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「東京の都心にありながら 江戸の面影をいまに伝える護国寺は 訪れる人々の心のふれあいの場として 昔も今も変わりなく親しまれています。」(公式HP)という護国寺界隈は、その正面となる江戸川橋方面こそ講談社があったりとそれなりの賑わいがありますが、他方面は住宅街と地域を分断する大きな道路、そして墓地が大部分を占める閑静といえばこの上なく閑静なエリアであります。そんな土地柄だから呑み屋どころか飲食店もごく限定される訳で、その分、界隈の人たちはこれらの店のことを大事に思っているように感じられるのです。店が少ないから愛されるのか、それとも大事にされている店だけが生き延びているのかは、それぞれの店の今を実際に訪れて食べて呑んでみるしか確認のしようがないのです。それにしても護国寺のような広大な敷地を持つ施設を背にして商売するというのは相当なプレッシャーがあるように思うのだろうけど、どうなのでしょう。 この夜は、「中華 栃尾」にお邪魔しました。ごく真新しく、町中華らしい風情は微塵も感じられぬ構えの店なのですが、この界隈で暮らす住民や講談社の関係者たちのような比較的リッチ層の人たちを満足させるためには店も小汚い訳にはいかないのでしょう。この夜は下戸の年長の友人と一緒でした。店に入り、店の方にビールの有無を尋ねるとぶっきらぼうに「ビールしかない」とのお答えであった。もう少し言い方ってのがあるんじゃないなんて思いつつもおくびにも出さぬよう気遣いつつ2人掛け席に腰を下ろすのでした。注文時に言葉が発せられる以外は、店内には厨房からのガコンガコンという中華鍋を叩きつける音が響き渡るのみでありまして、雑談しつつ長っ尻することを拒絶するという強い意志が汲み取られるのでした。しかしいいオヤジの我々は店主らが苛立ちをあからさまにするギリギリ手前を見極めてせいぜいくつろぐことにするのでした。にしても今改めて見てもここの焼きそばと餃子は立派だなあ。見た目の麗しさが若干実際の味を凌駕しているような気もするけれど、ちゃんと美味しいんだからねえ。ネットで他の料理も確認してみたのですが、とにかくチャーシューを筆頭に具材がごっつくでかくて実に魅力的なのだ。これは確かに長居されたくはないはずです。ここではグイグイガツガツに徹してちんたら過ごすことは諦めた方がいいかもしれません。きっと、我々が去ったら入れ代わり立ち代わりにお客さんが訪れるのでしょう。
2024/07/01
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坂口安吾に「明日は天気になれ」という文章があります。-- 池袋から赤羽へ行く省線に「十条」という駅がある。この駅名はカナ書き時代「でうでう」と書かれていた。 上の「でう」は十であるからジュウと発音し、下の「でう」は条であるからジョウと発音する必要がある。 なるほど昔から「でう」と書いて、ジュウとよんだばかりでなく、ジョウとよんだにも相違ないのは、ドデウと書いてもドゼウと同様にドジョウのことを指してるのでも分るのである。「皆サン。デウデウと書いて上のデウはジュウとよみ、下のデウはジョウとよまなければなりません。昔の人はチャンとそうよんだものです。ですから、今の人がそうよまないとすれば、それはその人が学問がなくて、不勉強のせいです。その人は落第します」 昔のカナヅカイというものは、まさに右の通りのものである。それを知らないと語源がアイマイになる例もあるが、それは専門の学者にまかせておけばタクサンだ。-- とまあどうだっていいような話ではありますが、ホントかなあって気がします。というのが。世阿弥の『風姿花伝』の第一章が「年来稽古条々」と題されていて、かなにすると「ねんらいけいこでうでう」ですが、この言葉の語尾が「条々」と同じ漢字であることを知らぬ限りは「ジョウジョウ」と読むのか、「ジョウジュウ」「ジュウジョウ」「ジュウジュウ」といずれが正しい読みなのか分からないじゃないか。同じく「餘韻嫋嫋」という四字熟語があるらしく出典は蘇軾「前赤壁賦」とのことなんですが、これは「よゐんでうでう」と書いて「ヨインジョウジョウ」と発音することは「嫋嫋」を知らねばできないということになります。東京の人ならまあ「十条」のこと知ってるのでしょうが、地方の人が上京して来たばかりの人が「でうでう」と掛かれた駅名を果たしてどの程度の人が正しく読むことができたのでしょう。 とまあ今回は十条の酒場なんですが、目指したのは何度通過しても営業してなくって見送り続けてきた「焼き鳥 とり孝」でした。だから目指したといってももちろんやってることを若干は期待しているけれど、締まってりゃそれはそれでまあいいかという程度の気持ちで向かったのでした。近頃、仕事帰りに無理なく立ち寄れる範囲で気になる店って、大概がそういったタイプの店で現地でたまたま通り掛かったらやっていて、そうそうここには以前から来たいと思ってたんだよねってなことが多くなりました。以前のようにはじっくりとリサーチするといった下準備をする時間がもったいなく思えてきたんですね。そんな時間があるなら、って気分になったのは残りの人生をそれなりに意識し始めたからなんだろうと思っています。しかしまあ何はともあれ思いがけずに入れるとなると相応に嬉しく思えるのです。戸を開け放つまでに一切の躊躇はなかったのです。まっすぐなカウンターの奥に卓席2つ。奥にカウンター席ではシルバー夫婦が気分よくお勘定中。客はこの2人のみ。女将さんお一人でやっておられるようでうが、これなら忙しいってことはなさそうです。酒と焼鳥を適当に注文します。そしたら女将さん、調理場から出てきて我々の脇を抜けてとりあえずの酒を出してくれるとまたも億に消え去るのでした。奥に冷凍庫でもあるんじゃないか。ぼくの推測では冷凍庫から取り出した焼鳥をチンしも入ったってとこですが、それがあったかもしれないけれど、どうも冷凍臭いでもA氏はジューシーな肉だねえと好意的な判定です。焼鳥を出すとまたも女将さんは店の奥に消えてしまい、結局、勘定の時まで姿をお隠しになられたのでした。何かちょっと思ってた雰囲気とは違っちゃいましたねエ。これで一人だとちょっと手持ち無沙汰になっていたかもしれません。
2024/02/12
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今回はコーンです。日本人の癖にとうもろこしと言わずにコーンと呼ぶのは不届きであると言われかねないけれど、ぼくの場合、とうもろこしは生のものを指してつかうようにしており、缶詰だったり冷凍物はコーンと呼んでいます。缶詰や冷凍物は輸入品だからコーンと呼んでもさして誤りではなさそうに思うのです。とさももっともらしいことを書いてみたけれど改めて考えてみるとそれだとおかしなことになることにハタと気付いたのです。というのが例えばミックスベジタブルを思い起こしてみるとグリーンピースは他に呼びようがないからまあそれでいいとしてニンジンについては、先の理屈からすると冷凍物や缶詰(があるのかどうか知らぬけれど)の場合はキャロットと呼び習わすのでなければ通らないはずなのだ。しかし、果たしてぼくが日常的にニンジンをキャロットなどと呼ぶかといえばそんなことは決してないのであります。ひよこ豆をガルバンゾーと呼ぶこともないし、さやいんげんをグリーンビーンと呼ばぬのと同様なのです。あれこれと思い浮かべてみたけれど、生のものと加工されたもので呼び方を変えている食材は他に思い浮かばぬから困ったものなのです。いやまあ日本でもコーンは普通に通じるから実際に生活するに際して困ることは何一つないのでありますが、その呼び方の使い分けを理屈をもって説明できぬというのは非常にもどかしく思えるのです。その意味ではじゃがいもも曖昧な立ち位置に置かれていると言えるかもしれません。単なる冷凍物はポテトと呼ばぬけれど、ポテトフライやハッシュドポテトなど加工された途端にポテト呼びするのはどうも腑に落ちぬのです。まあどっちだっていいんですけどね。 インドにもコーンの料理ってあったんですね。たまたまネットで見掛けたコーンサブジを作ってみることにしました。サブジってのはスパイスを使った野菜の蒸し煮したり炒め煮した料理を指しますが、果たしてどうなることやら。【材料】コーン缶 200g/玉ねぎ(ミキサーにかける) 1個/にんにく 2片/トマト(ミキサーにかける) 1個/ピーマン(ミキサーにかける) 2個/ピーマン(みじん切り) 2個/油 大さじ2/水 1カップ/【スタータースパイス】マスタードシード 小さじ3/4/クミンシード 小さじ1/2/クローブ 3粒/シナモンスティック 5cm/ターメリック 小さじ1/カイエンペッパー小さじ1/2/塩 小さじ1/砂糖 大さじ1【作り方】1. 鍋に油を熱して【スタータースパイス】を炒める。玉ねぎ、にんにくを加える。トマトとピーマンのペーストを加える。ピーマンを加える。ターメリック、カイエンペッパー、塩、砂糖を加える。コーン、水を加える。 へえ、思った以上にスパイスとも相性がいいようです。日本人は塩茹でしたり、せいぜいバター醤油って食べ方が主流だと思いますが、スパイスをプラスすることで新たな味覚の世界が拓けるかもなんて思ったりしました。けどリピートしていないことを考えるともう少しシンプルな方がいいいのかな。 って感想に応じた訳ではないけれど、ヤングコーンのクミンバター焼きを作りました。コーンとクミンはいかにも相性が良さそうですから。【材料】ヤングコーン(2等分) 1/2缶/バター 大さじ1/クミンシード 小さじ1/塩・胡椒 適宜【作り方】1. フライパンにバターを熱してクミンシードを炒める。ヤングコーンを加える。塩、胡椒する。 うん。この程度の控えめなスパイス使いが日本人の口には合いそうな気がします。通常のコーンでも良さそうです。これなら普段から食べてもいいかもしれないです。つまりはまだリピートしていないのですね。 マクドナルドにえだまめコーンなるメニューがあるんですね。もうマクドナルドには何年も言っていないからちっとも知らなかった。にしてもなんとも質素なレシピです。【材料】冷凍枝豆 400g/コーン缶 120g/塩・胡椒・オリーブ油 適宜【作り方】1. フライパンにオリーブ油を熱して枝豆、コーンを炒める。塩、胡椒する。 まあねえ。悪くないんですけどね。いかにも子供が好きそうなメニューでポテトを食べさせとくよりは体にいいんでしょうけど、もう少し工夫のしどころがありそうです。 レシピと呼ぶまででもないしめじとほうれん草とコーンのバター炒めです。しめじ、ほうれん草とコーンはまったく別種の食材に思えるけどいずれもバターと好相性。個別に食べても美味しいけれど、合体させてもやっぱり美味しいのだ。【材料】しめじ・ほうれん草(茹でる/ざく切り)・コーン 1/2缶・バター・塩・胡椒・醤油 適宜【作り方】1. フライパンにバターを熱してしめじを炒める。ほうれん草、コーンを加える。塩、胡椒、醤油を加える。 といっても1+1+1=3の倍になったりすることはないのでした。でもほうれん草は1.5位の効果を発揮しているかも。しめじやコーンを上手くからめとってくれるような気がします。これにクミンシードを加えたら案外倍になるかもしれないなあ。
2023/04/20
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上板橋はとても好きな町です。なのに近頃すっかりご無沙汰してしまいました。そんなに好きならいっそ住んじゃえばいいじゃないという意見もごもっともであります。でもずっとひとつのものを好きでい続けるのは非常に難しいものです。好きなものとの距離が近くなり過ぎると悪い面が目立ってくるということもあると思うけれど、それ以上に好きなものにはそれなりの手間を掛けて接近しているうちの方が有難味が出るもののようです。例えば絶版になった古書をやっとのことで入手してみたところで、手に入れた時点ですでに目的の大部分は達せられているのでしょう。町だって似たようなもので、仮に自由に住む場所が決められる状況、環境にあったとしても実際にそこに住んでしまった時点で慣れ親しんだわが町と成り果てるのです。わが町っていうのは家族みたいなもので煩わしさやしがらみがもれなく付いてくるものだと思うのです。ならば電車を乗り継ぎなく行けるとかそうした土地に住むのがいい距離感だとぼくは思っています。幸いにも今のぼくは多方面に乗り換えなしに行ける場所にいるからそういった意味ではそれなりに満足すべきところなんでしょうか。 どうして上板橋が好きなのか、例えば「大松」のような仕出し弁当店で昼間っから呑めるんだから好きにならずにはおられぬのです。駅から十分ほどトコトコと歩いて行くと、やがて板橋区から練馬区へと切り替わります。そんな地元の方に寄り添ったお店なのですが、寄り添い過ぎていてこの日は草野球チーム(?)らしき面々が平日の昼下がりというのにべろんべろんになるまで呑んでいます。卓上には数々の料理が並んでいてどれもこれも旨そう。厨房の奥にいた初老の女性に食事はもうないのよと惨い一言を告げられます。いや、食事じゃなくて呑みたいのだと抗ってみせると、そうなのね、呑むのは大丈夫と思いがけないお答えです。こうしたお店だと大概は中休みとなってだらだら居座られるのを嫌うものと思っていたので、ちょっとびっくり。とりあえずのビールを頼むと枝豆を用意してくれました。でもこれだけじゃちょっと寂しいので何でもいいかできるものないか尋ねたところ焼肉だったらできるわよと立派な一皿を用意してくれました。濃い目の味付けだから酒も進みます。でも、でもね向こうの島ではもう食べるのは十分だってムードも面々の前に大量の旨そうな総菜が並んでいるからまあ悔しい。もう少しまったりと過ごすつもりだったけれど日が悪かったみたいですね。こんな日もあります。と程々で勘定して席を立ったら、配膳口の陳列棚にかき揚げが数枚あるじゃないの。なんだかなあ、これ出してくれたらもう1、2杯は呑めたのにねえ。
2022/06/24
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先日、ペルーのパスタを作って食べてみたその感想を書きましたが、ぼくはパスタが大好きなのです。恐らくぼくの身体の1/3近くは麺類で出来上がっていると思うのです。あとの1/3近くが酒で、加えて1/3近くがカレーで構成されています。近くの部分を埋めるのが他の食べ物ということになりますが、大雑把な試算ではありますが、実感としてそう思っているのです。麺類とはいかにも雑な分類でありますが、パスタばかりでなくラーメンやそばも大好きです。例によってWikipediaによると製造工程に応じた分類というのがまずあって、それは「生めん類、乾めん類、即席めん類、マカロニ類(スパゲティ類)、冷凍めん類の5つに分けられる」ようえす。これを眺める限りにおいて、ぼくはいかなる製造工程や製法にあってもそれぞれを大いに好んで摂取しているようです。次に素材とでありますが、これについては明確に好みが反映されています。小麦粉を材料とするパスタ、中華麺は大好きですが、うどんやソーメンは好きだけれど毎日までは食べたいとは思いません。最優先される条件は素材でありそこに製法を加味することでぼくの好みが分かれるみたいです。原材料と製法がもたらす差異としてイメージされるのが食感の違いになりそうで、ぼくはもちもち食感にはさほどの興味はなくてむしろ歯切れのよい麺が好きみたいなのです。パスタの仲間に含まれるらしいニョッキを麺とは思いたくないのです。同じ小麦粉で作られるすいとんやそば粉から作られてもでもそばがきは麺類には含まれることは少ない気がします。まあ世の中の全てを名付けたい、分類したい、それを俯瞰したいという欲望は近代の産物であることはミシェル・フーコーを引くまでもないことであり、近代以前には名もなき料理があるだけだったはずだったのに分類したいという欲望は多様性の喪失をもたらしたのかもしれません。いずれにせよ、ぼくの人生においては、パスタ=>そば=>ラーメン(中華麺)が代わる代わる食卓に上がってきたのであって、今はまさにパスタの時間なのです。かつてのパスタの時間では本格的なイタリアンにのめり込んでみたり、ひたすらナポリタンばかりを食べてみたりと時々で違った傾向を示したのですが、今回は,パスタの本場のイタリアを排したイタリア以外の国の調理法が気になって仕方がないのです。調べてみるとあるもんですねえ。世界各国で様々なパスタ料理が存在して、本場イタリアと似たり寄ったりのものもある一方で同じパスタを使ってこうも違った料理になるものだろうかと驚かされるものも少なくないのです。日本にしてもナポリタンをはじめあんかけスパゲッティや鉄板焼きスパゲッティなどもあるのだから。でも思うのですけど、世界中に小麦粉を用いた麺類があるのにパスタが余りにもてはやされるのは納得がいかない気もするのです。 とかなんとかくどくどしく書きましたが、パスタが好きなことはイタリア人にも負けぬのではないか。保守的なイタリア人よりも本場イタリアの料理ばかりでなく、他国のイタリア人が認めることはなさそうな料理も嬉々として食べるのだから圧倒的にキャパシティが広いのであります。今回はオーストリアとアメリカのパスタ料理を作って食べてみた感想になります。この2品を選んだのには理由がありますが、それはまた今度説明します。キャベツのフレッケル(Krautfleckerl)[オーストリア]【材料】キャベツ(一口大) 250g/玉ねぎ(みじん切り) 1/4個/ベーコン(一口大) 20g/サラミ(一口大) 70g/キャラウェイシード・砂糖・バター・塩・胡椒・クミンパウダー・パプリカパウダー・コンソメ・パセリ 適宜/パスタ (freckerl/SP/茹でる)【作り方】1. フライパンにキャラウェイシード、砂糖を熱する。バター、玉ねぎを加える。サラミ、ベーコンを加える。キャベツを炒める。塩、胡椒、クミン、パプリカパウダーを加える。湯、コンソメを加える。パスタを加える。 キャベツにキャラウェイシードは定番ですが、パスタと絡めてしまうとは。クミンや砂糖を用いるのも日本人ばかりでなくイタリア人もびっくりかも。本来はフレッケル(freckerl)なる平べったいショートパスタを用いるようですが、なかなか入手が難しそうなので、コンキリエにて代用。一口目は甘味に違和感を覚えましたが、すぐに口が慣れてこれはいいですね。冷蔵庫の残り物でできてしかも調理が手軽なのも特筆すべきポイントです。白ワインとの相性もいいですね。 続いては、アメリカのアメリカングヤーシュなるパスタ料理です。グヤーシュはハンガリーの肉のパプリカ煮込みで以前作って非常な美味に驚かされました。【材料】玉ねぎ(みじん切り) 1個/にんにく 2片/牛ひき肉 200g/オリーブ油 大さじ1/タイム・オレガノ 小さじ2/パプリカパウダー 大さじ1/塩・胡椒 小さじ1/トマト水煮 1缶/チキンブイヨン 100ml/ローリエ 1枚/マカロニ 200g/溶けるチーズ 50g/イタリアンパセリ 大さじ1【作り方】1. 鍋にオリーブ入れて熱して玉ねぎ、にんにくを炒める。牛肉を加える。タイム、オレガノ、パプリカパウダー、塩、胡椒を加える。トマト水煮、鶏ガラスープの素、水、醤油、ローリエを加えて弱火で20分煮る。マカロニを加える。火を止めてチーズを加える。皿に盛ってパセリを添える。 でもこちらのパスタ料理は似ても似つかぬ仕上がりです。牛肉、パプリカを使ったトマト風味であることは共通しますが、スープ感は希薄です。でもキャベツのフレッケルと違ってイタリアでも普通に使いそうな食材でこんな料理を作ってしまうとはアメリカもなかなかやるじゃないか。移民の国らしい各国のいいとこどりをしたような料理でとても気に入りました。
2022/04/19
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日本人におけるオヤジ像ほど時代とともに変遷を経た不安定な存在はいないような気がします。いやまあ女学生にしたって随分と様々な変貌を遂げてきたことはいちいち例を挙げてみるまでもないけれど、オヤジという存在こそが現代史において最も大きな変化を被ったと思うのです。そう考えるのは現代史の発端においてオヤジは不在する者として存在したからです。理由は明白で日本が現代に推移する頃にオヤジたちは戦地へと出征を余儀なくされていたからです。などと統計的・資料的な根拠も示さずに思い付きを並びたててみたわけですが、かつてのオヤジたちが虚像ながらも放っていた威厳だったりが見事なまでに陥落したことはほぼ紛れのない事実であるはずなのです。確かに酒場には昔からオヤジたちが溢れていて、家庭にオヤジの存在は不在の者として認識されていたと記憶します。たまに帰宅すると黙っていても枝豆、ビールにナイター中継と上げ膳据え膳の待遇の良さ。ところが今のオヤジたちは自宅に居場所を失いながらも家庭的な気分に浸りたいが故に居酒屋を訪れることが多いように思うのです。帰る場所があっても帰ろうとしなかったかつてのオヤジたちと帰る場所がないから居酒屋に足を剥ける今のオヤジたち、果たしてどちらが幸福だったんだろうか。いやいやどちらもとても幸福には思えぬという意味では、実は昔からオヤジってのはちっとも変っていないのかもしれません。 そんな想像を金町の「地鶏 若」で浮かべたかというと、少しも考えたりはしなかったのですが、今にしてみるとそういう想像を喚起させるようなオヤジたちがたむろする酒場だったかもしれません。ってまあ先ほど語ったことが本当ならばオヤジというのはいつだって不幸に見えてしまう存在なのだからそう思い込むのもむべのない事なのです。しかも質の悪い事にその不幸のオーラは人々に憐憫とか同情を一切及ぼさないのであります。そういう世代に足を踏み入れつつあるぼくにとってはより一層の不穏な気分を喚起されるのは仕方のないことなのです。とまあ、ここが孤独なオヤジたちを吸引する強いオーラがあるというわけでもないのですが。見た目にはちょっと広めに席が配置されたひと昔前の普通の居酒屋であり、そのゆとりのあるところがどこかしら田舎めいて感じられます。少しも酒場であるという気負いを感じさせぬ地方の小都市の食事処のような散漫と下印象のお店、近頃ちょっと好きになっています。面白いのが広いにも関わらず、客たちは窮屈に設けられたカウンター席に肩をくっつけるように寄り集まっているのです。ふた昔前に本来は熱力学の理論であったエントロピー増大の法則が使い勝手の良いメタファーとして体よく乱用されましたが、この居酒屋においてはこの法則は当てはまらないようです。店の初代夫婦と二代目のリラックスムードは嫌いじゃないけれど、肴はもう少し工夫しても良さそうだと思ったりもしていかにも家で呑んでいるのとそうは変わらないんじゃないか。エントロピー増大に寄与するオヤジ直前のわれわれには焼酎のボトル吞みがお得であることに大いにメリットを感じさせるところが魅力といえば魅力であるけれど、他のオヤジたちは本当にここの家庭っぽさに惹かれているとしたら、このオヤジホイホイ化の経営戦略は取り入れる可能性を秘めているように思うのです。
2022/04/15
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ぼくが子供の頃、ドリフのコントだったりマンガなんかでオヤジたちが仕事帰りに呑み屋に立ち寄るという描写をよく目にしました。今でもアニメ版の『サザエさん』を見ていると、波平やマスオもしくはノスリケやアナゴ君でも構わないけれど、彼らが立ち寄る呑み屋は焼鳥屋、おでん屋、ビアガーデンが主流-たまにはスナックだったり寿司屋なんかも出てくるけれど-です。でもこの3つの酒場における業態が現在一般的かとなると、ぼくには現状を正確に再現しているようには思えぬのです。だって、焼鳥やおでんの専門店は庶民が呑み屋として夜毎利用するには高級すぎるからです。焼鳥をメインに扱う店では銘柄鶏など素材そのものが高級だったりして、ぼくも稀には食べさせてもらうこともあったりするけれど、自腹で行くには降って湧いたような臨時収入でもないとなかなか暖簾をくぐる気にはならないのです。おでん屋だって似たり寄ったりで、本来、庶民の食べ物であるはずのおでんですが、専門店になると途端にいっぱしの日本料理の扱いになって、たかだか大根を煮たものが300円とかしたりするからさすがに躊躇してしまうのであります。おでんというと屋台で提供されるとう光景も昔はよく描かれたものですが、御存じのように今では高嶺の花と成り果ててしまい、とても慎ましい小遣いでやり繰りしなくてはならぬ庶民派サラリーマンがおいそれとは通えぬようになったのです。 ところが、焼鳥店に関しては都内近郊でもごく限られたエリアでは比較的手頃に食べることができるのです。無論拘りさえなければ大手のチェーン居酒屋には焼鳥をメインに据えたお店もあるのだから単にどうしても焼鳥が食べたいということであればそちらに行けばいいのでありますが、当然ぼくにはそんな考えなど毛頭ないのであります。やはり、個人経営の独立した店に行きたいのであります。そしてどうしても焼鳥を食べたいのなら例えば千葉の本八幡や柏なんかでは焼鳥店が優勢なのです。実際に酒場全般に対する焼鳥店の割合を調査比較して訳ではないので印象に基づいた非科学的な分析-非科学的な分析とは語義矛盾でしかないけれど-なのでありますがその辺はご容赦頂きたい。都内では今パッと思いつかぬけれど、青砥はやきとんより焼鳥が優勢な気がするのだがどうでしょうか。一応お断りしておくと、東松山なんかではやきとんのことをやきとりと呼び習わす伝統があるようだけれど、あれはあくまでもやきとりであって、どうしたって焼鳥とは別物であるのだ。とまあ、高級焼鳥への恨みつらみとそれを普通に食べることができるハイソサイエティなピープルたちへの嫉妬と憎悪を述べるために青砥という町を取り上げたのであります。青砥駅の傍にある「こまどり」は見た目から庶民派っぽさが前面に出た正真正銘の焼鳥店であり、カシラなど所謂やきとんもあるけれど、ここでは焼鳥のついで、おまけに過ぎぬのであります。日本三鳴鳥として可憐な鳴き声で知られるこまどりを店名に充てるこのお店は、断るまでもなくこまどりの肉を提供しているわけではなく、ちゃんと鶏の肉が基本となっている正統な焼鳥店でありしかも手頃なのです。アクリル板の仕切りがちょい残念でありますが雰囲気もなかなか良いのですね。この雰囲気に吸い寄せられて初めてのつもりで何度かお邪魔しているのです。今回はここはきっと来たことあるんだなあと思ったらやっぱりお邪魔していたことを後で確認することになるのですが、それはまあ差し支えないのであります。いつもやきとんばかり食べているとたまには焼鳥が食べたくなるもので,そんな時には青砥に出向けばお手頃に焼鳥が食べられることを覚えておくのは酒場好きの教養として記憶に留めても良いのではないかと思うのです。
2022/02/23
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すでに『ひきだしにテラリウム』で第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞を果たすなど短編マンガ家として評価の高かった九井諒子氏が『ダンジョン飯』で大ブレイクしたことはまだ記憶に新しいことです。素人マンガ読みのぼくは『ダンジョン飯』が様々なランキングで評価されて初めて同作やそれ以前の作品を遡及して知ることとなったのですが、まだ作品数も少なくてその作家性をどうこうと語るのは時期尚早な気もしていて、この先どう化けていくか楽しみにしているマンガ家さんなのです。 現時点での代表作は唯一の長編作品である『ダンジョン飯』ということになりますが、ダンジョン内での自給自足を実現するために魔物を料理して食べるという、失礼な言い方をするとワンアイディアから生み出された物語が今や10巻を越えるに至ったのだから、九井氏が単なる奇想の持ち主であると割り切れぬだけの自在な想像力を持ち合わせていることも証左ともなり得ていると思うのです。それは3冊の短篇集を読んでいれば自明でありまして、ワンアイデアで押し切る作品もあったりするのですが、そこには多様なアイデアを表現する筆致と豊富な教養、上品なユーモアが裏打ちされているのであります。いつまででも続いてほしいしこの先もずっと読み続けたいマンガ作品ではあるのです。『ダンジョン飯』にも酒場が頻繁に登場してきて楽しいのですが、それ以上にダンジョン内での野営で様々な魔物を手に入れて、解体・調理し料理となっている過程がリアリティがあって、例えば以下のサイトでマンガ飯として再現したものよりよほど見ていて楽しいし美味しそうに思えるのでした。https://mangashokudo.net/tag/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E9%A3%AF 『ダンジョン飯』を面白いと思う一方でこれまでの作品には九井氏の才能の一端しか表現されていないのではないか、ぼくを含む多くの読者を魅了してくれる未だ描かれざる作品アイデアが山積しているんじゃないかという気もしているのです。『ひきだしにテラリウム』(イースト・プレス, 2013)『ダンジョン飯 第2巻』(KADOKAWA, 2015)『ダンジョン飯 第4巻』(KADOKAWA, 2017)『ダンジョン飯 第7巻』(KADOKAWA, 2019)『ダンジョン飯 第8巻』(KADOKAWA, 2019)『ダンジョン飯 第9巻』(KADOKAWA, 2020)『九井諒子作品集 竜のかわいい七つの子』(エンターブレイン, 2012)『九井諒子作品集 竜の学校は山の上』(イースト・プレス, 2011)
2022/02/17
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だらしなくお盆休みを過ごしてしまった結果、ブログのストックも底をついてしまいました。ということなのでしばしの間は、書きなぐりの文章をアップロードして継続性を保持するという対策にてご勘弁願うことになりそうです。怠惰の極みのような日々を過ごしてしまったわけですが、それでも料理だけは作り過ぎて食べきれなくならぬ程度には毎日コツコツと作り続けたのでした。 さて、それはさておき今回作ったのは、ガンボです。アメリカ料理は、不健康な印象があります。それは必ずしも偏見とばかりは言えないと思うのですが、ファーストフードばかりを食べているという印象があります。映画なんか見ていてもやたら豆(特に西部劇に顕著です)や肉ばかり食っている気がする。ニューヨークなどの一部地域は朝食でも数千円取られるような高級料理店やヴィーガンなどの健康志向の料理がもてはやされたりもするのでしょうが、地方都市の食事は概して不健康に思えるのです。ガンボは、フランス領ルイジアナ時代の移住者らによりもたらされたヨーロッパやアフリカ、アメリカ本土のといった多様な人々や文化の影響を受けたクレオール料理の一種とされており、ケイジャン料理とも通じているようです。その特徴としては、ハーブやスパイスを多用するところにあるようで、万能調味料のケイジャンスパイスを用いたレシピも見られるなど、映画で目にしてきたアメリカ料理とは一線を画しています。オクラがマストである以外はエビなどの魚介が入ったり、よく用いたられるトマトすら抜きのレシピもあったりして、もはやガンボという料理が家庭ごとの差異を越えて、オクラを用いたスープの総称のように思えるのでした。ともあれ、今回作ったレシピは各種のレシピサイトなどを参照しつつ、それこそオクラさえあれば自宅にある食材のみでいつだって作れるというところを目指したものとなっています。オクラはそもそも味なんてないから、平凡なトマトスープじゃないのなんて思って食べてみたらこれが不思議な位に地味深くしみじみとした他にはない美味しさなのでした。やはりどんなレシピも予断など持たずに試してみるのがよろしいようです。ガンボ【材料】鶏肉(2cm角) 200g/オリーブ油 大さじ2/にんにく 1片/ピーマン 3個/玉ねぎ(粗みじん切り) 1個/セロリ(粗みじん切り) 1本/オクラ(薄切り) 15個/トマト水煮 1缶/チキンブイヨン 600cc/ソーセージ 4個/ローリエ 1枚/ドライオレガノ・ドライバジル・ドライタイム・カイエンペッパー・パプリカパウダー・塩・胡椒 適宜【作り方】1. 鍋にオリーブ油を熱してにんにく、玉ねぎ、ピーマンを炒める。鶏肉を炒める。2. 1.に残りの全ての材料を加えて煮る。
2021/08/20
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このブログもすっかりレシピブログ化しつつありますが、それもたまには悪くないけれど本意ではないから久々にマンガに描かれた酒場などを巡ってみることにします。今回そして次回は、施川ユウキ氏の作品からピックアップします。といっても施川氏自身が自覚的なように(『え!?絵が下手なのに漫画家に?』)、けして画力のある方ではないから手持ちの過去作品をさらってみたけれど、それほどに見栄えのするコマはありませんでした。でも代表作のひとつである『鬱ごはん』に登場するチェーンの居酒屋だったり飲食店には奇妙なことに惹かれるものがあるのです。律儀なばかりで個性を欠いた店舗の描線が主人公の孤独さや寂寥感を際立たせるのに有効であるからなんでしょうか。氏のマンガ作品のテーマは表面上の剽軽さに対してかなり内省的な側面が基底にあって、それが必然が偶然かは判然とはしないけれど淡々とした画風とマッチしているように思え、そこに惹かれるのです。『オンノジ』(秋田書店, 2013)『がんばれ 酢めし疑獄 !! 第3巻』(秋田書店, 2002)『鬱ごはん 第1巻』(秋田書店, 2013)『鬱ごはん 第2巻』(秋田書店, 2016)
2021/07/22
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「白ゆり」 八丁畷「小料理 さくら」 川崎新町「小料理 おけさ」 小田栄「つくし」 小田栄「河童亭」 浜川崎「丸一食堂」 浜川崎「酔い処」 浜川崎「焼鳥 みち庭」 小川町「やきと りてるちゃん」 小川町「う゜」 小川町
2021/07/15
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ぼくを料理をする人間から料理好きな人間に変化させた樋口直哉氏について,詳述するだけの材料もないし、そもそもその著作にすら触れ得ていないのだからこれは紹介というような消極的な行為ですらありません。が、人間だけが料理するという特権を持ち合わせている以上は、その権利を積極的に行使すべきと思わなくもないのです。樋口氏は、専ら経験に頼っていた調理技術を知識に基づく科学的な調理法を豊富で分かり易く紐解いてくれたのでした。プロの料理人の用いる最新の料理法などは、さすがに自分で試してみたいとまでは思わぬけれど、古典的な料理を再現したり、ズッキーニやピーマンなどをじっくりじっくり時間を掛けて火を通すのは実際に試みてもみたくなり、前者はすでに試したこともあるのでした。といった具合に、果たしてこんなシンプルな材料で美味しくなるのか未だに懸念しつつ再現を試みているのですが、多少なら誤魔化した手順で作っても驚くばかりに美味しくなるのだから驚きです。さて、ということで、樋口氏のレシピなどを基にして、とある夜に用意したのが以下となります。1品目:サラダ(グリーンカール、ルッコラ、ラディッシュ、マッシュルーム、適当なチーズ(樋口氏レシピ:<a href="https://cakes.mu/posts/22442">お店風サラダのポイントは「Clean」「Crisp」「Cold」</a>)⇒以前は、ドレッシングがやけに酸っぱくなったり甘みを加えないとピシッと決まらなかったのですが、これだけはまず基本に忠実にやってみるのが大事ですね。今更ながら単純に思えるサラダの奥深さを知りました。2品目:カブとラディッシュのマスタードグリル(先般の<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/nilic/diary/202104040000/">ブロッコリーのレシピ</a>を援用してみました。)⇒ブロッコリー以外でも汎用性ありそうと試してみたら、とても良かった。これは応用範囲が広い超簡単レシピで気に入っています。3品目:白いオニオングラタンスープ(樋口氏レシピ:<a href="https://note.com/travelingfoodlab/n/n6ee0ca97073b?magazine_key=mab0f1aba24f8">〈新玉ねぎを使って〉白いオニオングラタンスープ</a>)⇒オーブンを温めるのが面倒なので魚焼きグリルで表面を炙りました。樋口氏の料理のようにきれいな焼き色が尽きませんでしたが、非常に美味しい。コンソメなどの旨味の追加は全く不要に思えました。グラサージュという技法は色々と使えそうです。4品目:ベストロールキャベツ【包まないヴァージョン】(樋口氏レシピ:<a href="https://note.com/travelingfoodlab/n/n8c09f4782779?magazine_key=mab0f1aba24f8">ベストロールキャベツの作り方 パンかご飯か問題</a>)⇒食と呑に勢いがついてつい、見栄えの悪い翌日以降用のロールキャベツにも手を伸ばしてしまいました。安いからと買い過ぎてちょっと傷んだキャベツの消費のためちゃんとくるめるだけのキャベツが確保できなかったので、鍋底と肉の上にびっしりとキャベツを敷き詰めました。ついでに余り物のマッシュルームとぶなしめじも追加。そんないい加減な作り方でも驚くほどに旨かった。かつてはワインやらコンソメやらで味を加え過ぎていたのかもしれません。ご飯の繋ぎはパン粉よりいい感じです。5品目:パレスホテルのマロンシャンティイおまけのモンブラン。間違いのない美味しさ。ここまでは手作りするつもりはありません。
2021/04/25
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西岸良平氏のマンガ作品における酒場や喫茶店を長々と眺めてきましたが、その最終回でマンガにおける大長編の話題になりましたが、そうなるとマンガ以外のジャンルでもぜひ大長編について触れてみたくなったのでした。というかマンガでは、ぼくの夢想している程のボリュームある大長編はどうやらまだ世の中には存在しないように思ったので、まずは同じ書籍というカテゴリーから小説における大長編を調べたくなったのです。そしたら意外なことやまったく未知の存在を知ることになったりそれなりに興味深くはありましたが、ぼくの大長編意欲を満足させるには至らぬことが判明したのでありました。 さて、最長の小説としてギネスに登録されているのは、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』だそうで、原文にして3,000ページ、960万字を超えるボリュームとのこと。でも実はちゃんと読めたかどうかはさておくこととして、ちくま文庫から刊行された井上究一郎の訳による10分冊を1年掛かりではあったけれど、何とか最後まで辿り着いたという個人的な経験があるから、これが最長と聞かされると、ふ~ん、こんなものかと思わぬでもないのであります。まったく知らなかったのは、ヘンリー・ダーガー『非現実の王国で』という小説の存在で、15,000ページ超えというから確かにすごい気はするけれど、先のプルースト作品よりはずっとリーダブルであるだろうことは抜きにしても5年あれば読めることになるから、それほどのものではないように思えるのです。他にもマドレーヌ・ド・スキュデリー『ル・グラン・シリュス』なる小説があるようですが、これはどうも当時の貴族階級のゴシップネタを小説仕立てにしたもののようで、どうにも食指が動きません。また、K・H・シェールらによる世界一長い小説シリーズ『宇宙英雄ペリー・ローダン』がありますが、これは実際には多くの作家が関わっているので、ちょっと違う気がします。やはり大長編というのは、ただ独りの作家の狂熱によって生み出された作品であるべきと思うのです。といったところで、海外の作家について綴るだけで長くなってしまったので、日本の大長編小説については、次回送りにします。
2020/12/12
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金町、亀有、綾瀬は新型コロナ騒動に振り回される以前は頻繁に訪れていました。というか、思い出したように訪れてはそう面白さにハマってしまい、立て続けに訪れてはそのうちに憑き物が落ちたかのようにすぐに飽きてしまいまたご無沙汰してしまうというパターンが定着していました。亀有にはそれでも何とかジャパンとかいうパティスリーが気に入ってしまい、洋菓子など買い求めに立ち寄ったりしたものです-特にモンブランとピスタチオのケーキが上等!-が、ここ金町に呑みに訪れるのは半年振りくらいになるだろうか。というか簡単に半年と書いたけど、それって考えてみると結構な歳月ですねえ。今更ではあるけれど、その度たびを大事にしないといけないなあとしみじみ思うのです。 金町駅から江戸川に向かってしばらく歩くと、やがて水戸街道と外環を結ぶ大きな道路にぶち当たるのですが、その道路沿いにはちょっと気になるお店、そのほとんどは中華飯店で以前車でよく通り掛かり眺めたものです。でも眺めるばかりでわざわざ訪れようとは思っていなかったのですが、先日近隣住民から変な店名のお店があるよという情報をもらったからすぐさま出向いたのでした。そこは何度も見掛けた「新潟ラーメン」の裏手にありました。「スナック 虫」というお店です。この店名の意図するところはぜひとも店の方に確認を取りたいところですが、そこそこの投資と時間を費やしてまで知るべき情報か迷ってしまって結局行かず仕舞い、ってまだまだ営業までは時間がありそうです。迷うための時間を確保するため目星を付けておいた「あいちや」に行ってみますが、こちらは通しの営業と思って候補にしたのにシャッターは半開きの状態で当分開店までは時間がありそうです。 であれば、こちらも大きな道路に面した中華飯店「上乃家」を目指します。こちらはやはりやっていました。車で通った時もいつも元気に営業中という感じだった記憶に間違いはなかったようです。店内はこれぞ王道の中華飯店。ほとんど壁に向き合うような形になるカウンター席も哀愁があった良いなあ。赤身の色彩に哀愁を感じられるのが中華飯店の味わいであります。5時前という時間もあってか他にお客さんはおらず、店内にはテレビと調理する音がするだけで寂しくはないけれどとても静かです。こういう場所でも平気で大きな声で喋る人がいるけれど、ぼくなんかはどうも声を潜めてしまうのです。別にヤバいことを話しているわけじゃないんですけどね。突き出しの枝豆と安価なおつまみの定番であるメンマを摘まみながら暗くなる前にのんびりビールを呑むのは何たる贅沢なことか。写真には一口分が移っているだけですが、こちらの餃子はちょっと温いのが残念ですが、濃厚な味わいのタイプで美味しい。ビールが進みますが、ここで清酒に切り替えます。この後の目当てがあるからですが、あまり食べすぎぬよう焼きそばを注文しました。肉っ気のまるでないシンプルな品ですが、これでも美味しいのが焼きそばの偉大なところです。ここにこしょうをたっぷりと振りかけて食べればそれだけで満足の酒の肴となるのであります。家で作っても旨いけれど、なぜか人に作ってもらうとずっとおいしく感じられるのが不思議です。こういう不思議をちゃんと感じられるのは今回の事態がなければ味わえなかったと思うとちょっと皮肉な感じです。
2020/09/05
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その1で、このシリーズの起源について勘違いしていたと書きましたが、その勘違いの所以について書き記しておきたいのです。まずは分かり易いところから言えば、愛川ジョナサンが「『男はつらいよ』と常に同時期の公開だったことから、「トラトラ対決」(「トラック野郎」と「寅さん」の対決の意)と呼ばれていた」と語るように松竹の「寅さん」の対抗馬としてぶつけてきたと考えるのが想像しやすいところです。でも以前引用したようにの愛川がテレビドラマ『ルート66』の様なロードムービーの企画を持ち込んだという事実を知ると、前者は後付けの着想であり、やはり発端は持ち込み企画というところに落ち着きそうです。 では、ぼくはどういった誤解を抱き続けてきたかをご説明します。それは、監督である鈴木則文のシリーズ以前に関わったとある作品が発端となるのです。加藤泰の監督による『車夫遊侠伝 喧嘩辰』(1964)です。映画はご存じなくても北島三郎の歌う『喧嘩辰』を知っているという方はおられるのではないでしょうか。そう、この映画の挿入歌として用いられているのです。まあ、歌のことはとりあえずはどうでもよろしいのです。この映画のストーリーは、明治末期の大阪を舞台に車屋(人力車の車夫)の喧嘩と惚れた振られたの物語。と書くと人力車とトラック、明治と昭和の違いこそあれ、物語の骨格はまったく変わっていない、換骨奪胎といったところでしょうか。この映画の脚本が監督の加藤と鈴木則文なのです。この2本の類縁に気付いた時には秘かな興奮を覚えたものですが、Wikipediaの記述を読む限りは思い違いだったようです。いや、鈴木がそれを意識しなかったわけもないから、プロットや主人公の性格付けなんかは過去の作品の好みのモチーフを援用していることには意識的だったのかもしれませんが、それを確認する術はありません。ところで、『男はつらいよ』の第1作で、なんと寅さんが北島三郎の『喧嘩辰』を歌うのです。しかも、歌詞には「御意見無用」と歌われていて、これは既述した『トラック野郎』の第1作のサブタイトルになっているのでありました。 第5作『トラック野郎 度胸一番星』には、近頃ファンを増やしているらしいスナックコーナー、つまりは自販機販売がメインのドライブインも登場します。マックバーガーというハンバーガー自販機などもちらりと見えますが、桃さん、ジョナサンが食べるのはカップうどんでありました。新潟のドライブイン「越後獅子」は流しそうめんが名物でトラック野郎たちも子供のように楽しんでいます。パチンコや理髪店も完備、2階には「Bar ヘッドライト」(内装はドピンク)もあったりして、まさにトラック野郎の楽園のような場所になっています。コカ・コーラに加えて、亀田のあられ・おせんべいの広告もソツなく入れ込んでいます。この映画では、佐渡ヶ島がたっぷり登場し、いつも以上に旅情がそそられます。ライバル役は、千葉真一(ジョーズ)。トラック野郎 度胸一番星(期間限定) [DVD] 第6作は『トラック野郎 男一匹桃次郎』。登場するドライブインは「唐津乙女」。フグ鍋なども提供しているのがご当地らしくて楽しいのです。「やどりき(寄生木)」なんて店も出てきましたが、これはこのシリーズでは珍しい純然たる居酒屋でちょっとうれしくなります。子連れ狼と呼ばれる敵役は言うまでもありませんが若山富三郎であります。トラック野郎 男一匹桃次郎(期間限定) ※再発売 [DVD]
2020/06/20
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赤羽の奥地に対する好奇心はこれから報告する一軒の酒場との出逢いがきっかけとなっています。いや、実際にはこの前に訪れた際に再びちゃんと赤羽を探索しなければなるまいと考える端緒となった酒場もありますが、そこについてはすでに以前報告済みです。今回のお店は赤羽酒場巡りを改めて行わなければなるまいということへの確信を植え付けられたということでも重要な酒場となりそうです。 お店の名は、「はましん」と暖簾に記載されています。写真からは暗くてよく見えないかもしれませんが、トタン張りの店舗はいかにも古びていて、このところの極端な気候変動による風雨を乗り越えてこれたことが不思議な位のお店なのです。店内もたまらんですね。こういうのが嫌いな人が少なくないですが、今のうちに身をもって体験しておかなければ遠からずこうした酒場は消滅してしまうように思うのです。特に煮染められた壁やら天井は、煙草の脂によるものであろうからこの先、このノルタルジーを否応もなく喚起するべっ甲のようなどこか心の深いところに染み渡るような茶の空間は今だけの贅沢かもしれない。肴はお通しの南瓜の煮付け以外は何もいらない。この大振り3個の濃い黄色が店内の色調にものすごく調和しているのであります。タイトルで急げなどと挑発的な書き方をしましたが、店のご夫婦至って健勝でおられるから当分は営業を続けてくれるものと信じるけれど、突然に店をやめてしまうこともなくはなさそうなので、できることならこうした古い酒場が好きな方は急いでお出掛けいただきゆっくりと赤羽の昔話に耳を傾けていただきたいのだ。ぼくはきっとまたここを訪れ、先夜聞きそびれたあれやこれやを伺ってきたいと思っています。
2019/10/11
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前回も書いたかもしれぬけれど、伊勢の町は記憶していたよりもずっと散策に適していてそのエリアごとの表情も変化に富んでいてマンネリと無縁のとても面白く思えました。好ましい意味での多様性で飽きさせぬのですが、酒場に関してはかなり貧弱な印象を受けました。伊勢の名酒場を後にして次なる酒場に巡り合うまでに散々歩く事になりました。その過程で何軒かの良さそうなお店もありましたが、休みだったり満席で断られたりととにかく振られっぱなしだったのです。さすがにくたびれて宿であるウィークリーマンション方面へと足を向けると、前回喫茶篇でちょっと触れた「喫茶 局」のある伊勢駅前商店街に行き着きました。JRの真ん前にあるとても小さなアーケード街です。 そこに「居酒屋 勝ちゃん」があったので、もう兎にも角にも迷う時間ももとかしく思えたので転げ込むように店に入るのでした。独りの客もおらぬことに瞬間失敗したかの感想が湧いたのですが、店主にいらっしゃいと出迎えられるともう後には引けぬのであります。店内は案外小奇麗な狭く代わり映えのないお店でした。むっつりとした店主は、ほとんど喋りもしないから視線はついテレビに向かうのです。ローカル番組でもない都内でいつでも眺められる当たり障りない放映内容は少しも記憶に残ってはいないけれど、一方で妙に気持ちが緩むのを感じます。少しも伊勢らしからぬ都内の何処かにあったとしても少しも不思議でないような酒場でいつもの番組を見るともなしに眺めていると、酒場なんてこれで充分なのだよななどと思ってしまうのです。先の酒場のように目を見張る事はけしてないけれど、ごく普通に美味しい?奴を突付きながらお代わりを求めた頃に次なるお客が賑々しく登場。出張で近くのホテルに泊まっているそうです。どうやら軽く呑んだ後に羽根を伸ばしてそこらのスナックに行くための情報を得るのも目当てらしい。寡黙だった店主も嫌いじゃないらしく喜んで近隣の店の店の女性たちの情報を提供しています。変わったとこらがないと書いたけれど、都内ではまず目にすることのない肴などもあり、その話題に及ぶ頃にはぼくも話しに加わり楽しく過ごすのですが、このままでは離脱が難しくなると離脱の機会も窺うのでした。 短いアーケードを抜けるとそこに「かりん」なる小さな酒場があります。ここで済ますのも安直かしらと思わぬでもなかったのですが、疲労も感じているのでここに立ち寄ることにしました。店内は改装済みで綺麗で、まあ良い加減に酔っているからそう拘るまでもなかろう。店は高齢の母娘でやられているようで、だからこざっぱりした雰囲気なのだろうか。というかこちらも他にお客はなくテレビもないからお喋りでもと思うけれど、これがお二方とも必要最小限な言葉しか発してくれず、とはいえ二人の間では何やらこちらに聞き取れぬように会話が交わされているようだから何だか虚しい気がするのです。ここで二度目の伊勢うどん。これで〆ということにしようという考えであります。ところがこれが厨房からはレンジでチン音が響くのだからがっかりしても無理からぬことでありましょう。しかも大量の削り節が掛かっていて贅沢そうに思えるのだけれど、このうどんにとっての程よい量からは著しくオーバーしているようです。この鰹節代ということもないのだろうけれど、勘定書きはぼくをして仏頂面にさせるに十分な金額なのでした。やはり酒場選びに妥協は禁物だと思い知ったのでありました。
2019/04/15
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旅の記録もようやく年を越しました。都内で怠惰な正月を過ごしていた三が日も終わろうとする夜更けに池袋サンシャインバスターミナルにやって来ました。ここからお馴染みの高速バスWILLER EXPRESSに乗車して、とある大観光地に向かおうとしているのです。とあるなどと勿体ぶってみせているけれど、その回答はタイトルに明らかなのだから愚かしい事この上なしであります。23:50発の高速バスは、しかし真っ直ぐ伊勢には向かわぬのです。とにかく比較的余裕を持って乗車したそのバスは定刻に発車しました。これまた勿体ぶってみせるまでもないこと。5:00に到着したのは豊橋駅東口でありました。鉄道で伊勢に向かうのも悪くないけれど、これまでも何度かそうしているので、それをそのままなぞるばかりでは少しばかり芸がない。ということで、今回はちょっとばかり行程に工夫を凝らしてみることにしました。この工夫とは船で伊勢志摩に向かうという経路としたのでした。新豊橋駅から5:56発の豊橋鉄道渥美線に乗車、三河田原駅に6:32着。田原駅で豊鉄バス伊良湖本線の6:49発路線バスに乗り継ぎ、伊良湖岬に7:35着。伊良岬から伊勢湾フェリーに乗船、8:10発で9:05には鳥羽に就航。この経路は、豊橋~鳥羽割引キップを用いるのが便利です。高速バスは別にして、ここまでの電車、バス、フェリーを乗り継いで2,060円で旅情を味わえるから、多少の疲労を覚悟しさえすれば陸路とは違った楽しみ方ができると思います。少なくともぼくはこれまでのお伊勢参りでもっとも満足のいく行程となりました。もしこの経路を採用しようという方がいた場合に備えて、参考になるかもしれぬので感想抜きで運行状況等の実質的な情報のみ書き留めることにします。まずは高速バス、さすがにそれなりに混み合っていますが、満席ではありませんでした。距離も短いためか時間通りに到着しました。豊橋鉄道は始発なのに、嫌だからかもしれませんが1~2割程度の乗車がありました。当然のごとくダイヤ通りの運行。路線バスは自分以外にはほぼ乗客はなく、今回のキップ利用者はいないようです。フェリー利用者は多く恐らく全てがマイカー利用者のようです。客室はほぼ席が埋まりますが、マイカー利用者より先手を取って席を確保できるので好みの席を選ぶことができました。コチラも時間通りに鳥羽に到着。とても快適な旅になりました。旅情が増す良いプランだったと自画自賛するに留めます。 さて、鳥羽バスセンターはすでに賑わっています。同施設は土産物店などに加えて2階は飲食店が入っています。外観はファミリーレストラン風の大きなショーケースのある「喫茶 チェリー」に立ち寄りました。純喫茶風の黄昏めいた暗さを期待していたのですが、極めて明朗かつ健全なお店でありました。格段記すべきこともありませんが、今回のような少なからず体力を消耗する旅の途上にあってこうした止まり木があってくれるのは心底ありがたい事です。 実は鳥羽では、喫茶巡りは尽くが不調に終始しました。スナックとは覚悟していたけれど確認せずにはおられなかった「うず」はもうやってなさそうだし、「和風喫茶 ベンハー」も同様だろうなあ。念願の「喫茶 テネシー」はお休みのようでした。その数軒お隣の「たかま」はやっていましたが、喫茶というよりは食事処の趣きが強くてとうにも気乗りがせずにスルーしました。そうそう本当は志摩マリンレジャー 鳥羽湾めぐりで竜宮船に乗船するプランも用意していたのですが、総理大臣の何某かやら政治家御一行が伊勢神宮を参拝するとかで、現地も道路も非常に混雑しているという風聞に恐れをなして先を急ぐことにしたのでした。という事で今回はほとんど喫茶情報がなくて誠にすまん事です。
2019/04/07
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豪雨で知られるという尾鷲の町での足止めが続いています。すでに3時間近くが経過し、よもやお邪魔できると思っていなかったちょっといい感じの酒場も開店の時間を迎えたようです。駅員によると運行が一部再開したとのことで上り電車の現在地と尾鷲駅間の通常の乗車時間を算出してもらうと1時間弱あるようです。蒸し暑い駅に待ち惚けるよりその酒場に向かったのは当然の成り行きなのです。そのお店は、喫茶「磯」付近の呑み屋街の外れの三角地に建っていて、到着時から暖簾が下がっていて、イタズラと言わぬけれど戯れに戸を引いても固く鍵で閉ざされていたのでした。それに気付いた女将さんが開店準備中だ4時30分からの営業ですとお答え頂いていたのです。 時間にはもう少しあるけれど、「きくや」を三度訪れると、看板とどてやきの提灯の明かりが灯っています。戸を開けると女将さんはゴメンねえと、昼過ぎの際の物静かさから転じて、別人のようにくだけた打ち解けた表情と口調を持って招き入れて頂けました。列車が遅延していて30分ちょっとしか呑めないけど良いかなあと伺うと、あらまあ大変ねえじゃあウチの名物のどてやき召し上がると話が早い。尾鷲では最古参というこちらのお店について、濃厚でありながら重ったるさのまるでない絶品の味わいのどてやきを頂きつつ伺えました。毎晩お越しになる単身赴任の方は、店の商品全部食べ尽くす位健啖なのよと他愛ないお話をするうちに早くも店を出る時間になりました。外観の素敵さ程には店内はどうということはなかったけれど、この愉快な女将さんと旨いとてやき、そして「磯」にお邪魔するだけのためにまた尾鷲に来れたら幸せなのにと少し寂しい気持ちに浸り店を出たのです。 その後、駅に戻るとあと30分掛かりそうと、ならばあの小さな酒場に留まるべきだったと思ってみても時すでに遅し。町をまた彷徨い駅に戻ると携帯電話のないことに気付いて慌てて酒場に戻りあっさりと再会を果たせたのでした。女将さん、あれからスマホ忘れに気づき慌てて駅まで追いかけてくれたそうな。ますます女将さんのこと好きになりました。
2018/09/24
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亀有という町では、酒場らしい酒場、というかいかにも居酒屋らしいと思えるような居酒屋が、町のイメージとは異なり案外少ないと思っていました。そして、それは純粋な居酒屋よりも本来は他の業態であるようなお店が積極的に酒を提供することで、必ずしも純粋な居酒屋がそう多くなくともやっていける理由なのではないかと思い出しています。いや、むしろ居酒屋は徐々にスナック化する傾向が見られるのに対して、食堂や中華飯店、蕎麦屋にこそ酒場らしい酒場があると言っても過言ではない気さえするのです。今回は、以前から目を付けていた中華飯店をハシゴしてそれを確認することにしました。そして、その実態は予想を遥かに凌駕する形で証明されたのでありました。 実のところ、「中華・ラーメン 栄光軒」と「金龍」のどちらがどうだったかなどということは、ほとんど区別が付かぬのであります。距離としては50m程でありましょうか。環七通りに面して何軒かの飲食店が立ち並んでいるからもう商売敵であるに違いないのですが、こうも似たような雰囲気であるとさすがに一見であると見分けが付かないのであります。厨房をグルリとカウンターで囲む店の造りや雰囲気も主人のぶっきら棒な応対も何でも揃っている肴にしたって、どこを取ってみてもまるで双子のようにそっくりなのだから驚くべきことであります。さして商売熱心という訳でもなさそうな主人でありますが、レパートリーは豊富でありとあらゆる肴が揃います。そんなだから客たちも似たような面子が顔を揃えているのです。似たような面子というのは同じ顔立ちをした人たちというミクロな意味ではなく、老若男女とにかく幅広い世代が男女ともに肩を並べて呑み食いしているのです。面白いことに彼ら同士でコミュニケートが生じることはなく、皆さん黙々と自分の殻に閉じこもり、ある意味では気ままに過ごされているのです。この夜がたまたまそうだったということもありえますが、案外、こういうことが普通なのかもしれません。それっていかにもぼくと似たようなタイプの酒呑みが多いということで親近感を覚えるのです。肴も多種多様なので、毎晩のように通っても良さそうです。ぼくなら一日置きに代わる代わる通うけれど、多くのお客さんはどちらか一方を贔屓にして浮気はしないのかもしれないなあ。
2018/09/20
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名古屋の中村遊郭界隈で最もよく知られるであろう喫茶店に向かいます。ここも以前来た際に目撃していてお決まり通りすでに閉店したものと思い込んでしまったのですが、なになに全然当たり前のように営業をしています。 言わずもがなの「COFFEE ROBIN(珈琲屋 ロビン)」であります。表からの長めも抜群ですが、やはり店内はそれに劣らず素晴らしいですねえ。店の女性お二人は母娘なのでしょうか。どうも違うように思えますが、それはまあ良いとにかくとても仲良くて麗しい間柄に思えるのです。ついカウンター席でゆっくりと言葉を交わしたい気持ちになるのですが、それはぼくの後に入って来られた旅支度という出で立ちの可愛い娘さんが肩代わりしてくれました。店の高齢の方の方は客との会話がそれはもう好きで堪らないという表情を隠そうともせずに店の歴史や朝四時から営業していること、つい先日もテレビの取材を受けた事など矢継ぎ早に話されるのでした。今回は景観を最優先して入口付近のテーブル席にさせてもらいましたが、今度伺うときにはきっとカウンター席でじっくりとお話させて頂こうと思うのでした。 まだこの時は元気だったこともあるし、この後立て続けに喫茶が出没する事を弁えていたならきっと「みゆき」には立ち寄らなかったかもしれません。一期一会を優先するのは基本的な振舞い方である事は、喫茶巡りに限った話ではなかろうからこの時のぼくの行動は否定すべきではなかろうと思うのです。しかし、その原則は名古屋のさらには中村界隈にあっては一考の余地がありそうである事を今更に学ぶことになったのでした。内装は少しばかりアメリカンな要素が散りばめられ、クラシカルなのに原色の照明が灯るというバランス感覚に幾分欠いたもので、これがもっと徹底してさえいればキッチュな景色ともなり得そうに思われますが、残念ながらそこまでは至っていませんでした。そして、客層も店の方もそうですが、かなりスナック風で苦手な方には障壁となりそうです。 途中、大門小路やら大門横丁といった呑み屋横丁があって、昼を過ぎていたならこの先のスケジュールを振り切って夕暮れ時を待つ事にしたかもしれませんが、まだその決断を下し得る時間には程遠かったのは幸いだったのでしょうか。 中村遊郭エリアを抜けると一挙に町並みが地方の住宅街という景観に変わります。根っからの田舎者のぼくにはこんな方が落ち着きます。しかしまあ落ち着く間もなく次なる喫茶店が姿を現すのが名古屋という土地なのでしょう。「喫茶 DAX」は、崩落寸前の佇まいながら、元気に営業中です。黒を基調とした店内は豪奢な照明もカッコよくシックでモダンという額面通りなら今どきのカフェバーとかにありそうなムードとも言いうるのでしょうが、そこはそれ年季の入りようが都会の類似の店とは一線を画することになるのですね。しかし、それにしても軒上の看板テントなど外観に見られる通り、内観も写真映えはしそうだけれど実態はかなりの劣化が確認でき、店の方たちもそれを良しと見做している節が窺えたので老醜を晒すギリギリの今こそ行っておくべき店かもしれません。
2018/06/24
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西日暮里は酒場が決定的に欠如している。いやまあ、特に店など気にせず呑もうと思えばそれなりに店はあるのだろうけれど、ぼくの視界にはちっとも収まっては来ないのであります。いや、ぼくの自慢の細い目の視界の隅々にそれらの酒場は通過しているに違いないのでありますが、ぼくのうるさ型の審美的な眼力はそれらをまるっきり排除する機能を有しているようなのです。しかし、時にそれら普段は不可視の存在に過ぎぬ酒場が唐突に浮上してくる事もあるのです。それは別に特別なフイルター付きのメガネを装着したからとかそういう外因的な変化によるものではないのです。単純に人と呑むことになって、相手がどちらかというとせっかちで店にも美味い事である以外は格別な要求を持たぬ、加えて猛烈な腹減らしであるとなれば、不本意ではあるけれど早急に行き場決めねばならぬのです。そうすると自然と己の選択眼もフォーカスを緩めてしまうというもので、だから今回はいつもとは少し趣きを異にするタイプの酒場が登場します。と、書いたけれどよくよく記憶を探ってみると案外それ程いつもと変わらぬようにも思えます。 西日暮里駅は、停車せぬ常磐線快速が旋回するように通り過ぎるためかどことなく窮屈な造りになっているらしくガード下の呑み屋街が通過するだけの常磐線快速の高架下に軒を連ねています。違うかもしれぬけれどさほど大ハズレではないと思います。とにかくそんな呑み屋の一軒が「味処 竹林」です。無論、大分前からこの店はあったはずだし、認知もしていたのですが、どうも立ち入る気になれずにいたのです。細い階段を登ってという独特の緊張感に怖気付いていた訳ではないと思いたい。けれど、店に入ってみて思いの外に小奇麗でかつ小遣い銭にゆとりの有りそうな部長さん風の態度と風貌を備えたおぢさんが率いるグループが多いのでした。店の方もお若くキレイな方たちで、この雰囲気はぼくのようにケチで冴えない独り客には敷居が高いのです。そして、どこがどうだと指摘するのは困難でありますが、ぼくの何某かの感覚器がその己との親和性の低さを敏感に受容していると思われます。ナルホド、刺身盛合せはとても立派であります。しかし、当然ながら値段はそれなりだし、量も独りには少しばかり多過ぎる。つまりは独りで訪れても肩身が狭く適当に呑んで摘んでスゴスゴと引き上げる事になるような孤独な酔客には不釣り合いなお店なのです。 2/16 そして、そんな店はどうも西日暮里では主流なのだと思われる事を決定付けたのが「居酒屋 柳屋(やなぎや)」もまたそんなお店だったからです。いや、敷居は先の店に比べるとぐっと低いのであり、こちらは部長というよりは課長、いや課長代理位の職責向きの酒場に思えます。実際には先な店よりずっと貫禄の有りそうなおぢさんが多かったのはたまたまに思われますが、つまりはそういった価格帯と思っていただければ理解を得やすいと思います。そしてぼくにはこちらの方がしっくりとくるのです。しかし、くるにはくるのだけれど、やはり独り客には居辛い環境なのではなかろうかと思うのです。なぜならこちらもやはりグループが主流、いや全てであり独り客はとんと見られぬのです。カウンター席らしき席もあった記憶があるけれど基本的に作業用の場として利用は困難であったと定かならぬ記憶は訴えているのでした。そうかあ、もしかするとぼくはこれまでこれかの店に入っていく客たちが揃ってグループである事を記憶の奥底で覚えていて、それが無意識にこれらの店から足を遠ざけることに寄与していたのかもしれません。キャベツコンビーフ炒めなど庶民的な肴も悪くないけれど、やはりここは一人でくる店ではなさそうです。
2018/06/20
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御茶ノ水とはもうかなり長いこと付き合わせてもらっています。なんて町を擬人化した稚拙な書き出しで始めてしまったけれど、最初は映画でその後は仕事でせっせと通い詰めた時期があるのでまあ深いというほどではないけれど浅からぬ縁があると言ってもそう過言ではないだろうと思うのです。その短くもない間に、この町はほとんど目に見える変化はなかったように思います。いや、何軒かの愛着のあった酒場や喫茶店がなくなったりしたのは思い起こすと今でも懐かしくそして寂しくなるのですが、そんな感傷的なぼくの一面を呼び覚ますので、ニヒルな大人に見られることを当面の目標とするぼくには近頃どうも敬遠しがちであります。若者が多いのも町から妻弾きされている気分にさせられます。そんな散々に呑み歩いた記憶もある御茶ノ水界隈でこれから向かう酒場の事はずっと認識してもいたし、それより間違いなく訪れていると思い込んでいました。それは録画してあった酒場放浪記の放映を見ても変わる事はなく、いざ訪れるまで少しばかりの葛藤を乗り越えての初めてでありながらも再訪のような気持ちでそこに向かったのです。 しかし、現場を眺めてこれは来たことがないという事にすぐに気付かされました。「かんだ串亭」に限らず周辺には黄色の電飾看板を掲げる居酒屋がかつては少なからずあったので、それらとゴッチャになっていたようです。うなぎの寝床の様な奥に深いこの店舗は思ったよりは少しも味わいがなくて、ただしかしあまり見ない造りなのに座敷には今ではこうはしないであろう解放的な感じがあって、東京の酒場っぽくなく感じられました。だけと地方性が感じられるのがそれだけで全面的に肯定の材料となるかといえば言うまでもなくそんなはずはないのであって、まあやはりここは都心も都心の酒場でしかないだろうなと思うしかないのでした。いやまあこのままでは今風にはディスっているに過ぎぬから、それもどうかと思うのだ。だからこちらについては、万人にとっての懐かしいという気分をそれなりの投資で味わわせてくれるお店として珍重することにあえて反論する意志はないのでした。 そんなもやもやした気分のときは「大衆酒場 徳兵衛」に行くのがよろしいかと。旨いとかまずいとか酒さえ呑めればそれで事足りるような方であれば行ってみても良いのではないでしょうか。いや、ぼくの場合はそれよりも昔ここに通った二人の友人―共に年長者であったけれど、この酒場にいる時は年齢を越えて愉快に語り合ったものです―を思い浮かべずにはおられぬのです。今は亡き二人の死は思い出すと今でも胸苦しさを伴う壮絶な死であったと語ると、誰しもが経験するけれど誰も経験したことのないという死という体験を特権化するようで、それはそれで本意ではないので、ここでは黙って梅割りを啜ることになるのだ。そんなぃつくかの人生を見守り続ける下戸でパチンコ好きの兄さんのいる地下は満席で随分と久し振りに上のフロアーを訪れたけれどやはり少しも変わらぬことに安堵するのでした。人は変わっていくけれど、ここは叶う限り長く変わらないでいてもらいたいものです。
2018/06/15
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行きたい町は都内近郊にもまだいくらも残されています。特にかつては陸の孤島などというぼくには余り適切とは思えぬ呼び方をされたりもする端的には鉄道網とは隔絶された地域、もしくは近年になりようやく網の目に絡め取られるに至った町にはとにかく好奇心を掻き立てられます。この日はさの両者を一挙に堪能してやろうという贅沢だけれども一抹の不安も拭えぬ行程を立てたのです。それは埼玉県の八潮に行きたいというかねてからの気持ちが突如として昂じ出したある週末のことでした。八潮に行きそびれていたその主たる理由は新興鉄道路線にいずれも共通する運賃に難があったからでした。青井や六町には行っている。でもそれは綾瀬駅を起点にしてとにかく歩きに歩いたその頑張りの結果に過ぎず、本当のところはできれば最寄りまで公共交通機関なりを利用したいし、更にはタクシー、いやその先にもお抱えのドライバーをなんて事も絶対にあり得ぬとは言えぬだろうけれど、そうなってしまっては旅する事に何一つ楽しみがなくなってしまうのではないか。本質とは思い切り逸れてしまうけれど、喫茶巡りにしても酒場巡りにしても事情はそう変わらぬけれど、とにかく不便な場所に行くとそれだけでもう大いに充実を感じるのです。どこにでも苦労なしで行ける身分ならそもそもがこのような酔狂な趣味とは無縁であるに違いない。ただし余りに不便だとそもそもの目的とする酒場や喫茶店などなかったりする訳だから、探検とか冒険とかそういった猛々しさとは無縁であります。多少の苦労を厭わずに我が身を用いること、そして生活を持ち崩さない程度の時間と金銭を投資すること。それ位の慎ましい程度の事がしがない勤め人のささやかな旅にふさわしいのではないでしょうか。稀にご褒美として願ってもみない僥倖に鉢合わせたり出来なかったりする。それでいいのではないだろうか。いつもいつも美味しいものばかりでは飽きてしまいますから。 さて、今回のプランは都内限定と思い込んでいた京成バスの一日乗車券が金町―八潮間のみ適用除外であることを知った途端に仕上がりました。というのも水元公園の都内としては狭からぬ地域というのもじっくりと散策してみたい土地だったからです。それには京成バスが便利であることは当然知っていたけれど、一日乗車券のシステムについてももっと早くちゃんとしたリサーチをしておくべきでした。金町駅を降り出しに何軒かチェックしてある喫茶店を巡り昼食なども摂りつつ夕方頃に八潮に移動、じっくり散策の後、金町に引き返すというコースを予定しました。 詳細な系統名は調べていただくこととしてまずは水元でドンづまる系統に乗り込みました。目指したのはストリートビューで当たりをつけておいた「ファミリー喫茶 ハピネス」です。久し振りのS氏との小旅行で相変わらず会話は途切れがちではあるけれど、それなりに新鮮です。はじめは混雑していた車内もやがて我々を残すのみとなり、終点の少し前の停留所で下車すると運転手のみ残してバスはゆっくりと走り去っていきました。町並みは平凡な住宅街といったところで、それでも町中華と呼ばれるような古いこぢんまりした中華飯店をほうぼうで目にすることが出来ました。そんなやはり住宅街に身を隠すようにして当の喫茶はあったのですが、予測はしていましたがやはり営業を終えてそれなりの歳月が経っているように思われました。 それなりに店舗もあって余り飽きさせぬけれど、かといって路線バスなど車が主たる交通の要になるこの交通の便が悪そうという町にそうした不利な条件を示すような暗さみたいなものは少しもなく、むしろ都心から遠くない町の田園ライフを楽しんでいるかのようなゆとりを嗅ぎ取ってしまいました。「喫茶&スナック 彩」にもそんなあっけらかんとした明るさを感じます。ここは現役かと思うけれど運悪く閉まっていました。 こうして八潮に徐々に接近を試みたのでありますが、このままではすべての喫茶店を逃してしまいかねぬので、典型的な郊外型喫茶、しかしまあなかなかに洗練されている「珈琲 達磨堂」で一休みすることにしました。2階建ての立派なお店で、想像通りご近所のマダム達の社交の場となっており、近くにコメダ珈琲店もありましたが、そちらのお客さんとは客層を異にするようでした。無論、こちらに訪れるお客さんたちの方が水元の町の先住民としての高邁とも思える位の気位の高さを感じさせるのでした。 ここを過ぎると突如として風景が一変してくるのを感じます。気付かぬうちに中川の支流である大場川を渡った辺りだったでしょうか。この時点で、東京都を脱出、埼玉県に突入することになります。この辺りは三郷市と八潮市が入り組んでおり、なかなか行政区分の面でも混沌としていますが、京成バスの戸ヶ崎操車場があります。こうした川が入り組んだ郊外の土地は今ではつくばエクスプレスの八潮駅ができて、陸の孤島状態からは辛うじて脱却したかのようですが、やはり路線バスが住民の主たる足であるようです。だからこの戸ヶ崎十字路の周囲には小規模ながら呑み屋街が取り残されたかのようにあり、何軒かの店が細々と営業を続けています。マーケット跡も往時の賑やかさを偲ばせます。夜になったら八潮からここに戻って呑むのもいいなあなんてこの時点では呑気に思っていたのでした。 やがてバスは八潮駅前に到着します。元の景色は見たことがないので比較できませんが―正確には数年前に車で通過しているはずですが、ほとんど印象に残っていません―、見た瞬間に絶望的な気分に陥ったというのが正直な感想です。それでも少しは歩き回っておこうと向かった「ロビン」はやはりというべきかすでに跡形もなく更地となっていました。中華飯店の「太陽」も全く原型を留めておらず、いろいろと書きたいことはありますが、不満や苦言ばかりになり実際にお住まいの方にとって不快な言葉ばかりとなりそうなので割愛します。 というわけで、とうとう一日掛かりで一軒しか喫茶巡りができないという残念なことになりましたが、それもまた旅の現実です。これからはこうしたことが多くなると慣れておかねばならないのでしょう。
2018/06/10
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三ノ輪界隈は、古い名酒場が次々と店を畳んでしまったため、しばらく足が遠のいてしまいました。と書いてみたけれど何だかんだで時折フラリと訪れるのは、この界隈にはまだ未知の酒場が潜んでいるのではなかろうかという淡い期待があるからなのです。実際に蕎麦屋を酒場の仲間に加えてみると気になる店が少なからず点在しているのであって、結局未だにちょくちょく出向いているのでした。でも今回は、少しばかり趣きを異にしているのであります。っていうか端的にはビストロに行くことになっているのでした。評判高いお店があるらしいから案外楽しみだと正直に語ってしまう俗っぽさがぼくの根底を成しているらしいからカッコ付けてみても仕方がないのです。待合せの時間まではまだ随分とあるから上野から歩く事にしました。そう遠くないのだけれど、素直に歩くと単調な道程になるから思ったより疲れてしまいました。良くゆっくり歩いてみる事は思ってもいない遭遇に結び付くと説いているのに、どうやら急いで歩き過ぎたようです。お陰で待合せというか予約の時間までまだタップリとあります。でもこれから美味しいであろうお食事が控えているのにウッカリと呑みに行っては、せっかくの料理も色褪せて感じられるかもしれぬ。なんてことを書いている暇はないのであった。近頃、少しばかり忙しくて記事のストックが激減しているのだった。 という訳であるけれど、当の日は時間を持て余していたので「COFFEE SHOP 杉」でしばしの時間調整です。この目と鼻の先にかつては「遠太」があったのだけれど、今はマンションにその場を譲り渡してしまったようです。そちらに目が眩んでこのありふれただけれど感じ良いい喫茶のことは見逃していました。最近になって普通の喫茶店の良さがようやく分かり始めたようです。 さて、時間になってやって来たのは「ビストロ ルミエル(Bistoro LUMIERE)」でありました。余りにも瀟洒というか可憐な雰囲気のお洒落なお店だったので、思わず尻込みしてしまいました。とてもではないがおっさんだけで入れる店ではないけれど、一人は女性なので問題なし。日本のビストロはまだ多くの場合に男性が一人でふらっと立ち寄れるものとはなっていないようです。何だかんだとまだ文化面では後進国的な側面が少なくないようです。オタール・イオセリアーニという映画作家が大好きなのですが、その人のとある映画でドジで失敗ばかりやらかす黒人男性が昼時には一人でビストロのテラス席を陣取り、優雅に食事するという微笑ましいシーンがあってあゝ、ぼくもこんな風に心の底から楽しんで食事できれば幸せだろうなあと思うのだけれど、後進国の構成員に過ぎぬぼくにはまだ無理なようです。さて、ようやくここからが本題となるはずなのですが、実はそんなに前の事ではないというのにほとんど印象がないのであります。いやいや、別に料理が酷いとかそんな事はなかったと思うのだけれど、世評程の満足には事欠くように感じたし、何より印象に残ったのがポーションが寂しいという事なのです。ビストロで食事してそこそこ呑んだらもはや胃の容量は限度に達するというのが近年のぼくの体たらくなのですが、この後他所に呑みに行ったという一事からもそれはご理解頂けるはずです。同伴の女性もそう語っていたからきっとそうに違いないはずです。なるほど、それを知っていたからだろうか、女性グループは品数の多いコースを選んでいたようです。いや、もしかすると単に量の問題というよりは味が淡白なので物足りなく思ったのかもしれない。ともあれ、もう少し高齢の方たちには丁度よいのだろうなと思うと再訪はかなり先のことになるかもしれません。そうそう写真を見て思い出したけれど、アミューズはトリュフ風味の小龍包だったなあ。そんなに感心はしなかったですけどね。
2018/06/01
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大森は好きな町で本当は一ヶ月位は滞在して夜の散策をしてみたいなんて思うのです。いや、言ったそばから前言撤回、やはり一週間もあれば十分かな。それでもまあ泊まり込んででも探訪してみたいと思わすだけの潜在力を大森は秘めていると思うのです。特に根拠はないけれどそれが歩いてみての実感です。かつてキネカ大森にまめまめしく通っていた頃は、酒場巡りなどという一般には自堕落とも解されるであろう、好意的に評してもやはりせいぜい物好きと呼ばれるのが関の山で、自分でもそう思っているから好きにするしかないのです。継続は力なりとか言われますが、この呑み歩きというお遊びは継続することで心身ともに滅ぼしかねぬ危険な遊戯という側面もあるから気を付けねばなるまいと日々己に言い聞かせるもののなかなか思うように制御できぬのです。話がどんどん脱線していますが、とにかく大森に来たのでまずは呑むことにしようとお決まりの展開なのです。 折角の大森なのに最初に向かったのは駅の東口の線路沿いの通りにある「中華料理 喜楽」でした。近頃に限られたことではありませんが、中華食堂で呑むのは悪くないし、下手な居酒屋などよりよっぽど立派な肴が摘めたり、値段も安かったり、雰囲気も良かったりということも少なくないのだけれど、まだまだ未踏の居酒屋も少なくない大森で、中華食堂を一軒目に選ぶのはやはり判断ミスであったかもしれぬ。なんて書いてはみたけれどここは以前からずっと来たいと思っていたのだし、後悔などは少しもしていないのでありました。こういう店で旨い不味いを問うのは無粋です。枯れた店内は思ったほどではないけれど、想像以上に賑わっているのがなんともうれしい。よその町ではなかなかこうはいかぬ事が多いように思います。誰もいない店内で独りビールに餃子をやるのも格別だけれど、こちらのお店は大いに賑わっていて、かと言って馬鹿騒ぎしてやかましい客もおらず、大概の客は独り静かにテレビを眺めたり、新聞など眺めつつ軽く晩酌しながら味などどうでもよいと言ったけれどやはりちょっと美味しくて嬉しい肴を摘まんでいるのでした。そんな高度成長期の頃のようなふつふつとわいて出るような活気の中で呑む酒はこれまた格別なのは申し上げるまでもないのです。酒を呑むなら断然居酒屋派のT氏ですらそれなりに満足気な様子なのだからやはりここは良いお店なのです。 珍しくも「PhraArthit(プラアーティット)」なるカフェバー風のカジュアルなお店にお邪魔していました。大森だったら間違いないと決め込んでしまったのでしょうか。こちら後から言われたのですが、お通しがパクチーの食べ放題もできるらしいのです。それを知っていたら間違いなくパクチーを選択したに違いありませんが、お通しで出されたポテトサラダが濃厚な味わいで美味しかったのですが、これについて、ぼくがこれはどこぞやで食べたことのある味だなあと呟いたところマスターの人懐っこそうなお兄さんが、何だかわかりますかと茶目っ気のある表情でこちらを見つめるので、五感を研ぎ澄ましてみるやすぐにその正体は判明したのでした。これにはグリーンカレーペーストが入っているのではないかと答えるとお兄さんは素直に驚いてくれました。パクチーの食べ放題を聞く前で、ここがまさかタイ料理をベースにしたお店だとは知らなかったから、自分の味覚や嗅覚も捨てたものではないとほくそ笑むことになったのでした。そんな明朗でちょっと気の利いた肴のある店だから、女性客も多くて気分が浮き立つことになるのですが、店の従業員の女性もなかなか素敵な方だったので記録しておくことにします。明日の喫茶巡りの報告に登場するいわきご出身―最近いわき生まれの方とご縁が多く、近頃しばらく無沙汰していた池袋の奥地にある素敵なバーの女性バーテンダーもいわき生まれのいわき育ちだそうです―の方はまだ働き出して間もないようですが、すっかり馴染んで自分のお店のように明るく楽しげに振る舞われていて、ぼくのようなおっさんの相手もしてくれて、ぼくは大変ご満悦なのでありました。
2018/05/19
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好き好んで行ったのだからここで不満を述べるつもりなどは毛頭ありません。町屋という町には、良かれ悪しかれチェーン店とは縁遠い町という印象を持っていました。近頃ちょくちょく足を向けるのもそれこそが主な理由なのですが、それでもそうした思い込みというのは時代とともに軌道修正を余儀なくされるようです。それは町家に限らず、遠く離れた地方都市の駅前で何とか牧場とか何とか水産なんてのをしばしば目撃するに至り、旅情も何もあったもんじゃないと途端に白けた気分になるのでありますが、時代の趨勢として受け止めねばならぬのでしょう。しかし目わ凝らして見ればそうしたチェーンのケバケバしいネオンの足下だったりその路地の先に軒先の隅で遠慮がちに提灯を下げた酒場などがあったりするから、ゲームで宝探しでもしているように遊戯の一環と考えれば少しは興も湧こうというものです。しかし、何もチェーン店を何でもかんでも批判するつもりはない。こうした店の経営者は利潤を追求していることは当たり前であるけれど、それを抜きに町に対して奉仕しているのではなかろうかと思うこともあります。それは人っ子ひとり歩かぬ地方の小都市の寂れた駅前にまでそれらの何軒かだけは過疎や人口流出などものともせぬように煌々と町を照らしていてくれるのだから、将来においては感謝する時が訪れるのではないかと思い始めているのです。しかし、目下の有難みはというと値段が想定しやすいというところにあるとぼくは思っているのです。懐具合と相談しながら呑むことが出来るのがチェーン店のメリットであるということです。 とか何とか言いながら「晩杯屋 京成町屋店」に来てしまう辺り、ぼくはやはり多少はこの立ち呑み屋に依存しつつあるのだろうあ。確かにここは好意的に語るべき余地はあるけれど、初めて訪れる酒場に対する期待感というか緊張感が皆無だよなあ。近頃ではネットで得られる情報から隔絶された酒場なり喫茶なりに遭遇するのは困難であるから、ここを目にしてしかも懐が寂しいとなれば入る事に躊躇はないのでありました。このお店には少しばかり意地の悪い楽しみ方があって、それは店舗ごとのレベルに明白な格差が見られるところであり、つまりは当たり外れを確認するところにあります。そうすれば当たりであれば嬉しいと感じられるわけだし、そうでなければそれはそれで笑って済ませられるのです。いや、そうでもしなければ呑んで不愉快になるという虚しさを家まで持ち帰るハメになるから、自衛のためにも愉しむよう努めるべきなのです。ちなみに町屋の店舗は当たりだった。異論もあろうかと思うけれど聞く耳は持たぬのです。好き嫌いは誰がなんと言おうと本人が決めることですからね。なんて当たり前の事ばかり述べているけれど、ここのグネグネしたポテト好きなんですよね。これがあれば他はいらない。原宿辺りで食べれば、500円は取られるんじゃないか。こんな単にイモを揚げただけなのにね。この店となんの関係もないけれど、ハッシュドポテトも時折に酒場のメニューに乗っていたりするけれど大概バカみたいな値段を取るなあ。コンビニで買った方がずっとお得だし、大体において大抵のコンビニも高過ぎるのではないか。100円ローソンなら50円で買えるからそれ以上払うのは不愉快だけれど、たまに頼んでしまうのだよな。とにかくここはやはり安いというだけで存在意義があるのだろうな。 次の「もつ焼き たつや 町屋店」はチェーンと呼ぶのもどうかと思うけれど、まあ2号店でこの先も店舗が増えることもあり得るから、とりあえずはチェーン化予備店と見做すことにします。5年位前に酒場不毛地帯の田端の坂の上に突然前触れなく出没した頃は、まだまだお客さんもそう入らず居心地良かったものだけれど、いつの間にか口コミなのか混み合うことが多くなって足が遠のくようになりました。そんな人気繁盛店の姉妹店であるからかこちらはまだオープン後そう経ってはおらぬと思われるけれど、早くも町に馴染んでいてけして便がいい立地ではないけれど、結構な入りとなっていました。いつも頼んでからしまったと思うのだけれど、こちらのホッピーは生ホッピーなのだろうか、すでに割られた状態で供されるのです。値段を想定できる店という条件がここで無残に瓦解する訳で、やはりホッピーはナカを前提とした商品を置いてもらいたい。オプションで生ホッピーがあるのはいいと思うけどね。しかし、何にしてもここは食べるものが安定しておいしいのは嬉しいなあ。いつもは酒場に食い物は不要みたいな極端なことを語ってしまいがちだけれど、そりゃまあ旨いに越したことはないのでありました。久しぶりに田端店に行ってみるかな。
2018/05/17
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近頃お気に入りの町、江戸川橋にまたもやって来ました。最近のこのブログでの報告でも食堂やら中華食堂などでの呑みが多いのですが、実際居酒屋よりもそうした食事主体のお店がこの町では目立つし、ぼくの嗜好に合致してもいます。ちょっとばかり情報収集をした上でとある日曜日の昼前に江戸川橋を訪れたのです。どうやら日曜日もお構いなしに営業しているお店が結構あるらしいのです。江戸川橋は平日も休日もお構いなしの―大いなる偏見!―出版や印刷関係の企業が数多いためか、世間が休みの日であっても開けてるお店も多くなるのでしょうか。どうしても食事をメインに据えることになるだろうから、せいぜい2軒のハシゴが限界でしょう。江戸川橋のよう町があるなら休日限定でランチを解禁したのは正解だったかもしれません。というか、このために解禁したのだったっけ。有楽町線の駅からすぐ、しっかり観察しなかったのではっきりせぬけれど、もしかすると駅と直結したビルの1階に「三好弥」はあります。都内に数多ある「三好弥」ですが、これまで足を踏み入れたことのある「三好弥」は大体が扉の向こうがどうなっているか開けてみるまでのお愉しみといった謎めいた部分があったものだけれど、こちらのお店の場合はすべてが開けっぴろげで店内はガラス戸越しに見通せるし、ショーケースでメニューも一通りがあからさまなのです。これはまあ有り難いと言えば有り難いのでありますが、想像力を膨らます余地がほとんどない。いや、味とか香りとかまでは表で眺める限りはほとんど伝わってはこないから、その点については期待を高めるという余地はあるのでしょう。まあそれも客の入りなどを眺めれば旨いか不味いかでい程度のことは容易に察せられるから、こちらのようにひっきりなしにお客さんが入れ替わるようならそれは当然旨いのだろうという目安を立てることができます。実際、過不足なく美味しかったのだから何一つ意外性がないという意味ではあまりおもしろくはなかったなあ。しかし唯一、想定しなかったのがこちらの店員のおばちゃまのぶきっちょかつおっちょこちょいなところ。飲食店での業務経験皆無のぼくにしたところで、ここまでの不慣れさを表に出すことはないだろうし、しかしそれでもなぜか憎めないキャラクターなのでした。陽気であれば多少の失敗も許される現場を目撃できたのは収穫でした。
2018/05/01
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いやいや、別に好んで要町を訪れたんじゃないのです。以前も書いたことがありますが、若い頃の一時期に池袋駅と東京メトロ有楽町線で一駅先の要町駅のほぼ中間に暮らしたことがありました。その三業地の風情を僅かながら留めた風景は、殺伐としたよそよそしさと果たして商売として成立するのかという死に体の様を隠さぬ何軒かの馴染みのあった酒場などだけを残して一掃されてしまいました。その頃には山手通りにある「楊々園」というベトナム人の強面ながら優しい旦那と闊達でやはり優しい奥さんがやっている中国料理店に足繁く通ったものです。その店の山手通りを挟んだちょうどハタボウルとかいったか、ボーリング場のある辺りになると豊島区から板橋区に区が変わるのでありますが、この辺りもやはりうねうねと入り組んだ通りになっていて、以前行った店に二度と到達できぬという経験も何度かしています。だからその迷宮のような地区からの離脱に専念する余りこんなに凄い食堂がある事を知らずにいたのは何たる人生の損失だろう。この日たまたま国際興業バスに忘れ物をしてしまい、それを要町の営業所に引き取りに行くということでもなければ、訪れずに終えてしまったかもしれません。 山手通りのほんの一歩裏手の山手通りと要町通り―この通りには名称などないと思っていたのですが、こことは全く遠隔で縁もなさそうな土地で呑んでいる際にこの辺の話が話題に上っていてそれを聞き齧ったのです―とが交錯する交差点の目と鼻の先に「蓬莱」はありました。目にした瞬間、まだ正午までは大分時間があるけれど、店のオヤジさんが表に姿を見せたりもするから待たされるかもしれぬけれど間違いなく店を開けるはずと確信しました。そして、11時前の開店前ではありますが、暖簾も下がっているので意を決して店の戸を引いたのでした。オヤジさんは分かるか分からぬか程度の微妙さで表情を硬くされたように思われるけれど、気のせいだっただろうか。空いていたのでテーブル席でも構わぬかと尋ねるとどうぞと仰るので遠慮なく広々と使わせていただきます。鶏唐揚げの日替わり定食が550円となんとも安価です。デコラ張りの内装はその機能をいかんなく発揮してピカピカで古いながらも清潔感が漂っているのは素晴らしいことです。これは素材の良さ以上の手入れの丁寧さの賜物に違いありません。表は日差しが強く早々と初夏の陽気のようですが、少し薄暗い店内はヒンヤリと心地よく感じられました。ガラス徳利の酒をまずは大振りの冷奴で頂きます。2本目は唐揚げとキャベツの千切りで。最後に白米に目玉焼きを乗せて、醤油を回し掛け味噌汁、お新香でと一気に食べてしまいました。何とも贅沢極まりない昼食です。老後、朝昼兼用の食事をなんて幸福はきっと待ち受けていてくれることはないのだろうなあ。
2018/04/20
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馬橋では、食べログやネットの情報は余りアテにならぬと思っておく方が良さそうです。ここはもう覚悟を決めて、無駄足を承知の上で自らの脚を頼りに探索してみていただきたいのです。とまあ書いては見たのですが、トニーの酒場を筆頭に馬橋の酒場情報もかつてと比べると雲泥の差で拡散されつつあるようです。それは嬉しい事である一方で、町を彷徨する至福の時間を奪われている気もせぬではなく、このブログがその僅かではあるけれどその一翼を担っているかもしれぬと考えると誠に済まない気がしてくるのです。都心からそうアクセスの悪くもない馬橋ぐらいの場所に、探索が手付かずの余地を留めておくのが親切ではなかろうか。その一方で、そんな悠長に構えている暇など残されてはいまいという焦りもあります。町の空洞化が止めようもなく進行する現代日本の現状を鑑みるとそれも無理からぬことと己の暴挙を正当化してみても嘘臭いばかりかもしれません。 グズグズ物思いに耽るなんて事は実際にはなくって、ぼくは気の向くままに馬橋駅を背にして歩き出すのです。この時、西に向かうか東に向かうかという非常に大事な選択に否も応もなく迫られる事になりますがここで立ち止まってはならない。場末っぽさを求めるというなら東が良かろうと思いますが存外現役の店が少ないようです。一方西側は一瞥するに平凡なベッドタウンの様相で気持ちが靡きにくいけれど、歩いてみると思いのほかに現役の店が多いようです。「小料理 大はし」もそうして見たけたお店です。秘密めかすわけではありませんが、この店の情報は余りネット上では見られませんでしたが、住所や電話番号なんかは割りと容易に探れると思います。さて、パッと見にはなかなか立派な店構えで少しばかり気遅れするのは致し方なきこと。でもそう言いつつもとっとと入ってしまうのでした。内装は至ってオーソドックスながら、このような正直駅からも離れている住宅街の只中で営業しているのに、これだけきれいな状態を維持できたとは並大抵の努力ではなかろうと思うのです。町外れの酒場は、近いというただそれだけの理由により通い続ける、だから掃除や飾り付けに手間を惜しんで、日々劣化していくような店が大部分であるように思います。その点こちらのお店は手入れが隅々に行き届いていて、信頼が置けます。無論、小汚い酒場も大好物なのですが、そちらに対しては信頼の念を抱くという訳にはいきません。さて、お通しに始まり、砂肝炒めや手羽唐揚げは特別ではないけれど、実直なおいしさがあって、非常に好ましい。美食は年に何度かで十分、あまりにしょっちゅうだと飽き飽きしてしまうものです。なのにお客さんはいません。が、しかしそれはここが都心から帰宅したお客さんが多いということなのでしょう。地元に戻って自宅までもうすぐという場所で呑みたいという気持ちは分かるけれど、家で呑んだらいいじゃんなんて気持ちをも揺さぶり惹きつけるだけの実力がこの店にはあるということなんじゃないでしょうか。
2017/11/25
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さて、出足からのんびりしすぎたので、ちょっとエンジンをかけねばいつまで経っても起用の目的地の仙台には辿りつけません。でもこの駅にはどうあっても下車せざるを得ません。と言うか、単に今乗ってきた列車の終着駅と言った意味でしかないのですが、各駅停車の旅をすると黒磯駅ではほぼ例外なく乗り換えを余儀なくされます。東海道線の大垣や米原みたいなものです。せっかくなので当然駅前を散策することにします。この駅、かつても何度も歩いていますが、こんなに賑やかだったでしょうか。これを賑やかというのはちょっと無理があるかもしれませんが記憶にある黒磯駅前よりずっと人通りも多く、店舗も開いているように感じられます。 さて、乗り換え時間がさほど長いわけではないので、いつまでも感慨にふけっているわけには行きません。「カフェ・ド・グランボワ」という由緒の有りそうな立派な擬似?洋風建築をリノベーションしたかのようなお店がありましたが、ちらりと立ち寄るにはチイとばっかり敷居が高いので、駅の正面にある「Cafe centro(セントロ)」にさっと入ってみることにしました。特に変わり映えのしない駅前喫茶店ではありますが、お客さんの入りもよくとても活気があってとても重宝に利用されています。これまで何度もこの黒磯駅は利用していますが、こんな喫茶店があったなんてまったく気づきもしませんでした。数年前から遅ればせながら喫茶店の魅力に目覚めたことで歩き慣れたと思い込んでいた町がまったく別な視線で眺められるようになりました。いつかまた新たな視点を持つことができれば、この黒磯の町にもさらに違った発見ができるようになるかもしれません。ともあれ、駅前という好立地でチェーンのコーヒーショップではない、こうした使い勝手のいい店があるのはうれしいことです。 さて、この日の目玉となる郡山駅にようやくの到着です。ついひと月前ほどに出向いたばかりの郡山駅ですが、どうしても行きたかった喫茶店がお休みだったので、これはどうあってもお邪魔しないわけにはいきません。郡山駅の目抜き通りであるさくら通りを一目散に駆け抜けて、歩道橋を渡りされに進むと安積国造神社という神社の門前に出ます。この門前に佇む喫茶店が目当てのお店です。 幸いにも営業しているようです。「モナミ」という喫茶店です。狭い門前には他にも居酒屋などの飲食店が数軒立ち並びいずれも年季が入っています。窮屈なスペースになんとか身を押し込んだような三角の土地に無理矢理建てたような安普請の店舗になります。いそいそと扉を開くとこれぞまさに純喫茶という落ち着きのある狭小であるはずなのにそれを感じさせないくつろぎの空間が広がっているのにしばし見惚れてしまいます。こうした店に入ると隅々まで見てみたくなるもので、どうしても店の奥の方に腰を下ろしてしまいます。そうすると思ったよりは若くていらっしゃる女店主との交流がままならないという支障もありますが、それはまたの機会にして、この日はひたすらにこの店の雰囲気に浸ることにします。一体どのくらい昔からここで営業し続けてきたのか、そのことに思いを馳せながら回答を宙吊りすることでまた訪れるきっかけになればと、今この時を楽しみつつもすでに気持ちは再訪を誓っているのでした。時間のことなど忘れてひたすらこの時間が止まったような場所に留まりたいところですが、幸いにも店内が暑かったせいもあって、次なる店に移動することができたのでした。 次なるお店は「ドン・モナミ」です。不思議なことに「モナミ」が続きますが、郡山の古い喫茶店であるこの両店の繋がりは確認できていません。一転してこちらのお店はモダンでありながらぐっと渋い造りとなっています。喫茶店というよりは今風のカフェバーとでもいったような店内で、店の創業は1971年ということですでに40年以上の歳月を経ているということですが、その年季を感じさせないほどにきっちりと手入れされていて、非常に気持ちの良い空間となっています。ただし、純喫茶というジャンルがもたらす印象とはやや異なるため、さほど後ろ髪をひかれることもなく、十分店の雰囲気を目に焼き付けてしまうと、きっちりと乗り換え時間を計算して落ち着いて店を後にしたのでした。
2014/08/17
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遅くなりましたがなんとか今日中に新しい日記?をアップロードできそうです。わずか1泊のビンボー旅行ですが、ようやくいまさっき帰宅したのでした。その短い旅の記録はいずれまた。最近の内容が旅日記のようになっていて酒場巡りを期待してご覧の方には恐縮なのですが、いましばらく旅日記が織り交ぜられるであろうこと、ご了承ください。-- 六郷土手を後にし、向かったのは雑色です。まだ日中ということもあって、都内でも早い時間から開けている店が多いこのエリアにあっても、まだ開店には時間があります。というわけで雑色散策のはじまりは喫茶店巡りからスタートです。一部酒場呑み歩きと重複することもありますのでご承知おきを。六郷土手から雑色へは歩いていてうんざりさせられる第一京浜を避け、京急線と東海道線に挟まれた狭いエリアをただただ北上します。住宅ばかりでさほど面白みのない通りをしばらく進み、ぼちぼち雑色駅が近づいたかと思うと商店街がスタートします。これが雑色商店街のようです。大田区では最大という商店街ですが、ほぼ十字に交差した通りから一歩外れるといきなり住宅街になってしまう程の規模で歩き街はさほどありません。 商店街に入ってすぐ、バス通りに面した角地に「喫茶 春」はありました。もとは黄色かったと思われる煤けたひさしに、「喫茶 春」と素っ気なく記されており、青い袖看板ともにあまり春らしい印象が感じられません。暗いガラスに覆われており、店内が見通せないのでひとまず入ってみることにしました。商店街の只中にあるにも関わらずお客さんは入っておらず、外観と同様に店内もガランとした雰囲気です。純喫茶らしいアイテムも希薄で鉄パイプが露出したパイプ製の実用的などこか味気ない椅子が並べられているばかりです。と否定的とも取られかねぬことを書いていますが、実はこうした喫茶店嫌いじゃないのです。京急の沿線にはこうしたぶっきら棒な飾り気のあまり感じられない実用喫茶店が散見されます。嫌いではありませんが、こうした店は気詰まりになることも多いもので、長居は無用とひとときを過ごすと早々に店を後にしたのでした。 ここで喫茶巡りは一休みして酒場巡りとなるのですが、その行先はすでに報告しました。京急の雑色駅から第一京浜までの短い道も雑色商店街に含まれており、ここにも雑多な店舗が密集しています。そんな通りのとあるビルの2階にあるのが「CAFE LIBERTE(リベルテ)」です。昼食時ということもありけっこう広い店内は大賑わい。勤め人に交じって近所のおばちゃんや老人たちが談笑しているのは、日頃はやかましいなと不愉快に感じられるのが、仕事をさぼってくつろいでいると愉快に思えます。純喫茶っぽさは希薄で、むしろ食堂のように使われていて和洋中さまざまな食事を楽しめることも繁盛の理由のようです。夕方からはビールセットなどもあって、軽い呑み屋として気楽に利用できるのも駅前喫茶として長くやっていく秘訣のようにも思われます。純喫茶気分を満足させてくれるほどの店はないにせよ雑色の喫茶店は地元の社交場として息づいていることはしっかり受け止められました。 その他、雑色で見掛けた喫茶店。
2013/10/13
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さて、新潟の三軒目はどこにしようかと、とりあえずはホテルを目指して歩きます。随分久しぶりの新潟なので町並みも相当変わっているかと思いきや、思いのほか記憶にあるままなのにホッとするような変化のなさに物足りないような複雑な心境です。西堀、古町、東堀とくねくね回り道をしながら歩いていると看板こそピカピカの真っ新ですが、2階を見上げると錆びきったトタンの壁が通りでは異彩を放っているやきとり店がありました。 「みやこや 東堀店」です。一軒家の焼鳥店で外目にはこじんまりしていると思いましたが、驚くほどの広いお店です。まっすぐのカウンターが10数席あって、背後と奥にはテーブル席もずらり。お客さんの入りはいまひとつのようです。こういう広いお店はお客さんでびっしりでとなっているのが酒場気分を盛り上げてくれるのですが、新潟の酒場はどこも分散して立地していて飲み屋街を形成しておらず、閑散としていることもしばしばであったことが思い出されます。入り口付近のカウンターに着くと、目の前にムック本の「新潟酒場案内 大人のいい店しょっぺ店」というのが置かれていました。ホームページも開設されていました。http://www.pavc.ne.jp/~jun0813/atorie/silyoltu01.html このムック本によると「万平」で女主人に教育的指導を受けまていた若い女の子の従業員はなんと新潟大学医学部の女子学生とのこと、以前から「万平」では女性の医学生が日替わりでバイトとしているそうです。さて、「みやこや」の焼鳥ですが、メインはやきとんです。豚のキャラクターが鶏だか豚だかの串をうれしそうに持っているというもので愉快でありながらどこかブラックな印象です。創業50年、市内に駅前、駅南とこの東堀店の3店舗を構えています。名物のやきとんは3本250円がメインと安いにもかかわらず新鮮な味わいでなかなかです。ひとつ気になったのが従業員の方たちがじっと客たちの様子を見据えていること。酒を干すとすすっと近寄ってきて追加オーダーを取ってくれるのはいいのですが、常に監視されているような緊張感がありました。 ホテルでチェックイン。ほろ酔い気味なので次は信濃川付近まで足を延ばしてみることにします。向かうのは先ほどのムック本で紹介されていたお店です。萬代橋に続く通りを信濃川を目前になろうかという鏡橋なる交差点を左折、しばらく進むと左手に赤い鳥居の金毘羅神社が見えてきます。雪国の新潟らしく、雪よけの雁木の機能を模したアーケードがあり、各種店舗が軒を連ねますが、ほとんどの店はすでに灯を落としてしまっていてうらさびしささえ感じるほどです。これが冬で雪降る夜であったなら歩き回るにも相当の気迫を要したことでしょう。 そんな町外れにあるのが「新小とり」です。お隣は銭湯なので、雪の中、ひとっ風呂浴びてから訪れるのがもっとも贅沢なのだろうななどとつい夢想します。昭和35年創業の老舗酒場ですが、新潟の町の酒場は雁木で店全体を見渡せないため、外観からはその古ぼけた様が一望にできません。ここもしょっぺ店というには外目には新しいため期待通りの店であるかは入ってみないとわかりません。といっても当然迷わず入店します。テーブル席は空きがあるものの大皿が置かれるカウンターは奥の1席を除いてすべて塞がっています。奥の席は特等席なのが一般的ですが、どうして空いているかはすぐにわかりました。三和士が割れてしまって床がぐらついています。常連さんにはすわりが悪いだけに感じられるのでしょうが、一見のぼくには店の古さが感じられて実に楽しい。250円の長者盛をお燗してもらうとチロリであっためてくれるのがうれしいのでした。ここではじめて新潟らしい肴を注文します。といっても新潟の居酒屋でよく見かけるお得価格のいわしぬたをお願いしました。さっぱりした酢味噌に濃厚で脂の乗ったいわしが美味です。トイレに行くと宴会の片づけをする従業員の方に「通りま~す」と声を掛けられたので、出るときには「開けま~す」と応じます。これまで冷淡とも感じられたお店の方たちに急に親近感が湧いてきます。そんなつっけんどんな印象の方たちがふと見せる暖かさに惹かれる方も多いのでしょう。この夜は西洋人の女性が来店しており、この方も日本の酒場の暖かさを堪能されていたのではないでしょうか。
2013/10/10
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