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ええ、卑怯なりと引き寄せれば、わっと言って手を合わせ、許してたべ、堪えてたべ、明日からは大人しく月代も剃り申さん、灸(やいと)も据えましょう。さても邪険な母上様や、助けてたべ父上様と息を限りに泣き喚く。 おお、道理よ、さりながら、殺す母が殺さなくとも、助ける父御に殺されるぞ。あれ見よ、兄も大人しく死んだので、おことや母も死ななくては父への言い訳はない。愛しい者よ、よく聞けと、勧めた所が聞き入れて、ああ、それならば死にましょう、父上よ、さらばと言い捨てて、兄の死骸に寄りかかり打ちあおのいた顔を見て、何処に刀を当てるべきかと阿古屋は目も暮れ、手も萎えてて、まろび伏してぞ嘆いていたが、ええ、今はかなうまじ、必ず前世の約束と思い母をば恨むなよよ、おっつけ行くぞ、南無阿弥陀仏、と心許(胸元、胸先)を刺し通し、さあ、今は恨みを晴らし給え、迎え給え、御仏と刀を喉に押し当て兄弟の死骸の上にかっぱと伏し、共に空しくなり給う。さても是非ない風情である。 景清は身を悶え、泣けど叫べど甲斐はない。神や仏は無い世かな。さりとては許してくれよ、やれ兄弟よ、我が妻よと、鬼を欺く景清も、声を挙げてぞ泣いている。物の哀れの限りであるよ。 かくとは知らないで伊庭の十蔵、梶原の取り成しで少々勲功に預かり、若党小者を大勢連れて物見遊山から帰り、この體(てい)を見て、肝を潰し、これはさてしなしたり、しなしたり(しまった、しくじったぞ)。不憫の事を見る物かな、これ侍共(さむらいども)、我はかくのごとく恩賞を受けて栄耀栄華に栄えているが、彼奴等を世にあらせんため(世間で安楽に暮らさせる為に)この頃方々を尋ねたのだが、行き方が知れなかったのだが、さては何者ぞ、偏執(へんしゅう、しつこい恨み、執念)を起こして害したのか。ただしは大宮司の計らいと覚えたぞ。よし、何にもせよなお景清には言い分が有る。先ず先ず死骸を取り置けと傍らに葬らせ、牢屋に向かって立ちはだかり、これさ、妹の聟殿、いっかに恨みがあればとて、現在の妻子を目前に殺させ、腕がかなわなかったなら(自由にならないなら)など生き骨(声の侮語)でも立てなかったのだ。 内々は御邊の命を貰い受けて出家させようと思っていたのだが、最早、ほっても(どうしても)ならぬならぬ、侍畜生、大戯(たわ)け、といかつ(暴言、いかつい事)を吐いて申したのだ。 景清はくっくと噴き出して、こりゃ狼狽え者め、あの者どもは己の貪欲心を悲しんで自害したのだが知らないか。それさえあるに(その上に)うぬめが口から侍畜生とは誰の事だ、命を惜しむほどであるならばべろべろ(へろへろも、軟弱なの形容)柱の五十や百はこの景清が物の数と思うか。心中(しんじゅう)に観音経を読誦する嬉しさで慰み半分に牢舎しているのだ。それを緩怠(かんたい、無礼)過ぎる戯言を吐き、二言(にごん)を吐いたならば掴み挫(ひし)いで捨ててやると、はったと睨み申された。 十蔵はかんらかんらと笑い、その縛(いましめ)に遇いながら某を掴もうとは腕無しのふりずんばい(諺、腕のない者がつぶてをなげる、不可能な譬え。ふりずんばい、は竿の先の糸に小石をつけて投げる遊び)、片腹が痛い、事が可笑しいぞよ。幸いこの頃けんびきが痛いのでちっと掴んで貰いたいものだと、空うそぶいていたのだった。 景清は腹に据え兼ねて、いで物見せんと言いもあえず、南無千手千眼生々世々(なむせんじゅせんげんしょうしょうせせ)、一聞名號滅重罪大慈大悲観音力(いちもんみょうごうめつじゅうざいだいじだいひかんのんりき)と、金剛力を出してえいやっと身ぶるいすると、大釘大縄がはらはらずんど切れてのいた。 閂(かんぬき)取って押しゆがめ、扉をかっぱと踏み倒し、大手を広げて躍り出た。そして十蔵を八方に追い回したのは荒れたる夜叉の如くである。 群がり掛かる若党仲間ををはらりはらりと蹴り倒し、蹴り倒し、十蔵を掻い掴んで取って押っぷし背骨も折れよどうど踏みつけて、何と景清を訴人して御褒美に預かり栄華と言うのはこの事か。と、二つ三つと踏みつければ、のう、悲しや、骨も砕けて息も絶え入り候。御慈悲に命を助けて下されと声を上げて嘆いたのだ。 景清、手を叩き打ち笑い、某が褒美としては広い国をとらせよう、と両足を取って逆さに引き上げ、肩を踏まえてえいやっと裂いたところ、胴中から真二つにさっと裂けてしまった。 心地よし、気味よしと弓手馬手(左手と右手、左右)にからりと捨てて、さあ、し済ましたり、この上は関東にぞ落ち行かん。いや、西国へや立ち行かんかと、行きつ戻りつ戻りつ行きつ、一町ほどは走ったのだが、いやいや、この度落ち失せたならば、又大宮司や小野の姫が憂き目を見るのは必定と思いを定めて立ち帰り、元の牢屋に走り入り内から閂をしとと締め、千筋の縄を身に纏いさあらぬ體(てい)にて普門品(ふもんぼん)を読誦の声はおのずから即身菩薩の変化であろうと、見物の皆が奇異の思いをなしたのだ。 第 五 右大将頼朝公は南都の大仏御再興なされて、既に成就と訴えれば、供養の報謝に急ぎ大赦を行うべしと天が下の科人(とがにん)、京鎌倉の牢を開いて、残らず御免なされたのだ。 中でも悪七兵衛景清は大事の朝敵重罪なれば助けるのに所もなく、佐々木の四郎に命じて遂に首をはねられて今は四海泰平なり。 大仏供養御聴聞あるべしと諸国の大名を御供にして南都に御下向なされる。路次(ろし、道中)の行列が華やかである。 既に我が君が巨椋(おぐら)堤にさしかかり給う時に、畠山の重忠が息をはかりに(息の続く限りに)馳せ来たって、御馬の前に膝ま付き、さても悪七兵衛景清は御成敗の由を承り候が、いまだに恙無く牢の内に罷りあり候、一大事の囚人なれば早速首を刎ねられ然るべく候わんと謹んで申し上げた。 頼朝が聞し召して、不思議の事を申すものかな、景清は佐々木の四郎に申しつけて一昨日の暮方に首を討たせ、即ちその首を頼朝が見参して獄門に懸けさせたのだが、僻事であったのかと仰せなされた。 重忠は重ねて、その段は存ぜず候えども、重忠は今朝に景清の生き顔を確かに見て参りました。と、言い終わらないうちに佐々木の四郎がつっと出て、いや、これ畠山殿、筋無きことをな申されそ。その景清は某が仰せを承り、この自分高綱が手にかけて首を刎ね、我が君の実検に供え、三條縄手に獄門にかけて候物を、景清が二人有るものか。近頃粗忽千万と嘲笑って申された。 尤も、尤も、御分が手にかけたであろう。又、重忠が確かに見て候は如何に。 高綱は色を違えて、はて、埒もない事。一度切ったる景清が蘇るべきようもなし。それは定めて血迷って何をかな見られつらん。ただしは寝惚れて夢をば見たのか、慌てたのか。 いやさ、何分が狼狽えて、由無き者を景清と思い斬ったのか、夢を見たのか、慌てたのか、これ目を覚まして思案せよ。と、気色変わって争いける。 頼朝は段々と聞し召して、如何様、佐々木と畠山は粗忽有る人ではない。不思議千万、晴れやらず、いで、これより取って返し、頼朝が直々に見分けるべし。各々静まれ、静まれと御馬の鼻を立て直して都に帰り給いける。 去るほどに三條縄手に景清の首を切りかけ、平家の一族謀反の棟梁、悪七兵衛景清と高札を添えてある。 頼朝が立ち寄って御覧有り、高綱重忠を招き寄せて、これ見られよと仰せなされた。 重忠なおも不審が晴れず、諸大名が立ちかかりよくよく見れば、いままで景清の首と見えていた物が忽ちに光明赫奕(こうみょうかくやく)として千手観音の御首と変じ給いける、歴劫(ちゃっこう、どれ程に長く考えても)不思議ぞ有難い。 しかっし(然りし)所に清水の大衆達が我も我もと馳せ参じて、さても一昨日の夜中より仏前の蔀(しとみ、格子に板を張り、今日の雨戸の用をなすもの)が夫々(それぞれ)に開いて候ゆえに、もしや盗人の業であろうかと御戸を開いて候ところ、観音の御首が切れて失せさせ給う。切り口からは血が流れて禮盤(らいばん、本尊に礼拝する際に上がる高い檀)長床(ながとこ、寺院の板敷の上に長く畳を敷いて僧侶達が座る所)が朱に染(そ)み、勿体なき御風情に拝まされ候故に、驚き入って御注進申し上げ候と、事の次第を申し上げれば、君を始め奉り畠山も高綱も、供奉の上下がおしなべて、あっと感じるばかりなのであった。 君は信心の感涙を流させ給い、まことや、景清は年来清水の観世音を信じ奉り、十七の春から三十七の今日まで毎日三十三巻の普門品を読誦懈怠なく修行せしと聞き及んでいるが疑いもなく観世音が兵衛の命に代えさせられた有難さよ。と、両手を合わさせなされたので、僧俗男女下々まで皆が礼拝恭敬(らいはいくぎょう)して涙を流さない者とてもない。 重ねての御諚(おおせ)にはこれでは如何であろうか、勿体無い。急ぎ千人の僧を供養して、壹万座の護摩を焚かせ、御首(おくし)を継ぎ奉れ。法事の上で、景清にも対面致そう。 いざ、頼朝も参詣せんと、御身を清め、仏の御首(くし)を直垂の御袖に受け入れて、清水寺への御参詣は稀であったと聞こえている。 枯れたる木にも花が咲く千年の誓いが有難い。 かくて頼朝、御法事も事終わり、仏の御首を継ぎ参らせて宿坊に入られた。 時に佐々木と畠山が景清夫婦を伴って御前に出て参った。 頼朝が御覧じて、珍しや景清、我を平家の敵と思い討つべき志、神妙、神妙、尤も武士の勢い、げにそうも有るべきであろう。しかれば、頼朝にとっては御邊はまた敵であり切って捨てるべき者ではあるが、汝が身には観世音が入り換わりますゆえに、二度(ふたたび)誅すれば観音の御首を二度討つ道理だ。勿体無し、勿体無し。もし又、頼朝の運が尽きて御邊に討たれるものならば、観世音の御手にかかったものと思うべきだろう。この上は助けて置き、日向の国宮崎の庄を当て行うと御懇情(こんせい、懇ろな情)の御言葉に御判を添えて給わったのだ。 景清は涙を止め兼ねて、誠に身に余りたる御諚の段、生々世々(しょうじょうよよ)に有難く、魂に通って覚え候。かく情けある我が君とは知らずに狙い申した景清の所存の程が悔しいと、御前であるのを打ち忘れて声を上げてぞ泣いている。 さて、土器(かわらけ)を賜り、諸国の大名が残り無く皆盃をさし給う。 重忠が仰せけるは、かかる目出度き折と言い、かつうは我が君を御慰め為に、和殿、屋島ににての高名の様子を語りて聞かせよ。内々に君も御所望なりしぞ。平に平に(是非に)と有ったので、頼朝公を始め参らせて、満座の人々が一同に早疾く疾くと望まれた。 景清は辞するに及ばねば、袴の裾を高く取り、御前に式台して、過ぎし昔を語ったのだ。 いで、その頃は寿永三年三月下旬の事であった。平家は船に源氏は陸(くが)、両陣を海岸で分けて互いに勝負を決っせんと欲す。能登の守教経の給うよう、去年播磨の室山備中の水島、鵯(ひよどり)越えに至るまで一度も味方の味方の利はなかった。ひとえに義経の謀がいみじかったからである。如何にもして、九郎を討たん事こそあらまほしきとの給う。 景清は心で思った、判官なればとて鬼神にてもあらばこそ、命を捨ててかかれば易(やす)いであろう。そう教経に最後の暇乞い、陸に上がれば源氏の兵(つわもの)が余すまいぞと馳せ向かった。 景清は是を見て、ものものしやと、夕日影に打ち物をひらめかせて切ってかかれば、堪えずしては向いたる兵は四方にぱっと逃げたのだ。さもしや方々よ、さもしや方々よ、源平の互いが見る目も恥ずかしい。一人を止めん事は案の内(思いの儘である、容易い)、打ち物を小脇に抱えて、某は平家の侍、悪七兵衛景清だと名乗りかけ、名乗りかけて、手取りにせんとて追いかけて行く。 三保谷の着ていた冑(かぶと)のしころを取り外し取り外して、二三度は逃げ延びたのだが、思う敵なので、逃さないと飛び掛かって冑を押っ取り、えいやっと引く程にしころは切れて此方に止まれば主は先に逃げ延びた。遥かに隔ててから、立ち帰って、さるにても汝は恐ろしいぞ、腕が強いと言ったので、景清は三保谷の首の骨こそが強いと笑い、左右に退いたのだ。 昔を忘れない物語、恥ずかしく候と言いければ、人々は一度にどっと感じたのだ。 かくて我が君が座うぃ立って、大名小名が続いて座を立ち給う。 景清は君の御後姿をつくづくと見て、腰の刀をすらりと抜き、一文字に飛び掛かった。おのおのがこれはと色をなして太刀の柄に手を掛けた所、景清、し去って刀を捨て、五体を投げうって涙を流し、はっあ、南無三宝、浅ましや。いづれも聞き給われ。かくも有難き御恩賞を受けながら、凡夫心の悲しさは昔に返る恨みの一念、御姿を見申し候えば主君の敵なるものをと、当座の御恩ははや忘れて、尾籠の振る舞い面目なや。真っ平御免を被らん、まことに人の習いにて、心に任せぬ人心、今より後も我と我が身を諫めたとしても君を拝む度毎に、よもこの所存は止み申さず。却って仇となり申さん。とかくこの両目があるゆえなれば、今から君を見ぬようにと、言いもあえぬのに差し添えを抜いて両の目を刳(く)り出して御前に差し出して、頭をうなだれて居たのだった。 頼朝は甚だ御感有って、前代未聞の侍かな。平家の御恩を忘れぬ如く、又、頼朝の恩をも忘れずに、末世に忠を尽くすべき仁義の勇士だ。武士の手本は景清だと数の御褒美浅からず、鎌倉を指して入り給えば、なお景清は観音に三万三千三百巻の普門品を読誦して、日向の国を本領して悦び悦び退出したのだ。 なおなお、源氏の御繁盛と御静謐の初めだと皆が万歳を唱えたのだ。
2025年05月29日
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鹽屋の軒に竹が見えて、幼い鶯が音を鳴くのだ。 花にまがう櫻海苔、天を浸せば雲海苔に月を包んで、刈ろうとすると手には取れない。桂男の、ああ、いぶりさは何時会えるのか、青のりもかだ海苔と、身の相良和布(さがらめ)をなのり藻(そ)と、荒珍しと粗目刈る、二見の浦ははるばると、松の群立ち、色の濵、蒔絵によくもに似たるよな。 あとは白雲とばかりにを、故郷の夢と空覚めて庄野に続く亀山は誰(た)がため長き萬代とかこつ涙のは堰きもせで、何をか関の地蔵堂、せめて未来を頼まばや。上り、下りて坂の下、谷の川瀬にからり、ころり、ころころと、鳴るのは河鹿(かじか)の鳴く声か、小石が流れて行く音か、いや、水の沫が散る。 玉ではなくて鈴だよと、駒の膝ぶしん、がらが、ちんからからりの、鈴鹿山、賤が草鞋の営みに、更けて藁打つ土山や、伊達の旅路に行くならば買ってもたもれ、水口の葛(つづら)小笠に露もりておのがままなる鬢水は、櫛にたまらない乱れ髪。解くではないが、とくとく行けば洛陽(京都)や、六波羅にこそ着いたのだ。 さて、父上のいらっしゃる牢屋は何処であろうか、と此処彼処に佇めば、折もこそあれ、梶原源太が町廻りをして帰り際にこの體(てい)をきっと見て、彼奴の有様はただものでない。何者候かと咎めたのだ。 姫君は聞こし召してさん候、みずからは尾張の大宮司の娘であるが、故もないのに父を捕られ候故に自分の命に代えたいものと、これまで参り候。そう、言わせも果てずに源太景季(かげすえ)、おお、皆まで言うな、おのれが親の大宮司に景清の行方を言えと言ったのだが、知らぬと言う。おのれは夫婦のことであるからよも知らぬことはあるまい。 既に清水坂の阿古屋は子の有る仲でさえ振り捨てて、一度注進申したぞよ。有のままを白状せよと小腕を取って怒ったのだ。 のう、恨めしや、命を捨ててこれまで出る程の心にて、たとえ行方を知っていても申しましょうか、この上は、火責め、水責め遭うとても夫の行方は存じませぬ。ただ、父上を助けてたべと声も惜しまず泣きなさる。 おお、言うまでもない事さ、おのれ落ちなければただではおかない。と、逆手小手に縛り付け、六条河原に引き出して、種々に拷問をしたのは実に情けがない過酷な仕打ちと見えた。 梶原親子が奉行で、方一町に垣を結い、突く棒・刺す股・鉄の棒などの兵具をひっしと並べたのはさながら修羅の獄卒が八虐五逆の罪人を呵責にかける如くである。 いたわしや小野の姫は、荒い風にも当てない身を、裸になして縄をかけ、十二段の梯(かけはし)に胴中を縛り付けて非情な罪人共が湯桶(ゆとう)に水を注ぎ掛け、注ぎ掛け、落ちよ落ちよと責めたのはただ滝つ瀬の如くであり、目も当てられぬ景色である。 無残やな、小野の姫は息もはや絶え絶えに心も乱れ、目くるめき、既に最期と見えたけれども、いやいや、武士の妻となりては心弱くては叶わないと、さあらぬ態でもてなして、如何に方々、夫の景清常に清水の観世音を信仰して、我にも信じ奉れと深く教え給う故に、今とても尊号を絶えず唱え奉れば此の水は観音の甘露法雨と覚えたり。 今この水で死する命は惜しくない。夫の行方も知らぬぞや。千日千夜も責め給え。南無や大悲観世菩薩と苦しき體(てい)を押し隠し、潔くは宣えどもさすが強い拷問に声も濁って身も震い、弱々と成り給うのはさても悲しき次第である。 この分では落ちないであろう。やれ、古木責めにせよや、とて細首に縄をつけ松の枝に打ちかけてえいや、えいやと引き上げる。下せば少し息を継ぎ、引き上げれば息が絶える。哀れと言うのも余りが有る。 たとえ如何なる鬼神もこれにては落ちるであろうと、二三度四五度と責めければ、今はこうよと見えたのだが又目を見開いて、のう、梶原殿、この木の上に吊り上げられ、世界を一目に見下ろせども夫の行方は見え申さない。方々も慰みにちっと上がって見給わぬか、これへこれへと有りければ景時腹に据えかねて、さてさて、しぶとい女かな、この上は引き下ろして火責めにせよと炭や薪を積み重ね、団扇を持って煽ぎ立て、煽ぎ立てして天をかすめる黒煙は焦熱地獄とも形容すべきだ。既に責めようとした所に、悪七兵衛景清はいずくにてか聞いていたのであろう、諸見物のその中から躍り入り、こりゃ、景清だ、見参したとはったと睨め廻し仁王立ちにぞ立ったりける。 姫ははっと肝潰れ、立ち寄らんとしたが、人々が寄って引き据え、しわ、景清を逃すなと、一度にはらりと(一同の動作が揃う形容)取り廻す。 景清、けらけらと笑い、ええ、仰々しい、この景清が隠れようと思えば、天にも昇り地にも潜らんものを、妻や舅が憂き目を見る悲しさに、身を捨てて出でたればもう気遣いは必要ないぞ。さあ、寄って縄をかけ六波羅に連れていけ。妻や舅を助けよと手向かいする気配さえ見えない。 姫君は涙を流し、口惜しの有様や、みずからや父上は生きても甲斐のない憂き身であるが、御身は長らえて本望を遂げようとなさらずに何とてこれへ出でなされた。浅ましの御所存です。と、又さめざめと泣きなさる。 景清も涙を抑えて、頼もしの心底じゃ。人は素性が恥ずかしい(人の種姓は争えないもので、自然と言動に現れるもの)と諺に言っているが、子供を中になしている阿古屋めは男の訴人をしたのだが、御身は命に代えて俺を守らんとする。頼もしい、嬉しいぞ。 さりながら、父大宮司の御事、心もとなく覚えるので、御身はここから疾く疾く帰り、菩提をとうてたび給えと、鬼を欺く景清も不覚の涙を流したのだ。それも尤も至極、実に哀れである。 このこと六波羅に聞こえたので、重忠が大宮司を同道で六条河原に馳せ来たり、扨ても景清、人の難儀を救い、わが身を名乗り出でられたのは近頃神妙、尤もこうあるべきである。 この上は、小野の姫と大宮司を共に御赦免なされる條、景清に急ぎ縄をかけ、引っ立て申すべし。畏まって候と、人々は縄よ、縄よと、ひしめけば、景清は悦んでそれこそ望む所よ、自分から進んで縄にかかり、先に進めば、小野の姫、のう、みずからも諸共にと駆け付け取りつき泣きなさる。それを大勢が中を押し隔てて、辺りを払って引っ立て行く。 景清の心底に勇有り、義有り、誠あり。前代未聞の男成りとて皆が武士の手本と仰ぎ見たのだ。 第 四 げにや、猛将勇士も運が尽きてしまえば力ない。 不憫やな、景清は鎌倉よりの評定にて六波羅の南表に初めて牢を建てさせられて閉じ込められた。いちい・白樫(しらかし)・楠の木・栂(とが)の木など、長さを一丈に取らせて地には七尺掘り入れ、上三尺の詰牢(つめろう、低く狭い牢)にしこの木で蜘蛛手格子に切り組んで、一尺二寸の大釘を裏を返さずに打ったので剣を植えた如くである。 七尺豊かな景清を二重に体を折り曲げて押し入れて、髪を七把(ななわ)に束ねて七方にこそ吊ったのだ。足を牢から引き出して、左手と右手を取り違えて、山だし(山から材木を伐り出す人足)七十五人して曳いた楠の木で上げほだし(足をあげたままで動かせなくする足枷)を打たせ、しつ錠と詰め金、たう唐くるる、千曳の石材木を積み重ねて、首には根掘りの大づつ(サボテンの異名)を三本も被かせた(載せかけた)。 諸人に見せて恥をかかせろと、番も警護もつけなかったが、なかなか五体働かない。 されば、文王は羐里(ゆうり)にとらわれ、公冶長(こうやちょう)は刑剹(けいりく)にかかった。君がため、名のため何ぞかつて憂えん。と、観音経の読誦の外、世間が口を閉じたので、声聞(しょうもん)耳に鎖したのだ。働く物は両眼だけである。見る目も悲しく哀れである。 いたわしや小野の姫、不思議の命を助かり、牢屋近くに宿を取り、酒や果物を整えて、牢屋の格子に立ち寄り、いたわりなさる姿が哀れである。 ようようとして景清、心地よげに、酒を飲み、今日は一入骨髄に通って候。誠に御身の志、いつの世にかは忘れるべき。さてかりそめながら某は天下の朝敵、定めて最後も遠くはないであろうよ。今の景清の生きている顔を形見にして、疾く疾く、御身は尾張に帰り、後世を弔って下されよ。これにつけても阿古屋めが心底が恨めしいぞ。 二人の子供もはや殺して捨ててしまったであろうよ、思えば、思えば、景清の運の尽きこそ口惜しけれ。と、恨みをかこって号泣する。 姫も涙を流して、仰せはさることでは御座りまするが、何にしてもみずからは御最期の先途(せんど)を見届け、とにもかくにもなり申しましょう。一日も一時でも御命が有ります限りは往生の御営みを心にかけ、何事も定まることと思し召して人をな恨み給いそよ。 何時までも此処に在りたいとは思うのですが、人目が繁く御座いまするので明日また参りましょうと泣く泣く帰りなされたのだ。 これはさておき、阿古屋の彌石と彌若は諸共に山崎村の谷陰に深く隠れていたのだが、景清が牢舎と聞くより、わが身も有るにあらばこそ(そのままでは居られないで)六波羅に走り着き、この體(てい)を一目見て、のう、浅ましの御風情や、やれ、あれこそは父よ、我が夫(つま)と牢の格子に縋り付き泣くよりほかの事は出来ない。 景清は大の眼に角を立てて、やれ、物知らずめ。人間らしく言葉をかけるのも無益(むやく)であるが、かほどの恩愛を振り捨てて夫の訴人をしながら、何の生面をさげて今この所に来たのだ。 おのれ指ひとつでも自由になるならば、掴みひしいで捨てんものと、歯噛みをしてぞ居られるのだ。 げに、御恨みは道理ですが、妾の事もお聞き候え。兄にて候十蔵が訴人致そうと申したのを再三制止していたのですが、大宮司の娘小野の姫とやらより親しき便りが届きましたので、女心の浅ましさ嫉妬の恨みに取り乱れ、後先の踏まえ所を失って、当座の腹立ちを遣る事もできずに、ともかくもと申しつる、後悔先に立たばこそ、さはさりながら嫉妬は殿御が愛しい故、女の習い誰の身の上にも候ぞや。申し譯致すほど皆言い落ちにて候えども、今までの誼(よしみ)には道理一つを聞き分けてただ何事も御免有り、今生にて今一度言葉を掛けてたび給えば、それを力に自害してわが身の言い訳立て申さんと、地に泣き伏してぞ泣いたのだ。 無残やな、彌石は父の姿をつくづくと見て、のう、父上程の剛の者が何故やみやみと捕らわれたのですか、いで、押し破って助け奉らんと柱にてをかけて、えい、やっと、押せども引けども、揺るがばこそ、不憫なりける所存である。 弟の彌若はほだしの足に抱き付き、痛いかや父上様、なあ、痛むかと撫で上げ、撫で下げさすり上げて、兄弟がわっと叫んだので、思い切って覚悟を固めていた景清も不覚の涙を堰き敢えず。 稍々あってから涙を抑え、やれ、子供よ、父がかように成ったのはな、みなあの母の悪心で、縄をも母がかけさせたのだ。牢にも母が入れさせたのだ。邪見の女の腹から出たかと思えば汝らまでが憎いぞや。父とも思うな子とも思わない。早早や帰れと叱るのだが、子供は母に縋り付き、なう、父を返して父上を返せとねだり、歎く有様は目も当たられぬ次第である。 阿古屋はあまりに耐えかねてよしこの上はみずからはともかくも、可愛やな兄弟に優しい言葉をただ一言、さりとては掛けてたべのう。子は可愛いとは思わないのかと、又咳上げては歎くのだった。 景清は重ねて、御ことが様なる悪人には返事もしないぞとは思えども、今の悔やみを何故最前には思わざりし。所で、天竺に獅子と言う獣が有る。身は畜生でありながらも知恵は人間に越えているので、狩人にも獲られず却って人間を取って喰う。されど腹中にとどくと言う虫を有し、この虫が毒を吐くので體を破って自滅するのだ。 されば女の嫉妬の仇(あた)、人を恨むと思えども夫婦は同じ體であるから、これ皆わが身を痛める理(ことわり)、和御前(わごぜ)がごとき我慢愚痴なる猿知恵を獅子身中の虫に譬えて仏も戒め給う。汝の心ひとつで本望を遂げずにあまつさえ、恥辱の上の恥辱を取り、今言い訳して妻子が嘆くのを不憫であると、日本一の景清が再び心をかえすべきか。 何ほど言ったとて汝の腹から出た子であるから、景清の敵だ。妻とも子とも思わないと、思い切ってぞいたのである。 さては、如何程に申しても御承引有りませぬか。 おお、諄(くど)い、諄い、見苦しいから早々帰れ。思い切ったぞよ、なう、もはや長らえていず方へ帰ろうぞ。やれ、子供よ、母が誤ったればこそかくも詫び言致したが、つれない父御の詞を聞いたか。親や夫に敵と思われてはお主らとても生き甲斐ない。この上は父親持ったと思うな、母ばかりが子である。みずからも生き長らえて非道の憂き名流さん事未来掛けて情けなや。 いざ、諸共に死出の山にて言い訳せよ、いかに景清殿、わらわが心底はこれまでなりと彌石を引き寄せて守り刀をずはっと抜き、南無阿弥陀仏と刺し通せば、彌若が驚いて声を立て、いやいや、我は母様の子ではない、父上助け給えやと牢の格子に顔を指し入れ、差し入れして逃げ歩く。
2025年05月27日
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かかるところへ悪七兵衛景清は重忠を打ち損じてようようとして来た、清水の阿古屋の庵にたどり着いた。 女房は子供を引き連れて、これは珍しや、何としてのお上りですか。まずはこちらへと請じ入れた。景清が語るには、内々でお身も知るとおりに我平家の御恩を報じる為に鎌倉殿を狙ったのだがが、その甲斐なくて、一両年は尾張の国熱田の大宮司にかくまわれて、空しく月日を送っていたところ、この度畠山の重忠東大寺再興の奉行に上ることをよきしおと、まずは重忠の命を狙わん為にわが身を賤しの下郎にしなし、既に間近に付け寄せたのだが、運の強い重忠で我らが知略が現れて本意もなく討ち損じて、一向に重忠と刺し違えて死のうと思ったのだが、思えば御身が懐かしく子供の顔も見たいと思い、無念ながらも永らえて、扨てただ今の仕合せである。 誠にしばらく会わぬ間に子供もいたく成人して、御身もずんと女房ぶりを仕上げたな。何でも今宵はしっぽりと積る辛さを語らんとしとと(ぴったりと)寄れば、ええ、栄耀らしい(我儘勝手)、このように浪人の憂い身と言い、殊更敵を持った身がせめて一年に一度の便りもし給わずに…。 おお、それも理(り)だ、この頃聞けば大宮司の娘小野の姫に深い事と承る。尤もかな、みづからは子持ち筵(むしろ)のうらふれて(子持ちで惨めになって)、見る目に厭とおぼすれども子にほだされてのお出でですか。悋気するのではないけれども、浮世狂い(浮気、色狂い)も年によります。しゃ、本に可笑しい事、よい機嫌じゃのとありければ、景清は打ち笑い、これは迷惑な、その大宮司の娘小野の姫にはしかしか物をも言わばこそ、八幡八幡(誓って、弓矢の神八幡にかけて)そうしたことでは更になし、そちならで世の中に愛しい者があるべきか。と、尚も凭れる袖枕、阿古屋も心打ち解けて、思うあまりの恋いさかい、犬が食うとはこのことを言うのだ。 銚子盃を携えて彌石(いやいし)に酌を取らせて三年積もった物語、語らい明しなされたのだ。二人の契りの深さこそゆかしいのである。 景清が宣うには、我久しく尾州に蟄居して観音参詣を怠ったので、在京の間はひとまず日参の志有り。さりながら、これより毎日往来すれば人の咎めも如何なり(人に見咎められても困る)。轟(とどろき)の御坊にて一七夜は通夜申し、やがて帰り対面しようと編み笠を取って打ち被(かづ)き表をさして出で給えば、彌石が門まで送りに出て、さらばさらばの小手招き、しおらしかりし生い先である(殊勝で、成人した後が偲ばれる)。 ここに阿古屋の一腹(いっぷく)の兄、伊庭(いば)の十蔵廣近(ひろちか)は北野詣(北野神社参詣)をしたのだが、大息をついて我が家に帰り、妹の阿古屋を傍らに招き、是を見よ、まことに果報は寝て待てだ。悪七兵衛景清を討ってなりとも絡めたなりとも参らせたならば、軍功は望み次第との御制札(たてふだ)を立てられたり。 我らが栄華の瑞相は今だとこそ覚えたぞ。兵衛はいずくにありけるぞ。早く六波羅に訴えて、一かど(相当、並々ならぬ)御恩に預かろう。如何に、如何にと申したのだ。 阿古屋はしばらくは返事もせずに、涙に暮れていたのだが、のう、兄上、そもや(一体)御身は本気で宣うのですか。ただしは狂気なされたのか。わらわの夫にて候えば御身がためには妹聟、この子は甥ではありませんか。平家の御世にて候えば誰かあろう景清と、飛ぶ鳥までも落とす身であったのを今はこのご時世でありますので、数ならぬ我々を頼みて御入り候ものを例えば日本に唐を添えて給わるとても、そもや訴人(そにん)がなるべきか。 飛ぶ鳥が懐に入る時には狩人も助けると言いますよ。昨日までも今朝までも隔てぬ仲をそもやそも手を切ることが出来ようか、さりとては、人は一代、名は末代、思い分けても御覧ぜよ。と、泣きながら口説いて制止したのだ。 十蔵はからからと打ち笑い、名を惜しんで徳を取らないのは昔風の侍だ、当世には流行らない古い事、その上に御辺が夫よ妻よなんどとて心中立てをしたところで、あの景清はな、大宮司が娘小野の姫を最愛して、御身が事は当座の花、後悔したところで叶うまいよ。女賢くして牛を売らぬとは御分のことだぞ。諸事は兄に任せろ、と飛んで出ようとするのをまた引き留めて、いや、大宮司の娘は人の言いなし、悪口です。景清殿に限ってさようのことは候まじ。 よし、人はともかくも妾の二世の夫ぞかし。さ程に思い捨てるのでしたら子供も妾も害して後に心のままになしなされ。やあ、生きている間は叶わじと縋り付いてぞ泣き給う。 然るところに、熱田の大宮司からの飛脚が到着した。景清様の御宿所はこちらで御座いましょうか。と、直ぐに文箱を出だした。 十蔵が出合って、いかにもいかにも、是は景清殿の旅宿で候、宿願が有って景清殿は清水に参詣なされておられる。御文を預かりおき帰えられ次第に見せ申さん。明日お出でなされと飛脚を返し兄弟で文を開いて見れば、小野の姫からの文である。かりそめに(ついちょっと)御上りましましていなせ(安否)の便りもなされないのは、かねがね聞きし阿古屋と言える遊女に御親しみ候か、未来をかけし我が契り如何忘れ給うかと細々と書かれている。 阿古屋は読みも果てずにはっとせきたる気色で、恨めしや、腹が立つ、口惜しや、妬ましや、恋に隔てはないものを、遊女とは何事ぞ。子の有る仲こそはまことの妻である。こうであるとは知らないで、儚くも大切がり、愛しがり、心を尽くした悔しさは人に恨みはないものの、男畜生、いたずら者、ああ、恨めしや、無念やと、文をずんずんに引き裂いてかこち(歎きを言い)恨んで泣くのだった。道理であると聞こえるのだ。 十蔵は悦んで、それ見たか、この上は片時も早く訴人しよう。もはや思い切ったかと言えば、何しに心が残りましょうか、せめて訴人してなりともこの恨みを晴らしてたべ。 げに、よき合点と立ち出でようとすると、又しばらくと引き留めて、とは言いながら如何に恨みが有るからと言って、夫の訴人は出来まいか、いや、また思えば腹が立つ、憎い女め、ええ、是非もなや、と、或いは止め、或いは勧め、身を悶えてぞ嘆くのだ。 十蔵は袂を振り切って、ええ、輪廻したる(執念深い、車輪が無限に回るように、衆生が地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を離れ得ぬ意」女かな、そこ除けと突きのけて、六波羅探題を指して急いだのは料簡もない次第だった。 かくとは知らずに景清は清水寺に参篭して、轟の御坊に通夜をし、同宿達に双六を打たせ、助言してこそ居たのだった。 頃は卯月十四日夜半ばかりの照る月に、直(ひた)兜五百余騎、江間の小四郎が大将にて、訴人の十蔵が真っ先を駆けて轟の御坊を二重三重に取り回し、ときの声をぞ作ったのだ。 元来こらえぬ荒法師が門外に立って、そもこの寺は田村将軍このかた守護不入の霊地であるのに狼藉は何者なるぞ、夜盗人と覚えたり、あれ、打ち獲れ、小僧ども、と声々に呼ばわれば江間の小四郎が駒を駆け寄せて、さな言われそ、法師達、御坊に科はなけれども平家の落人悪七兵衛景清が今宵ここに籠りし由、伊庭の十蔵の訴人によって義時が討っ手に向かったのだ。 異義に及べば寺とも言わせない、沙門とも言わせないぞ、片端から切って切り散らせと言い終わらないのに悪七兵衛は此処にいると切って出た。 常陸の律師永範(りっしえいはん)、この由を見るより、慈悲第一のこの寺で信心の行者を空しく討たせては観世音の誓願は如何ならん。防げや、防げ、法師ばら、支えよや下僧共。 承り候と衣の袖をしぼりあげ、得物、得物をひっさげて三十余人の荒法師、五百余騎に突っ支えて命を惜しまず戦いける。 五百余騎が四方に分かれて隙を見せないで防いだのだが、景清は飛鳥の術を得ているので、左右(そう)なく討たれるわけもなくて、双方がしろみて(静まって)控えたのだ。 景清は縁端に突っ立って、今宵の訴人は妻の阿古屋と、同じく兄の十蔵と覚えたり。おのれ、数年の恩愛を振り捨てて大欲に耽る愚人共め、勿体無くもこの御寺に血をあやす(流す、注ぎかける)奇怪さよ。とても世になき某がおのれらの身のためならばなんじょう命が惜しいであろうか。 人を多く討たせるよりは女房兄弟が折り合って俺の相手をして搦め取れとぞ喚きけれ。 十蔵の下人で二三太と言う曲者が分別もなく飛んで掛かった。 景清、にっこりと打ち笑い、側に有りける双六盤(縦四十センチ弱横二十センチ強)を片手に取って投げつければ、二三太の真向に響き渡ってはっしと当たれば首は胴にぞぐさぐさになってめり込んだ。おお、でっく(重五は双六用語、でっくりは、でっぷりともしない、身體に肉もつかない、の意)ともせぬ丁稚めが手柄しように見えたが、ぐしょぐしょとなってしまったのは誠に愚人、夏の虫と戯れて立つ所に、十蔵が続いて切ってかかった。 景清、長刀を押っ取りのべて、虫同然の木っ端武者、娑婆の訴人はこれまでだぞ、閻魔の庁にて訴人せよと、受けつ流しつ切り結ぶ。 江間の軍兵がこれを見て、訴人を討たすな加われと、どっと連れて押し隔てた。 心得たりと景清は西門(さいもん)を小盾に取り、入れ替え入れ替え大勢を左右(さう)に受けて、眉間(みけん)真向(まっこう)鎧の外れ嫌わず余さず打ち立てた。 こは叶わじと軍兵共、十蔵をひっ包み六波羅指してぞ引きにける。 景清は、今はこれまでと、音羽(おとは)の山の峰を越え、梢を踏み分け巌を起こし、飛び越え、跳ね越えて飛び越え、刹那の間に飛ぶが如くに東路さして落ちて行ったのは、まことに希代(きたい)の武士(もののふ)よと、扨て感じない者とてなかりける。 第 三 悪七兵衛景清が行方知れずになったので、尤も天下の御大事と諸国のゆかりを詮議有り、中でも熱田の大宮司は現在の舅であるから千葉の小太郎が絡めとって、警護厳しく討ち連れさせて六波羅に引き据えた。 梶原源太が大宮司に対面して、汝は当家の大敵平家の落人景清を婿の取っただけではなく、剰え行方もなく落とした。罪科は甚だ軽くない。いず方へ落としたのか、真っ直ぐに申せ、少しも陳じなければ拷問するぞと、はったと怒りの形相で睨みつけた。 大宮司は、仰せの如くに景清とは縁を結びましたが、去年の春に国元を立ち出でてから今に便りもなく候。土も木も源氏一統の御代です、一旦は陳じ申すとて隠し遂げられ申すべきか、婿のとったのが曲事(くせごと)として誅せられるのは力なく候(仕方が御座いません)。 行方については存じませぬと言葉涼しく申したのだ。 重忠が仰せなさるには、尤も、尤も、たとえ行方を知っていたとしても婿の訴人は出来ないであろうよ。たっては(強いて訊くのは)こちらの不調法だ、如何に梶原殿、かの景清は仁義第一の勇士であるから、所詮(しょせん、結局)大宮司を牢舎させたと伝え聞いたならば舅の難を救う為に己と名乗り出んことは目前に見え候。この儀は如何にとありければ、おのおの評定は尤もと、六波羅の北の殿に新造の牢を立て、大宮司を押し込めて厳しく蕃をさせたのだ。 人に辛くは当たらないが、何の報いか袖の露、枯れも果てないで小野の姫、いたわしや夫は都へ行ったままで、阿古屋の松の夕時雨、染め付けられてこぞ紅葉、が濃いではないが、恋に散るかと明け暮れに人目を包んでくいくいと案じ煩う身の上に、父は都の六波羅に虜となって浅ましや。憂き目に遭われなさるとの、その音づれを聞いてからは、思いに思いを積み重ねて、せめては憂きに代ろうと乳人ばかりを力にして、旅衣の衣手も涙で冷たい紅の、紅絹裏も濡れて夕ざれて空飛ぶ雁が自分の巣を指して帰るのを、物忘れしない故郷の風もわが身に吹き替えて今の門出を終わりだと、国の名残もつつましく、身の種蒔いた産土(うぶ)の神、熱田の宮居を伏し拝み、父と夫とを安穏に悪魔を祓えと取る弓の、桑名の舟に梶枕、敷寝の苫の粗莚(あらむしろ)、肌に荒れて辛いけれども、恋する蜑(あま)が鴛鴦の夜の衾と見る、みるめ刈る、かづく刈る藻はなになにぞ、歌に詠まれた鹿尾菜藻(かじきも)や、加太和布(かだめ、ワカメの一種)甘海苔(あまのり)、春もまた、若布(わかめ)交じりの目刺し干す。
2025年05月23日
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出世景清 妙法蓮華経観世音菩薩、普門品第二十五は大乗八十軸の骨髄、信心の行者大慈大悲の光明に預かり奉る、観音力ぞ、有難き。 此処に平家の一族で悪七兵衛景清は、西国四国での合戦に討ち死にすべきものなるを、死は軽くして易く生は重くして難し。所詮(詰まるところ)命を全うして平氏(へいじ)の怨敵、頼朝に恨みの一太刀を浴びせて、平家の恥辱をすすがんものと落人となり、尾張の国、熱田の大宮司にいささかの導(しるべ)があったので深く忍んでいたのだった。 もとより大宮司は平氏重恩の人であったから、深くいたわり、一人娘で小野の姫と聞こえたお方を景清とめあわせて、子とも聟ともかしづきなされた。その志は懇ろで優しいものであった。 景清は大宮司の御前に出で、まことに某無二の御懇志に預かり、ながながと浪人仕り、身は埋もれ木と朽ち果てる末に頼みがない身ではありながら、せめて頼朝に一太刀浴びせて、君父の恨みを散じ、その後は腹切ってとにもかくにも罷りならんと、空しく月日を送り候。 しかるところに、今朝、究竟(非常によいこと)の事を聞き出だし候。その故は、鎌倉殿は南都東大寺大仏殿の御再興あるべしとて、秩父の重忠がその奉行を承り、昨日の暮程にこの所を打って通り候由、たとえば頼朝が七重八重の城郭に取り籠り、天地に鉄(くろがね)の網を張り用心厳しく候とも、この景清の一念でどうして狙わずに置くものか。 さりながら、重忠が常に頼朝の側を離れず、神変不思議を兼ねているのでその身は都にありながら、心はなお鎌倉殿の側にある。 こう申す景清は二相を悟り候えども(表を見れば裏も悟る賢明さがある)けれども重忠は四相を悟る。頼朝に出であい討たんとせしこと三十四度に及んだが、重忠に隔てられて遂に本望を遂げずにいる。 しからば先ず重忠をさえ討ち取らば、頼朝を討たん事、踝(くびす)を旋(めぐら)すべからず。 重忠、この度東大寺の奉行に上ること幸いかな仕合せかな、天の時来たり、忍びやかに南都に下り、重忠の首を引っ提げて参らんに、早お暇と申うされた。 大宮司、聞き給い、げに究竟の時節が到来致した。構えて人に悟られ給うな。急いて事を仕損じなさるな。片時も早くと有りければ、北の方も喜んで宗盛公から頂戴した痣丸という名剣を景清に奉り、首尾よくしおおせなさりなば一日も逗留なく早くお帰りなされましと、門出の盃を出されたので、互いに千秋万歳と獅子の勢い、龍の勢(せい)。いさみいさみて行く虎が尾張の国を立ち出でて奈良の都に上らるる。 いで、その頃は文治(ぶんぢ)五年春過ぎて、夏来にけらし、白旗(しらはた)の源氏の大将頼朝公は南都東大寺大仏再興の御願にて、畠山の重忠が奉行職を承り、松にも藤の花を咲かせたように東大寺前の野原一帯の春日野や飛ぶ日の野辺に仮屋を打たせて、横目(監督)帳付け、勘定方、大和大工に飛騨工(ひだたくみ)らが杣(そま、樹木を植え付けて材木を取る山)に入り、木を作りの仕事を終わり、今日は吉日の柱建て(初めて柱を立てて建築にかかる祝いの儀式)、わが身は桟敷に一段高く村濃(むらごう、同じ色を所々濃く染めたもの)の大幕を打たせて、続いて見えたのは本田の二郎その他の侍共、丁場(ちょうば、持ち場仕事の受け持ち区域)々々にしるしを立てて、弓槍長刀(なぎなた)吹き抜き(旗の一種)に、柳櫻をこきまぜて華やかなりける御普請である。 こうして番匠(ばんじょう、大工)の棟梁、木工(もく)の頭(かみ)、修理(しゅり)の頭、おのがしなれる出立で(それぞれの服装で)吉方に(目出度い方角、恵方)打ち向い、先ず屋固めの祭文(新しい建物を祝福する文)を唱えながら、御幣を振って再拝し、手斧始めのその儀式、厳重にこそ勤めるのだった。 むべも富みけり、さきくさの三つば四つば(三重、四重に軒がかさなっている立派な建物)の大伽藍、手斧始めの寿に、千代を固めて柱建て、春は東に立ち初める、これぞ万物の始めなり。夏は南にめぐる日の、菖蒲(あやめ)の軒が薫であろう。秋は又、西の空、七夕の牽牛織女の夫婦の語ら居に真似て尽きせぬ語らいを象(かたど)って、天(あま)の河原の橋柱白(しら)げたつるや突き鉋(かんな)、雲をそなたに遣り鉋、冬は北にぞ筒井筒(井戸を掘る)、水こそは家の宝である。 廻れや廻れ井戸車、竈(かまど)賑わう竃(へっつい)殿(かまどの神様)、先ず陰陽の二柱、二本の柱は女神と男神を表(ひょう)したり。三本の柱は、三世の諸仏(過去、現在、未来の三世にわたる一切の仏たち)、四本の柱は四天王(帝釈に仕える四方の守護神)、四海泰平・民(たみ)安全と祝いこめたる墨壺の糸の直ぐなる国なれば、宝や宿に満ちるそれではないが、三つ目錐(きり)、鋸(のこぎり)屑の数々と、浜の真砂と君が代は数え尽くせない面白や。 しかるに、この大伽藍と申すのは、聖武皇帝の御建立で三国(さんごく、天竺、支那、日本)無双(ぶそう)の霊場である。兜率天(欲界六天の第四、知足と訳し、楽しみに満ちた宮殿。内院と外院があり、内院では弥勒菩薩が衆生を救うための説法をする)の内院をさもありありと移している。 堂の高さが二十丈、仏の身丈は十六丈、雲に続いているので自然に月を後光と見立てる三笠山、柱の数は天台の一念三千の機を表し、三千本と定まっている。軒の垂木は法華経の文字の数、六万九千三百八十四本である。山門には獅子の狛(こま)、さて、正面より四方四面の扉々の彫り物には松に唐竹牡丹に獅子、豹と虎とが威勢を争い、百千萬の獣(けだもの)をぼったて(追い立て)、ぼったり、くるり、くるりと巌(いわお)に追い上げ追い下して、風にうそぶく波間より紫雲を巻いて登る龍、又、下り龍、玉を掴んで虚空に捧げ鱗(うろこ)を立てたる、その勢い、手を尽くさせて彫りつくし、扨て棟瓦軒瓦、金銀瑠璃、玻璃、シャコ・瑪瑙・珊瑚・琥珀・水晶を葺き立て葺きたて、珊瑚珠(さごじゅ)の木舞(こまい、垂木の端のぬき)を隙間なくひっしと打った臺(うてな)には金襴錦に柱を包んで黄金の鋲を輝かせるであろう。 棟木を負う柱には南畝(なんぽ)の農夫よりも多く、簗(うつばり)に架する椽(たるき)は機上(きしょう)の工女よりも多く、釘頭(ていとう)の磷々(りんりん)たるは庾(ゆ、倉)にある粟よりも多くく、旦暮の説法、読誦の声は市人の言語(げんぎょ)よりも多からしむ。 仏法繁盛、四海鎮護の大伽藍、如意満足(思うままに満ち足りた)の柱を立て、目出度し、目出度し、目出度しと、手斧押っ取りちょう、ちょう、ちょう、槌を押っ取ってはしってい、しってい、鉋取りのべてさら、さら、さら、えいさら、さら、さらちゃう、ちゃう、ちゃうと打ち始め、取り始めて、三々九度の神酒を捧げ、千度百度(ちたびものたび)祈念して、重忠に式台し(礼をする)棟梁は座をば降りたのだ。 手斧始めも事が過ぎれば、数千の番匠(ばんじょう)下々まで皆々小屋にぞ入りにけり。 遥かの後から四十ばかりの男であるが、人足と思しくて、昼かれいの櫃(ひつ)を担い頬被りして通りける。秩父の執権(家臣の中の頭)本田の二郎がきっと見て、やあ、これなる下郎めは、かかる晴れの庭であるのに頬被りは緩怠(かんたい、無礼、無作法)だ。式台せよと咎めたところ、かの男は小声で作法も知らぬ下々であります御免下さいと言ってつっと通る。 何処へ、何処へ、さてさて、ぞんざい千万なる奴めかな。頬冠りを取らないならば誰か有るか、それぶて叩けと下知すれば、仲間共が承り一度にはらりと取り廻した。 番匠の棟梁がこの由を見るなり、これ本田殿、彼奴はその日雇いの人足で差別も知らない下郎であるからさぞ推参も候べし。さりながらかかる目出度き折であるから、ただ何事も穏便に計らいたまえと申しける。 本田は聞き入れもせずに、いやさ、彼めはちと人に似たる者の候えば、さて、珍しや本田殿、人が人に似ているのを事新し気に候。これ、下郎め、おのれ大分の銭を取りながらかだら(なまけ怠ること)して働かず横着ひろぐ故に人々からも怪しまれる。祝儀に邪魔をしている、値を損にするだけだ。叱りつければ、よき幸いなれと景清は荷ないし櫃を下して置き、迷惑そうに揉み手をして表にこそは出たのである。 重忠は幕の内から御覧じて、暫く、暫く、いかに方々、平家の落人が此処、彼処に忍び居て君を狙うと聞いているが、ただ今の人足はまさしく悪七兵衛と見たのは僻目(ひがめ)か。あれ、余すな、何と言ってもこれは、一大事の柱立ての清めの庭だ。穢してはどうにもならないぞ。前なる野辺に追い出して討って捨てよと宣えば、もとより早く関東武者、我も我もと駆け向かう。 景清はこれを見て、担い棒に仕込んだ件の痣丸をするりと抜いてさしかざし、大勢を左手(ゆんで)に受け頭を叩いてからからと笑い、これ、御侍衆、某は尾羽打ち枯らした鎌倉の浪人者ではあるが、朝夕に迫りかかる侘しき営みを仕る。さすがに人目が恥ずかしく、顔を隠してありければ、何ぞや某を悪七兵衛とは眼(まなこ)眩んでしまっているのか。ただしはその景清が恐ろしさに面影に立ったのか。 よしなにもせよこれ程までに雑言され、堪忍罷りならず景清程ではないにせよ、そっと(少しばかり)腕前を見せてくれよう。例の痣丸を小脇にかいこんで多勢の中に割って入り、火水になれと挙げしく戦ったのだ。切り合う時刻も移らないのに、十四五人を切り伏せて、重忠に見参しようとと、ここの詰まり、かしこの隈に駆け入り駆け入り騒いだのだが、大勢に隔てられて、今はこれまでである。深入りして雑兵共に手負いにさせられては景清の末代までの名折れとなってしまう。 またこそ時節は有るだろう、いで、追っ払って落ちて行かん。と、番匠箱を押し開き、大のみ小のみ手斧鋸遣鉋、究竟の手裏剣と押っ取り、押っ取り、打ち立ったれば、さしも勇んでいた軍兵共わっと言ってはさっと引く。 なおも寄せ来る者どもを小屋の小柱をひん抜いて、八方残らず振り廻れば秋の嵐に散る紅葉、むらむらぱっとぞ逃げにける。 そうだろう、その筈だ。この度はし損じたとしても、この景清の一念の剣は岩をも通すであろうと、躍り上がり飛び上がり、歯噛みをなして行く雲の月の都に上りける。 悪七兵衛の力業、早業・軽業・神通業はただ飛ぶ鳥の如くなりとて、恐れぬ者こそいなかった。 第 二 まことや猛き武士(ものにふ)も恋にやつれる習いあり。薪を負える山人も立ち寄る花の陰、景清も常に清水寺の観世音を信じ奉り、参詣の道すがらに清水坂の片ほとりに阿古屋と言える遊君にかりそめ臥しの假枕、いつしか馴れて今はもう二人の幼児を儲けていた。 兄の弥石六歳、弟の弥若四歳で、まことに大人しく見えたのだ。阿古屋はもとより遊女ではあるが妹背の情(なさけ)細やかで、世に出ないで身を隠している景清を愛おしみ、二人の子供を養育して、兄には小弓と小太刀を持たせ、父の家業を継がせたいと習わぬ女の身ではあるが、兵法の打太刀をして武道を教える心ざしは類まれに聞こえける。 かかる所に悪七兵衛景清は重忠を打ち損じてようようとして来て清水の阿古屋の家へと着き給う。
2025年05月21日
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母は念仏の回向より、嫁夫婦の願以此(がんいし)功徳が気懸りで、余所にゆるりと居る空もない。 店を閉める夕暮れ時ににょっと帰り、のう、お千世や。戻りゃったか。さっきにも言ったとおりにちっとした領解違いで(誤解から)、苦労をかけた、愛しやの、ほんの生き如来を見たいと思うならおれだと思いなさいよ、長くもない浮世で酷い辛い目を見せて何になろう。厭だな、こりゃ、半兵衛や、台所の流しの包丁をよく研がしておいたぞや。ちょいと触っても剣じゃぞ。あ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と半兵衛に合図の詞、嫁はまだ事の真相を知らないと思い込んでいる。こればっかりは仏である。 夫婦は母の機嫌顔を見ればこの世の本望と、思うのだがやがては寂と死滅する命だ、考えなくとも雨と降る涙、隠すのは実に哀れであるよ。 これ、半兵衛よ、何か忘れたことはないか。よう思い出しゃ。お千世泣かずと此処へおじゃいの。まだおれが怖いか、此処へ此処へと猫撫で声。あいあい、お側に参りますと立ち寄らんとするのを、半兵衛が取りついて突きのけ、女房ばかりは母の言いなりにはさせないぞ。この俺の気に入らない。 去った、去った、出て失せい。こりゃ、さんも丁稚もよく聞けよ。半兵衛が女房を去ったぞ。向い隣り町内でも母の憂き名を立てたならば聞くことでない、うろうろせずと出て失せろ。と、真顔で睨む目に涙。 これ、嫁御、おりゃ去らぬぞや。親のままにもならないのは夫婦で是非もない。おれを恨むと思いやるな、そう言うのだが何の返答もない。泣き入り泣き入りしゃくり泣く。 むむ、その涙はまだ母に恨みがあるそうな、有るなら言いや、聞きましょう。いいえ、いいえ、お慈悲深い姑御に、何の、何のとばかりにて、かっぱと伏して泣いている。 おお、おのれが言うまでもない、母じゃ人に何の恨み、口手間を入れる面倒なと、小腕(こかいな)を取って門口に引き出す。この身もついに行く、後で後でと囁きつつ、目交(ま)ぜで出会う宿の名前を言い、名残の涙、弱る心を見られじと門口びっしゃり見世がったり、鳴るのは暮れ六つの鐘か、初夜なのか、時も時分も六々に、胸はわけない五々八々(月始めの三・四・五の三日は辰・昼の五つ時・午前八時頃、戌・夜の五つ時・午後八時頃、丑・夜の八つ時・午後二時頃、未・昼の八つ時・午後二時頃の四刻を知死期とするので、五々八々、と言った。但し両人の心中が行われたのは六日の早朝になっている)、知死期(ちしご)が近づくばかりなのだ。 飽かない夫婦の生き別れ、さすがの母も挨拶はなく、お上(うえ、茶の間、居間)を立って奥の間の罪滅ぼしの鉦(かね)の声、善悪照らす御明しの火を見るよりも居眠る下女。外に見る目もない、荒布(あらめ)の束(たば)中に隠した一尺四寸、これが冥途の案内者、魂吹き込む書き置き場。地獄に落ちるか、極楽か、末は白茶の死装束、くるくる包む毛氈も早紅の血を見れば、死に損ないはしないぞと、一心は据わっているのだが暖簾一重の向こうには鋭い母の鉦の声、胸にこたえて身も震い、踏み所を覚えない差し足に懸金外す手もわなわなと、そっと出でたる門口に、いやあ、お千世か、おいの、鰐の口を逃れた、さあ、おじゃと手を引けば、まあ、待って下さんせ。なまなか、一度戻ってこの様の口から退くぞ、去るぞと言われては、未来までもの気懸かり、この門口で、去らぬと言って下さんせ。 はて、愚痴なことばかり、今宵は五日宵庚申、夫婦連れでこの家を去ると思えばよいわいの。 ほんにそうじゃ、手に手を取ってこの世を去る。輪廻を去る、迷いを去る。今日を最後の羊の歩み。足に任せて参りましょうか……。 八百屋半兵衛・女房お千世 道行 名残も夏の薄衣、鶯の巣に育てられ(時鳥はみずからの巣を作らずに卵を鶯の巣に生み、時鳥はそれと知らずに温めて孵化させると言う伝えにより、養子半兵衛の境遇を譬えて言った)子で子にならずに振り捨てて死にに行く身は人ならぬ、 死出の田長か時鳥、同じ類の夫婦ずれ、肩に掛けた毛氈は鳴く音血を吐く姿なのか。覚悟を決めた足元も影がほの暗い薄曇り、卯月(陰暦四月の称)五日の宵庚申、死ぬならば一所にと約束した。 その一言は庚申(かのえさる)、庚申堂に参詣の人の群れに打ち交じり忍んで出るのも商売の、八百萬を一文字に、半兵衛と言う名にも似ずただ葱の如くに根深くも思いを摘む。若菜ではないが若気の一徹さで心を突き詰めて、詞の義理に恥じるそれではないが、ハジカミ・生姜(しょうが)。智者は惑わず、勇者は懼れぬ生まれつきである。さすがは武士の種である。 千世も今度で三度目の嫁入りで、嫁の盛りは過ぎているが、諸事を細かに芥子や辛子、人の言う事にも耳を傾けて、木耳(きくらげ)ではないが聴くのだ。夫の親を手にササゲではないが捧げる、昼夜に孝行を土筆(つくし)ならぬ、尽くして、仰せには背かない宮仕え奉公、気の鶏冠菜(とつさかな、とさかのり)である(何にでも意地悪く万事に逆に出る意)姑(しゅうとめ)に芹々、せりせり弄(いじ)り蓼(たで)られて命も梨か、有りの実(梨の異名)の、瓜ならない谷川淵に身を投げてしまおうか、今日は甘海苔(あまのり)ならぬ尼になってしまおうかと、心は有頂天ではない寒天の、何時も山葵(わさび)ならぬ、わっさり(さっぱり)としないので、かくなる蓮ではないが、はずで御ざんしょう。 何としょう、生姜の身の果てを、言うても帰らぬ水蕗(みずぶき、茨実・おにはす、蕗の臺・とうを蕗の姑と言う)の、姑去りで殺したと悪名を付けて世の人の笑うでしょう、蕨、が御笑止と悔やめば夫は芋苗(ずいき)ならぬ随喜の涙。 のう、そなたさえそのように悔やんでたもるのに、この半兵衛。年頃日頃の御厚恩に報いないで死ぬのは人の屑、葛(くず)、罰を被るであろうの蕪(かぶ)、考えれば恐ろしい。酸漿(ほおづき)程の血の涙、はらはら零せば走り寄り、わしも病者の父(とと)様を先に送るのが順の蓴菜(じゅんさい)なのに、却って憂き目を見せまする。 これも何故、相生の松茸(まつたけ、夫)故と抱き付けば、木末に知らぬ松の露(二人の涙)、落ちて松露になるのであろうか。 あれ、一群れに声高く下向の衆(参詣帰りの人々)のぞめき歌(騒ぎ歌)、見つけられじと影を隠す。 我が恋路は糸無き三味よ、何の音(寝)もせで、待ち明かす。それじゃ、それじゃ、見れば思いの雲の帯、雲の帯、さすぞ盃、飲めなくとも一つ参れ、いや、とおしゃるに、こちゃも、それじゃ、それじゃ、そうさんせ、そうさんせ、それじゃ、それじゃ、しかもよいこの、情け盛りにちょきりこきり、小女房の腰も撓(しな)えてやっくるり。くるりやくるり、やっくるりとぬめらしゃんす(浮かれ歩く)は二人の外に名取川、おお、それ、二人と名取川、それじゃそれじゃと、それ行き過ぎたと立出でて、今の小唄の一節に二人と二人が名取川、おお、それそれじゃと謡ったのは俺とそなたが名取川、辻占がよい此方(こなた)へと勇のは男の弥猛心(やたけこころ)、ああ、嬉しいと引き連れて、共に急ぐのは女気の情け鋭に人は絶えて物しんしんたる寺町を死にに行く身もしばらくは、此処(ここ)生玉の馬場先に法界無縁(広大な世界にあって救済を受ける縁故を持たない衆生を言う)の勧進所(東大寺大仏殿の、僧侶が堂塔や仏像などの建立・修復の為の財物寄進を扱う場所)、無明能化(むみょうのうけ、煩悩に悩む者を教化する)の門前に念仏を頼りにたどり着いた。 のう、お千世、心髄萬境轉(しんずいばんきょうてん)(景徳伝灯録、巻二、心髄萬境轉、転処実能幽、髄流認得性、無喜復無憂)と聞く時には、心は境涯に従って転じ変わる。そんたも千世と言う名を風覚良信女と改め、我も八百屋半兵衛を露秋禅定門と改め、息の有る内より早や亡き人の数に入れば、死後の体の置き場も俗縁を離れて、寺の庭でと思えども、門が開かないので力なし(仕方ない)。 此処は奈良の東大寺大仏殿の勧進所、先年了海和尚衆生済度の説法をこの所に説き始めて、今遷化(僧侶の死を言う語)の後までも我が親は講中の第一(講中でも第一の信者で)で、由緒あるところであるから最後を此処と思い寄った。但し、他に望みの場所があるかと問えば、のう、死ぬる身に何の望みがありましょう。水の中、火のなかでも此方様と先の世までも一緒です。夫婦にになっている所を、見立てて死んで下さんせ。そう言ってさまざめと歎けば、おお、過分な、この書置きにも書いた通り、養子になって十六年この方、十方(方々で)旦那の機嫌を取り、暇ある日には町中を振り売り(商売物を担い、声を上げて売り歩く事)して、元は僅かな八百屋棚、今では人に少々は金を貸すほどに儲けを溜めても、辛い目ばかりを日を半日心を伸ばす事もなく、死のうとしたのも都合五度、恨みがある中でもそなたと縁組し、せめての憂さを晴らしたのだが、それさえ添われないようになり死ぬる身にまでなり下がってしまった。 由無い者に連れ添って、半兵衛の身の因果をそなたにまで振る舞い在所の親仁や姉御にまで悲しい知らせを聞かせることになると思えば、この胸に鑢(やすり)をかけ肝を猛火で炒るようである。ええ、悔しい、と拳を握り膝に押し付けて身を震わし、涙はらはら朝露と共に流れるようである。 あれ、また愚痴なことばかり、在所の父様、姉様はこな様よりも諦めがよい。水盃のその上に、門火まで焚かれたのは生きて再び戻るなとわしに異見の暇乞い、その愚痴なことを言う手間で早く殺して下さいな。 あれ、あれ、あれ、三方四方に半鐘が鳴る、鐘が鳴る。人の来ぬ間に来ぬ間にと、急ぐ最後の玉葛(たまかずら)、夫に纏い泣き沈む。 お、それよ、それよ、由なき悔やみ、最早互いに親の事兄弟の事は言いだすまい。必ずそなた、言いだしゃんな、いざこなやへと毛氈を土に打ち敷き、のう、お千世、この毛氈を普通の毛氈だとは思うなよ。二人が一緒に乗る法(のり)の花だ。紅の蓮と観ずれば一蓮托生頼み有り、親兄弟への書置きもこの状箱に入れて置けば、明日は早々に届くであろう。 さあさあ、最後の念仏を怠るな、今が最後とずはっと抜く、一尺四寸、先祖代々から譲り受けて来た脇差、わが身を切れとは譲らなかった。是非ない半兵衛の最後だと思えば手も震え、不覚にも思わず落ちる涙を止め兼ねて、極楽浄土があると信じられた西方と思われる方角を向いて、千世は合掌して両手を合わせ光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨、南無阿弥陀仏の声よりも早く引き寄せて脇差を喉に押し当てた。 のう、待ってたべ、待たしゃんせ。と、身を摺り退けば半兵衛、待てとは未練な、刃物を見て俄かに命が惜しくなったか、卑怯者めと睨(ね)め付ければ、いやいや未練も卑怯も出ぬ、今の回向はわが身の回向、可愛やお腹に五月の男か女かは知らねども、この子の回向をしてやりたい。 嬉しやまめで生んだなら、どうして育てようこうしようと、考えて置いたことも皆無駄になりました。日の目も見せずに殺すかと思えが可愛ゆう御座んすと、かっぱと伏して泣き入れば、男も声をすすり上げて、俺も何で忘れようか、もし言い出したりしたらそなたが泣くであろう悲しさに、黙っていたとばかりにて、一度にわっと声を上げて前後正体もなく泣き叫ぶ。 自分と雌雄の翼を並べながら、人の最後を急がせると言う八声の鳥も告げ渡れば、さあさあ、夜明けに間がない。明日は未来で添うものを、別れはしばしのこの世での別れ、十念迫って一念の声、諸共にぐっと刺した。 喉の呼吸も乱れる刃、思い切っても四苦八苦、手足を足掻き、身を藻掻き、卯月六日の朝露が草には置かないで、毛氈の上に亡き名を留めたのだ。 年は三九の二十七歳、算刺しの郡内縞、血潮に染まって紅の衣服に姿をかい繕い、妻の抱え帯を二つに押し切り、もろ肌を脱いで我と我が鳩尾(きゅうび、みずおち)と臍の二所をうんと締めて引き括り引き括り、脇差を逆手に取り持って、二首の辞世に、かくばかり古へを捨てばや、義理も思うまじ、朽ちても消えぬ名こそ惜しけれ。 遥々と濵松風に揉まれ来て、涙に沈むざざんざの声、三国一じゃ、我は仏に成りすます。しゃんと左手の腹に突き立てて、右手(めて)にくゎらりと引き廻し、返す刃に笛を掻き切り、この世の縁を切る、息を引き切る。 晨朝(じんちょう、午前六時頃、寺ではこの時刻に勤行を勤め、鐘をつく)過ぎの勧進所、目すりすりすりすり、門番が見つけて心中じゃ、やれ心中、死んだ死んだと呼ばわる声、吹き伝えたる濵松風、枝を鳴らさぬ君が世に、類稀なる死に姿に感じて語るばかりなのだ。
2025年05月19日
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下 之 巻 夏も来て、青物見世に水乾く、筵庇(むしろひさし)に避(よ)けられし、日陰の千世の舅の家は新靭(しんうつぼ)油掛(かけ)町八百屋伊右衛門、浄土宗の願い手(信者)で了海坊の談議に随喜して、開帳回向の世話をやき仲間で、店は半兵衛に打ち任せ、大阪中の寺狂い(寺々を参詣して廻ること)、女房は内外の世話に五つも年更けて朝から晩まで気を苛立てて、この半兵衛は蔵にだらだらと何をしてい遣る。店の売り物が萎びる。やい、松や、きりきりと(さっさと)水を打つのだよ。こりゃ、さんよ、糊付けの洗濯物が干上がってしまうだろう。洗濯物を早く取り込んで畳み、打ち盤を出してちょきちょきと打て。や、そのちょきちょきで思い出したが、夕飯の御根葉(おねば、菜飯、または雑炊などに入れる間引き菜)を刻みなさい。こりゃ、松よ、今日は五日宵庚申(庚申待ちをする日の宵、庚申待は、庚申の日に三猿の像を掛けて庚申青面を祭ること。この夜寝ると三尸・さんし虫が禍をして命を短くするという迷信があり、信者は終夜起きている習わしがあった)甲子(きのえね、甲子待。甲子の日、夜の子・ねの刻まで起きていて大黒天を祭ること)が近い。二股大根(大黒天の供物に使う)を除けておきなさいよ。 それ、さんよ、茶釜の下が燃え出ている。商売が八百屋だけに八百色程に言い付けるのだった。口がせかせかとして忙(せわ)しないのは大晦日(おおつごもり)の生まれなのだろうか。 伯母には似ない甥の太兵衛が市(青物市場)通い、走り(野菜などの初荷を言う)の筍、片荷には独活(うど)・生姜(しょうが)・青山椒(あおさんしょう)・白瓜(うり)二つ、 これは、さっても早いことで御座んすよの。俺が戻るのはても遅い事でごんすよの。 こりゃ、のらっぽ(怠け者)、今朝の卯の刻(午前六時頃)から内を出て、何時じゃと思う、昼下がり(昼過ぎ)、何処で鼻毛を読まれていた。旦那衆(お得意先)からの誂えものは日覆いをしていても痛むもの、値段の高い物を天道干(てんとぼし)しろ、商売のおうこ(天秤棒)を喰らわせて魂に覚えさせてやろうと、天秤棒に手をかければ、半兵衛が走り出て、母じゃ人の申されたことがこりゃ尤もじゃ。これ、太兵衛、何処でのらのらやっていたのだ。おくび町の笹屋から竹の子取に矢の使い(矢継ぎ早の使)、阿波座堀(あはざぼり)の丹波屋から栗をよこせと言って来る。 朝倉屋からは青山椒、内には切れている。返事に困った。大儀ながら母じゃ人の機嫌を直し、つい一走り廻っておじゃ。 はて、わしじゃとて何の悪い所に入っていましょうか。横町の山城屋から呼びこまれ、二つ三つ咄しただけ、それも外の事では御座らぬ。こなたに誰やらが会いたいと言って、今朝から此処で待っていると言って呉れとの言伝。わしゃ、得意を廻って来よう。こなたもちょっと行かしゃれと、誂えものを取り揃えて荷拵えをしてから出かけて行った。 半兵衛は山城屋と聞くより、お千世が来たのであろう、気取られまいと空惚けて、はて、山城屋から何の用だろうか。どりゃ、ちょっと行って来ようと走り出そうとするのをむんずと捕え、息子殿、こりゃ何処へ、いや、山城屋から逢いたいと、おお、その山城屋は合点(その山城屋からの呼び出しが何であるかはとっくに承知している)、成りませぬ。あの、ぬっけりとした顔わいの(よくも、まあぬけぬけとした顔でいられるね)、われわれ夫婦が何も知らないと思っているのか。気に入らないので離縁した嫁だ、遠州からの戻りに在所に寄りよくも咥えて戻ったものだ。 常盤町の従兄弟の所に預けておき、商売にかこつけて間がな隙がな夫婦こってり(こってりは濃厚でしつこいさま、二人で会って情愛を交わしているんであろう)、おれが知らないでおこうかいな。さぞやおれのことを謗っているであろうが。十五年世話した親が嫌う女房に随分と孝行を尽くし、親には不幸を尽くす。恩知らずめと畳を叩いて喚いている所に、青布子の西念坊が案内も乞わずにずっと通り、熊野屋の権右様から先達ての御約束、鋳物師の宗味の刻鐘(刻限を報じる鐘)の突き初めに粗末な食事式を執り行います。講中(こうじゅう)が皆お揃いですぞ、旦那寺の住職も疾くお出で、御夫婦お揃いでお出でをお待ちいたしますと言い捨てて帰る、そそっかしい坊主、こんな坊主に未来を頼むのは危ない事だ。 あれ、親仁殿、熊野屋から呼びに来た、早く行かっしゃれ。おりゃ、行かない。きりきりさっしゃれととげとげしい声だ。 親の伊右衛門は後生一遍(後生願のかたまり、信心以外に他意のない人物)、はれ、嚊(かか)何を喧しく言っているのだ。またしても、またしても、半兵衛さえ見れば敵のように言う人じゃ。世間付合いをする若い人が呼びに来ないわけでもあるまい。少々の事は聞き逃しておやりなさい。 それ、その人が好過ぎたので親を阿呆にするのですよ。現在おれの甥の太兵衛を差し置き、赤の他人のこの野良殿に、家屋敷を遣るこの母、邪(よこしま)は少しもない。 これ、嚊、それは誰も知っていることだ。今更くどくど言う事はないぞ。そのような腹の立つ時には念仏が薬じゃ。とかく如来の御方便、修羅を燃やす(怒りに狂う)そなたを呼びに来るのも弥陀如来、参るこちとも弥陀如来、機嫌を直しなさいと宥めると、いや、われわれ夫婦が出て行って、跡へお千世を呼び入れて、留守の間にふざけさせる事はなりません。 こなた一人で参ってわしは俄かに目が眩んだ、或いは頓死したとでもいい加減に胡麻化して置いてくださいな。これ、嚊、たった今、西念坊が見て行ったではないか、この伊右衛門に嘘を付けと言うのか。あ、勿体無い、妄語戒(仏の妄語戒を犯すことになる)、この中、さるお寺で五戒の割口説(五戒についての委しい説明)を聴聞した。三百戒、五百戒も約(つづ)まる所は赤貝(女性との関係が罪のもと)に止まるとのお談義、半兵衛が叱られるのも貝の業(わざ)だ。 そなたに俺が意見するのも貝の業、一蓮托生の閨のお同行(どうぎょう)、とふざけて機嫌を取ったところ、そんなら、まあ、こなた参らっしゃれ、このように瞋恚が燃えるときに御念仏を申せば、喉にすくすく立つような(念仏のひとつひとつが喉に突き刺さるような気がする)、心を静めてから後で参ろう。 ええ、かてて加えてあた鈍な念仏講だ、こんな時は目から(目はしを)利かして延ばすのがよい。ほんに、ほんにこちの同行に機転の利いた者は一人もいないわ。と、怖い目を知らないから我儘をたらだら、おお、そんなら先に行くぞ、跡からおじゃ、仏法と萱屋の雨は出て聞けと(萱葺き屋根の家に籠っていては雨が降るのが分からないように、仏法も外出してこそ有難い法話もきかれる、意の諺)、この度生玉大寶寺での開帳に築山を飾られたのも、筑後の川中島の四段目から出た事じゃげな。こんな事も外出しなければ聞けない。 ああ、有難い、南無阿弥陀仏と和数珠(輪になった数珠)を繰り繰り出かけたのだ。 半兵衛は一言の答えもせずに涙にくれていたのだが、顔を振り上げて、申し母じゃ人、今めかしい(改まった)申し事ではありますが、武士の釜の飯で育ったこの半兵衛、二十二の年から御面倒に預かり、一人の甥御を差し置いて家屋敷商売ともに私に御譲りなされる御厚恩、肝にこたえて仇にも存じません。 御恩の母の気に入らない女房であれば、私が離別致してこそ孝行も立ち、世間も立つ。所が、この度国元への留守の間に八百屋半兵衛の母が嫁を憎んで姑去りにしたと沙汰が有っては、よしんば千世めが悪いにせよ判官贔屓の世の中です、お前の名しか出ません。母の悪名を立てて若い者が人中に出られましょうか。親仁さまにも面目を失わせています、ここが一つの御訴訟、少しの間と思召して虫を殺し、大人しく千世めをお入れなされ。 その上で私が物の見事に去り状を書いて暇をやりましょう。 ほほ、そこが男のこうけん(高家の転、威光、権威)貴人高位の娘でも夫が去るのに誰が文句をつけようか。時には千世めが姑への恨みもなく、お前を慈悲じゃと思うであろうが、是非ともそう思わせたい。十六年この方、たった一度の御訴訟です、老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中、たとえ私が先立っても如何なる後の問い弔い、百万遍の御回向よりも聞き入れたとの御一言、知識長老からのお十念を授かる心とばかりにて、女房の親と我が親と、世間の義理と夫婦の恩愛と、三筋四筋の涙の糸を手繰り出すが如くである。 母は、ほくほくと笑顔を作り、むむ、思いあった夫婦の愛を誠らしいとは思わないが、嘘で涙はでないもの、真実に離縁する事に間違いはないか。 はて、お前を騙すほどであれば、この御訴訟は致しません。 おお、嬉しい、嬉しいぞ。おれも鬼にはなりたくない。必ず去りなさいよ。当座逃れをして騙したのならば、これ、この母が喉笛を出刃包丁で掻き切るぞや。母を殺すか、女房を去るか、これからはそっちの勝手次第だ。ああ、さらりと穢土の苦が抜けた。この世からの生き仏とはおれが事、足軽く非時(ひじ、非時食、斎の対で僧が日中から後夜の間に取る食事)に参りましょう。こちゃ未来まで退(のき)去りしない閨の同行がさこそは待ち焦がれておられよう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。さんよ、その成りで直ぐに供をせよ。あ、南無阿弥陀、松よ、また店の吊るし柿を喰らうでないぞ。あ、なまみだ、南無阿弥陀仏に取り混ぜてぶつぶつと言って出かけたのだ。 お千世が重なる五月の身重であるが、足元も手も軽々と帯の下、小褄(こづま)を引き上げてちょこちょこと走り、はあ、久しぶりに内を見た、半兵衛様、今日と言う今日は町内を広く戻りましたよ。 ああ、嬉しいと抱き付けば、半兵衛はぎょっとして、何として戻った、たった今母が出られた、道で会いはしなかったか。 さればいの、母様が山城屋に寄られて、何時になく門口からにこにことなされ、愛しや、愛しや、おれがちっとの思い違いから苦労をさせた。今から往きなさい、そのいの字も言うまいと心誓文を立てた。娘は持たずに天にも地にもたった一人の花嫁、末期の水を取ってもらうのも骨(こつ)を拾ってもらうのもそなたじゃ。随分と孝行してたもれ。これからはおれもそなたを可愛がることにしよう。これから御念仏に参る、そのうちに速く戻って後(のち)に会おう。早く、早くと、とんと桶の物を打ち明けたるようなお心。皆こなた様の取り成し故、ほんに男の御恩は頂いていても飽きはない。 松よ、久しぶりだな。もはや何処も蚊が出ている、女房主(主婦)がいないので蚊帳(かや)の釣り手もまだ用意していない、あのさんの居眠りでは袷共の洗濯もまだ出来ていないだろう。この戸棚の埃がひどいのはどうだろう。鼠が齧った奥の疵もまだ塞いでいない。漬物もよくならしておきたいし、何から手を付けようかと気がうろつく。 居つけた所に居てみようと、とんと座った茶釜の前、湯を沸かして水になる。骨折りを無駄にする。末を知らないのが果敢無いことであるよ。 半兵衛はとこうの挨拶をせずに、こりゃ、松よ、ぼんやりとしていないで蔵に行って椎茸を選んで来い。と、人を退けてから千世の顔をつくずくと見て涙ぐみ、ええ、可愛や、利発なようでも女心、母の詞を真実と思ったか、言われる事がみな嘘だ、さりながら昨日もくれぐれ言った通り、仏法の端も耳にして聞きかじりの慈悲も知っている人だ。 自分の甥を差し退けた他人の身どもに跡式を譲るからには根からは歪んではいないそれが証拠だ。人には合縁奇縁、血を分けた親子でも仲が悪いのは有るもの、乗合船の見ず知らずにも、可愛らしいと思う人もある。人界(じんかい、人間世界)の習わしとはこうしたもの。可哀そうに根っからの悪人ではない母に、そなた故に邪険者と言わせては、夫婦の者が後生が悪い。 母が機嫌よく一旦は呼び返して、改めて俺の手で離縁する手筈なのだ。ええい、すりゃどうでも去られるのか、はて、肝を潰す事ではないぞ、死ぬのは二人だ、兼ねての覚悟通りだ。 養い親に悪評も立たず、在所の親の遺恨もなく、ええ、さすがじゃ、見事に死んだと未練者の名を取るまいために、母に向かってどれほどの詞を尽くしたと思やるぞ。 書置きも認め、死装束や脇差も荒布(あらめ)の荷に巻き込み、この世への未練などは微塵もないけれども、金に詰まっての心中と一口に言われるだろうかと、これが一つの気懸りとわっと泣けば、お千世もわっと泣き、こなさんの孝行の道さえ立てばわしも心は残りませんと、夫婦は手を取り縋り寄り、伏し沈むのは道理である。
2025年05月15日
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とは言っても、世上の夫婦中、離縁と言う事を誰が拵えて憂い目をさせる。可愛やな、と歎けばわっと泣き出す声。あ、声が高い、高い。障子の向こうで父(てて)様の寝入りばな、泣くな泣くなと言いつつも伝う涙の血筋とて、親(しん)は泣き寄る、哀れさよ。 平右殿、今日は御気色(御気分、御容態)は如何かと、つっと入ったのは同じ村の金蔵。お千世はちゃっと姉の陰へ見つけられじと身を隠せば、ああ、隠れまい、隠れまい。たった今、堤の茶屋で大阪への戻り駕籠の駕籠舁き達の休みながらの話で聞いたぞ。 お千世殿目出度い、去られて戻られたげな。と、口も軽げな途方なし。 お軽ははっと、余所よりも親の聞く耳を憚って、金蔵様たしなましゃんせ、聾(つんぼう)はいませんよ、声を低く言っても済むこと。千世は去られたりはしていませんよ。親の病気を見舞う為の里帰り。奥では父(てて)様がすやすやと寝て御座る。目を覚まさないでくださいな。声を低く、低く、どうせなら往ってしまってくださいなと言うほどに声を高めて、親仁は寝ているのか、面白いぞ、いくら隠したって確かな事を聞いています。お千世殿、何度でも離縁されなさいよ。おれこれの聟達が踏み広げた田地でも百姓の女房には大事がない(差支えがない、構わぬ)。俺が持って一夜さでも淋しいめはさせないぞ。去られて戻ったと気を腐らせて必ず女房振り損なって貰うまい(器量を落として下さるな)。 去春に俺が嫁に欲しいと貰いを掛けた時に、俺の方に来ればよかったのだ。惚れかかった一念で脇に足は止まらぬはず。嫁入りする度に去られて戻ると言うのもこのわしに縁が深いからの事。親仁殿に頼み込んで今日からでも我ら受け込む、姉御を大事にして貰いましょ、と喚くので二人は死に入るばかり。 冷やす心の奥(魂を冷やす、ハラハラする)、奥の間で手を打って、軽よ、軽よと呼ぶ声。 あい、あい、あい、南無三、親仁殿が起きられた。金蔵が見舞いに来ていると言って下され。又明日、お見舞い申そうと言い残して帰ろうとするので、軽は腹を立てて、これこれ、往なずに千世を御貰いなされぬか。 いやいや、大事な縁組だ、日を見て(吉日を選んで)申し出ようと、減らず口して立ち帰るのだった。 父(とと)様、お目が覚めましたかと姉が障子を開ける跡から千世もおずおずとさし覗くと、夜着に凭(もた)れて起き臥しも悩み苦しき老いの坂、しばらく見ない間に年寄って肉も落ち、衰えた親の顔、誰が狩りするというのではないけれども落ちかけている肉に顔も荒れて、見交わす顔と顔。 堪えかねて、のう、父(とと)様、お薬を上がってもう一度達者になってくだしゃんせと、思わず知らず声を立てて、さめざめ歎き伏し転(まろ)ぶ。 父も見る目に涙ぐみ、大事ない(構わない)つっと来い。つっと寄れと膝近く、又去られて戻ったな、子に運ぶ親の心は居ながらにして千里万里を行くものだ。ましてや一つ家の内だ、寝ても寝られずに最前より何事も聞いたぞよ。 そも、我ながらかくも心は変わるものか、五十という年のうちは行歩(ぎょうぶ)も心に任せずながらも心は若かった昔に変わらず、気も強く義理にも引かれ(義理を重んじ)、おのれ、重ねて去られたならば顔も見まい、物も言うまいとの我(一徹心、強情)もあったのだが、六十に足を踏み込んでからは年ばかり寄るのでなく、月も寄り、日にも寄る。その上に病にまで絡まれる。身が衰える程にいや増しに案じられるのは子の身の上、三度は愚か百度でも千度でも離縁されると定まっている前世からの約束と諦めれば悔やみもしないし憎くもない。笑う人は笑え、誹るならば誹れ。指も指せ。子の不憫には替えないゾと老いの繰り言、息も弱る。 半兵衛めは遠州に失せて留守の内とな、その留守合点(その留守を明けた所に企みがあろう、そんな小細工は見え透いている)、万一顔を見せたとしても物を言うな、顔も見るなよ。今度は彼奴の身上の百倍の所に嫁に遣る。離縁を苦にして煩うな。 のう、姉、下々は野に行ったのであろう。茶を沸かして千世めに中食(ちゅうじき、昼飯)を食べさせてやれ。と、上機嫌の父親の顔。 姉は悦んで、これ、お千世、案じた父様(とっさま)の御機嫌は日本一、お側を離れずに御介抱申しゃ。嬉しや、胸が開けたと障子を引き立て勝手へと出て行った。 折こそあれ、門に、物もう頼みましょう、何方と答え、入るのを見れば千世の夫の半兵衛。さてこそ、縁を切りに来た、と思う心で口どまぐれ(詞までまごついて)、去り状様、よう御座ったと言うのだが、相手は何も気がつかないで、旅装束のままで笠を取り、沓脱ぎ場に草鞋の紐、心も解けたのか、お軽様、何方も変わることはあるまいな。国元へ帰る時分については事が急で、何も知らせずに居ります。気につかない親共で留守の内にもさぞや御無沙汰致しておりましょう。 拙者も遠州よりただ今罷り帰りました。 ふう、それはな、御奇特にようお帰りなされましたな、と顔を背けて鼻あしらい(ぶあしらい)。男共、女共、誰かお茶でも上げぬかと、内にはいない人を呼び立てて、無益し顔の色合い(バカバカしいと言っ顔色)だ。 それを見て取りながら半兵衛は立つにも立たれず、仔細は分からない。互いの心を隔てている障子をさっと開けて姿を現し、姉様、お薬温めてと言ったのは女房、やあ、お千世、此処にいるのかを聞き捨てて、物も言わずにつっと入り、障子をはたと引き立てた。 お軽様、あれは女房、何時から此処に、何故に物を申さないのかと騒いでも、物を言わない譯を聞きたいのならこなたの心に訊きなさい。人が知った事のように、ははははは、可笑しい事ではあると、空笑いをして取りつく端もない。 むうむう、とばかり差し俯むいてと胸を突くより(以外の感にあきれるばかりなのだ)他はないのだ。 奥では親が苦しそうに咳込む声がする。 夜が短くて日が長いのは老人の身には良いけれども、それも息災で駆け回っている時の事、病み惚けて日が長いのははてさて、退屈で暮らしかねる。千世よ、棚の本を下して何なりとも読んで聞かせてくれ。軽は何処に居るのだ、来て聞かないか。我が相手をしろ、こうしろと忙し気に老いの気の苛立ち、あいあい、此処で仕事をしながら障子を隔てて聞きましょう、と答えた。 流石に半兵衛を捨てても立てないで、障子の側に立ち寄れば、や、親仁様は御病気か。容態が見たいと言おうとしたが、お軽と千世のそっけないあしらいに憚って、言葉を止めて折を待ち、共に摺り寄り聞いている。 千世は多くの本を取り出して、伊勢物語、塵劫記(じんごうき、当時に広く行われていた算術書)、父様の側に有るまいと思われる心中天の網島もござんする。徒然草や平家物語、のう、父様(ととさま)どの本がよかろうぞ。姉が読みさした平家がよい。祇王の段を読んでくれ。 まことに紙を付けた所がある、と押し開き、母の刀自泣く泣く又教訓しけるは、天(あめ)が下に住まん者どもこうも入道の仰せは背くまじき事であるぞよ。千年万年と契るともやがて別れる仲もある、あからさま(仮初)とは思えども存(ながら)え果てる事もある。世に定めなき物は男女の習いなり。 ほんにそうじゃと、読みさして、わが身に当たる憂き涙を止め兼ねて泣いているのだ。 父も不憫さに目をしばしばさせ、昔も今も人の気の移ろいやすいのは世上の習い、これ、姉も聞け、平家物語を千世の身に引き比べて言う時には、清盛入道は八百屋の半兵衛、祇王は千世の身の上よ。その清盛が心変わりして追い出す。ええ、憎や、清盛、去年聟入りせし折から不調法な娘を進上してしまった。気に入らないことがあれば打ち叩き、縛り括ってでも直させて末々までも見捨てずに添うて下されかし。この度は揃って三度の嫁入り、在所は一緒所で世間が狭く何事も直ぐに知れてしまう。又帰って来ては平右衛門再び人中に面が出されない。娘は気に入らなくとも父親のわしを不憫と思い、必ず去って給わるな。 おお、去るまい、去るまい。御臨終の折には先輿は平六殿、跡輿はこの半兵衛、真実の子を持ったと思(おぼ)し召せ。今こそ町人八百屋の半兵衛、元は遠州浜松にて山脇三左衛門が倅、武士冥利に商い冥利(ぶしたるの名誉にかけて町人商人の面目にかけて)、千世は去らせない、気遣いするな。 ああ、忝いと手を束(つか)ね、地頭や代官の外には一生下げぬ頭を下げて互いに契約した。物忘れをする老いの身にもその時の嬉しさは骨身に沁みて忘れぬものだ。若い形して忘れてしまったのか。忘れない証拠、その身は実父の弔いにかこつけて、遠州に出躱(かわ)し、そのあとで姑に追い出させ養母の親に自分の罪をなすりつける不幸者、義理も法も知った奴か、あれが何の武士の果てだ。鰹節の削り屑、人でなしめに縁を組んであたら娘を捨てたも同然。碌に吟味もしなかったのかと、死んだ千世の母があの世から恨んでいるだろうに、悔しい限りだと慎み深い堅親仁が悪口交じりに口説き泣き、二人の娘も正体もなく涙に暮れる。 とかく男に縁のない生まれ性かとばかりにて、声も惜しまずに泣いている。 さては、女房は去られて此処に戻ったかと始めて驚く半兵衛。胸に盤石を据え置いたかの如くに、呆れ返つて涙も出ずに暫くは詞もなかったのでが、ええ、情けない、女房、たとえ一言一宿の附き合いでも人の心は知れる物。ましてや足掛け二年の馴染みだ、子までなしたる夫の心を知っても言い訳をしてくれないのか。親仁様のご立腹に申し開くことは承知しているが、我が罪を養い親に塗り付ける不幸者との一言からはゆめゆめ存ぜぬ。我らは去りは致さぬと申し分ける程に不孝の上塗りになる、親仁様に約束した詞には背かない。武士の性根を見せる、見て疑いを晴らしなされとずはと引き抜いた脇差、それを見てお軽は早くも縋り付き、千世も驚いて、のう、悲しや。こな様に恨みはない、と障子を引き開けて走り寄り、止めても止まらぬ男の力、父様(ととさま)お願い申しますと、騒げど騒がず平右衛門、お身が居ると知っての当て言、耳に止まっての自害か。 おお、よい分別だ、自害して死んだらば、あれ見よ、八百屋伊右衛夫婦、嫁を憎んで去ったので、子は面当てに自害したと養子に悪名難を付けて、口々に噂をして取沙汰すれば手柄、手柄。止めるな娘、存分に自害させろ。見物してやろう、との一言に孝心深い肝を拉(ひし)がれて、はあ、そうじゃ、謝った真っ平と額を擦り付けて身を悔やみ、然らばお暇致す。千世も同道せよ。いざ、お立ちやれ。 えい、やっぱりわしを女房に持って下さんすか。おお、たとえ死んでも、体も戻さない、尽未来まで夫婦、夫婦。 ああ、忝い、父様、姉様も喜んで下さい。と、早くも締めなおす抱え帯、平右衛門はその帯の先を手元に手繰り寄せてにじり寄り、父ははらはらと涙に咽び、半兵衛、これを見ろ、このしどけなさ(とりとめのなさ)帰ろうと言う一言で嬉しくて親の病はそっち除けで悦んでいる顔を見よ。その娘の悦ぶ顔を見ている親の心の内の嬉しさを叶うならば見せてやりたい。禮も言いたいぞ、取り締めのない愚か者伊右衛門夫婦の気には入るまい。頼むのはそなたの心ひとつだ。 親は老いて明日も知れない、黄泉路の底の底までも、心に懸かるのは千世一人。明日の日に瞼を閉じたとしても姉夫婦にきっと言い付けて、十両や二十両の金の遣り取りならいつ何時なりとも事欠かせない。随分と商いを手広くして娘の事を頼み入る。 契約の盃事をしよう、銚子、銚子、姉よ酒を切らしたのか。親子の仲に遠慮はないぞ、酒と思って飲めばそれがとりもなおさずに酒だ。燗鍋に水を入れて来いと、盃が出る間も焦がれるのは子故の闇、引き受け引き受けてずっと干し、半兵衛さそう、親子夫婦が水盃、差しつ差されつ、酌めども尽きぬ、飲めども酔わぬ水酒盛り。 不憫と思う親の気は余って色に出たのだ。命があれば又会おう。死んだなら親子の末期の水だ、未来は八功徳池の水、この世に思い置く事はない。二人ながらにお往にゃれ、お往にゃれ。 さらばと夜着に打ち凭れて二度とは詞をかわされれぬ。親の心に身を恥じて、姉に細々と言い交わして思いを述べて立ち出でた。 しばしと父は起きあがり、姉のう、重ねて戻らぬように祝って内で門火を焚け。忌々しいとは思うのだが、親に従う焚火の煙、めでたく此処から焚きますと、庭に焦がれる下燃えの果ては夫婦の無常の煙、灰になっても帰るなと、その一言をこの世の名残、留まる名残、行く名残、長い名残となったのだ。
2025年05月13日
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二番生(にばんばえ)共がはらはらと立ち寄り、拙者らは郷左衛門組下の、弓役どもだ。お身は山脇小七郎の舎兄とな、早速の無心、弟の事を頼むのもばからしいけれど、前髪姿に神ぞ照覧あれ、爪先から頭の旋毛(つむじ)まで打ち込み、毎日々々静心のない玉章(たまづさ、艶書)、奉書紙の代金だけでも銀五百匁も使った。身上(しんしょう)を紙に打ち込んでもつれない小七郎。 兄貴、是非にも所望申した、これ、軍右衛門が膝を突いて手を揃えてお願い申す、こりゃさ、拝み申すす。呉れ申せと笠に掛かって言う。 甚蔵と逸平は、こりゃ、半兵衛、おおっと言ったら難しいぞ、外方(とかた)にも惚れ手が有る。奉書代は愚かな事、君にかかって壱貫五百が外郎(ういろう、口臭を消す為に使う丸薬)を摘まむこの甚蔵。弓矢八幡身にくれろ、いやさ、この逸平にくれろうと、耳際に噛みつく如くに悪風(悪臭)を吹きかけて、眼も眩み、前後を忘ずる程なのだ。 煙管も離さずに半兵衛は大あぐら、御城下の習い、衆道は御法度のはず。おお、と言えば弟は首が御座らぬわいな。いやさ、当国は女色のふしだらは下々までが罰せられる。しかし、衆道にはお構いなし。三人の内どれへなりと魂を据えて返答しろと、もたもたと持ち掛ける後ろへ、小七郎がこれまでに受けた文を一抱え半兵衛の前に置き、兄者人の手前も恥ずかしながら、こうなった上は隠せません。数ならぬ私に御執心とは元服前の振袖の身の思い出、忝いのは山々ですが、一人だけではなくてあなたこなたから多数の文の数、無下に返すのも情け知らずと請けとっては置きながら、一通も封を切らないのはいずれも様への立て分(義理を立てた私の計らい)。どなたにも従う心もありません。 兄半兵衛の存じられし事ではない。この文封したままで御返却。思しきって下されと男色の義理を立て通した詞の優しさ。 そのやり方に一倍心が惹きつけられたと嫌らしくも取り巻くので、半兵衛が見かねて、はてさて、聞き分けもない方々だ、形(なり)こそ町人だが心は侍、拙者が目利きで皆様の内で真の惚れ手にやりましょうよ。こりゃ、小七郎、死装束をしろと心を目で知らせれば、直ぐに察して、あっと頷き部屋に入れば、半兵衛は多くの文の上書きを読み、ははあ、みな各々の名書き、このひと括りの上書きに小一兵衛とは誰の事か御存知ないか、と問いければ三人が共に口を揃えて、その小一めはこの屋敷の中間、へへえ、慮外な(生意気な、不躾な)下司めがやりおったわと、似非笑いをする(嘲笑する。せせら笑いをする)。 いや、そうでござらぬ、この道に身分の高下はない。その小一兵衛も呼び出して並べて置いて念者(男色関係で兄貴分)に頼もうか。 いやいや、下司め。身などと同座におくやつではない。殊に留守なのか頬(つら)も見ない。無用、無用と言う所へ山脇小七郎が白小袖に浅黄の上下、覚悟を決めて座につけば、半兵衛は取り敢えず肴台の三方に抜き身(鞘から抜き放った刃、白刃)を二口(ふたふり)弟の前に置き、惚れ手は四人、惚れられ手は弟一人、どこへ進ぜても残る三人の恨み。この兄は他国住居、行く末も気遣い、厭とは言わさぬ御所望、歴々の御侍、町人風情に手を下げてのお頼み、のっぴきならず、弟に覚悟させての死に装束。上部ばかりの恋慕ではなく、未来までも小七郎を不憫と思召すならばこの場にて差し違え、人が構わぬ未来・来世での念者若衆、兄弟分の関係を結ばれるがよかろう。 さあ、弟を遣る、どなたなりとも兄弟の契約をと言って三人を睨みつけた。思いがけない抜き身の刃と盃だ。それに死に装束姿、それに吃驚して、へへん、へへん、と咳に紛らし身ぜせり(身をもじもじさせる)。うんともすんともないのだった。 御門脇の長屋から紺のだいなし(仲間などの着る、紺無地で仕立てた筒袖の着物)を裾を絡げられるだけからげて尻を一振り振って振り出したのは恋に来いと言うのだ。小一兵衛三人の鼻の先、尻を突き出してかっつくばう(うずくまる、を強調して言う)。 兄御、半兵衛様の御手前も、しゃ、お恥ずかしいべいながら、小七様にとんと打ち込み、二合半の盛り切りの飯も喉に詰まってぎっちぎっち、てきない(切ない、苦しい)こんでごはりまする。今日君が御情けをつん出して未来ではやつがれめをお念者になさるべいとは、有難いやら、悲しいやら。 せせ、せせ、せせ、せせ、唐辛子を五つ六つ齧ってもこんなに熱い涙は出ませぬでごはりまするで。ごはりますると白刃を取って立ち寄れば、小七郎も引き寄せて、すはや(あわや、危機一髪の際に発する感動詞)と見えた刀の中、半兵衛が飛び入って、こりゃ、狂気したか小一兵衛と二人を左右に引き分けた。 これさ、上方の御旦那、糠味噌汁の御恩(主君の恩と言うのに同じ。仲間は、一日二合半の食い扶持をあてがわれ、糠味噌汁をすすって生活を立てるので言う)に代えたお若衆、此処で死ななければ心中が見えまいらせぬ。是非に死なせて下されと立ち上がるのを引き伏せて、男気は見えた。小七郎に誠の惚れ手はそち一人。小七郎を思う真情において他に匹敵する者があるならば大事な弟を殺しもしもするが、争い手のない若衆、八百屋半兵衛ならぬ山脇半兵衛が挨拶して取り持とう、向後(きょうこう、今後)兄分として頼んだぞ。 はは、はっと悦び小一兵衛、御侍方と同座が許されない奴めが武士に劣らない魂故に、結構なお若衆様の兄様とは忝い、忝い、冥加ない(勿体無い)。手附にちょっとほてくろしい(でれでれした、でれついた)事を御免、御免。半兵衛様も気をお通し(粋をきかせて、お見逃し下さい)と、べったりと抱き付けば、紺のだいなしと白無垢が、黒白粋の兄弟だ。 岡軍右衛門が法界悋気をおこして、くゎっと急き(苛立ち)、こりゃ、下郎め。見苦しい、控えていろ。と、肩を取って引き退ければ、こりゃ、何をなさる、むむ、聞こえたぞ(分かった)、御もてなしの酒が過ぎての事、むむ、合点、合点。さすがに二腰(両刀を腰に差す御侍)の心がけは格別、柔術(やわら)の稽古を遊ばすなら無調法ながらもお相手致そう、と座興に見せかけてずっと寄り一当てあてて引き担ぎ、うんと投げて、はは、はは、はは、はは、こりゃ粗相を致した。粗相でごはりますると空惚(そらとぼ)ける。 甚蔵と逸平が堪らずに一度に寄って胸ぐら掴み、どんざいなる小丁稚め、朋輩を何故投げたのだ。返報に砂を齧らせてやろう。と、引き立てた。 さてさて、お心掛けのよい、お前方もこりゃ柔術か。どりゃ、お相手と立った拍子に二人の息使いを見計らい、はった、はったと蹴返せば板敷から真っ逆さま、はは、はは、はは、はは、こりゃまた粗相仕ったぞ、御免、御免と言ったのをしおに(好機会、きっかけ)三人はぐずぐずと起き上がって、ええ、鈍な所に給仕に来て、酒を盛って尻を踏まれた(諺、親切を見せて却って馬鹿を見た)。と、袴の腰の痛い顔、堪えながら帰ったのだ。 半兵衛はぞくぞくとして小気味よく、さっても手際(見事な手並み)だ。小一兵衛、我は他国住で頼りない、弟の事を頼んだ、頼んだ、今日の料理の御褒美に二人の事を旦那に訴訟して、権柄晴れて(天下晴れて、公然と)念比(ねんごろ)をさせようぞ。その仲介は半兵衛が八百萬の神々に誓約して必ず結ぶ。深い約束だ。 中 之 巻 五月雨ほど恋慕われて、今は秋田の落とし水、軒の玉水とくとくと、ござれしげく、ござれば、名の立つのに玉水(山城の国綴喜郡伏見の南)近い、山城の村は上田に家富んで庄屋に並ぶ萱屋根も、内は暖かく下女(しもおんな)が並んで紡ぐ綿車、手廻りもよく(暮らし向きも豊かで)、幾はえ(土間には米俵がいくつも積んである)か、庭には五つのたなつ物(五穀、ここは米)を積む蓬莱の島ならぬ、島田氏、平右衛門と言う大百姓、妻は去年の秋に霧の如くに消えても、娘二人、惣領の軽に入り婿を取り、鳥飼(摂津の国三島郡)から呼び迎え、妹の千代にも大阪にれっきとした婿を取って、老後の収入も上々で、田畑を作ることを止めて、万事が限りの俄か病、姉のお軽は側を離れずに台所には女子共、何と今朝から仕事のはかもいったではないか、ちと休もうお竹とお鍋が呼び連れて思い思いに立ち出でた。 親のすやすやと転寝の隙を伺い女房は、心せわしく奥より立ち出でて、これこれ、台所に人が誰もいない。連れ合いの平六殿は淀川筋、新田開きの御訴訟に大事の病人を振り捨てての上京、男共は皆野に行く、ええ、憎い女子ども、我が見る前では忙し気にちょこちょこと立ち廻り、ちょっと立てば早何処に、大切な主の患いに煎じ薬一つ温めようとはしない。 下々には何がなる、囲炉裏の下を焚きつけないか、次郎よ、次郎よと呼び廻す門の口、駕籠を舁き据えて、申し申し、大阪の新靭(しんうつぼ)八百屋伊右衛門様からと、駕籠の戸を開ければ打ち萎れ目元しぼよる(小さく皺が寄ること)縮緬の、二重廻しの抱え帯、涙の色に染め代えて泣く泣く出て来れば駕籠の者、確かにお届け申したと言い捨てて帰るのも足早である。 親の家でさえ女気の敷居が高い、佇んでいる有様、姉が見つけて、やあ、お千代おじゃったか、定めて御病気の見舞いであろう。ようこそ、ようこそ、何故に駕籠の衆を止めてやらなかった。余所外でもあるように隔心がましい(他人行儀な、水臭い)、酒を一つ飲ませていなせばよかったのに。それ、呼びもどしゃと言うのだが、妹はさし俯むいて嘆くので一緒に嘆かれて、おお、道理、道理、疾く知らせようとは思ったのだがこの病では死なない。 気の取りにくい舅と姑を持ったお千代、婿の半兵衛も忙しい時分、聞いたにしても自由に来れるわけではあるまい。案じさせるな、不憫である、沙汰をするなとの病人の気にも逆らえずに、高麗橋の伯母様の常盤町にも知らせていない。 これ、気遣いしやんな、京の御典薬(御所方に勤仕の医者)に替えてからめっきりと薬も廻り、今朝も粥を中蓋(ちゅうかさ、中位の大きさの木皿)に三よそい、病は請け取って治すとのお医者様の保証、本復したのも同じ事。 そなたの顔をご覧なされたら、いよいよ父(とと)様の病はすっぺりと癒(な)ろう。嬉しい、嬉しい、お目にかかりゃ、と有りければ、ええ、父様は患いかえ、知らなんだ、知らなんだ。何時からの事で御座んする。や、何じゃ、煩いを知らなかっただと。そんならそなたは何をしに来たのか。何が悲しくて泣くのだえ。 ああ、恥ずかしや、又、離縁されました。そう言って顔を押し隠して咽び入る。 姉も驚く顔に血を上らせて、のう、お千代や、五度三度の婿入り嫁入りも世間には有る習いとは言いながら悪い事は手本にはならない。恥ずかしい、恥ずかしいと口で言うだけが恥を知ったとは言われない。そなたも軽々と三度の嫁入り、尤も始めの男、道修町の伏見屋の太兵衛殿は心不肖(甲斐性がなく、働きがなく)身代を持ち崩し、暮らしもたたないようになり成り果てての不満足な別れ。その次には死に別れ、死別となれば双方に欠点はないわけだが、人はそなたの辛抱が足りないために去られた、去られたと非難を付けて、この度の嫁入りも追い出されるのに間はあるまい。忘れても島田平右衛門の娘の風下にいるなと、娘を持った人々は寄合、茶飲み噺にもそなたの噂。 ま一度戻っては親兄弟、人中に顔を出されない、とは知りぬいていて火に入り骨を砕かれたとしても戻るまい、帰るまい。おお、必ず去られて戻るなと、念に念をつごうた今度の嫁入り。よく戻りゃった、父(とと)様お聞きなされたらお悦びなされようぞ。顔をお見せする折があろう、必ず声高く話をしないでおくれよ。 して、半兵衛の離縁状を取って戻りゃったのか。いや、跡の月半兵衛殿は父(てて)御の十七年の弔いの為に生まれ故郷の遠州浜松に。戻り次第に道具に添えて暇の状は後から、先ずは往けと譯も言わずに、お腹には四月の身重であるのに姑御が手を取って駕籠に引き摺り乗せ、酷い、辛いとばかりにて嘆くのを見れば痛々しくて、子が有るものを夫の留守に隙をくれる姑、心に一物あるわいの。 伯母婿ながらそなたの親分、高麗橋弐丁目川崎屋源兵衛殿を差し置いて、直ぐに此処へ突き付けた仕方も憎い。よいよい、こちの人が京からの帰りを待って、詰め開かせ(談判)して、大抵では(一通りの事では)離縁はさせない。 とは言え世上の夫婦中去るという事を誰が拵えたのか、憂き目を見せて可愛やと歎けばわっと泣き出す声。あ、声が高い、高い、障子の向こうで父様の寝入りばな、泣くな、泣くなと言いつつも伝う涙の血筋とて親は泣き寄る(普段は疎遠のようでも一旦不幸の境涯に陥ると心から同情しあうのは肉親だ)哀れさよ。
2025年05月09日
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心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん) 上 之 巻 花のお江戸へ六十里、梅の難波へも六十里、百二十里の相の宿(もと宿場と宿場との間にあり、立場・宿場の出入り口にあって、旅人・駕籠舁き・人足・傳馬などが休息した掛茶屋 茶店、旅籠などがある里を言う)、都を離れて遠江(とうとうみ)、浜松の一城主・淺山殿が御在国(国主が江戸参勤中ではなく在国中であるのを言う)、町屋、町屋の賑わいや商いに弛(たゆ)みはなく、武士は弓馬に怠らず、一日置きのお鷹狩、上一人の励みより犬でさえ油断はしないのだった(鷹狩には犬を連れていくのが常なので言う)。 お家相伝(譜代の家来)の弓頭(ゆみがしら、弓組を統括する役。弓大将)坂部郷左衛門は六十歳の皺が夜となく昼となく、主君のお側を離れない野出頭(主のしゅっとう、君が郊外に出かける際に常にお側を離れない寵臣)である。 今日も鷹野へのお供をして、留守の屋敷は大手の見附(城の表門の前にある)、お鷹帰りの御入りとて、昼に当場から先案内(狩場からの先触れがあって)、給人若党お出入りの町人までが降ってわいたかの如き忙しさ。 御主君が御成りとあって、座敷の畳を替え、床には掛物、臺子(だいす、茶の湯に用いる四本柱の棚。茶の道具を載せる)の埃を掃いたり拭ったり、お庭の掃除、どさくさ紛れに雑草の根を引っこ抜く。薄茶も挽く。茶道は引き木で揉まれる。げに誠を忘れてしまう忙しさだ。 門の盛り砂、小者は箒に揉まれる、臺所の板本(いたもと、板場、料理場)には青物の淵、魚鳥の山、献立は三汁九菜、おちた肴(魚が腐っていないか)を吟味の役人、こりゃ目出たいと、鯛を三枚におろし、山葵(わさび)は八百屋が請け取り(引き受け)、南京の皿、蒔絵の家具(椀家具、食器)、膳を尽くしてのもてなしなのだ。 組下の二番生(にばんばえ、部屋住み、次男坊)金田甚蔵、岡軍右衛門、大橋逸平など打ちそろって血気盛り、立ち掛けのんこ(髷の根を高く立てた派手な髪の結い方)の頭がち、裾はお留守の勝手見舞い、いずれもご苦労、ご苦労と声を掛けた。 今日のお鷹狩りでは野から直にお腰かけとな(主君御休息との由)、急な御成りでさぞや取り込み(混雑)お料理組はもう出来たか、早い、早い、我々も幸い非番だ。用があれば遠慮は無用だ。そう、口々に挨拶して、座敷口から小姓の山脇小七郎が生け花屑を花盆に、花の露が浮く前髪の盛り、するすると立ち出でて、これはこれは日頃の御懇意、お揃いなされてのお出で、主人の郷左衛門もさぞ満足でしょう。 ただ今の御主君は先代と違い何かにつけて軽いお身持ち(お振舞)、壁に馬を乗りかけた今日の御成り(出し抜けに事を行う意の諺)、主人はお供、我々が当惑した。掃除などもそこそこに、書院(武家の表座敷を言う)の筆架(使った筆を掛けておく台)飾り石(床の間に飾っておく石)、生け花も手づつ(不手際、不器用)ながら間に合わせるのも御奉公のうち、御内見の上で御直しくだされい。詞も風も出過ぎてはいない、糠味噌と若衆は武家屋敷に極まるのだ。 金田甚蔵、岡、大橋、どうしてどうして君への御手際で手抜かりがあろうか。そうではあるが、人に心を尽くさせようとする薄情でない心がひとつの疵となり、目面も明かぬ取り込みに額で睨みつけて、袖を引き、手の中をつまむ(情を通じる仕草)のも一昔古い仕掛けがやはり田舎なのだ。 坂部郷左衛門は衣服の綺羅も世につれて(衣服を飾ることも特に抑制したわけではないが、世間の風潮につれ上意を体して戒めることはないのだが、上に従う木綿羽織に紺股引、鷹野出立の凛々しさですたすたと立ち帰り、家来共、掃除は出来たか、やあ、三人の若侍、いずれも見廻りご苦労であるぞ。有難い。 いやさ、いやさ、年は取りたくないものだ、岩松村の岩水寺の門前からお暇を請け、たった一飛びとは思ったのだが氣情(けじょう)も足も心ばかり(気ばかり焦って足が進まなかった)、さりながら、殿には今一拳(ひとこぶし、一回鷹を合わせること)あってから参られるぞ。急くことは全くないぞ。 先ず、御献立を一見と、長々と書付けた物に半分目を通してから、おおきに魂消たぞ、こりゃなんだ、殿の御膳は一汁一菜と先達(せんだって)言い越してあったのに三汁九菜で魚鳥づくし。身の身上を板木で切りはたくのか、この献立は誰の指図だ。そう言って以ての外の不機嫌に、頭も光らせながらに叱り飛ばしたのだった。 小七郎がしとやかに進み出て来て、憚りながらこの儀はお侍中の指図ではありません。二三日以前より長屋に逗留中の大阪の住人、靭油(うつぼあぶら)掛町八百屋半兵衛と申して、もとは御当地の遠州生まれ、腹換わりの兄。様子があって五歳の時に大阪に立ち越え、町人に奉公致して商人の養子となり、現在の親は八百屋の伊右衛門。実父の山脇三左右衛門は私が生まれた年に相果てて、当年は十七年忌で親の墓への年忌参り、私事も懐かしく召し使われるご主人への御礼も申したいと、逗留いたしている兄の半兵衛は商売は八百屋、殊更に料理利き、それを幸いと今日の御献立を致させましたのはこの私。不調法を致しました。 御目出度き折柄、御機嫌を直されて、兄へもお会い下されましと恐れ入っての謝りに、主人の顔も打ち解けたので、これ、半兵衛殿、よき折の御目通り、御献立をし直す為に、早く、早くと呼び出したのだ。 その声を頼りにして兄半兵衛、魂は武士であるが三十余年の間町人で業(わざ)も姿も染みついて、料理袴をはいて仮初に御前への姿を現すにも気後れがして、台所の板敷にけつまずくやら滑るやらで、ほうほう這い出して手をつかえ、御国の御家風も存ぜず御献立を致したのは無調法、先達てお使いに一汁三菜との御意でしたが、大阪蔵屋敷留守居方の振る舞いでも、随分と軽くても二汁五菜、結構には段々と上等の料理ともなれば限もなく、朝鮮人のもてなしで御堂にも雇われて、七五三、五五三、山蔭中納言の家の切り方など、料理一通りは承って居りますゆえに、何と言いましてもお大名の膳部、よもや一汁三菜とはお使いの聞き誤りと言われぬのに念を入れ過ぎたのはやはり無調法で、御望みの一汁三菜は我らが手際できりきりと切って焚き立て、塩梅好しの御機嫌よし。御意を待つまでもなく、松茸、塩漬けの筍(たけのこ)も生の物と変わらぬように料理するのが秘訣。 料理の味加減同様に弁舌も巧みに、郷左衛門はうち笑って、むむ、山脇三左衛門の倅であるから身がためにも家来筋だ。親の廟参(墓参)は殊勝である。幼少から他国に育ち当御代の御風儀を知らないのは道理、料理は勿論、衣類諸道具すべての無益な費えが御嫌い、上方でもその風聞はないか(田舎侍の面目躍如)、去年十月高師山(たかしやま、二川の宿と白須賀の間にある)のお狩場、身の相役佐野文太左が初めてのお供に縮緬羽織を着用召されたるを殿がじろじろと御覧なされ、縮緬は風を含んで自由がきかない。二度と着るな、これを呉れると御意なされてお手づから下された召し替えの木綿羽織、さしもの文太左もはっとばかりに赤面して、その後はこのことを工夫して(よくよく考えて)お供に参る文太左、縮緬の羽織は決して着用しなくなった。 兼ねて文太左が殿と示し合わせて家中一同が見る前で木綿羽織を下されたのは、表立って奢侈禁止と布告をせずに自然に奢りを一同が止めるようにとの御意見と見た。 それを察しない御家中の二番生(ばんばえ)達の樣(ざま)を見よ。江戸の芝居町の木挽町や堺町の役者も顔負けするほどの派手な身なり、自分の身の分際も知らずに、一概に、殿はお吝(しわ)い、お吝いと勿体無い陰口、綾錦を召されてもお大名、綿服を召されてもお大名、斎藤別当実盛の最後は錦の直垂(ひたたれ)を着ていたけれども、源氏を捨てて平家に返り忠(旧主に背いて現在の主に忠義を尽くすこと、裏切り)の武士だ、心は汚れて襤褸(つづれ、ぼろ)同然。 又、佐々木源蔵は二君にも仕えず襤褸の肩を裾に結び、頼朝の御代を待ったのは心の錦、今の武士が美麗を好むのは實盛流、佐々木の遺風を芳しと思召す此の殿の御行跡は下を寛げて世を豊かにし、売り買いを安くしようとしての御倹約、武士はもとより町人のそちとらまでこの御恩を忘れてはいけない。 朝夕の御膳部も一汁三菜、酒も数を定められて三盃限り、今日の御もてなしも粗末な程に御気に入るだろう。献立も書くには及ばないぞ。こりゃ、飯は質の悪い赤米を混ぜたかび臭いやつをこわ目に焚かせて、おとし味噌の汁に小菜を浮かせて、向付にはおろし大根と鰯と膾(なます)、焼き物(炙りもの、魚や鳥の肉の焙ったものを言う)は室鯵(むろあじ、播磨の国室津で多く獲れたので言う)の酢煎り、それも二つ切り、それに古茄子の香の物、さて、平椀(ひらわん、あさくて平らな椀)には、おお、それよ、家来に持たせて来た山の芋だ、これへ、これへと呼び出せば、五尺ばかりの山の芋、中間二人が差し担い、料理場の板敷に、菰(こも)を放して舁き上げれば半兵衛は横手を打って(意外な折に、思わず両手の掌を打ち合わせる仕草)、飛んでもない山の芋だ、御当地は芋所なのか、一生の見始めだ。大阪で見世物に致したら銭金の摑み取りだ。第一にお家の吉相。何故とならば今日は殿の御成り、旦那の御出世、追っ付山の芋から鰻にお成りなされよう。と、軽薄なぬらくら口に鰻の油をとろりと乗せ掛ければ(おだて上げれば)、さればされば今日の仕合せ、手下の百姓が殿の御成りを聞きつけて、身が帰る際の道料理にせよと言って呉れたのは幸い、今日のおもてなしで御馳走と言えるのはこれだけだ。 お身が自慢の包丁、切り方を随分と発揮してきれ。頼む、頼むと言う詞の下で、御成門の閂を外す音が響いた。すは、殿の御入りだとざわざわと騒ぎ立つ。 郷左衛門も袴を改めるので次の間へ行き、お出迎えにと出て行けば、山脇、小七、岡、大橋、金田らが続いて急ぎ出て行く。 半兵衛は料理に料理に心が急く、打ったり舞ったり身はひとつだ(一人で同時に種々の事をするのに言う)。薄刃を押っ取り五尺の大芋を三寸ばかりに切り整えて、さっとばかりに気軽に皮を剥き、ちょきちょきちょき、葛醤油の出し塩梅煮方は急ぐ、殿の御顔も拝みたいので座敷口からさし覗けば、御城主は股引がけで上段に着座された。 一間隔てて近習の人々、鷹匠、犬引き、勢子、足軽達が玄関の小庭に居あまり、台所口を押しとおって長屋、長屋を休息場、奥では台所での料理を急き立てる。 主の郷左衛門は殿の御膳を目八分にささげて持ち出せば、思い思いに給仕の作法、お汁が替わる、替え飯継ぎ、初献の肴は蛸の足一切れ当ての引重箱(膳部に添えて出す肴を盛る重箱)、二献めも御機嫌よくお盃が替わって平の蓋、珍しい加田ワカメ(紀伊の国名産の海布)の台引物(膳部に添えて出す肴を盛る台)、定めの通りに御酒三献、吸い物は殻蜆(からしじみ、殻付きの蜆)、思いの外の無馳走(粗末な料理)に上は御悦喜なされ、納の盃、坂部もなみなみとつがれた酒を飲み干し、首尾よく膳部は下げられた。 郷左衛門が板本に立ちはだかって、半兵衛を睨ねめつけて、今日の料理は芋が一種、でっかいところをお目にかけるのが御馳走だったはずだ。どのように切ったにしても五尺あまりの大芋を一寸余りに切り砕くとは言語道断だ。 手打ちにする所だが、他国者ではあり、殿の御成りの時節だ。屋敷には置いておけない、出て失せろと息詰まった腹立ちは詞は少ないが凄まじい。 半兵衛は膝も動かさずに、これは旦那の御意とも受け取れません。今日の御料理は随分と切り方にも気をつけて心一杯に出来上がったと面目を施したといささか得意でありました。御褒美は下されないで思いがけないお叱り。総じて貴人大人へは何に限らずかようの珍しい物はお目にかけないのが料理の習い。 大名高家は大様でして一度お目に触れなされては沢山にあるものと思し召して、隣国の大名方とのお出会いにも、身が領内には珍しい山の芋があるなどお国自慢をなさり、ひょっとして余国から御所望があった場合ににっちもさっちもいかずに、国中を尋ね合わせても有り合わせずに思いがけずに殿さまを嘘つきにしてしまうでしょう。そこを弁えて常の如くに御調味致したのは旦那への御奉公と存じたのですが、ご機嫌に違ってしまったのは身の不幸せです。如何様にも存分になさって下さいまし。と、どこやらに詞をきっぱりと言い切る所が残っているのは、武家生まれの気性である。 郷左衛門は口をあんぐりとさせて、むむ、こりゃ、尤もじゃ、いや、尤も。誤り申した、誤り申したぞ。そちが言い分を真っすぐに殿に申し上げるのがまた御馳走である。 やれやれやれやれ、山の芋で足を突いたとどっと笑えば、早お立ちとお供周りが振り出す毛槍(鳥の毛で飾った槍)、台笠(袋に入れ、長い棒の先につけた被り笠)、立て傘(袋に入れた長柄の傘)、大鳥毛(鷹の羽で栗のいがの形を作り、馬印、または槍の鞘にしたもの)、乗り物、引き馬(鞍覆いをかけて引いて行く馬)が嘶き立ち、御城内まで御礼の御供(主君の来訪に対するお礼言上のため)、郷左衛門もお輿に附き添って暮れぬ間に御帰城と気もせき、夕陽の入日影。 座敷の仕廻りは侍方、庭の締まりは中間や小者、役目役目に立ち分かれる。 台所には半兵衛が一人、包丁、真魚箸(まなばし)、薄刃、俎板、などを取りかたずけてから、煙管を咥えて吹く息に鐵拐(てっかい、中国の仙人。自分の欲する物を口中から吐き出したと言う)、の皺を伸ばしたのだ(吐き出す煙の行方を眺めながら休憩する様はまるで鉄拐仙人のようだ)。
2025年05月07日
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ここもとでは何れ程払ったか。隠してはその方の為にならぬ、有り体に言え。 私方へも五月四日の夜に入って、大金三両、銭壱貫文、 その夜は何を着て参ったか。広袖の木綿袷、色は確か花色かはしっかりとは覚えていません。 むう、よいよい、もう家に入って良い。そう言い捨てて、もと来た道を引き返し、又、新町へと。変成男子(へんじょうなんし)の願を立て女人成仏を誓った(女子の性を変えて男子と化し、極楽往生が出来るように仏に願をたてた)。願以此功徳平等施一切同發菩提心往生安楽國、願わくはこの功徳を以て一切衆生に施し、同じく信心を起こして共に浄土に往生せしめ給え。 釋妙意(お吉の戒名)、三十五日お逮夜(命日の前夜、この夜に親戚や知人が集まって追善供養を営む)の心ざし、お同行衆(一向宗で信徒同士を呼ぶ称)寄り集まり勤めも既に終わったのだ。 中にも同行中の老体、帳紙屋五郎九郎は昨日今日のように思っていたが、早くも三十五日の逮夜に罷りなる。二十七を一期として不慮の横死(思いがけない変死)、平生の心建ては人に勝れていて、上人への御恩徳報謝の心も深かった(宗祖親鸞上人に対する帰依信心も深かった)。この世でこそ剣難の苦しみはあるとも未来は諸々の業苦を除き、本願往生はよも疑いは有るまい。 この御催促(お吉の死を言う。人の死は仏が周囲の者に信心を促し勧めるためにものであるとの意から言う)に各自が心を驚かして、いよいよ一遍の称名(一度の念仏)も悦んでお勤めなされよ。必ず嘆かせられるな七左殿。殺し手もそのうちに知れましょう。ただ御息女の介抱(世話)が第一です。 先立たれたお吉殿もそれを満足となさるでしょう。そう言って教え示せば、有難く感じて涙ぐみ、さようともさようとも、お吉の事は思い忘れ、これも如来の御蔭と信心堅固に喜びを重ね、行住坐臥に称名は欠かしておりません。さりながら、末娘のおでんめはまだ二歳、乳がなくてはと不憫に感じて妻が死んだ明くる日に金をつけて他所へ貰ってもらいました。 姉はよく言い聞かせましたらば合点して香花が切れないようにと仏壇についてばかりいますが、のう、中娘めが朝から晩まで、母(かか)様々々と言って泣いておりまする。これには困り果てました。と言い終えてから素早く壁の方を向いて声を呑んで忍び泣きに泣いている。 尤も、さこそと同行衆も、濡らさない袖はないのであった。 折節に居間の桁梁(けたうつばり、家の外周りの柱の上に渡して受ける材。縦を桁、横を梁と言う)を通る鼠が怪しからず(一通りではない)、蹴り立てたり蹴り掛ける煤と埃。反故(ほうぐ)をちらりと蹴落としてから鼠の騒ぎは収まったのだ。 それ、何やらが落ちたず、七左殿、誠にこれは取り上げれば、半切り紙に一つ書き(箇条書き)、十匁一分五厘とだけ、野崎参りの折りの入費の割り当て。五月三日とだけで誰から誰に宛てたものとも名宛もない。色こそ変わっているが所々が血に染まっている掛売金の請求書。 不思議の物と手に取り回して、これは誰であるか見たことのある筆跡であるぞ。我らもどうやら見たことがある手の風、ああ、河内屋の與兵衛、與兵衛だぞ。 それよそれよと四五人の口も與兵衛と極まった。思い出して七左衛門、実に死んだ妻の物語で、四月十一日に我ら夫婦が野崎詣りを致した日に、皆朱の善兵衛と刷毛の彌五郎、河内屋與兵衛の三人連れが参ったと噺をしていたが、その割付と決まった。お吉を殺した下手人も大方はこれで知れましぞ。 三十五日のお逮夜に当たり鼠がこれを落としたのも亡者(もうじゃ)が知らせたのに違いない。これも仏の御恩徳、ああ、南無阿彌陀仏とひれ伏して悦ぶ心も道理なのだ。 気味は悪いが、その後折々に與兵衛がこの家を訪れるのも、自分が下手人だと感づかれ、噂を立てられるのを恐れての事ゆえ、わざとひときわ横柄に構えて何食わぬ顔をしていたのであろう。 その折りに、河内屋の與兵衛でやすと、つっと入って来た。 もう、三十五日のお逮夜に成りましたな。殺した奴もまだ知れず、誠に困ったことですな。しかし追っ付け知れましょう。と、自分の口から相手にとっての辻占となるような詞を吐く。 七左衛門は尻を引っからげて寄り棒(罪人の刃物を払い落とし、または叩き落とすなどするのに用いる棒)おっ取って、やい、與兵衛、女房お吉をよくも殺してくれたな。おのれは此処へ縛られに来たのか。逃れは出来ないぞと、棒を振り上げた。 ああ、七左衛門、聊爾(りょうじ)するな(軽はずみ事をするな)。 して、俺が殺した証拠と言うのは何だ。言うな、言うな、つべこべと言うな。野崎詣りの割り附け十匁一分五厘と言う書付だ。所々に血も付いていておのれの手跡に間違いはない。この他に証拠などは必要ない。同行衆、捕らえて下され。と言って、まさに掴み掛かろうとするその勢い。 南無三寳、露見したかと急にだくつく胸の動悸、じっと抑えて苦笑い、この広い世間だから何人も似た筆跡があったとしてもおかしくはない。野崎参りの入用は俺が一人で受け持った。割勘定をした覚えはない。良い年をして馬鹿な真似をするな。おのれらまでも騒いで何とするのだ。 こうしてやるのだと、掴み付いたのを取って投げ、寄れば蹴倒し踏みこかして一世一度の力の出し場、與兵衛は七左の棒を捻って手繰り、ひと振り振ればわっと逃げて、相手の隙を見てその場を逃げようとすれば、そりゃ、逃がすな、と追いかけて取り巻いた。 小庭の内を追いつ返しつ、二三度、四五度。隙を見合わせて潜り戸をぐゎらりと開け放って逃げ出した。門の前には、兩三人がいてどっこい捕ったと胸ぐらを掴んで捻じ据えた。 それは検非違使の別當(ここは町奉行のこと)は大理の廳の役人である。後に続いたのは伯父の森右衛門が声を掛けて、最前より各々が表に立ちなされて家内での一々を残らずに聞き入れられたぞよ。必ず未練に陳ずるな。 え、是非もなやな。世間での風説は十人中の九人がおのれを名指す。聞くたびにこの伯父の胸の内を推量せよ。事が露見しない先に遠国に落ち延びさせるか、さもなくば自害を薦めて恥を隠してくれようと、新町や曽根崎の行く先々を尋ねても、跡に回り跡に回りしてしまい出会わなかったのは貴様の運の尽き。それ、太兵衛、その袷をこれへ、これへ。 即ち、五月四日の夜に着して出たお前の袷だ。所々に付着した染みが強張っていて大理の廳からの御不審。只今、證跡(しょうぜき)の実否(じっぷ)、おのれの命生死二つの境目である。 誰かいるか、酒を此処へ持って参れ、あっと答えてちろり(酒を温める金属製の具、筒形で注ぎ口と弦がる)燗酒と鍋とを手に手に持って、さらさらさらと零し掛けたのだ。 このような甥を持ち、弟を持って心を砕く涙の色、注がれる酒で袷の染みが見る間に血の色に変じていく。それも朱色の血潮だ。 伯父と甥はあっと顔を見合わせて、詞もない。呆れ果てているばかりなのだ。 與兵衛は覚悟の大音を上げて、一生不孝放埒の我ではあるが一紙半銭を盗んだことは遂になく、茶屋傾城屋の払いは一年半年遅くなっても苦にはならず、新銀で壱貫匁の手形を借りて、一夜過ぎれば親の難儀。不幸の科、勿体無い、と思うばかりが一心で外に心が廻らずに、人を殺せば人の歎き、他人の難儀と言う事に全く気がつかないでいた。 思えば二十年来の不孝、無法の悪業が魔王となって與兵衛の一心の眼(まなこ)を晦まして、お吉殿を殺し金を奪ったのはこの河内屋與兵衛だ。仇の敵も、殺されたお吉殿も殺した私もともどもに仏菩薩の慈悲の誓願によってお救いください。南無阿彌陀仏と言わせも果てずに取って敷きしぎり、縄三寸(手首と首縄との間を三寸に締めくくる法)に締め上げれば、早くも町中が駆けつけ、駆けつけて、直ぐに引き立て引き出した果ては、千日寺の隣にあった処刑場で処罰されて、千人が聞き、万人が聞き伝えた。その後では萬人が残る隈もなく世の鑑(かがみ)として伝えて、君が長い世に清からぬ名を残したのであるよ。 以上で、この作品は完結です。 近松を論じるなどは専門家ではない私の任ではないのですが、沙翁との比較と言うか東西の劇界での大天才を褒めたたえても、褒めたたえすぎることのない対象ですから、大いに讃えて見たいと思います。 シェークスピアの作品が世界的に評価されて有名ですが、近松は日本でこそ今日でも鑑賞され、それ相応の高い評価を勝ち得ているのですが、まだまだ人気が足りないように私などには感じられてなりません。日本文化が世界的に見てユニークである分、世界的に普遍的な高い評価を受ける機会に恵まれないのでしょう。 物語の世界で源氏物語が今や世界的に有名にはなっているのですが、それも本当の意味で正当に評価されているのか私などには疑問に思われてなりませんが、近松のドラマの面白さ、凄さはまだまだ評価が足りないと強く感じます。一人でも多くの人が、特に自分に自信が持てずに悩んでいる若者がいるのならば、私は近松の言葉の素晴らしい綾取り、きらびやかな華麗なレトリックを味読して、夢幻の異世界に遊び日頃の退屈な日常から抜け出して疲弊した魂に新鮮な息吹を吹き込む労を厭わないで貰いたいと、心底から願わずにはいられないのです。 人は各自の現実の世界を生きると同時に、夢や、架構の世界にも遊び、楽しむ術を弁えている。その手立てとして近松の劇世界は格好の足がかりを与え続けていてくれる。日本人に生まれ、日本語の世界に生きている者としてこんな素晴らしい宝の山を無視している阿呆らしさを自覚して欲しい。 何もかも嫌になったなどと、自分を大事にせずに投げやりな怠惰な生き方を反省して、前向きで、積極的な生き方を、その一助としても劇世界があることを、中でも近松ワールドは宇宙に冠たる素晴らしい人情世界を眼前に展開してくれて、我々を無条件で感動させて呉れている。あとは、読者や観劇者がちょっとした労を厭わなければ良いだけなのだ。 八苦の娑婆と言い、憂き世などとも言う。それだけ楽しみや快楽に飢えているわけなので、ほんの少しの工夫や努力で現実世界が一変もする。地獄はそのままで極楽なのであり、地獄を知った者ならば極楽を知るのは目前の事と悟り、半歩を、四半歩を踏み出す勇気を持とう。絶望を味わったならば、幸福の絶頂を味わい知る能力を自らが身内に秘めている事実を自覚するがよい。 兎角この世は普通には暮らしにくい。一度きりの人生、誰だって可能ならば楽しく、平穏に、周囲の人々とも仲良く暮らしたいとは切望するもの。しかし、希望とは裏腹に現実はそうは問屋が簡単には卸してはくれないものだ。若いうちは虹色の将来を夢見て希望に胸をふくらませているが、誰もが容易には希望を叶えることが出来ないのが相場だろう。 努力なしには何事も自分のものには成し得ないが、努力したから必ず平和で愉快な日々を送ることが可能とは誰の場合でも言えない。絶望などは、安易に希望が実現できると何とはなしに考えていた愚か者がたどり着く一里塚でしかない。とことん己の可能性を追求している真摯さが本物なら、どの様な結果が手に入ろうともその過程で味わった表面的には労苦と見えたものが、貴重な宝物と変じている事に驚かされるに相違ない。 何もかも嫌になったから誰でもいい、人を殺したいなどと戯けた事を抜かす愚か者が少数ではあっても後を絶たない現実を見ると、生きる事は或る種の修行であり、過去世で修行が足りずに間違ってこの世に生まれ出てしまった気の毒な真の意味での狼狽え者もあるわけだが、私は自分の信じている信仰心で、そうした輩をこそ救済して、真実に幸福な社会を実現したいと念願してやまない。 私は嘗て「四つの幸せ」と言うことを主として若い人のために提唱したことがある。四つの幸せとは、天の配剤、地の恵み、人の和・輪、自分が自分である事、であるが、たった一人でも不幸な者がいたならばその社会は真の意味で良い社会とは言えないので、社会全体が安定して自ずから幸福に満ち溢れている極楽世界こそが理想の社会だと思うものです。 若者は何時でも希望に溢れ、豊かな愛情に包まれている。それに自分だけが気づかずにいる場合もあろう。近くにいる大人が不幸そうな顔をした若者に声を掛けて、君は今幸福の真っ只中にいるのだと、諭して上げて貰いたい。 一時期に、燃え尽き症候群などと言う嫌な言葉が流行した。人生に行き詰まり生きる気力を喪失して自他に人生の魅力を感じさせなくなってしまった、ある意味で不幸な人生の落伍者の群れ。そうした人々の挫折感や喪失感は今の私には理解できないが、私は「不幸であった時」にも充実していたし、却って幸福を如実に感じることが出来ている。 キリスト、勿論私が理解している範囲での彼であるが、世にも哀れで不幸者めいた最後を、人間としてのであるが、甘んじて迎えているし、光る源氏は最高の理想人間であると同時に、最悪の不幸者であった事実を物語作者は読者にアピールしてもいる。 私はその事実を此処でまた強調して、不十分ながら、近松論の蛇足と
2025年05月02日
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