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一度、金町をじっくり歩いてみたいと思っています。金町といっても水元方面の事で、実のところは以前そこそこじっくりと歩いてみたこともあるのです。でも朝方から彷徨いだしたということもあり、夕方頃になるとヘトヘトになってしまいました。目的は当然呑みでありまして、途中少し良さげな酒場なども見掛けたりもしましたが、まだ営業開始にはしばらくあったりして、止む無く通過することになるのです。そうなると徒歩で巡るにはいささか広大過ぎる土地であるため、再び元の場所に取って返すという労苦は敬遠してしまうのです。次の地点に向かえばまた別の良さそうな酒場だってあるだろうという考えなのです。ところが、そうした浮気めいた行動を取るとどうにも上手くいかぬ場合が多いようで、はるばる訪れた次の酒場は折悪しく休業していたりするのです。二兎を追う者は一兎をも得ずの諺が真理を言い当てているように感じるのです。しかしまあ一挙両得なんて言い方もある訳で、人というのはいかようにだって解釈してそれが真実だと思い込んでしまう身勝手な生き物のようです。無目的に旅に出ると気取ってみせたところで真に目的のない旅などあり得ない訳で、そこには無目的であることがニヒルでカッコいいとかの自己陶酔的に浸ろうとの目的を潜ませていたりするものだと思うのです。とまあ、水元に行きたいなんて話をするつもりだったのが、話が別の方向へと向かってしまった。今の無気力なぼくには駅側の酒場を訪れるだけでも怠惰に対して抗う気力を要するのでした。 やって来たのは「お食事処 よし甚」です。京成金町駅の呑み屋街の一軒です。この通りの酒場は一部の有名店を除くと、どこかしら似通ったムードのお店が多くて、初めてと思って2度3度と足を運んでしまう店も少なくないのです。そこがいい店だったらそれはそれで構わないのだけれど、ハズれの店に繰り返してお邪魔するとなると目も当てられません。本来は好きな酒場を記憶に留めるためにメモを取り続けてきたのですが(メモといってもほとんど渋い/退屈、好き/嫌い、高額/安価といったレベルに過ぎぬのです)、思ったようには役立てられていないのです。ともあれ、こちらにお邪魔したのは初めてだったようです。初めてならまあ外れでも最低限の目的は果たせたという気分には浸れます。さて、店内は思いがけず賑わっていますね。呑み屋っていうのは表から眺めてパッと見で繁盛ぶりが分かる店と扉を開かぬ限り全く様子の分からないタイプがありますが、前者は確実ではあるけれどスリルがない一方で、後者はリスクが高い分だけ達成感(一体何を達成したというのか)が圧倒的に高く、ぼくは言うまでもなく後者に魅力を覚えるのです。でもまあこちらは客層は必ずしも大人しくはないけれど、店の方たち(思いがけずお若い)や雰囲気はかなり上品目でありました。だから詰まんないかというとまあ面白味はないけれど、一軒の呑み屋としては非常に使い勝手がよろしくて、なるほどお客さんが入る訳だと納得させられるだけのものでありました。
2024/09/22
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映画というものが一度や二度見た程度では正確な評価など下せぬのと同様に居酒屋もまた一度や二度訪れただけで良し悪しを決するのは無理なものなのです。今でこそ世間の多くの人にとって映画館や居酒屋という場所は、せいぜいが週に一度程度訪れるかどうかといった場所となっていますが(全くの憶測でしかなく統計・調査に基づく事実ではありません)、1950年代(これまた漠然とイメージしているだけに過ぎぬのです)には散歩に出るついでに映画を見たり居酒屋で呑んだりしていたのではなかっただろうか。現代であればコンビニに買い物に立ち寄るような気軽な振舞いであったように思えるのです。ぼくの親世代になってしまうと家庭には冷蔵庫はもちろんテレビも当たり前に設置されるようになっていたから、映画館へ足を運ぶことも激減したはずでナイター中継を見ながら冷えたビールを茶の間で眺めるなんていうシチュエーションが一般化しつつあったはずです。ちなみに我が実家は少しも資産家ではなかったし、いわゆるリッチな生活とは縁遠かったけれど、父親が趣味人でとにかく電化製品に関しては新し物好きの気味があったのです。なので、有線リモコンの付属されたVHSビデオデッキもあったし、クーラーなんかも水冷式の巨大なのがあったりして、家庭生活はそれなりに先進的だったのです。 とまあ、話が逸れまくるのでとっとと本題に入ります。この夜は「小料理 梓」を訪れました。1カ月と経たぬうちに再訪するのはぼくとしては極めて稀有なことで、自らの選択を客観的に眺めると大いにこちらを気に入ったようです。前回はお客さんもお一人おられただけだったので、もったいないなあと感じたのですが、単に開店後間際だけだったようです。今回は危ない危ない、危うく入り損ねる程に賑わっていました。いやはやそうじゃないとおかしいよなあと思う一方で、コロナ後ということもあるからいい店に客が入らぬことがあっても仕方のないことであるという気もしたのです。空席は入口入ってすぐの座敷のみ。現代の体格のそこそこいい4名には窮屈な感じもしますが、贅沢は言ってられなません。それにしてもここの肴はどれもちゃんとしてるよなあ。極上の素材とかそういったんじゃないんだろうけど、寡黙なご主人が丁寧に仕事してくれるからそれが客の側にもちゃんと伝わってくるんだろうなあ。嬉しいことに他の3名も大いに気に入ってくれたみたいです。店の娘さん(?)はぼくのことを覚えておられたらしく、つい自慢げに振舞ってしまうのでした。それにしても皆さん気に入り過ぎてうっかり清酒を数えきれないほどに注文。当然ながら皆さん、翌朝は大変つらい思いをしたのでありました。
2024/09/15
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モルドバという東欧の国家について、ぼくが知ることは実に少ないのです。ある程度の蘊蓄を持っていると自負している映画に関してさえ知ることはほとんどありません。それもそのはず、Wikipediaを頼ってみたところ以下の記載があるばかりです。--モルドバにおける映画文化は1960年代初頭のソ連時代に発展していたが、様々な要因が重なったことから停滞が続き、1991年にMSSRが現在のモルドバ共和国として独立した後、同国における映画業界は事実上ほぼ完全に消滅している状態である。-- なるほど。ソ連時代には映画が作られてはいたようです。ということで今度はソ連映画を調べてみると、--ソビエト連邦の映画には、ソビエト連邦を構成する共和国によって製作された映画が含まれている。それらすべてはモスクワ中央政府によって統制されていたが、ソビエト以前の文化、言語、歴史的要素の要素を反映している。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に続き、共和国の映画製作においてアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、ウクライナが最も多作であり、次いでリトアニア、ベラルーシ、モルダヴィアも、それほど多くはないが映画を製作した。-- モルダヴィアと現在のモルドバとは同一ではない。とにかく非常にややこしいのだ。世界史の窓https://www.y-history.net/appendix/wh1202-015_1.html とにかく「発展していた」とまではいえないんじゃないかと思うけれど、映画というのは現物を見ない限りは、何もいえない。映画はいつだって遅れて発見されるものなのだ。 ちなみに正確にはモルドバではないけれど(モルドバ内の分離国家「沿ドニエストル共和国(トランスニストリア)」とのこと)でエウジェン・マリヤンという人が『鳥のミルク』を作ったそうです。これがこの国初の劇映画とのこと。https://centralasia.jinsha.tsukuba.ac.jp/info/6724 とまあ何にしても渦中のウクライナやロシアとも深い深い関りを持つモルドバですが、日本唯一を標榜するお店がどういうことか亀有にあるので行ってみることにしました。「NOROC」です。店の雰囲気はごく一般的なレストラン風であまり東欧色が感じられません。もうちょっと内装を工夫して気分を盛り上げるようにしてもいいんでないかな。以前、テレビで見た際には現地出身の女性が応対してくれていましたが、我々(我々以外はお客さんがいなかったのですが)には日本人男性が対応してくれました。テレビで見た彼女も店内で見掛けたんですけどね。調理の様子は見えませんでしたが、盛り付けなども男性がしていたようです。NOROCのHPhttps://www.noroc2014.com/ さて、詳しい紹介は、以下をご覧ください。でもうこれを見てもらえば概ねの情報は伝わってしまうと思いますが、実食した感想位は追記することにします。有名なモルドバワインを呑みたいところですが、思っていたよりお高かったので今後の課題とし、今回は料理を中心に感想を述べる所存です。お通しはインゲンのサラダとビーツのサラダ ごく普通に美味しいです。地味な料理なのに不思議と美味しいです。こういうの家で作るとレシピ通りにやってもあまり美味しく感じられないんですよね。キングレバ(pecionacinii tort)※レバーを薄く焼いてタマネギ、人参、マヨネーズを間に挟みミルフィーユにしました(HPより)。 これは濃厚だけどさっぱりもしていてとても美味しいです。にしてもいかつい料理名です。ペレメニ(Peremeni)肉(豚肉ミックス)※お好みでサワークリームを付けてお召し上がりください(HPより)。 東欧風の餃子ですね。ほぼ見たまんまの味で美味しい。これがお手頃価格になれば、もっと普及すると思うんですけど。ニシンのマリネ※モルドバ風にヴィネガーを利かせた1品!ワインに合います(HPより)。 ニシンのマリネ、大好きなんですよね。北欧なんかでも良く食べられていますけど、さほど違いはないかな。日本でももっと普及して普通に食べられるようになればいいのに。ミッチ※モルドバの調味料を使った牛肉のハンバーグ1個250g牛肉ハンバーグが2個ついています(HPより)。「モルドバの調味料」ってのが今となっては謎ですが、ぼくにはとても食べやすい味でした。もはや大概のスパイスやハーブでは驚けなくなってます(ジョージアのミックススパイス、フメリスネリにはその不可思議な風味に驚かされました)。サルマーレ(葡萄の葉)モルドバの葡萄の葉の中に豚肉、野菜、お米で包まれてトマトソースでこんがり※オーブン焼きして作られるモルドバの郷土料理!NOROC自家製サワークリームを付けてお召し上がりください(HPより)。 これが一番食べたかったのです。ヨーロッパ各地で葡萄の葉を使ったロールキャベツ風の料理がありますが、日本でも普及して良さそうなものだと思ってるんですが、そうはなっていませんね。 といった辺りを頂きました。ぼくにはとても食べやすく美味しかったのですが、他の3名で1名が好きなだけで、2名はどうも苦手だったようです。和食舌の人たちではあることは知っていましたが、そう癖がないので大丈夫かと思ったんですけどね。
2024/08/19
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金町には何度も訪れているけれど、書き洩らしていることがあったことを思い出しました。思い出したといっても書誌的なレベルで思い出しただけで体験としての具体的な記憶は抜け落ちてしまっています。と抽象的なことばかり述べていますが、金町というと『瞼の母』がパッと出てくるようであれば教養があるねえってことで一目置かれる存在に慣れるんじゃないかなんて思ってみたりするのだ。しかしまあ、時代劇をみることのほとんどなくなっているであろう若い世代の人にとっては、大方、股旅物なんていってもキョトンとされるばかりで、その代表的な作品である『瞼の母』なんて聞いたこともないかもしれない。そもそもこのタイトルを見ただけでゲンナリとした気分になるんだろうなあ。実はぼくもそうでした。何度か映画化されているこの作品ですが、加藤泰による作品を見るまではその存在を知らなかったので、今の若い人たちとそう大差ないのです(股旅物はさすがに知ってたけどね)。この映画で主役の番場の忠太郎を演じるのは中村錦之助(この人も忘れ去られているかもしれないなあ)。物語の序盤に松方弘樹(さすがにこの役者の事は知ってるだろう)が演じる金町の半次郎の窮地を救うのでありますが、通り名にあるとおりやくざ者に追われて故郷の金町に逃げ込んだっていう設定なのでした。物識り顔で語って見せましたが、映画の中で具体的に金町を指し示す描写があったかとなると正直ちっとも覚えがないのです。恐らく江戸川とその河川敷は描写されたものと思われますが、確実なことは言えないのが現状です。そのうち見返す機会があればいいのだけど、加藤泰なら見返したい作品が他にもわんさとあるからねえ。とこの先の酒場巡りとこの豆知識程度の話題がリンクすればそれなりに気が利いているのだけれど、そんなことはありはしないのでした。 今回お邪魔したのは京成金町駅を発着する金町線の踏切を渡った先にある呑み屋街の一軒、「呑み処 たまりば」なのでした。たまりばって響きは悪くないけれど、字面をどうするかで迷ってしまいそうです。「溜り場」と書くと酒場らしくないし、「たまりBar」はいかにも安直(そういや「多摩リバー」とかいうお店もあったような)です。五感はいいのに文字に落とすとしっくりこない言葉って案外あるんですよね。それはともかく「たまりば」っていう言葉は嫌いではないけれど、ちょっと考えてみると溜り場っていうのは、仲間たちが寄り集まる場所って意味だから仲間でもない通りすがりの酒呑みには、これ程入り辛い店もない訳です。店が綺麗だったせいか、お客さんは馴染みの方ばかり、しかも女性が男性客を圧倒しているし、さらには子供なども混じっています。たまりばではあるかもしれませんが、呑み処という感じではないですね。呑み処でたまりばっていうとどうしても新宿のゴールデン街なんかのワイルドな雰囲気が想起されるけれど、ここにはそうしたアブナイ印象は微塵も感じられないのです。それが悪いってことではありませんが、思っていたのとは違っていたということです。こちらのコンセプトは美味い肴をお手頃な価格でってところにありそうで、家庭料理の延長線上にあるけれど、家庭ではなかなか行き届かない丁寧な仕上がりとなっており、なるほどこれは女性が好むだろうなって合点するのでした。加えて、とんがった料理じゃないから子供にも食べさせたいって思うだろうし、子供たちもまた好んで食べたいと思えるんだろうな。と通常であれば好ましい印象のお店なんですが、どうもぼくには座りが悪いのだ。気に入って通っている方が多勢なんだろうからこれは全くぼく個人の特殊な受け止めではあるのだけれど、ここは酒を呑む場所ではなく、美味しい肴や家族、友人との語らいを楽しむためにある場所で酒はそのおまけに過ぎないんじゃないか。それはもはやぼくの求める酒場とは違ったものだ、そんな風に感じてしまったのです。
2024/08/11
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もう随分長いこと居酒屋巡りをしてきたし、随分ペースダウンはしたけれど未だにゆるゆるとレポートも書き継いできました。と書くとさもこのブログを幕引きしようって話みたいですが、そんなものではなくて単に今更の話をしようと思っているだけなのです。そもそも話をするってだけなのです。でそもそもでありますが、ぼくにとって酒場を巡るのは観光スポットを巡るのと同様な行為なのです。ぼくは観光スポットの食事処で美味しい料理を期待したりはしません。腹が減っていたとして、それなりに食べられさえすればそれで十分なのだ。だから酒場でも肴や酒には大した拘りはないのです。また、超有名だったり立派過ぎる観光スポットにもさほどの興味は抱けません。一度位見てもいいけれど、長々と見惚れたりすることにはならないものです。酒場だって似たようなものです。だからといってB級スポットと呼ばれるような施設・場所がいいかといえばそうでもないんですね。そうしたレッテルが貼られて人々が群がるようになると途端に魅力を失ってしまうのは、ご周知のとおりです。観光地よりは酒場の方が愛好者の数が絞られると思われるし、施設としての寿命も短いのが普通だから一過性のブームで終わる場合が多いようには思います。言いたいのは単純で誰もが知るような観光地というのは確かにそれなりに見ごたえがあるものであるのと同様に良く知られた酒場というのもそりゃまあ有名になるだけの価値はあるはずなのです。でもそういう観光地や酒場というのは有名になった時点で何某かの美徳を損なってしまうもののようです。訪れる客側が勝手に美化したり場合によっては神格化してしまったりするとより一層実物に接した際のギャップの開きに落ち込むことになるのです。結局のところなるべく早く下手な情報には振り回されなくなることが肝要です。 そうなるとまあ、情報によって盲目化されていた視界が開けてくることがあります。それまで意識に留めることのできなかった酒場が視界に浮上してくるのです。浮上してきた酒場はきっとぼくが魅力的だと感じている酒場なんだと思うのです。それには時としてリスクが伴います。好きな酒場の傾向が似ているのだから当然に以前訪れた酒場に繰り返しお邪魔してしまうことがあるのです。自分が好ましいと思っている似た傾向の酒場を目指すのだからいかにも起こり得ることではありますが、2度ならまだしも3度目なのに初めてと思い込むのはいかにも脳の老化を疑いたくもなるのです。しかも今回のお店は亀有の地下飲食店街という非常に印象的な場にあるのだから、そのつもりで訪れていない以上、さすがにまずい気がするのです。そのお店は「三京」。それでも入店した瞬間にここには何度か訪れていると思えたからまあギリギリセーフとしておくことにしよう。外観がちょっといい感じであるという加減が最も陥りがちですが、ここはいかにもそういったタイプのお店であります。何かが特別に秀でたお店ではありません。値段もそこそこで酒も肴も定番でちょっと古めかしい感じがあるし、店の人たちもアットホームではあるけれど、ちょっと緩すぎる気もします。でもなぜだかとても落ち着くんですね。そういえば有名酒場でぼくが気に入っている酒場というのは、決まって居心地の面では必ずしも良くない店が多い気がします。もしかすると記憶が曖昧な場合、いかにも寛いだりのんびりできそうな店を本能で嗅ぎ取っているのかもしれません。
2024/08/05
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呑み屋横丁のある町って、ぼくにとってはそれだけで町としての必要十分条件を満たしていると思っています。無論、そこが遺構となっているのでは十分ではありません。必ずしも全盛期の活況を呈してはいなくとも、2、3軒は現役であることを求めます。できることなら横丁の黎明期からの生き残り店が混じっていてくれると何よりです。少なくともここ数年のレトロブームに乗っかった開店したての店だけでは条件の半分も満たしてはいないと考えてしまうのです。でも、その薄っぺらい理由をここで述べるつもりはないのだ。ただそう遠くない将来にこうした横丁が一掃されてしまうという予感を拭えない以上、好奇心が正しく働いている限りにおいては、無理のない範囲で通っておきたいと思うのです。ところで、今さっき横丁が淘汰されると書いたばかりですが、もしかするとそれは間違いなのかもしれません。大きな町の場合は、横丁のような小規模寄り合い所帯は巨大タワーマンションなど地価に応じた施設に呑み込まれてしまうのかもしれません。また、人口減少などに呼応して町としての体裁をなさなくなった小都市もかなり危なそうです。列車の廃線も止まぬ現況にあっては、駅前横丁のかなり多くが遺構としてのみ残置されることになるのではないか。しかし、一方で、中規模の町ではそこそこ規模の大きな呑み屋街が再開発に晒されることで横丁化するような近未来を想像してしまうのです。でもまあ何事につけ未来など約束されたものではないのであって、インフレ化がさらに進行して外で呑み食いするのはとんでもない浪費ってことになっちゃうかもしれない。もしくは身体面に疾患が生じて飲酒に対してドクターストップが掛かってしまう、いやそれどころかポックリ逝ってしまう可能性だってあるのだ。だから無駄遣いは極力控えて、翌日に差支えが及ぶような無理をしないよう留意してのんびりとして呑み歩き生活を送りたいものです。 ということで金町栄通りを訪れました。何度も来ているので訪れるまでは幾分かのうんざり感はいなめなかったのですが、しばらく来ないうちにどことなく変化が感じられます。以前は見掛けた覚えのない店がチラホラあるように思えます。「遊吉」には見覚えがあるようなないような。ちょっとだけ気になるので入ってみることにしました。表の看板が軽い気がしていましたが、店内は案外いい感じです。お値段も非常に良心的といえます。厨房には控え目サイズのおでん鍋で10種ほどのおでん種が煮えているのが見えます。これはもう頼まざるを得ないでしょう。って焼鳥屋で焼鳥を食わなかったり、煮込みの店で煮込みを食わないなんていう無体なことをやらかすのだから全く嘘くさい話なのだ。それはともかくとしてなんかいいのです。店の雰囲気は悪くないけどとびきりいいって訳でもない。料理もすごい旨いってこともないし変わったところもない。酒だって普通です。店主は丁寧で感じもいいけれど、そんなに愛想がいいってこともないのです。値段はちょっとお安めな点がいいところかな。でも、そんな個別の評価などお構いなしに全般に受ける印象こそが酒場を繰り返し劣るれる原動力なのです。気になった肴として麻婆豆腐と麻婆ナスを合わせてしまった品があります。これ、実はぼくもよくやることで、豆腐と春雨だったり、春雨とナスの組合せも作ったことがあります。なのでぼくにはさほど意外性のある料理ではなかったけれど、あらゆる麻婆料理はよほどの料理下手でない限りは最低限の品質を担保されるのです。それほどハイブリッド麻婆を見掛けないのは不思議です。調べてみるとこちらには以前お邪魔していたみたいです。変わっていたのは通りではなくぼくの記憶だったようです。
2024/07/22
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亀有についてのネタもとうに尽きてしまったので、姑息にもネットでネタを仕入れようと眺めていたら、亀有と亀戸は別だということを記したものをいくつも目にしました。知っている人にとっては単に当たり前に過ぎないことであり、知らない人は勘違いするというのもまあ分からないではない、という非常に凡庸なことが記されているのです。でもこの2つの地域名ってそんなに似てるかな。例えば「せんぞく」であれば台東区の千束と目黒区の洗足があるし、読みが違いますが、調布市の仙川(せんがわ)と豊島区の千川(せんかわ)なんていう亀有と亀戸と比較にならない位には似通った地名があるのだ。なのにどうしてこの2つの町についてばかり混同してしまうといった言説が流布されるのか不思議でならないのです。さらに理解ができないのが亀有が亀戸より知名度で勝っているという記述が多いことです。ご存じのように亀戸には、亀戸天神社が安藤広重の『名所江戸百景』に描かれ、参道には葛餅で知られる船橋屋が操業しています。一方で亀有は地名こそ古くからあったもののネット上の人たちが亀有こそ知名度が高い事の拠り所とする「こち亀」が連載を開始するまではあまり知られていない町だったのではないだろうか。亀戸を知名度が低いと述べる人たちは、亀戸大根や「亀戸餃子」、「亀戸ホルモン」、「亀戸升本」をご存じないんだろうか。亀有にこれらに匹敵するだけの名物が存在するとでもいうのだろうか。 といかにも亀有をディスっているかのような書き方になりましたが、ぼくにとっては亀有がずっと馴染みのある町なのです。といっても伝説(!?)の亀有名画座に通い詰めていただけなんですけど。そんな亀有の町は、「こち亀」のみで亀有をイメージする人がイメージするほどに呑み屋さんの多い町とは思えないのですが、ちょっと個性的な店も存在するのです。偶然立ち寄った「中華食堂 食いしん坊」もちょっと変わり種の中華料理が食べられるお店でした。それはメガジョッキで注文できるサワーとお通しの辛旨ピーナッツからもうかがえるのです。オーソドックスな中華メニューに加えて、えびトーストやシラウオの唐揚げなどが混ざり込んでいるのです。今回頼んだのが大判海鮮餃子。これがピザサイズの大きな餃子でピザカッターで切り分けて食べるスタイルなのです。好みかどうか問われると、正直普通の餃子がいいかもと答えてしまいたくなるけれど、これはこれでクリスピー(クリスピーって語が適当か調べてみたら、パリパリしているという意味に加えてさっぱりしたという意味もあるそうな、この餃子の場合は圧倒的に前者であり、後者とは正反対のオイリーな風味です)好きなら一度は食べてみてもいいかも。一方で唐揚げは極めてシンプルなこれぞ鶏の唐揚げといったもの(とはいえ変わり種の鶏唐もちゃんとあったりする)で、ごついサイズで唐揚げ好きの欲望を満たしてくれるのでした。一品ごとのボリュームがあるので、4名程度で訪れるのが良さそうと、中華屋さんに行くと毎度発する感想を述べてしまうのでした。
2024/06/23
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亀有には「江戸っ子」をはじめとする都内でも指折りの名店と評される酒場もありますが、こうした有名酒場はどうしたって混み合っていて居心地という面では、余り好きになれません。仕事を終えての息抜きで酒を呑みに行って満員電車みたいな混雑した環境で過ごすのは、どうにも気乗りのしないことです。そりゃまあ、ぼくだってもともとはこうした酒場を狂ったように巡っては、それなりの満足を感じてもいた訳ですが、相応のストレスが身に掛かっていることは常に感じていたのです。思えばかつてやはり狂ったように通い詰めた映画にしたって、シネフィルたちが挙って押し寄せる上映ってのがあって、また開始時間のどのくらい前に行けば入れるのだろうか、それだけの時間を立ったまま並んで待つのは辛いだろうなあとか、そもそも入れるかどうかすら危うい場合も少なくなくて、辛うじて入れても立ち見だったりととにかく行く前も行ってからもストレスが終始付きまとっていたのでした。酒場巡りもそんなストレスを覚悟しなくてはならない場合もあって、少なくとも映画の場合は最低限、会場が閉まっているということはなく、かつては稀にプリントの状態が良くなくて上映中止もしくは上映作品そのものが別な作品に変更になったり、16ミリフィルムや酷い場合はDVD上映となったりする場合もあるけれど、酒場の場合は予告もなく平気で休んでいたりすることもあったりで、今ではそんなに遠征して呑むことも少なくなったから初めから余り強い期待感を抱かずに済ませられる程度の心の余裕を持てるようになりました。 ってな訳で、財布の問題さえ気にしなければ目当ての酒場がやっていなくたってそうそうにはへこまなくなっています。しかも目当ての酒場がやっていなかったりしてもむしろ予定外に好みに合った酒場に巡り合うこともあるのです。「小料理 梓」もそうした軽い気持ちで暖簾をくぐったのですが、店内の古びてはいるけれど、こざっぱりとしていていい雰囲気です。店の方も実に感じがいい。父娘なんでしょうか、オヤジさんは寡黙ですが注文したホタルイカが大量らしいなんて話をしているとそれに乗っかってきてくれて、でも邪魔にならない程度でスッと身を引いて仕事に戻るというできたお方なのだ。娘さん(?)もまた、明るく終始笑顔を絶やすことはなく、客たちとの会話も楽し気に交わしはするけれど、仕事の手を休めることもなく、父(?)とも良好な関係であることを匂わせる仕草や会話が微笑ましいのです。肴もシンプルな魚介中心ながらとても丁寧な仕事がされていて(と気取って書いてみる)、酒も種類は限られてはいますが、渋いところが用意されています。ぼくの財力では毎晩は無理だけど、時々通ってきたいなあと思わせてくれる良店でした。事実、その翌週にはまた訪れることになるのだから、ぼくもこういう目立たないけれど、ちゃんとしたお店がいいと思える年頃になったのかもしれないなあ。
2024/05/19
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亀有というと「こち亀」で知られる町でありまして、「こち亀」とは断るまでもなく秋本治著『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のことですが、連載終了して随分経ちましたが、読み返すことも全くなかったし、そもそもちっとも興味を失ってしまっていましたから。このマンガを中学生の頃までは愛読していたのですが、主人公の両さんが少年マンガ誌に相応しい無難な破天荒キャラへと変貌するにつれ一挙に興味を失ってしまったのです。今にして思うと、両さんが酒を呑むシーンが減っていく過程とも連動しているような気がします。幼稚園時代から酒場通いを始め、職場や入院中でも呑むのが当たり前、運転手や空き巣、子供にまで酒を呑ますような少年誌どころか青年誌だって掲載を危ぶむような無茶さこそこのマンガの生命線であったはずなのに、その根柢にあるはずの過激さを封印してもなお脈々と温いドタバタコメディが継続したのだから、作者も編集者も読者も惰性的にこのマンガと付き合っていたんじゃないかとすら思えてくるのです。思えば亀有の町から陰惨な暗さが徐々に一掃されていった過程とも連動しているように感じられるのです。果たして両さんが異常な酒の吞み方をしていた頃にこの町に亀有名画座というシーズンごとに全く毛色の異なるフィルムを上映していた映画館を覚えている人がどの位存在するのだろうか。 先般お邪魔した「家庭料理 寺うち」のお通しに衣かつぎ風の里芋が一つ盛り付けられていました。女性客が店の方にそうそう私このお芋を炊いたのが大好きなのよ、これ、何て言うんだっけ、あっそうか衣かつぎかといった会話をなさっていました。というやり取りを聞いたからではないけれど、その次にお邪魔したのが、そこからすぐの「衣かつぎ」というお店でした。外観はガラス張りでちっともぼくの好みではないけれど、同行した知人が余り愚図愚図していると帰ってしまいそうだったので、迷いなど投げやってお邪魔することにしたのです。高齢女性が店の方かやはりご高齢の男性の相手を務めています。肴は頼んでいないらしく卓上は瓶ビールのみでした。こういう呑み方が許されるのは気が楽になります。というのがぼくの知人はやはりかなり高齢でもともとが食が細かったうえにさらにそれが進行しているようだったからです。ウーロンハイを注文してのんびり呑み始めます。店の造りが居酒屋というよりは喫茶店に近い風貌でありましたからドリンクのみで呑んでいても違和感はないのですが、それでは申し訳ないからと300円とお手頃な餃子を注文しました。すると恐らく1パック100円とかの市販の餃子が3個しか残ってなかったらしく、お値段惹くので3個でいいかしらと聞かれたのでそれで構わないと答えます。今日は調理の人がいなくて、できないモノがありますなんてことを仰る。ふうん、それでも店を開くんですねえ。とそのうちに先客は勘定を済ませています。ふと厨房を眺めると餃子を焼くだけなのにフライパンから大きく火が立ち上ってフランベしたみたいになっていたのです。餃子をこんな火が怒る程の火力で焼いちゃうのと思いつつも会話に戻ります。しばらくして店の女性が皿を持って現れ、真っ黒にしちゃったからお代はいただかないのでもしよろしかったらどうぞ。というそれは真っ黒こげなのにタネは何だか生っぽかったのです。勘定を済ますと、どうも値段は引かれていなかったようです。
2023/11/24
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久し振りに亀有に行って呑むことになりました。と書き出して思ったのが、亀梨和也をはじめ亀梨さんは世間に一定数存在するようです。ぼくも知人というほどの間柄ではないけれどそういう姓の持ち主を知ってはいます。苗字由来net (https://myoji-yurai.net/)という面白いサイトがあるので早速調べてみました。まずは「亀有」です。【名字】亀有【読み】かめあり【全国順位】 54,501位【全国人数】 およそ30人 やはり、希少名字のようです。ついでなので、「亀梨」も調べてみよう。【名字】亀梨【読み】かめなし【全国順位】 21,196位【全国人数】 およそ200人 おやおや、こちらも相当珍しい名字でした。ぼくは案外幅広い人間関係を築けているんじゃないかと勘違いしそうになります。こんなに稀有なのに地名があるのはどういうことかなあとWikipediaを調べてみると、--この地域はかつて亀無・亀梨(かめなし)と呼ばれていた。応永5年(1398年)の『下総国葛西御厨注文』で「亀無」、永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』で「亀梨」の表記が見られる[8]。この名は、低湿地帯の中に「亀」の甲羅の形を「成す」土地だからということで付けられたといわれている[9]。この地名は「無し」に通じて縁起が悪いとされ、江戸時代初期(1644年頃)に『正保国絵図』を作成する為の報告書提出の際、現在の名に改められた[9]。--なんですって。これを理由に改名って認められるんでしょうかね。とそれはともかく、地方出身者のぼくは上京する以前にも何度か東京を訪れていますが、その最初期に訪れた町の一つが亀有ということもあり、ぼくにとっての東京という町の減点となっています。 その当時にこの「季節料理 寺うち」は存在したのでしょうか。店の構えはそれなりの年季を放っていますが、古いかというとそこまででもないからせいぜい平成になってから開店したといったところでしょうか。先客のいない店内の様子や店の女性の方を見てもまだ女将さんと呼ぶのが憚られる年齢にお見受けしました。この方、物静かな方かと思ったら、調理などの合間合間に色々と話し掛けてくれるのが嬉しいのです。りんごなんかもサービスしてくれたりして、とても感じのよい方です。お通しはどうってことのない3点盛りでしたが、鶏の唐揚げなどちゃんと味わうととてもちゃんとしていることが分かります。なので銀鱈の幽玄焼きなんてのは畢竟期待が高まるのです。ちゃんとその場で調理しているようなのにとても早く届けられます。これがまた絶品です。刺身類も各種取り揃えられていて(肴の種類は極めて限定された品数ではありますが)、魚介の取扱いも達者なように思われました。きゅうりに添えられた梅風味の味噌もとてもいい味です。これは酒ばかり呑む男客よりも女性からの支持があるだろうなんて思っていたら、常連さんらしき女性が来店。とても打ち解けた雰囲気ですが、場の空気を乱すようなお喋りに興ずるでもなく気持ちよく過ごさせていただけました。数名の会合なんかがあったら重宝するかなあなんてことを思いました。
2023/11/22
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以前は口を酸っぱくして綾瀬のことを褒め称えてきたものですが、ひとしきり探索し尽したこと、それからガード下時代には愛用もしていた立ち吞みが移転してすっかり閉鎖的な酒場へと変貌したことに愛想を尽かしてしまったので、めっきり足が遠ざかってしまったのです。だったら今になってどうして再び綾瀬を訪れたかと問われたら魔が差したという出鱈目な回答をもって代えさせていただきたいのです。久し振りに降り立った綾瀬ですが駅改札を抜けると―西口側です。ぼくは綾瀬駅では決まって西口側を利用するようにしていて、このガード下や沿道のうらびれたムードがとても気に入っているのです―、どこか以前と違って感じられます。縁が薄くなったとはいえコロナ禍の渦中にもこの界隈には来ていたのですが、それでもその頃と比べても明らかに人通りが少なくなったと思えるのです。3年以上前であっても人通りは疎らではあったのですが、今はふと背後に視線を遣ると人っ子一人歩いていない瞬間もあったりするからこの界隈に何事かが生じているのではとつい懸念してしまうのです。このままではこの町の呑み屋街は壊滅してしまうんじゃないかって、とても悲観的な想像すらしてしまったのです。が、久々に一度そんな様子を眺めただけで、町の現況を見極められるはずもないから、この夜がたまたま人手が少なかったのだと思うことにしよう。だって、この後、訪れた酒場は通りの様子とは一転、すごい活況振りでそのギャップにお届かされることになったからです。 駅に接するマーケットのような呑み屋長屋はその個々の店の良し悪しはともかくとしてその風情だけで充分に呑みに来たって気分に浸れるのです。できれば内側に入り込みたいところですが、そこはマスコミ等で報じられ大変な人気店になってしまったようでとても入り込めそうにありません。なので、通りに面した店で手を打つことにします。按配よろしく新店舗ができていますね。お邪魔したのは、「トリトサケ」というお店。特段目星を付けていたわけではないけれど、かつて「居酒屋 てんちゃん」だったお店から短命だった「もつ焼き専門店 綾瀬酒場」を経てのお店で、この2店舗は寂しい位に空いていたけれど、この綾瀬に似つかわしくないモダンな店名のお店は大盛況で、辛うじてカウンター席のみ空きがありました。でも席に着いて冷静に観察すると10名前後のグループ2組でほぼ埋まっているらしく、1グループが帰っただけで急激に寒々しい雰囲気になったのです。そんなに長居するつもりはなかったので、すぐに出てきそうな鶏もつポン酢(商品名は不正確)を頼みました。焼鳥店で焼鳥を食べぬのもどうかと思うけれど、これはグルメブログとは無縁の場なので構わないでしょう。これが柔らかくもありコリコリと良い食感もありで何だか味も濃く感じられてとてもよかった。ポテトフライ(引き続ぎ商品名不詳)はというと直接フライヤーの前で大きなスライサーでじゃがいもを削り始め揚げ油に放っていくのでした。刀削麵みたいな感じですね。こりゃなかなかやり手ではないかと思ったけれど、この芋はちょっと苦味が立って旨味も感じられず残念賞でありました。が、こうした意欲的な試みは高く評価したい。っていつの間に料理評論家になったのだ。ってな具合に今後の活躍を見守りたくなるようなお店なのでありました。
2023/02/20
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先日の亀有のハシゴ呑みの続きになります。せんべろお姉さんの紹介されていた2軒のお店にお邪魔したのですが、その2軒目でちょっとした事件に遭遇しました。というのがそこのトイレが店の通用口を出た階段の奥にあるのですが、手早く小用を済ませた後に事件は発生しました。なんて書くととても大事が生じたかの印象を与えかねませんが、そう大した事ではなかったのです。端的には便所の排水が不調で何かが詰まって流れなかったので、グイグイと水位が上がってしまったのでした。ね、実にくだらないです。でも店の方にそれがぼくが引き起こしたものと誤解をされてしまったら酷いことになります。もし小用ではなく大用だったらその時間の掛かり次第ではぼくに冤罪が降りかかったとしてちっとも不思議ではなかっただろうと思うのです。うっかり誤解を招くような行為をしてしまうと、それが世間に向けて公表されてしまいかねない程度にはテクノロジーは進歩したようです。ぼくも保身のために身に付けられるようなデジタルカメラでを購入しようかと本気で思ったことが何度もあるのです。毎日電車通勤している人でチカンの冤罪をかけけられることを気にしたことのない人はまずいないんじゃないでしょうか。でも結局はまあ何とかなるだろうし、さすがに自分の小用の様子を自身が加害者ではないことを証明するためであってもそう簡単に提示するのもどうかと思うのです。って何故に先の酒場のことを別の酒場について書こうとしているかというと、当のお店の方が万が一にも先の記事中にこの出来事をご覧になるったとしたら余りいい気分はしないだろうなと思ったまでのことです。しかもその際の店主の応対はとても感じが良くて悪い事を言うつもりなんか毛頭ないのですけど。でも何にせよ商売をするって大変なことですねえ。 と身も蓋もないことを書きつつ、ずっと亀有に来るたびに認知しつつも、なぜか足を向けることのなかった「居酒屋 一の花」にようやくお邪魔する機会を得たのでした。まあどうってこともないっちゃそれまでですが、こういうオーソドックスかつ渋い居酒屋に入るのが以前よりずっと貴重な機会に思えるようになりました。有名酒場にもちょいちょい浮気はするけれど、どうもリラックスできないんですね。どこにでもありそうでありながらやはりその店でしかないっていう程度の存在感があればちゃんと楽しめるものなのですね。こちらは小上がりに渋い座椅子が設置されていて、座敷席だと足腰の辛いぼくにでもそれなら耐えられそうです。思えば幼い頃には父親が座椅子にもたれて枝豆にビールでナイターを眺めているのがとても羨ましいと思っていたのですが、今の住処にはそもそも畳すら敷かれていないのです。であればこうした小上がりで当時の気持ちを思い返してみるのもありだったのかもしれないけれど、今思えば迷うことなく椅子席を選択していました。もし次にこうした座椅子付きの小上がりに遭遇したら迷わずそちらを選ぶことにしようかな。それにしてもお客さんの入りがイマイチですねえ。先の2軒もそうでしたが、各酒場ともに収容定員のせいぜい1、2割程度の入りでは厳しかろうに。最近は都心の酒場は結構な繁盛ぶりになったように感じられますが、さすがに都心とは呼べぬ亀有ではまだまだ苦戦が強いられているということか。まあねえ、都心で仕事を終えた客がメインなんだろうからまだ時間が早いのかもしれないですねえ,さて、こちらのお店はベテランというにはお若い夫婦(?)でやっておられるようで、もしかすると先代から店を継いだのかもしれないですねえ。酒も肴もそれなりに揃ってはいますが、やはお高めの価格設定となっています。物価高騰の折ということもあるのでしょうが、この値段では現役勤め人のぼくでも厳しいのだから、案外店の客層の主流となるかもしれぬ年金世代の人たちはかなりキツいんじゃないだろうか。ぼくの根拠脆弱な予想では、今後10年もしないうちに未だとかなり安いと思えるような価格設定に舵を切らなければ生き残りは難しいように思えます。家で呑めば安く済むところをわざわざ外で呑むほどの魅力って最終的には人恋しさを満たしてくれたり、逆に孤独に浸れたりといった環境に尽きると思えるわけで、つまりは安さと環境を両立させられる店が生き残るんじゃないか。だとすればこちらは環境は整っているのだからあとはお値頃感への対応ができればずっとやっていけるんじゃないかななんてことを考えたりするのですが、現実は難しいんでしょうかね。
2022/12/26
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前回に続いてせんべろお姉さんのリサーチを丸パクリしてのハシゴになります。近頃はあまり無茶なハシゴもしないようになったし、そもそも身近で気軽に行けるような場所に気になる未訪店も残り少なくなっているので、どうしても人様のリサーチを拝借せぬとこのブログの存続にも関わる事態になりかねなくなっています。ってこうしてブログを書き続けるのが負担になってきているのであれば、誰から求められて始めた訳でもないのだから何も律儀に毎日間断なくアップし続ける必要もないだろうし、それこそいっそのことやめてしまえばいいだけのことではあるのだけれど、それなりの長きに亘って続けてきたことって,いざやめるのは勇気がいることなんですね、僕の場合。波平のような三日坊主のプロならともかくとして、ぼくは何かを始めるとそれなりにのめり込む性質でありますのでどうしても(しょうもない)知識やら経験値を溜め込んでしまうことになります。潔くすっぱりと捨て去れるなら何の苦労もないのだけれど、ぼくの場合、それには病気になるとか海外に引っ越さねばならなくなるとか、健康上の理由や経済的・仕事上の理由などかなり差し迫った理由がなければ一歩たりと行動に移せぬのであります。これが適当な表現であるかは微妙ですがつまりは未練がましい人間なのです。でもこれまでの未練たらたらな人生を振り返ってみると思ったよりずっと色々な執着を振り切ってきていることが思い出されます。そういえば人はぼくのことを感傷的で思い出に縛られた男と評する人もいれば感情の起伏の乏しい冷血漢だと評する人もいたりして、結局は今後のことは先々になってみないことには分からないという当たり前の回答に行き着くしかないのでした。 って亀有の「大衆酒場 テラスヒ(TERASUHI)」にせんべろお姉さんの訪問記をカンニングして訪れただけなのにここまでねちっこく書くってことは、やはりぼくはどうも人様の真似をすることに強い恥じらいだったり後ろめたさを感じたりするようであります。でもそう感じるのは決まって後になってからなんですけどね。酒場で呑むという行為にはそもそもが町を歩いて自身の勘と経験で然るべき酒場を探り当てるというところから始めるものと思うのですが、その大事な―もしかすると最重要事項かも―行程をスキップしてしまったことがひどく残念に思えるのです。それが好みの酒場だとしたら猶更のことなのです。ってまあ、幸いにもこの大衆酒場を冠するお店は開店したばかりのような小奇麗で開放的な構えなので、とりあえずはぼくの明らかに好むタイプではないからまあダメージは最小限に留まるのでした。10名弱の若者グループが間もなく勘定しようという状況でお邪魔できたのも幸いでした。大いに偏見を吐露するとぼくは若い人が群れているのが大嫌いなのです。もちろん全ての若者の群れを否定するつもりはないけれど、それがどういった集団を指しているかはぼくの人間性に誤解を抱かれかねぬから割愛するのです。さて、静かになった店内は落ち着きはしたもののさすがに寂しい。とまあ我ながら身勝手な感動を抱くものです。250円と手ごろなチューハイを注文。肴は簡単にポテトサラダと鶏皮餃子にしました。こちらの名物料理のベースとなっているソーセージが欠品中であるらしく続いてのお客さんにも同じ回答をされていました。はてさて食材が切れる程の集客があったのは一体誰のせいなのだろう、なんてその片棒を担ごうとしていながら何て言い草なのだ。おっポテトサラダが随分おしゃれに盛り付けられてますねえ。一時期ハマったペルー料理のカウサレジェーナみたいですね。ってあれほど派手派手しくないところがよりケーキっぽいかも。味はむしろフランス料理のアッシェ・パルマンティエみたいな濃厚かつウマウマなものでした。これだけで3杯は吞めちゃいそうですね。鶏皮餃子は、これまであちこちで食べてきたものよりも大振りで食べ応えがあります。表面がカリっとしていて非常にジューシー。いやいやこちらのお若い店主さん、さり気ないふりしてなかなかのやり手のようです。でも店の雰囲気がちょっと亀有向きじゃないかも。うちの近所に移ってきてくれればいいのに。
2022/12/19
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近頃なんだか時間が足りていない気がするのです。時間が足りてないという割には,出掛ける予定のない日がちょくちょくあります。そんな日は一日自宅でゴロゴロと読書でもしながら過ごしたいなあなんてことを思うのですが、なぜかそうはならないのです。朝は普段通り6時前には起床して、つつがなく朝のお勤めを終えるのに、何だかんだと雑用をこなしているとあっという間に昼過ぎになってしまうのです。その何だかんだがはっきりすれば自由になる時間も増やせるんじゃないかというご指摘は誠にごもっともです。でも実はその雑用を意識的に覚えておくようにしてみたのですが、その時その時はちゃんとバタバタと能率的に雑用をこなしているんですね。つまりは雑用そのものが増えているとしか思えない状況に陥っているようなのです。だからそうした用件の中で不要不急のものは排除しようと思ってはみたもののどうやらそれは従前から継続して行ってきたものばかりであるし、容易にはやめることができそうもないのであります。はてさてこれは困ったことになりました。そうすると今のぼくは過去のぼくよりも処理能力が下がった、もしくは以前は多少の雑事はなかったことにする思い切りの良さがあったかのどちらかだったのだろうか。だから例えば呑みの約束はしたものの事前に酒場選びする時間もないし、かといって当日になって酒場探しに奔走するだけの暇もないのであります。昔は持て余すくらい時間があったのに残りの人生がある程度見えてくると些事に時間を割かれてしまうなんてなんと皮肉なことだろう。 といったわけで、もうとにかく時間のない場合は信用のおける情報に頼ることに躊躇はないのです。予め酒場を決めておくことに一抹のむなしさを感じなくもないけれど、背に腹は代えられぬ場合もあるものです。ということで困った時のセンベロお姉さん―今回のように時間がない場合もそうですが、財布の中身に不安のある場合も含めて―ということで、今回はつい先達て紹介されていた「焼肉ホルモン ちゅらロース 亀有店」にお邪魔することにしたのです。ドリンク3杯にミックスホルモン or etc.で税込み1,100円というセットがあるようです。冷静に考えてみるとまあ安いことは安いけれど6時まで限定ということで汗だくになって駆け付ける程のお得であるかどうかは見解の分かれるところです。でもこれにメルマガ登録で牛タン塩4種が無料になると聞くと途端に魅力的に思えてくるのです。というわけで必死になって職場を飛び出すと思いがけずも待ち合わせのS氏よりも早く到着してしまいます。それでも混雑しているとという気持ちの焦りから挨拶もそこそこに急いで店へと向かいます。店内を見るとおやおや案外狭くてすでに2名では入る隙がなさそうです。これは不味い、お得なセット抜きでお邪魔するつもりはもともとなかったからであります。こいつは困ったことになったと思う間もなく2階に通されます。何だなんだ、2階席もあったのね。しかもこちらはそこそこのキャパがありますね。ということで至急注文しました。早速にセットを注文したところ、メルマガ登録はこちらから切り出さずとも若い見習い従業員さんに強くお勧めされたから気が楽でした。ということで望みが無事叶いそうでようやくここで一息つけました。オリオンの生ビールをグイグイと呑むとすぐにお肉が登場するのも嬉しいですね。セットのドリンクとお肉ですとか若い人が言うので、随分お肉、ちょっぴりだなあとちょっとガッカリでしたがすぐにS氏分の皿が運ばれました。ちっちゃなグラスに白い骨状の何やらが運ばれてきてそれについても何やらを呟いているのだが、聞き取れぬ。見た目には砂糖菓子のようであります。するとS氏がそれを口に運んで齧ってみるとどえらく固いとぼやいている。これはドリンクのカウント用のオブジェでしかなかったみたい。ぼくも菓子だと思っていたので助かりました。さてホルモンはその部位はよく分からないけれど4種ほど入って非常に美味しい。二人で一皿と思っていたのが実は一人用と知ったから逆に満足度は高いのです。続いて牛タンが届きます。無料なのに4枚もあって見るからに旨そう。するとこれは二人前とのことであります。危うく一人で食べちゃうところでした。と従業員の方はまだまだ発展途上ではありますが、きっとそれなりの人気を獲得するように思います。ただし、この夜の2階席の客はみな我々同様にセットと無料の牛タンを食べていたからこのセットの継続は継続しての繁盛には切らせなくなってしまったかもしれません。
2022/12/14
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青砥という町は、とお決まりの如くに町の話題で切り出すスタイルというのも手軽で悪くないのだけれども、さすがに近頃は行動範囲が限定されているので町のことを語るにもネタがなかったりするのです。だとすれば語りのきっかけをちょっとばかり勉強した方がよいのでしょうけれど、日々なんだかんだと忙しくてとてもそんな時間は確保できないのでした。世の中には仕事を終えてから何かしら資格を取得するためにその手の学校に通っている人もいるけれど、驚くべきことです。ぼくなどは近頃は帰宅途中にせいぜい2時間程度呑んでちょっと買い物などして帰宅したらシャワーを浴びるととうに9時は回っています。ちょっとしたつまみなどを作って軽く一杯やりながらニュースを眺めたり、PCでノルマをこなしたりしているともう11時を過ぎています。眠りの浅いぼくはもうここらでベッドに入っておかないと翌朝に響くのです。じゃあ休みの日を有効活用すればいいではないかと言われても、苦痛ばかりの仕事から解放されて勉強などする気力など湧くはずもないのであります。って結局は勉強というワードから己の現況というこれまだベタな導入となってしまった。これは人様に読ませる文章として愚作の業でしかないではないか。と嘆いてはみせるけれど、それなりに分量を稼いだからこれはこれで良しとしてしまうのだ。この自分に対する甘さが現在の自堕落なぼくを育む土壌となっているのだろうなあ。 なんてことを書きながらやはり青砥のことに触れてからの方が話が始めやすい。映画だって冒頭で空撮が多用されるのは地理的状況とともにその地域の涵養や人種などを俯瞰して見せて徐々に自然さを装って主人公にフォーカスするための安直かつ効果的な方法だからなのでしょう。さて、青砥に訪れたぼくはまず、以前お邪魔した際にやっていなかった「居酒屋 奥の松」を再び訪れるのですが、やはりこの夜も休みです。もう営業はやめてしまったのでしょうか。時間も遅くなっていたし、S氏も一緒なのでまごまごしている時間はない。さてどうしたものかと迷っているとS氏から珍しく希望が告げられます。「大衆料理 忠治」に行きたいとのこと。確か酒場放浪記で放映された酒場でぼくは一度訪れているはず。でも以前の記憶は行ったことがあるということ以外は皆無だったので復習として訪れるのもよかろうと同意します。でも店に入ってみても少しも思い出されることがないのです。まあ、ごく標準タイプの内装だから無理からぬことではありますが、内観すら記憶がないのにここで何を摘まんだかなどといった些事を重い尾もせるはずもないのです。実のところ2度目の訪問からまだ1カ月程度しか経っていないはずなのになんたることかほぼ記憶がないのです。覚えているのは、常連たちの寄り合いがあって彼らは開店すぐから通っている方からここ10年程度のお客さんもいて、でもこの酒場がきっかけて新し繋がりを見出しているということです。これが面倒に思える人もいるでしょうが、今のぼくにはその楽しさが幾分分かるようになりました。大勢で呑むのが嫌になったらしばらく行かなければいいだけだし、人恋しくなったらまた戻ってくればいいのだから、酒場の繋がりというのはその緩さもあってその関係性の希薄でありつつ密接でもあるところがぼくにもとても都合のいいのです。さて、おっ、メヒカリの唐揚げを食べていますね。ぼくの好物です。好物ですが、案外食べさせてもらえる酒場は少ないので目にしたらつい注文してしまいます。メヒカリはいわきとか福島県の沿岸部の酒場でよく見かけます。この酒場の屋号は忠治かあ、一瞬国定忠治の出身地が群馬県だからここのご主人も群馬のお生まれなんだろうかなどと想像していましたが、福島とか茨城のご出身かと思いましたが、全く関係なかったようです。美味しい肴で安価に酒を呑みたいなら選択肢に加えても良いお店でした。
2022/10/25
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青砥の酒場巡りの2軒目。ぼくの好き嫌いなど大方の人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、ぼくはさほど青砥という町に愛着を覚えません。住めば都かもしれぬしそうじゃないかもしれないけれど、ぷらぷら散策した限りにおいては、普段の買い物にもちょっと不便そうに思えたし(食品スーパーが足りていない気がする)、飲食店は少なくないものの入ってみたいと思える店はそう多くはないのでした。お好み焼き店もちらほら見掛けてちょっと気を惹かれたけれど、開店後しばらくしてまた通った際にも客の入っている様子もなくて、酒場らしい酒場に客がいないならまだしも、食べる方をメインに据えた店で客足が途絶えているというのはやはり悪い想像歯科浮かんでこないのでありました。だから通りすがりの者にとっても青砥は下町っぽい立地と雰囲気があるはずなのに実際に訪れてみると肩透かしを食らったかの印象を抱いてしまうのでした。ところが、先に訪れた洋食店に向かった際にたまたま目にした一軒の酒場とそれを含めた景色がいかにも良いムードで、あっさりと好感度が増すのだから憎まれ口をたたく割にぼくも実に単純な性格なのでありました。 さて、上記の風景とは具体的には自動車道路から直角に伸びる薄暗い路地の突き当りに銭湯「成弘湯」があってその手前にぼんやりと明かりが漏れ出しているのです。これを遠目に見てどうしてその明かりの出所を酒場と判別できるのか、理屈はよく分からないから、これはもう経験値がそれなりに上がっているからと理解しておくことにしますが、一軒目の洋食店で呑みながらすでにこちらのことが気にかかって仕方なかったのです。もしかするとそこは酒場なんかじゃなく、それこそ仏花店だって不思議ではないのであります。でもぼくはそこが酒場であることを確信しています。路地に足を踏み入れやがてそこが呑み処であることが確信に変わり、店名が「呑み処 おまぬけ倶楽部」なる脱力系であることが判明してもなお、ぼくのここに入りたいという意思を挫くことにはならなかったのです。ぼくはたった一点を除くと大いに気に入るはずであってもただその一点の瑕疵があるばかりにどうしても気に沿わない場合があるのですが、ここには不思議と好きになれそうな予感を感じました。実は「Rock Jazz Blues & Country」なるぼくの趣味とは相容れぬコピーも瞬時懸念を覚えなかったとなると嘘になりますが、それすらすぐさま打ち捨ててしまえる位に店そのものへの強い興味を抱いてしまったのです。もとよりぼくは、繁華街の呑み屋よりも孤立した酒場への強い執着があるのです。入口に立つと店内はほぼ満席でありまして、こちらは2人であります。こういう時には1人でなかったことを悔やまされるのです。同行させたS氏には誠に失礼な話であるけれどここで別行動を申し出ても良いとすら思うのでした。しかし幸いにもお客さんたちが席を詰め合っていただいてわれわれに席を作ってくれたのです。ご主人はテキパキと仕事をしながらも「お客さんたち、音楽好きなの」と言葉を掛けてくれます。嘘は付けぬから「まあそれなりに」てな曖昧な答えをしても嫌そうな顔をされる訳でなかったのは有難い。糸こんにゃくをごま油とにんにく、醤油で炒めて刻みのりを振っただけだったり、コンビーフを単に炒めたりとちゃちゃっと作れる、でも酒場で摘まむとちょっとうれしいそんな酒呑みの心に寄り添った主人にも感心させられたのでした。
2022/10/14
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今朝、PCを見てみると居酒屋探訪メモが消えてなくなってしまっていました。うっかり操作ミスなのか理由は分からぬけれど、往々にしてぼくはこういうチョンボを犯してしまうのです。もう随分多くのものを失ってきているから多少のことではへこんだりしません。へこみはしないけれど、かなり激しい怒りが沸き起こってくるのです。その怒りの矛先の向けどころがない、いや自分自身に向けるしかないのが悔しくてならないのです。幸いにも全滅って訳じゃなくて1か月ほど前時点のファイルを残してあったからよかったのですが、1か月分の遺漏を埋めるのはほぼ不可能に思えるのです。まあ元々が単なる各地の居酒屋の基本情報に訪れた日取りとお気に入り度合いを追記しただけのデータだから色々な意味で大したデータではないのだけれど。だったらいっその事、全て消え去ってしまった方がさっぱりするんじゃないかという気持ちも無きにしも非ずなのです。自ら処分するだけの気合はなくともなくなってしまった以上は諦めるしかないという思い切りなら持ち合わせていると思うのです。これまでもそうやっていくつもの喪失感をやり過ごしてきたのだから。なんて愚痴ってしまいましたが、この夜向かった青砥の老舗洋食店とはまるっきり関係のない出来事だったのですね。 まるで関係のない話ではあるけれど、いくら何でもそれじゃお話として無理があり過ぎますがとりあえず先に進むことにします。亀有新道を南下してしばらく行くと実に魅力的な酒場に視界に収まってくるわけですが、それは後に回すことにしてさらに先に進みます。やがて都内各地に散在する「三好弥」に行き着きます。ここの存在はずっと知っていたし気にもなっていたのだけれど、こういう食事メインのお店に立ち寄るにはそれなりの心構えを要するのです。飲酒だって本当であればその位の慎重さがあって然るべきであろうけれど、呑めば呑んだだけ気持ちが緩んでしまうのが酒なのでありまして、やはりハシゴするのだとしても飲食店には尻込みすることが多い。だから訪れるなら1軒目がいいし、できれば誰かと一緒の方が良かったりするのです。ということでS氏に同行するよう誘っての訪問となったわけです。どこで見たのかもうちょい趣のあるお店だと思い込んでいましたが、店内は案外のっぺりとしていました。コロナ対策のアクリル板設置が多少の影響を及ぼしたのかもしれません。先客はお一人で何かの煮物でビールをやっておられます。店は女性一人でやられていました。以前はきっとパートナーなどおられたんだと思います。われわれもレンコンのきんぴらなどを摘まみつつビールを呑みます。すると一人また一人とやって来て4卓あるテーブルが全て埋まってしまいました。皆さん入口に背を向けるように腰を下ろしていて、それぞれに晩酌を楽しまれているようです。さて引き続きメンチカツが到着。カラリと揚がっていて普通に美味しい。普通に美味しいってフレーズをぼくはしばしば発するらしく、それを批難されることがしばしなのだけれど、ぼくにとっては好意的な言葉なんだけどなあ。と、またもお客さんがいらしたようです。次の酒場も気になることだし、ぼちぼち移動しよう。実は店全体に諦観が漂ってるなんてことで前文と繋げようと思ったのだけれど、それは余りにも無礼なので、割愛します。
2022/09/28
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綾瀬には、お父さんとおふくろさんがいます。いや、お父さんは今はもういなくなってしまったので、今ではおふくろさんがいるだけです。と書いてもこのお父さんだったりおふくろさんがぼくの実の両親であるとは思われないのでしょう。ぼくの両親は今でも健在で少し反応など鈍くはなってきたけれど、まだ元気なので酒場なんかで父親のような人だったり母親のような人だったりを頼るという意思は微塵もないのです。今のように交通機関の発達してしまっては、かつてそうやすやすとは帰省できなかった時代に親替わりという存在もその存在意義は失われつつあるのかもしれません。それこそコロナ禍になってリモートで帰省した気になるのが普及してからは、親との付き合い方も今後は変化を被らざるを得なくなっているんじゃなかろうか。亡くして分かる親の有難さだったり愛情だったりかけがえのなさを説く人がいるけれど、それはもう実際に経験してみないと分からないことです。ぼくが両親に思うのは当人たちが生きていたいという間は生きていさせてあげたいけれど、その気力がなくなったならできれば揃って眠るように亡くなるといいなあと思うだけです。それはまあぼく自身にも言えることでありますが、そう思うがままにならぬのが生きづらさの根源なんだと思います。とまあ人によっては薄情とも感じられるかもしれぬような人たちが増えたからかどうかは分からないけれど、近頃は代理父、代理母の名を冠した酒場がめっきり減ったように思います。つまり「オヤジの店」とか「ママのいる店」なんてのが少なくなった気がします。 それはともかくとして、この夜目指したのは実は「泓源酒場 驚安」という安さがウリの中華系酒場だったのですが、余りの客の入りの悪さ(ってか端的に一人も客がいない)を表から見て、情けなくも萎縮してしまったのですね。張り出されたメニューを眺める限りはかなりの安価さである、にも拘わらずこの状況はいかにもおっかなく思えたのです。安酒場のメッカである綾瀬にあってもここはかなりの安さであるように思われ、安けりゃ混むというお土地柄ながら閑古鳥が鳴くのには何某かの理由があると思った訳です。そういやこの側には「お父さんの店」があったはずだと足を向けますが、どうも見つからない。なのでそのすぐ近くの「おふくろの店 若松」にお邪魔することにしたのです。戸に手を掛けた瞬間、かつて訪れているというデジャヴが去来したのであります。実際にはデジャヴでもなんでもなくて以前大衆割烹を冠していた頃にお邪魔していたようです。ちなみにこの夜は日頃物静かというか無口で喋ってもぶっきらぼうな印象のA氏が珍しくも熱くなって激論を交わすことになるのでした。お相手は、唯一のお客さんであったマンション・不動産業の経営者というご婦人でありますがその話は思い出しても鬱陶しいので割愛します。実際、ぼくは彼女らの応酬には近寄らず、もっぱら女将さん(というかおふくろさん?)とのんびりとお喋りしたのです。おふくろさんは彼女らのギスギスしたムードにもおっとりと構えておられていたからとても頼もしいのです。料理はアスパラベーコンなど家庭料理ながら食材が新鮮なのかそれとも扱いが丁寧だからなのかとても美味しかったです。うちの母親は料理がへたっぴだったから料理に関してはこちらのおふくろさんに軍配を挙げたくなります。
2022/07/06
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このブログを始めた理由は諸々の理由があるけれど、酒場巡りの楽しさを分かち合って、わずかなりとも己の愛する酒場の延命に寄与したいということも理由の一端にありました。しかし、要因は様々に考えられるけれど、近頃は好きな酒場をレポートするというよりは、どうにも納得し難かった酒場のレポートをする機会が増えていて、どちらかといえば回避した方が身のため酒場を知らしめることを目的としつつあるようです。酒場の劣化や減少に連動してこのブログの内容も悪化傾向に傾きつつあるようです。だからといって未知の酒場を以前ほど探り当てることも容易ではなくなりつつあるし、今はまだまだ遠出したり仕事上がりに無理くり都合を付けて夜な夜な彷徨うのも褒められた行動とは思えない程度の弁えもある以上致し方ないことかもしれません。情報が過剰に流布される世の中にあっては、近頃酒場の魅力に開眼したばかりの多くの酒呑みの方たちというのはもしかすると外れを引きにくいという有意さもある一方で、いきなり当たりくじばかり引くことになるだろうから、その後の外れくじを引き続けるという反動には耐え難いのではなかろうか。始めよくても終わり悪しというパターンを踏まざるを得ないということであります。しかし、モノは考えようでひとしきり良さそうな酒場を巡ってしまった時点で、趣味としての酒場巡りからは潔く身を引くという戦略があり得るのかもしれません。ただしこれには途中、ガイドブックから浮気してふと目に留まった酒場に立ち寄ったりしてはならないというルールを厳守することです。パチンコや競馬などのビギナーズラックと同様の転落への道筋が開かれる危険性があるからです。って何を書いているのか。亀有のこの夜お邪魔したお店は、この酒場で道を踏み外すということはないけれど、亀有に遅延があって時折訪れるようであれば、またお邪魔したいと思いたくなるような両店だったのです。 亀有駅北口を背にして歩き出すとしばらくすると繁華街も途絶えて酒場も疎らになってくるのだけれど、この辺りまで来るとちょっとだけいい雰囲気の酒場が近接してあります。「小料理 はるちゃん」と 「のぶちゃん」の二軒ですが、まずは前者の暖簾をくぐりますが、店のママさんらしき方に品定めされた末にお断りされてしまいました。このところ何度もこうして全身を舐めるようにされた上で断られるという経験をしてきましたが、単に常連か否かを見定めるのであれば、顔を見れば一目瞭然となるはずなのにどうしたものか一定の間合いを置かれた上で回答があるというのはどうにも不快なものです。ぼくは店側には客を選ぶ権利があると店が主張することに必ずしも反対する立場ではないけれど、それならそれで「会員制」でもいいからうちは客を選ぶ店であるということを予め明示するのがマナーだと思っています。断られる客は当然不愉快だし、断る側もそれなりに心に負担を感じられているはずです。店によっては店独自の規則や流儀がある場合も同様で、どうしても規則や流儀を強いたいのであれば、入口でそれを明示すべきです。店に入ってからそれに従えというのは道理に合わない乱暴な要求に思えます。ともあれぼくは入店資格を認められなかったから次なる酒場でも気構えてしまうのです。しかしまあ、後者にはあっさりと入店を認めてもらえました。カウンター10席弱にテーブル席2卓のありふれた陣容でありまして、先客5名は女性ばかりでした。うち3名は相当に酔っ払っていてしかも助平な婆さまたちでありまして、彼女らに背を接する席に着いたけして若くもないS氏の身体を上気した表情を浮かべて撫でさすすのでありました。それは非常にゾッとさせられますが、女将さんの応接振りや振舞われる肴の安価で美味しいことなどは非常に好感を抱きました。この書きぶりはいかにもエラソーでありますが、つまりはとても良かったわけです。亀有ではちょっといい感じの酒場こそあれ、決定打となるようなここぞという酒場のリストは持ち合わせていなかったので、この先はこちらがその候補となりそうです。
2022/05/16
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先般、久々に亀有を訪れてみて散策してみると何度となく通り過ぎた通りにこれまで見落としていた居酒屋が少なからず存在することに気付いたと書きました。人は見たいものだったり見たくなかったりするものは見るけれど、そうでないものは視界をよぎりこそすれど実際には見てなどいないのでしょう。見たくないと書いたけれどそれも恐らく深層心理では見たいものなんじゃないかと思っています。とかく若い頃は視野が狭いものです。ぼくだって若い頃は元気いっぱいで欲望に忠実だったからいつだって急ぎ足で移動したものです。速度が速くなるということは人間という生き物の生理上視野が狭くなるのは当然のことです。そういう目の造りになっているのだから仕方ないと言えば仕方のない事です。ってまあ実際に早歩き程度でそれ程視野が狭くなることもなさそうですけど。それを言うなら緊張も視野を狭める作用があるらしいから、酒を呑んで緊張が緩み、加えて歩く速度も落ちれば視野が広くなるはずですが、酔って視界が定まらず記憶にも霞が掛かってしまうから酔っ払い過ぎない程度で町を歩くのが若い人にはお勧めです。逆に年をとっても視界は狭くなりますね。視神経線維の減少で脳にちゃんと情報が送られなくなるということらしいからおっかない。また、緑内障による視野狭窄、視野欠損もあるから人は生涯を通じてちゃんと世界を正視することなど不可能な生き物なのかもしれません。となんだか分かったようないい加減なことを書きましたが、ここもやはりこの年になるまで視界に収まらなかった居酒屋なのでした。「八べぇ」なんですけど、まあごくごく普通の居酒屋であります。これまで見えなかったのはこの辺を通る際にはすごい速足だったからか極度の緊張状態にあったのかは判然としませんが、まあ視神経線維が残っているうちに通り掛かれてよかったというものです。いやいや、まだ店にも入らず良かったとは言い切れぬではないか。ということで早速に入店します。店に入る前には焼鳥店と思ったのだけれど、どうも違ったようです。いや違うってこともないか、ちゃんと串焼きメニューも揃っているのだけれど、労働者諸君がホルモン焼きを食らっているのが目に入ったからホルモン焼屋なんだろうか。でもでも結構充実した品揃えのメニューなんぞを眺めてみるとどうも韓国系の料理が充実しているように思えるから韓国居酒屋なのかもしれない。店内はカジュアルな感じで表からイメージしたような居酒屋らしさは希薄でしたが、店の方も無駄口を叩いたりせずにちゃんと丁寧に勤められていて好感が持てました。値段が手頃なのもいいですねえ。亀有は激安酒場こそないけれど、都内としては全般に安価に呑めることを再認識できました。もう一度行くかとなると微妙なところですが、酔っ払って視界に入ってしまったら気付かぬうちにうっかり再訪となってしまいそうです。そしてきっとまたちょっといい店だったけど再訪はどうかなあなどと述べることになりそうです。
2022/04/20
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近頃何かと気力が湧かなくなっていて、呑みたくはあるのだけど、見知らぬどこかに足を運ぶことに以前ほどの強い執着がなくなってきていると感じています。それでもたまにエイヤっと気合を入れて駅を背にして歩きだしてみると実にいい感じの感銘すら覚えるような酒場に遭遇することもあるのだけれど、基本的にはそうした出来事は稀でありまして、やはり帰宅する際のことが脳裏に去来してしまい駅近で済ませようという意思が圧倒的に優勢となるのでした。いやいや、それは酒場巡りを始めてから常に変わらぬ気持ではなかっただろうか。初めのうちは、当然ながら駅近物件の未訪店がたくさんあったから電車に飛び乗る気力を振り絞りさえすればそう苦労するまでもなく目当ての物件に辿り着けたのでした。今は、都内近郊の駅近物件は相当数猟食し尽してしまったから、目指すべき酒場を知り得たとしても、そこに行き着くまでには電車に飛び乗って、駅から延々と歩くという二重の気力が求められることになる訳で、そりゃまあ当たり前に面倒に感じてしまうわけです。大体においていつも書いているようにぼくは面倒くさがりなもんで、幸いなことには歩くのは嫌いではないけれど、歳を重ねるごとに時間の経過が早まっているように感じられるものだから、酒場で過ごす時間を織り込むとそうそう酒場探索に時間を費やすわけにはいかなくなっているのです。なんてことを書いているうちにそれなりの尺を稼げたからこの話はここまでにしておきますが、もう歩き尽したと思い込んでいた亀有駅で不意に気が向いて下車し、もう散々っぱら歩いたはずのとおりにちょっと入ってみても良さそうな居酒屋が散在したのだから不思議なものです。かつてはこういうごく当たり前の表情を浮かべる酒場は視界に収まらなかったとでもいうのだろうか。 そんな一軒「海舟」にお邪魔してみます。外観もそうですが、店内もごくごく標準的な内装でありました。これじゃいかにも横着な書きっぷりでちっともイメージが湧かないでしょうからもう少し具体的に書くとすると、照明をぐっと控えめに落とした嫌味にならない程度にモダンな焼鳥店っていったところでしょうか。ぼくが理想として思い描くタイプの酒場ではないけれど、たまにはこういうのもいいかな、っていうか未訪店というだけでそれなりに心が浮き立つのでありました。お客さんは女性が多いですねえ。以前は女性に愛される酒場ってのは少しもぼくの興味の対象ではなかったけれど、最近は日和気味のぼくなんかよりずっと攻めの姿勢で酒場を巡ってる方も少なくないようだから全くもって侮れないのであります。さて、焼鳥屋に来ておきながら実は焼鳥気分ではなかったというのもどうかと思うけれど、すでに入ってしまったこともあるし焼鳥屋だからと焼鳥以外はメニューがないっていうほどに頑固な店ではなさそうだからまずは酒を頼んでからゆっくり肴は検討すればよいのであります。って書いたけれど、悩んだ挙句に頼んだのはレバーペーストでした。他にも頼んでいるけれど実はほぼ記憶に留めていません。ここ数年で美味しいものへの欲望は増しているはずだからどれも普通だったのかな。少なくともレバーペーストに関してはぼくが手作りしたものの方が上をいくということには自信をもって言い切ってしまいます。とまあ、率直な感想を述べてしまいましたが、店の方はとても好感が持てました-店主は寡黙で真面目そうだし、従業員の女性は無表情ですがキビキビとした動作が気分がいい-。だからこそ女性客が多いのかなあなんてことを思いました。いずれにせよこういう普通のお店がそこここにあるのが亀有の強味なんだろうなあとよく知りもしないのに分かっているような発言をしてしまうのが良くないんだろうなあ。
2022/04/08
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以前は常磐線各駅停車の各駅にちょくちょく下車していました。この沿線は酒場好きにとっても優良地域でありまして、ひと頃は日を空けずに訪れたものですが、今ではちょっと飽きてしまって訪れる機会も随分減ってしまいました。多少なりとも新型コロナが影響していることもあるのだと思います。今でこそ通い慣れてさほど苦には感じなくなったけれど、若い頃、亀有にあった名画座に通うために週に一度は通っていたことがあります。都心から山手線、常磐線快速と乗り継いで向かうわけですが、亀有は常磐線各駅停車の駅なもんだからその度に北千住駅で乗り換えする必要があるのです。それは今もって状況が改善されることもなく、駅通路内の改札を素通りできるようになったのだけは改善点といえばそうなのでしょうが、実情はちっとも良くなっていないのです。金町、亀有、綾瀬の住民が例えば上野駅に向かう場合、常磐線各駅停車で西日暮里駅乗り換えをすると東京メトロの運賃とJRの運賃を両方支払う必要があるというややこしいことが生じるのです。ってややこしそうでいて慣れればどうということもなく覚えられはするけれど、ケチなぼくとしては当然北千住駅で乗り換えてJRの運賃だけで向かいたいわけです。これままあ面倒なもんだから嫌で嫌で仕方なかったのです。知り合いの都内を縦横に移動するバリバリの営業マンなど交通機関の乗り換えなどものともしないと思い込んでいたけれど、そんな彼も実のところ乗り換えが大嫌いだということが昨夜判明しましたから、みんな楽したい気持ちは変わらないようです。 さて、お邪魔したのは「串焼 さと村 金町店」です。こんなに開放的な構えの店などあったかなあ、金町らしくない気がするなあなどと若干の失礼なことを思いつつも店名がなんだか記憶に引っ掛かりがあるようなのです。それもそのはず、亀有に本店があってその系列店だったようです。亀有のお店の記憶は朧気にしかないけれど、こちらの方が今っぽい構えでちょいとスカしているのです。店内はカウンター席だけなのもなんだかねえ。お値段もけして高くはないけど金町価格ではないねえ。なんてことを思ってみたりもするのですが、もつ焼はちゃんと美味しいし、店の方たちも若い人が多いのにとても感じのいい応対をしてくれます。最近のもつ焼き屋の若い店主には時折オレオレ系の気合入り過ぎな人もいて非常にウザい訳ですが、こちらの方たちはそうした力みがなくてリラックスできます。そのせいもあってかお隣の熟年カップルは週の頭の月曜からこの金曜まで連チャンれでやって来ているようで、さすがにそこまで来ると極端すぎるなあなんて思うのです。おや、奥のやはり儒年の一人客がお勘定中ですね。で告げられた金額が1万円近いのです。ええっ、こじゃれてはいるけれど、もつ焼き店で1万円ってどういうことよとあれこれと計算してみましたが、各種取り揃えのある地酒をガンガンに呑まないとその値段には達し得ないのではなかろうか。と高齢者たちの恐るべき飲食欲と若年層の度肝を抜くと同時に苛立ちすら感じさせる浪費っぷりにとにもかくにも驚かされるのでありますが、それだけこの新しいお店はこの町に上手く溶け込んだということでしょうか。
2022/03/30
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気力も湧かない割には、これを書いている1月下旬時点でブログ記事のストックもある程度溜まっていて、この記事がアップロードされるのが2月14日の予定となっています。2月14日は何の日かご存じでしょうか。ってアホみたいな問いかけをしていますが、マンボウの発令期限明けの予定日である訳ですが、果たして無事解除されるのでしょうか。まあ、すっかり怠け癖が身について決まった酒場で呑む楽しみや遅くとも9時には酒場を出るという習慣も身に付くと身体への負担が随分軽くって無駄に疲労を貯めるでもなく、こうなってみるとこれまでの自身の行動がよほど無謀であって、今の生活こそ自分には適しているんじゃないかとも思えてくるのです。でもさすがに毎日同じ酒場ばかり通うのは刺激が足りなさすぎるから、たまには知らぬ酒場へと足を向けたくなったりするのでした。酒場放浪記が久々にそのきっかけをお膳立てしてくれました。といって最近パターン化してきたけれど、放映されてしまった後の混雑を回避したいからと火曜日にアップロードされる次週予告を待ち構えてチェックしてみるとおやおや金町の未訪の酒場ではないですか。っていうか、ここってこれまで何度か訪問を試みて果たせずにいたお店で、そのせいってことではないけれど、果たせぬ無念を晴らすため近隣の町中華で気持ちを紛らわせたことも何度かあったのでした。「居酒屋 とっくり」は、改めて調べてみると月曜日と火曜日がお休みだったのですね。恐らくはこれまではこのいずれかの曜日に訪れていたと考えることにしようかな。まあ、こうして放映前に訪れることができたのだから問題はなしなのです。番組放映後だと瞬発的に混み合うことも多いようですが、こんな時期だからそう気にすることもないのかも。金町駅を後にすると一目散に目指す酒場に向かいます。酒場放浪記のマニアの中にはマニアどころか真面目な視聴者でもないぼくなどが及びもつかぬほどの執着で追っかけしている人がいるらしいから出遅れてはならぬのであります。こちらの情報は番組のHPでも見ていましたが、知人の金町住民がしばしば通っていて、魚介も旨いし、オムレツなどの洋食もイケるいいお店である。店の軒先に据えられている水槽には釣り好き主人の釣果がいたりいなかったりして近所の子供たちがそれを眺めに集まっていたりすると教えられていました。ともあれ何度も歩いている町並みを駆け抜けて住宅街の雰囲気が濃くなってくると見覚えのある店舗が見えてきました。店の前には聞いていた水槽が置かれていますが、横目でチラ見するとすぐに店に飛び込みます。おっ、案外渋い好みのタイプの内装だなあ、アクリル板が気にはなるけれど、思った以上に奥行きのある造りだといった感想が一挙に湧いて出ますが、女将さんが愛想欲出迎えてくれるので一安心。収録後に訪れると自意識過剰気味になってかどうも気分が良くない応対をされることもあるからです。かつての金町住人であるS氏も一緒だったので卓席に通して頂きました。さて、とりあえずビールを貰って、肴を一品づつ頼むことにしようということで、同時に口にしたのがS氏はゲソ揚げ、ぼくはサメの天ぷらと揚げ物ダブルとなりました。まあいいか。お通しは聞いていたオムレツです。普通に美味しい。でもこういうお通しもいいものです。さて、お待ちかねの揚げ物2品ですが最初に受けた印象はとにかくボリュームがある点でした。ゲソ揚げはゲソそのもので普通に美味しいのですが、サメがふっくらしっとりと淡泊でありながらジューシーで美味しいですね。しかも玉ねぎとそして季節物の菜の花も添えてくれてちょっと嬉しいのでした。もう少し肴を頼むつもりでしたがこれだけでお腹が膨れてしまったので、今度はマンボウ明けにもう少し大人数で訪れたいと思うのでした。
2022/02/14
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青砥って酒場巡りを始めたばかりの頃に良く通った町ってこと、先般も書いたっけかなあ。当時、駅周辺はごちゃごちゃしていて、何かすごい発見がありそうだと期待に胸を膨らませて(いかにも大袈裟)訪れたものです。それが勘違いであることにはすぐに気付かされました。ごちゃごちゃしているところは今もそんなには変わらないけれど、入り組んだ小路にいくら足を踏み入れようとそこにはこれといってぼくの期待を満足させるほどのものもなく、そのうちパッタリと訪れなくなったのです。そんなに愚痴るのなら来て欲しくないとお思いの地元の方ももしかしたらこれを読んでるかもしれぬから下手なことは言えないけれど、もしかするとまだ見落としている酒場もあるんじゃないかと期待してしまうのです。しかし、これと言って気になる酒場が美亜田ぬなあと思ううちに駅から結構離れてしまったようです。余り駅から遠ざかるのも帰りが面倒だ、などと思索に耽りつつ歩いていると、ちょっと古びてはいるけれどでもそこまで惹かれるわけではない、だけど妙に気掛かりな酒場があったのでした。 気掛かりといか気になったのは、駅そばの「居酒屋 仲よし 青戸店」との比較からです。というのがこれからお邪魔しようとしているのが「小料理 仲よし」なのです。もしかするとそんなに奇を衒った店名なわけじゃあないんですけど、そこらで石を投げて当たり前にぶつかるものではありません。ぼくもメモでは小村井、府中で「仲よし」に入っていますが、どれもまったく趣が異なって今います。青砥駅前のは長期の休業中のようで確認できていませんが雰囲気が違っているように思われます。この2店は何某かのご縁があったりするんでしょうか。店に入る前はそうしたことを考えていたのですが、入ってしまうとそんな疑問は瞬く間に消え去ったのでした。カウンター5席、小上がりに2卓程度のごくありふれた店内で、ちょい窮屈目の造りがコロナ対策のアクリル板でさらに狭く感じられます。まあ、こんな状況下だから仕方ないですよね。お通しは玉子豆腐に板わさなのかなあ。枝豆にはんぺんフライを頼んだんだっけか。まだお邪魔してからそんなに経っていないのにほとんど記憶に留まっていないのです。ご夫婦で店をやっておられるようで、こんな時期一見客は警戒・敬遠、酷い場合にはお断りされるものですが、至って暖かく迎え入れてくれて、狭いながらものんびりと開放感を感じつつ過ごさせてもらえました。
2021/11/29
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以前は、東京でも不便な場所に行けばぼくの気を引き付けてくれるような酒場と出会えるに違いないと思い込んでいて、せっせと通って歩き回ったものです。当時はさほど効率ということを考えず、しかも仕事とか私生活などは酒場巡りという趣味を妨げる障害でしかないなどと愚かにも考えていたから、実に自在に行動範囲を広げ、気ままに時間を費やしてきたのでした。平日にも関わらず列車を乗り継いでわざわざ自宅から遠ざかる土地にまで平気で出向いていたから今思えば随分と無理をしました。本来のぼくはぐうたら者であるから実にまめまめしく行動をしていたものだと今更ながらに感心しさえするのです。思えば当時は歩くことが楽しくて仕方がなかったのです。というのもその頃はまだまだ訪れていない町も多くて、初めての町を歩くのは初めての酒場に入るのと同じ位に興味深かったのです。というかもしかすると町歩きの楽しみの一つとして酒場に立ち寄るというイベントは含まれていたというのが適当かもしれません。だから都内の全ての駅前やその周辺を歩いたとまで豪語はしないけれど、少なくとも酒場がありそうな駅は大概降りているんじゃないかなあ。思い返してみるとかつて映画館をハシゴしたのも似たような気分に背を押されていたのかもしれません。といかにも乗り気にならぬ文書を書き出してしまったので、要領を得ないだけでなく退屈極まりない内容になったので早速ある夜訪れた酒場について書くことにします。 立石、お花茶屋など葛飾区に数店舗を構える焼鳥店の青砥のお店に伺いました。この3つの町にもかつては足繫く通ったものですが、気になる酒場があっても町そのものに食傷気味となってしまうとどうも縁遠くなってしまうという傾向がぼくにはあるようです。この日訪れた青砥は酒場巡りを始めてすぐの頃にちょくちょく訪れたもののその後はパッタリと足を剥けなくなったから、久々に行ったら何か以前は気付かなかった発見でもあるんじゃないかとちょっと楽しみにしていたのです。営業していた「鳥広 青戸店」に入ってみることにしました。まあ、ちょっと渋めだけどまあ普通の居酒屋だなあと感想ともいえぬようなつまらぬことを思ったのだけれど、何のこともない以前こちらにはお邪魔していたのですね。確かにまあ青砥って町は、思ったよりも目ぼしい酒場がないからそこそこ雰囲気のいいお店だったら入っちゃっても仕方ないだろうなあ。って、う~ん、悪くないんだけど、どうも気分が盛り上がらないなあ。馴染みの薄い町で吞む時は、そこがさほどではない酒場であっても異邦人の気分に浸ったりしてそれなりの感慨は生じたものだけれど、何か浮かれた気分になれなくなっているのを感じるのだ。ぼくなどは呑みに来てるからまだしも多少は浮かれ気味なんだろうけど、実際には客足が遠のいているのを実感してしまうのです。記憶にないから断言はできないけれど、このお店、以前はかなりの人気店だったように思うんだけどなあ。数店舗ある位だから。実際に久し振りに食べる焼き立ての焼鳥はやはり自宅で調理したのと別物であるし、他の品もどれも凝った料理というのではないけれどとても美味しいしね。この文章を書いているのは一都三県における飲食店の制限解除が発表された日なのですが、果たしてこの文章が表に出る頃、この酒場はかつての賑わいを取り戻しているのでしょうか。
2021/11/08
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知らない町に行きたいなあ。知らない町を散策し、たまたま目に留まった酒場に飛び込んでみたいものだなあ。なんていう日がどうも迫りつつあるかに思える日々が続いているけれど、この文章がアップロードされる頃には果たしてどうなっていることやら。これからお邪魔しようとしているお店は、緊急事態宣言の発出に伴い、その解除までのしばしの間、店を休業するということのようです。それを知った常連さん(なんだろうか)で店は満席状態で、何とかかんとか入店を了承して頂けたという次第だったのであります。今となってはそう長い期間のお休みということでもないように思われますが―これはあくまでも客側の視点からの感想です―、お客さんたちはさも名残惜しそうな様子で席を立ちがたいといったムードが濃密に感じ取れたのでした。 こちらにお邪魔したのは十年振りになりますでしょうか。いや、知らぬ間にもっと歳月が経過しているようにも思えます。店舗の前面を覆い尽くすような大きな暖簾が目印の「深川酒場」です。初めて訪れた際には、外観のインパクトに比して店内は至って平凡だったという印象が強く、そのまま再訪する機会を逸してしまっていました。加えてその日はたまたまだったのかもしれないけれど、他にはほぼお客さんもおらず、そのことが好ましくない印象となって残ってしまったのかもしれません。でもこの夜は非常に賑わっておりました。小上がりの奥の席に空きがあったからいいけれど、その場所は独りでやっている女将さんからはかなりの距離があるから注文も通りにくそうだし、いちいち酒や肴を届けてもらうのも気が引けてしまいそうです。実際そうだったので、あまりちょこまかと頼まないようにしました。肴も盛り付けるだけで手間入らずの煮物を数種盛合せてもらうことにしました。酒は温めてもらったので、何度か足を運べばいいでしょうか。なんてことを考えたりもしましたが、他のお客さんたちも気配りしてくれたりしてそんなにご負担をお掛けせずに気持ちよく呑むことができるのです。それもこれも女将さんの人徳といったところなのかもしれませんが、お客さんのほとんどが夜毎通うご常連さんらしく、とりわけ女性の方が多いのが印象に残ります。中には手土産持参のご夫婦なんかもいらしたりして、この夜から再開まではそんなに長い期間ではないと思いますが、きっと今頃心待ちにしておられず方も少なくなさそうです。
2021/03/19
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金町には面白い酒場が多いけれど、大概行き尽くしてしまった気がしていたものだから少しばかり足を向けようという意欲はなくなりつつありました。というか再開発により駅前人口は増加すると思われるのですが、この辺りは酒場がじわじわと数を減らしているように思われる一方で、新規にオープンする酒場の噂はとんと耳にすることもないものだから、なおのことおとずれるきっかけすら見出せないのでした。しかしまあ詳しい人はいるものですねえ、って金町在住の知人からの情報で、しかも本人は訪れている訳でもないのだから情報としては非常に貧弱なものでありました。でも知人の知人からの又聞き情報ではあるけれど、そこがなかなか良いらしいのです。一応ストリートビューなど眺めてみるとやはり照明式の置看板がかなり立派えな作の造りでありまして、お手頃だという情報も併せて聞いていなかったら立ち寄ろうとは思わなかったと思うのです。 ということで、自身の勘に頼らず人様の情報に促されてやってきたのは金町の裏通りの脇道というやはり聞いていなければ見つけるのは難しかったかもしれません。「みよし」は2階建て長屋の1室であったようですが、今ではここ一軒のみが営業を続けています。周囲は住宅ばかりで知らなければ通り抜けることすらないように小道にあります。店内は思ったより奥に深く真っ直ぐのカウンター席も充実しているので独り呑みも良さそうですが、この夜はS氏と一緒でした。駅から遠そうな印象を思いになられるかもしれませんが、実際には徒歩5分も要さぬ程度の便利な場所だから混んでいても良さそうなものですが、まだ客はわれわれのみでした。品書きを眺めると厨房側にも小上がり側にも別メニューがびっしりと張り巡らされており、詳述は避けますが、ユニークな品目もさり気なく紛れ込んでいて驚かされたりします。実直そうな主人は常連が来ても科目に仕事をこなしておりとても好ましい印象です。しかも肴はしっかりした盛りで出してくれるのにどれもこれもが安価で、量に関しては独りでなくて良かったと胸をなでおろすのでした。たっぷりの山ウドは味噌とマヨネーズで食べ分けたけれど、思いついてイカの胆漬を乗せていただくのも実に旨かったのでした。これは清酒がいくらあっても足りなくなりそうです。それにしてもこんな目立たぬ場所にこれほどに充実した店があったなんて嬉しい驚きです。ここはまた近いうちに仕事に帰りに寄りたい思ってるのですが、その時には時短要請など気にせずにじっくり腰を落ち着けて呑みたいものです。
2021/03/08
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新小岩で昼呑みで訪れたその道中、どうにも気になる物件に遭遇したのであります。夜まではまだ当分時間があるし、そもそもの話、この物件が現役である根拠など見出せぬのでありまして、こうした物件を見掛ける度に己の余り当てにならぬ鑑定眼だけを頼りにせねばならぬのはいかにも頼りのないことです。お馴染みのウィキペディアによれば「鑑識とは、専門的な知識を持つ者(専門家)が、科学的、統計学的、感覚的な分析に基づいて行う、評価・判断をいう」そうでありまして、ぼくの場合は大部分が感覚的な分析に基づいた分析であって、本来は科学的、統計学的、感覚的な分析の統合結果に基づいて行う、評価・判断であるべきだろうと思うのです。まあ、そんなしちめんどくさい分析などせずとも近所の店の方でも通行人でもいいけれど、ちょいと聞き込みしてしまえば済んでしまうことなんですね。でも酒でも入れぬと見知らぬ人に語り掛けることのできないぼくには再訪するより厄介に思えるから、人から与えられる情報よりも自身の足で獲得した成果のほうが価値があるなどという妄言で無駄に時間を浪費したりを繰り返すのであります。 標題で掘っ立て小屋と書いてしまったけれど、ちょっと失礼だったかな。平和橋通りと名もない小さな通りが引き込まれた三角地にジャストサイズに小屋が建っているのです。ふとここにカットされたショートケーキを象ったお店などあったらちょっとユーモラスで話題になるかもしれないな、しかもショートケーキなら定期的なメンテナンスは必要だけれど、建設費用は安価もしくは自力でも製作可能ではなかろうかなんてと思ったけれど、建築物件造りと洋菓子作りの職人が双方を兼ねている例はなさそうだしと妄想は膨らみますが、案外すでにそんな物件存在しているように思えてきました。ともかく「おでん いちぜん」は、酒場好きの琴線を掻き鳴らすような魅力を放っていたので、ダメもとで夕暮れを待ちわびていそいそ出向いたのですが、なんのこともなく営業を始めていたのであります。わくわく店内に入ってみればこれは至って無難な感じでちょっと拍子抜け。もっとハードなムードを予想していたけれど、狭いことは狭いけれど至って穏当なお店だったのであります。店の女将さんも極めて温厚なお方でありまして、なるほどこのスペースならお客さんが増えても困ってしまうし、今更見た目を取り繕わずともご常連だけで十分というところでしょうか。そんなことを推測していると、ご同伴前らしき熟年カップルが登場しました。あとからもうお一方合流するようです。ほらね、これでほぼ満席になりました。カラオケが嫌いだわというママがやっているスナックのようなムードのお店といったらつまらないなあ。
2021/01/01
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気鋭という単語は、大概の場合、新進という単語を伴って用いられるようです。やはり気鋭という単語の意味する「意気込みが鋭い」といったような心構えというのは、心身の若手にこそ相応しいということなのでしょうか。でも大衆酒場の場合、とある酒場を「気鋭の」といった表現で評するとすると、その意味は「鋭敏」といった鋭利なイメージより、酒場という場に対しての腰の据わった思想を携えたという「慧眼」さを意味するように感じられます。気鋭という単語にしっくりこないのであれば、もう少し類語辞典などを参照しつつ的確な言葉に置き換えればいいだけのことであるのでした。でもまあ今日は気鋭という単語を使ってみたい気分だったからこれでいいのであります。 といったどうでもいい前書きはともかくとして新小岩の「大衆酒場 かど鈴」にお邪魔しました。船橋の「増やま」、「増やま 本店」、「若林」、本八幡の「馬越」、「わたらい」といった系列店に連なる一店であるようで、いずれもどっしりと構えた酒場らしい酒場をモットーにしているように思えるのです。つまりは、これぞ酒場というあり様を実に的確かつ忠実に実現していて非常に立派なのであります。ぼくにとってもこの系列は、実にしっかりした思想に支えられており見事であるという上からの評価をすることに一点の翳りもないのです。ところがですね、これまで船橋「増やま」、本八幡「馬越」と「わたらい」とお邪魔していますが、徐々にマンネリに思えてきてしまったのであります。見たところ「増やま 本店」はかなりのオオバコでありますし、「若林」はホルモン焼店としての個性を打ち出しているわけですが、どうも優等生にすぎるのではなかろうかと思えるのです。酒や肴なども呑兵衛好みのツボを押さえており、実に頑張っているのでありますが、どういうわけだが段々飽きてきている自分を意識せずにはおられぬのです。なんというか、酒場なんてのは出鱈目な位でちょうどいいものなんだろうけれど、こちらの場合、生真面目というがちゃんとしようと気張りすぎてるように思うのですね。力み過ぎでちょっと疲れるんですね。もうちょい肩の力を抜いてやってもらえたら、酒を呑む環境としての居心地が気楽なものになりそうです。
2020/12/28
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ハードコアさん激賞の新小岩のマーケット酒場にようやく訪れることができました。こんな時期なのにとお思いかもしれませんが、実際には夏の終わりの比較的状況の悪くない頃にお邪魔しているのでご安心あれ。と、こういう気の緩みこそが事態の悪化を招き寄せているのでしょうが、良い習慣はちょっとしった弾みや事件なんかですぐに消し飛んでしまうけれど、悪い習慣からは抜け出すことが非常に困難なものであります。困難を克服することはぼくにとっては非常に厳しい行為でありまして、それはまあ程度の差こそあれ大概の人にとっても同様なんでしょうが、それを乗り越えるカタルシスに酔える人と酔えぬ人があって、ぼくなどは典型的な後者でありまして、カタルシスよりは飲酒で酔うという安易な方向に向かうしかないのです。 でも、新小岩の「新町ストアー」は、駅からはけして近いわけでもないし、周辺は環七通りと新中川に挟まれた住宅街でけして散策して愉快なエリアでもないから崩落寸前のマーケットが視界に入った時には心底興奮したものです。初めてであることに過度の緊張や脅威を感じることはめっきり減じていますが、こちらは周到な観察の後に施設に足を踏み入れるのが正解でした。気持ちが急いてしまいついいい加減にシャッターを切った側の入口を選択したのですが、ここを入るとすぐにある惣菜店で買い求めた品は実は持ち込みでの飲食は禁じられていたのですね。そのことに気付いたのは店の方から冷え冷えジョッキをお受け取りした際だったのです。でも別店舗で求めた揚げ物を広いテーブルに広げても特に注意されることもなく、どうやら初めてということで見逃してもらえたようです。惣菜店の先には所狭しと商品棚が詰め込まれ、そこには雑然とした様子で実に多様な商品が陳列されているのでした。むろん、手作りの総菜やお弁当にも事欠かずどれに手を伸ばしてよいものやら迷いに迷うのでありました。複数のテーブルを並べて一体化した客席には昼日中から人生の先達たちがパスタなんかを肴に非常にハイピッチでチューハイ缶を開けています。しかも帰宅後に寝酒とするなんていって500mlを3本は多過ぎだろうに。まあそんな出鱈目な生活をもつい許容したくなるような緩いムードが漂っていて、今のぼくがここに入り浸るのは危険すぎるけれど、将来的にこんなお店が近くにあれば本当に幸福だろうなあと思うのです。
2020/12/21
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新小岩には、芳ばしい風情の中華飯店が数多く存在します。と知ったかのように書いたけれど、これは憶測によるもので、実際に古びた店舗をそこここで見掛けはしたもののそこが現役かどうかは分らぬだけでなく、期待というか切望めいたものが言わせしめたものとご理解いただきたいのです。そう、新小岩にはまだ知らぬ渋い中華飯店が相当数存在すると思っているし、そうあってほしいと願ってもいるのです。事実、近隣住民である知人情報によるとかなり香ばしいお店があるとのことで実はここに来る前に立ち寄ったりもしたのだけれど、残念なことに中休みに入られたようでした。そこはかなりハイレベルな物件であることから近日中にお邪魔したいと思っているけれど、そう思っているお店がぎょうさん存在するわけでいつのことになることやら、それまで壮健であられんことを祈念するばかりなのです。ところで、中華料理店は様々にカテゴライズできそうなのですが、その一つとしてファミリー中華というカテゴリーを設けてもよいのではないかと思っています。ぼくなどが思わずともとっくに分類を試みた方もおられるようであるけれど、とにかくぼくはこのファミリー中華、定義するのは厄介だけれど、ファミレス風に両親に子供たちといった家族連れで利用しやすいお店といった程度の意味合いではあるけれど、ファミリー層が居心地良い風に適度にデコレートされているのが特徴であります。そんなお店が新小岩にあったことを思い出したので行ってみることにしました。お隣には、かつて訪れた家族連れなど寄せ付けない風情のとんかつ店があるので、ついそちらに目が行ってしまい見逃しがちですが、平日のランチ時を外して訪れたのにそれなりの集客があったので、地元の方には可視化されたお店なのでしょう。 そこは、「やま平飯店」というお店で、一見したところではちっとも特徴の感じられぬごくありふれた外観ではあります。しかし、一歩店内に足を踏み入れると、なるほど、ちょっとシャレたランプシェードなど一般の中華飯店とは一線を画することが感じ取れるのです。席もソファ仕立てなのもゆったりとできて、勤め人だと寛ぎ過ぎてしまってランチ時に訪れたとしたら午後の勤務に差し支えそうであります。品書きを眺めるとお値段は案外強気なのですが、ファミリー層というのは外食に案外出し惜しみしないもののようです。ビールのお供にはちょっぴりの春雨サラダが添えられて、こういうのはほんの少しでも嬉しいものです。揚げ豆腐の炒め物に具沢山の固焼きのあんかけ焼そばを注文します。何とはなしにこちらは炒め物が得意そうに思えたのですが、正解だったように思います。全般に見た目通りの濃い目の味付けがビールを進ませてくれます。ここにしかないという特別なメニューは見受けられなかったようですが、ファミリー中華にはそんな特別な品など不要なのかもしれません。こうした駅からはちょっと離れた場所にあるようなお店の時間がゆっくりと流れるようなところが、ファミリー中華の魅力なのだろうなあと思うのです。
2020/12/07
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亀有の駅前の商店街のわき道を入った暗い路地の2階に酒場巡り好きなら知らぬ者はいないと思われるフランチャイズ系立呑み店が開店したのはいつのことだっただろうか。日本のみならず全世界がコロナ禍で呑み歩きしているような状況ではなくなるよりは、少し前にはオープンしていたように思うのです。開店して間もない頃にお邪魔した時、このブログで感想を述べたように記憶します。そして、まだ地元の方からは認知されていないのかガラガラに空いていたことを思い出します。店の方には悪いけれど、空いている酒場というのはスリリングで愉快なものなのです。どんな従業員の方がいるのか気掛かりではあるのですが、それが当たりでも外れでも案外面白いものなのですね。外れで面白いというのもどうかと思うけれど、むしろ外れというかとんでもなく酷い応対をされるというのも一興に思えるのです。しかし、その時は店の女性店長らしい方がとても優しいい応対でとても親切だったので、それが物足りないかといえばそんなことはなくて、非常に嬉しかったのでした。 その時の好印象をもって再び「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 葛飾亀有店」を訪れました。以前よりはお客さんの入りは悪くないのですが、まだまだ席を確保せずとも大丈夫みたいなので、早速カウンターまで酒を求めてオーダーしたのでした。すると荷物を置いてからでないと売れないなどと仰る。この方は、以前優しかった同じ方なんだろうか、もしかして違う人なのかしらと思う程に応対が正反対なのです。何が一体この方を別人のように変貌させたのだろうか。最初こそ余りの激変ぶりに当惑を隠せなかったぼくではありますが、酒も入り落ち着いてくるとこれはこれで愉快なのではないかと思える程度には余裕が生まれてくるのでした。可愛らしいと思っていた女性が実はしっかり者というよりは客に対して厳しい、いやキツい人であると知ってみると、いやはや己の女性を見る目はまったくなっていないのだなあと思い知らされ、思わず苦笑を浮かべてしまうのでありました。ということで、怒られるのが好きな方というのは世の中に一定数おられるようで、そういう方にはお勧めしたくなるのでありました。かくいうぼくが再び訪れたかというと、それはなかったりするのでありました。
2020/12/02
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近頃こそ無沙汰していましたが、新小岩は呑み歩きしがいのある町でこれまでも何度もお邪魔して散々に散策したつもりになっていました。しかし、それはこの町の一面というか片面しか見ていなかったことを近頃になってようやく思い知らされることになるのです。新小岩の呑み屋の面白さは酒場が寄り集まった小規模な横丁が点在していたり、住宅に混じって孤立して存在したりと自由気ままに酒場が立地するところにあるように思います。こう書くと新小岩で呑み歩かれたことのある方ならそれぞれに思い当たる酒場がおありでしょうが、ぼくもこの文章を同様にしていくつかの酒場を念頭に書いているのでした。でもそれは新小岩駅の南側が念頭に据えられているのであって、北側のエリアはすっぽりと抜け落ちていたのです。と書くと新小岩駅の北側をまるで知らないでいたと思われてしまうとそれも違っているのでありまして少なからずの酒場や喫茶も巡っているのであります。だったら見えていなかったとわざわざ書いた片面とは何なのかという問われることになるのでしょうが、それには敢えてお答えせずに端的に何軒かの大いに魅力ある酒場を見過ごしていた愚を知らずに新小岩を知ったつもりでいたことを素直に反省したいということにします。 だって、恐らく路線バスなんかで通り過ぎてもいたに違いない車通りの多い道に面して「大衆食堂 丸泰」なんていうルックスも抜群のお店があったことすら知らなかったのだからお恥ずかしいことです。居酒屋で昼呑みしても何だか気分が上がらないのに、こういう大衆食堂で呑むと気分が高揚します。どこが違ってるか考えてみたのですが、居酒屋と食堂の店の造りに関係しているんじゃないかと想像してみました。前者が閉鎖的な空間であるのに対して後者は開放的な印象があるのはたまたまではないような気がします。でもまあ日差しがあまりに強くて、店内が明るすぎありしたらまた印象も違ったものに思えたかもしれません。昼呑みは、曇天もしくは場合によっては小雨ぐらい降ってる位がちょうどいいかもしれません。これからの季節なら降雪など眺めながらというのも楽しそうです。暗くて天候が悪いのが楽しいのだから酒呑みというのはやはりどこか屈折しているのかもしれません。さて、肴の品書きを眺めると100円代から実にいろいろと取り揃えられていて、銀だらなんていう高級品も350円とお手頃価格なのがうれしいです。といった具合にお手頃なもんだから昼前だというのにご近所のオヤジさんたちがブランチにやって来ては当たり前のように一杯やっているのだから実に羨ましい限りなのです。関西方面にはこうした気軽に安く呑める一膳めし屋が多く残っていそうだけれど、都内では味気ないチェーン店の食堂があるばかりで、店の女将さんとの語らいは贅沢として、テレビすらなかったりするから寂しいものであります。ぼくも将来隠居した際にはこうした食堂の近所にある土地に住みたいものです。
2020/11/20
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金町ではかなり各所で呑んだけれど、まだまだ開拓し切れていないエリアがあります。この界隈をご存知の方なら容易に想像がつくでありましょう、そう水元公園とその先のエリアであります。無論というと偉ぶっているようで気恥ずかしいのですが何度かは足を伸ばしたこともありますし、片手程度の店では呑んでもいる訳ですが、まだまだ納得いくには至っておりません。と書くとさもようやく重い腰を上げたのかとお思いになられるかもしれぬけれど、そうはならぬのでした。どうもまだまだ遊び呆けるという気分にはなれず、行動範囲は狭まる一方ですし、知られざる酒場に巡り合おうという意欲というか気概も湧かぬまま一年を終えようとしています。いやまだ見ぬ凄い酒場の存在は、それなりにリサーチは続けているので意欲はあるけれど行動が伴っていないという訳であります。 金町駅の南口を線路に沿って少し進むと酒場がちらほらと姿を現しだします。現在は移転してしまった「ブウちゃん」やここだけは例外的に激しくそそられる外観―ただし店内は案外普通だったりする―を呈する「深川酒場」を除くとどこもかしこも似たり寄ったりで、これという個性もないし、個性がなくて構わぬとしても前のめりで突入したいと思えるような店はないのでありました。しかし、時間も押しているからぐずぐず迷ってはいられません。ということで、「さんゆう」に入ることを決心したのです。どうしてもうちょっと外観を見栄えよくしなかったんだろうなあ。見てくれ重視で店を決めるぼくのような客もまあどうかと思わなくもないけれど、店の見てくれに拘ることで愛着が増すということもあるのではないかと思うのですよ。さて、見た目はいまひとつですが、呑み屋としては過不足のない店と思いました。定番ばかりで特別な肴など何もないけれど、そこそこにお手頃でありさえすれば肴など何を頼んだってそれなりにつまめるものです。しかも嬉しいことにおにぎりのサービスまでしてくれるのです。こうした何気ないサービスはダイエット中の方には有難迷惑でありましょうがやはりうれしいものなのです。おやおや、写真を見て思い出しましたが、そういやこの夜は立て続けにブレーカーが落ちて店内が暗くなりました。この症状は改善されたのでしょうか。案外いまだに炊飯器を使うとブレーカーが落ちるという状態名と思うとなんだかちょっと愉快になるのでした。
2020/11/16
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常々、立呑み屋が似合う町と似合わない町があるのではないかと思っています。常々などと書くと、ぼくがさも四六時中立呑みのことばかりを考えているという風に捉えかねられないけれどまあ差し当たり個人的なことなのでどう捉えられようとさして支障はなかろうということにしておきます。とにかく常々でも時々でも構わぬけれど、例えばこの日訪れた金町はどちらかといえば立呑みという業態がしっくりとこない町であるように感じられるのです。似合わぬ町の理由を考えるより、しっくりきている町のことを考えた方が回答に近付けそうだから、まずは立呑み屋の多い町を挙げてみることにします。まず思い浮かぶのは、オフィス街であります。新橋、神田、田町などが典型でしょうか。京成立石、秋津、赤羽、亀戸、小岩、新小岩、北千住、桜木町なんかの酒場のメッカも当然立呑みも多くなるようです。新宿、渋谷、池袋、恵比寿なんかのちょっと下品な巨大な町にも多いですね。上野、御徒町、中野、三軒茶屋、溝の口、大井町、大山、蒲田、町田なんかになるとごちゃごちゃとした闇市感が増すというものです。と大概の町に立呑みは似つかわしいイメージですが、例えば綾瀬、亀有、金町辺りになると立呑み屋はあるにはあるし、実に風情のある店もあるけれど、ちょっと他店とは異質な存在を放つように思うのです。この例えばの3つの町に共通するのは、言ってみれば都会の片隅の田舎臭い町という印象があるところです。ないと言われてもぼくにはそう感じられるから仕方がないのです。田舎臭い町にはどうやら立呑みは違和感があるというのがぼくの現時点における結論であります。でもまあこれは東京におけるイメージであって、北九州や関西の町外れにある立呑みというか角打ちは、田舎臭い場末が似つかわしい気がするし、激しく惹かれもするのです。 といった次第でむしろ都内の町の方が特殊なのかもしれぬと思いつつあるけれど、金町にも実は立呑み屋があって腑に落ちるエリアがわずかながら存在するのであります。駅北口は現在再開発で町の様相を一変させられましたが、それに抗うかのようにしぶとく根を張りつつ商売を続ける商店や飲食店が残されています。その幾筋かの路地には立呑み屋が似合っています。かつては、名酒場、名喫茶もありましたが、すでに記憶の中でしか訪れる事が叶わなくなってしまいました。でも「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 金町店」がありました。この地を見つけて選んだオーナーはセンスが良いと偉そうに感心したものです。でそこには一度訪れましたが、この系列店の持ち味である徹底した安さへの拘りを発揮してとても納得感のあるお店でした。それはとりあえず置いておくこととして、「立ち呑み Waraku」がオープンしたことをセンベロおねえさんのページで拝見してならばと出向いたのでした。今は跡形もなき「ゑびす」や近頃休みがちという噂の「大力酒蔵」を横目にさらに進むとやはりすでに店舗跡すら留めぬ「純喫茶 テンダリー」のある通りに至ります。さすがにこの辺でここに「ドラム缶」があったことを思い出しても不思議ではないはずで、むしろ思い出さなかったのが不思議な位なのです。つまりは「ドラム缶」が「立ち呑み Waraku」に化けたのであります。店内は既視感に満たされていますが、少し違っています。その違いは間違い探しという意味ではあまりにもわかりやすい差異だったので、早々に答えを書いてしまいますが、店内の止まり木替わりのドラム缶が樽に置き換えられていたのでした。これはちょっとユニークに思われました。つまりはドラム缶系列であるという色彩を排除するために恐らくはドラム缶に樽状の装飾を加えたんだと思われます。廃品利用ですね。ドラム缶の傘下にいると余計なライセンス料等が生じるのでありましょう。さて、ここまで書いてしまうともうこれ以上書くべきことも残されておらぬのでありまして、こうした激安酒場というのはそれ自体が持ち味で存在価値の大きな理由となりえていますが、どうしてもどこかに通ったムードで大差なく感じられる訳でありまして、安いことは正義ではあるけれど、正義は得てして退屈という誠に申し上げにくい結論に至るのでありました。一つだけつい犯してしまった勘違いについて告白しておくことにします。それはぼくが店名を「立ち呑み Waraku」ではなく「立ち呑み Wataru」、つまり"taru"="樽"を含むものと今日まで信じて疑わなかったことです。まあどうでもいいことですが。
2020/10/30
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亀有の思い出はここでも随分書き散らしてきましたが、実は何度となく歩いた商店街の名前すらはっきりと認識できていなかったことが判明したのでした。で調べてみるとなかなかにちゃんとしたHP(http://yydotto.com/kameshoukyou/)があったので、眺めてみたのでした。このサイトは亀有地区商店街協議会のものらしく、亀有南北7商店街(亀有北口商店会、亀有仲通り商店街振興組合、亀有北口一番街商店街、亀有銀座商店街振興組合、亀有中央商店街振興組合、亀有リリオ商店会、亀有上宿商店会)が参加する協議会のようなのです。で、これから報告しようとしているのは、この中の亀有銀座商店街振興組合でありまして、こちらはこちらでやはりちゃんとしたHP(http://www.youroad.com/index.html)をもっているのでした。こちらはAからEまで5つのエリアに分かれているようで、店舗はB街区にあるのです。ここはアーケードの設置された商店街となっていてとりわけ亀有らしい濃密な人々の交流が感じられるところなのですが、そのアーケードの入口に掲示された街名標示に謎めいたところがあるのでした。そこには、「ゆうろーど 仲町商店会 B街区」とあるのです。仲町商店会とは何ぞやということになりはしないでしょうか。考えられるのは、かつて亀有銀座商店街振興組合は仲町商店会であって、看板の記載がそのままになってしまったということでありますが、まあ書いているうちにさしたることとは思えなくなったので、先に進むことにします。 さて、今回お邪魔したのは、「やきとん よし田」であります。アーケード商店街の中にあるもつ焼酒場などいかにもぼくの好物なのになぜにこれまで接触を試みなかったのか、その理由は今となっては思い出せぬけれど、結果は、なかなかに好ましい印象だったのです。そのせいもあってか、結構な盛況ぶりでしかも回転率がとても良さそうに見えました。とっかえひっかえお客さんが入れ替わるのですね。もつ焼は注文ごとにちゃんときっちり炭火で焼き上げているから作り置きというのじゃないのに回転が良いのは商店街という忙しない雰囲気が作用しているのでしょうか。お値段的には若干お高めな気がしますが、この美味しさならさほど気にならない程度の価格です。気になったのは店の方がはっきり言ってしまうと少し不愛想なところです。まあだからこそ長っ尻のお客も少なくて済んでいるという風に考えることもできそうです。と誉めてすぐに悪く言うのは悪い癖ですが、魅力なのはもつ焼の旨さももちろんですが、その扱う部位の豊富さにあります。近頃は種類の充実したもつ焼店も増えましたが、ここまで充実しているのは珍しいのではないかと思うのです。それならその珍しい部位を例示してみせればよさそうなものですが、ちっとも覚えておらぬからそれは叶わぬのです。ご興味のある方は騙されたと思ってお出掛けください。実際に騙されていたとしても責任は負いかねますがその辺はご容赦をお願いします。
2020/10/26
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たった3駅間をつなぐだけの京成金町線の始発駅、京成金町駅の小さな踏切を渡るとそこは金町栄通りというのがあって、実際のところこの通りの名称が正式なものかどうかは知らぬし、厳密な意味で通りの名にどの程度の公式性があるのかも分らぬけれどまあそれはともかくとして、この通りはけして密集しているとまでは言えぬけれど程よい加減で酒場が散らばっていてそれがとても楽しいのであります。ぼくにとっては、この通りの酒場の配分加減が実のところちょうどよい按配に思えるのであります。これ以上に密集していたら窮屈すぎると感じられるだろうし、逆にこれ以上少なくなると呑み屋街としての風情が損なわれる、そんな絶妙なバランスでこの酒場は成り立っているように思えるのです。 そんな味のある呑み屋街に新参店が登場しました。新参といっても近隣で長らく営業を続けてきた「もつ焼き ブウちゃん」が移転してきたのであります。界隈の有名店「大松」のお隣、かつては「のっけ盛」という一度はお邪魔していたはずだけれどあまり印象に残ってはいない酒場を居抜いていると思われますが、内装も何も覚えていないのであります。オーソドックスなL字のカウンター席には、かつての広々とした視界の広いカウンター席の面影は感じられません。名物となってもいた多少の馴染みのある店主ご夫婦の姿も見えぬようです。その息子さんが焼場の担当だったろうか、それすら明らかではないけれど、さほど感心していなかったもつ焼きに関しては、以前より美味しくなったような気もします。好きな呑み屋街の移転し生まれ変わった呑み屋というなかなか稀有な店ではありますが、ぼくには以前の孤立無援な様子ででも大いに繁盛していたかつての店舗がとても懐かしく感じられるのでした。
2020/10/16
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金町を抜ける金町線は松戸駅方面に江戸川に沿って走る道路でありますが、以前はここを車でよく通ったものでした。さして面白味のない通りではありますが、時折飲食店が視界を通り過ぎたりしてここであれば金町駅から歩いてもそう遠くはないからいずれ来ることにしようと思い続けてもう随分時が経過してしまいました。外出もままならぬ不便極まりない日々を多くの人々が人生で初めて経験しておられるのでしょうが、そんな稀有な記憶もそう遠からず風化するか常態化するのでしょうから、人間というのは思った以上に適応力があると思えるのです。なかなか思い切って出歩けぬから引き籠りのような日々を過ごすことにもすっかり順応した一方で、猛暑の中を熱中症のリスクも辞さずに彷徨うのはとてもしんどく感じられるようになったのでした。目指す中華飯店に到着するも暖簾が下がっていません。しかしまあ店内には人の気配が感じられるのでもうボチボチで開店するかに思われます。時間潰しをするのも難儀ですが、もしかするとGoogleマップでは知り得ぬ酒場などあるかもしれぬと金町線の裏手の通りを歩くのですが、この通りは旧水戸街道であったようです。どうりでその旧道には葛西神社というそれなりに格式の高そうな立派な神社があるので、軽く挨拶を済ませて元来た道を引き返すのでした。 だからつい昨日のお店の後に「三勝屋」にも立ち寄り一挙に片を付けることにしたのでありますが、これは案外正解であったのです。というのが、先の店はいかにも町中華という品が揃っていたから、連チャンで中華料理を口にするのはちょっとばかり抵抗があったのですが、この通りではもっとも目立っている飲食店であるお店では、中華料理以外の酒の肴が充実していたのでありました。これは中華料理でもあり酒の肴としても定番である鶏の唐揚げなど頼んでみたのですが、こちらはどこかしら冷凍食品的な風味が感じられてちょっと残念な感じであります。たいかすなる品書きがありますねえ。正体がなんであるか主人に聞いてから頼もうかと同行者に尋ねると、いやここは知らぬままに注文するのが正解でしょうとの答えであります。この男は普段はまったく酒を呑まぬ男で、かと言って嫌いじゃなくて単に呑むのが面倒だったり、呑めば旨いと思うこともあるけれど呑まなくてもそれはそれで一向に構いはしないという酒呑みの風上にも置けぬという評価にもなるのであるけれど、誘えば基本的には断らぬ善人であり好奇心も旺盛な奴なのです。ということであれば「たいかす」なる品を頼むにこちらとして否定する理由などありはしないのです。果たして卓上に運ばれてきたのは、なるほどなんてことはない鯛の粕漬だったのでありまして、安直なその答えにはいささかの落胆を禁じ得ぬけれどこれが風味絶佳だったから無論のこと文句などありはしないのです。そうとなれば呑むのは清酒というのが穏当なところでありましょう。無骨にコップ酒で十分なのです。身も厚く食べ応えがありまして、そういやここは中華飯店だなと思い返してみるとこの品はやはり嬉し楽しい一品に思えてくるのでした。
2020/09/06
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新型コロナウィルスのせいという訳ではないけれど、極力人混みは避けたいものです。今いる場所が仮に都内でも有数の賑わいで、そこにいる事を想像するだけでも充分に憂鬱な気分に己を陥らせるだけの効果があるのです。そんなに雑踏を避けたいなら幾らでも身の振り方はありそうなものだけれど、逆に人の姿を全く見ないというもの切ないという我儘な感情もあるのです。でも新宿だって渋谷だってそうだけれど、都会の混雑エリアの虚をつくようにここは本当に大都会の光景かと目を疑いそうになるような人気もなくうらびれた場所があるものです。むしろ再開発の進む小奇麗な町はそうした場所が奪われて久しい気がします。大都会のど真ん中であるからこそ開発に取り残され置き去りにされてしまったエリアがあるのだと思います。そんな場所に相応しい名を与えてみたくもなりますが、もしそんな事をするとそこは大都会のどこか見えそうで見えないという役割を終えてしまうような気がするのです。さて、池袋にもそんな場所が残されています。というか池袋という町には存外そうした場所が少なくないのです。 この夜向かったのは、駅の東口側、夜の遅くない時間であれば地下から西武百貨店と三省堂を抜けて地上に出るのがお勧めです。そこはもう池袋の東西を接続するビックリガードでありまして、その手前には特に外国人観光客が深夜まで行列を作る事で知られるラーメン屋があるのだけれど、そこは急ぎ足ですり抜けてすぐさまに横断歩道を渡って頂きたい。そのまま明治通りを目白方面に歩いていくと途中いくつかの脇道があるので、覗き込んでみて頂きたい。どこまでも暗いばかりのハズレばかりだけれど、ことさらわびしい横道の一筋の奥には赤提灯も灯っているし、俄に複数の飲食店が軒を連ねているのも見ることができます。この路地は案外奥のほうまでゆるゆると伸びており、飲食店もぽつりぽつりあるのだけれど、ひと先ずの終着点にひっそりと「ラーメン 福や」はあります。サッシのガラス引き戸の殺風景な店構えに何度かは引かれつつも素通りし続けていました。でも入ってみると思ったよりずっと庶民的でくだけた感じの憩いの空間なのでした。それもそのはず、先客4人みなが一杯やっているのです。みなさん顔見知りらしく楽しくやっています。食券機で焼酎の食券を購入し、焼酎のロックを頼んだら店のママさんがえっ、て顔をなさってました。常連さんはそれぞれ好みの割物があるようです。ポテサラが添えられているのはうれしいなあ。ラーメンはいわゆる東京とんこつ風で、久しぶりに食べたけれどたまにはこういうのもおいしいなあ。お値段も600円とお手頃。何事もこれだと決めつけるのは世間を狭くするようです。お隣の頼んでいた野菜炒めはホワイトボードに記載された500円のものだろうか。それだとしたらとんでもない量だなあ。こういう町外れの静かな場所にある店でゆったり過ごすのも素敵だなあと思うのでした。
2020/02/28
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亀有には今年はちょくちょく訪れたものです。年の初めは東京メトロの東限に向けて意欲を述べたものだし、途中からは板橋区に意欲を覗かせてみせたりもしたけれど、そういう野心もどうやら空手形をばら撒くだけになったようでありまして、ならばハナから下手な約束などせぬのが得策かとも思うのだけれど年始の抱負の一つでも書き留めておかねば一年の経過が余りにも目まぐるしく通り過ぎていってしまうのです。以前は年を取ることに漠然とした不安を抱いていたものですが、今では来る定年の日を心待ちにする日々でありますが、一方で長年の不摂生が祟って身体や精神にも良からぬ影響が如実に現れるようになって、来年は少しは己を労ろうという気にもなりつつあるなどと書くと日和っているんじゃないよとお叱りを受けそうです。 ともあれ、今年の初め頃、亀有を奥深く探索した事で見落としていたお店巡りをするそんなキッカケとなったのがこの日お邪魔したこの一軒に立ち寄った日の行動がきっかけとなっていたのではないかと思い当たるのです。さて、そんな古いネタを今になって持ち出したのには一応の理由があります。近頃諸々の事情で余り遠方への旅が難しくなっていること、そして日曜恒例の喫茶ネタに対する執着の衰え、というより先の理由から近隣を繰り返し巡るだけで未知なる喫茶と遭遇しうる機会がますます減じる中、喫茶も標榜する「中華料理 山久 亀有店」または「CHINA-RESTAURANT YaMa・Q SINCE 1967」をいざという場合に取り置いておいたのであります。しかしさすがにねえ、軒先にCOFFEEの文字があるだけで喫茶は無理があるだろう。店内は、喫茶店とはちょっと違うし、ぼんぼり風の照明以外は中華料理店とも違っている。強いていうならこぢんまりしたファミレス風というところなのでしょうが、それも違和感がある。家族連れがいるからファミレスには変わりがないのだろうけれど、昼間から酒を呑む客もぼく以外にもいたりして地元のご隠居たちの憩いの場としての機能を担っているようです。でも孤独な人たちが多いのも独特なムードとなっており、他の客との触れ合いを求める方は近隣の酒場へと赴くということか。同様に孤独なぼくは唐揚げと奴で一杯やります。まったりと呑むのですがどことなく寂寥が漂ってむなしくなったのでした。
2019/12/30
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水元公園のそばには、案外多くの中華飯店があるので時折出向いています。品性を疑われそうであるから大っぴらにしたくはないけれど、当然、行きたいお店にどうしても序列をつけたりしているわけでそこから順番に巡ることにしているのです。でも日によってはことごとくのお店がお休みということがあるもので、最遠の店に一目散に向かったかというと、貧乏根性で途中にあるお店の安否や回転状況をチェックしながら向かうことにするのであります。いずこもお休みとはなんたることかと憤りつつ、最遠の店に辿り着くと、やはりそこもお休みなのでありまして、予感はあったとはいえ落胆しつつ金町駅に引き返すことになるのでした。 その最遠のお店が「中華料理 みよし」なわけでありまして、こうしたシャッターが閉ざされているとなんてことなさそうですが、シャッターが上げられると素敵なルックスを拝めそうな予感があります。まだこちらは営業しておられるのだろうか。 お目当ては肩透かしされても腹は減るものです。「そば処 すゞきや」という郊外型の大型蕎麦店があります。町場のこぢんまりした蕎麦店がどちらかというと好みですが、こうした大きな構えのファミレス以前の和風な食事処も近頃めっきり数を減らしているから案外懐かしい気持ちになるものです。ということで、その懐かしき分に促されてお店に入りました。入ってみると町場の蕎麦屋を単に広々とさせたような感じでさほど懐古的な気分にはならなかったのですが、大分人気の引いた店内はゆったりしていて快適です。これはやはり一杯やらねばと思うわけですが、こちらは本当の意味で一杯のみしか酒類は出してもらえないらしいのです。これは一体全体どういった料簡なのか。場所柄、自動車利用者が多いであろうけれど、一杯だろうがいっぱいだろうが呑んだらいけんことは現代の常識であります。地方の町外れには居酒屋チェーンに駐車場があったりもするけれど、それはともかくとして、せめて二杯は呑ましていただきたいものであります。おつまみとして川海老とクルミの甘露煮だったりわさび漬けなんかが贅沢にも添えられていて、それが当然ながら結構味が濃いものだから冷酒一本ではとても足りぬのであります。とまあ店のルールである以上は文句は言えないがならば店先にて予告してもらいたいものだ。満ち足りぬ気分でもりそばを啜り、添えられたうずらの卵にのみなんだか懐かしい気分にさせられて、金町駅までの遠路を引き返すのでした。
2019/12/26
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亀有に限ったことではないかもしれないけれど、町を歩いていて酒場を求めていてもどうしても見落としてしまう店というのはあるものです。こう言っては失礼かもしれぬけれど、そうした見落としがちな酒場の存在に気付くのは程々に酔っ払って、後もう少し、そう2杯とか3杯も呑んで切り上げようかななんて思うタイミングだったりする訳です。つまりは、後はもう何処でもいいし、肴なども形だけ頼んでおけば良かろうなんて思ったりする時なのです。特に独りだともう少し粘ったりもするのだけれど、誰かと一緒だったりするとさらにその傾向は高まるのです。亀有ではまさしくそうした状況下で何軒ものそういうお店にお邪魔しており、その中には良かったお店もあれば当然それを上回る駄目なお店も多かったのです。でもこの夜にたまたま立ち寄ることになったお店は凄くいいわけではないかもしれないけれど、〆の店には適当なちょっといい感じのお店だったのです。「居酒屋 古里屋」という長屋風の建物はかつて通り掛かったこともあるだろうし、もしかするとこの店は案外新しい感じだからここが開店する前のお店にお邪魔していたかもしれません。カウンターが主体で卓席は2人掛けの止まり木風のがあっただけだった気がします(写真を見たら大体記憶と一致していました)。すでにいい具合に酔っていたわれわれには不安定なテーブルより寄っかかってもへたり込んでも安全なカウンター席が望ましいのでした。近頃のこじゃれた風の居酒屋なんかにこういうぐらぐらのテーブルが見られるけれど、あれはぜひともやめていただきたい。酷く酔っ払っていなかったとしても興奮して卓脚を蹴飛ばしてえらい目に遭うことがあるのだ。さて、他にお客さんは一人だけで主人は暇そうにしているけれど、注文を促すような素振りがないのはありがたい。注文した砂肝揚げやホタテと青菜炒めらしき品をチャチャっと手早く調理すると、すっと引っ込んでくれるのです。駅からちょっと遠いのが難点となっているのかもしれぬけれど、店の雰囲気としては駅前で帰宅前にちらりと立ち寄るといったタイプの酒場に思われ、こうした軽く立ち寄れる店が増えることを期待したいのでした。
2019/11/14
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世間では上野で呑むとなればといえばもっぱら上野駅と御徒町駅間のガード下の周辺部ということになるようで、確かにごちゃごちゃしてヤミ市的な気分を味わおうというなら楽しくなくもないけれど、人混みに酔ってしまう。それに比べると東上野の方は、日中でも人通りが疎らで歩きやすくて、ぼくのような田舎者でも気楽に足を向けることができるのです。そんな気楽さだけではなくて、この界隈にはまだ見過ごした何か素敵な場所がありそうな予感に満ちているのですね。その予感がどこからもたらされるのかは定かならぬところがあるけれど、そこらの雑居ビルの地下に思いがけぬ飲食街があったりするなどの不意打ちを食らいそうな気がするのです。お気に入りで暇つぶしにもよく遊ばしてもらっているGoogle Mapですが、これだってまだまだ不備が多いことは実地にて幾度となく経験しているのだから。と、いったことを書くと、Google Mapの取りこぼしのお店を見つけたのかと期待させてしまうかもしれませんが、これからお邪魔するのはそうした見えないお店などではなくて、地図上でも容易に見つけられるし、何度となく通過していながら無視してきたお店なのでした。 サッポロビールにやき鳥の看板、「やすくて旨い」のいくつになっても魅惑的な惹句の誘惑に抗えず、既に程よく酔っていてもつい誘いに乗ってしまうのでした。「虎の子」はそんなどこまでも有り触れたごく普通の居酒屋だったのです。ですけど、いつもの発言の繰り返しになりますが、こういう普通の居酒屋って今では少しも普通じゃないのですよね。外観からも長く愛されてきた事がしみじみと伝わってきます。店に入ると思ったよりずっと奥に深くて、手前のカウンター席に腰を下ろそうとしたら卓席を勧めて下さるので遠慮なくテレビ前の特等席を独占させて貰いました。小上がりではサラリーマン客が大いに盛り上がり間もなく終宴を迎えんとしていたのです。そうそう、こういう店こそがサラリーマンの呑みには相応しいのだよ。と、書いたそばから何ですが、何とこのお店は女性客のグループが実に多いのでした。看護師さんの集まりは愚痴や噂話が大概だけれど、キツい仕事の後の開放感に満ち満ちていて陽気であっけらかんとしていたから聞いていても不快には感じられぬのでした。肴もド定番は当然ひと通り揃っているけれど、今時の立呑屋のアレンジメニューにインスパイアされたのか、それともそのずっと前からの隠れた定番なのかは知らぬけれど、コロッケのカレーがけなんてのを頼んでしまうのです。別にそれぞれは普通の味なのだけれど、一緒に食べると実に良い酒のお供になるのでした。実はこうした懐かしいムードを残しつつ進取の気性を併せ持った店が今でもあちこちに残っているのかもしれません。これから呑み屋を物色する際には見落とさぬよう注意したいと思うのでした。
2019/11/13
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選り好みさえしなければ亀有って、際限なく呑ませてくれる店があるんですね。ああ、たまたまこの文章を読み返すといくらでも酒を呑ませてくれる店があるとも読めますが、意図しているのは酒が呑める店が多いということを意味しているのです。それはともかくとして、前も書いたような気がしますがこの亀有は他の町とちょっと毛色の異なる特色があります。というのはこの町ではいかにも居酒屋らしい居酒屋というのは案外多くなくて、むしろ他の業態の飲食店がほとんど居酒屋化している場合が多いように思われるのです。特に中華料理店や大衆食堂なんかにその傾向が見られます。無論、他の町でも大概こうした店で呑むことは可能ですが、それでも食事だけというお客さんも少なくないのに比すると亀有の同様のお店では大部分の客が腰を据えて長々と呑んでいるという気がするのです。数多くのそうした現場に遭遇したからまず間違いないはずなのです。それはメニューに居酒屋的な肴が豊富に用意されていることからも伺い知れるわけです。「ごはん処 港や」もそうした例に漏れぬ、ほとんどの客が酒を呑み、当然ながら酒の肴も充実したお店だったのでした。たまたま見掛けたから入ってしまったけれど、全く垢抜けぬ残念なファミレス風のお店であります。たまたまというよりは環七通りの反対側から見つけてわざわざ信号待ちして来たから引き返すのが面倒になったのであります。でもいざ店内に入ってみるとレストランチックなモダンさと奥の座敷のアンバランスなまんまの和洋折衷が、面白いと言えるほどではないけれど、ちょっと懐かしく感じられたのです。時代遅れの人やら物には得も言われぬおかしみと哀しさが伴っているものです。この夜はたまたまA氏が一緒だったから良かったけれど、これが一人だったとしたら、かなり物悲しかっただろうと思うのです。他のお客さんはこぞって独りであり、それを見るとやはり気分が沈みそうになるのです。でもまあ店のオバちゃんはちっともファミレスの店員ぽくなく、如何にもな町の食堂のオバちゃんであったから、やはり店の雰囲気の何割かは店の人次第ということもあるのでしょう。ポテマカ―想像通りのポテトサラダとマカロニサラダの両方盛りです―やら鶏の唐揚げなどなど、控え目な一人用の盛り付けになっているのも有り難い。この辺り居酒屋にも見習ってもらいたいものです。居酒屋の肴は一人前とは感じられぬのだ。サワーの値段も手頃だし、人と接するのが嫌な夜で無性に呑みたい夜は、こういう気張らない店が楽チンなんだろうなあ。近頃ちっとも行かなくなったけれど、見かけこそ明朗で賑やかしいけれど、それでもファミレスなんてのは、ファミリーのレストランとは名ばかりのどこまでいっても孤独な独身者の食事の場であるのでしょう。
2019/11/08
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亀有の住宅街に角打ちがあることはお馴染みのせんべろ.netで仕入れた情報です。亀有にはまだこんな知らぬ酒場があったのかと驚かされました。でもそれを知ってすぐに出向いたかというとそうはしなかったのであります。何度もこのそばを通り抜けたにも関わらず見過ごしてしまった己を恥じるばかりにその散漫なる注意力から目を背けたいばかりに忌避したなどというつまらぬ理由ではなく、単にそれなりの距離があるから面倒だっただけなのです。でもまあ大概そうなのだけれど、実際に行ってみたらどうってことはないんですね。ってまあ呑みに行くことさえ面倒だなんてことを言い出したら、このブログを続ける意味などなくなってしまうし、そうでなくても余りに怠け心に侵されてしまうとぼくの生き甲斐すら失われてしまうから、面倒がらずに動き続けるべきなのです。 近頃、いやディスカウントストアの出没からもう随分と歳月が流れたけれど、町の酒屋さんはやっていくのが物凄く厳しいらしいと聞い及んでいます。まあ、そうだろうなあ、その事は気の毒に思いもするし地元の縁が薄くなった事に寒々しい物を感じたりもします。でも地縁に頼り切って何ら変革をもたらさずにいたのだとしたら、厳しい言い方になるけれどそれはそれで自業自得と捉えられても仕方のない事だと思うのです。例えばですよ、角打ちというサービスは酒屋さんの摂るべきサービスとしては、伝統芸みたいな所もあるから、もし店を続けたいとホントに願うなら早速に採用を検討してみても良いと思うのです。「碇屋酒店」は、この8月から角打ちのサービスを開始したばかりだというから、初老のご夫婦は遅まきながらも思い切った決断をしたものです。しかも肴も各種取り揃えているから、コンビニ前で呑むのと何がそんなに違うのやらと思わぬでもない―ていうか、種類も豊富で温めて食べる事もできるからコンビニの方がマシと思わぬ事もありますが―都内の角打ちとは志の高さが初めから違っているようです。聞くともともとはカキ氷を出すだけのつもりだったのがいつの間にか折角なら角打ちにしてしまおうかという方針に舵を切ったらしいから何とも思い切りが良いことです。そのために保健所への届け出やらをコツコツとこなして来られたことに頭が下がる思いです。さて、角打ちらしく冷蔵庫から発泡酒、いや第三のビールかを取り出して品書きを眺めると手の込んだものではないけれど呑兵衛好みのつまみが揃っています。玉こんにゃくにシュウマイも角打ちで頂けるとは嬉しい事です。再び冷蔵庫を眺めると各地の銘酒が100ml160円から頂けるようです。値段の付け方が一升瓶と比例していないから値段の割が良い銘柄を選ぶ己のセコさが虚しい。それはともかく角打ちらしく手頃だし、さらに加えて店の夫婦の人柄がたても素晴らしいから近くに住んだら日参必至です。
2019/10/30
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亀有贔屓の今日この頃、目星い酒場やら取りこぼしの酒場もそろそろ行き尽くしたみたいだし、次なる探索地を見つけ出すのが急務であろう、なんて当の本人にとってはそれなりに切実ではあるのだけれど、他人からは大分愚かしく下らぬ物思いに沈みつつ歩いていた訳です。さすがにここのところ始終歩いているので飽きてきつつあります。でも新しいお店が誕生することもあるから、たまには好きだった町を再訪するくらいの付き合い方が良さそうです。なんて町との付き合い方なんてのは、その日その日の首尾不首尾次第で如何様にも変化するものです。つまりは思い通りにならぬからこそ面白かったり退屈だったりといった機微を語ってみせることもできる事で、仮にある町を一日目は駅の東側の路地を想像力など廃してとにかく機械的に余すところなく歩き尽くし、次の日には西側をやはり同様に攻略する、そんな町歩きに面白味などないのではないか。いやまあ、それもそれで一つの遊び方ではあると思うけれど、町もまた生き物のように移ろい変化する存在である以上は終わりはないのです。ならば思いのままに自由―そんなものはあり得ぬことは分かっているけれど―に彷徨うのが楽しいに決まっています。 前夜歩いたばかりの亀有駅そばの商店街の裏路地にその夜はなかったはずの、例の酒場の看板を見つけたのはそんな町の移ろいの一端を感じるには、分かりやすい事例であります。「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 葛飾亀有店」もそうでしたが、金町の店舗は周辺に多くの店舗もあり、建ち並ぶ飲食ビルの隣接する店々にも紛れて偶然に発見に至るのは至難かと思えるけれど、コチラは店の灯りも疎らな通りにいくつかの電飾で目立たされた看板が目印となっており、たまたま見つける事もは自然ではありません。ぼくもそうだからそれなりに酒場なり目当てのハッキリした目配せさえ行使していれば当たり前に見つかるはずです。それ程怪しくもない階段を上がり店に入ると、思いがけずも広いスパースが割かれていました。大塚同様にセルフサービスが基本ですが、空いているので声を掛けてもらえれば席まで伺いますとにこやかで優し気な若い女性の方が親切に応対してくれます。奥には小上りもありまして、その点では鶯谷店と同様ですが、コチラは手が回らないとのことで今のところ利用はしていないみたいです。そうそう、前夜に見逃したのはお休みだったからだそうで、灯りの有無一つで町は簡単に別な町へと姿を変えることもあるようです。150円のチューハイに100円のカレーのルー、これには200円の肉団子を合わせてみようかな。大人の駄菓子屋とかいうセンスの微塵もない紋切り型があるけれど、そういう言い方はこのレベルの店で初めて用いて欲しい。それにしてもここはいいです。特に店主らしきこのお姉さんの愛想の良さは特筆すべきです。そう遠からず混み合うようになるだろうから、今のうちにお喋りに行かれるのがよろしいかも。
2019/10/26
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ぼくが余り餃子を好んでおらぬ事は、日頃の言行から明白であります。だからして、ぼくがいかにして余り得意ではない餃子をいかにしてグレードアップして食べるかについて記載したいのであります。餃子の構成要素が皮と餡という単純さでありながらも様々なヴァリエーションを開発し得たのは食いしん坊たちのあくなく食への執念の賜物ということになるのでしょう。皮の場合は食材を混ぜ込むことによる風味や色調のヴァリエーションもあったりしますが、その最大の武器となるのは触感ではないかと思います。もちもちとパリパリのどこを選び取るかが最大のセンスの発揮されるところです。餡はそれこそ千差万別でその可能性は無限大と思うのだけれど、その割には可能性の地平は見渡せる範囲にしかおらぬのであります。それは和式の餃子というのが基本的にはひき肉と葉物野菜の組合せを基本としており、極力シンプルな素材で勝負することを美学としてしまったのではないかと思っています。それならそれで桐生名物のコロリンシュウマイの高みに至るべきと考えるのはぼくだけではないと思うのです。例えば、ニンニク―刻んだり、おろしたり、まるのままだったり―だけで作る餃子なんかは食べてみたい。といったことを昨日書いたようだが、面倒なのでここで話を打ち止めにします。客としては注文した餃子の更に醤油、ラー油、酢という3種の神器をベースに味付けすることになり、この配合にこそ唯一の楽しみがあるのではなかろうか。 しかしですねえ、そんな遊び心を発揮する余地を予め制限されている餃子をメインに据えた「餃子市場 亀有店」なるお店があるのですが、ここではそんな最低限な楽しみすうら奪い去ろうというのだから、これはやはりむごいことといってもよいのではないか。卓上には最初から配合された餃子のタレが設置されているのです。思い起こすまでもなく餃子を看板に掲げるお店の多くにこういう面白みのないタレが用意されているのであります。近頃はミソ風味のタレなどもあり、これがお勧めというから基本的に5個、ないしは6個のうちの1個、タレの種類によっては2個をこの遊びのないタレに浪費することになってしまうのです。とまあ、端的に言うとぼくはお酢の効きまくったすっぱ風味が大好きなのです。あとは、ラー油は油部分は基本的には不要で、底に溜まった辛いザラザラした出汁がらがあればいいのであります。醤油はほんの香りづけ程度で構わぬのです。これをびちゃびちゃにまぶして食べれば満足なのです。ここで、そんな味付けをしたらどこの餃子を食べたって同じような味になるんじゃないかという指摘はおそらく大間違いなのです。ちなみにこちらは生ビールがお得でありますが、勘定書きを見ると、あれれなぜか思ったより高いなあ。このちっちゃなお通しの肉みそ豆腐が存外お高いのかもしれません。一応お断りしておきますが、ぼくは水餃子が好みでした。タレで遊ぶこともできるし、コショーを加える楽しみも増えるし、この店に限らず水餃子がお気に入りなのでした。
2019/10/24
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またも亀有の酒場で恐縮です。もしかするとぼくの近頃の怠惰さや弱気心に気付かれている方も少なくないかもしれません。というのは、このブログは個人的な日記というのが建前ですが、基本的なコンセプトとしてはハシゴ酒を楽しむことの愉快さについて啓蒙したいという意図も含めているのです。だけれども近頃は、ハシゴもせずに報告するにはいささか小粒な酒場がやけに多くはないか、酒呑みのごとく振舞っているけれど実際には大した酒量はいけぬのではなかろうかと怪訝に思っている方も少なくなかろうと思うのです。ということでここで一言だけ弁明を述べさせていただきたい。まず、極力同じ店は取り上げないこと―たまに2軒目として報告する場合もあるけれど―に拘ったため、多少忙しい日々が続いたこともあって報告待機中の初訪酒場のストックが底をついてきたのがひとつあります。ほかにも、健診結果の不調や夏場の浪費による金欠といった要因が重なったこともあり、いかにも呆気なく終いとなる呑みばかりを報告してしまいました。でも多少秋めいてきたり、節約したこともあって徐々にペースを引き戻しつつありますので、遠からず以前程度のハシゴ報告ができると思うので、今しばしお待ちください。 お邪魔したのは、「すっとこどっ来い」です。駅の南側の商店街に面してあるので、すぐに遭遇するはずです。いつ頃に発生したのかは分からぬけれど、店内にはまだ開店を祝う近くのガールズバーからの小さな花輪が飾られていましたので、そう日は経っていないようです。サッシ戸の安普請な雰囲気は案外開放的で貧乏系酒呑みにとって吸引力を強く放つタイプのお店です。が、しかしそういう見掛けで騙されてはなりません。こうしたお店はオール500円均一といった感じで思いがけずもお高くつくことが少なくないことを経験から学んでいるのです。他にお客さんはお一人。いかめしい顔立ちのおっさんで、ここの女性たちとお喋りするのが楽しみで通い始めたようです。女性たちと書きましたが、母娘ほどの年齢差があるように見えます。その娘さんの旦那さんも厨房を引き受けているけれど、せいぜい10名も入ればいっぱいとなるこのキャパのお店で3名はいかにも人でが余り過ぎてはいやしないかと心配になります。肴の値段は安くはないけれど、今回お願いした海苔チーズ―ねっ、こういう簡単な品が多いのにこの人手は多すぎるでしょ?―が300円だからまあ妥当な値段の範囲内であります。まあ、別の仕事を終えてのお手伝い程度と考えればこれもまたありなのかもしれませんが、初めてでいきなりそんな不躾なことも言えないし、聞けるはずがありません。というわけで、別に悪くはないけれど母娘との会話を楽しみたいという理由があれば出向く理由とはなりそうです。
2019/10/19
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最近のお気に入りの町が早稲田と亀有。なのでこのところやけにこの一見かけ離れた2つの町が登場してきましたが、この先もしばしば登場すると思われますので、興味のない方はご辛抱願います。で、今回は亀有ということになるのだけれど、亀有は近頃餃子が人気らしいのです。別に最近に限らず、加えて亀有に限らず餃子は人気者なのだろうが、餃子に対して冷やかな思い入れしかない僕としてはー何度も書いているが、メジャーな点心として、ぼくは焼売、春巻、餃子という序列なのだー、餃子屋が余りいっぱいあっても楽しくないのだ。でもお手軽で適度に腹にたまる餃子は、助かるのだ。そんな事を言うなら行かなければいいじゃないかという指摘もごもっともであるけれど、ぼくには日夜知らぬ店で呑むのが楽しみだからそれは聞くわけにはいかぬのです。あと一つ、申し訳ないがお断りさせてもらうけれど、普通なら絡まり合うことのなさそうな先の2つの町の虚をつくような共通項など何一つないからさこはご勘弁頂きたいのであります。 さて、この夜訪れたのは、「餃子酒場 小木屋」でした。メンチカツを主力商品として酒場業界に打って出るという蛮行とも思える無理を通してもう5年は経ったのだから、もはや蛮行ならず英断と見なしうるのだろうか、ともかくそんなお店のお隣にあるお店でした。本当のところは餃子で呑むのは極力避けたいところです。というのは、餃子で呑むのは中華飯店―世にいう町中華―に行った際のために押さえておきたいのです。ともあれ、余り迷っていられる時間でもないので、取り敢えずは入ってから多義を考えることにします。外観からは窮屈そうなお店に思えましたが、奥には卓席も5卓あったりして先客も少なかったので有り難く4人掛けの卓席を使わせて頂くことにしました。他はずっと背を向けた女性と高齢の女性2名でした。席に着くとお得なメニューなどないものかと素早くメニューをスキャンしますが生憎そういったものはないようで、最も手頃そうなハイボールのメガサイズ、そして餃子とザーサイを頼みました。ザーサイはなくてもいいのですが、時として餃子のみ頼むのに気後れすることがあるのです。ラー油自慢だというから早速物色します。底に大量の唐辛子やらが埋まっている式のヤツです。ぼくは染まった油部分よりこの出汁ガラが好きなので沢山ザーサイに添えさせてもらいます。これは土産にも出来るようですが、自宅でラー油を使う機会は稀なのです。しばらくして餃子が届きました。オーソドックスな味とサイズで悪くありません。こちらにもラー油の出汁がらをたっぷり使わせてもらいます。こうしてゆったりした環境でならのんびり餃子を頂くの悪くないものですねえ。その間、背を向けた女性は生ビールのジョッキを何度かお代りしている一方で老女たちは一切注文もなく二人で千円ほどの支払いと思い思いの過ごし方をされてますが、店の方は至って温厚に温かい応対なのがいいなあ。こういう店ならまた来てもいいかも、なんて言ってみたりするのでした。
2019/10/16
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亀有には酒場がないなどと吐かした愚か者がいたようですが、それははっきりと誤りでした。すいません、ってお前かあなんていう独りツッコミで切り出すのも情けないけれど、このところまた亀有の再探索を再開し出したのです。あゝそうですかってな事かもしれぬけれど、自宅からはまだ一時間は掛かる亀有で毎夜呑むのは案外応えるものだよと愚痴る演技などしてみせる。演じるというのは酒場の女将の専売特許でもあるからこうした無駄口で話しを切り出した訳なのでありますが、何を言いたいかというと初めはこちらの素性を探ろう―お客さん、初めてですよねは定番の切り口上―とあくまでもさり気なくもあからさまに探りを入れてくるわけだ。むろん、実のところはそんな事に大した意味などあるはずもなく、積極的な意味はといえば精々がまた来る可能性の有無を探るだけであって、大概の客はそれを知っていて、近所の住人であるように振る舞ったりするのです。そうした腹の探り合いを巡る応酬というのは、昔風の居酒屋の常套的な風景であって、古酒場に通い慣れた方であればそれぞれの応じ方を身に着けておられると思います。だけれど、この時の応対で変化するのはその場でのコミュニケーションと精々がサービスに肴が付くか付かぬかといった程度であり支払いにはほぼ影響を及ぼしたりはせぬというのがぼくのこれまでの経験で得た知識であります。躍起になって愛想を振りまこうが店の方の望むような応接をしようが、席に着いた途端に支払額は決まっているのでありまして、亀有のこの夜のお店もそうしたスナック的な見切り勘定のお店でありました。 古びたマンションの一階に入っている「酒亭 三川」は、何度も通っていたけれど見過ごしてしまっていたお店です。数ヶ月前にようやくその存在を認知してようやくの訪問となりました。こちらも先に書いたタイプのお店であるのは店に入ってすぐに察しが付いたので、ここはもう腹を括ってこちらの風情を精々楽しむことにしよう。5席程のカウンター席には初老の男性客が一人と2卓ある小上りには老女がいます。何れも店の奥のステージには興味がなさそうなのありがたい。お茶割を頼むと併せて出されるのは芋の煮っころがしです。古い居酒屋では渋い肴がお通しで出される事は普通だけれど、ここまで質素な感じなのはちょっとしばらくぶりで何だか嬉しくなります。ホワイトボードにある20種類位が本日のお勧めか。何れも火を加える程度の簡単な肴ばかりです。でも頼んだアスパラバターが綺麗に盛り付けられていたのを見て、その丁寧な仕事にしばし絶句させられたのです。というのは大袈裟ではあるけれど、丁寧に斜め切りされたアスパラには筋もまったくなく適度な歯応えを残していて手慣れた感じがするし、なんでもない料理こそ丁寧に処理を怠らなければ味わいも格段に増すことを改めて教えられたのでした。伺った話では若い頃から湯島の内海桂子・好江のどちらかがやってる店で長年勤めた後に亀有に移り住みこの場所で店を始めたのは30数年前とのことでした。お勘定は、2,100円也。もっともらしく電卓を叩いておられましたが、最初から決まってた額のように思えます。それはまあいいのだけれど、消費税額が10%ととなったのだから2,200円の方がよろしくはないかと老婆心ながら考えるのです。
2019/10/12
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