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埼玉高速鉄道に乗って呑みに行く。ずっと機会をうかがっていながらなかなかあ実現できずにいました。若い頃には、とある用事があって何度か乗車していたけれど当時はまだ呑み歩きの趣味はなく、ただただ用事を済ませるのみに腐心して、付近を散策するような余裕はなかったのです。ところで鳩ケ谷といえばすぐに思い出すのは小谷三志のことです。散歩好きの人なら一度は試みたであろう富士講巡りの話をすればこの名に思い当たる人もおられるかもしれませんが、中里介山の未完の大長編小説『大菩薩峠』 の「恐山の巻」で「鳩ヶ谷の三志様という人は、武州足立郡鳩ヶ谷の生れの人であって、不二講という教に入って、富士山に上り、さまざまの難行苦行をした」とあります。この小ネタがこの後のお話にどう繋がっていくか、期待をしてはいけないのだ。たまたま知っていたからその知識を補強して物識りぶってみただけのことなのです。それはさておき実は明日も乗り換えなしに埼玉高速鉄道に乗り入れ可能な場所に出張なのでありますが、きっと行かないんだろうなあ(改めてメモを調べるとこれを書いた翌日は休業日でありました)。 さて、すでに2軒巡ってそれなりにいい気分になっていますが、せっかく高い電車賃を払って来たんだからと欲張ってもう一軒だけ寄り道していくことにしました。せっかくだし駅の反対側に行ってみようと思い立ちました。駅の北側を経由していったんですが、ほんのわずかながらアーケードも残っていて、かつてはそこそこ酒場が立ち並んでいたんじゃないかって雰囲気を留めているのですが、留めているのがあくまで雰囲気だけだから仕方がない。しばらくなるべく駅から遠ざからぬように散策を続けるのですが、なかなかここぞという酒場に行き当たることはなかったのです。案外車通りも多くそうした道路を歩いている限りは大型の店舗があるばかりでつまらぬから、そうした表通りの裏手に回り込むのですが、やはりほとんどは住宅なのです。諦めかけたところで「炭火串焼 髙」という酒場に行き当たりました。周辺にも閉まってはいるけれど酒場の痕跡が数軒軒を連ねていたからこの界隈もかつては酒場が立ち並んでいたのでしょうか。そうした疑問は吞み込んで店内へ。長屋の築年数はかなりのものに見受けられますが、こちらは改装済みのいかにも若い人の酒場ってムードです。女性客が若い主人を相手にお一人で呑まれています。随分とくだけたやり取りをしているので、かなり頻繁に出入りしているようです。そのうちに一人また一人とお客さんがやってきます。近くにボーリング場があるようで、ご主人もそこに通っているようでボーリング繋がりの客が多そうです。それこそボーリング帰りのお客さんが、一杯だけ呑んで帰ると宣言しながら店に入ってきたりして。酒場には一見客には徹底して冷ややかな店とあっさりと輪に加えてくれる店があって、こちらは後者でした。すぐに会話に引き入れてくれるのですね。それがなければ、ちょいと値段が高めの設定だから一軒でで軽く呑つもりだったんだけどなあ。記憶違い鴨でなければ、こちらの店舗、昔は駄菓子屋だったということで、店主も子供の頃はよく寄り道をしておられたみたい。近くには他に酒場もないからつい立ち寄ってしまいたくなる客も少なくないんでしょうね。
2024/11/03
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今回、標題に川口元郷を冠しました。明確なルールなどありはしないのですが、一応、標題には最寄り駅を地名代わりに冠することにしています。現実問題として最寄り駅などないような路線バスやタクシー利用も視野に入れるべき場所であってもそうしてきました。そこに大した意図はないのですが、バスは時刻表や経路などのリサーチが面倒だし、タクシーはそもそも使いたくないと思っているからなのです。ちなみに今回お邪魔した酒場の場所はYAHOO!地図によると以下のような距離感にあります。舎人公園駅(日暮里・舎人ライナー)-24分舎人駅(日暮里・舎人ライナー)-27分川口元郷駅(埼玉高速鉄道)-28分 距離的には舎人公園とすべきところなんですが、今回のお店が埼玉県川口市にあるので、距離よりも所在地の都道府県を優先してみました。これも恣意的な判断に過ぎません。ちなみにこの辺の県境ってどこなのかしらと県境入りの地図を探してみたんですが、白地図が見つかるばかりでした(ちゃんと探せばあるかもしれません)。なので愚直にGoogle Mapの適当な箇所をクリックして地名を表示させるという方法を取ることにしました。この界隈は新芝川なる荒川の支流で分断されているので、これが都と県の境目ではないかと当たりを付けます。ところが川の東側も埼玉県川口市のようです。もう一つの分断線である首都高速川口線はどうだ。これまた線の東西に都県が入り混じっています。川口っていう土地はどうも境目問題が複雑なようです。 さて、話を酒場話に切り替えるとして、川口駅発の国際興行バスに揺られてこの夜のお目当ての店を通り過ぎたのは16時頃だっただろうか。17時の開店時間にはまだそれなりの時間があったので、先般報告した店で時間調整した後に「しらかわ」を訪れました。ここの存在は随分以前に知っていたのですが、生来の怠惰により行かぬままとなっていました。近隣に住んでいる知人に教えて―実際には偵察の役目を押し付けた―、絶賛していたのにも関わらずなのだ。今行こうと思ったのは単に不意に思い出したからに過ぎないのです。といった訳で17:05-あまりに開店すぐだと悪目立ちしそうだから-になってから訪れることにしたのです。さすがにこの立地で行列ができてるなんてことはないだろうし。ところがこの考えの甘さにすぐに気付かされることになるのです。なんと戸を開けると辛うじて空席が2席程度という状況だったのです。なんと! どうやらとっくに開店していたようです。にしても16:00から17:00の間であることは間違いないし、すでにお代わりしている客もいるから16:30過ぎには開店していたんじゃないか。にしてもこの混み方はただ事ではありません。駅前立地の人気店もなかなかここまでの混雑は見られないんじゃないか。とにかく我々(A氏と一緒)が入ってほぼカウンターのみの店内は目一杯になりました。こんなに盛況している酒場に対してすら発見を語る人がいるようなのですが、そういう人たちは「コロンブスが新大陸発見」という西洋中心の視線を共有していると理解するべきです。せめてカッコ付の「発見」とする程度の配慮は必要ではないか。なんてことをその時には少しも思ってはいないのだ。とにかくこの酒場のあらゆる面からのすばらしさを堪能するのでありました。最大限の賛辞を贈ることに一切の躊躇はないけれど、唯一難点を挙げるとすれば、すでに満席となった店内にすら次々と常連たちが一人また一人と増殖し、モロそうな店舗がはち切れんばかりになっても受け入れを拒否しないのはいかにも頑張り過ぎに思えるのだ。ぼくらのような一見客にはそんな行為は無理に決まっているから、席が埋まったらさすがに新たな入店は断ってもらいたいなあなんて思うのだ。思うけれど、なかなか訪れることは難しいので常連さんたちが納得ならこの難癖はなかったことにした方が良さそうです。
2024/10/14
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何度でもいうけれどぼくは陸の孤島という言い回しが嫌いです。相も変わらず好き嫌いばかり述べていても仕方がないので、ウィキペディアにて調べてみることにしました。すると以下の結果が表示されました。--ウィキペディアには「陸の孤島」という見出しの百科事典記事はありません(タイトルに「陸の孤島」を含むページの一覧/「陸の孤島」で始まるページの一覧)。代わりにウィクショナリーのページ「陸の孤島」が役に立つかもしれません。 陸の孤島とは、本土とは陸続きではあるが、その土地へ至る道などがごく限られており、多くの場合は一本道しかないような辺鄙な場所のことを指す。-- ちなみにウィクショナリーでは以下の記載となっています。--成句近隣の主要地域と陸続きでありながら、交通が断絶されているために到達や脱出が困難である場所を、海で隔絶された孤島になぞらえていう表現。用法この成句は、交通網が整備されておらず恒常的に到達や脱出が困難である場所に対しても、災害等で到達や脱出するための交通網が使えない場所にも用いられる。-- 今回は、埼玉県川口市の東領家、弥平、領家、栄町の4軒をハシゴした訳でありますが、地図をご覧いただくまでもなく、「至る道などがごく限られて」などいないし、当然「一本道しかない」なんてことはありません。また、「交通が断絶されているために到達や脱出が困難である場所」などでもないし、「交通網が整備されておらず恒常的に到達や脱出が困難である場所」なんかじゃない。「災害等で到達や脱出するための交通網が使えない場所」でありもしない。何も辞書的な記述に囚われ過ぎる必要はないと思うけれど、自身の行動力などを誇示するために大袈裟な表現に頼るのはいかがなものかと思うのです。一部のそうした自己顕示欲の強い(?)人たちが軽々しくも「陸の孤島」などと呼ぶ土地に実際に少なからぬ人が住んでいることを近隣の方たちは気分良く思うのだろうか。そうした言葉は実際にそこで暮らす人々が自虐的に語るべきものであって、余所者がいけしゃあしゃあと口にしていい言葉とは思えないのです。まあ、この言い回しを好んで使う人は、特段の悪意を抱いているわけじゃないだろうし、嘲笑したいってことでもないのだと思うのです。単に耳馴染みの良さそうな言葉を短絡に発しているだけなんだろと信じたい。ところで、一応弁明しておくと、ぼくは今回取り上げた川口元郷駅からもそれなりに距離のある場所を短絡者たちが「陸の孤島」と呼ぶような地域と見做している訳ではないということです。あくまでもとあるwebサイトの文章にここを「陸の孤島」と呼んでいたからそれを改めてもらいと試みた次第なのです。 満州餃子なる記載もある「竜華園」は、昼夜通し営業の時間調整には実に重宝するお店であります。実はこの近くには埼玉のローカルフードチェーンである「山田うどん」もあるので、久しく訪れていないからそちらにお邪魔することも念頭に置いていたのでありますが、やはりチェーンよりは個人点だろうということでこちらにお邪魔した次第です。時間は夕暮れ前。当たり前ではあるけれど、昼食には遅く、夕食には早過ぎるというなんとも微妙な時間帯で訪れる客は、働き物か怠け者かのいずれかということになります。前者は昼飯を取る間も惜しんで営業して、夜は遅くなるまで残務処理するなんていうイメージであり、後者は言うまでもなく本格的な呑み屋が開店するまでの時間調整というのがまずもって想像されるところであります。我々(そうそうA氏が一緒)が後者であることは断るまでもないというものです。店内には先客が1名、こちらは前者に該当する方のようで、ラーメンとチャーハンのセットメニューを召し上がっておられる。こちらはそこそこいいお値段でありまして、夕食となればまあそんなものかって割り切れそうですが、昼食と思うといささか贅沢な気もするのです。ビールと餃子に麻婆豆腐という凡庸なオーダーにすんなりと決まりました。餃子は満州風っていうけどごくオーソドックスなものです。麻婆豆腐は赤いトロトロが多めでひき肉控え目のスタイル。正直、ぼくの方が多くの方の支持を得られそうな麻婆豆腐を作れる自負があるけれど、この今時のものとは全く別種な味わいもたまには悪くないものです。客席に腰を下ろしたりと休みがちな主人ですが、やがてその主人とそっくりな人が姿を見せました。ハテナ、彼らは双子なんだろうか。ともあれ飲食店で呑む時間というのは庶民としては実に贅沢なひと時と思えてたまにはいいなあと感じるのでした。
2024/09/29
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逆転の発想ってほどのものではありませんが、近頃は酒場密集地帯に呑みに行く際は行ったことのない酒場メモではなく、すでに訪問済みのメモなんかを用意したりします。そうすれば少なくともここは避けた方がいいだろうというお店に再訪するヘマは減らすことができます。スマホを持ち歩いているならスマホにメモしておけば良さそうなものですが、さすがに容量が大きいせいもあって、検索に時間を要する、というか開くだけでもフリーズしてしまうのでありました。もう少し高性能のスマホやタブレットならスイスイと快適に動いてくれるんだろうか。とまあ、呑み始めはともかくとして酔いが回ってくるとそんな事前調査などどこ吹く風といった調子で気の向くままに目に付いた酒場に飛び込んでしまう訳で、例えば一見すると見栄えの良い(ぼくの場合は圧倒的に渋いタイプの酒場)を見掛けてしまうと、事前のチェックで実は店内は外観を裏切るものであると知っていたはずなのに、ふらふらと吸い寄せられてしまうなんてことも少なくないのです。まあ、写真などというものは実際に目にするものとは全く別物になって記録される類の装置なのだから、実物に直接触れることは悪いことではないものではあるのです。だったら吸い寄せられても構わないってことになってしまうのだけれど、そうした浮気心で本来、どしても立ち寄っておきたかった酒場にあと一歩のところで手が届かないなんて失態は数知れずなのです。やはりここぞと決めた酒場には何はさておいても訪れておくべきなようです。特に公共交通機関で訪れるには大いに難儀な場所であれば、多少、胃腸が重かったり、帰宅時間が気に掛かったとしてもそんな些細なことは振り切る気力が求められるのです。 さて、公共交通機関の駅であっても南鳩ヶ谷駅は運賃高額で悪名高き埼玉高速鉄道の駅であるからして全くの無知のままに訪れるのは非常にリスキーなのだ。まず埼玉スタジアム線の起点である赤羽岩淵駅まで訪れるにもそれなりの時間と費用を要するのであって、4.3km先の南鳩ヶ谷駅まで270円をかけても損ではないと思えるだけの用意を整えておくべきなのです。実は先般書いたもつ焼き屋で金額分の満足はすでに得ているからさらにケチ臭いことを述べるのはみっともないことであるのですが、人の欲というのはとめどもないものなのです。もつ焼きの前の道を真っ直ぐ行くと何やら未知の喫茶店を目にするのです。「メリーエンジェル」というらしいが不覚にも全く無知であります。久々に喫茶店愛が呼び覚まされそうであったけれど残念ながら営業時間外のようです。さらに東へと向かうとやがて「中華料理 シンシン」なる普段使っているテキストエディタでは表示できない漢字の店が見えてきました。こうした難必難読漢字を用いることに果たして店の方は何を求めるのだろうか。縁起がいい文字としてももっと分かり易い方がいいのではないか。と夕暮れ時を迎えつつもまだまだ陽が高くギラギラと陽光の射す中を汗を拭き拭き到着します。店内に入ると視界は真っ暗となりました。屋外の光線の強さに目がやられたのかとしばし動揺してしまいましたが、先の酒場ではこんなことはなかったとしばし目を凝らしていたら徐々に店内が見えてきました。単に思いっきり暗い店だっただけでした。でも今だからこそ非常に暗く思えたけれど、夜が更けていたらそんなでもなかったのかしら。その暗い印象は結構広いのにお客さんが父子2人だけだったことにも起因するかもしれません。中国の方らしき夫婦とその息子さんでやってるんですが、息子さんがテーブルでノートを広げて勉強しているのを母が折りを見てあげているという光景がなぜか無性に寂しく思えたのです。かくいうぼくはそんな様子をエビフライと餃子を摘まみながらサワーを呑んで眺めているのだから、どちらが寂しいかは論を待たぬのでした。果たして駅まで徒歩20分近くかけて戻らねばならぬこの場所まで訪れる価値が果たしてあったのか、今でも疑問に思うけれど、きっと来ていなかった悩む以前のモヤモヤに悩まされたことだろうと思うのです。
2024/09/23
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埼玉高速鉄道線は全長14.6 km、わずか8駅だけの小規模な鉄道路線です。そこまでの鉄道オタクでもないのに走行距離を覚えているはずもなく、今さっきネットでお手軽に調べた情報を並べてみせているだけなのです。ともあれあえてこの路線を紹介するような書き出しとしたのには、相応の理由がある訳ですが、けして初めてこの路線を使ったといったことではなかったりするのです。いやまあほぼそれに近しいのですが、実は初めてこの鉄道で沿線の酒場に呑みに行ったのです。沿線の2駅の近隣で呑んだことはあります。赤羽岩淵駅と川口元郷駅の周辺です。って実際には前者は赤羽駅、後者はやや距離はあるけれど川口駅の利用して訪れているのです。しかし、開業が2001年とのことですが、ちょうどその頃に所用でこの路線を使って鳩ヶ谷駅に行ったことがあります。しかし、記憶にある限りにおいて、この路線で同車したのはこの1度きりだと記憶します。酒場巡りを始めてから何度もこの路線への進出を目論んではいたのですが、果たせぬままとなっていたのです。どうもこの路線の高額な運賃が足枷となってしまっていたようです。一方で、アクセスもイマイチなんじゃないかという思い込みもありましたが、こちらは勘違い、ぼくの住処からは案外利便な場所でもあるのです。足枷が一つ外れただけで急激に訪れたい気分が高まるのですが、運賃は確かに安くないけれど、近場に未知の町があって容易に行けるのならば行かぬ手はないと思い出したのです。我ながら単純にできているなあ。 さて、先の2駅はあえて電車に乗るまでもない、せっかくなら降りたことのある鳩ヶ谷駅は避けてまずは南鳩ヶ谷駅に向かうことを決めました。何となく町並みのイメージを確認するためにGoogle Mapを眺めていたらぼく好みのやきとん店に辿り着いたのです。これはもう南鳩ヶ谷駅に行くしかないでしょ。ってそのお店、駅から10数分の距離があって、灼熱の夏の日差しの下を向かうのは非常に気分が萎えるのです。でも怠けている暇はありません。高速鉄道は近頃黒字に転じたらしく、素人考えでは沿線住民が増加したのがその理由ではないかと思ったのだ。こうした公共交通僻地だった土地には地元住民以外は訪れることのない土着の酒場があるはずです。一定数以上の人が住む土地に酒場が存在しないなんてことはないのだ。しかし、その地域が便利になると好んで地元で呑む必要もなくなるのだ。客が減れば当然店を続けるのも困難になるというのが道理でありまして、それでも続ける人がいるとすれば、再三覚悟の趣味と割り切るか、営業時間を短縮するなりで合理化を図るというパターンが多いようです。南鳩ヶ谷の「やきとんの名店」と評される店は後者でした。と決めつけてしまったけれど、酒場の仕事というのが営業時間のみの客の目に触れる仕事だけで成り立っていないことなど百も承知なのです。さて、気になったのは外観に負っています。サッシ戸に紺暖簾というぼくが最も好みにする外観です。一軒家の感じからするとこちらは住居も兼ねているのだろうか。カウンター8卓、2人掛け1卓(ここは持ち帰り客の待機場所として使われているようです)、奥には意外にもそこそこ広い座敷席もあります。400円の酎ハイは樽ハイ倶楽部でありました。早速焼き物を注文します。やきとん以外にも煮込み、もつ刺などを始め定番の枝豆なんかも用意されていますが、周囲の方たちの器を見るとかなりのボリュームでぼくには厳しそうであります。数人で分け合えればいいのですが、ここでグループで呑むのは難しそうです。脇目を振らずにやきとんを食べる事にしました。トロットロのホルモンがちょっと珍しいだけでなくかなりの美味しさでした。さすがにアド街で紹介されるだけある。って実はそのことこの後に訪れた酒場で伺ったのですが、さて翻ってみても2020年4月18日の川口のベストには登場しない。さらに調べを進めてようやく見つけました。2012年5月26日の鳩ヶ谷篇に登場したようです。もう随分以前の事じゃないの。ところで放映当時営業時間は17~21時だったみたいですが、今では17~20時の営業となっていました。店名は「やまとや」です。駅からはちょっと歩きますが、やきとん好きなら一度は行っておきたいお店です。なんて迷惑な言葉を残すのでした。
2024/08/12
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満腹過ぎてもうしばらくは酒は呑めても肴は食えないという状態に陥ってしまいました。再びしばらく歩いてみたり、ショッピングビル上階の休憩所で腰を下ろして休んでみたりを繰り返しますが、寄るまで時間を調整するのもキツいなあなんてことを思ったのです。でもS氏がホルモン焼きなら食べられそうだと呟きました。実はぼくも同じことを思っていたのです。肉料理って普段なら最もボリュームがある食べ物と感じて、それこそ満腹状態で食べたいなどと思えるはずがないって思いがちですが、実は満腹の場合には下手な日本食よりずっと食べられたりもする気がするのです。どうしてなんだろうなあ。ここで筆を置いて(って実際にはキーボードを叩く手を止めただけなんですが)、しばらく思案しててみたのだけれど、これぞという理由が思い当たらないのです。まさに不可解としか言いようのない生理現象なのですが、実際、肉以外の食べ物、例えばその際には洋菓子等の甘いお菓子やアイスクリームなどの氷菓子すら喉を通りそうもなかったのだから。甘い物は別腹とか言われますが、ぼくらには肉こそ別腹なのです。でもこれは実際に現物を口に入れる前の想像でしかなく、実物を目の前にして果たしてそれを口にすることは可能なのだろうか。などと不安を感じつつも熊谷のホルモン焼の有名店に向かうことにするのでした。 向かったのは、「ホルモン焼 水よし 支店」です。開店時間に行ったら、肉の仕入れの関係で開店を遅らす旨の貼り紙があったので、しばし腹ごなしのために周辺を散策し、再び戻ってみると10数人の列ができていました。うっかり見逃していましたが、記名して予約しておくシステムになっていたようです。うっかりしたなあ。以前、前を通った際にはそんなに混んでいなかったので気を抜いたのが良くなかった。この様子だと入れるかどうか微妙なところだなあ。それにしてもここまで行列ができるなんて、以前お邪魔した本店は空いてる感じだったのに。本店よりも支店が評判がいいんだろうか。やがて暖簾が下がり順番に店内に誘導されるのですが、辛うじて残り5席で入ることができました。続いての2名が入ってしまうと、その後の客はしばらくお待ちいただくと告げられていました。危ないところだったなあ。コの字にぐるりと並び酒の注文を終えてチビチビやりだすと今度は肉などの注文を取られます。肉なら食えそうだといっても頼み過ぎは禁物です。呑んで、向かいの客たちがホルモンを焼き出すとじわりと食欲が湧いてきました。我々の前にもやがてホルモンを盛った皿が運ばれてきました。わっせと網にのせて、焼き始めます。眺めていても旨そうに食ってはいても肉を焼くのを楽しんでいる人は少ないみたい。ぼくも実は焼肉なんかで肉を焼くのが面倒な性質です。すると店のオヤジさんが解体中の豚の臓物を掲げてシャッターチャンスをおすすめされます。こういうパフォーマンスをしてくれるのは楽しいですねエ。こういうサービスってとてもいいと思うなあ。勘定も懐に優しくて、なるほど人気店になるのはもっともでした。
2024/03/04
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吹上って地名、ぼくにはとてもカッコよく思えるのですが、何でなんだろう。平仮名にすると「ふきあげ」かあ。平仮名にするとちっともカッコよくないなあ。カタカナだと「フキアゲ」だけどこれもちっともですねえ。地名の由来https://folklore2017.com/timei900/676.htmによると、いくつか出典がありますが、大体「「風が砂を吹き上げる所」という。または、「はき(崖・崩壊地)」+「あげ(上)」の転で、「崩れやすい自然堤防の上」という意味」の2種に基づくようです。前者はまあイメージとしては上り調子で悪い意味合いではないけれど、カッコいいというものではないかな。後者はどう解釈しようとネガティブなイメージしかありません。と、今、便所に行って突然思い付いたのですが、吹上の上の字を「じょう」と読むと「フキジョウ」、「フ」を濁音にして「ブ」とし頭に「ヤ」を加えると、そうなのでした、「ヤブキジョウ=矢吹丈」になるではないか。ちょっと無理がありそうですが、そう思い付いてしまうとそれしかないって思えてくるのです。ということで、今回は吹上の先般の呑み屋のお隣、本来の目当ての酒場へとお邪魔するのでした。 入ったのは、「一の滝」です。外観写真は撮り損ねたので、通りの写真のみでご勘弁を。奥の方のお店がそうです。先のお店と比較するのもどうかと思うのですが、明らかに居酒屋らしい構えのいい感じのお店です。店内は狭いんだろうなあと予期してはいましたが、思った以上に狭く感じられます。通常であれば真っ直ぐのカウンターを設けそうなところをあえてコの字のカウンターがあしらわれているからなんでしょうね。でもこれがいいのですね。店の中に屋台があるような密着感が心地よく思えるのです。実際に密着する位に混みあっているとそうも言ってられませんけど。酒も肴もひと通り揃っていて足繫く通っても飽きることはなさそうです。旦那さんが寡黙ながらも手際よくキビキビと調理され、奥さんがおっとりのんびりと酒の用意をしてくれます。こういう正反対のように思える人たちの方がきっと長持ちするんだろうなあ、なんてことを思ったりしました。年明けということでエビの天ぷらなんかも振舞われたりしてなかなか気が利いています。こちらは元旦のみ休んだだけで2日から営業されているようです。帰り際にはお年賀としてタオルを頂きました。ごく稀ですがこういうサービスをしていただける店ありますが、こういうのってモノがどうとかいうよりその心配りが嬉しいものなんですよね。先の居酒屋は一見には冷淡でしたが、こちらは常連も一見も分け隔てなく応対して頂けます。どっちがいいか、答えは分かれるかもしれませんが、ぼくの答えは決まっているのでした。
2024/02/11
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フライを1.5枚食べただけで早くもフライに満足してしまいました。美味しいんだけど思った以上に腹に溜まるようです。夜まで粘って呑みに行くつもりなので、しばらく散歩でもして時間を調整しようってことにしたのです。でも前回来た時のように熱くはなく、むしろ散歩日和といった転校でしたが、町が意外と退屈で歩いていることに飽きてしまいます。これまでは余り知らないような町の知らない町だといつまででも楽しく歩いていられたんですけどねエ。熊谷にそこまでの魅力がないのか、自身の感受性が鈍ったのか、それとも両方なのか定かではないけれど、とにかく歩いているのがかったるくなってきたので、スマホで調べて近くに大衆食堂があるらしいから行ってみることにしました。どうやらドライブイン風のお店で酒もあるみたいだからそこでゆったりと過ごせばいいだろうという考えです。トラック野郎なら店でゴロリと横になったりもしてるから昼寝でもさせてもらえるといいのだけど、さすがにそれは無理なんだろうなあ。町中での昼寝は難しい(カラオケぼっくとかマンガ喫茶ってことになるのか)、地方都市なら気候がよければそこらの公園で横になることもできたんでしょうが、さすがに天候が良くても屋外で横たわるのは人目が憚られる以前に寒すぎます。 ということでやって来たのは、「大衆食堂 百万石」。いかにもドライブインといった雰囲気で好きなタイプの店ですが、車が結構停まっています。ドライバーやガテン系の人たちには知られたお店なんでしょうね。それなりに広いお店ですが、お客さんで埋まっていてさすがに昼寝を頼むのは難しそう。座敷にまではお客さんが入ってはいませんが、仮に許されたとしても雑踏ばかりでなく日差しがまともに射し込んできて眩し過ぎて練るのは難しそうです。S氏と相談してビールはすぐに決まったものの、肴が決まらない。腹は溜まっているのでめしは不要でありますが、単品で頼むのは効率がいかにも悪いから定食をひとつ頼んで、もう一品を単品にすることにしました。定食はアジフライともつ煮の組合せでした。普段あまり食べる事のないもつ煮を選んだのは駐車場の自販機コーナーを覆うテント看板に「世界一のもつ煮」とあったからこれは頼まないわけにはいかないと考えたのです。世界一かどうかは分からないけれど、臭みのほとんどない丁寧に処理されたオーソドックスな味に、どこn店でもこの位ちゃんとしてるならもっと頻繁に頼むのになあと思うのです。アジフライもとても立派で満足度が高いです。他の客たちは正月明けなのに呑んでいるぼくらを見ても少しも気にしない様子で、ぼくが逆の立場だったら羨ましくて毒づいてしまったかもしれません。にしてもここは客の入りの良さに大いに納得させられるいいお店で、自宅の近所にあって欲しいと思いつつも、腹を空かせて来るべきだったと思ったのです。
2024/02/04
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吹上って何度か下車していて、このブログをご覧いただいているとあるお方から紹介いただいた酒場「若松屋」(オオバコで実に素晴らしかった、今回も立ち寄るつもりだったのですが、外見から余りの客の少なさに気持ちが萎えて素通りしてしまいました)にも以前お邪魔しています。で訪れるのはいつも夜間なので、民家の目立つ町並みはかなり暗いのです。高い建物はないけれど、とにかく建物はけっこうびっしりと立ち並んでいて、しかし照明が灯されている気配がないものだからとにかく駅前といえど暗闇に包まれた町という印象があるのです。でも勘違いかもしれないのですが、ヤバそうな奴が徘徊していたり、睨みを利かせていたりといった危険性が希薄で、暗いけれど安心して散策できるような気がするんですね。本当はそうウロウロせずにさっさと目指すべき酒場に向かうつもりだったのですが、結局は真っ直ぐに向かわなかったのです。というのが、今改めて地図を眺めてもそう迷路状に道が張り巡らされているわけじゃないのに、どうしたものかすんなりと目的地に辿り着けないのです。そういえば「若松屋」に伺った際もしばし迷ったことを思い出しました。今回の事、改めて思い返してもどうして「アリス絵画教室・画廊喫茶」なんて全く見当外れの場所に行き着いたのかその理由がよく分からないのです。でもこれだけの狭いエリアで安全に迷えるのなら大歓迎なのです。それというのも夜にしか歩いたことがないからなのかもしれません。日中迷うことなく町を散策してみたい気もしますが、そうすることでこの町への愛着が失せてしまうのは残念にも思えるのです。 目指す店を目前にして急に浮気の虫が蠢いたのでした。表通りから一歩入り込んだ呑み屋横丁(というほどの規模ではないけれど)の目当ての酒場の手前に「あなたの居酒屋」というちょっとおふざけた店名の居酒屋がありました。ネーミングそのもののセンスもハテナマークですが、看板のフォント遣いもなんというか困惑してしまうような微妙なセンスに思えるのです。そんなに懸念するならスルーすべきところかもしれませんが、つい立ち寄ってしまう悪癖がここでもいかんなく発揮されたのです。入ってみると中は案外小奇麗で椅子なども真新しい感じです。しかもママさんが品定めするような不躾な視線を隠そうともしないからこの時点で後悔こそないけれどすでに興味は失せていました。それでも先客3名とママさん一人で相手するにはちょうどいい程度の客の入りです。キンピラなどのお通しで呑んでいると、お次のお客さんが登場。年明け初めての来店らしく、振舞い酒などがサービスされていますね。いやまあ常連さんだけの特権なのかもしれないけど、そういうのこっそりやってくれないかなあ。さらにしばらくすると鯖寿司だったか何かぼくは食べていないから忘れたけどちょっと気になる肴が振舞われたのです。何度も言うけど分かってるからせめて最低限の気付かい位してくれたっていいんじゃないのなんて思うのです。彼らは「あなた」かもしれないけど、ぼくはどうやら「あなた」としては認めてもらえなかったようです。
2024/01/31
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熊谷駅から東南東方向に中山道を進みます。JR高崎線も並走しています。大宮駅を出て宮原駅付近から高崎駅の手前の倉賀野駅を過ぎる辺りまでそれは変わらず、ここら辺で迷子になることはなさそうだなあと思っていたのですが、実際に歩いていると途中秩父鉄道秩父本線や北陸新幹線を跨いだり潜り抜けたりします。前者では単線を越えるにはやや大袈裟すぎるように思える佐谷田陸橋を渡る必要がありますが、新幹線は潜り抜ければいいので苦労はありませんが、全く面白味もなかったりします。目を楽しませてくれるという意味では前者が勝りますが、利便性の面では後者が圧倒的に勝っています。双方のメリットとデメリットを比較すると明らかに後者が歩行者にとっては有難い存在です。そんな地図の見掛け上の罠にまんまと騙されつつ辿り着いたのが次なるフライのお店です。食べログでは秩父本線のソシオ流通センター駅が最寄り駅となっていますが、ほぼ熊谷駅と同距離の20分程度の道程となり、まあ1枚目のフライを消化するにはちょうど良かろうと思える距離感でした。 やって来たのは、中山道と新幹線の交わる地点からすぐにある「フライ・焼きそば こやの」です。看板には大衆割烹の文字もありますが、今では専らフライと焼きそばをメインにした昼間の営業に特化しているようです。外観を眺めただけでもここはいい店だとつい確認を抱いてしまうのはどういった点なのかちょっと説明に窮するのですが、その予感は間違いありませんでした。店内の造作も非常に落ち着けるし、独りでやっている女将さんも穏やかそうでサービスもいい方でした。昼営業のみにしてはお客さんは1組のみなのはさすがに立地の関係もあるのでしょうか。駐車場でもあればもう少し入るのかなあ。瓶ビールを頼むと2人にはやや多過ぎる位のお新香がサービスされます。せっかくなのでフライと焼きそばを1個づつ注文します。そうそうこの日はS氏と一緒でしたが、2人だと違った品をシェアできるからいいですね。どこの国かは知りませんが、グループで訪れて1杯のラーメンなんかをシェアするといった人たちもいるみたいですが、呑みに来ても少なくとも一人一品は取るのがマナーだとぼくは思います。食い物屋だから一人一品に呑み物でちゃんとクリアしています。ちなみに呑み屋の場合は一人一品二杯をベースにしています、ぼくの場合は。さて味噌汁のサービスも受けられるようですが、汁物はここでは自体。もらったらきっちり食べ(飲み)切ってしまいます。塩分過多になりますから。さて、フライは一軒目とは見た目から全く違っていて、具材も海鮮系を中心に細かく刻んだのがあれこれ混ぜ混まれています。これはムッチリはなくて案外ぽそっとしていて腹には溜まりにくそうに思えます。それよりも焼きそばがかなり旨くて麺が太目でもっちりしていて、焼きそばはへろへろな麺派のぼくですが、これは良かったなあ。皆さん、ここでは焼きそばの方が定番らしく続いてこられた1人客2組ともに焼きそばの大盛を注文されていました。やっぱり埼玉の粉物は旨いなあ。と満足しつつもここでかつて夜も呑めたのだろうと思うと昼間に呑んでることを残念にも思うのでした。
2024/01/26
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粉物系の食品って思い出したように食べたくなることがあるもので、このブログにもごく稀にではあるけれど、お好み焼き屋やたこ焼き屋などが登場することがあります。粉物の食べ物ってどことなく貧乏臭いし、味付けだってチープな感じがあるけれど、それを肴に酒を吞むのがこの上なく幸せと感じたりすることがあるんですね。簡単な料理なんだから自分で作ればいいじゃんって意見もあろうかと思うのですが、なぜか自宅で食べてもさほど旨く思えないのです。フライパンで焼いて冷めたものを食べることが多いからってな気がしてホットプレートなんぞで試したことがありますが、それで事態が変わりはしなかったのです。店でだって焼きあがったのを皿に盛って出す店だってある訳で、それだって自分ちでホットプレートを使って食べるより随分美味しいと思えてしまうのだから不思議なものです。それはまあ居酒屋で出されるちょっとしたお通しなんかが、自宅じゃ手を伸ばしたくもならないようなものであってもそれなりに美味しく思えるのとほぼ同じ感情なのだと推測されるのです。さて、思い付いたはいいけれど、粉物を堪能するとなるとどこに行くべきか。都内近郊でもいくつかの候補地が想起されるのでありますが、体力が持ちさえするならできれば夜の酒場巡りも兼ねられる土地が良かろうと考えて、熊谷を選択しました。埼玉県北部地域ではご存じのように行田のゼリーフライを代表とするフライと呼ばれる粉物料理が知られています。行田市では、お好み焼きとクレープの中間として地元の名物として売り出そうとしていますが、どことなく餅のようなもっちりむっちりとした食感が特徴の粉物軽食であります。これまで何度か食べていますが、サイズもそう大きくないから食べ回りすることもできるかなってことで選定に至った次第なのです。 自宅から熊谷まではうまくすれば1時間程度で辿り着けるので気楽な休日の散歩コースにしてもいい場所ですが、運賃は往復でちょっと一杯呑める程度の金額となるので、そうそうふらふら行くのは躊躇われるのです。居酒屋で落とす金銭はあっさりと割り切るくせにこういうところのケチ臭さはいつまで経っても変わらないのだ。さて、感慨が湧くほどには久し振りって感じのしない熊谷駅に降り立って最初に向かったのは、「石井フライ店」であります。もうちょい雰囲気のある店と思っていたのが、案外そこらのカフェ風の内装だったので,一瞬鼻白んでしまったのですが、他にお客さんもおらず席に着くのでした。フライとハイボールを注文します。かなり濃い目になってしまったといって出されたハイボールはちょうどいい加減でありました。その後も濃いようなら炭酸足しましょうかっていうお申し出を丁重にお断りするのでした。さてしばらくして出てきたフライは見るからにむっちりとしていて旨そうです。サイズ感はまずまずありますが、厚みはさほどないので、これなら食べ回りの一軒目としては上出来だろうと早速かぶりつくのです。うんうん、ムニムニ、いやモニュモニュという土山しげる風の擬音が似合うような食感が楽しく、豚バラ肉をたっぷり入っています。粉物なんてソースの味じゃんって言う人もいますが、確かに小麦の旨味が感じられるような気がします。久し振りに食べたけどやっぱり美味しいなあ。さて、この後、何枚食べられるのだろうという勇ましい考えはこの後、そう遠からず打ち砕かれるのであります。
2024/01/22
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これといった確信を抱いて委はしないのだが、川口の住民には、この町を「ほぼ東京」といった言葉で取り繕って、自尊心を満足しようという人たちが一定数存在するようなのです。まあそう言いたくなる気持ちは分からなくもないし、たまにテレビのインタビューに答える人たちの表情や語り口には自嘲気味なニュアンスが読み取れる気もするのだ。彼らはそんなアンビバレントさを携えて生きていくことに不自由を感じないのだろうか。『翔んで埼玉』のような自虐に陥るのは精神衛生上好ましくはなさそうだし、そんな他所のことなど気にせずに達観して住むのを選びたいです。という意識を抱けるのは親が転勤族で方々を引っ越しさせられたから、どこに住んでもそこが定住の地とは感じられないからかもしれません。ところで、川口は60万の人口を擁する埼玉県の第2の町(というか市としては政令指定都市以外では船橋に次ぐ全国2位の町だそうです)でありますが、どうも町に売りとなる何物もないのが残念なところ。先般ぼくは埼玉県下の町が好きだと述べたばかりですが、正直川口には惹かれるところが少ないのです。近頃は辛うじて立ち寄るべき居酒屋がそれなりに存在することを再認識させられ、かつてのネガティブイメージは薄まりつつありますが、昼の川口を歩きたいとは思えないのが実情です。政令指定都市に至らぬ宙ぶらりんな感じが川口が政令指定都市を飛ばして「ほぼ東京」でありたいと願う要因となっているとすると寒々しい気持ちになります。もともと川口にあるダークな印象を林立するタワマン群で覆い隠そうしているかのようです。全国1位の船橋が堂々と垢抜けなさを貫いているのとはその点で異なっているように思えます。 でも垢抜けない酒場が駅側にも存在しました。川口を色眼鏡で見ていたのは他ならぬ自分だったのかもしれません。先般の「炭火焼鳥 華鳥」のお隣「よされ」は80ウン歳のご高齢の女将さんが一人でやっているお店です。後日ここを訪れた知人によると旦那さんもご健在で時折顔を覗かせるようです。女将さんは近頃めっきりお客さんが減って昨日も誰一人来なかったといった愚痴をこぼしつつ、だからお通しの用意もしてないのよとそれでも手早く調理してくれます。客はなくとも手際は衰えていないようです。飾り気のない店内は古びてはいるけれど、少しも汚くはなくとても快適です。静かな酒場っていうのは実にいいもので、繁盛する人気酒場もたまにはいいけれど、普段はこうした店の方が落ち着くものです。それでもしばらくするとお客さんがやって来て、「華鳥」覗いたらちょっと混んでいたので、先に顔を見に来たよと仰る。ぼくのような趣味的な酒場好きばかりでなく地元の本当の常連さんも両店をハシゴするのは定番となっているようです。焼鳥で腹を満たしてこちらでしっぽりとくつろぐってところでしょうか。と書いているとこの環境が堪らなく羨ましいものに思えてきます。酒も肴も充実しているわけじゃないけれど、使い分けできる店が並んでいるから何の問題もないのです。こちらではかなり濃い目の焼酎割りさえあればいいって思えるのです。でも、きっとこうした駅側で便利な場所にこうした酒場が並んでいるのはかなり奇跡のような事態であり、そしてここが現状のままであり続けるのももしかするとそう長いことではないんじゃなかろうか。それを思うと自らが川口に転居することはやはり躊躇ってしまうのです。
2023/10/30
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近頃、川口や西川口に思い出したように足を運んでいます。酒場好き垂涎とか古酒場を愛する者であれば必ず訪れるべき酒場なんていう名酒場がある訳でもないのですが、それでもそこそこに酒場で呑む気分を満足させてくれるに足るお店がちょこちょこあるので、行先に迷うとついつい電車を下車してしまうのです。てなことを書くと目当てとする店も決めずに気の向くままに酒場探索に臨もうとしているかのような誤解を招きかねないところですが、ありがたいことに今回は京浜東北線沿線の知人から事前情報を入手していたのです。というのが、これまでうっかり見逃していた酒場が実に味のある場末酒場で大いに気に入ったとのことなのです。その意見にはブレガあってイマイチ信用ならないけれど辛口発言の気味がある男の言うことなのでとりあえずは信じてみることにしました。そもそも気軽に訪れることのできる町で訪れてみたいと思えるような酒場がそんなには存在しなくなっているから、信じなくても訪れることにしたかもしれません。とにかくいくらそれなりに信頼に足る人物と思っているにしても、好き嫌いを決する最後の判断は当人以外にはあり得ぬものであります。つまり、信頼する人が必ずしも正しい解答をもたらしてくれるものではないということです。 とまあ思い付きを書き連ねましたが、川口で向かったのは、「みちのく」というお店です。ちょうど店からはほろ酔い加減もオヤジ衆が出てきました。出てくる客がいるということから、まずそれなりにはお客さんの来る店であるということ、そしてこれから入るだけの席数が確保できるということが分かります。そういう意味では初めてのお店の場合、概して先客が出てくるタイミングというのが最も安心できるタイミングといえましょう。ということを咄嗟に思ったかどうかは知れぬけれど、なんとなく気楽な気分で暖簾をくぐることができたように思います。外観だけだとあまり居酒屋っぽくなくてちょっとした違和感があるせいか、もし人の出ていくのを見ていなかった場合であれば締め切った戸を開くのには若干の躊躇いがあったような気もします。店に入ると何のことはないお客さんは今出ていかれた人たちだけだったようで、かといってカウンターも高くて店主の顔も見て取ることができぬのです。取り急ぎ注文をしてもそれを受けてくれた声は聞こえるけれど、姿は見えぬままです。酒も肴も程よく揃っていて、特別安くもないけど高くもなく、味も悪くないけど良くもないという感じで、そういう意味では特筆すべきことはないけれど、店の雰囲気は雑然としているのに何故だが案外居心地がいいのです。ぼくは自分の身の回りは比較的整理整頓しているのです。ごちゃごちゃした環境が苦手なのです。でも居酒屋なりでごちゃごちゃしているのは嫌いじゃない。無論、今はなき山谷の「大林」のような不要なものは何もないといった端正な酒場がより好きですが、こうした雑然とした内観には自分が仮にそうしようとしてもできないでいる部分を埋めてくれているように思えるのです。ちょうど借景を愛でつつ呑むようなものです。今度、気分がギスギスしたような時にはこうした店で呑むと癒されるような気がします。
2023/10/27
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ぼくは電車やバスなどに揺られるのが好きなのです。でもマニアって訳ではないから何だって好きっていうのじゃなくて、いくつかの条件があります。まずは座れること、それもできれば両隣は空いてる程度に空いているのがいい。欲をいえば呑み食いも常識範囲内である限りは認めてもらえるとなおいいのです。都心近郊でそれは厳しいかといえばそうでもなくて、案外できちゃったりする列車もあったりするのです。で、列車に揺られて何をするかというと、滅多に乗車機会のない列車であれば車窓をぼんやりと眺めるのですが、さすがに日常使いの列車となると、特に短距離・短時間だったりするとスマホでニュースなんかを眺めて済ますなんてことが多いし、ぼくはスマホで時間潰しするのが下手な人間なので、電車広告なんかを漫然と眺めてしまったりして、外を眺めることはあっても見飽きた景色だなあとあまりじっくりと見入るには至らないのです。でも今回改めて頻繁に乗車する列車の車窓であってもたまにはしっかりと視線を送るべきであると思わされたのでした。ってまあ、未知の居酒屋を見つけることが果たして世界各地で起きている出来事を知るなどのニュースを見る事より重要かと問われてしまうと返す言葉がないのですが、まあ目下のぼくにはどちらも大事なことなので無用な追及をご遠慮ください。 京浜東北線で西川口駅に向かう途中の事でした。何かの遅延によって混み合った車中でスマホを見ることもままならず(というかぼくは満員電車でスマホを見ることはまずありません)、辛うじて視線を向けることのできた車窓を眺めていると、おやおや、西川口駅を間近にする景色の中に焼鳥の看板が目に入ったのです。看板のみが見えただけで店構えまで確認する余裕はなかったのですが、駅ホームに電車が滑り込むまでに要した時間から逆算するにその焼鳥店は駅からそう歩かずとも辿り着けるように思われました。車窓から見える位だから線路沿いに歩けばいいだけのことなので調べる手間もありません。ということで、線路に沿って歩き出すと思った以上にすぐに到着。「炭火焼鳥 華鳥」という店名なんですね。ごちゃごちゃとした店先でありまして、なかなかにオンボロ物件っぽくてぼく好みです。どうしてこれまでここの存在に気付かなかったんだろうなあ。カウンターに5席程度、あとは窮屈そうな座敷があるだけでこれはなんとも珍しい造りです。座敷は先客を乗り越えないと奥に進めぬ造りとなっていて本来であればグループ客を想定しているような感じです。でもここに大勢で訪れるお客さんはあまりいそうにありません。千円のセットを頼みます。ドリンク2杯に小鉢と焼鳥2本付きだったかなあ。まあまずまずお手頃なんじゃないかなあと思ったのですが、小鉢のポテサラだけでも立派な量があります。りんご入りでこれは好みの分かれるところですが、ぼくは最近はりんご入りも全然問題なくなったので喜んでいただきました。それと結構な時間を掛けて出された焼鳥は結構な大振りでしかも実に肉の味が濃くって旨かったのです。焼酎割りも濃くってこれはなかなかにお得なセットであるなあ。お世辞にもキレイとは言えないし、愛想がいいってこともないんですけど、近くに住んだらきっと通いたいお店になりそうです。と、ここで標題に戻るのですが、この店のある長屋、お隣も居酒屋でありまして、そこもしんみりとした雰囲気がとても気になって見過ごすことができぬからお替りは1杯に留めてお隣へとハシゴすることにしたのです。
2023/10/23
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全国に47ある都道府県の中でも埼玉県というのは人気という意味でかなり低いランクにあるようです。南関東(北関東って言い方は一般的ですが、南関東って余り使うことはない気がします)で最下位にはなりたくないという必死な姿勢がどうも良くない気がします。埼玉県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例だったり先般の虐待禁止条例などは、他の自治体に先んじたい、埼玉県は最先端の政策を行えるのだという焦燥ばかりが目立ち、前者は形骸化し後者は議論の俎上にも上がらなかったりとどうも空回りしているように思えます。それでもぼくには最下位争いを演じている千葉県と比べるとずっと面白いと思っています。きっちり比較検討した訳ではないから断言は避けますが、もしかすると両県を人気面で大きく凌駕する神奈川県よりも好きかもしれません。というのがぼくはこぢんまりとした町が好きで、大都会を歩くよりは小さな町を散策するのを好むという傾向があるからです。そりゃまあ千葉県にも散策向きの程よいサイズ感の町もあることはあるのです。それでも埼玉県を押すのは埼玉には程よいサイズ感の町が潤沢にあるからなのです。例えば高崎線,宇都宮線に乗ると通り過ぎる駅のいずれにも立ち寄ってみたくなるのです。千葉県の場合だとそこまで各駅で下車したいとは思えないのです。電車に乗っている限りにおいては千葉県の方がずっと楽しいけれど、町を歩くのであれば埼玉県が圧倒的に楽しいと思います。と合間合間を縫いつつ書いているのでしっちゃかめっちゃかな堂々巡りの文章となりましたが、まあぼくは世間に反して埼玉県好きということを述べたかっただけなのです。 そんな好きならもっとマメマメしく通えばいいではないかと思われるでしょうが、さすがにそこまで自由になる時間を持ち合わせてはいないのです。しかも本当は久喜で下車するつもりもなかったのですが、たまたま湘南新宿ラインの列車に乗ってしまったので、久喜より南下するのもいやだったので飛び降りただけのことなのです。さて、今さら移動するのも面倒なので久喜でこの旅の〆呑みをすることにしようってことになったのですが、土産のこともあって歩き回る訳にもいかぬから安直にスマホで調べてから向かうことにしました。目に留まったのが「大衆酒場 おぐま」です。ちょっと駅から離れているのが心配ではあるけれど、まあ10分とは掛かるまいと向かうことにしました。おお、やってるやってると暑さから逃げるように店に入ると、何たることか店内も表と変わらぬ程度に暑いではないか。これは困ったことになったなあ、かといって何も頼まずに出るのもどうかと思ったので、ひとまずはホッピーを貰います。ってサクっと呑むだけにするならお替り必須のホッピーは避けるべきなのについお手頃だからと頼んでしまった。幸いにも徐々に日が落ちたからか冷房が何とか効き始めたからか定かではないけれど、少しは過ごしやすくなってきたし、土産への影響も多少はマシになるように思われます。店の主人はちょっと面白いキャラクターの方で最初はこちらを警戒するような視線を向けておられたけれど、旅行の帰りに立ち寄ったと語るとご自身の旅の話を嬉しそうに語られたのでした。とこの店の特徴も少しは書いておこうかな。品書きを見るとこれはぼくの思い違いかもしれないけれど、相当に居酒屋を研究なさっているようです。ユニークなアイデアのつまみが数多くラインナップされています。それとそれらの名付け方にも特徴があります。有り体に申し上げると下ネタが満載です。それもかなり幼稚なものでありましてそれがむしろ下品さをマイルドにしているように思えます。とまあ、ちょっと癖のあるお店ですが、普通にちょっといいお店として使えそうです。
2023/10/16
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ついこの間までは、ラーメンにビールなどの麺類やごはん物に酒類2杯って組合せは普通に食べていたんですけどねえ。今では初めにそれやっちゃうと2軒目以降がキツくなってヘタするとつまみはお通しで十分って状況に陥ってしまいます。よほど馴染みの酒場であればそれも辛うじて許されるのかもしれませんが、初訪の酒場でそれやるのって余程べろべろになっていないとやっぱり気が引けるものです。さすがに一品二杯ではまずその境地に達することはないので、近頃、ちょっと腹にモノを入れてから呑み出すっていうスタイルは少なくなりました。まあ、もともと食べてから呑むってのは、日本人の呑みのスタイルとしてはまずないやり方で、体質に合ってないってことなんだろうと思います。にしても酔っ払って〆のラーメンは平気なのに不思議ですねえ。いくら満腹中枢がマヒするって言われても物理的に身体のキャパシティが埋まっていると思える程度にも食べていても、それでもなお食べられてしまうのが不思議でならないのです。 ってまあそれでもたまには中華料理で酒を呑みたいことが今でもあるのです。そんな場合には一人では辛いから複数名で訪れることにしています。今回は2名だから2品で十分かな。ごはん物は半分程度でちょうどいいのです。BSで人気の呑み歩き番組でも登場したという「来々軒」にお邪魔しました。中華屋さんとしてはコンサバな構えではありますが、年季があるが故に実に味わい深い眺めのいい店舗です。それにしても件の番組はなかなかの人気番組であるとのことですが、他にお客さんがいないのを見ると、番組人気と客の入りは必ずしも比例しないということのようです。さて、席に着いてまずはビールからスタート。ビールからスタートするのは中華屋では極めて一般的でありますが、件の番組のせいもあってそれにあやかってるなんていう妙な誤解を持たれはしまいかなどというそれこそ余計な懸念を抱いてしまうのです。焼売と揚げワンタンを注文します。値段はそこそこですが、ボリュームがあるから納得です。特に揚げワンタンは単に皮を揚げただけのものが多かったりするものですが、ここのは餃子と見紛うばかりにびっしりと詰まっています。これはなかなかのものでありますが、結局2名で訪れても満腹してしまったのでした。
2023/10/04
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記憶というのはいつだって気まぐれなものでありまして、それは当然ながらぼくに限ったことではないのです。週に幾度も顔を合わせてお喋りする知人(今では友人と言わせてもらってもそれ程嫌がられることはないと思うけれど。でもこの方たちとはそこ以外の場所で会ったこともないし、休日などに待ち合わせてどこかに出掛けたこともありません)がいます。下手をすると家族だったり、職場の同僚、または数十年来の友人たち以上にたくさん喋っていて、たまに喧嘩したりもしつつ、仲良く付き合っているのです。なので、当然のことにぼくの趣味・趣向もよく承知しているはずなのです。なのにですね、いかにもぼくが好きそうな酒場の存在をこれまで一度として教えてはくれなかったのですよ。その晩もいつもの酒場で他愛ない会話を交わしていて、たまたま話題が昼呑みになったのです。ぼくが昼呑みにはあまり興味がないってことはここでは置いておくとして、その彼はいつもの朗々とした語りで昼呑みについて語り始めたのだ。ひとしきり話を聞いて、最近川口によく通っていることを話したのですが、川口ってのは昼呑みできる店が少ない、西川口のマックの脇の路地の奥に立ち食いそばがあって、そこで呑めるんだよと語り出したのです。何だって、そんな店の存在は初めて知ったぞと詳しく話を聞きだしたのです。それによると①酒は店内設置の自販機で購入、②値段は安からずであること、③味は旨からずであること、④オヤジたちで賑わっていること、といった情報でありました。①はまあちょっと面白そう、②まあ軽めに呑む程度に留めればいいかな、③まあ仕方ないかな、④入れる程度であれば構わないだろう。といった訳で行かない理由にはならないから早速訪れることにしたのです。 店名は「けぶどん万みや」。けぶどんというのは、素うどんを意味する言葉だそうです、知らなかったですね。噂通り繁盛していてカウンター席は無理そうだったので唯一の卓席に入れてもらいました。空調の効きがイマイチでちょっと蒸し暑い気がします。アジフライとマカサラの注文で立ち上がったついでに背後にある自販機で缶ビールを購入します。この流れでカウンターのグラスを借り受けます。ぬるいビールを呑み始めるとお通しが出てきます。確かにまあ旨からずではあるけれど不味いって程ではないかな。やがて届くマカサラも同様であります。店はおばちゃん2名でやっているのですが、見慣れないせいもあるのかどちらがどちらなのかちっともわからぬのです。やがてアジフライが揚がって受け取ると、剥がれなかったから1枚サービスしとくとのこと。どうやら冷凍庫で長期に亘って保管されているうちにガッチリと接着されてしまったようなのです。素直に喜んで見せるのですが、そのフライは真っ黒です。まあまあ何とか食べられるだろうと2等分してソースをたっぷりかけ、口に運びます。口に入れてすぐに苦味を感じますがまあ見た目ほどは酷くはないと安心した刹那、ぐにゅりとした食感を歯と舌が感知したのであります。つまり、アジが2倍量となったからといってそれが生だと喜びが半減するどころではないのだ。とりあえず口中の物体を吐き出して一応文句を言ってみる。いやね、新鮮なアジだったら多少生だって全く気にしないけれど、剥がれなくなるほどの期間を冷凍してあったのが生ってのはやはり危険を感じるのですね。さて、あらやっぱりなどととぼけて皿を受け取ったおばちゃんAはそのまま再び揚げ油に投入。これはちょっとまずいでしょう。と急速に食欲だけじゃなく呑欲も消え失せた我々は、一応は食べ切りはしたけれど、胃がムカムカするのを感じつつ、席を立つとそれを知ってか知らずか見知らぬオヤジが今度はゆっくり呑んでってヨと全く邪気もなく声を掛けて見送ってくれたのでした。
2023/09/25
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近頃、川口にちょくちょく足を運んでいます。恥ずかしいことなので余り過去を振り返りたくはないのですが、以前川口ってつまらない町だなんてことを口走ってしまったことがあります。勝手な思い込みと見識不足によって己がそう信じ込む分には勝手な話となりますが、万が一にもぼくのそうした根も葉もない独断で川口に訪れる機会を奪うなんてことがあったとしたら申し訳の付けようもないのです。実は最近になるまで川口というと駅の西側と東側の大酒場であれば大概お邪魔したであろうと過信していたのであります。これまでも自分の好きなように記憶と経験を改竄してきているということなんだろうなあ。前にも書いたかもしれないけれど、どんなに退屈そうに思える町だってちゃんと隈なく歩いてみたら多少なりとも面白いものがあるのだと思われるし、加えて町といいうのは生き物のように常に変化するもので前がそうだったからといって次も同じとはいえないのです。場合によってはその変化によって見えなかったものが見て取れるようになるなんてこともあるのかもしれません。だから町というのは一度訪れただけでこうと決め付けてはいけないのでしょうし、どうしても再訪する気になれないなら隣の駅なんかから通過するように歩いてみるというのも手かもしれません。むしろ町の外れにこそ思わぬ拾い物があったりするものです。 ということで川口駅にやって来ました。知人から川口にちょっと良い酒場があったとの連絡があったので、大宮駅方面を北上することにしたのです。大雑把な場所は聞いていたのでなんとかなるだろうとどんどん歩いて行ったのですが、おやまあうっかりと通り過ぎてしまっていたようです。でもそれが功を奏する場合もあるのですね。改修工事の養生がなされた建物の一階にちょっと気になる酒場があったのです。間口も狭く小ぢんまりした構えに思われます。まずはこちらに立ち寄っておくことにしようと、戸を開け放つと、なんとまあ驚くべきことに店内は50名は入れそうななかなかのキャパだったのです。店の手前こそカウンター10席程度ですが、その奥の座敷が相当な広さです。座敷は苦手ですが、そちらに案内されました。恐らくはカウンター席は常連さん向けなのだろうとの予想は大当たりで入った時には座敷に6名程度の家族連れがいただけだったのが、入れ替わりに座敷はぼくとA氏のみになり、カウンター席はほぼ埋まってしまったのでした。近隣の方に人気があるようだなあ。店は3名でやっておりましたが、混み合ったら相当大変だろうなあなんて思ったけれど、きっとそれで何とかなるのでしょう。ホッピーを注文します。ナカの量がたっぷりなのが嬉しいですねえ。焼きナスのお通しもたっぷりで嬉しいですねえ。これでちょうど1杯目が空きました。2杯目を頼んだところにもつ焼き、3杯目でイカゲソ揚げと偶然でしょうが実にタイミングが良いのです。どれもちゃんと美味しくてしかも見かけ以上に量もあっぷりで非常に満足度が高いです。こちらは一人客が多く、ぼくも次があるならできれば独りで来たいところ。できればハーフサイズのおつまみも用意してもらえると嬉しいなあ。「阿仁」という良店でした。多様な使い方ができそうで覚えておく価値ありのお店です。
2023/09/15
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川口に以前から気になっていた居酒屋があります。気になるのならとっとと行っておけばいいまでのことですが、たまたま目指す酒場の方面が重ならなかったりして次の機会にと後回しにしていました。まあそんな感じで後回しにしてもまあいいかなってタイプのごくありふれた居酒屋に思っていたのでした。てな書き方をすると予想に反してとんでもない酒場だったのかという誤解を抱かせかねませんがそういうことは決してなかったのであります。これもこう書くと全然大したことがなかったみたいで、結論としてはごくごく普通ではあるけれど、近場にあれば一定程度の頻度で通ってもいいかなって思える居酒屋だったのでした。ぼくは以前は唯一無二の個性的な酒場(なんて表現がいかにも大袈裟で、酒場が酒を振舞うことを目的とした店であり、その目的から逃れられない以上、その個性も限定的であらざるをえないのでしょう)に足が向いたものですが、近頃はそんな果敢さとは無縁な日和気味の酒場巡りが続いています。それはそれで気楽でいいものですけど。さて、今回川口でお邪魔するお店もどちらかといえば気楽な居酒屋に分類できそうなお店で、駅東口を出て線路沿いに北上するときっと辿り着けるはずです。道路から一歩奥まった場所に店の入口があるという身を潜めているような風情がちょっといい感じです。 店名も「ふる里」と凡庸でありますが、居酒屋の名前としては無難かつちょっとムードがあって、人それぞれに記憶する情景が浮上してくるようです。一足先にこちらは幾分かの躊躇の様子を放ちながらも店内へ踏み入ったお客さんがいました。この方はわれわれがすぐ後になって店に入るとすでにカウンターに腰を落ち着けていました。表情から察するにとてもお気に召したようです。次第にこの人、店の方とお喋りを始めるのですが、どうやら関西方面のご出身者のようです。関西の方のお気に召したとは嬉しい限りです。って早くも自分の根城のようなつもりになってしまいました。卓席も揃っていて、多様な組合せの客が20名ほどはおられました。そこそこのサイズ感のお店で、ゆったりとしていながらも店の方お二人でもちゃんと回せているから若干肴の提供に時間を要するとはいえ全く問題ありません。酒はサワーが200円台後半からあってお手頃だし、肴は奇を衒ったものはなさそうでしたが、どれも居酒屋料理らしい品が大体揃っているので、それこそ今晩は居酒屋でゆっくり呑みたいななんて思った時にはぴったりのお店だと思います。うちの近所はこういう普通な居酒屋がないのが難点なのですが、もう今後こういったタイプの居酒屋が開業されることは期待できないんだろうなあ。
2023/08/16
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町中華って呼び方に違和感を覚えるとこれまでも散々言い散らしてきたけれど、たった今戸田でお邪魔したとある中華屋さんを思い浮かべてその理由がぼんやりと見えたように思えます。すでに市民権を得たかに思われる「町中華」という言葉をぼく独りが熱くなって否定してみたところで何ら状況に風穴を穿つことなどできはしないでしょうし、もとよりそんな魂胆など少しもありません。あくまでも個人的な違和感を解消するための適当と思われる呼び方を模索しているだけのことです。模索といっても真剣に辞書を引いてみたりといった方策をとっているわけでもないから思い付くことがあったとしてもその頃には世間から一蹴されていても不思議ではありません。てなことで自分のガキだった頃を思い返してみると、当時は本場の味などぼくの身近には存在していなかったからラーメン屋も含めて大概中華屋さんと呼んでいたからしばらくはこれで呼び表すことにしたいと思います。ってまた気が変わることになるかもしれませんが。 ということで先般お邪魔した民謡酒場の並びにあります。当初のお目当てはこちらだったのですが到着時にはまだ暖簾が仕舞われていました。話が脱線しますが、近頃、横着しているのか着脱できない式なのか理由は定かではないけれど、暖簾を掲げっ放しの酒場なりの飲食店が多くなっているように思えます。昔のように客が手を拭ったりすることはないだろうから、そりゃまあそこまでバッチイことはないでしょうけど、それにしたって風雨や粉塵、黄砂やウイルスなんかも付着しているかもしれないと思うとあまりゾッとしません。意識の高くなくてもそこそこある店なら定期的に選択くらいしてるんじゃないかな。そういうお店の方は家のカーテンもきっと洗濯しないんだろうなあ(ってぼくも村上春樹の小説を読むまでカーテンを選択しようなどとおもったことがなかったのだけど)。ともあれちゃんと暖簾を出し入れしているだけでも好感の持てる「中華料理 紅蘭」にお邪魔することにしたのでした。ありふれていますが、気持ちのいい程度に枯れていてしかもとてもリラックスできる空間で、近所に住んでいたらここでならじっくりと腰を据えて呑めそうです。初老の女性お一人でやっておられますが、お客さんも10分刻みでお二人がきられた程度でそうは大変じゃなさそう。お一人は数日後に宴会の予約もしていました。やはりここ位に駅から離れると近所の方はここを定番の会場としているようです。お隣の寿司屋さんもお手頃そうで賑わっていたから同じような使われ方をしてるんだろうなあ。そうそう、さっき書き損ねましたが町中華がどうもしっくりこないのがここら辺(つまり住宅街)を町と呼ぶのに抵抗があるからです。それはもういいや。ビールにかた焼きそば、麻婆豆腐を注文します。ここのかた焼きそばは抜群です。麻婆豆腐はちょっと砂糖が入っているのか甘めの味付けです。最初はちょっと違和感を覚えましたが慣れてくると癖になります。ウーロンハイを追加。ああ、この界隈の住民はこういう中華屋さんに子供の頃から年を取るまで付き合うことになるのかもなあと思うとちょっと羨ましく感じるのでした。
2023/08/02
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近頃、ちょっとだけ馴染んできた川口であります。ほんのわずかですが、駅前に昔の名残を留めた呑み屋街があることを知ったからです。いつもつまらない町と評して憚らない(ウソです、ホントはそこまで嫌ってないです)松戸にしてもわずかに戦後のどさくさ風な呑み屋街が残っているからまだしもな町なのです。それこそものの見事に町全体が刷新されてしまったかのような土地もあることを思うと、そこを知らずして川口に好感を抱けないなどとのたまわっていた自分の無知に恥じ入るばかりなのです。でもそれは少しばかり仕方ないことでもあって、そうした古の痕跡を留める場所というのは大体において人目に触れにくい場所にあるものなのだからです。いかにも言い訳めいていますが。。。だからまあ初めて訪れた町がいかに退屈に思えようと、十分なリサーチもせずに悪く言うことは避けておきたいと思っていますが、いつもそう冷静でいられるわけではないのですね。基本的にこのブログ用文章は勢いがなければ書いてられなくなるのでありまして、一文書いては読み返すなんていう作業をしていては、とても書き継ぎ書き進めることはできないのであります。そういう行きつ戻りつを耐えられる人だけが本来であれば作家と呼ばれる存在であるべきであって、慣用的な言い回しや会話の多様でリーダブルであるばかりが取り柄で少しも躓けないような文章は読んでいて少しも読み手の意識に刺激を及ぼすことはないのです。ほらね、何を書こうとしているか分かんなくなってきました。 そばの「珍来」も気になりました(かつてのこの系列店は店舗ごとに個性があって、店舗ごとのファンが付いていたりしたようですが、ぼくのお気に入り店はすっかり標準的なお店になり、結果他店にも足を運ぶことが少なくなりました)が、見た目のボロさを優先して「菜来軒 川口店」にお邪魔しました。うっかりしていましたが、これってBS-TBSで放映している町中華でなんとかいう番組に出ていたようですね。ぼくはけして熱心な視聴者ではありませんが、今は見たいテレビ番組も少ないので、一応は録画して酒を呑みながら眺めたりすることもあります。なので川口もなんとなく放映していたような記憶はあるのですが、このお店が出ていたとは後になって知ったのです。といったことを書いてしまうと実はあまり後は書くこともないのです。というのが全般にお値段は強気でありましたからケチなぼくたち(S氏も一緒)は、緊縮オーダー。店内は枯れたムードはありつつもさほどの風情が感じられることもなく、むしろトイレのある2階の方が地方の飾り気のない喫茶店のような素っ気なさがあってよかったかも。あまりお手頃ではないちょい呑みセット(正式名称は失念)は、餃子、春巻、くらげの冷製などを頼んだけれど、申し訳程度の量でボリューム感に乏しいのと味付けも本場風と和式の中間のような曖昧なものとなっていてどうもピンと来なかったのです。推測するにこちらは呑みというよりはむしろ麺類やごはん類などで攻めるのが正解ではないだろうか。とぼくは思ったのだけれど、そこに店あての電話が鳴って、聞くとこれから10名程度で呑みに行きたいというのだ。閉店が早いからお断りされてましたけど。さらに続いて電話がなって、こちらはさらなる大人数の予約。呑み放題などの説明を受けていたからこちらはぼくの感想とは反して呑みの利用が少なくないようです。という感じでぼくの感想というのは世間一般とは少々異なるようです。なんてこと呟いちゃっていいのかね。
2023/07/31
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川口って町がずっと苦手でした。今は得意かって言われたら得意と言えるほどに通ってはいないということになりますが、近頃になって案外悪い町でもないなあと思い始めました。と悠長な書き出しとしましたが、実は最近そこそこ忙しくて、せっせと書き溜めておいたこのブログの記事も底をつきかけていて手短にかつ時折気の利いた発言も交えつつスピーディーに仕上げようと目論んでいるのですが、どうにも脳みその働きが鈍っているためかなかなか文章が浮かんでこないのであります。だらしなくも脳がオーバーフロー気味でスタミナを失ってしまっているのかちょっと考えてはすぐに息切れしてしまうのです。しかも片手間に書いているということもあってか集中してまとめて書くという余裕が持てないでいるのです。毎晩のように呑み歩いているのだから、呑みながらスマホやタブレットでちゃっちゃと書き溜めればいいではないかという指摘ももっともであるし、ひと頃はそれを試みてみたこともあるのです。でもすぐにやめてしまいました。そりゃそうですよねえ、せっかくのんびりと吞んでいるのに文章を捻るなんてことしちゃ酒がかわいそうってものです。酒のそうだけど自分にとってもこれじゃなんのための吞みなのかちっともわからなくなってしまう。というか川口の話題を書くつもりが単なる愚痴になってしまいましたが、ちょっと物思いに耽るのに良さそうな雰囲気のお店に行けたので、そのお店のことを書きたいと思います。 川口駅の東口のペデストリアンデッキを渡って大宮方面の端の階段を下るとこれまでうっかり通り過ぎていたようですが、ちょっと雰囲気のいい呑み屋街があるのでした。吞み屋街っていうよりは様々なタイプの中華料理店がより目立っているかもしれません。さらに進むとより細い路地もあっておっ、川口にもなかなか味のある横丁が残っているじゃないかって思ったりするのですが、じっくり眺めると案外新しめの最近できたようなお店が多いみたいです。そんな中で外観がいかにも草臥れていて異彩を放っているのが「居酒屋 日河」でした。これはもうここに入るべきだと直感が告げるのです。とさも酒場に対する嗅覚が鋭敏であると誇っているかのような書きっぷりでありますが、無論そんなものなど持ち合わせてはいないのであります。外観の枯れっぷりに比すると店内は案外こざっぱりとしています。カウンター席と卓席が3つ。ご高齢のお客さんが目立ちます。まだ宵の口というのにこの方たちは早々に帰宅の途に就かれました。早い時間から呑んでいたんでしょうかね。瓶ビールをもらいます。店主は中国系の方のようですね。居抜きで始められたのでしょうね。女性の従業員さんは新人さんらしくて生ビールの注ぎ方からいちいちを手ほどきされています。そんな様子も微笑ましく感じられるとても感じのいい店主さんで、それを常連さんたちはお気に召しているようです。カウンター席の若い人もここで過ごすひと時が大好きって感じが漂っています。お通しは大振りの冷奴。家で食べてもさほど美味しくないのにこうして店で食べると不思議と美味しい。焙った〆鯖もきっと既製品を焙っただけですが、ボリューム感があります。イカの丸焼きも久し振りに食べました。多少は漁獲量が復活してきたのかなあ。ところでこちらはお酒に関してはビールも酎ハイもちょいお高めな設定となっていますが、菊水の辛口などがタンブラーにたっぷりで420円とお得なので、ここでは日本酒を中心に呑むのがいいように思いました。
2023/07/21
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たまには私的な思い出話を書いても許されるかなあなどと遠慮がちに話を切り出したのには訳があります。というのはこれから語ろうとするのは読む人が読めば自慢話に捉えられかねないような話だからなのです。でもまあ大目に見ていただきたいのだ。だって戸田公園ったって書きたいことなどないし、そもそもそんなに書くような何かがあるとも思えぬのだ。それとたまには自慢話くらいしたいじゃないかってのもあるのだ。といい訳だけでも長くなったので早速語りに入るけれど、ぼくの人生はモテない時期でほぼ占められているのだけれど、ある3年間だけはちょっとしたモテ期といったも良い時期があったのです。そりゃまあ万年モテモテな人からしてみるとそんなものはモテ期などではないと一蹴されそうではあるけれど、ぼくの灰色の人生にとってその頃は間違いなく最も輝かしい日々であったのだ。そんな時期にお付き合いしておったとある女性と戸田公園でおデートしたということだけがこの前文の骨子であり全てなのであります。その女性は日本の最高峰の芸術大学でオペラなんぞを専攻しておられまして、そんなあらゆる意味でぼくとは縁のなさそうな人と2年ばかりそれこそ日を空けずに会っていた時期があったのです。しょっちゅう吞みに行ったし、映画にも行きました。彼女の公演なんかにも足を運んだものです。でもなぜか記憶に鮮明なのが戸田公園を訪れた時のことです。当時のぼくは映画と酒と彼女以外に大事にしているものがあってそれがプラネタリウム巡りでした。今はどうか分からないのですが、かつて戸田公園にあった児童館だかの施設にプラネタリウムが設置されていたのです。その内容はプラネタリウムへの熱が冷めた時点で失念してしまいましたが、その楽しかった思い出は明確に覚えています(というのも嘘で切ない位にほとんど記憶にないのです)。その時のことで覚えているのは道すがらにやたらと犬のフンが目に付いたことで、うっかり気を抜くと何度でも踏みかねないという情けない記憶ばかりなのでした。 といった訳でぼくにとっての戸田公園は犬のフンのすごい住宅街といったけして好ましからざるものでありまして、果たして久方振りの町のフン事情はどうなっているのかだけが気掛かりなのでした。でも駅に着いても当時の記憶は少しも蘇っては来なかったのです。当時児童館のあったのは戸田ボートレース場に向かう途中だったと思うのですが、少し歩いてみても犬のフンは見当たらなかったのです。と結局思い出はすっかり過去のものとなったことに打ちひしがれたかというとさすがにそんなこともなく駅に折り返して今回のお目当ての町中華、「酔月園」を目指すのでした。これがまあ遠いって程じゃないけどそこそこ歩かされるんですね。途中面倒になって良さそうな酒場でもあれば、戻りのことを考えたらわざわざ足を延ばすまでもないかななんて思う程度の距離ですが、結局これといった酒場にも遭遇せずに辿り着けてしまいました。つまりまあ近くはないし、程々とおいといった場所にあるお店です。でも自宅がこの界隈といった人たちには案外愛顧されているのかもねなんて思っているうちに到着。味わいがあるって程ではないけれど広くて使い勝手の良さそうなお店です。って店内はガラガラじゃん。オヤジが一人ラーメンセットに生ビールという黄金の組合せを堪能しています。入れ替わりにサラリーマンが餃子にビール、半チャーハンにウーロンハイという流れるような注文でわれわれより後に入ってきたのに先に完結していたのは感心しました。こういう澱みのない振舞いってちょっとカッコ良いなんて思ったりしてしまいます。こちらは餃子に春巻きの注文をするのにすらモタついているからなんともみっともない話です。普通に美味しくて普通な値段でありまして、悪くないんだけど、この先もこの調子でいくと厳しいことになるんじゃないかなあっていう予感が脳裏をよぎるのでした。
2023/07/17
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戸田駅の開業は埼京線の開通と同じ1985年のこと。まだ40年すら経過していないのですね。居酒屋なら40年も経てばそこそこの古株であるけれど、こと鉄道ということになるとまだまだ若い路線かつ駅であるように思えます。でも駅がなくてもかつてより人は暮らしていたわけで人が住んでいる以上は居酒屋なりの飲食店も駅開業以前から存在したはずです。にしては、駅周辺には古そうな酒場などパッと見には見当たらないのです。まあ考えてみれば鉄道なんてのは線路が引かれるような場所というのは概して町外れなはずでありまして、町中をに列車を運行しようなどと考えようものなら用地買収などでとんでもなく高額な補償金を用意せねばならないはずだから当時の駅周辺が栄えていなかったとしてもそう不思議なことではないのかもしれません。でもぼく自身20年ぶりくらいで訪れた戸田駅はかつてと余り変わった風もなく、お住まいの方には申し訳ないけれどとても冴えないまんまを留めていたのでした。もともとこうした鉄道の敷かれていなかった土地にはそれでも都心からそう遠くない場所だから人はそれなりに暮らしていたはずで、そういう場合、現在の駅利用者には不便極まりないような場所に時には商店街、マーケット、酒場長屋などが存在したもののようなのです。 駅から約10分程度の住宅街に酒場長屋が唐突に出現しました。もともとは6、7軒、今でも4軒は現役のまま営業を続ける酒場長屋が残っています。本当の目当ては同じ並びの町中華であったのですが、まだ開店前だったようです。お隣の寿司屋は営業していますが、いきなり寿司屋というのもちょっと違うかと思ったので、またも民謡酒場に入ることにしたのでした。「民謡居酒屋 べに笠」というお店で、先般新京成でもお邪魔しましたが、ひと頃大いに繁盛したタイプの酒場の一種みたいです。戦後からちょっとして朝鮮特需で日本経済が活況を呈しつつあると同時に酒と歌という日本のみならず世界的にも多くみられる文化が復興を遂げるのでした。三橋美智也にも「民謡酒場」ってな歌がありますねえ。キャバレー王・福富太郎がその代表的な酒場であるキャバレーチェーンの「新橋ハリウッド」をオープンさせたのももとは民謡酒場を改築したものであったそうな。歌も女も不要の現代の酒?みであるぼくとしてはできることなら敬遠したいスタイルの呑み方(本当は時と場合による)が当時は大いに受けたんだろうなあ。写真には納めなかったけれど、カウンター席も背後にはさほど広くないせいぜい20畳程度の座敷があって、そこにはステージも用意されていたりして、かつては歌い手さんを読んで歌謡ショーなんかも開かれたのかもしれません。が今は照明すら切られっぱなしで物寂しいばかりなのでした。確かな情報ではありませんが、民謡酒場は恐らく戦後それ程時を経ずして浅草を中心に日本各地に開業されたのではないかと想像しています。なんて何ら確証のないことをさも事実であるかのように書きましたが、根拠薄弱な憶測でしかないのでゆめゆめ信用なさらぬようご注意を。ともあれぼくは少しも民謡に対する趣味やら興味の持ち合わせはありませんが、まだ娯楽が映画など限られる者しかなかった時代には歌というものは庶民にとって現在よりもっとずっと身近な存在だったのかもしれません。今の人たちはワイヤレスイヤホンなんかで常に音楽を聴いているつもりになっていますし、カラオケもコロナ後にそれなりに盛況らしいけれど、そこには歌の根源的な機能の一つである(とぼくが思っている)、連帯感とか一体感といったものが希薄に感じられるのです。音楽というもののあり方がかつて集団で享受し共に謳われたものが、今では個人に留まっているように思えます。そういえば沖縄では今でも民謡酒場が盛んと聞きますが、なるほどなあと思えるのです。とまあそんな暗いステージを眺めつつビールを呑み、お通しの山菜の煮付けや玉こんにゃくなどを摘まむのですが、その後客の入る気配もなく、店のご夫婦はここでは伏せますが、それを言っちゃお終いでしょうってな言葉をわれわれに効かせるためか呟いたりもしてどうも気まずく席を立つことになったのでした。
2023/07/12
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川口でもっとも好きな酒場に遭遇しました。心配性かつ貧乏性のぼくは、勝手を知らない町-知らないと言いつつも川口では10数軒程度酒場巡りしているのですが-を訪れる場合は、どうしても予め行き先を何軒か絞り込んでおくことが多い―これは不正確で、川口の場合は事前調査では気になる酒場はもともと数軒しかないのであります―のですが、そういう風にハナから狙いを定めておいた場合の結果は果たせるかな初めから感動も織り込み済みであるから初体験がもたらすおののきといった衝動からは無縁となるのです。予定調和な喜びしか味わえないのであります。無論、全ての事前情報が実態を下回るものでしかなかった場合は、想定を凌駕する驚きをもたらしてくれることもあるけれどそれでも初恋の相手を見つけた時のような旨のときめきは期待すべくもないのです―ってそんなものは全く記憶にないし、近頃は異性に対する関心も確実に落ちてきているように思うのです―。 さて、その夜はかねてから狙いを定めていた「ふる里」を目指していたのです。普通にいい酒場との噂を聞いていたのでありますが、その感想は複数名から得られたものだからこれなら過度の期待もないし、最低限の満足も担保できるという意味では優良物件なのです。というわけで過度の期待もないままにいそいそと川口駅を後に酒場へと向かうのでありますが、事前に地図を頭に叩き込み過ぎてしまったせいかあっさりとお目当ての酒場を通り過ぎてしまったのです。目星となるスポットを定めなくても辿り着けるほどに分かり易い場所に「ふる里」はあったのです。通過したことに気付くことができたのはどうした理由からだったか思い出すこともできませんが、なんとなく思っていたより遠いなあなんて程度のきっかけだったと思います。それで駅方面に引き返すのですが、ふと視線を向けて道路を渡った先に何やら艶めかしい灯りが見えたのでした。集合住宅らしきビルの奥まったエントランスの先に「高の井酒蔵」はあったのです。客商売をやるにはいかにも不利な気もするけれど、色々と事情があるのでしょう。店内は奥に深い造りになっていて真っ直ぐ伸びるカウンター席の背面には2人掛けの小上がりが連なっています。余り見掛けないタイプの造りですが、不思議とずっと昔に見たことのあるような懐かしさを感じます。小上がりが風情がありますが、他にお客さんは一人だけだしお店の方に手間を掛けるのも不本意なのでカウンター席にします。お品書きは非常にシンプルで日替わりのみ10品程度があるばかりでした。いつも言うことですが酒の肴など何かあればそれでぼくには十分だから全く支障はありません。かなり濃い目のホッピーを頂きましたが、やがて高の井が清酒の銘柄であることが分かったので、ここは当然のように日本酒へと移行します。女将さんも人柄がよくてニコニコとお話にも付き合ってくださってついつい吞み過ぎてしまいます。ここは近ければ週に一度、いや二度は通いたいお店ですが、近所にあって欲しかったなあ。
2022/10/21
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折に触れ書き込みをいただいているハードコア丸山さんお勧めの焼鳥店を求めて川口にやって参りました。本当なら前回2軒目に立ち寄るつもりが、前の酒場で呑み過ぎてしまってその後、ほろ酔い加減で探してみたものの、思った以上に酔いが回っていたのかなぜか見過ごしてしまいました。そのリベンジという訳ですが、職場を飛び出してすぐに川口に赴きまして、急ぎ足で「戦国やきとり 本陣」に向かったのでありますね。でもさすがに慌て過ぎだったのか到着したのは5時前だったのです。まあ早くからやってる酒場も世間にはちらほら存在してはいるけれど、こうした典型的なタイプに見える焼鳥店であれば営業開始は早くても5時からだからまあしばらく時間を潰しておくことにしよう。と向かったのは以前見掛けていた蕎麦屋でありまして到着してからネットで調べてみると通しの営業でやってるはずなのに今しがた暖簾を下げたという様子でした。彷徨い歩くだけの時間はなかったので、「本陣」から外れ過ぎない程度の呑み屋をネットでチェックしました。それを頼りに数軒覗いてみたのですが、やはりいずこも営業前なのかやってる気配がない。こうなったら仕方がない、「本陣」の近くでぼんやり待つしかあるまい。と腹を括って引き返してくると絶賛営業中の酒場があって、しかも暖簾をくぐるお客もおられたわけで、外観はごくありふれた居酒屋の構えでしかなかったけれど、まあ時間調整だから選り好みせずとも構わぬだろう。 と先客にくっつくようにお邪魔したのは、「いざかや 楽ゝ家」でありました。現地で見た時には「楽々家」、つまり「らくらくや」と判じたのでありますが、先ほどネットで調べてみたら、なるほど真ん中の「ゝ」は「てん」と読むのが店主の意図するところだったのですね。即ち「楽天家」を洒落てみせたってことなんでしょうけど、そうなるとどうして真ん中の「天」を「ゝ」としたか理解が及ばぬのでありました。ならば聞けばいいじゃんってことですが、先客の常連と話が弾んでいたこともあったけれど、そもそもその時点ではぼくが「らくらくや」で得心していたのだから尋ねようにも尋ねようがなかったのです(と写真を改めてみると敷き紙にはっきりと店名が記述されているではないか!)。職人風でもありながらちょっとした愛嬌も持ち合わせている店主さんは、何よりも料理の腕がかなりのもののようなのです。お通しで出された煮物にはトコブシらしき立派な食材も含まれていてこれが実に美味なのでありました。量もたっぷりだから普段のぼくであればこれだけで3杯は欲しいところですが、そうもいくまい。ということでつい肉じゃがを頼みましたが、これがまた驚く程に品よく味付けられていて濃くもなく薄くもない味付けはまたも酒を呑む手を止めさせぬのでした。これまた量が多いので、ここはぜひ数名であれこれ頂くのが正解のようです。店主は体調に不安を抱えておられるようで、翌日の検査入院のことを気に掛けておられたけれど、大丈夫だったんでしょうか。元気な姿であることを祈念しております。ところで、時間調整というには少しばかり長居してしまいとうに普通の酒場なら営業を始める時間になっていたのだけれど、相変わらず「本陣」は閉まったままなのでした。まあ、思いがけず優良店に遭遇できたから結果オーライなのです。
2022/10/03
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待ち合わせまでの時間調整だったりでちょっとだけ時間潰しをしないといけないなんて時があります。昼前だったり食後だったりしたら喫茶店てのもアリですが、そうじゃなければできれば軽く引っ掛けたいところです。昼間から営業している酒場もあるにはあるけれど、ちゃんとした酒場で一、二杯だけってのも気が引けるし、かといって立ち呑みとなると都内だったりの大都市の繁華街にならありもするけれど、近頃めっきり喧噪が苦手となったぼくにとっては、例えば上野や浅草のような盛況過ぎるような環境でひと時でも過ごすのはけして快適なものとはいえぬのであります。だからそんな時には大衆食堂が最適なのです。ごはんなしのちょっとした軽めの肴、きんぴらとかでチビチビやるのは悪くないです。町中華や蕎麦屋だとビールに餃子程度だってそこそこ腹に溜まってしまうのです。蕎麦屋で板わさだけってわけにもいきませんし。でも現実には大衆食堂ってそう都合よく残っているわけではないから、結局はチェーンの牛丼屋や定食屋が案外重宝するのであります。と書くといかにもこれからチェーンのお店について書こうとしているようですが、そうではないのであります。幸いにも激しく変わりゆく川口にはまだ何とかオールドファッションを崩さずに営業を続ける呑める飲食店が残っているのでした。 樹モールなるちょっと昔めいた商店街では何やら七夕風の飾り付けがなされていますが、寂しいかな人通りは疎らです。この通りに「とんかつ 定食 わらじ亭」はあります。カウンター席のみの大衆向けとんかつ食堂です。前々から目を付けてはいましたが、とんかつ店に入ってさすがにとんかつを食べないわけにもいかぬだろうと機会を逸していました。とんかつ一枚程度であればもちろん食べられはするけれど、これから呑もうって時にとんかつを収めて臨むのはいかにも無謀であります。この日は待ち合わせでしばらく待たされるはずだったのが、待たされもせずにすんなりと落ち合えたのでせっかくだからと立ち寄らせてもらったのです。お客さんは一人だけなので少しでもゆったりできそうな奥の席に並ばせてもらいます。定食メニューが主体ではありますが、単品の肴になりそうな品も一応用意されています。ソーセージを貰いました。パリパリに焼かれたソーセージは大好きだけど自宅で買って食べるかというとなかなかそういうこともないからことのほか有難味を感じます。しばらくしてメインのとんかつが届きます。お手頃なのにサイズはなかなか立派です。すっごい旨いとかいうものではないかもしれないけれど、マニュアル化されたとんかつの品質はきっと上でもどこか味気ないのとは違って実家の揚げ物のようで懐かしさすら感じます。店のオヤジさんは寡黙に黙々と調理をこなしておられます。常連風のお客さんに対しても無駄口を叩くことなくひたすら実直なのがとてもいいですね。同行したO氏は気に入っていて今度は昼下がりにでも来てみようなんて言ってました。
2022/09/07
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川口で普段使いの酒場としてハードコア丸山さんがお勧めの酒場に行って参りました。川口って町は昔は工場の密集地帯でブルーカラーの人々が溢れるそれなりに荒っぽい町という印象でした。それが再開発によって一挙に様変わりしてしまい、今ではニューファミリー層が町を占拠する実に居心地の悪い町へと変貌を遂げました。まあ、住民の方々にしてみると安全性や利便性が向上して万々歳といった受け止め方をされているのでしょうが、そうした波はさらに北上した蕨にも押し寄せているように漏れ聞くところであります。ともあれ以前の川口は駅前に人が密集しているという印象などなかったのですが、近頃はひどい人手でそれだけでもうウンザリとなるのです。でも駅から50mも遠ざかるとそんな喧噪も薄らいできてどっちを向いても町外れって印象の風景が大勢を占めるようになります。住宅街でもないけど店が軒を連ねるってわけでもない感じですね。これから向かうのは大きな通りを逸れた小路の死角に店を構えておりまして、そのmを潜めるような様子がなかなか良い風情なのでありました。 お邪魔したのは「居酒屋 大将」です。古いようなそうでもないような微妙な外観ですが、店内はそれなりにくたびれた様子なのでそこそこの年季がある酒場なのでしょうか。少なくとも店主の方はかなりお年を召しておられるようだからきっと結構な歳月を経てはいるのでしょう。こうした文章に結論が必要であるかどうかはともかくとしてまず結論めいたことを申し上げます。確かにこちらは普段使いにはうってつけのお店であり、ハードコアさんのご意見に深く首肯します。でもまあ実際には近所でもないぼくには普段使いはあり得ないことでありますので、近所の住民である、乃至は職場が近いことが条件となります。近所に引っ越すことは絶対ないとまでは言い切れないけれどまずその可能性はゼロに近いものであり、職場が近くなることはそれ以上にあり得なさそうだからです。しかしまあ近所なら月一度、いや二度位は訪れることになりそうです。それは一体どうしてなのか。まず店主も他の客も実に物静かであるところです。これはたまたまこの夜がそうだっただけかもしれませんが、なんだかいつだってこんな風なんじゃないかという気がするのです。静かなことはそれだけでも美徳とするに足る要素となります。続いて品数が豊富であることです。つまみたいなと思う品がいつだって2、3品あるという状況はとてもいいことに思えるのです。これが多過ぎたっていけない。酒を呑みに来て肴に迷うというのは何か過ちのように感じられるのです。そして懐に安心安全な料金であるということです。滅茶苦茶安いって訳ではないかもしれないけれど、近頃ある激安系の酒場というのはちょっと色々と無理があるように思うのです。素材の品質だったりも気になるけれど、ちょっとした景気の動向次第でいきなり廃業なんてことになってはせっかくの居場所を見つけたつもりになっても通う心積もりなったところをさらっていかれるのは誠に悔しいものです。そういう意味で程々に安価なことを求めるのであります。といった感じでぼくのこの見解の信憑に関しては、この夜一緒だったT氏は通えない場所ではないからたまに来るようなことを語っていたのでそれなりの信憑性があると思うのです。
2022/07/11
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生活圏からそう遠い訳でもないけれど、なかなか足を向ける気にならない町というのが結構存在します。ぼくの場合には、毎度のことで面白味はないけれど人混みを避けたいということから大繁華街には近寄りたくない気持ちがあります。例えば渋谷とか新宿ですね。あと北千住だったり赤羽なんかも忌避してしまいます。普段はそんなでもないですが、夕暮れ時や休日の昼間なんかには観光地化しているのがどうも居心地が悪くて仕方がないのです。もしかするとそんな現場に自分が立ち会って人々からそういう視線で見られるのが嫌なだけかもしれません。北千住や赤羽の住民でもないのに自意識が過剰に過ぎるようですが、わざわざ不快な気分を味わうためにその町を訪れるのも気乗りしないのです。それらの町とは川口はちょっと違った意味で足を踏み入れるのに躊躇する町なのです。かつての薄汚れた雰囲気は忘れ去られたかのごとくに若いファミリー世帯の人々が我が物顔で町を闊歩しているのがどうも気に食わないのです。ぼくは納税しているからとかだけではなくその町に暮らす住民こそがそこの主役であり、よそ者より優先的に町を利用することを認めるべきという考えを抱く者でありますが、ここ川口の住民はどうもよそ者感が強く感じられるのです。偏見でしかないのかもしれませんが、どことなく先住民に対する敬意を欠いているように思えるのです。川口は人口過密で都心には住めなくなった若い世帯が川向うではあるけれど、利便性も高いからと一種、都落ちのような気持で暮らし始めているように感じられてならないのです。幾らか似たような立地にある松戸が衰退の一途を辿っているのとは裏腹に活況を呈しているのが気に入らないのだろうか。といったような理屈にもならぬ面白くもない理屈は今取ってつけて書いてみただけで、いざ久々に来てみたら何のことはない、案外悪い印象はないのでありました。 それもこれも時折コメント頂いているハードコア丸山さんがこの町のもつ焼店をお勧めしてくれたから訪れる機会を得られたし、根も葉もない忌避勘定を排してくれたのでした。向かったのは「もつ焼き・煮込 せんば」でした。店先に並ぶ多くの自転車を見るだけでこの店の人気は明らかなのです。呑んだら乗るなを遵守されていることを願いつつも、これはいかんなと思うのです。何がいかんかというと、満席もしくは予約で埋まって入り込む隙はないんじゃなかろうかということです。近頃意欲的な店主によるハイレベルなもつ焼店が続々と各地に店を興しているようなので、案外それ程に繁盛はしていないんじゃないかという甘い期待は空席がありながらも予約札の置かれた客席を見て無残に打ち砕かれたのです。が、幸いにもタイミングよく空き席が出たので入ることができましたが以後来店した方たちは1時間程度はお待ちいただくなどと気の毒なことになっていたがまあ知ったことではないのだ。シャリキンのホッピーをもらって看板にもあるもつ焼き、煮込みをさっと頼んでしまうと、もつ刺しをお勧めされる。なる程低温調理されているのね。近頃この処理したもつ刺しを提供するお店が増えているけれど、ぼくの行くような店ではほとんど見掛けたことがなかったので試してみることにしました。確かに刺身のような風味は留めているけれど、低温調理されていることははっきりと分かるから、人によってはこりゃ刺身じゃないと言い出すかもしれません。ぼくは刺身に関しては肉類だろうが魚介だろうが程々に好きというレベルだからこれで全く問題ないのです。もつ焼き、煮込みもなるほど人気が出るのも納得のお味で、ビックリとはせぬまでも満足巻は高いのでした。もはやどこぞやの威張り散らした押し売りのような酒場にわざわざ訪れる理由はなさそうです。で目から鱗の品としては酢どうふというのがあって、そのビジュアルの意表を突いたところもさることながらゆかりと酢で漬け込むというのが驚きでした。調べてみると色んな作り方があるようですが、これがベストな気がします。早速作ってみることにしようって訪れてから大分経ってるのにまだ作ってないから怪しいものです。こういうのって酒場で食べるから美味しいのであって、自宅で食べると首を捻ってしまうことが案外多いのですよね。近場ならたまにお邪魔したいなあと思える良店でした。 そうそう、後日、レシピを探して酢豆腐、作ってみました。酢豆腐【材料】木綿豆腐(水切り) 1丁/ゆかり・砂糖 大さじ1/米酢 100ml【作り方】1. 密封袋に全ての材料を入れて冷蔵庫で2日置く。 う~ん、どうも味がピタッと決まらないですねえ。酢の量をもう少し控えて、出汁昆布なんかでうま味を加味して、塩味を足せばちょうど良い按配になるかなあ。案外練り辛子を付けたら美味しいかも。まだ残っているので今晩にでも試してみよう。
2022/05/23
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さて、上福岡での呑み歩きもいよいよこれで締め括りです。自分が仮にこの町の住人だったらまだまだ宵の口という時間ではありますが、自宅までは結構な距離もあるし、当然時間も掛かります。池袋までは途中急行に乗り換えしても最短で40分近く要するからなかなか大変です。ってあら大したことないですねえ、とはいえこんなご時世に夜更けまで遊ぶのはまあ褒められた振舞いではなかろうから、この位に弱気でいる方が良いと思うことにしよう。 さて、今回の気になる酒場は先般報告した廃業したらしい喫茶店の奥まった場所にあります。「大衆酒場 信濃」と看板にはありますねえ。様子をしっかり眺めるまでもなく廃業して久しい感じです。とまあ書いた途端に不安になるのは、いくら外観が古びていても夜になると、取り分けこちらのように駅から十分程度離れた場所だったりすると暗くなると周囲を見渡すのも困難な位に暗闇に包まれたりするから、そこに赤提灯など下がれば立派に現役であると見て取れるだろう。だからもしかすると夜になると息を吹き返したように現役の風情を取り戻すかもしれぬなどと夢想してみる。そうすると苦もなくここが夜な夜な変わりなく客を迎えているように思えてくるのでした。 さて、最後に訪れたのは「風来坊」でした。駅西口を出たロータリーの裏通りにあって、並びには雑居ビルの名残りがあります。かなり歯抜けになっているけれど、かつてはこの通りにズラリと酒場ばが立ち並んでいたのだろうと推測されます。このポツンと置いてきぼりされた店舗とわずかにロマンへの憧憬を思わせる店名からコチラのお店は最近のことかもうそれなりの歳月を経ているのかは判断はつかぬけれど、居抜きでやってきたのだと推測されます。カウンター席は埋まっていて、夜毎通う常連に加わり自粛宣言解除後に久々に訪れたやはり常連もいたりして、店の歴史の長短に関わらず愛されてきたことが見て取れます。我々は6人掛けだったかの大きな卓に通して貰えました。この後更に混み合えば相席があるかも知れないところですが、その杞憂は無用でした。ホッピーを注文、そういやホッピーを呑むのも久しぶりかも知れないなあなどと思い賑やかに掲示された肴の品書きを眺めるといやはや実に盛り沢山でしかも手頃なのですね。これはいいなあ。半年位は食べていなかった肉ジャガが特に旨かったけれどここは酒呑み好みのちょいと辛めの味付けでビールとはまるで違うサッパリした呑み口のホッピーに良く合うのです。さすがにこの段になってコチラの肴をそんなにあれこれ頂けはしませんでしたが、手が混んでるということではなく、定番やひとひねり効いた肴が安価で頂け、これならなるほど毎晩のように通ってきても飽きることはなさそうです。これだけ酒場の充実した町で支持を得続ける理由が分かった気がしました。これはまた上福岡に来ざるを得ないなあなどと思いつつ、西武池袋駅に到着、馬鹿らしい精算金をはらわされてしまいました。ここだけは要注意と以前も反省したんだよなあと、この経路の乗り入れの煩雑さには改善を促したいところです。
2020/10/12
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上福岡という町ではやきとり店をよく目にしました。呑み屋が多い多いとずっと語ってきたから、そりゃやきとり屋も少なくはなかろうという指摘は誠に正しいのでありますが、ここは少し他所の盛場とは事情が異なるようです。というのが、既にお邪魔した酒場では東松山風のやきとり、つまりはカシラを主役に据えた豚のやきとりを出していました。これは都内とその近郊では一般的ですが、例えば柏や本八幡辺りは鶏のやきとり屋を多く目にしました。ここ、上福岡では何れもがバランス良く存在しているという点で異色に思えたというだけの話ですが、ここ「とり清」は、きっと前者なんだろうなあ。でもぶらぶら町を歩いていてこんなに味わい深いお店が当たり前に存在する上福岡という町はやはり面白いし、大好きだなあ。 という適当にほっつき歩いていても気に入る酒場に事欠かぬ町ではあるけれど、好きな店ばかりでは工夫に乏しいから、というよりはS氏をその気にさせるための釣り餌として酒場放浪記は有効です。いつもいつも誘い言葉でどこそこに凄いカッコいい酒場があるようだぞという朦朧としたものでは、芸もないし時に空振るという経験もしてきたので、誘引力に欠けるのだ。酒場放浪記に登場したという誘い文句も多用してきたけれど、まだ辛うじて機能するけれどその神通力も効力を低減させつつあります。というのはかつてはS氏も熱心に番組を視聴し、実際にその放映店を持って旅先を決めたりもしていたのです。が今ではその意欲も減退したのか上福岡の提案に酒場放浪記が結び付かなくなったのだから、いよいよ番組としても本腰を入れて店探しに乗り出してもらいたいものであります。とそれはともかく、上福岡の放映店は「田舎家 和」でありました。語弊を招くことを敢えて承知の上で申し上げますと、上福岡に格別目当ての店も決めずに訪れたとして、果たしてここに辿り着く可能性があったかと問われるとかなりその確率は低かったと言わざるを得ない。というか、たまたま出張なりで毎週のように訪れた例えば最終日の十日目に取引先の営業担当者なんかに連れて来てもらうようなお店に思えます。外観は雑居ビルのちょっとだけそこらの酒場より格上の雰囲気で、店内に足を踏み入れるとその感はもうワンランクアップするといった風なお店で予め知っていなければやはり好んで訪れることはないだろうなあという印象を繰り返し抱くだろうと思うのです。靴を脱ぐというシステムも貧乏性のぼくには食い逃げ抑止の仕掛けに思えるのでありますが、これはリラックスして欲しいというお店の配慮と取るのがフェアだと思い直します。掘り炬燵式の大卓とカウンター席というのはしっぽりと寛いで酒を呑んでもらいたいという工夫なのだろう。あえてジャンル分けすると、こちらは所謂、銘酒居酒屋となるのだろうから、ここはいきなり各地か取り揃えた銘酒を頼むことにします。肴はそうだなあ、とこの夜はさほど迷う事もなく刺身を二品ばかり注文しました。日頃のぼくがまず頼まぬ類のものとしたのは、久し振りの呑み歩きに加え少し酒が入り旅情が湧いてきたのかもしれません。いずれにせよ少しく高揚していたようで、酒もまだまだスイスイと身体へと染み渡ります。今後安心して外で呑めるようになったら、こうした落ち着いたお店でたまには呑めたらいいなあと思わせてくれる雰囲気のいいお店でした。
2020/10/05
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駅からはちょっと遠いけれど、あとわずかで川越市という市境にあるコンフォール霞ヶ丘(かつては霞ヶ丘団地)という団地の裏手の界隈は、味のある店が多くていいなあ。残念ながら潰れてしまったお店も多いけれど、それでも時折目にする現役酒場たちはいずれもやっていたら虱潰しに立ち寄る羽目になりそうでおっかない位であります。そんな一軒に「茶・食・酒処 さつま南国」なる妙ちきりんなお店がありました。茶というのが違和感がありますが、まあ単なる居酒屋ではないということなのだと思われます。だったら昼間からやっててくれればいいのにと思わぬでもないのですが、そこら辺は諸々の事情があるように思われるので、そうそう通えるわけでもない門外漢がとやかく言ってみてもどうにもならないことなのでしょう。 さて、お次の目当ては「やきとり専門店 柴崎」でした。池袋方面にしばらく歩くと踏切があってその向こうにそれらしき店舗がありました。基本はテイクアウトのお店ですが、現場でも軽く呑むことができるようになっているらしいのです。でもこちらはたまたまのお休みに当たってしまったようです。店の方が作業をしておられて店の一部が開いていたからやってるかと思いましたが営業はしていないみたいです。残念だけれど仕方がないな。踏切越しというのが画になってとてもいい雰囲気でぜひ次回こそお邪魔したいと思います。 さて、じゃあ次はどうしようか。と迷うまでもなかったのです。踏切をもとに戻ってくると「居酒屋 つくし」というお店があってこれがなかなかに枯れた雰囲気があって、しかもさすがに上福岡、早くも開店してるのです。さっき入ったような呑みと食いを主要な商品とするお店に対して、家庭的というか女将さんなどとの語らいを重要な商品とするタイプのお店でこれ程早い時間からオープンしているというのは珍しい気がします。店の中は薄暗く、いやかなり暗くてまだまだ明るい屋外からだとそのギャップに目が眩む程です。写真からでは伝わらぬと思いますが、実際には相当に暗いのです。すでに常連に違いない女性客が女将と楽しそうに語らっていて、どうもこの騒動で開店時間を繰り上げて営業しているようです。これと決まった肴があるわけでなく、酒をお代わりする度にちょっとした肴をさっと拵えて出してくれるのです。ご覧の通り写真が酷いことになっているので、何を頂いたかほとんど忘れてしまったのですが、最後のお代わりの際にはおかかおにぎりを用意してくれました。これはこれで〆だから食べたら帰っておくれよのサインなんだろうかと思わぬでもないですが、きっとそうではないと思うのです。埼玉県内の各地を転々とされてきた女将は店を開けている限りはいつだって暖かく迎えてくれそうです。お勘定もお人柄同様にやさしいものでありました。
2020/09/30
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この日の2軒目に向かう前にまずは、界隈で目にした気になるお店を報告です。「大衆酒場 信濃」のすぐそば、というか駅から向かうとより早く目に入ってくるのが「珈琲・軽食 紅花」です。現役であってもおかしくない雰囲気ですが、多分その勘は外れているのだろうなあ。こういうさり気なく町に溶け込んでるような構えの店は、言い方は良くないけれど得体が知れなくて興味を掻き立てるのですよねえ。ここら辺はもう巨大団地の裏手で丁度、ふじみ野市の市境となっています。ふじみ野市と川越市を比較するのは御法度のような気もしますが、少なくとも川越市民となりたいがためにこの界隈に住む人もいるんじゃないかなあ。 とそんな川越市民は足を運ばなさそうな駅を挟んで正反対の位置に「福沢屋」はありました。もう少し駅に向かうと昨日の中華飯店の通りがありますね。さて、何度か訪れていて勝手も知ったるつもりでいた東口側ですがこんな凄い酒場があるのに素通りできたなんて、ぼくの視線は節穴どころか大穴が開いているようであります。この目と鼻の先の喫茶店にも行ってるから間違いなく通過したんだけどなあ。それはともかくとして、今回上福岡を目指したのにはこの町の特殊な事情が大きく影響しているのです。それは町の酒場の少なからずが他の町と異なり早い時間から営業を始めるという事なのです。これは今や古い団地街と変遷しつつあるこの町ならではの事情があると考えます。いやいや、なんの事はないご高齢の方たちの社交場として酒場が活発に利用されているようなのです。郊外の町では多くの場合、昼カラーつまりは喫茶店などから転業したワンドリンクでカラオケを提供するというタイプのお店ーが蔓延るという現状に至っているようです。それはそれで存在意義はあると認めざるを得ないけれど、きっとリタイアしてもぼくはそこには行かないだろうし、現下において感染症の危険を指摘されている以上は営業形態の見直しを迫られる事になるように思うのです。酒場なら大丈夫かとなるとそれも疑問が残るところですが、こちらは数ヶ月前までは存在しなかったであろうアクリル板で区切られているのですが、雑然とした店内のせいか不思議と違和感も圧迫感もないのでした。消毒液もあちこちにあって衛生管理もしっかりしていそう。だからこそ、開店と聞いていた時間に訪れると既に半分以上の席が埋まっているのでしょう。基本的にコチラはいわゆるやきとんのお店らしく、東松山に至る通過点ということもあってか辛味噌が準備されていますが、これは東松山式に刷毛で塗るスタイルではなくやきとんに添えて頂く式のようです。無論カシラを頂くことにします。久し振りのちゃんとしたやきとんを堪能できました。がそれ以上に驚かされたのがマグロのぶつです。400円でたっぷりかつピッカピカのマグロには軽く感動すらしたのです。なるほどこれならご隠居たちがこぞって通う訳だ。彼らによって早くもカキフライとカレーコロッケは品切れとのこと。ぼくもリタイアしたらこういう酒場の近所にある町で暮らしたいものです。
2020/09/21
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どうもまだまだ余談のならぬ状況という気分が拭えぬためか、嬉々とした表情を隠しもせずに呑み歩こうとは思えません。馴染みのある通いつめた店であればこれといった根拠がある訳ではないけれど、信頼感があるからかもしれないけれど多少なりとも気張ることなく訪れる事ができるようになった気もするけれど、初訪の店となればそれなりに気を配る必要もあって、いちいち手探りしながらお邪魔するという状況は継続しており、これが公開される数週間後も事態はそうは変わっていないように思います。そういう気分に陥るのはどうも新型コロナにのみ原因を求めるのは適当ではなくて、実に個人的な事情に基づく憂鬱さが主な理由だからしばらくはこの沈鬱な気分は拭えそうにありません。ならばどうしてそんな時に好んで上福岡まで足を向けようなんて思ったのか。答えはとてもしみったれたもので恐縮なのですが、東武の株主優待券を貰ったからなのですね。それも4枚も貰ってしまったから大いに役立てたいところですが、こんな気分だし余り遠出というのもどうかと思ったし、使用期限も6月中と目前だったから、都心から近からず遠からずのしかし非常に好感を持っている上福岡に白羽の矢が立ったのでした。以前なら仕事を終えてから平気で足を伸ばしたものだけれど、今はもうそこまでの気迫は残ってはいないのです。 時間のたっぷりとあるS氏を伴って上福岡駅に向かうのですが、とても近いとは言えぬ距離ではあるけれど、かと言って旅気分に浸るにはいかにも心許ない微妙な町であります。実際、今の職場でここから毎日通う奴もいたのだから旅情を感じようなどとは都合がよすぎるかもしれません。でも上福岡にはそれがあるのだとあえて言い切ってみたい。都心から至近の人気観光スポットである川越のすぐお隣というのは実のところ何の関係もなさそうです。それよりはかつての上福岡市(現在、上福岡駅周辺は川越市とふじみ野市となっている)には2つの団地ができたことによって、高度成長期の一時は日本一の人口密度だったそうな。どうもこちらが上福岡といういろいろと誤解や憶測をもたらしそうな町名を持つ土地が繁華なものとなった理由に思われるのです。 さて、昼下がりに上福岡入りして最初に向かったのは中華飯店でした。以下が現在の様子になります。 なんてこった、閉業なさっていたとは。どうもこの荒れた様子を見るとここ数か月で閉業したわけではなさそうです。「丸鶴」というお店なのですが、ここをネットで見つけたのは、久し振りに上福岡を訪れたわずか2週間ほど前のことだったと思います。 どうですか。中華飯店としての魅力もムンムン漂っていますが―漂い過ぎて画面の端が靄っている程です―、何より200円ラーメンてのが気になりませんか、と書いているだけでも出遅れてしまった己をぺんぺんしたい程です。 悔やんでみても仕方がないのですが、それにしてもこの町は酒場も多いのですが、中華飯店もあちこちで目にしました。「新富飯店」は改めて見ると普通の外観ですが、この後にもっと味のある店もありましたがいちいち面倒で写真に収めるのを放棄したほどです。でもそろそろ一軒位は寄ってみたいところです。ぼくは「博龍」がとても気に入ったのですが、S氏は、そこと目と鼻の位置にある「黄河菜館」がお気に召したようです。この時点で上福岡には遠からず再々訪するであろうと決めていたから今回は選択権を譲渡することにしました。それにしても上福岡で嬉しいのは昼下がりの2時過ぎでも大概の中華飯店がやっていることです。通し営業のお店というのはあるにはあるけれど、ここまで当たり前にやっててくれるのは珍しいのではないか。というわけでいそいそと店内に入ります。内装は過不足なくいかにもなもので、久し振りの中華なムードに誰に見せるともなくうなずくのでありました。品書きをじっくり眺めたいところですが、まずは瓶ビールと餃子を注文します。食に徹するかそれともこの後のことを考えて控えめにしておくか迷った結果、後者を選択しました。その位、この町には魅力があったのです。方針が決まると注文も必然的にまとまりやすくて、種類の豊富な焼そばから上海焼そばを頼むことにしました。ビールのお通しが貧弱だったのでちょっと不安になりましたが、餃子はキャベツと肉がみっちりと練り込まれたもので、実はぼくは野菜多めの餃子は粗目に刻んだのが好きですが、ここのはみじん切りの域を超えた無茶苦茶細かに刻まれていてとても旨かったのです。上海焼そばは見た目以上に具材が豊富で酒なしで単品で食べたとしたら具の割合が多過ぎてバランスが悪いと感じるんじゃないかと思うほどで、でも酒と合わせるならもうこれ以上のものはないのです。さて、そろそろ3時も迫っているので、腰を上げて次なるお店に向かうことにします。
2020/09/19
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小手指にも生き残りのマーケットがあったのですね。マーケットというと基本的には八百屋だったり肉屋だったりの商店がメインの施設になり、片隅だったりに定食屋などがある程度は施設の人を顧客として営業しているというイメージが漠然とあるのですが、それは最早過去の遺物となりつつあるのかもしれません。今ではむしろ空き店舗となった所には居酒屋なんかが入り込んでいたりするのを目にする事が多くなったような気がします。それは凡庸な想像力で思い描いた絵図ではあるけれど、つまりはかつては食料品なんかは都心から電車で帰ってきた地元民が駅近でその夜の食材やら惣菜を買って帰ったのではないか。でも今は郊外型の大型スーパーなんかで食材をまとめ買いするようになって、駅前商店が廃れていったんじゃないだろうか。しかし、かつては女性が主役だったマーケットは、今や当時現役だったオヤジ世代の溜まり場となり、仕事帰りの勤め人男性の止まり木となったのではなかろうか。さすがに安直な想像に過ぎぬけれど、少なからず事実を掠め取っているのではなかろかと思うのです。この小手指の施設も街道喫茶に向かう途中、寄り道してみたのだけれど、まだ明るいそこは高齢のオヤジが徘徊していたりするのが見受けられたのです。引き返してくるとまだ日も落ちていないのに開けている店もあるから入ってみることにします。 西武鉄道沿線の各所でお目に掛かる「もつ家」の小手指店はここにあったのですね。この立呑店の系列は、居抜きにより初期投資を低額に済ますという拡張戦略で地盤を確かなものとしてきたような印象があります。勤め人よりは既にリタイアした人を対象にして、営業時間の繰り上げとギャンブル中継という誠に直接的かつ効果的な餌を撒き、年金生活者のニーズをガッチリ掴んで放さぬのです。店内はカウンターがくねくねと店内の形状に応じて自在に配置されていて、なかなかのお楽しみとなっています。常連ともなると居場所をここと決め込んでしまうのであろうけれど、月に1、2度訪れる程度であればあちらこちらと居場所に変化をつけるのも面白いと思います。それ次第で店の印象も隣り合わせる客の顔ぶれも変化してくるだろうし、立ち位置だけで工夫ができるのです。まあ、主のような常連の位置に陣取ってしまうと面倒なことになりかねぬからその点は注意を要します。こちらのお店、立ち飲み店としてはお酒のお値段は少々お高めでありますが、肴はヴァラエティーがあってしかもお手頃だから、ちびちび呑んで、普段食べられないおかずを摘まむというやり方ができるなら、案外ヘルシーに思われて、なるほどだからオヤジ達が好むのかもしれぬと思ったりもします。 駅南口をしばし散策し、「おでんや」なるよさそうな酒場を見つけましたが、ここは無情にもしばらくの間お休みしますの貼り紙が。店内からは女将さんらしき方の声が漏れ聞こえてくるのでいすれ再開されるものと祈念します。 なのでまたも小手指ショッピングアーケードという名を持つマーケットに引き返してきました。もう一軒「居酒屋 よしの」なる居酒屋があったので、入ることにしました。カウンター席に小上がりのいたってオーソドックスな構えの普通の居酒屋です。女性二人でやっていて、そばの立呑みとは幾分客層が違っていて、落ち着いた雰囲気です。ご夫婦連れや女性二人などがお客でいらして、少しクラスが上位な感じです。でもこちらも肴がなかなかに立派でありまして、種類はそう多くはないけれど、ちゃんとした調理と手頃さで気分良く酔わせてもらえます。接客も丁寧なので、ぼくなどのへそまがりはちょいと物足りぬ気持になりますが、何度も通っているうちに自分の家で呑んでるような錯覚を覚えそうです。最後にここにしておいてよかったのかも。
2020/02/24
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所沢を訪れる機会を先延ばししていたのには、ひとつとして喫茶巡りを楽しむだけの喫茶が揃っていないという事情もありました。Google Mapなんかで調べてみてもここぞというお店は見当たらず、そもそもにおいて絶対的な数が不足しているように思われたのです。実際にはコーヒーショップなんかは数多くあったりするのだろうけれど、そこをわざわざ訪れるための安くもない交通運賃を支払うのもしゃくなのです。でも、近頃、泉麻人ではないけれど町にさり気ない風情で佇む必ずしも目には愉快というわけでもないごく普通でノーマルなスタイルの喫茶が好きになってきたから、そういう目線で改めて、Google Mapを眺めてみるとやはりけして数があるわけではないけれど、プチ観光帰りにちょいと立ち寄る程度には楽しめそうなことが判明したのでありました。「茜屋珈琲店」は、日本各地に点在する老舗っぽいムードを前面に打ち出してチェーン店で、あまり利用したこともないし、ここの店舗は団地風物件の1階テナントにあって、独特な風情があるからお邪魔してもいいかなと思ったけれど、すぐそばにもう一軒の喫茶があったからあまり近くの店に立て続けに入るのもどうかと思いスルーしたのでした。 結局、お邪魔したのは「カフェ グリーン」でした。外観はのっぺりとしており、看板の文字なども極めてそっけなく味気がないのです。でも近頃は喫茶店はそれでいいような気もするのです。特に繰り返し通うような店であるならば、あまりにケバケバしいのはちょっと気疲れするものでありますし、こってりした料理はたまにで十分なのです。これは無論最近遠出のできぬ己が不遇をなだめすかすための負け惜しみに過ぎぬのであって、時間と財産と自由があればいつだって旅立ちたいのはやまやまなのでありますが、実際にそんな幸福ならば喫茶を巡るなどという酔狂には至らぬのだろうなあとワンパターンの思考に陥るのです。
2020/02/23
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所沢の町は、古馴染みであることは既に書きましたが、それ程に深い付き合い方はしてきませんでした。所沢で呑もうというような機会も少なからずあったわけですが、そういう時には決まって駅前通りの商店街、プロペ通りになったのです。というか、当時は今程には散策に執着がありませんでしたし、呑むと言っても店への拘りがあるとすれば精々が手頃か否かといったポイントに絞られたのです。だからかつてのぼくにはプロペ通りは所沢という町の全てだったのです。このいかにも物足りない規模の町が所沢の中心であることは今でもさして状況は変わらぬけれど、今のぼくはさすがに一口に所沢と言っても市内に町並みは点在していていることを知りはしましたが、当時は所沢駅のあるこの通りが所沢の全容と思い込んでいたし、実は地元の方は今でも案外そう思っているんじゃないか。ともあれ、そんな所沢駅前のプロペ通りでありますが、この珍妙な名はどこに由来しているかと今にして初めて疑問を抱いたのであります。疑問ではあるけれど、それを調べて解消するのは今度再訪したときに譲ることにします。今はその推測のみ書き残しておきたいのです。ズバリ、この通りは西武新宿線でお隣の駅、航空公園駅の示す当の公園に由来するんじゃなかろうか。それの当否を確認する機会はいつの事になるのだろう。 それはそれとして、かつてプロペ通りで呑むということになると2度に1回は、ここ「百味 プロペ店」となったものです。地下1階へ下る階段は記憶にあったそれよりもずっとわびしく感じられ、歳月の経過を否応なく突きつけられるようです。いや、でも案外当時からこんな感じだったかもしれぬ気もしてきました。店内に入ると広々として収容力がありそうだけれど壁床天井が案外圧迫感があって、それが逆に賑やかさを際立てていて愉快な気分に飲み込まれるのでした。これほどまでにこの酒場は酒場らしかったのかと改めて思い知らされ、これは楽しいなあと興奮を覚えるのでした。大繁盛なので頼むおつまみのことごとくが品切れで、店の方もお忙しくて申し訳ないけれど何度となく行き来していただくことになりますが、しょうがないよねえ。特にオヤジさんはキレ気味なまでに苛立っていて、このオオバコ酒場の切り盛りはやはり相当に激務なのだなあと感じ入るのでした。しかし、われわれを含む客たちはそんな様子をも酒の肴にして大いに気分よく呑み続けるのでありました。
2020/02/18
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昔々の事になるけれど、所沢には縁があって毎日のように通っていた頃がありました。当時も酒は呑んでいたし、この後、当時頻繁に出入りしていた酒場にも訪れる事になるのだけれど、今回はその前にずっと憧れていた中華飯店に訪れたいと思っておるのです。話しはまた元に戻るけれど、所沢駅にやって来たのは随分と久しぶりの事です。無論、このブログを長くご覧頂いている方であればご承知かと思いますが西武鉄道の中核的な乗換駅となっているため、沿線各地を訪れる折にはしばしば乗り換えてはいるのです。だからその駅構内がかつての田舎臭さから抜け出して、随分と垢抜けたことを知ってはいました。だから駅前もきっとスカした町並みに変貌しているのだろうなあとは予想はしていたのです。しかし、その予感は落胆とともに裏切られる事になるのでした。駅を出て町並を一瞥した限りではかつてとさほど変わったようには思えぬのです。確かにマンションなどの高い建物は増えた感じがありますが、町並みの様子は余り変わらぬように見えた。それが喜ぶべきか、元より所沢の町並みは幾分か退屈だったからです。でも古い店などが時折混じっていてまあそれなりに見る所はあったのだけれど、今の所沢はそうした古い店は原型のみ留めてはいるけれど、もう抜け殻に過ぎぬのが虚しくぼくに現実というものを突きつけるのです。 でもしかしですよ、そんながっかりな所沢にも興奮を禁じ得ぬ素晴らしい中華飯店が残っておるのでした。駅から5分ばかり商店街を抜けた先に「栄華」はありました。路地への引き込み用の置き看板の枯れ具合からもその年季の入りようは明白なのでした。贅沢を言えば看板から路地のアプローチがもう少し距離があったら良かったのにと思う程にあっさりと店舗が出没するのでした。そのお姿を眺めるためだけでも有り難く思うのだけれどしっかり現役で営業しているのがとんでもなく感動的なのです。店主のみで客はいなかったけれど、席に下ろして周囲を見回してみると、表で見たよりもさらに古いお店の痕跡がありありと認められるのです。狭い造りのカウンター席の方がよりその古びたムードを堪能できそうですが、オヤジさんの配膳のことを考えると卓席が良さそうに思えます。まあ二人だったので広い方が良かったという当たり前の事情もあった訳です。さて、ビールに餃子、野菜炒めを注文します。ビックリする位のお手頃価格なのにしばらく待って出された料理は実にちゃんとしていて量が多かったのです。特に所沢で売り出そうとしているらしい錦糸玉子をまぶした焼そば、所沢焼きそばと安直呼び名が付けられているようだけれど、そのボリュームったら一人じゃとても食べ切れなかったと思う程です。オヤジさんによると昭和40年に福岡から上京し開店、店もそのままの姿を留めているそうなのだ。凄い事です。今でも福岡にはちょくちょく行かれるようで、いかにもご健常のようだからまだまだ店は続くと思うのです。この店のためだけに所沢を訪れても少しも惜しいと思われぬ大好きな一軒になりました。 へえ、その裏手に盃横丁なんて呑み屋横丁があったのか。知らなかったなあ。一見ムードはいいけれど、店舗は大体が新しい感じですね。まあ、いずれ「栄華」のついでに寄ってみてもいいかな。
2020/02/17
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西武線に揺られてやって来たのは、西武球場前駅です。狭山線ならびに山口線の終着駅ということもあり、駅の風情は正しい意味でのターミナル駅独特のものとなっています。車止めのどん詰まり感が終着駅らしい息苦しさに繋がっているものと思われます。西武球場でゲームのない時には寂寥感が漂っており、それはそれでなかなかに感情が揺さぶられるような気分に浸れます。 さて、ゲームのない西武球場前駅にやってきたのは、把握している限りでは最後の梵寿綱氏の建築物件を見るためです。通常であれば、東大和市にあるので、多摩モノレ-ルに乗って上北台駅から歩くか、西武拝島線の東大和市駅もしくはJR立川駅から路線バスを使っていくのが、一般的かと思いますが、せっかくなので、所沢武蔵村山立川線なる道を辿って多摩湖を歩いて渡って向かうことにしました。年末年始の運動不足解消を狙ってのプランであります。30分弱ほどハイキング気分で山道というか湖畔の小道をのんびり歩いていくとやがてお目当ての施設が見えてきました。所謂ところの老人ホームですね。事前にメールで申し込みをする必要があるので、少々手間に感じられますが、それだけの価値はあります。施設の性格上、どうも施設内は撮影するのがはばかられますが、幸いにも施設のホームページに無量寿(霊安室)をはじめとした内観が掲載されているので、小さな写真ではありますが、梵氏らしい建築思想を垣間見ることができます。パンフレットも頂戴したので、それを眺めて満足することにします。ってもともとぼくはあんまり写真を撮るのって好きじゃないんですよね。「向台老人ホーム無量寿舞」http://www.mukoukai.org/home/framepage1.htm さて、西武球場前駅近くまで戻ってきました。そばには、堤家が多額の費用を注ぎ込んで建立した「山口観音 金乗院」と「狭山山不動寺(狭山不動尊)」があります。なかなかに見所の多い施設でありまして、書き出せばいろいろと語れそうではありますが、本ブログの趣旨とはやや逸れるので詳述は避けます。一言だけ語るとすれば世の中のお金持ちというのは余程罪悪を積み重ねて来たのだろうなあという思いであります。でも今にしてみるとその節操のなさは愛すべきユーモアのように思えて嫌いになれないのでした。 最後に、これだけでもアップしておかないと、何のブログだかわからなくなりますので、半端な情報ですが乗せることにします。所沢の「ペルレイ(PERLEI)」を初めて訪れたことを記しておきます。訪れたにしては、写真が少ないというか何もないようなもので、だったら報告はしないで済ませるべきと思うのだけれど、でもまあせっかく行ったのだから乗っけておくことにします。平凡だけど喫茶過疎地帯の所沢では愛されるべき喫茶であるとは思いました。
2020/02/16
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さて、遅い昼時を西川口で迎えました。用件はすでに済ましてしまったので、どこかで遅めのランチと軽く一杯をすることにしました。西川口では、以前から「キッチン いさつ」と「キッチン ニュー 南海」の両店にはお邪魔したいと常々思っていたのでありますが、惜しむらくはこの2店はどうやら酒類の提供はしていないらしいのです。なんとも残念至極であります。ぼくだって稀には酒抜きの外食もあるけれど、遊び惚けている時に一滴の酒も接種できぬのは非常にもったいない気がするのです。戸田公園駅寄りの入りそびれた喫茶店のそばに「やきとり 松山 戸田店」というのを見掛けていて、こちらも非常に気になるのでしたが、開店は4時とのことだからそれまで時間を潰すのは厳しいのであります。といったような悶々とした気持ちを引きずりつつ歩いていたら、なんだかとってもいい風情の蕎麦屋さんに遭遇したのでした。矢も楯もたまらず店に飛び込んだのですが、そういや酒の有無については、確認する暇もなく店の客となりおおせていたのでした。 お邪魔したのは「福乃家」さんですが、こうして改めて写真を眺めると,天ぷらそばとカレーうどんが押しの店だったのですね。だったら素直にそうしておけば良かった気もするけれど、今更後悔しても時すでに遅しなのです。反り返った看板というのはなかなか珍しい気がするけれどいかがでしょう。店内は狭小なスペースをきっちり活かして5卓ほど置かれています。すでに他にお客さんもいなかったので、テレビの正面の席を陣取りました。取り急ぎビールと冷奴でもいただこうかな。ちょっと摘まめる肴もあって、軽く呑むには十分なラインナップです。当然のことにすぐに届けられるのですが、サービスで玉と角のこんにゃくの煮付が添えられていますね。これはちょっとうれしいサービスですね。さて、メインはどうしようか、なんて実はすでに心は決まっていてカレーライスにする気まんまんなのでした。頃合いを図って追加の注文をしたところに、近所のオヤジが入店です。サワーにお新香を注文しました。それもいいなあ。というかぼくも腹の張るビールよりサワーが良かったし、お新香は品書きにはないけれど、そりゃ頼めばあるよね。とまあしばらくして届けられたカレーライスは思い描いたものと違ってはいたけれど、穏やかな日本の家庭のカレーライスといった感じでホッとするのでありました。満腹して勘定を済ませようというぼくを尻目に、オヤジさんはせかせかする様子など微塵も見せずに新聞片手にのんびりとサワーをすするように呑んでいます。ああ、この余裕のある振舞い、とてもいいなあと羨ましく思うのですが、ぼくのこのせっかち癖は生涯抜けることはないのだろうなあ。
2019/11/11
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西川口にやって来ました。地元の方には申し訳ない物言いではあるけれど、どうもこの西川口という町には馴染めません。猥雑な町は嫌いじゃないし、多少は物騒な位の方が町は生き生きと感じられるものです。それは分かっているし、そうした町に住みたいかどうかはともかく散策するのは楽しいものです。特にこの日は日中に時間を確保したから、まだ町も朝方まで続いたであろう喧騒から抜け出したばかりの抜け殻の様な状況であろうから多少図々しく不躾な視線を向けても許されるものと妄信することにします。 でも、どうも気乗りしないのは冴えない天気のせいばかりでなかったはずです。それでも梵寿綱の手になる「白井美瑠(Pozzo Bianca)」に到着すると曇りがちな気分はさっと吹き飛ぶのでした。でもこのビルに来たのは初めてではありません。以前もこのビルの異形な風貌に仰天した記憶がありますし、何より店子の「BAR 魔の巣」は鮮明に記憶しています。きっと興奮して写真を撮ったと思ったので、念のため過去の西川口の報告を探ってみたのですが、なんと10件もありました。気乗りしないとか書いたけれどなんだかんだお邪魔していたようです。で、このビルの写真を探してざっとチェックしたのですが、見つからなかったですねえ。まあ、前回はきっと夜間に目撃したのでいずれ今回のようにははっきりと細部まで確認できなかっただろうと思うのです。ともあれ、梵氏ご本人も以下のようにお書きになっています。 https://www.facebook.com/vonjourcaux/posts/1095922330540754--コンクリート打放し彫刻の技術を高めてゆくために、誰にでも出来不出来が判る具象的な女性像を、「樹下美人図考」と題して小規模な商業的建築で挑戦してきました。西麻布のケーキ工場 Est Esperanza ・赤坂の丹波屋美瑠・西川口の Pozzo Bianca ・池袋のPetti Etang 等で、この技術の成果は後の建築に反映されました。今日の一枚は、1980年に西川口のイトーヨーカドー・ザ・プライス西川口店至近に建てた、 Pozzo Bianca (白井美瑠)の見上げ彫刻です。厚さ1m以上のスタイロフォームの塊を、直接ネガ彫りし、孔雀や羽を浮かして立体的に表現したもので、コンクリート彫刻技術の頂点に達した仕事だと自負していますが、全くの未発表作です。グーグル地図で記載されていますので、生き残っているようで、おついでの折にでも訪ねてみて頂ければと思います。-- 「コンクリート彫刻技術の頂点に達した仕事」であるとの自負を述べられている通り、非常に見応えがあります。エントランスやその内部にも氏らしい細部が確認できわざわざ足を運ぶだけの価値がありました。 ちなみに文中の赤坂の丹波屋美瑠は、残念なことにすでに解体されたようです。西麻布のケーキ工場と池袋の物件は現存しているので、お時間と興味のある方はぜひお訪ねください。 さて、肝心の喫茶巡りですが、これが少しも振るわなかったのでありました。まずは以前もお訪れている「カフェ エトルア」にお邪魔しました。やっぱりここはいいですね。ごく普通のシックな喫茶店ですが、普段使いには最適です。西川口で数少ない寛げるスポットではなかろうか。でも、まだ回りたい店があるので長居はしません。 ここを西川口というのも無理があります。地図で見ると明らかに戸田公園駅からが最寄ですし、何より住所も戸田市だからね。「カフェテラス 伊達」のことですが、西川口陸橋通りから喜沢通りを進み、中央通りに至ったのですがしばらく歩けど、それらしきお店が見当たらぬと思ったら表通りから一本奥まった通りにあるみたいで、少し引き返すことになりました。そしてら先般、戸田公園駅を振り出しに呑み歩いた際に立ち寄った「珍来」という中華飯店がありまして、なんだこんなに近いなら前回立ち寄っておけばよかったと思うのでした。まあ、そうやってニアミスを繰り返しながら徐々に点でしかなかった町が線となって接続され、やがては面に拡大していくのが楽しいのですけどね。さて、一般の立派なお宅みたいなあまりそそられない外観ですが、いずれにせよ営業はしておりません。また、ここに来るのはだいぶん先のことになりそうです。 あと、もう一軒、ここは以前も通り過ぎて振られてしまったのだけれど、もしかして廃業なさっているのかしら。「喫茶 カド」ですが、店内に照明が灯っていたので、少なくともお店の方は健在のようです。そっと覗いてみると不鮮明ながらも店内が透けて見えました。奥の壁面には大きな食器棚があり、かなり大掛かりなお店のようです。もしまだやってるなら行ってみたいものです。
2019/11/10
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朝霞は東武東上線の駅のある町で都内からは埼玉県に入って和光市の次、二駅目にあるからけして都内からのアクセスも悪くないし、だからその気にさえなれば暇な週末にブラリと足を伸ばしてみても良かったのであります。ありますけれどそうしなかったのにはまあショボイ理由、いや理由というよりは嫌悪感とハッキリと書いたほうが良いかもしれません。なんて事を書きながら、いやいや、そういえばほんの何年か前にやって来たなあなんて思い起こすのでありますが、でもそれが必ずしも望んでそうしているんじゃない事は覚えています。たまたま偶然に東武東上線を一日乗車券とかで遊び歩いていた締めの一軒の酒場として朝霞の一軒を選んだに過ぎぬのです。とにかく言っておきたいのは朝霞には色々と良からぬ思い出もあるので、たまたま幸運にも素敵な物件と遭遇したとして、それを朝霞という土地と絡めることはせず、それを作った人の功績として還元するだろうと思うのであります。 ならばとうしてわざわざ朝霞を訪れるというのだ、という真っ当な疑問をぶつけられても回答には言葉を窮してしまうのであるけれど、ずっと宿題にしていた喫茶に行こうと思い立ったのです。好きとか嫌いとか子供っぽい事をいつまでも述べている余裕などないのです。都内近郊で残る宿題は底をつきかけているのです。東上線にしばし揺られ朝霞駅にて下車、駅の南側は余り歩いた事はありませんが、余り気分は盛り上がりません。町を隈無く散策したいという欲望が微塵も沸き起こらぬしらじらとした町並みが広がり、それでも気になる中華飯店なども何軒か見掛けますが営業時間はとうに過ぎてしまったようです。やむなく目的地に向かい進路を定めて黙々と細いくせに車通りだけはやけに多い、歩行者に不親切極まりない道を進みます。やがて、ちょっと見どころのある役所が見えてきました。役所のそばならもしやと、暑さでウンザリしてきた身体は早くも休みを求め始めています。しています。すると「珈琲 雅瑠」という存在感の希薄な一軒の喫茶が営業していました。審美的な側面からは余り期待できそうもないことは明らかですが、近頃は即物的な機能重視の何でもない店に不思議と惹かれるのです。パティシエの手掛けた豪奢なケーキより町の職人の拵えた質素な洋菓子に好みが移行したのと似たような心持ちといえば近いかもしれません。そして、ここは実際そうした店であったのです。役所の職員らしい青年が遅いランチわのんびりと楽しんでいます。いや、けして楽しそうでもなく役所の食堂と同じようにごく当たり前の日常のルーティンとして過ごしている。そんな感じがとても良くぼくも思いがけずもダラダラと過ごしてしまいました。 陸軍自衛隊朝霞駐屯地のある川越街道と並走する旧川越街道に面してはかつて米軍基地があって米兵たちが夜な夜な歓楽に耽ったという。朝霞警察署がこんな不便な場所にあるのもそれが所以というから、当時の狂騒振りが察せられようものです。ところが、今ではもうそうした時代のあったことなど忘れたかのように飲食店の大部分は姿を消し、かつて米兵たちの通ったクラブやバーの痕跡を認めることは今や困難であります。それでも「COFFEE & PIZZA ぽっぷ」やそのお隣の「CLUB CHATEAU」は当時の残滓と思われ、わずかにその名残を認めることができそうです。そうそう朝霞ショー劇場というストリップ小屋もこのそばで営業しており、小屋の前ではいつもおっちゃんが椅子に腰を掛けていたのを記憶します。そんな捨て去られたような通りに面して「珈琲専門店 ハニー」は営業を続けています。ここが長年宿題としていたお店です。比較的こぢんまりとした珈琲専門店でもスタンダード中のスタンダードな東亜珈琲のお店の一軒ですが、ここはそんな東亜珈琲のお店の中にあって、ぼくの知る最もスタンダードな一店に思われお手本にすべきお店であると感じました。その良さの所以は店のサイズ感にありそうです。狭くなく、広過ぎもしないというその絶妙さがこちらの居心地の良さを成功付けたと分析してみたりするのです。 折角だから退屈という点では朝霞以上にウンザリさせられる和光市に向かって歩くことにしました。和光市駅に繋がる駅前通りを歩いていくと一軒の80年代風のパーラー風の喫茶店がありましたが、お休みのようです。そのほぼ向かいにうけら庵通りなる路地があり、そこに謎の店舗「富岡商店」がありました。看板には洋菓子の「ヤマザキ」とありますが、やきとりの赤提灯の裏側にはおもちゃの記載もあります。ストリートビューで確認してみると、サッシ扉に貼り紙してある様子が見て取れ、拡大してみると綺麗な字で「本日都合によりお休みさせていただきます 店主」とあるから、少なくともこの店先をおばちゃんが自転車で通り過ぎようとした時期にはこのお店は営業していたようなのです。そのうちまた確認しに行きたいと思います。その先には謎めいた通りの名の由来であるうけら庵跡があり史跡となっています。うけらとはきく科の多年生草木だそうで、武蔵野台地に繁殖していたことからこれを庵名としたとの説明書きがありました。江戸時代の文人墨客が集まって、詩歌の会などを催したりもしたらしく、今でこそ利便のいい町となった和光市ですが、当時はそうとは僻地だったと思っていたのでびっくりです。近くには「てるちゃん」、「たんぽぽ」―ちなみにGoogleMap城では「居酒屋 よっちゃん」と表示されます―もあり、こちらも現役のように思われ、これは再訪必至ですね。後から地元住民の知人に聞くと、あち一軒には昔ぼくも行ったことがあるそうな。他も営業しているようです。近いうちに行かねばなるまいな。
2019/09/29
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さて、恨み言で始まった戸田公園の呑み歩きですが、まだまだ愚痴を述べたい。そうそうこの夜はA氏も一緒だったのですが、ぼくよりも少し年長の彼はつい先達て人生の大きな節目を迎えたのでした。だからといってこれからの彼とぼくとの関係性にさほどの変化が生じることもなさそうではありますが、まあそちらの話題を肴にまだまだ呑みたい気分だったのです。呑んで酔わないと元来寡黙なA氏から今後の展望なりの好奇心露わな興味津々ネタを引き出すことは困難なのです。ともあれ、戸田公園で呑むことの本来の目的は失われたけれど、A氏と呑むという理由は相変わらず継続しているので、もうちょっと戸田公園で呑むことにしたのであります。 先の中華飯店の側にも数軒の呑み屋さんが軒を連ねています。何処も価格の分かる品書きが衆目に晒されているので安心です。一番お手頃な感じの「いろは」というお店に入ることにします。店に入ろうと扉に手を伸ばしたところに店を出てくるお客さんが二人。入れ替わりに入ったら、あらまあ店内には店のご夫婦がいるばかりです。やたらと広い小上りには巨大なホワイトボードが掲げられ、そこ一面に品書きが板書されています。近頃のバル風の演出はこの店に向いているかというと疑問の残る所ではありますが、そこで食いつくつもりなど微塵もありません。カウンター席に腰を下ろしここで最も手頃な価格だった清酒に移行します。冷えてきたので少し燗をして貰うことにします。肴はそうねえ、そんなに腹は空いていないけれど塩肉じゃがに炙り〆サバを頂きます。どちらも悪くない、というかちゃんと旨いのです。ここが一軒目ならがっついて摘んだかもしれませんが、この程度の量がちょうどちょっと多いくらいで塩梅が良いのです。肴をあまり頼まなくなり、勘定は安くなってきたけれど、長っ尻なのは相変わらずどころか酷くなっている気もするから、店の方には恐縮な気もするのです。そろそろ帰宅の途の事に思いが至るのですが、まあもう少しとなかなかに埒が明かぬのでした。 やっとこさ席を立ち、これで終いにするはずだったのだけれど、通りがかりに「田舎料理 たんぽぽ」を見て考えを変えたのであります。さっきまでの帰路を急ごうという気持ちはあっさりと振り切れるだけのそんな興奮を感じたのです。でもそれは酔のなさせる業でしかなかったのかもしれぬ。今こうして写真を見てみると―見てやしないけれどね―、あんなに興奮してA氏を説得する必要があったのか疑問に思わぬのではないのです。これは今からすると酔いが回っての至極フィルターを通した過剰な反応だったのだろうと思うのです。でも店内は居酒屋というよりはくたびれた洋食店とかに近い感じがあって、その狭くカウンター席のみの造りがここの女将さんの雰囲気に似つかわしく思えるのです。ここは、秋田ご出身のその女将さんが20年程前に始めたという。その前にすでに30年もの長きに亘り居酒屋を遣っていたというからすでに半世紀もの歳月を経ているということになります。シャケのアラ―というには身もたっぷりで贅沢なのですが―に大根と人参を炊いただけの味付けは味噌なのか酒粕なのか酔いせいばかりでなくして判然とはしなかったけれど、とても美味しいのです。これを仮に自宅で拵えても持て余すのだろうなと思うのです。各地で色んな名で呼ばれもするこの料理は秋田ではなんて呼ばれているのだろう。そもそも名などない程に各家庭に浸透しているのかもしれません。女将さんの愛情だとか言いはしないけれど彼女の故郷の味が反映してたりするのだろうか。ただ一人いたお客さんは世代の近い我々の来た事をとても歓迎してくれて、女将さんを交えての談笑が途切れることもなく危うく帰れなくなるところでした。戸田公園にも良い酒場があって胸を撫で下ろすのでした。
2019/07/27
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戸田公園駅で下車するのは一体何年振りのことだろう。ってな発言は始終しているから、ぐうたら者にしては案外ちょこまかとマメに都内各地を巡っているつもりでいて、実はむしろ夜の人より行動範囲は限られているのかも知れない。大体において都内各地を巡っているなんて、戸田公園の何処が都内というのだ。戸田はもう立派な埼玉そのものであるし、その町並みや風景は何処がどうとハッキリとは言い当てられぬけれど、やはり埼玉は埼玉なのです。これは必ずしも埼玉を馬鹿にしてはいないからその辺はご承知置きいただきたいのです。ともあれ、ちょうど東京都内で生活を始めた頃にちょっとトキメキ系の出来事に遭遇してしまったのでありますよ。その娘―むすめと読んでもらうつもり―との最初のおデートが戸田だったというのはやはりぼくの限界を示すのではないかと思って語らぬつもりでいたのだけれど、あゝ何ということか書くことがないからつい語ってしまったのでした。 そんな私的な話はどうでもよろしい、というわけで今回、わざわざ戸田公園に足を運んだのは、すでに放映された酒場放浪記で戸田公園の酒屋さんがその裏手のスペースを使って始めたというお店を訪ねたのであります。ところがですよ。ネットで調べた限りでは日曜日と月曜日が休みのようなのですが、その日は金曜の夜であったにも関わらず一向に営業を開始する様子がないのであります。それが臨時の休業なら仕方がないけれど、貼紙ひとつないからどうもそうではないらしい。もしかするとぼくのようにHPの放映告知を見て事前に駆け付けておこうと考える連中がいるのではないかと想像した。で、自分の事はさておくこととするけれど、彼らがとても不快な振る舞いをしたりして店主がそれに嫌気が指しての臨時休業となったのではなかろうかと邪推するのです。そう思うと、その程度のリスクは覚悟して番組出演を決めるべきだと、必ずしもそうと決まった訳でもないのにめらめらと恨み言を述べたくなるのでした。もしかするとしばらくしたらひょっこり営業を始めるかもしれぬと道路を挟んだ先に「焼とん ごさろ」があったので、立ち寄ることにしたのでした。ごさろは五叉路の意味ね。いやもっと深遠な意味などあったりするのかもしれぬけれど、そこまで知りたくはない。せっかくの五叉路に面しているのだけれど、入口は2つだけ。これが五か所の入口が有ったりしたらなかなか意表をついているのだけれど、もし仮にこの道路状況で五か所の出入口を設けたらものすごい広いお店になったことでしょう。さて、長くなったので、感想は短めにするけれど、カウンター席も15人は座れるし、卓席、座敷を併せると50名は入るだろうから、個人営業店としてはかなりの規模です。そしてそれがほぼいっぱいになっているから大したものです。肴は定番がずらりと揃って自分でオーダーしたものや他所の客がオーダーしたものを眺めて、そして積まぬ姿を見ているとなかなかちゃんとしているようです。気取った店よりこういう店がいいんだよななんてうそぶいて見せるのであります。 戸田公園の周辺はどうも方向感覚を保ちにくいようで、しばらく散策しているうちに自分の立ち位置がまったく見当がつかなくなったので、地図アプリで調べると駅に背を向けてどんどん遠ざかっていることが判明しました。この界隈はお隣の戸田駅以外は最寄といえる駅はないからこれ以上は遠ざかりたくない、なんて引き返し始めると「中華料理 珍来」があったので立ち寄ることにしました。典型的なオーソドックス中華飯店であります。どうということもないけれど、見逃すと後々まで後悔するという類のお店です。赤が基調の正調な内装でケバケバしいはずなのに落ち着くよう幼少時から刷り込みを受けているようです。野菜炒めと餃子という定番メニューを注文。どちらもしっかりとした強めの味付けでビールが進むこと。男性2名と女性1名という店の方たちも調理の手を休めることなくでもテレビ放映にも耳をそばだてていて時折、大いに若いこけていて楽しいムードが漂い実にいい感じです。近くならちょこちょこお邪魔してしまいそうないいお店でした。
2019/07/25
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獨協大学前という少しの愛想もなく、将来に亘って愛着のもてそうにはさらさらない駅名について、これ以上とやかく言うことはよすことにします。すでに名付けられたものは、それを一切合切を世の中から消し去ることはもはやどうしても叶わぬことは歴史が語り伝えるところであります。だからこそ迂闊な改名や愚かな命名は周到に避けるべきということは、世の権力者たちには胆に銘じていただきたいところであるけれど、それを今さら語ったところで詮無きことであります。さて、先日来たばかりのこんな憎まれ口ばかり叩いている町にどうして再び訪れたかというと再びではないのでありました。先般の森尾由美の酒場と中華飯店に立ち寄った後に勢いに乗じて、久々に新田駅界隈で呑もうと歩き出したのでありますが、新田駅に近付くどころか獨協大学前駅の支配下に過ぎぬような町外れで珠玉の物件に遭遇したのでありました。 トタン張りの外観が堪らないノルタルジーを喚起する「家庭料理 たてやま」を見てしまった以上はそのまま過ぎ去ることなどできないでしょう。仮にヘロヘロだったり、終電直前だったりで見過ごさざるを得なかったとしても、翌日になれば気掛かりで仕方なくなりやはりその日のうちに出向くことになるはず。そんな時に限って休業だったりして、難儀する羽目に陥るに違いないのだ。違いないという根拠はないけれどその位の悲運に見舞われることを覚悟した方が良いのだ。ということで店内に足を踏み入れるのだけれど、中に入ればなんともアットホームな空間でもっとギスギスと身構えたくなるような空気感を期待していたせいかいささか拍子抜けなのであります。席に着くとまずはおしぼりを出してくれて、早速に酒の注文をせがまれます。酒が届くと同時に矢継ぎ早にポテサラや枝豆などが眼前に並ぶのでありました。完全突出し式のお店のようです。これってぼくのように好き嫌いのない者にとっては悩む余地もなくて気楽ではあるけれど、勘定書きが常に気掛かりなのであります。結論としては、予想通りでホッとするというかがっかりしたというか。まあ、それはそれとして元気な女将さんと愉快にやれるせいか混み合うことはないけれど、途切れることなくお客さんがお越しになるからやはり年季の重みというのは強いもんだと感心しました。 それで変えればよかったのだけれど、久し振りの東武伊勢崎線らしい酒場での呑み歩きに軽く興奮していたらしいぼくはもう一軒、立ち寄ることにしました。先の酒場とは目と鼻の先の位置にある「やま廣」は、いかにもなもつ焼酒場でありまして、特にどうということもなさそうだけれど、寄らぬ手がないとは思える程度に気になるお店ではありました。この沿線には「加賀屋」系列の酒場が多くてほとんど店名からはその痕跡を認めることはできぬけれど、直感的に嗅ぎ取ることが出来たのは、その系列に名を連ねる「加賀廣」を無意識に連想したのかもしれないし、目につく場所にキンミヤのロゴを目にしていたからかもしれません。かなりの繁盛振りで、しばしの待機を余儀なくされますが、待機と言っても大テーブルの片隅で呑ませて貰えます。そしてその間に注文を取りカウンター席に移るとすぐにそれが出されるという、誠に理にかなった合理的な客あしらいが出来るなかなか段取りのしっかりしたお店に思えて少し感心しました。とか書くとすごいエラソーだなあ。そのせいか、店の人に任せておけば大丈夫だろうと常連達はすごくリラックスしておられ、隣席の女性客は少しくはしゃぎ過ぎだったように思えます。あんまり悪ふざけが過ぎると店の方に見捨てられるんじゃないの。まあ、今のところは店長らしき人に構って貰えているようだけれど、落としたお金もぼくより少ないのに散々粘っていたからね。店の方がしっかりとしたルールで応対してくれるのだから、客にもマナーが必要だということを思い出させてくれました。
2019/06/20
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駅名の改称というのはなかなかに厄介な工場や裏取引を要するらしい。そんな面倒で生臭い話には、ぼくは少しの興味もないのでありますが、多少とも馴染みのある駅名がいつの間にか変わっているのを知るとその経緯を知ってみたくなる程度には好奇心が疼くのです。ぼくの知るこの地の駅名は松原団地駅であります。東武伊勢崎線の駅ですね。で、改称された新しい駅名は、「獨協大学前駅」で副駅名は「草加松原」となっています。以前の駅名が好きだっただけに悔しいのです。経緯についてはネットでいくらでも情報が拾えますが、どうやら獨協大学と東武鉄道の結び付きはとても深くて東武鉄道の社長だったか会長が同大の理事でもあったようなのですね。まあなんだかつまらぬお話でありますが、地元の方はすんなり納得したのでしょうか。もとの駅名が好きなのには、そこに団地が含まれているからかもしれません。日本には、他にも宇治団地前停留場,牛渕団地前駅,工業団地駅,志津川中央団地駅,武庫川団地前駅,山口団地駅などがあるようです、思ったよりも少なくはないようですが、工業団地駅は文字通り工業団地だろうから他についてもいずれその成り立ちを調べてみたいと思いますが、とにかく鉄道駅で団地と付くのはちょっと愉快な感じがします。路線バスの停留所であればそれもちっとも珍しいことではなさそうですが、鉄道の駅名になるんだからどれほど巨大な団地群が広がっているのか、想像力が掻き立てられるのです。その想像を掻き立てる要素が新しい駅名には希薄なのです。とまあひとしきり東武鉄道の路線名や駅名のセンスを腐しておくことにします。 さて、前置きが長くなってしまいましたと一応は反省の姿勢を示しておきますが、なんの事はないいつもの事です。駅名の改称などということは「串焼 ひろ」にとっては些かの影響ももたらさなかったのではないか。いや、もしかすると当店を実家とするとかいう森尾由美さんが新駅名のセレモニーなんかに参加するなど間接的な営業はあったかもしれぬけれど、それを詮索するまでの興味などないのです。近隣の住民である知人が語るところによるといつも繁盛しており、入店困難とか言われているのでダメもとの覚悟を持って不退転の決意で出向くのであります。そしてそうした情報は得てしてアテにはならぬ事を改めて認識するのです。カウンター席には数名がもういい加減で呑んでいるけれど、噂にある地元の常連ばかりで一見客にとって敷居が高いというのも少なくともぼくには少しも当たらぬのです。その要因としては娘さんと似ているか似ておらぬかはともかくとして、その御母堂の明るく人懐っこい応対にあることは間違いないのです。そうした人柄は確かにテレビで目にする娘さんに受け継がれているようだし、よくよく見ると、その目元などよく似ているようにも思われるのですが、余りまじまじ見つめるのは無作法と感じる位は弁えています。さて、焼物がウリのようですが、カウンターの目の前に豆アジの唐揚げ見るとそちらに誘惑されてしまいます。近頃カルシウム不足だから身体が求めたのかもしれません。どんなに旨そうに見えても豆アジの唐揚げは豆アジの唐揚げに過ぎぬわけですが、それでもこういうのが酒場では大変な御馳走に思えるのです。森尾由美さんが天真爛漫に育ったのはさもありなんなことです。 もう一軒、しばらく歩くと「中華飯店 山水」がありました。スタンダードないわゆる町中華とはちょっと趣を異にする、でも今時のセンスではあり得ぬタイル張りのお店になります。現代人の感性ではこういう外観って余り飲食店という感じがしないけれど、古いお店では時折こうしたシャープな印象のお店を見掛けることがあります。まあ、店内に入ってみると至ってオーソドックスな町の中華飯店のそれなので、このお店のできた当時のセンスに郷愁を感じれば余計な詮索など不要なのです。さて、席に着くと奥の方にいる店主にシューマイとビールを注文します。先日、どこかの雑誌で平成はギョーザの時代だったが、令和はシューマイの時代になるといった眉唾記事を目にしたけれど、ぼくはもとより餃子より焼売派であることは常々語って来ました。その割には餃子の方が出現率が高いと思われるのには理由があります。焼売は出来合いの品の出没率が高いというのがその理由であって、実際のところ、スーパーの100円の出来合いものであるかどうかなど見分ける舌は持ち合わせぬのだから杞憂するのは傲慢というものかもしれぬのです。だけれど、手製の品であっても出来合いのものと思い込んでしまうとそう思えてしまうのが焼売の良さでもあり、残念なところでもあるのです。こちらでは一人前でもセイロで出してくれるので、お手製であるのかなあなんて思いたくなるのですが、そんな保証などどこにもないのです。だけれどぼくはまんまとお手製だと思い込むことができたので、既製品以上に美味しく頂けたのは結構な事でした。後ろの席ではサラリーマン3人組がやけに深刻ぶった議論を交わしていて、どうもその深刻ぶった様子とテーマがかみ合わず聞いていて消化不良を起こしそうなので、ちょっと物足りぬけれど、席を立つことにしたのでした。
2019/06/14
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先の店のオヤジが車が見えぬけれどお客さんたちは何用かねと尋ねられます。こうした場合に咄嗟の嘘は露見する事は目に見えています。それにしても呑んでる二人に向かって車はどうしたとはどないなもんだと思わぬでもない。正直に江戸川方面のもつ焼屋に行く前の時間調整に寄らせてもらったのだと言うと、あゝ、あすこは美味しいよ。狭いお店だからすぐに満席になっちゃうけどねと教わり、時計を見るともう開店15分前です。道筋も大雑把にしか把握できていないから慌てて勘定を済ませて店を出るのでした。便所を借りていてその話を知らぬS氏は、何を急かすのかと不満げであるけれど、事情を話すとやはりこちらも慌て出す。ここまで来て入れぬのは敵わぬと思うのは当然のこと。僅か数時間前に通ったばかりの通りに出てようやく安心、まだ4時に5分前だな。お向かいには喫茶店跡があるなあなんて途端に気が緩んで余所見をする。「喫茶室 れもん」というらしい。ハテ、そういえばさっき通ったときと何か店の様子と違うぞ。あっ、暖簾が下げられているではないか、店に向かって半走りに近寄るのです。取りも取り敢えず魔を開け放つと、あゝ良かった、まだご老体が一人おられるだけのようです。慌てたり安心したりと忙しいことです。 そうして無事入店の叶った「もつ焼 まがら」は、カウンター関が7席位、小上りに2卓のこぢんまりしたお店でした。表から見ると呑み屋長屋の有り触れた一軒としか思えなかったのですが、店内はなかなかに渋みがあります。口数は少ないけれど、柔和な表情を湛える白髪頭のカッコいいオヤジさんとこちらも物静かで丁寧な応接の女将の組合せがベストカップルと思えます。とチューハイを呑みつつ観察する間にも次々にお客が訪れていつしか客席は一杯になります。おっさん連中が多い中、可愛い孫娘を連れた家族などもいたり、地元の方に深く愛されたお店のようです。そして何といってももつ焼やもつ刺が滅法旨いのです。旨いものを食って旨いとしか表現できぬのは情けないけれど、旨いものを胡散臭い表現を用いて語るのは、ぼくには滑稽にしか思えぬのであります。だけどそれでもこの店の旨さについてはもっと流暢に比喩表現を駆使できれば良かったと思わずにはおれぬのです。こういう場合、手っ取り早いのが日頃物言わぬ他人の口で語らせてみることです。寡黙なS氏の「こんなに旨い刺しを食べたのは何年振りだろう」とか「S氏(このS氏は酒間のことであります)がこんなに一気に注文するのは珍しいな、しかもいつもはけち臭くちまちま食べるなんて」といった発言から汲取って頂ければと思うのだ。店先でもテイクアウトの焼物を待つお客さんたちがいたりするのだけれど、それも当然の事と思えるのでした。満足して店を出てすぐのバス停で金町駅行きの路線バスを待っていると、向かいの三郷中央駅行きのバスをわれわれの前からここで呑んでいたオヤジさんがパワー漲る様子でそわそわうろうろしながら待ち受けているのでありました。
2019/04/29
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三郷豚腸会さんに三郷のもつ焼店をオススメして頂いたので、早速行ってまいりました。そういや、三郷って町のことは、存在は当然に認識していたし、先般、八潮に行った際も路線バスで通過もしているはずです。しかし、三郷という土地を目当てに出向いた事はこれまでありませんでした。その気になりさえすればいつだって行けるという、その思い込みが結局は行動を規制するもっとも根強い障壁となる事を知らぬ訳ではないのですが、どうしても決行に至らぬのでありました。なので、三郷豚腸会さんの誘いはとてもありがたいのです。 オススメの酒場の開店は午後4時ということが分かっていたけれど、せっかく三郷に行くならちょっと寄り道しておきたい。しかも天気がいいから、それじゃあという事で松戸駅から歩く事にしました。松戸駅の西口を背にしばらく歩くと江戸川に行き着きます。これを渡るのが大変なのです。というかかなり前の事、というかもう昔と言っても大袈裟でないくらい以前に松戸から都内に帰ろうと思い立ったことがあります。その時は今だから言うけれど立入禁止の柵を越えてかなり無茶な思いをして川を渡ったことがあります。今度こそそんな危険を犯さずに安全にのんびりと江戸川を眺めながら、県境越えを果たそうと思ったのであります。しかし、歩行者の渡れる橋への階段が見つからぬのです。やっと見つけたそこはラブホの脇とはなんとも味気ないことだ。これで時間をロスしてしまい焦って橋を渡らねばならなくなります。金町駅から路線バスに乗って来るというS氏と待合せていたからです。しかも橋からの眺めは悪くないけれどとにかく高くておっかないのです。自分のことをことさらに高所恐怖症と思ったことはないけれど、今のぼくは間違いなく高い所が苦手なのです。そうやって、何とか辿り着いた川向こう、既に埼玉県、そして三郷市に入ったのですが、ぼくを出迎えるのは墓地とは先行き不安です。 目的の酒場を横目に眺めつつ通りを南下します。三郷中央駅と金町駅をバスで結ぶこの町の大動脈なのに車通りも少なく、勿論人通りも少ない、そしてそんな場所だから店も少ないのです。看板テントの剥離し切った「味の横綱」については、googleマップで見ていたけれどやっているとは思っていませんでした。日頃活躍の場のないS氏ですが、そこが営業していることを知らせてくれたので、せっせと歩くと案外あっさりとS氏の姿を認めることができました。腹も減っていたのでさっさと店内へ。定番の餃子以外にも肴はそれなりに揃っているので、近隣住民のさかばとして機能しているのでしょう。外観の廃れ具合に比すると内観は至って穏当。控えめな夫婦でやっておられるようです。味も値段も雰囲気も普通ですが、ここのことぼくはとても好きだしせひ地元の方のために頑張って続けて頂きたい。なんて軽々しく頑張ってなんて言ってはいけないんですけど。 たまたまgoogleマップで見掛けた「祭り」に行ってみました。場所柄、昼間でもやってそうに思えたからです。川べりの休憩所といった立地なのです。ストリートビューな画面からはしかとは確認し得ぬのですが、どうやら昔風のバラック長屋の奥が居酒屋店舗のようなのです。現地で実物を見ると、これは当然に昼間からやっていて然るべき店ではないか、というか思いはより強まるのですが、残念な事にやってはいませんでした。でも入ってもいないのに余談は禁物ですが、こうしたインパクトのあり過ぎる物件は意外と身を据えるとどうということもなかったりするのだと述べると、行かずじまいにしてしまった悔し紛れの発言にしか感じられぬのであります。 まだ、お目当ての店の開店まで時間がありますから、営業していた「そば処 藪重」にお邪魔しました。へえ、蕎麦屋なのにもんじゃもあるのかあ、なんだか出鱈目な店だなあと不信感も懐きながらの入店です。戸を開け放って声を掛けてもしばらくは音沙汰なしです。これは大丈夫かと思いだした頃になってようやく奥から男性の声が聞こえてきます。見るからに太平楽なとぼけたムードを全身から放つオヤジが登場です。奥の席に着くことにします。蕎麦屋なのに酒の肴も充実しています。今こそ客も居らぬけれど、夜になると近所の住民が家族連れ立って案外賑わうのかもしれないなあ。近隣には飲食店もあまり見当たらぬから。これなら蕎麦抜きで呑みの姿勢でも許されそうです。肴は肉じゃがとさつま揚げ程度にしておこうか。これがどうも冷凍したものを解凍して出しているだけらしくてどうもいただけぬのです。むしろサービスのカルパスや柿ピーで充分だったかも。でもまあこういう緩?い商売のお店があってもいいのかもね。ほら、作業着姿の顔馴染みのお客さんがやって来ました。早目に仕事を切り上げて帰宅前の一杯だろうか。至福の表情を浮かべてグイッとチューハイを喉逃しこむのが見えました。
2019/04/22
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何も好き好んで大晦日に呑み歩きする事もなかろうに、年の暮れ位は家族とのんびりテレビなと眺めて過ごせばいいんじゃないの、そんな意見が聞かれそうです。ぼくもそうは思うし、家でだらしなく過ごすのもけして嫌いじゃないどころか大好きなのであります。大晦日と正月三が日位は家でこたつに当たりながらお節なんぞを肴に食っちゃ寝したいと切に願うことを語って憚らぬのであります。だけれど、己を取り巻く状況がそれを許さぬのであります。このブログを読んでくださる方ならイニシャルのみお馴染みのS氏と落ち合い、是非ともに解決しておかねばならぬ課題があるのでした。それはまあケチ臭い都合でありまして、S氏が余らしている青春18きっぷの残り一回分を購入するためです。互いにとって都合の良い町がたまたま久喜だったという事で、果たして電車賃を払ってしかも酒まで呑んでは元が取れるのだろうか。といった仔細なことは考えぬのが賢明です。随分久し振りの久喜だし、呑みに来た事はなかったはずだからそれで良いのです。とはいえ大晦日のおやつ時でやってる酒場などあるのだろうか。かなり時間を掛けてそれなりに良さそうな酒場を見つけたけれど、開店まではまだしばらく待たねばならぬようです。そういや東武線の改札の前に中華料理店らしき店への引き込み通路があったなあ。そこで時間を調整することにしよう。 向かったのは「中華 ファミリーレストラン 上海菜館 久喜駅東口店」であります。久喜駅東口店ということはチェーン店なのだろうし、あえて東口店ということは西口店もあるのかなあ。まあそんな事はどうでもいい、寒くなってきたし、何より呑みたくて仕方ない。店内は結構な広さだけれど時間も時間だし、何より大晦日のもうすぐ夕暮れ時を迎えようという時間に呑み歩く人もそう多くはないだろう、いや多くないと思いたいものです。でもまあしばらくして独りの若者が、さして孤独そうな表情を浮かべるでもなし、淡々と味噌ラーメンとチャーハンだかのセットを平らげていたから、案外今時の若者は年末年始なんてことにほとんと無頓着なのかもしれぬ。似たようなことをしているぼくには無論、近頃の若者はなどと人生の先輩振る資格もないのであります。でもさっきも書いたけれど、ぼくにはホントのところ年末年始をだらしなく過ごしたいという願望は残されているのであります。幼少の頃はコタツに潜り込み、日がな下らぬTV番組をだらしなく眺めるのは至福の時間に思えたし、その記憶は深くぼくの行動規範の根幹に巣食っているのです。ともあれ、こうした時期でもないと時間の自由が利かぬ以上、残された時間は有効に活用するしかないのです。しかしまあさすがに年末に餃子やポテトフライなどというジャンクフードの代表のような料理ともいえぬような料理を肴にチューハイなどを呑むのが有効な時間の過ごし方とは、よもや思いはしないのではあります。でも都心であれば平常時と何ら変わらぬ、いやむしろデパートなどは普段より賑わっている、そんな時期に郊外の何ら変哲のない中華料理店、しかもほとんど客のいない店で過ごすのも一興であると思うのです。久喜の中華料理店は、そんな年の暮れの物悲しさと安堵に包まれていたのです。 さて、ここ「酒処 和ちゃんのお店」も変わらず営業していました。駅前のそれなりに広いけれど商店も疎らな通りの路地に不意に現れるこのお店は、駅から手近で済ましたいと思う方にとっては通うには少し遠く思える微妙な距離感があります。さっきはまだ明かりも灯っていませんでしたが、大晦日も通常通りの営業という貼り紙を見て舞い戻ってきたのでした。ガラス戸からは赤っぽく照明が漏れており、どうやらぼちぼち開店となりそうです。まだ開店準備の真っ只中らしい様子ですが、そんな女将さん、瞬時のうちに我々の値定めをして通してくれました。カウンター席と小上りに2卓という狭いお店で、その窮屈なところがここの客達は、親密な距離感を余儀なくされるという印象を受けるのでした。おでん風の煮物のお通しとホッピー、いつもと何ら変わらない。店も初めてではありますが、今年一年を振り返ってもこういうお店で何度となく呑んだ気がします。壁には開店当時の写真が貼られており、それを眺める限りでは今と少しも変わらぬように見えます。店の前に立つ女将さんも今とはそう変わらぬようです。通りすがりに立ち寄るぼくらでは知り得ぬような、この店だけの歴史がきっと少なからずあるのでしょう。果たしてここが列車に揺られて訪れるべきか、再びわれわれがここに来る事があるかは分からぬけれど、なんだかまた迷い込んでしまいそうな予感があります。
2019/02/13
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またも線路沿いを駅方面に歩いていくと、おお、どうやら開店はそう遠くないらしい。女将さんらしき方が掘立小屋―これは屋台と呼ぶのは適当なのだろうか、ぼくの気分では屋台というのは可動式の移動可能な店舗をそう呼びたいような気がする―の前で、炭火を熾しているらしい。先程通り過ぎた際は一つが家庭用物置程度の白い謎の箱が3つならんでいるばかりでとてもここで商売ができるようには思えなかったので、半信半疑だったのですが、こうして女将の姿を確認できると俄然興奮は昂じるのでした。しかしまだ開店までは間がありそうです。しからば久しぶりにあのお店で少し時間を潰すことにしようか。 ぼくがわざわざ紹介するまでもない「いづみや」であります。まず本店の方を覗いてみたのだけれど、満席とのことでお断りされました。まあ気にするまでもない。S氏が行きたいと言っただけのことなのだ。ぼくとしては、「いづみや 第二支店」の方が好みなのです。何が好きって、ごちゃごちゃした店内の迷路とは言わぬまでも入り組んだ席の配置が楽しくて仕方ないのです。孤独を噛みしめつつ呑みたい時には壁に向かって呑むもよし、陽気に何人かで騒ぎたいや気になるオヤジと交流したい時は追い込み式の卓席も良しと万能振りがぼくに向いているのです。本店の整然とした配置もそれはそれで好きだけれど、それだとどうしても人々の顔つきも似たような様子に見えてちょっと物足りぬのであります。先があるので控えめに、煮込みと何かを頼んだら売切れだって、本店にもないみたい。相変わらずの大盛況でやはりここはいいなあと納得の酒場なのでした。 さて、そろそろ「おでん屋台 ゆたか」を目指すことにしましょう。横浜駅を囲む運河前にもこういう掘立小屋の酒場がずらりと並んでいましたが、何年か前に突如撤去され結局1度しかお邪魔する機会はありませんでした。ここ大宮にも小屋は3つ残っていますが、今でも営業を続けるのはここだけで、お隣は5年前に店を畳んだとのこと。でも女将さんの様子を見る限りではまだまだお元気でいらっしゃるから当分続けてくれるんじゃないかと安心しましたが、それでも何があるか分からないですから、今回無事にお邪魔できて僥倖でありました。お隣になった女性のお喋りなお客さんは東日本大震災でいわきから避難してこられたそうな。来られてからしばらくは「いづみや」でお勤めだったとかで第一支店は浦和にあったことなどを教わりました。ちなみに席はたった5席だけですし、これからおでんの季節で出すようになるともっと早く席が埋まってしまうらしいので、様子を伺いつつ開店したら即入店することをお勧めします。情報提供くださったハードコア丸山さんには改めて大感謝を申し上げておきます。 実はまだ生存確認を済ませていないので、公表は差し控えますが都心からそう遠くない土地にやはり同様の屋台というか小屋の酒場が数軒残っているらしいので、いずれ遠くない時期に報告できればと思っておりますので、この手の酒場が好きな方は乞うご期待です。
2018/11/14
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