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若い頃は家にじっと閉じ籠っているのが不安でした。不安というよりは家にいる事が悪のように思って、せっせと出歩いたし旅行にも出掛けたのです。当時のぼくは余りにも若く常に自意識が過剰に分泌されていたようで、自宅に明かりが灯るのすら恥ずかしい事ではないのかとすら感じていたようです。でも今なら恥じらいなく断言できるけれど、ぼくは紛れもなく出不精だし、同時に家派でもあるのだから外出は本来であれば大の不得手なのです。ならば何故に出歩くのか。かつてのように自意識が理由であれば分かり易いのでありますが、事態はもっと単純で家で過ごしていると退屈になるのです。退屈が嫌いだから外出するというのは案外一般的な事だと思うのですが、いかがなものでしょう。退屈しのぎに酒場や喫茶を巡るというのはまあありそうな話で、とにかくぼくはそんな世間の多くの人達と同じようなメンタリティに縛られて歳を重ねてきたのです。旅に出るのも同じ事です。旅に出たところで不便で辛いことのほうがずっと多くて、何でそんなに苦労をしてまで出掛けていくのか。お金だって掛かるしね。旅に出たって、酒場や喫茶巡りをしたって、実はそれ程の強い刺激が得られるわけじゃなし、こうなるとむしろお金を払ってあえて退屈を買っているようなものです。否応なしに到来する退屈に対して自ら求めて奪い取った退屈の差、この倒錯的な行為であるが故に、それに惹かれるのかもしれない。 我ながら無理の多い理屈であるけれど、人は多かれ少なかれ無駄な事に心血を注いでいくものです。それを確認するにうってつけの物件があります。それを求めて高崎に向かう事にしました。この旅は終始そうした一般人の理解を超えたレベルで、得意な物件に対して情熱を注入した人達がいたということを確認する旅になります。そのような強い情念によって生み出された物件は何物につけ狂気の気配を背後だとか内側に漲らせているものだけれど、ようやく訪れる事のできた高崎白衣観音は至って憩える表情を浮かべていたし、胎内巡りも有難い気持ちになったものです。洞窟観音などはより有り難みが増して、隣接する庭園に腰を掛けて満面の笑みを浮かべる閻魔大王にはコチラも幸福な気分にさせられたものです。 それに引き換え、高崎観音の参道入口そばの「ケインズ」には、少しも心安らかにしては貰えなかったので、外観のみ晒すに留めたいのです。決定的なのは店主には、熱情が決定的に欠如しているのだ。その理由は例のごとく詳らかにせぬのです。 というだけでは、喫茶巡りの報告としてはいかにも貧弱なので、「自家焙煎珈琲 いし田」にもお邪魔することにしたのです。本当のところはすぐそばの別なお店を訪れるのが目的だったのですが、路線バスの時刻が合わず洞窟観音からは歩いて高崎市街を目指したため、ちょっとくたびれたのでまずは喫茶店で一服したかったのでした。ところが最初こちらを訪れた際には満席で断られ、食事を終えた後にもほぼ満席で待たされるほどの人気店なのでした。いやいや人気もありそうですが、それ以上に店の方がのんびりしていてそれが主な原因となって混雑していたのかもしれません。といったわけで、豆屋的なのんびりとした応対で、かといって内装が目を見張るようなところがあるわけでもないので、純喫茶風なるものを求める方には余りお勧めしませんが、観光の後に時間に余裕のある方であればお寄りになってもいいのでは。店の方は、高齢女性でありましたが人柄は大変よろしくていらっしゃったので。
2019/07/21
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酒場篇はあっけなくも終了してしまいましたが、喫茶篇はもう少しだけお付き合いいただかなければなりません。沼田からの路線バスに揺られて向かったのは後閑駅でありました。まだまだガキの時分に上越線に揺られて東京に遊びに行く際に、当時は後閑駅とは認識せぬままに何度となく通り過ぎていたけれど、ついぞ下車する機会に恵まれませんでした。何度か通過した頃には、車窓から不可思議な建物の存在を認知するに至っても、それが喫茶店などとは思いも及ばず、そしてその頃には喫茶店のためにわざわざ途中下車しようとかいうような行動を取ることはあり得なかったのであります。そんなぼくの人生とは関わりを持つことなどなかろうと思っていた後閑に気持ちが傾きだしたのは数年前から新潟に対して、ガキの頃に抱いていたわだかまりのようなものが霧散して、むしろ大いに楽しめるようになってからのことです。後閑は言うまでもなく群馬の町で、風土の印象も新潟のそれとは大いに異なっていたけれど、もう少し行けば新潟だという期待感がこの町への好奇心を増進するきっかけとなったのかもしれません。 後閑駅に到着後、すぐに「ドイツコーヒー 夢」を目指しました。ここはとにかく注文の品が出てくるのが遅いという情報を得ていたので、よそ見をしている暇などないのは甚だ残念なことなのです。以前は車中から眺めていた中世ヨーロッパの妖精なんぞが住んでいそうな建物が目の前にすると案外小さくて、遠目から眺める以上に信憑性のあるリアルな雰囲気で、とてもここが群馬県とは思えなくなるのです。店内にはとにかくやたらめったらと中世気分?を盛り上げてくれるグッズで埋め尽くされており、そうしたものにまるで関心のないぼくですら見入ってしまうのです。見入っていて楽しいのは間違いないけれど、噂に違わずとにかくコーヒー一杯―といっても単なるドリップやらサイフォンで淹れたものとは違うアレンジコーヒーですが―がいつまで経っても出てこないのです。店の女性は次の列車待ちですかと状況を心得てお聞きになってくれたのに、それでもわれわれの存在など忘れたかのようなのんびりとした対応なのです。一電車位遅らしたって構わないじゃないかと言われているようです。結果は辛うじて列車に間に合いました。それにしてもこんな家屋で過ごしたら心境に変化が及びそうですが、ちょっと試させていただきたい気もします。 後閑駅から沼田駅までの切符を買い足します。ここからは上越線を新前橋駅で乗り継いで高崎駅まで向かいます。高崎では、本当なら洞窟観音を見に行くつもりでしたが、思ったより疲労が溜まっていたようです。もう帰京まではのんびり高崎の市街地の散策に充てようということになりました。であれば、同行者を連れて行きたいお店があります。「コンパル」です。久しぶりに訪れると、あれっ、以前訪れた時の胸の高鳴りが感じられません。これは一体どういうことだろう。前回より確かにさらに店の褪色は進んでいるけれど、それが胸が高鳴らぬ原因でもなさそうです。恐らくは初回時よりも冷静にこの店を眺めてしまったのでしょう。店の印象というのは気持ちのありようでいかようにも変化するものなのですね。これを経験すると好きで好きで仕方なかったようなお店には再訪すべきでないのかもしれません。「各種ボトル類 珈琲・軽食 巴里園」は、何度来ても入れないなあ。外観からだけでもなかなか良さそうなことは感じ取れるのですが。高崎にはまた訪れる機会もありそうなので、その時こそ必ずやお邪魔したいと思います。「ラ メーゾン(La maison)」昭和21年創業の洋菓子店併設の喫茶店であります。草創期の群馬交響楽団を描いた今井正の『ここに泉あり』で、このお店は劇中の練習場所として店舗を提供したといったことが新聞の切り抜き記事で知ることが叶いました。洋菓子店に設けられた喫茶室というのは基本的に好きでありますが、ケーキが主役ということからだろうか、案外地味目なことが多く、ここもその例にもれずちょっと物足りなく思えました。
2019/03/03
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沼田―後閑を巡り、まだ旅を〆るには早い気もますがそろそろヘバッてきたので高崎をこの旅の締めくくりの町とすることにしました。高崎には事ある毎に立ち寄っているのにいつも短時間を寄り道するばかりでじっくり腰を据えて散策した事はない気がします。本当はここでもいかにも観光らしい予定を立てていたのですが、高崎が初めてという同行者の希望を取り入れる事にしました。かつてのぼくならエゴを剥き出しにして、どこまでもひたすらに己の希望を押し通したものだけれど、ずいぶんと他人との和を尊ぶようになったものであります。かつての旅は他人を伴うだけの個人旅行だったけれど、ようやくにして旅のさまざまな見聞を共有する事の歓びを知ったというところでしょうか。ともあれ、高崎の市街地をひと巡りしているうちに空も赤く染まってきました。ここらで旅の終わりの食事、いや一杯やって帰京することにしましょうかね。 高崎ではこれといって立ち寄りたい酒場もなかったので、同行者の意見を聞くとそれなら郷土料理の食べれる店が良いと仰る。どこに行っても似たような肴で呑んでるぼくではありますが、提案があればそれに従う程度には協調性を持ち合わせています。ところがネットで調べると群馬ってこれといった郷土料理などなさそうなんですね。駅に併設のショッピングビルに横川名物の峠の釜飯の販売元が出してるお店があって、それは高崎に到着した際に見掛けたけれど、そこは最後の選択肢にしたい。どうやら近くに絹市場なる飲食店を寄せ集めたエリアがあって、その一軒「絹市場 田舎料理 来来(らいらい)」というところで地元の料理を頂けるらしい。ここは絹市場オープンに併せて群馬県南西部の山間にあり、高齢化率日本一の自治体としても知られる南牧村から移転して来られたとある。ちなみに南牧村は「なんもくむら」と読むらしく、長野県にも南牧村がありますが、こちらは「みなみまきむら」と読むそうです。さて、そんな店だから店の情緒とかそういったものは少しも感じられず、高崎まで来てこれでいいのかと忸怩たるところもあるにはあるのだけれど、それも料理が良ければ良しとしよう。カウンター席には地元の方が肩を並べて呑んでおり、そこに東南アジア系の青年が入ってきました。漏れ聞こえるところによると彼は休みの日には県内の各地に出向いて良さそうな居酒屋で呑むのが楽しみだという。西洋の人が日本の居酒屋文化に理解を示してみせるなんて光景は時折見かけますが、アジア系の外国人にもこうした趣向を楽しむ方が出てきたのは果たして良い傾向なのかなあ。まあそれは置いておくとして、鉱泉湯豆腐、こんにゃく寿司、餃子などを頂きます。鉱泉湯豆腐は何とかいう温泉の鉱泉をニガリ代わりに固めた緩い豆腐鍋で、基本は温泉水の含有する塩分で頂くというもの。ありそうだけれど他にはあまり見掛けぬ料理でこれはこれでなきオツなものです。とまあ色々書きましたが、少なくとも近所にここぞという酒場がなければやっぱりぼくもここに通ってしまうんだろうか。「安兵衛」は、高崎では古参の酒場であるらしいことは帰京してからしったけれど、一瞥した限りはでかい赤提灯が目立ちはするけれど、そこらにどこでもありそうな普通の居酒屋に思えました。しかし、まず店に入ってその繁盛振りにただのお店ではなさそうだという印象を受けました。あまりの混みようにわれわれはしばらくの間、入り口付近で待機するを余儀なくされました。所在なく店内の様子を眺めることになりますが、こちらはどうやらおでんがメインのお店のようです。ぐるりと囲みのカウンター席が店の中心に据えられているのもいい感じです。しかしなんというかこの立派なカウンター席で独り呑むというのはかなりのプレッシャーを感じずにはおられない気もします。実際、独りの客は見受けられず、大体がカップルというのも敷居を高くします。やっと順番が回って来て、カウンター席の奥に通されました。これがまあ窮屈なんですね。おでんの季節はやはり冬ということになりますが、冬は外套などで何かと手荷物が多くなりがちなので、それが邪魔っ気で呑みに集中できないのは客の側の責任なのだろうか。目の前にはおでん鍋がふつふつ煮えているし、燗付け器も風情があるけれどどうにも落ち着けないのが至極残念なのであります。全般的に庶民的な価格と味ではあるけれど、高級おでんと立ち呑み店などの格安おでんとの中間の曖昧さが付きまとい、どうも身が入りません。どうやら高崎の酒場とはソリが合わないのかもしれないなあ。いやいや、これほどの規模の町なのだからきっとぼくの落ちこぼれた感性にも引っ掛かる酒場がきっとあるはずです。もっと腰を据えて高崎を散策する必要があるみたいです。
2019/02/25
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前夜であっても本当ならば土合駅まで行けなくはなかったのです。でも日も暮れていては絶景を眺め損ねてしまいます。ということで翌朝は上越線で土合駅に向かいます。土合駅は鉄道ファンなら知らぬ者もおらぬだろうから、鉄道ファン向けのブログではあらざるところのここで敢えて語るは不適切であろうと考えるのです。でもそれでも敢えて一言だけ語っておきたい。ここの風景を眺めるのは、観光の真髄たる驚きをきっともたらしてくれるものと信じて疑わぬのです。地の底から700段だか800段だかの緩やかな階段をひたすら上がります。その苦行を厭う余りにこれまで何度となく機会がありながらそれを放棄してきた自分に口惜しく思うとともに、この年になるまでこの楽しみを取っておいて良かったと心底思うのです。そして、できる事なら雪の降り積もる季節に訪れて頂きたい。これ程の景観を鉄道ファンに独占させるのはあんまりにもったいない。ここには観光の愉楽そのものがあります。 土合駅を出てその脇には「谷川岳ドライブイン お菓子の家」がありますが、ここはまだ営業前です。商品ケースを眺めますがなかなかの強気な価格設定です。また場所が場所だから仕方が無かろう。土合駅からは急げば上り列車で折り返すこともできますが、それも芸がない。調べると土合駅から水上駅に向かう関越交通の路線バスがちょうどよいタイミングで通りかかるようです。このプチ贅沢なアイデアはぼくではなかなか思い浮かばなかったかもしれません。なんてったって、せこいからね。これでうまい具合に上り列車への乗り継ぎができるのです。他に乗客もおらぬ車内からの眺めは列車からはうかがい知れぬ地域の生活も垣間見られ興味深いし何より楽しい。途中の鄙びた温泉街も風情があるなあ。 水上駅前には「喫茶 軽食 白樺」などの土産物店を兼ねた食事処や喫茶店がありますがまだ営業前です。店内を見ても格別な見どころはなさそうですが、それより何より実用に沿った使い方をしたかったなあ。水上駅前で多少の時間があるのは大概が朝方です。水上駅からは上越線にて沼田駅に向かいます。水上駅はJR東日本の東京近郊区間に含まれるので、途中下車ができるようにその一駅先の湯檜曽駅から東京都区内までの切符を購入しました。もっと効率のよい買い方もありそうですが、ぼくの鉄道知識ではこれが目いっぱい。 かつて新潟に住んでいた頃や実家に帰省する際などそれこそ飽きる位にこの列車に揺られたものですが沼田駅で途中下車した事は何故かありませんでした。新潟に向かうには、取り敢えずは水上までは到達しておきたいと思うのは時刻表を眺めて頂くまでもなく容易に推測できることでしょう。しかしまあそれもケチ臭く交通費を節約しないなら幾らも手の打ちようがあることをこの先知る事になります。 沼田には思い付きで立ち寄ったので具体的なプランは用意していません。駅前にはこんな時にお誂え向きに?無論お店の方もそれを当て込んではいるのでしょう?「喫茶 ハイマート」がありました。特に目立つところのないごく普通、いや外観だけならむしろ都内のコーヒーショップと変わらぬような構えですが、こういう地方都市ではあるだけで有り難いと感じてしまうのです。そしてじきにそれが大いに不遜な傲慢な考えであることを知るのです。それさておき店内は山間の町らしくウッディな質感を前面に打ち出しており、個性はないけれどとても使い易くこの先の行程を話し合うにもってこいの環境でした。 ここで主人に沼田城址に向かうには目の前のロータリーから出る路線バスが便利とお聞きしました。地図を眺める限りはそう遠くもなさそうですが、せっかくなので停留所に行くと一台のバスが出発までの待ち合わせをしています。運転手に聞くとこのバスが通るということなので言いつけに従いバスで沼田の市街地に向かうことにしました。あっという間もなく降車地点に到着。しかしそこまでは急峻な坂道が続いていたので随分時間を節約できました。 まだ「ティールーム 針葉樹」は、開店前なので城址公園をしばし散策。町を見下ろす展望地点に立つと駅は遥か下方に豆粒のように小さく見えました。見晴らしが良くて実に気分が良い。思ったより見どころが多くてゆっくりと散策できました。そろそろ公園前の喫茶店も開いただらうか。店の前には観音様だったかな、が置かれたりして西欧風のルックスに先鋭的なニュアンスを添えるそのセンスはとても好みでした。店内からも緑の木立ちが眺められ気持ちが良いのです。動植物に関してはまるで教養のないぼくですがその木々が針葉樹に見えぬのも想像力を掻き立てられます。内装はおとなし目で特に目立ったところはありませんが、散策の小休止にもってこいな素敵なお店でした。 あと、写真を撮り損ねましたが丸テーブルに木製チェアが素っ気なく配置され、これでもう少し広ければ西部劇に出てくる酒場みたいな雰囲気の「カフェ・ド・ロジェ(CAFE de Roge)」はありそで案外見掛けないタイプのお店でぼくは案外こういう店も好きだったのだと気付かされました。 他にも「喫茶 エスポワール」や「喫茶 ベルグ」などをお見掛けしたけれどこれらはお休みのようです。特筆すべきはこの町の散策がなかなかに楽しい事です。古い店舗や艶めかしい路地なども多く広くはないのでそんなに時間を費やすことなく充実の町巡りができるのです。 ちなみに帰宅後に町の地図を見て思い出したのがこの町には「スナック&喫茶 駅」というのがあってそのお隣の「かずのや食堂」ともどもぜひお邪魔したいとかねてから考えていたのでした。その時はすっかり失念していました。その見栄えについてはストリートビューから拝借。 沼田駅からは後閑駅に引き返すことにしましたが、これは後閑のお目当ての店が11時30分からの開店だからです。時間をうまくやり繰りするには多少の贅沢も必要ということか。沼田の市役所前から出ている関越交通の路線バス―実際にはそのちょっと手前の保健福祉センター前が起点で、乗車したのは隣の東倉内町というバス停でした―に乗車しました。おばさま二人がバスの発車時刻を確認して猛然と歩き出しので、懸念がわきますが、2停留所先の沼田局前という停留所で2人は立って、ぼくをにやにやと眺めています。やられたと思いますが、こうしたバス旅はセーフティが原則です。結局後閑駅までで50円の差額が生じましたがそれも仕方ないことです。このバスは後閑駅や上毛高原駅を通って、赤谷湖というダム湖のそばの猿ヶ京まで行く結構な距離を走る路線でした。
2019/02/24
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富岡観光を終えて、向かったのは、水上であります。この日はこのブログでは稀有なる温泉宿が宿泊地となります。水上駅に到着すると駅前はもうすっかり夜の帳に包まれていて、黒い夜空を見上げるとちらほらと舞うものも見えています。足元に気を付けながら温泉街を目指します。かなりの距離を歩かされることを覚悟しましたが、思ったよりずっと簡単に温泉街に辿り着きました。途中、何軒かの居酒屋やらスナックらしきものもあり、事前にある程度は調べておいたとはいえ、ホッと胸を撫で下ろします。コンビニらしき店舗もないから下手をするとホテルの売店で食いつながざるを得ません。宿泊先である「せせらぎの宿 水上温泉 ホテル一葉亭」は、チェーン展開する閉業ホテル建屋を買い取ってのリノベーション系格安温泉ホテルのようで、食事はバイキング方式にして経費削減を徹底化し、低価格化を実現しているようです。部屋は改装前の純和風でたまにはこういうのもいいなあと思うのですが、結局くたびれ果てて、風呂に入らず、和室の夜も堪能せずに寝落ちしてしまったのでした。 駅からホテルに向かう道中に見掛けた酒場でもっとも怪しげなムードを放っていたのが「和風スナック だるま」です。スナックってのが幾分気にならぬでもないけれど、迷うほどに多くの酒場があるわけもなく、旅装を解くと早々とこちらに向かうことにしたのでした。それにしてもそれほど多くの温泉街を知っているわけではないけれど、宿に入るとホテルなり旅館なりにこもりっきりになってそれで満足するお客さんが多くなったのか、大概の温泉街は昼間こそ土産物店やスマートボール屋がやってる程度で、居酒屋など滅多にないものです。都内近郊の箱根や熱海にしたところでラーメン屋がある程度でほとんど居酒屋がないのでした。なのに、まあそこそこ知られてはいるけれど、日本の温泉地ベスト10などやってみたとしてもまず名を上げられぬであろうこの県境の小さな集落の温泉街にこれ程までに現役で営業している居酒屋があるというのは心強い限りであります。これから入ろうとしている「だるま」にしてみても、あからさまにスナックを連想させるような地下のお店でありますが、実際にそこに収まってみるとスナックっぽさは微塵も感じられず、見損なっただけかもしれぬけれどカラオケ機器もなかったような。カラオケがない代わりではないけれど他の客もおらず、演歌のようなシチュエーションにそれはそれで気分がいいのでした。日頃演歌を聞くことなどまずもって皆無に近いけれど、こうした余りにも日本らしい日本の酒場の中に身を置けばこれは独り黙りこくって時折突き出しのおでんを摘みつつ、ひたすら熱燗を胃の腑に流し込むなんてのが似合いそうなところで、その状況を脳裏に浮かべるだけで酔っちまいそうなのです。ところがこちら、それだけじゃないんですね。内陸の山間地であるというのに刺身がビックリするくらいにうまいのです。よもやこんな土地でこれ程に旨い魚介に巡り合うとは思ってもみなかった。実は少なからず感動しました。まあお値段はそれなりなので心してあれば満足して頂けるかと。 さて、でもまあ当然物足りぬ。もう一軒ばかりお邪魔しよう。ちょっと面白そうな店が何軒かあったので迷いましたが「お食事処 雪松(雪松食堂)」にお邪魔することにしました。店内は外観から想像するよりずっと広くて、昔風のお店というよりは、案外に落ち着いた居酒屋さんのようでした。で出すのは中華料理という事で何だかチグハグとしたところは人によっては面食らうところでしょうがゆっくり呑んだ後に麺食らうのは大いに歓迎します。でもそうは食えぬからワンタンと八宝菜を注文します。味はまあそこそこですが、量は多いくらいですっかり満腹になりました。他に客のいない店内には自分たちの声と食器の当たる音だけが響いて、こうした物悲しさにも旅情を感じるのです。
2019/02/18
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ぐんまワンデー世界遺産パスというのが発売されました。今年いっぱい群馬県内のJR線(埼玉県の深谷駅以北や栃木県の小山駅以西が乗車可、特急券を購入すれば新幹線にも乗れるのだ)、上信電鉄線、上毛電鉄線、東武鉄道線(栃木県内の駅も一部乗車可)、わたらせ渓谷鐡道線の普通・快速の自由席に乗車できて2,100円という大変お手頃な乗車券なのです。カッコ書きの注は複雑なので詳細はHPをご覧ください。今回の旅のきっかけは、このパスが発売されたことを知った時に遡ります。遡るといってもこのパスを使いたい、いや使わねばもったいないとおもっただけでありまして、お手頃な切符などの各種乗車券がきっかけに旅のプランを模索するということがぼくには良くあります。今回も特に群馬が好きだとか気になるだとかではなくて、たまたまお手頃かつお手軽に旅することができるという理由からスタートしたのでした。 机上のプランでは、JR宇都宮線の宇都宮行で小山駅に向かいこのパスを購入予定でした。しかし、購入するために与られた時間はわずか5分。両毛線のホームが無茶苦茶離れていることを忘れいて、指定席券の購入できる券売機ならこのパスが購入できるということで、事前に用意していたQRコードを握りしめており、これまた改札口に駆け付けられる降車場所に席を確保までしていたのでした。これだけ綿密に計画に盛り込んでいたにも関わらず、これを購入できる券売機はなく、やむなくみどりの窓口に駆け寄るが、前の客とのろのろとした応対をしていたため、断念してまたもや改札をSUICAで通り抜けることになったのでした。しかも先に書いた通り両毛線のホームは無茶遠いのです。結局桐生駅にてこのパスを購入。わたらせ渓谷鐵道に乗車、車内にてベレー姿の微妙な出で立ちの青年から沢入駅から通洞駅までの車内補充券を280円にて購入したのでした。同行者のたっての希望により、先般訪れたばかりの足尾銅山にまた行く羽目になったのでした。 そう言ったけれどけしていやいや行ったわけじゃありません。わたらせ渓谷鉄道からの景色にしてみても前回は真っ暗でほとんど表の様子が見えなかっので、それを眺めるだけでも満足なのです。神戸駅の「列車のレストラン 清龍」や神戸駅の駅舎と駅前の「旅館 食堂 みどり」などの見所もありました。 通洞駅に到着。足尾銅山へ向かいます。ちょうど点検中で入場料が半額なのは、先般ひと巡りしたばかりのぼくには有り難い。待合所のポスターに「ぼくは初めて歴史を見た。光がまぶしかった。」の文章の過剰で大胆な語り口に身震いしつつ微苦笑を浮かべてしまいました。 ここで桐生まで折り返す予定ですが、時間調整のために前回お休みで入れなかった「ラポール」に立ち寄ることにしました。やはり閉まっていましたが店内からは人の気配がひしひし伝わってきます。写真で見る限りは、扉が閉まっているとそんな気配など微塵も感じられぬのに不思議な事です。しばらく散歩するうちに待ちきれず店内に声を掛けると入って構わぬと仰る。ならば遠慮せずにお邪魔します。外観と同様にあまり目立ったところのないお店ですが、しばらく腰を落ち着けてゆっくりとコーヒーを口に運んでしみじみ眺めてみると、金というか黄土色というかベルベット生地のような壁面にアラビアの如何わしいお店にいるような気分に浸ってきました。こういう店は普段の喫茶趣味とは違っていて、写真で眺めても余り面白くなさそうだけれど、現場ではそれなりの情緒を感じられました。通りすがりに「喫茶 ふくしま」なる閉業喫茶もありましたね。見逃していました。 わたらせ渓谷鐵道で桐生に引き返し、本当であれば西桐生駅から上毛電気鉄道で中央前橋駅に向かいたいところをぐっと我慢。再び両毛線に乗り込み、高崎駅に向かいます。ここで上信電鉄に乗り継ぎ上州富岡駅を目指します。 ここからが本当の群馬の旅です。上州富岡駅と言えば富岡製糸場です。初めてなのできっちり観光してきました。結論だけ述べると人が多いには多いけれど、大分小康状態を取り戻して落ち着いて見物ができ、見るべきものも多く行っておいて良かったなあという感想でした。「軽飲食 喫茶 飯島屋」は閉業しているようだし、今回の最大のお目当てでありました「喫茶 富士屋」には貸店舗の張り紙。他にも事前調査しておいたお店のことごとくが閉店に追い込まれたのは、もしかすると世界遺産の負の効果だったりすると悲しいなあ。 でも「エクボ」はやってました。上品で可憐なパーラーといったところか。パーラーの定義や内装のルールなどあるかは知らぬけれど、とにかくそう感じたのであります。それというのも見た目には物静かな紳士といった風の主人が実はものすごいお喋りがお好きでいらして、その主人がサービスで群馬名月だったかなという高級で抜群においしいリンゴなどを盛り付けたデザートを御馳走してくれたのがパーラーと結びついたのかもしれません。富岡では、多くの喫茶店が閉業を余儀なくされているようですが、ここだけはまだまだ現役で続けていただきたいものです。 そばには「焼鳥ガーデン」と「珈琲パーラー ろまん」という閉業店舗があり、これも魅力的だったなあ。 独りならば、上信電鉄の終点である下仁田駅に向かったであろうけれどそうもいかないのであります。高崎駅に引き返し、上越線で水上駅に向かいます。もう少し先まで行けるのですが、それは翌日に譲ることにしたのも同行者への気遣いなのであります。
2019/02/17
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東武りょうもう、東武桐生線、わたらせ渓谷鐵道の乗換駅である相老駅にて下車しました。そう、継続して読んでいただいている方ならお察しの通り、日光を降り出しに足尾銅山を通過しての帰路なのであります。そんな事もなければまず訪れることのなさそうなこの町で、あえて下車したのには降りてみたかったというその一念しかありませんでした。わたらせ渓谷鐵道をあと2駅分揺られれば、格段に利便性は高い桐生なのだけれど、桐生なら思い立ったら難なく来れるけれど、この相老となると話は別なのであります。これとは別の考えもあって2駅の差が運賃にどの程度跳ね返るかは知らぬけれど若干安いという考えもあります。未踏の地でしかも安く行けるとなれば、選択の余地はもはやないのです。なのにどうして事前にこの町の酒場を調べておかなかったのか。よもやこれ程までに寂しい町とは思っていなかった認識の甘さが挙げられるだろう。相老はよく聞く町の名だから何とかなるであろうと思い込んでいたのですが、それは綴りの違う相生の事だったようです。 ともあれ、相生駅に到着。通洞で相当呑んで食べてしていたので、駅前すぐに焼肉店を見てもさすがに敬遠することになります。店内には数名のお客の姿が捉えられましたが、閑散たる様子なのは明らかです。しばらく駅前を直進しますが酒場の灯どころか、すぐに暗い住宅街となり、町の体裁を成しているとは言い難い雰囲気です。はるか向こうに見覚えのあるショッピングセンターが見えるので、町としての機能はそちらにほぼ移行を終えてしまったかのようです。跨線橋を渡り駅の反対を眺めますが、これが眼前にマンションらしき巨大な建物が迫り、とてもじゃないが歩く気にはなりません。当然のことに商店らしき灯かりは全く視界には入ってきません。 やむなく跨線橋を引き返していくと、わたら渓谷鐵道の改札を右に進んだ辺りに酒場らしきものが望めました。店舗の前に広い駐車場を備えた「串康」というお店でした。小奇麗でこんな場合でもなければ素通りしてしまいそうな居酒屋ですが、それでも救われた気分になります。店内はカウンターに男性の一人客と父子、テーブル席に男女の元ヤンキー風のグループがいました。店内はゆっくりとした造りで、周囲を気にせずに落ち着いて呑むには良さそうだけれど、日頃都内のゴミゴミ狭々とした酒場に行き付けるぼくには、妙に身体がスースーとして感じられます。注文のタイミングもどうも取りづらいのです。肴はお勧めもあるけどもう何だっていい。値段だけでセレクトです。酒も腹がタプンタプンとしているので、焼酎ロックが基本。安いのもあったけどね。それにこの先は都内まで東武電車に乗りっぱなしでトイレに寄る間もなさそうです。店の夫婦は言葉少なで、かと言って愛想がないわけでもなくて、地元の方にとっては貴重なお店として重宝されているのでしょうか。特にカウンター席で独り呑む彼は、多分独身者なのだろうな、土曜の夜を過ごせる酒場があるのは彼にとってはホントに有難いことだろうし、救いでさえあるかもしれぬと、列車の発車時刻を気にしながら呑むのでした。
2017/07/12
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8月のうだるような暑い朝、一度目が覚めてしまうともう寝てなんていられない。前夜は良い加減に呑んで、落ちるように眠りについていたらしくこのところ感じたことのないくらいに快適な目覚めなのでした。ただ、このまま起きてしまっても特にこれといって予定もない。だからといってこのまま微睡みを続けては一日を棒に振ってしまいかねません。なので、余っていた18きっぷで前橋や高崎の何度かトライしてなお入れずにいる何軒かの喫茶店を訪れておくことにしました。これはかねてよりプランを立てていたので慌てて調べものする手間も不要です。いつもこれ位に準備万端整えておいて、突然の旅心に対応できるようにしておきたいものです。 さて、仔細についてはすっかり失念してしまったのですが、とにかくも前橋駅に到着。今回はレンタサイクルを有効に活用しようという算段です。いいぞいいぞと、貸出先の前橋プラザ元気21を目指し、一目散に向かいます。ところが、ビル自体が空いていないではないか。やむなく急ぎ足で町を駆け巡ることにしたのでした。ところが「喫茶 メネシス」はやっておらず、目当ての「喫茶 あおき」は開店時間を過ぎても一向に店を開ける気配がしない。レンタサイクルがあれば「ひかり」というお店にも行っておきたかったのですが、歩きにはちょっとばかり遠すぎる。 朝まだ早い時間に早くも都内方面に引き返すのは虚しいのですが、とりあえず高崎駅を目指すことにします。でも悪いことばかりではありませんでした。久し振りに見る上越線の車窓は何だかとても新選に感じられたのです。これをキッカケに長岡方面への日帰り旅行を計画し、実行できたのだからまあ良しとしよう。 さて、高崎でもレンタサイクルをフルに利用しようと駅西口自転車駐車場に向かいます。こちらはやってます。ホッとして駐輪場の係に話しかけると、なんと祭りがあるとかで貸出はできないとのこと。事情は納得するしかないのですが、己のツメの甘さに落胆します。やはりあまりに計画に縛られるとこういう事態への対応力が低下するようです。祭り前ということもあり、数多くの屋台が設置され、町の様子はこれまてに見た事もないくらいに賑わっていますが、機動力を奪われたぼくにとっては通行の妨げになるばかりです。駅前通りをひた歩きし高崎川を渡ってもなお直進します。ここらまで来ると人通りも少なくて、しかももうやってはいないようですが、古い店舗跡なども見受けられ、まあそう退屈しません。しかし戻りも基本的に似たような経路を辿るしかないのは憂鬱なのですが。やがて、大きめの郊外型の喫茶店が数軒見えてきました。いずれもやっているようです。 いずれもやっているということは、考えるまでもないことですが、手前の喫茶店を見やりつつもう一軒に向かったということです。寝起きにコップ一杯の水だけで過ごしたのに、一軒スルーできるということはまだ余裕があるということです。高崎大仏に繋がる緩やかな坂道を上がっていくと「コーヒー&スナック 蛮珈梦(ばんかむ)」があります。店名からもっと夜型の店を予感していましたが、意外にもスナックらしさの希薄な真っ当なコーヒーショップでした。駅からは随分と距離もあるのに随分と気合の籠もった立派な店を造ったものだとさひとしきり感心します。ウッディでシックではあるものの、とりわけ面白みがあるわけじゃなくて今ではすでに印象も朧気になりつつありますが、飽きさせることなく通いたくなるのはこういう店なのです。 実はそのそばの「珈琲館 並木」も似たような印象のお店でした。だから書くべき事はあまりありません。でも店名の印象からは、前者が狭そうな印象ですが、実際には後者がむしろこぢんまりとして好みの差が出るのではないでしょうか。そして、店名通り緑も多くてそれは確かに心地よさにつながっていて、好ましい印象です。だからその日目覚めた気分次第で使い分けることができそうで、それはそれで誠に羨ましい状況なのです。ぼくの暮らす町などは選択肢どこらか通いたくなるような喫茶店の一軒もないので、その迷えるという状況だけでもこよなく贅沢なことだというのに高崎の人達は自覚的なのだろうか。いずれも常連さんが2名程いるだけなのです。行かなくてもやがては店を閉めることになるとは思いますが、行かないでままでいてはそれを加速させるばかりなのに。 すぐそばにこんなお店もありました。もう一軒は廃墟のみ。 次に倉賀野駅に下車してみました。「テルミニ」という喫茶店があるらしいのですが、探せど見つからず、これといって見るところもないので町を一巡りしたらさっさと高崎線に乗り込んだのでした。 続いては新町駅にて下車します。ここも初めて下車する駅です。駅前通りはのっぺりしていて散歩するにもあまり気乗りしない雰囲気です。「カフェテラス 杜」という閉業喫茶店の廃墟ビルがあります。この退屈な通りをしばらく歩くとその突き当りに「トムソン」がありました。看板が見えた瞬間にここはいいと確信を持てるタイプの店です。このタイプは奇抜さや衝撃というような暴力的で狂喜に満たされた空間とは正対する正当的な内装であることが多いようです。しかし前者が単に店主が独特な美観の持ち主であったりするばかりで格別ヘンテコリンなことをやっているという意識が希薄なのに対して、正統派の店造りをする方は内なる情熱は圧倒的にした上回っているんじゃないでしょうか。無論、情熱の発露の仕方というのは人それぞれ店それぞれだから特に内装という点だけに着目すると身落としてしまう細部もあるはずですが、現在のぼくの喫茶趣味は一面的ななものに留まるのもやむ無しと思っています。とまあ取り留めのないことを書いていますが、このさり気ない一軒の喫茶店の存在は、寂れたこの町の価値を間違いなく高めているはずです。
2017/01/22
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好き好んで新前橋に呑みに来たわけではありません。所用があったので、ついでに立ち寄ってみたまでです。たまたまという寄ったからには、ホントに何の目当てもなくホームに降り立ったまでであり、この町に果たして求めるような居酒屋があるかどうかなどお構いはありません。が、降り立った時点でホームから見下ろす町の風景が余りにも余りなので、すぐさま後悔して、このまま次の列車をまとうかという気持ちになる程度には疲労していたのです。しかも日曜の夜で、ただでさえ冴えない印象のこの町でやっている居酒屋などいかほどあるか前途は多難ですし、何より翌日には当たり前に仕事もあるのだから迷っても少しもおかしくないと思いたいのです。でも無駄に乗り捨てたことによるロスする時間のことを考えると、いかにもここで新前橋を歩いておかねばもったいないとの打算が芽生えるのでした。ぼくにとっては多少の時間や体力の消耗などは金銭的な損に比べるとお安いものなのです。時は金なりなどという格言もぼくにとってはブルジョワの戯言に思われるのです。結局改札を抜けて町に繰り出す、いやそんな威勢のいいものでは少しもなくて、萎える気持ちに鞭を大いに振るうことでようやく町というか駅前に足を向けたのでした。 ところで新前橋駅で下車するのが初めてのような書きようですか、そんなことはなくこのブログにも過去に登場しています。しかし、夜の町を歩くのは初めてのことだし、呑み屋街ー果たしてそんなものがあるのかーや一軒の酒場すら知らないのです。でもまあ降りてみれば何とかなるであろうという考えが甘かった事実にすぐさま気付かされることになったのでした。とりあえずチェーン店の居酒屋はありますがこれらに入るなら自宅の最寄り駅まで行ってしまったほうがずっといい。その程度には酒を我慢することはできます。でも何の予告もなしに味気ない大通りにちょっといい感じの店が見えると途端に己の判断の正当性を認めてほくそ笑んでみたりさえするんだから傍目にはかなり危ないオッサンであったことでしょう。まあ、実際にこの酒場の外観には口喧しいぼくをしてニヤリとさせるだけの雰囲気がある。そこは「鳥松」と、これまたありふれているけれど極めて真っ当な店名の店だったのです。店内は日曜の遅い時間というのにほぼ全席が埋まるほどの盛況でカウンターの奥になんとか席を見つけることができたほどです。やはりこういう年季のあるお店で呑みたいと思う方は少なくないようです。若いご夫婦でやっておられるのは、居抜きなのか、先代の後を継いだのか伺う余裕のないほどの混雑でした。もつ焼と煮込がメインなのですが、その他にも日替わりの肴も揃っています。知らない町で誰と話すこともなく、一人黙々と酒を呑むのは、ちょっとだけ物悲しくて自分が世捨て人になった気分になり、重くなった口が一層固く閉ざされるようです。こういう孤独な客はどこにもいるものですが、むっつりと押し黙り不機嫌そうに見えますが、実は案外一人の時間を満喫しているのだと思います。ぼくもまた終電までのひと時を押し黙りつつも堪能し、まだ賑わう酒場をあとにして家路を急ぐのでした。
2016/09/08
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おセンチな気分で前橋を後にしましたがまだ高崎で寄っておきたい酒場があります。先ほどの前橋「つくし」は多くの文献に依っていますが、この高崎の町で訪れるべき店は、正直に言えば酒場放浪記で見たから行こうと決めていたのでした。とは言え、その放映内容が鮮明に記憶されるほどのトキメキを放っていたわけではなく、ただもう義務的に行ってみようと思っただけなのでした。目指す酒場は、慌てて調べなおしてみると北高崎駅から向かうのが近いようですが、この時間になると列車の運行本数もぐっと本数を減らしています。賭けのようなものですが思い切って路線バスを使うことにしました。ちなみにS氏はかつて全く同じコースを辿り両店とも定休で空振るという無念を噛み締めているので、表情からは明らかに見て取れぬもののなんとしても訪れるという執念はぼくなど遥かに凌駕しているはずです。 さて駅前で路線バス乗り場をチェックすると高崎の呑み屋街に向かうバス乗り場には、すでに客を乗せて今しも発射寸前という様子です。すでに40000歩を越えてさすがにくたびれていますが、これに乗り遅れるともお縁はないかもしれぬと思うと思わず駆け寄ってしまいます。その姿を認めてくれたのか、何とか車内に転げ込むようにして乗り込むとすぐさまドアは閉められたのでした。ようようのことで目指す酒場に近いらしいバス停で下車しますが、周囲は街灯すらまばらにしかない住宅街でチラホラ飲食店もあるにはあるのですが、当の店は一向に見当たりません。とても酒場がありそうにもない路地に入り込むとかつては艶っぽい店があったのではないかと想像されるちょっと開けた場所があり、ふと蔦の絡まる店舗に見覚えがありー前橋の「つくし」も蔦が生い茂っていましたー、覗き込むとたまたま顔を出した店主にいらっしゃいと出迎えていただけました。 「三月兎」というお店です。テレビで見る限りでは建物こそ味わいがあるものの、店内はシックな日本酒バーとしか感じられなかったものですが、実際に店に収まってみるとさすが昭和59年開店というだけの落ち着きがあります。この心地よさを求めてか、お客さんもほぼカウンター一杯に入っていて、飲食後のマッタリしたひと時を最後の一杯を傾けながら過ごしているようです。どうやら店のピークは過ぎており、ご主人は店じまいのタイミングを見極めようと表を見に現れたのかもしれません。テレビではどうだったか記憶が定かではありませんが、お喋りしてみると大変饒舌で愉快な方で、この界隈の昔話では留まることなくお話下さり興味深い情報もありましたが、ここでは割愛。何やら日本酒を数杯、肴も簡単なものだけお願いしたのですが、何より主人の人間性が際立ってしまいあまり印象に残らなかったのでした。終電も迫っていると勘定をお願いするとわざわざカウンターから出て外まで見送っていただきました。高崎までなら歩いて25分位だと仰るので礼を述べて駅に向かって歩き出すのでした。 さて、呑み屋街を抜けるとやがて今朝がた散策したアーケード街に至ります。軽く酔も回ってきたのか、案外近く感じられます。この通りは人通りはあまりないものの案外多くの飲食店がまだ営業しています。でもあまり悠長に構えていては終電を逃してしまいます。駅に向けて目抜き通りを進むと駅からそう離れていない所に酒場の数軒並ぶ一角がありました。その一軒がいい具合に枯れていてガラス越しに見える店内の様子が高崎で見掛けた酒場でもっとも魅力的に感じられたとあっては見過ごすわけには行きません。最終電車まであと30分あります。2杯ほどは呑めるでしょう。 「やきとり ささき」は、コの字カウンターだけのお店で、主人は若くて賑やかな方でした。もつ焼数本とサワーを頂きます。お客さんは入れ替わり立ち代わり途切れることなくなかなかの人気店であることが感じられます。結論から言うといい店ですが、あまりにも店主が押し出しが強くて正直や)辟易したのでした。それが楽しい方には、それこそがこの店の魅力となりえているようなので、あくまで一個人の感想として受け止めていただきたいと思いますが、疲れ果てた末にたどり着いたぼくにはやや疎ましく感じられました。 そんな訳でさほど後ろ髪を引かれるまでもなく店を後にし、大急ぎで上野行きの最終列車に飛び乗ったのでした。もちろん車内で呑む酒も買い込みましたが、今回も存在が希薄だった同行者は腰掛けた途端に眠りに落ちて、ひとり黙々とほとんど見えぬ車窓風景を眺めて呑むだけです。
2014/11/24
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さて、桐生を後にしたわれわれは次なる目的地、前橋に向かいます。すでにして駅前風景の印象は希薄であり、どことなく宇都宮のJR駅前とも似た退屈な道をくねくねと迂回しながらもかすかに記憶に残る古びて詫びしげなムード漂うアーケード街に近付いていきます。 途中何軒かの良さそうな喫茶店を見掛けますが閉店が早いのか、それとも閉店してしまったのか入れぬままに通過せざるを得ないのはつくづく残念なこと。喫茶店巡りではよくあることなので、愚痴ってみてもしようがない事ですが、不定期に予告もなく休んでしまうお店も多く、その点では居酒屋の方がよほど律儀に店を開けています。遠くから冷やかしに訪れるぼくのような物好きだけを相手に商売しているわけではないのでしょうし、こちらが求めるような純喫茶の主人は高齢の方も多いので突如体調を崩されることも致し方ないでしょう。不満を口にせぬつもりがあらぬ方向に向かってしまったようです。気を取り直して前橋の喫茶店レポートを始めます。 報告すると言っても前橋で訪れた2軒については、早くもほとんど記憶を失っております。なので1軒目で語れるのは「ろはん」に行ったということだけ。なので良かったとか、詰まらない店だったとかいうコメントは避けておくことにします。写真を見てもピンとこないということからぼくには、印象に薄いお店だったというだけです。 「珈琲館 あるく」については、ぼんやりとした記憶があります。シャープな印象のインテリアで統一された男性っぽさを感じさせるお店でした。その印象は多分に寡黙でクールな風貌のマスターに負っていることをお断りしておきます。客の入りは悪くて商店街から離れた人通りのない場所にあるからでしょうか。 商店街の外れに古い喫茶店「喫茶 あおき」があってここはものすごくそそられたのですがちょうど店を閉めたばかりのようです。素敵なパーラーもあってここだけは人だかりしていましたが、気分は酒場時間に突入しています。どうも前橋にはハッキリした印象がなく、締まらないまま終えねばならなくて、前橋の方にはどうにも申し訳ない。
2014/11/23
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前橋の呑みはまだまだ続きます。次なるお店は、酒場ファンにはつとにしられる古い酒場を目指すことにしました。 むかつたのは、大正9年創業という前橋どころか東京でもそれほどに長い歴史のある酒場は指折り数えるほどであろう「つくし」です。前橋の呑み屋街は、高崎ほどには密集しておらずーかつてはこの一帯中に数え切れぬまでに酒場が密集していたのでないかという推測もできますがー、ゆったりした間隔をおいて店があります。こちらのお店はどちらかと言えば呑み屋街の外縁にそっと置き去りにされたかのように、蔦を目隠しにして身を隠すようにひっそりと営業していました。カウンターと後はどんなに頑張っても現在の日本人の体格では4人は厳しいのではないかという程度の小上がりがあるばかりです。狭い店内は主人の愛着ある品々や写真、色紙などが飾られていて目を楽しませてくれます。幸いなことにお客さんはおらず、この小さなお店では、お客さんが増えたら相当窮屈な思いをしたはずです。お陰で気兼ねすることなく寛いで呑めたのは運の良いことでした。出される肴はいずれも上等で、焼鳥は串に刺さずに鉄板で炙っていてこれもなかなか良いものでした。ご高齢のご夫婦でやられているのですが、ほとんどと言っていいくらい無駄口がないのは、必要以上に喧しくておちおち呑んでもいられないよりずっといいものです。時間の流れも緩やかになったように感じだした頃、新規の客がやって来ました。この瞬間静謐な時間は呆気なく終焉を告げました。一人は塾年の小金を持ってそうな枯れたオヤジ、もう一人が清楚そうな風貌ながらエロスが滲み出た30歳前後のお姉さん。普段ならさして気にも掛けぬ二人連れですがこの夜はやけに目が向いてしまいます。S氏とは変わらずポツリポツリと会話を交わしてはいましたが、S氏も気持ちは同じだったようで、父親のような年上のオヤジにエロチックに甘える姿に視線は釘付けだったようです。彼らのおかげで店のことより、二人の関係ばかりが謎のままに脳裏に刻みつけられたのでした。やはりというか結構いい勘定書きを見ながら、店を出て早く二人のことを語り合いたいといそいそ店を出るとこの日一日を通してもっとも活発にS氏との会話を楽しんだのでした。 喫茶店を探索した際に見掛けていて、どうにも行かずには済ませられないと思う店にやはり行っておくことにします。呑み屋街から外れたつまらない通りに2軒の古い、というかオンボロと言ってしまってもけして言い過ぎでないお店がありました。両方入りたいのはやまやまですが、高崎でもぜひ呑んでおきたいので、どちらかを選ばざるを得ません。悩んだ末にお邪魔したのは「鳥一」でした。暖簾をくぐるとギョッとしたようにオヤジさんが振り返ります。カウンターばかり20名ほどは入れそうです。そこそこ旨いものを食べていたので、肴は最低限で十分です。店の佇まいの素晴らしさに惹かれて時間がないけどつい寄ってしまったと真実ながら幾分言い訳めいた断りを入れて呑み始めます。ご主人によるとこちらは昭和41年創業とさすがに店の雰囲気を裏切らぬなかなかの年季があります。近頃は役所の人たちがめっきり減ってねえ××の事件がー失念ーあって以来客足がぱたっと途絶えたんだよとさほど切実でもなさそうにからりと割り切ったような表情で語られるのでした。そう考えるとこの夜、通った多くの酒場ーだけに限らず喫茶店もレストランも何処もガラガラ、このままでは町は間違いなく死んでしまうと訴えたくもなりますが、所詮よそ者の言葉は一時の感傷的な気まぐれに過ぎぬのかもしれないと口を噤むしか振る舞いようはないのでした。
2014/11/17
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短時間で新前橋に引き返すとちょうど桐生に向かう列車がホームに入ってきました。列車に乗り込み今度こそ桐生に行こうと決心したのですが、今まさに伊勢崎駅に着くという段になってやはり素通りするわけには行くまいとまたもや途中下車してしまったのでした。けして伊勢崎の暑い夏を体験したかったわけではありません。まだ歩いたことのない伊勢崎の町をただただ歩いてみたかっただけです。 かつては賑わったであろう東側を散策することにします。駅前は最開発の渦中らしく裏淋しさばかりが際立ちます。時間もあるので大回りして町中を歩きますがこれといった収穫はなし。イタリアンと二毛作狙いのお店もありますが、どうにも気乗りしません。この店「ロワール」と言ったでしょうか。やむなく駅から近い「花」を覗いてみますがごく普通のカフェっぽいお店です。 伊勢崎ではさしたる収穫もなくちょっとがっかりなのですが、これが下車せずに未練を残してしまうと後々遺恨が残るので、これはこれでまあ良かったということになるでしょうか。予定よりは随分と遅れて桐生に到着します。駅の東口をグルリと散策、空腹を満たすために古い大衆食堂に立ち寄るといよいよ喫茶店巡りを再開します。 古く人影すら見られぬ商店街を歩くと「喫茶 ポポ」があります。S氏は、他に気になる喫茶店があるとのことで別行動。一人で店に入ると店内のカウンターにはかつてしばしばこのお店に通ったという中年男性グループが盛大にビールを呑んでいます。隅っこの席に腰掛けたぼくもビールを呑みたくなりますが、女主からコーヒーにします、ブルーベリージュースがいいですかと、いずれかから選択してもらいたいようです。ジュースを貰うことにしました。飲み物が届いたのでホッと一息付いて店内を見渡します。スペースの割に開放感があって消して悪くないのですが、純喫茶好きにはやや平板です。奇抜なアイデアを内装に取り入れるというセンスは感じられませんでした。 S氏が「モリムラ珈琲店」にいるということなので、後を追います。寂れた商店街は歩いていて楽しいものですが、ここで自らが暮らすこと、実際生活する人々の心情を思うと、通りがかりの旅人に過ぎぬのにあれこれと感想を述べるのは不遜なことかもしれぬなあなどと思ったりもするのでした。さて、ゆっくりとコーヒーを飲むS氏の他には一人いるだけの中年女性だけの店内はますます気分を沈み込ませます。正統派の茶系等でまとめられた店内は好みのはずなのに、アラばかりが目立って感じられます。実際内装がシックなのはいいのですが、細部へのこだわりがあまり感じられず、店の方にとっては開店時に店は完成してしまい、本来は味になるはずの細部はそれ以降、手を入れることがなかったように感じられます。それでも現役でいてくれただけでもありがたく思うべきかもしれません。 桐生の町は、地方都市の散策を楽しめる方には歩きがいがありますが、うっかりすると憂鬱に見舞われるという側面もありそうです。他にも数軒の喫茶店を見掛けましたが、もう桐生の喫茶店はいいかなという気分でもあったし、第一開いていないのでした。
2014/11/16
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早朝から列車に座っては、下車駅周辺を駆けずり回りをしていて、桐生の町に到着する頃にはすでに二万歩以上を歩いていました。さすがに朝から呑まず食わずなので、桐生にも何軒かのお目当ての喫茶店がありますが何をおいてもともかくお腹に何か固形物を入れたいのでした。桐生の町は来たことがあるのやら、はじめてなのやら実は全く覚えていません。なので気持ちは全く持ってはじめての町です。実はこの町に来るのが表向きの理由です。最近になって突如としてマンガに目覚めてしまいー無論、学生時代までは夥しいまでのマンガを読み漁っていたのですが、唐突に興味を失って以来一部の人気作を除いては(『酒のほそ道』とか)パッタリと読まなくなっていましたー、特に現代の漫画作品とは縁のない日々を送ってきたのですがちょっとしたキッカケからいい年をして読書内容の9割近くがマンガとなってしまう程で、現代マンガの凄さを語ればそれだけで肴なしに一晩中語れもしようほどなのでここでは控えさせて頂くことにします。何を言いたいかというとちょっとした衝撃を受けた作品の一つに押見修造『悪の華』があって、ラストがちょっと日和っていたことを抜きにすれば、終始興奮されたことだけ言っておくこととして、肝心なのはその舞台となるのが桐生だったということです。えあいう陰惨かつ普遍的な物語は、あのようなぼくからは個性的で特殊な風土だからこそ町からもたらされたのか見てみたいと思いだったからなのです。S氏からアニメ化されていることを聞き、レンタルして視聴したものです。実際行ってみた桐生の町は魅力的な古い建物が多く残って入るものの、今朝訪れた本庄と同様に町並みを残したいという前向きな意志とは正極のどうにも変えられないという諦念ばかりが際立つように思われたのでした。桐生の人たちが桐生は『悪の華』の町なんだよと言われ、曖昧な表情を浮かべるさまが脳裏に去来して不遜ながら愉快に感じるのでした。 さて、桐生の町は、かようにくたびれた建築が多く、飲食店もやはり現役であることが不思議なほどに枯れた店が多いのです。そんななかでも飛び切りの「鳥亀食堂」に入ることにしました。外観こそすごい寂れようですが店内は極めてこざっぱりしていて、う~ん想像と違ったかなと後悔しそうになります。品書きを見る限りではどう考えても酒の肴が充実しています。一瞬酒など我慢すればいいではないかとの欲望に打ち負かされそうになりますが、飲み/呑みの旅を指向するからには妥協は許されません。 そんなわけで有名店「立田野食堂」にお邪魔することにしました。陰惨で甘美な『悪の華』の物語とはまるで次元を異にする懐かしさと優しさに満たされた空間にしばしどっぷりと浸ることになります。それでも我に返り空腹を思い出すとあれやこれやと食べたいものがことごとく揃っています。しかし、ここでしっかり食べてしまっては、縮こまった胃腸が持ち超えられるはずもありません。控えめに酒の肴をオーダー、ゆるゆると酒を呑み始めます。くたびれ果てて、エネルギーも欠乏しきった体に一杯ばかりのビールが強烈に染み渡ります。それにしてもネットで何度もこの風景は眺めていましたが、期待していた以上に枯れていて、味わいもあり、さらには雑然としているところなど、予想を上回る楽しさです。メニューの豊富さも目移りするばかりで、結局は無難なところに落ち着いてしまいます。本当ならずっとここで呑み続けたいところですが、まだまだ先があるので、意を決して店を後にしたのでした。それにしても「立田野食堂」が『悪の華』に登場していたら、それだけで印象がぐっと違ったものに感じられたのではないでしょうか。 その後、桐生の町を数軒の喫茶店に立ち寄りつつ、散策しました。商店街を抜けると、住宅街になるかと思いきや、いかがわしさが漂うなかなか魅力的な呑み屋街があったりして充実した町歩きとなりました。 さて、前橋に移動します。前橋は群馬県の県庁所在地でありながら旅行者にとって便がいいとは言えず、どうしても隣接する高崎市に比べて見劣りするような印象があります。実際人口面でも高崎が前橋を上回るようです。前橋の市街地は上毛電鉄の中央前橋駅寄りにあって、どことなくちょっと前に行った弘前と事情が似ているようです。暗く人通りの少ないアーケード街の端っこ、川をまたぐ橋の袂に一軒の渋くて可愛らしさのあるレストランがありました。 ここもまたよく知られる「レストラン ポンチ」にお邪魔してみることにしました。このお店の長きに渡る歴史については、HPで容易に調べられることなのでここでは割愛させていただくことにしますが、まずはこの店ではカラフルで洋食店というよりはフルーツパーラーという古風な呼び方が相応しい内装が施されていて、その先に橋の掛かる川が眺められるのがとても楽しいのです。2階からの眺めはさらに良いもので、この日がたまたまそうだったのか2階は使われていなかったのですが、トイレがあるのでちょっと拝見してみたらやはり大変いい眺めでありました。さて、このお店を呑み屋として使うのはちょっとばかり無理があったみたいです。ここでご飯物をがっちり食べると後が続きません。先はまだ長いのでありました。ポテトとサラダで野菜を補給、酒の肴が少ないことを好機と捉え、栄養のバランスを取ることにしたのでした。 時間はちょうど5時をまわりました。思ったより立ち寄れなかったもののここからは本格的に呑み始めることにしました。
2014/11/10
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この夏はちょこまかとした旅をしたことは、すでに報告していますが、いつものことですが貧乏旅行だったので高速バスや各駅列車での移動が基本となります。本当なら列車の利用をメインに据えたいところですが、かつては車窓からの眺めでそれなりに満足していましたが、今は実際に町を歩いてみたいという気持ちが強いので、いくら優良切符の青春18切符を利用したところで元を取るまでに使い切るまでにはいきません。そんなわけで、夏の終わりも近づいたとある土曜日ー日曜や祝日では喫茶店にせよ居酒屋にせよ営業していないことが多いのでなるべく土曜に使いたいのですーにまたもやS氏と旅することにしたのでした。今回は北関東の町を高崎、前橋、桐生をメインに歩いてみることにしました。 まず、ぼくは一人、日頃よりずっと早く起床し、8時には本庄駅に到着しました。本庄には随分前に一度だけ訪れているはずですがほとんど記憶にありません。駅を出て東側を散策、住宅の多い町並みを高校生が列をなして歩いています。制服が違っているので、数校あるようです。「アモーレ」、「ジャズ喫茶 龍胆」なんかがありますが、まだ営業していません。あまり歩いていて楽しくない東口は諦めて古びた町並みの記憶がある西口側に踏切を渡ります。すぐに「珈琲屋 コスタリカ」、「COFFEE SHOP 欅」などがありますがやっていません。時間が早すぎたようです。呑み屋街というほどに店舗数が多いわけではありませんが、ちょっと良さそうな古ぼけた酒場のある一角にとりわけ枯れた風情の漂う「レストラン はじめや」は、ぜひ立ち寄りたかったなあ。町並みは記憶よりもずっと寂れていて、廃墟化している店舗も多く全般に活力がないのは地方都市全般に言えることですが、遠くない将来の悲惨な先行きを想像すると暗澹としてきます。 次なる下車駅は高崎です。高崎はかつて新潟に住んでいた頃に各駅停車に揺られて東京に行き来していた頃、度々途中下車していたので記憶に新しいはずですが、実際着いてみるとほとんど見覚えのない景色が広がっています。どうしたことかと記憶を呼び起こそうとしても実はハナからまるっきり記憶に残っていないことに今更に気付くのでした。かように印象に薄い町ですが、駅を出てひたすら歩いていくと高崎中央銀座商店街にぶつかります。ここに来てようやくおぼろげに記憶が蘇ってきました。古く、薄暗いアーケード街の裏寂しさを見るとぼんやりと勝手この道を歩いたことが脳裏に蘇ってくるのでした。 その外れに「ラ・メーゾン(La maison) 」がありました。ここは、事前の調べには入っておらず、ガラス張りの店内を眺めてもさほど面白みはないのですが、朝から何も飲まずで結構な距離を歩いていたのでぼちぼち休憩したく立ち寄ることにしたのでした。外見どおりにシンプルな喫茶コーナーでしたが、帰宅後調べると1946年開店と、長い歴史のある洋菓子屋さんだったようです。こちらは移転先のようですがよくよく観察すれば旧店舗の面影を見出だせたかもしれません。 しばらく呑み屋街、というよりは歓楽街というのが相応しいうらびれた路地裏を散歩しながら、何軒かの喫茶店を通過しますが、やっていないか、廃業したかのいずれかばかりです。嫌な予感に不安を感じながらも今回の旅の最大の目当てである「喫茶 コンパル」に逸る気持ちをぐっとこらえて向かうことにしました。人通りのないアーケード街を歩いていると不意に看板が見えてきました。2階にある店舗を見上げると灯りがついていました。どうやらやっているようです。少々くたびれた感は否めぬものの、その随所に仕掛けられたユニークな装飾は写真でご覧いただくこととしてーいつもながら不鮮明で構図も単調、細部には目が行き届いてはいませんが有名店なのでネット上に多くの写真が出回っていますー、それにしてもこの客の入りの悪さはどうしたものでしょう。コーヒーには、サービスで甘み控えめの全然洗練されたものではないものの懐かしささえ感じる手作り感いっぱいのプリンまで付くというのに。かつてはー今でも?ー支店まであったらしいのですが。精算時、高齢ながら笑顔が優しくて魅力的なマスターから、これから富岡製糸場に行かれるんですか?と聞かれましたが、気の向くままにブラブラするつもりですとお答えしましたがここは、富岡に行くことにしておくべきだったか、何か聞かせてくれたい話でもあったのかしらと後になって気に掛かるのでした。 ところで、日中は閉じていた「Restaurant & Coffee Shop 白馬車」、「バク」は夜には営業していました。 高崎駅でS氏と合流しましたが、また商店街まで引き返すのはうんざりなのでとりあえず急に向かうことにしました。行ってみたい食堂があるのでした。ところが両毛線の次の列車は前橋止まり。ギリギリまでとりあえず前橋まで行くべきか思案した挙句に下車したのは新前橋駅でした。余程のことがなければ下車することもなさそうです。 駅に降り立つと激しい後悔に見舞われます。駅前は切ないほどに退屈で何軒かの飲食店はあるものの途中下車してまで訪れる機会もまず到来しそうにはありません。それでも駅前ロータリーの角の建物に「喫茶・食事 メルヘン」という喫茶店がありました。階段を上がり店内に進むと、古い駅前喫茶店らしさと今風の素っ気なさが入り交じるなんとも曖昧なお店でそれはそれでちょっと面白くはありますが、やはりぜひとも途中下車すべしとはお勧めするのは憚られるのでした。
2014/11/09
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