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何を言うのもお気慰め、ひらに頼むと強いられて源七下地好きの道、てんぽの皮やりましょうと、箱から取り出した三味線の、糸は昔に変わらねど引くその主の成れの果て、親の罰ではないが、撥駒(三味線の胴と糸とが触れぬように胴の下部につけた駒)、上駒の音色優しく弾きなせり。 紙子の袖に置く露と共に離れし妹背の仲、哀れ昔は全盛の松の位も冬枯れし風呂敷包み行く先は、知らぬ旅路にとぼとぼと、築地の陰に安らえば、珍しい三味線、なんぼ大内(公家、堂上家)方でも洒落の浮世に廻り来る。車寄せから立聞けば、はああ、不思議やあの小唄は、わが身が廓にあった時に坂田の蔵人時行殿になれそめ、作り出だせし替え唱歌、かの人ならで誰が伝えたのか、懐かしや、どうぞ入り込んで見たいものじゃと、出放題に声を張り上げて、これは難波の遊女町に誰知らぬ者のない傾城の祐筆(ゆうひつ、代筆)、濡れ一通りの状文なら恐らく私が一筆で叶わぬ恋も叶うように、仮名書き筆、びらりしゃらりのかすり墨、生娘・遊女・手懸者、後家・尼・人の女房まで段々の書き分けは私が家の伝授ごと。もしそんな御用ならお頼みあれとぞ言い入れたのだ。 奥では女中が耳を澄まし、さっても変わった売り物、いざ呼び入れて痴話文(色文)書かせてお慰み、更科掃部、呼んでおじゃ。あい、と答えて二人ずれにて走り出て、是のう、傾城の祐筆殿はこなたかえ、この御殿の姫君様、何やらそもじに御用有り。こなたへいざと手を取れば、はあ、御用とは何やらん、おめもじ様にと言う夕顔の、庭の飛び石、すな、すな、すな、ちょこ、ちょこ、ちょこと奥座敷へと。 何の遠慮も無く、並み居たる大裡女郎(公家の女房)に場うてせぬ(その場の様子に気おくれしない)、いずれそれ者(遊女上がり)と見えたのだ。 煙草売りの源七も何心もなく側近くに寄り、顔と顔とを見合わせれば、やあ、離別せし女房、南無三宝と木隠れの(ちょっと顔を隠したが)、女はそれと見て、水臭い男、畜生、人でなし。赤恥かかせてしまおうかと飛び立つ胸の内も人目が関となり邪魔をする。 気持ちを押し静め、押し静めして心を砕き折々に尻目に睨むも恋である。 姫君は何の気もつかづに、これのう、紙子、そなたの物腰、褄はずれ(身のこなし)、いかさま常の女子りゃと有りければ、ああ、どなたかは存じませぬがお優しいお詞、お尋ねがなくても言いたくて言いたくて、胸が咳上げる折ですので、さらば、お話しを致しましょう。 恥ずかしながら私の昔は、憂き河竹の傾城、荻野屋の八重桐とて大夫仲間の立て者(頭株)と言われた程の全盛の末も、遂げぬ仇恋に上り詰めてこの通り、夜な夜な替わる大臣(豪遊する客)の中でも坂田の何某とて水揚げの初日(遊女が初めて客に接すること)からふと会い染めて丸三年、何が互いの浮気盛り、上り詰めれば上り詰める程に忉利天(とうりてん、欲界の第二天、須弥山の頂に有り、高さ八万由旬と言う。有頂天になった意)の宙ならぬ、中二階夜昼なしの床入りに、掛け鯛(元日に小鯛を二尾荒縄で結び竈の上に掛ける)様と異名を受け、水も漏らさぬ仲だったのですが、また同じ廓に小田巻と言う大夫、かの男にゆきついて毎日百通二百通、書きも書いたり痴話文は大方馬に七駄半、舟に積んだら千石舟、車に積んだらえいやらさ、木遣りでも音頭でも祈っても呪っても微塵毛も無い二人の仲がいよいよ募って会う程に、小田巻は大に腹を立てて、忘れもしない八月の十八日の雨あがりに、月は山からおぼろ染め、打掛をひらりと取って捨て、白無垢ひとつにひっしごき脛(はぎ)も露わに私が膝にふうわりとんと居かかって、是、八重桐、あんまり見られぬ、いやじゃぞや、さあ、男をたもるか(呉れるか)たもらぬか、いやか、おうか。いやか、二つに一つの返答が聞きたいと胸ずくし(胸倉、胸元)をひっつかむ。 こっちも一期の大事とぞ弱みを見せずに、こりゃ、小田巻とやら、管(くだ)を巻くとやら、光は(威勢、威光)は喰わぬ、出直しや。この広い日本にあの人ならで男はないか、よしないにしても有るにせよ、それ程に床しい男なら何故に先に惚れなんだ。男盗人、いき傾城、といいざまに取って投げつければ明かり障子をぶち破り、つぎ三味線を踏み砕き、縁から下にころころころと這い柏杉(びゃくしん)までこけかかり、木こく南天めっきり、めっきりと切り石の上にま俯け、鼻血は一石六斗三升五合五勺。 そりゃこそ喧嘩が始まったぞ、大事なこっちの大夫様にひけを取らせてはすむまいよ。加勢をやれと言ったほどに、遣り手・曳舟(大夫に従う囲い女郎)・中居、まま焚き・出入りの座頭・あんま取り、神子・山伏に占算、雪駄(せきだ)片足(かたし)に下駄片足、草鞋(わらんず)がけで来るのも有る。 台所から座敷まで、大夫様の仕返しと、あそこでは叩き合い、此処ではぶち合い、踊り合い、茶棚、へっつい煙草盆、当たる物を幸いに打ちめぐ、打ち割る、踏み砕く、めりめり、ひひゃりひしゃりと鳴る音にそりゃ地震よ神鳴りよと、世直し、くわばらくわばらと我先にと逃げ様に、水擔桶(みずたご、みずをくんできた桶)・盥(たらい)にこけかかり、座敷も庭も水だらけに、成るほどに、南無三、つなみが打って来るわいな。悲しや、と喚くやら、秘蔵の子猫を馬ほどな鼠がくわえて駆け出すやら、屋根ではイタチが踊るやら、神武以来の悋気諍い、こことは世上に隠れなく、かの男はその場から親御様の勘当を受けて、わが身も廓を夜抜けして、根本恋路(恋路の大元と言う)の浮き名(艶聞)を取った。 鍋の蓋取る、杓子取る、馴れぬ世帯のその日過ぎ、男め故で御座んする。ああ、あんまり喋って息が切れた。お茶ひとつ下さんせと語りかけた。 姫君を始め腰元衆、さて心中(愛する男に真心を捧げる女)の女郎や、たとえ如何なる身になっても想う男と添うからには面白かろうとの給えば、されば末を聞いて下さんせ。その男の父(てて)親が闇討ちに討たれて敵討たねば叶わぬと、私は縁を切って行方もなく別れて、親の敵を狙うとは跡かたもない赤嘘(真っ赤な嘘)、わが身に秋風が立ちけれども、何を潮に逃れることも出来ずに、親御様が死なんしたのを究竟一(くっきょういち、なによりよい)のかこつけに敵討ちとの口上は釈迦でも一杯参る(一杯食う、まんまと騙される)こと、まんまと私をたばかり女房には紙子を着せて、わが身はちゃんと栄耀らしい若い女中に立ち混じり三味線を弾いて居けつかり、腐り腐るを見るような、日本国の姫御前(ひめごぜ)の因果を一つに固めてもわが身には及ぶまい。初対面の皆様に在りし昔の懺悔咄を致し、お恥ずかしやとばかりにて、おろおろ涙にくれければ、おお、道理、道理、身にかからぬこちとさえ煙とうて堪らぬぞ。 さりながら、構えて短気な心を持ちやんな。まだ咄たいこともある、奥へおぢゃ、こちへ、こちへと人々は皆々、一間に入ったのだ。 跡見送って八重桐、さらば奥に参って憎さも憎し、男の懺悔を言ってしまおうと入ろうとするのを、時行が取って引き戻し、はったとねめ、さすがは流れの女だな、親の敵を討つまでと相対づく(相談して承知しあった上)での離別ではないか。ただ今の詞は誰に向けての当て言、いまだ敵の行方は知れず、心を砕く夫の 躰(てい)、哀れとも思わずにおのれの栄耀に引き当てて、面白そうな仇口(無駄口)。 恨めしやとばかりにて、無念の涙に暮れければ、女房は益々あざわらい、あの、まがまがしい(まざまざしい、本当らしい)顔はどうじゃ、親の敵は何人いるのじゃ。 こなたの妹御糸萩殿とやんらが先月二十三日に佐夜(さや)の中山で討ち給う物部の平太は敵ではないかいな、時行、はっと驚き、何、妹が敵平太を討ったるとは必定(ひつじょう、確か)か。 さ、定か誠か、碓氷(うすい)の荒童と言う人を語らい(味方に頼み)、易々と討って源の頼光様を頼み、駆け込みしとは日本国中に隠れも無い事と言えば、最後まで聞きもあえず、南無三宝、天道にも見放されて弓矢神にも捨てられた。口惜しの運命やとわが身を掴んで泣いている。 女房が側に立ち寄って、是なう、今悔やんで済むことか、忝くも頼光様、妹御を匿いなされた遺恨によって敵の主人・右衛門の督平の正盛は清原の右大将と心を合わせて、頼光様を讒奏し、勅勘の身となり給う。これほどに大きな騒動を今まで知らぬとは狼狽え者の浮き名を、世間にふれようと言う事か。 前後を思案して下さんせ、日頃の心には似ないこと。ええ、おとましい(忌々しい、疎ましい)世に連れて、心までが腐ったかと縋り付いて泣いたので、時行は突っ立って、さては敵ゆえに頼光の御難儀となったるとや。妹に先を越され、親の敵は討たなくとも正盛・右大将は敵の敵である、いで、二人の首を獲って頼光の御恩に報じ、名字の恥をすすがんと躍り出でんとするのを引きとどめて、それ、それ、それ、しれは悉皆気違いか。 討とうとすれば討てるくらいならば頼光様に油断があろうか。彼等は威勢真っ最中、討たれぬ仔細があればこそ日蔭の御身となられたのです。こなたが今駈け出して心安く首を獲ろうなどとは、重ねて恥が掻きたいのですか。こなたが今まで悪戯(浮気)で娘をころりと落とした(靡かせた、口説き落とした)のと、首をころりと落とすのとは雲泥・万里の差がありますよと、恥しめた。 時行ほうど(ぐっと)行き詰まり、あっあ、そうじゃ、誤った。しからばこれより頼光の御行方を尋ねて御家来となり、御威勢を借りて正盛の首を引き抜いてやろう、と駈け出そうとするのを再び引き留めた。 たった今、恥しめた舌も乾かないのに無分別、武勇正しき頼光様、御内には渡邊の源五綱と言う一騎当千の兵(つわもの)、同じく碓氷の荒童、鬼も欺く(鬼と見違える)その中に、生温い(意気地のない、柔弱な)形(なり)をして、妹に先(せん)を越され敵を討たなかった無念さ故に、御奉公致したいと言えるものですか。それともそれでも仰いますか。 御取り上げが無い時にはすごすごとは戻られまい。棒を頂いて(棒でぶたれて)戻るよりも行かない方が遥かにまし。どうぞ分別はないかいの。ええ、情けないお人やと、突き倒してぞ泣いている。 時行は道理に攻められて行きつ戻りつ、歯噛みをなして、拳を握り、立っていたが、もうこの上の分別なしと皮籠(かわご)の中から氷のようなる鎧通し(短刀、敵と組んだ時に刺す為の物。多くは九寸五分、無反り)を押っ取り腹にぐっと突き立てて、背骨にかけて引き廻した。 女房、これは狂気かと縋がり付けば、あっ、あっ、音が高い、音高し。男が今の悪言は伍子胥(ごししょ)が呉王を諫めたる金言よりも猶重い。恐らくこの一念項羽・紀信の勇気にも劣るまいとは思うのだが、時来たらねば力なし。これまでまだまだ(ぐずぐずと、のんべんだらりと)長らえ、臆病者、腰抜けと指を指されるのは無念の上の無念である。 我が死んでから三日の内に御身の胎内に苦しみがあれば、我が魂が宿ったと心得て十月を待って誕生せよ。神變希代(しんぺんきたい)の勇力の男子となって、今一度人界に生まれ出て、正盛・右大将を亡ぼすであろう。 お事が身も今日より常の女と事代わり、飛行通力あるべきぞ。深山幽谷を住処として生まれる子を養育せよ。さらば、さらば、と声と共に劔を抜けば紅の血は夕立と争うが如し。最後の念ぞ凄まじい。 あら、不思議や、切り口より炎のまろかせ(かたまり)が女房の口に入れば、うんとばかりにそのまま息が絶えてしまった。 かかる所に若侍五六十、無二無三に群がって、屋形の四方を押っ取り巻、やあ、やあ、兼冬、右大将高藤公より汝が姫を召されたのだが、頼光と縁組とて承引なき条、憚り千万。それによって姫を引っ立て来たるべしとの御使い、乱れ入って奪い取れとおめき叫ぶその声に、兼冬公驚き給い、やあ、主ある娘を奪わんとは人畜類(人の姿をした畜生)の右大将、返答するには及ばない。あれ、追い散らせとの給えども、言うに甲斐の無い公家侍、防ぐ方法も無いと見えたる所に、伏したる女がむっくと起き、表に立ったる奴ばらを取っては投げ、取っては投げ、姫君のおわします御簾を囲って立った姿は、さながら鬼女の如くである。 正盛の家の子、太田の太郎、数にも足らぬ下衆女だ、何事をかしいださん。あれ、引き出せと下知すれば、何、某を女とな、おお、女とも言え男なりけり。胎内に夫の魂が宿り、木の梅と桜の花心、妻となり子と生まれ、思う敵を討つそれではないが、空蝉の体は流れの大夫職、一念は坂田の蔵人時行。そのしるし、是見よと二抱え程の椋(むく)の木を片手もじりに、えい、やっと捩折って寄り来る奴原、はら、はら、はら、はらり、はらりと薙ぎ立てたのは人間業とも思えない。 この勢いに恐れをなし、返し合わせる者もなく、皆ちりじりに失せにけり。 おお、さも、そうずさもあらん、我が魂は玉の緒の御命、恙無く行く末待たせましませと姫君に一礼して、今よりは我いづくをそこと知らず、白妙の三十二相(あらゆる美しさを備えた顔)のかんばせも、怒れる眼(まなこ)物凄く、島田がほどけて逆様に忽ち夜叉の鬼瓦、唐門(からもん)、四つ足門、塀も築地も跳てね越え飛び越え、飛び越え跳ね越え雲を分けて、行方も知らずなりにけり。
2025年07月30日
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さあ、しおおせた、立ち退かん。と、甲斐甲斐しくも首を引っ提げて、女を小脇にしっかりと抱いて、一散にこそ落ち失せにけり。 右大将の侍共、こは何事ぞと走り出て、南無三宝、平太は討たれ候ぞ。と呼ばわる声に高頭が駆け出て来て地団太を踏み、ええ、口惜しや、無念やな、正盛に向かって言葉がない。よし地をくぐり、雲に入るとも高藤が威勢にて絡めとらずにおくべきか。追っかけて打ち獲れ者共と、怒れる声は松吹く嵐、月日にまがう目のさやの小夜(さや)の中山を手分けをして、上を下へとかえしたのだ。 二人はようよう宿外れまで走りつき、振り返れば追っ手の提灯が八方を取り巻いて、逃げようもないのだった。 ええ、残念至極だ、なまなか追っ手に討たれるよりは御身を害して腹切らんとは思えども、敵に首を取り返され、我等の首さえ渡してしまうのはかばねの上(死後)の無念である。 誰の泊まりかは知らないが、此処を頼んで差し違え、死骸を隠してもらおうと砕けるばかりに門の戸を叩き、卒爾ながら我々は親の敵をうって立ち退く折から、追手が厳しく候えば何方かは存ぜねどもお庭を借り切腹仕りたく候。御恵み頼み奉ると大声をあげてぞ申しける。 所こそあれ頼光の泊まりの宿、渡邊は聞くより早く飛んで出て、實否(じっぷ)は知らねど敵討ちとは心地よしと、手づから門を押し開き、さあ、匿った、お入りやれ。摂津の守頼光の宿所、かく言うは渡邊源五綱、日本国がきおい立っても蚊の食うほどにも思わばこそ、ゆっくりと休息あれと、もとの貫の木をしっと(ぴったりと)下し、御前に伴い行ったのだ。 頼光は対面ましまし、彼等は夫婦か兄弟か、家名實名(けみょうじつみょう)敵討ちの首尾を具に聞こうと宣えば、さん候(そのことですが)、某は信濃(しなの)国碓氷(うすい)の庄司が倅で幼名は荒童丸、父没してみなし子となり當所に賤しきげす奉公、この女と朋輩の誼(よしみ)に承れば、この女の父坂田の前司と申せし者、平の正盛の家人、物部の平太に討たれて共に天を頂かぬ恨みを一太刀報ぜんと狙えども、一人の兄は行方知れず、女の力に叶い難き物語を見捨ておけずに、今宵清原の右大将の泊まりで敵を見出し思いの儘に討ち取り、首を持参仕って御座る。 打ち物はこの太刀、この女が重代、智慧文殊と伝て来た、平泉の文殊宝壽が千日潔斎して打ったる利剣のしるし、片手殴りのひと打ちで御覧候え、この大首、女が持ったる髭ひと房、両股、両膝ただ一刀に大の男、七つに切ったる業物、今宵の御情けを謝せんが為、この女が献上、御佩き替えとも思しめさば生前(しょうぜん)の悦び、猶御芳志には死骸を隠し給われ。 さあ、今生に思い置くことはなし、いざ来い、刺し違えようとつっと寄る。 やれ、渡邊、あれを止めよ。と、押し分けさせて、太刀を抜いて御覧あれば、明々として芙蓉が開いたる如くで、焼き刃は星をつらねたる如くに光は波が涌く如し。 唐土、晋の武帝が天下を治めて呉国の方に紫の雲気が立つのを怪しんだのだが、雷換(らいかん)と言う者が天文を考えて土中を掘って干将莫邪(かんしょうばくや)の二剱を得たり。 しかるにこの宿に当たって紫の雲気が棚引いたことは遠く異国の昔を思い、必ず名剣あるべしと鷹野の事寄せて一宿したが、今宵この太刀を手に入れたることは源家の武功が天に叶いしその威徳、首を打つあまりの切っ先が風にも散る髭を斬り、両膝かけて落ちたる事日本無双の名剣である。名は躰をあらわせば即ち髭切膝丸と名付けるとしようか。と言い、謹んで頂戴したのだった。御子孫に長く伝わった和国の宝となったのだ。 さて、その女に兄もあったとか、後から故郷へ送ってやろう。荒童には我が頼光の光を譲って、碓氷の定光(さだみつ)と名乗って奉公せよ。との御諚の趣、二人はあっとと頭を下げ、喜んで涙を流したのだ。 かかる所に平の正盛が大勢を引き率っして、門を叩いて、やあやあ、頼光、忝くも右大将殿の御前近く人を殺めた者を引き込み、天子同然の右大将をかろしめるのは朝敵にも勝ったるぞ。 女童(わっぱ)に縄をかけ、頼光・渡邊主従共に切腹せよ。異議に及ばばふんごんで片端にふみ殺さんと、傍若無人に罵ったのだ。 渡邊はくっくと噴き出して、やい、天子同然とは誰がことだ。おのれらは腕はかなわず、手は立たず、口ばっかりは人らしく官位を以ての脅かしは、喰わぬ、喰わぬ、さりながらぎしみ(互いに詰め寄り)合うのも大人げなし。さあ、渡す、請け取るならば取って見よと、門の戸をさっと押し開き、すっくと立ったるその勢いに正盛主従は色をなして、膝わなわなとなったのだ。 荒童が続いて飛んで出て、これ、旦那、宵までは旅籠屋のげす喜之助、今は頼光の御家人・碓氷の定光渡せよ出だせよと言わずとも、幸いに此処も旅籠屋である。此処へ来て絡めとれ。 さあ、入らんせ、泊まらんせ。泊まりじゃないかえ、旅籠の料理は御望み次第、頭から爪先まできざんできざんで、ざくざく汁、真っ二つに胴切りの血なまぐさい焼物、冥途の道は相宿はなしだ。焦熱地獄のすゐ風呂も沸いて御座んす。ざっと行水・阿鼻地獄、泊まらんせ泊まらんせ。泊まりじゃないのかと招いたのだ。 右大将の高藤が遅ればせに駈け来たり、やあ、臆したのか正盛、頼光・渡邊なればとて鬼神にてもあらばこそ、後ろ詰は高藤だ、と言うと正盛はいきりだして、乗り込んで踏みつぶせ、承ると切って入る。 源氏方でもあまさじと、両勢がどっと入り乱れて火水に成れぞ戦いける。 頼光は忍びの旅小勢の供人が大半討たれ、定光・渡邊ただ二人攻め来る敵の真向腕骨、胴切り縦割り、車切り、なで斬り撫でたてながら、追いまくる。 さしもの大勢、しどろになって見えたのだが、近郷の農人・浪人、右大将が威勢に組して、我も我もと入れ替え入れ替え、射る矢は雨の如くである。 定光も渡邊も心はやたけに逸れども飛び道具を防ぎかねて、何と定光、もしわが君にかすり矢でも当たっては末代の瑕瑾、一先ずは落とし奉らんとあなたこなたと見廻れども、皆高塀に廻りは掘り、裏門は固く閉ざしている。 やあ、この門一つを押し破るのは安いけれども、後から寄せ手が込み入るのも喧しし、上へそっと持ち上げて蹴込みの下から落とし申さん。尤もと、棟門高い瓦ぶき、尺にあまりし四角柱、二本を二人が面々にひっ抱えて、やあ、えいやうんと差し上げれば、さしもの大門は礎石を離れ、天から吊ったる如くである。 頼光も笑わせ給い、門を守る金剛力士二王を持ったれば、我が行く先は関もなし、女は兄の行方を尋ね、兄弟打ち連れて来たれ。一足も早く落ちよ。我は美濃路を登るべし。汝らもあらましに切り散らして追いつけと悠々として退き給う御有様ぞ不敵なる。 その隙に、寄せ手の軍兵(ぐんぴょう)あますまじと込みいったり。 両人、今は心安く、雑人ばら一人づつ切っては手間遠、はかいかず、後日にこの門を立て直してやるばかりと門柱を引き離し、手に手に引っ提げて大勢を左右に受け、醉象が岩を割り、飛龍が波を叩くごとくに、はらりはらりと薙ぎ立てた。 人も馬もたからばこそ、さしもの大勢打ちひしがれて、高藤・正盛は力なく、跡をも見ずして逃げ去れば、おお、面白し、心地よし。君に追っつき奉らん、とうとう急げ、どう、どう、どう、と踏んだ海道も武勇の道も一筋に、古参の渡邊、新参の碓氷の定光の奉公始め、門に手柄をあらわして二王二天に四天王が出でるべきしるしと聞こえたのだ。 第 二 松浦潟、ひれ振る山の石よりも、つもる思いは猶重い、岩倉の大納言、兼冬公、の御娘・澤瀉(おもだか)姫と申せしは源の頼光と御縁篇(ごえんぺん)の契約を互いに持てば久方の月日が重なり年も立ち、情の盛りもいたづらに右大将の讒言故に、頼光は行き方もなく御文の音づれさえもなく、枯野に弱る秋の虫、世に便り無き憂き節に、もし御短慮のこともやと、御寝間の奉行、寝ずの番、女中の外には男をまぜずの大役は女護が嶋に事ならず。 お局の藤浪はお側に立ち寄り、なう、ここなお子、何故にうきうきなされませぬ、これ程大勢が集まって浮世話の高笑いも皆、お前をいさめの為、お煩いでも出た時には、親御様への御不孝、日頃のお気に似合いませぬ。と、いさめられても勇まぬ顔、ああ、又局の気づまりな。異見は聞きたくもない。 日本国の花紅葉を今この庭に移しても、どうして心が勇もうか。吉日が決まり頼光様に嫁入りして、今頃はお中に帯をも結ぶはず。それを、あの右大将づらめに妨げられて、あまつさえお行き方が知れず。何処を当て度に一筆の問わせの文も無し、長枕、この長夜を誰と寝よか、おりゃ、泣くまいと思えども、涙がどうも堪忍しない。堪えてたもとはらはらと玉を貫く御目もと、腰元・茶の間・中居までお道理やと諸共に貰い涙にくれたのだ。 お局は気の毒がり、ああ、何ぞいの、お力はつけもしないで、そなた衆までめろめろと忌々しい、置いてたも。 やあ、それはそうと煙草売りの源七はまで見えぬか。気さく者の通り者(気さくで世情に通じている者)、今にも来たら御姫様をまじくらに向かい鬼(鬼ごっこ遊びの一種)をして遊びたい。 こりゃ、気の変わった思い付き、早く煙草が来たれかし。煙草たばこと待つ宵の松葉煙草ひかずと 昔は色に上り詰め、今は浮世に下がり坂田の時行と埋もれし名も父のあた、晴らさんと思う志、飽かぬ夫婦の仲をさえ三下り半の生き別れ、袖は涙の川ならぬ、皮骨柳(かわごり、煙草が湿らないように皮を張った行李)を今は見過ぎとひっかたげ、刻み煙草に油を引かずと売り歩く。 そりゃ、煙草が来たわと腰元衆が呼び入れて、これ、源七、まずこの皮籠(ご)は預かる。尻からげも降ろしなさいよ。御姫様より御意がある。 そなたも以前は悪性故にし損ない、そのなりになったげな。傾城とやら廓とやら大内(ここは禁裏ではなくて貴族の邸宅)には珍らしい三味線の一曲を常々御望みであるから、三味線も整え置いた、さあさあ、所望とありければ、ああ、恙もなし、尤も以前は傾城の一つ買いも仕り、三味線・鼓弓・浄瑠璃・文作(即興で滑稽な文を作ること)のら一巻の諸芸なら、こっちに任せて奥座敷に、吉野の山の連れ引きも、昨日の昔今日は又、吉野煙草の刻み売り、股引がけで三味線とは、茶漬けにひしこの御望み、平、皿、御免と逃げ出るのを女房達が引き止めて、その言いようがもう面白い。
2025年07月25日
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女偏に區(こもち) 山 姥(やまうば) 漢に三尺(さんせき)の斬蛇があり、四百年の基を起こす。秦に大阿工市あって、六国を合わす。 古の君子、是を以てみずから守るとする。子路(しろ)が謳った剣の舞、返す袂も面白き。 我が神国の天の村雲、百王護国のお守り、野辺に伏す民こそ目出たけれ。されば今上天暦(てんりゃく)の帝が御代しろしめす慈しみ、波静かなる遠江、枝を鳴らさぬ時津風、、浜松の宿の辺に当たって空に紫の雲気が漂い、斗牛の間に英々(雲が軽く明るい様)たり。 ここに清和天皇の正統、摂津の守源の頼光十八歳、かくと伝え聞き給い、寄せて寄せてもろこし)の張華が名剣を得たるためし、疑いもなくこの辺に天下の重宝となるべき名剣が埋もれてあるに相違ない。尋ね求めて父満仲(まんじゅう)の武功を継ぎ、源氏の子孫に伝えんと、同年の若者渡邊の源五綱に御心を合わせ、近隣の宿々(しゅくじゅく)二夜三夜、泊まり、鷹野にことよせて在り処を尋ねる名剣の鞘ではなが、小夜の中山(今の静岡県掛川市内)にお宿を召されたのだ。 その頃、胤子女院の御弟、清原の右大将高藤と言ってわずかの(詰まらぬ)儒家に生まれながら當今(とうぎん、今の天皇)の御外戚。姉女院の威勢をかって中納言の右大将に経上がり、栄耀奢り、身に余り、諸国の名所を遊覧して、今宵はこの宿にお泊りと宿割りの侍がひじを張って、むらむらと立ちかかり、やあやあ、当宿にこの家でなくては御本陣になりそうな家はない。先立っての宿札は何者ぞ。幕も札もはやはや捲れと呼ばわった。 亭主は驚いて、これこれ、粗忽なされるな、忝くも摂津の守頼光、源氏の大将の御宿札と制したのだが、何の頼光、源氏でも毛虫でも清原の右大将殿の威勢にはかなうまじ。のじばらば(のさばれば)幕を引きちぎって宿札を打ち割り、引きずり出せと罵りけり。 渡辺の綱は聞きもあえず、何の条、先(せん)に打ったる宿札。指でもささば踏み殺そう。と、躍り出ようとするのを頼光がしばしと押しとどめなされて、同じ武家にもあらばこそ、長袖(公家)に勝っても誉にはならない。殊に彼は右大将、女院の弟、朝家に敵するなどと讒(ざん)せられては不覚である。 ひそかにこの宿を立ち出でて、宿外れに一宿しようぞ。汝は残って穏便に明け渡すべしと、手廻り少々御供にて裏の小道の松蔭より、山路に沿って出で給う。 時刻が移ると頼光の関札を引き抜いて、清原の右大将御泊まりと高々と押し立てて、ひんならべて右衛門の督、平の正盛同じく泊まりと、関札を二本並べて立てたのだった。 渡邊は今はたまりかねて、躍り出て、下人ばらを取って突きのけ、大音を挙げて、清原の右大将は右衛門の督正盛と名を二つ付けられたのか。先に打ったる宿札を変える法はないのだが、主君の頼光は若輩ではあるが御思案が深く、奢り者の右大将と張り合い後日の讒を受けん事を犬に嚙まれるのも同然と、大人しく宿を代えられたのだが、定めてこれは平家の大将正盛な。彼と相宿なされるからは頼光も相宿と、正盛の札を取って引き抜き、叩き割ろうとしたところに平の正盛、怒れる顔にてはったと睨み、やあ、おのれは頼光が下人綱と言うわっぱよな。この度、右大将殿の東の名所の遊覧に御同道致し申すからには相宿の関札を誰に憚ることがあろうか。 主従ともにあくちも切れぬ(あくちは子供の口辺に出来る腫物で、年少者に対する軽蔑語)小倅共め、元の如くに札を立て直せ。但し、割るならば割って見よ、と刀の柄に手を掛けた。 渡邊はにっこと笑い、おお、源氏の習い御辺の様なる相手は大人が手を出すまでもなく、前髪だちの子供の受け取り(引き受ける物、分担)、主人の頼光に宿を空けさせ右大将の威を借りて御辺はぬっくりとまらんと(平気で、厚かましく)や、暖かな事(いい気な事)だ。 右大将一家の外をふんごんだならば空脛(からすね)ながん(なぎ払おう、横に払おう)と関札を微塵に踏み砕いて仁王立ちに立ったのは、金輪際から忽ちに生え抜いたる如くであるよ。 正盛はそぞろ恐ろしく、身は震えるのだが押し静めて、おのれ生かしておけぬ奴ではあるが高官との御同道である、騒動も恐れある。ここは某(それがし)大人しく、宿外れに別宿する。よっく性根に覚えておけ。と、おめぬ(気遅れしない、臆しない)顔で立ち帰ったので、渡邊は見向きもしないで、右大将が宿入りの中を押し割ってのさのさと、はがいのしたる夕烏、右大将の行列の中を突っ切ってのさばりかえって、羽を伸ばした夕方の烏よろしくゆうゆうと帰ったのだ。 泊まりじゃないか、旅籠屋の門賑わ敷く、暮れかかる上り、下りの旅人の、粋と野暮とに擦れて揉まれて友連れの、招く薄もおじゃれ、おじゃれが恋を呼ぶ。炭 仮の契りも末かけて、そなたは百きり、おりゃ九十でも心次第のござ枕、笠も預かる、股引洗う、洗足の湯と膳立てとぐゎった(騒がしい形容)菱屋の門構え、本陣宿の忙しさ。 あまたの出女、下男(しもおとこ)中に若葉の喜之介が、跡の月から角前髪(元服前の少年の髪型で、額の両の角を剃ったもの)、土けも取れて顔の色、白瓜なます、夕飯の拵えを急ぐ薄刃の音、ちょっき、ちょっき、ちょっきちょっき、ちょっきと切り盤(俎板)百人前を夢の間に、仕立て済まして息休め、煙草をくわえて立っている。 下女の小糸が忙し気に、これ、野良松、暇の無い旅籠屋奉公、殊に今日は清原様とやら、麦わら様とやら、お公家様の大客、上つ方は物静かで、御料簡もあるべきが、下女の習いで口悪く、膳が遅いの何のとて煩く言わせて下んすなよ。 何故にきりきりと働かぬ、煙管はわしが預かると、ひったくれば喜之助、ええ、小喧しい、男の仕事がもどかしいらしいが、これ、料理したり水汲んだり、椀をふいたり門掃いたり、打ったり舞ったり、このて一つで百足(むかで)の代わりも仕る。 貴様の様に毎夜、毎夜、旅人を閨に引き入れ、煮焼きもせぬ加減のよい美味い手料理を振舞って、うめく程に銭を儲けて、ゆるりと朝寝めさるると、われらが仕事は格別で、貯めた銭ざし抜いたり、差したりしないだろう。そうであれば、おお、嘘ではないと笑うのだ。 むむ、これは聞きどころ、何じゃ、毎夜帯解き勤めするとの言い分か、これ、そんな小糸じゃないよ。朋輩衆は面々に勤め次第に銭金をためて親里に貢ぎ、身には一重(絹のかたびら)も飾るけれども、わしはこなたを思い染めて、面倒を見よう見られようと、頼もしずくの言い交わし、もし末の縁が有って一緒にも暮らせたならと、随分と身をたしなみ、旅人の酒の挨拶、肴には小唄を歌い、わずかの銭を頂く時には涙がこぼれて口惜しいが、若いこなたが奉公の身で義理順義もあるものと一銭も身につけずに、みんなこなたに渡すぞや。 一言、可愛いと言って言ったとしても罪にはなるまい。ほんに思う程にもない男と、首筋に歯型を付けたのも恋の極印(確かなる印)である。 喜之助はほろりと涙ぐみ、おお、謝った、こらやこらや、さあ、わっさりと仲直り、機嫌を直して盃事、幸い肴はこの膾(なます)、まずは祝、言の心持ち、そんなら祝って女房から、わしが手酌で是さした、我等は得物のこの茶碗、吸い物は煮売りの豆腐、目出度く謳おう。を 寂光の豆腐、茶碗酒のたしなみも、かくやと思うばかりの膾かな。あいよ、すけよと、夕紅の前垂れ膝に凭れかかって可愛い奴だと戯れる。 かかる所に、右衛門の督平の正盛、参上と案内すれば、喜之助と小糸は口上の趣かくと奥にぞ取次ける。 清原の右大将が出で向い、やあ、正盛、ちこう、ちこう、と対座に請じて、さても御辺と某は昨日までは泊まり泊まりは同宿で名所古跡の物語、旅宿の徒然を忘れられたのに、今宵は頼光めに邪魔されて、思わぬ別宿、明日の泊まりを待ちかねる。今宵の寂しさを推量あれと有りければ、正盛は謹んで御懇意の余りで申し上げたき仔細が候。その故は某が家来、物部(ものんべ)の平太と申す者が先年坂田の前司忠時と申す浪人侍と口論して、かの坂田を討ちは討って候えども、彼には男女の子供が有り、親の敵と狙い、もしも平太を討たせては某は武道が立ち申さない。一寸も側を離れさせずに旅の末まで(辺地の旅)召し連れて、幸い君と御同宿御威勢を以て、昨夜まで心安く臥したるに、今宵野外れの別宿で平太めに過ちも候いては弓矢の不覚、哀れかの者御次に一宿させて下されるならば生々世々(しょうじょうよよ)の御厚恩と、。言いも切らぬに右大将、おお、何より以って安い事、その者をこれへと言う間に、駕籠を内へ舁き据えさ、せて六尺豊かな大男で日影を見ぬ目の色青く、月代が伸びて髭長く、野辺の薄に異ならない。 右大将は近くに招き、物部の平太とは和主よな。敵持ちの用心尤もながらこの高頭が匿ったぞ。某が威勢の程人間は愚か、鬼神であっても某の側近くで狼藉致し、指でも指すならば、天子に弓を引く朝敵と同然、身を知らなぬ者があるだろうか。何の用心、月代を剃らせて梳り、世間を広くのさばれよ。高頭がこう言うからは樊噲(はんかい)張良(ちょうりょう)に抱かれてあると思うべし。と、過言上なく罵れば正盛は悦びあり難し、有り難し、いよいよ頼み参らせ奉る。 明朝御見舞い申し上げる、と一礼してから帰ったのだ。 喜之助と小糸は襖の陰で後先をとっくと聞き届け、あれあれ、父(とっ)様を討った平太めに極まった。日頃頼みし契約は今宵ぞや、女の腕で仕損じるのは必定である。必ず跡を頼みます、と小褄を引き上げて身繕う。喜之助が押さえて、せくまい、せくまい、其方に兄御も有る気な、その兄が出合わずして女の仕損じは恥辱であると、荒ごなしをしてやろうと止めを刺せば、自分で討ったのも同然と、躍り出づれば、ああ、忝い、とてものことに父様の譲りの銘の物(刀鍛冶の名が刻んである確かな剱)、常に人が気が付かない思いがけない所に取っておいたと一間床の板畳を引き上げれば、一腰の金造り、人こそ知らね紫の虹が立ち上る名剣と後にぞ知られける。 喜之助が鞘口を抜いて見れば、氷の焼刃、玉散るばかり(澄んだ光を放つさま)。さあ、本望は遂げたも同じだ。必ず急くまい、急くまいと言うのも関路の朝烏、飛び立つ心ぞ道理であるよ。 それそれ奥から行燈を提げて誰やら来るぞ。怪しまれるなと目はじきしてちゃっと忍べば小糸はそらさない顔、鼻歌で座敷を取りおく玉箒、紙くずを拾っているのだった。 敵の平太は燭をそむけてこりゃ女、物を頼もう。明日の御立は明け六つ(午前六時頃)、その時刻に合うように月代を一つ頼みたい。上手な髪結いはいないだろうか。 ああ、ああ、お安い事、どりゃ呼んであげましょう。と立とうとするといやいや少し様子があって男はならぬ。女の髪結いは 有るまいかと、言えばはっと心づき、なうなう、お前はお幸せ私は自体町代(名主の下の町役人)の娘で髪月代一通りは小額・眉際・中剃り・逆剃り・ことそげ剃り、御顔はたった一剃刀にごし、ごし、ごし、唇なりと鼻なりと、御首なりともころりっと剃り落して差し上げまする。 ああ、忌々しい、気味悪い、仇口言わずに早く剃れと、剃刀を取り出して髪おっさばき、縁先の水桶に頭を浸して揉む、紅葉葉の焦がれる小糸の心の内、喜之助は襖の陰で今や出でん、今や出でんと互いに目配せして気を通わせて、これこれつむりがまだ揉めぬぞ、こう剃り掛かって気を急くことはちっともないぞ。揉めぬうちに剃り掛かれば剃刀が外れると、言えども更に気もつかづに消える命は塵取りに落ちる雫の儚さよ。 さあ、今が大事なぼんの窪、俯かせんと髪を撫で上げれば、喜之助は襖をそっと締、め開けに(音がしないように押さえて開ける事)後ろに立っても親の敵、声を掛けないのは口惜しと躊躇う色を女は、悟って、申し旦那様、お前は強そうな御侍、定めし人を斬ろうとしたこともありましょうな。 おお、斬ったとも、斬ったとも、おお、その切った坂田の娘の糸萩、親の敵と言うより早く、喜之助が抜き打ちに首に続けて髭一房、両ひざにかけて一太刀に水を切ったる如くである。
2025年07月23日
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絵は残るとも、我は残らぬ身、と聞けば愛しさや、そこそは我が夫(つま)が涙に暮れて筆を捨て、松のしずくは袖に、満つ潮の、新宮の宮居は神々しくて、出島に寄せる磯の波、岸打つ波は補陀落や那智は千年、観世音、いにしえ花山の法皇が后との別れを恋慕い、十善の御身を捨てて、高野・西国・熊野へ三度詣で、後生(ごしょう)前生(ぜんしょう)の宿願をかけて発心門に入る人は、神や受けるらん御本社の證誠殿(しょうじょうでん)の階(きざはし)を降りて下りて、待ち受け悦び給うとかや。 我は如何なる罪業の、その因縁の十二社をめぐる輪廻を離れないので、疑い深い音無川の流れの罪をかけてみる、業の測りの錘(おもり)には、それさえ軽い盤石の岩田川にぞ着きにける。 垂迹和光(すいじゃくわこう、仏・菩薩がかりに神として現れ、その光を和らげて俗塵に混じる事)の方便であろうか名所、旧跡、宮立ちまで現れ動き見えければ、元信信心肝にそみ、我が描く筆とも思われず、目をふさぎ、南無日本第一霊験、三所権現と伏し拝み、頭(こうべ)をあげて目を開けば、南無三宝、先に立ちたる我妻は真っ逆さまに天を踏んで、両手を運んで歩み行く。 はっと驚き、これ、なう、浅ましの姿やな。誠や、人の物語、死したる人の熊野詣では或いは逆様、後ろ向き、生きたる人には変わると聞く。立ち居につけて宵より心に懸かることがあったが、さてはそなたは死んだかとこぼし染めたる涙より、尽きぬ歎きと成りにけり。 恥ずかしや、心には陸地を歩むと思えども逆様に見えるかや、四十九日のそのうちは娑婆の縁にむすぼほれ姿を見せて契りし物を。妹背の中に怖げだち愛想も尽きてしまえばどうしようか、変わらぬ姿の慎ましや。逢見る事も此れ限りと泣く声ばかり身をしぼる。 涙の霧や恋慕の霞、冥々、朦々朧々として見えつ隠れつ燭(ともしび)の油煙に紛れて消えてしまった。 元信は五体をかっぱと投げ、よし雨露に朽ち果てた骸骨であっても抱き留め、肌身に添えん夫婦の友、何に怖げのあるべきぞ、現世(げんぜ)の逢瀬が叶わないならば刃に死してこの世去り、極楽諸天はおろかなことたとえ地獄の底であっても、誘え、伴え、連れ立てと座敷の隈ぐま、屏風をおしのけ、障子を開いて、やれ、遠山はいずくにいる。みやはいづくだ、我が妻と、開ける妻戸に遣り手の形、現れて見えたのだ。まことに哀れ至極ではないか。 何時、習わしの世渡りや、阿波の鳴門は越えるとも、この浮舟の憂き流れ、何と遣り手の身ぞ辛き。間夫(内密の愛人)の忍び路を邪魔する関となり、文の通いの逆茂木に、人の思いは戒めながら、わが身は包む恋衣、赤前垂れの火焔に焦がれ、三途八難の悪趣に堕す。苦しみの涙は目を晦まし、生死(しょうじ)をわかぬ迷いの雲、諸所に名を変えて数々色を飾った報い、体一つが五つに分かれ五輪(地水火風空)五行(木火土金水)の苦を受ける。如何なる世にか免れるだろうかと叫びわななく袂の蔭、艶色も貴(あて)である二人の遊女が左右に分かれて見えたのだ。 これこそは、そのはじめ白紛紅花に装った、後世の道には遠山が仇の情けの釣り針に、人を釣るそれではないが、敦賀の浮き姿、松と言われた松が枝(え)は四大のもとの木に帰るのだ。次は三国へ買い流されて姉女郎や朋輩に売り負けまいぞ勝山と、名を変え風を変えたのも、恋に我を張る我慢の山、麓の塵のちりひぢの土にかえすをご覧是と、言うそれではないが、夕月が出る毎に後ろに高く現れたのは、流れ漂う川竹の伏見に来ての浅香山、さすがに所も極楽を願えと告げる撞木町、安養世界(極楽の一つが転じて遊里)の夜店には灯すべき燭もなくて、吹き消す風も吹かずに、一心の火をもとの火に返す間の蔭ぞかし。 前に立った花すすき、ほのぼの見えし幻は、木辻の町の三つ山と呼ばれ時の面影が今は名のみに、奈良坂や、この手かの手の枕の酒、みぞれあられと隔てるのだが解ければ同じかすり井の、水を仮なる戯れもついに迷いの井堰(いせき)にからみ、木は執心の斧に砕かれ、土は逢う夜の壁と隔たり、火はまた三世の縁を焼く。 四大の四苦をこの身ひとつに重ね、重ねて空より出でて空に入る。報いも罪も色も情も、迷うのも悟るのも待つ夜の鐘も、別れの鳥の声々までも地水火風の五つの玉の緒、ただ一筋に結び合った姿であるぞや。 なう、なう、惜しみてもなお惜しまるる、名残も縁も遂に行く道ならばいざ、伴わん、とは思えども夫の命長かれと、祈る心も様々に、みな妄執の仇夢とさめざめ脆い涙の露の、玉の台の床の内、連理の蓮(はちす)かたしきて長き契りを待つぞや待たん。しるしはこれ、この、一見卒塔婆永離三悪道、南無や三熊野本地の三尊、迎え給えや道引き給えと、唱える声は伏せ屋に残って形は見えずに消えてしまった。 元信は抱き留めんと縋り付いたが影もなくて、うんとのっけに目くるめき、忽ち息が切れて絶え入ったのを名古屋揚屋門弟等が驚き騒ぎ、薬を様々に呼び助けて、ようやく一間に休ませたのだ。 夜もほのぼのと明け行く。その頃、官領の雑式、不破の道犬・長谷部の雲谷が誘引して伴左衛門の酒漬けの死骸を担がせてどやどやと乱れ入って、この所に名古屋山三春平はおるか。官領よりの御下知があって、対面致すと呼ばわったのだ。 名古屋は遅遅せず、出で向かえば雑式鉄鞭(かなぶち)引き鳴らし、不破の伴左衛門を御手前が手にかけしこと紛れも無き上、父道犬の願いによって吟味をとげらるる所、盗賊の罪逃れ難く、曲事(処罰)に行われる條召し取り来たれとの御諚、尋常に縄をかけられよと仰せける。 名古屋は少しも騒がずに懐中よりくつわの手形(葛城の身請けの証文)と数通の手紙を取り出して、かような愚蒙の返答は申すのも似合わぬものながら、片口(一方だけの)の御裁断いかにしても軽ろ軽ろし、これ、この手形を御覧ぜよ、葛城ことは三月二日に親方が暇を取り、拙者が本妻借宅を見立ての間、揚屋に預けおいた所、伴左衛門は数通の艶書、かくの通りに不義者の女敵なり。 この方より願いを出し、親の道犬をも罪科に沈めんと存ぜし折に、却ってわれらを召し取れとは定めてそれは各々の聞き違い。それなる道犬か雲谷のかな御座ろう。逃げも走りも致さぬ男です、聞き直してお出でなされよと大様にこそ答えたのだ。 道犬は、つっと出汚い、出汚い、こりゃ山三、倅伴左衛門は葛城を請け出す手附として金子五百両を懐中していた。女敵討ちは聞こえたが何故金子を盗んだのか。総じて盗みと言う物も、盗むときはうまいこと、顕れた時は辛く、苦いじゃげな。 さあ、何と逃れる所は有るまいと、証拠のない言い分ながら名古屋も相手は死人である。何をしるしの言い訳だと苦々しくぞ見えたのだ。 四郎二郎はかくと聞くより飛んで出て、いやいや、とこうの評議は御無用、盗人ならば盗人、切り取りならば切り取り、咎人は狩野の元信、縄は百筋千筋でもおかけなされよ。と、大小を抜いて投げ出さんとする所を、名古屋は押さえて、しばらくしばらく、御心底は忝い、去りながら、それまでに及ばぬこと、平に平にと押しとどめ、是、道犬、某盗人ではない、申し譯が立つならおのれまた侍に、盗人と言いかけしたその咎は何とする。 時に雲谷が進み出て、いやさ、山三、盗人でない言い訳が立てば、命が助かる、その方が仕合せよ。道犬公は一子を殺され、金子を取られ、何の誤りあるべきと、言わせも果てずうぬらが存ずる詮議にあらず、お屋形にては一つ間にさえ入れざりしを忘れたか雲谷、この穿鑿が相済んで、うぬも逃がさない。用心せよと睨みつければ道犬、山三、山三、脇道へは逸らすまい。五百両の金子を身に着けた伴左衛門は切りは切ったが金は知らぬと、言うとしても言わしはしないぞ。盗人でないならば言い訳せよと詰め掛けた。 おお、言い訳はして見せよう。その跡は合点かと、いや先ず、言い訳から聞こう。とせりあえば、雑式は、これこれ、名古屋、問答までもなし、その為の我々、人にこそよれ、両方共に弓馬の身がら、盗賊と言いかけ分明(ぶんみょう)ならぬ訴訟、かつは上(かみ)をかすめる落ち度、言い訳が立つならば道犬は存分に計らうべし。又、盗賊と決まったならば下知の如く、御手前に縄をかけ申すと理非を明らかに述べられた。 名古屋、勇んで罷り出て、名古屋山三春平は外のことは不調法、傾城の買い様と人を斬る様は大名人、恐らく宗匠ごさんなれ、それそれ、伴左衛門の死骸をこれへ出だされよ。 心得たりと役人共が、封を切りほどき酒漬けの死骸は更に色変わらず、ただその時の如くである。 名古屋は袴のそばを取って近々と寄り、かれを討ちしは先月の二十日、暁の月に堂々と時鳥ではなが、名乗りを上げて襲ったのは騙していない証拠だ。向こう疵に切り伏せて止めを刺さんと乗っかかり、胸を押し開けば海中に金子がある。このままでおいては真の盗人がやって来て探し取るのは必定。 時には山三が盗んだと後日の難を察したので、鳩尾(きぞおち)先を抉って金子は彼奴が体の内肺の臓に押し込んだ。五臓の中でも肺は金(かね)同気、求めて朽ちもとろけもよもしないだろう。いで、見せんと手を伸ばし、ぐっと入れ、朱にそみたる緞子(づんす)の財布、引きずり出してこれ見たか、これでも山三が盗人か、弓矢取る身の仕方を見よと、道犬にはったと投げつけた。 死骸を踏みつけて突っ立てば、雑式を始めとして、元信そのほかの門弟たち、出来た、出来た、あっぱれあっぱれ、御分別、後覺(後學)なりと勇みをなした。 道犬は言句も出ずに、雲谷は怯まぬ顔、相手の言い訳が立つからには、この方は切られ損、御帰りなされと立つ所を二人の雑式が飛び掛かり、鐵棒(てつぼう)を振り上げて、打つ程に面も眉間も打ち裂かれ、胴骨は砕けるばかりである。 やがて縄をかけさせて、道犬親子は世間流布の重罪、上を犯す咎と言いただ今の始末、諸人への見せしめ、親子諸共に獄門に晒すべし。それそれ。死骸の首を打て、承って下郎共掻き首して髻(たぶさ)をからげ、道犬の首に掛けさせて、さて雲谷は当座の慮外、罪の軽重(けいじゅう)いかがあらんと有りければ、元信春平、詞を揃え、本は彼奴めが悪逆、騒動の始めであるよ。古主の屋形に訴えて長袖でから流罪に行い申したし。 尤も尤も、二人ともに牢屋にやれと引っ立てたが脛が立たず、ええ、卑怯者、歩かないならばよした、桶に打ち入れて生きながらの酒びたし地獄の鬼の中食菜と、戯れ笑い帰らるる。 悦ぶ中にも元信は愁いに沈む那智の滝、乱れる色を諫めんと、うたえや歌えと雅楽の介、その外の門弟中は愁いは愁い、祝儀は祝儀、未来のみやの嫁入りは十七日、現世(げんぜ)の銀杏の前の嫁は七百町歩の知行をして末永く添い遂げるであろう。 墨や筆と家を繁栄させる絵具筆、熊筆・藁筆・泥引き筆、その筆先に金銀も湧いて泉の壺の印、並びのない夏毛の鹿、ならぬ狩野の筆は末世の寶となったのだ。 下 之 巻 およそ絵の道には六つの法がある。長康・張僧・陸探の三人を異朝の三祖と学び来て、和国に筆の色を増す。狩野の四郎二郎元信、天然彩墨の妙手を得て、後柏原・御奈良の院正親町(おほきまち)の帝(みかど)は三代四代の聖朝に仕え、祝髪の後に越前の法眼玉川齎永仙(ぎょくせんさいえいせん)と號し、末世の今に至るまで、古法眼(こほうげん)と賞嘆するのはこの元信の筆とかや。 既に大永七年、新帝・後奈良天皇は大嘗會の斎場として悠基殿主基殿(ゆきでんしゅきでん)を東西に設けてそこに屏風を立てられたが、その屏風を書き、従四位の下越前の守に補任さられ、あまたの門弟や上下の供人が肩を怒らせる山科や、土佐の将監光信山庄に案内せられける。 将監夫婦は出で向い、今官禄に秀で給うを見るにつけて、娘の事のみ忘れがたく候と、詞に先立つ涙なりけり。仰せの如く某とてもかの人を先に立てて、惜しからぬ命を捨て兼ね申せし所に、次第次第に登庸し大嘗会の屏風を仕り、叙爵(じょしゃく、五位以上に上る事)に至る朝恩の上、貴公の勅勘訴訟叶い、向後(きょうこう、今後)一家(いっけ)の結びをなし、相並んで絵所の門を開くべしとの宣旨を蒙むり参った。 親御達を世に立てなば、草葉の陰の娘御の一つの迷いも晴れるかと型の通りに禁中方の願いを取り成し候と、語り給えば将監夫婦はありがたや、忝や、歎きの中の悦びとは我らが身で御座いまする。貴殿の御ひけい(口利き、仲立ち)で勅勘を許されたのも、一つは娘に光であるぞと、なおなお落涙せきあえず。 かかる所に名古屋山三春平、樽・肴・黄金・時服(時候に合った衣服)さまざま音物(いんぶつ、進物、贈り物)を持たせて将監に対面有り。 雲谷・不破が不届き故に、元信我等両人沈淪致せし所、善悪の是非が落居し、三人の悪党が死罪・流罪の巌科(げんか、重罪)に処せられ、某も先知(以前の知行)に復し候。 その節は姫君の御事につき、御自分様々に御懇志の趣、主人御屋形満足致され、先ず当分(差し当たって)お礼を申される。その印・目録の通りである。微小ではあるがと申された。 御使い柄と申し、御叮嚀なる御事と互いの礼儀浅からず。しばらく時が移ったのだ。 やや有って名古屋、やあ、承れば娘子遠山、くつわの手前約束の年が明いて、今日是へ帰り給うよし。さぞさぞ、御喜びと推量致しまする。と、申しても人々は飲み込めずに、とこうの返答がない所に、供の者共が声々に、遠山様ははや、あれまで見えました。迎えにお出でなされまし。ありゃありゃ、袖を振って御座るわと、言っても更に心得ず、死して程経た遠山が帰る筈はないと涙ながらに立ち出でて見れば、屋形の姫君、銀杏の前、かもじ入れずの二つ櫛、鴨の羽なりの蓮葉袖、供の又平は日傘をさして、さしずめ女房役の遣り手であるよ。 何時ならわしの道中も、、心つければ振りやすい、振れ振れ、雪の遠山の御影が是此処が、おれが内かとつっと入り、なう、とっ様、嚊様、今帰ったわいな。ひさしゅうで逢いました。と、とんと座りし居住まいはかぶろ立ち(禿から上がった根生の遊女)を見る如くである。 各々は不審が晴れず、名古屋は固より合点であるから、いづれものご不審は尤も、尤も、長く申せば段々あれども畢竟、姫君を将監殿の娘にして死したる人が再び蘇られたと思召し、元信にめあわせあれ、姫君もひとたびは大事の命を助けられし各々であるから、こんな事をしなくても親同然です。なまなか儀式立てしては養子と言う事になって面白くない。 又平夫婦と談合して、血を分けた遠山に致したのが我らが趣向です。取り組み(縁組)は御屋形の御意で御座ると小短く、訳も聞こえる、道も立つ。金を使ったしるしです。 将監夫婦も悦びの涙、ちいさい時のおみつの成人顔を見られて嬉しいと、抱き付いてぞ泣きなさる。 名古屋は重ねて懐中より、一通を取り出して、これは田上郡(たがみこうり)七百町の御朱印、永代知行なされよと頂戴させ、さて、田上郡は給所(家来たちに給付した土地)給所の入り組みで地割りが中々に難しい。某が父の主計(かぞえ)の介天文の暦算に達し、鼠承露盤というものを巧み、つもり、物割り、物人の声に従って十露盤(そろばん)の表が明白に現れる。 これを以て考えれば、間積もり、知行高は刹那に相済み申すべしとありければ、元信聞き給いそれにつき延喜の帝、陸平永宝駒引銭を鋳させて民をにぎわし給う。その駒は晋の韓幹(かんかん)が馬を写さた。 我またその駒の図を伝え覚えて候えば、駒引き銭を鋳て領内を賑わし候べし。。 これは珍重、しからば、善は急がしや。嫁入り、聟入り、国入りして、本祝言の儀式は重ねて、まずまず今宵は祝ってざっと目出度く候。十露盤粒に萬代積もるぞ、豊かなる。 年は子の年、大国夫婦、力次第に子孫も湧き出る。地からは五穀、手からは金が湧き出で、涌き出で子々孫々まで長久栄花の家繁盛は、君が恵の遺徳であるよ。
2025年07月21日
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姫君はあきれておわせしが、聞けば笑止、いたわしや、いやと言うのは大抵どうよく者と言われうず。心得たと言ってから、迷惑するのは我だけであるよ。新枕はどうこうときおいかかって行く嫁入り、道から貸して帰るとは咄にも聞かない事、こちゃ義理ずくめになったかと、声を挙げて泣き給う。 道理の上の道理なり、やや有ってから涙を抑え、むむ、よしよし、合点した。そなたがその思いであるからは男も心にかかるはず。二人の縁が離れない中へ嫁入りして可笑しくはない。蓋も懸け子(箱のふちにかけて中にはめ込むように作った箱)打ち明けたこそ(何から何まで打ち明けたのが)夫婦である。男を貸してやるほどに互いの心を晴らしてたも。 さりながら余り懸け子を開けすぎて底を抜きゃったらこちゃ聞かぬぞ。と、涙ながらに宣えば、ああ、ありがたやと遠山は姫の膝に抱き付き、貸す御心よりも借りる心、御推量遊ばせと、泣き声をよそに飛び梅の神(天満天神、菅公の愛した梅が大宰府に飛んで行ったと言う伝説による)も憐れみ給うであろう。 さあ、とてもなら早いのがよい。元信はかねてより傾城好きと聞いているので、この小袖を見よ、廓模様に言い付けた、これを着て行きゃと打掛を脱いで、七日と言うのも忌々しい(縁起が悪くて嫌だ。七日は人の死後を連想させるからだ)、月一杯貸すぞや。 ああ、御志はありがたけれど遂には別かれるこの身であります。しからば、七七四十九日が中は私が妻と思召せ。この分で死んだならば、定めし男の餓鬼道に落ちましょうと、泣く泣く立てば姫君は、そう言うてみな吸い干しゃんな。どこぞ少しは残してたも。 こちはこれから腰元を連れて歩いて戻る。あの乗り物で皆供をしや。と、帰る姿を見て遠山は、姫君様の情ほどわが身の罪は重くなる。借りる時の地蔵菩薩、に捨てられて返す時の閻魔の庁、どう言って逃れようかと涙をかこう神垣や、神も仏も見通しに、酸いも甘いも梅青む、北野の借り屋に嫁取りの嫁の手道具、御厨子・鏡台・打ち乱れ箱・つづら貝桶・はさみ箱、長刀を持たせて遣り手の宮が来るとは思いもかけないこと。 その心底が届いたこと、姫君の情と言い、かたがたもだし難ければ、門弟雅楽之介・采女・隼人・大学なんど宗徒の(主だった)弟子共、すべてよく賄(まかな)い、春平にも内意を得て、表向きは銀杏の前御入り有りしと披露すれば、方々の音物(いんぶつ、贈り物)、樽よ、肴よ、巻物(荒巻・秋に獲れたサケを軽く塩を振って姿のまま漬けたものにした魚か)よ。太刀・折紙の馬代(ばだい、紙に包んだ馬の代銀)銀五十目、懸けの蝋燭の明けぬ、暮れぬと賑わって今日で五日目の朝、麻裃、雑煮の黒(こく)餅、子持ち筋がつきづきしくぞ見えるのだ。 その日もようよう傾く頃に、名古屋山三春平がお見舞い申すと案内が有った。雅楽の介が出迎えて、先ずもってこの度は姫君様、御料簡美しく、おみやもあっ晴れ元信心を落ち着け申す事、みな是貴公の御蔭、門弟中も忝く、悦び存知候といづれも礼をなしたのだ。 是は迷惑、元信の為と存じたれば各々、同前の大慶、さて今日は五日目、五百八十の餅をついて(婚礼後五日後に五百八十の餅を持って里帰りする風習があったらしい)里帰りと言う事は縁篇(婚礼)の式法であるが、親元は遠方ゆえ祝って我らが宅へ呼びたいと葛城も申すので、ちょっと尋ねて見たいとあれば、雅楽の介は打ち笑い、いや、尋ねるには及ばない。やがて別れる日切りの夫婦、寝入る間も惜しいと言って顔と顔を突き合わせて頭(かぶり)も振らないしたたるさ。里帰りはさておき、台所にも出られませぬ。 それはぎやうな(大層な)喰いつき様、そうして互いに飽かせたならば後の為には珍重(非常にっよい)、元信は筆は達者であるから一日一夜に半年の仕事は出来るであろうと笑った。 かかる所に無紋の色に浅黄の上下(かみしも)、編み笠を取って入るのを見れば舞鶴屋の傳三郎、出口の與右衛門は打ち萎れている風情である。 名古屋を始め門弟中が興冷めして、これ、傳三、あんまりそれは粋過ぎた。婚礼の話を聞かなかった筈もなく、葬礼の戻りに祝言の家に立ち寄るのは、なめ過ぎた不道化(馬鹿にした悪ふざけ)、可笑しくもない、帰れ、帰れ。と、苦々しく叱られて、鼻を打ちかみ、目をすりすり、姫君様の御祝言と遠慮を致しておりましたが、脇から沙汰が有っては御恨みの程もいかがかと嚊(かか)が心をつけまして今日七日目の墓参り、ついでながらのお知らせ、常々気立てが結構で、おみやとは言わず佛々と申したので、あったら仏をやくたいもなく、骨仏(こつほとけ)にしてのけたと、さめざめと泣いている。 人々は更に誠とはせずに、酒に酔ったのか、それとも狂気なのか、みやは少し様子があって姫君代わり四郎二郎と祝言して、五日前から二人で並んでいる。 たわけた事を抜かすまい、いや、私をたわけになされるが七日前に死んだ者が五日前に来るものか。蓮台寺專譽(せんよ)様の御引導、舟崗山で灰にして、和國さまを始め女郎衆から名代に、禿共が灰を寄せ(死人の骨や灰を拾う事)て、五輪(ごりん、地水火風空に配した五重の石塔)まで立てている。どうして偽りなど申しましょうかと真顔で言えば、人々もぞっとして怖げに立ち寄って、して、真実かどうして死なれましたかと言えば、真実かとはいとしぼげに、常の癪持ち、ぶらぶらとはしながら一日として寝込んだことはない人が、いつぞや葛城様の身請けの晩から頭痛がするとて引っ込んで、それからは枕が上がらない程に重って来る程に、お客衆の引き引きで柳原の法印さま、半井(なからゐ)の御典薬が幸いと和國さまに對馬の客から参った朝鮮人参、尾張大根を見るようなのを刻みもせずに丸ぐち(丸ごと)、人参のふろふきを一期(いちご)の見始め、人参でも鉄砲でもいかな喉を通すにこそ、もう無いに極まってから私を呼び、今までは隠していた遠山と言った昔から四郎二郎様と夫婦の契約をして、目出度く願いが叶ったなら、夫婦連れで熊野参りを致そうと願いをかけてこの笠の紐も手づからくけました。 これを着て四郎二郎様、熊野へ参って下されと、死しても心は連れ立ちますと、書置きもしたいのですが、口でさえ尽くせませぬ、筆にはなかなかまわりません。目をほっちゃりと開いて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と七八遍は聞きました。 なう、肝心の時には念仏と言う物もなんのごく(役)に立ちません、南無阿弥さえすうすう陀佛までやらずに、ころりと取って行きましたとわっと叫べば人々も、扨ては定(じょう)よと手を打って、皆々袖をぞ絞らるる。 名古屋も呆れていたのだが、疑いもなく夫に引かれる魂魄が仮に姿を見せたのだ。さおもあれ様子を尋ねる為腰元衆、腰元衆と呼びければ、あいと答えて奥から出る。 何とおみやは機嫌がよいかと問いければ、ああ、機嫌よくにこにこと、笑って御座んする。去りながら心ざし有りとて酒も魚も口に寄せず、樒(しきみ)の香の煙絶やすな。煙が絶えれば此処にいる事は許されないと御寝間の内は抹香でふすぼりますと言いければ、して、四郎二郎はどうしてぞ、ああ、さればおみやさまのたのみで、おねまのふすまに熊野の絵をあそばしてござんする。 さてはみやの幽霊は疑いない。と言えば腰元衆は驚いて、ああ、怖や。なう、知らないのでお側にいられました。膝の側に這いよって身をかがませたのは道理であるよ。 雅楽の介は心を決しようとして、さもあれ、狸や野干(やかん、狐)の業も有る。誠の死したる幻は形は有っても影は映らないと承っている。某行って直に会って笠を渡し、燭(ともしび)を立てて實否(じっぴ)を試し申すべし。 方々は庭から障子の影をご覧あれ。たとえ怪しい事があっても、必ずわっとは言うまいぞ。 何が怖い事がありますかと口では言うが、夕暮れである。小気味の悪さは言うまでもないこと。籬(まがき)の本、軒にやぶ蚊が餅をついているのも、遣り手の赤前垂れの名残りかと心細くも佇んでいる。 雅楽の介は何気ない調子で、これは暗いお部屋、みやさまそれにかと、火を灯したらよう御座ろうと声を掛けたのだ。 ああ、さればいのう、心が迷った身の上、闇に闇を重ねる辛さ、晴らして欲しやと言うその夕顔のたそかれを照らす行燈の障子に映るのをよく見れば、元信は元の人躰(にんたい)で女の影は五輪とみやの物腰(みぶり)だけである。人間の地水風の風脆い、木の葉に結ぶ陽炎(かげろう)の露の姿ぞ哀れであるよ。 四郎二郎はろうろうと疲れ侘びたる如くである。雅楽の介はまだ訝しくて、この菅笠は里の便りに参ったのだが何に必要なのですかと言えば、なう嬉しや、嬉しや、ほんにこれが欲しかった。私が熊野を信ずること、敦賀では遠山、三國での名は勝山、伏見に売られて浅香山、山と言う字を三度つけ、それ故に木辻(きつじ、奈良の廓町)では三つ山と付けられました。 思えば熊野の三つのお山(新宮・本宮・那智)の名を穢し、牛王(ごおう)の咎めも恐ろしく、お主と一緒にして下されば、連れ立ってお礼に詣でましょうと笠の紐までくけておきました。追っ付別れる身ではあるが、一日でもこうして添ったからは願いは叶った、同前神仏に嘘はないと、この襖戸にお山の絵図を頼みました。参った心で拝まんと思う所に、この笠はどうした便りに来たことぞ。余の事は何も言わなかったか。又の便りに傳三殿へたとえ如何なることが有ろうとも、四郎二郎様に歎きが懸かる事だけは知らせまして下さんすなと、よう言い届けて下しゃんせと、苔の下まで(死んだあとでも)我が夫、といたわる心が不憫であるよ。 さあ、夫婦連れで参りましょう、こな様は勝手に行って、後夜の鐘(午前四時頃の鐘)鳴るまで念仏を切らして下さんすな。似合ったかは知らぬ、と笠を打ち着たる五輪の影、五つの借り(人間の身の儚さはよそ事ではなく)の夢うつつ、余所の事ではなくて、泣く泣くも元の座敷に人々は宗旨、宗旨の手向け草、題目真言念仏の回向に更けるのも……。 熊野 かげろふ 姿 あら惜しや、あたら夜や。夫婦の仲に咲く花も、一夜の夢の眺めとは知らぬ男のいたわしや。と、泣くより外の事は無し。 昔の朝の身じまりに、髪にたいたり裾にとめ、そよと吹くそれではないが、袱紗の色風も今、焼香に立つ煙、反魂香(はんごんこう、死者の魂を呼び返し、その姿を煙の中に現ずると言われる霊香)と燻るかやや。香炉の灰の灰寄せも順を言うならこなさんを、我こそあらめ逆様の水の流れの身のならい、所々の死に水を誰に取られん浅ましと、余所に言いなす言の葉を世に無い人とはそも知らず、ああ、忌々しい。老い木の末の思い置きは由なやな。 こちもそなたも若松の、千代の盃、ざんざ、浜松の音、七本松の七本を女は卒塔婆に数えるが男は今日の七五三、嫁入りをした戯れも今は眞事(まごと)と嬉し気に、手を引きあって笑い顔。 我は朝顔、萎みゆく花の上にある露とも知らぬ儚さよ。月は欠けてもまた満ちる。熊野の三つ山、娑婆の便りは片便り、義文も届かない、言伝も言わないで心の熊野路や。照手の姫の窶(やつ)れ草、常陸小萩も夫故、身を果たす、旅籠屋も水棚の端、箸に目鼻を付けたようにやせ衰えての餓鬼阿弥を夫(つま)とは更に知らずに、白糸の縁は汚き土車、心は物に狂わないが姿を物に狂わせて、引けや、引けや、この車、えいさら、さら、さら、笹の葉に死出の旅路の後世(ごせ)の友、一引き引けば千僧供養、二引き引けば萬能(まんのう)の薬の湯本と聞くからに四百四病は消えもせん。骨になっても治らないのはわしがそさまを恋い病、変わる心を案じては、神の御名さえぞっとする。飛鳥の社、濵の宮、王子々々は九十九所、百になっても思い無き、世は和歌の浦、梢にかかる藤代や、岩代峠、潮見坂。描き写すえは残るとも我は残らぬ身。
2025年07月16日
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夕べ朝の鐘の声、寂滅為樂と響くのだが、聞いて驚く人もいない。 通りゃ、ただの時でさえ相の山(近世の民間の門付藝として唄われたもの。間の山とは伊勢の内宮と外宮の間にある坂道で、往時ささらを摺りながら哀れな唄を歌い喜捨をせがむ女芸人がいたと伝えられる)を聞けば哀れで涙がこぼれる。悲しゅうてならぬ、胴ぶらに、あた聞きともない。通りゃ、通tりゃ、と言って、涙を押し拭う。 野辺よりあなたの友とては、血脈ひとつに、数珠一連、これが冥途の友となる。ああ、舌たるい手の隙がない、通りゃ、通りゃと言う声に心に苦のない新造禿、ばらばらと走り出て、こちらは好きじゃ相の山、聞いて泣きたい、所望、所望と立ちかかる。 ええ、意地の悪い子供じゃ。それほど何が泣きたい事が有るのだい。銭をやって早くいなそうと、巾着の紐を解いて取り出す銭は、一銭、二世の縁が切れても、切れぬ笠の中、泣き沈みたる顔を見れば恋し床しの四郎二郎、互いに、はああ、はああ、とばかりにて目が暮れて、心はしみじみと抱き付きたくもあるが、周囲には禿が目元小賢しくて、堪えるたけと包むのだが、咽びふくろび泣いている。 ああ、往なせましたらよいものか、まちっと哀れな心を歌って聞かせてくだしゃんせ。あっと涙にする筅(ささら)鼓弓の弦も細い声、定め無き世に捨てられて、身の寂滅を知らせたくて文は書いたのだが、頼りはない。一人寝ざめの友とては夢に見た夜の面影か。これが寝ざめの友となる。 折しも二階の奥座敷で、来いよ、来いよと、手を叩く。あい、あい、あいと禿どもが立つ間も遅いと走り寄り、これ、こうしたこともあろうかと、憂き命をも捨てなかった。よく顔を見せてくだしゃんせと、縋れば男も抱き締めて涙の外は、声もない。 なう、恋しいの床しいのとは大抵恋路の習いぞや。それをとんと打ち越して、主や親方にも背いたゆえに奈良伏見まで売り渡されて、今この京で遣り手となり、花の都もわが身には、鬼界が嶋(九州の南方にある島、罪人が流されたところ)に住む心地。皹(ひび)霜焼に苦しんでも手足の苦労はなりもしよう、心を痛めるばかりではない、力業にも才覚にも、叶わぬものは逢いたいと思うので遣る瀬がなかったと、甘えて口説くのは不憫である。 四郎二郎も尽きせぬ涙、おお、道理、道理、いとおしや、度々文でも申した通り、其方の陰にて大事の絵を描き、誉を取り、契約を違えずに見請けをしようと思っている間に、不慮の事共、命が有ると言うだけで、恩を着た名古屋山三、我等故の牢人、行く先も行く先も目出たいと言う字は書きようも忘れてしまった。今は扇団扇の絵、蘆屋釜の下絵で露命をつなぎ、大津で問えば奈良にと言う、難波で聞けば伏見とやら、ここにいるのは采女と雅楽の介だが、二人の弟子の介抱で丸四年目に顔を見て、嬉しい事はどこへやら、俺と言う者がいないならば、とうによい幸せ。 前垂れ鎰(かぎ)は下げまいと、親御の事まで思われて、生きた心はしないとて男泣きに泣いたので、なう、そう打ち明けて下さんすが本々(ほんぼん)の真実、わしはいっそ(却って)親の事思う所には行かなんだ。わたしに罰が当たらずは当たる者はおるまいと、口説き立てれば四郎二郎が先ず言うべきは、名古屋山三春平、この所にて不破の伴左衛門を討って詮議に逢う由、洛中の是沙汰、遺恨のもとは某ゆえに聞き捨ててはおかれぬ挨拶、廓の説はどうぞと言えばされいばいなあ、詳しい事も聞きました、山三様にする世話は、こなささんへの奉公とさまざま、心を砕いて何の波風も無いように十の物が九つおっつけ埒が明くはず、あれ奥にじゃわいなあ、これは大慶先ず通ってから対面致そう。 いやいや、待たんせ、そりゃならぬ、こな様を尋ね出し、姫君と夫婦にせねば侍がすたる。と、今(いんま)も今言うた人に会わんずと往んでくださんせ。 ええ、愚痴な事ばかり、我ゆえに一命を果たそうと言う山三じゃないか。会わずに帰って人外(にんがい、人でなし)の名を取れか。げしゅう(変に、奇怪にも)会わせまいなれば此処で腹を切ろうかと脇差に手をかける。 はて、死なんせではないわいな、外に奥様持つまいと言う誓文立ててから逢わんせ。おお、姫君はさておき、たとえ餅屋のお福でも、山姥と祝言するとでも、山三の詞を一旦立てずに、置かれようか。ええ、世間見たようにもない気が狭いぞや、と恥しめれば、世間は唐まで知っていても気は武蔵の程に広くても、大事の男を人には添わせない。 山三様に会って四郎二郎が女房はこの宮で御座んすと罷り出て、断ろう。 おお、言いたくば言いや。詞の中に脇指をこの腹に突っ込む、さあ、どうぞ、どうぞと詰められて、泣くよりほかはなくて、何を言うのも大切さ、そんなら言うまい、息災でいて下さんせ。去りながらどうぞ言い抜けられるなら、言い抜けて見て下さんせ。と、まだ、ぐどぐどの忍び泣き、尤も尤も、男の面(つら)役でこう言ったからとて何の如才(手抜かり、不手際)があるものか。弟子衆こちらへと涙ながらに奥に行く間も惜しまれて、これ、采女様、雅楽様、祝言の咄が出たならば打ち消して下されと、頼む返事の否應(いやおう)はなくて、泣く涙に紛らして入ったのだ。 心もとなさ、危うさに心が騒いで落ち着かず襖の際に差し足して、立ち聞きすれば、伴左衛門を討ち止めた物語である。 ああ、嬉しや、女房事は出さないようだ、まちっと聞こう。あの囁きは何じゃ知らぬ。聞きたいものと耳を寄せて、ああ、悲しや、連れて帰って姫君と夫婦にすると言い腐るぞよ。こちの男が利口そうに、此方の詞は背きませぬ。と、ぬかし面(づら)は何事じゃ。 ええ、聞くまい物を腹の立つ、と耳を塞いで立つ居つ。身を揉んで歎くのは哀れであるよ。 舞鶴屋の傳三郎は遣り手引き舟と下男がい切り切って大声を上げ、こりゃこりゃ葛城さまの身請けはさらりっと埒があいた。跡の三月二日に隙をやろうと言う一札、王様の御綸旨(りんし、天皇の言葉を蔵人が書いた文書、貴重な文書の代表とする)よりも高直(こうじき、高価)な物を握った。乗り物の戸をくわらりと明けて今でも大門をお出為され。と、喚く声に人々が悦び走り出て、ああ、ああ。御手柄、御手柄、酒天童子(大江山に住んだ怪物。源の頼光が保昌や四天王と退治した)の首より取りにくい事。主を持たない身はここが過分(かぶん、有難い)、手を引き会って門を出て、名古屋山三と葛城とが後々までの咄を遺そう。 やあ、亭主、近づきになっておきゃ、狩野四郎二郎元信に巡り合いたいばかりに互いの苦労は知る通り、身は葛城を請け出して、四郎二郎は大名の姫様を掘り出した。 祝言の夜には勝手に見舞いなさい。 さて、みやの礼は今は申さない。前垂れ鎰(かぎ)を捨てさせ、武家か公家か町人か、望み次第に数ならねども拙者が親分、先ず姫君の祝言には婚礼の際には新婦に付きそう女性・待ち女郎に頼もうとみやの心を引き立てようと勇み立てても投げ首で目も泣きはらして返事をせずに、堪えかねてつっと出て、言おうとするのを四郎二郎が柄にてを掛けてて腹をさすれば、手を合わせて、泣き泣き退(しさ)れどもなお堪らずに、思い切って言おうとする。 四郎二郎は胸を押し開けて既にこうよと見せかけた。ああ、ああ、申し、四郎二郎様、私は何も申しませぬ。御息災で姫と御夫婦になってくださんせ、とわっと叫んで伏したので、共に涙が急き来る四郎二郎、おお、よい合点、よい合点、廓の衆は涙もろくて目出度い事にも泣きたがる。 身請けする女郎衆に名残惜しいのは尤もであるが、他国に行かず、死にはしない。追っ付会おう、泣きゃるなとよそに言うのさえ(何でもない事の様に言う)涙を包み兼ねて目はうろうろとなったのだ。 さあ、御乗り物が参った、早ようお出でなされませ。いやいや乗り物古いと立いづれば、一家の大夫・天神・囲い(かこい、大夫・天神に次ぐ位の遊女)が、葛城様さらばや、さらばで御座んす、門まで遅れ、後を賑やかしと舞鶴屋の傳三がよろずに受け込み、置き土産をやろう、遣り手衆お春お夏と勇めども、みやの心は空き漢で、腰の巾着をぶらぶらと物淋しげに見えるのだ。 花の三月は早くも過ぎて、娘の年も二十棹、いつの間にかは長持ちに桐の葉が茂る嫁入り月、銀杏の前の御祝言、名古屋山三の計らいで、四郎二郎元信を北野の社人に借り座敷、名古屋が家の子・世継瀬兵衛を腰添えにて供女中の出立や、地黒・地浅、黄紅檜皮(はだ)、右近の馬場にぞ着き給う。 並木の桜暮れかかり、まだ人の顔も知らない、白無垢を着たる若い女が横合いから嫁入りの供先を押し割り、押し割り、打つも叩くも事ともせずに、しっかりと引く程に、乗り物の戸は砕けて放れ、姫君はあっと叫び給うを胸倉掴んで、引き吊り出し、土手に押し付けてひっ据えたり。 瀬兵衛は刀の反りを打って、六尺徒歩衆(駕籠舁き)を押っ取り廻し、そこを放せ、放さずばぶち殺せ、捩殺せと口々に呼ばわれば、姫君が制して、ああ、黙っていや。構やるな、嫁入りする身に女の際(ざい、分際)でただ事とは思わない。四郎二郎殿の手掛けか。但し、時の戯れに末には妻にしようなどと男の当座の間に合わせを、一筋の心からのその恨みであろうのう。 わが身に知らぬこととは言え、殿を持つ役であるならば、聞くまい事は言うまいよ。道理さえ立つことで、負ける道ならば負けもしよう。又、筋もない道言ってみや。我にも手もある足も有る。 銀杏の前が理不尽と言われては大人げない。相手向いにして置きゃ。さあ、何ぞ聞こうと口は陸路を分けながら胸はしどろの山坂や、顔は躑躅の如くなり(赤い)。 女、溜息、顔を挙げて、ああ、流石でござんすな、その美しい出様にはこう取った胸倉を放しように困った。我とても中々狼藉する氣は微塵もなく、御乗り物にすがって歎きを申し、御情けを受けようと七本松から此処まで様子を伺い、参りしが、頭のかかりがどうもなくて思わず慮外致したのだ。 仰々しい、白無垢着たのは、打ち果たしての何のと言う脅しでも見せ(歎願)でもない、思う願いが叶わないのなら、西所川原(さいしょかはら、三条の西の火葬場)か舟崗へ直ぐに飛ぼうと思う気で私が為の修羅出立、高いも低いも女子には大なれ小なれ、この気はあれど言わぬで持った世の中、色に出さないのをたしなみと、心で心を叱って見ても、いかなる欲も離れようが男に欲はえ離れぬ。 さりとては穢い、気恥しゅう御座ると声を挙げ、譯をも言わずに泣いている。 瀬兵衛を始め女房達、御祝言の時刻が違う。道行(前置き)ばかりを言わないで、要る事ばかり申せ申せ、と責めければ、御尤も御尤も、私は土佐の将監の娘、幼な名はおみつ、親の憂き瀬に身を売り、越前の敦賀で遠山と申した流れ者、四郎二郎殿とは故あって、起誓一枚書いていないが釘と鎹(かすがい)ほどに離れぬ仲。身を持ち崩してあちこちを狼狽え、今は六条三筋町に上林(かんばやし)が内のみやと言い、流れの身よりも浅ましい遣り手はしても己遣れ、一度は狩野元信の内儀と言われよう、言われようと、四年が間の気の張りよう、弓ははったと弦が切れて泣くにも力有らばこそ、無理とも損ともあまりに無法なことながら、長くは言わない、一七日今宵の嫁入りを下されば、跡はお前と万々年、七日添って別れての後は、この世の生き顔は見せまい。たとえ死してもあの人の未来の回向は受けますまい。もうこの後は申しますまい。涙を流し、手を合わせ、伏しまろぶこそ哀れであるよ。
2025年07月14日
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これでは埒があくまい。どれぞ、機転な遣り手衆を頼んでみようと言っているうちに、出ませ、出ませと頻りの使い、えい、思い付いた、一文字屋の和国についているみやと言う遣り手は、越前の敦賀で遠山と呼ばれた全盛の大夫、恋ゆえに今はあの體(てい)、すすどげなうて(きびきびしていて、機敏そうで)智慧満々、閻魔の庁でも言い抜ける、このみやを頼もう。 あれあれ、あそこへ大福帳を担げて(集金の途中である)来るは、みやではないか。と言っている所に、おしょぼからげの(背縫いの帯の下のへんを帯の中にたくし上げる事)忙し気に、皆さんこれに御座りまする、まあまあ、けうとい(とんでもない)事が出来まして、ご苦労でござんすと言い捨てて通るのを、これこれ、おみや、検視の衆が葛城の遣り手を召されたけれども、玉は愚鈍で臆病なり。何を御問なされようやら、言い教えてすまぬこと、廓中の頼みじゃ、葛城の遣り手に成って出て、請け返答をしてたも。恩に受けようと言ったところ、あの死骸の側に出る事ですか、ああ、えず(怖い、恐ろしい)、さりとても、嫌と言うのも仔細らしい(勿体ぶっている)言いそこなったなら大事だろうか(大変だろうか、大したことはあるまい)、口に任せてやってくれよう。てんぼの皮(ままよ、構うものか)と出て行ったのだ。 雑式は鐵鞭(房つきの紐をつけた細い鉄棒)を横たえて、おのれは葛城の遣り手であるか、用が有って召し出すのにどうして遅くなったのだ。横着者、気随者めと叱られる。 ああ、あの様(さん、あの方、あのお人)はいの、頭から叱らんす、何の気随でごあんしょ、十二人の大夫様を一人して廻せ(動かす)ば弁慶(義経主従十二人を弁慶が一人で動かし安宅の関を越えたのに譬える)遣り手の忙しさ、口説(痴話げんか)の中を押し隔て、打ち物業にて叶うまじと日に幾たびの詫び言やら、夜の身持ちは揚屋の吸い物同然に、ちょっちょっと座敷に出る度に一杯ずつ飲む酒に、ふらふら眠りの行き倒れ、朝から晩まで緋の袴、花色(薄い藍色)繻子(じゅす)の巾着も、中は空で秋の夜の長紐、下げた鍵の穴から天を覗けば、ほのぼの明け、妓(よね)様達の身じまい風呂の手洗水の、髪洗いの、鍋よ、杓子よ、臼・杵よ、正月仕舞えば節句朔日(ついたち)今日は二日の拂い日なり。灸(やいと)も据えたし、卯腹辰股(卯に日には腹、辰には股に灸を据えない禁忌)背中に腹、商売には変えられず、皮切り堪え(最初の灸の特別な痛さを堪え)て出る心。 その様に言わんすな、廓は諸国の立ち合い(人々が立ち混じる所)、常住切っての張ってのこれ程の喧嘩は、お茶の子の、この茶の子ぞや、ああ、仰山なと笑いける。 雑式が怒って、いやさ、己が身の上は問わず、この伴左衛門は千二百両で葛城を請け出すとな、傾城は売り物、値段を決めた上からは名古屋山三が妨げを言っても叶わぬはずだ。然るを違亂に及ぶとはうぬらがもがり(詐欺)と覚えたり。斬り手も知らなくては叶わぬはずだ、真っすぐに申せと詞も荒く、問い掛けた。 少しも臆せずに会釈して、御意の通りに売り物とは申しながら、神仏の奉加と同じことで、金を出しながら拝まさせるは恐らく世界に傾城ばかり。 買ってくれるのが嬉しいとて、親がかりやお主持ちの恋路の闇の一寸先見えぬ所を側から見て、買い手のお身もすたらず、女郎ものぼさぬ(夢中にさせない)様に、舵を取るのが引き舟、目の鞘外すのが遣り手の役、大事にかける証拠には世間に心中が十あれば、廓に一つ有るか無し。 伴左様は、御大身でお金に不足はあるまいが、御主人の御耳に立ち、お身の害ともなる時は語一門の評議にのり、人を剥ぐの騙すのと落ちる所は廓の難、ここの意気を立てるのが色里のたしなみ、見請けの談合破れたのも伴左様のお身の上、大事に思う上の事で御座んす。 道で斬られさんしたのは、そこまでは存じませぬ。定めし死にとも有るまいしもっとも逃げてもみさんしに、そこに如才もありますまいが、先の相手が強いか、身の取り廻しが悪かったのか、知らんでやんすと答えたのだ。 検視の人々も持て扱い、よいは、よいは、もう黙れ。一時に詮議はなり難い。死骸を酒に浸し置き、後日の評定たるべし。 それそれとて、役人共は桶をしつらえ死骸を収め、酒を汲みいれて縄をからめ、牢屋へ遣れと舁き上げた。 雑式は重ねて、これ、年寄り、年寄り、商売であれば傾城には構いはない。さりながら、夜前よりの買い手共は事が済むまでは名所を一々に書き留めよ。こりゃ、遣り手め、重ねての詮議には水をくれる(水責めにする)、用心せよと脅し立てたのだが、怖じもせずに、えい、置かんせ、金をくれる遣り手に水をくれるとは悪(わる)ごうな(悪い悪戯)と笑いをしおに言い白け(雑式は言い負けて返答出来ず)先を拂って立ち帰った。 権威を見せて突き鳴らす鐵棒(かなぼう)の音が三味線に引き変わりたる三筋町、恋の市場と艶めかしい。 名古屋山三、春平(はるひら)は通い馴れた六条の道には石がいくつあるまで読み覚えて知っている。その一貫町の茶屋が葦簀(よしず」のよしやよし、里に擲つ命ぞと、大門口の與右衛門も門番には二代の後胤、平らの知盛ではないが、供をして口も軽く、舞鶴屋にぞ入ったのだ。 亭主の傳三を始めとして、あまたの女郎や遣り手までが、これは、これは、様子は御聞きなされていらっしゃるでしょうが、先ず四五日はお出でなされぬがよいでしょう。日頃意趣有る伴左衛門、斬り手は名古屋山三じゃと、どこともなしの取沙汰、葛城様の御案じ、我等夫婦の気遣い、このおみやの弁舌で今日はずらりとやりましたが、伴左衛門の死骸は奈良漬けにして後日の詮議、殊に御客の名所を書き付けろとの言い付けで、お身に覚えがなくても詮議、詮議が喧しい。 お前を外様(とざま)につくばわせては、この傳三が立ちませぬ。 御手前こそは懇ろ、廓中の女郎衆に苦労をかけた、この山三が穿鑿にあうのかと、悲しやとかがんでいる程ならば、里通いも妓(よね)交じりもしないほうがよい。先ずは和国様からお礼申す。大事の遣り手をお貸しくだされ忝い。 さて、みやの働き志、言葉の礼は言う程古い。三千石取った山三が手を突いて頭を下げる。額に千石、両の手に二千石、主人の外では一生にこの式作法はみや一人、是が礼ぞと手をつけば、ああ、勿体無い、何のお礼がいりましょう。ちょっと葛城様に逢わせてから往なせたいものですが、私が行けば目にたつ。和国様、一筆進ぜてくだしゃんせ。 いや、文もいかがじゃ、わしらが直に誘って、遊びに出る顔で連れまして来ましょう。さあ、みんなござんせと座敷をこそは立ったのだ。 然らば此処は人も来る、二階にお通りなされと言えば、やれ、何が怖くて隠れましょう。伴左衛門を斬ったのは誰だと思うか。この山三が手にかけて討って捨てたるぞ。葛城の意趣は僅かな事で、彼めと朋輩たりし時に狩野の四郎二郎を身が取り持ちて、奉公に出した所、伴左衛門親子が雲谷と言う絵師を引き、御在京の留守に無実を言いかけて刃傷に及び、四郎二郎は行き方が知れず、あまつさえ外戚腹(げしゃくばら、妾腹)の姫君・銀杏の前、四郎二郎に心を懸けて御祝言があるところを妨げを入れて狼藉し、某をさえ讒奏して浪人の身となったれば、重々の遺恨である。 殊に、四郎二郎は隠れもない名筆で、大内絵所の官にも進む身を某が強いて国に留めて、難儀をかけて見ていられず、姫君と夫婦になし、四郎二郎さえ出世するならば、本望、本望、生きておかば四郎二郎に如何なる仇をかなすべきと、傾城の意趣を幸いと、討って捨てたる伴左衛門である。知れて切腹するばかり、四郎二郎故に捨てる命だ、いささか惜しいと思うにこそ、武家に生まれた不祥(因果)には大門口で立腹切り、新造衆や禿共、芝居でするような事をして見せよう。 やあ、葛城はどうじゃの、亭主唄えと三味線の天柱(てんじ)に顔を筋交いに身構え、糸の音色も目の色も人を斬ったる躰もなく、亭主は結句色を違え、先ずお話はいらぬもの、内外(うちと)の者共必ず仇(無駄)口はきくまいぞ。と、わなわな震え手酌でやたらに飲んでいるのだった。 みやも聞くより驚いて、さては、わが二世までと思い込んだる四郎二郎様にかくまで深い恩を見せ、御命をも捨てんとは、ああ、頼もしや忝なや、我こそと名乗って一礼しようか、いやいや、姫君とやらに聞こえては、御祝言の邪魔であると、遠ざけられるのは知れた事、ただよそながらにあのお方の為になり、御命を助ける事こそ我が夫への奉公と、思い定めてこれ傳三さま、御侍の覚悟の上を女子(おなご)の料簡で推参なことながら、あのさんに腹を切らせて恩を受けた四郎二郎、いずくの浦で聞きつけてもよもや生きてはおられまい。 人の縁は知れぬ物、どれからどれへとどう移って、誰の悲しみとなろうやら、山三さまのお身の難、逃れるぐめん(くめん、工夫)はないだろうか。思案は今でござるぞやと、余所を言うのも夫の事、案じては余る涙の色、沸き立つ胸を撫でおろすのも道理である。 おお、わが身が言う通り、押っ取って廓の迷惑、お仕置きには法がある。腹切りたいと仰ってもよう暖かに見苦しい罪に粟田口下から、どうもはかられない。と言えば、山三ははっとして、ああう、よいところに気がついた。三味線どころではないわいな、相手は主持ち、こちは浪人、暴れ者にしなされ、木兎(みみづく、形がフクロウに似て森などに住み、夜行性で小動物を食べる鳥。頭は猫のように丸く、耳に長い毛が有る)が止まったように獄門などにさらされては先祖一家の恥辱、今さっぱりと腹を切っても、その後で首を獄門にかけられたのでは、益々恥は重くなる。 ええ、主持たぬ身の無念さよと、歯ぎしりをして涙ぐむ。 みやは聞く程にわが男の身に迫って来る悲しさの、どうぞ良い分別して進ぜて下され頼みますと、身に引きかけて歎く躰(てい)。 亭主はしばらく思案してから、これこれ、よい仕様が有る。此処へよりゃ、と小声に成り、これをついでに葛城様をとんと請け出して、奥様に定める。時に親方と肌を合わせ、手形の日付をとっと跡の月にして、外様(とざま、表向き)には借宅見立てにして、その分は廓に少し逗留分、すればとうから御夫婦である。 昨日まで伴左衛門が口説いた状文を握っているからには、間男の証拠は確かである。妻敵討ちは天下の御許し、千人斬っても切り得、この分別はどうであろうか。 みやは悦び、おお、出来た、出来た、目出度い、目出度い、知恵者めと煽て立てれば、ああ、無性に目出度がるまい、当分請け出すお金がない。もし、お腰の物をそれまでの質物としてつかわされれば、私の加判でたった今、大夫様を門から出させて見せましょうが。 御侍にお腰の物とは、のう、おみや、どうも申しかねるわいの。 はて、お主のお身ばかりか不憫になさる四郎二郎までが命が助かる事であるから、御料簡遊ばしませと手を合わせるやらなげくやら、山三も共に涙を浮かべて、おお、おお、何が扨て、何が扨て、皆の衆に苦労をさせ、何しに否と言おうか。近頃過分千万、これ、是は重代の左文字(さもじ、名刀の名)二千五百貫の折り紙はある。、 惜しいとは思わないが七歳の時から今日まで遂に脇差一本で他所に行ったことが無い身が、刀の冥加が尽きたかと、涙は雨や鮫鞘の脇差だけで奥に入った。 後姿を見送って、お労しや、御愛しや、傳三さま、どうぞ首尾して下さんせ。巻き添えが要るのなら儂(わし)が繻子の帯もある、八丈の袷もござんすと、歎けば共に泣き声の、おお、奇特(きどく)よの、よく言いやった。俺も男じゃ、気遣いすな。かかを總嫁(そうか、街娼)に売ってでも埒を開けないと言う事はしないぞ。と、泣きながらに出て行ったのは実に頼もしい。 みやが憂き身の憂き思い、口で言わねば気に閊(つか)え、目に流れるのは百分の一、胸に涙がとどこおり、山三さまに骨を折るのも、男の心の悲しみを思い遣る、遣り手となったのも、のらぞんざいでなれようか。 恋が嵩じて遠山がこのざまになったとは、知らぬか聞かぬか、男めが何処にいるやら死んだやら、梨も礫(つぶて)も打つ、それではないが、うっとりと煙草をのんでも煙管から咽の通らない臼煙、人が見ぬ間に思う程、泣くを所在か味気なく、内を処理して葛城は来るより駆けあがり、みや殿、此処においでたか、いかい世話であったげな。忝いぞ、土になっても忘れはせぬぞ。おれが心を察してたも。 ほんに、ほんに、物日(廓の祝日)中に痩せたわいな。こなたは今は何の苦労も無くて楽であろう。遣り手の身は羨ましい。 山さまは奥にかの、ちょっと逢って来ようか。後に、後にと言い捨てて行くのを見てもまた涙。辛いぞ、憂いのと言う中にも男を側に引き付けては、憂さを凌ぐのにも、力が有るこの身には苦も有るまいとや。明け暮れに付き合う人の目にも楽なように見える物。 遠国隔てた男気に思いやりがないことは無理とも言われず、さりとては、せめて有所が聞きたいと声は立てないけれども泣きじゃくり、気も沈み入る時しもあれ、心細げな鼓弓(こきゅう)の声。哀れを催す相の山、我に涙を添えようと言うのか。
2025年07月10日
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修理の介も持て扱い、放せ、放せと止どめたけれども、耳にもさらに聞き入れず、女房が取りついて、あれ、お師匠様の御意がある。おとましや(疎ましい、困った)の気違いであるよと捥ぎ離せば、女房を取って投げ、はたと蹴って、睨みつけて、おのれまでもが気違いとは、ええ、女房さえあなどるのか、片輪は何の因果ぞやと、どうど座を組み畳を打って、声も惜しまずに嘆きける。心ぞ思いやられける。 将監が重ねて、汝よく合点せよ、絵の道の功によって土佐の名字を継いでこそ、手柄とも言うべけれ。武道の功に絵描きの名字、譲るべき仔細無し。ならぬ、ならぬと、言い切り給えば、女房は居直り、さあ、又平殿、覚悟さっしゃれ、今生の望みは切れたぞや。此の手水鉢を石塔と定め、こなたの絵像を描きとどめ、この場で自害してそのあとのおくり號(ごう)を待つばかりと、硯を引き寄せて墨を摺れば、又平は頷いて筆を染め、石面に差し向かい、これ生涯の名残である絵姿は苔に朽ちるとしても、名は石魂に留まれと、わが姿をわが筆の念力で徹したのだろうか、厚さが尺余の御影石、裏に通って筆の勢い、墨も消えずに両方から一度に描いた如くである。 将監は非常に驚愕して、異国の王義之、趙子昻が石に入り、木に入りても、和画において例(ためし)なし。師に勝ったる画工であるぞ。 浮世又平を引き換えて、土佐又平光起(みつおき)を名乗るべし。この勢いに乗って、姫君御朱印諸共に取り返せとありければ、はっとばかりに又平は忝しとも口は吃(どもり)礼より外は涙にくれて、躍り上がり飛び上がり、嬉し泣きするのは道理であるよ。 将監夫婦は悦びて、心を剛にて志は篤けれども、敵に向かって問答すること如何あらんと宣えば女房は聞きもあえずに、常々は大頭(だいかしら、幸若舞の一種)の舞が好き。わらわ諸共に連れと脇にて舞われたが、節がある場合には少しも吃り申されずと言う。 やれ、それこそは究境(くっきょう、最もよい、最も都合がよい)よ。心見に一節目出度く舞ってから立て、あっ、と答えて立ち上がり、古き舞を身の上に、准えてこそ舞ったのである。 去るほどに鎌倉殿、義經の討っ手を向けるべしと、武勇の達者を選ばれたのだ。それは、土佐坊、これは又、土佐の又平光起が師匠の御恩を報じようと身にも応じない重荷を負う、それではないが、大津の町や追分の絵に塗る胡粉は安いのだが、名は千金の絵師の家、今住んでいる墨色をあげたのだ。 かくて女房は勇みをつけ、又もや御意の変わるべき、早御立と勧めける。 おお、いしくも申された。身こそ墨絵の山水男、紙表具の體なりとも朽ちて朽ちせぬ金砂子、極彩色に劣らじと勇み進みし勢いは、由由し頼もし、われながらあっ晴れ絵筆の健気さよ。唐絵の樊噲・張良を盾についたと思召せ。 お暇申してさらばとて、打ち立ち出る勢いは、誠に諸人の絵本ぞと、おお、褒めぬ者こそなかりける。 逢坂の関、曙近き火の用心の声、高島の屋形では六角殿の姫君が行方・姿を見えさせ給わぬとて、旅人の改め、問屋(街道で馬や旅籠の継立をする宿)の詮議、土を掘り返さん程の念の入れようだ。 又平は今朝、七つ(午前四時前後)立ちで、門出を祝う中椀に、例の如くに熱燗を三杯引っ掛けて、打っ立つ所にやんごとなき上臈で、素足が土にくずおれて伏見の方からうろうろと、これ、そこな者、京の道を教えてくれ。草鞋(わらんじ)とやら言う物を履かせてくれと詞つきの大柄さ、、又平はむっと顔に立ちはたかって返事もしない。 女房が走り出て来て、大抵の御方ではない、威の備わった見所があると、お側に参り、恐れながらお屋形の姫君様と見参らす、我々は土佐の将監の弟子で吃(ども)の又平と申す絵描きの夫婦、狩野の弟子の雅楽の介に頼まれお迎えに参る折からなり。必ず包ませ給うなと囁けば、嬉し気に、おお、自らこそは銀杏の前、道犬雲谷の追っ手に隙間が無い。よいように頼むぞやと宣うので、又平は土邊に額を擦り付けて喜びの色、勇みの色、気を急けばなお物が言えず、心を仕方の腕まくり。 力み、反り打ち、居合の真似の抜き打ち。なで斬り、拝み打ち、組み合い、捩じ首手に取って握り拳の武士気(ぎ)を現わし、埴生(自分の小さな家)に匿(かくま)い参らする夫婦の所存ぞ頼もしき。 程なく八町走井(はしりい)の、問屋組頭(くみかしら)、組町を引き具して、起こし返って声々に、六角殿の姫君朱印を盗み出されて、御家老から御詮索、裏屋小路も改めよ、別して絵描きは家探し有る人は勿論、犬猫も内から出すな。と、裏口門口ばたばたと、さしもの又平取りこめられ、狩場の鹿の如くである。 不破の伴左衛門、長谷部の雲谷は着込み(上着の下に着る鎖かたびらの類)の兵(つわもの)百騎ばかりが群立ち来たって家々に押し入り、押し入り、探しける。 又平は一期の浮沈ぞと女房諸共に姫君を押し囲い、隣をがばと蹴破ってぐっと抜けたる壁は厚い、氷のようなる大刀(だんびら、刃の幅の広い刀)物で、差し出す首を片端から、きき、きき、きき、きき、切り並べんと壁にそって突っ立った。 雲谷が声を掛けて、やあ、やあ、これぞ音に聞く土佐の弟子の吃(ども)の又平めが住処であるか。叩きこぼって探して見よ。 承ると、一番手が捕った、捕った、捕った、捕ったと、度っと寄せたのだがしどろになって引き返し、なう、怖や、凄まじいや。何かは知らず家内には人が大勢みちみちて、或いは奴の形もあり、又は若衆女もある。人間ばかりか猿や猪、鷲・熊・鷹が爪を研ぎ立て眼を怒らせていて寄り付くどころではないぞ。 なう、なう、いややと身震いをして、舌を巻いてぞ恐れける。 何をぬかすか、狼狽え者め。人が三人も住めないあばら家だ、何者かあるべきぞ。察する所、店に貼った三文絵を生き物と見違えたか。怖いと思う心から眼(まなこ)が眩んだ腰抜け共、それそれ、蔀をこじ放せ。ぬるい、ぬるい、と下知すれば、鳶口をひっかけて、えいや、えいやと難なく店を放したのだ。 内を見れば不思議やな言いしに違いなく、荒奴との影ともわかず、幻とも、まだ仄暗い暁の鳥毛の槍の先を揃えたのは土佐の魂写し絵の精霊なりとも知らばこそ、我も我もと駆け向かい、打てども突けども手に取れない露の命を君にくれべいと、染めただいなし(奴の着る筒袖の着物)嫌いなし。相手を選ばずに防いだのだ。に 雲谷の弟子長谷部の等巖(とうがん)数にも足りない糟奴(かすやっこ)、我に任せとまくりかかれば片肌を脱いだ鬣男(たてがみおとこ、月代を剃らずに伸ばした男)が大盃をひらり、ひらりとひらめかして、相手の眉間にふった唐辛子、おお、辛い、おお、唐錦(からにしき)綾目もわかず引き返す。 師匠の雲谷は堪り兼ねて片端から打ちみしぎ手並みを見せんと飛んでかかった。やさしや優者(ふじむすめ)の女業には奇特頭巾、藤のしなえ(しなやかに伸びた枝)を押っ取り延べ、ひん纏ってはたと打ち、しとと打つのをひらりと外し、受けた。 ほどいた麻の衣、玉襷、甲斐甲斐しい若い法師が現れ出て、勇んでかかったその姿は波や鯰(なまず)の瓢箪、瓢箪、もって開いて鉢叩き、叩けば滑り打てば滑り、ぬらり、ぬらりと手にたまらず。あぐみ果ててぞ支えたる(防ぎ止めた)。 不破の郎党は犬上團八、そこのき給え、人々と、打って出づるや現(うつつ)の闇に、座等一人がとぼとぼととぼつく杖を振り上げ、振り上げ、盲打ちにぞ打ったのだ。 あまさじものをと続いてかかる團八の弟犬上三八、二八、十六歳程の小人(少年、大津絵の画題)枕返しの曲枕おっとり、おっ取り、はらり、はらり、はらはらはら、打つ波枕・数枕・枕重重ねに打ち乱れ、ちりじりにこそ引いたのだ。 伴左衛門は怒りをなして、手にも足らぬ雑人(ぞうにん)ばら、しや、何事かあるべき、武士の刀の塩梅を見よと、真一文字に駆けたのだ。 あら、凄まじや、こは如何に、姿は沙門で頭は鬼神、鬼の念仏を嚙み砕く。牙を鳴らし、角を振り、向かう者の真向から撞木(しもく)を持って叩き、鉦をくわん、くわん、くわん、くわん、くわん、耳にこたえ骨にしみて、進みかねては引き足も隼・荒鷲・熊鷹、一度にさっと飛び来たり、群がる勢を八方に追ったて、蹴立て、つつき立て、啄(つつ)きたて、翼の嵐、夜明けの風、鷲の声々が逢坂の木綿付け鳥に白ら白らと白み渡れば白紙に、在りし形は彩色の絵に映りたるふでの精、天骨(天才)の妙とでも言うべきだろう。又平は勇んで女房の袖を引き、物は言いたし、心進んで舌が廻らない。ただ、うう、とばかりなり。 ええ、此処な人、敵が詰めかけて事急な、廻らぬ舌を言われぬことと、舞で舞でと言いければ、おお、それよそれよ、気が付いた。今日、前の不思議を身よ、我らが手柄で更になし。土佐の名字を継いだる故に師匠の恩の有難さ、敵の中に駈け入って命を限りに追い散らさんと、大勢に割って入り、西から東、北から南。蜘手(くもで)結果(かくなわ)十文字に割りたて(激しく斬り立てる様子)、追ん廻し、散々に斬りたてられて、さしもの軍兵も堪り兼ねて八方に逃げ散って、残る物こそなかりける。 さあ、してやった、この上は、ここ、ここ、ここ、此処には片時も叶うまじ、都の方へと姫君を、おお、おお、おお、おお、逢坂山の時鳥、まだ初声の口は吃(ども)り、心は鉄石金頤(かなおとがい)に勝った、優れた、越えた峠は日の岡の、石原草原、足もしどろに、どど、どど、どど、吃(ども)り廻ってのの、のの、のの、上りける。 中 之 巻 里は京の未申(ひつじさる、西南方)なり、通いても通い足りぬぞ三筋町、西の洞院中道寺、右衛門が馬場の一方口、まだ大門の遅桜、忍んで開けて一番門の東が白む、どん、どんと打ったる太鼓の番太、何者やら、大門口に斬られていると呼ばわる声に、くつわ屋(遊女屋の主人)・揚屋・茶屋(揚屋より下等で、端女郎を呼んで遊ぶ出口の茶屋の主人)おろせ(駕籠かき)・廓の年寄り立ち合い、見れば年頃は三十ばかり、究境(くっきょう、立派)の侍、二つ重ねの白無垢白茶宇(外国から渡来した茶宇縞の絹)に縫い紋紅絹裏(もみうら)に、源氏雲の裾くくみ、南蛮ごろ(鮫鞘の一種)の大小、對(つい)の金鍔(きんつば)毛彫りは波に山王祭七所、御物蒔絵の印籠、天川(甘皮)珊瑚珠はさもなくて(傷もないのに)、大疵五か所肝先に留め有りと委細に書付けて、官領所へ訴えさせ、死骸を囲う横梯子、二階から女郎・買い手・遣り手の亀は首を伸ばして、松は寝惚れた顔を出して、まだ起き起きの禿共は常彌・生野と手を引き、舟も走って来て、塀に鞍掛け、木に取り付いて、薫様、あれ、見さんせ、吉野様の大胆な、掃きだめ山に登って、海老の皮で足を突かんすな、突いたら大事か、斬られて死なんす人さえ有ると、あだ口々の喧しさ。 あの斬られている人は、葛城様の大尽、不破の伴様に似たじゃないか。ほんに、そうじゃ、伴さまに極まったぞ。 さあ、伴左衛門が切られたぞと、京童の見物だけではなく、手負いを見がてら傾城を見に、群中を押しも分けられず、しはや検使と人を拂い、官領の雑式(ぞうしき、検視の使者)供人を引き具して死骸を解いて疵を改め、江州高島の執権、不破の伴左衛門に極まったり。 さて、この者の買った傾城は何と言う。意趣ある者の覚えはないか、口論などは無かったか。真っすぐに申せ、当分隠して後日に知れたならば、曲事であるぞと仰せなされた。 年寄りが罷り出て、上林(かんばやし)の葛城と申す大夫を千二百両にて請け出さるる筈の所、名古屋山三と申す浪人と葛城と、行く末深い約束とて談合がなりかねて申せし故に、両方が意趣を含んでいましたが、是ならで覚え候わずと詳らかにぞ言い分けた。 雑式は一々を口書きして、名古屋山三は浪人であるが、もとは伴左とは朋輩、かたがた大事の詮議である。先ずは葛城の遣り手を呼べ、遣り手出ませと呼ぶ声に、玉は臆病で年寄りである。 やら、恐ろしや、私が出て何と言おう。縛られたらどうせうぞ、なう、悲しや、目がまうた。気付けは無いかと泣いている。
2025年07月07日
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元信が内側から、雅楽の介か、満足したぞ。身に誤りない上に、慮外をして姫君の御身の誤りが気遣わしい、帰れ、帰れと呼ばわれば、ああ、慮外と言うのも事による、明けなければ踏んで踏み破ると喚き散らせば、雲谷不破、雅楽の介を打ち殺せと、引き返して門の閂を外す所を付け入りに、雲谷の小額をずっぱと切り下げたのだ。 あ、痛しと躍り上がり二人は抜き連れて打ちかかる。あなたへ追い詰め、こなたに支え、城下を指して切り出る。 四郎二郎は地団太を踏んで、ええ、佞臣どもめ、むざむざとは死ぬまいよ。親から伝えた一心の絵筆はここぞと観念して、右の肩に歯を立ててふっつ、ふっつと食い破り、口にわが身の血をふくんで襖戸に吹きかけ、吹きかけ、口にて虎を描いたのだ。電目(稲妻のように光る眼)雷威(雷のように威力のある)眼(まなこ)の光、怒りで毛怒り、怒り斑(ふ)、怒り爪、千里を駆ける勢いであるよ。 道犬は姫君の行き方を尋ね廻りしが、先ず絵描きめから仕舞わんと(かたずけようと)太刀を抜こうとした際に、俄かに吹いてきた風が騒ぎ、絵に描いた虎は形を現じ、牙を鳴らして吠えかかった。 道犬も強力者で、組とどめようと挑み合う。虎は猛って爪を研ぎ、辺りを蹴立ててもみ合いしが、もとより不思議の猛獣である、道犬の襟髻(えりたぶさ、後頭部の髪)をひっ咥えて打ちかたげくるり、くるり、くるりくるりくるり、くるりくるりと持って廻り、一振り振って投げければ、塀を打ち越して敷石に面(つら)を打ってぞ打ち付けける。 虎は勇んで元信の戒めを噛み切り、背を差し向けてそばえたる(ざれる、戯れる)。 元信はやがて心つき、袴の股立ち絞り上げて、ひらりとこそは乗ったりける。虎は千里の足早く風に嘯き、身も軽く、追い来る敵を追い散らし、駆け散らし、堀も築地も躍り越え、跳ね越えて駆けていく。 豊干禅師(唐の禅宗の高僧。その弟子、寒山・拾得と虎とを合わせて、共に眠っている所が四睡と称して画題になる)の四睡の虎、李将軍は虎を組む。絵に描く虎を動かしたのは古今に一人、乗ったのも一人、天下に一人、一筆の誉は世にぞ残りける。 實(げ)に獣君(虎)の一霊山野にはびこり、草木を踏み折り、田畠を荒らす事ななめならず、近郷の百姓は声々に、三井寺の後ろから藤の尾までは見届けた。この山科の藪蔭へ逃げ込んだに極まったぞ。皮は傷をつけずに叩き殺せ、ぶち殺せと取り取りに喚き評定する。 庵の内から棒を突いて小提灯を提げた男が、やあ、何者じゃ、人の軒、打ての殺せのとは胡乱であると咎めたのだ。 いや、これは矢橋(やばせ)粟津の百姓共、この頃信楽山から虎が出て荒れる故に隣郷が言い合わせてこの藪に追い込んだ。探させて下されと、口々に呼ばわれば、侍は嘲笑い、やい、虎と言う獣が日本に出た例はない。途方もないこと、夜盗・押し入りの手引きであるか。 この虎を誰と思うか。土佐の将監元信と言う絵師、仔細があって先年、勅勘を蒙りこの所に逼塞し、将監は年は寄ったけれども某は門弟・修理之介正澄と言う者、油断はしないと棒を振り回し諍う声、将監夫婦が障子を開けて、聞いた、聞いた、天地の間に生ずる物あるまいとも決め難い。諸共に探せと槍熊手を引っ提げ、引っ提げ、えい、えい声、松明を振って狩り立てた。 一叢竹の下陰にそりゃこそ物よと灯し火を挙げれば、荒れに荒れたる猛虎の形、人に恐れる気色なく背をたわめてぞ休みいる。 将監は横手を打って、あれ、不思議や、顔輝(がんひ、元時代の画家)の筆の、竹に虎の筆勢に少しも紛う所なし。これは真の虎ではない。名筆の絵に魂が入って現れ出たのに相違ない。 しかも新筆、今これ程に画(えが)く人は狩野の祐勢の嫡子・四郎二郎元信ならでは覚え無し。いづれにもせよ証拠には足跡はないだろう。物はためしと百姓共が若草を分けて尋ねたが、虎の足形はないので、書き手も書き手、目利きも目利き、前代未聞の名人だと、心ない土民共も拝まんばかりに信を為した。 修理の介、七尺去って師匠を拝し、ああ、ありがたや、この虎を見て絵の道の悟りを開き候。そのしるしとして、我が筆先にてあの虎を消し失い申すべし。 名字名乗りを授けて御許しを承けたく候と、懇望(こんぼう)があったので将監が悦び、おお、今日より土佐の光澄(みつづみ)と名づくべしと印可の筆を与えれば、修理は頂き筆を染めて虎の順(ずん、ずいの訛り、真ん中)に差し当てて、四五間あいだを置きながら筆を引く方(かた)に従って、頭・前脛・後ろ脛・胴から尾先に至るまで、次第に消えて失せけるは神變術(不思議な自由自在の術)とでも言うしかない。 百姓達は舌を巻き、孫子までの咄の種、なう、あの上手の絵描き殿によい御山を十人程描いてもらい金儲けがしたいと言えば、一人が聞いて、おお、おお、冬年(ふゆとし、年末)にお目に掛かかれたら借銭乞いの帳面をここから消して貰おうもの。お暇申すと打ち笑い、在所、在所へと帰ったのだ。 ここに土佐の末弟で浮世又平重起(しげおき)と言う絵描きがいた。生まれつきの口どもりで言舌が明瞭でない上に家が貧しくて身代は、薄い紙子の火打ち箱、朝夕の煙さえ一度を二度に、追い分けて、大津の外れに店(たな)借りて、妻は絵具を準備して、夫は絵を描く。筆の軸さえ細もとで上り下りの旅人の、童すかしの土産物、三銭、五銭の商いに命も銭も繋いだのだが、勅勘を受け日陰の身である師匠を重んじて半道余りを夫婦連れ、夜な夜な見舞うのは殊勝である。 夫はなまなか目礼ばかり、妻はそばから通詞(通訳、夫に代わって言う事)して、まだこれはお寝(よ)りませぬ、誠にめっきりと暖かに日も永くなりまして、世間は物見の遊山のと、ざわざわ、ざわざわ致しておりまする。こなたは山蔭の御浪人のおつれづれをいさめ(御慰め)の為に嫁菜の浸しに豆腐の煮しめ、酒を入れた竹筒でも持参致しまして、関寺か高観音(たかかんのん)にお供して、春めく人でも見せましょうと、夫婦で申してはおるのですが、心で思っているばかりです。道者時分(京参りや伊勢詣の人が多い時分)で店は忙しい、洗濯物はつかえる、仕事にははかがいかず、日がな一日立ちずくみ、何をするやらのらくらと急げば廻る瀬田鰻を、ただ今膳所から貰いまして、煉り貫水の大津酒、夢々しゅうはござりますれど、この春からはお幸せが治って鰻が穴から出るようにお世にお出なされましょう。 ほんに、つべこべと私が言うばっかりで、こちの人のどもりと私の御喋りで入れ合わせたらよい頃な(よい加減でしょうに)夫婦が一組出来ましょうに。ああ、御はもじゃ(お恥ずかしい)と笑ったのだ。 将監の北の方が、おお、ようこそ祝ってたもうた。今宵は奇妙なことがあって修理は名字を許されて、土佐の光澄(みつずみ)と名乗るぞよ。そなたもあやかり給え、とあれば又平は時節(よい折)と女房を先に押し出して、背を突き、わが身も手を突き頭(こうべ)を下げて訴訟有りげに見えたので、女房が心得て前に進み出て、誠に道すがら百姓衆の咄を聞き、身は貧なり片輪(かたわ)なり。おとと弟子に土佐を名乗らせ、あに弟子はうかうかと何時までも浮世又平で、藤の花を担げたお山絵(藤娘)や、鯰を抑えた瓢箪の如くにぶらぶらと生きても甲斐がないと、身を揉んでの無念ぶり。 尤もとも、哀れとも、連れ添う我等の心の内、申すのも涙が零れまする。奥様にまでは申し上げましたが、お直の願いはこの時節、今生の思い出、死しての跡の石塔にも俗名土佐の又平と、御一言の御許しは師匠のお慈悲、とばかりにて涙に咽び入ったのだ。 又平も手を合わせて、将監を三拝して、畳に喰いつき泣いている。 将監は元来が短気であり、やあ、又しても、又しても、叶わぬことを吃(どもり)めが、こりゃ、この将監は禁中の小栗と筆の争いで勅勘の身となったるぞ。今でも小栗に従えば富貴の身を栄えるのだが、一人の娘には君傾城の勤めをさせ、子を売って食う程の貧苦を凌いでいるのは何故ぞ。土佐の名字を惜しむからではないか。 修理はただ今大功があり、おのれに何の功があるのだ。琴棊書画(きんぎしょが)は晴れの芸、貴人高位(きにんこうい)の御座近くに参るのは絵描き、物もえ言わぬ吃めが推参千万、似合った様に大津絵(大津辺で土産物として売った戯画)を描いて世を渡れ。 茶でも飲んで帰れ、と愛想もなく叱られては、女房は力を落として、こなたを吃に産んだ親御を恨みなさい。と、失望して泣きながら言う。又平も自分の喉笛をかきむしって、口に手を入れて舌をつめって泣いたのは道理であるよ。不憫過ぎるのだ。 時に、藪の中から、将監殿、光信殿、と呼ばわって痛手を負った若者が縁先によろぼい立、狩野の弟子雅楽の介です、お見忘れ候か。 げにも、げにも、雅楽の介、先ず此方へと座敷に入れ、承れば四郎二郎殿、雲谷不破の悪逆で、難に遇った段々をつぶさに聞き、気遣いはしたと有りければ、さん候、某もお供仕り、雲谷と戦い、斯様に深手を負い候。頼み切った名古屋山三殿は在京で、元信は危うく候いしが漸く逃れ、落ち失せたると承る。 ここに難儀が候のは、姫君銀杏の前様が元信を憐れみ七百町の御朱印を持って落ち給われたこと。敵が奪って下の醍醐に隠れし由、再び姫君を屋形に移し、御朱印を奪い返さなくては長く絵師の瑕瑾(不名誉)とならん。 某は手負いの身で叶わず、御加勢を頼まん為に忍びて参り候。と、語りもあえないのに、将監は皆聞くに及ばず、狩野と土佐とは一家同然、力になりて参らせん。 されども彼奴等と太刀打ちは、いっかな、いっかな、叶うまじ。姫君にも怪我あらん。どうぞ弁舌のよき人に御屋形の御意と言わせ、謀(たばか)って取り返す分別が御座ろう。 いずれも言うておみやれと、額に小皺、頬杖ついて各々が小首を傾けた。 又平が何か言いたげに妻の袖を引いて、背中を突き、指差ししたのだが合点せず、心気をわかして(気を苛立てて)女房を突きのけてつっと出て、師匠の前に諸手をつき、唾(つ)を飲み込んで、この討っ手には拙、拙者が参り、姫君も御朱印も、うう、うう、うう、奪い取って参りましょうと、言上した。 将監はきっと見て、やあ、面倒な吃めが、思案の半ばに邪魔を入れるな。そこに立って失せてしまえ、叱られても怖じる所か、いや、膝とも談合と申すではありませんか、口こそは不自由なれ、心も腕も天下に怖い物がない、拙者が分別を出だし、叶わぬ時にはゑん正介定、あっちへ遣るかこっちに取るか、首を賭けての博奕。命の相場が一分五厘、浮世又平と名乗りては親もない、子もない、身柄一心、命は掃きだめの芥、名は須弥山と釣り替え、倅の時から旧好(きゅうこう)なし命に代えて申し上げるのも、師匠の名字を継ぎたい望みばっかり。 拙者めを遣わし下され、申し、申し。さりとては承引なされぬか(これ程にお願い申しても承知なされないのか)、吃でなくてはこうもあるまい、ええ、ええ、ええ、恨めしい、喉笛を搔き破って除けたい、これ、女房共、さりとはつれないお師匠や、と声を挙げてぞ泣いている。 将監はなおも聞き入れずに、片輪の癖の述懐、涙は不吉千万、相手になっていては果てしがない。是、是、修理の介、御辺が向かって思案を巡らし、奪い返して来られよ。 畏まったと言うよりも早く、刀を腰にぼっこみ、立ち出る。又平がむんずと抱き留めて、まま、まんまん、待ってくれ。師匠こそはつれなくとも、弟子兄弟の情だ、この又平を遣ってくれ。殿とも言わない、すっ、すす、すっすっ、修理様。 こりゃ又平、某がやたけに(気を揉んでも、熱意を持っても)思っても、師の命は力なし。ここを放せ、おお、おお、いや、はは、離さないぞ。 放さなければ抜いて突くぞ、つ、つ、突き殺せ、はは、はは、はは、はは、放しはせぬぞ。
2025年07月03日
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元信は家の幸甚、早速帰って本懐を遂げ、この御恩には父御の事も請け取り申す。万のお礼は本国よりと立ち帰ろうとするのを、是、申し神の御告げに任せたからには恩にはかけませんよ、末掛掛けて情を思召すならば必ず外に御内儀様を持ちてばしくださんすな。奴殿、頼みます。何が扨て、何が扨て、天神様よりは大夫さま、おっつけおふたりは連理の松、中に立ったるこの松は嶋臺(婚礼に使う蓬莱の島台)持っての取り結び、千年万年、万々年綴じ付きひっつき松脂の離れぬ仲とぞ寿した。 されば江州(ごうしゅう、近江の国、滋賀県)高嶋の屋形に左京太夫頼賢(よりかた)卿が参勤の為に上洛あった。執権不破入道道犬(どうけん)、同嫡子不破の伴左衛門宗末(むねすえ)は国を預かる留守居役である。 御家の絵描き長谷部の雲谷が慌ただしく入道親子の前に手をつかねて、近頃過言ではございまするが某ことは雪舟の的傳(てきでん、正統を伝えた者)として代々の御扶持人、この高嶋の御屋形にて絵筆を執って誰人か拙者が上につき申さん。 然るをこの度、狩野とやんら申す青二才が武隈の松を描いたとて、過分の恩賞を下され、古参を踏みつけにして御前にはびこり、あまつさえ今日は奥方(おくかた、女性の住む奥の建物)に召されて姫様よりお料理を下されると承った。殿様の御留守に誰が許しての推参(無礼に参上する事)、御家老の仰せ、一国に違背する者はいない。きっとお仕置きしかるべしとぞ支え(遮る、邪魔をする)ける。 道犬は頷いて、つっと寄れ雲谷、そうじてこの四郎二郎めは相役の名古屋山三の取り持ちで召し出された。山三は元来お小姓立ち(小姓から立身した者)、前髪の酒林(さかばやし、杉の葉を束ねた酒屋の看板)、少年の容色で殿をたらした傾城のような男、口嘴(くちばし)が黄色い子雀が家老並みに連なり威をふるうその山三めを甲に着て、のさばりかえる四郎二郎、我々親子が睨んでも事とも思わない奇怪さ、その方とても同然である。 又、乙の姫君銀杏の前は御愛子(あいし)ではあるが脇腹であるから御台所を憚りなされて、田上郡七百町の御朱印を付けられて、京都有徳の町人か由緒有る御家中にへ下されんとの、御内意故に某嫁に申し請け、この伴左衛門に縁篇(えんぺん、夫婦の縁を結ばせ)し七百町を主づかん(所有させる)と当てはめて置いたもの、姫君は狩野めに心を通わして今日密々に祝言がありと、奥目付から聞いたのだが、御意とあらば詮方なし。御在京のその間は山三めも留守であるから彼奴の方人(かたうど、味方)する者はいない。少しでも誤りを随分と見つけ出せ、聞き出せ。慮外をしたならば打ち殺せ、御留守の間国中は某の裁きなり、この不破と言う鰐が見入れて余りほどはあらせまい。試してみたい新刃(あらみ)はないか、一の胴(試し斬りの際の上の胴)か二の胴(一の胴の少し下)か望んでおけと言いければ、雲谷は甚だ笑壺に入り、政道正しき御家老様、御屋形の心柱と追従たらだら見苦しい。 かくとは知らずに四郎二郎は桜の間に伺候して、姫君の銀杏の前さまから御掛物を仰せつけられて、持参仕り候お取次ぎを頼み奉ると言えども入道伴左衛門はじろりと見たるばかりにて返答もせずに睨め付けた。 やあ、痴れ者よ。そばには雲谷、いかさま、我に手を取らせる企み(我に一杯食わせる企み)がある。立ち帰るのも不覚(面目が立たない)である、幸い、幸い、奥に通じる通路の鈴の綱がある。ふりはえ(引っ張って)引くと鈴の音がして、おう、と答える女の声。 宮内卿と言って中老(老女の下位の者)の局が立ち出でて、やあ、狩野殿か、姫君さまがお待ちかね、お直の御用もあるとのお事、さあさあ、こちへと有りければ、畏まって四郎二郎が入ろうとすると伴左衛門が声を掛けて、待て、待て、待て、御家の掟を知らなければ何故に物頭に伺いを立てなかったのだ。それとも知っていて背いたのか、不届き千万、上から御許しが無い時に刃物を帯して奥方に参ることは禁制(きんぜい)との御条目、あれ、大小をもいで引きずり出せ、当番、当番と呼ばわれば、宮内卿が、いや、是は私事ではない。姫君様から殿様にお伺い、即ち京から名古屋山三殿の指図があり、奥に召される四郎二郎、何のお咎めがございましょうか、と言えども更に聞き入れずに、御留守を預かる家老の耳に承らぬ御意であれば、殿の御意でも叶わぬこと、それ、伴左衛門出で取れ。まっかせ、と立ち上がった。 四郎二郎も身がまえして、すがらば切らんず眼差し。左右なく(容易には、直ぐにも)寄り付かずに、さあ、渡せ、渡せと詞で脅すだけである。 時に奥から腰元がつかつかと出て、これこれ、いづれ御姫さまより御意がある。四郎二郎殿には直に御用の事があるけれども丸腰でなければ奥に通さない御法度とあれば、是非に叶わず(止むをえません)、姫君様がこの所までお出でとの仰せである。 四郎二郎は御用人(上の御用を仰せつかる者)である。その外の男の分、雲谷は言うに及ばず、御家老殿を始め誰も御前へは叶いません。皆、御広間に立ちませい。立ちませいとの権柄さ(権力に任せた尊大な態度)に道犬親子は無念ながらにつっと立ち、さあ、雲谷、姫君の御前には男たる者は罷り出でず、男でもない奴ばらに侍の時宜(礼儀)は無用の沙汰と、四郎二郎に刀の鐺(こじり、刀の鞘のはし)を打ち当て、袴の裾を踏みたたくって睨みつけ、御次の間にぞ出たのだった。 お留守と言い、女中の邊なお穏便に事ともせずに御好みの掛け物、梅に淡雪・雉山鳥を仕って候と紐を解いて懸けた所、この由を姫君に披露致さんとする。 さあ、先ずはお茶を進ぜようと局は奥にあい、あいと、愛想らしく声々が、男の側に寄ることは常に無い、梨地の煙草盆、落雁・かすてら羊羹より、菓子盆運ぶ腰元の、饅頭肌(白くふっくらした肌)が懐かしい。 物に臆したりはしない男子であるが、女中の色に目移りして、気を取られた折節に、十八九なる脇詰めの後ろ結びも格別の、銚子盃を前に置いて淑やかに手を突いて、私は御姫様の御髪上げ係りの藤袴と申す者、しみじみとお話申し上げいとの御事です。御存知の通りに御手掛け腹のお姫様、御臺様への憚りにて大名高家(こうけ、武家の名門)への御望みはなく、心次第、縁次第にと田上郡(たがみごうり)七百町、御朱印を握って殿好み、つれないのは其方様でいつそやから色々とお乳の人お局が口が酸い程に勧めてもどうでもお請けないとのこと、御愛しや姫君はあまりの事に恋焦がれて私を寝間に召して、やい、藤袴、せめてのことに其方なりと四郎二郎と名を付けて心床しに抱いて寝よう、そちもおれを抱きしめて姫、可愛いと言って呉れ。との、藻掻き言が御愛しさ、 とんと下紐を打ち解けて、寝る程だく程、締める程に二人の心は急くばかり。どちらぞ男になりたいと言っても泣いても叶わばこそ、上手くはいきません。のう、大名の手業のも有るべき道具(男の一物を暗示する)の足らないのはひょんな物であるとおむつかる(おじれになる)。 みずからに否應(いなせ)の返事を聞き切れ参れとのお使い、私も一分が立つようにお返事なされよと述べたのだ。 元信は額を畳に付けて、冥加に余る仕合せながら、度々お返事いたした如く諸朋輩の嫉みと申し、欲心に紛れる事は世間の嘲り、よしご機嫌に違って改易されましょうとも御恨みには存じませぬ。御請けの事はなりませぬ。良きようにお取り成しを頼み入るとぞ言い切ったのだ。 ははあ、にべもなく埒があいた。如何にとしても上つ方に左様な慮外は申されまじ。少し物に品をつけて始めよりの女房が有るとでも申しなば、御胸が晴れることもあるでしょうが、さりながらその女房は何者と後度をつかるる、念のために、今此処で私と夫婦固めの盃をして、とっと前から藤袴と契約が有ると申すならば、いかな主でも大名でも、この道ばかりは先(せん)が先、この談合はどうでござんしょうか。 おおう、幸い望む所だ、さあ、盃を仕ろう。いやいや、いやいや、我とても仮にはいや、仏神かけての夫婦ぞや、誓文、誓文、絵筆を取らぬ法もあれ、かうじゃ、かうじゃ、と抱き付く、近頃嬉しい忝い。是は祝言の盃と一つに受けて元信(もとのぶ)に妻の盃を頂く作法儀式は固くと、四海波、腰元中が謡ったので、奥からお局が嶋臺に七百町の御朱印箱、姫君様の御祝言、三国一だと祝ったのだ。 四郎二郎は合点がゆかずに、逃げようとするのを抱き留めて、藤袴とは仮名である。自らこそは銀杏の前、誓文立てての盃、否やはならぬと述べ給えば、いや、我等の名指しは藤袴、外に妻はこれなしと尚も意地を張れば、そんなら本の藤袴、早く、早くと呼び出した。 お茶の間の切り嬶(かか)五十余りにの厚化粧、三平二満の口紅、しなだれかかる会釈顔、これが何で藤袴であろうか。しゃちらごわい皮袴、どっと笑いのどやくや紛れに、尽きせぬ妹背となったのだ。 かかる所に不破伴左衛門宗末が雲谷を伴って遠慮もなく座上にどっかり直り、是、四郎二郎、汝如何なる野心でか、御屋形を調伏し、亡ぼさんとの存念あり、きっと詮議を遂げるべき旨の父道犬の下知、申し譯仕るか、直ぐに縄をかけようかと早くも縄を手繰って見せかけたのだ。 四郎二郎は少しも騒がずに、せめて形の有る事には申し譯も有るべし。御屋形を調伏とは此の方の言い訳よりも先ずお咎めの証拠を承らんと申しける。 雲谷が下座から、こりゃ、こりゃ、証拠は某だ。総じて絵描きが秘密裏に絵を描いて調伏することは、人は知らないと思うであろうが、この雲谷が見つけた。この掛け絵は和主が筆、梅に山鳥、雪に雉、そもそも当家は高嶋の御屋形と号し、山偏に鳥と書いて嶋と読む文字である。梅の梢に山鳥が高々と止まっているのは、是は高嶋ではないか。雉にほろろの声があって、雪は降っているとの心が有る。読み下せば高嶋滅ぶる調伏。で、狩野とは狩りの野と書く。 姫君と心を合わせて屋形を亡ぼし、一国を己の狩場の野原にすると言う表相、重罪は逃れのない所だ、縄に懸かれと取り着く所をひっぱずして、胸板をはたと蹴倒した。その間に、飛び掛かった伴左衛門の真向、刀の柄ではっしと打ち、直ぐに抜こうとする所を隠しておいた取り手の者、十手八方鉄鞭をぶち立て、ぶち立てて、ねじ伏せ、高手小手にいましめ、黒書院の床柱に思う様に縛り付けて姫君の御朱印を奪い取れと群がるのを、女中達が手に手に枕槍(護身用に枕元に置く槍)や長刀でひっ包み、囲い防げば、あまさじと奥を指してぞ追い詰めたのだ。 腰掛に控えていた雅楽(うた)の介はかくと聞くよりたまられず、駆け回っても奥方の勝手は知らず中口の開けずの門を砕けてのけと扉を叩き、狩野四郎二郎元信の弟子、雅楽の介之信(ゆきのぶ)と言う草履取だ、主と言い、師匠である。死ぬる道ならば共に死なん。 高が絵描きの丁稚風情だ、怖い事も有るまい。相手の首を取る分のことだ、開けよ、開けよと貫の木も折れるばかりに踏み叩き、鳥居立ちにぞ跨りたる。
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