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占いや性格判断の世界に於いて、大きな枠組みで何万人もの人がひと括りで性格・運勢がわかることに従来から疑問を感じていました。12カ月でのグループ分け程度では、血液型での性格判断のレベルと大差が無いように思っていました。 鏡リュウジ監訳、チャールズ&スージー・ハヴェイ共著の「月と太陽でわかる性格事典」という厚い書物は、 1930年1月21日午前3時33分(水瓶)~2009年12月22日午前2時47分(山羊)までの太陽星座の分類表のほかに 同じ時期、期間での月別・時間別の月星座(28日周期)の表が載せてあって、自分の生まれた年月日に於ける誕生時刻直前の星座を調べ組分けするものです。 双方の星座による組合せは144通りという従来の12倍ものグループに分けられますので、より的確な性格判断が得られるというものです。 それで自分自身を照らし合わせ、性格を調べてみたところ、繊細で気まぐれ、直感的、優れた洞察力、如才ない、ロマンティック、魅力的、社交的、人に依存しがち、慎重、芸術的、おとなしくて従順、美と調和を愛する、心のうねり、大らか、人当たりが良い、疑うことを知らない、騙され易い、協力的。 と言った”水×風”で構成されるグループに属していて、若干の例外を除けば殆どが納得でき、驚きました。そこで、 家内(生まれ時刻を知らない)や娘・息子(誕生時刻は勿論判明)なども調べてみましたら、微調整でぴったり当っていました。 しかし乍らマイナス面はあまり指摘しないで、良い面を強調する文言が多いので、読者をして”その気”にさせる代物なのかも知れません。 本日の拙作は、旋律が先にできて、どうしても歌詞が伴いません。不倫的なムードには違いないんですが・・。 「女の業(ゴウ)」http://voon.jp/a/cast/?id=l3xhc11cd9a9kqz0#player
2013.10.31
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をんな達が身体の線を見せなかった古き時代は、何故か癒しの世界へ惹き寄せてくれます。 これに反し、現代女性は露出過度。いとも簡単に自分の全てを見せてしまうのは、 早晩、ネタギレに陥り、結局ジレンマの中でもがくことになりそうで案じられます。 カラー写真満載の観光書とモノトーンの匂う古き旅日記とを手に取れば、前者はわかった気がするだけで何も残してくれません。 一方、何度も頁を繰って見てしまうのは後者ではないでしょうか。 この日記でも写真を添付しないのは、読者の想像力の方が、文章に勝ると信じているからです。 本日の拙作は”imagination 2” 歌詞は以下の通りです。 1)あちこち歩いても 出会えない 私の未来の 旦那様 どこにいるのよ 逢いたいな 花金 連れだって 飲みに行く 私を射止める 男ヒトは無い 一人じゃ 淋しいから 一人じゃ 淋しいの 不安 ふあん 不安よ 素敵な貴方に 遇ったら お望みどおりに するわ 料理も 掃除も 洗濯も 何でもきっと してあげる 2)鏡に向かっても つまんない 化粧は愛する 男ヒトのため それも無いから 張りがない 眠りに就くときに 考える 結婚する日は いつ頃か 月日は 待ってくれない 月日は 過ぎて行く 不安 ふあん 不安よ 素敵な貴方に 遇ったら 二人の将来 話す 住いも挙式も ハネムーンも いろんな夢を 話し合う ”imagination 2” http://voon.jp/a/cast/?id=ny7zg6ya7yjkqj4z#player
2013.10.30
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竹林を放置したままにして置くと、山中の他の樹木や草々を凌駕し、竹ばかりの荒れ放題の山に変わってしまうのだそうです。しかし長岡京市や向日市の竹林は手入れが頗る行き届いていますので、嵯峨の竹林を凌ぐほどの美しい景色になっています。 また当地の孟宗竹の筍(タケノコ)は全国に名をはせるほど有名で、長岡天満宮境内にある八条ケ池畔に紅壁の映える「錦水亭」の筍づくしのは有名。円明寺団地の一角に三浦芳次郎の石碑があります。 筍が日常の食料となったのは江戸時代末期のことで、明治時代には大きな需要があり増産しました。その結果乙訓地区では生産過剰になって販売価格が下落する事態になり、茶畑に変える農家もありましたが、 三浦芳次郎が兵庫地区への販路を展開し救済しました。これを機に乙訓の筍は全国的に知られるようになりました。 京の寺町通の二条辺りの某竹細工のご主人が、吐き捨てるように仰った「孟宗竹? あんなもん竹や無い!」調度品、用土品向きの細工にはやや、不向きなんでしょうね。本日は嵐山の奥嵯峨に於いて、関西の殆どの結社で構成する大阪俳人クラブの吟行大会が開催されます。私共結社が運営を任されております。 本日の拙作は、「恋ぶみ」 http://voon.jp/a/cast/?id=zfic96w3ha90853o#player
2013.10.29
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このノートパソコンVAIOと直結させているプリンタ機の土台になっているのが父の形見の1つ、SPレコード盤容れなのですが、小夜福子ら宝塚歌劇団のレコードに混じって、水の江瀧子(ターキー)のレコードが幾つか残されています。 昭和10年頃の亡父の日記にターキーの事が大々的に書かれていた事への裏づけにもなります。その中の1枚には新聞の切抜きが挟んでありました。 芸名や本名(三浦うめ、大正4年2月小樽生まれ)をそのまま使うという寛大な心の持ち主。1928(昭和3、13才)~’42(昭和17、27才)までを松竹少女歌劇団でのトップスターとして活躍。 黒いタキシード姿でダンスを踊る時、左右にバサッバサッと揺れる短い髪にファンは酔い痴れていたと叔母たちから聞かされています。日本不出の名男役スターと評された人でした。 私が馴染んでいたのはNHKテレビ、小川浩さん司会の「ゼスチャー」柳屋金吾楼さんに対して女性側キャプテンとして、子供心にそのお人柄が好きでした。 若い頃は日産自動車のキャンペン・ガールにもなって国民的なスターだったようです。1953年の鶴田浩二襲撃事件を機に日活映画のプロデューサーとして働き、石原裕次郎、朝丘ルリ子、岡田真澄らの育ての親となりました。 1985(昭和60)年、甥(実兄の子、一説に実子説も)三浦和義のロス疑惑を機会に’89年芸能界を引退、しかし’93年には「生前葬」を挙行するなど、個性的な女性でした。 本日の拙作は、「別れの曲」。 同じ楽譜でも楽器のみの演奏と、 コンピューターの合成による人の声でハーモニィさせたものとでは随分趣が異なりますね。「別れの曲」 http://voon.jp/a/cast/?id=0wr90vnxrobqy2wa#player
2013.10.28
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高橋千劔破(チハヤ)著「花鳥風月の日本史」(黙出版)の頁を繰っていると、掲題のような秘話が・・・。鰯は古来より下等な魚とされていて、いやしい魚→いやしが訛って「いわし」或いは弱い魚なので「よわし」→「いわし」に転じたとも。 昔から大量に水揚げされるので軽んじられがちですが、その味の良さはみんな知っていて、江戸時代の「和訓栞」には、或る時紫式部は鰯を食し、その美味を忘れかねていた。当時の貴族社会では卑しい魚をされていたので大っぴらに食べられない。 夫の藤原宣孝が外出した隙にこっそり焼いて食べたところ、帰宅した夫から鰯の匂いを指摘され、 日の本にはやらせ給ふいはしみず まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ 日本人なら誰でも、人気のある岩清水八幡宮にお参りするように、鰯を食べない人なんて居ませんよと詠みました。実に頓知の利いた一首ですね。 以来、鰯のことを女房言葉で「むらさき」というようになったとか、「猿源氏草紙」では式部ではなく和泉式部の逸話として登場するとか。 また、鰯を「紫」と称するのは「藍に勝る」=「鮎に勝る」との洒落から出た語とも言われています。 本日は結社の故人を偲ぶ系露忌という法事を兼ねた吟行句会です。司会進行など担当します。本日の拙作は、「たんぽぽ」。http://voon.jp/a/cast/?id=m21izxartyqlm5fu#player
2013.10.27
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藤原定家が選んだ小倉百人一首の中の契りおきしさせもが露を命にて あはれことしの秋もいぬめりこれは藤原基俊の詠んだ歌ですが、何かと話題になっているようです。尾崎雅嘉著の「百人一首夕話」に詳説されていますが、歌人・中根三枝子さんの「百人一首と植物」という論文にもあります。基俊のこの和歌は、 <「千載集」には、この歌の長い詞書があって、息子の僧都光覚から「維摩会」という法会の講師になりたいという申し出を受け入れて貰えないという不満を聞いた 作者の基俊が主催者の藤原忠通にその事を訴えたところ、「しめじが原」だ、私に任せておけと請合ってくれたものの、 結局その年も講師の選に漏れてしまったので、この歌を忠通に贈ったようです。 では「しめじが原」とは何かと言えば、新古今集の ただ頼めしめぢが原のさしも草 われ世の中にあらん限りは という清水観音の御詠歌に拠ったもので、「ひたすらに私を信頼しなさい、さしもありとも私が世にある限りは叶えさせてあげるから」と言った忠通の言葉を”恵みの露”と信じていたのに・・・。> 島津忠夫注釈の「百人一首」では、定家は歌の名人として、経信、俊頼、顕輔、清輔を先に挙げ、父の師であった基俊はさほど評価していなかった旨書かれています。 本日の拙作は、平成9年11月17日作の”Christmas”です。 http://voon.jp/a/cast/?id=uh4uao7ut4yqkhxy#player
2013.10.25
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年末になると必ずと言って良いほど上演される演目に「仮名手本忠臣蔵」がありますが、「仮名手本」と言うのは、いろは四十七文字の事で、赤穂四十七士をを暗示しています。又、人生の手本、人の鑑を指していて、「忠臣蔵」とは、忠臣の詰まっている蔵と言う意味です。 歌舞伎・浄瑠璃の外題は、五字か七字で表し、読み方も七・五音或いは五・七音で読ませる工夫がされています。漢字が偶数になりそうな場合には、二十を廿とか、神を神明と記して逆に増やして調整しているのです。 では読みを考えて下さい。1)道行思案余2)色増栬夕映3)助六曲輪菊4)伽羅先代萩5)隅田川続俤6)籠釣瓶花街酔醒7)お染久松色読販8)色彩間苅豆9)深山桜及兼樹振10)江戸生艶気樺焼11)稗史億説年代記12)莫切自根金生木<解答>1)みちゆき しあんのほか2)いろまさる もみじのゆうばえ3)すけろく くるわのももよぐさ4)めいぼく せんだいはぎ5)すみだがわ ごにちのおもかげ6)かごつるべ さとのよいざめ7)おそめひさまつ うきなのよみうり8)いろもよう ちょっとかりまめ9)みやまざくら とどかぬえだぶり10)えどうまれ うわきのかばやき11)くさぞうし こじつけねんだいき12)きるなのねから かねのなるき <これだけは廻文になっています>(参考「日本故事物語」池田弥三郎) さて本日の拙作は、「蝶の嘆き」。1. 好きで選んだ 道ではないわ 酒とタバコに 明け暮れる 明日も見えない 浮草なのね 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願い 2. 好きで選んだ 道ではないわ 嘘と飾りの その後は 暗い楽屋の ピエロのようね 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願い 3. 好きで選んだ 道ではないわ 恋も希望も お金にも 縁もゆかりも 無いのよわたし 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願いhttp://voon.jp/a/cast/?id=1o00kfer6sqomnde#player
2013.10.24
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近藤武吉著「正字と誤字」から拾った間違え易い漢字を少しアレンジ。 「衡」&「衝」 行の中に角と大を書いた字が衡で、決して中を魚と書いてはいけません。道行く人が牛の角に当たらないよう、大きな木を結えつけた形、また「さおばかり」が水平になった時に正しい重さが解るので同様にこの形も「はかり」の意味に使うようになったとか。均衡、度量衡。 一方行くの中が重を入れた場合の衝は突く、当たる、突当たる、動く、動かす向かう、道、交通の中心、戦車、かなめなどの意味を持ちます。 「号」&下が突きでた字本来は虎が吠える意味でしたが、後に虎が消えて、「大声をあげて呼び叫ぶ」意味になり、「いいつけ、よびな、しるし、等級」を示す言葉になり、号令、年号、記号などと遣われます。この字の下半分は、音はコウで気が伸び出ようと上がって、一に妨げられている状態を示していますので、巧、攷(カンガエル)、朽の旁や偏と同じですから、決して突き出さないように書くことです。 本日の拙作は、「恋と恋仇」1. 恋に恋する 時は とても眠れは できぬ 胸の鼓動が 鳴る ドキドキドキラ キキドキラ あの娘だけは 誰にも渡せ ないさ それを思う 時は 胸が高鳴 るのさ 恋に恋する 時は 居てもたっても 居れぬ これが恋の 病 誰も一度は 経験するのさ 2. 恋の仇は 強敵 とても俺には 勝てぬ だけど命を 賭けて ヤルヤルヤルサ ヤルヤルサ あの娘決して 美人ではない けれど 気だての良さは 一番 色の白さも 抜群 恋の仇が どうした 俺の真ごころが いつか勝利を 掴む 誰も構うな 今度は ヤルのさ 「恋と恋仇」 http://voon.jp/a/cast/?id=sh6nx14s9js59yoh#player平成10年10月30日の作。
2013.10.23
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一番人気の女流画家・上村松園「青眉抄その後」というエッセイ集を読ませて頂いていると、日本画の厳しい世界を垣間見ることができます。 松園さんの文体は、その作品から漂う気品と同じで、控え目にして、芯のある響きが伝わって来ます。女性ゆえに何十度となく味わった忌々しい扱いにも堪え、只管、筆一筋に美を追求されたのです。 面白い内容がありました。滝澤馬琴と葛飾北斎との確執でした。挿絵家の北斎に対して、著者の馬琴があまりに神経質にいろんな注文をつけるので、北斎は馬琴を厭うようになったのだそうです。一旦、縒りを戻したものの、再び喧嘩状態になったので、書肆の丸屋甚助が苦労して仲を取り持ったようでした。 話は変わりますが、彼女は画布にもいろいろ工夫をして居られたようです。絹を涸(か)らした生絹(すずし)に湯引きしたものを使用する等、作品の精度への情熱が並々でなかった画家のようでした。 本日の拙作は、平成10年3月27日の作、 「憩いの森と湖と」 http://voon.jp/a/cast/?id=no1oq3f5mova704e#player
2013.10.22
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俳句は目にしたものに季節感を織り込み、一つの詩として十七音でまとめたものですが、その内容が季語を見事に溶けあった時、多くの感動を呼び寄せるものになります。 ただ、句作の上で、好都合な道具立てと言いましょうか、「具」として輝きをもたらすものも多々あります。尚学図書編「読めない漢字の読本」の中の”玩具・遊び”から拾ってみると、 起上小法師(不倒翁)、傀儡、小芥子、”建築・場所・地形”からも 四阿(東屋)、校倉、梲(ウダツ)、厨、框(カマチ)、閂(カンヌキ)、庫裏、枝折戸、蔀戸、三和土(タタキ)、築地、破風(ハフ)、”その他雑々”から漁火、女将、篝火、老舗、仕舞屋、丁髷、泥濘(ヌカルミ)、野点など。植物や動物、鳥、魚、衣類などは季語に含まれることが多いので割愛しました。 さて本日の拙作は、「人恋川」。 水は流れる 二つ川 月の雫も 溶けて行く 貴方を想い 追いかけて来た 忘れられない 憎い人 果たせぬ愛に すがって生きる 星は瞬く 凍て空に 女ひとりの 夜が更ける 幸せは遥か 向うの彼方 忘れられない 遠い人 こだわる愛に 未練が残る 雪はしんしん 降り止まぬ 明日も見えない 恋ゆえに 想いは溢れ 愛しさ積もる 忘れられない 夢の人 イダ 届かぬ愛を 抱いて生きる 人恋川 http://voon.jp/a/cast/?id=zvvfbykk78h42uig#player 平成5年9月10日の作です。
2013.10.21
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今から8年前の日記に綴っていたのは、舞妓さんから芸妓さんに変る時だけ舞うという「黒髪」を俳友のお計らいで酒席にて見せて貰いました。以下は当時の記。 <句会がはねたあと、南禅寺の門前の料亭で、舞妓・豆千花(マメチカ)さんの襟替えのお座敷に会しました。 舞妓さんはこの時だけ”お歯黒”をし、独特の髷を結い、最後の振り袖姿を披露するのです。お歯黒は蝋で溶かしてあって、食事もままになりません。最近の舞妓さんは年季内で一本立ちしますので、特に感慨に耽ることも無いのだということです。 料亭の女将さんや仲居さんにとっても舞妓さんの舞う”黒髪”という舞はめったに観られるものではないようで、我等珍客は、実に幸運に恵まれたと言えましょう。恋しい人を待つ心、切々とした思いを踊る舞で、スローなテンポと意表性をつく仕草の愛らしい舞です。 豆千花さんは一応”目の据え処”も出来ていて、足の運びも先ず先ずでした。本来なら地方さんらによる生演奏で踊るのが筋ですが、お花代を安く仕上げる都合上、止むを得ないことでカセット・デッキの伴奏で舞って頂きました。 彼女の同期生はたったの5人だったそうです。当初の20数名が、あれよあれよと言う間に、リタイアしてこの人数に減ったのだそうです。祇園という格式を重んじる世界の厳しさの一端を見たような気がしました。> さて本日の拙作は、「夕焼け」。http://voon.jp/a/cast/?id=oqfe3j8iaq757qvv#player
2013.10.20
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相変わらず忙しい日々。最近非常に疲れ易くなったなぁという自覚があります。毎年、この季は2冊分の俳句誌の発行、130篇ほどの募集大作賞の受付事務双滴集(1300句ほど)の選句など・・・。71名を擁するボランティア・ガイド会の幹事として会合の出席、班の運営、実際のガイドなど・・・。それでも用事をなぎ倒していかなければなりません。 さて、昨日ガイド当番の帰りに図書館から借出した5冊は。1)「日本故事物語 上」池田弥三郎著(河出房出版) 岡田嘉夫さんの個性的で美しい絵柄の表紙。NHK 「私の秘密」にも出ておられた?池田先生の名著。2)「誰もが”うっかり”誤用している 日本語の本」井口樹生著(講談社) 最近、テレビでも日本語の正しい使用法や漢字の読 み書き、筆順などの番組が各局で放映されています。3)「岩波 いろはカルタ辞典」時田昌瑞著(岩波書店) 主に江戸時代から巷で言い伝えられた短い格言と、 それを図案化したカラフルな、楽しい本。4)「童謡の謎」合田道人著(祥伝社) <案外、知らずに歌ってた>という副題があるよう に、童謡とは奥の深い世界。5)「読めない漢字の読本」尚学図書編(小学館) 俳句を嗜む者は漢字に強くないと、流麗な披講が 出来かねますので、時折、こういう本を。 本日の拙作は、”セレナーデ”ですが、途中で録音が切れていて申し訳ありません。 セレナーデ http://voon.jp/a/cast/?id=n8var2ik4m3xwxcl#player
2013.10.19
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或る人がベルギー勤務になっていた時、同僚の若いベルギー人たちが、この冬に家が完成するだの来年には新築するとか話し合っているのを聞きながら、三十にも満たない若造なのに持家とは・・・とお国柄の違いを感じたようです。 彼の課では急ぎの仕事が入ったので残業を部下に頼んだのですが、きっぱり断られました。その理由は、「家を建てている最中だから」というのです。家に限らずベルギー人は一部のエリートを除いて、一般のサラリーマンやOLは残業をしないで、退社時間になると、さっさと帰り、家庭や友人との生活を大事にするのだそうです。 日曜日になって郊外の住宅街を歩いていると、ある一角の空き地でセメントを練ったり、煉瓦を積んでいる親子を見かけましたが、それが当の部下。ベルギー人は自分の家を自ら建てるのです。<男の子はお腹の中に煉瓦を持って生まれて来る>ようで、彼の奥さんが「うちの男の子のお腹にも、きっといっぱい詰まっていますわ。父親の仕事ぶりを覚え、大人になったらお腹の煉瓦を取り出して、自分で建てるようになるんです。」だって。 さて本日の拙作は、 ”兄弟喧嘩”。 一日鼻紙二十枚も かむのは誰だろ 〇〇〇 〇〇〇 一日みかんを十五個も 食うのは誰だろ 〇〇子 〇〇子 毎日機を見て陣えらぶ 要領良い子は 〇〇子 〇〇子 この曲と歌詞は佐賀からほぼ60年前のものです。 http://voon.jp/a/cast/?id=7i5fz9lhbkyzx9jj#player
2013.10.18
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日本の地形は細長いので若干の誤差は仕方のないところですが、帰燕の候となりました。 ツバメってなかなか賢い鳥ですね。彼らの巣はどういう場所にあるのでしょう。駅前の人通りの多い場所駅の軒下だったり、駅前の商店の軒下だったり・・・。30年ほど前、東京駅を中心に3キロ四方のビル街や繁華街を80人ほどのスタッフで調査したところ、44ものツバメの巣を発見。一体、ツバメはどんな基準で、巣をかける場所を選んでいるかを検討しました。・・・それは、巣のある建物には、ツバメに関心を持てそっと見守ってやる人たちが必ずいる・・・・ それは、ビルの管理人、駐車場の守衛さん、ビルの社長、タクシーの運転手など。いろんな人がいるけれど、50歳以上の地方出身者たち。彼らは猫が近づかないよう、絶えず注意して視ている。巣からフンが落ちると、OLや買物客などに嫌がられないよう、すぐに掃除する。そういう気配りの人のいる場所をツバメは観察したり、経験で判断するようです。人の出入りの多いところにはカラスやヘビが近寄って来ない、乗っ取り犯のスズメそのものが警戒して近寄れないような賑やかな場所を選ぶのだそうです。 本日の拙作は、「管弦楽の為の試作」。 http://voon.jp/a/cast/?id=1155ats5mry7g2ce#player
2013.10.17
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今年は猛暑の記録が塗り替えられ、また台風の当り年となっています。二十六号は十年に一度の勢力と言われただけに、範疇の広さにも驚かされました。ところで民芸運動の一人、陶工家・河井寛次郎は「私は木の中にゐる石の中にゐる、鉄や真鍮の中にもゐる、人の中にもゐる。一度も見た事のない私が沢山ゐる。始終こんな私を出してくれとせがむ。私はそれを掘り出し度い。出してやりたい・・・」という言葉を遺しています。アサヒビール大山崎山荘には民芸運動に賛同した初代社長・山本為三郎氏の贈呈による河井寛次郎や浜田省司、バーナード・リーチらの作品が毎月入れ替え展示されています。冷酒の好きな寛次郎は徳利やぐい呑み茶碗、猪口も沢山残しています。光線を浴びると一段と輝き、当りの柔らかさまで伝わってくる作品ばかりです。昭和十年ごろは陶硯ばかり作製していたようで、陶硯百種展覧会が開かれたこともあったようです。人間が大好きだった寛次郎宅には客の絶えることがなく、そのふところの深さと優しさが、彼の作品に表れているように思えるのです。 さて本日の拙作は「恋をするなら」。歌詞は以下の通り。 「恋をするなら」 1)恋をするなら ちょっと悪が好き なめてかかってるうち 不意を突くような男(やつ) ちょっと香りの おしゃれして ちょっとハイな スーツ着て 攻めてはさっと退く そんなゲームを 楽しむ 大人の恋を 知った男(やつ) 2)恋をするなら ちょっとデブが好き ブルドーザーのように ストレートに来る男(やつ) ちょっと横顔 可愛いくて ちょっとえくぼ 見え隠れ 帰りは 後をひく そんな個性を 持ってる 女の心 溶かす男(やつ) 3)恋をするなら ちょっと実(じつ)のある 傷を隠していても すぐに暴き出す男(やつ) ちょっと男(オトコ) 臭さもあって ちょっと過去に 曰(イワ)くある 二人で 秘密共有(も)つ そんな魅惑を 備えた 胸にジーンと 来さす男(やつ) 「恋をするなら」 http://voon.jp/a/cast/?id=qfski6ty36q7q9da#player この曲は純情路線から百八十度転回し大人っぽい魅力を焼き付けた山口百恵さんの「プレイバック」のように、大人の世界を題材にしたシャンソン+ジャズ風味の平成八年六月十日の作品です。
2013.10.16
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今月の初めに借りた5冊の本。1)「京都 魅惑の町名」高野 澄著(PHP研究所) これは大阪俳人クラブの町名シリーズには欠かせない教本です。139号には「蛸薬師町」を掲載する予定で、昨日、カメラを片手に、蛸薬師堂、妙心寺(別の小寺)、こぬか薬師、薬祖神祠そして蛸薬師町を撮影して来ました。2)「群書類従 第12輯」(塙保己一編) ガイドでは歴史的人物の多くを語る場合がありますが、この書は過去の歌合や個人的な和歌の一部が網羅されたものです。3)「京都の地名 検証」(京都地名研究会) 古典学者の多くにより記述された「地名」の解説書です。非常に重宝する内容が盛り沢山。4)「水が語る京の暮らし」鈴木康久著(白川書院) 大腸ポリープ切除のため、2泊3日した際の読み物として。非常に参考になりました。5)「読むクスリ ベスト・セレクション」(上前淳一郎著) この日記に再々利用させて頂いている良書です。トピックスを私なりにまとめて、ブログに載せています。本日の拙作は野沢菜節。 長野冬季オリンピックの前年に、家内が懸賞であてたホテル宿泊券で野沢に行った時に作った曲です。 ちょっと物悲しいメロディですが・・・。 1)なんなん 菜の花 誰 くれた 偉い坊さんが 京のかぶら はるばる運んで 植えつけた 2)長閑な田舎に 灯が点いた 天道いろした 黄金の灯が 上杉殿様 国自慢 3)こりゃまた 美味いぞ 良え菜じゃな 塩でちょい揉みゃ なお良かろう 銭生む宝の 土産もん http://voon.jp/a/cast/?id=ro9isuissbnxwrlo#player
2013.10.15
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足利八代将軍・義政公のご典医を曾祖父に持つ角倉了以は高瀬川の開墾で有名ですが、保津川の開削工事にも関わり、半年で工事を完成した由。大岩の上で火を焚き、脆くなったのを砕くという手法だったそうな。 話は早速脱線しますが、日本古来の水運は明治以降、衰運を辿り、高瀬川は大正九年に、琵琶湖疎水は昭和二十六年をもって物資を運ぶことが無くなりました。しかし高瀬舟は保津川にて観光事業として利用され、この過程は漱石の「虞美人草」にも。「・・・先っきの岩の腹を突いて曲がったときなんか実に愉快だった。願わくば船頭の棹を借りて、俺が船を廻したかった」「君が廻せば、今頃は御互いに成仏している時分だ」「乱れ起る岩石を左右にめぐる流は、抱くが如くそと割れて、半ば碧りを透明に含む光琳波が、早蕨に似たる曲線を描いて厳角をゆるりと越す」 更に名文が続くのですが、この保津川下りは四分ものの無声映画としてフランスから紹介されています。江戸期開墾以来、ちょうど四百年に当たる二〇〇六年、記念行事が行われ、戦争で供出された了以像が再建立されたのでした。(参考図書・鈴木泰久著「水が語る京の暮らし」) 本日の拙作は、浅瀬の清流をイメージした曲で、砂地の奥から湧き出る、透明で澄んだ水の流れときらめき。 そこに住まう小魚たち。ときおりそよ風が通りすぎる。 「せせらぎ」浅瀬の清流をイメージした曲で、砂地の奥から湧き出る、透明で澄んだ水の流れときらめき。 そこを楽天と住まう小魚たち。ときおりそよ風が通りすぎる。
2013.10.14
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先日、テレビの特別番組では、黒柳徹子・久米宏の絶妙コンビによる歌番組「ザ・ベストテン」の裏話や生番組ゆえのリアルな(新幹線停車中での生歌等)シーンを映していました。残念ながら仕事の忙しい時だったのか、私の記憶には無く、あれほど面白い番組だったとは知りませんでした。しかしそれよりももっと昔、前田武彦と芳村真理が司会する人気番組「夜のヒットスタジオ」は、私たち四人姉弟がまだ独身で多感な年代でしたので、楽しく見ていました。或るとき、プロデューサーの企画なんでしょう、 毎週のようにヒット・チャートにランクインされた人気歌手がコンピューターによって”相性の良い恋愛相手”を導き出すというシリーズが始まり、 <幸せが住むという幻の湖・・・>で始まるヒット・ソング:「虹色の湖」でデビューした、ちょっと唇のめくれた中村晃子の相手が、ちょっぴり憧れていた前田武彦だったので大泣きしたシーンを思い出します。 当時は生番組が主流で、この番組も生でしたので、事の成り行きに唖然としました。演技でもなく中村晃子嬢の真のこころから出た美しい涙でした。当時の歌手達は”世間ズレ”していなかったのでしょうね。 尚、前田武彦で検索して御覧なさい。彼はあだ名作りの名人で「ナマズのおばさん」(芳村真理) や、「金太郎」(小川知子)「ピノキオ」(布施明) 「海坊主」(都はるみ) 「びっくり人形」(ちあきなおみ) 「3日前のハンバーグ」(菅原洋一) 「チョコレート・モンキー」(南沙織)など、明石屋さんま風の元祖だったのでしょうか。 本日の拙作は”踊るリズムたち”。 http://voon.jp/a/cast/?id=s2pwt801fr2siz9t#playe
2013.10.13
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このところ、日本は長寿化の一途を辿り続け、百歳以上の”真のお年寄り”が5万人を超えたと報じられています。数年前に書いた内容を再掲載しますと、 2001年3月1日の”産経抄”には、<笑いやユーモアが脳の老化を防ぎ、体を活性化させ、 病気の治癒力を高めることが既に医学的に証明されている。 きんさん、ぎんさんがテレビに引っ張りだこになり、CMの出演料をもらって使い道をたずねられた。 その答え、「老後のために貯金します」は、一代の傑作だった。>と述べられています。 更に紙面には、古来の有名な臨終狂歌が添えられてありました。 <十返舎一九の「この世をばどりゃお暇(イトマ)をせん香の 煙とともにハイ(灰)さやうなら」や 英一珪の「二三百生きようとこそ思ひしに 八十五にて不時の若死」> 先人には死というものを超越した豪儀な人たちが居られたと言うことでしょうか。 本日の拙作は「戴冠式」。 http://voon.jp/a/cast/?id=rqcxopgdgdh3viog#player
2013.10.12
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町の店頭に艶やかな栗が並べられ食豊かな秋の候となりました。父の残した新聞切抜きの一つに大村しげさんのおばんざいシリーズ。そして掲題のものを見つけました。 くり、まったけ、もみじ狩。 秋の夜は、くりを焼くのが、うれしい。---すなおに秋をたちこめて、人を誘うにおい。これでごはんをたく。 海の恵みに乏しい京へ、神さまは、山の宝をぎょうさん授けてくださった。中でも有名な丹波ぐり。町をぬけて、北は丹波地方がその産地。くりのなまえは”ぎんよせ”とやら。粒があろうて、黒う、つやがある。 ごはんは塩加減。焼いたくりを、三つ四つに割って、お米のときからいれて、たく。なまのくりでもするけど、焼きぐりのほうが、甘うてこうばしい。 なるべく本文にそくして掲載しましたが、これはほんの一部です。ところどころ上手な表現だなぁと感心します。 本日の拙作は、若い男女向けに贈った曲で平成8年7月12日の作。 「愛の絆」 1)君と僕とは feeling 何をしてても thinking 電話欲しいな waiting 直ぐに鳴る鳴る ringing 好きになったら 迷わない 二人はいつも 一つの心で 結ばれる 地球が パンクするまで 変わらない 愛の誓い 2)朝になったら calling 直ぐに逢いたい meeting コーヒー飲みたい drinking 散歩したいね walking これと決めたら 進むだけ 二人はいつも 平和のともしび 点けている 世界が 闇になっても 変わらない 愛の炎 3)星が綺麗ね looking 風がソフトね holding 愛の言葉を blowing 見つめ合う時 kissing 信じあったら 強いもの 二人はいつも 小さな幸せ 探してる 宇宙が 消滅するまで 変わらない 愛の絆 「愛の絆」 http://voon.jp/a/cast/?id=ufv5ugibgft87y05#player
2013.10.11
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近藤武吉さんの「正字と誤字」という半世紀前の文庫本、先月の初めに紹介しましたが、今回も拾ってみました。 勧(すすめる)と歓(よろこぶ)と観(みる)「勧」はもと、勸で、その偏を分解すると毛角の意味のカンと鳥を意味する隹とを合わせて萑(おぎ)になりますが、音としての口2つを足せば、こうのとり、こうづるという水鳥。これが変化してすすめる、勉強する、つとめさせるの意味を表し、勧学や勧業、勧誘などと使われます。「歓」は旁の「欠」が「あくび、かける」の意味でケン、ケツの音だったものに左部分を足して、飲食して喜ぶことや声を出して笑う意味も含み、歓待や歓迎、歓心などと使います。「観」は見るとめぐる、ぐるぐる回すという意味の圜の音を表す左偏との合字で、ぐるぐる見回す、見まわして詳しく見ることから観察という用法に。視=こっちから殊更にモノを見るで、聞<聴と同じ覩=確かに目に見つけること看=目の上に手をかざして望み見ること覧=一通り目を通すこと瞻=仰ぎ視る、首をさしのべて見はること瞰=俯して視ること少し難しかったですね。 本日の拙作は 「芽ぶき」です。 http://voon.jp/a/cast/?id=vs4ua2h8f2wgs519#playe
2013.10.10
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以前、父が遺した寿屋の「洋酒天国」をご紹介しましたが、ここに薄っぺらい冊子があって1960年12月5週号から翌年1月4週号までの付録もついています。 冊子にはオールド、角瓶、ヘルメス・ジン、トリス各ジュース、リキュールなど20種類のカラフルな洋酒瓶の写真やおつまみ、器具、グラスなどいろんなものを紹介したり、マンハッタン、ドライマテニー、赤玉レモネード、アレキサンダーなど作品の作り方まで伝授。 ところでその付録のこぼれ話に「百歳まで生きるには」とあって、アメリカの某紙が世界中の百歳以上の老人に長寿の秘訣を聞いた記事が載っています。 108歳(米・男)・・・毎日マキ割りをせよ 101歳(英・女)・・・毎朝の紅茶にスプーン2 杯のウイスキーを入れる 104歳(米・女)・・・決して怠けないこと 103歳(米・男)・・・朝、山の神とケンカするな 103歳(米・男)・・・美人の露骨すぎない写真を 肌身離さず持っておけ エトセトラ・・・。 本日の拙作は平成9年8月10日作「恋ごころ」 http://voon.jp/a/cast/?id=v0xylvojx9x8qn30#player
2013.10.09
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中国の或る王が、天下の名馬を集めて来いと命じました。ところが家来は死んだ馬の骨に大金を払い王の前に戻ってきました。王がかんかんに怒ったのは当然ですが、罰する前にその理由を尋ねました。家来は平然と言ったそうな。死んだ馬でさえも大金を払う王が居ると評判になり、黙っていても天下の名馬が集まって来ますと。事実その通りになったという故事があります。この故事で以て見事に遣り込めた女性がいました。皆さんよくご存知の「枕草子」の作者、清少納言の逸話で、宮廷に勤めていた時分は、何かにつけ、男どもを知識で揶揄していましたので、皇后定子が亡くなり、彼女も七年に及ぶ職を辞して、文筆もぷっつり絶っっていた老年期の或る日のこと、清女のあばら家の前を通った貴族どもが「ああ、往年の才女も、今ではさっぱりだなぁ」とからかい気味に言うと、あばら家から尼姿の清女が皺だらけの顔を突き出して、「みなさん、ひとつ『名馬の骨』を買ってみないかね」と反撃したという話。 さて本日の拙作は平成11年3月21日にMACで作った曲です。 ”伝言”1)子供達聞いとくれ 父の云うことを 家を一歩出てみたら 渡る世間に鬼も居る 騙されないで 賢く生きろ 逞しく育って おくれよ 2)子供達聞いとくれ 父の云うことを 風がさっと吹くように 時が往くのは瞬く間 汗かくことを 忘れず進め 宝物具えて おくれよ 3)子供達聞いとくれ 父の云うことを いつかきっと思うだろう 金は天下の回りもの 手を差し伸べろ 優しく触れろ 慕われる人に なるんだ この曲は9月26日の「助言」同様、子どもたちへのアドバイスを歌にしました。 「伝言」 http://voon.jp/a/cast/?id=gwij36sti0ujlix3#player
2013.10.08
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去る4日の金曜に高槻の胃腸医院に入院、翌早朝から1.8リットルの下剤を飲み、11時過ぎから大腸内のポリープ2個を切除して貰い、昨日退院しました。私事はこれ位にして、 昭和十一年八月二日の父(当時は京大四回生)の日記には虚子や、七月三十日来逗留、世話になった中央公論社初代社長だった麻田駒之助宅について触れています。 八月二日 昨夜から泊まってゐた順子ちゃんに起こされて六時半起床。十一時叔父(注・麻田駒之助、雅号は椎花)に連れられて武蔵野探勝会会場・澁澤氏旧邸へゆく。既に白川(水野男爵)氏あり、炎天の広い庭を歩く。参加者四十名、投句選句各十句である。 庭守は夾竹桃の下に住む すばる 一風に噴水の虹ふいと消え 〃 虚子先生の選には洩れたが互選には六点入った。白川氏を伴って(叔父宅)へ戻る。夕食をもてなす叔父の好意に感謝する。叔父所蔵の俳諧資料を見、其角の巻物が殊に興味深い。この巻物の記事は、昨日吾らが観光したコースに似通った点が多かったからである。白川氏は十時頃帰らる。オリンピック放送を聞く。百米第二予選で吉岡・鈴木・佐々木の三選手総退却である。十二時半就床。(追記)なお翌日はホトトギス雑詠句稿を書き、野風呂師へ二通ほか八人ほど手紙を書いています。 本日の拙作は、「信じて下さい」1. どんな言葉を 口にすれば 貴方は 振り向くの 朗らかな女が いいですか 恥ずかしがり屋の 私は 目を見て 話せない 弾んだ会話も 苦手なほう でも 信じて下さい 誰よりも愛して いることを 2. どんな想いを 口にすれば 貴方は 振り向くの グラマラス女が いいですか 胸が小さめの 私は いつでも 後ずさり 男を手玉に できないほう でも 信じて下さい 誰よりも愛して いることを 「信じて下さい」 http://voon.jp/a/cast/?id=mxwney3hwwlxiwei#player
2013.10.07
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昭和52年版「たばこマナー読本」(日本専売公社)に掲題の一文がありました。そのまま転載します。 ”ブスマルクの一服” 鉄血宰相とうたわれたドイツのビスマルクは、人一倍の葉巻好きでした。その彼が、1866年ケーニッヒグレーツの戦いで陣頭指揮をとったときのこと。路傍で両足を砕かれていまにも死にかけている兵が何かを求めているのを見るなり、この愛煙家は戦いが終わってから吸おうと楽しみにしていたたった一本の葉巻に火をつけて、その兵士の口にさし込んでやりました。彼はその時のことを思い出しては人々に何度となく語って聞かせたものです。「その兵士の顔を見せたかったよ。私は生涯あれほどうまい葉巻を味わったことはない」。さて本日の拙作は、「Some Dreamy Hours」 貴男は世界で 一番素敵な 優しい心を 持っている人 貴男の瞳は 夜空に輝く 幾多の星より 美しいのね 貴男のベースが 一言ささやく 夢見る乙女を 誘っている 現実 時越え バラ色のように めくるめくよな 渦の中 貴男が両手で 包んでくれたら 素直な気持ちに なれるのです 貴男と居る時 時計は止まるの 不思議の国の アリスのように 貴男がソフトに この髪解いたら 茨の日々も 癒されるの 現実 時越え 真珠みたいな 涙ほろほろ 零れそう http://voon.jp/a/cast/?id=ar95bmxsjbsg1rbp#player なお、明日から数日、日記の更新はできませんので、悪しからず。
2013.10.04
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2年ほど前、駅前の古書店で買った「雑学七カ国語辞典(日商岩井広報室トレードピア編集部)には七カ国ではどんな表現をするのかを記述した面白い本で、僅か250円で手に入れました。 「コクがある」 夜長の季節は読書向きだし、上等の洋酒をしみじみ味わうのに適していますが、「コクがある」とは<甘酸辛苦渋の五味覚のいずれでもないような複雑な、全てを包含した”深みのある濃い味わい」芳醇な味を日本では指しているようです。語源としては「濃し」の連用、或いは語の「酷」や「極」からととも言われています。<英語>酒・ワインではfull-bodiedや goodやtasty料理ではsavory、mellowなど<ドイツ語>「中味」という意味のgehaltreich<フランス語>食道楽のgastronomitや★(それなりにおいしい)★★(回り道してでも行く価値あり)★★★(遠出してでも・・・)<スペイン語>「身体を与える」 dar cuerpo<中国語>「味道濃厚」とか「酒味香醇」など<ロシア語>「よく仕込まれた」という意味の語など 本日の拙作は、「新月の海」 。http://voon.jp/a/cast/?id=86k0fs43z1h96b0c#player
2013.10.03
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どこを読んでも面白い「暮らしの歴史散歩」(藤川桂介著)には、買物を楽しむ貴婦人や庶民も紹介してあります。 奈良東大寺の仏教勢力が余りにも力を持ち過ぎたのを疎まれ、都を長岡京、続いて平安京に移されたのが桓武帝。僧として出世する為には東大寺での国家試験の合格が条件的になっていた弊害を断ち、延暦寺でも同様な機会が与えられ、東寺にも学校ができる時代になりました。嵯峨天皇は中国からいろいろ学んだ最澄や空海を重用され、平安京の六条千本辺りの空き地に毎月、市の開設を認められました。月の前半は左京側の「東の市」、後半は右京の「西の市」で毎朝午前十時大太鼓を合図に開門、夕刻の四時まで。見張り役の役人が居て、高官・貴族が非帯刀であるチェックや不正販売者を即時に罰するような体制がとられていました。販売品の中には瀬戸内の塩があり、陸揚げしていた七条付近に「塩小路」の名残があります。光孝天皇の皇后は殊の外買物がお好きでこの市の大ファンだったとか。 本日の拙作は時季外れながら十二月のもの。平成11年4月23日の作。 今年のクリスマス・イヴは彼と過ごせない。 澄んだ教会の鐘の音とオルゴールの音が、胸を切なくくすぐるのです。 歌詞と曲を照合しながらお聴き下さる場合には畏れ入りますが、別途インターネットを起動していただき、題名をクリックしてください。 「クリスマス・イヴ」 1)今夜は クリスマス・イヴ おあつらえ向きに 雪でも降りそうな 空模様 彼の居る人 いいな 彼がなくても 友達の 多い人 いいな むなしく ひとり淋しく 馬鹿番組 観るしかない 2)ドラマは クライマックス おあつらえ向きに 雪降る教会の ラストシーン たかが芝居の 世界 創りものだと 無理やりに 冷めた目で 見ちゃう 大声 出してみたいな 二度とこんな イヴはごめん http://voon.jp/a/cast/?id=h2wkktzhndw0c4u3#player
2013.10.02
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昭和十一年八月二日の父(当時は京大四回生)の日記には虚子や、七月三十日来逗留、世話になった中央公論社初代社長だった麻田駒之助宅について触れています。 八月二日 昨夜から泊まってゐた順子ちゃんに起こされて六時半起床。十一時叔父(注・麻田駒之助、雅号は椎翁)に連れられて武蔵野探勝会会場・澁澤氏旧邸へゆく。既に白川(水野男爵)氏あり、炎天の広い庭を歩く。参加者四十名、投句選句各十句である。 庭守は夾竹桃の下に住む すばる 一風に噴水の虹ふいと消え 〃 虚子先生の選には洩れたが互選には六点入った。白川氏を伴って(叔父宅)へ戻る。夕食をもてなす叔父の好意に感謝する。叔父所蔵の俳諧資料を見、其角の巻物が殊に興味深い。この巻物の記事は、昨日吾らが観光したコースに似通った点が多かったからである。白川氏は十時頃帰らる。オリンピック放送を聞く。百米第二予選で吉岡・鈴木・佐々木の三選手総退却である。十二時半就床。(追記)なお翌日はホトトギス雑詠句稿を書き、野風呂師へ二通ほか八人ほど手紙を書いています。 本日の拙作は「1DKのお城」。1)何故、人一倍 淋しがりやの癖に 独り住まいを 選んだの? 黄金の銀杏が はらはら落ちて 冬が近づいて来ると もう、たまンない 六畳一間のお城が 広く感じられる わたしのわがまま 聴いて欲しい 甘え放題 させて欲しいの 男に生まれて 来たかった 2)何故、おとなしくて 優しさだけの彼を ごめん、さよなら 別れたの? マウスのリリーも こないだ死んで イヴが近いというのに もう、誰もない 六畳一間のお城は 寒さ漂うだけ わたしを優しく 抱いて欲しい 夢の世界へ 連れて欲しいの 涙が乾いて しまうまで この詩と曲は吾ながらお気に入りのものです。 残念ながらVOONに登録保存できませんでした。曲の感じは、ゆったりしたバックの1つの進行は、ドーソ♯ソラーー レーシレドーーの繰り返し。 一方、短い方の進行は、ララソラーララソラードドソラーという伴奏でして、 イントロから曲の終りまで続いています。メロディは短調の哀調ある流れです。 ミミレードーソ(下)ーミレー レレレドシラソーソ(上)ミー ファファソラドーシラーファミレファミーー ソーラーソドー・・・・と言った具合ですが、通じませんよね。 銀杏(イチョウ)が黄色く色づき、桜紅葉や柿紅葉がはらはら落ちる頃になると、 独り住まいの者は、日増しに人恋しくなるのではないでしょうか?
2013.10.01
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