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伊波保(いはほ)の 岨(そひ)の若松 限(かぎり)とや 君が來まさぬ 心(うら)もとなくも(― いはほの山ぎりぎりの断崖に生えた若松ではないが、これが限りと言うのであろうか、わが君が見えないことよ。私は待ち遠しく思うのに)橘(たちばな)の 古婆(こば)の放髪(はなり)が 思ふなむ 心愛(うつく)し いで吾(あれ)は行((い)かな(― 武蔵国のたちばなの古婆の少女が私を待っているであろう心持ちが可愛い。さあ、私は出かけよう)川上(かはかみ)の 根白(ねじろ)高草(たかがや) あやにあやに さ寝(ね)さ寝(ね)てこそ 言(こと)に出(で)にしか(― 気も心も失って、度重ねて共寝をしたからこそ、人の噂にのぼるようになったのに)海原(うなはら)の 根柔小菅(ねやはらこすげ) あまたあれば 君は忘らす われ忘るれや(― 海辺の根柔らか小菅が沢山あるように、あなたには優しい女の人が大勢おありだから、私をお忘れになる。けれど、私はあなたを忘れません)岡に寄せ わが刈る草(かや)の さね草(かや)の まこと柔(なご)やは 寝(ね)ろとへなかも(― 岡で引き寄せて刈るカヤのさねカヤのように、ほんとに柔らかには、お前は、一緒に寝なさいとは言わないのだね)紫草(むらさき)は 根をかも竟(を)ふる 人の兒の 心(うら)がなしけを 寝を竟(を)へなくに(―紫草は根をすっかり取り果たすものだなあ、私は、あの可愛い子といっしょに寝たいと思って果たさないのに)安波峯(あはを)ろの 峯(を)ろ田に生(お)はる 多波美蔓(たはみづら) 引かばぬるぬる 吾(あ)を言(こと)な絶え(― 安波峰の山田に生えているタハミヅラを引いたならば切れるように、私との言葉を絶えさせないでおくれ)わが目妻(めづま) 人は離くれど 朝貌(あさがほ)の 年さへこごと 吾(わ)は離(さ)るがへ(― 私の愛しい妻を人々は離そうとするけれど、幾年でも、私は決して離れはしない)安齋可潟(あぜかがた) 潮干のゆたに 思へらば うけらが花の 色に出(で)めやる(― あぜか潟の潮の満ち干がゆっくりとしているように、ゆとりのある気持ならばなんでもウケラの花・山野に自生する菊科の多年生草木で、秋に白い花を開く、紅のさした色もある のように顔色に表しましょうか。思い詰めているからこそ顔にあらわれるのです)春べ咲く 藤の末葉(うらば)の うら安に さ寝(ぬ)る夜そなき 子ろをし思(も)へば(― 愛しい子を思っているので、心安らかに寝る夜がないことだ)うち日さつ 宮の瀬川の 貌花(かほばな)の 戀ひてか寝らむ 昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も(― 夜は花を閉じて寝る、宮の瀬川の畔のヒルガオの花のように、あなたは夜になると恋に萎れてねているのであろうか、昨夜も、今夜も)新室(にひむろ)の 蠶時(こどき)に到れば はだ薄(すすき) 穂に出(で)し君が 見えぬこのころ(― 新室で蚕を飼う時になったので忙しくて、私に愛の気持をはっきりと示したあの方が、お見えにならないこの頃です)谷狭(せば)み 嶺に延(は)ひたる 玉鬘(たまかづら) 絶えむの心 わが思(も)はなくに(― 谷が狭いので嶺に伸びた玉鬘が切れるように、あなたとの仲が切れるようにという気持は私は持っていないのですが)芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる 根都古草(ねつこぐさ) 逢ひ見ずあらば 吾(あれ)戀めやも(― ああして逢うことがなかったら、私は何で今、恋に苦しもうか)栲衾(たくぶすま) 白山風の 寝(ね)なへども 子ろが襲着(おそき)の 有(あ)ろこそ良(え)しも(― 加賀の白山の風が寒いように、共寝をしなくて寒いけれど、愛しい子がくれた着物があってよかった)み空ゆく 雲にもがもな 今日行きて 妹(いも)に言(ことどふ)ひ 明日帰り來(こ)む(― 空を行く雲でありたい。今日行って吾妹子と話をして明日帰ってこようものを)靑嶺(あをね)ろに たなびく雲の いさよひに 物をそ思ふ 年のこのころ(― 青い山にたなびく雲が動かないように、私は独りでためらっていて、物思いをするこの頃である)一嶺(ひとね)ろに 言はるるものから 靑嶺(あをね)ろに いさよふ雲の 寄(よ)そり夫(つま)はも(― 一つの山だ、一心同体だと言ったのに、今になって青山にいさよう雲のようにためらっている、関係があると噂を立てられた夫は、まあ)夕されば み山を去らぬ 布雲(にのくも)の 何(あぜ)か絶えむと 言ひし兒ろばも(― 夕方になると山辺を布雲が去らないように、何で仲が絶えることがありましょうかと言ったあの子は、ああ、どうしているだろうか)高き嶺(ね)に 雲の着(つ)くのす われさへに 君に着きなな 高嶺(たかね)と思(も)ひて(― 高い山に雲が着くように、私もあなたに纏い付きたい。あなたを高山と思って)吾(あ)が面(おも)の 忘れむ時(しだ)は 國はふり 嶺(ね)に立つ雲を 見つつ偲(しの)はせ(― もし私の顔が思い出せなくおなりの際は、国から湧き上がって峯に立つ雲を見ながら、懐かしく思ってくださいませ)對馬(つしま)の嶺(ね)は 下雲(したぐも)あらなふ 上(かむ)の嶺(ね)に たなびく雲を 見つつ偲(しの)はむ(― 対馬の山には低い雲はかからない、上の山にたなびいている雲を見てお前を偲ぼう)白雲の 絶ゑにし妹を 何(あぜ)爲(せ)ろと 心に乗りて 許多(ここば)かなしけ(― 仲の切れてしまった妹なのに、心にかかってこんなにも愛しいのは、どうしろと言うのか)岩の上(へ)に い懸(かか)る雲の かのまづく 人そおたはふ いざ寝(ね)しめとら(― 周囲に大勢いる人々は今のところ静かにしている、さあ、一緒に寝ようよ)汝(な)が母に 嘖(こ)られ吾(あ)は行く 靑雲の いで來(こ)吾妹子(わぎもこ) 逢ひみて行く(― お前のお母さんに怒られて俺は帰る、出ておいで、吾妹子よ、お前の顔を一目でも見て帰りたい)面形(おもかた)の 忘れむ時(しだ)は 大野ろに たなびく雲を 見つつ偲はむ(― もしもお前の顔形を思い出せなくなったなら、広い野にたなびく雲をみながら、遥かに思いを寄せよう)鴉(からす)とふ 大輕率鳥(おほをそどり)の 眞實(まさで)にも 來まさぬ君を 兒ろ來(く)とそ鳴く(― 烏と言う大慌てものが、本当においでにもならない君を、君がおいでになった、と鳴くのだよ)昨夜(きそ)こそは 兒ろとさ寝しか 雲の上(うへ)ゆ 鳴き行く鶴(たづ)の ま遠(とほ)く思ほゆ(― たった昨夜に、あの子と一緒に寝たばかりなのに、雲の上を鳴いて行く鶴の声が間遠なように、長い間逢わないように思われる)坂越えて 安倍(あべ)の田の面(も)に 居(ゐ)る鶴(たづ)の ともしき君は 明日さへもがも(― 坂を飛び越えて安倍の田の上に降りている鶴のように、珍しいわが君は明日もまたおいでください)まを薦(ごも)の 節(ふ)の間近(まちか)くて 逢はなへば 沖つ眞鴨(まかも)の 嘆きそ吾(あ)がする(― 間近くいながらも逢うことができないので、私は大きな嘆息をしています)水(み)くくる野に 鴨の匍(は)ほのす 兒(こ)ろが上(うへ)に 言緒(ことを)ろ延(は)へて いまだ寝なふも(― 水くく野で、鴨が這うように、あの子に対して声を掛けただけで、まだ共寝をしていないことだなあ)沼二つ 通(かよ)は鳥が巣 吾(あ)が心 二行(ふたゆ)くなもと 勿(な)よ思(も)はりそね(― 沼二つを行き来する鳥の巣が二つあるように、私が二人の女を思っているなどとどうか、決して思わないでいておくれ)沖に住も 小鴨(をかも)のもころ 八尺鳥(やさかどり) 息づく妹(いも)を 置きて來(き)のかも(― 沖に住む小鴨のように、大きい嘆息をしている妹を置いて、私は旅に来てしまった)水鳥の 立たむよそひに 妹のらに 物いはず來にて 思ひかねつも(― 急の旅立ちで支度に忙しく、妹にゆっくり言葉を交わさずに来てしまって、今じっと妹を思慕する情に堪えない)等夜(とや)の野に 兎(をさぎ)狙(ねら)はり をさをさも 寝なへ兒(こ)ゆゑに 母に嘖(ころ)はえ(― ちっとも寝なかった子なのに、その事で母に叱られて)さを鹿の 伏(ふ)すや草叢 見えずとも 兒ろが金門(かなと)よ 行かくし良(え)しも(― さ男鹿が伏す草むらのように中までよく見えなくても、妹の家の金具を用いた門を通るのは嬉しい)妹をこそ あひ見に來(こ)しか 眉引(まよびき)の 横山邉(へ)ろの 鹿なす思へる(― 妹に逢いたいばかりに来たのに、それを、あたかも丘辺の鹿ででもあるかのように、煩く思うとは)春の野に 草食(は)む駒の 口やまず 吾(あ)を偲(しの)ふらむ 家の兒ろはも(― 春の野で草を食べる駒の口の動きがやまないように、やまずに私を慕っているであろう家の妻は、どうしているだろう)人の兒の かなしけ時(しだ)は 濱渚鳥(はますどり) 足悩(あなゆ)む駒の 惜(を)しけくもなし(― あの子が恋しい時は、逢いに行きたくて歩き悩む私の馬が傷んでも、構わないという気持ちになる)赤駒(あかごま)が 門出(かどで)をしつつ 出でかてに 爲(せ)しを 見立てし家の 兒らはしも(― 私が赤駒に乗って門出をしながら、後ろ髪を引かれていたのを、見送っていた妻は家で今ころどうしているだろうか)己(おの)が命(を)を おぼにな思ひそ 庭に立ち 笑(ゑ)ますがからに 駒に逢うものを(― 命をおろそかにして良いとお思いなさいますな。庭に立ってちょっとお笑いになるだけで、私は駒に乗ってあなたに逢いに来るものを)赤駒を 打ちてさ緒(を)引(ひ)き いかなる背(せ)なか 吾(わ)がり來(こ)むとふ(― 赤駒に鞭打って、手綱を取り、どんな心持ちのお方が私の所に来ようと言うのだろうか)柵越(くへご)しに 麥食(は)む子馬(こうま)の はつはつに 相見し子らし あやに愛(かな)しも(― 子馬が柵越しに麦をほんの少し噛むように、ちょっとあったあの子が何とも言えずに愛しくてならない)廣橋を 馬越しがねて 心のみ 妹がり遣(や)りて 吾(わ)は此處(ここ)にして(― 広橋なのに馬で越しかね、心だけを妹の許にやって、私はここにいて恋しく思っています)崩岸(あず)の上(うえ)に 駒をつなぎて 危(あや)ほかと 人妻(ひとづま)兒(こ)ろを 息(いき)にわがする(― 崩れた岸に馬をつないで危ういように、危ないけれども、私は人妻のあなたに心惹かれて嘆息しています)左和多里(さわたり)の 手兒(てご)に い行き逢ひ 赤駒が 足掻(あがき)を速み 言問はず來(き)ぬ(― さわたりの手児に逢ったけれど、私の赤駒の足が速いので、ゆっくり話も交わさずに来てしまった)崩岸邊(あずへ)から 駒の行(ゆ)ごのす 危(あや)はとも 人妻(ひとづま)兒ろを 目(ま)ゆかせらふも(― 崩れた岸辺りを馬で行くように危うくとも、あの人妻をただで見ていられようか)細石(さざれいし)に 駒を馳(は)させて 心痛(いた)み 吾(あ)が思(も)ふ妹が 家の邊(あたり)かも(― 河原の細石の上を駒を走らせて心が痛いように、胸に切なく思う妹の家の当たりだな、このあたりは)室草(むろがや)の 都留(つる)の堤の なりぬがに 兒ろは言へども いまだ寝なくに(― 都留川の堤が出来上がったように、二人の仲は既に出来たごとくにあの子は言うけれども、まだ共寝をしたわけではない)明日香川(あすかがは) 川下(かはした)濁れるを 知らずして 背(せ)ななと 二人さ寝て悔しも(― 明日香川は底が濁っているのを知らずに、あなたの本心を知らずに、二人で寝て、後悔しています)
2024年09月30日
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東路(あづまぢ)の 手兒(てご)の呼坂(よびさか) 越えがねて 山にか寝むも 宿(やどり)は無しに(― 東海道の手児の呼坂を越えることができずに、山に寝ることであろうか。仮寝の場所もなくて)うらも無く わが行く道に 青柳(あをやぎ)の 張りて立てれば 物思(も)ひ出(づ)つも(― 何心なく私が歩いて行く道に、青柳が生き生きと芽吹いて立っていたので、ふと、恋しい人を思い出した)伎波都久(きはつく)の 岡の莖韮(くくみら) われ摘(つ)めど 籠(こ)にも満(み)たなふ 背(せ)なと摘まさね(― きはつくの丘の茎韮を私が摘んでも、籠にすら一杯にはなりません。それならば、背子と一緒にお摘みなさいな) 第四句までと五句とで、唱和する形である。水門(みなと)の葦(あし)が 中なる玉小菅(たまこすげ) 刈り来(こ)わが背子(せこ) 床(とこ)の隔(へだし)に(― 水門の葦のなかにある玉小菅を刈っておいでなさい、わが背子よ。寝床の隔てにするために)妹なろが 使ふ川津(かはづ)の ささら荻(をぎ) あしと人言(ひとごと) 語りよらしも(― 妹が使う川辺の物洗い場に生えているササラ荻に似た葦、アシ・悪し と人々が集まって私のことを噂しているらしいよ)草蔭の 安努(あの)な行かむと 墾(は)りし道 阿努(あの)は行かずて 荒草立(あらくさだ)ちぬ(― 三重県の安努に行こうとして開墾した道も安努まで行かずに、荒れて荒草が繁ってしまったよ) 何か寓意があるらしい。花散(ぢ)らふ この向(むか)つ嶺(を)の 乎那(をな)の嶺(を)の 洲(ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも(― 花の散るこの向かいの嶺の尾奈の嶺が、時を経て湖の洲に浸かるほどにまでに長く、あなたの寿命があって欲しいものです)白栲(しろたへ)の 衣の袖を 麻久良我(まくらが)よ 海人(あま)漕ぎ來(く)見ゆ 波立つなゆめ(― まくらがから海人が漕いで来るのが見える、波よ、決して立つな)乎久佐壯子(をくさを)と 乎具佐助丁(をぐさすけを)と 潮舟(しほふね)の 並べて見れば 乎具佐勝(をぐさか)ちめり(― 乎具佐男と乎具佐助丁と並べてみると、乎具佐助丁の方が勝っているように見えます)左奈都良(さなつら)の 岡に粟蒔(ま)き かなしきが 駒はたぐとも 吾(わ)はそと追(を)はじ(― さなつらの岡に粟を蒔いて恋人の馬がそれを食べても、私はそれをソソと追うことはしまい)おもしろき 野をばな焼きそ 古草(ふるくさ)に 新草(にひくさ)まじり 生(お)ひは生(お」ふるがに(― 眺めのよい野を焼かないで下さい。古草に新草が混じって芽が出たら伸びるように) 風の音(と)の 遠き吾妹(わぎも)が 着せし衣(きぬ) 手本(たもと)のくだり まよひ來にけり(― 遠くにいる吾妹が着せてくれた衣の袂の縦糸が緩んで、薄くなってきた)庭にたつ 麻布小衾(あさてこぶすま) 今夜(こよひ)だに 夫(つま)寄しこせぬ 麻布小衾(あさてこぶすま)(― 私の麻布小衾よ、せめて今夜だけでも夫を私に寄せてよこしておくれ、私の麻布小衾よ)戀しけば 來ませわが背子(せこ) 垣(かき)つ柳末(やぎうれ) 摘みからし われ立ち待たむ(―恋しいならばおいでください、わが背子よ、垣根の柳の枝先を枯らしながら私はお待ち致しましょう)うつせみの 八十言(やそこと)の葉(へ)は 繁くとも 争ひかねて 吾(あ)を言なすな(― 世間の噂はたとい繁くても、それに屈して私の名を口に出したりしないでください)うち日(ひ)さす 宮のわが背は 倭女(やまとめ)の 膝枕(ま)くごとに 吾(あ)を忘らすな(― 宮廷にいるあなたは大和女の膝を枕にするごとに、私をお忘れにならないで下さい) 男が大和へ帰る際の詠歌であろう。吾背(なせ)の子や 等里(とり)の岡道(をかぢ)し 中だをれ 吾(あ)を哭(ね)し泣くよ 息衝(いきづ)くまでに(― わが背子は、等里の岡道の途中のタワ・中途がたわんで低くなっている所 のように、この頃気持が中だるみで、私は泣けてしまいます。こんなに溜息が出るまでにも)稲舂(つ)けば 皹(かか)る吾(あ)が手を 今夜(こよひ)もか 殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ(― 毎日稲をつくので、あかぎれするこの手を、今夜もまた、御殿の若様が御とりになって嘆かれることだろうか)誰(たれ)そこの屋(や)の戸 押そぶる 新嘗(にふなみ)に わが背を遣(や)りて 齋(いは)ふこの戸を(― 誰ですか、この家の戸をガタガタ押すのは、新嘗の祭りで、夫を外に出して潔斎しているこの戸を)何(あぜ)と言へか さ寝に逢はなくに 眞日(まひ)暮れて 宵(よひ)なは來(こ)なに 明けぬ時(しだ)來(く)る(― どうして共寝するために逢ってはくださらないのですか、日が暮れて、宵のうちにあなたは来ないで、明けた時に来るとは)あしひきの 山澤人(やまさはびと)の 人多(さは)に まなといふ兒が あやに愛(かな)しさ(― 多くの人々が止せと言うあの子が、何とも言えずに胸にしみて可愛いことだよ)ま遠(とほ)くの 野にも逢はなむ 心なく里の眞中に 逢へる背(せ)なかも(― 遠くの野でお逢いしたいのに、思いやりなく、人目の多い里の真ん中で親しい声をかけてくださったあなたよ)人言(ひとごと)の 繁きによりて まを薦(ごも)の 同(おや)じ枕は 吾(わ)は纏(ま)かじやも(― 人の噂がしきりだからと言って、それで、マヲ薦の枕をあなたとともにしないことがありましょうか)高麗錦(こまにしき) 紐解き放(さ)けて 寝(ぬ)るが上(へ)に 何(あ)ど爲(せ)るとかも あやに愛(かな)しき(― 紐を解き放って共寝しているのに、この上にどうしろと言うのか、無性に可愛いことよ)ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)れば言(こと)に出(づ) さ寝(ね)なへば 心の緒(を)ろに 乗りて愛(かな)しも(― 愛しさに共寝をすれば噂される、共寝をしないと、いつも心にかかって可愛くてならないよ)奥山の 眞木の板戸(いたど)を とどとして わが開かむに 入り來て寝(な)さね(― 奥山の真木で作ったこの板戸をことことと私が押して、私が開けたら入って来て、共寝をしなさい)山鳥の尾(を)ろの 初麻(はつを)に 鏡懸(か)け 唱え(とな)ふべみこそ 汝(な)に寄(よ)そりけめ(― 山鳥の尾に似た初麻に鏡を懸けて、神に呪文を唱える役を私がするはず、私はあなたの妻になるはずだからこそ、当然に噂が立ったのだろうが、実際には困ってしまう)夕占(ゆうけ)にも 今夜(こよひ)と告(の)らろ わが背(せ)なは 何(あぜ)そも今夜(こよひ)寄しろ來まさね(― 夕占にも今夜と出たわが背子は、どうして今夜お寄りにならないのだろう)あひ見ては 千年や去(い)ぬる 否をかも 吾(あれ)や然(しか)思ふ 君待ちがてに(― この前お逢いしてからもう千年がたっただろうか、いや、私だけがそう思うのだろう。あなたをお待ちし切れないで)しまらくは 寝つつもあらむを 夢(いめ)のみに もとな見えつつ 吾(あ)を哭(ね)し泣く(― しばらくの間は静かに寝ていたいのに、あなたの姿が夢にしきりに現れて、私は泣けてしまった)人妻(ひとづま)と 何(あぜ)か其(そ)をいはむ 然(しか)らばか 隣の衣(きぬ)を 借りて着(き)なはも(― 人妻だからいけないと、どうしてそれを言うのだろうか。では、隣の人の着物を借りて着ないだろうか、着るではないか)佐野山(さのやま)に 打つや斧音(おのと)の 遠かども 寝(ね)もとか子ろが 面(おも)に見えつる(― 佐野山で打つ斧の音が遠くに聞こえるように、遠くに居るが、共に寝ようと言うのか、妹の姿が面影に見えたことよ)植竹(うゑだけ)の 本(もと)さえ響(とよ)み 出でて去(い)なば 何方(いづし)向きてか 妹が嘆かむ(― 慌ただしく私が旅にでてしまったら、吾妹子は見当もつかずに、どっちを向いて嘆くことであろうか)戀ひつつも 居(を)むとすれど 木綿間山(ゆふまやま) 隠れし君を 思ひかねつる(― 恋しく思いながらも此処にじっとしていようと思うけれど、木綿間山に隠れてしまったあなたを慕い思う心持に堪えられないことです) 挽歌とも取れる。諾兒(うべこ)なは 吾(わぬ)に戀ふなも 立(た)と月(つく)の 流(のが)なへ行けば 戀(こふ)しかるなも(― なるほど、吾妹子は私を恋しく思っていることだろう。立つ月が流れ去っていくと恋しく思うことだろうな)東路(あづまぢ)の 手兒(てご)の 呼坂(よびさか)越えて去(い)なば 吾(あれ)は戀ひむな 後は逢ひぬとも(― 東海道の手児の呼坂を越えてあなたが行かれたら私は恋しいでしょう。後では、お逢いしましょうとも)遠しとふ 故奈(こな)の白嶺(しらね)に 逢(あ)ほ時(しだ)も 逢はのへ時(しだ)も 汝(な)にこそ寄され(― 遠いと言う故奈の白嶺でお前と逢う時も逢わない時も、世間の人々からお前と仲がいいと噂を立てられているものを。どうしてこの頃逢ってくれないのです)赤見山(あかみやま) 草根刈り除(そ)け 逢はすがへ あらそふ妹し あやに愛(かな)しも(― 赤見山で草を刈りそいで、承知の上で逢ったのに、恥ずかしがって従わない妹が何とも言えず可愛い)大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 愛(かな)し妹が 手枕(たまくら)離れ 夜立(よだ)ち來(き)の かも(― 大君の御命令を畏んで、愛しい妹の手枕を離れて、夜に出発してきたことだ)あり衣(きぬ)の さゑさゑしづみ 家の妹に 物いはず來(き)にて 思ひ苦(ぐる)しも(― 家で私を待つ妹に物を言わずに出かけて来て心苦しい気持である)韓衣(からころも) 裾(すそ)のうち交(か)へひ あはねども 異(け)しき心を 吾(あ)が思(も)はなくに(― この頃お逢いしませんけれど、私はあだし心を私は持っておりません)晝解(と)けば 解けなへ紐の わが背なに 相寄(よ)るとかも 夜(よる)解けやすけ(― 昼間解くと解けない紐が、わが背子に逢うからとでも言うのか、夜は解け易いことだ)麻苧(あさを)らを 麻笥(をけ)に多(ふすさ)に 績(う)まずとも 明日(あす)着(き)させめや いざせ小床(をどこ)に(― 麻の荢・麻の皮からとった繊維で糸や縄に製するもの を麻笥いっぱいに糸になさっても、明日着物としてお召になるわけではないでしょう。ですから、もうその仕事はやめて、さあ、床に入りましょう)劔刀(つるぎたち) 身に副ふ妹を とり見がね 哭(ね)をそ泣きつる 手兒(てご)にあらなくに(― 身に寄り添っている吾妹子をやさしく介抱しかねて、私は泣いてしまった、子供ではないのに)愛(かな)し妹を 弓束(ゆづか)並(な)べ巻(ま)き 如己男(もころを)の 事とし言はば いや勝(か)たましに(― 愛しい吾妹子よ、弓束を並べて革を競い巻くように、恋敵というのなら、私は必ず勝つと決まっているのですが。あなたにはどうしても勝つことが出来ません)梓弓(あづさゆみ) 末に玉纏(ま)き かく爲爲(すす)そ 寝(ね)なな成りにし 將來(おく)を兼ね兼ね(― 梓弓の弓末に玉を巻きつけて大切にするように、大事にしながら、とうとう共寝もせずに終わってしまった。将来をあれこれ期待していたのに)生(お)ふ楉(しもと) この本山(もとやま)の 眞柴(ましば)にも 告(の)らぬ妹が名 象(かた)に出(い)でむかも(― ほんの少しも口に出さない妹の名前だが、鹿の骨の占いであらわになってしまうだろうか)梓弓 欲良(よら)の山邊の 繁(しげ)かくに 妹ろを立てて さ寝處(ねど)拂(はらふも(― よらの山辺の草木の茂みに吾妹子を立たせて、私は寝る場所の草を払っている)梓弓 末は寄り寝む 現在(まさか)こそ 人目を多み 汝(な)を端に置けれ(― 将来は一緒に寝よう、現在こそ人目が多いので、お前を中途半端にしているけれど)楊(やなぎ)こそ 伐(き)れば生(は)えすれ 世の人の 戀に死なむを 如何に爲(せ)よとそ(― やなぎならば切ってもまたは生えもしようが、人の世の私が恋の苦しみで死ぬのをどうしろと言うのでしょうか)遅速(おそはや)も 汝(な)をこそ待ため 向つ嶺(を)の 椎(しひ)の小枝(こやで)の 逢ひは違(たが)はじ(― 来るのが遅くても早くても、私はあなたをじっとお待ちしていましょう。向かいの嶺の椎の小枝のように若いさかりが過ぎてしまいましょうとも)子持山(こもちやま) 若鶏冠木(わかかへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝(ね)もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ(― 子持山の若いカエデの葉が赤く色づくまで一緒に寝ていたいと私は思う。お前はどう思うのだね)
2024年09月27日
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筑波嶺に 背向(そがひ)に 見ゆる葦穂山(あしほやま) 悪(あ)しかる咎も さね見えなくに(― あの子には全く欠点が見えないのだよ、欠点が見えれば諦めることもしようが…)筑波嶺の 岩もとどろに 落つる水 世にもたゆらに わが思はなくに(― 筑波山の岩を轟かして落ちる水が決してと途絶えないように、我々の仲も途絶えようとは私は決して思わないのに)筑波嶺の 彼面此面(かのもこのも)に 守部(もりべ)据ゑ 母い守(も)れども 魂(たま)そ逢ひにける(― 筑波山のあちらこちらに山野の番人・守部を置いて山を守るように、母が私を守っているけれど、私達二人の魂は既に合一してしまった)さ衣(ごろも)の 小筑波嶺(をつくばね)ろの 山の崎(さき) 忘ら來(こ)ばこそ 汝(な)を懸(か)けなはめ(― いつも見える小筑波山の山の崎が忘れられないように、お前を無理にでも連れて行くことが出来るのならこそ、お前の名前を口に出さないだろうが)小筑波(をづくは)の 嶺(ね)ろに月立(つくた)し 間夜(あひだよ)は 多(さはだ)なりのを また寝てむかも(― 小筑波嶺の山に月が出るようになってお前と逢わない夜が重なったが、また一緒に寝ようか)小筑波(をづくは)の 繁き木(こ)の間(ま)よ 立つ鳥の 目ゆか汝(な)を見む さ寝(ね)ざらなくに(― 小筑波の山の繁った木の間を飛び立つ鳥の捕らえがたいように、お前を見てだけいなければならないのだろうか。一緒に寝たこともある仲なのに)常陸(ひたち)なる 浪逆(なさか)の海の 玉藻こそ 引けば絶えすれ 何(あ)どか絶えせむ(― 常陸の浪逆の海は満潮時に波が逆巻くので、そこの玉藻こそは引けば切れるけれど、私達の仲はどうして切れましょう)人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の 石井の手兒(てご)が 言(こと)な絶えそね(―世の中全ての人の言葉の行き来は絶えようとも、長野県の埴科の石井の愛しい娘の言葉はどうか、絶えずに寄こして欲しい)信濃道(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に 足踏ましなむ 履(くつ)着(は)けわが背(― 信濃道は新しく開墾した道です。きっと切り株を踏むでしょう、靴をお履きなさい、わが背子よ)信濃なる 筑摩(ちくま)の川の 細石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はむ(― 信濃の筑摩川の小石も、あなたがお踏みになったのなら、玉として拾いましょう)中洲(なかまな)に 浮き居(を)る船の 漕ぎて去(な)ば 逢うこと難し 今日にしあらずは(― 川の中洲に泊まっている舟と同じで、一旦漕ぎ出してしまったら、もう逢うことは難しい。今日でなければね)日の暮(ぐれ)に 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 夫(せ)なのが袖も さやに振らしつ(― 碓氷の山を越える日には、夫ははっきりと袖を振ってくれた、私はそれが見えて、嬉しかった)吾(あ)が戀は 現在(まさか)も悲し 草枕 多胡(たご)の入野(いりの)の 將來(おく)も悲しも(― 私の恋は今も切ない、多胡の入野の奥ではないが、オク(将来)も切ない気持です)上毛野(かみつけの) 安蘇(あそ)の眞麻群(まそむら) かき抱(むだ)き 寝(ぬ)れど飽かぬを 何(あ)どか吾(あ)がせむ(― かき抱いて寝てもまだ満ち足りた気持にならない、満足出来ない、私は一体どうしたらよいだろうか)上毛野 乎度(をど)の多杼里(たどり)が 川路にも 兒(こ)らは逢はなも 一人にもして(― 栃木県の小野のタドリの川道で愛しい子が逢ってくれるといい。一人で来てくれて)上毛野 佐野の莖立(くくたち) 折りはやし 吾(あれ)は待たなむゑ 今年來(こ)ずとも(― 上野の佐野のククタチを折ってお料理を作り、私は待っていよう、たとい今年あなたが見えなくとも)上毛野 眞桑島門(まぐわしまど)に 朝日さし まぎらわしもな ありつつ見れば(― 上毛野の真桑島門に朝日がさしてまぶしいように、このままじっとあなたを見ていると、眩しい気がします)新田山嶺(にひたやまね)に は着(つ)かなな 吾(わ)によそり 間(はし)なる兒らし あやに愛(かな)しも(― 新田山が、続いた山々から離れて端にいるように、私と親しいと噂されて、一人、一人から離れている子が何とも言えず、胸が痛い程に可愛い)伊香保ろに 天雲(あまくも)い繼(つ)ぎ かぬまづく 人とおははふ いざ寝(ね)しめとら(― 群馬県の伊香保の嶺・榛名山に天雲がつぎつぎにかかるように、カヌマズク人達が静まってきた。さあ、共寝をさせよ、愛しい子よ) 古来、難解とされている。伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに 將來(おく)をな兼ねそ 現在(まさか)し善(よ)かば(― こまごまと今から将来のことを心配しなさるな、目前の今さえ幸せなら)多胡(たご)の嶺(ね)に 寄綱(よせつな)延(は)へて 寄すれども あにくやしづし その顔よきに(― 多胡の嶺に寄せ綱をかけて引き寄せるように、あの娘をなびかせようとするけれど、憎いとことに水に沈んだ石の様に動かないよ、顔が美しいものだから)上毛野 久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの 久受葉(くずは)がた 愛(かな)しけ兒らに いや離(ざか)り來(く)も(― 黒穂の嶺のクズ葉の蔓が別れ別れに地を這うように、落としい子にますます離れて此処に来たことだ)利根川(とねかは)の 川瀬も知らず ただ渡(わた)り 波にあふのす 逢へる君かも(― 利根川の浅瀬が何処であるかも知らずに真っ直ぐに渡ってしまい、波にぶつかるように、ひたむきな気持で逢いに来て、ぱったりと逢えたわが君よ)伊香保ろの 八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に 立つ虹(のじ)の 顯(あらは)ろまでも さ寝(ね)をさ寝てば(― 伊香保のヰデ・田に水を引くために川の水をせき止めた場所 に立つ虹のように、はっきりと人目につくほどに一緒に寝ていたら、どんなに楽しかろう)上毛野 伊香保の沼に 植(う)ゑ子(こ)水葱(なぎ) かく戀ひむとや 種求めけむ(― 伊香保の沼に植えるコナギ・浅いところに生える水草、葉が食用、夏咲く紫色の花は染料 ではないが、こんなに恋に苦しもうとて、私は種を求めたのであろうか)上毛野 佐野田の苗(ねへ)の 占苗(うらなへ)に 事は定めつ 今は如何(いか)にせも(― 上野の佐野の田の占ナヘ・苗代からひと握りの苗を抜き取り、その数によって吉凶を占うと言う によって結婚の事はもう定めました。今になってはもうどうにもなりません)上毛野 佐野の舟橋(ふなはし) 取り放(はな)し 親は離(さ)くれど 吾(あ)は離(さか)るがへ(― 上野の佐野の舟橋を取離すように親は私たちを遠ざけるが、私達は遠ざかるであろうか、遠ざかることはない)伊香保嶺(ね)に 雷(かみ)な鳴りそね わが上(へ)には 故(ゆへ)は無けども 兒らによりてそ(― 伊香保の嶺に雷よ鳴らないでおくれ、私には何のわけもないのだが、私の恋人が嫌うので)伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾(あ)が戀のみし 時無かりけり(― 伊香保風は吹く日吹かぬ日があるというけれど、私の恋の心ばかりは何時と言う定まった時もなく私を襲って来る」上毛野 伊香保の嶺(ね)ろに 降る雪(よき)の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり(― このまま通り過ぎることのできない妹の家のあたりよ)下毛野(しもつけの) 美可母(みかも)の山の 小楢(こなら)のす ま麗(ぐは)し兒ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ(― 下毛野の美可母の山の小楢のように可愛らしく美しい子は、一体誰の笥・食べるものを盛り付ける四角な箱 をもつのだろうか、誰の妻になるのだろう)下毛野 安蘇(あそ)の河原よ 石踏(ふ)まず 空ゆと來(き)ぬよ 汝(な)が心告(の)れ(― 下毛野の安蘇の河原を、石を踏んだ心地もなく宙を飛ぶ気持でやってきました。ですから、あなたの本心を言ってください)會津(あひづ)嶺(ね)の 國をさ遠(どほ)み 逢はなはば 偲(しの)ひにせもと 紐結ばさね(― 福島県の会津の山のある国が遠くて会えない時には、偲び草にするようにと紐を結んで下さい)筑紫(つくし)なる にほふ兒ゆゑに 陸奥(みちのく)の 可刀利少女(かとりおとめ)の 結(ゆ)ひし 紐解く(― 筑紫の美しい子のために、東国の果の可刀利の少女が結んだ紐を解くことだ)安達多良(あだたら)の 嶺(ね)に臥(ふ)す鹿猪(しか)の ありつつも 吾(あれ)は到らむ寝處(ねど)な去(さ)りそね(― 福島県の安達太良山で寝る鹿猪がいつも同じところで寝るように、何時もと変わらずに私はお前のところに行こう、寝場所を変えないでいてくださいね)遠江(とほつあふみ) 引佐(いなさ)細江(ほそえ)の 澪標(みおつくし) 吾(あれ)を頼(たの)めて あさましものを(― 遠くの淡海・浜名湖の引佐の細江の澪標のように、頼みにさせておきながら、本当は浅い心であったのだなあ)志太(しだ)の浦を 朝漕ぐ船は 因(よし)無しに 漕ぐらめかもよ 因(よし)こさるらめ(― 静岡県の志多の浦を朝漕いでいる舟は、わけもなく漕いでいるのであろうか、そんなわけはあるまいよ、きっとそれなりの理由があるのだろう)足柄(あしがら)の 安伎奈(あきな)の山に 引(ひ)こ船の 後(しり)引(ひ)かしもよ ここば來(こ)がたに(― 足柄のアキナの山で舟を後ろから引いて下ろして行くように、帰る夫の後を私は引っ張りたい。私の所に来るのがひどく難しいのだから)足柄の 吾(あ)を可鶏(かけ)山の 穀(かづ)の木の 吾(わ)をかづさねも 穀(かづ)割(さ)かずとも(― 足柄の穀の木・皮をはいで紙を作る材料にする ではないが、私を誘って下さいな、穀の木を割かないでも)薪(たきぎ)樵(こ)る 鎌倉山の 木垂(こだ)る木を まつと汝(な)が言はば 戀ひつつやあらむ(― 薪を樵る鎌倉山の繁った木々を、松の木だと、待っていると、お前が言うのなら、何で私は此処で恋に苦しんでいよう。直ぐにもお前を訪ねて行こう)上毛野(かみつけの) 安蘇(あそ)山葛(やまつづら) 野を廣み 延(は)ひにしものを 何(あぜ)か絶えせむ(― 上毛野の安蘇山の蔓草が、野に広さ這い伸びているように、私の心はお前に走って深く思いをかけたのに、どうして途中で絶えることが出来ようか)伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) わが衣(きぬ)に 着(つ)きよらしもよ 一重(ひたへ)と思へば(― 伊香保の近くの榛原の榛の木は、私の衣に実によく染まる。裏もない心をもっているから、あの女の気持は私にぴったり合う、純粋だからだ)白遠(しらとほ)ふ 小新田山(をにひたやま)の 守る山の 末(うら)枯(か)れ爲(せ)なな 常葉(とこは)にもがも(― 人に立ち入らせずに保護している小新田山の木々の葉のように、末え枯れすることもなく、何時までもみずみずしく元気でいたいものだ)陸奥(みちのく)の 安太多良(あだたら)眞弓 弾(はじ)き置きて 反(せ)らしめきなば 弦(つら)着(は)かめかも(― 安太多良真弓の弦を外して、そのまま弓を反らしておいたなら、弦を容易くかけることが出来ようか、出来はしない。逢わずにいて急に仲良くしようとしても、中々難しい)都武賀野(つむがの)に 鈴が音(おと)聞ゆ 上志太(かむしだ)の 殿(との)の仲子(なかち)し 鷹狩(とがり)すらしも(― 都武賀野で鈴の音が聞こえる。上志太の殿様が鷹狩りをなさっていらっしゃるらしい)鈴が音(ね)の 早馬驛家(はゆまうまや)の 堤井(つつみゐ)の 水をたまへな 妹が直手(ただて)を(― 早馬駅家の堤井の水を飲ませて頂きましょう、直接に妹の手で)この川に 朝菜洗ふ兒 汝(なれ)も吾(あれ)も 同輩兒(よち)をそ持(も)てる いで兒賜(たば)りに(― この川で朝菜を洗うお方、あなたも私も同じ年頃の子供を持っています。どうか、あなたの子を私に下さいな)ま遠(とほ)くの 雲居に見ゆる 妹が家(へ)に いつか到らむ 歩め吾(あ)が駒(― 遠くの空に見える妹の家に、何時つくだろうか、早く歩め、我が駒よ)
2024年09月24日
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この月は 君來(き)まさむと 大船の 思ひたのみて 何時しかと わが待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎていにきと 玉梓(たまづさ)の 使の言えば 蛍(ほたる)なす ほのかに聞きて 大地(おほつち)を 炎(ほのほ)と踏(ふ)みて 立ちて居(ゐ)て 行方(ゆくへ)も知 らず朝霧の 思ひ惑(まど)ひて 杖(つゑ)足(た)らず 八尺(やさか)の嘆(なげき) 嘆けども 驗(しるし)を無(な)みと 何處(いづく)にか 君が坐(ま)さむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射(い)ゆ猪鹿(しし)の 行きも死なむと 思へども 道し知らねば 獨り居て 君に戀ふるに ねのみし泣かゆ(― この月はわが君が見えるであろうと楽しみにして、何時だろうと早くと待っていると、亡くなったと使者が言うので、ほのかにそれを聞いて、大地を踏んでも炎を踏むように、立っても坐ってもどうして良いかわからずに、心も惑うて大きい嘆きをしても、何の験もないからと、何処にあなたはおいでかと天雲が流れるように歩いていき、手負いの猪鹿のように行き倒れにでもなってしまおうと、思うけれども、道が分からないので、独り坐ってあなたを恋しく思っていると、ただ泣けてくる)葦邊(あしべ)ゆく 雁の翅(つばさ)を 見るごとに 君が佩(お)ばしし 投箭(なげや)し思ほゆ(― 葦辺を行く雁の翅を見る毎に、あなたが身につけておられた投げ矢が思い出される)見欲しきは 雲居に見ゆる うるはしき 十羽(とば)の松原 小子(わくご)ども いざわ出で見む こと離(さ)けば 國に放(さ)けなむ こと離(さ)けば 家に放けなむ 天地(あめつち)の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや(― 見たいものは遥か遠くに見える十羽の松原、若者たちよ さあ、出てみよう。同じ遠ざけるなら、国で家にいるときに遠ざけてください。天地の神が恨めしい、この旅の間に妻を私から引き離すべきでしょうか)草枕 この旅の日(け)に 妻放(さか)り 家路(いへぢ)思ふに 生ける爲方(すべ)なし(― この旅の間に妻を亡くして、家への道を思うと、生きている術もない)夏麻(なつそ)引(ひ)く 海上潟(うなかみがた)の 沖つ渚(す)に 船はとどめむ さ夜更(ふ)けにけり(― 千葉県の海上潟の沖の洲にこの舟は停めよう、気づいてみると、すっかり夜は更けてしまったよ)葛飾(かづしか)の 眞間(まま)の浦廻(うらみ)を 漕ぐ船の 船人(ふなびと)騒(さわ)く 波たつらしも(― 下総の葛飾の真間の浦廻を漕ぐ舟人がしきりに声を上げて動いている。波が立っているらしい)筑波嶺(つくはね)の 新桑繭(にひぐはまよ)の 衣(きぬ)はあれど 君が御衣(みけし)し あやに着欲(きほ)しも(― 筑波嶺・茨城県筑波郡にある、男女二峰を持つ名山として知られ、春秋ここでカガヒ・上代に稲の種まきや収穫の後に、神に祭り、飲酒して、男女が舞い、掛け合いの歌を謡い豊作を予祝して性の自由な開放を楽しむ行事で、東国ではかがひと言った の新しい桑繭の着物は着られなくとも、あなたの御着物は着たいと無性に思いますわ)筑波嶺に 雪かも降らる 否(いな)をかも かなしき兒ろが 布(ぬの)乾(ほ)さるかも(― 筑波嶺に雪が降ったのか、それとも愛しいあの子が洗った布を干したのだろうか)信濃(しなの)なる 須賀(すが)の荒野(あらの)に ほととぎす 鳴く聲聞けば 時すぎにけり(― 長野県の、信濃の須賀の荒野でホトトギスが鳴く声を聞いた。ああ、もう随分と時が過ぎたのだなあ)あらたまの 伎倍(きへ)の林に 汝(な)を立てて 行きかつましじ 眠(い)を先立(さきだ)たね(― 麁玉の伎倍の林にお前を立たせたままで待たせながら、今夜は行けそうにありません。先に寝て下さい)伎倍人(きへひと)の 斑衾(まだらふすま)に 綿さはだ 入りなましもの 妹が小床(をどこ)に(― 伎倍人の斑衾・種々の色の濃く薄く入り混じった布の掛け布団には綿が沢山入っていると言うが、私はどうしても入りたかったのに、妹の床に)天(あま)の原 富士(ふじ)の柴山 木(こ)の暗(くれ)の 時移(ゆつ)りなば 逢はずかもあらむ(― 今日の夕方、約束の時間が過ぎて行ったら、二度と逢うことが出来ないだろうなあ)富士の嶺(ね)の いや遠長き 山路(やまぢ)をも 妹がりとへば 日(け)に及(よ)ばず來(き)ぬ(― 富士山の遠い山路でも、妹の許へと言うので、日数もおかずにまたやってきた)霞ゐる 富士の山傍(やまび)に わが來(き)なば 何方(いづち)向きてか 妹が嘆かむ(―霞のかかっている富士山の麓に私が行ったら、私の姿が見えないので、吾妹子はどちらを向いて嘆くことであろうか)さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり 戀ふらくは 富士の高嶺の 鳴澤(なるさは)の如(ごと)(― 共に寝た夜は玉の緒ほどの短い間なのに、恋しい胸の内は富士の高嶺の鳴沢のように高く轟いています)駿河(するが)の海 磯邊(おしへ)に生(お)ふる 濱つづら 汝(いまし)をたのみ 母に違(たが)ひぬ(ー あなたを頼りにして私は母と仲違いしてしまいました)伊豆の海に 立つ白波の ありつつも 繼ぎなむものを 亂れしめめや(ー このままずっとお逢いして行きたいものを、何で心を乱すことがありましょうか)足柄(あしがら)の 彼面(をても)此面(このも)に 刺す罠(わな)の かなる間しづみ 兒(こ)ろ吾(あれ)紐解く(― 足柄山のあちこちに仕掛けるワナの、騒がしい間を、私と少女は紐を解くのです)相模嶺(さがむね)の 小峯(をみね)見かくし 忘れ來(く)る 妹が名呼びて 吾(あ)を哭(ね)し泣くな(― いつも見える相模の嶺の小峯を見て見ないふりをするように、つとめて忘れてきた妹の名を、つい口に出して呼んで私は泣いてしまいました)わが背子(せこ)を 大和へ遣りて まつしだす 足柄山の 杉の木(こ)の間か(― わが背子を大和へやって待ちつつ立つ、足柄山の杉の木の間よ、ああ)足柄の 箱根の山に 粟蒔(ま)きて 實(み)とはなれるを 逢はなくもあやし(― 足柄の箱根の山に粟を蒔いて実ったように、私の恋は成就したのに、今日逢えないことはおかしなことだ)鎌倉の 見越(みごし)の崎の 石崩(いはくえ)の 君が悔(く)ゆべき 心は持たじ(― わが君が後悔なさるような浅い心など私は決して持ちますまい)ま愛(かな)しみ さ寝(ね)に吾(わ)は行く 鎌倉の 美奈(みな)の瀬川(せがは)に 潮満つなむか(― 妹可愛いさに、私は共寝をしに出かける。鎌倉のあの美奈瀬川に今頃は潮が満ちているであろうか)百(もも)づ島 足柄小舟(をぶね) 歩行(あるき)多み 目こそ離(か)るらめ 心は思(も)へど(― 多くの島々を足柄小舟が漕ぎ回るように、あれこれ歩き寄る所が多いので、あなたは心に思っていても会う機会が少ないのでしょうね)足柄の土肥(とひ)の 河内(かふち)に 出づる湯の 世にもたよらに 兒(こ)ろが言はなくに(― 足柄の土肥の河淵に湧く温泉の、決して絶えそうもないように、ふたりの仲が絶えそうにはあの子は言わないのだが、私は心配で仕方がない)足柄の 崖(まま)の小菅(こすげ)の 菅枕(すがまくら) 何故(あぜ)か巻(ま)かさむ 兒ろせ手枕(たまくら)(― 足柄の崖に生えた小菅で作った菅枕を、何故しているのかね。愛しい子よ、私の手枕をしなさい)足柄の 箱根の嶺(ね)ろの 和草(にこぐさ)の 花つ妻(づま)なれや 紐解かず寝(ね)む(― 足柄の箱根の嶺の柔らかい草の花ではないが、お前が花のように眺めている妻なら紐も解かずに寝ようが、そうではないので打ち解けて寝たいのだ)足柄の 御坂(みさか)畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかな(― 足柄の坂の神の畏さに、はっきりと人に言わない心のうちを口に出してしまった)相模路(さがむぢ)の よろきの濱の 真砂(まさご)なす 兒(こ)らは愛(かな)しく 思はるるかな(― 相模のヨロキの浜の美しい砂のように可愛くあの子が思われることよ)多摩川に 曝(さら)す手作(てづくり) さらさらに 何そこの兒の ここだ愛(かな)しき(― 多摩川に晒す手作りの布のように、サラニサラニ、どうしてこの子がこんなにも可愛いのかしら)武蔵野(むざしの)に 占(うら)へ肩(かた)焼き 眞實(まさて)にも 告(の)らぬ君が名 卜(うら)に出(で)にけり(― 武蔵野で占いをして、鹿の肩の骨を焼くが、決して口に出さないあの人の名がまさしくその占いに表れて、人々に知られてしまった)武蔵野の 小岫(をぐき)が雉(きぎし)立ち別れ 去(い)にし宵より 夫(を)ろに逢はなふよ(― 立ち別れて行ったあの夜から、私はずっとあの人に逢っていない)戀しけは 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出(で)なゆめ(― 恋しいなら私が袖を振りもしよう、決してお前は恋心を顔色に表してはいけませんよ)武蔵野の 草は諸向(もろむ)き かもかくも 君がまにまに 吾(あ)は寄りにしを(― 武蔵野の草は同じ方向を向く、そのように、とにかくもあなたのなさるままに私は寄り添いましたのに)入間道(いりまぢ)の 大家(おほや)が原の いはゐ蔓(つら) 引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶えそね(― 入間道の大家が原のイハヰツラが引けば緩んで抜けるように、私との仲が切れてしまわないようにしてください)わが背子を 何(あ)どかも言はむ 武蔵野の うけらが花の 時なきものを(― 恋しい人を何と言おうか、何時も見える武蔵野のウケラの花のように、何時と言うこともなく恋しいものを)埼玉(さきたま)の 津に居(を)る 船の風を疾(いた)み 綱は絶えとも 言(こと)な絶えそね(― 埼玉の津に泊まっている舟のもやい綱は、風が激しくて、切れることがあろうとも、私への言葉は切らさないで下さい)夏麻(なつそ)引(ひ)く 宇奈比(うなひ)を指(さ)して 飛ぶ鳥の 到らむとそよ 吾(あ)が下延(したは)へし(― 宇奈比を指して飛ぶ鳥が宇奈比に行き着くように、私はお前のところに行き着こうと、密かに思いを寄せているのだ)馬來田(うまぐた)の 嶺(ね)ろの篠葉(ささは)の 露霜の 濡れてわが來なば 汝(な)は戀ふばそも(― ウマグタの山々の中に隠れているように、こんなにまでお前のいる国が遠かったら、お前の顔をますます見たくなるだろうな)葛飾(かづしか)の 眞間(まま)の手兒奈(てごな)を まことかも われに寄すとふ 眞間の手兒奈を(― 本当だろうか、葛飾の真間の手兒奈と私とが良い仲だと噂していると言う。真間の手兒奈と)葛飾の 眞間の手兒奈が ありしかば 眞間の磯邊(おすひ)に 波もとどろに(― 有名な葛飾の真間の手兒奈がいたものだから、真間の磯辺で波も轟くほどに人が騒ぎ立てることだ)にほ鳥(どり)の 葛飾早稲(わせ)を 饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも(― 葛飾早稲で新嘗・神や天子にその年の新い物を食物として捧げる の祭りを行っていても、東国ではその夜は物忌が厳重で、その饗応に預る神以外は、家人は全て外に出される、あの私の愛しい人を外に立たせておけようか、そんな事は出来ない)足(あ)の音(おと)せず 行かむ駒もが 葛飾の 眞間の繼橋(つぎはし) やまず通はむ(― 足音を立てずに行く馬が欲しい。葛飾の真間の継ぎ橋をいつも女のもとに通いたい)筑波嶺(つくはね)の 嶺(ね)ろに霞居(ゐ) 過ぎかてに 息(いき)づく君を 率寝(ゐね)てやらさね(― 筑波山に霞がかかって動かないように、あなたの側を通り過ぎきれないで溜息をついているお方を一緒に寝て帰しておやりなさい)妹が門(かど) いや遠そきぬ 筑波山 隠れぬ程(ほと)に 袖ば振りてな(― 妹の家の門は、いよいよ遠のいていく。筑波山に隠れないうちに袖を振ろう)筑波嶺に かか鳴く鷲(わし)の 音(ね)のみをか 鳴き渡りなむ 逢ふとはなしに(― 筑波山で声高く鳴く鷲のように、私は泣き続けることであろう。あなたにお逢い出来なくて)
2024年09月20日
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磯城島(しきしま)の 大和の國に いかさまに 思ほしめせか つれも無き 城上(きのへ)の宮に大殿を 仕え奉(まつ)りて 殿隠(こも)り 隠(こも)り在(いま)せば 朝(あした)には 召して使ひ 夕(ゆふべ)には 召して使ひ つかはしし 舎人(とねり)の子らは 行く島の 群れて侍(さもら)ひ ありて待てど 召し賜はねば 劔刀(つるぎたち) 磨「と)ぎし心を 天雲(あまくも)に 思ひはららかし 展轉(こいまろ)び ひづち泣けども 飽き足(た)らぬかも((― 大和の国で、所もあろうに、どうお思いになってか、縁もない城上にお隠れになったのでそこに殯宮をお作り申し上げ、皇子は隠っておいでになる。それゆえに、皇子が朝夕に召してお使いになった舎人達は、そこに群がって伺候し、いつもお待ちしていてもお召しがないので、磨 ぎすまし緊張していた心も砕け、展転反則して泥にまみれて泣くのだけれども、泣いても泣いても飽きたらないことである)百(もも)小竹(しの)の 三野(みの)の王(おほきみ) 西の厩(うまや) 立てて飼ふ駒 東(ひむかし)の厩 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふといへ 水こそば 汲みて飼ふといへ 何しかも 葦毛(あしげ)の馬の 嘶(いば)え立ちつる(― 三野の王が東の厩西の厩を立てて飼っていた駒よ。草こそは刈り取って与えていると言うのに、水こそは汲んで与えていると言うのに、どうして葦毛の馬が嘶くのであろうか。三野の王を偲んで啼いているのであろう)衣手(ころもで)葦毛の 馬の嘶(いば)え聲 情(こころ)あれかも 常の異(い)に鳴く(― 王を追慕する心があるからか、葦毛の馬の嘶く声がいつもと違っている)白雲の たなびく國の 青雲(あをくも)の 向伏(むかふ)す國の 天雲(あまくも)の 下なる人は 吾(あ)のみかも 君に戀ふらむ 吾(あ)のみかも 君に戀ふれば 天地に 満ち足(たら)はして 戀ふれかも 胸の病(や)みたる 思へかも 心の痛き 吾(あ)が戀ぞ 日にけに益(まさ)る 何時(いつ)はしも 戀ひぬ時とは あらねども この九月(ながつき)を わが背子が 偲(しの)ひにせよと 千世にも 思ひわたれど 萬世に 語り續(つ)がへと 語りてし この九月(ながつき)の 過ぎまくを いたも爲方(すべ)なみ あらたまの 月のかはれば 爲(せ)む爲方(すべ)の たどきを知らに 石(いは)が根の 凝(こご)しき道の 石床(いはとこ)の 根延(ねは)へる門に 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕(ゆふべ)には 入り居(ゐ)戀ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)は寝ずに 大船のゆくらゆくらに 思ひつつ わが寝(ぬ)る夜らは 數(よ)みも敢(あ)へぬかも(― 白雲のたなびく国、青雲が遠くにふしている国の、天雲の下にいる人々の中でこんなにあなたに恋するのは私だけだろうか。私だけがこんなに甚だしい恋をして、天地の間に激しい恋を満たしているからだろうか胸が苦しく、心が痛い。私の恋は日増しに強くなる。何時とて、恋しく思わないときはないけれども、わが背子がこの九月を思い出にせよと、千年も想い続けよと語ったこの九月が、やがて過ぎ去るのを何ともするすべがなく、月が変わればどうすればよいのか分からないので、岩根のゴツゴツした道を、岩床の広がった門で、朝は出ていて嘆息し、夕方には中に入っていてお慕いし、黒髪を敷いて、世間の人のようにぐっすり眠ることもなく、大船が揺れるように定まらぬ思いをしながら、私の寝る夜は数えきれないだろうなあ)隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 鵜を八頭(やつ)潜(かづ)け 下(しも)つ瀬に 鵜を八頭(やつ)潜(かづ)け 上つ瀬の 年魚(あゆ)を食はしめ 下(しも)つ瀬の 鮎を食はしめ 麗(くは)し妹(いも)に 鮎を取らむと 麗し妹に 鮎を取らむと 投(な)ぐる箭(さ)の 遠離(とほさか)り居て 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 衣(きぬ)こそば それ破(や)れぬれば 繼ぎつつも またも合ふと言へ 王こそば 緒の絶えぬれば 括(くく)りつつ またも合ふと言へ またも逢はぬものは 妻にしありけり(― 泊瀬の川の上流と下流に鵜を多く潜けて、鮎を食べさせたいものと、きめ細かく麗しい妹に遠く離れていて、慕う心地も不安で、嘆く心も不安でいると、衣こそは破れたならば継ぎ継ぎして再び合わされると言うけれど、玉ならば、それを合わせている紐が切れれば、括り合わせればそれですむけれども、再び逢うことのないのは、亡くなってしまった妻なのであるなあ)隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山 青幡(あをはた)の 忍坂(をさか)の山は 走出(はしりで)の 宜しき山の 出立(いでたち)の 妙(くは)しき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも(― 泊瀬の山、忍坂の山は、家から出て見ると姿の良い美しい山である。この立派な山が荒れるのは本当に惜しいことだ)高山と 海こそは 山ながら 斯(か)くも現(うつ)しく 海ながら 然(しか)眞(まこと)ならめ 人は花物そ うつせみの世人(よひと)(― 高山と海こそは、その性格上から、これほどに確乎として厳然と存在しているが、人間とは花のように儚く散りやすいものである、この世に僅かながらに生を得て生きる人というものは!) 亡き妻を悼む心を忘れえずにいる私にはひどく、ダイレクトに響いて来る、心にしみるような一連の歌ではありまする。大君の 御命(みこと)恐(かしこ)み 秋津島(あきづしま) 倭(やまと)を過ぎて 大伴の 御津(みつ)の濱邊ゆ 大船に 眞楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き 朝凪(あさな)ぎに 水手(かこ)の聲しつつ 行きし君 何時(いつ)來(き)まさむと 卜(うら)置きて 齋(いは)ひ渡るに狂言(たはこと)や 人の言ひつる わが心 筑紫(つくし)の山の 黄葉(もみちば)の 散り過ぎにきと 君が正香(ただか)を(― 大君のご命令を畏んで、倭の国を過ぎ、秋津の浜辺から大船に櫓を備えて朝凪、夕凪に、水夫の声を高く、櫓の音も高らかに出発して行った君は、何時帰っておりでだろうと、占いをして潔斎を続けてお待ちしていたのに、デタラメを人が口にしたのか、わが思うその人は亡くなってしまったと言う。ああ)狂言(たはこと)や 人の言ひつる 玉の緒の 長くと君は 言ひてしものを(― でたらめを人は言ったのであろうか。わが君は、玉の緒のように長く一緒に暮らそうと仰ったのに)玉鉾(たまほこ)の 道行く人は あしひきの 山行き野行き にはたづみ 川行き渡り 鯨(いさな)取り 海道(うみぢ)に出でて 畏(かしこ)きや 海の渡(わたり)は 吹く風も 和(のど)には吹かず 立つ波も 凡(おぼ)には立たぬ とゐ波の 立ち塞(さ)ふ道を 誰(た)が心 いたはしとかも 直(ただ)渡りけむ 直渡りけむ(― 道を行くこの人は、山を行き野を行き、川を渡り、海道に出て、恐ろしい神の渡りは吹く風も穏やかではなく、立つ波も並々でなく、うねる波で激しくうねって妨げる道であるのに、一体誰の心を思いやって無理をして真っ直ぐに渡ったのだろうか。ためらいもせず渡ったのか) 水死人を見ての歌鳥が音(ね)の きこゆる海に 高山を 障(へだち)になして 沖つ藻を 枕になして 蛾羽(ひひるは)の 衣(きぬ)だに着ずに 鯨魚(いさな)取り 海の濱邊に うらもなく 宿れる人は 母父(おもちち)に 愛子(まなご)にかあらむ 若草の 妻かありけむ おもほしき 言傳(ことつ)てむやと 家問へば 家をも告(の)らず 名を問へど 名だにも告(の)らず 泣く兒如(な)す 言(こと)だに問はず 思へども 悲しきものは 世間(よのなか)にあり 世間にあり(―鳥の声が聞こえる海で、高山を隔てにして、沖の海藻を枕にして薄い衣さえも身に付けずに、海の浜辺に無心に横たわっている人は、母や父にとっては愛子であろううし、可愛い妻もあったであろうか、思うことを言伝ましょうかと、家を聞くが家も言わず、名前を聞いても名前も言わない、どう思っても悲しいのはこの人生である、この人生であるよ)父母(いもちち)も 妻も子どもも 高高(たかたか)に 來むと待ちけむ 人の悲しさ(― 父母も妻も子供も今か今かと帰りを待っているであろう、その人の無残な姿を見ると悲しくてならない) 偶々目撃した溺死者に寄せる歌人の真情溢れる思いには素直に共鳴できますし、人間とはなんて素晴らしい存在なのかと、改めて感じるのですが、此処で突然ですが、女優の吉永小百合について私の感想を述べてみたいと思います。彼女は御自分を「表現者」と敢えて仰る。私達は皆創造者たる全能の神からすれば 被表現者 でありますが、それはともかく、吉永小百合さんは現代日本を代表する国民的アイドルでありまして、私もそのファンの一人であります。私がその吉永小百合に物足りなさを感じていると言っても、生意気だなどとお叱りを受ける心配はないのですが、女優として大成して大輪の花を咲かせ続けている彼女ですが、一人の女性としては何かもう一つ開花させきっていない、未成熟で未発達な部分が感じられてならないのであります。良き人生の伴侶に恵まれ、女優としては最良のブレインにも恵まれている彼女に、私ごときが何を生意気を言うのか、と誰かからお叱りを受ける心配はないのですが、注文をつけたくなるだけの素晴らしい器であるからこそ、私も本気でダメ出しをしたくなる。敢えて言いましょう、彼女の集大成はこれからにある。着せ替え人形めいた上辺の美々しさに拘らず、小百合流の悪女(?)を創造して頂きたい。血の通った、人間味溢れる、それ故に一層魅力あふれる役柄の開拓こそ、ご本人にとっては勿論の事、芝居好きの未来の観客をも引き込む驚天動地のスーパースターに変身して我々を楽しませて欲しいのですね。その気になりさえすれば、御自分の殻を思い切って破ってみる決意さえ見せれば、結果はおのずからついてくるでしょう。例えば、王女メディアの様な深味のある役柄を想定して下されば十分でしょう。私の持論ですが、大部分の役者が生涯に自分だけを表現し続ける。美空ひばりが生涯に美空ひばりだけを演じ続けるしかなかったように。吉永小百合もどのような役柄を演じようとも、吉永小百合しか演じられないように。同様に私古屋克征も一生涯私自身を演じきり、表現しきるしか能はないわけですが、十二分に己の可能性を発揮できたか否か、それだけが神から問われる厳しい審問なのですが、今は後悔のないように一日一日を悔いが残らないように過ごすだけです。このブログの読者も、神の与えられた可能性をフルに発揮してより良い人生を築き上げて欲しいものです。あしひきの 山道(やまぢ)は行かむ 風吹けば 波の塞(さや)れる 海道(ぢ)は行かじ(― 山道を行きましょう。風が吹くと波が遮る海の道は行きますまい)玉鉾(たまほこ)の 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出でて 吹く風も のどには吹かず 立つ波も のどには立たず 恐(かしこ)きや 神の渡(わたり)の 重波(しきなみ)の 寄する濱邊に 高山を 隔(へだち)に置きて 沖つ藻を 枕に纏(ま)きて うらも無く こやせる君は 母父(おもちち)の 愛子(まなご)にもあるらむ 若草の 妻もあるらむ 家問へど 家道(いへぢ)もいはず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしみかも とゐ波の 恐(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ(― 旅道にのぼって、野山を行き、川を渡り、海路に出て、吹く風も立つ波も荒い。恐ろしい神の渡の、波のしきりに押し寄せる浜辺で、高山を隔てに置き、沖の藻を枕にして無心に横たわっている君は、父母には愛しい子であろうし、可愛い妻もあるであろうに、家を聞いても名を聞いても、家道も名さえも言わずにいる。一体、誰の言った言葉を心にかけて、うねる波の恐ろしい海をひたすらに渡ったのであろう)母父(おもちち)も 妻も子どもも 高高(たかたか)に 來(こ)むと待つらむ 人の悲しさ(― 父母も、妻も子供も、今か今かと帰りを待ち望んでいるに違いない、この人を見ると実に悲しい)家人(いへびと)の 待つらむものを つれもなく 荒磯(ありそ)を纏(ま)きて 伏せる君かも(― 家の人々が待っているであろうのに、その気持ちに答えもせずに、荒磯を枕に臥せっている君であるよ)沖つ藻に こやせる君を 今日今日と 來(こ)むと待つらむ 妻し戀しも(― 沖の藻を枕にして横たわっている君を、今日帰るか今日帰るかと待っているに違いない妻は可愛そうだ)浦波の 來寄する濱に つれもなく こやせる君が 家道(いへぢ)知らずも(― 入江の波の入ってくる浜で、もはや人の気持に応えもせずに横たわっているあなたの家道が分からないことである)
2024年09月17日
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見渡しに 妹らは立たし この方に われは立ちて 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに さ丹塗(にぬり)の 小舟(をぶね)もがも 玉纏(たままき)の 小楫(をかぢ)もがも 漕(こ)ぎ渡りつつも 語らはましを(― 見渡す彼方に妹は立ち、こちらに私は立って、思う心地も安らかではなく、嘆く心地も不安でいるのです。赤く塗った小舟が欲しい、玉を纏いた楫が欲しい。漕ぎわたって互いに語り合おうものを)おし照(て)る 難波(なには)の崎に 引き上(のぼ)る 赤(あけ)のそほ舟 そほ舟に 綱取り繋(か)けひこづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみ得ずぞ 言はえにしわが身(― 難波の崎で引き上る、舟の保全のために赤土を塗ったソホ舟、そのそほ舟に綱をかけ、ああこうして舟を引いていくように、あれこれと否定したけれど、色々な事を言っては否定したけれど、結局否定しきれないで、人々から噂を立てられた私です)神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 朝凪(な)ぎに 來寄(きよ)る深海松(ふかみる) 夕凪ぎに 來寄るまた海松(みる) 深海松の 深めしわれを また海松の 復(また)行き反(かへ)り 妻と言はじとかも 思ほせる君(― 伊勢の海の静かな朝の浜に打ち寄せられる深海松・緑の藻や夕の浜に打ち寄せられる叉ミル、その深海松のように深くあなたをお慕いしている私なのに、そのまたミルのように、また行きつ戻りつしていて、この私を妻と呼ぶまいと思っているあなたなのですね)紀の國の 室の江の邊(へ)に 千年(ちとせ)に 障る事無く 萬世(よろづよ)に 斯(か)くしあらむと 大船(おほぶね)の 思ひたのみて 出で立ちの 淸き渚(なぎさ)に 朝凪ぎに 來(き)寄(よ)る深海松(ふかみる) 夕凪ぎに 來寄る縄苔(なはのり) 深海松の 深めし子らを縄苔の 引けば絶ゆとや 里人(さとびと)の 行きの集(つど)ひに 泣く兒なす 靫(ゆき)取りさぐり 梓弓(あづさゆみ) 弓腹(ゆはら)振り起(おこ)し 志乃岐羽(しのきは)を 二つ手挟(たばさ)み 放(はな)ちけむ 人しくも惜し 戀ふらく思へば(― 紀の国の室の入江のほとりで、永く障りもなくこのように幸せでありたいものだと頼みにして深く思いを寄せている子を、引けばふたりの仲が絶えると思ってか、里人が寄り集まっているところで、靫をとって探り、弓を振り立ててしのぎ羽の矢を二つ手に取って射放つように、ふたりの仲を引き裂くようなことをしたという人が本当に忌々しい。今こんなにも恋しいことを思えば)里人(さとびと)の われに告ぐらく 汝(な)が戀ふる 愛(うつく)し夫(つま)は 黄葉(もみちば)の 散り亂れたる 神名火(かむなび)の この山邊から ぬばたまの 黒馬(くろま)に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人そ告げつる(― 里人が私に告げるには、お前が恋しく思っている愛しい人は、黄葉の散り乱れた神名火のこの山辺を通り、黒馬に乗り、川の七瀬も渡って、うらぶれた姿で出会ったと、里人が私に告げました) 挽歌(死者を悼む歌)とする説がある。聞かずして 默然(もだ)あらましを 何しかも 君が正香(ただか)を 人の告げつる(― 噂も耳にせずに黙ってぼんやりとしていればよかったものを、どうして里人があなたの様子を告げたのでしょう)物思はず 道行く行くも 青山を ふり放(さ)け見れば つつじ花 香(にほえ)少女(をとめ) 櫻花 榮(さかえ)少女(をとめ) 汝(なれ)をそも われに寄(よ)すとふ われをもそ 汝(なれ)に寄すとふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝(な)が心ゆめ(― 物も思わず道を歩きつつ、青山を振り仰いで見ると、そこに咲いているツツジの花のように色美しい少女よ、桜花のように咲き誇る少女よ、お前と私は仲がいいと人が噂しているそうだ。私とおまえとが仲良しだと噂をしているそうだ。あの人気のない荒山ですら、仲がいいと誰かが噂を立てるとひどく評判になるというから、気を付けないといけないよ)いかにして 戀ひ止(や)むものぞ 天地の 神を祈(いの)れど 吾(あ)は思ひ益(まさ)る(― どうしたら恋が止むものでしょう。天地の神に祈っても、私はますます恋心が増してきます)然(しか)れこそ 年の八歳(やとせ)を 切り髪の 吾同子(よちこ)を過ぎ 橘の 末枝(ほつえ)を過ぎて この川の 下(した)にも長く 汝(な)が情(こころ)待て(― ですから、長い年月にわたって年も行かない時代を過ぎ、橘の上枝を超える背丈になるまで、心の底深く、長いことあなたの気持が私に向くのをお待ちしていますのに)天地の 神をもわれは 祈(いの)りてき 戀とふものは さね止(や)まずけり(― 天地の神々にも私は祈りました、しかし、恋心というものは全然止みませんでした)物思はず 路行く行くも 青山を ふり放(さ)け見れば つつじ花 香(にほえ)少女(をとめ) 櫻花 榮少女(さかえをとめ) 汝(なれ)をぞも われに寄(よ)すとふ われをぞも 汝(なれ)に寄(よ)すとふ 汝(な)はいかに思ふや 思へこそ 歳(とし)の八年(やとせ)を 切り髪の よちこを過ぎ 橘の 末枝(ほつえ)を過ぐり この川の 下にも長く 汝(な)が心待て(― 物も思わずに道を歩いて行きながら、青山を振り仰いでみると、そこに咲いているツツジの花のように色美しい少女よ、桜花のように咲き盛る少女よ。お前と私が仲がいいと噂しているそうだ。お前はどう思う? 以上が男の歌 慕わしいと思っているからこそ、この長の年月、年も行かない時代を過ぎ、橘の上枝をこえる背丈になるまで、心の底深く、長いことあなたの気持が私に向くよのをお待ち致しておりましたものを。 女の答え )隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の國に さ結婚(よばひ)に わが來れば たな曇り 雪は降り來(き) さ曇り 雨は降り來(く) 野(の)つ鳥 雉(きぎし)はとよみ 家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸開かせ(― 泊瀬の国に私が結婚にやって来ると、一面に曇って雪は降ってき、曇って雨は降ってくる。雉は鳴き立てて鶏も鳴く。夜は明けてしまう。入って、そして共寝をしたい。この戸を開いて下さい)隠口(こもりく)の 泊瀬小國(はつせをくに)に 妻しあれば 石は履(ふ)めども なほし來にけり(― 泊瀬の国に妻がいるので、石を踏む歩きにくい道だけれども、それでも私はやってきた)隠口の 泊瀬小國に よばひ爲(せ)す わが天皇(すめろき)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝たり 外床(ととこ)に 父は寝たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許(ここだく)も 思ふ如(ごと)ならぬ 隠妻(こもりづま)かも(― 泊瀬の国に私を求めておいでになったスメロキ・土地の番長よ、奥の床には母が寝ています、外側の床には父が寝ています。私が起き立ったならばきっと母が気づくでしょう。出て行ったならばきっと父が気づくでしょう。夜は明け離れてしまいました、ほんとに何も出来ない隠妻です、私は)川の瀬の 石ふみ渡り ぬばたまの 黒馬(くろま)の來る 夜(よ)は常にあらぬかも(― 川瀬の石を踏んで渡り、私の夫の乗る黒馬の来る夜は、毎夜であればいいなあ)つぎねふ 山城道(やましろぢ)を 他夫(ひとつま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 其(そこ)思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と わが持(も)てる 眞澄鏡(まそかがみ)に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へわが背(― 山城への道を他の夫が馬で行くのを、私の夫が歩いて行くので、見る毎にひたすら泣ける。それを思うと心が痛い。私が母の形見として持っている真澄の鏡・よく澄んでいる立派な鏡 にアキズヒレ・非常に薄い女用のマフラー を添えて持って行って馬をお買いなさい、わが背子よ)泉川 渡瀬(わたりぜ)深み わが背子(せこ)が 旅行き衣(ころも) 濡れにけるかも(― 泉川の渡る瀬が深いので、私の夫の旅の着物が濡れてしまった)眞澄鏡(まそかがみ) 持てれどわれは 驗(しるし)なし 君が歩行(かち)より なづみ行く見れば(― 真澄の鏡を私は持っているけれどもその甲斐がない。わが背子が徒歩で難儀して行くのを見ると)馬買はば 妹(いも)徒歩(かち)ならむ よりゑやし 石は履(ふ)むとも 吾(あ)は二人行かむ(― 馬を買ったならば、私は馬に乗ったとしても、吾妹子は徒歩で行かなくてはならないだろう。いいよ、構わない、私達は石を踏んでも二人で歩いて行こう)紀の國の 濱に寄るとふ 鰒珠(あはびたま) 拾はむといひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 何時(いつ)來まさむと 玉鉾の 道に出で立ち 夕卜(ゆううら)を わが問ひしかば 夕卜の われに告(の)らく 吾妹子(わぎもこ)や 汝(な)が待つ君は 沖つ波 來寄(きよ)る白珠(しらたま) 邊(へ)つ波の 寄する白珠 求むそと 君は來まさね 拾ふとそ 君は來まさぬ 久にあらば 今七日ばかり 早くあらば 今二日ばかり あらむそと 君は聞(きこ)しし な戀ひそ吾妹(わぎも)(― 紀の国の浜によるという鰒の珠を拾おうと言って、妹山背山を越えて行ったわが君は、何時帰って来られるだろうと、私が道に立って夕卜をしたところ、その夕卜のお告げに、吾妹子よ、お前が待っている君は沖の波に寄る白珠を、岸辺の波が寄せる白珠を求めるとてまだ帰っておいでにならないのだ、長ければもう七日ほど、早ければもう二日ほどかかるだろうと、わが君が仰った。恋しく思うな吾妹子よ、とのことだった)杖衝(つ)きも 衝かずもわれは 行かめども 君が來まさむ 道の知らなく(― 杖をついてもつかなくても、私はお迎えに行きたいけれど、あなたが帰っておいでになる道がわからなくて)直(ただ)に行かず 此(こ)ゆ巨勢道(こせぢ)から 石瀬(いはせ)踏み求(と)めそ わが來(こ)し 戀ひて爲方(すべ)なみ(― 巨勢道を通って石瀬を踏み、あなたを追い求めて私はやって来ました。恋しくて仕方がなくて)さ夜更(ふ)けて 今は明けぬと 戸を開(あ)けて 紀へ行く君を 何時(いつ)とか待たむ(― 夜が更けて、さあ夜が明けたと戸を開けて、紀の国に行くあなたを、お帰りは何時と思ってお待ちしたらよいのでしょう)門(かど)に座(ま)す わが背(せ)は宇智(うち)に 至るとも いたくし戀ひば 今還り來(こ)む(― 門先にいるわが背は宇智まで行ったとしても、私がひどく恋しいと思ったら、直ぐに帰ってくるだろう)階(しな)立(た)つ 筑摩(つくま)左野方(さのかた) 息長(おきなが)の 遠智(をち)の小菅(こすげ) 編(あ)まなくに い刈り持ち來(き) 敷かなくに い刈り持ち來て 置きて われを偲(しの)はす 息長(おきなが)の 遠智の小菅(こすげ)(― 滋賀県の筑摩のサノカタ・蔓植物 や、息長の遠智の小菅を、編みもしないのに刈ってきて、敷もしないのに刈って持ってきて、さて、そのまま捨て置いて、捨て置かれた私に恋しい思いをさせるとは。私はその淋しい息長の小菅です)懸けまくも あやに恐(かしこ)し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも多く坐(いま)せど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ來(こ)し 君の御門(みかど)を 天の如 仰ぎて見つつ 畏(かしこ)けど 思ひたのみて 何時しかも 日足(ひた)らしまして 十五月(もちつき)の 満(たた)はしけむと わが思ふ 皇子(みこ)の命(みこと)は 春されば 植槻(うゑつき)が上(うへ)の 遠つ人 松の下道(したぢ)ゆ 登らして 國見あそばし 九月(ながづき)の 時雨(しぐれ)の秋は 大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負(お)ひて 靡(なび)ける萩(はぎ)を 玉襷(たまたすき) 懸けて偲(しの)はし み雪ふる 冬の朝(あした)は 刺楊(さしやなぎ) 根張梓(ねはりあづさ)を 御手(おほみて)に 取らしたまひて 遊ばしし わが大君を 霞(かすみ)立(た)つ 春の日暮(ひくらし) 眞澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 萬世(よろづよ)に 斯(か)くしもがもと 大船の たのめる時に 妖言(およづれ)に 目かも迷(まと)へる 大殿を ふり放(さ)け見れば 白栲(しろたへ)に 飾りまつりて うち日さす 宮の舎人(とねり)も 栲(たへ)の穂(ほ)の 麻衣(あさきぬ)着(け)れば 夢(いめ)かも 現(うつつ)かもと 曇り夜の 迷(まと)へる間(ほと)に 麻裳よし 城上(きのへ)の道ゆ つのさはふ 石村(いはれ)を見つつ 神葬(かむはぶ)り 葬(はぶ)り奉(まつ)れば 行く道の たづきを知らに 思へども しるしを無み 嘆けども 奥處(おくか)を無み 御袖(おほみそで) 行き觸れし松を 言問(ことど)はぬ 木にはあれども あらたまの 立つ月ごとに 天(あま)の原 ふり放(さ)け見つつ 玉襷(たまたすき) かけて偲(しの)はな 畏(かしこ)かれども(― 口に出して申し上げるのも恐れ多いことですが、藤原の都いっぱいに人は満ちているけれど、君は多くおいでになるけれど、送り迎える年月も長くお仕えして来た君の御門を、大空のように仰ぎ見、恐れ多いけれども心に頼みにして、何時になったら皇子様が成長され、満月のように満ち足りてご立派になられるだろうと思ってきた、その皇子様は春になると植槻のあたりの松の下道から丘にお上りになって、国見をなさり、九月の時雨の降る秋には大殿の敷地いっぱいの境界に露を負って靡く萩を心にかけて賞美なさり、雪の降る冬の朝は梓弓を手になさり御狩りを行った。この皇子様を、春の日の長い一日をかけて眺めても見飽きないので、永久にこのようにあって欲しいとお頼み申し上げている時に、人惑わしの言葉に目が狂ったのか、大殿を見やると白栲でお飾り申し上げ、宮の舎人達も白い喪服を着ているので、これは夢か現実かと、戸惑っているうちに、城上の道を石村を見ながら通って御葬り申し上げたので、歩いていく道の様子も分からず、どう思っても甲斐がないので、また、嘆いても果がないので、皇子の袖が触れた松を、物言わない木ではあるが、新月が上がるごとに振り仰いで見ては、心を寄せてお慕いしよう、恐れ多いことではあるけれども)つのさはふ 石村(いはれ)の山に 白栲(しろたへ)に 懸れる雲は わが大君かも(― 石村の山に白くかかっている雲はわが皇子であろうか) つのさはふ、は蔓が多く這っているの意で、石(いは)にかかる枕詞である。
2024年09月12日
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第百三十九聯、ああ、お前の無情な仕打ちが我が心を苦しめるのに、その罪の弁明役に当の私を呼び出すのが常套手段なのだが、それは止めてくれないか、私には辛すぎるのだよ、酷く傷ついている、お前が想像する以上にだ、えっ、あたしは想像なんかしない、だって、そうだろう、そうだろう、私の女々しい泣き言なのだ、恋人よ、その悪魔的な眼で私を傷つけずに、その舌で辛辣極まりない毒舌で傷つけてくれ。思いっきり力を振るうがよい、だが、策略で殺してくれるな。他の男を愛していると言うがよい、だが、恋人よ、お願いだから私の前ではよそに流し目をくれるのは、どうかよしてくれ、お前の力は追い詰められた私の力には負えないくらいに強いのに、何故、計略をつかってまで傷つける必要があろうか。お前の為に世の中の慣例に従って弁ずればこうなろうか、ああ、我が恋人は、その気まぐれな目つきが私の敵であるのを篤と承知している、それゆえに私の顔から敵を引き上げて、他の男に矢を降り注ぎ、手傷を負わせようとしている、と。だが、それは止めてくれ。私は半分死にかけているのだ、いっそ、その目つきで息の根をとめ、苦痛から救ってくれ。 第百四十聯、恋人よ、お前は世にも残酷な女だが賢さも持ち合わせてくれ、私がこうして黙って耐えているのに、この上、それを無視して責め苛むな。さもないと苦しさと悲しみが私に言葉を与えて、言葉は 憐憫欠乏症 の、わが苦しみぶりを述べ立てるだろう。お前に分別を説いてよければ、愛する者よ、肉欲の対象よ、たとえ愛していなくとも、嘘に嘘を重ねて「愛しているわ」と言うがよい。苛立ちやすい病人は、死期が近づくと、担当医からは良くなりますよという言葉しか聞こうとしなくなる。もし私が絶望して狂乱に陥れば、その狂乱の最中でお前を悪しざまに言うかも知れない。全てっを捻じ曲げる当世の堕落混迷は甚だしいから、狂った男のたわいのない中傷でも、狂った聞き手が信じてくれよう。だが、愛しい恋人よ、淫猥な肉欲の対象たるダークレイディーよ、狂った私の中傷の言葉が信じられて、お前が世間から中傷され、爪弾きされないように、お前の高慢で淫乱な心が肉体からさ迷いでても、眼だけは、正面を見詰めるがいい。 此処で、私の詰まらない感想を一言、詩人は女性を相手の繰り言、愚痴を述べる際には当然のことながら平凡な世の詩人並みの言辞しか述べることは出来ない。理想は現実の肉体交渉で解消され理想や夢を欠いた愛の空虚な表現は生彩さを伴いようがない。万葉詩人たちの方が余程素敵で生き生きとした躍動する恋心を表出し得ている。相手が肉欲だけで夢や理想を感じさせない相手では天才の出し様がないわけですね、しかし、これも天才詩人の計算の中に織り込み済みなこと。最終目的は神にも勝る理想の恋人の青年をより崇め、奉る手段なのですから。地の低さを強調することで天の高さを暗に表現する、本当の目的は此処に在ることを忘れないようにしよう。 第百四十一聯、実のところ、眼で見てお前を愛しているのではない、眼はお前の内に無数の欠点を見ているのだ。だが、心の方は眼が蔑むものを、愛している。心は見えるものに逆らって熱愛を捧げたがる、耳がお前の声音を楽しむのでもなければ、鋭い触感が卑しげに撫で回したがるのでもない、同様に、味覚も嗅覚も、別にお前一人だけを相手にして、官能の饗宴にあずかろうと思っているわけでもない。ただ、私の五官(視・聴・嗅・味・触)も、知恵の五つの働き(分別・想像力・知覚力・判断力・記憶力)も、ひとつの愚かな心がお前に仕えるのを抑制できないのだよ。かくて、わが心は、魂は、抜け殻同然の私を放り捨てて、お前の高慢な淫靡な心に仕える卑しい下僕と成り果てた。ただ、この本質的な禍が奇跡的に利益にも成りうるのは、私を愚かな罪に誘う女が、苦しみの罰を同時に与えてくれる事だけだ、その分だけ死後に与えられる罰が軽くなるから。 第百四十二聯、私の罪は愛したことで、お前の大切な美徳は憎しみと唾棄だ、私の罪に対する憎しみは、罪深い愛情から生まれ出た、ああ、お前よ、ああ、私の事情をお前のと比べてくれさえしたら、敢えて私を咎めるにも当たらぬことが分かるだろうよ。仮に咎められるにしても、よりによってお前の汚れた唇に謗られるいわれはない、それは、これまでにもおのが緋色の枢機卿の如き高貴な着衣を穢し、私の唇同様に、幾度も愛の偽証文に刻印を押してきたのだし、他人の寝台に入る収益を掠めてもきたのだからね。私の飢えた眼がお前に迫るように、お前の淫乱な眼も人を見境もなく誘い、贋の愛を語り続けるのなら、私がお前を愛したっていいはずだ、その心にどうか憐れみを植えてくれ、束の間でも構わないさ、そいつが育ってお前の造花の如き憐れみが人間らしさを僅かであっても帯びるのなら。それで、我慢できる。もしも、自分が拒絶するものを他者には要求するというになら、おのが身に照らしてみても、相手からは拒まれてしかるべきなのだ、因果応報なのだよ。 第百四十三聯、気苦労の絶える間もない一家の女房が、駆け出してはぐれた鶏の一羽を引っ捕えようと躍起になっている、抱えていた幼子を地面におき、相手を捕まえようと後を追って力の限り走っていく、捨てられた子供も母親を追って泣き喚くけれど、取りすがろうとするけれど、母親の方は目の前を逃げる鶏を追うのに無我夢中で、哀れな幼子の嘆きなどとんと頭にない、お前も同じさ、無慈悲な恋人よ、お前はただ自分から逃げる者だけを追いかける。私は見捨てられた幼子で、遠くから後を追ってついていく、でも、恋人よ、お目当てのモノを手にしたら戻ってきて母親役を勤めてくれ、私に接吻して、優しくしてくれ。とにかくも、戻ってきて泣き喚く私を宥めてくれるのなら、お前がウィル・思い(願望、意志、欲情、男根、心)などを手にするように陰ながら祈りもしようよ。 百四十四聯、慰安をもたらしてくれる者と、絶望に追い込む者と、私には二人の恋人がいて、二種類の霊魂のように絶えっずに私に働きかけてくる。より良い方の天使のごとき恋人はまことに色が白くて伝統的な美人、美貌の男なのだが、悪い方の霊はきわめて今日的で、不気味な黒い色をしたどう見ても不吉そのものと言った女だ。この女の悪霊は直ぐにでも私を地獄・梅毒の病 にひきおとそうとし、良い方の天使を私の側からおびきだし、あの醜くも華やかな娼婦的な姿で純潔な青年を口説き落とし、この純情この上ない初心な私の聖者を手もなく堕落させて、根っからの悪魔のように変化させようと図る。私はわが敬愛する天使が唾棄すべき悪魔に成り下がってしまったのではないかと疑い、恐れているのだが、まだ、確かなことは言えない。だが、二人は私から離れてお互いの友達になったのだから、男の天使は女の悪霊の股ぐら地獄、女陰の中にいるのだろう、だが、これは私には分からない、あの悪魔が無垢な天使を恐ろしい梅毒の火で燻り出すまで、疑いながら戦々恐々として生きるわけだ。 第百四十五聯、愛の優しい女神が美しい手で自ら作られたあの魅惑の唇が、「私は嫌いよ」という言葉を口にした、彼女を心底愛して挙句に恋にやつれ果てたこの私に向かってだ。しかし、私が極度に嘆くさまを見て取ると、すぐさま女の残酷な心にも哀れみが現れて、普段は情け深い判決を下している、常には優しい、あの舌を叱りつけて、こう言い直せと教え込んだ。女は「私は嫌い」に結びを添えて言い変えた。その出現はまるで暗い夜の後に穏やかな昼が訪れきたって漆黒の夜は悪魔のごとくに天から地獄に逃げ失せたよう。女は「私は嫌い」を憎しみの遠くに捨てて、「じゃないわ」と言い添え、我が命を救った…。 第百四十六聯、わが罪深き土くれの中心よ、お前を貶めんとするこの反逆の軍勢に打ち負かされた、憐れな魂よ、外壁は金を惜しまず、華やかに塗り立てながら、何故に、内では飢えに苦しみ悩むのか、窮乏に苦しみ耐えるのか。わずかの間だけ借りたに過ぎない、この朽ちゆく屋敷に、何故、こんなにも多額な費用を費やすのか、こういう奢りの相続人たる蛆虫どもにお前の預り物を食らわせるのか、それがお前の肉体の定めなのか。それなら、魂よ、こんな下僕は見殺しにして生きるがいい、お前の貯えを増やすためなら、奴は餓えさせておけ。屑みたいな時間を売り払って、永遠の生命を贖うがいい。もう、外側を装うのはよしにして内なるものを養うがよい。こうして、人を食らう死神をお前が喰らうのだ、そして、死神が死んでしまえば、もう死ぬことはない。 第百四十七聯、私の愛はそもそもが熱病みたいなものだ、いつでも病気を尚更養い育てる物を欲しがり、患いを長引かせるものを食べて、気まぐれで、病的な食欲を満たしている。つまり、性悪な黒い婦人を飽くなく追い求めて憔悴している。私の理性がこの悪性の愛を根治する医者なのだが、処方を守らないと言って怒り、私を見捨ててしまっている。病状は絶望に陥り、私は薬を拒む欲望が死に等しいのを此の身で知った。理性に見放されたからには回復する見込みはない。私は絶えずに不安に苛まれて錯乱している。わが心も、言葉も、狂人のそれと同じで、ひどく的外れな上に、愚にもつかぬ話ぶりだ、ああ、恋人よ、お前は地獄の如く暗く夜のように黒いが、私は美しいと誓い、輝くばかりと、見たのだからね。 第百四十八聯、全く愛は、愛の神キューピッドは何と言う眼をこの頭に嵌め込んだのだろうか、わが見る物は真実の姿とは似つかない、紛いものばかり。もしも似ているのなら、私の判断力は何処へ逃げたのか、眼は対象を正しく見るのに、鑑定を間違えているのではないか。あてには出来ないわが眼の熱愛するものが美しいなら、世間が違うというのは、どういう理由があってのことだろうか。違うのなら、わが愛がはっきりと示すとおりで、愛の眼は世間の眼の見る真実を見ないのだ。そうとも、ああ、どうして、ああ、どうして寝もやらず涙にくれて、痛み疲れた愛の眼に真実が見えようはずもない。だから、私が見違えても別に不思議はないのだが。太陽だって雲が切れるまでは何も見てはいないのだ、ああ、狡猾な愛よ、わが黒き恋人よ、愛のキューピッドよ、狡猾な愛よ、お前が涙で私を幻惑して目を晦ますのは、よく見える眼に、忌まわしい弱みを見つけられない為だ、それだけなのだよ。 第百四十九聯、ああ、ああ、酷い女よ、恋する淫乱女よ、私は敢えて己に背いて憎たらしいお前に組みしているのに、私が実はお前を愛してなどいないなどと言えるのか、暴虐非道なる女よ、我が事を忘れてこんなにも一途に尽くしているのに、私がお前の為を思っていないなどと言うのか。お前が憎む者に対して、私が友よ、などと呼びかけるであろうか。お前が不興げな顔を向ける者に、私が諂い顔を見せるか、いや、いや、お前が私に嫌な顔を見せれば、私はたちどころに嘆き悲しんで、我と我が身に恨みを晴らしはしないだろろうか。お前に奴隷のごとくに仕えるのを蔑むほどに、誇らしくて優れた才質を何にしても我が身の内に認めているだろうか。私は忠実な下僕宜しく、お前の眼の動きが命じるままに、全身全霊を挙げてお前に尽くし、厭らしい欠点を崇め奉っているではないか、だが愛する者よ、心底憎むがいい、今はお前の心が解った。眼の見える者達をお前は愛するが、私は盲目なのだ、進んでそうなったのだ、本望だよ。 第百五十聯、ああ、お前、淫乱好色なる我が恋人よ、どんな種類の神からその強力な力を授かったのか、お前はわが弱みを逆手にとってわが心を支配する。挙句に、私は真実を見る眼を嘘つき呼ばわりして、昼間を引き立てるのは明るさではない、などと誓う始末。醜悪な嫌悪すべきものに魅力を添えるこの術を、お前は一体何処で覚え仕込んだのか。塵芥同然のその卑しく浅ましい振る舞いにさえ、確かな手練手管、遣り手婆あさながらの老練な力が満ち満ちているから、わが心の中ではお前の最悪が全ての最善に打ち勝つのだ、憎んで当然のものを見聞きするほど、却ってお前を愛したくなる、その手口は誰に教えてもらったのだ。ああ、ああ、私は他人が忌み嫌うものを愛しているが、お前までが人と一緒になって私を忌み嫌う法はないぞ、思いの卑しさと好色さが私の愛を呼び起こしたのなら、尚の事、私はお前の愛に相応しい淫猥な男だ、実に、嘆かわしくも似合いのカップルと呼べようよ。 第百五十一聯、愛は若すぎるから、分別がどういうものかを知らないが、分別が愛から生まれるということは誰でも知っている。だから、優しい残酷な裏切り者よ、私の過ちを責めるのはよせ。美しいお前がわが罪の元と知れては困りもしようよ。お前が私を裏切るから、私も裏切りを働いて自分の高貴なる魂を、賎しい肉体の反逆に委ねるのさ。魂は肉体に命じて、愛の凱歌をあげるがいいと言い、肉体の方は二度と言われるまでもなく、お前の名前を聞いて突っ立ち、勝利の獲物はお前だと指を指す。こうして、自惚れ、膨れ上がり、惨めな苦役人の身分に満足して、事あればお前の為に立ち、お前の傍らで死のうと言う。彼女を恋人と呼び、愛ゆえに立とうと、死のうと、だからと言って私が無分別だとは考えてくれるな。 第百五十二聯、私がお前を愛して誓いに背いたのは、知っての通りだ、事実さ。でも、お前は私に愛を誓って二度も誓いに背いた。夫婦の契を裏切ったし、新しい愛が生まれると、新しい約束を破り捨てて、新しい憎しみを誓ったのだから。だが、二度誓を破ったとて、お前を咎められるか、この私は二十度も誓を破っているぞ。私が一番の嘘つきだ。私の見え透いた誓いはみんなお前をその場限りで欺く誓いにすぎない。お前のせいで私の誠実さなどは何処かへ吹き飛んでしまった、私はお前が真情溢れる女性だと心底から誓い、お前の愛にも、誠にも、貞節にも、嘘偽りはないなどと誓った、お前に光を添えるために、私はこの眼を晦ませた。また、眼が見るものとは逆の事を誓わせたよ。つまり、私はお前が美しいと誓ったし、真実に逆らってこんな醜く厭らしい嘘をつくとは,眼のイカサマがもっとひどい。 第百五十三聯、愛の神キューピッドが愛の松明を傍らに寝込んでしまった。純潔の女神ダイアナの侍女が、その隙に恋心を掻き立てるこの松明を引っつかみ、いきなり、近くの谷間の冷たい泉に突っ込んだ、泉は愛の神のものなるこの焔から、永劫の活気にあふれて変わることなき熱気をもらい、沸き滾る温泉と変じ、かくて、重病難病を癒す効験あらたかな薬湯となったのは、今も人の知る通り。ところが、愛の神の松明は我が恋人の眼からまた火種を得た。しかも、この少年、試しに私の胸を灼いてみないと気がすまぬ。おかげで私は病を得て、温泉の助けを借りようと急ぎこの土地を訪れ、哀れな患い客となったが、治療のすべはなかった。私を癒す温泉は、新たにキューピッドが火を得たところ、我が恋人の眼だったのだ。 第百五十四聯、或るとき、幼い愛の神が横になって眠り込んだ、恋心に火をつける松明を横に置いたままで。そこに純潔の一生を送ると誓った多くのニンフ達が軽やかな足取りで通りかかり、中でも一番美しい巫女が、清らかな手に松明を取り上げた、これまでに数え切れない数の真心を燃え立たせた松明をだ。こうして強い情欲を支配するこの大将殿、眠っている間に、娘の手で得物を奪い取られた。彼女はこの松明をそばの冷たい泉に浸して消した。泉は愛の神の火から永久(とこしえ)に冷めぬ熱気をもらい、温泉に変じて、病に悩む人々を癒す薬湯となった。だが、恋人の虜である私は此処に治療に来たけれど、こんなわけで知ったのは、これ。詰まりは、愛の神の火は水を熱っするが、水は愛を冷やしてはくれぬ、と。
2024年09月10日
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第百二十五聯、美々しい貴人に対して天蓋を捧げ持ち、これ見よがしに外面(そとずら)を崇めてみても、また、永遠の輝かしい名声を残そうとして巨大な礎石を築いても、それが私にとって何の得になろうか、何の得にもなりはしない。そんなものは、家屋敷が荒廃する程の間も持ちはしない。顔や容貌にこだわる者達が、素朴な香りを捨てて、甘ったるい混ぜ香水を欲しがり、高い代価を支払って一切合財を失うのを私は見なかったか、あれらは外見を気にして失ない破産した哀れな成り上がり共だ。いや、いや、私は君の麗しい清潔な心にだけ忠実に仕えたい。貧しいけれど、心からなるこの捧げ物を受けてくれたまえ。私のは見かけ倒しの混ぜものではないし、わざとらしい技巧も知らぬ。ただ、お互いを交換して、君に私の全てを差し出すだけだ。あっちへ行ってしまえ、穢らわしい、金で買われた密告者共め。大切な真実を守る者はどう謗られようとも、お前達の意のままになどはならない。 第百二十六聯、ああ、ああ、君よ、ああ、愛する若者よ、君は時の神の持つ気まぐれな鏡も時間という小鎌も、自らの手で管理統括している。時は移ろうが、君の美はいや増すばかりだ、だから、その美貌が成長すれば周囲の友人たちの衰えが変に目に付く。破壊を統御する女王たる自然の女神は、君が先に進むと絶えずに後ろに引き戻すが、君を自分の手元に留めておくのは彼女の技をもって時の神に恥をかかせ、ケチな時刻を滅ぼすためなのだ。ああ、君は彼女のお気に入りだが、決して気を許したりしないでくれたまえ、あれは自分の宝を引き止めても、永遠に傍らに置く力はない。彼女の決算が遅れても、いずれ報告はなされねばならない。そして、その支払いとは君を引き渡すことなのだ。 第百二十七聯、ここからは美貌の青年ではなく、黒い女が対象になる。昔の人は黒が美しいとは思わなかった、よし、そう思っても、口に出してまでは美しいとは言わなかった。金髪で色白なのが女性の美の標準だったから。だが当今では、黒が美の相続人に成り上がり、金髪色白は私生児めなどと、悪しざまに罵られている。つまり、世の誰も彼もが自然の力を掠め取り、技巧から借りた贋の顔で醜を美のスタンダードに変えた、それで、麗しい美は名声を失い、聖なる住み家を奪われて、俗界に落ち、汚辱に生きる身ともなりかねない始末だ。それゆえに、わが恋人の眼は鴉の如くに黒い、美人に生まれもしないのに技巧で美を手に入れ、ありもせぬのにあるかのように見せかけて、創造の力を貶める者らを、その黒い装いは嘆くかのようだ。だが、その眼は如何にも優雅に悲しみを嘆くので、どの人も、美とはこういう色に違いないと主張する。 第百二十八聯、バージナル、わが楽の音よ、黒き婦人、お前があの幸せな鍵盤に触れ、音楽を奏で、その美しい指の動きにつれて木片の動きが楽音に変わるとき、また、お前が弦の和音をたおやかに操り、わが耳を陶然とさせるとき、お前の柔らかな手の窪(くぼ)に接吻しようとて素早く跳躍する鍵どもを、私はどれほどしばしば憎んだことだろうか。その収穫を刈り取る筈の私の哀れな唇と言えば、木片の臆面もない振る舞いを、下衆な男どものようだと感じて、顔赤らめて見守るばかりなのだよ。お前の指は踊る鍵盤の上を軽やかに歩くけれど、私の唇だって、こんな素敵な愛撫を受けられるのならば、喜んで奴らと身分や境遇を取り替えようよ。その指は命のない木片を命のある生きている唇よりも幸せにしてやるのだもの。生意気な鍵はこれで大満足なのだから、接吻をさせるのなら、奴らにはその指を、私にはその唇を与えてくれ。 第百二十九聯、恥ずべき放埒のあげくに、精気を消失すること、これが淫欲の行為というものだ、また、行為に至るまで淫欲は偽証や、殺人や、流血を事とし、数多くの罪を犯し、野蛮、凶暴、残忍、無慈悲にして、到底頼み難い。人は一旦これを享楽し終われば、たちまちにして蔑む。分別をうちやって捜し求めても、手に入れてしまえば、分別をうちやって憎む。人を狂わせる為に仕掛けた餌を呑み込めば、こうもあろうというように。追い求めるときが狂乱の様子なら、手に入れても狂乱のまま。行為の後も、最中も、これからという時にも凶暴のきわみ、体験の最中には至福を味わうが、体験の後には悲しみだけが残る。前方には歓びが見えても、振り返れば一片の夢にしか過ぎない、世の人だってそれは篤と御存知だが、こういう地獄に人を連れ込む天国を避けて通るすべは、誰も知らない、知らされてはいないのだ。 第百三十聯、私の彼女の魅惑の瞳などは輝く太陽などとは比較にもならぬ。あれの唇の赤みより珊瑚の方が遥かに紅色だ、雪を白いと表現するなら、彼女の乳房はさしずめ薄い墨の色と言うべきか。毛髪が針金と形容するのが詩歌の常套句なら、あれの頭には黒い針金が生えているわけだ。赤や、白や、色混ざりのバラを見たことはあるが、だが、彼女の愛らしい頬にそんな薔薇が咲いたのをかつて見たことがない。香水の中にだってあれの吐く息よりももっと芳しい香りをはなつやつがある。あれが喋るのを聞くのは好きだが、音楽の方にだってもっとずっと妙なる響きがあるのを、私もよく承知している。確かに私は光り輝く美しい女神が歩むのを見たことがない、私の女が歩くときは大地を踏みしめて歩くのだから。だが、神掛けて言おう、わが麗しの恋人は勝手な比較を操ってでっち上げたどの女に比べても、見事引けをとらない。 第百三十一聯、この通りに黒いお前だが、昔なら美とは無縁だった、その無慈悲さときたら、美貌を笠に着て酷い仕打ちをする女等にも負けない。愛にのぼせたこの心には、お前は世にも美しく、貴重な宝石だ。それを、当のお前が心得切っている、だが、実のところお前を見て、あの顔には恋人に溜息を吐かせる力はない、と言う人たちもいる。それは間違いだと主張する程私は向こう見ずにも大胆にもなれない、ただ、自分だけには間違っていると誓言してみるのだが。そして、この誓言が偽りであることを信じさせるためにか、お前の個性的な顔を思い浮かべるだけで、次から次へと無数の溜息が漏れ来たって、証人となり、わが判定の場たる心の中で、お前の醜くも美しい黒さがこの上もなく美しいと断言する。お前が黒くて醜いのはそもそも振る舞いだけ、他にはない。だから、思うに見当違いな、恋人を十分に魅了する魅力に欠けるなどという、中傷も生まれるのだろう。 第百三十二聯、私はお前の黒い瞳を愛している、それはお前の心が私を蔑み、苦しめるのを知って殊更に憐れむように、黒い衣服を纏い、愛の喪に服して、優しい憐憫の情を抱いて私の痛ましい苦悩を見守っている。まことに、天空の朝の太陽が東の空の灰色の頬に相応しかろうとも、また、夕暮に先ず現れる明星が宵闇の西空にどのような輝きをそえようとも、この喪服を着た二つのつぶらな瞳がお前の顔を飾るのにはとても及ばない。ああ、喪服がお前に優雅さを添えるのなら、お前の心も、私を嘆くのにふさわしい装いにしてくれ。他と同様に、お前の哀れみにも喪服を着せてくれ。そうしたら私は、美の女神自身が黒いのだ、その色ならぬものは全て醜く見るに堪えない、と誓って見せように。 第百三十三聯、わが麗しの心友と私に、あれほどの深い手傷を負わせ、わが心を呻かせる、あの残忍な心に禍いよ降りかかれ、私ひとりをこっぴどく痛めつけるだけでは飽き足らずに、わが優しい繊細この上ない友まで奴隷の身に堕とさねば気がすまないのか。その残忍な眼は私から私自身を奪い取り、その上になお無情にも、第二の我なる宝石の如き友を虜にしてしまった。結果、私は友にも、私自身にも、お前にも見捨てられた、ボロくず同然に。こんな酷い目に遭うなんて九層倍もの拷問を受けるにも等しい。私の脆弱な心はお前の鉄の胸の牢獄に閉じ込められても、わが友の純真極まりない心は大切に真綿に包むようにして、私の哀れな、惨めな、可憐さで満ち満ちている心に収監しておきたい。誰が私を独房に繋いでも、私の心は彼専用の個室にしておこうよ、私の牢獄でなら、お前も手加減なしの酷い仕打ちには出られまいからね。でも、やはり駄目か、絶望か、お前に鋼鉄の鎖で繋がれている私は、身も心もひっくるめて全部が全部、お前のものなのだから、お手上げなのだ、やはり…。 第百三十四聯、さて、彼がお前の所有になったのも認めたし、私自身、お前の意のままになる抵当物件なのだから、私は自分を没収されても構わない、第二の私を返してもらって、いつまでも我が慰めに成しうるならば。でも、お前はそうはしないだろうよ、彼も自由を求めまい、お前は貪欲だし、彼は根っから気のいい男だからね。彼は自分をも身動きならない目に引き込む。あの証文に、保証人気取りで署名することしか知らないのだ。あらゆるものに利子をつけねば気の済まない、この強欲な高利貸しめ。お前はその美と魅力ゆえに手にした権利書を盾に取り、我が為にむざむざと莫大な債務者と化した友人を無慈悲にも訴えようと言う。だから、私は己の心無い仕打ちによって、友を失う。私は彼を失ったが、お前は彼も、私も手に入れた。彼が全額を支払うのに、私はまだ自由の身にはなれない。 第百三十五聯、他の女はいざ知らず、お前は自分のウィル、心、願望、意志、欲情、男根、女陰、ウィリアムの愛称、などの様々な意味が込められている、を確かに手に入れた。その上に、おまけのウィルも、あり余りのウィルもある。いつもお前を悩ます私などは、そのお優しいウィル・心に、こうして、もう一つ加わった余計者もいいところだ。お前のウィル・心は大きくて広やかだが、せめて一度だけでも私のウィル・心をその中に包み込んでくれないだろうか。他人のウィル・心は誠に有難い幸せを授かったようであるが、私のウィル・心には気持ち良い受納のしるしを見せてくれないのか。海は一面の水だが、いつでも雨を受け入れる。有り余る富を抱えていても、なお富を加えるのだ。お前も豊かなウィル・心の持主だが、その心・ウィルに私の・心ウィルひとつ加えて、お前の大いなる心・ウィルをもっと増やしてくれ。つれない拒絶で嘆願者達を殺さないでくれ、すべてをひとつと考えて、私もそのひとつの心・ウィルに入れてくれ。 第百三十六聯、私が側により過ぎると、お前の心が咎めるのなら、これはあたしのウィルよ、と盲目の心に言ってやれ。彼も知っての通り、ウィルなら入れてもらえる。頼むからそれくらいはわが愛の願いを聞き入れてくれ。ウィルがお前の愛の宝庫をいっぱいに満たしてやる。そうとも、数多の思い・ウィルを詰めてやる、私の思い・ウィルはそのひとつだ。広い宝庫を使う時には、数あるうちの一つは数のうちには入らぬと容易に証明できるさ。だから、数に紛らせ、数えないで私を通してくれ。お前の財産目録の中では、私も一項目にはなるけれど。勿論、私を零と見てくれていい、ただ、その零の私がお前に素敵な者だと思ってもらえるなら。私の名前だけを恋人にして、それをいつも愛してくれ。それで私を愛することになる、わが名前がウィルだもの。 第百三十七聯、盲目の愚か者、愛の神キューピッドよ、私の眼に何をしたのだ。この眼は見ているのに見ているものが分かっていない。美とは何かを知っているし、何処にあるかも見ているのに、最低の物をこよなく優れていると思い込む、恋の僻目に馴れて堕落した眼が、どの男たちでもが乗り入れる港に錨を下ろしたからと言って、何故、お前は眼の過ちで釣り針を作り、わが心の判断力を引っ掛けるのか。広い世間の共有地だと心は納得しているのに、その心がこれは個人の私有地だなどと何故考えるのか。また、私の眼はこれを見ながらこれではないと言い、こんな醜い顔に美しい真実を、どうして、装わせるのか。私の心も、眼も、誠真実なるものを見誤り今はこの迷妄の苦しみに憑かれて生きているのだ。 第百三十八聯、わが恋人が、あたしは真実そのものと誓えば、嘘をついているのが解っていても信じてやる、それも皆、私が初心(うぶ)な若者で、嘘で固めた世間の手管など何も知らぬ、と思わせたいがため、女は私が若いさかりを過ぎたのを知っているのに、こちらは女に若く見られていると虚しく自惚れ、愚かな振りをしては彼女の嘘八百を信じてやる。両方がこんなふうに露骨で無遠慮に真実を押し隠す。だが、何ゆえに彼女は己の不実を白状しないのか。また、私は何ゆえに自分の老いを認めようとしないのか。ああ、ああ、愛が作る最良の習慣は信じあう振りをすることだ。恋する老人は年齢を暴かれるのを好まない。だから、私は彼女と寝て、嘘をつき、彼女も同様に嘘を言う。二人は欠点を嘘で誤魔化し合い、慰め合うのだ。
2024年09月06日
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うち延(は)へて 思ひし小野は 遠からぬ その里人(さとびと)の 標結(しめゆ)ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居(を)らくの 奥處(おくか)も知らず 親(にき)びにし わが家すらを 草枕 旅寝の如く 思ふそら 安からぬものを 嘆くそら 過(すぐ)し得ぬものを 天雲(あまくも)の ゆくらゆくらに 蘆垣(あしかき)の 思ひ亂れて 亂れ麻(を)の 麻笥(をけ)を無みと わが戀ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 人知れず もとなや戀ひむ 息(いき)の緒(を)にして(― 心を寄せて私が思う野・娘は、その近くの里人が標を結って占有したいと聞いた日から、己が立つ様もわからず、座っている結果も見透せず、馴れ親しんだ自分の家すら旅寝のように感じ、想う心も安からず、嘆く気持もやり過ごせずにいるものを、心が天雲のように動揺し、思いは蘆垣のように乱れ、麻笥が無いために乱れると麻の様に乱れに乱れて、恋しさの千分の一も人に知らせず、無性に恋し続けるであろうか、生命をかけて)二つなき 戀をしすれば 常の帯を 三重結ぶべく 我が身はなりぬ(― 二つとない恋をしているので、いつもの帯を三重に結ぶほどに痩せてしまった)爲(せ)む爲方(すべ)の たづきを知らに 石(いは)が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(は)える門(かど)を 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕(ゆふべ)には 入り居て偲(しの)ひ 白栲の わが衣手(ころもで)を 折り反(かへ)し 獨りし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)は寝(ね)ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ わが寝(ぬ)る夜らを 數(よ)みも敢(あ)へむかも(― どうしてよいのかも分からず、岩のごつごつした道を、岩床の広がっている門を、朝は出ていて嘆き、夕方には入っていてお慕いし、白栲の袖を折り返して独りで寝るので、黒髪を敷き、世間の人のようにぐっすり寝ることもなく、大船が揺れるように不安定な思いをしながら私が寝る夜は、数え切れるであろうか)獨り寝(ぬ)る 夜(よ)を算(かぞ)へむと 思へども 戀の繁きに 情利(こころど)もなし(― 一人で寝る夜を数えてみようと思うけれど、恋しさで胸が一杯で、数えるだけのしっかりした心もない)百足らず 山田の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し妻と 語らはず 別れし來れば 速川(はやかは)の 行くも知らに 衣手(ころもで)の 反(かへ)るも知らに 馬じもの 立ちて躓(つまづ)く 爲(せ)む爲方(すべ)の たづきを知らに 物部(もののふ)の 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂合(たまあ)はば 君來ますやと わが嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉鉾の 道來る人の 立ち留(とま)り いかにと問(と)へば 答へ遣(や)る たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名いはば 色に出(い)でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人にはいひて 君待つわれを(― 山田の道を波雲のように可愛い妻とゆっくり語り合わずに別れてきたので、行きも帰りもできず、私は馬のように一旦歩き出してはみたが、躓いて止まってしまった。 以上は男の歌 私もどうしてよいやら分からずに、様々に思う心を天地の間に満たすほどにあなたをお慕いし、魂が合ったら帰っておいでになるかしらと、私の吐く長い嘆息に道来る人が立ち止まって、どうしたのかと尋ねるので、答えやる術もわからずにあなたのお名前を言うと、私の恋心が外にあらわれて、人に気づかれてしまいそうなので山から出る月を待っていますと人には言って、あなたをお待ちしている私なのです。女の答え この様な男女の掛け合いの歌は珍しい。眠(い)をも寝(ね)ず わが思ふ君は 何處(いづく)邊(へ)に 今夜(こよひ)誰(たれ)とか 待てど 來まさぬ(― 眠りもせずに私が恋しているわが君は、今夜、どなたと何処にいるのでしょうか、お待ちしていてもお見えにならない)赤駒(あかごま)を 厩(うまや)に立(た)て 黒駒(くろこま)を 厩に立てて 其(そ)を飼ひ わが行くが如(ごと) 思ひ夫(つま) 心に乗りて 高山の 峯のたをりに 射目(いめ)立てて しし待つが如 床敷きて わが待つ君を 犬な吠えそね(ー 赤駒を厩に立たせ、黒駒を厩に立たせて、それを飼い、私が乗っていくように、夫のことがいつも私の心に乗りかかっていて、高山の峯の低くなった所に射目・柴などを立てて射手が隠れて獲物を狙う設備 を立ててシシを待つように、床を敷いて待っているわが君を犬よ吠えないでおくれ)葦垣(あしかき)の 末かき別けて 君越ゆと 人にな告げそ 言(こと)はたな知れ(― 葦垣の先をかき分けわが背子が乗り越えて来るとしても、人には告げないでおくれ、犬よ。私の言葉をよく弁えなさいよ)わが背子(せこ)は 待てど來まさず 天(あま)の原 ふり放(さ)け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて 風の吹けば 立ち待てる わが衣手(ころもで)に 降る雪は 凍り渡りぬ 今さらに 君來まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖持ち 床(とこ)うち拂へ 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あま)の足夜(たりよ)を(― わが背子は待っていてもおいでにならない。大空を振り仰いで見やれば夜も更けた。さ夜更けて風が吹けば戸外に佇んで待っている私の袖に、降る雪は一面に凍りついた。今さらわが君はおいでになるはずはない。後でお逢いしようと心を慰めて、両袖で床を打ち払うけれど現実にはお会いできない。せめて夢の中ででも逢おうとて姿をお見せください、この良い夜一晩を)わが背子は 待てど來まさず 雁(かり)が音(ね)も とよみて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと 風の吹けば 立ち待つに わが衣手に 置く霜も 氷(ひ)に冴(さ)え渡り 降る雪も 凍り渡りぬ 今さらに 君來まさめや さな葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひたのめど 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あま)の足夜(たりよ)に(― わが背子は待っていてもおいでにならない。雁の声も鳴り響いて寒い。夜も更けた。夜が更けたとて嵐の風が吹くので、戸外に立って待っていると私の袖に置く霜も冷たく氷りわたり、降る雪も一面に凍りついた。今さらわが君がおいでになるはずもない。後でお逢いしようと心には頼みにしているけれども、現実にはお逢い出来ない。せめて夢にだけでも逢うとて姿を見せてください。この良い夜一晩を)衣手に あらしの吹きて 寒き夜を 君來まさずは 獨かも寝む(― 袖に嵐が吹いて寒い夜なのに、あなたがおいでにならないで、私は一人で寝ることであろうか)今さらに 戀ふとも 君に戀はめやも 寝(ぬ)る夜をおちず 夢(いめ)に見えこそ(― いくらあなたを恋しく思っても、今さらお逢いできないでしょう。眠る夜を欠かさずに夢に現れて下さい)菅(すが)の根の ねもころごろに わが思へる 妹に縁(よ)りては 言(こと)の障(さへ)も無くありこそと 齋甕(いはひべ)を 齋(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹珠を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂れ 天地の 神祇(かみ)をそ吾(あ)が祈(の)む 甚(いた)も爲方(すべ)無み(― ねんごろに私が慕っている妹のことでは、どうか言葉の禍もないようにと、神に捧げる神酒を入れる瓶を枕辺、床辺に据えて、細い竹を短く切って珠の様に紐にとうした竹玉をぎっしりと垂らして、天地の神々に私は祈る。何とも恋に耐え難くて)天地の 神を祈りて わが戀ふる 君いかならず 逢はざらめやも(― 天地の神々に祈って私が恋しているあなたには、必ずお逢いできるに違いありません)大船の 思ひたのみて さな葛(かづら) いや遠長く わが思へる 君に依りては 言のゆゑも 無くありこそと 木綿襷(ゆふたすき) 肩に取り縣け 齋(いはひ)瓶(べ)を 齋(いは)ひ掘り据え 天地の 神祇(かみ)にそわが祈(の)む 甚(いた)も爲方(すべ)無み(― 大船のように頼みにしていよいよ遠く長くあれかしと思っているあなたのことでは、言葉の禍もないっようにと木綿のたすきを肩にかけ、土を掘って齊瓶を据え、天地の神々に私はお祈りします。何ともするすべがなくて)御佩(みはかし)を 劒の池の 蓮葉(はちすは)に 渟(たま)れる水の 行方(ゆくへ)無み わがする時に 逢うべしと 逢ひたる君を な寝(ね)そと 母聞(きこ)せども わが情(こころ)淸隅(きよすみ)の池の 池の底 われは忘れじ ただに逢うまでに(― 剣の池の蓮の葉に溜まった水のゆくへもないように、行くべき方もなくている時に、逢おうと言って逢ってくださったあなたと共寝をしてはいけないと母が申しますが、私の心は清隅の池の池の底のように深くあなたを思っていて、あなたを忘れないでしょう、直接お逢いするまで)古(いにしへ)の 神の時より 逢ひけらし 今の心も 常忘らえず(― 昔々の神々の時代から男女は相逢ったものらしい。今の世の心でも、恋というものはいつも忘れられないものです)み吉野の 眞木立つ山に 青く生(お)ふる 山菅(やますが)の根の ねもころに わが思ふ君は 大君の 遣(まけ)のまにまに 夷(ひな)離(さか)る 國治めにと 群鳥(むらとり)の 朝立ち去(い)なば 後(おく)れたる われか戀ひなむ 旅なれば 君か偲(しの)はむ 言はむ爲方(すべ) せむ爲方知らに 延(は)ふ蔦(つた)の 行(ゆ)きの 別(わかれ)のあまた 惜(を)しきものかも(― み吉野の真木の立っている山に青く生えている山菅の根の、ねんごろに、私の慕う君が、大君の任命なさるままに辺鄙な田舎を治めにと朝立っておいでになったら、後に残った私は恋しく思うだろうか、旅なのであなたが私を偲ぶだろうか、どう言ってよいのか、どうしたらよいのか分からなくて、この別れが本当に惜しく思われます)うつせみの 命を長く ありこそと 留(とま)れるわれは 齊(いは)ひて待たむ(― 命長かれと後に残った私は潔斎してお待ちします)み吉野の 御金(みかね)の嶽(たけ)に 間無(まな)くぞ 雨は降るとふ 時じくそ 雪は降るとふ その雨の 間無きが如(ごと) その雪の 時じきが如(ごと) 間(ま)もおちず われはそ戀ふる 妹(いも)が正香(ただか)に(― み吉野の御金の岳に、止む間もなく雨は降ると言う。時を定めず降るように、間もおかず私は恋しく思う。妹その人を)み雪降る 吉野の嶽(たけ)に ゐる雲の 外(よそ)に見し子に 戀ひ渡るかも(― み雪が降る吉野の岳にかかっている雲のように、自分とは無縁のものと見ていた子を、今は恋しく想い続けることである) うち日(ひ)さす 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ 通はすも吾子(あご) 諾(うべ)な諾(うべ)な 母は知らじ 諾(うべ)な諾(うべ)な 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 眞木綿(まゆふ)以(も)ち あざさ結ひ垂(た)れ 大和(やまと)の 黄楊(つげ)の小櫛(をくし)を 抑え挿(さ)す 刺細(さすたへ)の子 それそわが妻(― 三宅の原を素足で地べたを踏みつけ、腰に纏わる夏草をかき分けかき分け、どんな子の為にそんなにまでして通っておいでなのだね、我が子よ。 以上は父母の問 そうお尋ねになるのはごもっともですが、父さんも母さんもご存知ないでしょうが、黒い髪に真木綿でもってアザサ・全国の湖沼や池などの浅い所群生する浮葉性の多年草 を結んで垂らし、大和で出来る黄楊の小櫛を髪の抑えに挿す、可愛い子、それです、私の妻は)父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道(みやけぢ)の 夏野の草を なづみけるかも(― 父母に知らせない可愛い子の為に、私は三宅へ行く夏野の草の道を難渋しながら行ったものだなあ)玉襷(たまたすき) 懸けぬ時無く わが思ふ 妹にし逢はねば あかねさす 晝はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 眠(い)も寝(ね)ずに 妹に戀ふるに 生(い)ける爲方(すべ)なし(― いつも心にかけぬ時とてなく、私の恋している妹に逢わないので、昼は日の暮れるまで、夜は夜の明けるまで、少しも眠らずに恋い慕っていると、もはや生きるすべもない)よしゑやし 死なむよ吾妹(わぎも) 生けりとも 斯(か)くのみこそ 吾(あ)が戀ひ渡りなめ(― ええ、もう私は死んでしまおう。吾妹よ、生きていても、こんな風に恋い続けるだけでしょうから)
2024年09月05日
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第百十一聯、君よ、君、ああ、お願いだから、私の運命の女神を叱ってくれ、私が悪いことをしたとしても、それはみんなあの性悪な女神のせいなのだからね、あの女神が私の暮らしの方便((たずき)の支えとして充てがってくれたのは、雑多な付き合いを生み出す座付き作家としての当座の人気稼業でしかなかったのだ、お蔭で私の名前にはよからぬ烙印が押される結果となり、謂わばこの為に私の本性までもが染物師の手のように、おのが仕事場の色に染まることになったのだ。だから君、ああ、君きみ、私をどうか哀れんで、私の地道な更生を願ってくれたまえ、私の方は聞き分けの良い患者宜しく酢を服用して、この強力な伝染病から身を守るとしよう、どんなに苦くとも、苦いとは思うまい、また、罰に罰を受け、二重に悔いることも更に厭わないつもりでいる。だからわが友よ、愛しい君よ、私をどうか憐れんでくれ、憐れんでくれ、そうとも、君の憐憫の情さえあれば私は十分に癒されるだろうからね。 第百十二聯、世間の非難中傷というやつが私の額に灼きつけたこの烙印の痕を、いつでも君の優しさと深い哀れみとが埋めてくれる、有難いことだよ。君が私の悪を蔦の葉のように緑で覆い、私の善を認めてくれるなら、他の誰が私を褒めようと、謗ろうと私は何も気になどしはしない、君こそが全世界だからね、君以外は私にとっては存在しないも同様なのだ。私は君の口からわが恥と美点とを知るように努めねばならない。私には他に生きている者などはいない。私も他人が見れば生きてなどはいないのだ。良くも悪くも、この頑なな心を変える者は他にいない。他人の意見などという煩わしいものは、ことごとく深い淵に投げ込んでしまったから、私の耳は聾の蝮の耳も同然、謗る者の声も諂う者の声も一切聞こえない。こうした無関心をどう弁明するか、まあ聞いてくれたまえ。君は、我が思いの中に余りにも深く根を張ったので、ほかの世界は全て死んだように思われるのだ。 第百十三聯、君と別れて以来、この目は心の中に引きこもり、心の目、想像力だけが私を支配している、詰まり私が活発に動き回る際に案内役を果たすべき機能が、半ばしか役目を果たさずに、あとの半ばは盲目同然で、見ているようでいて実際には何も見ていない、何故ならこいつめ、鳥でも、花でも、その他のものでも、自分が捕らえる姿を心に伝えてはくれないのだ。眼が瞬時に写すものにも心は一向に預ることがない、眼の視力自体が捉えて物を引き止めておく事ができない。どんなに粗野なものを見ても、反対に、どれほど優雅な対象を見ても、こよなく美しい顔でも、醜怪極まる動物でも、山であれ、海であれ、昼の光であれ、夜の闇であれ、鴉でも鳩でも、とにかく何を見ても君の姿に変えてしまう始末なのだ。なにしろ、わがまことの心は君で溢れ満ち満ちている、それで、もう受け入れる余地がないので、眼に偽りを見させるのだよ。 第百十四聯 君よ、私は愛する君を心の友として、我が心が、想像力が王座にのし上がり、君主たる者が罹患する悪質な疫病、このお追従という妄想を飲み干すせいだろうか。それとも、謂わば、眼は真実を告げているのに、君を愛する深い篤い思いが奴にこういう錬金の術を授け、事物が眼に入って形を成すやいなや、奇っ怪至極なもの、醜悪極まりない物に手を加え、作り直して美しい君そっくりの智天使、神の使者で霊的な存在であり悪魔の対局に位置する、に変化させてあらゆる罪悪を完璧な善に仕立てるせいなのだろうか。ああ、君、君、それはまだ最初の方なのだよ、眼の捧げる見え透いたお追従を、このお偉い心の奴が誠に王者に相応しく、飲み干すからだ。ずる賢い眼は心が何を一番に好むかをよく心得ている。だから、奴の舌に合わせて飲み物を調合する、当然のこととして。そこに毒が入っていようとも、罪は軽いのさ、この眼が好きな飲み物だし、この眼が先に飲むのだからね。 第百十五聯、私が前に書いて捨ててしまった一連の詩は嘘をついていた、つまり、これほどに心底から君を愛することなどは不可能だ、などと述べた、あの詩だが。でも、当時の私の判断では、あんなにも激しい愛情の焔が後になってもっと激しく燃え盛ろうとはとても想像できなかった、とても。だが、悪辣至極な時の手口を思えば、奴は無数の事件をでっち上げて誓言の間に巧妙に割り込ませては、国王の絶対的な布告をさえ改変させ、神聖な美さえも黒ずませ、研ぎ澄ませた野心満々足る意欲をも鈍(なま)らせ、確固不抜強固な心を万物流転の流れの中に、巻き込んでしまう。ああ、君よ、君、暴虐無礼な時の不埒な振る舞いを恐るからこそ、私が全ての不安を乗り越えて確固たる信念のもとに現在を至高の時と見做し、その余の一切を疑っていたあの時に、「今、君をこよなく愛する」と言ったのが何故に悪かろうか、愛の神キューピッドは可愛らしい幼子だ、だから幼児などと呼んではいけない、絶えずに成長している存在を大人と言うことになるからね。 第百十六聯では、真実なる心と心が結ばれて結婚するにあたり、我に障害の介入を認めさせ給うなかれ、事情が変われば己も変わるような愛、相手が心を移せば自分も心を移そうとする愛、そんなものは本当の愛とは言えない。飛んでもないことだよ、愛は嵐を見つめながらも微動の揺るぎさえ見せず、何時までもしっかりと立ち続ける燈台なのだ、全ての彷徨う小舟を導く北極星みたいな存在なのだ。その高さを測れようとも、その力を知ることは出来ない。たとえ、薔薇色の頬や唇は邪悪な時の大鎌で刈り取られても、愛は時の道化に成り果てしない。愛は、束の間に過ぎる時間や週とともに変わるものではない。最後の審判が来る瞬間まで耐え抜くものだ。これが誤りで、私の言うことが間違いだということになれば、何も書かなかった事と同じ事、この世にかつて愛した男などはいないことになる。しかし、私は確かに君という愛すべき若者をしっかりと愛したのだ、それは紛れもない事実で、誰にも否定などは出来はしない。 第百十七聯、君、君、私をこう言って告発してくれ、つまり、君の大いなる恩愛に報いるのを全くなおざりにしていたと、日々に、あらゆる絆が私を君の高貴な愛情に結びつけるのに、その愛に訴えるのを忘れていたと。又、素性も知れぬよからぬ輩と慣れ親しみ、君が高価な値段で買い取った権利をむざむざと呉れてやったと。又、君の姿から遠ざけてくれる風が吹けば、どのような風であれ帆を上げていたと、そう私を責めてくれ。故意の罪も、過失の罪も、共に書きとどめてくれ、確かな証拠の上に、推測も積み重ねてくれ。私が君の不興の的になるのは、仕方のないことだ。でも、本当に憎んで拳銃で撃つのはやめてくれ。私は強固不変の君の私への愛情がどのようなものなのかを試してみただけなのだからね。と、私の上訴の弁術は述べているのだから。 第百十八聯、人は時に欲望を一層研ぎ澄ますために、辛い前菜で味覚を故意に刺激しもするし、まだ兆候も見えない病をやり過ごす為に、我から強力な下剤をかけて病気になり、病気を避けようとする。私も同じで、飽きるはずもない君の優しい甘さに腹が膨れたから、極度に辛い薬味に口を合わせたのだ、あまりの幸福に食傷したから、本当はその必要が無いのに、この辺で一回病気になっておくのも悪くはないなどと考えたのだ。こうして、ありもしない病気に備えた愛の方策が、本物の病を作り出し、健康な身体を薬漬けにしてしまった。これも体に幸福があり余り余計な病気で治そうとしたせいなのだ、でも、負け惜しみではなく、私はお蔭でまことの教訓を学ぶ結果となった。つまり、こうして君に飽いた男には薬もまた毒となるのだ。 第百十九聯、地獄の様に汚らわしいランビッキ(ガラス、又は金属製の蒸留器具)で蒸留した魔女の空涙を、私は過去にどれほど飲み干したことか、希望は不信で抑え、不安には希望を処方して、それでも、勝ったと思ってはしょっちゅう負けた。わが愚かなる心は無上の至福に恵まれたつもりでいて、その実、何と惨めな過ちを犯したことか。この気狂いじみた熱病の仕掛ける錯乱に囚われて、わが眼球は如何に眼窩を飛び出し、瘧(おこり)に震え戦いたか。ああ、何と言う悪の恩恵か、今こそ私は思い知った、良いものは悪の試練を経て更に良くなり、壊れた愛は新たに建て直せば、前よりも美しく、強く、遥かに大きくなることを。だから、私は手酷い罰を受けてわが歓びのもとに帰るのです。悪行のお蔭で、費やした三倍の恩恵を手にするのですね。 第百二十聯、かつて君に冷たくされたのが、今は私の役に立つ。あの時に味わったあの悲しみを知ればこそ、わが罪の重さに押しひがれずにはいられない。この身は真鍮でも、打ち鍛えた鋼鉄でもないのだから。私は君の冷たい仕打ちに苦しんだが、君も私のせいで苦しんだのならば、やはり地獄の辛さを嘗めたはずだ。それなのに私は、暴君も同然、かつて君に背かれた際にどんなに自分が悩んだか、考えようともしていない。ああ、私達が嘆いた夜を思えば、真の悲しみが如何に人を打ちのめすのか、わが心の奥底に蘇ってもよかろうに。そして、あの時の君の様に傷ついた胸を癒す慎ましい弁明の軟膏を差し出してもいいはずなのだ。でも、君の悪が、今、償いを支払ってくれるね。私の罪が君の罪を贖う、君の罪も私を贖わねば。 第百二十一聯、悪くもないのに悪いと非難されるくらいなら、悪(わる)だと思われるより、本当の悪になる方がいい、こっちは後ろめたくなくとも、見る者が悪いと言えば、極まっとうな快楽だって台無しになるではないか。私が色好みでも、不実で淫らな他人様から眼くばせの挨拶を頂く筋はない、私が下劣でも、もっと下劣な奴らから目くじら立てられるいわれはないのだ。彼等は欲情に溺れて、私がよいと判断しているものを悪いと言うのだ。いや、私は飽くまでも私さ、私の愚行に狙いをつける連中は、自分達の乱行を数えたてているようなもの。向こうがねじけていて、私は真っ直ぐなのだ。私の行為が奴等の淫猥な考えで染め直されてたまるものか。もっも、人は全て悪で、悪に栄える、と、こういう悪の公理を説くのなら別の話なのだがね。 第百二十二聯、君からの大切な贈り物、あの手帳、あれは私の頭の中にしまってある、消えやらぬ数々の思い出をぎっしりと書き込んで、この方があんな虚しい紙束などよりも長持ちするし、限りある時を越えて永遠に生きてもくれよう。ともかく、頭と心が自然から授かった力を働かせて生命を保ち続ける限りは、生きてくれようさ。やがては、その各々が君の姿を空無の忘却に委ねようけれども、すくなくともそれまでは君の記録が消失することはない。それに、あの貧弱な記憶の容器には多くを入れることが出来ないし、君の貴重な愛を刻み付ける割符も私には要らない。だから敢えてあれを手放して、もっと多くの君を収めるこの心の手帳に頼ることにしたのだよ。大切な君を思い出すのに、一々防備録を手元に置くなんて、私が非常に忘れっぽい男だと言うことになりませんか。 第百二十三聯、いや、いや、俊足の時よ、私も変化するなどとは自慢させはしない、お前が当世の技術を凝らして建てたピラミッド様の大堂宇も、私には別に目新しくもないし、珍奇でもない。要するに昔の形の単なる焼き直しでしかない、人の命は短いから、お前がペテン師同様に平凡な古道具を押し付ければ、ただ見惚れるばかり、以前にも話に聞いたななどと考えるよりも、こちらの好みに合わせて作った新品だと思い込みたがる。とりわけ私は現在にも、過去にも驚異を感じないから、お前の歴史も、お前自信も鼻であしらおう。お前の記録も、今眼前にあるものも嘘っぱちだ。ただ、いつも早足で通り過ぎるから、大きくも、小さくも見えるのだ。誓って言うが、これこそは永遠に変わるまい、即ち、私は大鎌にも、お前にも逆らって真実を守るのだ。 第百二十四聯、私のこの切ない大切な愛が、単に成り行きで生まれた子供に過ぎなければ、つまりは運命の女神の私生児であって、父(てて)なし子、時の神の思うがままに愛されて、憎まれて、時には雑草として捨てられもし、時には美しい花と共に摘まれもしよう。いや、違う、違うのだ、わが愛は偶然などの手の届かない場所に築かれた。華やかに笑いさざめくところで堕落しない、鬱屈した怒りが打ち据えても倒れはしない。御時世は人の生き方をどちらかに引き寄せるけれども。又、それは、短い契約期間の中で動き回るあの異端者、策謀というやつを怖れることもない。わが愛はひとり屹立し、自らの巨大な知恵を恃む故に、暑熱に繁茂することも、大雨に溺れることもない。私はこの証人として時の道化共を呼び出そう、彼等は罪を企てて生きたが、善の為に死ぬのだからね。
2024年09月03日
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