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こうなることは、ハナっから分かっていたことだし、こうならざるを得ないであろうことも凡そ想像はしていました。だからこうなったことをとやかく言いたくはありません。と分かる人には明白だし、分からない人でもなんとなく察してもらえると思うのだけれど、念のためにはっきり言っておくことにします。王子の名酒場が数年に亘る空白期間を経て新装開店したのであります。かつてその酒場はぼくが愛する酒場の最上位に位置していました。最上位というのは言葉のとおりで、ぼくにとって最上の酒場はかつてのここを含めて片手で足りる位置を占めていたのです。だから建替えの知らせを見た時にもっとしっかりと通っておくべきだったと、後悔したものです。世の中の多くの物事はそれを本当に愛するようになった時には、すでに消え去るべき対象となってしまうのだと思います。いつだって遅きに失するといった思いを抱かされるのですが、それは間違いで本当に愛した時点でもう破滅へと向けて容赦なくカウントダウンのボタンが押されているのでしょう。とまあ、つまらぬことをグダグダ書きましたが、思い出というのはいつだって美化されるものというのはかなりの程度で真実を突いているというのがぼくの経験則なんですが、かつての当の酒場はぼくの中ではまだ思い出には昇華していないからそれには当たらないと思われるのです。何にせよいつかは平成、いや令和の時代に開店した酒場も老舗と呼ばれることになることもあるかもしれないのだから、若者にとっては、昭和という時代はすでにノスタルジーの対象ではなく、新たな発見のある未知の時代となっているのでしょう。とどこかで話の論理がねじ曲がってしまいました。 自らの愚痴にすらならないボヤきはともかくとして「山田屋(山田屋酒場)」は、往時以上にお客さんで賑わっていたのでした。それもそのはず客席数が以前と比較すると大幅に縮小されていたからです。正確な比較をするつもりはないけれど、目視した限りでは5分の1程度にはなっているように思えます。思えばこの酒場の最大の魅力はオオバコであったことにあったのです。天井の高いそして端まで見通すのが困難なほどの広い客席に老若男女問わず、多くの酔客がそれぞれの表情を浮かべてそれぞれに好みの酒や肴を楽しんでいる―必ずしも楽しそうではない人もいるけれど、それはそれで表情こそ暗くてもここで呑む時間が癒しとなっているように思えました―。と懐古してみてもむなしくなるばかりです。そりゃまあ建ぺい率の関係なんかで仕方のないことなのだ。お馴染みの半熟玉子が大幅に値上げされているのも無理からぬことであります。店の方たちが従前の家族経営から若者たちがメインキャストとして登用されたのは、味はなくなったものの悪いことばかりではないようにも思えます。なにせ彼らは実によく教育されていて、接客態度も非常に好感が抱けるのだ―エラソー―。そう、もしかするとかつてのここを知らずに初めてこちらを訪れていたとしたらどう感じたのかと想像してみるのです。新しい店なのに実にちゃんとしてるなあと思うことは間違いなさそうです。しかし、それでもここがぼくにとってかけがえのない他の替えの利かぬ酒場となり得るかには想像の網を広げる気にはなれなかったのでした。ぼくがこの先、再びこの酒場の暖簾をくぐることがあるのかと自問すると、まあ懐古的な気持ちになったら来ることもあるかもしれないという答えしか浮かんではこないのでした。
2024/10/20
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多くのファンを有するこの立ち呑み店に対してけして難癖をつけるつもりなど毛頭ないということをはじめにお断りしておきます。今書いたとおりファンを多く有するからにはきっとぼくの方に問題があると思うのだ。何が言いたいかというと赤羽の有名立ち呑み店である「いこい」がどうにも苦手だということであります。どこがどう苦手なのかを事細かに記述するつもりはないし、どう記したところで真意を充分に伝えきる自信はないから語らぬに留めるのが得策とかんがえる次第です。ともあれ今回苦手な酒場について、わざわざ書くのは、苦手な癖に王子にオープンしたという新店舗にのこのことお邪魔してしまったからなのです。今回、訪れたのは、S氏との呑みの約束に遅れてしまうこととなり、ここがオープンしたことを覚えていたから一度位は訪れてもよかろうと考えただけなのであります。唐突ですが、立ち呑み屋の利点として最低限の用向きを済ませさえすれば、短時間・低料金で店を立ち去ってもさほど申し訳ない気分にならずに済むということがあります。そういう意味で、立ち呑み屋を待ち合わせ場所に用いるのはぼくにとってはとても理にかなっているのです。とか何とか言い訳めいたことを愚図愚図と述べているけれど、ネタ切れ気味だからこうしたちょっとした機会は逃さぬのであります。 さて、「立ち飲み いこい 音無川店(3号店)」は、王子の有名酒場の一軒である「平澤かまぼこ」の並びにあって、こんな窮屈な場所ではお客が溢れて大変なんじゃないかと懸念していましたが、屋外に列ができているなんてこともなく、しかし店内はきっちり埋まっているといった状態でオーナーの読みはなかなか鋭いようです。おでん屋と丁度良くバランスを取り合っているということか。S氏はすでに呑み始めていました。2人用の止まり木で不機嫌な表情を浮かべています。どうやら彼もこの立ち吞み屋はさほど好きではないらしく、ぼくが店に入るとすぐに出たそうな素振りを見せるけれど、素知らぬふりしてチューハイなどなどを矢継ぎ早にオーダーします。彼もそれを見て観念しました。お客さんの顔ぶれを眺めると一人客が多くて、しかもサクッと呑んでサクっと立ち去るという理想的な振舞いが目立ちます。店は店側の人が作るというイメージが強いけれど、個々の場合はむしろ客が店の雰囲気を盛り立てているように思えます。とカウンター客の行儀の良さを称賛した傍から、恐縮なんですが、4人用の止まり木にいた若いリーマンメンバーは酷かったなあ。呑んでる最中にも時折、狭い店内を入れ替わり立ち替わりでやたらと入出店を繰り返していたのであります。察しのいい方ならお判りになったかもしれないけれど、おでん屋に4名分の場所を確保しようと躍起になっているのだ。先導役のひょろりとした男が、やったね、空いた空いたさっさと移動しようなんていうことを店内に響き渡るような大声でがなり立てていたのだ。これは何とも不愉快だなあ。客のぼくが不愉快な位だから店の方は憤慨物だろうなあと思ってそっと表情を窺うのだけれど、気にする風もなく淡々とした素振りであります。こういう馬鹿な客のことなど気にもかけないみたい。赤羽の方はともかくとしてこっちは好きになりそうかも。
2024/09/02
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タイトルに「家に帰ったみたい」なんて書いてしまったけれど、もうその時点でホントにそれでいいのかなんてことを思ってみたりするのです。ってまあこんなことを書いたらもうこの先、何を言わんかなどということはとっくにご承知いただけてしまったはずです。全員が全員そうとは言わないけれど、かなり多くの人たちは真っ直ぐ帰宅したくないからわざわざ寄り道して呑みに行くのだろうと想像されるのです。逆に家に帰っても待ち人などいないからこそ呑みに行くという人もいるかもしれません。いずれにしても実際に住んでいる家に帰るのが嫌だと考える人が居酒屋に寄り道して帰るのであって、そこが居心地良かったりすると、そここそが真の家よりも好きってなるから家みたいなんて言ってみたりするのかなあ。ぼくはどうかというと毎晩のように通っている酒場に家を感じることはないかなあ。それは実際の家が好きで好きで仕方ないとかいった話ではなくて、いくら家族のような付き合いをしたところで、店に集まる人たちは結局のところ他人でしかないのであります。実の家族も他人ではないかという人もいるかもしれませんが、家族というのは好き嫌いに関わらず相互に何某かの責任などと無縁ではいられないものです。その点、居酒屋の常連たちは、仮に実の家族以上に長く過ごして会話を交わしていたとしてもその場限りの関係であります。責任という見えない糸でどこにいても責任から逃れられぬ家族とはやはり別物なのです。だからある日を境にフッツリと消息を絶ってしまう人というのがいたりする。それは寂しいことではある。だけど、それは当たり前のことです。そのことに酷く喪失感を覚える人もいるようですが、それは悲しかったり残念だったりするけれど、やはり居酒屋は所詮、仮初の家庭でしかなく、人は結局は本来いるべき場所に帰っていくものです。 なんてつらつらともっともらしいことを書いたけれど、ぼくはどちらかといえば酒場の付き合いを酒場の外部に拡大することを避けたいと思っています。親しい人が増えるということは、その分、将来失う人が多くなるという事であって、出会いの場を酒場に限定するなら、もしその酒場が閉業したとしてもまたどこかで出会えるかもしれないという希望が残せるんじゃないか。と書くと割り切った考えの持ち主のようであるけれど、そんなことは今ではなかなかあり得ない。ぼくもいつ登録したか全く覚えがないのですが、lineを交換していたりして時折でしかないけれど、やり取りしたりすることもあるのです。店の仕舞いが縁のとりあえずの終いであるというのはむしろ健全なのかもしれないなあ。といった感想を漏らしたくなるような酒場が赤羽岩淵にありました。店名がそのままズバリ、「居酒屋 仲よし」なんだからねえ。そういえば居酒屋って仮初の家族関係や交友を暗示する店名が多いですね。「おふくろ」、「親爺」、「姉妹」、「友」、「悪友」などなど。誰しも第二の家庭を切望しているってことなんでしょうか。さて、こちらはカウンター席だけのお店だったような。ほぼ満席で辛うじて入れてもらえたものの、皆が揃いも揃って顔見知り。家族ぐるみの付き合いの方もおられると耳にしたような気がします。酒はちょいお高めの値段設定になっているけれど、常連の店というのはボトルをキープしてお得さを享受できるというシステムになっていることが多いから、一見にはちょっと残念な染み皆事が多く、ここもそれに倣っています。一方で肴はお手頃な点からもその経営理念があくまで常連重視という点の証左ともなっているようです。こうした店で一見になることが必然的に多いぼくはいつだってどうして毎夜のように彼らはここに通うのだろうかと思うのです。でもそんな疑問を抱きつつ10回も通うと(もうひとつの)家庭に帰ってきたといった気分になってしまうんだろうなあ。
2024/04/14
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赤羽についてはもう語り尽した感があるのでせっかくだから今回は岩淵という地名について、ちょっと調べてみることにしました。ウィキペディアによると「町の北部を荒川と新河岸川が東西に並行して流れ、両川に挟まれた中州状の地域が町域の約三分の一を占める」という土地柄なので、「入間川(のち荒川)のほとりでゴツゴツとした岩場だったことに由来する」ということだそうです。なんかそのまんまって気もしますが、地名っていうのは概ねそういうものなのでしょう。「荒川がおおむね東京都と埼玉県の境となっているが、新荒川大橋付近では都県境が大きく東京都側に食い込み、荒川・新河岸川間の河川敷上に都県境がある」という都民と県民の分かれ目となる土地でありまして、ほんのハナの差で公共サービスなどなど多様な面で差異が生じるというのは何ともやるせない気がします。とまあ面妖な土地柄ということもあってか、小説にこの土地は案外取り上げられるらしいのです。例にって青空文庫で検索したのですが、森鴎外や泉鏡花もこの土地を扱っています。個人的に好みの作家である後者から引用を。『政談十二社』「昨年のことで、妙にまたいとこはとこが搦みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場から四人詰ばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵の渡場手前に、姉の忰が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、(……)」 リズム感があってこんな短い引用でも情景が目に浮かぶようです。渡場があったんですね。知らなかったなあ。この作品は知らなかったけれど、小説って知らない土地が描かれているとどうもうまく作品に乗り切れない場合ってありますねえ。 と思ったより岩淵のことで長引いてしまったので、さっさと本題に。以前から行きたいと思っていたし、知人に強く勧められてもいた、この地に店を構えて30数年(?)の「支那そば 大陸」にようやく行くことができました。駅から遠いとかの敷居の高さがある訳ではないのに、なかなか縁が薄いお店ってあるものです。酒場がより取り見取りの赤羽近辺では町中華で一杯なんて余裕はないのです。ってのは実は建前で正直、赤羽でぼくが惹かれる酒場は数少なかったりします。店内はいたってオーソドックスで余り古ぼけてもいないし、独自な装飾が施されるなどの驚きは皆無なのです。まあごく平凡でその意味では安心ではあるけれど物足りなくはあります。でもサイン色紙の量が示すようにここを典型的な町中華と解する方も少なくないのでしょう。さて、瓶ビールと併せてさほど迷うこともなくかた焼きそばと唐揚げを注文しましたが、これがすっごいボリュームだったのです。特にかた焼きそばはとても一人では食べ切れなかったでしょう。ここであれこれ食べようと思ったら2名でも無理、最低4名で行った方がいいです。量もあるし、味もいいからもっとあれもこれもって気分になってしまいました。まあ、その分、値段もそこそこなのですが。一人で来店した女性は麺類と五目うま煮みたいな注文をしていましたが、一人では余りにも量が多いし、金額も2千円は掛かりそうです。本当は名物の支那そばを勧められていたので是非食べたかったんですけどね。次のお楽しみにとっておくことにします。
2024/03/17
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ここ数週間、仕事で下らぬ作文ばかりさせられて辟易とさせられていたものだから、もう文章を打つのが面倒で仕方がなくなってきました。気の利いた文章でも書きたいという余裕もなく、とにかく思い付くままに書き連ねていかないとおちおちのんびりとした休みを迎えることができなくなりそうです。つい先般、毎日の更新を続けてきたこのブログを週休三日制に切り替えたばかりなのに、早くもそれですら難儀になってくるのだから、人間、一度だらしなくすると際限なくだらしなくなり続けるものだなあと感じるのです。知人で50歳にてめでたくファイヤーしたのがいるのです。彼は手持ちの資産を細く長く活かすために色々と工夫を重ねながらも年に数度の旅行と1カ月ごとに飲酒、禁酒生活を繰り返すというスタイルを身に着けて後は、お金の掛からない楽しいことをしながら気ままに過ごしていこうという当初想定していたわけです。大概の場合、「手持ちの資産を細く長く活かす」ことに失敗して止む無く再就職したりすることになるようですが、彼はその点は今のところは問題なさそうです。また、飲酒のオン/オフの切り替えも成人病対策として何とか継続しているようです。ところが、好きなことをして過ごすという肝心な点で問題が生じているようなのです。好きなこと(お金の掛からない)を好きな時に好きな時間して過ごすというところの目論見が綻びつつあるようなのです。それは、だらしなく過ごしていると好きなことをしようとしてもそれすら面倒になって後送りになってしまうというのです。つまりは怠惰というのは際限ないものだということです。斯様に怠惰な彼ではありますが、呑みに誘うと嫌とは言わないからまだ辛うじて引き籠りに陥ってはいないみたいです。 ということで、その彼と赤羽で呑むことにしました。先般、呑み屋が火災となったニュースが飛び交いました。そっと現地を通過してみると思ったほどの被害はなかったようで、発生現場らしき店舗のシャッターが閉まっている程度しか確認できません。でも今晩は近々、再開発に呑み込まれるこの付近ではなく、繁華街外れの寂しい一画にある「季節料理 たかだ」で呑むことにしました。小ぢんまりとした閑静な感じのお店で外から眺める限りは、とても賑わっているような気配は感じ取れません。店内に入ってみると、それでも2名のお客さんがおられたのです。女性が2名のみ、お二人はお馴染みのようですが、会話を交わすでもなく、それぞれがゆったりと一人の時間を過ごしておられます。店の主人も寡黙で時折思い出したように女性たちに言葉を掛けておられるのでした。こちらのお勧めは魚介料理のようです。タラの煮付けとあん肝などをいただきました、いずれも非常に美味しくてじっくりと食べたいところですが、先の彼はどんなに美味しいものでも大きく口を開いてあっという間に片付けてしまうのでした。自由になる時間がたっぷりあるんだからそんなに慌てなくてもいいと思うのですが、そこだけは昔からの癖が変わっていないのかもしエrません。ぼくも早食いの方ではありますが、酒の場では。食事は非常にゆっくりと時間を掛けて摘まむことにしています。酒の肴ってそんなもののような気がしています。常連の女性客Aは配膳を手伝ってくれたり、お裾分けをしてくれたりとても親切でした。なるほど居心地の良いお店というものは、気持ちまで明るくしてくれるものなんだろうなあ。
2024/02/17
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もしかすると、このブログをご覧の方でぼくが立ち呑みを大いに好んでいると思われている方がおられるかもしれません。なんてことを書くとさもぼくが本当は立ち呑みが嫌いなんじゃないかという誤解を招きかねないですね。正解は立ち呑みというスタイルが好き嫌いには影響を及ぼさないというのが近いかもしれません。好きでも嫌いでもないのに週の大半を立ち呑みの理由は、店の雰囲気が好きなことはもちろんのことですが、何よりお手頃なのが最も大事な理由となります。概して立ち呑み屋は着席を基本にしたお店よりも安価であることが多いのです。つまり雰囲気が良くて安いお店が好きで、立って呑むよりは座って呑む方が幾分いいとは思うけれど、さしたる敬遠する理由にはならないってことになります。随分迂遠な話をしていますが、ここで言いたかったのは、近頃、十条と東十条を結ぶエリアを中心に立ち呑み屋が急増しているのです。急増ってのは言い過ぎかもしれませんが、もともとこのエリアはほとんど立ち?み屋がなかったからそういう表現にもなるのです。しかし、この界隈は着席式のお店もほとんどがリーズナブルなお店が多くて、そのリーズナブルさに太刀打ちするのは容易くはなかろうと注目していたのですが、何と意表をついて平均的な着席式居酒屋よりも高額な料金で勝負を賭けてくる店が多かったのです。これは全く予想していなかった事態です。この地の住民は基本的に居酒屋ではシブチンで過ごすことに慣れていたはずなのに……。十条駅前の巨大タワーマンションなどの町の再開発に伴って住民が富裕層へ切り替わったとでもいうのだろうか。 少なくとも東十条駅南口そばの呑み屋街はうらびれた様子を留めているはず、と久し振りに訪れてみると目的の「立ち呑み 南」に限らず、見知らぬ酒場が増えていて、パッと見には古びた横丁ですが、よくよく見ると改装が施されたりと大袈裟にならない程度のリニューアルがなされているようです。お気に入りのおでん酒場「酒処 よさこい」は未だにかつての店舗が現存していますが、却って痛々しい感じがします。「大衆割烹 鉄平」もそうですが、この先、多くの町がこうした半廃墟と表面だけリニューアルしたような物件で占められていくように思えてなりません。さて、当の立ち吞み屋ですが、垢抜けないカフェとかスナックのような店舗で、実際に以前もスナックと居酒屋の中間といったお店だったんじゃなかったかなあ。というかこの界隈は大概そんな感じのお店が立ち並んでいたような。今は店子が変わったらしく、店先に貼り出されたりしている品書きなどを眺めてみると以前よりは居酒屋色を濃くしているように思われ、きっと意欲的な(恐らくは若い)店主さんたちが増えてるんだろうな、なんて少し心強く感じたりもするのでした。今回お邪魔したのもやはり意欲的な方で好感が持てます。でもこの雰囲気で立ち呑みってどうなのという懸念はすぐに打ち消されました。カウンター席の椅子はもとからあったみたいですが、他の止まり木にももれなく簡単な折り畳み式の椅子が用意されているのでした。椅子有の立ち吞み屋なんていくらだってあるんだから開き直っていいんじゃないかなあ。せんべろセットもあって、ホッピーが一番お得みたいだけど、近頃ホッピーには飽きてきてるからサワー類3杯と小鉢のセットを頼んだのです。サワーも色々あるのでお代わりする際に違うのを頼んだら、女性の方からあら種類変えちゃうのみたいな応対をされてしまったので3杯目は遠慮して同じものを頼みました。これでなかなか遠慮深いのだ。スパム玉子とチヂミを頂きましたが、どちらも普通にちゃんと美味しかったのです。若いお客さんに最近になって頻繁に通われている方がいて、この人混みも少ない呑み屋街の混みあうこともあまりなさそうなお店をとても気に入られているようです。何となくわかるなあ。
2024/02/05
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唐突ではありますが、このブログの更新頻度をペースダウンすることになりました。それを言ったら始めた当初からゆるゆると下降修正をたびたび行ってきたわけですが、今回は基本的に何かの弾みでアップし損ねた場合を除いてほぼ毎日更新を欠かさずにやってきたのですが、そのノルマに対するストレスもあって、先達てからタイミングを図ってきました。当初の目的であった文章力アップもさほどの効果をもたらしてはくれず、備忘録としての役目も実際には振り返ることはほぼなく、また止むことのない酒場等閉店の連鎖で最低限の資料的意味すら牛われつつあるのが主な理由であります。黙ってそうすればいいって意見もあるのでしょうが、ぼくは元来意志の弱い人間であり、誰かに向かって宣言でもしないとなし崩しに書き続けるか逆に全てをチャラにして更新をやめてしまうかもしれない。完全にやめてしまうまでほどには更新に積極的な訳でもないから更新頻度を減らすという微温的な対応でお茶を濁すことにしました。きっちり確認してはいないけれど曜日によるアクセス数に特段の差異はなさそうなので、日、月曜日に酒場レポート、金、土曜日に料理関係レポートを更新していくつもりです。前者に嫌気がさしたり、レポート不可能になった場合は、このブログは閉鎖となるはずですが、後者については、料理作りが億劫になったら別の関心事へと話題は変化することもあり得ます。無論、これまたごく稀にあったようにどうしてもお伝えしたいことがある場合は不定期に更新することもあることをお知らせしておきます。ってこれがアップされるのが2月1日なので、切り替えは明日以降ということにさせていただきます。と、これでようやくスッキリしました。 スッキリしたといえば、十条駅の再開発が着々と進んでいますね。超巨大マンションの完成予定イメージ画が飾られていますが、これにより名物商店街はむしろ活気付くような気配すら感じられます。地元でも何でもない単なる訪問者でしかないぼくにとっては詰まらなくなっても、地元の方にとっては大きなチャンスともなりうるかもしれず、そういった意味では町全体のあり様まで変わってしまった南千住や日暮里なんかよりは上手くいきそうな予感がしています。そういった意味では「大吉飯店」は、道一本挟んで辛うじて開発圏から外れましたが、それが吉と出るか凶と出るかは今後を待たねばならないです。でも吉と出てお客さんがひっきりなしになるとこれまでの常連が手軽に利用できなくなる可能性があるとすれば、どちらにしても凶ということにもなりかねません。その位、繁盛していたのです。1階席はびっしり埋まっていて2階席に通されたのですが、そこは家族連れから仕事の仲間らしきおっさんグループもいるし、地元の寄り合い風のオヤジグループもいたりして多様な人々が多様な用向きでこちらを本当に好きで利用しているのが感じられます。階段上ってすぐの便所に近い席というのはちょっと残念ですが、選り好みする余地はなさそうです。酎ハイを頼んでお決まりの餃子とたまたま指先に振れた焼肉なる品を注文します。餃子はタネが滑らかな舌触りで嫌味のない好みのモノでした。焼肉は味濃い目でガツンとくるボリューム感のある豚肉炒めを自分で作ったらきっとこうなるであろうという味わいでありました。だったら自分で作ったらよかろうという指摘もありましょうが、きっと今の自分はこれは外でだから食べるから美味しい料理なんだと思われるのです。そこまで人気が出るもんだろうかという若干の疑問もありますが、使い勝手がいいんだろうなあ。我々が勘定を済ませてもすぐに入れ替わりでお客さんがやってきました。今ですらこんな具合だから新住人が増殖した後は一体どうなってしまうのだろうと懸念されるのでした。
2024/02/01
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何棟もの高層マンションが林立する北赤羽でありますが、数多くの住民がこの町に暮らしているはずなのに町行く人の姿は疎らです。民家の立ち並ぶ住宅街では住民の密集度が低いから住民との遭遇率が低めになるのも無理からぬことですが、巨大集合住宅が数多く建っているこの界隈で人通りが少ないというのは非常に不思議な気がするのです。埼京線が開通し、ここ北赤羽駅が開業したのが1985年とのこと、建物の状態を眺める限りではまだまだ老朽化とは程遠いから駅周辺の宅地開発はそれ以降であったと思われます。だとすると住民の高齢化もさほどではないはずです。この辺は都心へのアクセスも良くてそれなりに人気のある宅地なんだろうから空室が多いなんてことはなさそうに思えます。2022年の1日平均乗車人員は17,091人と最盛期の2017年の19,161人と比較すると減少しているけれど、これはコロナ禍の余波が影響しているということだろうから2023年はさらに盛り返してくることが予想されます。まあそもそも乗車人員が17,091人というのが多いのか少ないのかよく分からない。ということで公開されている最新と思われる「東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)」のJRの駅別乗車人員を調べてみました。北赤羽のこの年度の乗車人員が6,983千人でした。これに近いのがあらら、横浜線の成瀬駅の6,989千人、多少範囲を広げても同じく横浜線の八王子みなみ野駅の6,842千人という結果でした。これは何というか無礼を承知で申し上げますが、相当少ないんじゃないか。でもこのデータ、つぶさに眺めてみると上中里や尾久の極端に少ないことは想像が付いたけれど三河島や南千住までもが北赤羽以下ってことになるんだなあ。ってことは北赤羽が特段、寂しい町ってことはないんでしょうけど、実感としては三河島や南千住よりは相当うらびれた感じを受けます。 そんな寂しい町だからだろうか、先の「日本料理 まる八」もそうでしたが界隈の酒場は単なる呑み屋というよりは、もっとご近所さんが集うための溜まり場のような位置付けに思えたのでした。3軒目の「酒処 蔵八」もまたそんな顔見知りばかりの集う溜まり場系酒場です。一般的な傾向として独酌に相応しい酒場というのは酒場らしい風貌を備えている場合が多く、逆に溜まり場系の酒場というのは酒場らしい意匠を整えることよりも集いやすさを前面に打ち出す酒場になりがちです。ぼくとしては圧倒的に前者を支持する者でありますが、将来、孤独を埋めるために酒場を訪れるようになったら後者に対する認識を容易に改めることになりそうです。分かり易い特徴としては多人数が寄り合える大きなテーブルが設置されているところでありまして、こちらも一人また一人とメンバーが加わってどんどん集団が拡大していきます。予め待合せての大人数はウザイ気もするけれど、自然発生的に人数が増えるのは悪くないと思うのです。でもそれが酒場を飛び出してゴルフコンペを開催したり,有志で旅行に出掛けるなんてことになると途端に面倒な気がし出してしまうのです。例外もあるかもしれないけれど、所詮酒場で知り合っただけのいつ切れてもおかしくない程度のヤワな関係である以上、酒場の重力圏から逸脱したら途端に反目するのはありがちな話です。ぼくの身近でもほぼ毎晩のように顔を突き合わせていた人たちが勢い余って休日にキャンプなんぞに出掛けてしまいそこで喧嘩に至ってしまい、一方が常連から離脱するなんて例は日常茶飯事のことであるけれど、余り愉快なことではないのです。何にせよ家じゃ邪魔者扱いされる男たちがこうした酒場で肩を寄せ合い少年の頃のようにお友達ごっこをするのを見ると、男というのはいくつになっても子供だなあということです。酒場によってはジャイアンのようなガキ大将がいる場合もあるからそこまでいくと微笑ましいというのでは済まなくなりますが。ともあれここでは皆さん、あまり肴もオーダーせず(きっと自宅で夕食を済ませてからここに遊びに来てるんですよ)酒ばかり食らっています。われわれもそれに倣ってポテトフライやチーズサラミなどの手軽な一品づつで済ますことにします。
2023/11/20
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先日は北赤羽駅の赤羽口のことばかり書きましたが、今回訪れたのはその逆側の浮間口でした。浮間口で最も記憶に鮮明なのが「大衆酒場 山形家」です。今回も久し振りにお邪魔しようと心に決めていたのです。一応事前に食べログでチェックしておきましたが、掲載保留中のようです。https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132305/13076766/ でも、10数年前当時も同じように保留状態だったようなきもするから何にしろ行ってみないと始まらない。でも更新の緩慢な食べログよりもストリートビューをチェックしておくべきでした。こちらで確認すると新たに民家へと建て替わっています。ぼくは実際に現地を確認しましたが、当時の痕跡はまるっきり失われてしまったようです。残念だなあ。それどころか今回お邪魔したエリア付近に存在したはず(だって訪れたというメモが残っているから間違いはないはず)の「喜八」も「樹」もどちらも跡形もなくなっているのでした。そこにお邪魔して以降、どちらかを再訪するということもなかったからまあぼくにとっては惜しむような酒場ではなかったのかもしれませんし、大体において、何だか以前とさほど変わっていないような光景が店は変わっても脈々と受け継がれているようだからこれはこれでまた数年後に北赤羽を訪れるのが楽しみになるのでした。「居酒屋 和」を出て、次にお邪魔したのがお隣の「日本料理 まる八」でした。お隣もまた階段を数段下っての店舗という不可解な造りとなっています。北赤羽でこれまでお邪魔した酒場にこういう変わった造りのお店は経験したという記憶はないからここも恐らく初めてのお店のはずです。でもこの物件は初めてだと思われますが、お隣がお向かいから移転してきたという話を聞いた後ではこちらもまた近所から濾して来られていたとしても不思議ではないのだ。今になって確認しなかったことが悔やまれます。店の女将はいかにも昔からここに店を構えているってな古株然とした様子で、どうして以前ここを訪れていなかったのか我が事ながら訝られるところです。看板が一見して新しく見えるからなのかなあ。にしてもここもまた実に立派であります。というのが酒の値段も手頃(といっても酒の品書きの用意はないので価格は不詳)でありますし、特に肴の充実ぶりには目を見張るモノがあります。二人で手作り風のおぼろ豆腐の奴のお通しが付いて、さらにナンコツ揚げと目光(掲示ママ)南蛮漬けで酎ハイ類を2杯づつ吞んで独り1,100円だからかなりの良心価格であろうと思うのです。カウンター席も小上がりもきっちりと埋まっていましたが、それだけの人気も当然に思えました。うち2組が鶏の唐揚げらしき料理を頼んでいましたが、これは食に自信がある方は是非お勧めします。ざっと眺めた限りでももも肉2枚分ほどは使っているであろう量が大きな皿にうず高く積まれていたのです。「和」が週一なら「まる八」も週一は通いたくなるお店でした。
2023/11/17
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初めて北赤羽駅に下車したのはもう10年以上前のことだったでしょうか。寒々とした印象の駅前風景でありますが、ちょっと歩いてみると案外下手な繁華街よりずっと充実した酒場のある町なのです。北赤羽駅は新河岸川を跨いでホームが設置されています。橋梁上に駅舎のあるのは全国的にも珍しくJRではJR四国の土佐北川駅があるのみで、都内では都営新宿線の東大島駅がありますね。あとは伊予鉄道の石手川公園駅、阪神本線の武庫川駅があるだけだから、人によってはこのためだけにも訪れる価値があるのかもしれません。こうした場合、駅から出る場所次第で河川越しの往来が難儀だったりする場合があったりするけれど、ここでは浮間橋がホーム南側に並行に掛けられているからその杞憂は不要となります。でも行き先が定まっているなら帆無常から赤羽方面には赤羽口、浮間舟渡方面には浮間口と捻りのない改札名が付けられているので、直接向かうのが合理的なのは言うまでもないことです。この辺の地理に疎い方だとしたらやはり方角で示すのが常套なのかもしれないけれど、下手に東口、西口にするよりはこの赤羽口、浮間口が余程分かり易く思えます。さて、酒場マニアの多くの方にとっては赤羽口から程ない距離にある「まるます家 北赤羽店」が知られていますが、並ばずに入れそうもない本店よりは普通っぽくていいけど、結局ぼくは一度で満足し切っています。どうしたものか「ふじ家」なる今は閉店してしまったらしい酒場には2度お邪魔しているようで、こちらは赤羽口を取り囲むようにして林立する高層マンションの1棟の1階テナント物件だったと思うのですが、どうやらぼくはこういうのに目がないようです。 さて、赤羽口の話ばかりしてしまいましたが、今回向かったのは浮間口でした。改札を抜けるとすぐに呑み屋が現れます。営業している酒場は少なく、やっていないのは休んでいるのか閉業しているのか俄かには判断しにくいのです。さて、どこにお邪魔しようか。今晩はこの界隈で済ませてしまおうと「居酒屋 和」に入ることにしました。戸を開けるとおや表とは段差があって半地下というよりは半々地下といった程度に階段数段分下がった構造となっています。カウンター席のみかと思ったら奥に掘り炬燵式の小上がりもありましてそちらに通されました。最初女将さんにカウンターにどうぞって案内されたのですが、常連からは小上がりが空いてるよと振り回されて結果小上がりに上がらせてもらいました。とりあえずビールを頼むとナスとインゲンの煮付けのお通しも出されます。見掛けによらず魚介がお勧めとのことなので、鯛のアラの煮付けと厚揚げ焼きを注文。なかなか良い肴じゃないか。女将さんから鯛は薄めの味付けでとの断りがあったけれどしっかりといい味に仕上がってます。濃い目の味付けなのは女将さんの生まれが青森と茨木の血を受け継いでいるからだろうか。お客さん、初めてねと言われたので、いや以前この界隈で呑んでるから来てるんじゃないかな。なんていい加減に答えましたが、間違いでした。初めてかも。以前は路地を挟んだ向かいで焼鳥をメインにして営業していたのを移転してきたという。お向かいも普通に飲食店が営業しているのにどういう経緯でそうなったのか今にして気になります。厚揚げも立派でお手頃でしたが、何より素晴らしのは焼酎の濃さにあります。酎ハイが350円でまあこんなもんかと思ったら炭酸が外瓶式でありまして、グラスには氷入りではありますが、8割程度焼酎が注がれており、中200円でやってるからと言われました。地方では酎ハイが500円とかしたりするけれど、それが矢鱈目ったら濃いのと同様です。なんとこの女将さん、昼間からだらだらと呑み続けているらしい。こんな調子でホントにこれからランチも提供できるのかなあ。いずれにしても北赤羽の住人なら週一で通ってしまいそう。
2023/11/15
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とあるHPを見ました。中島晴矢氏というアーティストさんが開設しているサイトの連載エッセイに「中島晴矢の断酒酒場」があります。そこには以下のような連載の趣旨が掲げられています。--1週間働いたあとの金曜に、のれんをくぐる行きつけの酒場。出先での夕暮れ時、ふと入った老舗の赤ちょうちん。1杯の酒は緊張を解し、客同士の何でもない会話がその町の佇まいを伝えてくれる。酒場は町のオアシスであり、文化の集積地だ。だがある日を境に酒が一切飲めなくなったのなら、そこはどんな場所になるのだろうか。町の酒場をこよなく愛しながらもアルコール依存症と診断され、人工的な下戸となったアーティスト・中島晴矢が、シラフで愛した酒場を訪ねる業深き連載がスタート。その名も「中島晴矢の断酒酒場」、今宵開店!Text:Haruya NakajimaPhoto:Mai ShinodaEdit:Chika Goto-- 1段落目と2段落目の1文目にはあり触れた常套句が連なるばかりで何ら興味をそそられないけれど、衝撃的なのは、その後です。近頃感じたことのなかった戦慄に見舞われました。なんという可哀そうな人なんだろう(しかもぼくにも縁ある松戸に在住とのこと)。というご心配は無用みたいです。ざっと眺めただけではありますが、断酒生活は継続しているようですし、このエッセイを読む限りでは酒なしでの酒場ライフも存分に堪能されているようです。連載は現時点で10回までとなっていて、町屋「大内」を皮切りに錦糸町「寿ぶき」、十条「斎藤酒場」、上野「たる松」、水戸「八丁」、松戸 飲み屋横丁(「松戸酒場」「上州屋」)の梯子断酒、金町「山吹」、富津「やま田」、三軒茶屋「うち田」、ソウル「百済精肉店」に訪れて酒なしで呑まれています。ぼくは果たして彼の境遇に陥った場合、同じように振舞えるのだろうか。そんな問いを突き付けられたのです。中島晴矢の断酒酒場 #3 十条「斎藤酒場」の山菜と桜ソーダhttp://mearl.org/danshusakaba03/ 今回はそこで取り上げられているお馴染みの「齋藤酒場」に酒を呑みに行ってきました。東日本大震災とコロナ禍は、ぼくの人生に少なからぬ影響を及ぼしました。前者によって今あるものがその先もあるとは限らないという当然の事実を受け入れることになり、後者では今あるものは今あるうちに存分に味わうべしという切迫した感情を抱かされました。ぼくは執着心が強い癖に何かのきっかけで憑き物が落ちるっていう傾向があるみたいで、酒場巡りも以前ほどの執着は失せつつあるようです。というよりは以前のようにありとあらゆる酒場を好きでありたいという気持ちから特定の本当に自分が好きな酒場だけを好きでありたいという感情が支配的となりつつあります。気持ちとしてはいつもの酒場の普段の出来事や会話を留めることの方が将来もし仮にこれを自身で読み返す時には有益なんじゃないかとも思うのです。と心にもないことをつらつらと書き連ねてきましたが、実際のところ好きな酒場のことってそうは書くことがないんですね。かつて好きだった映画でも言われたことですが、映画を見ながら矢鱈とメモを取る人がいて、まあうるさくなけりゃ勝手にやってもらって構わないのですが、どうしてもそんな感じで映画を見ていて集中できるのかねえなんて思ったりしたものです。ただでさえ映画を見るという行為は恐ろしく集中力が必要なものなのにその脇でメモを取るなどという離れ業が可能とはとても思えないのです。酒場で呑む行為はそこまでの専心は求められるものではないけれど、メモなど取りつつではおちおち酔ってなどいられないと思うのです。今回特筆すべきはコロナ以降めっきり客の入りの少なかったこの酒場に多くのお客さんが詰めかけていたことです。このところぼくが行くと、ここはいつもせいぜい2、3組の客しかいなかったのです。それがたまたま空いていただけなのかもしれないけれど、何にせよこの夜はたいへんに賑わっていたのだ。以前のこの酒場の活気が戻ってきたようで、日頃は空いてる酒場を好むぼくでも気分が高揚するのを感じたのです。酒は清酒、肴はイナゴにニシンで充分です。ここは確かに何度でも通いたい酒場です。
2023/11/03
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何をどう勘違いしたのだろう、十条の愛着のある居酒屋が閉店する、しかも近日中にって思い込んでいたのであります。近頃あまりにも好きな酒場の閉店が相次いでいるから、いちいち閉店前に駆け付けようなんて気持ちにはなかなかなれないのに、今回はどういう心境の変化がぼくの心中に到来したのかは今となっては推し量るべくもありません。しかも閉店すると思い込んではいたもののごく普通に営業していて当面閉店となる可能性もなさそうなのだから間抜けな話ではあります。大体において閉店になると知って慌てて駆け付けるのもどうかと思うのです。というのが古くからあるものが失われるのは大方の場合において悲しいものでありますが、長くそこに通っていた人にとってはその悲しさはひとしおであることは当然の事であります。つまり、より愛着のあった人たちにこそ残り僅かな時間は確保しておくのが人情というものじゃないかと思う訳なのです。閉店の報をきっかけとして、慌てて押し掛けるのは禁じ手ではなかろうか。無論、たまたま初めて訪れて、現地にて閉店の報に接するということもあろうかと思うけれど、そうした場合であっても長居は無用という節度ある振舞いであるべきではないだろうか。と、偉そうに語るけれど、かくいうぼくも何度か閉店の知らせを耳にして閉店間際に慌ててお邪魔するということがあったのです。そうした無法を重ねて気付いたのが、そういう場に居合わせてしまった場合にはなるべく早く立ち去るという先ほどの振舞い方だったのです。たまたま空いていてもその態度であるべきだと感じました。例外もあるけれど、店の最後を迎えるに当たって最も悲しい思いをしているのは店の主人たちであり、彼らがそこで過ごす残り少ない時間を明け渡してあげるべきだと思ったのです。 と、当分つぶれることのなさそうな「和田屋」に訪れて考えた訳ではないのです。でもこんな繁盛しているのにどうしてここが閉店するなんて思ったんだろうなあ。確かに閉店を予告する貼り紙が戸に貼られている映像をありありと脳裏に浮かべることすらできるのであります。典型的なデジャヴではありますが、そんな不穏なことを思い浮かべてしまうなんて誠に申し訳ないなあ。さて、店内はそんな不穏さとはまるで無関係に大いに賑わっています。お客さんの入りは以前にも増したように思えます。それだけでなく、気のせいかもしれないけれど、店の方たちが若返ったように思えます。と気のせいとしか思えぬ程度の通い方をしていて閉店間際と勘違いして訪れた時点で前段の文章でもっともらしく語ったことと大いに隔たりがありますが、それはこの際無視して頂くことにします。さて、ここは大きな卓の並ぶ追込み式となっているので、われわれ(T氏と一緒)はやはり2名様の相席とさせていただくことになりました。本当はカウンター席が良かったのですが、こちらは常連さんたちが占拠しています。もともとの絶対数が足りないから仕方ないのでしょうね。さて、こちらは酒を呑みながらついつまみたくなるような肴がひと通り揃っているところが魅力の充実肴系酒場です。普段は肴など簡単なもので構わないと気取ってみせるぼくではありますが、もちろん酒と合う肴が嫌いなはずがないのです。そしてここが嬉しいのは多くの肴がちゃんと手を掛けた料理となっていることで、ぼくには刺身なんかは料理というよりは調理済みの食材(無論嫌いではないけれど)といった印象で、人の手が加えられたものという感じとは程遠いのです。食材選びから料理は始まるなんてことも言われるけれど、それはそこそこの高級食材のお店の事であるはずで、できる限り安価な食材を工夫で安く提供するのが居酒屋のモットーであるならばここの料理はそれに適っています。ちょっと面白い料理としては卵揚げ(正式名称失念)なんてのがあってこれがどういうものか気になったので頼んでみましたがなかなかに美味しかったです。素材の価格と販売される価格の乖離は気になりますが、それなりに手間の掛かったもので納得です。一方でやたらと待たされたポテトフライは非常に貧弱なのであまりお勧めはしません。とこうした不可思議な価格設定もなんか愉快に思えるのだからやはりここは好ましい酒場ということでしょう。
2023/10/20
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先日、田端の某酒場で呑んでいたら見知らぬ女性がいたので、何となく話しかけたら実際には何度か訪れているとのことでした。それはまあいいのですが、彼女は酷い人見知りで毎晩のように呑みに行ってはいるけれど、あまり他人と関わりを持つことはないそうで、ある程度酒が入ってやっと多少は話せるというのです(その割にはご自分の性癖などを含めて実に明瞭かつ怒涛の勢いで語られたのでありますが)。その方が言うにはこうした性格もあるので必要以上に深い人間関係を築いてしまうことのないようどんなに気に入った酒場であっても週に2回まで連日で訪れることはなさらないそうです。まあねえ、気持ちは分からなくはないけれど、ぼくにはちょっと違和感があります。違和感の所以ははっきりしていて、呑みに行くことについてそうしたルールを決めるというのがどうにも抵抗があるのです。とはいえルールを作ったことがないかというとそんなことはなくって、例えば、1軒の酒場で呑むのは5杯までとか、一晩にハシゴは3軒までとか例外的に旅行中は5軒までとかいった決め事をしてみたりしましたが、これが実行できないことが非常に多い訳なのです。楽しけりゃ想定していたより多めに呑んじゃうこともあるし、逆に5杯吞めるとなると酔いが回っていても5杯吞まないといけないって気分に陥ったりして、それが窮屈でストレスに思えるのです。いやまあ、そうしたルールを一切の苦も無く成し遂げることができる人はそうすればいいのだけれど、残念ながらぼくにはそうした呑み方は呑みの快楽の喪失に思えるのです。って会話を交わしたなあなんてことを思いながら、その酒場のすぐそばの食堂酒場で物思いに耽ったのでした。 って長々と書いたけれど以下のお店やそこでの呑み食いには委細関係のないことなのです。お邪魔したのは久々の「だるまや食堂」でした。実に10年近いブランクを置いての訪問であります。しょっちゅう、この店の前は通過していて、見慣れているからかもしれませんが、女将さんが当時とちっとも変っていないように思えるのは不思議なものです。当時の方とは別人なんだろうか。まあそれはいいとして、通るたびに不思議に思うのは、こちらのお店、混む時と空く時のギャップは著しいのです。混む時は無茶苦茶混み合っていて、入れ替わり近所の公衆トイレに出入りしていることもありますが、空いてる時は女将さんが所在なさげに表の通りに視線を送っています。もしかするとここを通過するぼくの姿も見覚えがあるのかもしれませんが、店内に入った際にはそうした素振りは全く見せてはくれませんでした。この夜は先客は3名のみ。卓席の客は待合せ中のようなので、そのうち賑わってくるんでしょうか。続いての男性客はそのうち3名が揃うってことだから当初の印象と異なりそのうち満席に近くなるのかもしれません。そうなると俄然忙しくなります。ここではビールか日本酒の短冊しかないけれど、記憶のどこかで焼酎を呑んだ覚えがあるから頼んでみたら1合入るお銚子で出してくれるとのこと。水で割るといったら後ろのポットを使ってとのこと。ポットには氷が入っていて焼酎に注ぐとキンキンに冷えていてスッと身体から熱が引けていくのを感じます。ちょうどこの日、このブログでニラもやし炒めのことを書いたのですがこちらにもあったので注文します。実に手早い仕上げ。手際の良さに驚かされます。周囲の客からは立て続けに納豆オムレツがオーダーされていました。こちらの人気商品なのかな。と、久々のこの食堂酒場、やはりなかなか良いではないですか。腰掛けてちょっと寛いで涼みたくなったらまた立ち寄ってみてもいいかな。
2023/08/23
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今の田端を歩いていても少しも想像が湧かないけれど、当時この界隈は芥川龍之介をはじめとする文士・芸術家が数多く過ごし活動を行っていたそうです。芥川には「田端日記」「田端人」なんてタイトルの小文も残されているけれど、さほど当時の彼らの生態を知る手掛かりにはならないようです。ぼくも若い頃にはこうした人たちのような生き方に憧れを抱いたこともあったものです。でも妙なところでリアリストだったぼくは当時の人たちは夏、暑くてもエアコンは当然のこととして、扇風機すらなかったのだろうなあと思うとやはり現代に生まれて良かったなあなんて思ったりもするのです。まあ、当時の日本は今のようなとんでもない酷暑はそうはなかっただろうからどちらが良かったなんてことは言えないのかもしれません。そういえば最近になって体質に変化が感じられるようになりました。というのも数年、いや去年くらいまではエアコンなしの酒場で呑んでいるとダラダラと汗が背筋を這い降りていくのを感じながら呑んでいたものですが、今年の夏になってそれなりに暑い事は暑いけれど、しばらくして落ち着いてくると汗が噴き出ることもなくなるようになったのです。夜もベッドに入ってもエアコンなしでは暑くて寝られなかったのが、今では窓を閉め切ったまま扇風機だけでさほど寝苦しいと感じなくなったのです。なるほど老人になるとエアコンを掛けずに熱中症になるってのは必ずしも不思議なことではないなと感じています。まだまだそんな年齢ではないはずなんだけどなあ。 でも時には涼しい環境で一杯やって一息ついてから、暑い環境へと移動したいと思うこともあるのです。「麺飯食堂 八右衛門」にお邪魔しました。こちらはチェーン風の全く風情のない構えの中華屋さんですが、涼を求めるのであれば風情を犠牲にするのが正解であることがほとんどの場合に当てはまります。しかもこちらはいずれの商品もお手頃なのは以前お邪魔した際に確認済みであります。そんなに気に入っているならもう少し来ていても良さそうなものですがやはりこういう普通のお店に来るのは今でなくてもいいんじゃないかと思ってしまうんですね。とりあえず席に通されると酎ハイに餃子という辺り障りのないオーダーをしてしまいます。さっと運ばれてきた酎ハイは氷も控えめで呑みごたえがあります。周囲を見渡すとチューシュー玉子の貼り紙があります。チャーシューに半熟に崩した卵がのっかってるヤツで、たまに中華屋さんで見掛けることがありますが、一人だといかにも量が多そうで注文を断念してしまうのですが、こちらではハーフサイズ290円とお手頃に頼めるから喜び勇んでオーダーしました。肴両方が一緒に運ばれてきて一挙にご馳走感が出ます。念願のチャーシュー玉子は想像通りの味で普通にチャーシューを食べるよりマヨ及びベニショの効果もあってジャンクさが際立って魅力的なメニューでした。でもハーフでもちょっと多く感じたからフルサイズは無理だったなあ。ともあれ、お手頃にゆったり涼しく過ごせる店があるのは有難いことに思える今年の夏なのでした。
2023/08/09
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酒場巡りを趣味にしてきました。今でも初めての酒場を訪れるのは楽しい事であることに変わりありませんが、これを始めた頃の狂熱ぶりに翳りが生じていることは否定のしようもありません。慣れもその理由の一つで、それなりに相当な軒数の酒場を訪れたのだからそれも致し方のないところです。それこそ酒場で呑んだ回数は全人生の通算日数を遥かに凌駕するはずだからそりゃまあ飽きてきたって不思議でもなんでもない。それを言うなら酒を呑むことすら面倒に思えてもおかしくないのですが、これはどうしたものか未だに飽きてはいないのでした。そういう内的な要因に加えて外的な要因もあります。言うまでもないことですが、古き良き酒場が次々と閉業に追い込まれていて、ここぞと目を付けていた酒場がいざ訪れてみたら跡形もなかったりといった経験を繰り返すと嫌気も刺そうというものです。テレビ番組などで取り上げられるようなメジャー店の情報は容易に事前調査もできますが、そうした酒場は大概は訪れているので、どうしても食べログなどでも現況が確認の取れない店が多くなって畢竟、無駄足になることが多くなるのでした。駒込も町が新陳代謝の頃合いなんでしょうか、駅の近隣でぼくが認知しただけでも短命だった「じゃんぼ総本店 ジャンボ酒場 駒込駅前店」、中華料理屋「尚徳楼」、本郷通り沿いの貴重な町中華「月山亭」が閉業しています。逆におにぎり定食の店「けんちゃんおにぎり大塚風」や「吉野家 駒込駅東口店」が開業しており、今回はさつき通りにいつの間にか開業していた「新鳥 駒込店」にお邪魔することにしたのでした。 この居酒屋の名前、どこかで見掛けたような気がしたのでチラリと調べてみたけれど、パッと見にはそれらしい系列店はなさそうでした。まあ、店舗一つでも××店を称するお店は多々存在することは過去にも何度も述べてきたのでここでは繰り返すまい。にしても店構えはいかにもチェーン店のそれなんだよねえ。先般は本店だったり××店を称するのはこれから店舗の拡大に向けた意気込みの表明ではないかと推測してみせたけれど、もしかするとそれとは逆に××店を標榜する(チェーン店風のルックスとする)ことで安心・安全をアピールしてみせているだけなんじゃないだろうか。チェーン店が安心・安全などという根拠や保証などありはしないことは昨今のインチキキャンペーンなどの不祥事やおバカな連中による迷惑系トラブルの数々で明らかであるけれど、それでも特に若者たちの多くにとってチェーン店というのは信頼できるもののようです。複数店舗の営業を継続できるってことは一定の集客ができていて経営状態も健全であるってイメージを与える物なんでしょうか。それを当て込んでの××店標榜戦略っていかにもありそうだなあ。とまあ語らぬつもりが語ってしまった。店内は明るくて居酒屋というよりはカレースタンドっぽい雰囲気です。まあ一人でも気軽に入れそうでこれはこれでありかな。店の売りは焼鳥と天ぷらの2本立てであります。どちらも店の人の拘り次第で手軽にもなり得るし、奥深いものともなるという料理でありますが、その両方をラインナップするということはまず後者を目指してはいないということは間違いなさそうなのでした。まあそこは価格が相応でありさえすれば文句をつける箇所ではありません。その意味ではこちらはその基準は満たせているようです。ところが、こうした居酒屋の定番料理である煮込みを注文したのですが、なんと切らしているようです。いきなり出鼻をくじかれてしまいました。数品を頼みましたが値段相応ってところでしょうか。まあ、そういう意味ではチェーン店っぽく無難に使えて、お値段は通常のチェーン店よりはお手頃だからまあこれはこれでありかな。カウンター席の女性はベジタリアンなのかサラダを中心とした野菜ばかりお替りしています。生ビールも随分お替りしていたから果たしてヘルシーかどうかは知らんですけど、ご本人は至ってリラックスしてこちらを上手に活用しているように思えました。
2023/06/26
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もう何度も書いているから長々と繰り返すことはしませんが、やはりどうしても「町中華」って呼び方には馴染めません。馴染めないと言いつつも知人・友人らと「町中華」のことを語る際にいちいちそうした個人的な事情というか感想を語るのも面倒だから、結局通りのいい「町中華」と口にすることになるのです。これだけ世間的に一般化した言葉をぼく独りで好き嫌いだけを頼りに抗ってみせるのも労のみ多くて益が好きないし、大体においてそうした便宜上の符牒のようなもののことを熱くなってみせるのも大人気ないように思うのです。そういえばもう随分前のことになりますが、「まじ」もしくは「マジ」という言葉がどうしても好きになれませんでした。当時はぼくもガキに過ぎなかったわけですが、ガキが「マズィ~」と語るのを聞くと何か世間を舐めている一方でどこか甘えてる感じがしてどうにも不愉快だったのです。どうしたものかぼくはその出典が立原あゆみ著『本気!』だと不覚にも思い込んでいたのです。でも実際には「まじ」って天明元(1781)年初出の洒落本『にゃんの事だ』にて用いられたそれなりに古い言葉だったようです。国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されていますね。https://dl.ndl.go.jp/pid/2534134/1/1616枚目の左頁4行目 古いからって好きになれないのは一緒ですが、それでも幾分かは抵抗感が薄まらいだ気がします。でも「まじ」という言葉すらが「ガチ」に置き換わりつつあって、日本ナイズされた「町中華」に対する本場の風か料理の呼び方である「カチ中華」(以前であれば「マジ中華」と呼ばれる)と呼ばれるのがその一例です。にしても時代によって言葉が映ろうことは仕方がないけれどその度に不快さが増大するのはどうにかしてもらいたいものです。 ということで、この夜はひどい豪雨に振られましたから、駒込駅からすぐにある「珍々亭」であればさほど雨に濡れることもなく辿り着けるからありがたい。いいやむしろ逆にそんな天候だからこそ近場で済ましたんじゃないかと思われるかもしれませんが、それは違っています。実は以前、この界隈の町中華に案内sてすっかり駒込が好きになった人と一緒でその人のたっての希望でここにしたのです。この後、結局3軒をハシゴすることになったのですが、ここで腹一杯食べて(食べさせて)おけば次の酒場での肴代が浮くと考えたのではないでしょうか。そんな気にしなくてもぼくは吞んだらそうは食べないってしってるはずなんですけどね。でもぼくがここを訪れるのは10年振りです。なので異論などあろうはずもないのです。店内は案外空いてますね。天候のせいか、それとも町中華ブーム(らしい)はとうに過去の話となったのか。両方かもしれないし、たまたま空いていただけかもしれない。でも窮屈な思いをするよりはずっと居心地が良いからこれまた構わぬのです。席に着くと近頃ここに足繁く通っているという知人は早速瓶ビールを注文。チャーシューメンマも一緒に頼んだところチャーシューを切らしているとのこと。恐らく天候が悪くなることが分かっていたから予め少なめに仕込んでいたんじゃないか。まあ、ラーメン用にある程度の取り置きはしてるんでしょうかね。なので餃子の大きいのを頼みます。こちらの餃子は美味しかったという覚えがあったのですが、奇を衒わずごくごく真っ当な餃子がとても美味しく感じられました。追加の瓶ビールを頼むと併せてかた焼きそばを注文。これはパリパリとして酒の肴にも最適なんですね。ぼくの場合は大概の食べ物が酒の肴になるのですが。これまた美味しいですねえ。確かにここはいいですねえ。通いたくなる気持ちも分かります。駅近にこういうお店の一軒も当たり前にあって欲しいものです。
2023/06/23
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これはあくまでもぼく個人の感想と受け止めていただきたいのですが、ぼくは赤羽で呑むのが苦手です。というかここ10年程の赤羽にはどうも馴染めないのです。いや、違うなあ。赤羽の呑み屋街は本当ならそこそこ好きなはずなのだ。すごい好きかと問われたらそこまでではないと答えてしまいそうだけれど、お気に入りの店だって数軒はあるのだ。苦手なのは赤羽の呑み屋街ではなく、無論個々の酒場ではないのだ。無論嫌いな酒場や許せない酒場もあるけれど、それはどの町でも同じことで赤羽に限ったことではないのです。これ以上書かずともこのブログの記事を何件かお読みいただいた方には無用のことかと思いますが、せっかくなので一応語っておくことにしますひと言で語るとすれば赤羽に呑みに来る人々の群れが嫌いなのです。長年に亘って通っていた人たちのことを悪く言ってるんじゃないのです。新参者たちの群れが町の雰囲気までぶち壊してしまっているようです。それはもう呑み屋街のみならずどこにだっているってことは理解しているけれど、ハシゴを重ねるごとにますます目障りになるのが新参者なのです。彼らも始めこそ多少は恐る恐るといった風で場の雰囲気を壊そうなんて様子でつまりは猫を被る程度の嗜みはあるようなのだが、そんな取ってつけたような化けの皮は酔いが回るにつれて剥がれるものです。最近の若い奴らってとにかく必要以上に声がでかいのだ。笑いが喧しいのだ。ってそんなの若い奴らに限った話じゃないって。まあ確かにそうなのだ。そうなのだ。ぼくは若い奴らが他人の町に踏み入って大手を振って我が物顔に振舞っているのが我慢ならないのだ。そしてそんなガキどもを嬉々として(いるように見える)町の人々(無論、全てがそうではない)が腹立たしいのであります。といかにも書き過ぎな文章になってしまったけれど、このある程度までは嘘偽らざる本音なのだから仕方がないのです。ってこんな話を書きたいわけじゃなかったんですよね。いずれにせよ混み合った場所が嫌いなぼくとしては、赤羽で呑むなら極力人混みは避けたいと願うのでありまして、嫌いという割にはこの1年で5回は訪れているから浮気っぽくて一つの町に留まれぬぼくとしてはそこそこ訪れていますが、実際に入る酒場は観光呑み屋街化したOK横丁など将来の再開発地域を必然的に咲けることになるのでした。 今回お邪魔した「稲一」はアーケード街の赤羽スズラン通りを抜けて横断歩道を渡った先にあります。ちょうど志茂駅との中間地点辺りに位置しています。これは以前も書きましたがぼくは赤羽より志茂にシンパシーを感じるのでここまで来ると少し気が楽になったように思えます。明らかに駅前とは往来する人の数が違っています。ってか立派な商店街なのにこの人出っていかにも寂しくないかねえ。個人的にはありがたいけれど、さすがに町の将来が心配になります。でその焼鳥店ですが、外観だけ見るとぼくの関心をそそる要素は見当たらないのです。この町には余り期待もないからつい立ち寄ったというのが正直なところです。同行者もいましたし早めに店に入りたかったということもあります。ところが店内はなかなかに渋い雰囲気です。というかカウンター回りは散らかり放題となっているのはどうしたものだろう。結構広いのにお客さんは年配の女性グループのみというのも気持ちを侘しくしてくれてなかなかいいのです。ホッピーセットに焼鳥の盛合わせと砂肝唐揚げを注文。愛想の欠片もない男性2名でやってるのですが、やけによく喋るのよりよほど良い。ホッピーは中身がたっぷりでしっかりと飲みごたえがあります。それも良かったけれど何より焼鳥がいちいちでかいのだ。特につくねの大きさには驚愕させられます。なにせゴルフボール大が3つ串に刺さっているのです。これは盛合わせ一皿を一人で食べ切るのは相当難儀なことです。いや二人でも肴はこれだけで十分すぎる量です。しかも味もいいからご安心を。この後訪れたのは夫婦だけ。彼らはボトルをキープしていたけれど、さっと呑んでさっと帰られました。〆に注文していたおにぎり150円は2合分位の米の量があったんじゃないだろうか。いやはやまだまだ知らぬちょっといいお店が赤羽にあったんだなあ。
2023/06/19
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どうしても好きになれない酒場があります。といった書き方をすると、世の中の酒場の大部分は好きだが、ごく少数の酒場が嫌いであるといった解釈をするのが自然な受け止め方に思えます。それは実際とはまるっきり違っているのだ。ぼくは非常に狭量な人間であるので、好きな酒場はごく少数に限られており、ほとんどは嫌いな酒場ばかりなのだ。それは以前からこのブログをご覧いただいている方には自明であると思うけれど、万が一にもたまたまこの記事に触れた方がいるかもしれないので、一応お断りしておきます。とまあ、結局ぼくにとっての「好きになれない酒場」は、どういう酒場かというと「一見様お断り」を掲げる酒場なのです。この夜はO氏と一緒だったのですが、O氏はぼく以上の原理主義者(本人は口を尖らして異を唱えるだろうけど)でありまして、自分がこうと決めた基準に収まらぬ酒場を頑なに拒否するのですが、彼の嫌う酒場の筆頭に挙げるのがこうした「一見様お断り」の店なのです。ちなみに確かにぼくも「一見様お断り」の店にはその高邁な態度(実はこの断り書きを掲げる理由はそれだけに限られてはいないのだけれど)が大いに不快に思っているクチなのですが、この夜訪れた一見様お断り酒場はそうした不愉快な気分を押してでも入ってみたい気持ちが掻き立てられたのです。無論O氏はぼくを見て気は確かかってな表情を浮かべて拒否の態度をアピールしていたのだけれど、ぼくはそんな素振りは見て見ぬふりで制止される前に戸を開け放ったのでした。 やって来たのは「酒処 ままや」です。何が気になったってここは以前、「餃子舗 芙蓉」として営業しておられて近いうちにお邪魔しようと心の片隅に留めておいたのが、当の片隅がしっちゃかめっちゃかになってしまって埋没してしまったままになってしまったのでした。今では看板に過去の残滓を見出せるばかりです。と思ったらどうやら内装は当時の基礎はそのままに表面のみ磨いた風のようです。女将さんはおやっって表情を浮かべましたが、何とも呆気なくどうぞって迎え入れてくれました。どうやらぼくは人畜無害な酒吞みであるとの判断が下されたようです。こうも呆気ないとちょっと物足りない気持ちになるのだからわがままなものです。きっと安全保身のためにアブナイ客への牽制の意味で例の貼り出しをしているのでしょうが、いざ入れてしまうとこうしたアナウンスもなく一見はお断りしていると告げられる(そんな無体がコロナ禍中は頻繁に発生したのです)よりはずっと納得がいく話のように思えるのでした。セットが400円、中が200円とリーズナボーなホッピーをお願いしました。お通しと一緒に届きました。ワカメときゅうり、茗荷の酢の物のようです。よく見るとイカのゲソなんかも紛れ込んでいます。いいじゃないの。ってさらに掘り下げるとなんとトリガイまでがちょろちょろと顔を覗かせるのです。すごい立派なお通しじゃないの。つい嬉しくなって贅沢にも600円(あららセコい)の馬面ハギを注文。ぶりっぶりに弾力のある身が美味であります添えられた肝がまた濃厚ながらしつこくないのだ。カワハギの代用品として低く扱われた魚ですが、少しもカワハギに負けていないように思えました。それと箸休め程度に頼んだお新香がまた素晴らしい。茗荷の酢漬けに大根の糠漬けに加えてしゃくしな漬けまでしっかりとした量で出されるのだからついつい中だけで4杯も頼んでしまったのだ。先客のカップルはこちらが勘定待ちで苛立つほどに賛辞を送っていました。我々もそうしたけどね。すると女将さんによくあれ見て入ってこれたねえだって。これには酔っていても返事のしようがなかったのでした。
2023/06/12
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どうもこの頃、このブログの記事の内容が店名に関しての記述が目立っているように思えて仕方がないのです。ことさら自分が日本語に対して繊細な感覚を持ち合わせているようでこそばゆい気もするのでありますが、どうにも居心地が悪くなるような店名を目にするとそれだけで嫌あな心持ちに陥るのです。特に店名として座りが悪いなあと感じてしまうのが文章をそのまま店名にしてしまう事例であります。具体的な例を挙げることはここでは避けますが、例えばこういう店の場合、「そばは噛まずに啜るものである。」なんて店名になりがちであるようでして、何がいけないって仮に店名は不愉快でも味は良くてたまに食べたいと思っても誰かを誘う際にいちいちこの店名を告げるのは恥ずかしいし面倒です。そりゃまあ多少なりともインパクトがあるからもしかするとそれだけで話題になってマスコミなんかでも取り上げられるなどの宣伝効果は期待できるかもしれませんが、そんな奇を衒って集客するのは正統ではない気がします。実力が伴ってなければ瞬く間に振り替えられすらしなくなると思うのです。そもそもオーナーもそんなことは承知の上で定期的に店を新陳代謝させる腹積もりもありそうだから、ぼくのような古い酒場好きには承服しがたいけれど、経営者としては必ずしも誤った選択とはいえないのかもしれません。他にもアルファベット表記の店名(カナ表記は「カネス酒場」や「ヤマニ」などそれはそれで味わい深いこともあって必ずしも否定はしません)や女性の名の固有名詞そのものが店名となっているのもどうにも様にならないように思えるのです。 でもまあその辺はまだ愛嬌があるかもしれないけれど、いわゆるこそあど言葉が冠された店名ってのは何だか非常に不愉快なのです。具体的には「あの名店 駒込」にその活用例を見ることができます。何が気に障るのかを明瞭な言葉で語ることは難儀でありますが、まず「あの」という指示詞がどうにも気になります。ぼくが無知なだけかもしれませんが「あの名店」がどの名店なのかこの名店なのかその名店なのかちっとも見当が付かぬのに堂々と「あの」と指示してみせるのがとても嫌です。しかも「名店」と自らしゃあしゃあと語ってみせるのもどうかと思うのです。とそんなに嫌うなら行かなきゃいいじゃんと思われることでしょうが、いやいや店名は嫌いでもこの店の100%が嫌いって訳でなく、店名が店の好き嫌いに占める割合はせいぜいが5%程度であろうから残りの95%が良ければよいだけのことなのです。しかもこちらにはビールの大瓶が390円(税抜き)という店に入る以前に知れる大きなメリットがあって、これは店名の5%に対して20%程度は良し悪しに影響を及ぼすはずでつまりはデメリットを大きく上回ることになるのです。店内には居酒屋らしいムードは全く感じられず垢抜けないカフェのような装いであります。これは店の雰囲気に重きを置くぼくにはかなりの減点ポイントです。これは、…。採点的な書き方をすると酷いことになるかもしれません。実際当初カウンターに独りだけだったお客がじわじわと増えてそのうちにわずか4席のカウンターは埋まってしまいました。最初のお客はポテトフライで瓶ビールという無敵の布陣でじっくり腰をすえていますが、後の方たちは恐らくは「あの名店」の主力メニューであろううどんを呑んだり呑まなかったりしつつ召し上がっていました。ぼくはレバカツと豚バラ肉の炒めたのを頂きましたが、出てきた当初は量が少ないように思えましたが、食べてみると案外しっかりしたボリュームがあるし、味も結構良かったのでした。結論として言いたいのは、悪くないんだから店名をなんとかして、もっとカウンター席を増やしてはどうかということであります。いや、たまたまこの夜が一人客が多かっただけで普段はグループが主流なのかもしれませんが。
2023/05/01
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どうしたものか最近になって実に久方振りにエスニックな料理への欲望がふつふつと湧き上がっているのです。その原因の一つとして3月下旬頃からパクチーの価格が非常に安くなっていて立派な1束が98円とかで売られていたりするから非常にありがたいのです。刻んで冷凍とかしておけばいいんでしょうけど、残念なことにうちの冷凍庫はいつだってギュウ詰め状態だからそうもいかぬのであります。なのでせっせと食べるしかないのですが、休みの日はともかくとして平日は寄り道してから帰宅、諸々の雑事を済まして後は食べて寝るだけって状態に至る頃にはもういい時間となってしまっています。さすがにパクチーを使ってどう料理してやろうかなどと思案に暮れている時間もないわけで、せいぜい適当に仕上げた料理にパラリと散らす程度の消極的な使い方になるのです。ってパクチーのことに長々と触れるつもりではなかったのだ。どこの国の料理が食べたいのかまだ正確に捉え切れていないけれど、東南アジア方面に解答がありそうな予感があります。そういや年明けしばらくは台湾料理に軽くハマっていたことを思い出しました。比較的日本人の味覚にも馴染みのいい台湾料理から徐々に個性的な味わいの東南アジア系の味へと接近するための準備段階にあったのかもしれません。で今気になっているのはベトナム料理です。タイ料理は若い頃に食べ過ぎたからもうさほど惹かれることもなくなりましたが、ベトナム料理はごく稀にしか食べる機会がなかったのです。でもそれがベトナム料理に惹かれる理由かどうかと問われたとしてもすんなり首を縦に振るだけの核心はありません。それこそ専門店で食べたことのない国の料理だってあるから全くの未知の味って訳ではないという点にこそ理由を求めるべきなのでしょう。ってまああれこれ語っているけれど、ベトナム料理が食べたかったんだって気付かされたのは全くの偶然がもたらしたその結果があってこその者だったのです。 というのが、近頃未訪店へ訪れる機会が少ないので通い慣れた町、田端を散策していたところ見知らぬお店を見掛けました。「ダンkitchen しんまち食堂」ですが、パッと見には普通の洋食中心の今風の食堂って感じです。定食中心のお店に思えますが、まあ単品でも注文できるだろうし、ビール位は置いてるだろう。食事しているお客さんもいるみたいだし入ってみるか。2人掛けのテーブルが10卓ほど並んでいます。ダンさんの奥さんらしき方に奥の席に通されました。席に向かう途中でようやくにして不可解な点に気付いてしまうのです。まず奥に輸入食品の販売エリアがあること、そして小さな黒板にフォーやバインミー(?)、それに揚げ春巻が記されているのでした。おお、ここは和洋食を中心とした食堂であると同時にベトナム食材店かつ料理店だったのですね。お客さんもベトナムの人らしくぼくにはチンプンカンプンな会話を交わしておられました。改めて厨房の方に目を遣るとうずたかく春巻が盛られています。これはいいとメニューを見るとおやおやベトナムのビールも揃っていますね。でもここは日本の瓶ビールに揚げ春巻を合わせることにしました。料理ができるまで奥の食材を眺めさせてもらいます。いやはやなかなかの品揃えだし、かなりお手頃価格であれこれ買い求めたくなります。冷凍のシャコもあってしかも手頃で無意識に手を伸ばしそうになりますが、ぐっと我慢。この量を食べ切る覚悟がなかったのです。調味料も色々揃っていたので、お買い物リストを作ってまた来ることにしよう。厨房を見ると揚げ春巻は奥さん(?)が担当。ベトナム料理は奥さんが担当しているのかもしれないです。さてお待ちかねの揚げ春巻が届きました。4本もあるなんて嬉しいですね。バインミーに挟まれている紅白なますとパクチーが添えられています。手作りらしき甘味控えめのさっぱりとしたスイートチリソースも美味しいです。厨房の棚の上に置かれた瓶がそうなんでしょうか。だとするとこのなますはソースで漬け込んだってことかもしれない。だとするとなかなか合理的に思えます。さてパクリ。おお、肉々しくて食べ応えも十分です。さっぱりしたタレを付けるというのがいいですねえ。お勘定の際にダンさんにもうちょっとベトナム料理も増やしてもらえると嬉しいなあなどと注文を付けてしまいましたが、和食食べに来てくださいね、って返されてしまいました。今度はそうするべきかなあ。ってきっとまたベトナムの料理を頼んでしまいそう。そうそう、改めて写真を見返すとおやおや店主のダンさんを模したらしい似顔絵の頭から日の丸に加えてベトナムの金星紅旗が刺さっていましたね。
2023/04/24
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昨日、孤甚丸さんのコメントに衝撃を受けました。衝撃を受けるというのは、常に何事かがもたした結果に対するリアクションという形でしかなり得ないものでありまして、その何事かが自身に及ぼした効果はもはや取り返しのつかないこととして受け止めるしかない性質のものであります。今回お知らせいただいたコメントは無念とか悲しいといったネガティブな衝撃だったわけで、それは端的には山谷の「大林」の閉店の報であったのです。一般的な理解では、良い方向にベクトルが向いている事柄に関しての衝撃は歓迎されるものですが、良くない事柄にベクトルが向いている場合の衝撃は極力遠慮しておきたいと考えるものだと思われます。だからということではないのですが、事前に良い事柄に対して備えておくよりは、良くない事柄に向けて予防策を取っておくのが賢明というものでしょう。仮に「大林」とは違うどこか別の酒場が資金繰りで困っているなんていう情報を知って、しかもその酒場が自身にとってかけがえがないのであれば、例えばクラウドファンディングを立ち上げるなどの事前の対策が可能な場合もあるかもしれません。でも「大林」のオヤジさんがそうした申し出を受けてくれるとはとても思えないとなれば、衝撃を多少なりとも緩和するために、いつ閉じても未練がないと思える程度に足繁く通っておくことが一介の客でしかない身にとっては穏当な態度であろうと思うのです。どちらにしたってもたらされる衝撃も通いきったという思いが幾分か気持ちを慰撫してくれるだろうと考えたいのです。でもそう思って連夜通い詰めることでより一層にその酒場がかけがえのないものとなってしまう危険性もあります。仮に無沙汰したままに店がなくなるよりは同じ程度の衝撃を受けるとしても通っておいた方がマシだと思えます。と取り返しが付かなくなってからオロオロと感傷に暮れるくらいなら行けるうちに行っておくという気持ちが高まったのです。 ということで、訪れたのは十条の「齋藤酒場」です。ぼくが長くもなく短くもない半生において通った酒場では、5本、いや10本の指に入るのがこの酒場であります。まあうち2本が飛び抜けて長いから10指で例えるのはちょっと無理があるのですが、まあその位好きな酒場ということでご理解頂きたい。ここ数年は行く頻度もやや低調になってしまったけれど、それでもコンスタントに通い続けているのですが、前段の出来事があったものだからもう少し頻度を上げることも思い始めています。とはいえそうして無理に増やしてもノルマのように思えてしまうのは逆にストレスになりそうです。ふと夜を迎えて行く先を迷う時にはその候補としてそっと含める位がちょうどいいのかもしれません。でも前回も書いたような気がしますが、近頃お邪魔すると大概お客さんの入りが良くないのです。ある時にはぼくとその同行者だけだったりしたこともあって、先行きに暗雲が立ち込めているかのような印象を受けました。でも幸いかな、この夜はご高齢の10名ほどのグループが中央の大きな卓を囲んでいました。毎晩これ程に賑わっているかは知らぬけれど、まあこれなら大丈夫かな。若女将始め店の方たちも心なしかお元気そうに見えます。ここに来るとつい清酒もしくはにごりを頼んでしまいます。日本酒ってのは肴がなくても際限なく呑めてしまいそうだから、できるだけ控えるようにしてはいるのですが、この酒場の雰囲気では日本酒を呑む誘惑に抗うことは叶わぬのでした。でも駅から近いってことも多分に作用しているのでしょうが、ここだとうっかりすると肴に手を付けもせずにゆったりとした気分で呑みたくなっちゃうのです。そんなところがここを好きな理由なんだろうなあ。独りでもそれなりの人数ででもただ呑んでいるだけで気分の良くなる酒場なんてのはそうそうありません。そろそろ無粋なアクリル板も撤去されそうだし、また賑やかになることを願っています。
2023/03/08
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知ってるつもりで勘違いしていたり、知識が浅かったりして恥ずかしい思いをするということがあります。そういった恥ずかしさの積み重ねがオヤジたちの口数を少なくするのではないかと考えています。オヤジってのは相手にもされない割にはカッコつけたがる生き物なんですね。それは置いといて、今回は「知識が浅かったりし」た事案が生じたのですね。ってか以前から知識が曖昧だなあと思っていつつも放置しておいた疑問をようやく重い腰を上げて解消する気になったのです。Tips Note 「知っていますか?チェーンとフランチャイズの違い【メリット・デメリットなど詳しく解説】」https://tips-note.com/startup-2021-06-30/ってこれだけのことを知りたかっただけなんですね。でもいきなり勘違いしていたことが判明しました。フランチャイズってのはチェーンの1形態だったのですね。でフランチャイズチェーンには、「直営店」と「フランチャイズ店」があるってことなのね。つまりは「直営店」のみでグループされたフランチャイズチェーンってのはあり得なくてこれはレギュラーチェーンってことになるのだな、多分。などということを調べていたら、以下のページを見つけてしまった。note 「晩杯屋の情報を公式以上にまとめてみた」https://note.com/nagaretea/n/nfdc37fe78589 全くようやるわ。じゃなくて、実にたいしたリサーチ力でありますね。これを調べるだけのモチベーションが湧くところがすごい。ぼくはとてもそれだけの気力は起こらないなあ。あら大山店は閉店しちゃってたんですね。あそこ、ちょっと気に入ってたんですけどね。これまで20店舗程度は行ってると思いますが、一番好みだったかも。 ということで今回は、「立呑み 晩杯屋 十条店」にお邪魔したのであります。正直、このフランチャイズチェーン(長ったらしいので以下FCとします)には飽き飽きしているんですけど、何店舗かは気に入ったところもあったのです。フランチャイズの厳密な定義は知らなかったけれど、何となくは直営じゃないってことが分かっていて、「晩杯屋」にも両方が混じっていることは何となく聞いていたのです。なので、ぼくのお気に入りだった大山を始めとしたいくつかはフランチャイズなんだとばかり思っていたのです。しかし、上記の公式以上のページによるとぼくが避けたいと思っている店舗のいくつかがフランチャイズ店であることが判明しました。事実は逆だったんですね。同じ直営でも差異があるし、良し悪しがあるってことが分かりました。店は人が育てるもんなんですねえ。などとしたり顔をしてみたりするけれど、果たして十条店はどうか。実は大山店を気に入っていて、××店を嫌悪する知人がこの十条店を褒めていました。感性も近いだろうし、きっとまあ悪くはなかろうと立ち寄ってみることにしました。事実は行きたいお店が臨時休業だっただけなんですけど。思ったよりも手狭な店内ですが、ちょどいい具合に混み合っていて雰囲気は悪くないですね。店の方たちも真面目そうで応対もフレンドリーかつ丁寧です。先の店とは大違い(店主さんは身振りで詫びてくれたりいい人らしかったので残念)。やたらとなれなれしかったりしつこかったりする場合がありますが、そういう押しつけがましいところが少しもないところがいいです。プレーンなチューハイにスモークサーモン(スライスしたプロセスチーズが敷いてあります)とアジフライ。どちらもお安いのにちゃんと美味しいのは立派です。あらああまたこのフランチャイズチェーンのことちょっと好きになったかも。
2023/03/03
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あらあらしばらく来ないうちにまたまた十条駅前が随分と情けない姿になってしまったもんです。最初に工事現場の仮囲いが設置されてもう随分長い時間が経過したものとの印象があるけれど、実際のところどうなんだろう。じわりじわりと勢力範囲が拡大しているようには思えるけれど、素人勘定ではあるけれどいかにもノロノロしているように感じられます。再開発に反対する住民なんかが居座ることなどお構いなしに見切り発車したんじゃないかと勘繰ってしまいます。まあ、どうだっていいんですけどね。でもこれで十条駅前に辛うじて残っていた多少とも怪しい呑み屋街は消滅してしまったからこの後にはより十条を魅力的にするような施設ができることを期待したいと思います。日刊SPA! 「商店街を破壊する道路計画、ゴリ押しで都が進める本当の理由は「超高層マンション建設」」https://nikkan-spa.jp/1336701 こんな記事が出てますね。住民の意思を無下にした政策ってのはやはり怪しからんですねえ。しかも超高層マンションなんてガックシです。ぼくも自宅のそばに巨大な賃貸マンションがありますが、聞くところによると家賃が高過ぎてとても住めたもんじゃないってことらしく空き物件だらけみたいです。十条あたりだとやはり似たような事態が待ち受けているんじゃないかって気がしますがどうなんでしょうねえ。 といった今更っていう感想を述べてみましたが、そうしたおっきな変化だけが町を変えるのではありません。多くの人にとっては取るに足らないような変化が特定の人たちにとっては欲望渦巻く巨大マンション建設なんかよりも大事だったりする場合があるのです。ってまあ「炭焼きバル&串焼き J.J.ぽっち」が開店していたって程度のことで喜んでいる人は限られるんでしょうけど。注意力散漫というよりは、片手程度の注目アイテムの発見に総力を当てて行動しているぼくにとっては、こんな商店街に埋もれたようにできた店のことに気付けるはずもないのです。つまりは、今回もネットの情報(というか端的にはせんべろさん情報)を頼りにやって来たのでした。細い階段を上ります。店に入ると厨房で忙しそうな店主(?)が窓際の席を指し示します。あれれ、2階の店舗にこの店主さん、どこか既視感があるなあ。気のせいかなあ。席に着くと女性の従業員さんが、御用があればベルを押してくださいと仰るのだ。ファミレススタイルね。とりあえず生中3つとお願いしたら、ベルを押してくださいだって。改めてベルを押して注文。せっかくだからすぐに出そうなつまみもと思ったらやはりベルを押してください。仕切り直して焼鳥なども頼んだのだけれど、運ばれてきた際に七味もらえるって聞いたらこれにもベルを押してください。ふう。まあ手頃で使い勝手がいいんですけどね。実際女性客や学生(見た目には高校生かなって感じだけど皆1杯づつ呑んでいたみたい、ああよく呑んだだって)で賑わっているから多少の瑕疵など気に留めないことにしているようです。でもおっちゃんはこういうのどうも気になるのだ。勘定の際にはベルを数風置きに何度も押したけど来ないもんだから同行者などは途端に不機嫌な表情を浮かべたりして、おっちゃんは心が狭いのですね。
2023/03/01
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駒込って町は、山手線各駅で知名度だったか魅力度だったか定かでないけれど、とにかく印象の薄い駅の最上位に当たる駅であるとテレビニュースだったか情報ヴァラエティーだったかで揚げ沙汰されていたように記憶します。いかにも危うい記憶をもとに話を初めていいものかとも思うけれど、まあとにかくぼくの記憶レベルにぼんやりとした駅と認知されているらしいことは言えそうであります。ぼくには駒込は見所も少なくなく思えるんですれど。でも印象が希薄ってことは、逆に言えば地域の人々が根付いていてリアルに生活を送っているという風に言えると思うのです。新宿だったり渋谷だったりは余所者が通り過ぎるばかりの町なのに対して駒込は地元の方の生活が密着して息づいていると感じられるのです。だからオオバコの酒場なんかもそう多くないし、そうした酒場はオオバコであるにも関わらず概して空いているようなのです。地元の方は身近な仲間たちの体温が感じられるこぢんまりしたお店に集いたくなるもののようであります。それは酒場のみならず中華料理店でもそのようでありまして、駅の東口には今でも至近に3軒の町中華と呼ばれるようなお店が残っていてしかも盛況ぶりを誇っているのであります。この夜ぼくを誘ってくれた知人はその一軒を体操お気に召したとみえ、以前お邪魔して後に時には奥さんも連れ立って電車を乗り継いで来られているようなのです。でも今回はせっかく他にも2店あるのだからそこではないお店にお邪魔しようとなったのでした。 今回お邪魔したのはさうき通りだか駒込銀座通りなのか判然としないけれどまあちんまりした商店街を進み一軒目の町中華を見送ってすぐに姿を現す「中華料理 味楽亭」にお邪魔しました。狭い店内ではありますが、それでもみっちりと客席を設けているので詰めれば20名以上は入れそうであります。この夜は10数名が入っていてこれはもう繁盛しているといってもあながち間違いではないはずです。多分に気分に左右されるもののやはり中華料理屋ってのは賑やかな位の方が気持ちが上がるもののようです。とはいうものの混み過ぎて入れないのでは元も子もありません。幸いにも空き卓があったので助かりました。ビールと一緒に手羽元の煮付と餃子を注文します。そうそう、こちらでは以前もこの煮付けを頼んだことを思い出しました。自分でも作れそうですが、こういうちょっとしたなんでもない肴って嬉しいですねえ。そうそうここは餃子も上出来なのです。だから当然のことにチャーハンも間違いがない。ぼくは大概の店のチャーハンだったら自分で作ったのとそうは変わらないと思ってしまって、注文するのに二の足を踏むのですが、久々に食べてみてやっぱりプロの作ったのはちょっと違うねえなんて思うのです。老人も若者も男も女も皆楽しそうに呑んで食ってしていて実に気分よく過ごすことができました。
2023/02/13
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死者数が過去最高を記録したとのことで統計上はまだまだ終息を見せぬ例の感染症でありますが、世間一般の動向を眺めているとそれが遥か過去のことのように思えてしまいます。ぼくは今でもこれが未曽有の出来事であるという認識でいるから人々の通常(と思っていた)の生活にも多大なる変化が生じるだろうと秘かに予測しており、世界に大きな犠牲を及ぼしたとはいえこれが生活一般に多大な良い意味での変化をもたらすものと少し期待もしていたのです。しかし、どうやらぼくの認識が誤りだったようで、世間の様子はさしてラジカルな変革を被ることもなくかつての退屈な日常が取り戻されつつあるように感じています。変化が生じるのはもしかすろともう少し先の将来のことかもしれませんが、変化に愚鈍なぼくには感知し得ないかもしれません。飲食店ひとつ取ってみてももっと劇的な変化が起こり得たはずだと思っていますが、今のところそうでもないように見受けられます。先般、北千住で思ったように客たちは決まった酒場なりで過ごすことに安心安全を見出したようでありまして、でもそれは初めての酒場を訪れた時に感じる高揚感以上に決まった酒場で変わらず過ごすことに幸福を感じるようになったというぼく自身の変化が招いた錯覚なのかもしれません。などとしみったれた話はともかくとして、この夜訪れたのはそんな日本の多くの人たちが将来に対する漠たる不安に沈んでいた頃に開店した(と記憶するのだが実際はどうだったのだろう)駒込のやきとん酒場にお邪魔したのでありました。ここは国が自粛を強いていた時期にも意志を押し通して暗く沈んだムードの駒込の灯となっていたお店で、その頃お邪魔したいと思いつつもかなりの繁盛ぶりに気持ちが萎えて後回しになっていた一軒なのです。 後回しにした理由は他にもあります。というのは、そのやきとん酒場には以前、間接的にお邪魔したことがあったからです。こう書くとそこのことが気に入らなかったという誤解を持たせかねませんが、事実はその逆で結構気に入ったのです。って何か無茶苦茶なことを言ってるようですが、なんてことはない、系列店っていうか創業店にお邪魔したことがあるのでした。その公式らしきHPは以下になります。やきとん まるばhttps://yakiton-maruba.com/concept/higashijujo/ ざっと眺めただけなので見落としがあるかもしれませんが、ここには自分とこ(東十条)のことはしつこいくらいに記載がある(文頭にほぼ必ず「東十条にある口コミで人気の居酒屋やきとん まるば」とあるなど、前頁を通じて独特の言語感覚の持ち主が書かれているらしくつい読み耽ってしまうのです)けれど、駒込店の文字はついぞ確認できないのです。どうしてなんだろうなあ、なんて疑問が湧いてきはするのだけれど、調べてみるまでの興味はなかったりするのです。今更ではありますが、「やきとん まるば 駒込店」にお邪魔したのでありますが、さて、この夜もそれなりの繁盛ぶりでした。でも自粛中の賑わいにはかなり劣っているように思われます。自粛中に営業していた酒場ってそんなには多くないと思われますが、明けて以降すっかり客足が遠のいたお店も何軒か知っているけれど、単純に飽きたってことではなさそうに思えます。そういう意味ではコチラは善戦していると評せましょうか。さて、カウンター席も卓席も空席はありつつも満遍なく埋まっているから通されたのは変則的な壁向きのはみ出しコーナーのような席です。まあ、そこまで長居するつもりもないのでこちらで一向に構いません。不思議と店の方と客たちに一体感があるのは、特殊な時期を共有したという思いが籠っているからなのでしょうか。忘れぬうちに書いておくとこちらの肴はなかなかのハイレベルでいずれも美味しく頂けます。酒は幾分薄い気もするけれど値段を思えば妥当といったところでしょうか。吞みよりも食いを重視する人に向いているように思われます。この夜の同伴者は普段はあまり食べずに呑むタイプなのですが、大いに食いに走っていました。ぼくのように呑みに重きを置く者には、まずここでガッツリ吞み食いしてハシゴするのが正しい使い方に思えます。でもこちらの和気あいあいとしたムードに溶け込むには何度か通う必要がありそうで、その輪に馴染むのは容易ではなさそうです。
2023/01/30
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駒込について書こうと思ったのですが、いざ書こうとしても書きたいことなどまるでありません。今はまだ早いけれど、将来的に住めたらいいなあと思うこともある愛着のある町です。もともと駒込に通うようになったのは?み歩くようになってからのことでありまして、呑み歩きを目的とするならば必ずしもぼくを満足させてくれる町ではなかったのです。でも酒場の良し悪しを云々する以前にぼくは町の良し悪しが重要に思えるのです。それは年齢を重ねるごとに顕著となってきています。そもそもにおいて町を育むのがそこで暮らす人々だったり訪れる人々なのだろうから、どうしても似たような傾向の人々が集まるようになるはずです。だからどこそこの町が好きか嫌いかというのはその町で活動する人々が好きか嫌いかということと同義なのではなかろうか。ぼくはそれなりにはあちこちの町で呑み歩いてきたけれど、人気が高く呑兵衛が殺到するような町-具体的な地名を挙げることは避けておきますが-への苦手意識がどうしても拭えないのです。そうした町にある有名酒場も同様です。むしろそうした町にあってぼくが好きになる酒場があるとすれば、その町における立地が良くなかったり、客の入りが悪かったりといった余所者扱いされているような酒場なのです。でもそうした例外的な酒場、町や人から疎外された酒場に遭遇できるのは極めて稀なことです。であれば好きな町の普通の酒場に訪れるのが無難に思えるのです。気に入った町の無難な酒場の方が、苦手な町の有名酒場よりずっといいとぼくには思えるのです。だからぼくは駒込の無難な酒場に通うことになるのでした。 と長々書きましたが、必ずしも繁華しているとはいえぬ程度の駒込の呑み屋街であっても全ての酒場を巡るのはなかなか難儀なことでありまして、リピートするってことになるとそれこそ機会が少なくなるのです。どうしても気に入った酒場に繰り返し足を向けてしまいますから。だから以前訪れた「みんなん家」にお邪魔するのは10年振りであったようです。記憶が正しければ、ここが開店してすぐにお邪魔したはずです。ところが久々に訪れてみるとどこか以前と内観が記憶とは違って感じられます。もう少し広かった印象があるのだけどなあ。でもそうした感慨とは別に残念な事実を知ることになります。昨年の暮れの営業をもって閉店されるようなのです。10年でたった2度訪れただけの酒場ではありますが、それでも好きな町のちょっと好きになれそうだった酒場が店を閉めていくのは残念なことです。いくら好きな町でも諸頼、全ての酒場が失われてしまったらそこは好きではあるけれど訪れることのない町となってしまいそうです。さて、店の若い主人はかつての主人とは違う気がするなあ、でも閉店を目前にしても飄々としていらっしゃる。この10年でこの酒場にも色々あったんだろうなあ。かつては定番の肴を一通り揃えたオーソドックスでありながらも意欲的な経営方針であったのが、今は手間が掛からない簡単な肴で呑ませる酒場へとシフトチェンジしたようです。これは少しも否定的な感想ではなくて、ぼくには合理的で好ましく思えるのです。ぼくにとっての良い酒場は、毎度繰り返しになりますがとにかく酒場らしい雰囲気にあって、そこに旨い、安い、くつろげるが加味されるとなおいいなと思うのです。といった訳で果たしてこの酒場が閉業した後にここがどうなるのか見守っていきたいです。
2023/01/18
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またもコロナが世間を賑わすようになってきましたが、さすがにぼくも含めた多くの国民がかつてのような不安や危機感を抱くことは減ってきているようです。むしろ今では新型コロナによる感染よりもワクチン接種に伴う方がより強い危惧を抱くようになってきているように思えるのです。ぼくはさすがに新型コロナがインフルエンザや単なる風邪だなんて言い切るつもりはないけれど、過剰に警戒心を強めるのはどうかとは思っています。むしろ世間の声と同様にワクチン接種はこれまで3度受けたけれど、これには将来に向けて不安を感じなくはないのです。十年度、二十年度の将来に遺伝子が変異を引き起こしてとんでもない症状を発症するとはとても考えられないけれど、それでも何某かの副作用がわが身に及ぶのではなかろうかという漠たる不信感はどうしても拭えぬのです。ともあれ、まだ新型コロナ本体に国民の多くが不安を抱いていたその小休止のタイミングで駒込の霜降商店街入口にある安さが売りのスーパーの2階に店舗を構える魚介系の居酒屋にお邪魔したことがあります。その際は相当なオオバコにも拘わらずお客の入りは余りにも寂しくてソワソワしてしまう程に酷い状況であったので、現況はどうだろうと思って久々に訪れることにしたのでした。「粋酔鮮魚店 げんきまる 駒込店」の2階に続く階段を上ったのですが、どうにもお客さんの入っているというざわめきが少しも感じられません。こりゃ今でも閑古鳥が鳴いてるんでないかという懸念が湧いてくるのでした。店に入ると、あらあらやはりカウンターに数組がいるばかりですね。これだけのキャパのお店がこれじゃあとても持たないのではないかという余計なお世話でしかありえぬ感想が浮かぶのでした。そしたら従業員の方が上にどうぞと勧められる。おやおや3階にも客席があるようですね。3階は広めの個室が連なっていて、なるほど感染予防のために基本的にグループ単位で個室に通しているようですね。3階の内装は見掛けはそこそこ綺麗ですが、よくよく見るとかなりの劣化が感じられます。実際に部屋を仕切る襖が開け閉めするうちにゴトンと外れてしまうのでしたがまあそれは良しとする。さて、3階の客の入りはどうかというと我々以外には一組しかいなかったのです。しかし、その一組が20人程度のそこそこの規模のグループで、やはり幾分かは人々の気分も緩んできているように思えます。さて、ここのメニューは結構充実していてかなり色々と頂きましたが、お値段は比較的安いといっても良さそうですが、味もそれ相応といった感じでだからまあ良くも悪くもないといった程度です。問題とすべきは従業員で、基本的に3階は2人がフロアーが担当しているのですが、女性の方はまあそれなりにはそつなくこなしていましたが(それでも配膳の際に併せて空いた皿やジョッキなどを下げれば良さそうなのにそこに気が回らなかったりする)、男性の方は実に無駄な動きが多い。やたらとちょこまかと動くことで仕事しているように見せようという魂胆が透けて見えるようです。いやそれは間違いでこれまで空いていたからほとんど仕事らしい仕事をせずに稼げていたのが,必ずしも忙しいとまではいえぬこの夜ですらパニックに陥っていたのかもしれない。いつまでも楽しては稼げないってことですね。成長を切に期待するところです。って、それまで果たしてこのちっともげんきではないオオバコ酒場が維持できるのだろうか。とまた余計なお世話な感想を漏らしてしまうのでした。
2022/11/25
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ぼくには、定年を迎えて無事に退職できたらという条件付きではありますが、ささやかな野心があります。それは、年に1度程度で十分なので日本の各都市に1週間程度、ウィークリーマンションで構わぬから束の間、その土地の住民になったつもりで過ごしたいというものです。これまでは移動することを旅の大前提としてきましたが、今のぼくの望には、躍起になって観光スポットなんかを見て回ることではないし、ましてや未踏地を虱潰しに通り過ぎることにはないのです。束の間であっていいからその町の住民となったかのように知らぬ土地で過ごしてみたい、それが今のぼくが望むところなのです。そこには老いてきたことも多少なりともの影響がないといえば嘘になります。体調が悪いとかだるくて動く気分になれないなんてことは日常的にあることで、それでもまあ夕方になれば呑みに出たくなるのです。これまでのぼくは自宅を離れて過ごすとなると大概はビジネスホテルのようなまあ安価な宿泊施設でまさに一夜を寝るためだけに過ごしたわけですが、常にチェックアウトの時間だったり、交通機関の発車時刻と睨めっこする日々を過ごしていました。端的にそういう無理は辛くなってきたし、飽きてもきたのです。1週間程度をどこか義務的にスケジュールに縛られて過ごすのはもう嫌なのだ。知らない町を散歩したり、商店街やスーパーで買い物したり、名画座や二番館なんかで映画を見たりと今まさに自宅でしているように過ごしてみたいのです。ちょうど学生になって一人暮らしを始めた時のように新鮮な気持ちを取り戻したいのかもしれません(ぼくの学生の頃は今の学生たちのように忙しくなかったのです)。もう東京からはそういう気分を抱かせてもらえるとは思えないけれど、もしもう一度そんな野心を実現できるとしたら駒込は候補となる町のひとつとなるような気がします。 駒込は少しも東京っぽくない感じで、渋谷なんかだと駅の改札を抜ける時には身構えてしまうけれど駒込ならすぐに自分の町って気分になれるんですね。今では改札を出るとなんとなく帰って来たなあって気分にさせてくれるそんな町なのです。だから駅を出てすぐにある飲食店ビルの一軒、「小料理 かつま」にもとっくにお邪魔しているものと思い込んでいました。まあ、新しいビルの店舗なので他所の町なら見向きもしないであろう酒場にも立ち寄ってます。思い付く限りでは、「立ち飲み くしあげや」「コリアンダイニング 韓」「たち飲み きんらん」「はち八 駒込店」「フレンチ×天ぷら オニヴァ(On y va!)」にお邪魔していますね。もう閉店してしまった店もありますが、駅前の好立地だから相当売り上げがないと維持していくのは容易なことではないようです。で「かつま」さんでありますが、これはこのビルを認知して以来最初っからずっとあるから、きっと手堅く商売してこられたんだろうと思います。お客さんが入っていくところも出てくる現場もこれまで一度も見ていないからその存在をつい見逃しがちになります。この夜は見逃しませんでした。2軒目だか3軒目だかだったので以前お邪魔していても構わないって気分になっていたのもあり、躊躇なく店の戸を開け放ったのでした。ごく平凡な造りのカウンターのみのお店です。カウンターの奥の席ではすでに出来上がって眠り惚けているお客さんもいました。独りで呑んで眠りこけるって、ぼく自身には身に覚えがありません。女将さんと呼ぶにはまだ貫録不足の感じのいい女性が迎えてくれました。話を聞くとこちらの建物は平成8年からあるらしく、もともとは先代が昭和36年4月に開店したと仰っておりました。そうなのか。見た目に古い酒場とは違った落ち着いた雰囲気は歴史がもたらしているのかもしれません。実は何を食べたかとか呑んだかとか全く覚えはないけれど、両親の後を継いで続けてこられたそんな思いがこもったお店には表面では知れぬ良さがあります。こういう酒場はもし滞在したら何度か繰り返してお邪魔したくなりそうだし、数年後また訪れても営業していてくれそうでその時もきっと何度かお邪魔することになりそうです。
2022/10/28
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何度も書いていますが、近頃はあちこち呑み歩くよりも決まった酒場で気張らずに呑む方が楽しく思えるようになりました。これまでも馴染みの酒場というのは何軒かは持っていたのですが、いずれも閉店したり、移転したりと現在ではぼくを常連と見做してもらえる酒場は指折り程度となってしまいました。常連になれるような酒場が今後ますます数を減らしていくのであろうことは、残念ながら紛れもなく事実となりそうであります。ともあれ今時点でぼくにはまだ通いたいと思える酒場があるのだからまだ運が良いと思うことにしよう。そんな数少ない足繁く通う酒場の一軒が田端にあって、このブログを継続してご覧いただけている方であれば調べずとも想像ができる酒場でありますが、何の因果かぼくの旧知の方がその酒場のまさに真向いの蕎麦屋を贔屓にしていたようなのです。実はそのことは以前からお聞きしてはいたのですが、半信半疑でいたのです。というか同じ屋号の蕎麦屋がやはり蕎麦屋にあってその人が通っているのはもう一軒の方だと思いこもうとしていたのでした。しかし、その夜に予約されていた蕎麦屋はやはりいつもの立ち呑みのお向かいであることはどうやら紛れもない事実であったようです。「浅野屋 ソバ店」にお邪魔するのは記憶する限りでこれが3度目になります。正直、悪くないと思いつつも特段通いたいと感じるまでのお店とは思っていませんでした。誘ってくださった方はけしてここからご自宅までは遠くないけれど、わざわざここまで足を延ばすまでではないかなと思わなくもないのですが、そこは常連さんの特権があるのかもしれません。入口付近のちょっと広めの席からはいつもの立ち呑みがほぼ正面に眺められます。いつもはその中にいることを思うとなんかちょっと変な感じです。でもそうした個人的な思い入れを抜きにしてもその光景はちょっと感動的でありました。どうして写真に収めておかなかったかなあ、この景色はこの先当分目にすることはできなさそうですから。ともあれ向かいの酒場のことは置いておいて、今回はこちらの蕎麦屋のことに重点を置くべきでしょうか。蕎麦屋といってもこちらは酒の肴も揃っていて、そこらの居酒屋よりもずっと充実しています。刺身に始まり焼き魚の鯖、天ぷらにその他もいろいろと出してもらったはず。でももったいないことに食べたものの記憶はほとんど失われてしまっているのです。酒も飛露喜を始め浴びるように呑ましてもらいました。いやまあ実に楽しく呑んだのはいいのですが、やはりうっかりと呑み過ぎてしまったのです。コロナ禍で暴飲することも少なくなってようやくまともな酒吞みになれたと思っていましたが、ちっとも以前と変わってなどいなかったということです。それもこれも美味しい日本酒が呑みやすすぎるのが良くないのではないか。日本酒を呑むならお向かいのぐらいに呑みにくいのがちょうどいいのです。いい酒は翌日残らないとかいう人もいますが、そんなことはないんじゃないか。この後,そばも頂いたようですが正直記憶がないですし、二軒目に行ったことは微かに覚えているけれど、そこで実際に呑んだという記憶はないのでした。
2022/10/10
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先日、江戸川区の松江で呑んだことを書きましたが、その際に駅から遠くて不便だなあといった感想を漏らしてしまいました。でも余所者からすると遠いように思えても実際にこの辺に住んでいたり働いたりしている人も少なくないのだから、うっかり辺鄙な場所で不便だろうなあといった発言をするとこの静かなブログでも炎上してしまいかねません。改めて考えてみると、世の多くの人たちは住居を1か所に定めて過ごしているはずで、そこ以外のどこかに赴く場合というのは大概そこまでの往復を念頭に据えてしまうから実際以上に距離感を多めに勘定してしまうんじゃないかと思うのです。住民が最寄駅から片道10分かけて自宅に帰るのはさほど遠いとは感じないとしても呑みに行った先の場合は片道ではなく往復の距離で無意識に距離を算出してしまうんじゃないかと思うのです。実際には行きの道中では帰りのことを思って呑み過ぎぬようにせねばならないなんて考えたりするものだけれど、程よく酔ったとしたら帰りの道中では想定していた距離感など無効となっているのです。つまり何を言いたいかというと駅から遠いから面倒だなあと思ったりするけれど、実はそれほど難儀じゃないってことなのです。と自らに言い聞かせてもう少しアクティブな攻めの呑みに赴こうとするのでありますが、日に日に頭が固くなっているおっさんにはそれはかなり難しい話のようなのです。 といったことを書くと今回の駒込の酒場がさも駅から離れた場所にあるかのように誤解を与えかねないのですが、Google mapで計測すると駅からわずか450mの距離しかないみたいなんですね。標題にあるとおり「居酒屋 玄ちゃん」は駒込のアザレア通りの外れ、呑み屋も途絶えて住宅街に溶け込む寸前の場所にあるから周囲も暗くなっていることもあり心理的な遠さが加味されるのかもしれません。さらに何度もここを通り過ぎているにもかかわらず一度たりとて営業していなかったのだからなおのこと心理的負担も大きくなってしまうのでした。この夜はこれまで何度か空振りを続けた酒場に赴いた際に同行頂き、その人と一緒であれば入れたという実績があるのでした。つまり、ぼく独りでは入れる見込みはなさそうな酒場に行く際にはその人を伴うと入店率が向上するという経験値を活用させてもらっているのです。無論、当人にはそのことを告げたりはしないわけで、だってねえ、やってないことが多い酒場、しかも駅と目と鼻の先でもない酒場に連れて行くなんてさすがに道義的に許されることではないだろうし。ぼくさえ黙っていればそうした目論見など知れるはずもないはずです。さて、その同行者の神通力が叶ってようやく店に明かりが付いていることを確認できました。いそいそと戸を開けると、おやおや3名先客がおられますね。ぼくの想像よりずっと盛況です。といって賑やかなわけでもなく、客はそれぞれバラバラに腰を下ろしているし、主人も寡黙らしく静かで周囲の町並みと似たような印象を抱かされたのでした。かなり寂れた雰囲気を想定していたので入ってみて案外穏当に感じましたが、独りだったらもうちょっと孤独感を味わえたかもしれません。酒も肴もいかにも呑み屋さんといったオーソドックスさでちっとも特別じゃないのだけれど、でも今都内で探してみても案外こうした酒場って見つからないだろうなあ。
2022/10/07
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近頃、赤羽に拘って通っているのには訳があります。もう大分以前にその存在を認知して以来、ずっと狙いを定めているお店があるのです。それがまあまた酷いことに訪れた回数の半数は営業が終了しているタイミングであり(ということがシャッターを下ろしてはいるけれど、厨房のある辺りの窓越しに従業員の影が忙し気に動いていることから察せられる)、残りの半分はそもそも休みでこちらの方がまだしも踏ん切りを付けやすいのでした。なんかしょっちゅう似たような発言を繰り返しているけれど、とにかく飲食店というのは客の有無とか切れ目に関係なく決まった営業時間を遵守してもらいたいものだ。人件費や光熱費など無駄を省きたいとか意図はあれこれあるだろうけれど、飲食という営みが生命維持のための必須条件であるということばかりでなく、精神面においても非常に重要な意味を持っているのです。例えば一日の辛く厳しい仕事を終えて、ああ今晩も疲れたなあ、でも今夜はあの店に行ってビールと餃子、〆は炒飯にしようかなあなどという店に至るまでの至福の時間が現地に到着して裏切られるとしたらどうだろう。天国と地獄とまで言い募るつもりはないけれど、相当なダメージを負う者がいるということは営業時間に無頓着な飲食店は理解しているのだろうか。近頃回転すしチェーンの「スシロー」が繰り返す客に対する裏切り行為とそれに対しての不誠実な対応はぼくを二度と同店の敷居を跨ぐことはないと決断するに十分な行いであるけれど、営業時間を守らないことはそれに類する態度と言えなくはないだろうか。とまあそういう人情なしの店にしつこく訪れて無駄足を踏まされたと憤慨し続けるのも大人げないけれど、ここまで来たらとりあえず一度だけでも入ってやろうじゃないかという気持ちが掻き立てられるのでした。ということはようやくその店に入れたのかってことになるはずですが、残念ながらこの夜も不首尾と相成って、やむなく町を彷徨いとある食堂居酒屋にお邪魔することになったのでした。「和の扉 りきさん」なる近頃お気に入りの赤羽南エリアにあるまあどうということのない外観のお店に入ることにしました。ところが回り道をしてしまったため、うっかり入店時に気付かなかったけれどそうこうする間もなく閉店時間となるようです。やはり食堂メインのお店だから仕方がないかなあ。ならば迷っている時間もガッツリ食べている時間もないからすぐに出来そうなつまみを頼むことになります。チューハイも頼んだ途端に届けられるから何とも仕事が速い事です。お客の入りはそこそこでありましたが、まだ注文したばかりの人も少なくないのに次々と料理が運ばれていきます。そこに店仕舞いに向けての片付け作業も並行して進めているのだから大したものです。せっかちででも牛丼チェーンとかではいかにも味気ないなあなんて思う人には向いているかもしれません。まあぼくにはちょっと忙しなさすぎて落ち着かないんですけどね。こういった忙しさをアピールすることで客側にもダラダラしてんじゃないよって間接的に訴えるといった効果を狙っているのかもしれないです。でもそれが余り嫌味に感じられないのは、それ以上に必死に動いていることが見て取れるからなんでしょうか。注文した簡単な肴も冷蔵庫から取り出したのを単に盛り付けるなんてことで済ませず、それなりに手を掛けてくれているのも好印象です。切り盛りするのは若い男性2名だったように見えましたが、実によく頑張っていらっしゃる。ゆっくりできずどうこう評価すべきでないかもしれませんが、こういう店は長続きしそうな予感があります。
2022/08/19
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呑み屋街の酒場にはちょっと飽きてしまいました。いや、必ずしもそういうことじゃなくって、やかましい酒場には辟易させられることが少なくないのです。呑み屋街の酒場にもやかましくない酒場はあるし、町外れの酒場でもやかましいことは少なからずあるので一概に決め付けることは困難です。でもたまには陽気に呑みたいことがあったとしても大抵の場合はしんみりとした時を過ごしたいと思うことが多くなっているぼくとしては、概してリスクの高い繁華街は極力避けたいと思うことが増えています。赤羽だって場所によってはそこを通り抜けると想像しただけで気分が萎えてしまうエリアが少なからずあるわけで、特に目当てもなく赤羽駅に降り立ってみて、やかましい不快感を味わされるよりは、これっていう店がないかもしれないけれど、町の暗い方、閑静なエリアについ足が向いてしまうのです。そうすると地方はともかく赤羽位の町になると住宅エリアに足を踏み入れたとてかなり希少であることは確かですが、何とか居酒屋に遭遇することもできるのでありました。「季節料理 天ぷら やなぎ」もそうした一軒でした。一県こざっぱりしたお店ですが、店内に入ると店の方もお客さんもお年を召した方がほとんどなのであります。カウンターに湯豆腐を肴にじっくり腰を据えて呑む男性。小上がりには女性の2人組。後者の方たちは耳も多少なりと遠くなるお年頃のようだから声高なトークが繰り広げられる危険性があるけれど、とりあえずは物静かでありました。静かな環境にあってはそれに応じてなるべく控えめに会話する位のマナーは持ち合わせています。O氏とビールで乾杯を済ませるとまずはまだこんな店があったんだねえ、普通でいい店だよねなんていう会話をしました。天ぷらのお店だから野菜天ぷらでも貰おうかってことになりました。値段の割には酒類も豊富で喧嘩もなく食べることができました。カウンターに置かれた縦長の大きな瓶には濃厚な焦げ茶色の液体が充満しています。黒々しすぎていて何を漬けているのは見分けが付かぬからもらってみることにしました。かなり強いとのことですが、せっかくなのでストレートで頂くことにします。多少の漢方臭さがありますが、陶々酒ほどにも癖がなく案外吞みやすいのです。どうやら高麗人参をベースに各種生薬系の材料が加えられているようです。余談ではありますが、ぼくはどうもこうした滋養強壮用の酒類には無反応な身体の持ち主のようで、よくまむし酒やスッポン酒なんかを飲むと身体がポッポするとかいう人がいますが、そうした体調変化は全く訪れませんでした。するとそこにダンディーを装ったご隠居さんが到来。先生なんて呼ばれていますが、お医者さんだろうか。すると唐突にカラオケが鳴り響きます。背後の2名が歌い出してしまいました。その曲の詩は赤羽南とまさにこの場所を舞台としており、赤羽南なんて随分ニッチな場所に特化した歌だなあと思ったら、その詩を書いたのがかの先生だったのです。そういうことね。なかなか興味深い詩ではあったけれども2度は聞くに及ばぬのでここでお勘定を申し出たのでした。
2022/08/17
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赤羽に酒場は数あれど、ぼくが本当に通いたくなるような店はごくごく限られています。北千住なんかにも似たようなことが言える気がしますが、酒呑みの町、とりわけ昼吞みができる町なんていうレッテルをマスコミだか誰だかはしらぬけれど,そんなものが貼られた町には静かに落ち着いて酒を呑める場所は失われてしまうようです。例えば酒場放浪記でも酒場指南のムック本なんかを眺めていて見知らぬ酒場を知ってしまいそれが妙に気になったという稀有な事態に遭遇してしまうと―それはまあごくごく稀な事態でありますが―当の酒場は気になっても赤羽なり北千住なりの町を訪れるのには重い気分を連れ立ってということになります。その酒場には行きたいけれど店のある町には行きたくないという相反する感情が芽生えてしまうというわけです。世の中の案外多くの人たちは酔客ひしめく町を歩くことをさして苦に思っていないようだし、また蟻の入り込む隙間もないような窮屈な酒場で呑むことを苦にするどころか娯楽を彩るスパイスのつもりか嬉々として受け止めているように思えるのです。ぼくが酒場巡りを意識し得始めたのはそう大昔のことではないから偉そうなことは言えぬけれど、今では名老舗酒場などと呼ばれるような店であっても何軒かの例外を別にすればすいすいと入れてそうそう身を縮めて呑まなきゃならないってことはなかったように思うのです。いやまあ現在足繁く通う酒場は今でこそそこそこの入りですが、30年前にはカウンターに沿って列をなしていたようだから一概にはそうは言えないかもしれません。少なくともそうしあけして快適とも言えぬ試練を伴う吞みをそれなりに熟してしまうともうそんな思いをしてまでそこを訪れる気分は失せてしまうのです。ああ、ここが空いてるとはいえぬまでもせめてあと少しゆったりしていたら通いたいと思うのだがなあ、そういう残念な酒場が少なからずあるのでした。 つまりは、赤羽というのはそういう町と酒場が主流を占めていると思い込んでいたから「居酒屋 さ乃」の存在を知って後付けの先入観というものは、単なる先入観よりも知った気でいる分、余計に性質が悪いものだと反省するのです。ここには美徳が数多くあります。まず赤羽の繁華街からは身を引いた盲点のような場所に立地していること。酒場観光客たちがまず足を向けない場所にあるから気楽に通りを歩けるのです。そして外観もなんともうらびれていていいですねえ。提灯が灯っていて確かにやってはいるのだけれど、活気というものが感じられない。活気のある酒場を全否定するつもりはないけれど、基本的にぼくは騒がしい酒場は苦手であります。店内は意外にオーソドックスなカウンターと大きな卓席のみの造りとなっています。照明が落とされて非常に暗いところも好感が持てます。そして主人が愉快でお喋りが好きな人であること。こういうお喋り好きな人ってのはぼくの知る限り客に対しての配慮がとても行き届いた人で静かな時間を過ごしたい客にはそれに見合った対応をしてくれることが多いように思うのです。チューハイはジョッキになみなみと注がれて300円とお手頃であるし、例えばこの夜頼んだ〆鯖300円は半身1枚分、ハムエッグ300円(?)は卵5個にハム3枚、ポテサラにキャベツの千切り付きという大盤振る舞いと、うっかり200円のポテトフライなど頼んだらとても食べきれなかったんじゃないかというサービスの良さであります。ああ、赤羽にも回り道してでも通いたくなる酒場があったんだなあ。後日、こちらを訪れた知人のT氏は、主人から戦後に渋谷円山町を縄張りと舌安藤組組長、安藤昇との逸話や酔った力道山からご祝儀を貰ったことなどを効かされたそうだけれど、それはぼくもぜひ聞いてみたいものです。
2022/08/10
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実際に巡り合わせというものがあるようで、どうしても入ることのできない酒場があるのです。いつも繁盛していて客の入れ替わりが少なくないというならまあ分からぬでもない。それなら開店早々に訪れればいいまでです。予約で常に満席という店はそもそもぼくはまず候補から除外しまず訪れることはありません。そうじゃなくてとにかく訪れるたびにやっておらず、ここは本当に現役なのかすでに廃業してしまったんじゃないのかという疑念を抱かされるような酒場が実際に存在するのです。 赤羽の「馬さし/さくら鍋 きらく」もそんな酒場です。こちらには何度フラれたか思い返すだけでも虚しくなるのです。しかし、そんなフラれ人生にもようやく決別できたのだから誠にめでたい事なのです。ある時期までは、常に喉に小骨が刺さっているようなムズ痛い感触が付きまとっていたのが、やがて葉と葉の間にもやしの筋が詰まって取れないようなもどかしい感じへと鈍く移行しつつあったところにとある週末の深夜、呑み友のT氏から訪れた旨の報告が届いたのです。もやしの筋も消えかけていたところにこの連絡だからスケジュールをやり繰りして週明けすぐの仕事を手早く終わらせて急行することにしたのでした。やはり呑み友のA氏は開店直後に行くことができるというので、先乗りしてもらうことにします。大概が閉まっていたのですが、一度満席で断られたこともあったのです。A氏から入店した旨の連絡あり。店に対して有難いという感情を抱くのもへりくだっているようで違和感がありますが、実際にそんな気分が安堵と共に到来しました。入れることが分かっても気持ちは焦って飛び込むように店の戸を開けます。かつて断られた際には案外広いお店に思えたのですが、1階は使われていない2人掛けの小上がりを含めても8名程度で目一杯となりそうです。取り急ぎ瓶ビールをグイっと空けて一息つきます。次に待ち構えたのがT氏から聞いていた主人からの問いかけへの対応です。ところが一向に質問が飛んでこないので、こちらの名物の馬刺しとはちのこなどを注文します。お通しに小肌ってのもいいですねえ。T氏といい店だねえなんて会話を交わしているとそこにご主人が加わって来て昭和27年に開業し、昭和29年東口に移転。壁の写真は昭和54年のものである。店主は先代から店を継ぐ前にA坂の上の下ランク(ご当人言)のホテルにて和食の料理人として勤務していたこと。などを矢継ぎ早に聞かせてくれました。いちいち伺わなくて済んでまたもありがたい。そこで唐突にどこの小学校に通っていたかを効かれます。これが定番のご質問でT氏から聞き込んでいたもの。その回答が贔屓の有無に関わることはなさそうですが、そこから話題を広げるのがご主人の接客術のようです。これまで何度も振られていることを話すと階段に貼られたカレンダーを指し示して、緑にマークしてある日は休みとのこと。その日は旅行に行っているとのこと。H急交通社のパッケージツアーがお気に入りだそうな。なんと週の初めは大概旅行しておられるではないか。お隣のお二人が十数年ぶりにお邪魔したいと電話を入れていたので急遽開店することにしたそうな。それがなければまたもフラれるところでした。会計も明朗で誠にいい酒場です。ぼくは十年と空けずにお邪魔することにしようかな。
2022/07/20
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十条は通い慣れた町でぼくも愛してやまない酒場もあるし、散策するにも楽しい町でありますし、実のところまだ片手程度は訪れたい酒場もあるのです。しかも職場からも自宅からもさほどの遠回りにもならないのです。それなのに職場を出るまでは十条に行こうと決めていても、電車に揺られているうちにどうにも気乗りせずに行きそびれることが少なくないのです。決して嫌いはなく、通い詰めた酒場も行きたいという酒場も揃っているのにどうにも足が向かない町になっています。確かに駅前の再開発は憂鬱な事態ではありますが、それは時代の趨勢としてとっくに受け入れています。商店街が今後どうなるかは気になるところではあるけれど、コロナ禍もあって以前以上に夜が早くなっていると感じられる十条にとってはむしろカンフル剤ともなり得るなんてこともあり得るんじゃないか。いやまあ、カンフル剤って実は樟脳のことらしいから虫よけならぬ人よけに効果を発揮してしまうかもしれませんが、いずれにせよそれは余所者の我々というよりは十条で暮らす人たちの問題なのでしょうから、安全な場所からネガティヴな意見を口走るのは極力避けたいところです。 さて、すでに放映されていて訪れた方も少なくないかもしれませんが、ぼくはなんとか放映前に「居酒屋 かつら」を訪れることができました。何度かこの番組の効用について述べてきましたが、この番組で都内を中心とした各地で行くのが不便でつい躊躇してしまうような場所へ赴くための牽引力を期待しています。それと同時に馴染んだ町であっても再訪するきっかけとしても機能する場合があるようです。知っているはずの町にまだ番組で取り上げられるような酒場があったのか、確認してみたいという気持ちにさせられちゃうのですね。見覚えのある路地を進むと一見すると余り面白味のない酒場が見えてきます。ああ、やはりここだったのか。つい何日か前に通り過ぎたばかりです。この医抜きのお店のどこに番組で取り上げられる理由があるのか。正直ダメそうならすぐにお暇することも想定していたのです。席に着いても女将さんのぞんざいにも思える対応になんだか失敗した気分はぬぐえなかったのです。でも品書きに日本各地の珍味やカウンターに並ぶ余り取扱いの内容な食材が並んでいることに気付くと俄然愉快になります。それ以上に夥しいほどの日本酒の短冊品書きに驚愕させられるのです。値段を見てまたもびっくり。なんちゅうことだ。お通しもカラスミなどなど気が利いているなあ。最初こそビールを呑みましたがすぐに日本酒に移行。お隣の客は燗付け器を前にして温度計にじっと見入っています。ここの日本酒はほとんどが女将さん自らが蔵に赴いて気に入った銘柄のみ買い付けをしておられるとのこと。酒を注ぐのも燗するのもセルフというのも楽しいものです。悲願であったふぐの卵巣の糠漬けも540円で8切れと、2人だったから良いものの、独りだったら一体どれだけの酒を要することだったでしょう。糠ふぐの子も試したかったけれどこちらは次回のお楽しみにします。とにかく驚かされっぱなしでお隣さんが週に一度のお楽しみにするのももっともだと思う、驚愕の酒場でありました。
2022/07/15
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古い町並みが失われることは馴染みの有無に関わらず寂しいものです。でも元来日本の町だったり建物というのは定期/不定期に変貌を遂げることを宿命づけられていると考えれば、必ずしも悲観的にとらえるべき事態ではないのかもしれません。悲嘆に暮れている暇があるならば、その変化を見届けるということそれ自体に楽しみを見出す方が余程いいんじゃないか。今、十条駅前は采配初の真っただ中であります。かつての面影すら感じさせぬ程に整地されつつあるのですが、区画に応じてなのかそれとも建物のサイズに合わせてなのか養生の足場が組まれている様子は眺めていて案外面白いものです。この様子に過去の地図を重ねてみるのもやってみたら興味深いかもしれません。そんな思い付きを口をしてみたけれど、その変化にこの酒場が呑み込まれてもそんなスカした発言を口にすることができるのだろうか。 この酒場とは言わずもがなの「齋藤酒場」のことであります。今回の采配初地域からは辛うじて免れたようですが、商店街の存否すら定まらぬ現状にあっては、こちらの存続も少しも安泰とは思われぬのです。実際に今回の対象地域に含まれなかった商店街を入ってすぐの「天将食堂」もコロナが収まったら再開するだろうという大方の観測を裏切って未だに再開の気配もなく、そうした楽観論を述べていた者たちからも手のひらを返したような悲観的な言葉ばかりが漏らされるようになっています。ぼくが定期的に訪れる酒場はもはら両の指に収まる程度になってしまっていて、始めた当初から覚悟していたけれど、遠からずこのブログの対象となる酒場も消えゆくこととなるおちう予感も現実味を増しています。まあ、実際には手当たり次第に対象範囲を新規開業のお店にまで広げてはいるけれど、本来は消えゆこうとしていながらもテレビだったり酒場ムック本なんかでは取り上げられることのない酒場の記憶を留めるためにあったのです(そしてできればそうした酒場にあって特別に愛着を抱いた酒場に訪れてちゃんとした形で記録に留める方がいてくれればいいなと思っています)。この夜の酒場には、先客は5名程度。かつての賑わいはどこへやらその気になれば席も選び放題といった様子でした。すでにそれなりの量の日本酒が入っていたからここでは焼酎にしておこうと思っていたのですが結局はどぶろくなど日本酒を呑むことになるのです。この酒場ではどうしたって日本酒が呑みたくなるのです。店の雰囲気が酒の種類を決定するという例をぼくはほとんど知りません。銘酒居酒屋で呑むとなってもいきなり日本酒に飛びつくということはあまりないのです。酒の肴は、鶏ごぼうだったり蕗の煮物だったりと素朴過ぎて自分ではまず作ることのない品でありますし、他の居酒屋でもそう見掛けることもなくなりました。こういう古風な肴は酒量摂取の一助ならず二助、三助となるに大いに貢献します。これ絶対に自分ちで摘まんだってちっとも美味しいと思わないですよ、きっと。しょっちゅう書いていますが、酒場にはなんでもないものを美味しく感じさせたり、そこ以外で食べると旨いと思ったものがさして旨く感じなくさせたりと、謎めいた味覚に対する効果を及ぼすことがあるようです。今後の開発の波に出来る限り抗って、まだ当分は古風な肴を旨いと思わせていただきたいものです。
2022/06/15
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田端には、居酒屋はあまりありません。でもどの居酒屋に入ったり覗いてみたりしても基本的には程々の客の入りで、酒場巡りを趣味にする者には少なく思えても案外田端住民もしくは利用者には需給のバランスはとれているということなのでしょう。居酒屋は少ないけれど、そば屋や中華料理店、大衆食堂はポツポツ存在するからそういったお店を居酒屋使いすることが案外多い感じもします。JR関連の呑み客が出入りしていることは知っていますが、それ以外は地元のご高齢の方たちがかなりの割合を占めているようです。同じく店の方たちの高齢化も進んでいるようで、閉業するお店も増えているような気もします。先般も書きましたが、高齢の常連客達は徐々にフェードアウトするのは当然かもしれませんが、こういう方たちの減少と連動して店の方も比例して減っていくことになるのでしょうか。実際に住んだことがないから憶測にすぎませんが、田端って住む場所としてはけして悪くない気がするんですよね。でも駅の立地する土地が坂の途中でけして好立地とはいえないこともあってどうも駅周辺が冴えないんですね。大概の飲食店は坂を上るか下るか(当然に帰宅時はその逆となる)してようやくの場所にあったりするものだからどうしても電車でわざわざ訪れて通うという気になりにくいのでしょうね。この夜は少し遅くなってしまったので、上る下るは相殺されるからなるべく駅から近い店にしようと思いました。駅の上下で近い場所には上った先も下った先もどちらにも数軒のそば屋があって、この夜は上った先の未訪のそば屋にお邪魔することにしたのでした。「開高庵」といういわゆる路麺店風のそば屋風情の乏しい構えのお店でありまして、普段だったら素通りしてしまいそうなお店なんですが、今の時代にどこもかしこも風情を求めていては食いっぱぐれ、呑みっぱぐれしてしまいかねません。とまあ強がってみせはしますが、大いに納得しての訪問ではなかったのです。同行者が時間も時間出汁と急がすから仕方ないというのが本音です。でもまあこれ以上粘って歩いても未訪店はさほどないことは分かっています。ということでグズグズと述べてはいますが、入店します。でもこうしてさほど気乗りしない感じでお邪魔しても思いがけぬ出会いが待ち受けているのだから選り好みしすぎは良くないですね。スタートダッシュで燗酒から始めます。鮪の山掛けがお通しとはなかなか気が利いています。酒の肴もポツポツ用意がありますが、同行者が注文が面倒だったらしく焼鳥類を適当に焼いて出してもらいという蛮行に及んだのでした。この焼鳥がそこらの焼鳥店などより余程ちゃんとしていて美味しいんですね。驚いた。これに気を良くした同行者、他にお客さんもいなかったので、店主とお手伝いの女性に酒を進め始めました。最初は丁寧に辞されていましたが、片付けもほぼひと段落ついて、女性がお付き合いしてくれました。店主には〆のそばだけは頼んでご一緒しようと仕切りに進めます。ぼくはこういうのどうかなって思うけど、もうご馳走になるつもり(というかご馳走してくれそうなスイッチが入ったのを感じたので)口出しはしません。女性は如才なく楽しい方でしたし、店主は素っ気ないタイプかと思ったら案外お喋りが好きな方のようで色々お話しを効かせていただきました。驚いたのがこの方、新潟のご出身で新潟市内の古町にある老舗郷土料理店の「田舎家」の池袋店で修業なさっていたそうです。ぼくもそちらには何度かお邪魔したことがあるのでもしかすると以前すでに店主の料理を頂いていたのかもしれません。そばは路麺店や町のそば屋のそれとは一線を画する本格的なものでしっかり満足させていただけました。
2022/06/08
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最近、気力がなくって酒場について書こうと思っても書きたいことがちっとも浮かんでこないのです。こないなら力尽くで言葉を引き出すしかないからと酒場とはちっとも関係のない何事かを思いつくままに書き連ねてみることにしてみました。とにかく何かを語っていたら勢いに乗って酒場レポートとその感想などが浮かんでくるのではないかという浅はかな考えなのであります。浅はかとは分かっているのだけれど、どうにも言葉が紡げない時っていうのがあるものです。ぼくの場合は体調の不良次第でてきめんに気力が萎えるからまだ分かりやすいのかもしれません。これなど無理して書く必要もないにも関わらずそれでも愚直に書き続けるのだからどうにも貧乏性でいけない。でもとにかくひとつでも記事を書くという習慣を途絶えさせてしまうと糸の切れた凧のように放り出してしまいかねません。それはそれでいいのかもしれないけれど、やめるならやめるでしかるべき理由をもってなすべきと思っていて、なし崩し的にやめるのは避けたいところです。ということでまだ積極的にやめるべき理由が見つからないから細々と継続するしかないのであります。 客商売の飲食業界もそうしたコツコツとした日々の積み重ねが店の価値を形作っているはずです。などとまたまた力業とも呼べぬような一分だけで本題に切り替えるわけですが、田端の「三好弥」もまた、そうした単調極まりない毎日を繰り返しながらも小さな修正を加えて今のようなスタイルを築いてきたのだと思われます。この系列のお店は東京都内を中心にして多くののれん分け店舗を有するけれど、糸が切れてしまった店舗も少なくないし、それこそこのコロナ禍により閉じてしまった店舗もあるんじゃないだろうか。発症した当初は和洋中の隔てなく提供していたんだと思いますが、今では提供する商品も洋食寄りになったり、中華料理寄りになったりと、傍目には似たような毎日に思えても少しずつ少しずつ独自の店作りを切らさずに来たんだと思うのです。この田端のお店は、洋食を伴いつつ中華の代わりに和食方面にシフトチェンジして一門にあって特異な存在感を放っています。しかも大衆路線よりは少し格を上げてちょっとした割烹料理店に近い料理を提供しているのでありました。その分お値段も一問中にあっては高級路線を選択するに至っており、ぼくのようなケチな吞兵衛にはちょくちょく斯様には厳しいのです。でも同じ値段を出して他所でこのレベルの料理がいただけるかというとなかなか見つけるのは困難じゃないかなあ。無論、洋食だってお手の物だからフライなんかも実に旨い。この店のすぐそばにも定評のある2軒の大衆食堂があってこれらもかなり頑張っているけれど、冷静に味のみで比べるとここが頭一つ抜けているように思えます。そんなちょっとお値段は高いけれど、それに勝るだけの質の高さを誇っていることもあって、すべての卓席はびっしり埋まっていて、しかも小金を持ってそうな老人ばかりということになるのです。かねてから知っているような書きようをしてきましたが、実はこれまで数度トライして今回ようやく入店が叶ったのであります。ぼくも老後にこういうお店で月に一度でいいから通いたいものです。それにしても文章もひどいけど、写真もひどいですねえ。
2022/06/03
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田端という町がぼくにとっての職場やら自宅のある町と同じように大事な町になるなんて若い頃にはこれっぽっちも思っていなかったのです。でも今ではそれらの町に迫る頻度で滞在しているのであります。しかも職場や自宅が必ずしも望んでというよりはやむを得ずいるべき場所だったりするのに対して、田端は自ら率先して訪れるという点からも愛着はさらに増すばかりなのです。ぼくにとっては自宅と職場と同等もしくはそれ以上の価値をもって酒場の町として認知されているのです。そこまでの愛を表明するのはちょっと大袈裟に過ぎるかもしれません。でもまあ不満がないわけではないのです。限られたごく1軒の酒場を覗くと他に行き場などないのでありまして、考えたくもない事ですが、もし仮にその酒場が閉業などということになってしまうと田端を訪れる機会は永遠に失われてしまいかねません。それはいかにも寂しい。未練だけを残して田端と縁をなくしてしまうことは実にもったいないことです。田端は都心にありながら田舎っぽさも感じられる町だからです。ということで、ぼくの居場所を先の酒場以外にも確保しておきたいのです。ということで見落としている酒場はそうそう見つかりそうもありませんが、新規にオープンしたお店も20年も経てばそれなりの地元に根付いた酒場と認知しても構わないと思えるから、いずれ地元密着型の酒場とそこが呼ばれるようになった際に開店時から通ってるんですよと語ったり語ってもらえたりすると地元の名士になったようで、なんだか酒呑みとしては誉れと感じられるかもしれない。 なんていう野心などハナからないのでありますが、「大衆炭火酒場 ミヤコ」が開店しているのを一軒挟んだそば居酒屋に訪れた際に目にしたのでした。翌日にはすぐさまに訪れたのですが、なんちゅうことかいきなりケチが付きました。週の中日にお休みだったのですね。まあもう一度だけは出直してみることにしようかと開店したばかりの金曜日の夜にお邪魔すると、先日見掛けた際には閑古鳥が鳴いていたのとは一転して酷く賑わっていたのでした。通り過ぎるばかりで利用者の少ないように感じられる商店街にあって業務スーパーと人気を二分する程の入りに驚かされました。入れるんかいなとドキドキしましたが、なんとかカウンター席に通してもらえました。配膳の拠点となる場所と隣接しているため端的にいって非常に落ち着かぬのですが、入れぬよりはマシと腹を括るのです。目に付いたのがお調子者というかいくらか悪ノリ気味が過ぎる店主らしき方です。スーツ姿に食い倒れだったかピエロだったかの簡易的な仮装をして店を飛び回って愛想を振りまいているのですが、いささかやり過ぎで寒々しい気持ちにさせられるのでした。表の立て看板にも自身の写真を貼って懸命なのです。頑張りは買うけれど、空回り気味に感じられました。さて、炭火焼と酒ですが、何もかもが標準的でありまして、標準的というのはプロレタリアートたるぼくのお財布事情にも馴染むといった程度に標準的であるということでだからお味もその階級における標準とご理解いただければわかりやすいかと。
2022/05/09
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田端で呑むのは安心感があります。足りないのは酒場だけというのが残念ですが、日を置かずに通いたくなる酒場があるからそれ以上の贅沢は言うまい。そこに行きさえすれば知った顔が必ずいるから退屈することもないし、構わないでという素振りさえ見せるとほっぽいておいてもらえる。つまり大人のお客さんが多いのです。大概決まった顔ぶればかりだからごくごく稀に見知らぬ顔があると、レギュラー組は素知らぬふりを決め込んでみせるけれど、どうしたって気にしていることはありありと窺えるのであります。ぼくは新規のお客さんも気になるけれど、それ以上に常連たちの落ち着かぬ視線の置き場だったり、普段とは違った話題作りだったりを眺めるのが好きなのです。こうしたぬるま湯的な呑みが心地良くなったのは年を取ったからではなくて、その楽しみを封印してでも様々な酒場を巡ることの方に魅力を感じていたのです。そんな時に近頃時折足を運ぶそば屋にも訪れました。もう何年も前のことです。先般思い出してそこに友人を伴ってお邪魔したところ、ぼく以上に友人が気に入ってしまってその後、数度お邪魔しています。毎晩通う酒場と違ってそこは見知った客もいないし、店主にもやっと認知されてきた程度ではあるけれど、静かに休息するには悪くないお店なのです。 田端の「田端 玄庵 昌」は、何より肴の充実が魅力です。所謂ところの蕎麦前に留まらず多くの酒のアテが揃っています。そしてそれらが注文を入れると大概のものが5分と待たずに出てくるから忙しい時にも打ってつけなのです。慌ただしく酒を呑むのはもったいないけれど、短時間で呑み終えたいこともあるのがサラリーマンの辛いところです。主婦の方たちには私たちにはほんのひと時すら一人でのんびり過ごす時間などないのよなんて仰る方もいそうではありますが、仕事後の僅かな休息時間程度はぜひ目をつぶっていただきたいものです。さて、われわれのことを何となく認知してくれているらしいご主人は、ちょっとトボけてユーモラスな応対をしてくれる方で、矢継ぎ早の注文にも返す矢を途切れさすこともなく着実に提供してくれるのです。通常のそば屋より肴は相当揃っているけれど、それでも居酒屋じゃないから品数はある程度限定されているとはいえ、その食材の処理、調理スピード、段取りの的確さはただ事ではないように思えます。いやはや大したものであります。こういう店は〆の蕎麦には期待しない方がいいのでありますが、ここはそんな諦念をあっさりと裏切ってくれて、実に美味しい蕎麦が用意されているから、ここは是非とも〆の蕎麦に備えてくれぐれも胃袋には余裕を残すようにしてください。そうだ、一つだけ注文を付けたいと思っていたのだけど、何だっけ。ああ、できれば季節の食材を一品でいいので用意してもらえるとなお嬉しいかなあ。
2022/04/27
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田端駅から北に向かっててくてく歩くこと10分弱。1月末まで生ビールが100円で呑めるという酒場がオープンしたということで早速お邪魔することにしました。といったようなことをすでに2月下旬になった今、しかもアップされるのは3月というのだからお得情報としての価値をすっかり喪失しているのであります。毎度のことではありますが、フットワークが悪くてあいすいません。正直新規オープンの酒場など興味の対象ではないからまずもっていそいそと足を運ぼうなんて思わないのですが、こうしたサービスがあるなら出向くにやぶさかでないのであります。駅を出てタバコ臭い橋を渡るといつもは東方面に向かうところをこの日は上中里方面に下っていきます。通りを渡ると田端駅下仲通りなる活気のない商店街がありますが、日頃より人通りが多いような気がするのです。まさかこの人たちが皆、100円生ビール目当てに歩いているのでもなかろうと思いはするものの、焦りの気持ちが湧いてくるのでした。不思議とそんな焦りを見透かされたかのよにこれまでまず引っ掛かったことのない東北本線、宇都宮線、上野東京ラインが通過する踏切に掴まるのでした。 そんなこんなでようやく「豊洲市場外 酒場食堂まさむら 田端店」に辿り着きました。そんなに遠い訳でもないけれど、人通りに多さで歩調がペースダウンしたため随分時間が掛かった気がします。彼らはこの酒場食堂に立ち寄りはしなかったけれど好奇の視線を遠慮なく向けています。ガラス越しに店内が丸見えなので客たちもいい気分はしないだろうに。100円効果もあってか店内はかなり賑わっています。比較的若いお客さんが多いようです。たまに紛れ込んでいる高齢者は肩身も狭そうにして、今どきのカフェ風の店内に違和感を感じているようです。見渡してみるとジョッキはあるのに肴の皿が並ぶ席はとても少ないように感じられます。店の方たちもオープンしたてでオペレーションが機能していないのかなっと思ったけれど、そうではなくて100円生ビールに比して肴が高額だから頼み控えしているらしいのです。隣席の客は合成に鍋などつついていますが、大部分の客は比較的に安い肴一品で凌ごうという計算のようです。ぼくもまあそういう魂胆でありましたから連帯感にあやかってしまいます。お通しのネギトロがあれば2杯はいけそうだけれどさすがにそれだけというわけにもいかず〆鯖と串揚げを注文します。いずれも素材や味はとてもいいけれど値段もいいのでした。奥のドリカムグループなど、3人で1品でそこそこ粘ろうという魂胆だから肝が据わっています。こちらは本郷三丁目の「和食酒肴 まさむら」というお店の系列らしく、そちらは食べログでも高評価らしいのですが、田端新町ではちょっと厳しい勝負になりそうな予感がいます。
2022/03/18
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この文章を書いているのがちょうど2月中旬のまだまだ新型コロナの第6波が収まらぬとある一日です。先週までは毎日のように田端に訪れてはいつもの酒場に通っていました。それが今週に入って店のお母さんの体調が思わしくないらしく今週中はお休みをいただくとの報が常連さんネットワークから入ったのでした。じゃあ、来週まで田端に行くことはなさそうだ。と、本当ならお母さんの体調を最優先に思い遣るべきところなのに自身のアフター5をまずは懸念するところが人間的にできてないというか非人情と謗られる所以なんだろうなあ。なんてことを思ったりもしていましたが、急遽知人からお誘いを受けて食道楽のその知人が好きそうな店として思い浮かんだのが田端のとあるお店でした。そのお方は駒込住民だから交通の便も良いでしょう。こんな時期だから飲食店であまり長居するのは褒められた行為ではないという自覚はあるのです。 ということで、田端にやって来ました。駅を後にして東田端方面に向かうのですが、おやおやこの界隈の酒場はことごとく閉まっていますね。こりゃ困ったなあ、この知人は歩くのがとても嫌いな人なんですよね。と目当てもなく歩いて行くと以前お邪魔していながら肝心のメインメニューを頼み損ねてしまっていた「田端 玄庵 昌」がやっているのが目に飛び込んできたのです。ああ、酒の肴数品しか頂いていないけれど、ここなら食道楽も楽しめるはずと確信したのでした。店内にはお客さんも疎らで近隣の勤め人の方というよりは地元の帰宅途中の方が軽く一杯、もしくはさっと食事を済ませようっていう雰囲気でした。実はってこともないですが、こちらのメインのメニューは蕎麦なのです。前回お邪魔した際には蕎麦も食べずに店を出てしまい未練を残していたのですね。でもそれも不思議じゃない位に酒の肴が充実しているのです。種類がそう多いってわけではないですし、手が込んだ料理って訳ではないけれど、いずれも素材そのものが実にちゃんとしているのです。加えてご主人が驚くほどに手際が良くて、どんな肴を頼んでも瞬く間に調理をすませて即提供してくれるのでついつい注文しすぎてしまうのです。酒の種類も豊富でしかもお手頃なのはとても嬉しいことです。酒と肴の往還にストップを掛けるのが難儀になる程です。1時間もあれば相当満足できてしまうからある意味効率がいい。おっと最後にせいろをいただく余力は残しておいてください。これをいただくとここは居酒屋ではなくやはり正真正銘の蕎麦屋であることを思い知らされます。ああ、なんだかちゃんとした蕎麦を食べるのは久しぶりな気がしますねえ。立ち食いなど町蕎麦もいいし、自宅で茹でる乾麺もそれぞれに良さはあるけれど、こちらのような本格的なのを食べてしまうとやっぱり蕎麦はこうじゃなくっちゃなんて口走ってしまうのでした。
2022/03/16
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目隠しされて睡眠薬を嗅がされた状態、つまりは視界だったり時間間隔を奪われた状態で連れてこられたらまさかここが東京とは思えぬような場所が好きです。っていうかこれぞ東京という風景っていうのがまずはどういったものかをお示しせぬ限りは日本である限りはどこだってそうは違わないものであります。スカイツリーや東京タワー、東京拘置所などのランドマークとなる建物が見える場所だけが東京らしいかというとそんなこともないわけで、大体において周囲に高い建物が林立する場所であればスカイツリーから数百メートル圏内からでさえ見えない場所もあるかもしれません。でも奥多摩や高尾山なんかだったりしたらともかくとして都心周縁の地域ではここがどこだかは分からぬけれど、東京以外ではないと大概の場合認識できるのはどうしてなんだろう。住所の表記された看板なども確かによく見掛けはするけれど、それがなくたって視認できていることがほとんどなのです。でも思い返してみると、初めて上京した際に都内をあちこち散策した時のことを朧気に覚えているけれど、しっかりと見届けるのは初めてのことだったはずなのにかつて暮らした仙台だったり新潟などともどこかしら似ているように思えたような気もしてきます。結局はぼくがそれなりに長い歳月を東京で暮らしてきて、散々都内を散策もしてきたから、記憶の片隅のどこかしらに東京のあらゆる風景がインプットされていてその記憶が現場に立ったことで不意に脳裏へと浮上してきただけなのかもしれません。 今改めてこの夜に撮影した荒川車庫前の風景を眺めてみても強烈に記憶を揺さぶるような突き上げるような感覚は微塵もなく、記憶の断片どころか欠片すら見当たらぬのです。突き上げるような記憶の早期というのは平面的で停止している写真からだけでは扉を開いてはくれないものなのかもしれません(だからこそ逆に写真芸術というものが存在する理由があるのかも)。ともあれ、荒川車庫前は何度も訪れているので、その夜現地に降り立った時点で明瞭に「ふじ家」の記憶が浮上しました。前々から立ち寄ろうお思ってみることがあってもその機会を逸していた一軒です。気になった当時にネットで調べた際には全く情報はありませんでしたが、今では店の様子が相当克明にイメージできるような情報も公開されています。だから予備知識もあって店内は小奇麗で4名用の卓席を中心に一人でも気兼ねのない半月式の大きな卓席もあって様々なシーンでご活用いただけます。酒を注文すると品書きに加えて、この日のお勧めもしくはお得な品が厨房前のカウンターを置かれています。鮭フライ 400円、かぼちゃの煮付 150円、ポテト&ハムサラダ 250円といずれもハイクオリティで酒の進むこと。失念しましたが近所ならきっと通うはずです。お酒が若干お高めでボトルキープできればいいなあなんて思うのですが、実は見逃しただけれキープできるのかもしれません。とてもいい。でもネット情報では十分に知れぬのが、人柄とかってことになります。とりわけ女将さんらしき方はとんでもなく柔和な方で夜毎キツメの酒場の女に接しているからそのほんわかとしたムードには感動すら覚えるのです。そんな女将さんを慕ってか、そっくりな女系家族6人組など女性客が多いことも特筆すべき事項だと思うのです。女性客の多いお店は概してはずれは少ないものです。1951年(昭和26年)に開店したこのお店には,看板や厨房出入口の上部にも富士山愛が貫かれているのでした。
2022/02/07
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十条駅前が再開発でしっちゃかめっちゃかになっていて、こういう混沌とした状況も嫌いじゃないけれど、なぜかこの夜はしんみりと呑みたい気分だったので、寂寥感を求めて駅に背を向けて夜の町を歩き出したのでした。慣れ親しんだ町というのは存外見落としている箇所が多いようです。気持ちがが緩んでしまうからなのかもしれません。町歩きをする際は出来る限り通り抜けたことのない路地に入ってみたり、自分とは縁のなさそうに思える店を覗いてみたりと、日常の自分がおよそ行わないような行動をあえて実行する位の気構えがないと程よい緊張と期待感を引き出すことは難しそうです。といったことを思ったか全く思いもしなかったかはともかくとしてやがて商店よりも住宅へと町並みを構成する物件が移り変わってくるのですが、これまでここまで足を運んだことはなかったかもしれません。幸いなことにまだポツポツと飲食店も見受けられ、その一軒は居酒屋だったから入ってみても良さそうです。 お邪魔したのは、小奇麗な構えの「つか乃」でした。すっかり居酒屋巡りから身を引いていたので、かつてなら選択肢から零れ落ちたであろうタイプのごく有り触れたお店だったのですが、今はこういうのが心地良く思えます。店内も小奇麗で一見すると小料理屋とかちょっと敷居の高い風情ですが、すぐにそんなに気取ったお店でないことが感じ取れるのでした。お客さんが女性の一人客もいたり、若夫婦風のカップルが酒なしで食事だけ楽しんでいたりと至って気軽でまさに家庭的なムードなのです。店のご夫婦の人柄も女性だったり一人だったりしてもすんなりと店に溶け込める要因となっているようです。T氏、A氏が一緒だったのでビールなどと一緒に300円(?)程度から揃うお手頃な肴から好きなものを一品づつ選びました。普段は神経質とは真逆なT氏がこんなご時世だから各々で肴を頼もうかなどと言い出します。そのT氏はレバーの煮付けを注文しましたが、なんとお通しがレバーの煮付けだったのです。しっかりと量もあって何より美味しいのです。ぼくならこれだったらお通しにプラスしても構わないけどなあ。感じがいいと思った女将が指摘してくれなかったのがショックだったのかT氏は慌てて注文を変更したのですが、代わって頼んだのはナポリタンでした。ちゃんと1人前を3等分してくれてそれぞれに小鉢に盛り付けてくださる気付かいです。T氏の思惑はまたも外れたようです。家庭料理でありながら家庭では出せないところが不思議でありますが、これこそ居酒屋料理の醍醐味です。酒場巡りなどという業の深い趣味がないのなら第2の茶の間にしたいところです。
2022/01/31
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どうもまだ酒場巡りへの意欲が回復し切れておらず、そうこうせぬうちにもオミクロンがじわじわと日本各地に浸透してきているようでこれがアップされる頃には結構な感染者が確認されたという報道が飛び交っているんじゃないかと素人考えを逞しくしているのです。だから酒場放浪記の放映も見所のひとつである常連たちとの会話もないままにお取り寄せとかでお茶を濁しだしたりするんじゃないかと懸念しているのでした。まあ実際には以前のようには番組を楽しめていないことを自覚しているからまあそれはそれで構わないのでありますが、普段の生活圏内にある酒場が放映されることが分かればそこへ出掛ける程度の好奇心はまだ残っていたようです。次なるネックとなるのはそのお店がちょっとばかりお値段の高め(普段行ってる安酒場と比較してといった程度でありますが)なので、できれば太っ腹なお供がいると心強い訳です。それも難なくクリアできたので、さあ勇んで訪れることにしましょうか。 田端駅から徒歩数分にある「家庭料理の店 伽羅」であります。ここら辺のお店は大概回ったつもりなのでこちらにもお邪魔しているものと思い込んでいましたが、メモを確認する限りでは未訪問だったようです。お邪魔している気もするんですけどねえ。まあいずれにせよ覚えていないから未訪問とさして変わらないのでしょう。ということでいそいそと店の戸を開くと後の放送で見ると笑顔を絶やさないという印象のママさんでしたが、訪れた時はご機嫌が悪かったのか放映目当ての客と見切ったのか分かりませんが胡散臭そうな眼付きで我々を見遣るのでした。まあこちとら慣れっこだから気にもせず店内へずかずかと踏み入ります。鰻の寝床のような奥に深い造りのお店で卓席がメインとなっています。内観は特筆すべきことは小奇麗であるという以外には語ることは何もありません。憮然としたママさんに比べてその弟さん(だったかな)は極めて人当たりよく応対してくれます。さて、店の造りには特筆すべき事項はないけれどこちらは酒肴には特筆すべき点があるのでした。品書きを眺める限りはお値段もそこそこするなあといった印象でしたがお値段を遥かに凌駕する室と量で圧倒されることになります。尿酸値を気にする酒呑み泣かせの鰹刺などぶっとい切り身がこれでもかと盛られていて、しかも新鮮で美味しいから酒も進んでますます痛風へのリスクは高まるのでした。メニューには白子、ウニ、あん肝などを盛り合わせた「痛風セット」なんてのもあって尿酸値の気になる年頃としては口福と苦痛との板挟みに悩まされるのです。その他にもつぶ貝のガーリックバター焼(?)などなど魅惑の品がズラリと揃っています。お隣の2人組は馬刺し、ローストビーフ、刺し盛、あん肝などなどをいずれも2人前でオーダーしていてそりゃいかにも頼み過ぎではないのと突っ込みたいところですが、みるみる皿が片付いていくのです。いやはや明らかにぼくよりも年長なのに驚くべきことです。といった訳で食いしん坊で小金持ちの誰かと呑む機会があったら番組視聴者が減った頃にもう一度チャレンジしてみたいと思いたくなるようなお店でありました。
2022/01/17
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田端にもぼくが知る限りでは1軒、国からの圧力に屈することなく営業を決行し続けた居酒屋があります。ぼくは世間のルールを逸脱するのは苦手な性分なので、ほとんど利用することはなかったのですが、何度か禁を犯しているから営業断行した店や少しも気にせず呑み歩いていた人たちをどうこう批判するつもりはないし、その権利すらすでに失しているのでした。まあ、ここであえて面倒な話はしたくないから話を切り替えます。ぼくがわざわざ途中下車までして禁を犯したのは、これからお邪魔することになる居酒屋のそばにある馴染みの酒場の現況を確認するためでした。もちろんそこは営業していないことは分かっていたのですが、店の方の安否とかが気になったから店内に照明が灯っているのを目にして安堵するということが何度かあったのです。それですんなりと家路を急げば良さそうなものですが、せっかく途中下車したのだからとつい寄り道したくなるのでした。以前1、2度お邪魔したことはありましたが、こういう機会でもなければ再訪することもなかったかもしれません。で、訪れてみたら案外悪くなかったのですね。いつもに増して人通りの少ない町にあってこの店内だけはそれなりに人の気配が感じられるのも悪くなかったのです。 「居酒屋 八天将 東田端店」ですが、先般は西日暮里店に再訪して落胆した旨を欠いたばかりですけど、こちらには概ね気分よく呑むことができました。酒も肴も値段は手頃で味もそこそこちゃんとしてるし量も問題なし。店の方たちも少ない人数なのに手際よくスピーディーかつ丁寧な対応で見ていて気持ちがいいのです。ぼくのここでのお気に入りがホッピーでお通しを摘まみながら、アジフライとメンチカツを待つというコースです。この揚げ物の値段がお得ということもありますが、味もいいし、何より自宅で揚げ物をしないので揚げ物に飢えていたということもあります。ゆったりと読書をしながらホッピーを呑むというのもしみったれた感じがありますが、ちょっとファミレスっぽさもあるこちらであれば気がねもありません。でもこのファミレスっぽさが客たちの気の緩みを助長することもあって、ぼくは居酒屋に客として子供を入れることに関しては不寛容な考えの持ち主であります。最大の理由は子供って周囲のテンションに影響を受けやすいらしく大人たちが酔って気勢が上がってくるとそれに応じるように騒ぎ出すことが多いように思います。これがまあ自分たちの客席で完結するならまだしも店内を走り回ったりしだしたらそれこそもう落ち着いて呑めやしないのです。で実際にそういうことがあったから、ぜひ善処を期待したい。それか子供をあくまで店に入れるのであれば居酒屋の看板を下げて欲しいとすら思うのでした。
2022/01/12
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八幡神社の正面にある都電荒川線の宮ノ前電停の周辺は、東京女子医大通りに宮前商店会というちょっとした商店街があったり、立派な女子医大病院があったり、図書館などの公共施設や広い敷地の宮前公園があったりと不自由ないというよりは快適な生活を過ごすために過不足ない程度の施設が整っています。飲食店もヴァラエティーは豊かで、電停前には蕎麦屋やタイ料理店もあるし、ちょっと歩けば洋食屋やとんかつ店、パン屋、洋菓子店など大体のジャンルはフォローできるのです。が、しかしいざ呑もうと思うと呑み屋は物足りない程度にしか存在しないのです。だから必然的に町中華や寿司店は貴重な酒場として機能していることを期待したいのですが、今回は、BSで放映されている「町中華で飲ろうぜ」にお邪魔して実際に呑める店かどうかを確認することにしたのでした。 電停から南に向かって先の商店街を進むとすぐに目当ての町中華が見えてきます。でもそちらも雰囲気がいいのですがそれ以上に番組にも映っていたお向かいの「鮨福」なる寿司店に目を惹かれるのでした。なんとも見事な枯れ具合です。が、今晩は町中華相応の持ち合わせしかないから断念せざるを得ないでしょう。まあ、ここは通り掛かりの際、大概営業しているからまだまだ現役でいてくれると思われますので、いつか小遣い貯めてやって来ることにしようかな。さて、お向かいの「永新」が番組で取り上げられていました。いや、実際は放映前に訪れたのでした。小ぢんまりとしたカウンター席だけのお店です。寂れた商店街にとてもしっくりくる印象です。お店は女性二人でやってますね。どうやら母娘らしいですね。娘さんはしっかり者な感じの母親に倣いながら肉の下処理をせっせとこなしています。席に着くとまずは酒を注文。といっても瓶ビールだけのようですね。できれば焼酎位は置いてくれないとそうは呑んでられないようです。その方が都合がいいということか。お通しに中華風のお新香が添えられています。鶏スァンタイとかいうのと上海揚げそばを頼みます。調理する間にも出前の電話がひっきりなしに鳴っています。どうもこちらが放映されることを知った人たちがお祝いをかねて出前を頼んでいるようです。しばらくして来られた方は店を気遣ってご自身が取りに来てあげていました。それと引き換えということでもないのでしょうが、番組のステッカーを受け取っています。羨ましいようでいてもらっても持て余すことになりかねません。さて、鶏スァンタイは豚肉の代わりに鶏肉を使った回鍋肉風のもので回鍋肉好きのぼくは好みの味でした。量も立派です。焼きそばもあんかけがたっぷりでこれまたボリュームのある一品でした。他にも色々食べてみたい品がありますが、サービスが良すぎてそうは食べられそうもありません。かといってカウンター席だけだから大人数でシェアするわけにもいかぬから、ここは酒呑みというよりは食道楽の方向けのお店に思えました。
2021/12/20
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王子はとてもコンパクトにまとまっていていい町だと思っています。都電ものんびり走っていて、散歩コースにあると嬉しい飛鳥山もあるし、普段の買い物に不自由しない、しかも閑静なのに都心に近いといいことばかり、生活するには不自由がなさそうです。実際、ひと昔前、王子に優良物件があった際にはかなり本気で転居することを検討したこともあったのです。結局は予算というよりは引っ越しに擁する多くの手続きなどが煩わしくなって断念したのですが、今でも多少なりと未練があるのでした。そんな王子もいよいよ変貌の時を迎えつつあるようです。いや、柳小路が呑み屋街の風情を失い、飛鳥山の山裾にあったさくら新道が火災でほぼ全壊して以降、徐々に町の新陳代謝は加速しだしていたのかもしれません。あゝ、「山田屋」は当分休業となっているんだろうなあ。 でもまだ王子には「宝泉」があるじゃないか。こちらに初めてお邪魔した際にも「山田屋」はセットでした。早く店を閉めてしまう「山田屋」を出るとその足はほとんどいつも決まって「宝泉」に向かうことになるのでした。かつてのぼくは未知の酒場に行くことに躍起となっていたけれど、それでも王子でこの二軒をハシゴするのはほとんどお決まりになっていました。ご存じの方も多いでしょうか、コチラには2つのカウンター席があって、大概は厨房と繋がった側のコの字カウンター席に通されるから、島になったロの字の方には滅多に通してもらえませんでした。当然、コの字の方が店の方も応対が楽だから空いてる場合はまずそちらに回されるわけで、近頃はいつでも空いていたからやはりロの字に通される機会はなかなか訪れなかったのです。でもどうしたものか、この夜はそこそこのお客の入りがあって何年振りかに念願の席に着けたのでした。何はともあれこちらに来たらまずは生ホッピーを注文してしまうのです。ぼくにとっては、このバランス感覚を欠いてると思える位に濃い生ホッピーはマストのオーダーである訳ですが、他のお客さんは案外これを頼まないのはどうしてだろうか。肴は煮物がお決まりです。肉じゃがもいいけれどこの日は肉豆腐にしました。どの煮物も味付けがとにかく濃い目でありまして、濃い味付けの肴を焼酎が濃すぎる生ホッピーで流すというのがここでのお決まりの呑み方です。こういう呑み方をすると、そうなのです。ここでの二日酔い確率は実に高頻度となるのでありました。
2021/12/17
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何度出向いてもフラれる店っていうのがあります。どこか目当ての店に向かう通り掛かりの店であればどうということもないのだけれど、そこをお目当てにして何度でも足を剥ける店というのもあるわけで、そこが自分にとって不便な場所にあったりすると当初は行きたいという意欲があったはずなのに単なる意地を張るだけになったりもします。そうしてどうにかこうにか営業している夜があったとして、素直に喜ぶことなどできなくなってしまっていたりすることがあります。恐らくこの段階に至ると喜びよりも憤りだったり、諦念に心は奪われてしまっているのであります。別に何度かトライしたけれどうんざりして諦めてしまっていたのに、今度は別の店目当てにその町を訪れたとする。そういえばここらに以前何度かフラれた店があったなあ、せっかくだから回り道してみるかと投げやりというよりはもうどうでもいいという程度の意識でもって訪れてみるとまんまと営業していることも稀にはあったりするのです。この夜もそんないい加減な気持ちで通り過ぎようとしたら、あらあや思いがけずやってるじゃないかという事態となったのでした。 梶原の商店街を北上してすぐに「中華料理 生駒軒」はあります。こちらには何度かトライしてみたけれど,どうしても入れなかったのです。どうしても入りたいという意思が足りなかったのは確かです。というのは改めて調べると店の閉まる時間が早いこともあり、到着する時点で閉店となっていたのです。分かってみれば何のこともない、単なる自分自身のミスだったのですね。でも夜の7時ってちょっと閉めるの早くないって思わぬでもないけれど、そうするにはそうするだけの必然性があるのでしょう。実際まだ7時にもならぬのにこのお店のある商店街は人通りもほとんどないのでした。いやまあそれは昼日中に通ってもそうなのだから果たしてこの店はちゃんとお客さんが入っているのか気になってしまうのです。まあ店が続いているからにはきっとそれなりにはお客さんもいるのだとは思います。でもカウンター席はともかくとして、店の奥の10人程度入れそうな広めのテーブル席が埋まることは余り想像ができません。ともあれやっているからには当然入ることにします。他店に呑みに行こうとして思わぬ機会が到来したものです。店をやられているのはご夫婦でしょうか。まだいいかお尋ねするとどうぞとのことなのでいそいそと席に着きます。あまり悠長にしてられないからビールを頼むのとほぼ同時に餃子と麻婆豆腐を注文しました。こうして瓶ビールを呑むのも久し振りのことのように思えますが、そうでもなかったかな。麻婆豆腐は四川風というか陳さんとこの本格的なものとはちょっと違っていて、こういう店のオリジナルな味わいというのもしみじみと捨てがたいと思えるようになってきました。家では近頃はめっきり陳麻婆豆腐の素を愛用していて、これさえあれば外で麻婆豆腐を食べなくてもいいなんて思っていたけれど、やはり店ごとに個性がある料理でもあるからやはり食べ比べしたくなるのです。ここのは野菜炒めのように大きな具材がゴロゴロ入っているタイプでした。一方で、そんなに中身の具材などに違いがないはずの餃子ですがちょっとした野菜の切り方だったりで随分印象が違って感じられます。細かすぎても大雑把すぎてもいかぬのだ。ちょうどよい按配というのがあるようだけれど、なかなかこれぞというのに出会えぬけれどこちらのは当たり。なんてことはない店ではあるけれど、近所からなくなると困るぞお。近隣の方はちゃんと可愛がって上げないと自分たちが存することになるかもよ。
2021/12/13
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ぼくに限ったことではないだろうけれど、十条の名酒場に深い愛着を抱いている酒場好きは少なくないはずです。十条駅前は今まさに町の景観が大きく変化を遂げようとしています。駅前はぐるりと養生シートで覆われていて、今となってはここにこれまで何があったのか思い出せなくなってしまいました。でも、現時点では幸いというべきか駅前広場の北側は従前どおりの光景を留めております。ここからすぐの場所に夜目指すべき酒場があります。駅から至近なのもこの酒場の魅力でありますし、でもそのせいで終電ギリギリまで呑み過ごしてしまったことが思い起こされるのでした。初めて訪れてからもう幾年月が経過したことか。良い時も悪い時もいつだって変わらずにぼくを向かい入れてくれました。いや、ぼくだけでなくあらゆる老若男女がここで変わらぬ時間を過ごしてきました。そんなこの先もずっと変わらぬ姿を留めてくれると思っていた酒場も変化に見舞われたのです。女将の代替わりもそうだけれど、それ以上にかつてはいつだって盛況だったこの酒場から客がぱったりと姿を消したのです。それは何度か発出された緊急事態宣言の狭間だっただろうかそれとも最中のことだったか、記憶がはっきりし泣けれどいずでにせよ時短営業が出ていた時期にお邪魔した時のことでした。久し振りの訪問に気分は浮き立っていたけれど、いつもの賑やかさが微塵もなどころか客そのものが片手で余る程度だったのです。これはいかにもよろしくない状況です。「齋藤酒場」は、このままで大丈夫なんだろうか。ということで現時点でのこの酒場の状況を見に行っておかねばならぬ。もしかすると空いてるどころか店そのものがやっていないということも想定しておいた方がよいのです。でもまあ近いからドキドキする間もなく現場に到着します。まあ何のことはない、普段と変わらず営業していますね。何にせよ良かったなあ。当たり前にやっていると思っていた酒場が以前通りに営業しているというのが実はとても有難いことなのだということは頭では分かっているのです。でもこのひと月ばかりで当たり前というのが甘い希望でしかないことも身に染みて感じることになりました。ここのように風流といってもおかしくないようなライトな民芸調色を帯びた店内にアクリル板がズラリと並ぶ様子は奇態なことでありますが、これに慣れることは実は案外簡単であることを学びました。しかしそれはともかくとして何ということか、嬉しいことにお客さんでほとんどの席が埋まっているじゃないですか。先般の王子の老舗酒場に関しては、改装が伴っての盛況だったんだと側面がありそうですが、こちらはそんな噂は聞かぬけれどそれでもたくさんのお客さんが詰めかけるとはさすがであります。余りに嬉しくて杯を重ね過ぎてしまいました。ところで、この1カ月余りで馴染みのある老舗酒場を訪ね歩いてついぞ出会えなかったにこごりにようやく遭遇しました。これって家で食べても絶対美味しくないやつです。でも酒場でチビチビ摘まむと最高の酒のアテとなるのだから不思議です。これからもにこごりが食べられるといいなあ。
2021/12/03
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