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ぼくは、刺身と焼肉が嫌いじゃありません。その割には、口にする機会が少ないのでありますが、それがどうしてなのかを語ってみてもつまらない。それより、これを書いていて、あれ、こんな文章どこかで読んだことがあるなあ、と思ったのです。googleなどで検索してみるが、ざっと眺めた範囲ではどうもそれらしい結果が表示されることはなかったのです。そこで思い付いて、青空文庫で「刺身と焼肉」で検索すると首尾よく引っ掛かりました。伊藤左千夫著『歌の潤い』 刺身と焼肉、それを予は決して嫌ではない。けれども刺身と焼肉が何より美味いという人には、到底真の料理を語ることは出来ない如く、芸術の潤いを感取し得ないような人に詩趣を語ることは出来ないと思ってる。 なんていう素朴で愚鈍な意見なんだろう。まあ、小説なんてものは、そこで語られる思想なり主張鳴りがいかに愚劣だったり非論理的であろうが小説としての価値にはさほどの影響を及ぼすものではないと思うのです。無論、ダメな哲学を朗々と語る人というのは、結構で本気で信じていることがあるから、やはり小説自体も愚作である場合がほとんどであると思われます。そもそも「刺身と焼肉が何より美味いという人」っていうのは案外少ないと思うのだ。例えば「刺身か焼肉」であればそこそこの割合で存在しているんでしょうけど。あまりにもツッコミどころだらけの文章でいちいち批判する気にもなれない。なんてったって、「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」 という何が「道理で」なんだか全く理解のできない文章を書いてしまえるような人であります。 とまあ、ぼくも刺身の事は全く捨て置いて焼肉だけを切り出してしまうのです。訪れたのは、「焼肉 上野 太昌園 別館」です。ぼくは自分がケチ臭いせいか、たまにご馳走してもらうことがあっても大概はそこそこ美味しい物って程度のことが多くて、今回の焼肉店は食べ物屋のクラスとしては一流未満といったところでしょうか。こういう焼肉店としては結構なレベルのお店ではどういう料理が並ぶのだろうと期待を抱いて参加したのです。店内は内装もまたなかなかにラグジュアリー感が漂っています。と眺める間もなく会合がスタートです。しかし、しょっぱなでその期待はあっさりと裏切られたのです。ここはなんとセルフの吞み放題なのです。ぼくのような愚かな呑兵衛はいくらでも呑めるとなると本当にいくらでも呑んでやろうって気分になるのです。これで肉、いや料理の量を減らそうということだろうか。ならば呑めるだけ呑むのが正解かもしれない。という気持ちももたげるのだけれど、最初から立て続けに料理が運ばれるからしっかり食べつつ呑むことができるのです。しかし焼肉はなかなか登場しない。焼肉だから呑み過ぎては食べられなくなるではないか。それは間違いでした。ここはいい肉を少ないポーションで提供するタイプのお店だったようです。というか高級な料理店ってのはそんなものなのかもしれないなあ。しかしまあこういう店って料理の出てくるペースがゆっくりだから必然的に摂取した酒量も多くなっているわけで最後の方のごはん物はよく覚えていないし、デザートも同様です。でも肉に比べるとイマイチだったというぼんやりした記憶だけは残っていて、だったら作戦としてはそう間違ってはいなかったかもと思うことにしたのです。
2024/06/02
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芥川龍之介に『格さんと食慾―最近の宇野浩二氏―』なるエッセイがあります。これがまた相当にけったいな内容でありまして、タイトルを読むと宇野浩二がすごい食欲旺盛であるとか宇野と食欲との関りを綴っているように思えます。ところが、述べられるのは仰天するような話だったのです。-- 次手に顔のことを少し書けば、わたしは宇野の顔を見る度に必ず多少の食慾を感じた。あの顔は頬から耳のあたりをコオルド・ビフのように料理するが好い。皿に載せた一片の肉はほんのりと赤い所どころに白い脂肪を交えている。が、ちょっと裏返して見ると、鳥膚になった頬の皮はもじゃもじゃした揉み上げを残している。――と云う空想をしたこともあった。尤も実際口へ入れて見たら、予期通り一杯やれるかどうか、その辺は頗る疑問である。多分はいくら香料をかけても、揉み上げにしみこんだ煙草の匂は羊肉の匂のようにぷんと来るであろう。-- つい先日も芥川の文章を引用したけれど、実にとんでもない人物であることを思い知らされるのです。よりにもよって、知人の顔を見て食欲を覚え、さらにはその調理法まで記すのにならず、料理の感想までさも実際に食べたかのように語っているのですからね。とりわけ最後の一文にはゾッとするとかいうより実際に想像してみちゃうのでありました。羊肉の匂いを揉み上げにしみこんだ煙草の匂いと比較するとは思ってもみませんが、何となく首肯させられもするのでした。 さて、話は日暮里の中華屋さんに移るのですが、ちょっと強引ですが、ここは羊肉を中心にした中華屋さんです。中華屋さんであるのに「食彩 清真小厨 ハラールキッチン」とはいかなることか。ハラールとはイスラム教で神がムスリムに対して許可したものを意味する言葉だったはずですが、だとするとハラール食材で作った中華料理を意味するのだろうか。いやいや、ここは入れ替わりの激しい中華屋さんで何度も店が変わっているけれど、店の方がひとつ前の店の人と同じような記憶がある。それが当たっているとすれば、彼らは単に羊肉をメインに据えた中華料理を提供しようとしたんだと思うのです。で、どこぞやで聞きかじったハラール料理店で羊肉が提供されているのを知って、羊肉の料理をハラールと勘違いしたんじゃないかと思うのだ。それともイスラム教国家の出身の中華料理人ということも考えられなくはないけれど、それにしてはいかにも顔立ちが中国の人っぽいんですけどね。にしても入店した当初はガラガラでしたが、そのうち続々とお客さんがやってくるのです。しかもそれが実に多様なお国の人たちのようにお見受けしたのでした。お隣の南アジア系と思しきお嬢さん2名は手づかみで食べるラムスペアリブ(羊のスペアリブを茹でたの)にライスという羊食いの極北のようなシンプルな構成でオーダー。余り表情の変化は認められないものの嬉々として食べているようで、ほとんど会話もなくむしゃぶりついていました。我々は干し豆腐は羊ではないけれど、ラムハチノスのネギ和えとラム肉のクミン味炒めを頂きました。なるほど、味は普通に美味しいけどボリュームがあるのが嬉しいです。羊肉って業務系のスーパーでもけして安くないんですよね。脂身もすごいし。そういう意味では手頃に羊を楽しめるいい店です。ところで、クミンと併せた羊肉は煙草の香りが染みついた揉み上げっぽいなあと思ったりもするのです。
2024/05/05
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ジンギスカンに限らず羊料理が好きです。臭みがいやだって人が多いそうですが、ぼくはあの独特な風味こそが好きなのでありまして、いくらヘルシーだと言われても結構分厚い脂身はやはりちょっと苦手ではあります。ところで羊肉って業務用食品を扱うスーパーでもけして安くはありません。ロール状に詰まった状態で冷凍品が販売されていますが、これは重量単価を調べてはいませんが比較的お手頃に思われます。こいつを上手に下処理して脂身を取り除きさえすればそこそこぼくの好みの肉質に近付くかもしれないけれど、以前、買った際は余りの脂身の多さに元のサイズの半量になったかのような儚さを感じたことを記憶しています。羊肉は世界的にもかなりメジャーな肉だと思うのですが、日本ではまだまだ牛豚鶏の三大肉には追い付いていないようです。家で食べても手頃じゃないのなら飲食店で食べたほうが手間賃を含めるともしかすると手頃なのかもしれない。とそんなことを常々思っておったのです。その機会がようやく到来しました。ぼくよりも年長のお兄さま2名、お姉さま1名の計4名で訪れたのは上野でした。 お邪魔したのは鰻の「伊豆榮」のそばの飲食店ビルの5階にある「中国料理 喜羊門 上野店」でした。御徒町にも店舗のある人気店らしいのですが、お兄さま一人が別なお仲間たちと一度訪れていて、なかなかに楽しめたということでここに決めたそうです。エレベーターが開くといきなり店舗になっていてレジの向こうにはすぐに卓席があるのはちょっとどうかなあと思いますが、これもまた一興と思うことにしました。すでに客席は大入り状態でこれは予約を入れずに飛び込みだと無理だったろうと思うのです。さて三々五々に集まった時点でドリンクを注文。料理のメニューを開くとまず視界に飛び込んでくるのが巨大な肉塊だったのです。羊肉の塊が2種あります。これはいっておかねばなるまいて。お隣のページのうさぎ肉も気になるけれど、まあうさぎ肉もポピュラーで食べたこともあるからまあまたのお楽しみで構わぬでしょう。席に着いた時点で目に留まるのが大量の赤い粉、それとドレッシングボトルにはコチュジャン風の何かが見えますがまあちょっと甘めのあるチリソースのものに思えます。どうやら肉塊を焼いてハサミでジャキジャキと切ってさらに焼いてこの粉とソースに浸して食べるようです。じゃがいもの炒めたのやインゲンの炒め物、水餃子なども頼みましたがまあそこそこの味で量は大盛で食べ甲斐があり過ぎるくらい。最後に口直しじゃないけれど豆苗炒めを頼みましたがアダルトな4人じゃちょっと多過ぎました。さて巨大な肉が運ばれてきました。これは焼くのに時間が掛かりそうだなあと思っていたらすぐに下げられて別の塊が運ばれてきました。どうやら部位が違ったようです。で持ってきて柱に引っ掛けて見せつけるように置いたはいいけれど、どうだ満足したかとばかりに数十秒でまたも下げられたのです。これをさばいて100g程度の切り身にしてくれるようです。なんだかちょっと騙されたような気分ではあります。でもその切り身の量を見て皆の表情が一瞬凍り付いたのです。相当なボリュームがありそうだからです。しかしまあ焼いたら縮むだろうからなんとかなるだろうと焼きはじめ、案外すんなり火が通るので粉とソースを付けて食べるのですが、確かにシンプルで旨いけれど、さほどの辛みはありませんでした。これならさっきお隣の中国人家族がこれでもかとふっていたのも理解できます。さすがに飽きてきたなってぐらいで最後の肉に到達できたからまだまだわれわれの食欲も現役といったところか。ところでここのお店はいかにも人が足りておらず、とにかく酒のオーダーが一向に入らないのです。何度も頼んでようやく届くといった有り様。紹興酒などボトルで頼むのが正解かもしれません。今度は羊の脳みそやキャンタマも食べてみたいけど、このメンバーは嫌がるだろうなあ。
2023/08/21
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改めて訪れてみると上野公園というのはなかなかに興味深い歴史を辿って来たし、そこに設けられた多くの文化施設などにも個別の物語が付随しているのですが、それらについて語ることは本稿の目指すところではありません。短くはないけれど、必ずしも大昔からの歴史が上野公園にはあるわけでもなく、表面的なストーリーはすでに多くの文献なり資料から辿ることができます。しかしながらぼくには上野公園にはその表向きの歴史では収まりきらぬ、もっと禍々しい秘密がるように思えてならぬのです。その根拠はどこにあるのかを問われると明確に答えるような準備などそもそもありはしないのですが、どうしても上野公園には闇の一面を想像させる何かがあるように思えるのです。それは昼間の喧噪に比して夜間の静寂の差異の極端さがもたらす光と影の喩の効果故の気の迷いに過ぎないのかもしれませんし、実際にそうであればいいと思ってもいますが、遠からず、この地で何事かとてつもない災いが生じるという懸念を払しょくできずにいるのでした。だからこんなぼくにとっても禍々しい場所で呑むというのは実に危険な振る舞いなのかもしれません。これ程にぼくが怯えているにも関わらず、公園内を行き来する人々の表情はどれをとっても穏やかに映るのでありましてその穏やかさを装った無表情さがさらにぼくを脅かすのでした。 とまあ、かなり大袈裟ではありますが、実際にぼくは上野公園がどうも苦手でありまして、訪れたのはもう10年ぶりくらいになるかもしれません。北千住「明日香」、六本木「淡悦」、六本木「淡悦」といった姉妹店を持つ明治8年創業の老舗料理屋の「韻松亭」でご馳走になれるとなると多少苦手であることぐらいはさておいて馳せ参じることにしたのです。この老舗までの道のりはかつて記憶した暗さこそかなり弱まった気はします。風雅な構えの和風建築がずっと気になっていたものの前段の理由からこれまでお邪魔する機会がありませんでした。店内に入ると随分と垢抜けた風に改装されていたりして思っていたのとはちょっと違ってその意味では心の平穏は保てました。まあ日本家屋などというのは余程に特徴的な様式を採用しているとか奇人めいた建築家が建てたとか、恐ろしく豪奢なものであったりしなければ、綺麗に手入れされていさえすればそうそう変わるものではないのでしょう。なので建築ウォッチングにもすぐさま見切りをつけて後は呑んで食べるだけであります。さて、グルメウォッチャーであればずらり出てきた料理の一品一品を紹介しつつ論評すべきところでしょうが、そもそもグルメならざるぼくはただ美味しいなあを繰り返すばかりなのです。どれもちゃんと美味しかったのですが、あえて苦言を呈すとすればどれも等しくなだらかに美味しいだけでどれが一品が飛び抜けているとかいったメリハリがなくて印象がぼやけてしまうことです。日本料理っていうのはそんなものだと諭されればああそうなんだと納得してしまいそうですが、きっとぼくはそれでも物足りないという気分が残ってしまいそうなのです。一般的な懐石料理のコースを頂きましたがご飯はさすがに手を付ける程度で満腹してしまったところお土産に持たせて頂きました。結局のところ翌朝目覚めてから猛烈な空腹で頂いたこれが最も美味しく頂けました。米も強くなかったしですしね。
2022/09/12
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最近になってようやく上野駅の近隣で呑む機会も増えてきましたが、訪れるたびに上野という町が嫌いになっているようです。他の酒場巡り系ブログはともかくとしてこのブログの筆者及び恐らくはご覧になっている方も雑踏に身を置いたりとか群衆に呑み込まれるのがお嫌いであると思っています。少なくともぼくは賑わいのある町が苦手でありまして、その傾向は年々高まっているようで、新宿、渋谷などの大繁華街にはコロナ禍を理由にほとんど縁を切っている状況なのです。無論、新宿や渋谷などにも唐突に人気の途絶える不思議なスポットもあったりするのだけれど、とにかくそこに行き着くまでに息も絶え絶えになってしまうのです。片道で済むならその程度は我慢するとしてせっかく気分よく酔えたとしても帰途にはまた不快感を付け加えることになるのであっては元も子もないのだ。プラスマイナスゼロであれば最悪仕方がないと諦めるとしても大概は不愉快が上回っているはずなのです。だって周りもいい気分で一種の興奮状態に陥って盛り上がっていたりするから、迂闊なことでトラブルに繋がりかねぬというストレスが増加するからであります。だったら無理に雑踏に身を投じることなく静かに酒場余生を全うすればいいと思うのだけれど、浮世の義理でそうも言っておられぬときがあるものなのです。 上野駅前の抜群の立地にある飲食店ビルの3階(?)に「上野 鳥福」はありました。このビルには何度か訪れたことがあるけれど、このビルの店をセレクションしたのは当然にぼくではなかったのであります。ぼくには自身の面倒だったり同席する人たちの都合だったりよりは、自身の趣味性を有生する傾向が多分にあるのです。取り敢えずの許せるポイントは未訪の店であったことで、すでに行ったこともある酒場でしかもちっとも好きになれなかった店に宴席など用意されていると途端に不機嫌になってしまうのは我ながら大人気なさすぎると思うけれど、それなりの会費を取られてその場に赴くというのは実に口惜しいことなのです。あとはもう旨い酒と肴があることに期待を寄せるしかないわけですが、こちらのお店はそのいずれに対しても及第点を出すには至らなかったのであります。具体的に書くと例えば焼鳥はまったく味がしないのです。肉の味が薄いとかそういったレベルではなく塩味がないのだ。七味を大量に振ったところでどうにかなるものではないのです。それは〆に出てきた恐らくは鶏のスープを用いた雑炊にも言えることで同席していた炭水化物に目のないお方もさすがに渋い表情を浮かべておりました。酒も同様でありましてそれなりの清酒を取り揃えてはいるのだけれど、どれを呑んでもどうも定評には至らぬ味だったのはやはりおかしい気がするのです。何かが違っているのだろうけれど、確信を持てぬ以上は具体的なことは書かぬことにします。また、オーダーミスは頻出するし、それに対する詫びもなかったりするから参加した面々とのそれなりに楽しい語らいがなければひと悶着あったとしてもちっとも不思議ではないのであります。しかし、そういった感想を抱いたのはどうもぼくだけだったらしくて、その翌週、それなりに被った面々もいたというのになぜか会場はまたもこちらだったと聞いて驚愕したのも僕だけだったようです。
2022/05/13
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湯島って上野のそばに立地している癖にちょっと気取った感じがします。散策するには悪いところではないのですが、呑み歩いてみるとその気取った印象がてきめんに勘定に反映されているように思われるのです。無論、そんな中にも気取らぬ肩の力を抜けるようなお店があるのですが、総じて気の抜けない感じのお店が多いようです。この夜お邪魔したお店もそういったちょっと油断ができない印象を抱かせられる雰囲気でありまして、スポンサーがいるからといっても気を緩め過ぎてはならないのです。奢ってもらうってのも結構気遣いがあるもので、ぼくの場合は酒は遠慮なく呑むけれど肴は自らの好みは主張しないことをモットーとしています。無論、注文を面倒がるスポンサーと一緒になることもある訳で、そうした場合は臨機応変に対応せねばなりません。なんてまあそんな湯島への思いだったり、スポンサーに対する気遣いなんかも呑んでるうちにどこかに消し飛んでしまうんですけどね。 「二代目 圭」って店でした。改めて外観を見てみると、前面ガラス張りではありますが庶民的な感じに見えます。でも内装は白の合皮のスツールなんかがなんか嫌だなあ。ちっとも酒場っぽくないですね。和風の居酒屋なら和のテイストで構えて欲しいと願うのは、おっさんの感性なんでしょうかね。客層も助平野郎医者3人組だったりご出勤前ケバ嬢だったりと少なくとも金は持ってそうな面々で、そうした人たちをぼくはけして好きではないけれど、交わされる会話は非常に愉快に聞き入りたいところなのです。ところが、この夜はスポンサーに加えて先生と呼ばれるぼくにとって未知の人が同席する予定となっているらしいからいつも以上に気を遣わねばならないのでした。おお、お通しからえらい気合が入ってますねえ。まあお味の方はそこそこで見た目重視って感じはしますけど、けして悪くはありません。刺し森もなかなか悪くないビジュアルですね。松戸辺りの魚介系居酒屋だと豪快な盛り付けに目を奪われるけれど、こうした見目麗しいタイプも悪くないですね。気取ったお店に毒されてしまったか。そうこうするうちにお初にお目にかかる方が現れました。おやおやまだうら若い女性だったのですね。若い女性ですが、酒の肴のセレクションはなかなかに渋い。お新香だったり焼きタラコって先行して一通り呑み食いしているおっさん泣かせなのであります。おっさんを酔わせてどうするのなんて思ったりもするけれど、本当にこういう酒の肴っぽいのがお好みみたいです。おっさんという生き物は、ただでさえ若い女性が同席すると興奮を鎮めようと呑み過ぎてしまう傾向があるんだけどなあなどと、当然ながら興奮は鎮まるどころかそのボルテージは昂じるばかりなのでした。
2022/04/18
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もともと人混みが嫌いだってことは事あるごとに書いているけれど、ここ数年の外出自粛とかの行動制限を受けてますます雑踏の中に身を置くのが嫌になっています。本当なら人々が町に戻ってくる前に渋谷や新宿なんかにある宿題店を除いておけば良かったのかもしれないけれど、どうも気分も滅入ってその気になれませんでした。なのでもともと場末の町に出向いたりもしたのですが、それはそれでもとより人がいない町にさらに人気すら感じられなかったりして、それはそれで気持ちがどんよりと暗くなるのだから我ながら困った性格であります。都内に住んでいる以上は多少の混雑や不快は我慢しなくてはならないのでしょう。御徒町などもひと頃は人通りが極端に少なくなってそれはそれで興味深い光景であったわけですが、今ではすっかり以前の人出が戻って来て、今にしてみればあのうら寂しい様子をしっかり記憶に留めておくべきだったと残念にも思うのでした。 さて、そんな人手が回復してきた御徒町で急に4名で呑もうとなってもなかなか席を確保するのが困難になりました。予約しようとしてもすでに埋まっている店が多くなってきているのに飛び込みとなるとますます厄介なのです。困ったことになったとこの夜の面々からは酒場好きとして認知されているぼくは店探しの役割を否も応もなしに任ぜられていたのでした。さてどうしたものか、数売って砕けるしかあるまいと駅のガード沿いを歩いていると、見覚えのある酒場がありました。でもなんかちょっと違ってる気もするなあ。かつては「スタンドバー 金魚」だったはずがいつの間にか「本格焼酎の店 金魚」になっていますねえ。このメンバーで立ち飲みはないからちょうどいい。ってか立ち飲み時代に一度お邪魔してるはずだけど少しも覚えていないのです。さんたつ by 散歩の達人https://san-tatsu.jp/articles/20058/この記事によると2003年、福本さんとお姉さんの歌田憲子さんの二人で開業。出身地は九州なので、2000年代の焼酎ブームで良い焼酎が手に入りにくくなる前から、地元の独自のルートでレアものの焼酎を手に入れてきた。だから、焼酎のラインナップは圧巻だ。麦、芋、米、黒糖、粟など様々な種類の焼酎、約80種類を揃えている。おすすめは鹿児島県産の薩摩おごじょ550円。手間暇をかけて、古来より伝わる製法で造った風味豊かな焼酎だ。ほかに佐藤 黒850円や栗焼酎のダバダ火振(ひぶり)550円など、焼酎ファン垂涎のものもメニューに並ぶ。オープン当初は立ち飲みで、支払いもカウンターで済ませるキャッシュオン方式だった。現在は後払いだが、今でも奥の1室を除き、テーブルが高めに設置されているのはその頃の名残。とのことであります。ダメもとで店の方に人数を伝えると運よくちょうど席が空くとこだったようです。少し待たされただけで入れたのはラッキーだなあ。案内されて店内を進むのですが、へえっこんなに奥行きがあるんですね。こういう表から想像できない仕掛けになっているのは楽しいですねえ。内装は和洋折衷のぼく好みという路線からはちょっと外れるけれど居心地はなかなか良いではないですか。さて、席に着くと早速メニューを開き目に留まったのは煮込み串です。へえ、ちょっと珍しいですね。都内でも三ノ輪だったり北千住で串の煮込みは食べられるけれど、他の面々は食べたことがないようで早速注文することになりました。焼酎がいいらしいから口火を切って注文した人が泡盛でぼくもそれに便乗します。泡盛を呑むのも久し振りだなあ。というかこんなに狭い空間で密集した状況で呑むのも随分と久し振りな気がします。いつも一人、たまに二人で呑むことが多いぼくとしてもたまには賑やかに呑むのも悪くないなと思うのでした。
2022/03/21
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酒場巡りを始めた頃は、上野とか御徒町ってすごい魅力的な町のように感じていました。有名店も多いですし、お手頃な店も多いからハシゴするにも都合が良かったのです。過去形としたのには分かりやすい理由があって、近頃はちっともこの界隈で呑むことに少しも感慨を覚えなくなっているのですね。色んなタイプの酒場があるけれど、どこに行っても似たような店に思えてしまうのです。思い返してみると新宿で呑めばどの酒場で呑んでも新宿で呑んでいる気分になるし、渋谷だって、池袋だろうと酒場というよりは町の印象に気分は引っ張られてしまうようです。たとえ訪れたのがチェーン店であったとしてもその気分には変わりがないように感じられるのです。巨大な繁華街というのは個々の店舗を呑み込んでしまうような強烈なオーラがあってそれが個々の酒場の個性など呆気なく覆いつくしてしまうものなのかもしれません。それでもまあ、誘われでもしたら余り気乗りはしないけれど足を運ぶにさほどの躊躇はないのでした。まあ、新宿や渋谷だって誘われたら行くけれど、まだ上野の方が気楽に思えるのはまだしも上野がマシだからという程度の違いだと思います。 気乗りしない御徒町ですが、せっかく行くなら今一番食べたいものを選ぶことにしました。店選びはぼくに任せてもらったのでした。選ぶとなると色々と迷いが生じるものです。本当に食べたいものを選ぶべきですが、急な集まりだったということもあり予約の確保に難航したこともあって、結局は食べログで高評価(3.40)ながらもお手頃価格であることが決定打となった「王さん私家菜」を選びました。そういえば近頃めっきり本場の中華料理を食べていないので、たまにはいいかなと思ったのでした。大好きな四川料理に加えて最近話題になっている貴州料理が食べられるようなのです。香辛料なんかも現地から取り寄せているようで、結構本格的なんじゃないかと期待したのです。特に気になったのは、酸豆角肉末(サントージアオーローモー)なる料理で、「酸豆角というささげを塩付け醗酵させた物と挽肉を辛く炒めた料理です。ささげの辛酸っぱい旨みがビールやご飯のお共に、箸が止まらない」ってなシロモノらしく、席に着いて早速目に付いたのでオーダーすることにしました。ささげを発酵させた食材がいかにも旨そうに思えたのですね。思ったほどには酸っぱくなくて、思った以上にしょっぱくて確かに酒は進むけれど、これはむしろご飯に乗っけてワシワシと搔き込みたくなるような料理でした。日本のさやいんげんでも似たようなのを作れそうですね。ぼくばかりが好みを主張するわけにもいかず、他の人の注文に任せてみたんですが、ピータン豆腐に麻婆豆腐、餃子だったりと極めて凡庸な注文内容ばかりでぼくには非常に欲求不満が残ることになりました。まあ、全般に味が濃すぎるし、味も平凡だった気がします。やがて肴よりも酒の方に気持ちがシフトするのですが、それよりなりより誰も口に出しはしなかったけど、滅茶苦茶冷え込んで来たのですね。2階の中ほどの席だったんですけどね。料理はそれなりに辛いから薄っすらと汗しながらも、空気は冷え切って来たので,体感が狂ってきたり身体をあっためようと酒が進み過ぎてしまったこともありしたたかに酔っ払ってしまったのであります。
2022/03/02
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東京やその近県は、この文章を書いている時点ではまだまだ時短営業や時短ならばいっそのこと休業を決め込もうというお店が多いけれど、これが公開される11月には果たしてどうなっていることか。不穏な予想をするのも憚られるけれど、ワクチン接種が進むいくつかの国でも諸々の制限を解除するやまたもやの感染拡大に陥っていることを考えると少なくとも1年どころでは決着には至らぬのだろうなあと想像せざるを得ないのでした。まあ、先のことは分からないし、だからこそ楽しかったり辛かったりといった人生の機微も生じるのでしょうと割り切るしかないと思うようにしています。でも商売する側の人たちはそうも言っていられないはずです。飲食店ばかりが制限を課せられるといった意見がある一方で、国なり地方自治体の言いつけに従いさえすればそれなりの補償を得られるということに不満を感じる業種の人たちもいて、なかなかこれといった妙案も浮かばぬけれど、それにしたって政府の無策ぶりには腹が立つことだけは大部分の人の共通した認識でありましょう(10月末の国政選挙結果はそれでも何も変わらないのだろうなあ)。とかこれから向かおうとする酒場とはまるで無縁なことを綴ってしまった。ぼくの当面の関心は当の酒場の現況のみにあるのです。 しかしまあ、「大林」は以前と少しも変わることなく、控えめながらも堂々とした貫録で明かりを灯していたのでした。緊張感を抱くことはなくなったけれど、今でもここの暖簾をたくし上げて引き戸をそっと開けるときの興奮は変わらずぼくをゾクゾクさせるのです。内観のカッコ良さはもはや語るまでもなし。オヤジも厨房の女性2名もそして5名ほどの客たちも以前のままのような気がする。実際に客の数名は、何度か顔を合わせている方のようです。でもここでは、そうした方たちとも目礼程度に留めるのが良さそうです。というのもこの酒場には喧噪が全く似つかわしくないからで、オヤジへの注文や挨拶程度にちょっと言葉を掛ける程度に慎みたいものです。あの見事な卓席を取っ払ったのもそんな理由も含んでいるのかもしれません。と通ぶってみせますが、ぼくだってこれまで何度もここに知人と訪れていますし、オヤジさんの機嫌次第で色々とお尋ねして困らせたこともあったのです。さて、実はこの夜はとある肴も目当てにしていたのです。その魚とは煮凝りなんですが、もうしばらく口にしていなかったから、品書きにあれば是非ものだったのですが、残念ながらないようです。ではと茄子とピーマンの油炒めを頂いたのですが、これが実に美しいのでした。ナスとピーマンを味噌で炒め合わせたものと思っていたのですが、実際にはそれぞれを素揚げにしたものに甘味噌を添えているというお皿で、油が新鮮な紫と緑でツヤツヤと輝いていて茶褐色の店内との対象が際立って思わず鑑賞の視線でじっくりと記憶に焼き付けたのでした。目で楽しみながら呑むというのも家吞みでは難しいですね。いくら見栄えする料理を作っても、室内は生活臭が視界からも明らかですし。もっとも、そういう酒場は限られていて静謐なここならではの眼福と考えるべきなのでしょう。そうそう、これまで見逃していましたが焼酎グラスの受け皿に長耳うさぎが描かれていましたね。硬派なこのお店にあって貴重な可愛い系のお楽しみを見つけられました。
2021/11/05
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コロナ発生後、めっきり食べる機会が減ったのが、魚介類です。コロナだからって魚介が世の中からいなくなったわけでもないのだけれど、それでも魚介を口にすることは以前と比べるまでもなく明らかに減ってしまいました。想像するまでもなくお察しのことでしょうが、ぼくは自宅呑みする際に魚介を口にすることは非常に少ないのです。それはぼくには気分屋の傾向があるので、予めメニューを決めたり、特売になっている魚介を買ってしまってもいざ夕食を考え出すと魚介以外を食べたくなったりすることがよくあるのです。肉や野菜なら気分が乗らなくても冷凍してしまえばいいけれど、ちゃんと切り身になっている魚ならともかくとして大概の魚介食材はすぐに処理して調理するのが望ましいはずです。特に刺身なんかだと買ったその夜に食べるのが基本でありまして、首尾よく品が良くてお値段も手ごろなものが見つからなかった場合は指をくわえることになるのです。似たように状況の人も多いようで、この夜は太っ腹なスポンサーに誘われて上野駅前のマルイ側のビルの上階にある寿司屋に向かうことになったのでした。 まず、「すし尽誠」に入って目に飛び込んできたのは、窓外の景色でした。上野駅を出入りし、ホームに佇む人々の姿や行きかう列車、そして上野の森の西郷さんの銅像なども見えてそれだけで気分が上がってくるのを感じます。でも卓上を眺めると例のアクリル板が立っています。高級店になればなるほどしっかりした作りになって、透明で会話の妨げになるようなことはないけれど、窮屈な気分にさせられます。それもまあ呑み始めるとだんだんと気にならなくなりますが、酒の方は差しつ差されつができず手酌になるからどうしてもオーバーペースで呑んでしまうからヘロヘロにならぬよう注意が必要です。肴は、各人ごとに盛り付けて提供されるのでこれまた自分のペースでやれるのが良いです。それにしてもかなりの良質の刺身や寿司を頂いたというのに早くも記憶は失せかけています。でもこうして改めて写真で見ると、いやはや握りも洗練された仕上がりっぽくみえるし,これはきっとちゃんとした職人さんが握っていると思わせるのです。なのに、なのにですね、呑みに夢中になってしまうとお喋りが盛り上がって、どんな高級な料理、今回のような寿司であってもしっかり味わうどころか咀嚼すらせずに即嚥下してしまうからもったいない。まあ酒だろうが肴だろうがじっくり味わう人というのは、例えばテレビで見る太田和彦氏のように大家ぶった印象に映ってしまうのだろうなあ。偉そうなのは避けたいから、やはりぼくは安酒場通いが似合いのようです。
2021/11/01
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通勤経路でもない鶯谷駅にちょくちょく出向くなんてうっかり漏らしてしまったらあらぬ疑いを抱かれてしまいそうであります。山手線で最も乗降者数の少ないというこの駅で寂し気な表情を浮かべたくたびれた中年男が独り下車したら、乗客のご婦人方から冷ややかな視線を送られているような自意識が過剰に働いてしまうのであります。でもまあ実際にほとんどの乗客は他人のことなど気にも掛けぬのであって、そんな白々しい閑散としたホームに一人降り立つのでありました。さて、鶯谷駅の北口を出てちょっと進むと言問通りにぶつかります。言問通りは、本郷の弥生交差点から隅田川にかかる言問橋に至る道路で、左に折れるとすぐに直角に折れ曲がり上野桜木に向かうのでありますが、ここは右に折れて隅田川方面に進みます。進み始めて程なくビルの2階に向かう階段を覆う黄色いテントに剽軽な字体で店名が記されています。「酒楽 のんき」の前は何度となく通過しているのに見逃していた、いや見えているけれど気に留めないようにしていたようです。この晩は、何となく気になって入ってみるかと階段を上がり、戸を開けるとすぐにカウンター席があってそれがいかにもスナック風だったからやっちまったかと少し後悔しましたが、今になって引き返すのも申し訳ないし、そもそも階段を上った労力が無駄になります。歩を進めると窓側は広々としたゆとりのある座席配置となっていました。これなら十分に客同士の間隔を保てて今向きです。キンミヤ焼酎がボトルセットがお得なのでそれをお茶で割ることにしました。肴はたこ焼とポテトフライといささか炭水化物過多でありますが、当たり外れが少ないこともさることながら好物なのだから全く問題なしなのです。焼きたて揚げたてで当然にうましなのです。そういや若い頃、こういうチェーン店ではないけれどどことなくチェーンの影響を受けたようなどうということもない酒場に好んで通ったものでした。また、普段であればビルの2階の居酒屋というのは居抜物件が多いのではないかという印象で敬遠しがちなのですが、特に入谷界隈ではビルの2階のお店に良店が多い気がします。偏見に囚われずこれからは見掛けることがあればお邪魔するようにしたいと思うのでした。
2021/04/07
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鶯谷駅の北口改札を出ると酒場好きにはお馴染みの酒場が軒を連ねています。そこから先に足を踏み入れると誘惑のピンクゾーンがうねうねと広がっている訳でありまして、そちらはそちらで強烈な誘引力を秘めている訳でありますが、そこは良い年した大人でもありますから、見てみぬふりを決め込むこととするのであります。で、実は最近まで知らなかったのですが、その裏手に元三島神社という風雅な神社が存在したのですね。これがなかなかにこぢんまりした風情のある神社なのです。怪しい路地の奥にあるので人目に触れにくい場所にあるのがまずいい。小高い場所にあるのも加点に値します。御祭禮や初詣の時期にも茅の輪くぐりできるみたいですね。潜ってみたところでさほど面白くもなんともないのですが、神社としての景観をぐっと神秘的なものにするような気がします。とまあそんな寄り道などしつつも結局駅前にすぐさま引き返し、この夜はかねてからの宿題店を目指したのでした。 改札を出て道路の向こう側、目と鼻の先にある「大弘軒」が目指すお店でした。駅近至便でいつだって繁盛しており、店の方も表から眺める限りにおいて当分現役続行可能と判断したものだから閉業の危険はなかろうと高を括っていたのでした。と書くといかにも閉業間近という誤解を呼びそうでありますが、そういうことは全くなくて恐らくは今日も変わらず絶賛営業中であろうと思われるのです。さて、店内を覗き込むとやはりそれなりに賑わっていますがなんとか入れそうです。カウンター席の独り客は飲酒率が高い一方で、時節柄なのか卓席で呑む方はおらず、とても回転がいいのでした。頼んだ餃子に野菜炒め、炒飯のいずれもちゃんと旨くてなるほど多くのお客さんがリピートする訳だ。酒もチューハイなんかは瓶のハイリキか缶の宝焼酎ハイボールということになるが、値段も安いし実際こちらの方が量も多いからお得なのであります。なるほど、カウンター席のオヤジたちが通う訳です。いやはやこれまで渋ってなかなか来なかったのがもったいなく思えるほどの良店であります。並びのお店はどこも手頃だし居心地もいいけれど、もしかするとぼくにはここが一番しっくりとくるかもしれません。また、折を見てお邪魔したいと思います。
2021/03/26
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千束といえば吉原、吉原といえば高級ソープランドなどの風俗店の密集地帯となるわけです。こうした業種を必要悪だとか法治国家において営業が認められているから可であるとかいう虚しい言葉で擁護つもりはまったくないけれど、一定の需給関係が成立しているらしい存在し続けるわけで、だから一概に否定するのも難しそうです。とにかくこうした施設に関して、ぼくの態度としては「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」というウィトゲンシュタインの言葉に従うことにしたいのです。っていかにも誤用である気もするけれど、今のぼくには確固たる意見として人を説得するだけの準備はありはしないのでした。ともあれ、この界隈は比較的よく足を向けるから特段興味本位で訪れたということでもなく、山谷辺り―こっちはこっちで冷やかしで訪れるのは避けたい待ちであります―をぶらついていたらいつの間にか足を踏み入れてしまっていたといった次第で、何度も来ている割には見過ごしていた居酒屋があったのでフラリとお邪魔することにしたのでした。 このお店はどういう組合せになっているのだろう。立派な和風の構えの家屋には「季節料理 大黒屋」と揮毫されていている割に目立つのは煙草屋だったりするし、写真には取り損ねましたが看板は側面にも伸びていてそちらには、「趣味乃御履物 大黒屋」と記されているものの肝心の御履物は飾られている気配はないのです。間違いなくこの一続きの店として、意味深な「お待合せ処 ダイコク」があるわけですが、こちらだけは悩ましい店名ながらそれなりに賑々しい外観ではあったのでした。ならばまあ入ってみるかと暖簾を潜ったのは、けして待合せ客たちの様子を眺めるためではないので誤解なきようお願いしたいのです。店内には女性客が独りだけ、お待合せというよりは、ご出勤前のひと時を過ごしているという御様子。店の夫婦は、実直そうな方達だったので内心ホッとするのでした。って、また誤解を招きそうなことを書くのでした。まあ、これだけ書いてしまうともう書くこともない位に至って普通の居酒屋さんで、ごくごく普通のお酒があって肴があるといった具合。色々と言い訳めいた前口上を述べてはみたけれど、どうしてもこの土地で呑むとなると避けようのない偏見がどす黒い雲のように視界を覆うのでありましょうか。
2021/02/26
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コロナ禍の最中におけ色街の現状を探ろうなどとは微塵も思っていなかったのだけれど、たまたま呑む約束があって山谷を訪れた際に目当てのお店があったからついでに吉原の付近を歩くことになったのだけなのです。こうしたいわゆる悪所を覗き見ることはけして褒められた振舞いではありませんが、悪意や嫌悪、偏見や差別などとは無縁な視線を排除し、可能な限りで透明な視線をこの特殊な町に目を向けてみれば思いがけぬ発見に至ることもあるのでした。まあ発見といってもぼくの場合は、どうしても目に留まるのは酒場なんかがメインでありまして、お休みのようでしたがちょっと気になる酒場を見つけることができたからいずれお邪魔してみたいと思うのでした。どうも書いていてボロが出そうなので、吉原探訪については割愛することにします。 さて、吉原を通り抜け花園通りを渡るともうすぐ見慣れた浅草の風景に至るのですが、達する前に何やら気になる「中華 洋食 やよい」の看板に遭遇しました。余りだらだらしている時間もないのし、中華料理ももっぱら家中華ばかりになっていたから喜んで暖簾をくぐることにしたのでした。店内は至ってノーマルな構えでちょっと平凡に過ぎる印象がありますが、贅沢はいうまい。笑顔を満面に浮かべた店主にお迎えいただきました。しかしその笑顔がいかにも度を越しているので不信感すら覚えたのでありますが、その理由はすぐさま判明します。というのもどうやらこちらのお店はテレビドラマ版の『孤独のグルメ』に登場したようで、それを自慢したいのとわれわれがそれにまんまと乗せられて訪れたことと誤解しての笑顔だったようです。それは嫌だなあ、マンガ版の愛読者であることを隠すつもりはないけれど、テレビドラマ版は最初のシーズンをたまたま何度か見ただけで必ずしも評価するつもりはないからです。松重豊に恨みはないけれど、このドラマはけして成功しているとは思えないし、第一に出てくるお店に魅力が感じられないことが多いからです。旨さ優先の番組には興味が持てません。映像のメディアたるテレビで美味しさが伝わるとは思えないのです。まあ、それはいいのですが、テレビ放映の余波でメニューを絞って営業しているとのことでありました。それってどんなもんだろうねえ。まあ、自身を持っている商品を提供しているのだろうけれど、食べたいものを食べられない常連さんが少しばかり気の毒に思えます。餃子など頂きましたがごくベーシックな味わいでまあこうしたお店は日替わりで好きなものが食べられるのが取り柄だから、特別なものより普通に美味しいのがふさわしいのです。でも今はその取り柄を捨てて営業しているのだから、やはりそれはちょっとばかり頂けないのでありました。
2021/02/19
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泪橋の側にある商店街、アサヒ会の通りの裏手に古き良き酒場ありなのです。この界隈はどの駅からもそれなりの距離があって、比較的近いとなると東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅か東武伊勢崎線の東向島駅ということになりますでしょうか。ぼくは交通費の関係でそれよりはちょっと遠目のJR常磐線の南千住駅を利用することになります。まあ、ケチりさえしなければ都営バスやコミュニティバスが頻繁に行き交っているから足腰に自身のない方でも不自由はしないだろうと思うのです。何よりここら辺にはお気に入りの酒場もあったりして、ちょくちょくお邪魔しているんですが、どうしたものかこの夜お邪魔した老舗酒場に伺う機会を逸していたのです。数軒挟んだところに以前お邪魔して好ましい印象を持っている「日正カレー」もあり、存在は認識しているもののこの界隈に来るたびにその存在を失念し後から後悔するなんてことを続けていたのです。なので、今回はハシゴお断わりの名酒場の存在は忘れることにして、南千住駅から一目散に目当ての酒場に向かったのでした。 その酒場に向かう途上で、考えたのはその存在を忘れてしまったというよりはもう閉業してしまったもの考えてあえて忘れようとしていたんじゃないかなあということです。これまでも閉業してそうな雰囲気の酒場に再三訪れてみたり、すでに閉業しているのは明白なのに店内に人影が見えたりして未練たらしくもしつこく粘って行ってみたりして、やはり肩透かしされたという苦い経験が数多くあり、やはり「竹乃家」もその轍を踏むことになると思い込んでいたのではないか。そんな悲観的な考えをこの古い酒場は快く裏切ってくれたのです。強くはないけれどはっきりその現役であることを顕示している赤提灯にひと先ずは安堵させられます。未訪の古酒場を訪れる機会もこの一年めっきり減っていたからどうしても気分が高揚するのを抑えきれません。ソワソワと店に入ると早くも3名の馴染みらしき客がてんでんばらばらにお気に入りのカウンター席に腰を下ろして呑んでおられます。卓席もなくカウンターも8席程度だから出遅れたら大変だったかもなんて思ったけれど、その後、長居する客もなく引いては寄せといい具合に客の入れ替わりがあります。そういや今年ももつ焼は余り食べなかったなあと高齢のオヤジさんが焼くのを相好を崩して待つのであります。この待って時間に呑むビールってのが旨いのです。おお、イカのバター炒めもあるんだ。イカもすっかり高値が続いてこちらも滅多に食べる機会がなかったなあ。と懐かしい雰囲気の酒場で懐かしい肴を摘まめてすっかり愉快になるのでした。泪橋の名店にもう一軒外せない酒場ができたことにすっかり満足した夜なのでした。
2021/01/25
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黄色いカレーが突如として無性に食べたくなりました。黄色いカレーのレシピを見るとそうしょっちゅういい歳したおっさんが手を出して良いものとはとても思えぬから知らず知らずのうちに自主規制を図っていたのかもしれません。黄色いカレーの純粋な黄色というよりは黄土色というか山吹色にクリームをこぼしたようなその乳濁した感じがラードと知っては、やたらと注文はできぬのであります。大量の動物油脂と小麦粉に白米を摂取するのは中年にとってはかなりの冒険となりかねません。具材も豚肉と玉ねぎのみというのがオーソドックスなタイプであり、片隅に添えられた真っ赤な福神漬けが強烈な色彩として際立つのであります。この夏はぼくにはこれまでにない位にぱったりとカレー欲求が絶えていたのですが、秋めいてきてどうしたものか突如カレー欲求が蘇ってきました。しからば手持ちの黄色いカレー提供店リストを紐解いて早速向かうことにしたのでした。 やって来たのは、「稲廼屋」です。思ったより店の構えは新しいなあ。まあ、今晩のお目当ては見た目は見た目でも建物以外にあります。気になるのは店先の品棚のカレーライスが家庭で作るような茶色のルーカレーにしか見えなかった事です。さて、店内は長卓が3本並行に据えられています。まずは席に着いて瓶ビールを注文します。なるべくあれこれ食べたいのでA氏を伴いました。すると一本のビールを頼んだだけなのにそれぞれに板わさが5切れも突き出されました。これは何とも嬉しいザービスです。カレーとそうねえたまにはおかめそばでもいっておこうかな。しばらくしてまず登場したのはカレーでした。写真は残念な写りになっているけれど見事な明るい黄土色です。具材もてんけいそのものであります。久々の黄色いカレーに独り占めしたくなります。ほんのり出汁の香りが口中に広がりついこれよこれなどと呟きたくなります。インパクトには欠けるしどこかぼんやりした味なんだけど、これがいつまでだって食べ続けたくなるのが不思議なのですね。不思議だなあと思いつつすぐにお腹に溜まってくるのがおぢさんの悲しさ。おかめそばにバトンタッチです。伊達巻にカマボコなどなどの酒の肴になる食材も豊富で昔は好んでいただいたものです。おでんそばなんてのも好きでしたね。ここの出汁は関西の人が見たら卒倒しそうな漆黒具合なのですが、口に含むと案外すっきりして塩辛くも無く飲み干してしまいそうですがそこはぐっと我慢せねばならぬのが大人の寂しさなのです。
2021/01/08
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上野の雑踏に足を踏み込む元気をいずれまた取り戻すことはできるのだろうか。自宅も繁華街の傍にあるのだけれど、実のところぼくは雑踏というのが大いに苦手で嫌いなのです。若者たちは賑わいの中に身を置くのを好んでいるように見えるけれど、ぼくはガキの頃から群衆の中に身を置くのが苦手でありました。かねてから書いているように昔は映画をよく見ていたのですが、映画館というのは大概の場合、人が集まる場所に作られる施設なわけで、どうしても人混みの中を掻き分けしつつ出向かねばならずそれが本当に苦痛でした。大井町とか亀有などの東京の外れ―というと失礼か―に行くのが心の癒しになっていて、それは酒場巡りをする今も似たようなものなのです。だから以前は上野の有名酒場をせっせと経巡ったものですが、やはりどうも無理があったようです。たまには雑踏にもまれて呑むのも闇市に紛れ込んだ気分が味わえていいものですが、やはりもう無理はしたくないのです。 といった次第で上野駅に到着するとわき目も降らずに構内からの離脱を図るのです。駅構内はもちろんうっかりアメ横方面に進路をとってしまうとさらなる人混みに翻弄されかねないので十分に気を配る必要があります。近頃のお気に入りは浅草通りの裏通りです。ってまあこの夜は浅草通り沿いにある「中華 紅楽」に向かうつもりだったのです。というのもそんなに熱心な視聴者というわけではない「町中華で飲ろうぜ」でこのお店が再放送されていたのを目にしていたからです。番組ではこんなご時世なのにカウンター席がびっしり埋まるほどの盛況ぶりだったけれど、まあそれはテレビ取材向けのやらせ含みなんだろうなあ。なんて店の前に到達した時点でそれが誤りであったことを知るのでした。たったひとつの卓席はご夫婦連れがおられましたが、テレビで見ていた店の女将さんが満面の笑顔で相席をお勧めくださるのでした。店の人気を支えるのは多分にこちらのご夫婦の愛嬌と親しみやすい点にあるのだろうと推測されます。酒を頼むと数品のお通しが出されるという情報でしたが、出されたのは煮物一品だけですがまあ構いはしないでしょう。お向かいの夫婦は餃子と麺類2品、炒飯と実に食欲旺盛なことです。それに圧倒されてしまいわれわれはきくらげと卵の炒め物など500円のポーション少な目メニューを数品頼んで満足してしまいました。そうする間にも次々にお客さんが店内を覗き込んでいきますので、まともにそんな人たちと視線が交錯するぼくなどは気が引けてしまうので、長居は無用と早々に席を立ったのでした。
2020/12/18
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この夜訪れた酒場は、店名のみ知っていたけれどその立地については知らずにいました。調べるまでもない、まあお手頃な普通の酒場だと思っていたこともあるし、何より立地が広小路とかアメ横界隈だと思い込んでいたからです。これらのエリアは有名酒場も多く、かつてはしばしば足を運んだものですが、今にしてみれば当時からその混雑ぶりが好きにはなれなかったのです。ゴミゴミと混み合った場所で呑むのはもう面倒に思えるようになったのであります。まあ、実際にこの界隈でも往来する人通りは多くとも店に入れば閑散としているということも少ないから、店に向かうまでの行程が嫌なだけなんだろうと思うのです。酒が入ってしまえば多少の雑踏などは気にならなくはなりますが、それは分かっていてもやはり上野で呑むのなら気持ちとしては、昭和通りの向こう側、東上野なんていう閑散としたエリアで呑む方がずっと気分に沿っているのです。 なので、「酔ってけ場 キンマル酒場」などというハッピーで少しおバカっぽい店名のお店はずっとアメ横とか広小路の方にあると思っていたのです。ある時、たまたま東上野を歩いていてこちらに遭遇することになったのですが、どうも違和感があってなかなか立ち寄る気にもなれず存在を忘れつつあったりもして機会を逸していたのでした。では、どうしてこの晩に限ってこの店の存在を思い出しかといえばたまたま偶然に通りがかったからでありますし、入る気になったのは同行したS氏が早く呑みたいと愚図ったからというだけのことなのです。いかにもお手頃なお値段なのに店内は閑散としていて、それはそれでぼくにとっては有難いことなのだけれど、それにしてもちょっと寂しい。店の方は物静かで、一言も言葉を発せぬ店主風の方が調理を一手に引き受けて、かなり可愛らしい女性は名札にはグーさんだかゴーさんだかの記入がされているからきっと外国のかたなんでしょうが、もうちょっとおっさんたちに構ってくれたら通うおっさんもかなり増えるのではなかろうか。カウンター席ではおばさまたちが二人でしんみりやっているのに対して、おっさんたちは卓席でがやがやとやるのが楽しいらしく、かつての性的な役柄が逆転してしまっているようです。さて、肴はというと質と量が値段と見合っていると評しておけば問題なかろうと思うのであります。ぼくなどは基本的に肴の量には多少はこだわっても、質はそれほど問わぬからお手頃であれば問題ないのであります。つまりこちらは問題のないお店ということで、グーさんが愛想がよければかなりお気に入りなのです。といってもまあもう一度出向くにはいろいろ足りないところがあるのです。
2020/12/04
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2020/09/03
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何か状況が好転した訳ではないけれどぼちぼち酒場巡りの報告を再開しようかと思い立ちました。というか書き溜めのストックが尽きてきたのである程度書き溜めた酒場巡り記事を放出せざるを得ないというのが正直な話であります。ということで、すでに登録済みの記事もあるのでとりあえずは不定期となりますが、今後は随時報告を再開します。 新型コロナの感染拡大がどうとかは関係なしに、その存続を常に意識している酒場が何軒かあります。酒場巡りが好きとか語ってみせてはいるけれど、実のところ本当に好きな酒場が10軒もありえさえすれば、そしてそこが仕事の帰りがけとか自宅の近くなんかにあったりするのなら、夜な夜な時間を気にしながら暗い町を彷徨うなどという大人の振る舞いとしては多分に問題のある行動も控えることができると思うのです。でも、実際には毎晩のように出掛けたくなるような酒場など稀でありますし、あったとしても必ずしも自身にとって利便とは限らぬからどうしてもどんなに好きな酒場でも二の足を踏んでしまい、なかなか出向くことのない酒場があります。 その一軒が「大林」でありまして、その構えや店内の造作について、ここほどにぼくの気分を高ぶらせてくれる酒場はないのです。ここなど利便でさえあったならほぼ毎晩のように迷わず通いたいところなのです。でも悲しいかなそう都合よくはまいらぬのです。しかも「大林」へ行くとなると南千住駅から歩くということになりますが、それなりに歩いてみて辿り着いたらお休みだったということも多く、しかも日を追うごとに営業時間が短くなっているからいくら残業を嫌うぼくでも毎日は通えぬのでした。幸いにも緊急事態宣言解除後初めて訪れたこの夜はちゃんと営業していました。以前と変わらず5名位のお客さんが静かに酒とこの素晴らしい雰囲気を堪能しておられるのを嬉しく思うのでした。心なしかオヤジさんの応対も以前よりぐっと柔和になった気がしました。 と山谷の名酒場の安否も確かめられたから気持ちは大いに満足なのです。でも気持ちは満足しているけれど、酩酊時メーターはまだまだホロ酔い加減を指しています。古くからやっている正統派の酒場は三杯ルールが厳守されていることも多いし、そうでなくとも節度を持って長居せずをモットーとしたいものです。つまり、素晴らしい酒場の近くには好き放題に気兼ねなく呑める酒場が寄り添っていてもらいたいのです。さあ、困った。以前は数軒隣にちょっと良い感じの酒場があったのだけれどそこも店を畳んで久しい。肴が充実の繁盛酒場もあるけれどそこは入れぬことが多いし、混み合っていてちょっと気疲れするのだ。という訳で交番を折れてアーケード商店街に足を踏み入れるのです。そして「大衆酒場 追分」を視界に収めるのだけれど、いつもの如くにしばし立ち止まるのです。サッシの引戸の安普請な造りに恐れをなしたつもりはないのです。尻込みするのは、いつもの如くにサッシでは防ぎ切れぬ歌声が響き渡っていたからです。でもこの夜のぼくは、愛する酒場の健在振りに大いに気を良くしていたから迷いも少なかったのです。一気に店内に入ると空席をすぐさま確認し席に着いたのです。勿論カラオケの大音量はより一層の圧力で襲い掛かってきますが、半端でなくガッチリと喧しいので却って気になりません。店の方は何気なく客に混じり込んでいますが、その仕組みも簡単な観察にて見抜けたのでアッサリとオーダーも通ります。お通しもあるから肴は頼まずとも構うまい。こういう酒場では酒と歌とその隙を縫っての会話がありさえすればいいと思うのです。おや、陶陶酒がカップ(いわゆるデルカップね)売りされていますね。久し振りに呑むことにします。先の店ではやはり久し振りに本直しも頂けたし、この界隈は店でレアな酒が呑めるのも楽しみなのです。いつも思うけれど、来てしまうと駅からもそう遠くはないのだよなあ。もっとマメに訪れる事にしよう。
2020/09/01
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若かりし時分の赤面ものの告白から話しを切り出すのに、若干の躊躇いもあるのは己の過ちが愚劣で無知なことを表明するに留まらず、余りにそや誤解がベタ過ぎるところた起因しているのです。何を言わんとしているかというと、かつて浅草のとある名画座でそれを見るのを悲願としていた映画が上映されることをシティロードでチェックしていたので、小岩の公民館だか図書館で不定期に行われていたとあるドキュメンタリー映画作家の上映会がハネるとその脚で猛然と浅草に向かったのでした。で下車したのは、浅草橋駅だったというオチにもならぬ思い出であった訳です。当時まだ半上京という曖昧な生活環境であったため、田舎者らしく今でも複雑な都内の鉄道網を使い熟しているとはいえぬけれど、スマホのない時代にこれをスイスイと活用するのはなかなかに難儀な事だったのです。しかもこれ今でもさして事情は変わらぬけれど、可能な限り交通費は安価に抑えたかったのです。不思議なのが友人や職場の者にも少なくないけれど、呑みに誘っても節約だ何だでなかなか付き合わぬのに、他社線への乗り継ぎを躊躇せぬとか、コンビニや自販機をフル活用する御仁がいるけれど、仮に目標を将来に向けての貯蓄に据えているならぼくにはそれこそそういうとこで節約したほうが余程効果的ではないかと思うのだ。なんてことでその日は浅草橋駅から浅草駅に向けてえっちらおっちら歩くことにしたのでありますが,当時外食などとは無縁だったぼくには、この界隈が魅惑的な大衆食堂や洋食屋なんかがびっしりとあったことなど気付きもしなかったし、気付いていたとして視界から排除していたに違いなかったのです。 そんな浅草橋と浅草の中間地点に「いしくら家 本店(石倉屋 本店)」がありました。屋号だけでは何のお店だか分かりにくいけれど、れっきとしたお蕎麦屋さんなのであります。本店とあれば支店もあると考えがちだけれど、必ずしもそうではないところが古いお店の心意気に思えます。いやまあここは実際に支店もあったかもしれないけれど、近頃も××本店(××は地名ね)とかまだ系列のお店もないのに意気込みを店名から表明する店もあって、チェーン店嫌いのぼくが語るのはおかしいけれどその意気は買いたいところです。それはともかく、こちらのお店、なかなかに渋い佇まいです。当初は他所に行くつもりでしたが、急遽予定を変更、こちらに伺うことにしました。外観も渋いですが、店内もすっきりと見通しが良く広々していて、古くとも清潔感を漂わすのがとてもいい。少しも奇をてらったところがないのが清々しく心地良いのです。さて、瓶ビールを注文します。添えられたのはわらびにぜんまいの水煮であります。これがちょい強めの塩加減で酒の肴として上出来であります。600円のミニカレーセットを注文します。これがミニとあるのに立派なボリュームのまさに蕎麦屋のカレーで滅法旨かったし、冷たいそばは辛めのタレがはじめから張られていてこれはこれで面倒がなくて悪くないのでした。つまりは手頃にちゃんと美味しいのが腹一杯食べられるという嬉しいことづくめなのであります。こんなにいい店なのにどうして余り入りが良くないのだろうと訝しいところですが、その理由が多分分かりました。でもまあ気にならぬ人は気にならぬであろうからここは余計なことは述べずにそっとやり過ごすことにしたのです。
2020/07/08
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鶯谷の猥雑さに初めて駅から降り立った時には驚愕させられたものですが、何度も足を運ぶとすっかりそんな感性も消え失せて鈍感になってしまうものです。これからお邪魔しようとしている眠らない町-ただし線路の外苑に沿って20mばかりだと思いますが-にある休まない店で呑むということになったのでありますが、かつて初めてそこを訪れた際には店の雰囲気というよりは町のムードに圧倒されてしまったことをかすかに覚えています。今では微塵とも戦慄するような瞬間に陥るという甘美な体験はまず得ることができなくなりましたが、それは老化による感情の鈍磨でないことを祈るばかりです。 すっかりお馴染みになった「信濃路 鶯谷店」ですが、ぼくが初めてお邪魔した頃には、まだまだ知る人ぞ知るという程度の知名度のお店で、初めての時こそそのどことなくやさぐれた雰囲気にドキドキしたものですが、それも今は昔のこと。何度か通うまでもなく2度目にはそうした刺激的な感情とは無縁になってしまったのでした。慣れ親しんだ酒場の良さを知らぬ訳では消してないと思ってはいるのです。でもそうしたほっこりとした気分より当時は冒険心が勝っていたようです。久し振りに訪れるとどうかと思い何年ぶりかで来てみましたが、何の躊躇もなく入れてしまいます。もはやときめきを失ったすれっからし、いやそんな若気すら持たぬ単なるオヤジと化してしまったということか。それでも左右に分かれる店の構造を楽しむ程度の児戯は持ち合わせていたようです。カツカレーの頭にするか厚揚げのカレーがけなんてのもあったのだなと品書きも愉快で何を頼もうか迷えるというのはうれしいことなのです。しかしまあ特別旨いわけでもないのであるが、そんなことは少しも瑕疵にならぬのです。ファミリーまでいる大賑わいの店内は酒呑みの気分を激しく高揚させてくれるからそれだけでもうたまらなくハッピーなのです。
2020/03/28
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入谷はいろいろと見逃しているお店の多い町だと常々思っているけれど、なかなか時間の都合もつけにくくあと回いにしてしまっています。この界隈は日比谷線も通っているから不便というわけではないけれど、ぼくの行動範囲からは少し外れているし、かといって休日を使って出掛けるには少し退屈に思えるのです。大体において、この界隈は休みの日に営業しているんだろうか。この町が下町っぽいポジションを占めている割には、実際の町並みは幅員の広い淡白な様子だし、散歩をしていてときめくということが希薄なのです。日がな一日、呑み食いするだけの胆力は今のぼくには期待できないのでありました。 なので、積み残しっぱなしの所要を片付けてからの昼下がりにランチ客も引いた頃に訪れるのはちょうどいい頃合いなのです。こんな半端な時間にやっているお店があるものかと恐る恐るでやってきたところ、ファミリー向けの中華食堂といった風情の見た目はちょっとパーラーっぽいお店がありました。しかし店名はいかめしく「中華料理 栄龍」なのがちょっと愉快です。1階席のカウンターでは独り腰を据えて呑んでいるお客さんがいて、読書しながらの理想的な過ごし方をなさっている。2階でもどうやらそれなりの人数で宴席が開かれているようですが、こちらは終焉が迫っているようです。なので、二世代、いやもしかすると三世代でこちらをやっている店の方たちは奥の卓席で客が羨むくらいにゴージャスに皿を並べて遅いランチを代わる代わるに召し上がっていました。幸い背を向けていたからよかったものの彼らを眺めつつに呑むのはちょっと切なく思えたかもしれません。ファンシーな見掛けしながら味は全くの和式中華というのもそのギャップで楽しませてくれます。異化効果というのは単純なぼくのような者にとっては、今でもそしてこれからもきっと有効なのです。いつも思うのですが、例えばラブホを買い取ってそのままビジネスホテルでもいいし、カラオケでもいっそのこと個室居酒屋なんかにしてくれたら喜んでお邪魔するのになあ。まあ実際にそうなったとしてそこに足を向けるのがぼくとか、それに類するような人ばかりでも責任は持てませんが。とにかくぼくはここの事はちょっとだけどノスタルジックな気分を喚起してくれるし、普通よりちょっと美味しくて、ほっこりした気分にさせてくれるという意味でまたこの界隈で行き先に迷ったら立ち寄りたいお店になったのでした。
2020/03/23
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以前、東京の事をよく知らなかった頃、蔵前と両国を取り違える事が良くありました。それはきっと田舎者にはありがちな印象の錯誤でありまして、良くは分からんけれど東京には大相撲をやるための国技館なれ施設があって、まあそうした安直で退屈な過ちがもたらす錯誤なのですね。地名のどことなく古式ゆかしい字面と響き、そして川を挟んで向かい合うというように近接しているのも勘違いの原因とみても良いかもしれません。とまあ、己のみっともない過去の思い違いを汎用的な理由に還元してみる試みはさしたる成果をもたらしはしない気もするけれど、酔っ払った勢いで紙幅を埋められたから良しとしよう。ともあれ、与えられた情報に基づくとはいえ、先日、蔵前で初めてとなる驚愕必至の酒場に巡り会えたのだから、もう少し綿密に捜索してみるにしくはないのであります。 とか勢いこそあったけれど、日中であれば喫茶巡りで何度も蔵前を訪れているから、昼間は看板や暖簾というようなそこが酒場であるという目標を晒していない店はともかくとして、そうでもなければ未だ認知しておらぬ酒場との遭遇はやはり困難なのでした。ということで、「おいわ木」というどうということのないお店に妥協せざるを得ないのは、わざわざ蔵前に出向いたことを思うと無念ではあります。でも入ってみなければその店の真価など見極めようもないのです。という事で迷っている時間が惜しいというよりもうすぐにも呑みたい気分が昂じていたのですぐに入る事を決断するに至ったのです。入ってみると店内は大衆割烹風のゆったりとした造りで、この夜のように知人を伴っている場合には都合が良いのです。部長という役職が似付かわしいようなちょっと敷居の高い感じが悪くないと思えるのは歳のせいか。にしては役職が全く追い付いていないのであるが、そんな事は一向に構うまい。席に着くとお通しが自動的に供されるスタイルも面倒がなくて良いと言ってしまうと、酒場好きとしては不徹底かもしれぬ。肴選びに迷うのも妙味かもしれないしねえ。でもまあ、しがないおっさんが3名寄り合ったりすると熱燗に簡単な肴でもあれば満足です。実際、品書きもなく店の方が今晩はクリームシチューもありますよ何て仰ってますが、そう品数は揃えていないようですが、それで良いと思うのです。カウンター席では女性客が独りで呑んでいたりもして、それはそれで肩の力を抜く場所があるのっていいなあなんて思うのです。
2020/03/13
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新御徒町には古い酒場や喫茶店が数多いというイメージを持っていました。実際にかつてはそうだったんだろうと思うのです。昔、地方の町で暮らしていた頃に東京に遊びに来て、地方人らしく都内の電車を使いこなす知識も度胸もお金もなかったから上野の町をあてどもなく彷徨ったりしたものでした。その当時は、これまた地方出身者らしく上野を見ただけで自分の住む町よりも貧弱ではないかと東京恐るるでもなしなんて勘違いをしてしまったものです。戦後飛躍的な発展を遂げたなんてテレビ番組でのナレーションを鵜呑みにしていた若いぼくは上野の古ぼけた商店街や店舗を眺めて、テレビで言ってることは全然違っているじゃないか、むしろ地方都市のほうがよほど進んでいるではないかと思ったものでした。地方都市が再開発やら大型店の進出で全国各地が一絡げに退屈化していくことを素朴にも発展と捉えていたようです。実際には上野は東京を構成する一ピースに過ぎなかったわけですし、町それぞれに個性があるのであって、古臭い店の多い町として上野、御徒町から浅草方面は特別な個性を放っていたように思うのです。 新御徒町駅の南側は、どうやら町中華の過密地帯らしいのですが、その辺にのみかつて賑わいのあった名残を見て取るしかないのは残念なことですが、それだけでも生き延びてくれたのは幸いと思って、せっせと通うのみなのです。さて、店頭にありがたみを全く感じさせぬかのように無残にも風雨に晒されっぱなしなのきたなシュランが店先に放置されているのでした。まあ店の方にしてみたらきたなくても旨いといわれても手放しで喜べるものではない。ぼくにしてみれば「幸楽」は古くて傾いてはいてもまったくボロくはない素敵な中華飯店なのでした。短冊の品書きは赤青黄とどきつく鮮烈なのがユニークです。ビールを注文、あとは野菜炒めと餃子をオーダー。カウンターにはキムチなどの漬物数種や味変用のマヨネーズに豆板醤など潤沢な無料食材が揃っているのでありました。しかも量も多めなので、この先に呑みに行くことを思うとあまりに頼みすぎるのは禁物なのであります。しかも狭い店内で収容能力も少ないけれど、ほぼ満席なのでオヤジさんがてんやわんやの状態なのです。暖簾を仕舞う時間が近付いても次々にオーダーが入り、店の夫婦は度々困ったように顔を見合わせるけれど、他の客は見て見ぬふりをしています。そんな表情には慣れっこのようです。初めてのわれわれはさすがに気兼ねしてしまい席を立つことにしたのでした。
2020/03/12
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御徒町に来るとどうしたものか気分が沈み込むのを感じてしまうのです。どうしてだかはよく分からないけれど、振り返ってみるとぼくの永くもない人生ではあるし、波乱万丈などと表現するにはいかにも地味な生き方をしてきたけれど、それにしてもその人生の岐路に立つ機会を何度かは経験しているのでありまして、その記憶と御徒町は引き離す事ができない様なのです。それがどのような岐路であったかについては詳らかにする気はないのでご安心あれ。大体において人生の重大事などというものは、本人がそう思えば思うだけ凡庸なものなのです。そうした岐路について懐かしい思い出だと御徒町の酒場で語れるようになったら、今感じている御徒町でのわずかな胸の疼きを伴う呑みにも変化が生じるだろうと思うのです。 さて、そんな感傷などにふけっておられぬもっとずっとのっぴきならない状況にわれわれは追い込まれていたのです。われわれのもう一人がまたもT氏であった事はこの際何ら関係がない。ともあれ、写真の外観と店内との手ブレというか投げやり感の差異を見ただけで凡そ事態の深刻さがお伝えできていると思うのです。なんにせよ、なんとか事態の収拾を図った後にわれわれの他に客がいないことを知るのですが、これは事態を収めるに当たって都合がよかったことはまずは間違いなかったことなのです。しかし事が済んでしまうと余りに閑散とした状況は必ずしも客として気持ちのよいものではないのです。「餃子酒場 山海楼 東上野店」にお邪魔したわけですが、御徒町店もあるからそれなりの人気店であってしかるべきと思うのですが、まだそれほど遅い時間でもないのにこの状況はどう捉えるべきなのか。といったことを思いつつもすっきり晴れやかな気分なのですぐに気を取り直して、呑み気も回復したのでした。餃子酒場という位なのでとりあえずは餃子を注文します。でも正直この餃子のことはあまり覚えていません。それよりも棒棒鶏の肉量のすごさにちょっとびっくりさせられたことをよく覚えています。けしてそんなに旨いわけではないのだけれど、これだけの量があれば2人が各々ホッピー中3つでやるのに不足はないのでありました。店の方たちにはやる気の欠片すら感じられぬのではありますが、たっぷりの棒棒鶏という取り柄さえあればそれにも目を瞑っていいと思うのです。
2020/03/02
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まずは最初にハードコアさんにお礼を申し上げたい。よもやかくも魅力的な酒場が都内でも話題のエリアである蔵前に残存しているとは思いもよらなかったのであります。さて、蔵前のどこが一体話題のエリアかと問われれば、明瞭な答えは持ち合わせておらぬのですが、先日のアド街で蔵前が取り上げられというだけでは少しばかり横着過ぎる回答となりましょう。ハードコアさんからのご指南の直後に放映されたものだからてっきりその酒場が番組で放映されたりはせぬかと気ばかり焦ってしまい碌々番組に集中できなかったからうろ覚えなので致し方ないのです。微かな記憶を振り絞り総括すると古い商店などを今に留める下町に若者達が興味を示し、この地で思い思いのやり方で共存し始めて、ムーブメントを起こしつつあるといったもっともらしいテーマで番組は進行したように思うのです。しかしまあ何より大事なのは、幸いにもかの酒場が番組では映り込まなかった事なのです。 そんな訳でようやくにして「酒の店 松紀」を訪れる事ができました。先ほど書いたような古い町が次々と淘汰されている町でありますから、酔っ払った勢いで浅草辺りから歩いたりもすることはありますが、初めから蔵前を目指して訪れることなどまずないのでした。けしてややこしい場所にあるわけじゃないのに近隣を歩いていて気付かなかったのは、周辺に眺めて楽しい何物もなかったからということで、きっとこの脇道も覗き込んではいたのだろうけど、夜でなければ何もないと素通りしてしまっても無理からぬと思うのです。実際に夜に訪れた今回もすぐそばまで来ていたのに、そしてその店構えも予め目にしてしまっていたにも関わらず、遠目には物件は確認できずにこれはお休みではないか、それとももっと悲惨なことになったのではなかろうかと早合点してしまいそうにもなったのでした。ともかく辿り着いた時には安どと満席ではなかろうかという興奮と不安が綯交ぜになってしまっていたのでした。「酒の店」と記された紺の暖簾はカッコいいけど仕立て直したのか、ともかく店に入ることにしました。この夜は、久方ぶりにA氏とT氏と3人で行ったのです。戸を開けるのはいつだってぼくの仕事になっていて、一番乗りできる喜びもあるけれど落胆に陥るのが最も先なのが不公平な気もするものです。でも今回はT氏が先に店に入って席取してくれるよう頼んであったのです。店内はちょっと雑然としており、手前にカウンター席があって、後ろ側が座敷になっています。そこではわんちゃんがうつらうつらとしていました。可愛くて上品なおかみさんが一人でで切り盛りされているからあまり無理させては気の毒に思えたのです。サワーから日本酒に流れるという報告はすぐに決まりました、肴も簡単なものがいいと豚肉豆腐鍋を注文。小鍋で豆腐と豚肉を茹でたものをポン酢とネギ、鰹節に付けて食べるだけなのですが、これがとってもおいしいのだ。後から来たお隣さんも食べていたからここの名物みたくなっているのかもしれません。そうそう彼らは女将さんを下の名前で呼んでいたのだけれど、ここではそれが習わしのようです。いつしか店はお客で混み合ってきました。揃いも揃って30前後の若い方ばかりです。座敷ではやはり若い女性がわんちゃんと遊んでいたりして、おばあちゃんちに遊びに来ているような気分なのかもしれません。
2020/02/29
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湯島は上野―御徒町の喧騒とは一線を画したしっぽりとした町というイメージがあります。確かにそうした風情は今でもあって、情緒ある通りも残ってはいるけれど、迂闊には近寄りがたいのであります。それはどうしたことかというと、路地の風情と店構えの渋さに促されるままに店に足を踏み入れてしまったばかりに深い痛手を負ってしまうことが何度もあったからです。3年ほど前に訪れた焼鳥店は確かに雰囲気も店の方も肴と酒もいうことがなかった。さらに以前に訪れた老舗バーもまた雰囲気も店の方も肴と酒も素晴らしかったのだ。だけれどもね、店の印象を最後の勘定が決定付けることも少なからずあるのですよ。まあ、ケチ臭い客は近寄るべからずといわれたらそれまでだけれど、貧乏人お断りの貼り紙もないのだから、ムードに釣られてついふらふらと店に吸い込まれる客も少なくなかろうと思うのです。事前にそれを知っていたならそこまで愕然とさせられることはなかったはずだけれど、心の準備もなきままに他の町の相場の5倍近い金額を請求されてはしょげ返っても恥ではないと思うのです。 なので、湯島で呑む場合には、風趣よりも実利を選ぶべきと学んだぼくは、例えご馳走になることを前提とした場合であっても、己の欲求に流されることなく身の丈にあったお店を選ぶのでありました。というわけで訪れたのは、見るからに新しいお店だし、面白味もなさそうな「串焼 炭火焼 だるま」にしておくことにするのです。ここなら無茶な勘定書きを突き付けられることはなかろう。同じように考えるお客は多いようで、人通りの疎らなこの通りではひと際賑わいを放っています。1階席は満席で2階にかろうじて空きがあるようです。なんとか窮屈なスペースに身を滑らせて、さあ張り切って呑むことにしようじゃないの。忙しそうに店内を這いずり回る従業員の女性を捕まえて、やっとのことで注文してみたら、なんとも惨いことに頼む注文ことごとくがないないずくしなのでありました。カキフライ以外ははっきり覚えていないけれど、とにかく頼む品がオーダーを通すたびに戻されてくるのであります。別に呆れ果てて写真がない訳じゃなくて、これは単に取り忘れただけに過ぎにけれど、ちょっと余りに酷いんじゃないかと思うのです。これが2軒目、3軒目ならむしろ歓迎したかもしれないけれど、さすがに最初は美味しい肴を摘まみたくなります。なので、今後もし来ることがあるならば肴不要の2軒目以降としたいと思うのでした。文句を述べつつまた来ることもありそうだし。 ということで定番のように訪れている「赤提灯」に足を運ぶことになるのであります。湯島では他にも気になる酒場や時折訪れる酒場もあるのだけれど、明朗かつ開放的で通りすがりに入店の可否を眺められるのも入店のきっかけとして決め手となりうるのです。そういう安心感があるからつい繰り返し立ち寄ってしまうのだけれど、さすがにちょっと飽きてきたかも。通される席がいつも決まって入口付近というのもマンネリ気分を醸成するのであります。だから次に湯島で呑む場合はきっと違うお店に入ることにしようと固く心に誓ってみたりするわけだけれど、そうしょっちゅう来るわけじゃないからまた、今度も日和ってここを訪れることになりそうです。
2020/01/30
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上野駅の入谷口のホントに駅近の一角はかつて宿泊施設が充実していました。ここから鶯谷駅方面に向かうと極めて限定された用途を目途としたホテルが目白押しということになりますが、さすがに観光名所も数多いこの一角はかつては修学旅行生などの受け入れ先となっていたと、今はなき酒場の女将さんが語っていたことを思い出します。本郷の受験生向け旅館やら町ごとに違ったタイプの宿泊施設があるのも東京も面白さです。そんな町並みも徐々に姿を変えていて、古いホテルが次々と姿を消す中にあって、今でも古いスナック街が残っていたりと、その情緒を味わうだけでも楽しくしばしば歩いたものです。それなのにこれまでこれから伺おうとする一軒について見覚えすらないというのだから、単なる体たらくなどという生易しい言葉で片づけるわけにはいかぬのでした。 外観だって見るからに立派な構えでありますねえ。店名は「みノ房」とあります。なんだか風変わりで気になるお店です。こんなの今にして思えば、気付かずに済ませてこれたほうが異常であります。ちょっと格式が高そうではあるけれど思い切って入ってみることにしました。そして、店内の様子の風変わりなことにまたも驚かされるのでした。まずはその広さに驚くのですが、客はわれわれだけというのがドキドキしますねえ。異色な雰囲気はそれとは別にもあって、一般的な卓席に加えて黒の革張りスツールがずらりと並ぶ細いカウンター席があります。どうやらここはスナックコーナーらしくて奥にはカラオケの機器が置かれています。かつては引率の先生たちが生徒たちを眠らせてからここで宴会となったのかもしれません。全国各地の先生たちが一同に会するなんてことがあったかもと考えると、ギスギスしたニュースばかりが取り沙汰される現代と比べると牧歌的な感じで羨ましい時代に思えます。店はご高齢の女性二人でやられています。名物の貼り紙があるので、頼んでみることにしました。とんかつ煮と読み取ったのですが、実際にはとんもつ煮だったようです。まあどっちだって構いはしまい。って気分はとんかつだったのでちょっと無念なのです。もつ煮の上にはたっぷりと玉ねぎのスライスが乗っているのがユニークで健康にも良さそうなのでありました。といったわけでカラオケに手を伸ばすことはなかったけれど、とても古い酒場のムードを堪能することができました。
2020/01/08
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東上野には、都内としては案外たくさんの喫茶店がありますが、メジャーな喫茶店を今さらおさらいしてみても芸がないということで、少し毛色の異なる喫茶でも巡ってみようと思ったわけであります。というか、先だってもタバコ屋さん併設、いや喫茶店をタバコが侵食したような喫茶店を報告したばかりですが、どうもこの界隈の喫茶店は客層を特化していて営業日や営業時間が限定していることが多いようで、なかなかすんなりと喫茶巡りできずにいるのでした。ならばどこか休みを見つけて行ってくればいいじゃないかといわれると、そんな時間があるならばあまり上野には出掛けたいと思えぬのでありました。その気になれば毎晩だって行けてしまうような利便な町にわざわざ休みを費やしたくないのであります。だからいつまで経っても行けぬ喫茶が少なくないのです。でもそういうお店は独特のムードはあるけれど、必ずしも純喫茶系の好事家を喜ばせはしないのであります。 まずは、「コーヒー&スナック LE GOULUE(ラ・グール)」であります。看板のキャラクターが印象的ではありますが、新しめのお店に見えるのでこれまで見て見ぬふりで通過してきたのですが、そろそろ入ってみてもよかろうとお邪魔しました。至って普通のお店でちょうどお客さんが切れたのか人柄のよさそうなご主人と二人きり。こういう状況はうれしいような面倒なような、複雑な気持ちです。でも、きっとこの辺で勤務されている方にとってはとても居心地のいいお店なのだろうなあ。「喫茶 ひまわり」は、これはもう何と評するべきか、迂闊な物言いをすると酷い誤解をもたらしそうで、うっかりした事は言えぬのです。だから初めに断っておくとぼくこのお店の事、結構好きなのです。ちっとも飾り気がないし、居酒屋でも食堂でも、さらにはスナックとも一線を画する独特なお店です。見るべき何物かがある訳でもないから普段ぼくが喫茶と付き合う際のような眼福とは一切縁がないし、酒場に向き合う際の多様な観点からの観察にも全く相容れぬのです。スナックのような気怠い人間関係など気に掛ける余地すらないし、ここは一体飲食店として得られる体験のいずれとも異なった単なる人に邪魔されぬだけの場所として成立しているように思えるのです。誰にも邪魔されず、店のムードやらそうした贅沢とは別種の特別な場所に思えたのです。そこでぼくは独りのオッサンとして少しも哀愁を孕まぬ孤独に包まれるのでした。 だから「カレー専門店 クラウンエース 上野店」に来た訳ではありません。そもそもここの業態に喫茶を重ね合わせるのは無理がある。その一方で外観などは喫茶そのものだったりして、ぼくも喫茶巡りを初めて間もない頃にここに来て喫茶だと思いこんで店に入りそうになった記憶があります。というか、見通しの良い店内だからすぐにカレースタンドであることには気付いたのだろうけれど、紛らわしい看板などもあり、二階は喫茶になっているのではという風に思ったりもしながらそれを自ら確かめるまでに至らなかったのです。ここはいつだってそこそこの客で賑わっているのだから悪い店ではないと思っていたし、新橋の店舗も含めぼくに変な拘りがなければとっくにお邪魔していたはずなのです。その拘りとは、喫茶もしくは酒場及びそれに準じるお店以外は己の埒外と決めて掛かっていた事です。今ではそれが余りにも偏狭な考えだと思っているのでありまして、面白そうな店舗には極力入ってみる事にしたけれど、残念な事にかつてのようなキャパシティは望めないのでした。 と、年の初めにいきなり半端な報告をしてしまいましたが、身体的衰えやら諸々の事情から以前のようには奔放な行動が難しくなりつつあります。暮れまではこの日曜の喫茶レポートというルーティンを放棄する事も考えないではなかったのですが、細ぼそとは喫茶報告も継続するつもりですので―時にはお休みさせて頂くこともあるかもしれませんが―、変わりなくお付き合い下さい。
2020/01/05
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上野で呑むということになると、多くの人はアメ横から御徒町に繋がる南に移動するか、広小路や湯島に至る西側に向かうことになるでしょう。でも北の入谷や東の稲荷町方面で呑むという選択肢は一般にはあまり選ぶことはなさそうです。別に通ぶるつもりじゃないですし、実際に賑やかな場所に行くのは気が重いのです。でもだからといって人気のない方向に向かったから酒場がそうそうあるかというとそういうわけにもいかないのでありまして、やはりそれなりに彷徨わざるを得ないのでした。かっぱ橋本通りに辿り着きました。ここをまっすぐ行けば田原町を抜けて浅草に至るのですが、浅草まで行く気力がなかった。というよりはたまたま偶然に枯れた雰囲気の酒場に遭遇したのだから迷うことなく立ち寄ることにしたのでした。「鳥千」なんですけと、この界隈の方はどうやらこの店を余り重用していないようなのであります。その理由は明確極まりないのであって、つまりはお客が独りもいなかったのであります。それもここに来る前にあっちこっち寄り道した際にもそれらしき姿を認めなかったから多分そうなのであります。でも、T氏とぼくの目にはこの酒場はとても魅力的に映ったのであります。ただし、いくらルックスにひかれても2度、3度と繰り返し通わぬ店が少なくないことを考えると多くの他のお客もわれわれと少しも変りなく、一度は訪れたけれど再訪することはなかっただけなのかもしれません。と書くとさもやばいお店のような印象を与えかねませんが、肴は水準を越えていたし、店の方はちょっと冷淡な印象もあるにはあるけれど、けして不親切なわけでもないから決めつけてはならないのです。実際、われわれが2度目のホッピーの中身を追加した頃に近所の会社でお勤めらしきお二方が残業の夜食としてこちらで実に驚くべき量の焼鳥などなどを注文なさっておりました。食事だけでの利用の方が案外多いのかもしれません。
2020/01/01
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鶯谷と書いたけれど場所としては鶯谷駅と日暮里駅との大体中間位の場所にあって、正岡子規が晩年を過ごした庵がこの辺りにあったはずだけれど、それはまあ然程関係の異話です。とにかく鶯谷駅からでも日暮里駅からでもどちらでも構わぬけれどなるべく最短のルートを辿ればこの夜にお邪魔した中国料理屋に行き着くはずであります。ぼくも当然ながら何度となくここを歩いているけれど、実はずっとここの存在を見過ごしていました。それだけ中国料理屋は日本の町に馴染んでしまったようです。巷間で町中華などと呼ばれたりもする和式中華料理の店がむしろ現代の日本では町からは浮き気味に思えるのです。それはともかく何故今になってこの店に気付いたのか、それが今語るべきことであります。答えは実に下らなくて日暮里駅から鶯谷駅方面に歩いていたら急に雨が降り出し、軽く舌打ちしたところにこの店があったのでした。それだけなら通過していたのだろうけれど、モヤさまの面子が来店したとの掲示と8時迄ドリンクがお手頃との貼り紙が背中を押したのです。 誤解のないうちに断っておきますが、ぼくは消してモヤさまの良い視聴者ではないのです。たまたまテレビのスイッチをオンにしたらちょっと眺める程度でありまして、昔はそれなりによく見た事はありますが、どうにももの足りぬ思いがこの番組にはあったのです。それは滅多に酒を呑まぬ事が原因です。誤解かもしれぬけれどぼくが知る限りでは精々が一度か二度呑んでいるのを見た程度なのだ。まあモヤさまの話はこの位にして、店に入る事にしました。店の名は「味香房」とありますが、明日になれば忘れ去りそうな極めて薄い印象の没個性なお店です。などとどうでもいい事を考えている暇はありません。何しろ酒の安く呑める時間は限られています。時間が限られているはずだったけれど、抜け道があったのでしたがそれはまた後で書くことにします。まずは低価格帯の料理と190円のサワーを注文。届くとすぐに呑み干して2杯目に突入です。なんとかぎりぎりで時間に間に合いました。でもこうした中国料理店ではよく見掛ける何種類もあるメニューを精査していくと料理とドリンクの組合せによる3種のセットが時間制限なく頼めるのでした。この後、Bセットを際限なく注文する羽目になったのです。確かAセットは前菜風の料理とドリンクの組合せで、Bセットは定食メニューにもなるようなホイコーローや酢豚などのメインの料理を組み合わせるセット、Cせっとは前菜、メインにドリンクのセットになり、このCセットでも良さそうなものだけれど、Cセットは値段の設定がいかにも損な感じでいかにもおかしいから頼むはずはないと思うのであります。料理はけして不味からず特別旨からずでありましたが、確かBセットが590円であることを考えるとなかなかお得に思えるのですが、いかがでしょう。また、雨の日に通りがかった寄るかもしれません。
2019/11/09
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御存知の方も多いだろうけれど御徒町にも韓国人街があります。東上野キムチ横丁というもう韓国人街以外の何物でもあり得なさそうな名を持っているのでありますが、実はこの名は今しがた知ったばかりなのだ。戦後間もなくにこの横丁は誕生したらしいが、詳細は容易に調べが付くのでここではそれは割愛させて頂いて、とにかく当時の面影を都内で最も留めているのがここだと思うのですが、それが都心に近いここ東上野というのが台東区の得体のしれない奥深いところであります。この横丁、このブログにこれまで一度きりしか登場していないのには訳があります。その一度きり訪れた時には立呑風のお店に入った事をぼんやり記憶しています。が、基本的にこの横丁の中核をなす要塞めいたオンボロビルのほとんどが焼肉店に占拠されているのであります。だから何が言いたいかと問われれば、焼肉店で呑むのは極力回避したい思いがあるということです。何も堂々とした様子で恥じらいもなくテレビに出てくる様な居酒屋評論家といった肩書の方たちの注文傾向を踏襲して刺身が居酒屋の基本であると思っている訳ではないのです。それに量こそいけなくなったけれど、焼肉だってむしろ大好きなのです。情けない事であるし、既に察しもお付きだろうけれど、経済的な側面からぼくは焼肉屋に極端に臆病になっておるわけです。それにしても世の中には何故にこれ程に焼肉屋とか寿司屋が蔓延ってられるのだろうか。無論、それだけ需要があるからなのだろうけれど、世の人々は如何ほどのエンゲル係数をもって生活しているのだろう。 と、つい声にならぬ雄叫びを漏らしてしまったけれど、こんな焼肉屋ばかりの焼肉要塞のにもその片隅に正統な居酒屋があったのですね。ついでにビルのど真ん中にはお好み焼き屋もあったりして、先入観を廃してもっと注意深くあらねばならぬと思うのでした。がそれはともかくとして、大事なのは「串焼 酒処 のんべい」であります。外観はまさしくぼくの好みのど真ん中で、これをこれまで何度となくここを通り過ぎて気付けずにいたのだから、もう不注意なんて生易しい言葉で誤魔化す訳にはいかぬのであるが、何より店内がよりツボにはまるのだから、一度きりで知れる事などたかが知れているということでしょうか。それにしても嬉しい誤算だったのがここが思ったよりずっと広いお店であった事です。手前のカウンター席程度のキャパだと思っていたけれど、奥には卓席と小上がりがあって、その凡庸な造りの安定感が素晴らしいのです。しかもこの鼈甲色の安定的な空間を独占できるのだからそれはもう堪らんのです。そんな客の入りなのでカウンターに腰を下ろそうとしたら奥にどうぞと促されるのです。こんなに空いていながらも店のご夫婦は至ってのんびりとしておられ、二人仲良くテレビなんぞ眺めつつ楽しそうにお喋りしていたりするのでした。黙々と呑んでいるぼくなんかも混ざりたい気分になるのだけれど、こういう所在のない時間ってのは案外貴重だったりするかもしれない。さっきまであんなに焼肉がどうのとか言っていたけれど、カルビ串なるメニューを見つけるとつい頼んでしまいます。貧弱に見えるけれどこの程度のサイズで十分なのです。もちろんお値段も大丈夫だったのです。それにしても改めて写真を眺めてみるとここの小上がり、すごい雰囲気良いですね。今度は誰かを伴って小上がりで呑んでみたいです。
2019/11/07
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銘酒居酒屋と聞くとつい尻込みしてしまいます。でも近頃になってこういうのが少しだけ悪くないものだと感じ始めました。利き酒師になりたいとかいう野心などそもそもなく、基本的にはいかにリーズナブルであるかを基準に銘柄を選ぶようなぼくのような味覚オンチの酒呑みにしてみると、銘酒居酒屋は勿体ないのであります。例えば「清瀧」などの自社製造、いや自蔵醸造の格安宣伝居酒屋などなら身構える事なく足を運べるけれど、日本各地の数多くの酒蔵から厳選した銘酒を提供するお店となると話は別なのです。店主が客に向けて心底から旨い酒を呑ませたいという想いを疑うつもりは毛頭ないのです。店主自らが各地を足繁く巡り勉強に励む、そして適正な温度管理が可能な設備投資も怠らぬとなるとなかなか立派に思えるのです。しかしですよ、ぼくのようなゲスな者には彼らは元の価格に上乗せした提供価格をもって諸国漫遊していると思ってしまうのです。そうでなくても口開けした一升瓶から品質を確かめるためと一口二口とテイスティングと称して自らが最も楽しんでいるとしか思えないのであります。それはちょっとずるくなかろうか、などと妄想ばかり膨らみ、ご指摘なくとも自らが銘酒居酒屋の主になりさえすれば済むだけのことだろうということ位の自覚はあるけれど、怠惰なぼくはそうはせぬのであります。 そんなぼくでも宣伝酒場のように気安く利用できるのが上野の「全国銘酒 たる松 本店」であります。実際には「清龍」のようには格安ではないかもしれないけれど、それに近しい気楽さがあるのでした。何が素晴らしいかって朝から遅くまでぶっ通しで営業している使い勝手の良さも素晴らしく魅力的なのであります。ここに来たらカウンター席で樽から酒を移す店の方の姿を眺めながら呑むのがなんとなく気分のいいものです。ガード下よりの店舗の方が風情という点では上回るかもしれぬけれど、こちら本店の方が若い女の子がてきぱきと仕事をしているのが眺められ、目には楽しいのであります。肴も銘酒居酒屋のように気取っていたり、変にストイックだったりせず、大衆居酒屋のそれをそのまま持ってきたみたいで、あれもこれを頂きたくなるのです。まあ、独りなら肴は一品頼めば十分で、あとは樽酒でも頼んで塩を小皿に盛ってもらえば、それを升の角にちょっぴり盛ってグイッと空ければ、いかにも日本酒が好きで仕方ないという風に思い違いしてくれる人がいそうでした。カッコつけたいだけなんですけどね。でもこちらはカウンター席に一人というおぢさんが文庫本を捲ったり、スマホをいじったりするのをやめない客なんかもいて、皆さん思い思いに時間を過ごしている。こういう堅苦しくないお店が好きなのです。
2019/11/05
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鶯谷駅が最寄りではありますが、ここはお店の屋号に冠している根岸という地名を優先することにしようか。と、根岸という歴史のある町について、何事か語ろうかと思いはしたのですが、そんな悠長なことをしている暇はありません。というのもこの夏の余りの体たらくには折に触れて語ってきましたが、この習慣としていたブログ書きすらままならぬ状況に追い込まれているからです。追い込まれていると書くと一端の小説家みたいでありますが、彼らは書こうとあがいてそれでも書けないのでありましょうが、ぼくはその書くという気力すら少しも湧き上がってこないのだからどうにもならぬのです。そんな訳で根岸の町については触れずに、ただひたすらに根岸で出会った酒場について記憶の断片を書き留めることにします。 そんなことを書いてみたけれど、この夜訪れた「ねぎし はつね」は、もう10年近く前にお邪魔したことのあるお店です。随分以前のことなのに、妙に印象に残る酒場でした。まず、この酒場のある界隈が人通りも少なく、とても都心にあるとは思えぬような侘しい雰囲気だったからです。日中であればシャッターを開いて営業しているはずの店々もまるでもう何年も明かりを灯していないかのように生気を失っていて、不気味なほどであります。これが路地裏に入ると、ケバケバしいネオンの明かりの下をギラギラとした欲望を隠そうともせぬ男女が時折行き来していて、これはこれでドラマティックな場所ではあるのだけれど生憎にもぼくには無縁な場所と感じられるのでした。そんな死の気配と禍々しい腐臭に満たされたかのような空間にぽっかりと取り残されたかのような様子で細々と―これは誇張ではなくあからさまになのであるけれど―営業を続ける古い酒場があるのです。こう言っては元も子もないのでありますが、あえて営業を続けるだけの労力を掛ける理由があるのか甚だ疑問を感じざるを得ないように思えると書くと失礼であるかもしれぬけれど、実際店に入っても老夫婦が二人店番をしているばかりで、お客さんの残り香すら微塵も感じられないのでした。そしてこうした感触を好んでしまう自分の無礼さにも少しばかり嫌悪を感じるのです。席に着くと早速ビールを頼むのですが、お通しは厚揚げの煮付けでありました。ここの肴はこうしたそこらで買ってきた食材にほんのひと手間を掛ける程度らしき品ばかりであります。でもそれの一体何が悪いというのか。旨いものを求めるなら悩むことなくそれ相応の店に出向けばいいだけであります。酒を頼むと控え目な盛りの肴をちょっと追加、それが尽きることなく繰り返されることになるのです。やがて、もはや肴を摘まむのも酒を呑むのもここで酔うという過程においては不要なことに思えてくるのです。酒などなくとも酔えてしまう。ここはそんな異世界のような酒場であり、呑むともなしに酒を含まないと現世から取り残されるような不安に侵されそうになるのでした。
2019/09/07
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断るまでもないことだけれど、ぼくは人の真似っこをすることはけして厭わぬ者であります。真似することを嫌って、さも己の嗅覚とコミュニケーション力を武器にしてネットの情報など参考にするのは、恥であるかのように語る、もしくは当のネット上で高らかに宣言してみせる輩が少なくなくて、ぼくなどはそうした力こぶを見聞きすると心の底から嫌気が指してしまうのであります。ぼくは暴言覚悟で言い切ってしまいますが、酒場なら酒場、喫茶なら喫茶でも構わぬけれどスマホでもPCでも情報端末を持っていてそれらの店を経巡る事を趣味とする者でネットの情報と無縁である者は皆無であると断言するのだ。なんて、そうした情報と無縁な者が実際いるとすればこの断言を目にすることもなかろうから何を言っても構わぬのであります。それはともかくとして、ぼくが参考にするのは、明確に2つの系統があって、古いお店と安いお店であります。この両方を兼ね備えていることが最も良しということになるのでありますが、そうした店を見つけ出すのはもはやかなり困難なこととなりつつあります。なので、古いお店に関しては2つのサイトを参考にさせてもらっています。安いサイトはズバリ1サイトのみで計3つのサイトを主な情報源としています。どうにも行き先が定まらぬ場合に新しいお店については食べログのニューオープンに頼ったりもするけれど、情報の掲載時期がどうも遅くなりがちで、例えばオープン記念のキャンペーン期間が終了していたりすると行くことを躊躇してしまったりして余り有効に利用できているとは言えぬようです。 さて、とある夕暮れ時、職場の仲良しさんに呑みに誘われたので、鶯谷に行くことになりました。安いサイトとして唯一その情報の速さと更新頻度で信用していると同時に敬服もしておりますセンベロのおねえさんのサイトに「立ち飲み居酒屋ドラム缶 鶯谷店」がオープンしたとの報告があったので、一軒目はここを訪れることにしました。場所は鶯谷駅に行ったらなんとかなるだろうし、見つからなければスマホで調べればいいと碌に下調べもせずに向かったのでした。辿り着いて愕然としました。ここはかつて飲食とは別にお世話になった「一代」のあった場所ではないか。知らぬうちに居抜かれてしまったようです。これにはショックを受けましたが、愕然としていてもすでに時は遅しなのです。かつては暗かった階段はすっかり明るくなり、この界隈が地獄谷などと呼ばれるのもそう長くはなさそうです。1階のぼくがつい敬遠してしまっていた立呑み店も退店したようなので、遠からず今どきのシャレたお店に成り代わるのだろうなあ。店内に入りまず驚かされるのは、ぼくの訪れた「ドラム缶」初の小上がりがあったことです。かつての小上がりをそのままに活かしたようです。長居するつもりはないので、当然丸い止まり木へと落ち着くことにします。酒と簡単な肴を注文し早速の乾杯です。松戸のお店は値段と商品の内容及び種類の点で、ぼくの知る「ドラム缶」とは全く異なったお店になっていて、困惑しましたがこちら鶯谷店はこちらの系列の典型でありながらも努力が認められるという意味で好意的に受け止めることができました。店の造りではもう一点ユニークなところがあって、天袋―押入れの上の物入―のようなスペースで呑んでもいいよの貼り紙があるのです。これは楽しいですねと店の方に語ったら、以前この天袋に全身をすっぽりと収めて呑んだ方がいたようです―つまりドラえもんのベッド使いと同じような体勢で酒を呑んだということですね―。本来は店内に背を向けて孤独を噛み締めて呑むというシャレ的な用途だったようです。まあ、想像するにそんなことは分かっていて、ウケを狙うなりの悪乗りだったんじゃないかと邪推するところです。とまあ鶯谷の別系列の激安立呑み店にがっかりさせられたのとは異なり、安堵するのでありました。 続いては、「浅草弥太郎 鶯谷店」にお邪魔しました。今回言いたかったのはこの点です。店選びでは真似っこは辞さぬのですが、それがハシゴとなると話は別なのです。というのも先述のセンベロおねえさんが最近週報を書かれていて、そこで鶯谷でのハシゴを書かれているのですが、その2軒目がまさにこのお店だったわけです。例えば郊外の呑み屋が明らかに数軒しかない町で呑むならそうした偶然も言い訳できそうですが、今回のように鶯谷という他にも選択肢のある町でハシゴした酒場まで一緒というのはいかにも追っかけみたいでちょっと恥ずかしいですし、逆にセンベロおねえあんの立場に身を置くとちょっと気色ワリイということになるのではないかと考えるのです。でもまあ済んだことを後悔してみても仕方のないことで、こちらのお店もどうやらチェーン店らしいのですが、7時まではドリングがお得に頂けるようでまさにそれだけの理由でお邪魔したわけなのです。客席は窮屈で空調の利きも今ひとつで酒場環境としては必ずしも快適とは言えなさそうです。だけれど、それを補って余りあるのがもつ焼のレベルがなかなかに高いこと。一緒に行った男はあちこち呑み歩いているけれど、その割にアブラという部位があることを1年程前にぼくの案内で連れて行くまでその存在を知らなかったというのだ。それ以降、ぼくが連れて行った酒場でアブラを頼むようになったのですが、ここではなんと3回も追加のオーダーをしてしまったのであります。いくら何でもそれは食いすぎだろうよ。ぼくなどは酸っぱくて食べやすい酢モツのほうがいいけどねえ。といったわけで、低価格で味も良いから他所の町で行き先が定まらずにたまたまこのお店に遭遇することがあれば選択肢に加えても良いと思いました。 とまあ真似っこにはなってしまいましたが、どちらもなかなか良くて、まあ結果オーライということにしておきましょう。と、この後さらにもう一軒行くことにしたのですが、なんたることか、そこまでもがセンベロおねえさんと同じ酒場となってしまったようです。もしこのブログを目にしたとしてもけしてぼくはストーカーじゃないのでそれだけは信じていただきたいと思います。まあ、われわれはその3軒目ではとあるハプニングに巻き込まれてしまい結局呑まずに店を去ることになったから、正確には3軒目は被っていないことも追記しておきます。
2019/08/30
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上野という町は、時代の新旧はもちろんのこと、洋の東西を問わずグッチャグチャに入り混じることで混沌たる定義困難な町並みを晒しているのです。それは御徒町に続くガード下を主軸としたアメ横なんかが典型である訳ですが、浅草通り方面に向かうと厨房用品と仏具店の立ち並ぶ合羽橋があったりと幾分か様相を異にするように思えます。しかしまあ、そこは上野であります。老舗の蕎麦屋があると思えば、バブル期の残滓を今に留める高級中華料理店があったりと文化や歴史の混淆都市の面目躍如を保っているのが懐の深さと評してよいのかもしれません。この2軒はかねてよりぼくの焦がれていたお店でありまして、それ程ならばとっとと行けば良いだけのことだという指摘はいつもながらに正鵠を得ています。得ているけれどのっぴきならぬ事情がある事もマンネリ答弁させて頂く事にしたいのです。 さて、夜の早い「翁庵」には、先にお邪魔しておくことにしたい。浅草通りに面する絶好の場所にありながら、いざ正面から眺めるのはいつ以来な事か。そもそも浅草通りのような大きな道路というのはどうも単調で町歩きの愉楽には裏通りなどと比べて格段に劣る気がします。浅草方面に向かう時は出来る限り未踏の裏通りを通るか、あるいはまだ人通りの多いこの辺りは足速に立ち去る事になるのです。だからこの老舗の蕎麦店も気になりつつ素早く通過することになる。この夜は太っ腹の少し年長の色男と食道楽姉さんが一緒という、ぼくとしては珍しいメンツが揃ったのです。先に到着した男性陣はまずは板わさと油揚げの甘辛煮を肴にビールで始める事にします。いやはや、噂には聞いていたけれど、この油揚げは旨いなあ。わさびの効きは然程ではないけれどいいアクセントになっています。丁寧に飾り包丁の施された板わさに添えられたわさびは別物というのが気が利いています。そして、飾りの溝が食感と風味にこれ程に影響するとは知らなかったなあ。油揚げはすぐ様に追加、350円と手頃なのも嬉しいですね。これまた絶品の親子煮を摘みだした頃に食道楽も到着。彼女は以前からここを贔屓にしていたそうな。早速席について乾杯を済ますと、すぐ様に断りを入れてコチラの最大の名物でありまするねぎそばを注文したのでした。これは所謂ところのつけ蕎麦の汁にかき揚げとネギが沈められているというもので、余力があればぼくも是非いきたかったのだけれど清酒に流れるとサッパリともりにしたくなるのは歳のせいか。そうそう、内装は思っていたほどに枯れてなかったのは、多くのお客さんが通うこともあって何度も改装を重ねたからでしょうか。この夜も常にお客さんが途切れることもなく、席はとにかく埋まりっぱなしなのでした。 さて、その程近くに「中国料亭 翠鳳」はあります。看板は随分前から目にしていたからその存在を認知したのはやはり随分以前ということになるのですが、ちょっと高級な中華料理店とは思っていたのですが、特に気にも留めずに通り過ぎてきたのでした。その後、上野で宴席を設けることになりその幹事を押し付けられたときに、たまたまこのお店のことをネットで調べてみたら、なんとなんとこちらはバブル期の真っただ中におっ建てられたどキッチュ物件らしいのです。これはなんとしても行きたいと切望したのですが、予算面であっさりとアウトとなりそれ以来、虎視眈々と時機の到来を待ち続けていたという訳です。さて、前置きはこの位にしておいて、地下へ下る階段だけでもワクワクさせられますが、思ったよりものっぺりして感じられます。店内は中国式庭園風に電飾がふんだんに使用されたギラギラ系でなかなか愉快なのですが、ちょっと平板な気がします。バブル崩壊後からも随分の歳月が経過してテンションが下がっているのでしょうか。客席に向かうエントランスすぐにある丸橋はこればかりは中国式というよりは日本庭園のそれに近いような。三途の川の太鼓橋が念頭に浮かぶけれどそれにしてはちょっとチャチな気がします。さて、こういう店だから、思ったほどに尖がってはいなかったけれど、内装ばかりに気を取られうっかり酒と肴を撮り損ねてしまいましたが、セコい注文だったからまあよかろう。カニ焼売や小龍包(ちっちゃいのが4つづつで、味はハナマサの冷凍物と同程度)に瓶ビールで誤魔化してしまったけれど、まあそれでいいのです。なんといってもこの店内に足を踏み入れるという悲願が叶ったのだから。それにしてもさすがだと思ったのは従業員の女性たちがスラリとした美人さん揃いだったことです。客層はどことなく品性のない人たちが多かったような。まあどうでもいいんですけど。
2019/07/19
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御徒町では、酒場より諸外国の料理店を巡る方が面白いのかもしれません。てなことを言いながら、かつてほどは食に対しての旺盛な欲望も失せてきて、というか大概の料理はよほど特殊な食材を使ったものでなければ、家庭で作ってもそこらの店とは遜色なかったりもするから、外で高いお金を払って馬鹿らしくなるのであります。前も書いたけれど、インド料理店は大概の店舗は面白くもなんともないから時々定評のあるお店に行って、家で作ったのと比較検討するために行っているようなものであります。ただ中華飯店に関しては、純然たる店の情緒を愉しむために立ち寄っているので、どうしても行く頻度は多くなるのでありました。「ヴェジハーブサーガ(VEGE HERB SAGA)」は、実は随分以前にお邪魔したっきりで、しかも本場風に一切の酒類を提供しないという事で、持て余していたのでした。ならばもっと前に御徒町の酒場を報告した時に絡めておけば良かったのではないかという指摘は至極ごもっともであるが、失念していたのだからどうにもならぬのです。ならば投げ捨ててしまえば良かろうという指摘には一理あるが聞く耳は持たぬのです。なぜならこちらのお店は前述したような酒類を置かぬということもそうだけれど、店名からも知れる通りのヴェジタリアン仕様のメニューに特化しているのです。いや、ノンヴェジの品もあったかもしれぬけれど基本的にはヴェジタリアン仕様のお店なのです。だからそうした本場志向もあって南インド料理に魅せられたぼくなどにとっては一度は行っておきたい有名店の一つなのでした。さて、店内はかつてはどのように使われていたのか、一般的なインド料理店とはどこか様子が違って感じられます。ライトな風俗店の気配を留めているように感じられましたが気のせいでしょうか。厳格を志向する割には妙にだらしないムードもあり、何となくちょっと想像していたのと違います。さて、届いたミールスは悪くないのだけれどおかずの種類が少ない気がします。あと二種類位、ポリヤルでも何でもいいけれど付けてくれればライスとのバランスもいいのになあ。あと、定番のラッサムとサンバルもなかったような、味だめししたいぼくには残念でした。ライスはお代りできるのでもったいないから少なめでお願いしたらコレばかりは凄いサービスがいいから食の細い方はお気を付けて。 さて、御徒町駅改札を出てすぐの「中華 珍萬」にようやくお邪魔する事ができました。表から見ると狭く感じていたのですが奥は案外深いのですね。それでも5分程待たされての入店です。席に着いてとりあえずビールと餃子を頼んだら、これがビールよりも先に餃子が届くのですね。これは一体どういうシステムなのだ、驚愕のスピードです。うん、きっと餃子は名物だからのべつ幕なしに焼き続けているのだろうなあと想像する。普通に美味しい餃子であります。さらに驚かされる事になろうとは思っていませんでした。というのは餃子以外の品、叉焼は分かる気もするけれど炒飯までが待つという間もなく出てくるのです。これは凄い。凄いけれど酒呑みのペースにはこれはいかにも速過ぎる。せっかちなぼくでもここまでせずとも良いのではと思うほどであるけれどこれがこちらのスタイルなのでしょう。多忙を極めるサラリーマンがさっと立ち寄り一杯やる、今時のサラリーマンには見られなくなりましたが、そうしたかつてのモーレツ社員たちの需要を確かに満たしていたと思えるような貴重なお店と感じました。
2019/07/02
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上野という町は、良くも悪くもいつだって活気に満ち満ちていて飽きるなんて言っている猶予すら残されていません。いつ行っても変化があるし、うっかり半年近く近寄らずにいると随分と眺めが違って見えたりする。でもそれはぼくのような古くからの酒場に強く反応するようなタイプの者には必ずしも歓迎すべき状況ではないのであります。至極代わり映えのないことを語っているけれど、それだけ変化が激しいということは古くからの酒場も次々と世代交代を余儀なくされているということを示しているのかもしれません。とはいえ上野のすべての酒場を知り尽くしてなどいないのだから、自分にはもはや上野には知らぬ古酒場などありはしないと思ってみても、歴史はあるけれど建物が新しいなんていうお店が有ったりするやもしれぬ。まあ、歴史ばかりあってもその情緒を留めておらぬ限りは興味も湧かぬからそれはそれで構いはせぬけれど、いい加減多くの店に行っているのだから多少なりともウンチクなど語ってみせるようでないと格好が悪いじゃないか、なんてことを思ってみたりもするのです。と話が飛びまくって収拾がつかぬから、今後有望な酒場について報告しておくことにします。 アメ横を歩くながら周囲を見渡すと、食材店では以前見られなかったほどに多くのお店で飲食できるスペースが設けられているのですね。こういうのって表から眺めると楽しそうに思えるけれど実際にそこい身を置くと案外、面倒が多かったり、不快だったりもするのですね。やはりぼくは基本的にはちゃんと店舗を構えているのが好みです。特にこれからの季節はうっかり見掛けの楽しげな様子に誘引されては酷い目に遭うばかりです。だから新しくて趣味とは程遠かろうとも「もつ焼き 煮込み ヤリキ上野支店」の方がきっと納得のいく呑みになると思うのだ。と書くと気に入ったように思われるかもしれぬが、そして確かに将来有望と思われる余地もあるが、結論としてはこのままでは客が離れるのもそう遠くない将来のことと憂慮するのであります。なにが問題か、それは従業員が少ないとは言えぬにも関わらずとにかくやることなすこと対応が遅いように感じられるのです。それが如実に影響するのがもつ焼の注文への対応で、わずかな串を焼いてもらうだけなのに30分以上を要するのだ。まあわれわれは空いているうちに入ったし、注文内容もすぐ出るものは的確にオーダーしたので余りインターバルなくスムーズに呑み食いできたからまあ良かったけれど、酷い人は延々と待たされていたし、果ては注文は受けられぬと断る始末となると事は重大であります。ここはとにかく旨いことは間違いないのです。安くはないけど旨いからその点については文句はないけれど、とにかくいつまでも待たされるのは酒場として決定的に欠陥であります。なんとかしないと将来は危ういと思うのだけれどいかがでしょう。
2019/06/15
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御徒町で呑む機会がめっきり減っています。というのも駅界隈が再開発でかつての怪し気というよりは危な気なムードを失ったからというのも理由の一つにあります。一つと書くからは、他にも理由があるのでして、この界隈を散策もしくは徘徊を何度となく繰り返した方であればお分かりだろうと思うけれど、思ったよりも酒場が多くないのであります。またいつもの思い違いをしていたと反省したフリで報告を続けるのだろうと思った方がいたら、残念ながらこの事実は字義通り実際の事なのであります。とは言えさすがにどこか洗練を欠いているけれども都心の町だけあって、郊外のどこかの町なんかとは違って全容を知り尽くすには至っていないこともまた事実なのです。なのにどうして御徒町を悟り切ったかのように語るかというと、それは歩きながら視界に映り込む店舗なんかがどこかで目にしているであろうチェーン店などと照合されるようで、その場で排除するという操作が無意識のうちに取られているようなのです。だから、ぼくの視線に収まる酒場は数少ないということになるのです。以前は喧しい位に賑やかだった御徒町が、今では整然として感じられるのです。ゴチャついたアメ横などは観光目的の意図的にプランナーが誂えたエリアに過ぎないように思えるのです。そんな状況だからこそなぜか以前は取りこぼしてしまったお店にも出会えるのかもしれません。 ガード下の「鳥よし」には、気付いていたのかもしれませんが、当時のぼくには後送りすればいいという程度のお店と書くと失礼かもしれません。開店直後の店内はまだ薄暗く、お店の方もまだスタンバイの態勢に移行しきれていないようです。表通りを眺められる窓際の卓席に着くと取り急ぎドリンクのみオーダーします。取り急ぎ肴はホタルイカと砂肝炒めにしておこう。酒に口をつける頃に夫婦連れ立ってのお客さんが入店です。買い物帰りに立ち寄られたようで、結構な荷物を抱えています。勝手知ったように手早くオーダーを済ませます。続いての客も夫婦連れで全くの躊躇もなくいつものカウンター席に着きます。とりあえずと言いながらギクリとするような大量オーダーです。そして席に着くや出された中ジョッキを瞬く間に平らげます。あっ、それは奥さんの方ね。なる程、この日は土曜日だったので平日とは様子が違っているのでしょうが、コチラのお店は少なくとも土曜日の夜は買い物帰りに食事を兼ねて立ち寄るという使われ方が多いようにお見受けしました。ぼくが普段立ち寄るような酒場ではそうは見られぬ使われ方がここでは一般的なようです。確かに大手チェーンの居酒屋なら夫婦だけじゃなく、小さな子供を連れた家族にはとても重宝するのだろうなあ。そう考えるとぼくの好むような酒場というのはごく一部の酒場好きとかにしか寄与していないとも言えなくもなさそうで、汎用性という面では明らかに劣勢に立たされるのかもしれぬ。としたらチェーン店を一概にないがしろにするような言説はもう少し配慮をもってなすが正解かとも思うのだけれど、一応は私的なブログというメディアでそんな遠慮もどうかという気もしなくもない。ともかくとして酒場好きにも受け入れられそうで、子供連れにはどうか分からぬけれど、こうした活用範囲の広い酒場は好意的に接するべきだとは思うのです。
2019/05/25
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JRの御徒町駅は、ここ数年ですっかり明るい町となり、多慶屋周辺の雑然としやさぐれた町並みは辛うじて留めてはいるけれど、そこからの無機質な単調な風景を歩くのが嫌で、長年懸案としているお店にも行かぬままに時が経過してしまいました。日本で2番目に古い商店街を名乗る佐竹商店街の人通りも疎らでシャッターを下ろしっぱなしとする店舗も見られるけれど、利便性の良さもあってか今でも現役の店が勝っているのは嬉しいことです。以前は良くこの商店街を歩いたものです。しかし、この商店街を目当てに訪れていたわけではありません。実にささやかな理由ですが、この近くのおかず横丁の「いわた」というお店の大学芋を真の目当てにして立ち寄っていたのであります。その大学芋屋も店をやめてしまい、後継ぎも家業を継ぐのを嫌ったのかその絶品大学芋も幻となり果てたかに思っていたのですが、どうやら川越に店を移転して再オープンしたとも風の噂に聞きますが、果たして当時の味わいを留めておられるのか気にはなるものの不安が勝って未だに行けず仕舞いとなっています。 されど、佐竹商店街にもずっと気になるお店があります。「甘味・軽食 白根屋」がそこなのですが、その存在はずっと認知していて、土曜日も営業しているので意向という決意さえ固まればそれこそいつだって行けてしまうという気楽さがこれまで足を遠ざけていました。しかし、そんな気持ちではいつまで経っても行けるはずがない。思い立ったら万難排して出向くべきなのです。そして例のカレーライスを口にすべきなのです。昔の甘味処そのものを体現したような店内も素敵ではありますが、そのリラックスできる環境以上にカレーライスが気になるのであります。今、リラックスと書きましたが実は四人掛け卓席は、身体の小さな昔の人仕様となっていて少しく窮屈なのですが、長居するつもりはないのだからそれもまた良しなのです。店のおばちゃんが仕切りに大きな卓を勧めてくれるけれど丁重に辞退します。さて運ばれてきたカレーライスは期待に違わぬ見事に鮮明な色彩を放っています。こうしたカレーライスにはソースが良く合います。たまにブルドッグなんかの中濃ソースが置かれている場合がありますが、ドロッにドロッを重ねる事をぼくは好みません。ここはやはりウスターソースが良いと思うのです。ドロッにサラッが混じって実に良い塩梅です。しかしまあ中濃もお絵描きできたりしてそれはそれで楽しいのですけどね。次にこういう鮮やかなカレーライスを食べるのはいつになるだろうと大切に頂きましたが、実はその翌週にさらに色鮮やかな逸品に遭遇することになるのでした。さて、帰りに商店街の福引ができるとレシートを受け取りますが、ここでおばちゃんからまさかの有難いサービスを頂けました。お陰でお土産ができました。 続いてお邪魔するは、「大村庵」でありました。普通といえばそうかもしれないけれと、その時のぼくにはとても懐かしさを感じさせてくれる佇まいに思えたのです。飾り気のない店内もとても爽快で気持ちが良いのです。蕎麦屋っていうのは、蕎麦を食うにしろ食わぬにしろ清涼感があるのが好ましいと思うのです。と書くと蕎麦を食っておらぬように終えるかもしれぬけれど、ちゃんと食べたのです。まあそばそのものの味はまあこんなのかという程度であるけれどそれで十分なのです。ここは古臭いタイプの店だけれど、酒の肴もそれなりに揃い呑みに使うにも適していそうです。たけれどもう店仕舞したそうなお母さんを見るとそれも無粋に思われ、ついアッサリと席を立つことになるのです。でもこの位のちょっと渋いくらいの店が居心地いいんですね。軽い肴でちょいと呑んで、軽く食事して引き上げる。実際、そういう振る舞いのできるのが粋というものなのでしょうが、どうやらそれを実践するにはまだぼくは幼すぎるみたいです。コチラには串カツなどの簡単な品も実にちゃんとしているのだからそれも仕方ないことなのです。ここもまたおばちゃんがとても優しいのです。さて、独り黙々と漫画に読み耽りつつカレーライスを食べるおっちゃんの皿を覗く見るとそれは有り触れた茶色のルー式カレーのようでした。 いやあ、どういうものか「コーヒー 長谷川」の存在はすっかり見逃していました。特にどうということもない雑居ビルの二階の世間から少しだけ身を引いたような控えめな姿勢が良いではないですか。店内もオーソドックスに過不足ない構えで申し分がないのです。いっそのこと、世間の喫茶のどこかしこもがこんなふうなら喫茶巡りに時間や予算を費やさずとも満足できるのだろうけど、なんて思っているのは情熱が衰えたと誤解を招きかねぬので止しておくことにします。
2019/05/16
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入谷という町はどうも掴みどころがありません。外ればかりだと憤ったと思ってみたら、次の機会にはなんてことのないビルを見上げた先になかなか悪くない酒場を見つけたりするのだから、気を抜けないのであります。憤る可能性があるというのに入谷に向かうのはどうした理由からだろうか。正直なところこの界隈は散歩してもそんなに楽しくはないのであります。酒場が好きだと一言でいってもいますが、その酒場を取り巻く環境をひっくるめて愛でるというのが正確なところでありまして、いくらそれ単体として眺めるならば趣のある酒場建築であったとしても、その両隣が新築マンションだったりするとやはり少しばかり興ざめだったりするのです。入谷というのはどうしてもその興ざめな町並みが広がっていると言ってしまうのはいつものことだけれど、無知のもたらす誤解でしかないのだろうか。でも、そんなつまらぬと思っていたビルの2階の奥に店構えとかの風情はどうってこともないけれど、そのサービス精神というか心映えに意気を感じるなかなか良い酒場があったから迂闊に悪しざまな発言を漏らすのは禁物なのであります。たまたま道すがらに目に止まった「居酒屋 さんたけ」に入ろうと思ったのは、何もそこが優良店だと予感したからなどでは全くありません。雑居ビルの酒場に対しては昔から郷愁にも似た愛着を感じずにはおられぬのですが、それは怪しげなスナックだったりがある、そこを通るたびに何度も繰り返して、店舗数を数えてみても毎度その数が異なっているような正体を計りかねるような不気味さに魅惑されての事なのです。迷宮風の入り組んだビルに得体の知れぬ人たちが吸い込まれていく、その行き先を見極めたいけれど迂闊に後を追っては帰って来れなくなるような危うさに魅せられるのは、いい加減によすべきかも知れない。しかし、この入谷のビルの2階にはテナントはこの一軒のみです。極めて健全なのです。だからここに立ち寄ったのは、単に店選びに飽きたからという消極的な理由しかないのです。店内も年齢層は高めであり、しかも女性の方が優位なのです。女性のおひとり様やら二人組なんかもおります。これは珍しいし、きっと女性の喜ぶ仕掛けがあるはずだ。それはメニューを見て一目瞭然です。値段とか内訳は忘れたけれど、数多いメニューから盛りもよく味も悪くない肴を2品とドリンクも2杯だったかなあ、ハッキリ覚えていないけれど、吝嗇家たるぼくが思わずこれは良いと感じたのだからきっと間違いなくお得なのです。刺盛りやこの夜の日替わりのおでん盛合せなんか、これだけあれば二人なら後もう肴はいらんと思えるほどです。そこにさらに2品を頼めるのだからその安さには誠にアッパレと評したくなるのです。店のおばちゃんもとても溌溂と元気で感じよくて、うっかり呑みすぎてしまいます。他の客がいつの間にか姿を消してなおしぶとく居座ってしまい誠にすまん事です。そう、昔はこういう店って少なくなかったよなあ、若い頃に通っていた店をふと思い出しますが、それが具体的にどこだったかはどうしても思え出せぬのでした。
2019/03/28
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入谷でなくったって何処でもいいんだけれど、東京の下町と呼ばれるエリアには現在に至るまで人情なるものが息づいているようです。石原さとみもそのような事を申しているらしいのを何度も目にしています。耳にしておらぬのは、電車のモニターで見ているからであって、ここではどうでもいい事だけれど無声、無音の宣伝方法にはもっと改善というか配慮する余地があるのではないか。ともかく人情なるものが一体どういうものなのか全く分からぬわけでもないけれど、少なくとも自らの口でそれを用いたいとは思えないのです。下町でなくても例えば副都心とか呼ばれるような新興というか後発の町にむしろいわゆる人情的な某しかを感じることが多いというと、分かりやすくやっかんでいると受け止められるだろうか。それでも一向に構わぬけれど、いわゆる下町の小体な小奇麗だけれど古くからやっているらしい小料理屋風のお店で、品のいい適度に相手になってくれる女将から思わずうめき声を上げそうになるような勘定書きを突き付けられた経験は数知れずあります。銭金のみで人情を語ろうとする辺りに程度の低さが露呈してしまうのでありますが、少なくともその勘定書きにぼくは人情を認められぬのです。 この夜、急にT氏と呑むことになりました。町屋か入谷のどちらかにしようと決めたはいいけれど、そのどちらにするかがなかなか決まらぬ。ぼくはどちらにでも身を振れるようJRの常磐線で三河島駅を目指します。町屋なら10分ちょっとで行けるけれど、入谷はその倍近く掛かります。できることなら町屋にしたいと思ったけれど、T氏からは無情にも入谷に向かっているとの回答でした。やむなく三河島駅を後にひたすら入谷方面を目指して歩き出します。入谷に行ったところで目当てなどなくて、ただ闇雲に己のあてにならぬ嗅覚のみを頼りに彷徨い歩いた。そうしているうちにT氏も入谷駅の改札を出たようです。おっといかん、こちらより先着してしまったようです。慌てて駅方面に駆け付けるとそこでバタリと遭遇。T氏によるとすぐそばにちょっと良さそうなお茶漬けと看板に記された酒場があるようです。迷っている時間が惜しいのでそちらに向かうことにしました。 そこは「居酒屋 大し満」というまさに「古くからやっているらしい小料理屋風のお店」と呼ぶのに適当なお店そのもので、これだけ書けばあとはもう何も書かなくてもいい位。というわけにもいかぬだろうから、何か書くことにするけれど、こちらはお母さんと呼びたくなるような女性お一人でやられているお店。カウンター席のみかと思ったら奥には座卓が2卓置かれていて、後から来たちょっと面倒くさそうなおぢさんはそちらに通されていました。皆さんご近所のようで、のんびりとした女将さんの作業振りにも文句ひとつなくゆったりとした時間を過ごされています。ぼくらもそうしたいところですが、貧乏ヒマなしであまり時間もないから少しばかりじりじりさせられます。お待ちいただいている間にこれ召し上がって、と煮物をサービスしていただきました。お客さんたちは女性が多く、しかもお姉さまがたが多いから何かというとわれわれも絡まれる。そうしつこくないけれど、うかうか気を抜けぬ程度には構われるのであります。でもそれで差し入れ有。レンコンの肉はさみ揚げを御馳走になったのであります。これは嬉しい差し入れです。でもとT氏と顔を見合わせます。こういう店ってサービスとか差し入れとか言ったりしてもきっちり勘定に反映されるんだよなと互いの表情が物語っているのでありますが、結末はやはり予想のとおりなのです。 すぐそばに「入谷 大勝軒」があります。「大勝軒」の系譜について詳しいところは知らぬけれど、浅草橋などの下町に多くあるタイプと東池袋のつけ麺メインのお店があるのは知っています。きっと前者のタイプだろうと気を抜いて店に入ってみると、なんと後者のつけ麺メインのお店でありました。食券式のお店だからしらばっくれて出てしまってもそう罪はないと思いますが、なぜだかそうする気にはなれず、大人しく餃子とチャーシューとドリンクの券を購入し、席に着きました。まあ席に着いてみればどうということのない古びたお店であります。お値段はまずは手頃と言っていいでしょう。腹は空いておらぬからつけ麺は勘弁していただきましょう。しかし、餃子を摘み始めてしばし経つのに、チャーシューが出てこぬ。これはおかしいオーダーミスかと思いきや立派なチャーシューメンが登場したのでした。T氏が思わず、えっとか言ってしまったのです。黙ってればチャーシューメンを頂けたのにねえ。それで構わぬと申し出たのですが、時すでに遅し、チャーシューを拾い出して残りはどうなってしまったのだろう。勿体ないことをして.させてしまったなあ。こういう場合は瞬時の判断を即時伝えねばならぬと思い知ったのでした。
2019/03/22
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先日、馴染みの酒場の馴染みのお客さんにとあるマンガの存在を伺いました。といってもその方の記憶はぼんやりとしていて、都内の外れの町に呑みに行く2人組を描いた作品であるということで、2人して頑張ってスマホを駆使して調べた結果、藤木TDC作・和泉晴紀画による「辺境酒場ぶらり飲み」であることが判明しました。なるほど、ぼくの趣味と通ずるところのある藤木TDCが原作で、しかもいかがわしいグルメマンガを得意とする和泉晴紀がタッグを組んでしかも辺境酒場をこの二人、本人たちがモデルとなっているとすればそれは気になるのであます。早速お試し版を眺めてみるけれど、想像通りというか、期待を裏切りもしないけれど、上回ることもないという微妙な作品になっていて、これに果たしてマンガとしては破格な金額を投資すべきか迷うことになるのでした。ともかく余程に時間がないとこれに描かれるような町に出向くのは難しそうだ。辺境でこそないけれど、辺境気分を幾分なりとも楽しめる三河島を訪れたのでした。 とりあえずは韓国食材店などが立ち並ぶ商店街を歩いてみますが、見慣れた商店が立ち並ぶばかりで、ここぞという店は見当たりません。というかもともと町並みには飲食店が少なからずあっても良さそうなのに実際には八百屋や韓国食料品店ばかりなのです。やむなく迂回して町屋方面に向かおうとしたら「生そば さのや」の看板が目に止まりました。この細い路地は以前も通った事があるけれど、気付かなかったなあ。いや気付いたのかもしれないけれどその頃は蕎麦屋で呑むのは贅沢でもっとおぢさんになってからやるべきものと思い込んでいたかもしれない。このところあちこちの蕎麦屋を訪ね歩いて分かった、というか分からなくなった事があります。ひたすら蕎麦をメインに据えた食事処としての立ち位置を頑として守るお店とちょっとした肴を常備して簡易的な呑み処としての役割を果たしているお店があるらしいという事です。そしてそれを見分けるのは案外難しい。店の構えや立地では見当を付け難いのであります。客の入り具合や店頭の商品ケースを眺めれば幾分か予測できるけれど入は見えない事が多いし、商品見本もない場合も少なくないようです。ビール会社のポスターやビールケースが店の脇にあれば少なくとも酒を呑ませることが最低限判別できるけれど、それも放置しっぱなしで呑ませなくなった店とも遭遇したことがあります。この夜は小ぢんまりした町の蕎麦屋として過不足ない内装に満足して、ちょっと寒かったものだから熱燗をと修行中らしい若い人に頼むと、酒はありませんとの無下なきお返事、しかしビールはあるとの補足にひと安心。呑めれば何でもいいのです。おかめ蕎麦を注文してしまうと、後はのんびりビールをチビチビやればいい。ちなみにここは酒の肴は特に用意されてはいないようでこれも少し残念だけれど、ぼかは白飯だって梅干や振り掛けがあれば立派な酒の肴として楽しめるから何の支障もありません。それにおかめ蕎麦って見た目も愉快だけど、ちまちまと摘める具が多くて嬉しいのです。いやあ、やはり熱燗が欲しいところだなあ。その代わりというわけでもないけれど、アテの足しにとカニカマサラだと天ぷらを付けてくれるなんて気が利いてるじゃないの。 腹も一杯だから町屋はやめて西日暮里に向かうことにしました。見たところどこにも変哲のないごく標準的な居酒屋「焼き鳥 七福」がありました。カウンター席の奥には座敷もあって、家族連れがいらっしゃるようです。しばらくするともう一組の家族連れも来店して、やはりこうした駅遠の「辺境酒場」―この言葉は別にここらが本当の辺境で辺境の酒場であるという意味ではなく酒場のないエリアという意味での酒場の辺境と捉えるのが穏当だと思います―には、家族連れがよく出没するようです。確かにパパが晩酌して子供たちは座敷でバタバタと遊ぶという絵面は辺境酒場そのものの光景に思えます。さて、店の方は無口で終始機嫌の悪そうな様子を絶やさず、お勘定の際にのみ笑顔を見せるというタイプの方のようです。若い女性従業員にも一切の手加減なく厳しく当たるのが見ていて痛々しい。まあその女のコも無愛想だったんですけど。焼鳥はまあこんなものかな。値段はまあ競合店も少ないようでちょっと強気な感じがしました。これで枯れた雰囲気なら物言いも変わったんだろうけど、まだまだピカピカだから辛口くらいがちょうどいいと思うことにします。
2018/12/27
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鶯谷の町には、それなりに出掛けているし歩き回ってもいます。だからもはやぼくの求めるような酒場なりは恐らくないであろうということは分かっているのです。それなのに不思議な吸引力がこの町にはあるみたいです。確かに町は猥雑さに溢れているし、歩く人々の表情からも邪な気配を嗅ぎ取ってしまいたくなるのであります。裏路地などに迷い込むと無事には帰還できないのではないかという危険な気配が濃密になるけれど、そうした通りも一通りはあるいてみたつもりなのであります。しかし、ぼくはこれまでに幾度となく経験しているけれど、たまたま新店がオープンしたとかいった理由で町に立って歩き出すと、あらゆる道を通って知っていた気になったはずなのに、まったく見知らぬ風景だったりすることがあるのです。これは闇雲に散策するのと狙い澄ました酒場なりを目指すという心構えの違いといった心理的な差異ではなさそうです。恐らくは、なるべく違った道を歩こうと思っても余程毎日のように通い詰めぬ限りは、どうしても気になる方気になる方へと進路は定まってしまうようで、いくら記憶をまさぐって本能に近い何某かの力を振り切ろうとしたとて抗えぬもののようです。それであれば、常にどこかしら余り知らぬ方面に目的地を設定してそこを目指すように探索すれば見知らぬ通りを歩く可能性は格段に広がるはずであります。ならば今晩にでも始めればよかろうというものですが、ことはそう簡単には運ばぬのであります。行き先を決めるというのは、予め退屈さを孕んでおくことであってそんな退屈に耐えるのは時間の無駄ということもあるし、すぐにでも呑みたいのだから空振りは極力避けたいのであります。 本当はこんな真新しい酒場に入るつもりなどなかったのであります。なるべくなら風趣に富んだ木造の一軒家酒場などに遭遇したいところでありますが、なかなかそうした機会に恵まれることは少ないことはもはや語ってみるまでもないことです。隠微な町、鶯谷であればそうした酒場が路地裏に迷い込めばあるといったこともないのです。だから車通りの多い通りに面した少しも秘密めいていない「呑み処 食い処 倫」にお邪魔することも致し方のないことなのです。がっかりとした心持で酒場に立ち寄るとはなんとも虚しいことでありますが、酒場巡りは趣味であると同時に生活の一部、生理的欲求を満たすために欠かせぬ所業なのであります。さて、打ちっぱなしのツルンとした印象の店内はまあモダン過ぎぬ程度に気取っていて、しかしもつ焼のお店なのだからそんなに気張った感じではないからまあさほどむずがゆい気分にはならずに済みます。もつ焼はそこそこ美味しいけれど、安からずデカからずでありまあさほどのお得感はありません。ならばホッピーセットにナカ2杯を追加してというのが近頃の定番のヒットアンドアウェイのスタイルとなりつつあります。他のお客さんは地元の方らしいけれど常連という訳でもなさそうで、どちらかといえば様子を探りに来たように見えます。独り客が案外短時間で入れ替わっています。トマトを肴にさっと呑んで帰る客などもいてそれはそれで潔い呑みっぷりであります。独りで豚シャブに興じる方などもおり、それはちょっとお得っぽく思えたけど、豚シャブなら家でやればいいからなあとケチな根性が顔を覗かせるのであります。 でもまあこのままじゃあ物足りぬのでありまして、鶯谷で安心して利用できる酒場「呑」へと移ることにするのであります。こうした困った時に立ち寄れる酒場の一軒でもあるのは助かります。その条件は、安い、駅から近い、混んでないといったまあ至って独創性に欠ける結論とならざるを得ないがこれはご容赦いただけるものと思うのです。日常的に繰り返しで立ち寄ることのできる酒場がある駅はごくごく限られていて、3駅に1軒あるかなしかなのはいささかにも心許ない。さて、こちらには初めてお邪魔して以来、すっかり気に入って時折訪れるようになりました。酒の肴も豊富でいいのですが、それより何より店のオヤジの飄々としてユーモラスなお喋りが気に入っているのであります。こういう酒場が各駅にあればハシゴで迷うことも少なくなるのだけどなあ。
2018/12/12
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大阪は好きだけれど、大阪の人にはどうにも受け入れられぬ性癖があります。大阪の人と一括りにする乱暴さは分かっているけれど、ガセネタ説の絶えない『秘密の県民SHOW』なんてテレビ番組が公共の電波で堂々と放映されているのだから、少しくらい乱暴な言行をしたところで許されると思うことにしよう。この番組に登場する大阪人はオモロイらしいと出演者たちは口々に賞賛するけれど、あれってホントにオモロイか!? 少なくとも明らかに奇天烈な身形をしているとかいうのを除いて、極めて穏当なファッションに身をくるんだ人たちの発言に少しもオモロイ場合は稀なのだ。というか常に笑いを求められそれに応じなければならないと信じ込んでいる大阪人のなんと不憫に思えることか。そしてそれが少しもオモロクなかったりするものだからもう少し強めに憐憫を覚えるのです。大阪人の笑いがどうしてオモロクないのか。それは至って単純な理屈であって、オモロイことをどうですオモロイでしょうと迫られたところで少しもオモロクなどないのは当然なのであって、オモロクなさそうな人がさもオモロクなさそうに何事か発するからこそオモロイのであります。オモロイことをオモロがらせようとして実際にオモロイというのはプロの芸人にすら稀なのだ。だから大阪の人は東京の人間を忌避するのだと思う。「あんた大阪の人だからオモロイんでしょ、何かオモロイこと言ってみてよ」。彼らはそんな挑発を何度となく受けてきたに違いないのです。それはとんでもないプレッシャーであるに違いない。ぼくのかつての大阪生まれの友人は知り合った初期の頃は、空回りの意気込みでそのがっかり発言を繰り返したものですが、徐々に大阪人であることを拭い去り、素の自分を晒すようになり、その時初めてオモロかったり可愛かったりしたものです。と、大阪の人も素に戻り一個人として付き合えば愛おしくもなるのであって、大阪の人とそれ以外の地域の日本人はどうも容易に乗り越えがたい壁を築いてしまっているようです。なんてどうでもいいお喋りをしたのは、端的に自らをオモロイと称する酒場に行ったからというだけのことで、けして大阪人を敵に回そうなんていう意図はないのであります。 さて、舞台は鶯谷であります。夜道を歩いていると目にした途端に不快になる店名の酒場がありました。「おもろいで!!」だってさ。どういうつもりでこんな店名にしたのだろう。答えは簡単であります。ぼくのような愚かな客がこれは一体全体どういう店なのかと気になって誘い込もうという戦略なのであります。これは推測でもなんでもなく、店のママがそう語ったのだから間違いのない事実なのです。「おもろいで!!」という台詞に本気でオモロイと感じる人はまず存在しないと思いたい。ぼくは始め不快に感じた。不快だけれど、その不快さに流される弱さ―この場合はオモロイ物好きという心根の弱さ―がぼくをしてその扉を開け放しめるのでありました。内装は大変瀟洒であります。大変手が込んでいるしお金も掛かっている。こういう立派なお店は自分が仕事をする上でのプライドの証しともなり得るし、客をもてなす心構えの証左でもありやはり見逃すわけにはいかないのであります。そして奇抜すぎてもよろしくない。奇抜で愉快なものはすぐに飽きが来るものです。ここで大阪人の例えを披露するつもりだったがこれ以上の揶揄は大阪人に失礼であります。キッチュとかじゃないしみじみ上出来な造りの空間は細部こそ記憶に留めることはできても肝心の総体としての認識はそうそう記憶に焼き付けきれぬものではないから、日を置いて改めて訪れたくなるものなのであります。ママの魂胆も虚しくお客はおらぬななどとその点には触れぬようにお喋りを始めると、ママは大阪には一時期お暮しになっただけで、東京住まいがずっと長いようです。店の名の事をちらりと尋ねたけれど、やはりぼくのようなオモシロ物好きを誘い寄せる効果を狙っているようです。次第に姿を見せる客たち。オモシロではないリラックスできる時間を求めて次々とお客さんが来られます。北陸との二重生活を送る方やイラストレーターを生業とする方など個性的なお客さんが多いけれど、けして「おもろいで」とおどけて見せるお調子者はおらず、案外に愛すべき酒場なのでした。
2018/12/06
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根岸としたのは他でもない、その響きが古色めいていて何だかとても味わい深い雰囲気を備えていると感じられるからであります。字面を眺めてみてもその感慨がもたらされることはないけれど、枯れ果てた根っこだけが侘びしく蔓延る岸辺の風景を思い描いてみると、なんとも言えぬ寂しさを讃え始めるのです。地名の由来などどこかの検索エンジンに打ち込んでみれば本来の意味を知り得るのでありましょうが、そんな事をして敢えて興を削ぐ事はなかろうと思う一方で何故に斯様な面影の片鱗すら留めぬ地名が残ってしまったのか知りたくもあるのです。そして、このような地に長い歴史を有する店が残る事にも不可解を感じずにはおられぬのです。いや、単に古くから店があった事は何ら不思議ではない、けれどそれがこれまで生き延びてこられたことこそが謎なのです。その秘密の一端を探るために長らく無沙汰してしまったその酒場を目指したかというとそんな事はなくて、この夜は若い娘なんかに自慢気に、ほら見てご覧これが大人の酒場なのだよ、とでも語る事を好みそうなおぢさまがあるから、それに便乗するつもりなのでありました。 ここは今更にぼくなんぞが語るまでもなかろう、東京ばかりでなく日本の酒場を代表する一軒「鍵屋」にお邪魔したのでした。いつ来てもここは確かに素晴らしい。しかし、敢えてこの報告で難癖つけてみるならば、瞼の上と下をくっつけて思い描いてみたら容易に思い出され、しかもそな描いた光景が瞼の裏側に描き出されたのと少しも相違ないところが物足りぬのです。辛うじて差異を探すと伴った連れの顔触れだけなのであります。まあそれでも細部を眺めてみればそもそま見落としていたものなどもあるのだけれど、それはもとより見て記憶に留める程のものでもなかったようだ。つまりは、もしかするとここは再訪に耐え得ぬ酒場なのではないか。繰り返し訪れることで味わいを増す酒場もあれば、ここのように初訪の衝撃にすっかり打ちのめされる事が最良となる場合もあるということか。いやしかし、ここはやはりカウンター席で独り、酒燗器で温められた酒を傾けてこそ感じられる感興があるのかもしれぬ。けれど、この今や観光名所と化したこの酒場でそれを求めるのは無益なのかもしれません。 続いてお邪魔したのは「グリル ビクトリヤ」でした。歴史はあるらしいけれど店の構えは格別に見るものはありません。いや、この言い方は少なからぬ誤解を招きそうだから言い改めると、独創性はなくともどこかしら懐かしさを感じさせる店内なのであります。つまりは居心地が大層よろしいのです。居心地の良さは酒を進ませるものです。既に少なからぬ量を呑んでいたにも関わらずまたたく間にワインをボトル二本空けてしまった。まあ二本など大した量ではないかもしれぬけれど、記憶にあるのが二本目なのだからその先もあったのだと思う。だからそこらで記憶は打ち止め。肴はどれもこれも普通に美味しくて、全然特別でないところがむしろ好ましく思えたのでした。尖ってたり奇抜過ぎたりしたらそうは酒は進まぬものです。という訳でこの夜はさすがに呑みすぎたなあ。ぼくは翌日はとても辛い朝を迎えてどうにもならぬ状況だったけれど、何故か翌夕も根岸にいたのであります。
2018/11/30
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上野には数多くの老舗店があります。京都の住民たちは千年の歴史がないと老舗と呼ばぬとかいうお話なんかもあるようですが、ぼくには百年であろうが千年であろうが十分な歳月のように思えます。むしろ40、50年程度の開店当時そのままの手付かずの店舗の方がよほど愛おしく感じられるのであります。都内で古いお店と言えば牛や泥鰌などの鍋屋だったり、寿司屋や鰻屋だったりと胃袋にヘビーなのが多くて案外行けていないのであります。東京の老舗を集めたムック本なんていう俗なものも所有してはいるけれど、活かされていないという現状があります。本当なら比較的胃腸が元気な昼飯時にでも行けばいいのだけれど、ランチタイムがいくら手頃でもそればかりだと夜の生活に支障が生じてしまうのであります。その点でいえば、老舗と言えども蕎麦屋は比較的扱いやすいのであります。繰り返しになりますが、蕎麦という食べ物はライト級でありますし、お値段もまあ立ち食いもあることを考えるとお高めではありますが、それでももりそばにお銚子一本であれば二千円もあればなんとかなるというもの。 そんなわけで、この夜は「上野 藪そば」で一杯ということに相成りました。ここには随分以前に一度お邪魔していて、非常に良かったという印象があります。神田よりずっと好きだったはずなのだ。それには店の佇まいの良さも当然に含まれているのでありまして、あの落ち着いているけれど、老舗臭の控えめな軽快な雰囲気が好ましかったのです。しかし、場所の記憶もあやふやなのでネットの地図情報を頼りに訪れたのでありますが、かつてと店の雰囲気ばかりでなく場所すら違っているんじゃないのかしら。これは単なる思い違いなのだろうか。調べりゃわかることだけれど、調べてかつての面影が蘇ってしまうとそれもまた残念な気がするので、調べぬのであります。こうなっては、風情を頼りとするのはもはや無理なことなので、呑みの方で満足を得ることに腐心すべきであります。蕎麦屋は手頃だと書いておきながら、ちゃっかりスポンサー付だから多少なりとも贅沢ができるだろうて、くくく。などと瞬時に気持ちを切り替えられる不遜極まりないぼくでありましたが、早く自腹でも斯様に堂々と振る舞い、財布の心配をせずに済むような立派な者になりたいものです。さて、蕎麦前をいただくことにします。といっても何を頂いたかなどについては、板ワサを摘んだこと以外はほとんど記憶にないから困ったものだ。カマボコだからきっと市販されているちょっと高級品を切ったものであるのだろうけれど、大変おいしく頂けました。真新しくてどうってこともないと思えた店内でありますが、単なるカマボコが美味しいということは老舗らしい風格が味に変化をもたらしたということなのでしょうか。〆に頂いた蕎麦にすらまるで記憶がないということはなんとも情けのない話でありますが、老舗には何かと難癖をつけたがるへそ曲がり者としては、何も語らぬのは良かったことの証左となり得ると解釈いただきたいのであります。思えば初めてここに来たのもスポンサー付でありました。次こそは自分の財布で心置きなく蕎麦屋呑みしたいものです。
2018/09/04
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旧友と呑むのは気恥ずかしくもあるし、色んな嫌なこともが思い出すことになりかねぬというリスクも孕んでいるけれど、それでもやはりそれにまさる懐かしさや旧友たちの変貌ぶりを目の当たりにするという期待とトキメキがない混じりとなって、やはり愉しみな事であります。これはまだ今の酷暑にはなっていた頃、しかし現在の厳しい日々の生活を予感させるに十分な暑い夜のことでした。待ち合わせたのは、そう上野駅でした。やはり上野という町は出逢いはともかくとして、再会するには似付かわしい町のように思えるのです。思えばこの夜に会う二人の片割れとは下宿生活を始めてすぐの頃に上野に遊びに来たという思い出があります。何故に上野だったか、その理由はハッキリしているけれど恥ずかしいので語らぬ事にします。ともあれその彼はパンダ口前で待ち受けていて、少しも老けてはいなかったけれど、身体は二回りほど大きくなっていたのでした。彼の目にもやはりぼくは一回り程度大きく見えたようです。しばらく待つともう一人も姿を現しました。一見すると、スレンダーで少しも変わった様子はなかったけれど、そのことに触れるには酷くデリケートな箇所に衰えが確認できます。自らそうボヤいてくれなければ、ずっともやもやを引きずって気不味い集まりとなったに違いありません。ひとつ学びました。それにしても余程うかれていたのか、写真を撮ることなどほとんど忘れていたようで、もうしわけないことです。 さて、そんな懐かしの再会の夜というのにぼくはどこまでもマイペースなのであり、駅から十分近く歩く酒場に向かってしまったのであります。そしてそこにあったのはかつての趣きを失った真新しい建物でしかもやってないから始末が悪いのです。なのでそれ以上は引っ張り回す事はしかねたので、浅草通りを上野駅方面に引き返したのです。この通りってこれっていう酒場はなかなか見当たらないんですよね。彼らのはやる気待ちと己の妥協点との間で激しくぼくの心は揺れ動くのでした。そして意を決したのは「大衆割烹 まことや」でありました。これなら古風な大衆割烹という趣に合致しているようだし、ゆったりとしており心置きなく昔話を耽ることができそうです。戸を開けると、おやおや思った以上に枯れた風情で悪くないではないか。このカウンター席でいいかと尋ねると、二階の座敷でどうかいと勧められるので従うことにしました。二階は一転してスッキリと飾り気もなく面白みに欠ける内装で少しばかりがっかりしましたが家紋らしき型取りの照明が随所に飾られていてその点はユーモラス。ぜひに写真でご覧いただきたかったのですが、店を見つけた安堵感とお喋りに熱中して取りそこねてしまいました。大衆割烹というか少々お高めかとほんの少し懸念しましたが、なんのなんのそこらの居酒屋と変わらぬ手頃さで、出される肴も割烹らしくはないけれど安心安価な品がほとんどでした。静かで落ち着いていて使いやすいので、人数がかさんでしまったらここを訪ねてみるという手札に加えられそうなお店でした。 駅のすぐ近くにこんなオンボロ酒場があったなんて知らなかったなあ。「居酒屋 げんき」ですが、オンボロとはいえ店内はカジュアルな食堂のような雰囲気に思えるのは、使われている家具が家店舗用ではない家庭用のもの風なのを使っているからのようです。だから一見すると場末酒場風ですが、入ってみると家庭的なカジュアルで溜まり場化しやすいお店なようです。実際、近所の企業のサラリーマンやOLさんたちが仕事の後の溜まり場としてひとつのグループ内でも出入りがあったりして、重宝がられているようです。品書は充実しているようないないような、何となく結局大皿から三種を選んでというおつまみセットを選ぶことになるのです。これを3人で頼めば9種類と単品を沢山食べられぬ、そして食べたくなくなった我々にとっては気の利いた品でありました。もっとこうしたおばんざい風のつまみの出し方を世の酒場はしてくれたらいいのに。これまでは、仕事で散り散りとなった以降の動向について語り合いましたが、それも出尽くすと、話は思い出話へと至るのは必定なのです。そうなると酒の勢いはさらに弾みがついてきて、昔三人が中心となって製作した映画やらの話になったりこちらもやはり尽きることがないのでした。さしてしたたかに酔った後に口々に漏らすのは皆酒が弱くなったあという一言なのでした。
2018/08/06
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三ノ輪であります。一度ならず見限ったかのような発言を繰り返したことを改めて反省するとともに地元の方や三ノ輪を愛する方にお詫びの言を述べさせていただきます。誠にすまぬ事であったですよと尊大な言い回しをするとさらなる怒りを買う事になろうか。いやまあ確かにこうして改めて歩いてみるとまだ行けていなかった酒場なりがあるもので、近頃、純粋な酒場とは呼び難いお店も多くて歯がゆい思いをなさっている方もおられようと察しますが、次回の三ノ輪では紛れもない酒場をハシゴするのでそれで御勘弁いただきたいのであります。今回は中華飯店、世にいう町中華の系譜に紛れもなく据えられるであろう好ましい二軒をハシゴするのであります。とか書いたけれど都合により別な夜の呑みを無理矢理繋げただけなので、それぞれの報告としてご覧くださると幸いなのです。 さて、まずは「千住軒」であります。大関横丁の奥まった場所にあって、酒場好きであれば今は跡形も無き名酒場「遠太」の目と鼻の先と言えば大凡の察しが付くという方も多かろうと思います。当時は気にも止めなかったのが近頃のように一心不乱に中華飯店を求めているといとも呆気なく視界に浮上するのでありますね。そんなものなのだ。さて、夕暮れを迎えてまだそう間が経っていないけれど、お客さんも退けてさ、そろ店仕舞の時間かなという、まったりムードの店員さんたちを見ると済まないかなという気にもなるけれど、それでも食い気の発動した今となっては後退るのも失礼というものです。カウンターに腰を落ち着け、頼むは定番ばかりなのです。ここにしかない何かがありそうにもないからいつものもので構わぬのです。理屈を言えば同じ品を食べねば他店との差別化も計れぬではないか。いやもうそんな鋭敏な味覚などそもそも持ち合わせてはいないのだけれど、美味いか不味いか程度のことは言ってみせること位は出来るのだ。ここは普通に旨い。普通に旨いとはいかなる言い草だと、激しくぼくを糾弾するおっかない知人もいるけれど、普通においしいはちゃんとおいしいのであります。美辞麗句を弄して綴る旨さなど、小難しすぎて少しも美味そうではないことは昨今の情報過多マンガで知悉している。だってキャラクター達の語る饒舌なお喋りより、ずっと彼らの雄叫びのほうが心に響くからなあ。 ここはもしかすると入谷駅からが近いのだろうか。前回訪れた時は多分入谷駅を使ったからそちらが近いのだろうか。「中華料理 一兆」には、1年くらい前に来ていたようです。というか来てみてすぐに分かったけれど、せっかく来たから入ったまでであります。ここの餃子は旨いからなあ。そしてこの何気のない質素な佇まいが堪らなくいいのです。やはりまた餃子を頼んでしまいました。美味しかったことを覚えているなら他の料理を頼むのもありだと思うけれど、どうしても安心安定を求める消極さがぼくにはあるのです。それを詰まらないと思うも意見として拝聴しますが、いつもフラフラと呑み歩いている身としては止まり木と同じ様な感覚で肴を味わう事を代替としたいのであります。
2018/07/16
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