時間すら無意味です。この微小な世界の向こうを覗けば、過去が見えるかもしれないのです。私たちの周囲にも、あるいは体内にもあるはずの原子には、微小のタイムマシンが存在するのかもしれません。私たちの内部にもタイムマシンがあるとすれば、私たちにとって、時間とは何でしょう。タイムマシン。あの時を、忘れられない過去を、取り戻したい。内なる衝動は、タイムマシンを内に秘めた、私たちの必然の摂理。【関連日記】決して過去には戻れないから - タイムマシン -
2007.11.12
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東京都美術館で開催中の「フィラデルフィア美術館展」を拝見しました。個々の絵は素晴らしい。そして個々の絵に力があるだけに、雑多な感もある展示会でした。人気があるのは、ルノアールの「ルグラン嬢の肖像」(左下)です。ルノアールの絵の魅力。そのひとつに「眼」があると、私は思う。見るものを惹きつけるその眼は、優しさに満ちて輝いています。その眼から、生命の力が伝わってくるように。ルノアールの絵では、私は「ジャンヌ・サマリーの肖像」(右下,模写)が好きです。生き生きとしたその眼に吸い寄せられる。この展示会にはありませんが、いつかは拝見したい絵です。「ルグラン嬢の肖像」がある階から移動すると、モディリアーニの「ポーランドの女の肖像」に出会えます。フロアーでも一際目立つ、モディリアーニの絵。死に向う彼が持つ空虚さが、その絵からもあふれています。モディリアーニの絵も、「眼」が果たす役割は大きい。人見がないその眼は、見るだけで命が奪い去られそう。ルノアールの「眼」で与えられた命は、モディリアーニの「眼」によって奪われます。そして、ようやく気がつきます。私が2枚の絵の間で、命の受け渡しをさせられたことに。なんのことはありません。私は「眼」から「眼」への命の運搬役に過ぎなかったのです。もしこの展示会を見ようと思われるなら、注意しなくてはなりません。あなたはきっと、与えられ、そして奪われることになるでしょうから。○「フィラデルフィア美術館展」
2007.11.11
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ドリルで板に穴を開けます。丸い穴が開くはずが、開いた穴は四角形。その様なことが起き得るのでしょうか?四角の穴を開けるには、ドリル先端をルーローの三角形にする必要があります。そうすれば、角が丸いものの、四角い穴が開きます。幾何学の世界は不思議です。しかし、それならば、気になることがありませんか?私が気になること・・・。それは、おむすびころりん。きっとこのドリルを考えた人は、おむすびが好きだったに違いありません。*【参考:ルーローの三角形】1. 一辺が長さrの三角形を描く。2. 次にその一頂点から半径rの弧を描き、他の2頂点を通過させる。3. 同様の動作を、他の2頂点でも実施。4. 弧の辺を持つおむすび形状ができ、これがルーローの三角形。個人のHPですが、四角穴用ドリルの分かりやすい模型などがありました。ご参考まで。○ 四角穴用ドリル模型○ 四角穴用ドリルの動き
2007.11.10
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有名な話ですが、エジソンとテスラは電流戦争をしました。つまり家庭用送電を、直流にするか、交流するかの戦いです。直流を支持したエジソン。そして交流を支持したテスラ。結果はご存知のとおり、エジソンは負け、交流が採用されます。しかし、その争いの中でのエジソンの行動には、狂気を感じます。交流のイメージを悪くするしかない。エジソンは、こう考えました。街中の野良犬を集めるエジソン。集めた犬は、一匹ずつ金属板に載せられます。おびえる犬たちの載る鉄板に、次々と電流が流されたのです。もちろん、その電流は交流でした。それはエスカレートし、大きな象を使う感電ショーが計画されました。さすがに、この計画は中止されましたが。そこで、エジソンは天才のひらめきで、良いアイデアを考えます。ターゲットを、人間にしたのです。死刑の道具の絞首台は、電気椅子に変えられます。そして人間に流される電流は、もちろん交流です。技術宣伝のために、無用に命を奪う行為。それは、決してあってはなりません。天才エジソン。今日の偉人の再評価で、彼の栄光に徐々に現れる陰り。時を越え、その再評価、その酷評を、彼は受けなくてはなりません。それは、生命の尊さを忘れた、彼が背負うべき罪なのだから。【関連日記】○ それでも夢へ挑戦しますか - 稲妻博士 ニコラ・テスラ -
2007.11.09
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海原を泳ぐ人魚たち。彼女達も若い女性。時にはショッピングも、楽しみたくなります。半透明の財布にコインを入れ、今日は海底のお店でショッピング。しかし、どうしたことでしょう。どこかに財布を落としてしまいました。そう、それは、きっとあの時です。海草の合間を抜け、海底の洞窟に潜る時。*海藻の間や、岩礁の隙間には、「人魚の財布」と呼ばれる半透明の袋が見つかります。また海岸にも打ち上げられています。その中には、円形のコイン状のものがある時も。この人魚の財布は、ナヌカザメなどの卵です。そのため、時には人魚の財布には、サメの赤ちゃんが入っているときもあります。サメは血液中に含まれる尿素で、海水中でも生きられる浸透圧のバランスを保っています。この人魚の財布は、サメの赤ちゃんが、海水中でも生きられるようになるまでの、一種の保育器なのです。*人魚の財布は、波に揺れ、やさしく赤ちゃんをあやします。その生命の輝きに、人魚達も、今日のショッピングはおあずけですね。【人魚の財布】海遊館HP (注)名前は綺麗ですが、サメの卵です。あまり気持ちの良いものではありません。 それでもよければ、ご覧ください。
2007.11.08
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昨日は、奈良で地震がありました。ゆらゆら揺れるのは、体調が悪いためではなかったようで、一安心。しかし、私の宿敵、カミナリ様より恐い地震。お助けください。神様、仏様、お釈迦様・・・。ですので、今日はお釈迦様のお話。お釈迦様の体は不思議です。すぐ目立つ頭のこぶ、パーマ状の髪型は受け入れましょう。偏平足もご愛嬌。歯が40本もあるのも超人的な証拠。金色に輝く体も悟りを開いた証でしょう。それに指の間にミズカキのついた手足は、多くの人を救うためと聞きます。しかしおでこの真ん中にあるものは、白い毛が丸まったものとは納得しがたい。なぜこの様な毛玉があるのでしょう。そして一番気になるのは、舌が顔より大きいこと。舌で顔を覆うことができるのです。これを気持ち悪いと思うのは、罰当たり。一生、悟りが開けそうにない私でした。
2007.11.07
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縦、横、斜め。どの列の数字の和も、同じ数になる不思議な数列、魔方陣。魔方陣を作る簡単な方法に、市松模様を利用する手法があります。1、(2)、3 1、8、3(4)、5、(6) → 6、5、47、(8)、9 7、2、9左の括弧の数字を、中央に対して点対称に交換すると右の数列になります。そしてこの右の数列こそ、どの列も和が15の魔方陣なのです。この時の括弧の数字の配置は、市松模様の配置です。例えば、もう一例。1、 (2)、(3)、 4 1、15、14、4(5)、 6、 7、 (8) → 12、6、 7、9(9)、10、 11、 (12) 8、10、11、513、(14)、(15)、16 13、3、2、16この市松模様の方法以外にも、魔方陣の作り方はあります。一例としてご覧ください。もっと大きな魔方陣も作ることができます。市松模様と魔方陣の不思議な関係。この関係さえ覚えれば、もう、魔方陣作りで悩むことはありません。「お隣さんに頼まれて、急いで魔方陣を作らなくちゃ!」という時にも、これで安心ですね。
2007.11.06
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昨日、77777ヒットのキリ番を迎えました。キリ番はゲストさんでしたが、最も近い常連さんは77776番目のミーコ0204さんでした。また次には、0722よしさんが続きます。皆様、いつもありがとうございます。この機会に、今日は「日記 それから」とさせて頂きます。*【高速道路走行中の自動車に落雷! それから】YouTubeで、私の落雷に良く似た動画を見つけました。私の落雷もこの様な状況ですね。【極めて効率的(原爆の正当化) それから】SIR JAPANさんから、エノラ・ゲイの機長が亡くなった話を頂きました。墓石さえないその墓からは、機長も被害者だったことが分かります。【銀杏の悲劇 それから】この時期に書くべき日記でした。銀杏は、ひとり5個程度までとしましょう。【死とひきかえに(マムシグサ) それから】tougei1013さんとレオ0503さんから、マムシグサの実が紅く熟した画像を頂きました。綺麗に紅くなりますね。【明日を迎える喜びを(スズメガ) それから】10月26日のテレビ、探偵ナイトスクープが気になり、拝見しました。オオスカシバをハチドリと間違えるという私の日記と同じ内容。テレビ関係者がこの日記を見ているのかと、自意識過剰。【ゆめの世界へそれから】同じ10月26日の探偵ナイトスクープの3件目はナマコの話。さすがに深海ナマコではありませんが、11月2日もまたオオスカシバ。やはり誰か見ているのかと、疑心暗鬼。*過去の日記は、恐ろしく雑多な情報の集まりです。整理したいと思いつつも、すでに手遅れ状態に。この様な日記を読んでくださった皆様、ありがとうございます。これからもよろしければ、是非、よろしくお願いいたします。
2007.11.05
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1ドル紙幣の裏。そこには不思議なピラミッドの上に浮かぶ、目が描かれています。この目は何でしょう。なぜピラミッドなのでしょう。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、測量士でした。そして男性秘密結社フリー・メイソンの会員だったのです。フリーメイソンでは、ピラミッドは知識と知恵を表します。そして空に浮かぶ目。これはプロビデンスの眼と呼ばれる、全知の眼です。フリーメイソンの会員と公言しつつ当選したジョージ・ワシントン。彼はフリーメイソンが大国を支配したことに、意気揚々としていました。さらにドル紙幣の作成には、同じく会員のベンジャミン・フランクリンが加わります。こうしてまさに、フリーメイソンのための紙幣が作成されたのです。監視する様な、不気味な秘密結社の目が描かれた紙幣。自由の国のはずなのに。男性秘密結社の紙幣。アメリカは、男女同権のはずなのに。ピラミッドが描かれた紙幣。アメリカは、エジプトの植民地ではないはずなのに。自由の国アメリカ。そこは闇にうごめく秘密結社、フリーメイソンの大国なのです。【1ドル紙幣】プロビデンスの目
2007.11.04
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山辺の道を行きつつ、途中にある黒塚古墳に立ち寄りました。ここは三角縁神獣鏡が、33面も出土した古墳です。三角縁神獣鏡、特に「景初三年」の年号がある鏡は、卑弥呼の鏡と呼ばれます。景初三年、卑弥呼は魏に遣いを送りました。その時、100枚の鏡を持ち帰ったと言われます。ところが三角縁神獣鏡には、「景初四年」の年号の鏡もあります。「景初」は三年までしかないことから、日本で中国の鏡を模倣して、年号を間違ったという説があります。中国では同様の三角縁神獣鏡が1枚も発見されないことも、その理由になっています。しかし一方で、「景初四年」の鏡は中国製という説もあります。卑弥呼が送った使いは、景初三年12月頃に魏に着いたことでしょう。急いで鏡を作らなくてはなりませんが、来年の年号が決まりません。仕方がないので、年号の改正はないと考え、「景初四年」の鏡を造ります。しかし迷った挙句に朝廷は、1月を「景初三年」の「後12月」と呼ぶことにします。つまり景初三年は13ヶ月になったのです。そして、2月からを「正始初年」とし、「景初四年」はなくなったのです。困ったのは鏡職人。しかし既に鏡は造ってしまいました。止む終えず、そのまま間違った年号の鏡を渡すことになったというのです。今も昔も、行政の対応の遅れは変わりません。三角縁神獣鏡、それは行政に翻弄される、庶民の嘆きの記録なのかもしれません。○ 三角縁神獣鏡と黒塚古墳あまりに歴史の話が続きました。明日からは話題を変えましょう。
2007.11.03
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徳川五大将軍綱吉は、男子・徳末を失った後は、男子に恵まれませんでした。「かあさん、どうすればいい?」マザコンで有名な綱吉は、母・桂昌院に尋ねます。ところが桂昌院は、祈祷僧・隆光がお気に入り。病気になるたびに、桂昌院は隆光に祈祷してもらっていました。隆光はこう告げます。「前世の殺生のために、男子が生まれない。生き物を大切にせよ。」かくして1685年、生類憐みの令が出されます。それでも男子が生まれないため、ますます厳しくなる禁令。街は野犬にあふれ、肉屋,魚屋,料理店は失業状態に。結局男子は生まれず、娘の鶴姫の婿に世継ぎを託します。しかし鶴姫とその婿は早世し、綱吉の血は途絶えます。ご利益のない生類憐みの令でした。六代家宣は、綱吉が亡くなるとすぐに禁令を解除します。そして隆光はいっきに落ちぶれ、その年のうちに江戸を去ります。そして江戸への登城も禁止され、隆光は奈良県で寂しく亡くなります。隆光の生類憐みの令への寄与は、今日では否定する説もあります。それでも隆光が政治に影響を及ぼしたのは、間違いがないところ。自らの生き方は、自らで判断できなければ、未来はありません。生類憐みの令。おいぬさま、お帰りなさいませ。今日なら、メイド服のお嬢さんがお迎えするところでしょうか。それなら、罪はないかもしれません。
2007.11.02
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法隆寺。多くの人が五重塔や金堂を訪れる。そのなか、私は夢殿のある法隆寺東院に佇んでいました。法隆寺東院。そこはかつての斑鳩宮の跡。山背大兄王の想いの残る場所。厩戸皇子、つまり聖徳太子の子である山背大兄王。人気絶頂で、度重なる皇位継承の機会がありながら、天皇とならなかった王。643年、蘇我入鹿は、皇位継承の邪魔となる山背大兄王を襲撃します。父、厩戸王には、遺言がありました。「諸々の悪をなさず、善を行え」この遺言を守り、山背大兄王は決意します。「もし入鹿と戦えば、私は勝つだろう。 しかし、私ひとりのために、多くの百姓が命を落とすことになる。 それならば、我が身を入鹿にささげよう。」戦闘放棄した山背大兄王。彼は一族23名全員とともに、集団自殺して果てます。その最期の場所が、斑鳩宮。法隆寺東院。今日、法隆寺は、山背大兄王が望んだ平穏に満ちています。東院の回廊を吹く清々しい風は、静かに秋の訪れを報せます。今から1300年以上前、法隆寺には、平和を願うひとりの王が生きていたのです。
2007.11.01
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