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先般、川口元郷の外れにある酒場の事を書いたところ、Kyakosanさんから有益な情報を提供いただいたので早速訪れることにしました。今回目指したのは、足立区入谷という土地です。地図を眺めると確かに鉄道各駅からはどこもそれなりの距離はあるけれど,酷く不便というほどの場所ではなさそうです。路線バスは通っているようですが、川口駅方面からの便がほとんどで余り使い勝手はよくないので、舎人ライナーの舎人駅から歩くことにしました。平日の昼下がりということもあってほとんど人通りもなく車ばかりが行き交って余り散歩向きの土地とは思えません。最近になってようやく秋めいた空気を感じる日も出てきましたが、実際に訪れた日は日差しもキツくてかなり暑かったのでなおさらそう感じたのかもしれません。舎人公園という大きな公共施設がある一方で、流通センターなど多くの倉庫(主に食品関係?)があったりと歩きながら目に飛び込んでくる景色も楽しいものとは言えないのでありました。正直散歩するには退屈な通りなのです。でも歩いてみると10分そこそこで歩けてしまうんですね。10分程度なら少しも苦ではないなあ。行って帰ることを考慮してもそんなに大したことないですね。しかも先般の「しらかわ」には、今回の目的地からわずか800mの距離だから前回もいっそのこと舎人駅から歩けばよかったんじゃないかとすら思えるのです。いやいや、「しらかわ」が舎人駅や埼玉高速鉄道の川口元郷駅が実際に使った川口駅から路線バスという経路より近いし所要時間も短くて済みそうなのはハナから分かっていたのであって、そうしなかったのは両鉄道路線の電車賃が高額だったから避けたんだったよね。今回だって本当なら川口駅経由がお得だったのかもしれませんが、容易に歩けてしまうからこの経路を用いたまでなのでした。そして向かう途上で衝撃の事実を知ることになります。何ともっと便利な交通手段があったことを現地でようやく知ったのです。Google Mapだとなかなか表示されないバス停があったのです。倍率次第で出たり消えたりするの何とかならないのかなあ。 といったまだるっこしい文章を書きましたが、要は「グリル しかうち」は、不便ではないけれど、仕事上がりに思い切って訪れるにはちょっとだけ面倒ではある。でもこの日の様に昼下がりに自由になれたらちっとも面倒には感じないのであります。でもそれにしてもいかにも風情のない景色だなあ。向かいには「肉めし岡もと」や「丸亀製麵」といったファミレス風ファーストフード店が軒を連ねて非常に味気ないのです。当のお店もちょっと古びたマンション1階のテナント物件でありますが、外観を見る限りはさほど興趣の湧くような構えではありません。ショーケースなんかは味わいがあるけれど、余りガン見してしまうと店内から丸見えだったりすることがあるからいそいそと店内へ急ぐのです。右手がカウンター席、左手は小上がり席といういたってオーソドックスながら薄暗い照明と相まってなかなかに古びたいい雰囲気だったのです。遅い昼食を終えた作業服姿の2名が勘定を済ますとぼく独りが残されることになりました。店は高齢夫婦(?)でやっていて、まずはチューハイを頼み、数ある品書きからいわしフライをセレクトしました。これだけの注文ではしみったれているかなって思ったんですが、580円と幾分お高めな価格設定ということもありとりあえず様子見に控えめにしたのですが、結果、この一品だけで正解でした。というのが、フライは一体何尾のいわしを使ったんだろうって位に大量の切り身が使われていたし、サラダ類もたっぷりでこれはえらく濃いチューハイが3杯でも持て余してしまったのでした(突き出しのお新香が旨かった)。ワイドショーの流れるテレビなど眺めつつゆっくり呑んでいると奥さんらしき方は買い出しにお出掛けになり、旦那さんは新聞を手に小上がりで休息の時間のようです。のんびりとしていい時間が流れています。中休みなしらしいので、これは確かにくつろげるなア。誰かと一緒ならもう一品頼んで何杯かお代わりできると楽しかったかもしれません。が、まあこういう店は一人の方がじっくりと味わい尽せるような気がします。ということで、この後はすっかり眠くなったので、この日知った交通手段でのんびりひるねしつつ帰宅したのです。Kyakosanさん、いい店教えてくれて嬉しかったです。
2024/10/27
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突然に職場を去らねばならなくなった人がいたので、急遽お別れの宴会をすることになりました。開催の日取りがGWの狭間の最終日。翌日からの4連休前に駆け込み呑みする人がいそうな一方で、最大10連休を持て余して呑みに繰り出す人がいそうでもあり、いずれにせよ、店の確保には難渋しそうであります。日取りが決まったのはその前日だったから迷っている暇もないのです。加えて、困ったのが会費の事で、たまたまその会のメンバーでぼくが一番エライ人であったのです。我が社では会費は傾斜配分するのが決まりごとのようになっているので、ぼくの財布に相応の負荷が掛かってくるのでした。そこでまずは店選びの前提条件を設定することになるのでした。考えるまでもなく浮かんだ条件が安くて、チェーン店ではなく、職場からそう遠くないことでした。これがねえ、なかなかありそうでないんですね。それと面々がぼく以外にガブガブ酒を呑むのがいないといのも悩みの種でした。呑み放題を条件に加えるのが憚られてしまうのです。実はすぐに綾瀬の例の居酒屋の存在を思い付くに至ったのです。が、普段でさえ繁盛しているその居酒屋が容易に予約できるとは思えぬのです。話は違うけれど、ぼくは電話を掛けるのが苦手、というか嫌いなので電話の無駄打ちは避けたいところです。でも迷っている暇はなく、ぼくには珍しくすぐ様に電話を掛けたのでした。すると何という僥倖か、すんなりと予約が確保できたのでした。これは嬉しい誤算驚。 ということで意気揚々と訪れたのは、ご存じ「串のこたに」です。ご存じと書いたけれど、2名は以前連れてきたことがあったけれど、残りの2名はここどころか、綾瀬で下車するのも初めてとのこと。そういや金町在住の呑兵衛が先日、初めてここで呑んで驚愕したと語っていたなあ。案外、世の人は決まった駅でしか下車しないもののようです。そこには行動範囲の広い狭いは余り関係しないようで、とにかく行くべき駅、町が決まっているようなのです。さて、ここのちょっと面倒なのは2階席より上は靴を脱いで上がらねばならないところです。穴だらけの靴下の件はさっさとカミングアウトし、足の臭さは準備万端な参加者Kから消臭スプレーの提供を受けて参加者全員が無事招集されたのであります。で、まず驚いたのが、やはりかなり混み合っていたものの、案外広めの個室が用意されていたのです。ここの座敷は他の客たちの様子を眺めることができて楽しいのですが、結構窮屈なので段々着座姿勢が辛くなってくるのです。が、個室はかなりゆったりしていて足も伸ばせて非常に快適でした。席にはすでに刺し盛など4皿が用意されていました。祝日前日は席の予約をすると3,000円コース(呑み物別)を頼まないとならないのです。普段ならこれはデメリットになりますが、宴会ならこの方がありがたい。呑む物を取りまとめて内線で注文を入れようとするとなんということでしょう、瓶ビール(大瓶!)5本が予約としてサービスしてもらえるというのです。これはもう実にありがたいのです。この予期せぬサービスで気分が非常に盛り上がってしまい、写真も2枚しか残っていませんが、この後も〆のうどんやデザートも出てきたような気がします。いやはやさすがにこちらは充実しておるなア。とそのお得さに驚かされつつも、彼らは気分に任せて好きなものを呑んでいたけれど、ぼくはひとりこたにサワーを繰り返し注文していたことに気付いていたのだろうか。とにかく宴会の際、毎度という訳にはいかないまでも2回に1回はここでもいいかも。
2024/05/13
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郊外だったり地方都市なんかの商店街の凋落には常々痛ましい気分を味合わされています。商店街の立体展開された形態が百貨店だとすると、合理化された百貨店が各地から消えていく現代にあっては、合理化以前の混沌含みの商店街なる集合体は相互の物件同士の繋がりの曖昧さゆえにより危うい状況にあるのだと考えることもできそうです。そもそも経産省中小企業庁によると、商店街という組織には明確な定義はないということらしいから、よほど組織に熱心な旗振り役がいるとか地元自治体などが支援をするなどが取られぬ限りは、ジリ貧にならざるを得ないことは織り込み積みな極めて軟弱地盤の組織といえなくはないだろうか。などと思い付きを書き進めているとすぐに反対意見が念頭に浮かんでくるものだからここまでの文章は振り返らぬことが肝要になるのです。さて、今回は偶然辿り着いた駅遠商店街で遭遇した酒場のことを書くことにするのです。場所は足立区。かつての足立区は鉄道路線の通らぬ広大なエリア故に鉄道沿線からは孤立した商店街がちらほら存在したようであるけれど、ここは最寄り駅の梅島駅から徒歩10分ばかりの距離だから駅前商店街とは呼べぬけれど、孤立商店街とまではいえないはず。にしても梅島駅の開業は1924年ということだからそこそこの歴史を有しているのにどうして孤立はしていないけれど駅遠の場所に成立したのか不可解なのでありました。 辿り着いた商店街は、ゆめろーど千代田商店街と幾分アナクロではあるけれど、歴史あるとはとてもいえぬ緩いネーミングが付いていました。しかしつい「夢一夜」なる居酒屋の戸を開けるとお達者クラブの面々が店狭しとカラオケに興じていて、思わずそっと戸を閉めてしまったのですが、とにかく疎らながらも行き交う人々はこぞってご高齢者なのでした。カナ=>かな変換されたネーミングを好む世代の人たちそのものなんじゃないか。ちなみに以下が商店街のHPです。インターネット黎明期のような渋いセンスのサイトになっています。ゆめろーど千代田商店街https://www.yume-road.com/ 実はこの通り以前も歩いた覚えがありますが、恐らく日中だったので通り過ぎただけで済ましてしまったんだと思います。でも八百屋さんに併設された「酒処 はまちゃん」を見逃していなかったら開店を待っていたかもしれません。ちなみに先のHPでこの酒場を見ると八百屋さんの営業している光景がアップされているので、昼は青果店、夜がお隣で酒場を営業なさっているのかもしれません。写真の店の女性、そういえば「はまちゃん」の女性のようにも思えます。ちなみに点枚になっているはまちゃんは恐らく終始腰を掛けて店の様子を見守っておられる方なんじゃないか。店の調理などなどは全て女性(奥さん?)にまかせっきりでしたが。ここまでで長くなってしまいましたが、狭い店内はこちらもお客さんでぎっしい埋まっています。しかも窮屈ながら卓上には旨そうな肴がずらり並んで目移りしてしまいます。それだけ品揃えが充実しているのです。ボリュームもたっぷりなので、予め持ち帰りを決め込んでいる方もおられるし、なんとここでは鰻丼まで用意があるので、腰を下ろして最初の注文で鰻丼を予約して安心したように呑み始める方もいたのです。なんとなんと実によい酒場ではないか。こりゃ確かにここに通うべき理由がよく分かります。今でなくてもいいから、隠居したらここの傍に住めたらいいのになあ。
2024/01/29
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近頃になってまたも足立区の酒場巡りを再開したい気持ちが盛り上がってきました。一度ハマると集中的にその町に通うことがあってもそのうち熱が冷めると当分気がのらなくなる。それでも巡り巡って結局はかつて訪れた町に戻ってくる。それは酒場巡りに限ったことでもないぼくの性癖、いやもっと切実な持って生まれた本能に近いもののような気がしています。回遊魚が一定周期で各地を転々しながらもやがては生まれた場所に帰ってくるのにどことなく似ている感じもしますが、回遊魚には元いた場所に戻って散乱した後生命を終えてしまう種類もいたりするので、そういう一生に一度というのとは明らかに異なっています。むしろ渡り鳥に近いのかも。高級役人だったり政治家を渡り鳥なんて評することがあるけれど、それはさすがに本物の渡り鳥には申し訳ないのだ。彼らは予めお膳立てされたレールだったり、単に欲得に促されるままに移動するだけなのだかから比較するのが失礼なほどであります。それはともかく久し振りの町というのはどこだってそれなりには以前と違って見えるもので、今回改めて歩いた梅島は案外面白く思えたのです。なので、きっと近いうちにまた参上することになります。 ということで、今回訪れたのは駅前の横断歩道を渡ってすぐの「もつ焼き専門店 もつよし」であります。こりゃ便利な場所にありますねえ。しかも都心部とは異なり駅前といってもそうは賑やかな訳でもないから人混みにまみれてくたびれてしまうようなことはありません。しかもこちらネットの情報では15時に開店し,しかも金土日は24時間営業とのこと。立地と営業時間に関しては合格というよりも「優」を進呈してもおかしくはないのだ。にしては、店内は閑散としています。というかたった一人お客さんがいるばかりなのです(この方は店の方とも近くてオーダーの通りやすいばかりでなく、吊り下げ式のテレビの真正面という独り客にとっての最上席を把握しておられるようです)。中央にコの字のカウンターが設けられていますが、周囲には卓席も多くここが満席になることがあれば相当に賑やかになるはずです。さて、もつ焼き専門店とある割には今時の酒場にありそうな定番からちょっとしたアレンジ料理まで幅広く揃っていますが、優柔不断なぼくには珍しく迷うこともなくオーダー完了。お値段もそれなりにお手頃で価格にムラがないのも選びやすい理由ではあります。大抵の居酒屋では肴ごとの値段設定にムラがあるもので、それなりに食材の底値を知っているぼくとしてはどうにも納得のいきがたい品が混じっているものですが、こちらはそんなことはないのです。にしてもこれだけのキャパのお店をこれだけ多様な肴を用意しながら切り回すのはいくら空いているとはいえ大変なことだと思うのですが、店主らしき方は全くの平静な表情を浮かべたままなのだから確かにすごい。逆の意味ではこれだけ空いているからワンオペ体制に切り替わったのかもしれません。何にせよ特別どうということのない店ですが、マイナスよりもプラスの要因が上回ってはいるように思えるのでもう少し繁盛していてもおかしくはないと思うのですが、なかなかうまくはいかないのでしょうかねえ。
2024/01/24
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年も明けて早くも半月が過ぎ去ってしまったけれど、実際にはこれが年明け最初の作文なのです。結局のところ、年末年始に慌ただしく物書きなどしたくないという身も蓋もない理由でしかないのですが……。だったらこんなのやめちゃえばいいじゃんという誠にごもっともな意見もあろうことは容易に想像できることで、実は今年は投稿のペースを減らすつもりでいたのです。このブログを始めた当初はそれこそ元気だったから、ハシゴの勧めじゃないけれど毎日2軒づつの酒場に登場いただいていました。今でもハシゴすることは当然あるけれど、かつてのように毎晩それを続けて書き残すのは気力体力が持たなくなってきました。それより何より、当たり前のことではありますが、仕事を終えてから訪れることのできる範囲内に訪れたいと思えるような未訪の酒場が減るばかりなのです。さらには古酒場自体が減少しているのだから、どうしたって以前登場願った酒場に繰り返し出てもらうことになります。何度でも書きたくなるような酒場などそうそうあるはずもないのです。そりゃそもそも酒場なんて文章として綴る場所などではないのだから仕方のないことだと思うのです。書けるとすれば季節ごとの酒や肴のことやそこに蔓延る人々の人間模様なんてことになるのでしょうが、ぼくにはそれらについてはほとんど興味がないものだから、どうにも筆の進みが鈍るばかりなのです。と愚図愚図ボヤいてみたけれど、まあ常々語っているようにこのブログは自身の文章修業及び備忘録のつもりで始めたものだから続けられる範囲で続けることにします。その内、週1回とか2回なんてことになるかもしれませんが、不定期ってのは避けようと思っています。そうしたらズルズルと活動中止となりかねないですから。 今回お邪魔したのは、環七と旧日光街道が交錯する交差点に佇む「そば久」でありました。以前(東武伊勢崎線がスカイツリーラインと呼ばれるようになる直前頃だっただろうか)は、ちょくちょくこの沿線での呑みを楽しんだものですが、近頃はめっきり訪れる機会も減っていました。そんな酒場好きの落後者であるぼくがそれでも訪れたいと思ったのは、知人の車に同乗させてもらった際に偶然見掛けてしまったのです。こういう遭遇があるからたまに車に乗せてもらうのは楽しいのだ。歩きだと目に留まらない物件が車窓からだと鮮明に存在を露わにすることがあるのです。そのまま車を降ろしてもらいたいところですがさすがにそれは身勝手だし、それ以前に店の方がシャッターを下ろし始めました。18:30には店を閉めてしまうようです。これはこれでいい情報です。ということで、職場を早めに飛び出して17時過ぎには現地へと到着しました。想像はしていましたが、やはり他に客はなくそれどころか店の方の気配すらない。オオバコなためかやけに声の響く店内で声を掛けてみると奥から返事が返ってきます。にしてもこのひっそりとした空間のなんと風情のあることだろう。綺麗に手入れの行き届いた小上がりは果たして普段使われることがあるのでしょうか。お新香を肴にビールを呑みつつおかめそばを待ちます。同行者は鴨南蛮そば。いずれもぼくには贅沢品で余り頼むこともありませんが、ここなら安心プライスです。さて、味はというと、う~ん、ちょっとコメントは差し控えておくことにしようかな。シンプルにかけそばとかたぬきそばなんかにしておけばよかったかな。それでもここの雰囲気にはすっかり気分良くさせてもらえたからそれでもう納得なのです。
2024/01/19
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赤羽もすごいことになってますが、北千住も夜の人出がただ事ではないですね。呑兵衛横丁を歩いていても、昔からのお店は総じて大いに客が入っていて、とてもこの喧噪の中に身を置いて呑もうなんて気にはなかなかなれないのです。何事もコロナのせいにするのは良くない癖で、実際にはそれなりに年を取ったのが主たる原因として混み合った酒場で呑むのが日々苦痛に感じられるようになってきているのです。例えば旅先に出たとしても酒場好きならここへ行っておかないとお話にならないね、なんていうような名酒場があったとして、以前もぼくならどこをさておいても駆け付けたものでしょうが、今の気分はそういったいかにも酒場好きばかりが集いそして混み合う酒場は極力避けたいと考えると思うのです。何の予断もなく横丁を彷徨っていたらたまたま目に入ってしかも混んでる風でもない酒場を見つけたらそここそがその夜の酒場に他ならないのです。今回の北千住で遭遇した酒場もそうして見つけた一軒です。 横丁はもう何度となく呑み歩いているし、大方の酒場には足を踏み入れたように思っていましたが、ここ数年で見知らぬ酒場が一挙に増えて(ということはつまり入らぬまでも見慣れていた酒場が失われたということなのでしょう)、そういう意味ではコロナが横丁の新陳代謝をもたらしたと言えるのかもしれません。しかしたまたま目に留まった「お酒処 でがわ」は、どうやら古くから営業をしておられるようにお見受けしたので、迷うこともなくお邪魔することにしたのでした。初老の女性が出迎えてくださいました。初老といってもいたってお元気でちょっと元気過ぎる位な明るい方でした。3名でお邪魔したので奥の座敷に通されました。座敷はこの1卓だけ。あとはカウンター席のみの至ってコンパクトな構えのお店です。暑いわねえとエアコンを効かせてくださったのですがこれが効き過ぎな位に効いていて吞んでる最中に思わず眠くなってしまう程でした。雪山登山で遭難した際に寝るなあなんてシーンは山岳小説のお馴染みのエピソードでありますが、まさにそんな状況に陥ったほどだったのです。そうそう年を取ったなあと感じるのがぼくは若い頃はエアコンの温度を機械の性能の最低温度に近い位に冷やして布団を被ったりしていたものですが、今では27、28℃に冷えていれば御の字で、むしろ扇風機がないと辛く感じられます。今では毎晩のようにエアコンなし、古い扇風機のみが冷却装置として働く酒場で呑んでいますが、以前のように長タオルを首にかけるでもなく、さほど苦にすることもなく快適ではないけれど、特段に辛いと感じることもなく過ごせるようになったのです。おやおや話が脱線しました。さて、こちらの特筆すべきは出される料理のどれもがちゃんと美味しいということです。金を払っているなら当たり前の上をいく程度に美味しいからそれはまあ立派なことなのです。その美味しさというのもごく普通の家庭料理でありながら家庭ではなかなかこうはいかないよなって加減なのがまた嬉しい。今は、自宅で食事するごとにできれば変わったものを食べたいと、かなり無理をしていますが、そのうちここの料理のようなものを頂きながら呑むのが至福と感じられるようになるのかもね。そうなったらそれこそ本当にオヤジ化が完了するのかもしれません。
2023/07/26
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以前も似たようなことを書いたかもしれませんが、基本的にはぼくは静かな酒場が好きです。静かな酒場にもいくつかタイプがあって、そのすべてが好みというわけではないのです。頑固というか狂喜を孕んでいるかのような高圧的な店主が客に酒と肴に集中せよとして飲食/飲酒中の会話を一切認めないお店であるが、これは言うまでもなく拒絶したい類の酒場であります。酒なんていうものは味の良し悪しもまあそれなりに重要だけれど、それ以上に人を饒舌に駆らせるためにあるものであって、仮に一人黙々と呑みたい時であってもこういう緊張を強いられる店では吞みたくないものです。沈黙することと沈黙を強いられることとは天と地ほどの開きがあるものです。スカした感じで大声で喋るのが恥ずかしくなるよう周到な備えをしたお店というのも気詰まりなもので、どうにも好きになれません。全く客もおらず店主もむっつりと黙りこくる酒場の場合は微妙で、こういう店主はケチ臭く呑む客に対して舌打ちしたりする傾向の店主が多くいるようで、つまりはこういう類の店主もケチ臭い訳でケチ臭いもの同士が上手く同じ場を共有することは非常に難しいようです。人に無関心であるようでその実、気になって仕方ないんでしょうね。だからぼくの好むのは若干のお客がいてそれが皆それぞれにひそひそ話をしたり読書やテレビを眺めるといった気ままな雰囲気があってそれを少しの意に介さずむしろ自らもその雰囲気に溶け込んでいるような店主がいうお店がいいのだ。つまりぼくはうるさい酒場/静かな酒場から始まり、後者であってもさらに選り好みがあるという静かながら喧しい客なのだ。 なんてことはまあどうでもいい話で今回お邪魔した「酒菜 せさみ」はどうやらぼくの気に入りそうなタイプのお店であるようなのだ。行ったくせにその曖昧な感想はどういうことなのか。答えは簡単でこの夜はぼく独りではなく四人で伺ったからなのです。ではどうして好みのタイプでありそうかというと、まず人数分の酒を頼むとうっかり話し込んで肴の注文を失念していたのですね。ひとしきり話を終えて腹減ったなあ、あれまだ肴を注文してなかったじゃんと気付いたのは十分程度経ってからのことだったと思うのですが、店の年配ご夫婦からの注文の最速は一切なかったのです。それどころか品書きも出されることはなくってこのほってけぼり感はなかなか腹が据わっています。実際、しばらくしてちょっとお話させていただきましたが、すごく控えめで物腰柔らかでほっこりするようなお二人だったのです。実のところ品書きはあるけれどないようなもので、カウンター席前に短冊が下がっていてそこから選んで欲しいとのことでした。全部で10品程度と極めエ控えめな種類というのもそれはそれで悪くありません。人数もいたので結局端から端までひととおり貰って、それがいずれもちゃんとしていて満足度も高いのも特筆すべきでしょう。酒もこういう店にしてはお手頃です。なのにどうしてかなあ、独りの客も入ってこないのです。不思議なことです。ぼくの好きな酒場って、他の多くの人にとってちっとも好きになれないものなんだろうか。まあ、第一条件として空いてる酒場が好きなぼくにとっては、その方が都合がいい事は間違いありません。
2023/06/21
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これまでも何度も書きましたが、ぼくは子供の頃に和歌山に住んでいたことがあります。だから雑賀という単語があることはずっと知っていました。また、京成線の沿線に同じ名を持つ酒場が存在することを以前から知ってもいました。ちなみに雑賀は雑賀衆として知られる中世日本で活躍した傭兵集団として知られていて、その勇ましさにあやかってか日本酒の銘柄にもなっています。って蘊蓄はともかくとして、沿線上にこの系列のお店、結構見掛けていたと思ったのだけれど、見掛けるだけでこれまで訪れたのは、北千住駅前店だけだったようです。というか京成線沿線にはお花茶屋と京成関屋に数店舗があるだけだったのですね。もっとあちこちに点在していると思っていました。どうしてそんな勘違いをしただろう。まあ、いいか。 お邪魔したのは京成関屋駅前にある「極上焼鳥 極上もつ焼き 雑賀 関屋駅前店」です。京成関屋駅と牛田駅までの道に面して「そばうどん 立ち喰い 雑賀屋 本店」がありまして、ここも以前から気になっていますが、なぜか入店機会を逸しています。大通りの墨堤通りに面しては同じ系列の「立ち飲み 煮込みの大橋」がありましたが、知らぬ間にやはり同じ系列ではあるようですが、寿司屋になっていました。こちらは「雑賀」と往来できるみたいですが、ガラス張りになっていて店内が見渡せます。おやおや一人のお客さんも入っていませんね。そうなると「雑賀」の入りも悪いんじゃないかと不安になりますが、幸いにも億の卓席にはそれなりのお客さんが入っていました。カウンター席はご夫婦のみで空席が目立ちました。一人よりもグループ利用が多い店ということでしょうか。話は逸れますが後日、ここを訪れたことを行きつけの立ち呑み屋で話したらまさにここが紹介されていて佐藤栞里ちゃんがここのこと(もつ焼きでしょうか)を絶賛していたとお聞きしました。ぼくは最近の若いタレントをほとんど知らないのですが、彼女のことは知っています。以前、何かテレビ番組でものすごく見事な食べっぷりをしていたのを見たからです。それはもう見ていて気持ちいい位の豪快さで圧倒されたことをよく覚えています。その姿を見ると彼女の昭和のアイドル風の風貌がとても気に入ってしまったのです。って実は彼女、無茶苦茶背が高いみたいですね。ってネットで調べたら168cmかあ、まあ女性では高い方ではあるけれど、今時としてはそう驚くほどではないですね。さて、カウンターに着くとすっと従業員さんが背後に忍び寄ります。と妙な言い回しをしたのには理由があって、こちらの従業員さん、グラスが開くと見るやそっと近寄ってきてオーダーを取ってくれるなど実に気が利いているのですが、余りにも気が回り過ぎてどうも監視されているような気分に陥るのですね。立派だけどもワンクッション入れて貰えると嬉しいかな。気分ではなかったので焼鳥はもらいませんでしたが、鶏皮ポン酢、確かに美味しかったなあ。今度は焼鳥気分の時にでもお邪魔することにしようかな。
2023/05/17
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都内をマメに散策している人であればご存じだと思いますが、東武伊勢崎線の牛田駅と京成本線の京成関屋駅は公道を挟んで向かい合って建っています。公共交通機関には少なからずこうした利用者の利便性よりも企業の論理を優先したある意味では横暴とも思えるような事態が見られます。この2駅がいかなる理由で駅舎を話す事態に至ったのかについては、以下に詳しいのでここでは記しません。歴史と散歩とポタリングと 「牛田と関屋は近くて遠い -東武と京成の殴り合い-」https://rekisanpota.blogspot.com/2014/06/blog-post_13.html 普段、ここで乗り換えしている方にはお耳汚しになるかもしれぬので、もしこのブログをご覧になられる方で両駅の乗り換え利用者がおられたら以下に「アホ抜かすなや」と怒声を浴びせたくなるような記載をするつもりなので、読み飛ばしていただきたいのです。ここに限らず似たような状況下の方も同様であります。ともったいぶりましたが、言いたいことは極めて単純であります。多少、利用者たちの利便性を損なってもこうした状況はぼくのような身勝手な通りすがりの者やその隙間を縫って店を出す人にとっては実に有難いものなのです。大きな駅舎、例えばお隣の北千住駅などは駅舎内(改札を出なくても)で乗り換えが可能だからまあ利用者は便利なのかもしれないけれど、ぼくにはとても退屈に思えるのです。あのアップダウンの激しい駅舎内を行き来していると自分が羊飼いにいいように操られている気分になるんですね。駅舎からも出たくなくなります。駅舎内に多少の店舗があるのもしゃらくさい感じがします。呑み歩きしている方なら多少の共感をもってもらえると思いますが、乗り換え駅間にある呑み屋街って大きな駅周辺の呑み屋街とは違った混沌としてムードがあって惹かれます。秋津駅と新秋津駅、豪徳寺駅と山下駅などなど。前者は酒場観光客の増加でむしろ店が交通整理されてかつての混沌具合がちょっと衰えたけれど、後者は今はどうなったのでしょう。何にせよこうしたシチュエーションの場所は酒場好きとして狙い目と見て良さそうです。 ところで話はガラリと変わるけれど、お隣の北千住の人気立ち呑み店が京成関屋駅の傍に「立呑み ざわさん 関屋店」を出店したと聞きました。北千住のお店にも以前一度お邪魔しているのですが、正直なところ、苦手であったことを打ち明けておきます。値段が立ち吞み相場からすると若干お高目なのは、まあ目を瞑るとしても、そこで呑んでいてどうも落ち着けなかったのです。その理由ははっきりしていて常連たちの縄張り感が強烈だったからです。いやまあ、空きスペースに入ったからって露骨に邪魔者扱いされるなんてことはないのだけれど、どうも押しの強さ、プレッシャーに晒されている気分にさせられたのです。残念ながらこちらもお店も同じような圧を感じてどうにも寛げないのです。でもまあこの夜はS氏も一緒だからアウェー感も分散できるというものです。チューハイをオーダーして、肴の品書きを眺めます。そうそうこちらは肴の品揃えがとても充実していて、それだけじゃなくてひと工夫されたオリジナルメニューも充実しているんでしたね。季節もののホタルイカの天ぷらかあ。ホタルイカを天ぷらで食べたことはなかったかもなあ。岩塩が添えられていてそれをチマっと付けて食べるとぷるっとした水風船のような軽い弾力の中から旨味が溢れてきて実に旨いのです。卓上に置かれたレモスコ(レモン風味のタバスコ)をかけて食べると、そりゃまあ当然バッチリなのでした。マーボーメンチなんてのも食べたなあ。メンチカツにたっぷり豚ひき肉のマーボーソースが掛かっているという寸法でこれは一人じゃとても食べ切れないボリュームです。いやはやここは実に料理のセンスがいいですねえ。ところで、こちらのお店、どう考えても牛田駅側にあるし、駅からの距離も近いのにどうして関屋店を騙るんだろうなあ。
2023/05/12
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先般書きましたが、綾瀬で「トリトサケ」に入りました。ここが活気もあるし、従業員の人たちも生き生きとしていたので気分よく店を出たのです。気分がよくなるとそりゃまあもう一軒ってことになりますね。といった次第に気分よくハシゴしたのでありますが,その明るい気分を打ち消すような状況を垣間見ることになったのです。楽天的だった気分が一転して将来に対して暗澹たる前途を抱かされたのです。これは必ずしも綾瀬に限られた話ではないのであって日本の古い酒場全般に言える事なんじゃないか。と何がどうしたかの説明をせずにただひたすらに憤ってみせても仕方のないことです。ということで普段の前置きと比較するとかなり短くなってしまいましたが、取り急ぎ先に話を進めてまいりたいと思うのです。 さて、お邪魔したのは、「串揚げ 典」です。再訪になりますが、以前訪れたのは十年以上前のことになります。同行したA氏もやはり同様で向かいつつ話した限りにおいて双方ともに好ましい印象を抱いていたのです。店の前はそれ以後も何度となく通り過ぎているから表から眺める限りは当時とほとんど変化がない状態に思えます。しかし、外見と中身が必ずしも一致しないことは人間と同じ。何と言っても店を運営するのも育てるのも同じ人間なんだから入ってみない限りはその真の姿は拝めはしないのです。ということでいそいそと戸を開くと何だか以前とはちょっと雰囲気が変わったように思われます。店には先客が4、5名ほどいたでしょうか。皆顔見知りのようでけして広くはない店内の中央に椅子を寄せ合って、ここがあたかも自分たちだけの店のように傲岸不遜にいるのです。いやまあ、ここがすでに常連のみに開放しているとか営業時間外だったりするのであればいちいち文句を述べることもないけれど、通常に営業していて通りすがりの客も受け入れる体制にあるのにこの状況はどうしたものか。かつては、地味なお店ながらも都内でそう多くはない串揚げの専門店として頑張っておられ、客の側もカウンター席で行儀よく呑んでいたという印象がありました。どうしてしまったというのか。せっかくなので串揚げを頼もうとすると女将さんか今は串揚げはやっていないとのこと。ご主人の体調が悪いとかそういった理由で串揚げを出すだけの余力がないそうです。それはまあ仕方のないことです。そういった事情を愚痴るつもりもありません。でも常連たちの傍若無人を許すのも色々と事情がありそうであまちキツク言いたくはないけれど、それより何より常連たちは新たな客を排除するような暴言を吐きまくったのであります。それはいくら酔っていたとしても許されぬ言葉でA氏は激昂しました。その気持ちはぼくにもひしひしと伝わってきました。特に調子に乗っていた常連はそれで一度は引き下がったもののその後もちょくちょくとこちらにちょっかいを掛けてくるからボディーブローのような怒りが蓄積するのです。酔っ払いってのは叱られると束の間シュンってするけれど、すぐにそんなことは忘れてしまうようです。まあこれは自分だって似たようなものだし、自戒としたところでどうにかなるもんではないですけどね。女将さんは串揚げが作れず申し訳ないと断りつつ、イカ焼きや焼きそばなど屋台風の肴ではあるけれど、実の立派な盛りでありましたし、味もちゃんと美味しかったからもったいない。価格もサービスしてくれたのかな、とても安かった気がします。A氏はこんなにいい店なんだから常連はちゃんと盛り上げてあげないといかんじゃないか、といった説教をかましたけれど、当の酔っ払いは「しいましぇん」とあくまでもふざけた態度を取るのでした。
2023/02/27
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千住大橋駅っていうのは背後に墨田川が背後で町の拡張を妨げているからなのか、お隣に比較的大きな繁華街の北千住が控えているからなのか、それとも駅間に東京都中央卸売市場 足立市場という比較的大きな市場があって町の何割かを占拠してしまっているからか、周辺は人気も少なく飲食店を含めた商店が少なく思えます。特に夜に訪れると寂しく感じるのは、市場の開場時間の関係で市場関係者が夜にこの界隈を徘徊することが少ないからではないかと思うのです。彼らが呑もうと思ったら北千住に向かえば早い時間から営業している店も少なくないですから。って何の根拠もない戯言を呟いてみせているのは例の如くに単なる体裁を整えるためでしかないのであります。まあ駅のガード下には不思議に充実していてショッピングモール化しているし、細い通りを挟んだ至近には太田和彦氏がお気に入りの料理屋もあったり、定評ある蕎麦屋があったり、ごっつい盛で知られるラーメン店の暖簾分け店もあったりと数こそ限定されはしますが、まあそれなりに粒選りの店もあるのです。でもそれにしたって呑み屋街の閑散としているのはいかにも侘しかろうと思うのです。数年前に訪れた際には人気の立ち吞み店を中心にそれなりの酔っ払いが徘徊していたように思うのだけれど、どうしたことなのだ。と書いた以上はそれなりに原因を究明すべきところなのでしょうが、そうちょくちょく訪れる町でもないのにそこまで気に掛けるのはむしろお節介というものです。 ということでガード下の角打ちを出るとすぐに呑み屋街を一巡りし―巡るってほどでもないのですが―、一度行ったっきりの酒場もきになるっちゃなるし、何度かお邪魔していて久々に顔を出したい店もあったりしたのですが、この夜は何となく未訪店に行ってみたい気分が勝ったようです。奇を衒わぬ上品な構えの「居酒屋 篠」にお邪魔することにしました。卓席がメインの30名程度は入れそうなお店ですが、先客はカップル一組のみです。ありゃりゃ、これはやってしまったかな。しかしまあ後悔は先に立たぬものであります。まあ、とても小奇麗だしゆっくりと寛いで呑むには悪くはないでしょう。カップルの表情からもリラックスしたムードが感じられます。とりあえずは酎ハイをお願いしてお通しで様子を見ることにしよう。店は物凄く物静かな(とその夜は感じられました)女性が一人でやっておられて名物女将とかそういった類の方たちとは全く違っていますね。ぼくも最近はやたらとちょっかいを出して構ってくれるような人よりずっと楽に思えてこの方がいいと感じることが多くなった気がします。なんてことを思っていると酎ハイとお通しが届きました。さすがにお通しだけって訳にもいかぬから目ざとく―って程でもないけれど―メヒカリの唐揚げが品書きにあるのを見つけていました。ぼくはこれに目がないのです。でお通しがポテトサラダでしたが、プチトマトが飾られて彩りがいいのもそうですが、見るからにこのポテサラは旨そうです。これはもしかして当たりの店だったか。味も多分何ら特別な小細工はしていなさそうなのですが、しっとりと濃厚で旨いのです。このポテサラならこれだけで呑んでいられそうです。でもお楽しみも控えています。そのメヒカリもまたしっとりと柔らかな身の風味や食感を留めつつ、歯が当たる瞬間にはカリリと香ばしいのでありましてこれは嬉しいなあ。ということで大いに気に入ったのでまたちょっと美味しいものが食べたくなったらお邪魔してみようかなって思うのです。
2023/02/22
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近頃はあまり語らなくなったけれど、ぼくは青井の酒場に何度も驚かされてきました。「居酒屋 あおい」「もつ焼 りき」「居酒屋 たむら」「もつ焼 五月(さつき)」「虎の子」「もつやきの店 富ふじ」「なかむらや(ナカムラ)」「やまびこ」。これは手持ちのメモだけを頼りにして列記したもので、正直なところ半分は記憶に残っていない酒場なのでありますが、○印が付してあるところからも気に入ったことは間違いありません。一応お断りしておくとぼくが○印を付すことはよほどのことがない限りないほどに珍しい事でありまして、それだけをとっても青井の酒場をいかに愛しているかお察しいただけるものと思うのです。その筆頭に挙げるべきが「もつ焼き みやま」でありまして、ここは本当に大好きで、引っ越してきたいと思うほどでした。こちらの店の方のご家族の方から書き込みをいただいたことをよく覚えています。ところが、憎らしいことにこの近所に住んでいるという羨むべき男が身近に存在したのであります。そしたらその彼の家の近くにぼくのいかにも好きそうな酒場があると教えてくれるのですね。でもぼくの趣味をホントに理解しているか不安だったので、調べてみることにしたのです。これまで渋い酒場が好きといって、実際に渋かった試しなどついぞなかったから疑い深くもなっているのです。そしたらそれなりに情報がありました。でも大概は最低限の情報があるだけであまり参考になりませんでしたが、以下のサイトでははっきりと店の様子を見て取ることができたのです。https://saka-navi.com/archives/38976 しかし、クリックして画面を開いた時点で見るのをやめました。その理由は分かる人には分かるはず。それはともあれ、知人から店の概要は聞いてしまったので、これはもう行かない理由など存在しません。 ということで訪れたのは、「とん平」であります。かつてはつくばエクスプレスの沿線上に道路はなかったらしいのですが、今は2車線の通りが我が物顔で通っています。地元の人は便利になったのでしょうが、味気ないことは否めません。A氏と一緒に酒場を目指して歩いていると当の知人と遭遇。彼は家族と所用があるようで、ご家族とあいさつをしただけで別れたのですが、この息子もそこを気に入ったとのこと。楽しみだなあ。やがて五反野駅に繋がる商店街―五反野ふれあい通り商店街なる看板が出ています―が見えてくるので通りを進むとすぐに脇の路地に赤提灯が見えます。これはまた本格的な渋さでありますねえ。これはもうこの雰囲気だけで好きになってしまいます。じっくり記憶に刻み込みたいところですが、寒さに追い立てられるように店に入ります。カウンター10席、小上がり2卓と奥にも小さな座敷があります。先客は2名のみ。A氏は戸の閉め方が半端でオヤジに叱られました。うんうん、いいねえ。カウンター奥の席にお邪魔しました。厨房ではご高齢の女性が一人で奮闘中。ちょっと注文に気を遣うのだけれど、あまり躊躇てるのも変なので頼んだけれど反応なし。耳が遠いのかなあ、でも聞こえて内容でオーダーが通っている場合もあるのですね。じゃあツンデレなのかというとそういう訳でもなくて単に忙しいのだと思うことにしよう。鮪刺身はそこらの海鮮居酒屋なんかよりよほど立派だったし、ソーセージやイカフライはすごいボリューム、お隣の頼んでいた鮪山かけもすごい。そして250円のチューハイがしっかり濃い目なのも嬉しい事です。ここは聞きしに勝るすばらしい酒場であることを確信しました。「もつ焼き みやま」にも匹敵しうるかもしれないなあ。ということで両店をハシゴすることを推奨しようかとも思ったけれど、両店ともに青井駅から700mの位置にあって、それぞれが近ければいいけれど、「とん平」と「みやま」までの距離は1kmあってちょっと不便かもしれないなあ。こうなると青井にはまだまだ余所者の手の届かないすごい酒場が眠っているようで探索気分がふつふつと湧き上がるのでした。
2023/02/15
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京成本線の千住大橋駅を最寄りとするエリアのとある酒場に随分以前にお邪魔したことがありました。その夜は千住寿町方面でぼく好みの酒場に遭遇できてすっかりご機嫌になった勢いで北千住駅には引き返すことはせずに千住大橋駅に向かったひたすら南下するという帰宅コースを辿ったのでありますね。当時(今でも?)、そのエリアは地の利もなく闇雲にうねうねと酒場捜索を兼ねて彷徨い歩いたのでありますが、随分歩き回ったと思った頃、そのサッシ戸の安普請な酒場が視界に飛び込んできたのです。無論、嬉々としてお邪魔することにして界隈らしい少しやさぐれた雰囲気を堪能したのです。後日、その酒場のことを呑み友達たちに語って聞かせたところ、興味を抱く者が少なくなかったので、ではいずれご一緒しようと約束したはいいけれど、肝心の場所がすっかり出来上がっていたものでネット上ではどうにも探し出せなかったので、幾度か足を運んでみたのです。ところが一向に見つかる気配がない。酔ってしまって存在しない酒場を存在するものと勘違いしてはいないはずである。なんてったって写真は残ってるんですからね。やがて歳月は流れすっかりその存在を忘れかけていたのですが、知人からとあるサイトの存在を知らされたのです。言われるままにそのページを見ると当の酒場は「陸の孤島」にあるそうだ。ぼくが知る限りでは、千住大橋駅から10分程度の場所だったはずだからこの人独自の「陸の孤島」の定義があるか―というかぼくはこの陸の孤島という表現に常々疑問を抱いています―、店名が一緒で見てくれも似通った全く別の酒場と解釈せざるを得ない。何と言ってもぼくが知るその酒場は2013年にこのブログで公開していて、各種ネット検索でも結果として表示されていたはずだから「ネット情報一切なし」ということは、やはり似て非なる全く別の酒場なんだろうなあ。 ということでその方の情報を参考に千住大橋駅から歩いてその酒場に向かうことにしました。徒歩10分弱歩くと到着しました。やはり「陸の孤島」とは思えぬ住宅街でしかないですねえ。この方は住宅街を海と見立てているのかなあ。またぼくは駅からもそう遠くないと思ったけれど、この方は歩くのがちょっと遅いのかもしれません。そうしたあっさり辿り着いた「やきとり 長平」でありますが、やはりほぼ記憶のままなんですよね。まあ、実のところそんなことはどうでも良くて、似ているだけかもしれないこの酒場に巡り合わせてくれたことには感謝しているのであります。ホントのとこ。よもや未だ現役なことに驚かされました。しかし、残念ながらこの夜はお客が帰ったので営業を終了したとのお達しでありました。まあ仕方ないですね。なのでそのすぐ傍にある「中華・洋食 味楽」にお邪魔することにしたのでっす。外観写真は撮り損ねたようですが、まあ住宅街の取り立てて目立ったところのないむしろかなり滋味目な構えのお店でした。が、店内に入ってみるとすぐにテーブル2卓があってそこでは地元のちょっといかつそうな2世帯が大いに賑わっておりました。奥に伸びる暗いカウンター席ではご老体が一人ラーメンをすすっております。相当に濃いムードのいかにも足立区って感じのお店です。なんて書くとぼくの偏見を糾弾されても仕方がないな。S氏とぼくはその奥の席に通してもらいました。酒の品書きは見当たらないけれど、焼酎の有無をお聞きするとあるとの答えなのでウーロンハイをお願いしました。肴は手早く作れてすぐに出てきそうな餃子と焼きそばをお願いしました。餃子は見掛けはともかくとして味は良かったし、焼きそばは肉もたっぷりと食べ応えがあり、当然酒の肴にもぴったりなのでした。こちらのお店、ネット情報があるかどうか知りませんが、地元に密着しているからあんまり言いふらさない方がいいのかな。でもまあこのブログなんて「ネット情報一切なし」ってなるから気にするまでもないかな。
2023/02/06
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唐突でありますが、ぼくは映画研究者の加藤幹郎氏の著作を好んで読んでいた時期があります。幸か不幸かアカデミズムの動向には無頓着でありますが故に、加藤氏が2020年に63歳という若さで亡くなっていることをつい最近偶然知ることに至ったのであります。人の生き死には自然の摂理であって殊更に特別な出来事として見做すことは必要以上に特定の人を神格化することなどにも繋がりかねないので常識の範囲内に留め置くべきだと個人的には思っております。ただまあ、その著作を読み返す程度の追悼は許されるべきとも思っています。ってな訳で、さて何を読み返すべきか、氏の著作を代表する(とぼくが思っている)『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(2004年、筑摩書房)、『ヒッチコック「裏窓」 ミステリの映画学』(2005年、みすず書房)も気になるところですが、もう少し軽めでエッセイ的な味わいもある『映画館と観客の文化史』(2006年、中公新書)を読むことにしました。読み返していると映画館という公共空間とホーム・シアターという私的空間は映画創成期直後から並行して発展してきたことなど示唆に富んでいて改めて読むと極めて興味深いと同時につい酒場と関連付けて考えを巡らしたりしてしまったのです。例えばこんな一文。「流し込み制」は戦後、映画人口にたいして映画館数が絶対的に不足していたことに起因していた。急造の「バラック建ての映画館」では、観客側も列をつくって待たされるよりも、立ち見でもよいから映画が見られれば満足だという時期があったのである。 この一文を読んで立ち吞み酒場に引き寄せて考え込んでしまったのです。しかし、長くなりそうなので、明日の「自宅ではお手軽ディナーでも大満足 その259」に続くのでした。 さて、かなり強引ではありますが、立ち吞み繋がりということで話を進めることにしたいのです。先般、千住大橋駅が最寄りの立ち吞みに北千住駅から向かったのですが、そのまま引き返すのも芸がないってことで、最寄りの千住大橋駅に向かうことにしたのです。この駅舎に来るのも久し振りだなあと思いつつ眺めたらガード下に立ち並ぶ店舗が随分変わっているようです。その一軒に「荒井屋 千住大橋店」がありました。あえて千住大橋店とあるからきっと系列があるのだろうな。ネットですら調べていませんが、ぼくの手持ちメモには浅草の「荒井屋」の記載があります。立地的にこことの繋がりが濃厚そうです。まあ、こうした新しい店舗の角打ちの場合、どこだってそう違いはないでしょう。かつても書いたことがありますが、よほど風情のある構えの酒場でない限りは都内の角打ちはさほど面白味がなくてあまり興味がないのですが、せっかくだから立ち寄っておくことにしよう。まずレジで100円×5枚のチケットを購入するシステムのようです。店舗脇の立ち吞みスペースに移動すると奥が酒や乾き物の清算スペースになっているようです。奥に進む壁に酒の品書きが記載されていたので、さっと横目に眺めて銘柄を決めます。あっ、こう書くと日本酒のみと誤解を招きそうですが、焼酎や酎ハイなども基本的に300円となっています。日替わりの500円とかの銘柄もあるようです。乾き物はごく限られていますが、サービスで糠漬けを出してくれました。それなりのお年を召した女性が応対してくれますが、陽気で元気な方でした。ちょうど新年の抽選があるようで名前を尋ねられてチケット裏に書いておられましたが、果たして当選していたのでしょうか。清潔感があって過ごしやすいからお客さんも混んでこそいないけれど途切れなく入ってこられて気分よく滞在できました。余談ではありますが駅舎を抜けた一角の「立ち飲み 八ちゃん」はやけに空いていました。内装も新しくなっているような。かつては大盛況だったのにどうしたのでしょうか。
2023/02/01
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久し振りに千住大橋で呑むことにしました。せんべろお姉さんのせんべろレポートサイトに千住大橋の見知らぬ酒場がアップされていたからです。しつこいようですが、もともと混み合った場所が大嫌いだったのですが、年々その傾向が増してきているようです。以前はちょくちょく北千住を訪れては吞み歩いてもいましたが、もう当分は北千住はいいかななんて思っていたのです。でも、地図を見ると北千住駅からもそんなには距離も違わない場所にあるみたい。せっかくだから駅西口の飲み横がここ数年でどう変貌したかを観察しつつ向かうことにしました。マック脇の路地を入ると人通りはかつての様子と比べるとかなり閑散としているように思われます。すぐにある「天七」は大盛況だし、「千住の永見」や「幸楽」も以前と変わらず繁盛しているようです。でもかつての人気店「石井」は幾分空いてるようです。見たことがない店もかなり増えているようで、入りの良し悪しが両極端なようです。多くの人たちは酒場探しに無駄に時間を費やすことを意識的に減らすことでお気に入りの居場所を定めたといった印象を受けました。全くの勘違いかもしれませんし、ぼく自身が散策に時間を浪費するよりも確実に気分よく呑めることを希求するようになったことを無理に他人にも当てはめようとしていることによる錯覚かもしれません。自身の衰えを他者と共有していると思い込むことで精神の安寧を図るというのは、いかにも卑しい想念であります。しかしまあ他人の土俵を借りてではあるけれど、未だにまだ見ぬ酒場に憧憬の念を抱く気持ちはあるのだから燃え尽きるまでには至ってはいないのだと思いたいのです。ってなことなど微塵も思うことなく飲み横-と呼ばれているらしいですね-を抜けるとその先はめっきり飲食店の数は減ります。住宅街とはいえいささか寂しい気がします。時折見掛けるお店は駅前の酒場と比べると高級感が漂っていますが、それでもどこも地元の方らしき数名のお客が寛いでいる姿が見えています。これらのお店を見ても常客が付いていることがいることが見て取れます。ここでぼくは一抹の不安を抱くのでありますがその不安の何たるかは後半に続くのでした。 ということで、正直、退屈な住宅街を歩いて行くとやがて目当てのお店「千寿 離れ」に到着します。こちらは本来は弁当屋さんだったのが、昨年の夏ごろから空きスペースを使って酒場営業を始めたそうなのです。確かにねえ。多分、弁当屋ってのは繁忙時間帯が限られているだろうし、ディスプレイスにもさほどのペースを要しないでしょうから、それらを有効活用し、加えて総菜作りのノウハウもそのままに活かせるのだから極めて順当なアイデアであると思えます。それぞれの残り物を工夫して転用できればフードロスにも一役買えそうですね。弁当屋やスーパーマーケットで呑める店は他にもあるにはあるけれどもっと広がりを見せてもおかしくないと思うのですけどね。なんてことをこれは思いつつ戸を開けると店内には大き目のテーブル代わりの台が置かれているのだ。奥にもスペースがありそうですが、呑みのスペースはこの大きな台のみのようであります。すでに男女4名の仲良しグループが大盛り上がり状態であるから初訪の身としては幾分気兼ねしてしまいます。が、詰めてくれるという申し出があったのでありがたく受けたいと思います。そうなんですよねえ、繁華街から大いに外れた庶民的なお値段で呑める店だからそれなりの需要があるだろうから、少なくとも北千住の傾向としての常連占拠状態を危惧していたのですね。この方たち、人当たりも良くてとても良い方たちではあったんですが、いかんせん元気がおよろしい事であられるから、アウェイな立場の者としては幾分気遣いしてしまってくたびれるのでありました。ちなみに生ビールを含めたドリンク3杯と浅漬けの1,000円のセンベロセットのお値段はまず適正といったところですが、他の肴が実に上等でありました。ナンコツ唐揚げとチーズ入り玉子焼きの2品のみを頂いただけですが、これだけでも料理センスの良さが感じ取れました。これは是非とも弁当も食べてみたいところです。ちなみに店の若い方にどうやってここをお知りになったかと尋ねられたので、ネットで見ましたと正直に答えたらまだアップされたばかりなのにと驚いておられました。それと勘定の際に店のオーナーらしき方にここは駅から遠いけどまたご利用くださいと丁寧にお誘いを受けたけど、その後、千住大橋駅まで歩いてみたけれど、ちっとも遠くないじゃないですか。少なくともここは辺境酒場と呼ばれるような酒場じゃないと思います。
2023/01/27
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年度の更新でちょっとばかり仕事が忙しかったこともあって、たびたび登場するA氏と呑みに行けない日々が続いていました。どうしてだかはよく分からないけれど、今年は年度の切り替え時期がとても慌ただしかったような気がします。そのせいもあってただでさえコロナのせいで呑み歩くことも控えているところだったのに、さらに機会は減ってしまっていましたが、そろそろ復帰に向けてリハビリを開始せねばなるまいと思い立ったのです。強制的に怠惰な自分を奮い立たせるには、他人との約束という足枷を課すのが手っ取り早くて効果的です。繰り返しになりますが、せっかく約束を取り付けたけれどちょっとばかり忙しかったものだから行き先を検討する暇もなかったから昼食時にちらりとせんべろnetを眺めてみたら綾瀬の開店したばかりの酒場をお姉さんが紹介しておられました。それがまあ激安だったものだからだったらそこにしておこうかねとA氏とは綾瀬で待ち合わせることにしたのでした。ところがこの日ばかりは定時に職場を飛び出すつもりだったのが、下らぬ打合せだったりに巻き込まれてしまい綾瀬駅に到着したのは当の酒場のハッピーアワーの終了5分前だったのです。改札を抜けて酒場目がけてひた走り、到着したのはHH終了2分前でした。あいさつもそこそこに取り急ぎ1杯だけでも安く呑みたいのだ。 やって来たのは、「綾瀬肉流通センター」です。A氏はぼくの到着を待ってすでに29円(税抜き)のレモンサワーを2杯、お通しの千切りキャベツのサラダで凌いでいたようです。道義的な問題さえ無視するとすれば32円(税込み)のサワーとお通しでお代わりし放題のキャベツだけでも十分に呑めてしまうのでありますが、さすがにそれはやってはならないことでしょう。A氏曰く、面子が揃った時点で店のルールを説明するとの指示を受けていたらしくそれまでは注文してはならないものと思っていたようだから、ぼくが行くまでお通しで過ごしたことはご容赦頂きたい。で、店の方に何やらルール説明があるようだがと伺ってみると、これといった説明などされず終いだったのだ。ここで疑問を感じるべきでありましたが、一刻も早く呑みたいぼくは見過ごしてしまったのでした。ここの凄いのはハッピーアワーが19時までだけではとどまらずに21時以降も再開されるということです。繁忙時間帯以外はハッピーな時間を過ごせるのです。さて、とりえあず1杯分しかお得に呑めなかったけれど、品書きを見るとやかんサワーとかいうのがあって、これはジョッキ7杯分近く入っていてそれで千円ちょっとだからこれまたお手頃なのです。値段のことばかりだけど頑張ってるなあ。まあせっかくのホルモン焼きのお店であるから肉を食うことにしよう。厨房前の貼り紙を見ると肉の日継続中と書いてあって、カルビなんかが半額となっているようなのです。しかしぼくはピンときましたね。貼り紙の上部が布巾代わりのタオルに隠されているのだ。案の定それをめくってみると毎月29日と記されている。やっぱりねえ。こういう仕掛けってどうかと思うけどねえ。もう一枚の貼り紙は確認しませんでしたがきっと同様なんだろうねえ。ということで、こちらのお店に対しては好悪入り混じった何とも判断を決しかねる感情を抱いてしまったのですが、勘定の際にお一人2品づつの注文が必須であるとの無体な申し出。なる程ね、本当ならこれが冒頭に説明されているはずなんでしょうね。困ったものだ。最後の最後に悪い方の印象が強まってしまったではないか。しかし、さらなるどんでん返しがあって、その後、忘れ物をしてしまって取りに戻ったら、さっきはツンツン対応だった女性店員さんがとてもやさしく応対頂けたのでした。これで一挙にこの店の印象は良い方が上回るのだから客っていうのはいつだって身勝手なものです。
2022/05/18
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江北駅の夜はどうにも寂しげであります。いい年をしたオヤジが感傷に暮れるなんて実にみっともない姿であることは重々承知しているけれど、哀愁だったり哀切といった感情に流されることが少なくないのです。おっさんにはせいぜいが悲哀だったり惨めだったりという言葉の方がしっくりくるとは思うのですが、もう少し乙女チック(この言葉もまたジェンダー論者たちには性差別的な発言と解されるのだろうか)な要素を伴った感情がぼくに去来するのです。これは考えようによればこの年になってもまだまだ感受性が枯渇するには至っていないとも取れるわけでまあそれならば必ずしも悪いばかりの感情とも言えぬのでありましょうが、それを慰撫するための対応策がいかにもおっさん的な呑み屋に入るという選択となるのがいかにも惜しいのです。って何を言ってるんだかよく分からなくなってきましたが、暗い江北駅の高架下で物悲しい気分になったおっさん2名-なんとおっさん2人でリリックになっていたのだ-が負の感情を配するためにすぐそばに目に留まった居酒屋に入ったということなのです。 戸を開けると先客2名はすでに帰り支度をしていたのは、「居酒屋 暖々」でありました。港北の夜は他の町よりずっと早くに訪れるようです。ちょっと草臥れた様子の色っぽさを漂わすママでありますが、これが恰幅の良い溌溂とした女将であっては気分はグッと明るくなったかもしれません。しかし見知らぬ2名のおっさんをどんよりとした視線で見遣ったっきり、なるべく視線を合わせぬように振舞われているように感じてしまうのです。実際そうだったんだろうと思います。こう言っては多くのこの店この町の関係者に誤解を招かせてしまうかもしれませんけれど、雰囲気はまさに場末のスナック風に感じられたのです。内装は明るく綺麗で少しも場末風ではないし、スナックっぽさも皆無に近いのだけれど、そう見せてしまうのは今にして思えば己の負の感情が視界を曇らせることに寄与したものと解釈するのが穏当なようです。まあ、厚揚げにもずくで熱燗を呑むなんていうのはいかにもしみったれているし、くたびれている風でもあるから店の方もできれば目を合わせずに済ませたい気持ちはよく分かるのです。気持ちだけはまだまだ若者気分は抜けぬけれど、世間的にはしがないおっさんでしかない以上は背中を丸め、首を項垂れさせて若者たちにああはなりたくないものだと不快な気分にでもさせたい陰険な気分も見に着くのであります。それでも呑み進めるうちに段々と空元気も出てくるというもので、ついさっきまで静寂が場を支配していたはずが、怪しげな呂律の良く回らぬおっさんの声が響き渡るのでありました。そんなこんなとどんよりとした気分を隠しもしないのに、ちゃんと律儀に写真を撮っている辺りがいかにも日本のサラリーマンの面目躍如たるところですが、
2022/04/11
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かつて陸の孤島と揶揄されたりもした足立区ですが、今はそれほどの孤島感はありません。というか重宝がって用いられる陸の孤島という呼び方が果たして実情を正しく表しているかというとそうでもない気がします。孤島というのであれはやはり公共交通機関が不便なだけに留まらず、自動車すら足を踏み入れるのが困難な場所のことを言うべきで、そもそもタクシーという移動手段も公共交通機関という解釈もあるということなので、札片切りさえすれば容易に辿り着ける場所のことを孤島と称するのはいかにも大袈裟すぎる過剰表現であると思うのです。とはいえタクシー料金を支払うのがもったいないと考える人も少なくありません―って他人事のように語っているがそのままぼくのことです―。金さえ出したら容易に辿り着けるけれど、貧乏人だったり渋ちんにとってはへんぴな場所のことを的確に表現できるなら陸の孤島なるそもそも矛盾を孕んだ言い回しを避けることができそうです。でも金銭の有無で行けたり行けなかったりする場所はそう考えるまでもなくいくらだって思い浮かぶ位だから少なくとも都内で過ごす限りはそんな場所などもはや存在しないと考えるのが正解なのかもしれません。実際に、足立区は日暮里・舎人ライナーの開通で南北の隙間は相当埋まったように思えます。これと東武伊勢崎線を駆使すれば、それなりに頑張りさえすればあ以外の場所に30分、せいぜい1時間も歩けば辿り着けるのであります。 この夜向かったのは、西新井大師西駅もしくは江北駅、いずれからも1.7kmの距離にあるから20分も歩けば辿り着けてしまう場所です。それどころか100mも歩けば王寺駅や赤羽駅、西新井駅方面なんかに向かうバスに乗車することもできるのだから少しも辺境などではないのであります。やって来たのは、「食事処 みちくさ」ですが、店の前には公園、コンテナ倉庫、マンションと人通りもないのでここだけ見るとまあそれなりに辺境っぽさもあるか。。。それはともかくまずは営業していたことを喜ぶべきでしょう。いそいそと戸を開くとなんたることか、コの字のカウンターはびっしりお客さんで一杯になっていましたが、店の女将さんが奥の席に通してくれました。すぐに常連さんが来られて満席で帰って行かれたからその方には気の毒しましたが安堵しました。それにしても大いに賑わっていて我々を除く全ての方々が友達同士のように仲がよろしいようです。子連れの方もおられまして家族ぐるみの社交場となっているようです。ホッピーの中も濃いし、肴も美味しいけれど、それなどはおまけに過ぎなく思えるのは、何より素晴らしいのが女将さんだったからです。こういう場所でこういうお店をやっているのにほっこりとお優しくていらっしゃる。我々を初めてと分かっていてもちっとも不審がったりすることもなく受け入れてくれます。それはこちらの客層の皆さんを信頼していてぼくがもし暴れても皆で制止に協力してもらえると感じておられるのかもしれません。双方が信頼し合って気遣い合うなんてなんとも素敵です。また性懲りもせず言ってしまうけれど、この酒場が近所にあったらなあ。
2022/04/01
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近頃こそ足が遠のきつつありますが、足立区は23区の最強のフロンティアと信じてせっせと散策したころがありました。足立区は、大田区、世田谷区に次ぐ面積があることもあってまだまだ全貌は掴み切れていないのですが、区内の鉄道駅はすべて下車してその周辺はほぼ散策済みですし、駅から離れた所謂「陸の孤島」と呼ばれるような場所にも区内を横断、縦断、斜断して足を運んでいるつもりだから、酒場巡りを始めた頃に漠然と抱いていた足立区こそぼくの求めている酒場の知られざる宝庫であるというテーゼが誤りであったことを嫌というほどに認識せざるを得なかったのでした。足立区には一般によく知られている酒場以上の酒場がないというアンチテーゼを理解するに至ったのです。そして先日、長かった緊急事態宣言が解除となり、思い出したかのように足立区に向かったのです。なんちゅうことだ。足立区にはまだまだ未踏の地が広がっていて、そこには興奮を禁じ得ない酒場が存在していたのでした。 まあちょいとオンボロ物件ではあるけれど、ありがちといえばありがちな「大衆割烹 丸久」であります。ありがちと書いたけれど、周辺には住宅しかなく店舗らしき物件も辺りには見当たらないような土地だからともすれば奇異にすら思えるのです。営業していないことも想定していたからやっているのを目にして思わず興奮を抑えられぬのですが、余りにも喜色を露わにしては店の方に不審がられること間違いなしなので、努めて冷静を装うことにするのです。思ったよりも広い店内はほぼカウンター席のみで小上がりは荷物で塞がっていました。最近はもう余り使われることもないようです。店主はやはり我々(A氏と連れ立っていました)を見て怪訝そうな表情を隠そうともせずビールを出すと早速尋問を受けることになるのです。こういう場合、近所の者であることを装うのは下策でありまして素直に身元を明かすのが無難となります。お通しはお子ちゃま味覚の持ち主のぼくには嬉しいナポリタンが結構たっぷりで、小腹も減っていたから嬉しいですねえ。うちは割烹だから値段の表記がないのだと独自ルールを周知のこととして語る店主は喋り出すと案外ユーモラスな方で、来たばっかりあれだけどうちは8時までしか店は開けてないからねなんて仰るが、実際に時間になると先客2名(結局この常連アベックのみが最後までおられました)が、暖簾を下げてシャッターを下ろしたりする役目を慣れた動作で行うのでした。8時で新規の客は断るけど、居続けるのは構わないんだよ、帰るときは奥の非常口は開いてるからそこから出ていけばいいと親切に指南してくれるのでした。余計なこと言わないでよ、早く閉める分、早く開けてるんだから、でもこの間は深夜まで居座られちゃって疲れ切ったんだからと口にするけれど店主もこの営業スタイルが性に合ってるみたいです。割烹だから何でもできるよというからイカのバター焼きを頼むと、冷凍庫を大捜索する者の見つからず、常連に笑われていましたね。でも結局は一番手前にあったよと実に美味しい肴に仕上げてくれました。一見の酒場で味わう久々の一体感を堪能しました。やはり足立区は面白いなあ。
2022/03/04
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この文章を書いているのは、緊急事態宣言が再々延長となったとある日であります。御多分に漏れずぼくもまたさすがに自粛生活にもうんざりとしてきています。酒なら家で呑んだらいいじゃないかとう至極真っ当なご意見もあろうことは重々承知の上ですが、敢えて自宅で呑むよりも出費が嵩むことを度外視してでも外で呑むのは、やはり酒場と自宅で呑むのとには厳然たる差異があるからなのです。けして帰宅したら怖いのが待っているとか、呑ませてもらえないとかそんな理由ではないはずなのです。その差異について語るのはなかなか困難だし、懸命に語ってみたところで上手く伝わらない、つまりは徒労に終始することが予想されるので口を噤むことにします。まあ、こういう怠惰な態度、対話を放棄することが対立する意見を持つ者相互の溝をさらに穿つ結果を招くわけですが、このブログをご覧いただいている方は、ぼくの好みと割合近しい方が多いと推測されるのでその点は安心しています。ともあれそういう訳だから綾瀬にも近頃全く足を運べていないなあ。 さて、この夜訪れたのは、「ギャラリーとお料理とお酒 はくせん」です。近くの別の酒場を訪れたところ当面は一見さんはお断わりしているとのことなので、ギャラリー付きというのが気になったけれどお邪魔することにしたのでした。何か不可思議な店だなあ。でもノリはテレビ朝日で放映の「人生の楽園」みたいな店なんじゃないのかなあ。好きな陶芸作品を作りながら、無農薬栽培の食材で健康的な料理を出すお店みたいな、つまりはセカンドライフを謳歌しているようなハッピーピーポーがやってたりするんでないのと訝ったのだ。ぼくはどうもへそ曲がりなところがあるもんだから、他人に向けて自身のハッピー振りを放ってくるような人が大いに苦手なのであります。普段だったら積極的に敬遠するタイプの店です。でも、閉店まで残された時間はわずかであり、酒の提供リミットはもう数分を切っています。なんてことを書きながら、実は以前一度お邪魔していたことが判明した訳です。それはともかくとして、やはりこちらの主人、ノリ良く調子よく快調に飛ばしているところは、やはり好き嫌いの分かれるところですが、どうも憎めないところがありユーモラスに思えたから一安心です。料理も自信ありげでありながら、お隣のお客が頼んだカマ焼きが火の通りが甘かったようで、焼き増しを頼まれたりしてお調子者キャラであるようです。料理のラストオーダーもすぐとのことなので、時間が掛からないであろう刺身盛合せと厚揚げを注文。お通しも賑やかだから充分でしょう。酒を一挙に注文したので卓上は俄かに宴席のような状況になり久々に気分が盛り上がるのでした。ところで、店内を見回してもギャラリーの片鱗はどこにも見当たらぬのです。店の奥の引き戸の内部が怪しいと睨んだけれど、酒と肴に夢中でそれどころではなかったのでした。
2021/06/28
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どうも町中華という呼称に馴染めないので、これまであれこれとその呼び方を 模索してきたました。でも、人口に膾炙している以上あまりにしつこく抗ってみ たところで、万が一にも新たな命名が広範に受け入れること、つまりは命名者の 栄誉を得たいという功名心からじゃないかという邪念を抱かれるのは非常に心外 なのであります。ともあれ今回は大衆中華食堂という呼び方をしてみました。大衆食堂という呼称は、ぼくにはしっくりとくるのです。町中華という呼び方を受け入れている方は、この「町」という単語にどういう意味を見出しているのでしょうか。「町に長年に亘って根付き商売を続ける日本式の」中華料理を提供するお店というのが大体共通する印象かと思うのですが、であればいわゆる大衆食堂だって町食堂と呼ぶのが自然だと思うし、シネコン以外の早稲田松竹だったり飯田橋ギンレイホールような映画館も町映画館と呼んでもおかしくなさそうですが、そうはなっていないのが不思議に思えるのです。そう考えると「町」と「街」の使い分けも気になるところです。町中華と街中華、いずれも用いられているようですがいかにも無頓着に過ぎる気がします。 まあ、すぐに答えが出る問題ではなさそうなので、本題に。今回は久々に綾瀬の「中華料理 チャイナ」にお邪魔しました。こちらの存在を知ったのは、BS-TBSで放映中の『町中華で飲ろうぜ』であります。「飲」を「や」と呼ばせたり、末尾を「ぜ」というマッチョな終助詞としたり、いちいち気に障るタイトルでありますが、それはともかくとして時には参考になるので一応はチェックしているのです。イメージと異なるお店はすっ飛ばしてしまうので、ダメの視聴者の一人でしかありませんが、この番組は見知らぬ店よりも馴染みのあるお店が登場する回の方が楽しめる気がします。でもこちらの綾瀬のお店は、未知のお店でありました。川向うや駅よりの大衆中華食堂にはお邪魔していたけれど、こちらには気付かなかったですねえ。チャイナという屋号もストレートなようでどこか捻りが効いているから、店の主人はちょっと変わった人なのかねえ。看板も単色でなく二色を使い分けるという独特なセンスが感じられます。やはりちょっと変わった方で、実際にそうだったか記憶が定かではないのですが、調理しながら鼻歌を歌ったりする、そんなタイプの方でした。酒を頼むとサービスでちょっとした肴が付いてくるのは嬉しいですねえ。ここの餃子は大雑把に作ってそうで野菜のみじん切り加減がいい塩梅で美味しいなあ。細かすぎても荒すぎても良くないと思うんですね。麻婆豆腐は家庭的な味わいでマイルドですが、これはこれで美味しいですね。同じ料理で材料も似たようなものなのに料理人次第で差異の出やすい料理だと思います。カウンター席では地元の方らしき3名が指定席と定めているような自然さで席に着かれました。親子ほども年の違うお二人は実際の父子以上に親密な様子で気持ちが暖かくなりました。
2021/06/09
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大好きでかつては散々通っていた綾瀬でありますが、近頃はごく稀に足を向ける程度になってしまいました。一定期間の間をおいて訪れてもちっともトキメキを感じなくなったからです。例えば、かつて毎晩のように呑み歩いていた御茶ノ水辺りだとたまに行くと通い馴染んだ酒場が懐かしく感じられて、もう飽き飽きしていたと思っていた酒場も当時は思いもしなかったような感慨を与えてくれたりもするのです。ところが綾瀬にはそのような感慨が湧いてくるような予感はないのです。その差は一体全体どこら辺にあるのだろうか。どうもよくわからないのです。綾瀬には御茶ノ水なんかより良い酒場が数多くあるし、お気に入りだって何軒も当然あるのです。と書いていてなんだか分かったような気がしてきました。そうお気に入りがそこここにあると馴染みになるようなお店が少なくなってしまい、馴染みの酒場のない町というのはやはり愛着が湧いてこないようなのであります。そんな綾瀬でともすれば愛着を持てると思う酒場にたまたま立ち寄ることになりました。果たしてこの酒場はぼくに綾瀬が愛着ある町となるための足掛かりとなってくれるだろうか。「立ち呑みコーナー 江戸っ子」は、以前は綾瀬駅のガード下に店を構えていました。神田や新橋なんかのガード下とは異なって人の往来も疎らで、どこかしら大阪のどこかの町みたいな東京っぽくないところが気に入って時折お邪魔したものです。しかし、どういった事情によるものかガード下の整備が行われると同時に少し外れの住宅地に移転を余儀なくされたのでした。知人のご実家がやはり綾瀬駅のガード下で長年に亘ってとある商売をなさっていたのですが、賃料の引き上げに耐え切れず閉業に至ったと聞きましたので、凡そ似た話があったのだと思われます。移転先のお店は民家のような佇まいで、それはそれで不可思議な趣きがあるものの、以前の場末情緒を好んだ者としてはどうも馴染めなかったのでした。でもそう長くはないものの歳月を経ることで町にもしっくりと馴染んできたようです。実際、久し振りに入った店内は移転当初ののっぺりと白々しい印象からはいくらか生活感が染み入ってきたように感じられます。お客の入りも相変わらず良さそうで、むしろ以前より活気があるようにも見えます。もともと常連度の高いお店でしたがその傾向は一層増したようです。ミートボールにシメサバ、いぶりがっこにチーズや焼鮭などなど、100円台からのお手頃な価格帯なのでついつい欲張って注文してしまいます。安くて旨くてやはりここはいいなと思い始め頃です。事件は勃発しました。と書くといかにも大袈裟ですが、常連の一人から嫌がらせ行為を受けるに至ったのです。その詳細は割愛しますが、いかにも不愉快極まりなくて大いに憤慨するに十分なのでした。この常連ばかりのお店には、どうやらいびつな連帯感が生じており、余所者を排除するような傾向が生じているんじゃなかろうか。店の方はいい人ですが、そうした状態を放置するのはやはりまずいんじゃないだろうか。同じ客同士なのだから常連だって一見だって、適切な距離感を保てるような舵取りが店側にも求められるべきと思うのでした。
2021/03/22
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BS-TBSの月曜日の夜は、時間さえあれば『吉田類の酒場放浪記』を眺めたり、終了1時間ちょっとしてから始まる『町中華でやろうぜ』と視聴することもありますが、いずれも必ずしもよい視聴者であるとは言えないようです。でもまあ国から自粛要請が発出されている現在にあってはそうした番組を見ることで、見知らぬ町で呑んでいる気持ちにならぬものかと気分を盛り上げようとするのでした。でも実際にはテレビはテレビ、映像に過ぎぬから臨場感などあろうはずもないのでありまして、要するに良さそうな雰囲気の店が出ていたら参考にしたいといった程度を目当てにしてこれら番組を見たりしているのでした。中華飯店で呑むというまあタイトル通りの内容の後者を眺めていたら、舞台は綾瀬の回でした。結構回っていると思っていたので、どこが紹介されるのかなと訪れた店の現状を見るというのはそれはそれで興味があるもので、散漫な気持ちを少しだけ引き締めて画面を注視したのです。するとハシゴする二軒ともに訪れていないようなのです。メモを見てもやはり行っていないようです。とまあそういうどうでもいいような事情で初訪の中華飯店にお邪魔することにしたのでした。 外観を一瞥した限りでは中華料理店ばかりか飲食店であることすら判然としない「金華」にお邪魔することにしました。本当はもう一軒の「チャイナ」というお店の方がぼくの趣味に近いように思うのですが、思い立ったこの夜はちょうどお休みのようでした。なので、「金華」にお邪魔することにしたのですが、このビルには見覚えがある、というよりは「磯吉」「食事処・酒処 綾瀬のあや亭」「九州チャンポン」という3軒が住所が一緒なので同じビルのテナント店だったはずで、酒場巡りメモによると3軒とも伺ってはいるようですが、まるで記憶にないばかりかすでに現存もしていないようです。まあ、それはともかくとして店内はすでに6割以上が埋まっている状態で予想外に繁盛していました。食事だけというお客さんは少ないようで、皆さん、キープしボトルからコップへと焼酎を注いでいたりしました。お通しはさつま揚げとウインナーのおでんで、これはボリュームがあります。豚キムチ炒めや鶏の唐揚げとさらにボリュームが増すメニューを注文してしまいました。いずれも町中華の味わいというよりは家庭料理の延長にあるような印象を受けました。ちょっとは野菜を取らねばと目に留まったのが300円のサービス品のタンメンです。でも、さらにお客さんが入ってこられたので、そろそろ席を譲ることにしようと注文をグッと堪えて次のお愉しみに取っておくことにしたのでした。
2021/03/10
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こうして毎日ブログを更新していると、ぼくが相当なお喋りであると勘違いされるかもしれませんが、本来のぼくはそれなりに喋りはするけれど、必ずしもお喋りに分類されるような者ではないのです。だから、例えば気の合わない上司や同僚と呑むことになったり、知り合いの独りもいないような会合で呑むことになったとしても、だんまりを決め込むことはそんなに苦痛ではないのです。むしろそんな時に気を遣ってこちらに構ってくれようなんて人がいても有難迷惑でしかないのです。つまり何が言いたいかといえば、飛沫感染の原因となりそうな宴席に着かねばならぬことになっても、大人しく黙々と呑んだり食べたりで存分に楽しかったりするのです。この夜は、何ともけったいなことにぼくと似たような性格の人が集まらざるを得なくなって、そして似た者同士なので互いの気持ちを察することになったせいかとても静かな呑み会となったのであります。 お邪魔したのは、「味問屋 明日香 北千住本店」であります。こういう時期にちょっとした宴席をするなら、店を貸切ってもらうか個室とするような気配りが必要なのかもしれないけれど、実際にそうするのはなかなか難儀なことです。でもこの夜の面々は比較的おとなしめだったけれど、それでも立派なことに個室を予約してくれていたのでした。いつものように独り、もしくはせいぜい2、3人で呑むのであればそこまでする必要はないのかもしれませんが、5名を超えたら個室にしたほうがいいかもしれません。他のお客の迷惑になって互いに嫌な気分になっても詰まんないですから。なんてことはともかくとして、こうした懐石風にゆるゆると料理が出てくるのは実は嫌いではありません。幕の内でも松花堂弁当でも構わぬけれど、お節料理と同様にゆっくりと自分のペースでいただけるのもいいけれど、時には食べ頃の料理を適切な順序で摂取するのも悪くないものです。でここの料理はすっごい旨いと唸るようなことはないけれど、いずれもちゃんとしていて次の品が供されるのが楽しみに思えるのです。持込料を支払えば好みの酒と併せていただくことができるのも嬉しいサービスです。でもこういう致せり尽くせりの呑みというのはやはり肩が凝るもので、年に1、2度のお楽しみで十分です。
2020/12/25
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亀有に限った事ではないけれど、都会には眼前に晒されているにも関わらず相当に注意力があるか、余程に運のあるー良いか悪いかは不問でありますー方でないと気付かず見過ごしてしまうような店が少なくありません。そうした店も客商売だからある程度固定客だけでやっていく事を決め込んだお店以外は、それなりに集客のための努力や工夫を払っているものです。会員制だったり口コミを戦略とするとかいうのは逆説的にその秘密めかしたやり方が宣伝としての効果を期待しているわけでありまして、まあ多くの店主さんが現状の人員で対応可能で人が切れぬ程度の集客はしたいはずなのです。いや、もしかすると奥さんなりへの言い訳として店を開けてはいるけれど、客など来てほしくない、つまりはアリバイ作りとしての見せかけの商売だったり、税金対策などの事情もあったりするのかもしれないけれど、これから訪れようというお店はそれなりに儲けたいという意思を感じさせるから、どうしてああも目立たぬのか不可解に感じられるのでした。 でも、改めて写真を見るとこの店が通りに面しているから居酒屋であることは明瞭であるし、赤提灯まで飾ってあるからこうしたテンプレ風の飾り立てに弱いぼくのようなタイプの酒呑みであれば見逃しそうもないお店ではあるはずなのですが、まずこれを見てもこの店が「居酒屋 鈴」というお店であると瞬時に認識し得るのはかなり困難に思えるのです。店内は小奇麗で極めてあっさりとした、場合によっては早くも下火のタピオカ屋風のカジュアルでチープな内装でありました。でもカウンターだけで白木のちょっと良い建材を用いています。初老女性が独りでやっていましたが、実は娘の手伝いをしているとのこと結局最後までその娘は姿を見せず、これはもしかすると実母に仕事を任せて売り上げは自分のポッケに仕舞おうという魂胆があるのだろうかという考えが脳裏を過りますがまあそうしたことはないのだろうな。お通しは枝豆と南瓜の煮付け、これは母上の作のようです。肴は値段はそこそこで量は控えめと思ったけれど、お新香はお手頃なのに量も多く、味もいいからお勧めです。それからホッピーの中の量がかなり立派な量を注いでくれるので、呑み過ぎに注意が必要なほどでした。だからここはお通しの次はお新香で、ひたすら酒場のリレーをお楽しみ願いたいのです。
2020/11/13
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根が暗いし、貧乏性、しかも横着でもあるものだから休みの暇な時間には、ストリートビューなど眺めている事が少なくありません。以前も書いたかもしれませんけど、このサービスにはバグなのか意図的な差別化なのか知るところではないけれど、地図の縮尺や直接店名や住所を入力しない時など適切な条件が揃わないと表示されてこない施設やら店舗なんかがあったりするのです。しかも先のものと同じはずの条件を入れてみても必ず再表示されぬこともあったりして、そうした曖昧さを嫌う人には苛立ち以外の何ものでもなかろうと思うのだけれど、単なる暇潰しと思ってみるとこれはこれで宝探しめいていて悪くない遊びなのです。そういう遊びの過程で思わぬ拾い物に遭遇する事があります。そこもまたどうも条件設定にブレがあるらしく、何らかの弾みで出没したり消滅してみせたりと、やった事はないけれどロールプレイングゲームの宝箱めいたみたいで一興なのです。竹の塚駅の西に十分も歩かねばならぬだろうか、いかにも住宅街めいた入り組んだ路地の一部にその中華飯店はあるらしいのだけれど、チラリとその周辺を眺めてみると何軒かの居酒屋なんかも散らばっているようです。これはもう躊躇するべき理由などあるはずもありません。よもやその見え隠れする中華飯店らしき店舗が閉業していたとしても他にもいくらも立ち寄るべき酒場があるはずです。 見つけたのは「中華料理 かずさ」というお店です。現役かどうか見た目だけでは測りかねたので、万が一の場合は近隣にそれなりに入れそうな酒場を押さえておきたいのが人情というものです。と常に予防線を巡らしておくような小審査がいじましいわけですが、遥々歩いての空振りはやはりダメージが大きいものです。ということで、竹ノ塚駅からとぼとぼ歩いてやって来ましたが、現場に到着してもそれらしい店が見つからないのです。いや、結果見つかったのですが、ご覧のような慎ましい構えなもんですから目立たぬこと甚だしい。御覧の通り営業していました。でもでもですよ、この日の仕込んだスープが切れてしまったとのことで、女将さんに丁重にお断りされてしまったのですね。なんということか。でもまあ店の外観の老化ぶりからすると店内は案外古ぼけていないし、女将さんなどはまだまだ長いこと続けてもらえそうだから当面は安心だろうと思うのです。 気を取り直して、数軒ある酒場から「居酒屋 若竹」を選びました。こちらもそれなりに枯れていていい雰囲気です。見るからに地元密着型の老舗酒場です。戸を開くと2卓あるテーブル席は埋まっており、カウンター席に辛うじて空席を見つけました。奥には座敷があるけれど、こちらは専ら手荷物置きとして使われているようです。物静かな女将さんが一人でやっておられるのですが、それなりのご高齢のようで常連のお姉さんが手伝いを買って出てテキパキと配膳してくれます。肉じゃがやマイタケバター焼など家庭料理的な肴がそろっています。お通しはコリコリした海藻らしきものの入ったかぼちゃサラダでした。これらがどれも実によい味付けでほんの少し濃いめに調理されていてとても旨いのです。家庭でこの味を出そうと思ってもなかなか出せそうもありません。なるほど常連さんたちが足しげく通うはずです。わざわざ足を伸ばして訪れることもないと思うのですが、ぼくと同じように中華飯店で空振りしてしまったら立ち寄ってみて損はないと思います。
2020/06/15
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新京成線も都心から比較的近距離の辺境路線だと思うのですが、もっとずっと都心寄り、いや都心という架空や場所の定義次第では、都心そのものにも辺境路線はありそうです。都電荒川線もそうだろうし、つくばエクスプレスも都内の駅は少ないけれど恐らくはそう見做しても良さそうです。都営三田線や大江戸線も然り。しかし、それよりさらに日暮里舎人ライナー沿線は、相当に辺境らしさを顕現していて愛さずにはおられぬのです。愛を表明することからもお分かりのとおりこれは微塵たりとも馬鹿に使用などという意図は孕んでいないので誤解のなきようくれぐれも解釈にはご注意をいただきたいのです。ちなみに日暮里舎人ライナーの他の路線と比較して特筆すべきが始点の日暮里やそのお隣の西日暮里はともかくとして、途中同じく辺境路線の荒川線が熊野駅で交錯するだけで後は孤高の道を北上するばかりなところです。と余り穿ったことを書き進めると東武の大師線や千代田線の視線、西武線だってかなり盲腸的なはみ出しもあるから、ここいらで話を元に戻すと、この路線でもとりわけ田舎びた舎人公園駅で下車してみることにしました。 まあ、駅名にもあるとおり駅の東側には60haを越える巨大な区立の公園があるのだから本当に田舎っぽいかといえばそうではないのかもしれません。けれどまあ、この公園や駅の反対側にある北足立市場を目当てにする以外はほぼ地元の方しか利用する事はなさそうです。こんな駅前だから商業施設らしいもののそうはなくて、人通りも極めて疎らなのです。そんな寂しい道を十分は歩いたでしょうか。いかにもけして便も良くないからと地元客目当てに商売をしているらしき何軒かの飲食店が出没し始めます。こういうのがばくはやっぱり好きなのだよなあ。その中でさり気ない構えながらこうした辺境の地にふさわしい風貌を備えた「伊興屋」に入ることにしたのでした。外観こそ質素ですが、店内はもっと質素で余分な要素を極力そいだような地味さですが、この飾らない加減が実にいいのです。開店当初は勢いで賑々しく店内を飾ってみたもののそれが経年劣化してボロくなるだけならともかく、ばっちい感じになり果てているのをしばしば見掛けるがそれはちょっとどうかなあと思うのです。むろん、そういうのも好きだけれどね。さて先客は2名、店の収容力を考慮するといささかに寂しくあるけれど、これがまたいいのです。店の親し気なムードのご夫婦と職人風で気のいい常連に交じっての会話が他愛ないけど実に楽しいのです。酒の肴は数多くはないけれどいいところを取り揃えていて、どれも普通に旨いのだ。いつかこういう町外れに住んで、週に一度程度のペースで馴染みの店で寛ぐのも悪くないなあと思うけれど、こうした店がいつまで続けられるのかに思いを馳せると不安が募ってしまうのでした。
2020/06/11
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牛田には、ひと頃矢鱈と通い詰めた時期がありました。まあ、牛田も書きはしたけれど、改札の向かいは京成本線の京成関屋駅だし、実際にはJRの北千住駅から歩いて向かうのだから、訪れる土地のヴァリエーション工作とでも理解くだされば宜しいかと思うのです。でも牛田でも京成関屋でもちょいと歩くが北千住の奥地と思っていただいても少しも差し支えないけれどとにかくこの界隈のことは、妙に好きなのです。どこがどう好きかと問われると絶句してしまうのでありますが、じゃあ住みたいと思うのかと問われたらそういう意味ではないとまったくもってはっきりしない。好きなものは好きというトートロジーは御免だよと言われるとそれも違うと反論したくなる。例えば、川が近いとか、路地がうねっていて迷路のようだったりとか、住宅街にぽつねんと店があったりするなど好きな要素はいくつもあるのです。でもそれが住みたい要素となるかと言われればそんなことはないし、じゃあ好きなものかと言われればもっと面白いエリアもある気がしてくる。とにかく何となく好きで気になる町のやはり住宅街のうねうねした路地の奥にある中華飯店を訪れたのでした。 以前、脇を通り抜けただけだった「中華料理 建龍」を見つけるのに雨中しばし迷ってしまいました。以前と書いた以前はもう5年以上は経っているのでありまして、この界隈の複雑で入り組んだ道を歩くだけでも危険なのにもともとが朧げな記憶を辿っているのだからそれもまた当然であります。でもまあ案外あっさりと発見に至ったのは幸いでありました。酷い雨だったので、長々と歩き回るのはやはり憂鬱なものです。外観のごちゃごちゃした風情を味わう暇もなく、店内に滑り込むと常連が店主と親しげに話しこんでいます。小上がりという気分でもないとなると彼らの間をすり抜けねばならぬのですが、すぐに店主は厨房に引っ込んでくれました。その席には立派な座布団が敷かれていたから古株の常連が来たりするんじゃないかとも思ったけれど、気にせず腰を下ろすのでした。さっそくウーロンハイを注文。さて、何を摘まもうかなと思ったら、女将さんが出前の皿を下げにいっていたらしく、戻るとすぐに今晩大雨になるのよなんて仰ってる。そりゃたまらんなあと思っていると、ご主人が、それじゃあもう閉めちゃおうかなんて言ってるから、これは長居はできんともやしそばを注文しました。大根煮付けでウーロンハイを啜っていると、あっという間にそばが届きます。とろとろ系でないのが残念ですが、野菜たっぷりなのはうれしいところ。薄味のさっぱり系で、しかも量も多いからすっかり腹いっぱいになりました。するとそこに会長だったか社長と呼ばれる常連も登場。なんだ、この様子だとすぐには店は閉まらないだろうなあ。でも早く帰れよと天気に促されていると思って引き上げることにしました。
2020/02/26
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北千住について、書くこともすっかりネタが尽きてしまった。ちょくちょく行く割にはどうも好きになれないのは、北千住の町並みが旧街道の面影をとどめているとか喧伝されながらもぼくにはどうも他所のちょっと大きめの町と余り変わり映えせぬ無個性さに染まりつつあるように思えるからです。あとはこの間も書いたけれど、駅の構造が立体化しつつあり、ダンジョン化しつつはあるけれどパソコン黎明期のラインを引いただけの単調極まりないそれのように感じられ単に階段をやけに上下させるばかりの苦痛のみが印象に残る、つまりは嫌な駅舎構造となっているのが心底うんざりとさせられるのです。でもまあ駅から脱出してしまえば構わぬじゃないかといえばそうでもなくて、とにかく人通りが多い。以前はあまり人気のなかった東口の学園通りにも人が溢れ、もうホントやだってなってしまうのです。だからという訳じゃないけれど、時には人込みを避けたいがばかりに気取ったお店に飛び込んでしまうこともあるのでした。この夜はスポンサー付きだったのでそれでいいのだ。 お邪魔したのはちょこざいな料亭風の外観でわざとらしくもあざとい演出で飾っている「牡蠣と燻屋 かつを」であります。同行した人たちはこのあざとさが案外お気に召したようであるからぼくもそれに同意して見せますが、そんな姑息な反応はきっちりと見抜かれていたようにも今となっては思えるのです。店の方も若くておしゃれっぽい人が多く、実際に応対してもらうとすかした外観とは異なりなかなか好ましい態度と振る舞いで好感は持てます。さて、ここは牡蠣がお勧めらしいからまずはこれをいっておかねば話になりません。生牡蠣と牡蠣グラタンという豪華なオーダーで、これとお通しだけでぼくの普段の呑み代になりそうです。店名が「かつを」でありますが、お勧めされたのがスモークされた分厚いカツオでした。これはいささかスモーク臭がきつ過ぎて、いかにもやり過ぎな手間であって、逆に素材の良さをぶち壊している気がしました。なんてまあグルメぶってみても仕方ない。こういう店ではゆったりした空間の快適さを存分に堪能すればいいのであります。その点に関しては日頃、窮屈な思いをして酒を呑んでいるからたまにはこういうのもいいなあと思えるのでした。
2020/01/13
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北千住について書こうとすると、書いては捨てを繰り返すことになります。北千住がどうにも好きになれぬのは、駅の構内が上下に行ったり来たりするところにも原因がありそうです。例えばJRから東武伊勢崎線に乗り換えようとしては、上り下りを繰り返したり、千代田線からつくばエクスプレスに乗り換えるときにもやはりやたらと長い移動を強いられたりと、どうも印象が良くない。新宿や池袋、それにそうそう、近頃の渋谷なんてその鬱陶しさが極限に達したかのような使い勝手の悪さで、想像してみただけでも面倒で仕方がないのです。単に北千住駅を目的地に出向く場合はさほど面倒ではないことは分かっているのだけれど、いちいち階段を上り下りする苦労を想像するとどうしても足が遠のいてしまうのでした。その事情は赤羽にも似たところがありそうです。そう、ぼくには上昇志向が希薄なのです。社会的地位とかそういう事ではなくて、端的に高い所が好きではないらしい。しかし、この話題は語り出すとキリなく語れてしまいそうだから、本題に入ることにします。 で、お邪魔したのは、ビルの上階でも地下でもない路面のお店、「ここのつ」です。ここのつねえ、何かこの店名からして意味ありげで思わせぶりな感じがするのがちょっと気になりますもともとは意識高い系の定食屋らしいのですが、名物がレバニラ炒めというのもやはり気掛かりです。こう書いているうちにここのつの由来の意味が見えてくると思えたけれどそうはならぬようだから、話を先に進めるのだ。低価格の肴、いやここでは定食に添えるサイドメニューということになるのだろうけど、それが酒の肴にピッタリなのです。いろんなものを頂いたけれど、糠漬けとか卵焼きなどを頼むだけでもその実力はよく分かる、どれもこれも丁寧な調理で特にオムレツのような卵焼きには鶏挽肉が混ぜ込まれていて、これそのままに白米にぶち撒けて掻き込んだら新しい親子丼として一品になるんじゃないかな。無論、自慢のレバニラ炒めも抜群で、独り客がこぞってこれを頼んで一杯やってるの分かる気がするなあ。こういうのは酒の肴でシェアするより独り占めしたくなるものです。とまあ、料理には満足ですがアルバイト君の修行が足りぬのか、とにかくサービスの提供に時間を食い過ぎで酔うに至るのに時間を要するのです。その点はもう改善の余地があるかもしれぬけれど、ともかくもし今度来るなら独りで利用する事にしたいと思うのです。
2020/01/06
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酒場巡りを始めたばかりの人ならば、北千住をその振り出しにするのはとても多様なタイプの酒場もあって、だけれどもそんなに数多く押さえておくべき酒場があるということもなくて、まあ無難かつ効率良く有名酒場を経験できる良いエリアだったかもしれません。異論もなくはないけれどそれを確かめるためにも行っておきたい東京三大煮込みで知られる酒場、オオバコで客の絶えぬ串揚げ店と割烹崩しを自称する二軒の立呑み、酒屋の酒場、都内では珍しい串煮込みの古参酒場、千住を店名に掲げる大衆居酒屋。取り敢えずはこの辺を巡っておけば、一端の酒場好きとしては充分なのだろうと思うのです。その先はマニュアルから離れて気になる酒場に飛び込めばそのうちに真の酒場好きとして一目置かれる存在となり得るかもしれない。ともあれ、北千住の酒場に概して言えるのは、激安酒場が少ない一方で、高級なもはや酒場とは呼び難い店もそう多くない、安直に語ると庶民的な店が主流なのであります。無論、自身がそうした高価な店を敬遠してきたからではないかという憶測は半分以上、正しいのであるけれどあらゆるタイプの酒場を知っておきたいという意志があるぼくには、近頃北千住に出没しているやけに食べログ評価の高いお店が目障りで仕方がないのでした。まあ単に俗物根性が根深く己の欲望と手を取り合っていだけなのですが、これは今更の矯正は困難なのです。 特に駅の東側に東京電機大学が移転して来てからその傾向は加速したようです。その一軒、完全予約制の豆腐、いや湯葉料理のお店は既に伺っています。予約困難という障壁を含めここでは書けぬような私的なトラブルも何とか回避してやっとの事でお邪魔した、その辛い記憶からまだ解放される事がなく、この度、お邪魔する事になった「旬の趣 凛」に電話予約するのはとんでもない重圧に思えたのです。こちらは食べログ評価が高いばかりでなく、ミシュランガイドの廉価版とされるらしいビブグルマン認定でもあるようなのです。他人の評価、しかも食い物への評価などどうだって構いはしないとうそぶきたいところですが、以前お邪魔したとあるビブグルマン認定のお店がものすごい好みと合致してしまったから、同じ味覚の持ち主(かどうか定かではないけれど)の好みに合う店とあっては、一度は来ておきたかったのです。すぐそばにはこちらも食べログの抗評価居酒屋の「是屋」がありますね。普段はこじゃれた予約が必須のお店など小馬鹿にしているのに、いざ来るとなるとウキウキするのだからみっともないったらありゃしない。しかも予約の電話を前日にかけたらあっさりと通ってしまうのだから、これはもしかするとぼくとこことの相性がいいと思い違いしても仕方のないことなのです。大体、この日のスポンサーとなる方は過去に2度も予約が一杯で苦汁を呑んだ経験があると聞かせられるとそう勘違いするのも無理からぬことなのだ。店内は至って穏当な感じ。お隣の卓席のおっさん二人は電大の関係者だろうか、会話の中身からそう推測されるが交わされる会話は至って退屈なのだ。あとの客たちも続々と押し寄せてきて、それがこぞってカップルなのがいただけないねえ。酒場ではカップルなんぞは鑑賞の対象となるべきものであって、むしろおっさんグループのわれわれこそが浮いていていいはずがないのだ。しかし、しかしですね確かにこちらの肴は美味しいのであります。単なる枝豆がどうしてこうも旨いのだ。カキにしたところでいくら近所のスーパーで高級なのを買ってもこんなに旨くはならぬのだ。だけれどねえ、枝豆ちょっぴりが500円はまだしもカキ1個が420円はぼくにはとても無理であります。420円があるなら酒の1杯を選ぶはず。だけれどここでは酒の一杯も420円は無理なのだ。ここはデートか接待のための店であり、ぼくの思うところの酒場ではないのであると結論したのです。 スポンサー付でもさすがに長居はできません。ぼくはどちらかといえば安くていい店を知っているという見立てにより店選びを任せられるのだから、次は何とか手頃な店で挽回を図らねばならぬのです。であれば安全性の高い知った酒場にハシゴするのが常套策となりますが、そうはできぬのがぼくなのですね。前々から気にはなっていたけれど決定打に欠けて通り過ぎていた「落花生」にお邪魔することにしたのでした。店の前面に貼紙がしてあってお得らしいのも知ってはいたけれど、扉に酒と骨董とかいう記載があったと思うのだけれど、どうも骨董というのが酒場としては本気度が引くというかとにかく気乗りしないのであります。というのが骨董品を扱う喫茶というのが案外多くて一つのジャンルとして括ることも可能だと思っているのですが、こうした店は内装は純喫茶とは程遠いものの雰囲気なんかはそれなりに悪くなかったりはするのですが、これを酒場でやられてしまうとサロンとかみたくなってしまいそうで、趣味の延長線上、つまりはついで仕事であるような印象を受けるのです。だけれどそれは杞憂だったようです。むしろ趣味でやってることが良い方向に結実しているようで、お新香などのなんでもない肴は実にぜいたくに盛り付けてくれているし、酒もボトルで頼むとすごいお手頃です。多分、氷や水に追加の料金など掛かっていないのではなかろうか。そして横着して写真は撮らなかったけれど、〆に頼んだやきそばがすっごいボリュームなのです。いかにも自分の家で作ったようなごくシンプルなやきそばなんですが、こういう普通の品で〆るのがいいんですね。つまりここはおっさんたちが落ち着いて寛げる非常に使い勝手の良い酒場であったのです。
2019/08/07
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北千住ではいつだって呑み屋探しに悩まされます。それは必ずしもぼくの身勝手な拘りが原因という訳でもなさそうです。とにかく北千住の酒場というのは、(1)どうこもかしこもやたらと混んでいる、(2)その癖、収容力の低い店が多い、(3)どれもこれもが似たり寄ったりで選択の基準が混雑具合に頼らざるを得ない、といったぼくも日頃の選択基準とは相容れぬようなポイントに悩まされることになるのだから面白くもなんともないのであります。だから北千住で呑むのは気乗りせぬのだと言いたいところだけれど、交通の利便性の良さは界隈随一であるし、だからこそ皆さんこぞってこの町で呑むのは非常によく理解できるところだから仕方がない。 それにしてもこの「もつ焼 つみき」でありますが、お気付きの方もおられるであろうけれど、ぼくは迂闊にも程があるということになるけれど、全く気付けなかったのです。先般、この系列というか恐らく創業店で呑んだばっかりだったんですけどね。こちらは「もつ焼 つみき やぐら」なんて店名であるらしい。どうして“やぐら”なんてのをぶら下げたかは分からぬけれど、もとの店が手狭になったので、広い店舗にグレードアップしたということでしょうか。わざわざ店名に付けたししたのだから、きっと元のお店も今までどおりに営業を続けているのでしょうね。それにしてもつい先達て訪れたばかりにも関わらず、もつ焼でアブラを出す店はまだまだ希少なのだよなんてエラソーに語っていたのに、ここにもアブラがあるのに同じ店と気付けないのはやはりうっかりし過ぎだろうな。しかも、それが同じようにこれは旨いなあ、そういえばこの間も旨いアブラを食わせる店に行ったんだよなあなんて語ったりしたのだから、これが知れたらみっともないの極地なので知らんぷりするのです。5名ほどいたのですが、あっさりと入れてしまったので最初はこりゃ、ダメなお店を選んでしまったかと舌打ちしたものですが、同行者も皆好意的な評価を下してくれたし、当然と言うべきかものの30分も経たぬうちにほぼ満席の大盛況となったのです。これは次の店舗探しも始めているのかもしれませんね。商売繁盛は結構ですが、余りに拡大路線を突き進んで残念なことにならぬよう期待します。
2019/07/16
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北千住で呑もうという事になりました。総勢6名と少しもこぢんまりしておらず、しかし団体というにはもの足りぬ半端な人数でありまして、さて店選びを任されたぼくはハタと困ってしまいました。ご存知のとおり日頃、独りで呑むことが多いぼくは宴席が大の不得手なのです。というか普通の居酒屋で普通にセッティングするのなら少しも悩んだりしないで済むのだけれど、妙な責任感が普通であることを自ら拒否して仕舞うのであります。さすが毎晩呑み歩いているだけの事はあるなあ、とか期待通りの渋いセレクションだったよとか、人によってはどうだっていいような賛辞に晒されるのが嬉しくてならぬのだから困ったものです。仕事でファインプレーして褒められたって、褒める位なら報奨金でも出してほしいよ程度にしか思えぬのに、趣味は仕事を優先するにも程があるというものです。それに加えて、できることならこれまで行っていない居酒屋に行きたいなどと思ったりするのだから混迷の度合いは否も応もなく深まるのです。挙句の果てには、初訪の店であることはすっぱりと諦めることにするのですが、かと言って私的な好奇心を封じ込めたからといって首尾よく目的が達せられるかというとそうはいかぬのでありました。 そこで思い至ったのは「きそば 柏屋」でありました。ココは先般お邪魔して非常に好感度の高かったお店なのです。蕎麦屋呑みってなんてなかなかに大人っぽくてカッコよくないですか。粋を装ったセレクトしやがって、しゃらくせえな、コノヤローとか言われつつもその言葉とは裏腹にそんな選択肢を隠し持っているぼくへの嫉妬心を敏感に嗅ぎ取るなんて情景が脳裏に浮かんでくるのです。そうしたぼくのこだわりの店選びは、すぐさまに宙吊りにされることになるのです。前回の訪問で二階席があってそこが座敷になっており、それなりの大人数でも対応できると検討をつけていたのです。さらにはホームページをチェックして予約ができぬ事を確認していたから6時前に入れば席の確保に難儀はなかろうという当たりをつけての訪問だったのですが、これが大ハズレ。一階の卓席に一つ空きがあって、後は二階も含めて全部埋まっているとのことなのです。椅子を2つ用意してもらえぬか頼んだけれどそれはできぬというのです。何とご無体な。などと嘆いてみても仕方がないので取り敢えず先着した3名でビールなど頂いてみる。その間にどこか席に空きが出るかもしれぬと考えたのです。しかし一向に客たちの引き上げる気配はないのだ。蕎麦屋呑みで長っ尻はみっともないなと毒づいてみせるけれど、彼らにしたって席に着いたばかりかもしれぬのだ。という訳で、蕎麦屋で蕎麦も食さず、蕎麦前すら注文せぬという暴挙にて退散することになったのでありまして、さらには笑顔の素敵なフロアー担当のお姉さんには大変に恐縮されたりもして、むしろこちらが恐縮することになるのでした。 で、結局、「じんざえ門」にお邪魔したのです。闇雲に当たりをつけては飛び込んで人数を告げてみたけれど6名だとなかなかに収容てきる店などないのです。だから呑みは独りが良いのだと思いながらも今宵の店選びを引き受けた以上は何としても手早く店を決めねばならぬと、キツイ重圧を背に受けながら駆け回って見つけたのがココだったのです。酒場好きなどと言ってあちこち行っていても、所詮はこの程度なのです。ぼくの知識などたかだか独り呑みのできる安い酒場ばかりでちっとも実用に供せぬのです。それでもどうにかこうにか辿り着いた何年ぶりかのこの酒場、席に着くとなかなかに居心地が良いではないですか。店名の締まりのない―どうして全てを漢字にて表記せぬのだ―のがネックになり、長い事放置してきたけれどこれは案外悪くないようだ。だから見てください。顔はまるで見えぬだろうけれどみんな何だか無茶苦茶楽しそうじゃないですか。いつもの繰り返しになるけれど呑みの場なんてのは酒さえあれば、それが旨いとか不味いなんてことや独りとかグループであるかとは関係なしに愉快な時は大いに愉快になるものだし、しんみりしたい時はどっとしんみりできるものなのです。そんな場を提供するのが居酒屋なのであって、個室居酒屋ではこうは盛り上がれないだろうなと今宵の失態を自己弁護するのでした。
2019/07/06
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北千住については、もはや語るべき事はほとんど残されてはいないようです。まあ、これまでにしたところで北千住について語ってみせるよう振る舞ってはいたけれど、その実、相も変わらぬ個人的な雑感などを呟いていただけなのだから、結局は北千住という町と向き合ったことなど皆無なのかもしれません。ともかくも言えることは北千住という町をぼく自身余り好んでいないという事なのです。何故に巷間では北千住を斯様に持て囃すのかがぼくには常に不可解なのです。ならば行かねば良いではないかという最もな意見もあるけれど、それには聞く耳持たぬのであります。好むと好まざるに関わらず行かねばならぬ時というものが人生には付き纏うものであります。この道理は、きっとご理解頂けると信じたいのであります。いやまあ、今時の若者というのは呑みの誘いも平気で断るらしいし、そもそも呑まぬ事を自然とするを信条とかそういう重苦しい意思とは無縁に自明の事と弁えているらしいのだから、お話にならぬのです。まあ、そうした人達がこのブログを目に止めることなどありえぬだろうし、ぼくの身近にそうした人物はおらぬのだから気にすることなどではないのです。さて、ともかくも好きでもない北千住で呑む事になった以上は不愉快な気持ちに陥らぬよう無欲無心にて臨む事にするのでした。 ということで、とりあえず会合の前に「手作り居酒屋 甘太郎 北千住店」に立ち寄ることになっても何の不満もないのであります。会合の場所からも近いし、何よりまだ開けていない酒場も多いのだから選り好みなどせずにここを即決した上司の決断力にまずは驚かされるのです。しかし、店に入って驚かされる事になるのです。それはこのお店、店内が恐ろしくオオバコでしかも内装がチェーン店の居酒屋とは隔世の観があります。写真だといまひとつ伝わりにくいかもしれぬけれど、案外ユニークな内装が施されていて、もしかすると別な業態のお店を射抜いたのではないかと想像しました。「甘太郎」なんて10年以上来たことはなかったけれど、こんな雰囲気ではなかったと思うのです。まあ、これはあくまでも想像に過ぎず、どこの「甘太郎」でも似たような内装なのかもしれません。ここは焼肉屋仕様の店舗らしくて、本来であればそれを食べずに感想を述べるのもどうかと思うのですが、面白い店内だったのであえて報告しておきます。 さて、会合の会場は「イタリアンバル 2538(ニコミヤ)」でした。ここもまた実はさほど語るべきことはないのでありました。店名がニコミヤと読ませるのですが、別に煮込み料理のお店という訳でなく、極めてオーソドックなイタリアン風料理を呑み放題込みで3,000円というそこそこお手頃な価格で提供してくれます。料理は至って普通で、ぼくが手作りした方がゴージャスな味わいになるに違いありませんが、まあ普通にいただけるので文句はありません。呑み放題にはスパークリングワインも含まれていて、まあ近頃は安価で販売されているから格別ありがたがる必要もないのですが、ぼくはスパークリングワインも大好きなのでガブガブ呑めるのは非常にありがたいのです。でもけち臭い根性が災いして、やはり呑み過ぎでヘロヘロになってしまったのでした。
2019/05/24
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荒川と隅田川に挟まれて地図上から想像するとトンデモなく窮屈で息苦しい気持ちにさせられたりもする新田をご存知であろうか。などとぶきっちょな語りでもっともらしく話を切り出したのは良いけれど、が実際にこの地に行ってみるとすっかり真新しくなった団地街が広がっていたりするのです。橋を渡る手前で一望してみるとこれはわざわざ足を運ぶのも酔狂でしかないとすら思えてくるのです。北千住から何度かに分けてだけれど、一応この中洲になりそこねたような地図上では魅力的な土地をほぼ歩き通したつもりだけれど、実際には川の存在など余り感じられぬ地続きのようにすら感じられるのです。時折渡された橋にのみここが川に寄り添う町だという印象を感じ取ることができるのでした。そもそも島になりそこねたという―というか気になってウイキペディアで少し調べてみたのですが、ここがこのような宙吊りのような土地として形成された所以がどうも判然としないのです―来歴のお粗末さで、先般火災により焼失の危機を経験したノートルダム寺院のあるパリのシテ島のような高級住宅地にはなりえぬといえば無礼がすぎるかもしれません。ともあれ、少しも異形の土地らしからぬ平々凡々たる町並みは、散策に値せぬとは言いませんが、過度な期待は禁物なのです。しかし、ニューファミリーが移り住むキレイな団地のできるずっと前から地元に根付いていたであろう廃れゆく商店のある景色には時折胸が締め付けられるような感情をもたらされるのでした。 そんな寂しい商店街の端の方に「定食居酒屋 あこがれ」はありました。それにしてもあこがれとは何とも思い切った店名にしたものです。しかもあこがれという単語にはどう想像力を逞しくしても結びつけるのが困難な定食居酒屋という冠を乗っけるのだから、相当なぶっ飛んだ完成の持ち主が店主を努めておられるのだろうなあ。店内に入るとまず目に飛び込むのがお客さんなのであります。今さっきまで気にしていた店主など眼中から逸らされて、大いに賑わしい女性グループを奪われるのでした。地元のマダム達にとってここはカフェみたいな存在なのだろうか。他に飲食店が少ない事もあるけれど、夜な夜な定食居酒屋に集うというのもどうかと思わぬではないのです。まあその一方で主婦にだって自由を謳歌する時間があっても構わないと思う程度の寛容さはあるつもりです。ってこういう言い方が傲慢なのは分かっているけれど時々あからさまな有閑マダムを目撃するとイラっとしてしまうのを抑えることができぬのです。さて、こちらのご主人、どうやら沖縄の方らしくて、同行したO氏が近々沖縄に旅行することを告げるとそりゃまあなんともうれしそうに沖縄の事を矢継ぎ早に語って聞かせてくれるのでした。無論料理も沖縄のものが揃っていて、フーイリチーを注文しました。都内の他の沖縄料理店ではフーチャンプルーとか書かれていて、クーブイリチーとかは良く目にしてイリチーとは煮物に近い料理かなと思っていたのですが、ここでは炒め物であってもイリチーとして提供しているようです。まあ大らかな沖縄だからそんなことはどっちでも構わぬのかもしれません。水で戻した麩を軽く絞って卵をくぐらせるのが秘密ならざる秘訣のようです。すごい美味しいし、きっとヘルシーに違いないから今度自宅で試そうと思ったのですが、未だ実現に至っていません。忘れぬようメモしておくことにしよう。お通しの牛スジの煮込みもたっぷりでしかも味がとってもよろしいのです。さっきマダムたちをディスってしまいましたが、彼女たちが通いたくなる訳も分かるというものです。でも、しかし遠路はるばるここまで訪れるかというと、沖縄に行くよりも厄介に思えるのでした。
2019/05/15
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北千住という町への懸念は赤羽に対するものとは違っているように思います。赤羽には、朝からやっていたりピンクな酒場とは違う比較的純粋な酒場好みが蒸れるという印象があるのに対して、北千住では酒場ゾーンと助平ゾーンとの区別が曖昧なのであります。だったらお前は助平ゾーンも酒場ゾーンも嫌いなのかと問われれば消してそんなことはなくて、予算さえ折り合いが付けばどちらにだって喜んで出向くつもりはあるので、もし、もしですよ、こんなぼくに資金を提供してくれる方がいたとしたなら断る理由などないのです。とかいかにも酔っ払いペースで文章を綴り出すのでありますが、その酔っ払いモードは今に至っても少しも変わらぬからその辺は寛容な気持ちで見過ごして頂きたいのであります。 そんな訳で訪れたは「もつ焼き つみき」であります。随分長い事、こことはご無沙汰していたものです。って、その当時は初めて訪れた酒場のつもりだったのだけれど実は大分前に訪れていたようなのですね。でもまあ覚えていないからその時は新鮮な気持ちでこの酒場に臨めたのであります。でもねえまあ、振り返ってみると店の印象としてはいかにも下町のもつ焼酒場らしい、ワサワサした雰囲気の店だったわけです。それは一向に構わぬ、どころか歓迎すべきことなのだけれど、つい北千住の他所の酒場を模倣しているかに思えてしまうのです。模倣することそれ自体を否定するつもりは毛頭ない。でもどうもぼくには模倣先を意識する余りに退屈なのです。退屈という割にはしつこく呑んだのは同伴者がいたからに過ぎぬのです。そして確かにこちらのお店はとても美味しいのです。けして凄く安いわけじゃないけれど、値段と味のバランスが取れているからそれでもう文句はないのであります。近頃、やけに文句はないという言い方をするのは、日頃文句ばかり述べているという指摘があるやもしれぬけれど、それはきっと正解なのであります。しかし、こうして改めて店を眺めてみると、若い女性客がホントに増えたなあ、とつくづく感じるのです。ひと昔前ではこんな光景はあり得なかったものです。それはいかにも歓迎すべき事ではありますが、以前のオヤジだらけの酒場がやけに恋しくなるのは感傷に過ぎぬだろうか。しかし、ここなどで呑む女性客達は、呑まなきゃやってられんという気持ちで訪れる事も少なくないだろうと思うと、ウッカリちょっかいを出すと酷い目を見そうだなと遠目に眺めるに留めるが宜しいと思うのです。 さて、日を別にして訪れたのは「スタンド 豚とん」です。店頭でぶきっちょに呼び込みする若者にほだされての入店です。店内はそれなりに広めのカウンター席が主体のお店です。カウンターの造りが高目なので店の人と距離感が生じて、独りゆっくり呑みたかったぼくには塩梅が宜しいのです。逆に店の方とのコミュニケーション重視の方には物足りなく感じられるかも。もつ焼は近頃飽き気味だし、先般三郷の美味しい店を知って以来、下手なもつ焼は敬遠する傾向にあります。なんて、毎晩だったのが一日おきになった程度には定番の肴であるという意味ではさほど変わってはいないのですが。ここの肴は定番が一通り揃っていて、幾品かを味見程度に頂いた限りにおいても実にちゃんとしているようです。ちゃんとしているなんて随分高い視線からの発言であるけれどそうなのであります。大抵の肴は自分で拵えた方が美味しいという自負があるから揚げ物などの自宅では敬遠する品をどうしても選んでしまうのです。スーパーなんかの惣菜とそう素材は変わらぬはずなのに、しかも揚げたてを買ってみてもこうした酒場で食べる揚げ物が圧倒的に旨いのはどうしてだろう。表のお兄さんは相変わらず愚図愚図していて役目を果たせていません。店内の従業員たちはそんな彼を眺めては手におえないという表情を浮かべて文句を並べるのですが、その言い方は案外愛情に溢れていて嫌な気持ちにはならずに済んだのでした。
2019/05/14
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北綾瀬は都心にありながら都心とは感じさせぬ強度を誇る町だと思っています。この場合の強度とは、都会の中の都会である事を意味してなどは少しもおらず、むしろそれとは正反する意味合いで述べておる訳です。だからといってそれが揶揄していると理解されてはぼくの本意とするところではないのです。ではと、その真意を語るべきところでしょうが、ぼくの語りでは語れば語るほどに茶化しているとしか解しかねぬ方向に話が流れそうなのでこれ以上は語らぬのが懸命と考えました。ならば強度などという分かるような何も語っておらぬに等しいような言葉になど頓着せねば良いではないかと仰られる方も少なくなかろうけれど、例えそれが酔った勢いであったにせよ、一度書いてしまった文章を消去してしまうのはとても偲び難い事なのです。それが出だしのたった一文であったとして、それをきっかけに続きを書き始めてすぐに、この話題の行き着く先はいつもと同様に蒙昧たるところに辿り着く、いや迷走を余儀なくされるはずだとしてもなのであります。切りがないので早速北綾瀬に話を進めることにします。 この日の目当ては喫茶店の残滓を見に行こうという誠に切ない目的でありました。そこは「喫茶 まがじん」というお店で、北綾瀬を暇にあかせてgoogleの地図上を散歩した際に見つけてはいたのですが、そこは路地中の商店街にあるようで、その在りし日の姿を拝む事もままならぬうちに閉業に至ったと知らされたのです。どうもその事を納得する気になれず、仮にそうだとしても急に思いついて再開していたりするんじゃないかとも期待していましたが、その思いは見事に退けられました。せめて内観を拝めはしないかと通行人に不審に思われぬ程度に観察を試みますがそうした魂胆を見越したかのようにしっかりと目張りされていたのでした。ならばもう一軒、「ピエロ」に立ち寄ることにしました。全面ガラス張りで開けっぴろげという事はこちらの姿も店内からは無防備に晒されているに違いないのです。という事で離れた場所から外観をパチリ。店には近所の若くない善男善女がみっしりとしており、写真を取るような余地はなさそうだし、そもそもそんなフォトジェニックではないのでした。見てくれの良し悪しは地元の普段使いのお客さんには雑物でしかないのかもしれません。 この界隈を歩いているとぐっと渋い構えと看板のみ残す「もつ焼 江戸満」や逆さまの看板の意図するところを聞いてみたくなる「やきとり 光」などを目にしましたが何れも営業しているという気配は微塵も嗅ぎ取れぬのでした。 という事で「中華 定食 つくし亭」に立ち寄ることにしました。もともとが場末の土地である北綾瀬のそのまた外れにある中華飯店を無視して通ることはぼくには出来ません。なんてのは建前で散策に明け暮れた挙げ句に小用ままならぬ事態に陥ったのでありました。外観以上に沈鬱を感じる位に枯れ果てた店内への感慨に浸るのもそこそこに便所を所望するのでした。すると店を出て脇の通用口に回って欲しいと女将さんに指示されるのです。甚だ逼迫していたので余計な想像を働かすこともなく指示に従います。すると玄関から家に入って済ませてねと仰る。無論、こちらには是非もないから暗く狭いトイレに駆け込むのであるけれど、照明のスイッチはいくら探ってみても見当たらぬので、これまでの人生のありとあらゆる勘と経験を頼りに放つしかないのでありました。便所の扉の向かいのガラス戸の先にはか細い照明が滲んでいて、そこに気配を殺して佇む人の姿を思い浮かべると空恐ろしくも感じられるのでした。後で思うと、店の外の便所はたまにあるし、店内奥の住居スペースの商用兼家庭用のハイブリッドというのは珍しいが、飲食店を報告するに、余り下の話ばかりでは少しばかり品性がないというものです。という訳で、やっとこさ便所を脱出し小上り席に戻ってきます。ビールにウーロンハイという流れで呑みました。肴は中華料理に加えて定番の居酒屋メニューも揃っており、きっと近所の皆さんも居酒屋使いをしておられるのでしょう。味とかはこの際どうでもいいのであります。このうらびれた雰囲気とだからこその寛ぎ感さえあれば昼下がりの時間を陶然として過ごすことができるのであります。
2019/04/20
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北綾瀬という町は全く持って扱いにくい町です、端的にはいくら歩いてみても一見は退屈極まりないし、その癖時折たまらなく魅力的な酒場なり飲食店が住宅の陰に忍び込んでいたりするから油断がならぬのです。町を歩いていてものっぺりと町を眺めるだけだともうそれは詰まらなくてこんな土地を歩いていてぼくの残された長からぬ時間を消費してしまっていいのかと思うのです。まるで迷宮感の微塵もない迷路を流離っているようで甚だ虚しく思えるのです。たまたまそれなりの風情を携えた物件に行き当たれば―そしてそれが往々にして現役なのかそれとも遥か以前に門戸を閉ざしてしまっているのか判然とせぬ場合が少なくないのですが―、それはそれで幸運と思えば済むのでありますが、なかなかそううまく事が運べる訳ではないのです。昨夜書いたことを少し読み返して続きを書こうとしているのですが、どうも文意を汲み取れない。自分で書いておきながら他人の言葉というか考えのように思えるのです。と書いてみたけれど嘘っぽいなあ。端的に酔っ払いが何やら書き出したけれど収拾が付かないってとこかしら。言いたいのは北綾瀬という町は単調で退屈に思えるけれど、所々に面白い物件が紛れ込んでいるという事で、それって実は大概の日本の町と同じじゃないかという何ともしまらない結論に至りそうなので本題に移ることにします。 そこは「山恵園」というかなりくたびれた風情を放つお店で、遠目にも結構目立っていました。それはお隣りの焼肉店―むしろ古色蒼然たる様はそちらが上回っていたけれど、まだ営業前でした―との連携がもたらす効果によるものなのかもしれません。まあ、他の通行人が見向きもせずに通り過ぎるのを見ると、人というのは見たいものしか見ないのだなという決まり切った感想を述べる事になるのです。店内の眺めは外観よりはかなりマイルドで案外に平板な印象です。品数はかなり豊富で目移りしますねえ。この迷うのが楽しいのに見るからに不愉快な表情を浮かべる注文取りがいるけれど、ああいうのは良くないですねえ。ってこの店では旦那さんらしき方が注文取りで奥さんが厨房を受け持つという役割となっているようです。どちらが普通かはともかくとして概して男性がフロア担当の方が気さくな事が多い気がします。コチラの旦那さんもニコニコと羨ましくなるくらい楽しげです。一方で奥さんの方はというとひどくご機嫌斜めなおっかない表情を浮かべており、終始崩すことがないのでありました。さて、料理はというとホルモン唐揚げを頼んだはずなのに単に炒めたものが出てきてこれがちょっと臭みが強くて食べ辛いのであります。唐揚げならきっと臭いも気にならずに食べられたはずです。中華丼はボリュームはなかなかですが、う~ん、こちらもちょっと味が良くないなあ。といった訳で必ずしも食事には満足できなかったのでありますが、でもまあ昼間に呑める酒場使いのできる店があることで納得すべきかもしれません。 おお、こんな場所にマツダ映画社があったのですね。無声映画鑑賞会などで若い頃には大いに世話になった本体がこんな東京の端っこにあったんですね。なんだか嬉しくなりました。
2019/04/13
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北千住が嫌いなんて割に随分ちょくちょく足を向けてるじゃんよと凄まれても、そうかねえとトボケてみせるんだろうけど、トキメキのないのは事実なのだ。やはり町の人気が上がると利便性は比例しても利便とは縁遠い怪しさは明らかに軽減するもののようです。怪しさを求めて呑み歩く愚かさを奨励してくれる者など希少であることは明瞭なのだけれど、それでもそんな愚民の一人としてぼくは生きていこうと思うのです。そんな愚民としては可能な限りは、怪しい酒場に対して財布の紐を緩めたいと思っています。今のぼくには、慈愛の心を形として残すだけの余裕はないけれど、仮に際限のない財産がありさえすれば、少しでも将来に向かって平成やらその前の昭和という時代の遺産を残していきたいのです。と、酔ってもいなかったはずなのに何だかよく分からん戯言を綴ってしまったようなので、少し文章をいじって理解できる程度には修正を施してみました。で、肝心の北千住から話しは大きく逸れてしまいました。しかもこれから向かうのは怪しさなど微塵も感じられぬ開店ホヤホヤの真新しい酒場なのだから、これまでの駄文は全く無意味なのであるけれど、気にせぬ事にさせて頂きます。 東京電機大学の移転ですっかり拓けた駅の東側に、もはや足を向ける機会は減るばかりなのですが、「もつ焼き やまぴー」なる締りのない店名の酒場があるとの情報を得たからには、一度は呑みに行ってもいいと思っていたのです。思っていたけれど場所が北千住だし、もし休みだったりしたらもはやにっちもさっちも立ち行かなくなると考えてしまうのです。でもまあちゃんと営業していたからこうして書かれようとしているのだけれど、職場の同僚と落ち合おうと―結局落ち合う事はなかったのでこの人物の事はもう忘れて頂いて構いません―、外観写真をLINEでピコッと送り付けるとすぐ様、失笑混じりの返信があったのだが、その理由が何処にあるかは語るまでもないのです。まあ、店名など店主なりが勝手につける権利があるのは自明だし、やまぴーなる人名由来のあだ名らしき固有名詞に思い入れがあるらしいから、それにケチを付けるのはどうかと思うのです。ただし、ぼくが将来それなりに貫禄が出てきて部下なんかに呑ませようとする際にやまぴーで待ってるからなと誘うのは、やはりどうにもカッコが付かぬではないか。ともあれ、立地が幾分か駅から離れているせいか、入りは余り良くないようです。結論に一足飛びするとコチラのやまぴーさんは、ちゃんと酒場の何たるかについて確固たる思想をお持ちのようです。出される肴のどれもが実にちゃんとしていて旨いのです。酒の種類も的確にセレクトされていると思われます。だからこそ大人のぼくに部下を連れて通えるようにご一考頂きたいのです。あと、常連かもしれぬけれど、かなり高圧的な客がいていわゆるところのガキの時代の武勇伝を語って悦に入ってるのですが、ああいうのって実に聞き苦しいというか耳障りなのだ。それに調子を併せざるを得ない事情も分からぬではないけれど、端から見ていて余り気分のいいものではありませんでした。ぜひ対応をご検討いただきたい。などと不満ばかりのようでありますが、とても気に入っています。ぼくがちゃんとした上司になった頃にまたお邪魔したいと思っています。
2019/04/05
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北千住を語る人はなぜ揃いも揃って決まり切った酒場ばかりを持ち出すのだろうか。そのマンネリにはゲンナリさせられるという事はこれまでも繰り返し語ってきました。でもそれも仕方のない事かも知れぬと思わぬでもない。いやそうした怠慢には常に監視と警句を切らしてはならぬと思う気持ちは変わらぬけれど、だがしかし確かに数多く酒場があるからそこから選りすぐりをピックアップすると似たり寄ったりのものとなるのかも知れない。それだけ人に語ってみせたり勧めてみたくなる店とそうでない店の落差は開きがあるのだと考えるのが適当なのかもしれません。そう思い、ならばぼくなら例えば北千住の名酒場五軒を挙げてみせよという宿題を授けられたらどうするか。根っからひねくれ者のぼくだから、きっと世間から認知されぬ酒場を挙げることにするだろうけれど、正直そこが万人に受け入れられるかは自身が持てぬのでありました。 この夜は、いつになく優柔不断で彷徨えど一向に入るべき酒場を決めかねていたのでした。いつになくというのは全くの出鱈目でありますが、それはこの際どうでもいいことです。歩き疲れてもう駅に引き返して他所の町に移動すべきかと思い始めたところで、「居酒屋 てん」に遭遇しました。実はそれは少しばかり嘘でありまして、この後にお邪魔する蕎麦屋には必ずや立ち寄りたいという気持ちは芽生えたけれど、いきなり蕎麦屋というのも違うのではないか、などと思ってしまったのですね。これ以上は歩かぬとその先明かりの切れる路地の方を見遣りました。その最後の明かりを灯していたのが「てん」なのでした。普通の民家を店っぽく仕立てたような、言い方が悪いかもしれぬけれど、本気度の低い気のする構えだから普段だったら立ち寄らなかったかもしれません。しかし、この夜は諦念に加えて、一杯呑んでから蕎麦屋に行くという目的がはっきりしていたので、思い切って入ってみることにしたのでした。足立区にはこういう民家即酒場というお店が少なくないようです。店内はそれなりに改装を施しているけれど、玄関の痕跡がそのままで思わず靴を脱ぎそうになってしまう。店主夫婦らと差向いになるカウンター席はやや気詰まりな気もしましたが、テレビもあるし、常連もいるのでまあ気兼ねする必要はなさそうです。というか、人懐っこい店主らの会話につられるように引き込まれて一見であるのにちっとも疎外感がないのは、この夜は楽しく感じられました。魚串というのだろうか、サバの厚い切り身を串に刺したのがお通しとは気が利いているなあ。メンチカツやししゃもなども普通なんだけれどもお手頃だし、味もいい。居酒屋というのは下手に気取って美味しすぎたりするのは違うのだ。自宅で真似してみようかななんて思ってはみたけれど、実際に家で肴にしたらちっとも旨く思えない、そんなモノを出してくれるのが嬉しいのです。というわけで、思いがけずも北千住の果てで楽しい夜を過ごすことができました。 目当ての蕎麦屋「そば処 寿家」は先の居酒屋から少し駅方面に戻った同じ通りにあります。いかにも蕎麦屋でございという構えで思わず立ち寄りたくなるのも似た趣味の方であれば分かってもらえると思うのだ。早速にお酒を注文します。他にお客はなく静まり返っての一杯も蕎麦屋呑みではありがちなことです。蕎麦屋でカレーライスを頼むのもすっかり慣れてしまったなあと、少し雑然とした店内を愛でつつ杯を傾けます。そしてここのカレーライス、なかなかいい色合いでトロリとした雰囲気も伝わりはしないでしょうか。美味しいなあ。やがて出前に出ていたご主人が戻られ、高齢のカップルも登場、お酒一本で大人しく引き上げなければなるまいなと思っていたけれど、お陰様でゆっくりともう一本を愉しむという優雅なひと時を過ごすことができました。
2019/04/02
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北千住について、知り尽くしたなんてことはとても言えぬのであります。しかし、一方では北千住をぼくが余り好きではないらしい事も感じているのです。こな酒場に関しては玄人と呼ばれる人たちの好むといかいう北千住を好きではないとはなかなか言い難いけれど、私的なブログという媒体で嘘を吐いても全く無駄な物言いであるからここは正直に高らかと宣言するのです。北千住は酒呑みにとって必ずしも手放しで称賛すべき町ではないぞ。と書いたその場で少しく後悔するのだけれど、これがぼくの本音なのです。本音をぶちまけただけだからこれに文句をつけられたところで返答の用意はないので聞く耳は持たぬと偉そうに宣言しておくのです。実際、北千住で最も良く知られる酒場は、知人の家族の店だから巻き込みたくはなかったけれど仕方の無い事と諦めてもらうことにします。 でも酒場ならざる蕎麦屋には「きそば 柏屋」なる良いお店があったのですね。もし、ぼくが今後北千住で腰を落ち着けて呑みたいと思ったら迷わずここを選ぶかもしれません。などといきなりカマシてしまいますが、実際に今このそばにいてこれから呑みに行こうかと誘われたら躊躇なくここに足を向けるに違いないという程度には本気なのです。外観も店内も少しは枯れているけれど至ってありがちな町中の蕎麦屋というところで、二階もあったりとそこそこの収容力がある程度で他に変わった点など何一つないのです。席も整然と配置され開放的で好き放題の振舞いなどしようものなら他のお客の迷惑になりそうだから、自制しての紳士的な態度を崩すわけにもいかぬのです。そりゃまあ、ここは酒は呑めるけど居酒屋じゃないし、食事だけの方も少なくないんだからね。それでもそんな若干の窮屈さなど凌駕するだけの蕎麦前の充実には目を見張らされるのです。種類の豊富さもさることながら何を頼んでもボリュームはあるし、何よりどれもしっかりと旨いのです。特に出汁巻きなんかは独りだったら半分は持ち帰りたい、いや、半分でなくても土産にしたいような逸品でありました。そして仕上げのもりそばも上等なんですね。この夜の面々がのんびり呑むというタイプでなかったからどうも忙しなくなってしまいましたが、昼下がりにゆっくりと呑んだら優雅だろうなあ。無論、店の方の迷惑にならぬ程度にするのは当然です。 さて、横丁に出ました。この筋ではもうどこに入ったか入っておらぬかなど冷静に判断し得るだけの記憶など持ち合わせておらぬのであります。だからもう無理クリに記憶を弄ったりせず、ひたすら本能の赴くところに従う事にしています。観念しているというかむしろ諦念に親しい感情で、もしかすると客の気配を感じぬ店を好んで立ち寄るようにしているのかもしれません。さすがに知られた酒場ならさすがに覚えがあるし、繁盛している店にも立ち寄っているだろう。後は空いてる店から選び取ることになるのは道理なのです。選んだのは「酒処 その」でありました。元々はスナックではないはずで、小料理屋なんかだったんだと思うし、店のムードはそれらしい造作が残っている。カウンター席だけだからかつてはカウンター割烹とでも呼ばれたんだろうか。それはともかくとして今ではすっかりスナック風のムードの店となってしまっています。なんとなれば肴らしい肴もなくて、ママさんが気の向くままにありあわせの乾きものなりを出してくれるだけだからです。だけとかのみとかの消去ではないけれど限定の副助詞ばかりが頻出し―ってまた使ってしまった―、一般的にはディスっていると捉えかれぬけれどけしてそうした意図は持ち合わせてはいないのです。ママさんの口からはこの地に店を出した頃はこの筋にはまだほとんど店もなく、危険な思いを何度も経験したそうです。そんな苦難にもめげず続けてこられた彼女の店をどうして悪く言う事ができようか。先の蕎麦屋で旨いものは充分頂いたんだから、ここでは昔話に聞き入ることができればそれで幸福なのです。 北千住をまだ充分に知りもせずに先入観にとらわれるなんて、なんてまあ未熟なことだろうか。もう少し北千住と付き合ってみたくなりました。
2019/03/08
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竹ノ塚に来たのは半年程前のことだっただろうか。その時は夜道を延々と彷徨った挙げ句に訪れることを悲願とする一軒の大衆食堂に物の見事に空振りし、再びここにやってくる機会など当分訪れぬものと思っていました。その位に絶妙に駅からも遠いお店という事です。その食堂の周囲にこれといって目を引く店が他にはないことも躊躇する所以となるのでした。一度空振りした程度でめげていては、酒場巡りや喫茶巡りなどという酔狂は楽しめないことになるのだけれど、やはりさして面白くない町を歩かされるというのは嫌気がさすものです。これまで前もって電話で確認するのが賢明なのかもしれませんが、まずそうはしないのであります。予め差配するのを潔しとせぬなどと気取った理由ではないのだ、単純に電話でのやり取りが苦手であることと電話代がもったいないという世知辛い理由があるだけなのです。という訳で以前からやってる気配を見掛けたことのない「フロリダ」がやっぱり閉まっていてもいちいちがっかりしたりはしないのであります。目指すべき店はそこではないからです。 国道4号に面しているから、車を足代わりにしている方なら目にしたことがあるかもしれません。ぼくなどはもっぱら電車と己の足だけが頼りだから、国道4号が奥州街道、陸羽街道、日光街道、中央通り、江戸通り、昭和通り、東京街道なんて多くの通称があることをつい今しがた知ったばかりなのであります。「松永食堂」はだから駐車場完備のドライブイン的な味わいのお店であります。外観が青を基調にしているのも非常にハイセンスでかっちょいいのです。結構大きめな造りながら、席数は案外少なくて広々としています。写真にはありませんが、小上り席もあってそこでは赤ん坊連れの家族が昼下がりの遅いランチを楽しんでいました。目玉焼きやらウインナー炒めなど酒の肴も揃っているけれど、酒はビールだけのようであります。大人数を連れだって座敷で昼から盛り上がるなんてのもいいなあなんてことを思いますが、ビールだけじゃ厳しいなあ。ていうかここの主人らしき方が結構おっかない雰囲気だから、騒いだりしたら怒鳴られてしまうかもしれぬ。ここは大人しくして呑み過ぎも禁物と節度を持った振る舞いが正解のようです。ともあれ念願叶っての入店はやはり電話などせぬのが肝要であります。無論それを完全否定するものではなく、特に旅先では予約も必須となる場合があると、近日予約することを自己弁護するためあえて伏線を張っておくのでした。 国道を渡った先に「お好焼 食事 飲物」のお店と「ゲームコーナー ピットイン」なんてお店も並びであったりして、さすがに足立区は奥が深い。まだまだ探索の余地がありそうです。
2019/02/12
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今でも青井を初めて訪れた時のことは記憶に鮮明です。特に記憶力に関してはままならぬという自負にもならぬ断言をして憚ることのないぼくではありますが、それだけ初めて青井の町に辿り着き、そしてその荒涼たる光景に目を奪われつつ熱を浮かされるようにして彷徨ったことを思い出すのです。やがて目が慣れてくるとそこらに点在する酒場に立て続けに足を踏み入れることになるのでした。好き嫌いはあるけれどそれは些細な問題に思えたのです。とにかく都内ではそうやすやすとは遭遇の叶わぬまさに辺境の酒場の姿を認める事ができたのです。ちなみにこの辺境酒場という呼び方は、とある漫画家とライターの合作による著作からパクっている事は以前も書きました。辺境という言葉には、多分に揶揄とか嘲笑を内包するかのように思われるのでしょうが、少なくともぼくにはそうした含みはないと自己弁護しておきます。何と言ってもここ青井は日本最大の都市である東京都の都区内にあるのだし、今ではつくばエクスプレスに乗り込めばまたたく間に到達し得るのです。そんな利便性も悪くない町なのに辺境とはいかなる言い様か。それでもぼくはここに辺境という呼び名を充てることをすんなりと受け入れるてしまうのです。それは辺境という単語が少なからずロマンチシズムとユーモアを孕んでいるからだと思うのです。 切がないから早速一軒目に入る事にします。同行したA氏のリクエストに応じてまずは「五月」にお邪魔します。青井では酒場などどこだって構わぬのです。というもこれまで界隈の酒場は10軒程にお邪魔したと思いますが、どの酒場にもその店ならではの魅力と多少の瑕疵が認められるのです。しかし、そこには曰く説明し難い青井らしさが通底しているのです。A氏は酒場放浪記で知っているからここを希望したのでありますが、番組でもあえてこちらを選択する必然性などなかったと思うのです。ともかく開店を待っていそいそと店の暖簾を潜るのでした。近くには古いけれど立派な銭湯もあり、銭湯帰りの客が湯上りの一杯と洒落込んでいるかというとそんなこともなく店は静まり返っていました。品書きの短冊を見るとどこも値段のところには真新しい紙で新たな値が付けられています。値上げについてとやかくいうのもどうかと思うけれど、こうことごとくが値上げされていると少なからず辟易とさせられます。段階というものがあるだろうに。それか全て変更するなら短冊ごと取り替えてしまったほうが心象が穏やかなはずです。無論、そうできぬ事情も推測されるし、値上げの理由もかなりの程度で推察しうるけれど、それは敢えて語らぬに留めたいのです。青井の酒場はTV番組―もしかするとこのブログもほんの僅かであるとは思うけれど―などで余所者が踏み荒らしてはならなかったのかもしれません。青井から辺境らしさが消え去る日はそう遠くないかもしれません。 どこも通じるところがあると書いたばかりだけれど、商店街から少し外れにある「もつ焼き みやま」 だけは、今でも特別な酒場の一軒であります。店主夫婦は今でも至って健常であられるようにお見受けするけれど、最近になってとんは辞めたよとぼくが焦がれ続けたカシラはもうやっていないと仰るのでした。焼鳥の串打ちだけで目一杯ということなのでしょう。とてもそれは残念な事ではあるけれど、致し方のない事であることを受け止める程度の嗜みはあります。その代わりではないけれど、コチラでは初の生モノを頂きました。カツオ刺が400円だったかしら。写真では分かりにくいかと思うのだけれどその切り身の厚みと枚数をカウントされたし、その圧倒的なサービス振りに卒倒するはずです。でもこのお二人は特別な事をしているつもりなどさらさら無いんだろうなあ。きっと彼らの普通がこれなんだと思うのです。客達もそんな夫婦のもてなしをことさらに大袈裟に受け止めたりしていないようで、その自然な交流が見ていて好ましく思えるのです。そして客達はこの酒場を当たり前と感じるだけの健啖家揃いなのです。ここの焼鳥が5本の縛りがある事など当然承知の上で一気に何種も注文し、凄えなあと感嘆の声を上げる前にすでに次なるオーダーを発するのです。ここに通い続けたら、食の細くなったぼくでも幾らかは回復するんだろうか。そして全く以前と変わらぬ内観の素晴らしさたるや、人を引き合いに出すのは卑怯な語り口であるけれど、A氏もすっかりとこの空間の虜となったようです。いつもなら近所にあればいいのになあの決まり文句で終えるところでありますが、ここは辺境の青井のそのまた外れにあってこその酒場であると思います。その気になれば今晩にでも行ける近くて遠い青井に、この酒場がある限りは通い続ける事になりそうです。
2019/02/09
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六町駅周辺には、場所が場所なだけに数は少ないけれど、長年営業を続けていると思われる居酒屋も要所要所で見掛けることができました。改めて見ると日本的と言えばこれ以上日本的な屋号はないと思える「居酒屋 家族」―「北の…」とか余計な修飾がないところが真面目で寡黙な印象で好ましい―、手書きのホッピーが描かれたトタン看板がそそられる「居酒屋 よっちゃん」、どうしてここが酒場じゃないのかと二毛作を本気で検討していただきたい「立喰そば うどん 和泉」などこれだけのためにも六町を再訪する価値があるかも。「和泉」は営業していたのですが、素通りせざるを得なかったのです。通常ならば多少の無理をしてハシゴもあり得たはずですが、喫茶巡りの途中で遭遇した一軒の中華飯店のとんでもない迫力をモロに受けた以上はいかにかけそば一杯でも喉を通るはずがないのです。「新興軒」は、いかにも町外れであればどこにだってありそうな当たり前だけれど、今の都心部では少しも当たり前には見られなくなったそんな地元に根を張った中華飯店であります。店内はテーブル席に小上り席と場所柄ファミリーを想定した造りとなっています。だけど人が切れることはないけれど満席になったりするという事態には陥ることもないようなので独りで1卓を占拠しても非難はされぬはずであります。さて、この日はA氏と一緒だったのですが、ぼくと同様に食がめっきり落ちています。かつては旺盛なる食欲を誇った彼も齢を取ったということか。さておき、瓶ビールを注文、ご飯ものや麺類は腹に溜まるから餃子を一枚取って、野菜炒めとワンタンの定食を注文しました。やがて運ばれた餃子は味はすごくいいのだ、だけれど残念なことになんだかぬるいのであります。どうしてこんなにぬるいのだ、実にもったいないことです。その間、職場仲間のグループのもとに運ばれる中華丼や天津丼の量のすごいこと、とりわけ500円の豚丼のボリュームはチェーン店の特盛どころでないボリュームに思われ、思わず目を見張ったものです。それは野菜炒めもそうだし、ワンタンも並みのラーメン丼などより巨大なドンブリに盛り付けられているし、やはりというべきか大量のライスが添えられていたのでありました。このライスがパッサパッサで好みの分かれるところですが、ぼくは大好きなのです。日本の朝ごはんといって通常思い浮かべるような定番であるなら日本のしっとりむっちりとしたのがうまいと思うけれど、インド料理やタイ料理はもちろん中華料理にもパッサパッサのメシの方がよほど合うと思うのです。この後、呑みに行くからあんまり食べちゃならないと思いながらも、つい二人で食べつくしてしまい、満腹感を蹴散らすためにひたすら歩くことになるのでした。
2019/01/28
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六町駅はつくばエクスプレスの都内最北の駅です。北千住駅の次が馴染み深い青井駅で、その次が六町駅です。青井駅と六町駅は駅間がわずかに1.4kmなのにその次の八潮駅までは3.6kmもあるのです。青井駅では何度も下車または乗車しているのに、六町駅まで歩いた事はついぞ機会を逸していたのです。そして常々思っていたのがどうして六町駅はもう少し北側に設けられなかったという事です。六町の北側には巨大な花畑団地が相変わらずの不便を強いられているかに、少なくとも余所者には感じられるのです。何ならもう一駅を設置してもおかしくなさそうに思えるのです。その辺の事情は調べれば容易に明らかとなりそうですが、どちらにせよ余り気分の良い話ではなさそうだから知らぬままとします。しかし、六町駅が例えばあと1kmでも北にあったなら間違いなくすでに今回の報告を終えていたはずです。歩けるけれどちょっと面倒という距離感、それが気軽に足を伸ばせぬ障壁となっていたのです。などと己の怠慢を交通機関のせいにするのはどうかしている。ぼくが常々驚かされていると同時に嫉妬という感情抜きにはおられぬ喫茶巡りのすごい人がおられて、じゅんじゅん会というサイトで精力的に見も知らぬ珠玉の喫茶を紹介されていて、それが余りにも鼻が効きすぎていて訝しい位なのであります。どれ程の時間と金を投資しているのかも無論他人事ではなく気になるところだけれど、何よりその情熱の根源をお聞きしたいものです。ともあれ、今回はじゅんじゅん氏を見倣っての工夫のない喫茶巡りなのでご参考にはならぬものと思います。 怠惰なぼくですが、かつて六町駅を目指したことがあります。そこは正確には青井駅と六町駅の中間、より正確を期すると明らかに青井駅寄りでありますが、かつて―5年前のことだったと記憶します―こんな喫茶店ありました。「珈琲の店 ハルキ」という名でありました。一度夜にお邪魔していて、その時の写真はどこかにいってしまったようですが、オーソドックスな店内ながらふくよかなママさんがとても感じが良かったという印象です。こちらはその後閉業してから撮影したのだろうか、それすら記憶にありませんが、今回は痕跡すら認めることができませんでした。 目当ての喫茶店はもうすぐというところで、「カフェテリア プリーズ(Please)」がありました。通り過ぎても良かったのですが、けち臭くもつくばエクスプレスの運賃を嫌って、東京メトロの綾瀬駅から歩いたのでちょっと休憩して、気分を散歩モードから喫茶モードに移行してからが至って家庭的なオーソドックスな造りの気軽なお店ということもあって、写真はご遠慮したのですが、それならきっちり撮っておくべきだったと後後になり後悔するのでした。 後悔したと書いたけれど、目当ての「珈琲 愛花夢」に入れたのはうれしかった。いやまあきっと当たり前に営業しているのだろうから入れて当たり前なのかもしれませんが、このところ営業しているはずなのにどうしたわけかやってないという境遇に恵まれてしまい、もうだめでもともとと決め込んで現場に至ることがほとんどなので、やってることだけでとてつもない歓びに思えるのです。さて、じゅんじゅん会の写真では結構なオオバコと思えましたが、実際には思ったよりもこぢんまりとしていて、しかしあの印象的なレリーフはやはり実物は写真に勝っているのでありました。しかしこの細部にのみ頓着するのは誤りだと思うのです。なぜというにこの飾りを他所に移設して飾ってみたところでしっくりいくかというとそうはならないはずです。この事と次第によっては下品になったり、某事務所っぽくなったりせず、どこまでも喫茶空間として飾り付けられるには装飾を選ぶ抜群のセンスとバランス感覚、そして大胆さが求められるのだと思います。こんな都内では辺境と言われかねぬ地でもこれほどの潜在力のあるお店があったとは、不遜な物言いをすれば出し抜かれる前にやはり六町に早く来ておけば良かったと無念に思うのです。 外観が工事中というのが気になって「セザンヌ」に立ち寄りました。チェアのリラックス感が悪くないけれど、特にどうこういえるようなお店ではありませんが、なぜかくつろげます。それはここが夜には居酒屋的な営業スタイルとなっているからかもしれません。多くのメニューが近隣の方に重宝されているのだろうなあと推測できます。が、お邪魔した際にはお客さんはおらず、くつろげるのに何だか長居するのが申し訳ない気持ちになりました。 さて、六町駅をさらに北上、つくばエクスプレスや綾瀬川とは別れを告げてここら辺がちょうど花畑のど真ん中になるのでしょうか。これまたじゅんじゅん会で紹介されていた「カフェ・ド・ブラッサム」はお休みのようです。ここは見るからにオオバコ風で内装は表からも眺められて、これはやはりスナック風の造りだなあ、むしろこぢんまりしたハコに収まるのが適当かもなんてことが分かってしまったもののそれでも入ってみたかったです。ならば途中見掛けた明らかにスナック風で開け放たれた戸の内側もやはりスナック―な「喫茶 メルシー」にお邪魔しておけば良かったかな。 ところで、じゅんじゅん会については、以下をご覧ください。 じゅんじゅん会公式写真集 https://plus.google.com/collection/wBxKXB
2019/01/27
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北千住駅の東側は、かつては活気こそ希薄ではあったけれどいい雰囲気に静かな商店街が伸びていて、しばしば目当てもなく歩いたものです。しかし、都心からとある大学が移転して来てからというもの、めっきり足を運ぶ機会が減ってしまいました。この大学などの公共施設の移転は町の活性化を促進する効果のある一方で町の景色を一変させる事も少なくありません。そういう意味ではこの移転は町往く人々もかなり若返りが感じ取れるし、周辺の飲食店なども彼らをターゲットに変貌しつつあるように思われ、まずは成功といって良さそうに思えます。と、心情的にも好意的に受け止めてはいるのだけれど、ぼくの個人的な本音を語ればどうも気に食わぬのです。その理由はハッキリしていて、端的にぼくが若者嫌いという点にあります。中年真っ只中のオッサンのやっかみ、若く精気あふれる連中が眩く思えるとかそういった事では全くないのであります。今の世の中では老人といっては叱責を受けかねぬけれど、ともかくそうした世代の人達が相対的に余程面白く付き合えるのだから仕方ない。「越後屋」は残念ですが、すでに閉業と思われます。以前赴いた際には、2階に人影を見た気がするんですけどね。 大きな川を背後に控える住宅街という風景は足立区の原風景とも評すべき独特の風情を湛えています。そこから実際に川面の眺めは見えずとも背後に悠然たる大河の息吹が感じ取れるような気がするのです。人間の五感とか六感なんて呼ばれる感覚器は、他の生き物たちに比べるまでもなく非常に能力が低いと思っていますが、あからさまに感覚する刺激とはまったく別様の漠然とした知覚を自然から受容しているのかもしれません。そんな足立区の閑静とも呼べなくもない住宅地に身を画するようにして「中華料理 幸楽」はあります。世は町中華がもてはやされているけれど、ここはその典型例とも思えなくはないけれど、この辺をはたして町と呼んでしまっていいものかと常々疑問を感じてしまうのです。まあ他人がそれを何と呼ぼうが知ったことではないし、むしろそんな些事に毎度愚痴を述べるのも大人気ないと糾弾されても仕方のないことです。さて、店内にはにこやかファミリーが遅めの昼食中。ぼくは瓶ビールに迷いに迷ってカツ煮定食としました。まずぼくが頼むことのない品であります。結局はめしの上に載せてしまう訳だから素直にかつ丼を頂いた方が店と客の双方に理があるんじゃないだろうか。出てきた品を見てちょっぴり残念に思います。量もそうだけど小鉢もないのは少し切ない。であればいつもどおり穏当に餃子とラーメンやカレーライスにしておくべきだったか。駅からは遠くはないけれど、あえて再び訪れるのもどうかなという町外れだから未練は普段の未練よりも一層ひしひしと胃腸に響くのでした。しかし昼下がりにこのような素敵な内装の店で差し込む日差しを感じるのは贅沢なことです。
2019/01/16
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北千住には魅力的な寿司屋が沢山あります。ぼくが書くから銀座なんかの高級店などとは一線どころか二線、三線も庶民的であります。かといって回転寿司店のような気安さ、ファーストフード的な安直さとは高級店よりもさらに違っているのです。一言で語るなら居酒屋の気配が濃密な寿司店という感じなのです。やっちゃ場を奥に控える町の成り立ちがそうさせるのでしょうが、市場から仕入れた新鮮な魚介を当初は素直に寿司として振る舞っていたのだろうと思うのです。しかし、この今でこそ人気の住宅街としての立ち位置を獲得したようでありますが、そこはそれやはり町のイメージというのはそうやすやすと覆されるものではないのであって、どうしても負の印象は拭いきれていない気がします。そうした負のイメージの一つとして呑み屋と呑兵衛が蔓延る町というのがあります。ぼくも時折、そうした負のイメージの亢進に寄与しているのだから偉そうな事を言うつもりはないけれど、純粋な寿司屋ですら居酒屋化するのは、本当の通人なら眉を潜めるところでありましょうが、ぼくのような半端な者には使い勝手良いのです。このブログには純然たる酒場以外も出てくるし、というかこのところはその傾向が加速している気もするけれど、寿司店の登場機会はやはりまだ稀有なことなのです。この滅多にない寿司店の登場する町の殆どが北千住にある事は過去の報告をご覧頂ければご理解頂けるはずです。 今回目指したのは、北千住駅の西口を出てを駅を背にまっすぐ、国道4号つまりは日光街道の寸前の地下にあります。以前からこのやっているのか閉まっているのか判然とせぬ、しかし妙にぼくの気持ちを揺さぶる「大黒鮨」という地下の寿司店が気になっていたのです。居酒屋であればいくら怪し気でも平気で暖簾をくぐるような不感症を備えてしまったが、これが寿司屋となるとどうも気後れするのを認めざるを得ません。だから少人数の会合をやる事になったのは良い機会だったのです。沈没するなら他人もろともという小心さはこれまでもこれからも変わることはないでしょう。地下には真っ直ぐな洞穴が穿たれていて、そこに階段が続いています。後ろ盾があると懸念などどこへやら俄然好奇心ばかりが首をもたげ出すのです。入ってみると地方の小さな町にいくらでもありそうな少しスナックの風味をまぶしたようなお店でした。でもここ、何かやけに落ち着くなあ。それほど混み合っていない状況で、たまに座敷で呑むのも悪くないものです。むしろ実家とは似ても似つかぬけれど、どこか郷愁を喚起させられて無性に嬉しくなってはしゃいでしまうのですね。はしゃぐとどうしても酒量が増加する。で姿勢悪く坐しているせいか、立ち上がると一挙に酒が体内を駆け巡る感じがするのです。血管中をアルコールが勢いよく循環し、脳味噌を痺れさせやがては酩酊状態へと追いやられる。ここのトイレがまた、昔は共同便所だったのだろうなあ。薄暗くて店が店ならおっかなくてとても入れないような怪しさなのであります。その蠱惑的なムードにもやられてしまい、勘定の際にはすっかりいい気分となり果てたのでした。さて、お造りや寿司はというと、うん、どれもちゃんとしていると思います。高級寿司の絶佳なる境地は知らずともそこまでではなさそうだけれど、やはりそこらの回転するのよりは立派な感じはありました。寿司屋って業態のお店は未だ通いなれぬけれど、北千住のこれまで訪れた何軒かのようなお店であればまた行きたいものですねえ。 どうやら次に「極上焼鳥 極上もつ焼き 雑賀 北千住駅前店」にお邪魔したようです。ようですってまあホントはそれなりに覚えはあるのだけれど、さほど語るべきこともなかったので忘れたことにするのであります。少なくとも言えるのはここに来るのは初めてと思っていたけれど、実はすでに訪問済みのお店であったことすら思い出せなかったということのみなのであります。
2018/11/28
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北綾瀬には、一体どれ程の飲食店が埋もれているのだろう。しかもどこか一箇所に押し込まれて盛り場を形成するでもなく、住宅街の只中に居住まいが悪いとでもいうように遠慮がちにひと目を忍ぶようにして唐突に姿を現すものだからいつも不意打ちを食らわされることになるのです。いや、町の外れというのは何処もそうしたものかもしれません。互いに客を奪い合うことのないように適当な間隔を空ける事で、需要と供給のバランスを保つというのは如何にもありそうな話であります。馬橋や先日訪れた水元公園の辺りなんかがまさにそのようにして仁義ある縄張りを構成しているように思えるのです。俺は生まれてこの方??軒の中華そばしか食ったことがねえよ、なんて眉唾な発言をぶちかますオヤジなんかが居てもおかしくない土地柄ではあります。確かに近所だけで中華飯店、蕎麦屋、居酒屋位があって、そこがそれなりのレベルを保っていたとすれば、それはそれで案外充実しているといえるのかもしれません。近頃の猛暑を始めとした自然災害の増加や不穏な社会情勢を思いやると多少田舎でも安全な土地に移住するなんてことを思ってみなくもないのです。その時は恐らくミステリ作家の泡坂妻夫の処女短編に描かれたギクリとさせられる動機を踏襲してしまいそうで、人格を問われかねぬのでこの話題はここまでに。 さて、「珍満」は北綾瀬駅からもかなりの距離があります。だからわざわざ出向こうという方がおられるとすれば、もう少し涼しくなってからのお出掛けをお勧めしたいのであります。表に立つと早速店内から賑やかで楽しそうな声が漏れ出してきます。店に入るとやはりご高齢の面々がそらはもう満面の笑みを浮かべて幸福なひと時を送っていることが知れるのです。こゆなに素敵な時間を過ごすために選ばれる店なのだから悪い店であるはずもないのです。良い店であることを確信するに何が信用できるかって店の外からもそのお店の活況を知れる程に確実な証左はないはずなのです。それが適法であるかの判断は別にして、店先に自転車がたくさん止められているのも同様に信用に足る根拠となり得ます。そして、その前提は間違っていませんでした。すでに多くのお客さんが席を埋めていて、複数家族での会合なども宴たけなわとなっています。豪放な雰囲気の女将さんが注文を取りに来られました。咄嗟に麻婆豆腐の単品を注文しましたが、これが正解。近頃流行りの馬鹿みたいに無闇やたらと辛味を打ち出した様なのはどうも好きになれぬのです。辛味が旨味として留まる程度が適当なのであります。とか言いながら事がコショーになると、馬鹿みたいに投入してしまう自分がいる事を承知はしているのです。てな事で、ここでお決まりの人間観察に気持ちを投じるのですが、余り面白くない。というのは少しも否定的な意味ではなくて、ここに来られる方たちは皆さんとにかく善男善女でありまして、そんな方たちを眺めていると己の卑しい人間性が際立つようで、そのためにも今度は誰か連れ立って来たいと思うのです。
2018/08/22
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竹ノ塚にまたやって来ました。そしてハシゴもして来たのですが、どうも町の勝手がつかみかねています。分かったのは、いやそれは単なる思い込みに過ぎぬのかもしれないけれど、なんとなく感じたのが、この町の飲食店は食べログやGoogleマップなどといった安易な手段のみではその全貌を掴むことが困難ではなかろうかということです。それは足立区という町を過大評価することにもなりかねぬ思い込みでありますが、実際に今回訪れた一軒は今試しに両方で検索してみたけれど引っ掛かってこないのだから、満更気のせいという訳でもなさそうです。 何かに憑かれたようにフラフラと夜の竹ノ塚を散策します。その方向に何があるのかすら知らぬ不案内ぶりでそれでもめくら滅法に歩き回ろうとするのだから、当時のぼくは元気だったようです。なんて数か月前の事でしかないのだから、単なる夏バテに過ぎぬのだろうけれど、日光街道(でいいのかな)沿いの「松永食堂」に遭遇するものの営業しておらず、さすがに駅から離れすぎてしまったと引き返すことを決めたのでありました。大体国道4号のような大通りにぼくの好むような酒場がそうそうあるはずもないのだ。 やがて、都営六月町一丁目アパートが見えてきました。いやこの団地の名称を諳んじれるほどの団地愛好家でもないから、当時の記憶を辿ってこの界隈の団地を探してみたまでです。今さっき調べてみて大凡この辺りだろうと目星を付けたのでありますが、「居酒屋 くまちゃん」もその近所にあったようです。実際、この酒場に来ている客のすべてがこの団地の老人ばかりなのでした。60歳台であることは間違いなかろう店の女将はまだまだ彼らに比するとお若いのでありました。余所者が訪れることなど皆無に近いのでありましょうか、当初は物珍しさで皆さんに絡んでもらえます。それもうざい位にしつこくて、特に入口付近を陣取るじいさんは、もう苛立つのも馬鹿らしくなる程でとにかくオウムのように同じ話題を繰り返すのでした。5分程度のエンドレステープをひたすらに再生しているようで、それを昨日も明日も変わることなく続けてきたのだろうし、これからも当分続けるのでしょう。他の客たちは当然それが分かっているので、だから数席分の空きがあったのだろうけれど、それを気の毒に思ってくれたらしい女将さんからは糠漬けを頂戴したのでありました。少しばかり塩辛い感じはしますが、旨みがとても強くてこれだけで肴になりそうです。ホントに旨い糠漬けがあれば、他に何もいらないのであります。塩分さえ気を付ければ糠漬けほどヘルシーで酒のアテに合う肴はないのではないだろうか。乳酸菌の働きが翌日の二日酔い予防に効果的であるような気もするのです。また、糠床を育ててみようかな。なんて糠漬けばかりが印象的な酒場でありました。 さて、駅前に戻ると素敵な構えの「かわらや」がありました。これはちょっと良さそうな雰囲気のお店ですねえ。しからば入らんと暖簾をくぐると、おやおやわれわれ以外にはお客が独りいるばかりで、その方も席を立とうとするところでありました。駅前すぐの好立地でありながら、こんなに空いているのはどうしてだろうか。値段もまあ手頃であるし、それじゃあと思った肴もまあ普通に美味しいのだから、客の入らぬ理由が思い至らぬのであります。店の方も特にお喋りしたわけじゃないけれど、感じが良かったからなおさらです。時々こうしたどうして空いているのか理解しがたいお店ってあるものですが、余所者には知られぬ曰くとかがあったりするのだろうか。独りならここで、この店の主人が昔とんでもない暴れん坊だったのではないかとかこの店を舞台に凄惨な刃傷沙汰が繰り広げられたんじゃないかなどの想像を膨らましもするのですが、生憎この夜は独りではなく気分よく酔って帰宅したのでありました。
2018/08/10
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小菅の町で呑もうというのは土台無理であることは、これまでも何度となく語ってきたので、またそのネタかとゲンナリされることを覚悟の上で、またも性懲りもなく繰り返すことをお許しください。しつこく歩けばもしかしたら思いがけぬ出会いがあるんじゃないかという儚い希望だけを頼りにまたも訪れたその執着は大したものと馬鹿にしてもいいけれど、その執着に呆れてもいただきたいという気持ちがあります。この執着の原動力となるのがここが足立区であり怪しげな酒場に事欠かぬはずという偏見に満ち満ちた思いと、東京拘置所のお膝元という特殊な土地柄であるという俗な好奇心も後ろ盾になります。しかし実際にはわざわざ行ってみたところで好奇心を揺さぶってくれるようなものなどないことは知っているのです。 むしろ、なんとか酒場不毛遅滞で呑むことに腐心する自らを笑い飛ばしてやろうという自虐的な意思があるのだと思うのです。だから、さんざん歩いた揚句に「やぶ茂」を見つけられたときは嬉しかったものです。嬉しがったとはいえ、酒を出さない蕎麦屋も多いからまだ喜ぶのは早すぎるかもしれません。でもぼくはここに辿り着いて確実に酒が飲めるであろうことを確信するのであります。だって、ほとんど飲食店すら、それこそ中華飯店すら見当たらぬこの界隈で、酒も呑ませぬ店が長くやっていけるとは思えぬからであります。長くやっているというのはその渋い外観を見たことによる想像でしかありませんが、これは恐らく見誤りではないはずです。店内は真新しい雰囲気でありますが、出前用の盆の見事な使い込み振りを眺めてこれが昨日今日で生み出せるようなくたびれ方ではないわけでありまして、どういうものだかしみじみとした気分にさせてくれます。さて、何を呑み、何を食べようかな。それほど酒の肴の種類はありませんが、どうしてだかシューマイが押しのようです。シューマイを出す蕎麦屋さんというのも珍しいですね。いや、シューマイはそこらで買ってきてあっためさえすれば出せる手っ取り早い肴なので、案外出す店も多いのかもしれませんが、ここのは手造りのお勧め商品であるらしいのがユニークです。繊細な香りを楽しむところの蕎麦と玉ねぎと肉の濃厚で攻撃的な香りが持ち味のシューマイは相容れぬように思われるのであります。それもこのシューマイ、もりそばをはじめとしていろんなセットと組合せがあったりして、そこまで押すのだから余程すごいかと思いきや、優しい口当たりの飽きのこない風味でありました。無論酒のアテとしても結構なものでありました。まあ、考えてみればカレーライスだって蕎麦屋の定番なのだから、味覚とか香りとかはこうした店で頓着するような障害にはならぬのでしょうね。最初はぼく独りでしたが、しばらくすると女性客が訪れて前払いで天ぷらそばを注文し、勝手知ったるように新聞を眺めながら待っておられます。この辺の方にとってホッとできる場所となっているのでしょう。とてもいい時間を送ることができました。
2018/08/04
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