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客の立場としては、店がいつだって営業しているというのは基本的には有難いことです。でもそれって自分にとって行きたい店であることが条件で、年がら年中、興味のない店が開いているのは何となく落ち着かないのだ。例えば年末年始なんかにデパートが営業していたりするけれど、ぼくの場合、正月くらい(に限らずインドアなぼくとしては基本的には出歩くのはいつだって億劫なのだ)は、世の中のほとんどの人がだらけ切っていると思いたいのだ。若い連中が家にいたくなから町を闊歩するのは勝手だが、いい大人を無理矢理に表に引きずり出してもらいたくないのだ。そりゃまあ、24時間営業のお店が治安維持や震災時の避難先として有効であることは分からぬではないし、天涯孤独な人にとっては逆に安らぎをもたらしてくれるなんてこともあるかもしれません。実利的な意味では無休の場合だと必死になって出向いてみたら、営業していなかったなんていう悲惨な結果に至ることもないのは、感謝しかないのである。だとすると24時間年中無休は有難いけれど、ウザいということになるのです。ウザいのを回避するには目に付きにくいということが最も効果的に思えるのです。目に付きにくい場所にそうした店(ここでは居酒屋を想定している)があるのはぼくとしては大歓迎なのです。具体的な例を挙げつつ本題に突入するのです。 ぼくにとって、例えば松戸の場合は、「大都会」が理想的な酒場でありました。駅前という好立地でありながら地下に店を構えているから昼間から呑んでいても非難がましい視線に晒されずに済むのだ。逆に呑むつもりがなければ、視界に飛び込んできて同類を憎むといった不愉快な気分に陥ることもないのだ。そんな好ましい「大都会」でありましたが、残念なことに不意打ちのような閉店に次ぐ再オープン、しかし深夜時間帯の営業はなくなってしまいました。でも駅前には「磯丸水産 松戸西口駅前店」もある。しかし、こちらは開放的な構えの物件であるからして、前段の理屈から言えばぼくにとって目障りな酒場ということになります。実際目障りだからこれまで訪れたことは一度としてなかったのです。それは松戸駅前店のみならず、都内を中心に随所にある系列店のいずれにもお邪魔していなかったのです。けしてこちらが値段が高いからお邪魔しなかったわけではないのであります。にしても七輪で海産物を焼いて食べるという酷く非効率に思える業態で24時間年中無休をやろうというのはどうしたことか。それはもう一般人が酒を呑んでる時間帯に基本的には酒を呑めない呑み屋のオーナーや従業員だってやはり酒を呑みたいのだ。酒が嫌い、もしくは下戸だから酒場をやるという人も意外といるけれど、酒が好き、好きすぎて呑み過ぎてしまうから酒場を始める人が大概ではないかと推測するのです。そうした酒場関係者のアフターを当て込んだお店なんじゃないかと推察する次第なのだ。実際、早朝なんかにはより深夜時間帯まで稼ぎ続けた性的なサービスを含む飲食店アフター組が金に糸目を付けずに呑んでいたりするのを目にすることがある。そういったところもぼくがこの酒場を敬遠していた理由なのです。そして実際に経験してみたら、あらあら別になんてことのない普通の酒場でありました。でもまあ好んで訪れることは、今後もきっとないんだろうなあ。
2024/11/04
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宴会といえども拘りの酒場を利用したいとかねがね思っているのです。それもまあ幹事でなければなかなか思うままにならぬのです。わが職場においても数年来行われることのなかった比較的多人数による宴会が行われることになったのですが、なんとも情けのないことにこの会合の幹事が下戸ときたもんだ。下戸なら下戸でも構わぬのだけれど、酒呑み魂を揺さぶる酒場を選択肢に挙げることはまずないと思って間違いがない。この幹事役の男、酒は呑めないけれど、食うことにも興味がないかというとそんなことはちっともないのであります。旨いものを食うのは大好きなのであります。一方で、得てしてこういう人は宴席というものを大いに嫌うことが多いようです。酔っ払いどもがよっぱ勢いで失言、暴言を吐くのを眺めるなんて、それはそれで楽しそうではありますが、彼らの大部分にとっては苦痛の時間でしかないようです。だったら店の雰囲気はともかくとして、せめて旨い食い物を出す店を選んだっていいではないか。それが幹事の特権ってもんだろうが、と私などは思ってしまうのであるけれど、それには分かり易い条件があって、つまりは予算というものがあるのだ。だから彼は自分は呑まなくても人の呑み代まで計算に入れて店選び、コース選びをする必要があるのです。そりゃまあ、投げ出したくなることも分からぬではないのだ。でも探せばあるもんですよ。若い頃のぼくは幹事を務めると相当乱暴な場所決めをしたもんですが、それがどういう無理であったかを語ると、ぼくという人間の人格に関わりそうだし、それを人に勧めるのは気が引けるのです。 てなことで「鍛冶屋 文蔵 松戸店」に久々にやって来ました。こちらのお店のいいところは、当日の退社前に急に呑み会になっても10数人程度であればあっさり予約できてしまうところにあります。こうしたチェーン店としてはさほどオオバコって訳でもないのにね。かなりの大所帯での呑みとなることを見込んでいましたが、コロナの再流行もあって参加者は思った程ではありませんでした。これなら当日の予約でも大丈夫だったんじゃないかとはじめは思った訳ですが、しばらく呑んでから席を立つとほぼ全ての席が埋まっているのです。いつの間にこんな人気店になったんだろう。にしても肴の貧弱なことにはがっかりさせられます。そりゃまあ期待してはいなかったけれど、いくら何でもガッカリ過ぎるのです。以前は見た目にはそれなりに頑張っていた気がするけれど、今回は見た目すら貧層に思えます。これなら同じ食材でぼくが調理した方がよほど満足度の高い料理に仕立てられるんだけどなあ。ってこれは世間の居酒屋の半分近くには感じる事なのでした。まあ、こういう宴会で旨いまずいはあまり頓着してはならぬのです。というか店を指定したお偉いさんがいるかもしれぬからいらぬひと言が災いになることもあるし、何より現場で文句を垂れるのは他人にとっても不快だろうし、人格も疑われかねぬのです。にしても、な、ななんとこのコースメニューが呑み放題付きとはいえ5千円とは。トホホであります(偉い人が会費をもってくれてタダで呑めたのですが、だからといって手放しで喜べるものではないのだ)。4千円と思って愚痴ってたんだけどなあ。日本も世界的なインフレの波に飲み込まれたと思うことにしよう。
2024/09/08
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松戸と池袋とは似ても似つかぬ町だと思われるかもしれませんが、不思議な縁があるみたいなのです。実はこれと似たようなことをかつて書いたことがあります。その時には、松戸と駒込には縁があるって話を書いたのですが、それは主に東葛地域に店舗を構える「大衆酒蔵 日本海」が松戸は当然のこととして、なぜか駒込にも存在するからなんですね。実際の店は前者は繁盛している一方で後者は閑散としているところにあります。前者では喧騒が酷いから何をしゃべっても平気、逆に後者は他人がいないから秘密の会合を行っても支障がないのです。それとやはり東葛地域を中心に多くの店舗があった「鳥孝」がどうしたものか駒込にあったのです。これは今ではいずれも閉店してしまい寂しい限りです。じゃあ、池袋はどうか、って実は持ち合わせている共通点は皆さんご存じの「大都会」のことです。どちらも似ているようでやっぱり大分違っているようでもあり、関連はよく分からないのですが、その安さと営業時間の長さで一部愛好家すら存在するようです。その松戸店は一度は店を閉めたはずなのにほどなく復活を遂げています。閉まっている様子を目撃していないからもしかするとその情報はがせだったと感じる程なのです。いかにも共通点がこれだけじゃ寂しいことと思っていたら、思い掛けない店の支店がいつの間にかオープンしていたのでした。 池袋の駅北口エリアはネオ中華街(?)として話題になっているけれど、池袋にはそれなりに縁のあるぼくにとっては、今更何を騒いでいるんだって感じではあります。なんて昨年久々に何度か北口で呑みましたが、その変貌ぶりにちょっと驚かされたのですが。その際に訪れたのが、中華食材スーパーとそこに併設されたフードコートでした。その支店なのか系列店と呼ぶのが適当なのか定かではないけれど、「友誼食府 友誼商店 松戸店」というのが開店していたのです。池袋の雑然、荒廃然とした中華街的な町並と違って、松戸駅西口駅前のじわりじわりと町としての役割を終えていくかのような衰退途上の雰囲気に果たしてしっくりとくるのか疑問ではありましたが何にせよお邪魔してみることにしました。店の構えは巷に数ある中華食材店とは一線を画したピカピカの店舗で、実用一点張りの他店に比べると随分レイアウトにも気遣いを感じます。色々と気になる食材もありますが、量が多かったり思った以上に値段が張ったりで結局見送ることにしました。目的は買い物ではなく飲食にあります。まずは勝手知ったる表情でスーパーにて種類を購入。店の奥がフードコートになっていて、5、6店舗ほどが並んでいるような装いではありますが、従業員は2名の女性のみです。ずっと食べたいと思っていたザリガニや長らく口にする機会のなかったアヒルなどを注文します(このカードを受け取って都度勘定を済ますスタイルが、まだその意味するところが理解できていないのです)。いずれもちょっと物珍しくて食べたことに後悔はありませんが、とにかくしょっぱいのが辛い。またザリガニは予想していた以上に食べるのが面倒で、ひたすら食べる事に集中してしまい、手指も油でギトギトになるので酒もなかなか進まないのでした。前回も思いましたが、こういうお店では食事寄りの麺類なんかの方がむしろ美味しくいただけるのかもしれません。しばらくして訪れていた中国人カップルはやはり食事系メニューだけを頼んでいたからきっとそうなんだろうけど、それでも普段食べられないものが食べたいもんなんですよね。
2024/06/03
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3日に及ぶ闘病生活で経験したことの最重要ポイントは何かというと、病院に行くのがかつてほど苦痛ではなくなったということです。子供の頃は、本当に病院に行くのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。何が嫌いだったのか改めて思い出そうとしてもよく分かりません。まあ、好きになるような場所でないことは、当たり前といえば当たり前なのです。でも嫌う程にも病院に行ったことのないぼくは(中学卒業まで歯医者を含めて片手程度、出生時を除く)、その後、歯医者などにはたまに行くようになったけれど、風邪などの内科関係の診療を受けるために病院に行ったのはもう40代になっていたのではないでしょうか。これは統計的なエビデンスなどまるでない単なる印象なのですが、酒場通いする人にそうした人が多い気がするのです。何かしら疾患があると思いつつ経済面で秤に掛ける人もいるにはいるけれど、それよりも目前に迫っている(かもしれない)冷酷な現実から目を背けたいと考えて炒るように思えるのです。ちなみにぼくはそんなんじゃないですけどね。 さて、明日も同じく近況を述べつつ、もう書きたいことも余りないけれど常連とまでは言えないまでもちょくちょく通う酒場を書いて窮地をしのぐことにしたのです。今回は北松戸の「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」であります。北松戸で呑む機会はめっきり少なくなりましたが、稀に呑むことになっても一人ってことが少なくなって、誰かと一緒にってことになるとここに来ることが多いかな。ここでそうも深酒するつもりはないけれど、それでも3名以上で来るなら各人の酒量を計算しつつ呑み切れると踏んだらボトルで頼んじゃうのですね。今回は3名でお邪魔しましたが、ぼく以外は男1名、女1名で前者は吞めば結構呑むのだけれど、普段の生活で呑む習慣がまるでない男でこの夜は酒量に伸びが見られません。後者の女は呑むことは呑むのですが、いつもなら悪酔いする性質なので程よい状況を見極める必要があるのです。この夜はどうも呑み気より食い気が優先したらしく、男2名を差し置いて勝手に一人バクダンなど頼みくさって全くもって身勝手なのだ。まあ、いいんですけどね。だからボトルの始末は必然的にぼくに託されることになり、あまり長居したくなかったこともあり、ハイピッチで呑んだため結構いい具合に酔ってしまったのでありました。
2024/04/07
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場末っぽい町で呑むのが年齢とともに益々好きになっています。好きになっているというよりは、非常に落ち着くといった方が適当でしょうか。繁華街の雑踏の穴場の目立たない酒場ってのも魅力ではありますが、そこに至るまでの雑踏を思うと二の足を踏んでしまうのでした。だからハナから場末っぽい町であれば人混みに辟易するまでもなく目的の酒場へと至れるから、どうしてもそうした町を目当てに向かうことになります。ネット上では、酒場巡りをテーマ(テーマなんていうとさも崇高なことについて語らねばならないようで気が引けるのですが、どうも適当な言葉が浮かんできません。話題という語が少しは近いかな)に据えた記事(記事ってのも新聞記者かお前はと突っ込まれそうな高邁な言い方に思えてその使用を躊躇ってしまいます。といって雑感なんてのも作家ぽくてカッコつけすぎかな)では、町と酒場との結び付きについてあまり配慮していない内容が多いように思えます。一部、陸の孤島(という呼び方をぼくは非常に嫌悪しているのですが)へ至る道中をやけに大袈裟に描写してみせるものなども合ったりする訳ですが、それは町と酒場の関係を見つめようという気持ちとはかけ離れた内容であることが多いようです。むしろいくつかある酒場巡り番組の日中の散歩だったりに可能性を見出せるように思えるのです。片っぽは自身の趣味的欲求を満たすため、一方は単なる尺稼ぎのためにも思えますが、まあ酒場のみひたすら撮影した番組作りよりは好意的な印象を抱かせてくれます。となると今回訪れた北松戸が場末っぽい町かってことになりそうですが、ぼくにとっては北松戸はちっとも場末っぽい町ではなくて、単に工場団地と競輪場と住宅街を従えただけの発展し損なった残念な町でしかないのです。 そんな残念な町にもしっかり町に根付いた酒場があります。チェーン系の酒場はこの町にも数軒はあるけれど、独立した個人店でそこそこのオオバコとして確固たる存在となっている「た古八」は、大いに気に入っているとまではいかずとも好感が持ててたまには訪れたくなる酒場なのです。ぼくは大概のそこそこ通っている酒場に決まって頼む肴があります。ここでもそれは同じことで、大概決まったばかりの肴を頼んでしまうのです。ここだとネギちくわ、マカロニサラダはその日の200円のサービス品になっていたらまず間違いなく頼むし、この店の一番人気の品らしい焼鳥4種盛合せもほぼ3回に2回程度の割合で頼んでしまうのです。呑みも終盤になってもう1杯、いや2杯ってタイミングになるとフレンチポテトはほとんどマストオーダー品となっています。それは酒の種類が変わったとて揺るがないのです。熱燗の松竹梅豪快にフレンチポテトはおかしいと言われようともそこは曲げられないし、今回のように初オーダーの鶏の唐揚げを食べた後であってもきっちり頼んでしまうのです。特段、この店でしか食べられない品ではないのだからさぞ好きなんだろうねって思われたら、そうではないと声を高くして言いたい。単なるコスパを考慮しただけのことなのです。以前頼んで失敗したなと思ったものは二度と頼まない。今となってはその失敗が冷静な判断に基づいた結果であるとは判じかねるけれど、そう思いこんでしまったら頑ななのです。ならばその他数ある注文をしたことのない品々はどうなのだ。そうした未経験の品で頼まないのは単なる先入観でしかないのです。だから他人と訪れるとこちらがまず頼まない品を頼んでしまって、勝手なことをするんじゃないと思ったりするけれど、それが実は当たりッてなこともあったりして、だから日増しに狭くなる視野を広げるためにも他者との交流はやっぱり必要なんだなあ。
2024/01/12
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世界各地のカレー料理を食べてきたつもりでしたが、スリランカのカレーや料理って思い返してみても食べた記憶がありません。自宅にあるカレーの教科書にも世界各地のカレーが紹介されてはいますが、どうしたものかスリランカカレーに関しては作った覚えがまるでないのです。では、スリランカ料理店には行ったことがあっただろうか。思い当たる店がないので、ネットを検索してみると以下のサイトで日本のお店がズラリと紹介されていました。HAPPY FACTORY. 「日本全国スリランカ料理店一覧」https://www.happy-factory.org/?page_id=2926 ここで紹介されているだけでもなんと161軒も存在するようなのです。なのに1度として食べに行ったことがないとは、もうカレー好きを自称するのは止すことにしようかな。それでも早急にスリランカ料理店を訪れるとともに自ら作ってみることにしなけりゃならないですね。でもよくよく調べるとポルサンボルなるフリカケ風料理は作ったことがありましたね。これはスリランカの料理のようだから全く知らないって訳ではなかったようです。でもさすがにこれだけじゃねえ。もうちょっとカレーらしい料理をつくってみないといけないなあ。とまあスリランカ料理とはこれまであまり関わりのないところで暮らしてきてしまいましたが、つい先日、ひょんなきっかけでスリランカ料理店を訪れる機会を得たのでした。 北松戸駅東口から徒歩30秒のホームからも良く見える近場のビル2階に「Mr.Julian(ミスター ジュリオン)」が開店していました。まだ、上記の一覧にも掲載はされていません。店内はカフェ風の装いで、オシャレかどうかは意見の分かれるところですが、何にせよぼくが普段立ち寄るタイプのお店ではないのは明らかです。ホール担当は日本の方のようですが、料理人は日本人離れした風貌であります。スリランカの方なのでしょうか。7名という面子だったので、呑み放題2時間付の4,000円のコースを予め予約したのでした。さて、今回はスリランカ料理を話題の中心としたので、出てきた料理について書いておくことにしたい。ちなみにネット予約の際に掲載されていたのは、以下の料理であります。■料理内容:1.シーザーサラダ2.ポテトフライ3.ナスバター4.カトレツ&パティス5.ソーセージデビル6.チキンフライドライス7.デザート 1. 主にキャベツの千切りにキューピー風のドレッシングがかかっています。これはシーザーサラダというよりはコールスローですね。とにかく大量なので野菜をたくさん食べたい人にはまあいいのかな。2.は丼一杯のあくまでも揚げただけのポテトフライ。ケチャップもしくはヨーグルトを混ぜたマヨネーズを付けて召し上がれ。コース後の残時間に呑み放題の酒とともに食べるのは悪くないけどね。3.はナスのスライスをバターでソテーしたものです。特製ソースで召し上がれ。マヨネーズの方が美味しかったけど。カトレツ&パティスはクスクスのコロッケと豆のサモサって感じかな。微かに辛味を感じるけれど、ぼくにはちっとも辛くもスパイシーでもなかったのでした。5.はパスタ抜きでソーセージメインのナポリタンみたいなもの。ほとんどスパイシーさはない。6.はライスではなくクスクスのようです。これまでの中では一番異国の料理っぽいけど、果たしてこれがスリランカ料理であるかは疑問が残ります。とにかく量はすごい。7.は芋羊羹みたいなのにハチミツが添えてあります。ちっともエスニックではなくて日本人にも食べやすいが特段旨くはないかな。といった訳で料理っていうのはその国の人がこれはどこそこ料理だって言ったらまあ違うってことはないのでしょうが、少なくともオーソドックスなスリランカ料理、ぼくがレシピ本なんかで知っているそれとは明らかに別物のように思えたのです。
2024/01/01
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近頃、どうにも眠たくて仕方がないのです。加齢のせいなのか原因ははっきりしませんが、気付かぬうちにウトウトしてしまうことが多くなっています。もともとぼくは普通の人と比べると眠たがりの方だって気がしますが、それにしても特に今時期のような季節の変わり目には日に数度激しい眠気に見舞われるのです。特にこの数年は朝方4時頃に目が覚めると、どうしたってその後寝付くのが難しくなるのです。早く眠ろうが、ぎりぎりまで耐えて日付を跨ぐまでは眠らないようにしても結果に違いはないのです。寝つきはいいけれど、中途覚醒してしまい、日中の特に午後3時前後に眠気のピークが到来するのです。こうした症状には特効薬はないのでしょうから、とにかく目先の眠気をやり過ごす術が必要となります。でもぼくにはその術など持ち合わせがないのです。国会でも地方自治体でも構わぬけれど議員さんが議会中に眠りに落ちてしまうのも無理のないことだと幾分かは同情を寄席たくもなるのです。恐らく昼食後に眠くなるといったことは大概の人が経験していると思うのですが、そうした人たちはどうやって眠気から寝落ちへの移行を回避し得ているのでしょうか。会議中眠くなったよと語りながら多くの人は退屈な会議中も惰眠を貪ったりはしていないようです。ぼくはよく自らの身体をつねってみたり、カフェインを摂取したりして何とかしようとは思っているのですが、なかなか思うようにはいきません。強烈な睡魔に対しては抗いようもないものなのでしょうか。呑みに行ったら元気になるくせにねえ。と思っていたのですが、最近は呑みながらでも眠くなります。それが立ち呑みであってそうなんだからもう非常に困ってしまうのです。 つい先達て半年ぶりにお邪魔した「根ぎし」でもうつらうつらと眠気に見舞われました。この半年ばかりでずっと変わらない感じのこのお店にも若干の変化が認められました。店内の景色もオヤジの容姿もほぼ以前のままですが、不動のラインナップで固定していた品書きが一品だけこれまでに見たことのない品が増えていたことに気付きます。それが今回注文したつみれ煮なる品で鶏ひき肉の団子を煮たものなんですが、これがゴルフボールサイズのが5個で450円というからまずまずお手頃です。しかし、酒の一部、瓶ビールや日本酒なんかの値段が微妙に引き上げられているのです。物価が上昇を続ける現在では仕方のないことですが、とても残念なことです。ホルモン炒めは同じ値段で同じボリュームとほとんどの商品はかつての値段を踏襲していますが、川海老の唐揚げなどが定番から外れてしまったのは残念なことです。こちらの料理はほとんど料理ごとにその食材が1食分づつビニール袋に入れられて冷凍されたものにちょっと手を掛けるというのがお決まりで、ホルモン炒めは冷凍されたこてっちゃんに一口大に刻んだキャベツを一緒に炒め合わせるといった具合です。この夜は我々2名だけだと思ったらしばらくして2名がやって来て店はいきなり賑やかになりました。その人たちがまあ実にくだらない話をとんでもなく大きな声で語っていて耳障りなんですが、どうしたものか騒音なのに急に激しい眠気に見舞われたのでした。どんなに環境が酷くても眠い時はどうにもならない位に眠いってことのようです。帰り際にこのオヤジたちは我々に向けて喧しくして申し訳なかったですね、なんて実に丁寧に仰るのだけれど、誤る位ならもう少し控えめに語らえないものかなあ。
2023/12/11
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下総中山というと関東の日蓮宗大本山として知られる中山法華経寺で知られる町であります。駅を出て京成中山駅を越えさらに北に向かうと法華経寺まで続く参道が伸びており、休憩所などは以前と比べて少なくなったものの今でも数軒が営業を続けています。といったような場所柄、両駅に挟まれたエリアはかつての門前町に当たるらしく今でも町の規模としては数多くの酒場が残っていて、しかもなかなかの風情を保っていたりするから酒場好きであれば一度は訪れてみてもいい町だと思っています。さて、法華経を主たる経典とする日蓮宗でありますが、日蓮という人は『四恩砂』で「日蓮はさせる(爾)妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず壬只法華経を弘めんとする失により云云。」とあるように肉食を自らに禁じていたそうな。現代では、怠け者の僧侶を生臭坊主といったりしますが、本来、肉魚を用いた料理(生臭料理)を食べる僧侶を意味したそうです。ぼくの知る僧侶は揃いも揃って生臭坊主ということになります。ちなみに不飲酒戒という戒律もあって、これはつまり飲酒禁止の戒律ってことになりますが、こちらもまたぼくの知人は犯していることになります。職業差別をする訳ではないですけど、少なくとも日蓮宗など自身のよって立つ宗派が肉食や飲酒を禁じているのであればそれは職業倫理上ぜひとも遵守すべきではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。それが嫌なら僧侶を辞めちゃえばいいんじゃないのと思ってしまう。なんて他人事だからと好き勝手なことを思案しつつもぼくは下総中山駅駅北側の呑み屋街にあるホルモン料理店に吸い込まれるのでありました。「ホルモン料理 とんちゃん」は、これまでも何度か通り過ぎていたはずなのにどうしたものか通過してしまっていたようです。お茶漬け屋の客が一軒目にこの酒場に立ち寄っていたという話を耳にして俄然興味が湧いて訪れたのでした。その噂話というのは、最近になってここの味が落ちたって話だったんですけどね。地図アプリで検索して向かったのですが、なぜか一向に見つからず迷いに迷った挙句、何のことはないメインの呑み屋通りに堂々と存在したのです。分かってみるとこんなに目立ってるのに不思議なものだなあ。これは結構繁盛してそうと慌てて戸を開けるのですが、驚いたことにほとんど客がいないのです。というか20名はゆうに入れそうな店内に先客は1名だけだったのです。これはもうちょっとヤバいんじゃないの。と思いつつも席に着くや酎ハイと肉を2皿頼んでしまったのです。これだけ空いているなら一気に2皿は間違いだったななんて思いながらちゃんと品書きを見るとハーフサイズもあるのですね。まあ頼んでしまったから仕方ないかな。一人寂しく大き目ジョッキの酎ハイを呑みつつ観察に勤しむのでありますが、店の主人と女性従業員、そして常連らしい方は和気あいあいとして実に結構な雰囲気でありました。肉も余り肉の味は感じられませんでしたけど、まあ新鮮で臭みもなくそこそこ美味しく頂きました。そんなに遅い時間ではなかったけれど、このお店もしくは町は早くも暖簾を下げる時間帯なのかもしれません。そういやこういう一人焼肉店って昔から見つけるとつい楽しくて立ち寄っていて、独りホルモン焼きで呑むのが好きと思ってました。でも今じゃいくつもチェーン店が営業していますが、でも滅多に訪れることがないってことは結局ぼくはこうした古いお店が好きだっただけなんだろうなあ。
2023/12/08
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前回書いたように街の住みここちランキングで下総中山駅は、39位でした。面白いことに歩いて3分程の京成中山駅はランキングから漏れてしまっています。わずかの距離の差でランキングが変動するのでは地価にも影響を及ぼすかもしれないから地元の方はきっといい気はしないのだろうなあ。JRより北に位置する京成中山駅の北側には法華経寺があったりして、町の品格としてはずっと上だと思うのですが。それに比べると同じ京成本線で千葉方面に1Km弱の東中山駅は駅前にはコンビニ程度しかないにも拘わらず、85位にランキングされているのだからもう何が何だか分からなくなるのです。不便な分だけ家賃が安かったりするんだろうか。これだけランキングに影響が及ぶほどに安いのならまあ余程お手頃なんだという予想も立てられますが、本当のところは分からない。そんな何もない東中山駅を訪れることになったのは知人の家族に不幸があってその通夜に参列するためだったのです。何もないと書いたけれど、斎場というかセレモニーホールは存在するのです。今やコンビニ以上にコンビニ化している業界なんじゃないだろうか。コロナの蔓延以降各種セレモニーの簡略化の流れが一挙に普及してそれはそれで結構なことだとは思うけれど、こうした会場のコンパクト化により小さなお葬式なりの小さな会場がそこら中に出没しているような気がしてならない。そのせいでこれまで訪れることのまずなさそうな町に赴いて通夜やら告別式に参列する機会がむしろ増えたのだけれど、さすがにそれを素直に喜ぶのもどうかと思う程度の分別はあるのです。 とはいえせっかく訪れたのだから駅周辺を散策することにしました。しかし先に書いたように駅を出るといきなり住宅があるような町並みだから、通りすがりの者がちょっと立ち寄るような酒場どころか商店すらほとんど見受けられないのです。それでももう再び訪れる可能性の極めて少ないことが予想される町に来たのだからと執念深くも歩き回ることにしたのです。途中結構急な下り坂があってここを下って何もなかった場合に引き返すことになった場面を想像して気持ちが萎えますが、その不安を振り切って坂を下りきるとそこは千葉街道でした。街道といっても片側1車線の通りだし、幸いにも通行量もそう多くはありません。でもこんな通りに呑める酒場など果たして存在するのか。ありました。「お茶漬 みえ」です。外観はそう古びてはいないけれど、店内に入るとかなりの年季が感じられます。お客さんからの開店43周年の記念品が飾られていますから昭和の時代から続くお店のようです。女将さんはかなりのお年を召しているはずなのに溌溂としてますしね。先客は2名、女将さんはぼくを見て瞬間、怪訝な表情を浮かべましたがすぐに奥のカウンター席を勧めてくれました。小上がりもあってそこにはカラオケが置かれています。表から見ると結構な収容定員がありそうに見えましたが中に入ってみるとせいぜい10名入れるかどうかってコンパクトなお店です。先客はどちらもボトルをキープしているようで、近隣に他に呑み屋のない場所柄だからしょっちゅう呑んでいかれるのでしょう。カウンターにはいかにも手作りの惣菜が並んでいます。女将さんが小松菜って千葉の名産なのに誰も食べないのよなんてことを愚痴っています。酎ハイを頼むと、匂いのするのとしないのどっちにします、なんて聞かれるので大体言わんとすることは分かりましたが、一応お聞きします。匂いのしない(いわゆる甲類ね)のはキンミヤだったのでそれを貰うことにします。匂いのしないのって呑んでも酔わないのよねなんて仰っていたが、いやいや同じ酒だから変わらないよとツッコミたくなったりするのです。お通しは白菜とツナを煮たものだったかな。家庭料理そのもので旨いとか不味いとかいうのが無粋な料理であります。こちらの肴は食事系も含めてどれも家庭的で、それを求めてこられるお客さんも多いようです。ぼくはもう訪れることはないのだろうなあなんてことを思いつつ孤独に呑むのでありました。
2023/12/04
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下総中山について、書きたいこともないのでネットでネタを仕入れようと闇雲にリンク先をクリックしてみると以下のサイトが表示されました。いい部屋ネット 「街の住みここち&住みたい街ランキング」https://www.eheya.net/ 町の住みやすさを口コミで採点するというサイトは、ここに限らずあちこちにありそうですが、なかなかに興味深いものですね。ぼくは今の町に住み始めて随分経ちますが、引っ越しに要する労力を思うともう死ぬまでここでも構わないかと思い始めています。そりゃまあ叶うことならセカンドハウス、サードハウスなんてのが持てるとそれに越したことはありませんが、そんな甲斐性などあるはずもない。https://www.eheya.net/sumicoco/2023/ranking/chiba/sumicoco_station.html ところがよくよくこのランキングを眺めると千葉県の1日の利用者数が多い駅の上位5駅が(西船橋駅(ランキング外)、柏駅(76位)、船橋駅(79位)、松戸駅(ランキング外)、千葉駅(65位))がことごとく下位の評価となっているのです。交通が利便性と住みやすさが必ずしも合致しないというのは分からなくもないのですが、ぼくにとっての住みやすさは確実に交通の利便性がかなりの割合を占めるのです。数少ないある程度は納得のいく調査結果は、市川駅がある位でそれでも順位が30位(ちなみに乗降者数11位)と必ずしも高くないのでした。松戸駅だって賑やか過ぎず都心へのアクセスも良くて住むには悪くない町だと思うんですけどね。ちなみに今回訪れた下総中山駅は、駅ランキングの千葉県版で、39位でありました。なかなかの高順位です。 と本題から遥かに遠ざかってしまいました。下総中山では何度か呑んでいますが、まだまだ良さそうなお店があるではないですか。ついハシゴしてしまいましたが、今回は「お茶漬・おにぎり ぼんち」にお邪魔することにしました。どうしてこんな駅側のよさげなルックスのお店を見過ごしていたんだろうか。以前、気付いていたら身を粉にしても立ち寄っていたはずです。なかなかこの辺まで呑みにこようって気にはなれませんから、回れるうちに行っておこうってなったはずです。でもこの夜は、この次にもなかなかに味のある酒場があったから結果的にはオーライなのです。かつては無理矢理4、5軒とハシゴしましたが、今は2軒、ちょっと頑張って3軒が限界です。というか無理して呑むなんていう無駄は回避するという賢明さにようやく立ち至ったのです。さて、こんな店なのでさぞや高齢の女将さんがカウンターの向こうにいると思ったら福々しくも若々しい方がおられました。10席に満たぬ程度のカウンター席はほぼ埋まっていて、固定客もしっかり獲得されているようです。そうあれこれと肴の用意はないようなので、お隣が召し上がっていたエイヒレを焙ってもらいます。焼酎割りはないようなので、瓶ビールから日本酒という流れを想定したのであります。女将さんの人柄もあるのでしょうか、女性のお客さんと男性が同じ位の割合といった具合です。女性客の多い酒場っていうのは基本的に外れがないような気がします。隣席のお兄さんも初めてみたいですが、果敢に常連さんたちに語り掛けて仲間入りを画策しています。〆だと思われたおにぎりを食べ終えてもなお、会話を続けたいというのは常連入りを目指したのでしょうか。それだけ気に入ったってことなんでしょうけど、その必死さが何だか見ていて息苦しいなあ。
2023/12/01
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ぼくの知人にとんでもない人たらしがいます。人たらしという言葉は、近頃余り耳にしなくなったので、柄にもなく解説めいたことを書いてみることにします。現在では、人たらしという言葉は、他人のハートをわし掴みにするといったような魅力的な人物を指すことが多いように思います。でも「人」の字を取り除いて「たらし」という単語だけを切り出してみると途端に逆の顔が見えてくるのです。「たらし」を漢字に直すと「誑し」と書きますが、「誑し込む」という言い回しがあるように人をだまくらかして思うがままに誘導するといった意味合いになります。これって全く逆のことを意味しているように思えますが、前者と後者の意味は紙一重の差でしかないとも考えられます。言葉でうまく説明するのは難儀ですが実際に人たらしだと評されている人のなりや振舞いを眺めてみると合点ができるんじゃないでしょうか。きっとそういう人には胡散臭さを感じつつもついつい惹かれてしまうのでしょうねえ。ぼくが知人に抱いているのはそんな印象で、単に好きでは済まされぬアンビバレントな勘定なのです。ぼくの好き嫌いはともかくとしてその人を眺めていると実によく人のことをよく観察して(ここまではぼくも案外得意とするところ)そして覚えているのだ。人たらしになるには、話し上手聞き上手であることや人目を惹くルックス以上にそれこそが大事なのかもしれないなあ。 いつも客の側で店の人たちを観察して好き勝手を申しておるぼくですが、当然のことですが逆に観察される場合もあることを意識しておくべきなのでしょう。なんてことを書くといかにもぼくが店の人に見られていたといった話を書き始めそうですが、そこまで意味のある話ではないのでした。単純に5年程前にこの夜お邪魔した「串かつ居酒屋 南国」にすでにお邪魔していたことをまるで覚えていなかった。つまり観察しているようでちゃんと見ても覚えてもいなかったということです。覚えてないのに見ていないことを記憶しているのは矛盾しているようですが、一度見ていたら既視感程度の映像が脳裏に去来していたと思うのです。ところがそうした兆候は全くなくて残っていたのは前回訪問した際の日付だけだったのです(このブログを掘り起こすと何か書いたかもしれませんが振り返る気力がありません)。ここは先に書いた南流山在住の知人の行きつけのお店でありまして、店にいる人全員がとてもリラックスしています。こうした店ではリラックスできることこそが何よりの肴となります。というか前の店でもう満腹しちゃっただけなんですけど。若い店主は病み上がりで好きな酒も呑んでいないそうです。お手伝いの女性二人はどちらも明るくにこやかでどっちがどっちか分からなくなる位に穏やかです。他のお客さんも一見さんも含めて皆さんほのぼのとしたムードでついつい酒が進み過ぎてしまいました。なるほど通いたくなる訳です。とは言え自宅まで遥かに遠いぼくとしてはうかうかと通うこともできません。しかもしっかりと武蔵野線を乗り過ごして危うく終電を逃す羽目になるところでした。
2023/11/13
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たまたま松戸を舞台にした映画について調べてみたら『キングコング対ゴジラ』に松戸が登場するとのこと。ぼくは必ずしもゴジラ映画の良い観客であったことはないのですが、それでも映画マニアとしての嗜みとして大森一樹版までの大部分を劇場で見てきました。でも当時のぼくは映画をあくまで映画として見続けるので精一杯であり、その舞台となる土地にまで意識が及ばなかったのです。だから『キングコング対ゴジラ』に松戸が出てきたと知ってもへえ、松戸じゃあゴジラもしくはキングコングの破壊し甲斐があるような建物もないし、仮に江戸川を遡行して上陸したとして結局都内へと向かうのであれば川をまた渡り直さねばならないから映画のテンポを崩しかねないんじゃないかなどと思ったのです。気になったので、ネットを調べてみると以下のサイトがありました。気まぐれ特撮道 「ゴジラ60周年ロケ地巡り~『キングコング対ゴジラ』②(後楽園)」http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2014/11/60-fb30.html「千葉県松戸市にて高圧電線を突破したキングコングは都内に侵入。白山通りを南下して後楽園付近へ接近します」とのこと。これだけではキングコングが松戸に唐突に出没したように読み取れます。そんなことはないだろうけれど、この情報だけでは疑問は解消しません。というか、実は松戸のことなどすでにどうでも良くなっていて、このサイトのマニア心をくすぐる徹底したリサーチぶりにこそ興奮を禁じ得なくなっていたのでした。一時期ぼくも暇を飽かしては映画やマンガなどから酒場を見つけ出しては悦に入るといった作業に没頭したものですが、どういう訳か近頃はそんな時間を捻出するのが困難になっています。多少の遠出をして吞みに行くことも少なくなったにも拘わらずどうしたものか。まあ、こんなこの夜訪れた酒場とはまるで無関係な文章から始めさせていただくことをまずはお詫びいたします(ちなみにコングは、ソロモン諸島の近くのファロ島で生け捕りされたものの筏に乗せられ船で日本に向けて曳航されていたところを脱出し千葉東海岸に上陸。霞ヶ浦を経由して松戸に至ったようです)。 さて、この夜訪れたのは、「丸吉」です。公にしていいのか悪いのか判断しかねるところですが、ここはコロナ禍の真っ只中にあっても変わらず揺るがず営業を継続することを選択したお店でした。持続化補助金目当てらしきほぼシャッターを閉めてこっそりと常連相手に営業を続ける酒場をぼくはたびたび目撃しましたが、そんな姑息な連中に比べると圧倒的に潔い態度と感じたものです。無論、世の中の要請に応じてじっと苦難を乗り越えた酒場がずっと好感を抱くもののこうした果敢な酒場に助けられたことも事実です。そんな酒場に久々にお邪魔しました。コロナの頃は親しい知人と二人だけって決まってましたが、今はすっかり過去の事のように平気でグループ呑みもするようになりました。といった訳でこれまた実に久し振りにこちらの超極狭個室に通されます。写真ではさほど狭く見えないでしょうが、これが襖側は足も組めぬ程に窮屈なのです。早く到着したぼくは遠慮なく多少なりとも広い席を確保したのでした。さて、馬刺しを始めとして次々に料理を平らげるのですが、こちらの名物になっているのは刺身盛合わせです。10点盛りは確かになかなかに立派であります。しかしですね、ケチを付けるつもりはさらさらありませんが、コロナの最中にお邪魔した頃はとてもじゃないけど比較にならないもっとずっとすごい盛りだったのです。食べても食べても減らない気がしたのに比べて今回は4人という人数や物価高騰もあるのは分かるけれど、見るからに刺身の減りが圧倒的に早かったのです。いやまあ確かに一人とんでもなく呑み食いしてしかも遠慮の欠片すらない奴がいたことは確かです。にしたってあまりにもあっさりと肴が片付くし、しかも酒の消費ペースもとんでもないスピード感でぼくなどはあっという間に満腹してしまったのでした。ぼくだって食う方はそれなりですが、呑みの速さには自負があったのですが。とまあ、冷静になってみるとやはりわれわれの吞み食いがコロナ時の減退から回復しつつあるだけなのかもしれないと思えてくるのでした。とまあ書くこともないのでこれまでとします。
2023/11/10
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流山電鉄流山線ってまだ数回しか乗車したことがないけれど、下手なローカル列車よりよほど郷愁があって好きな路線です。渋い風景や物件をレトロと表現する人がいますけど、レトロという言葉がretrospective(レトロスペクティブ)の略語であって、懐古趣味を意味するのは断るまでもない常識なんですけど、その訳語にあるように趣味というのがぼくにはとても不快に思えるのですね。「レトロな」っていう言葉は和製造語でありますが、それを否定するつもりではなくて、趣味という言葉の軽さと思想・信条の軽さというのが早退しているように思えるのです。とにかく流山線にはレトロという言葉では表現したくないような切実な哀感が漂っているように感じられるのです。懐古的と回顧的は異なるニュアンスを含む言葉であることは何となく理解してはいますが、いずれの言葉にも反発したい気持ちは持っていたいのです。流山線の駅間を歩いていると時折ギュッと胸を締め付けられるようなネガティブな勘定が渦を巻いて立ち現れる瞬間があるのですが、そんな生理的な現象はぐっと飲み込んで平静を気取りたいのです。とまあこうしたことを呟いている時点で懐古的であり回顧的であり、ぼくの指摘されて最も不快な言葉の一つである感傷的な精神の顕われなんですけど、とにかくそうしたアンビバレントな性格の人には是非一度は流山線に乗車し沿線を歩いてみてもらいたいのでした。かつて小金城趾駅がその一部であった公団住宅の取壊しは誠に残念ではあるけれど、まだまだ見所はあります。そのお隣に鰭ヶ崎という駅があります。でもこの夜訪れた酒場にここから出向く人はそう多くはないはずです。2022年度の一日平均乗車人員は537人と非常に少数であって、その酒場との距離がそう変わらぬ南流山駅がJR武蔵野線の30,259名、TXの31,064名を合わせた数と比較すると1%にも満たぬのだから、まずほぼ存在しないと推測していって良さそうです。 ともあれ今回お邪魔したのは、「居酒屋 のんべえ」です。前週のリベンジって訳ではなく、前回南流山で呑んだちょうど1週間後に当地住まいの知人からお声が掛かって飲みに行くことになったのでした。せっかくならとこの店のことを話すと、知人もつい最近久々にお邪魔したところ満席で入れなかったとのこと。前回は予約でいっぱいだって店主に言われたのはそれを聞いても半信半疑ではあるけれど、予約をしているかという問いがある以上、予約をしておくのが無難と判断したのであります。前日の5時前に電話をすると店主が電話に出られたが予約をしたいと申し出ると店に来たことがあるかと問われる。これはもしや一見はお断りっていうことなのだろうか。知人が何度も来ているから(知人が)何度も来ていると答えるとそれではお待ちしていますとのこと。知人によると店主独りで広い店を切り盛りしているから注文の通りも出てくるのも遅いとの断りがありました。まあ、呑めさえすればそこそこ満足なぼくとしては文句はない。店に入って先週の一見客と気付かれるのも癪なので知人を先にして入ってみたら幸いにも店主は知人を覚えているらしく通してもらえました。その後の客もやはり予約をしているようで一組のカップルだけは予約なしで顔パスしてもらっていました。ほぼ実質的な紹介制のお店みたいで何だかあまり気分はよろしくないのです。店側には客を選ぶ権利のあるやなしやというのは、飲食店に限らず商売する者にとってのジレンマでありますが、ぼくは不本意ではあるけれど「あり」だと思ってはいます。けれどそれはしっかり標榜するというのが条件でありまして、1回目のぼくのように知らずに訪れた者の気持ちは店主にはぜひ汲んでいただきたいと思うのです。実際、店主の働きぶりは獅子奮迅のごときであり肴こそ時間を要するものの酒に関しては1分と待たずに提供されるから大したものです。お通しの梅水晶をのせた奴、自動的に出された大根と鶏手羽中の煮物、甘エビの唐揚げ、ブリの照り焼きは上出来でしかもボリュームもあり、値段も安いのでした。でも、客を選ぶ店を「あり」とは言ったけれど、そういう店をぼくが好きかって言われるとそんなことはないからもう訪れることはないだろうな。
2023/11/08
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酒呑みとしては、流山を訪れたらぜひ呑んでおきたい酒があります。分かる人ならすぐにお察っしになるのでしょうが、かつては野田の醤油、流山のみりんと言われるほどにみりん製造が盛んで知られていたそうです。みりんは調味料じゃないか、お前は一体何を言っておるのだと思われた方もおられるのではないか。今では正月に屠蘇酒として呑むことがある程度ですが、昔は甘い酒として飲用されていたのですね。さすがに目の前で味醂の一升瓶からコップに注がれたのを、それ一気にグイっとやれなんて言われて呑み干す勇気はないけれど、みりんに焼酎を加えた本直しだったらゆっくりと一杯程度であれば呑むのもオツというものです(本直しというと今はなき山谷の「大林」では2度に1度は頼みました)。おっと話が脱線しましたが、流山のみりんについて触れた文章がいくつかありますので紹介まで。 三遊亭圓朝の名作怪談ばなし「真景累ヶ淵」から以下の一節。「小普請組で、奉公人も少ない、至って貧乏なお屋敷で、殿様は毎日御酒ばかりあがって居る」という深見新左衞門「ナニ、今日はね、あの伊勢茂さんへ、番頭さんに言付けられてお使にいったら、伊勢茂の番頭さんは誠に親切な人で、お前は酒を飲まないから味淋がいゝ、丁度流山ので甘いからお飲りでないかと云われて、つい口当りがいゝから飲過ぎて、大層酔って間がわるいから、店へ知れては困りますが、真赤になって居るかえ」 昔の人はあんな甘いのを大層酔うまで呑んだんですねえ。続いては短いエッセイになりますが,大町桂月著「春の筑波山」から。 流山に來り、汽船に乘りて利根川を下らむと欲し、兩國橋までの船賃を問へば、一人前が二十三錢なりといふ。やれ/\都合六錢足らず。こゝは味醂の名所なれば、酒店に腰かけて、余は一合飮み、澤田子は五勺飮む、この代六錢なり。 なんかのんびりしたムードでいい感じですね。 でも現代の流山はそんなムードなどなかったかのような索漠たる景色に留まっています。昨日お邪魔した鯨料理店のそばにある「和 なごみ 南流山本店」にハシゴしました。わざわざ流山に出向いてまで立ち寄る価値があるのか自問自答したくなるような雰囲気のお店ではありますが、すっかり腹が膨れてしまって店を物色している余裕がなかったのです。店に入るとすぐに卓席を勧められます。なるほどカウンター席を陣取るのは常連さんたちばかりで、空席もすでに埋まることが分かっているような空き具合となっています。それぞれが自前のキープボトルを置いてあります。店先の貼り紙で千円で小鉢に中華総菜1品、ドリンク2杯だから悪くないと思いましたが、それでもやはりボトルがお得なのでしょう。酎ハイを頼むと小鉢として用意されていたのは骨付き鶏の甘辛く煮付けたものです。これがかなりの食べ応え。すでにかなりの量を食べていたので、これだけでもよかった位ですが、さらにぼくが麻婆豆腐、同伴者は肉野菜炒めが届きます。これは盛りは控えめでちょっと安堵しますが、それでも結構なボリュームです。そういやドリンクのジョッキも小さめではありましたね。特段の特徴がある店ではないのですが、それでも駅近で馴染みが楽しくやれる店があるというのは実にいいものです。ぼくももし仮に南流山住民なら通うことになるのかなあ。
2023/11/06
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流山は旅の通過地点に過ぎないようです。青空文庫で流山を検索すると以下のような文章が引っ掛かってきます。森鴎外著「渋江抽斎」 渋江氏の一行は本所二つ目橋の畔から高瀬舟に乗って、竪川を漕がせ、中川より利根川に出いで、流山、柴又等を経て小山に著ついた。江戸を距ること僅かに二十一里の路に五日を費やした。三遊亭圓朝著「西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝」 お話跡へ戻りまして、井生森又作は清水助右衞門の死骸を猿田船(やえんだぶね)に積み、明くれば十月三日市川口(いちかわぐち)へまいりますと、水嵩(みずかさ)増して音高く、どうどうっと水勢(すいせい)急でございます。只今の川蒸汽(かわじょうき)とは違い、埓(らち)が明きません。市川、流山(ながれやま)、野田(のだ)、宝珠花(ほうしゅばな)と、船を附けて、関宿(せきやど)へまいり、船を止めました。三遊亭圓朝著「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」(……)それから毎日松戸流山から小金ッ原まで探しちゃア帰えって来て、知んねえっては泣くだよ(……)佐藤垢石著「釣聖伝」 仕掛の製作も決して船頭の手を藉かりないばかりでなく、日露戦争前までは血気に任せて自ら舟を漕ぎ、好きな釣場へ行って終夜、終日釣り暮らしたものである。利根の分流江戸川では鴻台から流山、利根運河、野田。利根本流では小見川、佐原、木下、取手、関宿、境、権現堂、栗橋、古河と足跡の到らぬところがない。 なるほどねえ。経路はそれぞれですが流山はかつての交通の要衝であったようです。今回訪れたのは南流山ですが、恐らくかつての流山の中心地は約2Km北側にある流鉄の始発駅である流山駅の周辺かと思います(市役所も近いし)。そこも今ではそうした往時の情緒を感じさせる風景ではなくなってしまったようです。歴史を知った上で町を歩くと思わぬ出会いに驚かされることもありますが、現代ではそれもネガティヴな驚きがほとんどになりました。南流山も初めて訪れた際にはちょっとガッカリした町ですが、隈なく歩いたわけでもないし、まだ諦めるのは早過ぎるかな。 実は先般例のテレビ番組で放映された居酒屋を訪れたのですが、予約なさってますかとの問いに嫌な予感。予約で満席とのことだけど時間まで呑ませてくれそうな気配があったのです。しかしそれは思わせぶりに過ぎなかった。こういう場合は最初からビシっと断ってくれた方が無駄な交渉で申請をすり減らさなくて済むんだけどねえ。さて、困った。例の番組で登場した酒場にもたま~にお邪魔することがあるのですが、だからといって満席になるようなことはこれまではなかったんですけど、とうとうコロナ明けの開放感が本格的に現実生活に影響を及ぼすようになったってことなのでしょうか。 しばし迷って辿り着いたのが「くじらや 大樹」というお店。南流山っていうのは呑み屋が点在しているものだから呑み屋街を歩いて気分が高揚するといったこともなく淡々と店を見比べてよりベターなお店を探すという消耗戦を強いられるのです。比較の果てにくじらやを冠するお店を選んだのは我ながら意外です。常に費用対効果を核にして店探しをするからこうしたいかにもお高いことが分かる店に敢えて踏み入ることは少なかったのだけれど、少しばかりやけっぱちになっていたのかもしれません。値段はやはり全般的にお高めです。カウンター席に通されたのですが、他にお客はまだ入っていません。ベーコン入りとはいえ単なる卵焼きが700円とはねえ。鯨の竜田揚げが1200円はまあ仕方ないと思うけど。お通しも揚げ玉や塩昆布などをのせた豪華版奴とキンピラですか。瓶ビールで時間を調整しつつ考えは次以降の酒の効率的な注文に及びます。思案の結果、お手頃なのは清酒・月山(大)800円と酎ハイ450円の併進であろうと結論します。すると卵焼きが想定外にでかい。ベーコンもたっぷりで脂っこいから必然的に酒が進むのです。この卵、隠し味にマヨネーズでも入ってるのかな、えらく濃厚な風味でした。続いては竜田揚げです。すでに油酔いしかかっていますが、こちらは思ったより油切れが良くてなんとか食べ切ることができました。ここはおっさん2名では厳しいなあ。3名でこの2品、4名で3品程度が適当かも。というか一人で来れない酒場なのはちょっと惜しいんじゃないかな。でもまあまずまずの良店でありました。
2023/11/01
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酒場好きにとってこたえられないのが普通には目に入らないような酒場の存在を認めた瞬間であります。その時点ですでに一定程度の満足度を埋めることができているのです。そうじゃない人も少なくないのでしょうが、ぼくは実はこの時点で少なくとも2割程度の満足を満たしていると感じているのです。無論、この割合はその物件の良し悪しに応じて多少上下することはあります。コロンブスの新大陸発見じゃないけれど、ぼくは発見という言葉を無反省に用いることは極力控えるよう努めていますが、時折口を衝いて出ることもあったりして、その場合、後になって軽い自己嫌悪に陥ったりもします。その理由は明白なのでここに記すことはしませんが、つまりは2割程度の自己満足を埋めるために随分あちこちを歩き回ったものです。ところでその満足度という点については、じゃあ、何割を超えると満足に達するのか、不満足度はどうなんだということもありますが、実は満足度2割程度であれば満足に達しているってことも少なくないんですね。ということは思いがけぬ場所に酒場を見出した際はその時点でその酒場への関係性を断ち切れば、少なくとも満足を得たままの関係を結んだという記憶は残せるわけです。だったら果たしてそれで済ますことができるかというとそんなはずはないのです。一定の満足は得られても、それ以上に好奇心の虫が疼き出すのであって、極言すれば酒場などというものは酒と肴、呑む人、呑ませる人、それらを繋ぎ止める場があれば成立するのであって、実のところどれも似たり寄ったりになるのは当然なはずなのです。それでもわずかな差異を求めて酒場を訪れる人たちというのは、自身が酒を呑む意味づけを良い酒場にかこつけているのかなあなんて思ってみたりもするのです。ぼくの場合は怖いもの見たさというのが根柢にあることを素直に告白しておくべきか。実際に気になる酒場は単に実物を見てみたい、入ってみたい、一杯だけでもいいから呑みたい、それだけなのです。 なんて、こちらは酔っ払った状態で随分以前に一度お邪魔しているんですよね。隠れ家風というつもりはないのかもしれませんが、北松戸の「居酒屋 さわ」は確かに目立たないお店なのです。この夜も知人ら3名でお邪魔したのであります。生真面目そうな主人と、フロアー担当の賑やかな女性がおりました。早速呑み直しと瓶ビールをオーダーして美味しく茹で上がった枝豆を摘まみつつグラスを傾けてグイと呑み干します。お客さんも数名おられて皆独り客でありました。基本的にはここは独りで呑みたい客のためのお店ってことなんでしょうか。それはそれでまあ酒場らしい酒場であります。というか店内は案外明るい雰囲気でありますし、駅前ビル5階からの眺めはこの界隈では案外見晴らしもよくてなかなか良い気分であります。しかしながら連れ立った一人が勘定を済ませて帰ろうとするお客さんに向かってお調子者風の声掛けをしてしまったのだ。はっきり何を告げたか記憶にないけれど、それほど失礼な言葉を投げかけてはいなかったと思うのだが、どうも知らぬ間柄での不躾な声掛けに対して主人からそれを咎める言葉が発せられたのです。そこまで言わなくたってと思わぬでもなかったのだが、まあ自分の事ではないし本人も詫びているからまあ聞き流すことにしよう。そうなるとわれわれに対してのべつ幕無しに語り掛けてくる女性従業員(?)のやかましさにも同程度の叱責があって然るべきではないかと思わぬでもないのだ。われわれがさすがにそのお喋りに辟易していることを感じ取れないとは思わないのだが。それともわれわれがその女性にちょっと黙っててくれとでも言わなくてはならないのだろうか。といった次第で気になった店でも外観を眺めて最低限の満足さえ得ていればいいってこともあるってだけのお話でした。
2023/09/11
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十年一昔というけれど、どうもぼくにはこの言葉が直感的に理解しにくいのです。世の中の移り変わりが激しいからわずか十年でも昔のように思われるっていった程度の意味なのでしょうが、本当にそうなんだろうか。個別の事象や事物を思い浮かべてみると確かにまあ随分昔のことに思えるといったこともあるけれど、例えば三十年三昔のことは妙に生々しく思い出されることもあったりするのです。その逆に今年の正月は何をして過ごしたかなあとか昨夜の夕食は何だったっけとかいった最近の出来事がちっとも記憶になかったりするものです。酒呑みはもっと酷くてついさっき語った言葉すら思い起こすことができなかったりすることもあります。一昔という括りを設けることやその区切りとなる期間を十年と決めることはちっとも現実的なことに思えないし、例えばある時は1980年代と言ってみたり都合次第で昭和50年代とかなりズレのある刻み方で時代を語ってみせるのは、有効である場合があることは認めますが、かなり恣意的で出鱈目なものだと考えるのが自然に思えます。と十年一昔にはまだまだ納得のいかないこともあるけれど、対義語を思い浮かべようとしてもちっとも適当な単語が浮かんでこないということは、多くの人々はこの語の意味に賛同しており、時間の経過が遅く思える方が変わっているということなのでしょうか。鯛かに退屈な映画を見ていたり、訳の分からない授業を聞かされる時などは、恐ろしく時間が長く思えるといったことは誰しもが経験していると思います。でもそうした一定の短期間のスパンで時の流れをゆっくり感じることがあっても一年、十年といった単位で感じる人は少ないのかもしれません。とたまたまこの夜に訪れた酒場の記憶が鮮明でありながら実は十年も経っていたことが確認できたといった程度の出来事があったまでのことです。 北松戸駅の東側ロータリーの先すぐにある「お食事処 味さわ」がそこです。店の雰囲気は明瞭に記憶していますが、よくよく考えると、そこに誰と行ったのかとか何を食べたとかいった記憶はまるでなく、どうもあまりいい印象はなかったというのも単に長いことお邪魔していなかったからだけのことかもしれないようにも思えてきました。昔馴染みの方が近所に住んでおられるのですが、奢りっぷりのいい人なのできっとご馳走になるだろうから高からず安からずというお店選びに苦慮した挙句ここを選んだのでした。北松戸は案外お高めの居酒屋がちらほらあるけれど、中位の価格帯のお店はあまりないのです。食べログをチェックしてびっくりしたのが3.22となかなかの高めの評価を受けていること。そこまでのお店だったかなあ。田端の立呑の常連さんも数カ月前にこの店を訪れたそうでそれなりの評価を語っておられたから、ぼくがこの店の評価を見誤っていたか、十年という月日がこの店のレベルを向上させたのかもしれません。とまあそんな過去の事より今が大事なので早速向かうことにします。で結論としては刺身をはじめ料理は実に普通にちゃんといていましたが、どうも店のムードに馴染めないのです。もっと居酒屋風の内装なら落ち着いて気分よく呑めたんじゃないかなあと惜しい気持ちになるのです。でも家族連れがいたり一人客も少なくないなど一定の支持を得ていることは間違いないようだから、こうしたカジュアルさを楽しめる方なら案外気に入ってしまうようにも思えます。
2023/09/01
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好きなものをひたすら飽きずに食べる人、好きになったら嫌になるまでとことん食べ続ける人、そうした傾向の人がいるみたいです。みたいというといるかもしれないけれど、実はいないのかもしれないという非常に曖昧な物言いでありますが、実は身近にいたのですね。タイトルですでにお察しになられる方もおられるかもしれませんが、その人はとある週末の夜にぼくを誘って牛タンを食べに連れて行ってくれたんですね。で、翌週は予定通り仙台に出張。仙台名物の牛タンを食べて旅に勢いをつけるとかどうとか語っておられましたが、それはまずは置いておくことにします。で予定通り出張を終えて帰京した翌日の夜、またもぼくを誘ってくれたんですね。で、連れていかれたのはまたも牛タンのお店だったのであります。いやまあぼくも牛タンは好きだけれど、月に数度に留めたいものです。ということでぼくは2週間弱のインターバルがあるから願ったり叶ったりでありますが、実はこの牛タン好きの方はそれどころではなかったのです。なんと仙台に行っても宮城が誇る魚介類などには目も暮れず(ホントはこの人、無茶苦茶魚介類、それも刺身が大好きなんですよね)、やはり牛タンを食べてしまったそうなのだ。 ところで先般も書いたばかりでありますが、松戸で牛タンを食べさせる店は「仙臺たんや 利久 アトレ松戸店」ということになります。他にもあるのかもしれませんが寡聞にも存じ上げないのです。で、その牛タン好きが訪れたのは、なんとなんとまたも「仙臺たんや 利久」であったのです。塩釜からフェリーに乗って松島で立ち寄ったそうですが、仙台まできてチェーン店はないだろうにと思わぬでもないけれど、どこの飲食店も列をなしたり無茶苦茶混み合っていたというから選り好みしないのは正解だったかもしれないけれど、ぼくだったら松島なんかじゃ呑み食いしないだろうけどなあ。でも、曰く松島の店舗は松戸とは提供している商品に差異があったというのだ。まず、刺身などの魚介類の提供があったそうです。そしてトマト割りのチューハイもあったらしいのだ。って差はその程度かい。さて、松島ならぬ松戸の店舗に訪れました。まずはドリンクから。ぼくは前回知って気に入った氷結サワー無糖(有頭もあるそうです)のメガジョッキであります。牛タン好きは松島にはなかったという男梅サワーを注文しますが生憎の品切れらしく残念。でもすぐに気を取り直して氷結メガを注文し、松島は390円(税抜)だったからこっちが安い(290円(税抜))なあと地域によって色々と違いがあるもんですね。牛タン焼きに加えてナンコツ唐揚げ、ソーセージ盛合せ、ポテトフライ、そして追い牛タン焼きと圧倒的に野菜不足のラインナップとなりました。が、牛タン好き色々と差があったにも関わらず松島でもこれと同じオーダーだったそうです。トマトサワーでビタミンやカロチンは補給できるってか。
2023/08/18
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松戸について語るべきことがほとんど底をついているので、伊藤左千夫の『野菊の墓』を引用してみてお茶を濁そうかと思ったけれど、ちっとも好きではない小説について語るのも適切ではないように思えるのです(澤井信一郎監督の『野菊の墓』は大好きだけど)。なのでさて何を書くべきか途方に暮れているのですが、そうそう今回は駅ビルの飲食店街で呑んだのだから駅ビルについて書き留めておくのもいいかななんて思ったりしたのです。でも今思い起こしてみるとかつては個性ある駅ビルがいくらでもあったと思いますが,最近は松戸と同様にJRの経営によるアトレなど画一化が進行していて、以下にリストがあったので、ざっと眺めたけれど思わずため息が出るような状況に記憶を掘り起こす気力すら奪われてしまったのでした。Wikipedia 駅ビルhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E3%83%93%E3%83%AB 世の中は変わりつつあるし、都会であれ地方であれある程度までは等しくサービスを提供するというのは結構なことかもしれませんが、やはりなんとも寒々しいことです。 まあ、それはともあれ「仙臺たんや 利久 アトレ松戸店」にお邪魔しました。そうそう何度も書いていますが、ぼくは子供の頃の数年間を仙台で過ごしました。仙石線で一駅の場所に住んでいて仙台駅も近かったので土曜の夜なんかには家族で駅で待ち合わせて駅の地下の飲食店街でにしんの焼き魚定食なんかを食べたことを覚えています。これがビックリするくらいに大きくて美味しかったのです。この飲食店街もすっかり一新してしまって寂しい限りです。松戸駅の駅ビルはかつては「ボックスヒル松戸」だったのが「アトレ松戸」に変わったのですが、それももう10年以上前の出来事です。アトレになってからは、ほとんど通り過ぎるだけの建物と化していました。牛タンを食べながら呑むことにしたのは、ご想像通りぼくの発案ではなく同行者がこの翌週に仙台に出張するので、景気づけに牛タンを食おうってなったのですが、なんだか分かったような分かんないような話ですねえ。ここ以前も来てますが、前回と同じ席に通されました。不思議と決まった席に案内されるってことがありますよね。そこそこの入りではありますが、数ある選択肢から決まった場所に連れられると不思議な気になります。さて、牛タンは無論美味しくてお値段もこれでこの値段ってギョっとしてしまいますが、まあ仕方ないのかもなあ。牛タン入りのソーセージも食べたけれど、これはいつ食べても普通のソーセージと変わらず美味いけどどこに牛タンがいるのか分からんのでした。さて、これはキャンペーンでもなんでもないらしいのですが、氷結がレギュラーサイズにのお値段でメガジョッキにできるのであります。しかももともとお手頃価格なので、これは嬉しいサービスです。えらくしょっぱいポテトフライでジョッキの減りも快調。ついつい呑み過ぎてしまったのです。
2023/08/07
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年を取って肉への欲求が衰えたなどと日頃は語るようになって久しいけれど、それはもしかするととんでもない勘違いだったのではないかという事態に至ってしまったのです。肉が食べられなくなったというけれどそれは正確ではありませんでした。脂っぽい肉、霜降りだったり脂身が多い肉が苦手になっただけで赤身だったり油っ気の少ない部位であれば全然いけちゃうってことが分かってしまったのです。というか脂身に関してはガキの頃からずっと苦手だったのだ。苦手ってのは嫌いってことでは全くないです。実際にはそれとは逆で脂身は苦手だけど好きなのです。好きだからつい霜降り肉とか豚の脂身なんかをいやしくもらって食べたりして、しばらくしてから激しく気持ち悪くなるってことがよくあったものです。今では当時よりは脂に対する耐性ができてきましたが、その分、食べられる総量が減っているから結局納得いけるまで脂滴る肉を堪能し尽すことなくぼくは人生を終えることになるのでしょう。でも脂だけが肉の旨さではないのであります。この夜は久々にホルモンを食べに行って、特にシロを大量食いしてしまったのでした。 やって来たのは「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」です。同世代のオヤジグループでの久々の7名程度での呑み会でありました。皆、若々しさとは無縁の枯れたメンバーでありまして、隣り合った2卓に分かれることになりました。印象論としてぼくの着いた卓側が健啖・爆飲(風)グループ、一方が少食・下戸(風)グループでありました。酒の量は明らかに見立て通りでありましたが、食う方に関しては両者ともに思いがけずも健啖ぶりを示したのでありました。最初にホルモン盛合せを適当に見繕って食べたのですが、その後は安価なサービス品のマグロの皮の煮付けなどには目もくれることなくひたすらにシロを追加オーダーすることになるとはよもや想像もしていなかったのでした。そりゃまあ酒吞みにとってシロは定番のホルモンでありますが、酒を呑まぬ人はそうは食べる機会がないように思います。だってねえ、シロってグニグニとした食感は楽しいけれど、それ自体に味があるって訳ではないですから。それなのに数種類あるタレの味で延々と食べられてしまうのだから実に不思議なものであります。いい年をしたオヤジたちがひたすらにグニグニしながら酒を呑み、口中にシロを転がしながらも会話に興じるのであります。いかにも見苦しい客たちであったはずです。そんなみっともない我々でありましたが、従業員の可愛くてしかも感じのとってもいい女の子は嫌な顔一つせずに明るく応じてくれたもんだから、オッサンたちはさらに盛り上がるのでした。ということでこれまでこちらには何度かお邪魔していますが、今後はシロを集中的に食べることを心に決めた一夜となったのでした。って写真にはシロなど一切れも写ってないじゃん。
2023/07/24
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近頃、珍しくも仕事が多忙であれこれと酒場とこじつける前文を構想する(とてもそうは思えないでしょうが、酔った勢いで書いた場合を除いてはそれなりに前口上の切り出し方を考えてはいるのです)余裕もないので、もう思い付くままに書き飛ばすことになることをまずはお断りしておきます。そうそう唐突に思い付いたことがあるので、これが本篇と繋がるかどうかはともかくとして書き進めることにします。というのが最近になってお決まりの立ち呑み店で話題に上ったのがいわゆるデカ盛りの話題でありました。これはもう何度も語っていますが、ぼくは年のせいもあってか食べ出すとすぐに満腹になってしまうのです。でもすぐにお腹がすくのね。この場合のすぐっていうのは30分やそこらではなくて食後2時間程度すると口寂しくなるといった程度に理解ください。つまり仮に6時間睡眠で起き抜け寝る前の各1時間、その残りの16時間については、2時間置きに何か摘まみたくなるのです。ということは1日に8食を摂らないと物足りない状態が長く続くってことになりそうですが、まあそんなことはないのですね。よく1日3食が健康的だとか言われたりしましたが、ぼくにはずっとそれが多く思えていました。それは高校から大学時代にかけて1日1食の生活を続けていたからそう感じただけであって、今では自分の親世代が3食ちゃんと食べるのも何となく理解できるようになりました。つまり、一時にそう多くの量は食べられなくなったのですね。すぐに腹一杯になっちゃうからそれはそれで合理的に思えるのだけど、ドカ食いってのはそういう理屈を超えたところにあるんですよね。これ食べたら間違いなく後で呻き苦しむことが分かり切っていても食べることを止められないことってあるんですね、少なくともぼくは。だからもうかつてのように立て続けに酒場をハシゴするなんて無理なのです。ってことの言い訳をしたかっただけだったみたいです。 さて、北松戸では残り少なくなった町中華の一軒が駅前にあるのはありがたいことです。何度もお邪魔している「天津」ですが、近頃めっきり足が遠のいていたのはゆったりと呑むにはちょっと店内が狭すぎるし、混んでいるからで、ここのことはそれでも気に入っていたのでした。だけどそれはもはや過去のこととなったのかもしれない。まず第一にここではホッピーを頼むことが多いのですが、大概たっぷりと焼酎を注いでくれるので外1本で3、4杯は吞めたのです。その記憶のままで今回もそのようにしてみたら、中の追加が1回までと制限が設けられていたのです。これはぼくにとって大きな痛手であり、死活問題ともなる出来事なのでした。それから今回ここでは初めて鶏の唐揚げを注文してみたのですが、これにはちょっと驚かされました。小振りのもも肉(?)はカラッと歯茎から血が出そうなくらいにカリカリに揚がっていて、実のところこれは好みなのですが、問題とすべきはこの小さな唐揚げ4個に対してキャベツの千切りばかりが実に大量に盛り付けられていたのです。キャベツの千切りは好物でもあるから沢山あるのは嬉しいことなんですが、それにしたって肉の少なさそしてポテサラの少なさに比していかにも嵩増し感がウ良いのです。だったらいっそのことポテサラとキャベツの千切りとして鶏唐抜きでお手頃にしてくれた方が気持ちがいいと思うのだ。好きだった店がいくら物価高騰の折とはいえこうも以前と違ってしまうとさすがに応援し続ける気持ちは萎えてしまうなあ。
2023/07/10
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住宅街で酒場に遭遇することは滅多にありません。スナックや喫茶店なんかは住宅街に突如出没することはあっても居酒屋があることは極めて稀です。稀だからこそたまたま住宅街に居酒屋と遭遇するようなことがあると非常に嬉しいのですが、さて日も落ちてきたからそろそろ呑みたいなあと思った時点で住宅街に酒場探しに乗り出すのはいかにも無謀な話なのです。こういう普通居酒屋どころか飲食店すらなさそうな場所で呑めるのは、基本的に散歩や仕事だったりの吞み以外の用事で偶然見つけていた場合だったり予め綿密な下調べをした場合に限られるのであって、もし偶然あるとしても次なるハシゴ先への移動の最中(2つ以上の駅間に跨っている場合、幾分可能性がアップするようです)にたまたま見出す場合に限定されるものであります。つまり到底酒場などなさそうな場合には大抵の場合はやはり酒場など存在しないのが普通であって、それでもなお酒場に遭遇したとしたらそれは僥倖としかいいようのない稀有な出来事であるのです。世の中の酒場巡り好きの文章を読むとあたかも自身が酒場探しに特別な嗅覚を持ち合わせていて、やたらと偶然に酒場に遭遇したと語るのを目にするがそれはまず9割方作り話であると思っています。酒吞みが、いかにも酒場などなさそうな場所にあえて足を運ぶ理由などまずないはずです。まあ、余程方向音痴な人であれば目当ての酒場に向かって歩いているつもりであったのに全然見当違いの方角に向けて歩みを進めたりした場合には、引き返すのも癪だからとどんどんと深みにハマってしまう場合があったりするもので、今回は新松戸から馬橋に向かって歩いた際に深みにハマった挙句に偶然遭遇したお店のことを書くつもりなのです。 まあねえ、都心部で住宅街に酒場がある場合は少ないけれど、ちょっと郊外の新松戸だったり、馬橋だったりの場合にはまだそういう酒場が残っていても不思議ではないのかもしれません。迷い込んだのは両駅の中間地点の住宅街。といってもその酒場の両脇は一応お店のようです。角地には葬儀屋、「鉄板焼 小島」を挟んでクリーニング店(こちらは閉業しているみたい)と周辺には他に飲食店らしきものは見られません(とGoogle Mapを確認するとそう遠くないところに弁当屋位はあったみたいです)。青いテントの地味な店構えです。これはもう立ち寄らない理由はありません。鉄板を囲むように10人弱分のカウンター席があり2人掛け席も2卓あります。カウンターには50代位の女性2名と同年配の男性が一人とちょっと窮屈そうなので、卓席にしました。もう1卓にはご高齢の男性が腰掛けておられましたが、この方は厨房で奮闘中の女将さんの旦那さんのようです。時間も5時過ぎと呑むには早い時間でしたが思っていたよりお客さんが入っていますね。こういうとこって近所の人が都心なんかから帰ってきて、ほっと安心して立ち寄るという状況を当て込んでるんだと思ってましたが、案外そればかりじゃなさそうです。何にせよ女性客が通ってくるようなお店なんだからきっといいお店なのでしょう。ということで、実は写真を撮り損ねていますが、氷結酒だったかなあ、大手メーカーのちょっと変わった酒を呑んだんですけどそれが何だったか今では思い出せないのです。お通しのほうれん草お浸しは思えてるんですけど。興味のある方は実地にてお確かめを。余りお目に掛かることのないエビ入りのお好み焼きととん平焼きを頂きました。前者はふんわり系の逆のみっちり系でしたがこの方が酒の肴にはいいかも、具材のエビの旨味がしっかり感じられました。後者はなんといっても肉の量がタネの量に比して非常に多くこれまたつまみにはぴったりでありました。近所の人が通ってくるのよく分かるなあ。ぼくがここに来る機会はもうないんだろうなあ。
2023/06/14
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駅と駅の中間地点にある酒場ってどうしても気になってしまいます。だからGoogle Mapなどをたまに眺めていると繁華な駅前をチェックするのはすぐに飽きてしまってさあどうしようかってことになり、いつのまにか気付くと画面は鉄道線路に並行して走る通り(当たり前ですが線路から離れると必然的に距離も伸びる訳で寄って帰るのも大変ですが、それ以前に訪れる意欲が湧きにくくなるのでした)を眺めてみたりします。そうするとたまに良さそうな物件が見つかることがあります。しかも線路に面した通り沿いであれば、車窓をじっと眺めていればよいまでのことで実際そうして視界を捉えた物件を求めて訪れて大当たりしたことだってあるのです。でも現実には線路に面した道沿いにそうしたいい感じの酒場を見出すことができることは極めて稀なのでした。大抵の場合、実は歩いてないとお目に掛かれぬ酒場の方がずっと多いように思えるのです。ってまあちゃんとした調査・統計データに基づく情報ではなく、あくまでも個人的な実感に基づくものでありますのでご留意ください。といったことをさももっともらしく欠きましたが、現実問題としては絨毯爆撃風に虱潰しにするのが結局効率よくリサーチできるはずで、じゃないと同じ場所を何度も行ったり来たりしてしまうのは実際に町を歩くのと似たようなものです。あちゃ~、うつらうつらしながら書いていたら何だかもう収拾が付かなくなってきたのでこれはそのまま放置して本題に入ることにします。 最寄り駅は新八柱駅になるでしょうか。JRの武蔵野線の駅です。でも最寄りといっても実際にはそこと新京成線の常盤平駅の代替中間地点にある酒場で、新京成線の線路に並行しているし、線路に面した通りから奥まった通りにあるから上段の文章はウトウトするうちに今回限りの実態に沿うよう後付けで書いたのだという気もしてきます。線路を挟んで向こう側には縄文の森があってそこには松戸市の文化会館である森のホール21や松戸市立博物館(常盤台団地を再現した展示は昭和マニアにはよく知られているところ)などがあるし、目指す酒場のある通りは常盤平さくら通りと呼ばれて桜の季節(八柱駅側がオオシマザクラ、常盤平駅を抜けてから五香駅側にはソメイヨシノが合わせて600本以上植えられているそうです)になると多くの花見客が訪れるようです。だからそんな季節に訪れていたら「とり藤」もきっと活気があったのかもしれません。しかし、とっくに桜の餅った今の季節は人通りもまるでなく周囲は鎮まり返っています。すぐそばにはスナック風の外観と「歌族」なる店名を持つ酒場もあったけれどこちらからも少しも客の気配は感じられぬのでした。さて、店内に入るとこうした酒場ではありがちなむっつりと言葉少ななキツイ視線を浴びせることになんら躊躇のない初老の夫婦が待ち受けていました。でもやけに愛想のいいのよりこういう風なのが初訪の酒場のあり様としては気分が盛り上がるのです。店内はオーソドックスな造りではありますが、程よく枯れていて好みの雰囲気です。酒も肴も値段はお手頃で焼鳥は手堅く美味しいし、煮込みは味噌仕立てのあっさりスタイルなのが嬉しいなあ。濃厚こってりなのは胃もたれするし何より食べていて飽きてしまうのです。つまりなかなかいいのですよ。自分の行動範囲であれば月に一度程度は通ってみたいなあなんて思うし、そのうちにこちらの夫婦の態度が軟化する過程も経験したいなんて思うのですが、現実には難しいのが残念です。
2023/06/09
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あの人に会いたいという理由で呑みに行く酒場があります。会えるうちに会っておかないともう二度と会えなくなるかもしれませんから。と、人恋しいとか懐かしいとかあの人と会いたいといった感情の有り様を昔のぼくは大いに嫌ったし、そうした感情を抱いてしまう自身の弱さを大いに恥じたものでした。今はそうした感情には無理に突っ張ってみせるなどという子供っぽさは抜けたと思っていますが、それでも矢鱈に人に見せる発言だったり仕草ではないものと思っています。最近の若者(といったことをいうのがおっさんの証左となります)はそれにしても余りにも簡単に懐かしいとか言いますね。まだ20歳そこそこのガキに過ぎに野に数年振りに会った程度の相手や物事にあっさりと懐かしいとか言えてしまうのです。その傾向は女性たちに多く見られましたが、今では性別に関係なくすぐに懐古的な言葉を発してはぼくをゲンナリとさせるのです。それはもしかすると若者たちが未来に希望を見出せず過去の良い思い出にすがっているようにも思えて苛立つと同時にそんな後ろ向きの思考を招いたのが年長たる我々にも責任の一端があるかと思うと暗澹たる気持ちにもなるのでした。と話が思いっきり脱線しましたが、ぼくにも年に一度、いやそれよりも少ないかもしれませんが、たまにその健在ぶりを確認したくなる人が何人かはいます。その中には居酒屋の店主なんかもいて、馬橋のとある酒場の主人にもその健勝を見届けるためにお邪魔することもあるのです。 馬橋で呑む機会もめっきり減りましたが、「ニカカレーショップ」のバングラデシュ出身のトニーさんにもたまに会いに行きたくなります。初めて訪れたのはもう随分前のことになりますが、当時はわずかなお客さんがいるばかりだったのが、テレビで放映されたりして今ではすっかり人気店になりおおせたのです。やはりこの晩も混み合っていてとても入り込む隙はなさそうです。以前は別な店舗跡だったのがいつしかお隣は壁を隔ててはいるけれど拡張した店舗となっていました。混雑したらそちらに回されるってことね。ところが、これまた気付かぬ間に「カネル スタミナラーメン」なるお店に変わっているようです。もしやと思い、混み合うトニーさんの店に顔を出すと、隣で大丈夫かいとラーメン店を標榜する店舗に案内されました。こちらにも店の女性がおられますが、トニーさんと対等の関係なのかそれとも別店舗を任された従業員なのかは最後まで知り得ることは叶いませんでした。とにかく両店は地続きで双方で互いのつまみを注文できるスタイルのようなのです。先客はお二人。母子で来られているトニーさんとこの最古参の常連さんとのこと(ちなみにお亡くなりになられたこの方のご主人はγGTPが4,000越えだったそうです、すごい)。定番のマカサラのお通しに自家製厚揚げを注文。せっかくなのでこちらの店舗でお勧めのスパイス担々麺も注文しました。とてもスパイシーで美味しい。こちらでは牛肉のリエットや手羽先パクテーなどのオシャレもしくは個性的な品もあって飽きさせないのです。ここのお客さんはご高齢の方が多いのですが、高齢者って食に保守的なイメージがありますが、ここの常連たちはこうした料理も好んで召し上がっているのが頼もしいのです。今回は滅茶苦茶忙しそうでトニーさんにあまり構ってもらえませんでしたが、元気なお顔を見れて嬉しかったです。
2023/06/07
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容易に足を踏み入れ難い酒場などほぼ存在しないと豪語するつもりはないけれど、行列のできる店、見るからに高級店、見るからにその筋の息が掛かったお店なんてのを別にすると、さして躊躇することもなく暖簾をくぐる程度の度胸はあるとひとまず言ってみる。でもこれは全くの嘘なのだ。店の前に立ってみたはいいけれど、いざ足を踏み入れる段になるとすくんでしまってあと一歩がどうしても踏み出せないこともあるのです。例えば目星を付けていた酒場に向かってさあもうすぐだという段になって遠目にDAMの看板を見ると途端に警戒警報が鳴り響くのであり、それでも何とか店の前に立ってみるとあろうことかカラオケ大合唱なんていうことがある。酔ってたらまあ思い切る場合もあるけれど素面ならまず見送ることになるのです。こういう店というのはもともとはオーソドックスな居酒屋だったのが徐々に客の要望なんかを受け入れてカラオケスナック化するというプロセスを経る場合が多いように思うけれど、店の開業時から歌とともにある酒場というのが存在します。民謡酒場であります。かつては演芸の町、浅草を中心に多くの民謡酒場が誕生し大いに繁盛したそうですが、今はどの位、現存するのか調査結果を知りたくはあります。苦手とする酒場について調べる根性はありませんけど。喫茶店では歌声喫茶が苦手なんですが、歌声喫茶はカラオケのある居酒屋同様に客自らが歌うのに対して、基本的に民謡酒場はプロもしくはセミプロなりの歌い手の歌声を聞かせること目的としている点に違いがあるもののいずれに対しても苦手意識を拭えぬ点で一致するのです。そういうコンセプトらしいのでオーソドックスな民謡酒場にはステージがあってそこが他の居酒屋にはない独特の風情をもたらします。ちょうど今や失われつつある慰安旅行における宴会会場の大広間といった場で呑むのと似ているようにも感じられます。千駄木に「民謡の店 おばこ」がありますが、そこは基本的には一般的な居酒屋が店の方と語らううちに自慢の喉を披露頂ける場合もあるというスタイルとなっているから標準的な民謡酒場とは別物と捉えるべきでしょう。 さて、そんな絶滅危惧種の民謡酒場がなんと八柱に残存しているらしいのです。とさも極秘情報を受け取ったかのような素振りをしましたが、実はこちらのことは以前から見知ってはいたのです。「民謡酒場 おけさ」です。ただ入ってみるだけの勇気が持てずにいたのです。今回は何があっても入るという強い意志をもって臨んだのでありまが、それ以前に果たして今でも営業しているのかが気になるところです。とまあこうして書くからにはちゃんと営業していたのですけど。迷いのある場合は迷う間もなく突撃するに限ります。が、ここは戸を開けても玄関で靴を脱ぐ式なので、二段構えの気合を要します。襖の向こう側に人の気配がするので声を掛けると上がってくださいとのお返事あり。靴を脱いで上がると年配の女性が迎えてくれました。典型的な民謡酒場ですね。広間にステージという店内は酒場好きの好むそれとは幾分違っているようですが、いつもと異なる状況に気分が高揚するのでした。瓶ビールを呑みながら年配ご夫婦から民謡酒場やこの店の歴史などいろいろお聞きすることができました。1960年代の高度成長期に園芸文化の中心地である浅草を筆頭に雨後の筍のように次々と開業したようです。先般復活を遂げた「民謡酒場 追分」(現在は「和ノ家 追分」として営業)などが知られています。こちらはやや遅れて昭和44年に開店、当初は注文建築で結構な費用を充てたそうですが、とある事情から7年目には取壊したそうです。その意外な理由は直接ご本人からお聞きください。当時は、近隣でも柏と流山にそれぞれ2軒存在したそうでその隆盛からの衰退の過程の速さに驚かされます。そういえばつい最近にも駒込の「民謡酒場 つがる茶屋」が店を畳んでおられました。1年前には営業してた気がするんだけどなあ。結局迷ってばかりで一度の入店も叶わなかったのが今となると至極残念に思えます。ぼくの手持ちのメモには押上に「民謡 栄翠」、戸田に「民謡居酒屋 べに笠」が残っているようです(例外的に沖縄にはまだ数多くの民謡酒場があるそうです)。といった次第で今ではステージが使われる機会もめっきり減って、広間は普段はお二人の茶の間状態となっているようですが、お二人から店の盛衰などのお話を伺っているだけでも貴重な時間を過ごさせてもらったなあと思い出に残る一軒となりました。
2023/06/05
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何度も訪れているけれど、新松戸駅ってのはどうにも使い勝手が良くないように思えます。新松戸駅はJRの常磐線と武蔵野線の乗換駅でありますから、てっきりもとに常磐線の駅があったところに無理くり武蔵野線を通したからこそこのような窮屈で多層ダンジョン風の構造になったのかと思っていました。でもちょっと調べるとこの駅は、1973年4月1日に国鉄駅として、常磐線・武蔵野線同時に開業したようなのですね。西側には流鉄があるし、東側は相変わらず高架下をくぐらないと往来もできないという狭苦しい立地にそもそも無理があったのかもしれません。改札口が一つしかないというのもその証左となっているようにも思えます。これで閑散としているならまあ個性的でちょっと変わった駅だということで済ませられますが、ホームのみならず乗り換えや乗降客の往来が激しくておちおち駅舎内の景色を楽しむだけの余裕が持てなかったりするのです。しかしまあ駅なんて巨大な施設は一度設置してしまうと大掛かりな修繕は難しいもので当分は現状に甘んじざるを得ないのかもしれません。駅舎を出ると存在感のあるんだかないんだか得体の知れない鳥居風のオブジェが設置されていてこれが例えば方向者の乗降客の誘導の一助となっているのであればまだしもせいぜいが駅前広場の中途半端な日除け雨除け程度にしか機能していなのでした。だったらせめて流鉄の幸谷駅までの天蓋付き通路にでもなっているなら利用客にとって喜ばしいものと言えるかもしれませんが、現実にはそうはなっていません。とあれこれ悪態を吐いたけれどこの駅、ちょっとユニークではあり嫌いじゃないのですね。そんな駅西側を進んだ先に夕暮れ前に呑みに行った店があります。 旧友との久方ぶりの再会ということもあり、職場を早退してまだ陽も高い時間に駅に到着しました。新松戸辺りで夕方から呑める店はあるんだろうかという懸念もあったので事前にその有無を確認したところ、無事見つけることができたので、まずはそちらに向かったのですが、どうしたものか営業していません。数軒呑ましてもらえそうなやってるお店も見掛けますが、どうにも気乗りしません。困ったものだと歩いていると少なくとも訪れたことはない「本格中華ダイニング 華記食府」というお店に行き着きました。道路から奥まったビルの1階にある真新しいファミレス風のとても味気のないお店でした。初めて訪れるというのだけが前向きになれる唯一の理由で、店の雰囲気一つとっても美味しいお店であるという印象は少しも感じられません。まだ空席が目立つにも拘わらず入口付近の封鎖的な見通しの悪い席に通されます。まあ、今回の目的は酒場よりは旧交を温めるところにあると思えばこれはこれで会話に集中できて良いのかもしれないなどと無理に気持ちを高めるのです。ともあれ何か注文しないわけにはいかないとメニューを取り上げると、嬉しいことに生ビールやサワーなどのドリンクが半額となっています。加えてなぜだかよだれ鶏も半額とのこと。中国の方らしき従業員を呼ぶとドリンク半額はいいけれど、よだれ鶏は5時以降のサービスとな。まあいいかと生ビールに加えてピータン、焼売を頼むことにします。これがダメなら時間をチョ精してさっさと席を立てばいい事です。ピータンに旨い不味いは余り関係がなさそうですが、焼売が案外悪くなったのです。というかそこそこ美味しい。でも2名いた女性従業員はランチタイムに突入したようでお盆に何の料理家分からぬけれどなかなか旨そうな料理を含む定食一式を猛然と食べています。片っぽの人は相方が席を外した隙にお替りし放題のごはんをいそいそよそいに行ったのでした。すげえ食欲だ。ぼくにとって美味しいってことは現地の人にはここの味はあっさりしすぎてるように思えるけど。と時はいつしか5時を回りました。それじゃあせっかくと半額時間帯に突入したよだれ鶏も注文。500円弱の値段になりますが、これはさすがに元の値段がお高すぎやしないかな。
2023/05/31
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酔うというのは不思議な経験でありまして、その時々で酔いの効果の現れ方に大いに影響を及ぼすものです。その現れ方の典型的なパターンとして酔うと活動的になる場合とぐうたらになる場合があります。単純な理由として思い当たるのはその日の体調や疲労の具合に応じていずれかに偏るというものですが、疲れていると必ずぐうたらになるかといえばそういうことでもないらしく、酒の量や質が関係するのでもなさそうです。とにかく気乗りしないままに呑みだしても大いに気分が良くなって普段なら歩く気にもなれない退屈な夜道を延々と彷徨ってあともう一杯なんてことになることもあったかと思うと、せっかく遠征して呑みに行ったにも拘わらず呑めば呑むほど気分が盛り下がって、結局いつもの立ち?み屋に舞い戻ったりするなんてこともあるのでした。まあ、呑む前の感情や気分なんかより呑んで酔い始めた時点でのそれに応じて店を出た後の振舞い方も違ってくるようです。この夜はすでに2軒をハシゴしていて気分も晴れやかだし、まだ帰宅するにはちょっと早い時間で余裕もあったのです。目の前にはこれまで見落としていた立ち呑み店もあることだし、他にも選択肢があったのです。なのにどうしてかなあさほど風情がある訳でもない町中華にお邪魔することになったのでありました。 お邪魔したのは、「味の紅龍」です。町中華というよりはちょっと古めのラーメン屋さんといった雰囲気のお店です。とメモを確認すると、なんと随分以前にもお邪魔していたのです。その頃はまだまだ意欲的に呑み歩いていたからきっと帰りの電車の運行状況を睨みつつ駅から近い店を選択した結果によったのだと思いますが、今回は明らかになるべく早めの帰宅をしたかったんだろうなあと思えてしまうのです。今になってその時の感情を振り返ってみるとそろそろ帰ろうとは思うけれど、まだちょっと早いから時間調整をしたかったんだろうなあと考えたんじゃないかと推測されるのです。今だったら未訪の立ち呑みに行っておけば良かったという後悔をつらつらと愚痴ってみただけです。でもまあ目当ては実は別にあって1,080円のビールセット(?)が目に留まったという訳です。生ビールを含むドリンク2杯に餃子3個、メンマ、冷奴というドリンク先行のメニュー構成が魅力に思えたのです。こうしたセットは料理2品にドリンク1杯というのが多いけれど、ぼくには料理は少なくても酒の2杯がより重視すべきポイントになるのでした。冷奴はケチ臭い感じもするけれど、メンマはたっぷりだし、何より餃子が3個といえど結構大振りでかつ見詰まりはさほど良くないかもしれないけれどぼくの好みの食感だったのです。これはなかなか魅力的なセットです。しかもアルバイトらしき若い女性従業員が陽気で実に結構な接客振りで大いに好感が持てます。残念なのがいずれもご高齢の一人客が卓席をのろのろと占拠していることで、独りならカウンター席にしてもらいたいなあ。だってカウンター席には写真のようなビニールシートが張り巡らされてどうにも落ち着かぬのです。しかしまあGWも空けてコロナの取扱いが変わったことでこの邪魔っ気なビニールも撤去されたかもしれず、それならカウンター席でもいいかも。
2023/05/26
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特別素晴らしいとかすごいっていうような酒場じゃなくてもちょくちょく出掛ける駅前に使い勝手が良い酒場をキープしておきたいものです。そもそもこのブログを始めたきっかけ(似たようなことこれまでも何度か書いたような気がするなあ、その度に矛盾が生じてそうで気掛かりでありますが)は、都内近郊のあらゆる駅付近に気に入った酒場をリスト化しておこうと思い立ったからでした。ここでポイントになるのはあくまでもリストアップという点にありまして、わざわざこうした文章を添える、もしくは写真を掲載しようなんてことは微塵も思っていなかったのです。手持ちのデータとしてEXCELなどにコツコツとデータを保存しておく程度のつもりだったのです。当時は映画マニアだったから都内各地の映画館で上映終了後にしばしば知人に遭遇して、では吞みに行こうかってことになったわけです。やがてたまにぼくだけが映画を見ていて終わったら合流しようなんて場合に酒場情報を共有しようという流れになったのであります。そんな知人に嗾けられて、そんなにあちこち呑み歩いているならブログにでもしてみてはとなった次第でありまして、写真もお前の拙い文章では十分にイメージできなかったりするからとおざなりな摂り方ではありますが、一応今のスタイルに落ち着いたのでした。とまあ今ではいかに感動しても二度と訪れるのが困難な酒場にも稀にお邪魔することがありますが、まあ趣味というのは昂じるのが信条でありますからなるべくして趣味の深みに沈み込んでしまったということでしょう。でもでもそれなりの深みにハマってしまってある程度の歳月を過ごすと徐々にその深みにハマリ続けているのがしんどくなってくるものです。具体的には仕事をしながらではそもそも近隣でもない限り毎晩は行ってられないもので、やがてその範囲内は枯野となってしまう定めであります。そうして呑み歩きはやがて惰性に成り果てある時点でハタとこれまで俺は何て無駄で愚かな時間を過ごしてきたのだとなってしまうのが常なのです。って、幸か不幸かまだそこまでの倦怠期には至っていないと思うので、酒場巡りを趣味にするならこれまでのような猟色主義を見直す時期が来ているのは間違いなさそうです。 と漫然と文章を綴ってきたら思いがけぬ方向へと話が及んでしまったけれど、見直し方のひとつとして再訪の愉しみを追求するのも一つであると無理矢理話を受け継ぐことにします。「た古八」は、これまでも度々登場しているごく普通の中程度のオオバコ酒場であります。カウンター上の古い品書きには味はあるものの基本的には特段ぼくを興奮させてくれるような内装でもない一方でチェーン店にはないアットホームな雰囲気があるのです。それとこれまでうっかり書きそびれていたけれど、こちらの女性従業員がとても素敵なのです。キビキビとした物腰も丁寧で親身な応対もとても気持ちがいいのです。しかも小柄でとても可愛らしいからいうことがないって、まるっきりのスケベオヤジみたいでありますが、無論ぼくは紳士であることに徹しています。実はこの方を認知したのがコロナ以降のことなので、マスクを取った姿にはお目に掛かれておらず遠くない将来に素顔を披露頂けるのを楽しみにします。とまあそれはそれとしてこちらの品書きは万年不動のラインナップスタイルで、ごく限定的な季節メニューが数品ある程度だから肴に拘る人だとちょっと辛いかも。でもこの夜は嬉しいことに今年やけにあちらこちらでお目に掛かるタケノコとフキの煮付けでありました。たっぷりの盛り付けも嬉しいなあ。ニュースなどで見掛けてはいないけれど、今年はタケノコの収穫量が多かったりしたんでしょうかねえ。それとおまけの情報を。この日は水曜日。水曜日には一杯吞み物を頼んだら(例えば数名で瓶ビール1本でも構わない)、2杯目が無料になるサービスがあります。値段だけならサワーだったりスパークリングワインがお得なんでしょうが、ここでは以前はサービスにはなかった(と思います)ホッピーを頼むのがよろしいかと。230円のソトかナカが無料になるようで、しばしどういうことか悩みます。そうか、ファーストドリンクからホッピーの人ならナカもありそうですし、2杯目からホッピーに切り替える人はソトってこともあるんですね。とまあお邪魔するなら水曜日がいいですよってことです。でも靴を脱いで上がる式の板張りの掘り炬燵式小上がりは封鎖中で、どうやら電力等のコストダウンを狙っているようですが、そういや確かに人手が減ってるような気がするなあ。頑張ってもらいたいものです。
2023/05/19
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人が居酒屋を商売としてやっていこうと決心するに至る理由について、思いを巡らせることがあります。ひと言に居酒屋といってもそのスタイルは千差万別であるから、そのスタイルに応じて開業理由は様々であることは容易に想像されます。それでも世の中にはあえて居酒屋じゃなくたって商売はいくらでもあるのだし、商売じゃなくても仕事の種類は数多いはずです。好きこそものの上手なれとかいう言葉があって、じゃあ酒を呑ませるのが居酒屋の本性であるならば酒を呑むのが好きであればいいということになるはずですが、実際に呑んだくれのオヤジの酒場が上手く回る尾はとても思えないのです。趣味と実益を兼ねるのは実際にはかなり困難なことのはずです。酔っ払って仕事にならないとか酔って大盤振る舞いでちっとも儲けがなかったりするなんてことも想像できてしまいます。逆にうわばみを自称するほどの大酒呑みならばどうか。客に奢られる位で済ませられるならば良いのでしょうが、酒好きでなおかつうわばみだったりしたら、きっと店の酒にまで手を出してしまい開店後瞬く間に身上を潰すことになるだろう。料理好きの店主だってリスクはあります。そりゃせいぜい自分と家族の食事を作る程度であればまだしも同じ料理を一夜のうちに繰り返し作るのはかなりの忍耐を要求されそうです。といった調子で列挙していってみたところで結局は個々の店主によってその開業の理由など違っているはずでありますが、店をやってみてもいいかなって考えに至る人の大部分が、他人との関係の有り様を考慮しているはずだと思うのです。そしてその想定する有り様は、一方に調理やサービスに徹すればいいというタイプ(本質的に寡黙な人である)があり、もう一方は客との語らいを重視する(というよりは本質的にお喋りな人である)に偏るようなのだ。自分で書いておきながら眉唾な話だなあ。 でも北松戸駅前の「根ぎし」の主人は風貌もなかなかに味わい深くて必ずしも強烈に個性的な面相をしているわけでもないのに一度見たら忘れられない造作なのです。でもそれよりも彼のキャラクターを強く印象付けるのがお喋りが好きで好きで仕方ないことであるは間違いないのだ,彼が店を続けている理由はそれこそ生活のためだったりもするのだろうけれど、それ以上にお客たちとの語らいを求めていることが理由のかなりの割合を占めていそうであります。ちなみに酒もやはり好きらしくて、仕事中の酒は控えているらしいけれど、普段の酒量は相当なもののようです。何度も書いた気がしますが、この酒場では、杯を重ねると思い付いたようにちょっとしたつまみを見繕ってくれて、それが一般には酒の肴としてどんなもんかと思うようなものであっても不思議と美味しかったりするものだから酒吞みのツボをわきまえているということでしょう。だってねえ、燗酒をすすりながらジャムトーストを用意するなんてアイデアは真性の酒吞みにしか抱けないセンスであるはずです。しかもこのお方、調理の手際が実にいいのだ。結構面倒な肴も実に要領よく手早く調理してしまうのである。それはもしかすると客とのコミュニケーション時間を出来る限り長引かすために身に付けた技術ではないかとすら思ってしまうのだ。それなのにメニューはほぼ9割以上が不動のラインナップで、これだけ器用に調理をこなせるなら他の肴だって難なく作れるはずなのになあと思ってしまうのだ。普段、肴など何でも構わぬとか言っているぼくですが、そのあまりにも頑なな姿勢にはさすがに他の肴で呑みたいと思ってしまってついつい足が遠のくのです。今回などうっかり半年もご無沙汰してしまったのでありますが、オヤジは相変わらずそんな無沙汰の日々などなかったかのように親し気に語り掛けてくれるのです。今は過去の営業時間短縮の日々に散々お世話になったのだからこれからも時々は顔を出してお喋りに付き合おうかななんて思うのでした。
2023/05/15
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松戸駅からそう遠くない場所に水戸藩主・徳川昭武(江戸幕府のみならず現時点における日本の歴史上最後の征夷大将軍である徳川慶喜の弟だそうです)の別邸があることは常磐線の車窓からも眺められるから知ってはいたけれど、時折松戸を熟知したかのような態度を取ってみせる癖に実はこの戸定邸、一度も訪れたことがないのです。そばには千葉大学松戸キャンパスもありますが、当然そちらとも縁も縁もなかったりする。つまりは松戸駅南東部はほぼ未踏の地なのであります。そんな体たらくで松戸を知っているかのように語るのはみっともないのですが、下調べしたところで呑めそうな酒場などほぼ見当たらないのだから出向く機会など皆無だったのです。しかし、松戸の開店閉店情報を眺めていたらどうやらそちら方面にホルモン焼きを主力メニューにした居酒屋がオープンしたらしいことを掴みました。もう開店後それなりに経過してからの遅まきながらの訪問となったのはひとえにぼくの怠慢によるものです。 といった次第で「西成豚ホルモン 居酒屋 まさ」を目指します。松戸駅東口を抜けてひたすら南下します。すでに売切れ御免となっている「中華蕎麦 とみ田」を横目にさらに歩き続けるのですが、この辺まで来るともはや飲食店もガクンと数を減らしひたすらに退屈な住宅街となっています。行きの道中というのは帰りの道中をも加味してその距離感や要する時間を見繕ってしまうせいもあってか非常に遠く思えるのです。食べログ情報によれば「松戸駅から739m」と普段のぼくの歩行速度であれば7分強程度の場所とは思えないほどに遠く感じられます。しかしまあ路線バスが脇を通り抜けてもさすがにバスに乗ってまで訪れる距離感ではないはずです。やがて斎場が現れそこを左手に真っすぐ行くと目当てのホルモン焼き屋なはずですが、緩やかな上り勾配の先に眺められる景色はかなり田舎びていました。遠目に赤提灯を認めるとようやく安堵することができたのですが、確かにまあここまでとんでもなくぼく好みって訳でもない酒場のために歩くのはちょっと難儀に思えます。店の外観は真新しい一般住宅でしかないのです。先客はお一人だけ。主人との会話の感じを窺うとかなりの常連のようです。確かにこの近辺で済んだり勤めたりしていたら他の選択肢もないもんなあなどという消極的な感想を抱きます。さて、300円と手頃なチューハイを注文。スカッと爽やかなドライタイプです。早速ホルモン焼きを注文します。レバ、ホルモン、あぶらホルモンを頼みます。店の方が厨房の鉄板で焼いてくれるスタイルですね。ぼくは店では調理無しのこのスタイルがありがたい。たっぷりのネギが散らされていて、濃い目の味付けで量もあるし、マヨ付きキャベツも嬉しいです。これは確かに美味しいなあ。値段も300円~と手頃ですし。その後頼んだ肉味噌モロキューも食べ甲斐があります。とにかく肴が手早く出せるものが主体ではありますが、どれもとてもきっちりと美味しいのが非常に印象が良かったのです。さて、帰路でありますが、むしろ呆気ないほどに駅に着いちゃうんですよね。心理的な負担が軽減しているとはいえ、これはもう酔ったのが原因だと思うことにしよう。
2023/05/10
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世の中が日常の生活を取り戻しつつある、なんて言葉を近頃よく耳にします。正確にこういう言い方だったかはともかくとして、こうした言葉の意味がぼくにはどうにも腑に落ちないのです。まず日常って言葉の意味がちっとも理解できないのです。広辞苑によると日常とは「ふだん。つねひごろ。」を意味するようで、ぼくの理解とそうもちがってはいないようです。でもそこに、ふだんの生活やつねひごろの生活って「生活」の二文字がくっつくともう何のことかよく分からなくなるのです。そこでまた広辞苑の登場となるけれど、生活には、①生きていて活動すること。、②人が社会の中で暮らしていくこと。また、その生計のあり方。の意味があるという。「ふだん」のように「生きていて活動すること」、「ふだん」のように「社会の中で暮らしていくこと」を「取り戻す」と言われても何のことやら解せぬのだ。一読すると恐らくこの文章は、コロナ禍の時期は奪われてしまっていた「ふだん」のように「生きていて活動すること」が最近になって「ふだん」のように「生きていて活動すること」ができるようになりつつあるってことになると思うのですが、ぼくにはそれがピンとこないのです。だって、コロナ禍の時期もその前後(まだ後であるかどうかは知らぬけれど)も変わらず仕事しているし、呑む食う寝るといった行為も続けているのだから何を取り戻そうというのかがちっとも分からないのです。人によっては「日常」の定義が一変するほどの変化がもたらされたのかもしれないけれど、ぼくには「日常」だったり「ふだん」を揺るがされるような時期ではなかったと思っています。余程自身の加齢に伴うかつての「日常の食生活」との差異の方が大きな変化を伴っているようなのです。 大きな変化の一つが濃い目の味付けが苦手になってきたこと、肉に対する欲求がかつてほどではなくなったこと、油っぽのがさらに苦手になった事、アルコールの摂取量が減少したこと、などかなりの影響を被っているのでした。そんな体たらくではありますが、先日、2月末に開店したと聞いていた松戸駅東口にできた新しいお店はそんなぼくが衰えたポイントを的確についてくる酒場だったのです。八柱にあるという「大衆食堂 あぶら」の支店とした開店した「大衆食堂 あぶら 松戸店」は駅東口から松戸市役所に向かう途中にあるお店。側にはつい最近まで営業していた昔ながらのゲームセンターがありましたが、そこは今休業中となっています。訪れたのは夕方前のふだんならまだ仕事をしている時間ですが、諸事情によりこの時間から呑むことになりました。ガラス張りの店内にはすでに2組が宴たけなわといった状態で酒場過疎地域の松戸にもこの時間から呑めるお店が増えることはまあ世の中がちょっとは変化しつつあるということでしょうか。19時までは曜日に応じた酒がハッピーアワー価格にて提供されるらしい。昨日の町屋での貼り紙見逃しの過ちを繰り返さずに済みそうです。杯数制限の有無を確認するの忘れちゃったんですけど。でもLINEのお友達登録したらファーストドリンクともつ煮込みをサービスしてくれるっていうのは見逃してしまいました。メニューと一緒に置かれていたのにね。とまあ席に着いてまずはこの日のサービスのレモンサワー。ちっちゃい錫(?)のグラスで提供されるので量は控えめですが99円なら文句はあるまい。お通しはたっぷりのもやしのナムル。もやしでたっぷりってのはさほど有難味はないけれど、箸休めに良さそうです。味付けも濃いから酒が進みそう。店名があぶらですが、ホルモン焼きメニューにもあぶらがあったんでしょうか。シロとカシラを頼んだらあぶらも出てきたので他の客のオーダーと間違ったのかと店の方に丁重にお伝えしたら他の客も頼んでないので食べてくださいですって。こういうのに素直に喜びを感じるのだ。タコの酢の物とキムチも追加。ちっちゃいけど見た目より食べ甲斐があります。いずれも濃い目の味付けで否も応もなく酒が進みます。個人的にはもう少し薄味が嬉しいけれど、お手頃価格だから不満は言うまい。勘定したらお通しのもやしでムムと唸ることになるかと思いきやそんなこともなくって実にお得なお店でありました。
2023/04/21
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いい年のおっさんが口にするような話題ではないのだろうけれど、藤子・F・不二雄著『ドラえもん』に出てくるひみつ道具であったらいいなあと思っていたひとつにデンデンハウスがあります。尻に装着するカタツムリの殻状の道具で自由に出たり入ったりできて中は非常に快適で過ごしやすいというものであります。これさえあれば家がなくても生きていけそうです。サイズはそう大きなものではないので、常識で考えると内部はかなり窮屈そうに思えますが、この道具内はゆったりしているようだから装着した人物が殻内に潜り込むと人体サイズを縮めてくれる何らかの技術が搭載されているんじゃないだろうか。それとも水槽のネコのように人体をゴム状にする効果があるのだろうか。今でもそういう傾向があるけれど、あんまり広いスペースってのは気持ちが落ち着かないモノでありまして、逆に押し入れだったり狭いところって妙にくつろげるものです。死ぬまで独り暮らしをするなら狭小ワンルームマンションがいいなあって思うのです。ただし、マンションと書いたようにユニットでいいからバストイレ付であって欲しいし、二つ口のガスコンロのある調理スペースはぜひとも必要なのだ。でも生活空間はシングルベッド2台が入る程度の広さがあれば事足りると思っています。と狭い空間が好きって前振りは今回はちゃんと後半に続くのであります。 松戸駅東口を出て階段を下りてすぐの通りに呑み屋が数軒並ぶエリアがあります。その末端に立ち呑み屋があるそうです。随分前に「STANDING BAR 次男房」があったけどそれではないみたい。もしかするとそこの人がバトンを託されて営業を始めたのかもしれないなあ。なんてことを思いつつ向かっていくとやはり以前の店のあった場所そのままです。店先から店内を眺めるとすでにオッサンたちが3名呑んでいます。狭小の店内はすでにかなり窮屈そうです。諦めるべきかとも思ったけれどとりあえず店内の様子だけでも眺めておこうと店のお姉さんに声を掛けるとどうぞどうぞと店内に誘われるのです。「STANDING BAR こと屋」ってお店ですね。2名でお邪魔して計5名になりましたが、すでに客席はぎゅうぎゅう詰めっていうかすし詰め状態です。身動きすらままならず、たすき掛けしていたカバンは床に置くことにします。ハッピーアワーは焼酎300円ってことなのでソーダ割にしてもらいました。そこそこの濃さでありました。周りの客は皆が顔見知りらしくて新参者の我々はつい小声になってしまうのです。その後もお客の入れ替わりがあったりして、お客さんは窓越しに外で呑もうとするのだけれど、その度にお姉さんがここは大体8名は入っていて、これまでの最高は14名入ったこともあるなんて仰ってました。ホントかよ。すでに体勢も辛くなってるのにこれ以上入ったら満員電車どころではないじゃないの。大体トイレに行きたくなったら皆一度外に出ないとダメじゃんか。ちなみにトイレはゲーセンのものを借りて貰っているようでお客さんたちはその度にゲーセンへの見返りとしてUFOキャッチャーをしてくるのだそうだ。でゲットしたフィギュアなどは当然のように店内壁高くに飾られることになり、われわれは有無を言うことも許されずに女のコたちのおパ×ツを見上げることになるのであります。うっかり空腹が酷かったので合鴨スモークとちくわマヨチーズなる品を頼んでしまったけれど、そして美味しかったけれど、食事系はまあ注意して頼むのが吉であります。ともあれ、狭い場所がいくら好きといっても、独りならいいけれど、他人と一緒はちょっと辛いかもなんて思ったのでした。もしかしたらいいことあるかもしれませんけど。
2023/03/24
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このところ誰かしらの文章を引用して作文を誤魔化すという悪癖に冒されていますが、まあぼくの書きっ放しで推敲どころか読み返しさえしていない文章を読ませるよりは、名文駄文入り交じりはするけれどそれだって著名な人が書く文章を紹介することができるのは嬉しい事なのです。さも学がありそうに振舞えるのもぼくにとって都合が良いのです。実際のところ他人の文章を記憶を頼りに探すのはともかくとして引き写すのは相応の労力を要するものだからどちらが楽とか言えないのですが、再読のきっかけとなるので悪い事ばかりではないのです。でも今回は先般腐したばかりの魯山人氏の文章を長くはありますが、引用します。北大路魯山人著「鮟鱇 夕話」 ところで、このわたしは、幼年時代から七十年の長期に渉って、日本料理を研究し続けているので、普通人とは少しばかり違うなにかを持っている。 わには知らないが、もともとあんこうという魚は、鍋料理にするとすてきにうまい魚である。脂肪、ゼラチンに富んでいて、なかなかしゃれた食べ物である。ざらにある魚でありながら、鍋料理中もっとも乙なものとされ、高級層にも下級層にも賞味されている。しかも、それが骨以外捨てどころのないという魚で、肉を除いてはことごとくうまいところだらけである。この点、珍しく雅俗混合の趣味を有し、味にも、見た目にも、ユーモアたっぷりで、親しめることおびただしい。 ところで、問題の白色なるあんこうの肉、食って食えないこともない故に殊さらに捨てられもせず食用に供されてはいるもののとい故に、殊さらに捨てられもせず食用に供されてはいるものの、とびついて食うほどの者はいない。いわんや肉だけを好んで食う者など一人もあるまい。わたしの経験からいえば、魚屋に前もって「肉はいらないよ」と断っているくらいだ。その代わり、他の部分は全部所望する。他の部分とは、吊り切りにした皮、鰭、臓物、とりわけ肝である。というわけで、肉が食いたくてあんこうを買う者はまずないであろう。Kさんが鰐の肉塊をあんこうと称して贈ったかどうか知らないが、この話はてんで問題にならないのだ。 冒頭の一文は非常にエラソーで気に食わぬけれど、ここでこの文章を引いたのは先日、あんこう鍋を食べる機会を得たからなのであります。ちなみに2段落目の冒頭の「わに」は「鰐」つまりアリゲーター(厳密にはちょっと違っているけれど)の事で誤植ではないので一応お断りしておきます。とこれだけ書くと結構なボリュームになったので、早速本題に入ることにします。 お邪魔したのは、「大衆割烹 大黒 松戸本店」です。この夜はグループで伺ったのですが、うち一人がこの数日前に来ていて、その際に食べたあんこう鍋を大絶賛していたのです。ぼくは鍋物は嫌いじゃないけれど、呑むのに忙しくて食べる方が疎かになってしまうことが多いのです。いきなり鍋ってのもアリですが、せっかくなのでこちらのゴツイ刺し森からスタートです。いやはや3人前でこのボリュームだからここでは肴の頼み過ぎは禁物です。ちなみにカキフライも大粒ふっくらと美味しかったなあ。でいよいよあんこう鍋です。何年振りだろうかってさもかつてはしょっちゅう食べていたかのように書きましたが、これまで片手に全然満たない程度しか食べたことはないのでした。鍋奉行はいきなり強火を放ったりせず、じっくりと火を通しています。せっかちなぼくならガッと強火で沸かしてしまうところですが、どうも鍋料理に関しては彼が上手のようです。やがて鍋がグツグツいい出すと一気にゴワッとかき混ぜるのであるがその手さばきが尋常ではないのだ。ぼくはあん肝を鍋に注ぐお手伝いをさせてもらいました。さて、味はどうだったかというとすでに結構な酒が入ってしまっていたのでじっくり味わったりはできなかったのだ。ごく稀にふぐ鍋やすっぽん鍋を食べる機会もあったけれど、いつだって寄っていて存分に食を楽しめないのだ。これは何度経験しても変わらぬ。いかにももったいないことだ。これからは本当に食べたいものは先に食べることにしてそれが叶わぬ場合は飲酒をセーブして目当ての品の登場を大人しく待つことにしたい。ってそれができれば苦労はないのですけど。
2023/03/15
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駅から遠かったり、町外れにあったりとても不便そうに思える場所にある酒場にはすごく惹かれます。今更そんなことを言われなくても分かっとるわいという声も聞こえてきそうですが、それを表立って語ることはきっととても失礼なことのように思うのです。余所者からすればこんな不便な場所に酒場があるなんて、驚くべきことだなんて思ったりもするけれど、そこにあるってことはそこを普通に利用する客もいるってことで、そうした場所にも家で呑むより外で呑むのが楽しいと感じる人だっているからこそ成り立っているはずです。つまりはどんなに余所者が不便だと感じてもそれがそこにあるのが当たり前でむしろ便利だと感じている人もいるのであります。いや、不便と感じる人よりはずっと便利と思っている人の方が多いのだと思うのです。例えばですね、ぼくなんかは最寄駅から徒歩で20分程度の場所に目当ての酒場があったとすると、それはちょっと遠いなあなんて思ったりするのです。もし仮にぼくがそこ酒場の近所の住民だとして、毎日列車通勤をするため20分の距離を往復すると思うとさすがに嫌気がさしてくるってもんですが、例えば駅と酒場との中間地点に住んでいたとすれば、自宅に寄ってひとっ風呂浴びて呑みに行くとするとさほど苦には感じないだろうと思うのです。ともあれ余所者は、本来は原住民のためにある酒場にお邪魔するのなら例えそこ自分にとって不便に感じたとしてもそれを口にすべきではないのではないかということです。ってまあぼくもこれまで散々呟いてきたので、自戒の念を込めて記しておきます。 駅から10分程度だから「居酒屋 めだか」は、少しも遠くないのです。だったら前段は何だったのだってなことになりますが、まあ思い付いたので書いておいたという程度でご理解ください。さて、北松戸には現在巨大な倉庫が建設中でありましてその程近くになるのですが、ただでさえ交通量の多いこの道路に巨大なトラックが行き交うのかと思うと周辺の様子も変化を被らざるを得なくなるのだろうなと杞憂するのであります。さて、先のことはさておいて、この夜は4名でお邪魔したのですが、まだお客さんは入っていません。これまで数回お邪魔していますがいつも閑古鳥が鳴いていたので気になっていましたが、どうやら2卓は予約が入っているようです。都心から見ると松戸は郊外なんだろうからこのお店にお客さんが来るのはもっと遅くなってからなんだろうか。これまでは比較的早い時間に入店していたからたまたま空いていただけなのかもしれません。それにしてもこれまでは気付かなかったけれど、ここの肴は何を取ってもしっかりとボリューム感がありますね。焼いただけとか揚げただけとかの簡単な料理が多いのですが、それだけでもちゃんと美味しいんですね。オヤジさんから大鉢山盛りのキンピラごぼうの差し入れを頂きました。これが実にタコ糸のような細さで丁寧に処理されたごぼうとニンジンで作られていてオヤジさんの誠実な人柄を物語っているようでした。初めての方はこのオヤジさんも寡黙さに戸惑うことがあるかもしれませんが、ちゃんと事情があるのです。その事情には敢えて触れませんが、お話しすると実に柔和な笑顔を浮かべてお喋りになられるのです。これが嬉しくてついついたまに顔を出したくなるのです。
2023/03/13
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北大路魯山人曰く、 私の体験からいえば、うなぎを食うなら、毎日食っては倦きるので、三日に一ぺんぐらい食うのがよいだろう。なんだそうです。「毎日食っては倦きる」のは実践したことがないから確実とは言えないけれどまあ分かぬではない(魯山人は「毎日食った」体験があるということらしい)。しかし、「三日に一ぺんぐらい食うのがよい」って簡単に仰るが現代日本の庶民が鰻を口にする機会などそうしょっちゅうって訳にはいかないのだ。詩人の斎藤茂吉は鰻好きとして知られて毎日のように鰻を食べていたというから,貧乏が身に染みた経験がある人たちにとっては鰻を食べることで自身の成功を含めて味わったという側面もあるのかもしれません。ぼくにとっての鰻は週に一ぺんぐらい食いたいものではあるけれど実際には年に二へん食えたらいいものでしかないのです。いやまあ年四へん位は食えなくもないけれど、それにしたって週に一ぺんという願いとは乖離してしまうのです。この願いは今後も叶えられることはないのだろうなあ。まあ、最近はあれこれと自分で作った変わり種料理を食べたりするのもそれなりに楽しいと思えるようになってきたからまあ良しとしようかな。 さて、北松戸駅から徒歩10数分。しょぼくれた商店の少ない商店街に「う奈ぎ道場」はあります。ここは以前から存在は知っていたものの駅からの距離なんかもあるし、それ以前に鰻を食べる機会をそもそもが計画し得なかったのです。でもいいことってあるんですねえ。思いがけぬ幸運が舞い込みました。わざわざ北松戸ってのも面倒ですが、まあご馳走になれるならそう遠くなければどこだって馳せ参じる心積もりがあるのです。面倒なので訪れたお店の詳細は、以下を参照。なにせ今回は料理の写真が充実しているのだ。酒もそれなりの銘柄を試したのですが、メモすらせぬという体たらくで相すまぬことなのです。うなぎ大好き 「松戸 う奈ぎ道場 ~食の黄金律、ひとつの極み~https://unagi-daisuki.com/post-10345 料理だけは、写真を見れば大体思い出せるので一応列記します。鰻巻、岩もずく、白魚、柚餅子、カラスミ、青柳の風干し、刺身(赤むつ、ヤリイカ、アジ)、白焼き、鯖の棒寿司、百合根のしんじょ、鯨刺(鹿の子、赤身、畝須)、フグの唐揚げ、鰻丼 刺身及び鯨刺の部位の名称には若干の不安はあるけれど、分かる人なら写真を見たら見分けが付くと思います。いずれも抜群でありましたが、やはり鰻が抜群に旨かった。油ギトギトとは正反対の淡泊とも言えそうなさっくり、ホコリといったこれまで味わってきた鰻とは一線を画する味と食感で、もしこれが初めて食べる鰻だったら他所の鰻は同じ鰻とはとても思えなかったでしょう。惜しむらくは〆に水菓子などが提供されないこと。これがないとひと通りを終えたって気分になれないのですね。でも美味しかった。鰻の概念がすっかり覆されて今後、他所で食べて満足できるかちょっと不安です。
2023/03/06
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もはや北松戸がどうとか、北松戸のどこで呑んだかなんてことはあえて語るべきことなど残されてはいないような気がします。いやまあ語ろうと思えばそれはそれで語れなくもないのでありますが、その語りが自分にとってもさして面白いものではないし、自分以外の方にとってはますます退屈なものになるだろうと思っています。だから今回は特別に北松戸でなくたって、この夜伺った店でなくたって一向に構いはしないのであります。しからば何について語るべきであろうか。と書きながら思い出したのがこの夜一緒に行った男というのがけして若いって訳ではないけれど、最近になって突然入籍して、さらにはその奥方の出産が控えているということなのです。さて、その事実がぼくにもたらされたことによって、果たしてこの夜の?みに対する向き合い方に何かしらの影響を及ぼしただろうかとふと思ったのです。単なる呑みが祝杯を挙げるといった気分の高揚だったり癌買いをもたらしたかということです。ところが当の彼自身が子供はできたらできたで構わないけれど、無理して産もうなんてことはこれっぽっちも思わないと公言して憚らなかったのですが、実際にそれを告げる彼の表情は常日頃と何ら変わらぬ通常営業中であったのです。となるとこの夜の?みもまた常日頃と変わらぬものとなるのでありました。 この夜向かったのは「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」でした。上段の告白を聞いたのは店に入ってからのことで、ハナからその事実を知っていたならばもう少し位はハイクラスなお店ということもあり得たわけですが、時既に遅しなのでありました。って彼自身はそんなことはちっとも望んではいなかったのかもしれないですね。自分でいうのは面映ゆいけれど、ごく少人数に限られはするもののぼくのことを好きで仕方ないって知り合いがいるんですね。それは圧倒的に年上に多くて、年下は稀有なんですがその数少ない一人が彼なのです。って何が言いたいかといえば彼はぼくと吞みたかったというのが根っこにあって、そのついでに報告もしておこうかってところなのでしょうねえ。酒を呑みながらの方が話しやすいことってありますからね。でもこのホルモン焼き酒場で肉を焼き焼きしながらおちおち落ち着いての会話ってのもあまり様にならぬから、席に着いてミックスホルモンなどを摘まみつつまずは吞み食いの欲求を満たすことになるのです。つまりは会話もそこそこにまずは吞み食いに集中するということです。ひたすら呑んで食べる時間というのが健全な呑み方であるかどうかはともかくとしてせっかく吞み食いする場所にいるのだから一時的ではあってもそこに注意を傾けるのは必ずしも悪い事ではないと思うし、むしろその後はゆっくりと吞み語りへと気持ちを傾けられるんじゃないか。なんて実際にはお腹がそこそこ溜まっている分、食わずに呑む時間と量が増すのであって、翌朝酷い目にあうことが多いようです。チューハイやホッピーといった吞み物は特段に美味しいとか味わうようなものではないのであって、喋りで喉を潤すためのものみたいなものだからそう思って呑むとますます酒が進むのでした。このお店、カウンター席で呑んでるとシャキっとした姿勢で呑めるのですが、奥の卓席はファミレスっぽいクッション性のある椅子なもんだから寛ぎ過ぎちゃうんですよねえ。やはり酒場ってのはあんまりリラックスできるところってのは考えもののように思うのですね。ってまたも長々と無意味な文章を残してしまうことになりそうです。
2023/02/24
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「名は体を表す」とか申しますが、どうもぼくにはしっくりこないのです。少なくとも自分の名と体を思い描いてみただけでも名前と実体に大いにギャップを感じているのです。もともと名前なんていうのは、親などが手前勝手な期待を込めたり、おふざけで付けたりするもので、実体とかけ離れるのは当然のことであります。芸名だったりペンネームなど後付けの名前であれば、それなりに自身の容姿性格を反映させることもできるのでしょうが、それはそれでキャラクターが固定化されてしまうから将来の転機や再帰を図る際の重石にもなりかねません。それに引き換えると店名というのは色んな意味で自由度は格段に高いように思えます。物件が完全に前代を継承する場合は例外として、基本的には外観だったり内装に想定している店名のイメージを付与することも可能だし、人物の固有名詞に拘らず用いることができるのだから選択肢は人の名と比較すれば圧倒的に多くなるはずです。まあ、自由度が高すぎるのも良し悪しがあるのでしょうね。大体において真の自由というのが現実に存在すると仮定するとそれに耐えうる精神性を維持し得る人など存在しないと思うのです。まあ、仮定の話などはこのブログにおいては無用なものだからここでは具体的な「名は体を表」さなかった事例を酒場の店名に見ていきたいと思うのです。 松戸駅西口-西口-から徒歩5分弱。ここには以前「カプリチョーザ」があったと思います。ガラス張りの見通しの良いお店でこうした構えは、安心感と引き換えに初めての店に入る際の緊張感が希薄なのが玉に瑕。まあ、多くの人にとっては、妙な緊張感など不要なのでしょう。この夜は冷え込みがキツかったので駅近物件がよかろうと開店情報を得ていたぼくは迷わず「炭火焼鳥 暖」というお店にお邪魔しました。店名もいかにも温かそうだしね。戸を開けると店の方がカウンター席もしくは入口付近の卓席を勧めるのですが、同伴者もいたので卓席に案内してもらいました。ところがこれが大間違い。戸の隙間から寒風が吹き込んできて寒いのなんの。一度は脱いだコートを着直すことになりました。これが前段の長いフリの意味するところの全てでありますが、予め屋台で呑むなど寒い事を覚悟していたならまだしも、開店早々のお店で寒いというのはいかにもいただけません。きっと客からの指摘で今は改善したものと思いますが、薄着の従業員の方たちは寒くないのだろうか。きっと寒くないんだろうなあ、だって寒けりゃとっくに何らかの対策が取られていただろうし。だとすれば寒がっていたのはぼくと同伴者のみということで未だに状況が変わっていないこともあり得るということですね。さて、こちらは焼鳥のお店とのことなので盛り合わせを頂きますが、まあごく普通に美味しかったかな。でも寒いから唐辛子をバンバンかけます。ちょっとお得なポテトフライにもたっぷりと使わせてもらうことにします。額に薄っすらと汗が浮かびますが、むしろそれで冷えてしまうのです。後から来た客たちは暖かそうな奥の席に通されていきます。2人組の客も混じっていたから釈然としません。もう少し後に来ていたら温かく呑めたということでしょうか。映画を一度見ただけで良し悪しは言えないし、酒場も同様だと思うけれど、少なくとも冬真っ盛りの今はまだ再訪する気分になれないのでした。
2023/02/03
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近頃、前夜の食事すら思い出すことができなかったりといった記憶力の低下が著しいのでありまして、日常生活に大いに支障が生じるって程ではないとしても将来に向けての一抹の不安を覚えなくもないのであります。まあ、こうして迷いなく一抹のと言えている以上は差し当たりは余り杞憂しすぎることのないようにやり過ごせばよいと思っている次第です。一抹の不安も下手に懸念しすぎてしまうと重大な悩みへと転化して懊悩に思い苦しむことになりかねないから努めて楽観的に過ごしていくのが賢明であろうと考えるのです。それはそれとして例えば前日の出来事などの記憶が希薄となるということは、そのさらに前日だったり、一週前、一月前となるとさらに覚えている情報量が減じてくる訳で、その情報密度の低さこそが歳月の速度を増幅させるという思い込みに繋がっているのではないかと思っています。若い頃にはそれこそ取るに足らない事件であってもそれなりの重みをもって脳に刻み込まれたもので、そうした刻まれた記憶も思い出そうというスイッチを入れずとも自然と噴出してくるものだから当然に日々の記憶の密度が高まり、一日一日が濃密で時間の経過も速度が落ちるように思えたのかもしれません。加えて現代などはスマホなどでそれこそ取るに足らない情報を浴びるように取り入れてしまっているから稀薄な情報で脳が侵食されているように思うのです。脳っていうのは恐らくありとあらゆる情報を等しく差別なく記憶として保存してしまうのですが、それを取り出すのは本人の意思でありますが付箋も貼らずに取り込んだ記憶を取り出すのは容易なことではなさそうです。と論理的に破綻しまくっていそうなことを書きましたが、北松戸駅を降りてすぐにある酒場にはつい最近も行ったつもりでいたのが、実はうっかりする間に半年が経過しているのを知ってしばし唖然としたのでした。 駅の西側、常磐線の線路に沿って数軒の飲食店が並ぶ一軒が「根ぎし」です。脱サラオヤジが一人で切り回す古びた酒場でありますが、その全くの変わらなさも実はこの訪問が半年ぶりであったという記憶の混乱に拍車をかけたようです。初めて訪れた頃からオヤジはそこそこのお年であったと記憶するけれど、それから随分歳月が流れたはずなのにちっとも変化が見られないのです。ダボシャツと呼ぶのが正しいのかちょっと自信がないけれど、それだって以前から変わっていないように思えます。内装もそのまま、品書きにも変化がない、そういや業務用冷蔵庫についてはリプレースするなんて言っていたけれど、それすら変わったようには思えぬのです。この酒場ではお通しは大体煮物と余り変化は感じられないけれど、杯を重ねると思い出したように出してくれるおまけの肴は毎度意表を突いたものが出てきて楽しいのです。オヤジセレクションの駄菓子だったり乾き物がぼくの好みと非常にマッチしているのだ。このオヤジと似たような嗜好というのもどうかと思うけれど、アンマッチな肴を出されるのは嫌だからそこに余り拘るべきではないのだろう。時にはジャムトーストなどが出てくることもあったりしてこの自在なセンスには時々驚かされるのです。確かに大概の食べ物は酒の肴になるとぼくは思っているけれど、自分ちで呑んでいてジャムトーストで呑もうとはまず思わないはずなのだ。食パンとバターとジャムしか食べる物がなかったとしてもバタートーストで済ませるだろうしね。でもレギュラーメニューが不動なのだ。余りにも変化がないのだ。確かに決まったものだけ作ってるから実に手際よく調理されて頼んだらすぐに出てくるのはいいのだけれど、同じ料理ばっかりってのは食べる方も飽きてしまうが作るのも同じく飽きちゃうんじゃないだろうか。今後行ったらリクエストしてみようかな。
2023/01/23
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先般、北松戸に店舗の出入りが激しい飲食ビルがあると書きましたが、同様の物件が駅の反対側、松戸競輪場の先にもあります。1階部分が飲食テナントとなっているマンション第八松戸という物件です。その一軒は,30数年の長きに亘り営業していた「立ち食いうどんそば あかね」が閉店したのと入れ替わりについ最近、ラーメン店「麺家 燻」が開業しました。また、食堂本でも紹介されたことのある「しげ七」が「あかね」同様の30数年の歴史に幕を下ろしました。そしてもう一軒、「中華料理 華の星 北松戸西口店」以降、「中華料理 盛興」「台湾料理 太閤」「中華料理 金宇」と中華料理店が謎の入れ替わり立ち替わりをしたという曰く付き物件があります。最初のお店は気さくな中国人店主さんによる使い勝手の良いお店でしたが以降はいかにも胡散臭い店主たち通行人に胡乱な視線を向けていてとても立ち寄る気に慣れませんでした。最後の店などはほぼ店を開けることもなくいつの間にか閉業してしまい、やけに念入りの内装工事をしていた彼らの目的がどうにも計り知れず不気味だったのです。コロナの持続化給付金だかを目当てにしていたとも思えないのです。それはまあすでに過去のこと、とうとう中華料理店を脱して日本的な居酒屋がオープンに運びになったのであります。が、どうも通り掛かると営業はしているけれど客の姿を見ることがついぞなかったのです。たまに店の前を通って覗き見る程度なのでもしかすると見ていない時には大いに繁盛していたのかもしれませんが、少なくともぼくの見た範囲では繁盛しているとはいえない様子であります。ここに入るのには何か背中を押してくれるような情報があって欲しいものです。 そうそう書き忘れていましたがお店の名前は、「相模湾 朝どれ海鮮 よりみち」だそうです。さすがの入りの悪さに店側も考えたのか、店のファサードにはちらちらと品書きが貼り出されるようになりました。高くはないけれど、あえて入ってみようと思えるお値段ではないですねえ。ぼくとしては酒類の値段こそが重要なんですけど。ととある夜、通り掛かってみると千円のセットが2種記載された貼り紙がありました。生ビール or 清酒1合+おでん3種+刺身 or 煮込みというセっとです。ぼくの場合は、この程度の情報があれば試してみてもいいかなと思うのですね。ということでいそいそと店内へ。真新しく改装はされていますが、奥の座敷を含めてかつて見覚えのある風景が広がります。ってほどの風情など望むべくもないのですけど。ともあれセットをお願いしました。大柄の男性店主と従業員の女性2名体制。先客は何度か来ているらしい中年男性2名のみ。しばらくして結構通い詰めている男性1名が来られてカウンター席に着くとすぐさま熱燗を注文しており、先客2名とも挨拶などかわしておられましたね。さてわれわれのもとにまずはお通しのちっちゃな冷奴が運ばれます。冷蔵庫でキンキンに冷やされていました。これは別会計みたいですね、と相変わらず後になって勘定書きと注文内容を照らしてしまいました。続いてはセットの生ビール。これまたカッキンカッキンに冷えておりちょっとシャリシャリする程。店内の暖房の効きがいまひとつなので心底から冷え切ってしまいます。次に刺身が到着。イカとアジですかね、いかにもちっちゃいですねえ。アジなんかはタタキのような切り身のサイズですねえ。セットの最後はおでん。大根、ちくわ、こんにゃくですね。S&Bっぽい味です。大根が半月になっているのが寂しいなあ。ここで酎ハイを頼みます。酒類では一番安価な400円だったからですけど、グラスが錫製でキンッキンに冷えていて持っただけでも寒くなる程です。とまあ、なんか余り好意的には書けませんでしたが、セットを用意するなど少しづつ工夫を凝らしているようなので今後に期待です。ちなみに、CAMPFIRE 「野球ファン歴50年の店主が、スポーツファンのための海鮮居酒屋をオープンします!」https://camp-fire.jp/projects/view/613629?list=food_freshクラウドファンディングっていうんでしょうか。やってるみたいですね。ってか、訪れた方はきっと、んん??ってなっちゃうかも。
2022/12/05
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特段北松戸に限ったことではないのですが、店舗がとっかえひっかえに代わってしまって大概の場合に閑古鳥が鳴いているテナント物件があったりするものです。とにかく目に付いた居酒屋が比較的お手頃そうであればどんなにダメそうであっても一度は試してみたいぼくとしては、そういった短命酒場であることが予め決められたかのような酒場の動向にも注目してしまう訳です。無論、そんな短命酒場の温床となるテナント物件というのは大概の町にあるものだし、少なくともぼくの狭い行動半径の駅前と呼ばれる場所であれば、そうした物件はほとんどの場合に存在するのであります。だから敢えて交通費を浪費してまでそうした酒場を訪れるなどということはしないけれど、仮に通勤経路だったり出張なんかでちょくちょく立ち寄る駅であったりするならば気が付けば立ち寄るようにしているのです。それにしてもこういう出入りの激しい物件というのはどうした発生するのでしょうか。先述した通りこうした物件が建っているのは決して交通不便な場所に限られたわけではなくむしろ駅前の商業地域でも一等地のような場所にあったりすることが少なくないのです。そこがチェーン系居酒屋だとしても他の駅前では繁盛しているのにそこだと不可解なことにさっぱり客が寄り付かないなんてこともあります。こうなるともはやその物件には疫病神でも憑いていると考えるしかないんじゃないか。でも風水では抜群の立地だったりしてね。もうよく分からないけれど、やはり北松戸駅の駅前にも何度店が入れ替わっても集客がままならぬ物件があるのでした。駅東口から至近の北松戸駅前ビルがそれです。ビルの名称からも明らかなように駅前の好立地なのですが、ここ数年でも何度かの入れ替わりがあったように思われます。さて今度の店舗はいつまで続けられるのでしょうか。 今度の店舗は「とりとんたん 北松戸店」っていうんですね。ネットで調べると愛知県や兵庫県にも同様の店名がありますからその系列のように思えますが、統括するサイトがぼくの検索力では見つけられず、非常に謎めいています。フランチャイズの展開の一環として開業したということでしょうか。にしてもさほど多くの系列店を有するわけではなさそうだからフランチャイズの強味であるノウハウや原材料仕入れ先の共有といったメリットもさほど期待できなさそうに思えるのですが、まあ経営のいろはも知らぬぼくなど計り知れない打算と勝算があるのかもしれません。さて、内装は以前の店舗を踏襲しているようですね。開放的なファサード部と奥行きの広い余裕のある席の配置が現況の感染予防をアピールする時期には按配がいいのかもしれません。気のせいか店のスタッフの顔ぶれも同じように思えますが、経営母体が違っているような感じもするので気のせいかもしれません。先客は黙々と焼鳥の皿を平らげる外国人女性と店を基点にしてちょっと呑んでは外出するという自由な振る舞いの目立つ客、4人組のグループもいますが、この収容力でこれだけの人数では採算を取るのが厳しそうです。お通しは冷凍里芋をくたくたに煮たもの。何だかこのお通しも以前と同じような気がするのは勘違いだろうか。チューハイが300円とお手頃なので注文しますが、いかにも薄いなあ。それに引き換えてジムビームのメガハイボールは氷が多過ぎはするけれど結構濃い目でお手頃。ホッピーを頼まなかったのは、以前のお店が中を頼んでらワンフィンガーで極薄だったというトラウマが影響しています。串焼き5本盛り合わせは塩、タレ交えてとお願いしましたが全てが塩でありました。モノは悪くなかっただけにちょっと残念。牛タンも値段の割に悪くはなかったです(モノクロにしたのは撮影した写真がすごい色合いになっていたからです,ご勘弁を)。お手頃なのは370円のポテトフライ。正直、ぼくは酒の肴にはポテトフライがあればそれはそれでそこそこ満足なのです。とそこに女性8名のグループが来店です。おお,これでようやく酒場らしい賑わいが出てくるだろうか。ここがこれまでのこの物件にまつわるげんの悪さを突破する事例となることを密かに見守りたいと思います。
2022/11/28
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ぼくは自分のことを学生時代から何一つ変わっていないと思っています。心の中を覗き見たわけではないから確信めいたことは言えないけれど、ぼくの親世代の人たちはぼくの今よりも若い時分から随分と大人びて感じられたものです。まあ、見た目にも年齢的にも大人なんだからそれがまあ当然と言えば当然のことなのであります。それに引き換え今のおっちゃん世代というのはぼくばかりでなく幼いというかガキっぽさをそのままに年齢だけが重なっているという印象です。思い起こしてみると見た目に関しては親世代も昔のじいさんばあさんに比べるとずっと若く感じられます。ということはつまり現在のおっちゃんおばちゃんというのは見た目だけでなく精神年齢までもがよく言えば若さを留めているということいっていいのだろうか。その是非はここでは問題ではありません。つい思ってしまうのはぼく自身は年齢を重ねてもちっとも変わったように思えないことなのです。だから世の中だけがぼくを置き去りにしてどんどん変化しているように思えることです。例えば、かつて訪れた酒場が当時は優良に思えていたのに、ある歳月を経たうえで再び訪れてみると激しい変貌を遂げて感じられる場合があります。時折、ご無沙汰ぶりに訪れてみて以前と少しも変わらず心地良く過ごせたということもなくにはないけれど、大概の場合、残念なことにその変貌振りは悪い方向へと向かっていくように思えるのです。逆に昔は少しも良いと思えなかった酒場が好ましい酒場へとひと皮むけているなんてこともまずもってないのです。つまりは大概の酒場は劣化の道筋を辿っていくばかりで、せいぜいが現状を維持することしかできていないように思えるのです。言ってることが冒頭とは逸れてきているようにも思えるがつまりは未来の酒場のあり様について、少しの期待できないと感じているのでした。この予想がまったく的外れでぼくが老後を迎える頃、夕方の散歩の後でブラリと立ち寄れる酒場が一軒でもあればいいのにと願わずにおられぬのです。 柏の「達磨」は、恐らく酒場放浪記で放映される以前にお邪魔したように記憶します(勘違いかもしれません)。当時はまだ真新しい店舗で店の造作に対する興味は少しも満たされるところがなかったものの、手頃で豊富な肴には少なからず驚かされた覚えがあります。あれから何年経ったのか調べれば調べられなくはないのですが、どうもその気になれません。というのもこの日がたまたまそうだっただけかもしれませんが、客層は荒れているように思われるし、店の方の応対も以前とはまるで違って、どうしたものかとんでもなく不機嫌かつ不愛想なのです。常連以外の見覚えのない客に対してはこういう態度を取られるということなのだろうか。それとも他の客層の傍若無人さに充てられてこちらまで不機嫌をお相伴してしまったということなのでしょうか。とにかく時折向けられる冷ややかな視線はとても気のせいで誤魔化せる範囲のものではなく、終始正面医目を向けることも憚られてはどうもおちおち坂を呑んでいられなかったのです。肴の質も値段も前のようには頑張ってるなあという感想に至ることはなかったのです。これは店が変わってしまったのか、それともぼくの価値基準が変わってしまったのか。恐らくはその双方のような気がします。店がこの先どう変わっていくのかは知らぬことだし、店にしてみれば気に食わないなら来ないでもらって結構だなんてところなのでしょうが、ぼくも今後は店選びも順次見直す必要に迫られそうです。つまりは、変わっていないと思い込もうとしていただけでぼくもしっかり年を取っているということなのかもしれません。
2022/11/11
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何事につけいくら好きといっても毎日だと飽きがきます。しかもぼくなどは元来が飽きっぽい性格に生まれついてしまったらしいからなおのことです。「飽き」っていうのは、同じ物/事の消費を繰り返すことで楽しさが減ずるという状況を意味するようで、ほぼ全ての事象に生じるようです。人間とは生得的にひとつの物/事に楽しめないようプログラミングされているとしたら、なんていう消費的な生物なのだろうと思わずタメ息が漏れてしまいます。まあ同じ人間であっても文化的な環境で生きる人間は例えば好きな食べ物をひたすらに食べ続けると飽きるのに対して、非文化的環境で過ごすことを余儀なくされた人間は飽くことなく同じ食事を繰り返すそうです。だとすると飽きるという感情を手放すには非文化的な環境で過ごせばいいということなのでしょうか。しかし、文化的な観光で生きる人でもひたすらビッグマックだけを食べ続ける人も存在するようでもう何が何だかよく分かりません。ぼくはしょっちゅうラーメン、カレー、麻婆豆腐が好きだなんて書くけれど、ラーメンなら醤油、味噌、塩、とんこつとヴァリエーションは豊富だし、カレーも同様だからこそそれなりに長期に亘って食べ続けられますが。さすがに2週間とか続くとキツいかなあ。麻婆豆腐はさすがに連日は食べたくないですしねえ。ともあれすぐに飽きを感じるのは贅沢病なんかじゃないってことですね。って話がこのまま続けていたらいくら時間があっても立ち行かなくなるかもしれません。ここらで打ち切ることにします。 柏にはずっと気になっている酒場があります。柏で最も呑み屋横丁の趣を今に留めている柏一小通り(って通りの名はちょっと適切ではない気がする)に「末広 塒(ねぐら)」って酒場があるのですが、ずっと目を付けているのだけれど、やってるのを見たことがないのです。たまたまタイミングが良くなかっただけなのかそれおも閉店なのかすら分かりません。なんせネットでも情報は皆無のようです。こういう安否不明の宙吊り状態ってのがとんでもなくしんどいのでありまして、ダメならダメで仕方ないから何にせよその安否だけははっきりさせておきたいものです。ならばこの界隈の酒場で聞き込むのが手っ取り早いのですが、なぜか現場に赴くとそういう安直手順で片を付けるのに抵抗感が湧いてしまうのです。結局は後になってもやもやしてしまうのだからやはり迷ったら即行動に移すべきなのだろうなあ。さて,やってない店の前に佇んでも事態が好転するとは思えないから次なる宿題店へとすぐさま舵を切るのでした。柏一小通りをしばし南下した名もなき通りに入ります。この通りには新旧かつ多様な業態の呑み屋がポツポツと存在しており、特に旧かつスナックな「和風スナック おばこ」が目を引きますが、以前は営業していたのを見た記憶があるけれど最近はやっていないようです。その一軒(無人と思われる木造住居)挟んだお隣に「みのりか」はあります。どうも外観からは店の雰囲気が読み取りがたいのでありますが、古いことは間違いなさそうです。店内も思った以上に枯れていて入った瞬間にまったりとしたいい気分に浸らせてくれます。ご主人一人でやっているのに肴の種類は豊富で、しかも一捻りが効いたユニークなものも揃っています。これなら毎晩のように通っても頼みたい品がないなんてことはなさそう。ってかむしろ当分は毎夜毎夜迷いそうな位に充実しています。しかも嬉しいことに酒もそうですがお値段が手頃なのです。「仲屋」もそうですが、柏は安価な店と案外安くない店が混在していてそれが店の雰囲気から判断しかねるのが面白いっちゃ面白いのです。やはりここは想像していた通り、いやそれ以上にいい酒場でした。
2022/10/31
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この頃、突如として酷い孤独感に苛まれることがあります。その原因は実ははっきりしているのですが、ここでは恥ずかしいので書かないことにします。どうも年を取るごとにますます孤独が身に染みるようになってしまっているようです。若い頃は映画(をひたすら見るだけ)と旅(に出てもひたすら列車に揺られるだけ)に明け暮れて孤独など感じている暇もなかったと書くともっともらしいのですが、今思うと孤独を穴埋めするために映画だったり、旅だったり、おまけに飲酒することに忙殺されていたのかもしれません。現代の日本にあっては老人の孤独なんてものはただただ凡庸なお話となっていて、老人となるには幸か不幸かまだしばしの猶予があるぼくなどが今から孤独だと呟いてみてもみっともないだけかもしれませんが、様々な意味で暗澹たることを余儀なくされた日本の将来と重ね合わせるように自身の行く末を嘆いてしまうのです。これは年のせいではなくて将来の気質がもたらすもののように思っています。実際にぼくの数少ない友人としてたびたび登場するO氏だったりS氏だったりは、ぼくの知り得る限り相当に孤独であるはずですが、そんな境遇を嘆くでもなくむしろ軽快なフットワークで人生を全うしているのだから立派であります。まあ、当人たちがどう思っているか聞いたことはないけれど、それでも最低限、ぼくという友人がいるのだから真の孤独ではないのだろうと言えるのでしょうが、ぼくが彼らの現況に身を置いたとしたら耐え難い苦痛であるかもしれません。しかしまあ真に孤独の縁に立つ者は他人に向けて嘆いてみせたりなどする余裕はなくなっているのかもしれません。季節の変わり目はぼくにとって良からぬ影響を及ぼすようだと考えることにしよう。 どうもこの季節は辛気臭い話が多くなってしまいます。気を取り直していきたいところですが、今回お邪魔した酒場のある国府台ではどうも明るい話をするのは難しいようです。埼玉では浦和にステータスがあるとされますが、千葉の場合は市川がそれに当たるようです。確かに都内にはアクセスもいいし、川口市民がほぼ東京を自称するなら市川もほぼ東京を謳ってもさほど違和感がないはずなのです。そんな市川でもハイソサイエティが暮らすとされるのが国府台です。いや、どうも自身が持てないけれどそう聞いたことがあるような気がします。違っていたらごめんなさいですが。ともあれ江戸川乱歩の顰みに倣うつもりはないけれど、お屋敷街というのはどうも暗いイメージが付きまといます。そりゃまあ大きな住宅が多い以上は商店だったり飲食店が忍び込む余地がない訳で住宅ばかりでは町はどうしたって余所者の目には暗く静まり返って感じられるものです。そんな暗い夜道を歩いていると気持ちまで寒々しくなるのでありますが、そこに救いのように現れたのが「手児奈」というお店。どこかで見覚えがあると思ったけれど、それは万葉集に歌われた薄幸の美女に聞き及びがあったからではないのです。でもこの女性の暗く救いようのない伝承を知っていたかのように心がざわついていたのです。なので立ち寄れる灯りを見ると一目散に入ってしまったのです。店内の様子にはっきりと見覚えがありました。以前お邪魔しています。でもその記憶を打ち消すかのように記憶では柔和な女将さんだったのが年の頃40前後の方がカウンターの中に立っていたのです。ともあれちゃんとしたビールサーバがあるので珍しく生ビールを頂きました。なかなか美味しいビールです。お通しは付けますかって聞かれたので、せっかくだからと頂くことにしました。5点森の立派なお通しです。聞くと先の女将さんからバトンを譲り受けて続けておられるそうな。こういうと失礼かもしれませんが、よくもまあお若いのにこんな場所に店を出したものです。ここじゃあ商売通づけるのは大変なんじゃなかろうか。なんてことを思っていると声のでかいオヤジが転がり込んできました。どうも自転車でこけてしまったらしく、それで立ち寄ったみたいです。転んでできたケガからは出血が続いていて神おしぼりでそれを拭いたかったみたいです。どうもしばららくは止まりそうもありません。どうやらこれを予期して不穏医店主も絆創膏をもっておらず、ぼくがカ不穏に感じたのはこれを予期したからかもsレません,その方にはカバンから手拭が出てきたので提供させた頂きました。確かに近所に酒場がなければ近くの方はここにくるんだろうな。伝承のように長く市川の町に根付いてくれればいいですね。
2022/10/24
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柏市って千葉の渋谷なんて言われたりしているようなのですが、それはもっぱら柏駅周辺のみを指して言われているだけで、柏市内には鉄道路線及び駅は3路線11駅-JR常磐線(柏駅・北柏駅・南柏駅)、東武アーバンパークライン(柏駅・豊四季駅・新柏駅・増尾駅・逆井駅・高柳駅)、つくばエクスプレス(柏の葉キャンパス駅・柏たなか駅)-あって、柏駅以外はいずこもかなり寂れた印象が目に付くと言わざるを得ないような状況です。しかも東武線の北側一帯、お隣の白井市に至る広大な土地は鉄道どころか路線バスすら通っていないようで―ざっくり調べただけなので本当はコミュニティバスなどが運行されているかも―、公共交通機関以外の中長距離の移動手段を選び得ぬぼくのような者にとってはまさに未知のエリアなのです。そうした公共交通機関の空白エリアにこそ柏の酒場の神髄が潜んでいるような気がしてならないのです。具体例がパッとは思い当たらないけれど、例えば埼玉であれば鴻巣と東松山の中間、吉見町のようなエリアにぼくが愛してやまない酒場があったことを想起してしまうのです。吉見には路線バスが通っていたからまだしものこと、都内からそう遠くない柏市でもこれほどまでの秘境があるのだから、ぼくのなけなしの冒険心ですらざわつかしてくれるのです。というか誰も知らない―というのは部外者が知らないの意味であることは断るまでもない―酒場で呑んでみたい、できることならそこが記憶に留めたくなる追うな素敵な酒場であったらなおのこと嬉しいと思うからであります。所謂ところの陸の孤島-ことあるごとに書いているけれど、孤島の意が、絶海の孤島という言い方があるように陸地や他の島から一つだけ遠く離れている島を指すのであればあらゆる意味で矛盾を孕んた呼称に思えます-への期待と憧れを失わぬうちにしっかり楽しませてもらいたいのです。遠からず訪れるであろう公共交通機関が激減した時代になれば当然のことにそこらじゅうがそうした土地になるのですね。 さて、ともあれ現在の柏市は空白地帯もあるけれど東西南北に鉄道が通っているからまだしも便利といって良さそうです。駅を背にして豊四季駅方面に進みます。千葉県下で三本の指に数えられもするらしい県立高校を横目に通り過ぎしばらく行くと、鰺のあるボロ酒場長屋が視界に入ってきました。おお、こりゃすごいじゃないかと興奮して近寄るけれど営業しているのはどうやら「スナック マーレ」だけのようです。一瞬ここでもいいから入っておこうかと迷いましたが、迷ったのが災いしてスルーしてしまいました。今になってモヤモヤと失敗したなあって思うのだから、こういう場合は迷わぬが勝ちであることをまたも悟らされるのでした。そこで引き返せばいいもののまだもう少しと歩いて行くと酒場らしい看板はあるけれど、近寄らないと見つからないほどに目立たぬように奥まったところに入口がありました。「居酒屋 くつろ木」といかにもありそうな店名のお店です。入ってすぐに小上がりがあってその奥にカウンター席のあるちょっと特殊な造りのお店です。そこそこいい時間ですが他にお客さんはいません。居酒屋というよりは食堂風の食事メニューが充実しています。まあ、栄食は単品でももらえるので合理的な営業方針ではあります。料理は悪くはない者の特別堂ということはありません。値段もほどほどです。と特に目立ったところはありませんが、しばらくするといかにもご近所さんといった寛いだ格好をしたおじさん、おばさんが集まり出して小上がりに自分の家のように上がり込みます。勘定の際には店主夫婦も一緒になって寛いでいたりして、いかにも郊外の酒場といった感じでこれはこれで悪くない雰囲気でした。
2022/10/19
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つい先達て仙台とぼくとの関係を長々と綴りました。そんな個人的な情報を流布していいものかとも思わぬでもないけれど,まあ書いてしまったから深くは考えないことにしよう。こうして毎日書き続けているとネタにも困ることがあって、それなりに個人情報を漏らしていたとしても不思議ではありません。近頃はSNSなどに投稿された写真などを手掛かりにして発信者の身元が明かされる身バレの被害も増加しているようだから注意しないといけないんでしょうね。まあ、ぼくなんかもネットで他の方によるブログなどを眺めていて、モロに住所が映り込んでいたりするとついつい地図サイトで検索してみたくなったりする訳ですが、まあ、個人を特定する方法などいくらでもあるのだろうから、神経質になり過ぎるのもつまらない。ともあれ、話を仙台に戻しますが、仙台ってぼくには名物のない地方都市だなあといつも思っていたのです。笹かまぼこに萩の月、セリ鍋に牛タン以外にはこれといった名物がないと思っているわけです。大体において、笹かまぼこや萩の月は当時、食べたことがあったけれど、牛タンやセリ鍋は存在すら認知しておらなかったのです。そもそもセリ鍋なんてのは、仙台名物なんて言われているけれど、実際に提供が始まったのはそう昔のことでもなくて、ぼくが住んでいた頃にはまだ仙台に存在しなかった,もしくはリリースされたばかりだったのではないか。なので、牛タンもセリ鍋も食べたのは仙台を離れて随分経ってからのことで、これらで用いられる食材が仙台が産地かどうかはともかくとして実に旨いものだと感動したのでした。 ということで先般も書いた通り仙台育英高校の夏の甲子園大会優勝を祝するという趣旨をもって(理由などなくても呑むのですけど)「仙臺たんや 利久 アトレ松戸店」に行くことにしたのでした。牛タンを食って仙台にご祝儀を届けようという発想ですね。念のため同社のHPを確認したところ宮城県岩沼市に本社を構える会社らしいからまああながち的外れではなさそうです。さて、しばらく来ないうちに松戸駅直結のアトレの飲食店フロアーは随分と垢抜けましたねえ。ぼくなんかからすると地方都市の寂れた百貨店の最上階の大食堂みたいなうらびれたムードがしっくりとくるのですが、今時の利用者はそれじゃ納得しないのかなあ。まあ一方でぼくと同様にそういった懐かしさにデジャヴ的ノスタルジー(つまりは実際にその当時のデパート大食堂を知らぬけれどそうした見知らぬものに対して懐古的な気分に浸ってしまうこと)がもてはやされたりもするようですが、それも何だか違う気がするのです。ともあれそこらのファミレスと大差のない店内の造作についてあれこれと述べるつもりはハナからなかったのだ。ここに来たら牛タン以外に語るべきことはなさそうです。とか言いながらまず頼んだのがスペインタパスの定番である"Pimientos del Padrón"なのでした。パドロンという風味の強いししとうみたいなのをオリーブ油で揚げ焼きして、塩をふったものであります。これまで似たようなものを何度も食べたことがありますが、これは恐らく本物だったのでしょう。なるほど実に旨い。段違いに香りがいいのです。確かにこれは酒の肴の定番ともなり得るわけだ。しかしいくら旨いからといって食べ過ぎは禁物です。この夜の目的は牛タンにあるのです。と牛タンを絶賛するかと思いきやそうはしないのです。まあ語らずとも旨いに決まってるしね。食が落ちているとしつこく言ってるのにすごい量を食べてしまった。何度も追加してしまったのです。なのでお勘定は相応のものとなったのでありまして、牛タンは旨いけれどいかにも高過ぎると感じてしまうのでありました。現在の円高でこれからますます牛タンが食べにくい世の中になってしまうのかなあ。
2022/09/21
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今晩はどこで呑もうか。連れもいないし独り呑みだなあ。そういった場合にどう振舞うかでその人の性格がなんとなく知れる気がします。基本的には職場のそばか自宅のそば、もしくは両方を避けてその中間ということになろうかと思います。場所よりも酒場の雰囲気なりを重視した場合でも事情はそうは変わらぬはずです。ぼくは若い頃は自宅近くで呑むことを選ぶ場合が多かったのです。ぐでんぐでんになっても近所なら安心ですしね。でも年を取るにつれ仕事を終えたらすぐに呑みたいという欲望に流されるようになって職場付近で呑むことも辞さなくなったのです。今は、そのどちらも嫌って中間地点で途中下車して呑むことが多くなった。自宅といっても家族の有る無しや職場に関しても呑み会の頻度次第で状況は大いに変わることは確かですが、それは好みの問題とは別の話となります。だからぼくの性格は年とともに徐々に変化しているということになりそうで、やがて隠居することになったら自宅の近所がいいと思うようになると思うのです。なんてことを思ってみたけれど、将来独りで立ち寄りたくなる酒場など絶滅危惧種となりかねないし、インフレがさらに加速して悠長に酒など呑む余裕などなくなるかもしれないと思うと呑気に呑む場所の好みなどといった下らぬことに思いを巡らせる余地などないのかもしれません。 さて、まあ上段は読み飛ばしていただいて(ってここまで読まれる人は常連さんであれば無駄な呟きであることを承知だろうからほっておいても構わぬけれど、初めてたまたまこれを読む羽目になった方は今更断られても遅すぎるって話になりますが)、市川真間で住宅街を歩いていると「炭火串焼き また吉」という酒場を見掛けたので立ち寄ることにしました。必ずしもぼく好みってわけでもないごくありふれたムードの串焼き屋さんのようです。でも暗い通りにガラス張りの開放的な雰囲気で店内が素通しとなっているから、そのくつろいだムードについ誘われてつい足を向けてしまうのです。卓席は空いていたけれど、カウンター席はほぼ埋まっていて、皆さん顔馴染みらしい。ぼくの場合、あんまり近所の人と顔見知りになるのは、いずれ互いに干渉しすぎてしまったりややもすると監視し合ってしまうことにもなりかねぬから適度に距離を置いておきたい方です。確かに近所に住んでいることは知っていても人によっては場所や家族構成が筒抜けになる人もいれば、それこそ名前すら知らない人だっていたりする(大概こういう人は絶対に誰かと一緒に店を出たりしないのです)のだからどこで呑もうがそこでの人間関係の築き方次第でこそ性格は分かれて来るのかもしれません。ともあれ、席に着くとお通しで生キャベツが出されます。こういう決まったサービスがある店って、物価の変動次第で儲けに関わってくるから大変だなあなんて思ったりします。どこぞやの大手チェーン店などは契約農家から直接材料を仕入れて、例えばキャベツが不作でも契約を楯にとって安定的に仕入れができるんでしょうけど、こういう個人の店は大変なんでしょうね。ご主人は常連たちのかしましい会話に介入することもなく物静かに粛々と仕事をなさっています。ぼくのような余所者というのは一人浮いてポツネンとするようなことがあるけれど、主人が寡黙であればぼくだけが孤独であるって雰囲気がなくって好ましい気がします。もつ焼きも程々の価格でほどほどの美味しさ。こういうほどほどのお店っていうのが毎晩通える店なのでしょう。
2022/09/16
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柏って旅情を感じるには近過ぎるし、かといって普段フラフラと出向くにはちょっとばかり遠い曖昧な場所に思えます。無論、自宅が常磐線沿線の方であれば身近な町となるのでしょうから、当然ながら人それぞれに感じ方は違ってくるものなのでしょう。ともあれぼくにとっては近くて遠い町の北限が柏となる訳で、南だと横浜はもうかなり遠い町に思えるし、東であれば船橋はともかく千葉はよほど思い切らないと訪れる気にはなれません。西は三鷹より先で呑むのはとても面倒に思えます。おやおやかつては平日の週末でなくてもせっせとその先にだって出向いていたのに随分と世界が狭くなったものです。こうして各方面における極北の地を並べてみるとどこかしら似通っているようでありながら柏だけはどこか違っているように思えるのです。それは恐らく柏が国境の町のような最果て感があるからなんじゃないかと思っています。その先には安孫子もあるし、さらには取手もあるけれど、どうもその辺は宿場町程度の規模に思えるのです。ってどうも嘘くさいなあ。ここは端的に他の3地点より柏が好きだと書いておけば済む話ではないか。そもそも都心を中心に東西南北で見ても大した意味がない訳で、それならむしろ都心から郊外へと向かう鉄道路線で己の際限たる液を提示した方が具体性がありそうです。とまあこうして書き連ねてみても理解されにくいことにちっとも変わりがない訳でいっそのことこの文章を削除してしまいたいところでありますが、また何事かを語るのも難儀なので、この文章はそのままに本題に入りたいと思います。 先般お邪魔した長屋酒場のもう一軒「串焼 まことや」にお邪魔しました。外観以上に内観は枯れたムードがむんむんとしていますね。もともと狭いこともあるけれどどうにも潜り込むことができました。先客のオヤジがすげえ嫌そうな表情を浮かべ、それだけならともかく舌打ちまでしやがって、そういう態度が世の中を悪くするってことがまだ分かっていないようだ。なんて毒づいてる自分もどうかと思うけれど、この日はぼくは至って紳士的に振舞ったからとっても良いおじさんなのだ。さて、その後も2人組が訪れる位に繁盛しているから、余り長居はせずに早速注文を済ませることにしよう。店はオヤジさん独りでやっておられるけれど、実際ちゃんとした串焼きを提供するにはワンオペではこの程度のキャパが限界なんじゃなかろうか。駅からもそこそこ離れているし、水戸街道も渡らなけりゃならないしで多少悪立地でもこの入りなんだから実に立派なものです。それだけでこの店の実力が知れるというもの。焼き物だけでなく今回頂いたような南部せんべいのピザなんかもあって、そりゃ本格的でないピザはさほど手間は掛からぬけれど、それにしたって焦がさぬよう気を遣うものだから目を離せまい。なんて持ち上げまくっているけれど、客席が空いてきたら客とはコミュニケーションを取っておられるのかなあ。愚痴を聞いてくれるような人ならいいんだけどね。先般のお隣の女将さんはきっとそういうお話も嫌な顔をせずに聞いてくれそうです。ともあれ、町外れにもこういう酒場がチラホラあるのが柏の潜在力の高さの証左であるように思えます。
2022/09/14
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柏駅を訪れるのも随分ご無沙汰ぶりだなあ。柏駅は普段よく利用する松戸駅から近いようで案内遠いのであります。何となく調べてみると北千住駅―松戸駅までが快速9分、各停14分を要するのに対して松戸駅―柏駅は快速8分、各停15分とほぼ同程度の時間を要するのでした。日暮里駅-北千住駅が快速7分、西日暮里駅―北千住駅が各停6分なので、松戸駅までは快速15分、各停21分、柏駅までは快速24分、各停36分と各停の場合は30分越えしてしまいます。もう少し明確な差が出ると思い込んでいたのでイマイチ勢いが足りないけれど、松戸に比べると柏は思ったより遠いといったことを言いたかった訳です。ぼくの場合はいつでも余程のことがないから座れるのでそれ程まで辛くないけれど、混み合った車内で立ちっ放しは辛いだろうなあ。あとトイレ付の編成ならいいけれど、呑んだ後に車内で急にもよおしての30分はキツいですねえ。近頃はそこまで差し迫ったことになることはめっきり少なくなりましたが、特に終電だと途中下車してトイレに駆け込むって訳にもいかない(いやまあタクシーを使えばいいのかもしれないけれど)のです。ってとにかく自分ちから迂回しながら呑みに行くのはまだしもですが、露骨に遠ざかって引き返すのはやはり気が重いのであります。世間にはせっせと呑み歩きなりをされている方たちがおられるようでありますが、いつだって感心させられるのですよねえ。その情熱はどこから発しているのやら、ってどの口で物を言ってるんでしょうかね。 さて、この夜にお邪魔したのは「居酒屋 さくら」です。酒場長屋の一軒。柏にはこうした酒場が連なる長屋がまだそれなりに現存していて、たまにGoogle Mapなど眺めているとちょっと良さそうな店が見つかったりすることがあります。ここまで来るには水戸街道を渡る必要があるから闇雲に柏をほっつき歩いていてここに辿り着くということはまずないはずです。呑み歩いていて偶然に鉢合わせしたなんてことを語ったり書いたりする人がいたら、ぼくだったらまず第一に疑いの目を向けてしまいそうです。近くには県内で指折りの公立高校である東葛高校があるからここに用事でもない限り地元の方以外はまず訪れることはないと思うのです。さて、見るからに薄っぺらな建物だから店内の構造は自ずから明らかです。横一直線のカウンター席のみでうかうかしているとすぐに席が埋まってしまうはずです。お隣にはこれまた気になる串焼き店があり、われわれ(S氏が一緒)は後でお邪魔することにしました。さて、訪れた時点ではお客さんは一人でしたが、すぐに一人、二人とお客さんが訪れてこれでほぼ満席です。このお二人は女性です。まずは瓶ビールを注文。最初はわずかに警戒心をお示しになった女将さんですが、すぐにわれわれを無害と認知してくれたみたいです。ビールに続いてお通しが出てきました。まぐろの山掛けとゴーヤと鶏の和え物です。これがしっかりした量もあるし、簡単な料理ではありますが丁寧に仕上げられていて美味しいのです。こんな立派なお通しがあればもう他に何もいらない位です。なるほどこれなら女性も納得でしょうね。お一方がご自分で漬けた梅干しを差し入れています。この梅干しがまた絶品です。ここの常連になったら美味しいものには事欠かないかも。なんてここの良さはこうしたちょっとした交流がごく普通に行われているところにあるのでしょうね。ぼくが隠居した後にもっとも近所にあったもらいたい店です。近くにあればなあとまたも凡庸な感想を述べるしかないのでした。
2022/09/02
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松戸駅の改札を出て江戸川方面に向かって進むと小さな小さな呑み屋街があります。松戸に住む人たちはこの町がこの?み屋街があることでどれほど町の価値を保てているかをしっかりと考えてみた方がいいと思うのです。ここがなければ松戸が松戸と認知される指標は極端に減じることと思うのです。思うのですと曖昧な書き方をするのは、松戸には古い商家もあるし、戸定邸のある由緒ある庭園などもあるにはあるからこの呑み屋街に興奮するのは一部の呑兵衛だけに過ぎにのかもしれません。でもまあ少なくともぼくにとっては、松戸に他の町と違った特色を見出そうと思うと真っ先に思い浮かべるのがここなのです。だからぼくにとっては特別な場所だと誇張せずに述べておけば済んだだけの話なのです。ともあれ、この?み屋街に特定の行きつけがある訳ではないのです。「ニュー上州屋」には気が向くとお邪魔することはあっても他店は一通り覗いてみた程度でしか呑んではいないのです。だからこの夜も共同便所に連なるバラックの中央を通り抜けてみますが、どこもかしこも盛況で店によっては表に立って呑んでいるような人もいたりします。じゃあ定番ではあるけれどと「上州屋」を見ても満席状態です。つい先達て通り過ぎた時にはこれまで見たこともないほどに空いていたことがあって心配したものです。残念ですが、盛況なのはいいことだ。 ということでいつでもここだけは人影疎らな「松戸酒場」にお邪魔することにしました。以前はすぐそばに支店もあったけれど、今は別の店になってしまったはず。いずれにしてもどちらの店舗ももう随分ご無沙汰してしまいました。こちらは8年ぶりのようです。店内に入ると卓席2つは埋まってますね。まあカウンター席で一向に構わぬ。すると引き続いて3名組がやって来てカウンター席も埋まってしまう。さらに2人組は奥の小部屋みたいな窮屈な場所に押し込まれてしまいます。なんていう盛況ぶりよ。コロナ禍で松戸駅前の酒場がさほど減った感じはないけれどなあ。ああ「鳥孝」がなくなってそこの客がここに流れ込んできているのでしょうか。でもこちらのお店はスナックとかキャバクラのお姉さんの出勤前の寄り道先になっているようで、以前はそんな感じはなかった気がするんですけどねえ。彼(彼女)らが今更この店に居場所を見出すのは不思議な感じがします。余りにも久し振りにお邪魔したので記憶が混乱しているだけなんでしょうかね。同伴出勤らしき3人組は堂々とした素振りで入ってこられたからベテラン組と思いきやどうも誤りだったらしく、呑み屋街の奥にある便所を代わりばんこに行って来ては興奮を隠しきれぬ様子なのです。定番の肴は焼鳥など数少ないけれど、日替わりも同数程度あるので毎晩通っても飽きることはないのでしょうかね。ホント自宅のように過ごされるお客さんが多くて微笑ましい気持ちになります。店の方たちは、ご夫婦とお見受けしましたが物静かで丁寧な応対でした。これまた記憶とちょっと違っていて以前の印象はけして好ましいものではなかったからその点でも上方修正となりました。ともあれこうした古い酒場を支えている一端を同業者たちが担っているというのは素敵なことに思えたのです。
2022/08/26
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この記事がアップされるのは8月下旬頃となる予定ですが、実際にこれを欠いているのはその一カ月前の時点であります。コロナ感染者数の爆発的な休増状況はどうなっているのでしょう。その以前にぼくはすっかり夏バテ気味で、呑み歩こうなんて気力はすっかり減退しています。さて、今晩も面倒だからいつもの立ち呑み屋でお決まりのチューハイをいつもと同じだけ呑んで帰ることにしようかと職場を出ようとしていました。そんなほぼ定時勤務に達したばかりですが、職場から極力早く逃れたいぼくは早々に玄関から表に出ようとしていたのです。そこに親しくしてもらっている同学年の同僚と会ってしまったからここは図々しくもどこか最寄りの交通機関の駅まで送り届けてもらおうと交渉を持ちかけたのでした。案外あっさりとその願いは受け入れられたけれど、さてどこまで送ってもらおうか。柴又や矢切方面を通るようだけれど、帰りがちょっと面倒な割に立ち寄持ちり酒場の候補がほとんどつ思いかないのでありました。う~ん困ったなあと思っていたらいつしか車は見覚えのある通りを通過していたのです。和洋女子大学や国府台高校が見えたのです。これは松戸駅と市川駅を結ぶ京成バスろせんだからきっと京成線の市川真間駅もしくは国府台駅からそう遠くはないはずです。だったらここいらで下ろしてもらうことにしよう。この界隈には以前目的していた町中華の良さそうな店もあったから、いざとなればそこを目指せばいいじゃないか。といった次第で知人に声を掛けてこの辺で車を停めめやすいところがあったらそこで下ろして欲しいと頼みます。女子大生たちがぞろぞろ歩いているからこれに着いて行けばいずれかの駅に辿り着けるはず。でも真っ直ぐ駅に向かってもつまらぬから時折路地を折れてみたりしつつじわじわと駅に接近する作戦です。おお、洋風居酒屋の「バロン」なんて店がありますね。店舗は地下にあるようです。カラオケののぼりも出ていますね。これはなんとも入りにくそうな店だ。かなりハイレベルの酒場関門でありますね。どうにも気になる酒場が見つからなければ戻ってみることにしよう。しばらくすると駅が見えてきました。思ったより歩いた気がします。今のところは洋風居酒屋以外に収穫はなし。駅は国府台駅だったようです。町中華は市川真間駅との中間だから結構引き返すことになります。やはり国府台駅周辺で酒場探しは無謀だったか。と思い掛けた時にやき鳥とおにぎりと記されたの案外目立つ黄色の看板が視界に飛び込んできました。 江戸川の堤防に接するように「やき鳥 おにぎり 菊乃家」はありました。以前、国府台駅で呑もうと思ってGoogle Mapで下調べしたことがありますが、この酒場の存在は確認できなかったはずです。っていうか今調べても一切表示されないじゃないか。こういう取りこぼしがあるところがこの地図サイトの欠点でもあり逆に長所でもあるのです。だってねえ、全てがネット上で調べられたら町を彷徨う楽しみなど全てなくなってしまいます。それにしてもこんな駅側にこれほどに味のある酒場があったとは。ネット上でも数件がヒットするのみでこうして思い付きで下ろしてもらわなければ遭遇することはなかったはずです。こういう事があるからやはり酒場探しはやめられないのです。店に入ると母子のお二人が出迎えてくれます。カウンターは狭いので奥の卓席を勧められます。4人掛け2卓をつなげていてそれが2列ありますので、カウンター席を含めるとギュウギュウに詰め込めば20人程度収まりそうです。しかし先客は1名のみ。翌日に迎える大レースに備えて競馬新聞を片手に研究中です。ぼくは巨大なテレビ前のある意味特等席です。チューハイをお願いし、手羽先とカシラを注文します。種類は鶏、豚交えて10種程度で2本もしくは3本で一皿となっています。お通しはたっぷりの枝豆です。今年は不作なのかあまり口にする機会がないから嬉しいですね。後から訪れた常連は枝豆、かぼちゃ、マグロがあるけどどうするか尋ねられ、マグロにして、ああかぼちゃも出してって頼んでましたね。それもいいなあ。でも焼鳥もとてもジューシーで熱々で美味しかったなあ。それにしてもこんな駅から至近なのに地元の方たちに知られるだけで、世の酒場マニア(ぼくもそうなのか)らにほとんど知られることなくやってこれたのは驚きです。ぼくなどが偉そうに申し上げることでもありませんが、もしこちらを訪れる方がおられるならぜひこの雰囲気を荒らすようなことのないことを願いたいです。
2022/08/24
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