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後ろで與兵衛が邪見(殺意を孕んだの意。邪見は無慈悲、残忍の意)の刀を抜いて、待っているのだとは見もしないし、知らないで、祝って節句をお仕舞いなされ。こちの人とも割り入って(折り入って)相談して有る金ですから役に立てまいものでもない。五十年六十年の夫婦の中も金のことはままにならない女の常です。必ず私を恨んでは下さるな。そう言ううちに灯火を受けてきらりと光る刃の光にお吉はびっくりして、今のは何ですか與兵衛様、いや、何でもござらぬと後ろ手で脇差を押し隠した。 それそれ、きっと目も据わって、のう、恐ろしい顔色(がんしょく)、その右の手を此処へ出しなさいな。おっと、脇差を持ち替えて、是れ見さっしゃれ、何もない、何もない、そう言うのだがお吉もわなわな身を震わせて、ああ、こな様は小気味の悪いこと。必ず側に寄らずにいてくださいよ。 後退(しさ)りして寄る門の口、明けて逃げようと気を配るのだが、はて、きょろきょろと何が恐ろしいのです、と付け回し付け回しして出合えと喚く一声、二声を待たずに飛びかかり、取って締め、音骨(おとぼね、声を卑しめて言う)立てるな女めと、吭(ふえ)の鎖(喉笛、気管)をぐっと刺した。 刺されて悩乱(のうらん、身悶え)手足をもがき、そんなら声は声は立てまい、今死んでは年端もゆかない三人の子が流浪する(途方に暮れる)。それが可愛い、死にたくはない。金も要るほど持って御座れ。助けて下され與兵衛様。 おお、死にたくないのは尤も、尤も。此方が娘を可愛がる程に、俺も俺を可愛がる親仁が愛しい。借金を返して男を立てなければならないのだ。諦めて死んで下され。口で申せば人が聞く。心でお念仏、南無阿彌陀、南無阿彌陀仏と引き寄せて右手から左手に太腹に割いては抉る。抜いては切る。 お吉を迎いの冥途の夜風、はためく門(かど)の幟の音、煽(おうち、吹き起こる風)に売り場の火も消えて庭(土間)も心も暗闇に、打撒く油と流れる血、踏みのめらかし(踏んで前方に倒れ掛かる)踏み滑り、身内は血潮の赤面赤鬼、邪険の角を振り立ててお吉の身を裂く剣の山、目前に油の地獄の苦しみ。軒の菖蒲(あやめ)の刺した物で千々の病は避(よ)けるけれども前世からの過去の病苦・災難は逃れえない。菖蒲刀(端午に飾る木太刀)に置く露の、魂も乱れて息が絶えてしまった。 日頃は気丈夫なお吉の死に顔を見て、ぞっと我から気遅れがして、膝節(ひざぶし)ががたがた、がたつく胸を押し下げ、押し下げして、お吉が持っていた鍵を追っとって覗けば蚊帳の内では打ち解けて寝ている子供の顔附きさえ、自分を睨んでいるように感じて身も震え、それに連れてじゃらじゃらとがらつく鍵の音。頭(こうべ)の上で鳴る神が落ちかかるかと肝に応え、戸棚にひったり(ぴったりと寄り添い)引き出した打ち飼(が)い(腰袋)、上銀五百八十匁は宵に聞いていた心当て通りの金額だ。 懐にねじ込み、ねじ込み、その重さで足も思うように進まずに、薄氷を踏む、火炎踏む、この脇差は栴檀(せんだ)の木の橋(北浜から中の島の東端へかかる橋)から川底に沈めるとして、この罪の報いで来世は地獄に落ちるであろうが、それは目には見えないこと。金が入った幸運を思う存分に満喫してやれとばかりに豊島屋を抜け出すと一目散に廓へと走ったのだ。 おしてるや、難波の春は京に負け、京は難波の景色より劣る、水無月、夏神楽、廓四筋(新町遊郭を指す)は四季共に散る事を知らない花(遊女)が揃っている。 妓(よね)の風俗、揚屋(あげや、遊女を呼んで遊ぶ茶屋)のかかり(構え、つくり)、富士も及ばない恋の山(恋が栄える場所)で第一に日本の名所である。 一年三百六十日(太陰暦では一年は三百六十日である)、紋日(廓の祝日、紋日は客の出費がかさみそれだけ遊女屋は喜ぶのだ)が三日足りないと亡八(くつわ、遊女屋の主人)は歎く。 女郎はそれほど客に厄介をかけるので、一旦紋日での遊興を約束をしておいてそれを断る客もある。好んで紋日の遊興を引き受ける大尽客は一段と勿体らしく駕籠を飛ばして揚屋に駆けつける。 扇で顔を隠し忍ぶ色茶屋の客。一座遊び(遊女を並べての遊興)はその場限りで変哲もない。肩で風を切る空(から)ぞめき(冷やかし客)、位を取るのは(太夫か天神かと遊女の位を聞きたがるのが)田舎客。寝て物語る馴染み客。太鼓(廓の門限を知らせる太鼓)過ぎてからと囁くのは女郎の手もめの振る舞い客(女郎が身銭を切るほどの深い仲の客)、親や親方(両親や抱え主)を忘れる程に遊女が打ち込む客もいる。遊興に自分の身代を使い果たす客もある。様々な客が入り混じって行き通う。 道の間も暫くも口をただ置くのも恥らしく、役者の物真似、地の物真似(特定の歌舞伎役者を真似るのではなくて歌舞伎風の仕草や台詞回しを真似ること)、小唄浄瑠璃、口てんごう(冗談を言うこと、洒落を言う)、西口や東口に行くのも、帰るのも、障りのない夕べ夕べの大寄せ(大勢で遊里にくり込み、大勢の遊女を呼んで賑やかに遊ぶこと)は豊かなる世の功積(いさおし)であるよ。 さて、山本森右衛門は與兵衛の身持の知らせに驚き、暫く主人に暇を乞い、大坂に立ち越えたのだが、女を殺し金を盗んだ事も確かにそれとは知らないけれども、十目(じゅうもく)の見る所では與兵衛の所業と間違いはなくて、果てしもない身の放埒さ、もしやと詮議しようにも家には寄り付かず、先々を尋ねて廓の内、東口で尋ねたところそこら辺と教えられたが、どこも同じ局の係りで、ここや備前屋、これが教えられた備前屋かと見紛い佇み居るその折節に、手には嵩高な文を持って西の方から来る禿、これこれ、物を尋ねたい、備前屋と申す傾城屋は何処であろうか。その御内に松風殿と申す傾城を御存知なされないか。御存知ならば教えて下さらぬか。我ら当所は不案内、頼み入るぞと堅苦しく声を掛けた。 ふう、仔細らしい物の言いよう、備前屋はこの家、西の端に戸を鎖した局(局女郎・端女郎のいる所、長屋を数戸に区切り、一戸の間口は四尺五寸、乃至六尺。女郎は格子を隔てて直接客と交渉して、客が上がれば戸を閉じた)が松風様で御座んす。これ、お侍様、左の足を上げてくださいな。それそれ、右の足も上げなされ。おお、よく上げさんした。はい、ご苦労さまと大人ぶって言って行き過ぎた。 所柄なので人に馴れ、え、気軽い奴だと打ち笑い、教えられた局に立ち寄れば、内に火影あるのだが戸口はぴったりと締め切っているのだ。 さてこそ客は與兵衛に極まった。出て来るところを捕らえて会おうと待つ間も程なく、戸を開いて、編笠を被(かづ)き立ちいでた。すかさずむんずと羽交い締めに引き抱える。女郎が引き続いて出て、こりゃ誰ぞ、率爾(そつじ)せまい(軽はずみなことをしなさるな)と引き分けた。 苦しからず、率爾ではない。おのれ與兵衛め、隠れさえすれば見つからないと思っているのか、笠を引きちぎって顔を見合わせ、やあ、こりゃ與兵衛ではないぞ。人違いをした。真っ平、真っ平、面目なやと腰を折って手を擦れば、相手の客も人目を忍んでの恋なのであろう、頷くだけで顔を隠し、東の方へ走って行く。 河内屋與兵衛とは深い仲と音に聞こえた松風殿、昨日にも今日にも與兵衛は此処へまいらずか、別に心配な事ではない用事で尋ねる者だ、隠されては彼のためによくない。さあ、真っ直ぐなところを訊きたい。 まちっと先に見えまして、これから直ぐに曽根崎へ叶わぬ用事だとて御座りゃんした。何じゃ、曽根崎へだと。南無三遅かったか。拙者も跡から参らずばなるまい。序でにもう一つ尋ねたいが、五月の節句前か後か。六月に入って早くの六日でした。その間にここもとで金銀の払い、 金を沢山に使ったことはないだろうか、それも隠さずにお知らせなされよ。どうでしょうか、金遣いのことまでは存じません。遣手(遊郭で遊女に付き添って世話を焼く女)にお聞きなさあいませ。そう言い捨てて局の中についと入った。 これは我ら不調法だった、よしそれとても、與兵衛に会えば知れることだ。行く道筋も知っている曽根崎にはたったひとっ飛び。一走りと、尻を腰のあたりまで引っからげて揉みに揉もうぞ(気を荒立てて飛んで行こうぞ)。 でぞ、君を待つ夜はよやよやよ、西も東も南も嫌よ、とかく待つ夜は来たの、北がよい。 先にも待ちは待ちながら、こちからひたと(せっせと、ひたすらに)行き通う。道の犬さえ見知るほどに現(うつつ)を抜かした河内屋與兵衛、小菊に会いたい一心で、田の面の雁ではないが、新町の花を見捨てて蜆川、ここの花屋に辿り寄った・ 後家のお亀が出て迎えて、たまたま見えるお客にこそようお出での言葉が相応ですが、與兵衛様は此処がお家、ちと風変わりでお出でを止めて戻りゃしゃんしたか、小菊呼びましゃ、内は上下座敷も詰まる、浜・川岸に据えた床几で酒盛りをきりきりと飲みかけましょう。 小菊様、さあ、此処へいらっしゃいな。行灯に油をさしなさい。油の序でに、油屋の女房殺し、酒屋に仕替えて幸左衛門がする芝居、殺し手は文蔵で憎いげな、與兵衛様はまだ見ていませんか、小菊様をお連れして少しは芝居見物などもお出でなされ。やれ、お盃を持って来い。と、たった一人で喋り立てる。 後家を窘めてちと人にも物を言わせろ。生まれて與兵衛はこんなむさい床机の上で酒を飲んだ事がないぞ。しかし今日は許そう。東隣を借り足して與兵衛の座敷分に一つ座敷を拵えろ。 材木大工の諸色諸入目は見事に我らが仕ろうよ。きつい物であろうが、何と豪勢なものであろうよ。え、下卑たこの蒲鉾の薄い切りよう。などと、僭上をたらたらと暴れ酒、暫くは時を移したのだ。 與兵衛は此処にいたのかと、知らせることが有って来た。そう言って刷毛の彌五郎が床机に腰を掛けて、我を侍が探しているぞ。 や、そしてそれはどんな侍か、と胸にぎっくり横になったのだが、心に包んでいる悪事の塊、俄かに仰天してうろうろ眼(まなこ)、はて、きょろきょろとするな。昨日から兄(太兵衛を指す)の所に来ている侍じゃとやい。ああ、それで落ち着いたぞ、高槻の伯父森右衛門じゃ。顔を合わせては面倒だ、此処へ訪ねてくるかも知れない。早く逸らして逢いたくないとは思うのだが、急には座を外せない。何か良い口実はないものかと見廻し見廻しして、ああ。思い出したぞ新町に紙入れを忘れて来た。中には呻くほどに金を入れて置いた。つい一走りして取ってこよう。刷毛も来いと立ち上がったのを小菊が止めて、あ、ざわざわと何じゃの、有り所の知れた紙入れなら明日にでもお取りなさいな。 いや、そうでない、そうでない。懐が重たくなればとんと遊ぶ心がしない。と、袖を引き離して二人連れ、根から(てんで)忘れてもいない紙入れの大法螺を吹いては先を急いだのだ。 熱い茶を四五杯飲む程の時間も経過しないうちに、森右衛門が行灯を目当てに花屋の門口、花車に会いたい、此処へ、此処へと呼び出して、河内屋與兵衛の跡を追って参った。二階にいるのか、下(しも)座敷にか、罷り通るとつっと入った。 これこれ、申し、新町に紙入れを忘れたとてたった今、お帰りです。 何だ、帰った。内儀が説明する、まだ、梅田橋を越すか越さぬかの時間です。 これはしたり、又後手になってしまった。然らば、明日にでも與兵衛が参り次第、酒でも飲ませて此処に留置き、早々、本天満町河内屋徳兵衛方に確かに知らせよ。只今、参りがけに櫻井屋源兵衛へも立ち寄り吟味致せば(問いただした所)五月四日の夜に大金三両銭を八百請け取ったと有る。
2025年04月30日
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徳兵衛は気がつかづに豊島屋の潜りをそっと開けて、七左衛門殿お仕廻かと、つっと入れば、これはこれは徳兵衛様、こちのはまだ仕廻わずに天満の果てまで行っています。私は取り紛れ節句の前夜のご挨拶も申さずにいましたが、ようこそ、ようこそ、この節句前には與兵衛様のことにつきいかい御心労でございましょう。そう言いながら蚊帳から出れば、さればされば、此方(こなた)は幼い娘御達の御世話、我らは成人の與兵衛に世話を焼く。 何れの道にも子に世話病むのは親の役、苦労とも存ぜねども、引きつけて一緒にある間は気も落ち着く。あのような無法者を勘当すれば、自棄を起こして明日火に入っても構わない。謀判(ぼうはん、公私の印判を偽造すること)似せ判、一貫匁の銀に千貫匁の手形をして、一生の首に綱がかかる例もある。そう思いながらも産みの母が追い出すのを継父(ままてて)の我ら軽薄らしく止められもせずに、聞けば順慶町の兄の所にいるとやら、もしこのあたりに狼狽えて見えましたならば、七左衛門御夫婦言い合わせて、父親の自分は万事を飲み込んでいますので、出来るだけ気を入れて母親に詫びごとを致し、土性骨を入れ替えて再び内に戻るようにひとえに頼みいりまする。 こちの女房のお澤の一家一門は皆侍で、その習わしなのか一度思い込んだら後には引かない。義理堅い生まれつき、それに似ぬ道楽者、與兵衛の実父である旧主人も行いが正しく、義理も情けも知っている人。二人の子供に心を尽くすのも皆古旦那への御奉公、 今、與兵衛めを追い出し、一生手酷い言葉を掛けられたことのない親方から、草葉の陰から恨みを受けるだろう。無果報はこの徳兵衛一人です。推量なされて下されいお吉様と、煙草に涙を紛らして、咽せ返る。それも道理だ。 むうう、思いやりました、此方の人も追っ付け帰りましょう。会ってお話をなされまし。 いやいや、いづかたも今宵の事、節句前の宵のことですから、万事にお邪魔でしょう。これこの銭三百、女房めが目顔を忍びつつ懐に入れて出ました。あの與兵衛めが失せたならば、追っ付け暑気に赴く。肌に付ける物でも買ってさっぱりせよと、決して我らの名前を出さずに七左殿の心付か、どうなりとも御機転で頼み入りますと差し出した。 後ろの門口には、お吉殿、お仕舞なされましたかと、訪れたのは女房のお澤の声。徳兵衛はびっくりして逢っては気の毒、当惑するだろう。隠れたい、と不躾ながら御免なされと隠れた蚊帳の中へ、その後影。 これこれ徳兵衛殿、自分の女房に隠れるとは何事です。と、声を掛けられて夫も敗亡(はいもう、狼狽える)し。お吉もどぎまぎする。挨拶も出来ずにいる。 外では與兵衛が、さあ、母の喧し屋がおいでなさったぞ。何を言うだろうかと枢(くるる)の穴に耳を付けて聞いている。 女房のお澤は腰を打ちかけて、のう、徳兵衛殿、七左衛門様もお留守であり、内の用事もそこそこにして何時でも自由に会える向かい同士です、互いに忙しい際(きわ)の夜さ、此処へは何の用があるのです。女狂いをする年でもない。むう、また與兵衛めのことを零しに来られたのか。如何に継しい子であるとは言え、余りに義理が過ぎていますよ。真実の母が追い出したのですから、此方の名が立つことはありませんよ。この三百の銭を野良めに遣るのか。常々に無理に自分の身を苦しめて始末してあいつにやるとは淵へ捨てるの同然です。その甘やかしが皆毒となってしまうのだ。この母親はそれとは違うやり方をします。さあ、勘当と言う一言口を出たならそれ限り、紙子着て川に嵌ろうが(無謀なことをする喩え)、油を塗って火に飛び込もうが彼奴の勝手、悪人めに気を奪われて、女房や娘はどうするのですか。どうなっても構わないのですか。さあさあ先に行きなされ。引き立てる袖を振り放し、え、嬶酷いぞや。そういうものではない。いきなり親の身分でこの世に生まれてくる者はない。子が年寄ってから親になるのだ。親の始めは皆人の子、子は親の慈悲で立ち行くものの、親は我が子の孝で立つ。 この徳兵衛は果報少なくて今生で人は使わなくとも、何時でも相果てし時の葬礼には、他人の野送り百人より、兄弟の男子に先輿跡輿を舁かれて天晴れ死後の光を添えようと思ったのに、子は有りながらもその甲斐もなく、無縁の縁もない人の手にかかるくらいなら、いっそ行き倒れの釈迦担い(行き倒れは検死の後で非人がその柩を後ろ向きに負って葬るのが例。仏像を担う形なので言う)の方がましであるぞと言っては又、噎せ返るのだ。実に哀れを誘う情景だ。 あ、與兵衛ばかりが子ではありませんよ。兄の太兵衛は娘だけだが、おかちは其方の子ではないか。さあさあ、早く先へと押し出した。 はて、往ぬるのなら一緒に連立とう、そなたもおじゃと引き立てる。母の袷の懐から板間にくゎらりと落ちたのは何であろうか。粽(ちまき)一把に銭が五百、のう、情けなや、恥ずかしいと思わず粽と銭の上に身体を伏せて隠し、声を上げて泣きながら、徳兵衛殿、真っ平許して下されい。これは内の売掛金の取立ての中から持ち出したもの。與兵衛めに遣りたいばっかりに、わしが五百を盗みました。二十年連れ添った仲なのに心の隔てが有ったように取られそうで情けない。 たとえあの悪人めがお談義に聞くような周利槃特(しゅりはんどく、仏弟子のうち第一の愚鈍者であったと言う)の阿呆でも、阿闍世太子(あじゃせたいし)の鬼子でも、母の身で何の憎かろうか。如何なる悪業悪縁が体内に宿ってあんな子だ宿ったかと思えば、不憫さ可愛さは父(てて)親の一倍ではあるけれども母親が可愛い顔をしては義理の間柄としては、あんまり母が物がわからず無分別だ。 母親の庇い立てが過ぎて、益々心が治らないと義理の父親としては憎しみが加わるに決まっている。それでわざと憎い顔をして、打ったり叩いたりして、追い出すの、勘当のと酷く、辛く当たったりしたのは継父(ままてて)のそなたに可愛がって貰いたさ。これも女の浅はかな考えから小細工を弄したのです。許して下さいませ、徳兵衛殿。 わしに隠してあの銭を遣って下さる志、詞ではけんけんと突っ慳貪に言いましたが、心では三度頂戴しました。何を隠しましょう、あいつは派手好みのめかし屋、取り分け祝い月(正・五・九月を言う。此処は五月)鬢附け元結を調えて人中へも出たかろう。生まれてこの方節句、節句には祝儀を欠かさなかったのに、この月だけでも身祝いをしてやりたい。 見苦しいこの恥辱を晒すのも、お吉様を頼んで届けようため、まだこの上に根性が直る薬としては、母親の生き肝を煎じて飲ませよと言う医者がいれば、身を八つ裂きにしても厭わないけれども、一生夫の銭をびた銭半銭も誤魔化したことのない身が、我が子ゆえの闇に迷わされ、盗みをして露見してしまいました。恥ずかしゅう御座ると、わっと叫び入りければ、道理、道理、と夫の歎き。 子を持つ者は身にこたえ、我が身の行く末を思うお吉の涙。折柄に鳴く蚊の声もひとしお涙を添えるのだった。 や、祝(いわい)日に心もない泣き喚き、不調法(ぶしつけ)、その銭もお吉様頼み、與兵衛に遣って下さいませとお願いいたしてお暇しよう。と、言うけれども女房は涙にくれて、此方様の遣って下さるその優しく深い心ざしに盗んだ銭がどうしてやれましょうか。 はて、大事はない、是非にやりなさいな。いや、許して下されと、義理に絡んだ夫婦の心の遣る瀬無さ。 お吉も涙を止めかねて、ああ、お澤様の心推量した、やりにくいはずですね。此処に捨ておきゃしゃんせ。私が誰ぞよさそうな人に拾わせましょう。 ああ、忝ない。この上のお情けに、この粽も誰ぞよさそうな犬に食らわせてくださんせ。と、そう言ってはまた泣き出すのだ。二親の心に隔てなく、また、その言葉は潜り戸に身を寄せて聞く與兵衛には筒抜けだが、その身じろぎから自然におちた枢(くろろ)を明けて夫婦は共に帰ったのだ。 父母が帰る姿を見て、心一つに打頷き、脇差を抜いて懐に忍ばせ、鎖した潜りをさらりと明け、つっと入るより胸も枢も落としつけて、七左衛門殿はいづかたへ、定めし掛けも寄りましょう。余所の方からそれとなく探りを入れる。 誰かとこそ思いましたが與兵衛様ですか。こな様は幸せな、遅れもせずに丁度よい折においでなされた。これ、この銭八百とこの粽を此方(こな)様に遣れと天道から降ってきましたよ。戴かしゃんせ、なんぼ浪人でも際(きわ)の日の寳(いくら勘当の身に成り下がっても、よりによって節句の前夜に、こうして金にありつくからには、やがて運勢も直るでありましょうよ、の意)と言って差し出せば、與兵衛はちっとも驚かずに、これが親たちの合力(ごうりき、施し)か。 はて、早合点(早飲み込み)な、どうして追い出した親達がどうして此方(こな)様に銭をやらしゃんしょ。 いや、隠さしゃんすな。先から門口で蚊に食われながら長々しい親たちの愁嘆を聞いて涙をこぼしました。むむ、そんならみんな聞いてこのように合点参ったのか。他人でさえ涙で目を泣きはらした。この銭一文も徒(あだ)にはなるまい。肌身につけてひと稼ぎ、お二人の葬礼には立派な乗り物に乗せようと言う気がなければ、男でも杙でもない(男でも何でもない。義理にも男とは言い兼ねる)。それをお背きなされたら天道の罰、仏の罰、日本の神々の逆罰が当たって、将来がよくはないでしょうよ。先ずは頂いてと差し出せば、如何にも、如何にも、よく合点しました。只今から真人間になって孝行を尽くす合点ではあるが、肝心お慈悲の銭が足りない。と言って、親兄には言えない首尾(立場)、 此処には売り溜め掛けの寄り金(売り上げた金の総額。売溜金)があるはず。新で(新銀、享保銀)でたった貳百匁ばかり勘当が解けるまで貸して下され。 それそれそれ、奥を聞こうより口聞け(深く心の奥を問い糺す必要なない。ふとした弾みに喋る詞の端でその人の本心が知られる。何処に心が直っていますか。嘘でも金を貸せなどとは言われない義理。世間の義理を欠いても、金を借りて悪性所(遊郭)の払いをして、払いの済んだあとでまたそろそろと出かける積りであろう。 成る程、金は奥の戸棚に上銀が五百目余り、別に銭もあるのはありますが、夫の留守に一銭でも貸すことはいかな、いかな、出来ませんよ。いつぞやの野崎参りの折に着る物を洗って進ぜたのさえ不義したと疑われ、言い訳に幾日かかったことか。思っただけでも厭わしいことです。夫が帰らないうちにその銭を持って早く往って下さい。 と、お吉が言う程に與兵衛は側ににじり寄って、不義になって貸してくだしゃんせ。 はて、ならぬと言うのに諄(くど)い諄い、諄くは言うまい貸して下されい。 いや、女子と思ってなぶらっしゃると、声を立てて喚くぞや。はて、與兵衛も男、2人の親の言葉が心根に染み込んで悲しいもの、嬲(なぶ)るの侮るのと言う段ではない(それほどには余裕はない」。何を隠しましょう跡の月の二十日に親仁の謀判して上銀二百匁を今晩きりにして借りました。 や、まあ後を聞いてください。手形の面は上銀一貫目、借りた金は二百匁、明日になれば手形の通りに貳貫匁にして返す約束。それよりも悲しいのは親兄の所は言うに及ばず、兩町の年取り五人組に先様から断るはず。今になってこの金の才覚、泣いても笑っても叶わない事。自害して死のうと覚悟して、これ懐にこの脇差を差しは差して出たけれども、只今の両親の歎き、我が身を不憫がって下さるお心を聞いては今この自分が死んで借金の後始末まで親仁にさせるのは不幸の上塗り、又家の身代破滅の基ともなるかと思いを廻らせば死ぬにも死なれない。生きてもいられず、詮方なさにあなたの慈悲心を見込んでの御無心です。無ければ是非もないが、有る金、たった貳百匁で與兵衛の命を継いで下さる御恩徳は黄泉路の底まで忘れようか。お吉様、どうぞ貸して下されい。そういう目も誠らしく、そうした事情もあるかも知れぬと、一旦は思ったものの、又かねての嘘八百を思えばこれもまたいつもの仕掛けと思い返して、ふうう、禍々しい(尤もらしい)あの嘘でしょう。まだいいけれども、尾ひれを付けて言わしゃんせ。貸せぬと言ったら絶対に貸せませんよ。 これほどに男の冥利にかけて誓言立ててもなりませんか。はあ、はあ、どうしても貸しませんよ。言うより心の一分は別、そんなら仕方がない、この樽に油を二升掛売にしてください。 それは互の商いの内、貸し借りしないでは世が立ちません。如何にも詰めて差し上げましょうと、売り場にかかり、消える命の灯火は油を量るのも夢の間と知らないで、升を取り柄杓を取る。
2025年04月28日
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さては、是非にも婿を取って妹に所帯を渡すつもりなのだな。 おお、渡す。むう、よくぞ言ったな。道知らずめと立ち上がって俯向けに踏み退けさせた。肩骨背骨をうんうんうんうんと踏みつけた。 のう、兄様、悲しや、浅ましやと妹が縋れば、おかち構うな、あいつの腹が癒える程存分に踏ましゃ、踏ましゃ。と、身も働かず座も去らず。 妹は堪えかねてあんまりな兄様、わしは何も知らぬ者、死霊の憑いた顔をして、このようにこのように言って下さいな。それからは商いにも精を出して、親達に孝行尽くし、逆らうまいとの誓文立て(誓をたてての申し入れ)、それば嬉しいばかりに病みほほけたこの態(なり)で、怖い怖い、恐ろしい死人の真似して嘘をつかせ、父(とつ)様を踏んだり蹴ったり、それが親孝行か。 年寄った父(とと)様、目でも眩んだら、それはそれは承知しませんよ。と、言いながら縋り付き取り付き泣き喚けば、いき女郎め、この企みは口外しないと誓を立てて約束したのに、この憎い頬桁、死霊よりもこの與兵衛と言う生霊の苦しみ。覚えておけよ。そう言って同じくがばと踏み伏せたのだ。 病み疲れた妹を踏み殺すのか畜生め、と取り付く父(てて)親をはったと蹴り飛ばし、腹が癒えるほどに踏めと言ったな、これで腹が癒えたぞ。 顔も頭も別ちなく散々に踏む最中に、母が立ち帰って、はっとばかりに薬を投げ捨て、與兵衛の髻を引き掴んで横投げにどうどのめらせて、乗りかかり、目・鼻を言わせない握りこぶし、やい、業晒しめ、提婆(ていば、提婆達多、釈迦に敵対した極悪非道の者)め、たとえ相手がどの様な下人下郎でも踏むの蹴るのはしないものだ。徳兵衛殿は誰じゃ。 おのれが親、今の間にその脛が腐って落ちるのを知らないか。この罰当たりが。疎ましや(情けないことだ)、疎ましや。腹の中から(生まれ附き)盲で生まれ、手足が不具(かたわ)な者もあれど魂は人の魂(心だけは人間の心を備えている。おのれの五体(身体)何処を不足に産み付けたか。人間の根性を何故に下げないのだ。父親が違うので母の心が僻(ひが)んで僻みの根性を吹き込んだと言われたくないと、差す手引く手に(もとは舞いの手に言うが、ここは一挙手一動に気を揉むの意)病の種。おのれが心の剣で母の寿命を削るわい。 おのれは先度も高槻の伯父御がお主の金を引き負ったと、ようもようもこの母をようもようも、ぬくぬくと騙しおったな。たった今、兄の太兵衛と行き合い、おのれが野崎での暴れ故に侍の一分が立たずに浪人して大阪に下るとの便(たより)、おのれの嘘が露見したぞ。あの時に母がうっかりと親仁殿に話していたならば後で嘘と分かった時に親子で共謀したものと疑われていただろう。夫婦の義理も欠け果ててしまったろうよ。 内でも外でもおのれの噂は碌な事は一度も聞かない。そのたびごとに母の身の肉を一寸づつ削いで取るような因果晒し目(業さらし、前世での悪業の報いとして現世で受けた恥を世間に曝け出すこと、また、その人。人を罵倒して言う語)め。半時もこの家に置くことは出来ない、勘当じゃ、出て失せろ。 出去れ、出されと、打ったり叩いたり、叩く片手で涙を押し拭い、手の隙はないのだ。 この與兵衛にはここを出て行くところがない。おお、おのれが好いたお山の所にでも出て失せろと、小腕を取って引き出す。 のう、兄様を追い出してわしがこの跡を取る事は嫌です。堪えて下されと取り付けば、何を知っているのだどいておりなさい。これ、徳兵衛殿、きょろりと見ていて誰に遠慮をしておられるのですか。ええ、歯がゆい、叩き出してくれんと天秤棒を取り出して振り上げれば、ひらりと外して引っ手繰り、この天秤棒で和御料(そなた)を打(ぶ)つとはたはたと打ち付けた。 徳兵衛が飛びかかり、天秤棒をもぎ取り、続け打ちに七つ八つと息もさせずに打ち据えて、はったと睨む目に涙。やい、木で造り土をつくねた人形でも魂を入れれば根性がある。耳があるのならばよく聞けよ。この徳兵衛は親ではあるが主筋と思い、手向かいせずに存分に踏まれた。所が今見れば腹を借りた産みの母親に今の様、打ち打擲した。脇から見ていても勿体無くて、身が震えた。 今打ったのもこの徳兵衛がやったのではない。先代の徳兵衛(與兵衛の実父)殿が冥途から手を出してお打ちなされたと知れ。おかちに入婿を取るというのは跡形もないこと。ええ、無念だ、妹に名跡を継がれては悔しいと恥じ入り、根性も治るかと一思案しての方便だ。あの子は他所へ嫁入りさせる。気遣いするな。他人同士で親子となったのは前世からの深い因縁が重なってのことと思い、可愛さは実子の倍、お前が疱瘡に罹った時に、日親様(日蓮宗の高僧。京都本法寺の開祖。大坂生玉の正法寺はその末寺で、そこに日観堂があった。ここはそれを指す)に願をかけ、代々の念仏捨てて百日法華(他宗の者が病気などの平癒を祈るために一時法華信徒になること)になった。これほどに萬に面倒を見て大きな家の主にもと丁稚も使わずに重い物も自分で担ぐようにして稼いでいるが、お前が片端から浪費する。 ええ、うぬ、今の若さの盛りだ、人働き稼ぎ、五間口、七間口の門柱の主となろうと念願を立ててこそ商人だ。間口がたった一間半しかない店構えを譲り受けたいと、母に手向かい父を踏みつけ、行き着く先々で偽り、騙り事ばかり。その根性が続いたなら門柱など思いもよらない。獄門柱の主となるだろうよ。 親としてはそれが悲しいと、わっと叫び入りければ、ええ、じれったい、徳兵衛殿、石に謎をかけるように口で言って聞く奴ではない。出て失せ、出て失せ。グズグズしていると町中寄せて(町内の年寄り・五人組などを指す。勘当となれば五人組に届け出て立ち会って貰うのが例である)追い出す。 又、追い取って母が突っ張る天秤棒の先、怖い目知らぬ無法者、町中と言う言葉にぎょっとして胸の応えた当惑顔。 のう、兄様を出して、私は後には残りません。と、縋る妹を押しとどめて、きりきり失せろ。天秤棒が喰らい足りないかと、振り上げ、擦(こす)り出されて越える敷居の細溝も、親子の別れの涙川。 徳兵衛がつくずくと後ろを見送って、わっと叫び声を上げ、あいつの顔つき、背格好が成人するに従い死なれた旦那様に生き写し。あれ、あの辻に立った姿を見るにつけて、與兵衛めを追い出すのではなくて旦那を追い出す心がして勿体無い。悲しいわいと、どうと伏して人目も恥じずに泣く声に、憎い、憎いも母の親を嗜む涙を堪えかねて、見ぬ顔ながらも伸び上がり、見れども余所の絵幟(のぼり)に息子の影は隠れて見えないのだ。 下 之 巻 葺き馴れた、年も久しいのそれではないが、庇の蓬菖蒲は家毎に、幟の音がざわめくのは、男の子を持った印なのであろうか。 娘ばかりの豊島屋(てしまや)は亭主は外の売掛金の取りたててで外出中、お吉は家内の片づけやら細々とした支払いやら、その間には油も売るで、一人で忙しく立ち働き、三人いる娘の世話、まあ、姉からと櫛笥(くしげ)を取り出して解櫛(ときぐし、髪を解くのに用いる歯のまばらな櫛)に、色香を揉み込む梅花の油、女はや、髪より形より心の垢を梳き櫛です。嫁入り先は夫の家、里の住み家も親の家。鏡の家(鏡匣・かがみばこ を言う)の家ならで(女が自分の家と呼べるのは 鏡の家 名義だけのものよりほかには無い)、家と言うものはないけれども、誰が世に許して定めたのか、五月五日の一夜さを女の家と言うぞかし。 身の祝い月祝い日に、何事もなかれと撫でつけて髪を引く油津(ゆづ、五百津、歯が多く隙間の詰まった櫛、その歯が欠けるのを忌んだ)の爪櫛(つまくし)の歯の、はあ、悲しい、一枚折れた。 呆れてとんと投げ櫛(櫛を投げることも、不吉の前兆とした)は別れの櫛とて忌むことですと、口には出さずに気にかかる。 何を告げるのか、黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)なのか。売掛金も十の内で七を済まして、七左衛門大方寄って中戻り、ああ、思いのほか早い仕舞、内の払いもさらりと仕廻い、両替町の銭屋から燈油(ともし)二升に梅花一合、今橋の紙屋から通い(通帳)を持って燈油を1升、当座帳(覚書として一時書きつけておく帳面。書込帳)に付けて置く。まあ、洗足して早くお休みなさい。明日は疾うから禮に出さしゃんせ。 いやいや、早くは休めない。天満の池田町に行かねばならない。ふう、いやいや、気疎いももうよいわいな。池田町は北の果てだ。近くの掛けへ寄ったならば、後の取り立ては節季が過ぎてからにしたらよいわいな。 そなたは何を言うのだ、節季に寄らない銀が過ぎてから寄ったためしなどない。今日暮れてから渡そうと詞をつがった(確かに約束した)。もう一走りして行って来よう。この内飼い(金を入れる胴巻き)に新銀(享保銀)五百八十目、財布の銭も戸棚に入れて、錠を下ろして置きなさいよ。直に帰ってくると立ち出ようとした。 申し、申し、そんなら酒を一つ、姉や、燗をして進ぜなさい。と自らが立って戸棚に近づき酒を徳利からちろりに移せば、あ、こりゃこりゃ、燗をしなくと大事ない。肴も盃も要らない。中蓋(なかがさ、中くらいの大きさの椀の蓋)を添えて持って来い。夜は短い、気が急く。そこから注げ。 あい、とは答えたものの座ったままでは手も届かないので、立ち上がって注ぐ方も受ける方も立ったままなので、お吉が見つけて、それは何ですか忌々しい。子供は頑是が無いにもせよ、立ち酒を呑んで誰を野辺送りするのですか。あ、気味が悪いと言われて夫もちゃっと(素早く)腰を掛けて、取り直して、掛けを乞いに行く門出に、売掛金の取立てがはかどるようにと祝って飲む酒、この世に残らぬ、残らぬと祝い直せば直すほどになお哀れと、世の長い別れと出て行った。 母を見習う姉娘は夜の衾を敷きながら、御座(寝むしろ)よ、枕よ、蚊帳の吊手は長いのだが、届かない足ではないが、短かい夜である。末娘のおでんを十分に寝かしつけて、母(かか)様もちとお休みなされと言ったところ、おお、でかしゃった、父(とと)様もまだ遅いであろう。蚊帳のうちから表は母(かか)が気をつける。我が身もねねしや。 いえいえ、私は眠むたくは御座らぬ。言いつつも寝入ってしまうのも大人しい。 この節季を越すに越されない河内屋與兵衛、菖蒲帷子(端午の節句から五月一杯着る)を新調の手筈も狂い、見窄らしい古袷の姿で、心だけが広い、広袖(袂の部分を縫い合わせていない袖)で下げた油の二升入り、一生差さない脇差も今宵鐺(こじり、刀剣の鞘の末端)の詰まりの分別、勝手を知っている豊島屋の門の口を覗く。 その後ろから、與兵衛ではないかの声。お、與兵衛じゃが誰じゃと振り返る。上町(うえまち)の口入れ(金銭貸借の仲介者)の綿屋小兵衛。あ、此方(こなた)は順慶町に行けば本天満町の親御の所へと言われる。親御に行けば追い出した、ここには居ないと有る。貴様は留守でも判は親御のもの。新銀壹貫目、今宵が延びたら明日は町に断る。 はて、ここな人は意地が悪いな。手形の表こそ壹貫匁、正味は二百目、今宵中に済ませば別条ない約束ではないかいの。 されば、明日の明け六つまでに済めば二百匁、五日の日がにょっと出れば壹貫匁、もと二百匁を壱貫匁にして取ればこっちの得のようではあるが、親仁殿に非業の金を出さすのが笑止さに、そなたの方の為を思って催促するのだ。今宵きっと済ますのだぞと、凄んだ。 小兵衛、こりゃ、念を入れるな、河内屋與兵衛は男だ。男だ、当てがあるのだよ。鷄が鳴くまでには持って行く。眠たくとも待ってもらおうか。 はて、今宵済まして入用ならば、明日また直ぐに貸すわいの。こっちも商売だ、壱貫目や二貫目は何時でも用立てる。 その男気を見届けた、と詞で與兵衛が首を絞める。かくて綿屋小兵衛は帰ったのだ。 與兵衛は見事に受け合う事は請け合ったのだが、一銭の当てもなし、茶屋の払いは一寸逃れ、抜き差しがならないこの二百匁、有る所には有ろうがな。世界は広い、二百匁などは誰かが落としそうなものじゃと、後ろを見れば小提灯、河と言う小文字はこっちの親仁様、南無三方と表戸を閉めた豊島屋の店先に平蜘蛛のごとくにぴったりと身を付けて身を忍ぶのだった。
2025年04月24日
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これから直ぐに流行りの山伏の所に立ち寄り、頼んで見るが異存はあるまい。そう語れば喜んで、のうのう、忝ない、これも行者のお知らせ。私は医者殿に参ります。これでゆるりとお休み、お休みと立ち出でれば、いや、我々も面々(めんめん、各自)の親々妻子の顔も見たし。互いに無事で悦びの貝吹く、降伏悪魔を祓う真言(呪文)の声の声もちりちりばらばらに掲諦(ぎゃてい)、唵呼嚕々々(おんころころ)に別れて帰ったのだ。 道外れな弟と違った心、順慶町の兄河内屋太兵衛用ありげに、浮かぬ顔附き、や、太兵衛来たのか。おかちの気色を見舞いにか。書き出し(掛売金の請求書、端午の節句前は商家などの決算期)や何やで忙しい時分、見廻りには及ばぬことと言えば太兵衛は傍近くに寄って、母には道でお目にかかり、立ちながら詳しく物語を致したのですが、高槻の伯父森右衛門様からたった今、飛脚の状が届き、思いもかけぬことを言って来ました。見さっしゃれ、先月、ご主人のお供をして野崎参りの折に、極道者(放埒至極の者)の與兵衛めも参り合わせて、友達との喧嘩で掴み合う拍子に御主人に対して段々の慮外(一通りならない無礼)、当座に與兵衛めを斬り殺して伯父上も切腹するつもりであったが、御主人の御料簡が穏やかで、事が相済んで帰った後で、武家仲間ではもとより城下の町人までがこの噂でもちきり、おめおめと平気な顔での御奉公も出来ないので、暇を願い浪人して四五日中に大阪に下り、改めて武士の面目が立つ工夫をしなければ、今のままでは刀を差しているわけにはいかないとの手紙の文面であった。 そう言うと直ぐにはっと膝を打ち、さてこそな、何処ぞで大仕事をし出しそうと思っていたが、思った壺通りだったか。かてて加えておかちが煩い、伯父の難儀、まだこの上に泥め(どら息子)が何を為出かそうか分別に能わない(予想もつかない)と頭を掻けば、いや、分別も何も要らない。追い出してしまいなさい。 じたい親仁様が手ぬるい。私と與兵衛めはお前の種でないので余りに遠慮が過ぎまする。腹に宿った母じゃ人と連れ添うお前、真実の父と存ずる。やがて婿を取るほどに背丈が伸びた。おかちはぶち叩きなされても、愚か者の與兵衛には拳一つ当てずに甘えさせて、万事に遠慮しているのが却って皆当人の身の害となった。叩き出して私の方に寄越してくださいな。何処か厳しい主人の許に奉公させて矯め直してくれましょう。そう言うと、親は無念顔で、ええ、口惜しい、尤も継父(ままてて)であっても親は親ですぞ。子を折檻するのに遠慮は要らない筈ですが其方(そなた)衆兄弟は身どもの親方の子、親旦那が往生の時はそなたが七つ、のらめは四つ。ぼん様兄様、徳兵衛、どうせい、こうせいと言ったのを、彼奴(きゃつ)がきっと覚えている。母(かか)も始めはおか様の内儀様のと言った人。伯父の森右衛門の料簡(はからい)で其方(そち)が家を見捨てては後家も子供も路頭に立つ(生活も立たず、道のほとりで乞食するより外はない)。とにかくも森右衛門の言う通りにしてくれと折入っての頼みだったので、このように親方の内儀と夫婦になり、親方の子を我が子として守り立てた甲斐があって、そなたは自分の独り稼ぎもなされる。 與兵衛めに商いの手を広げさせ、手代も置き、蔵の一軒も建てるようにと足掻いても、尻の解(ほど)けた銭差し(銭の穴を貫いて束ねる細い縄)、籠(かご)で水汲む如くに跡から抜けてしまい、壱匁儲ければ百匁使う根性。異見を一言言い出せば千言で言い返す。ええ、元が主筋で家来筋の親と子だ。効き目がないはず、我が身の立場が口惜しいと歯噛みすれば、さあ、そなたのその正直さを見抜いてあの道楽者めがしたいままに踏みつけにするのだ。 親仁様の陰でこそ親子三人が橋にも寝ず、人の門にも立たずに名跡を立てて下された。その恩徳は本当の親と変わらない。そうこの母も繰り返して自分に言い聞かせていること。子供に遠慮があるからには、その子供を宿した母親にもまだ遠慮があるのかと、こちらはそのつもりではないのだが、つい邪推もしたくなりまする。 因果(業)晒しの末に見込みのない子供、愛想も根も尽き果てました、太兵衛、頼みます。江戸長崎へでも追い下して死んでしまうのなら死んでも一向に構いません。二度と面(つら)も見たくない。微塵も愛着は残りません。如来様に誓っての母親の言い分です。何もご遠慮はいりません、勘当なされよとの評議の声で目を覚まし、ああ、づつない(切ない、苦しい)母(かか)様、母様、母様はまだ帰りませぬか、とおかちが苦しむ屏風の内、門には物申す、河内屋徳兵衛殿はこちらですか。山上講中の頼みについて稲荷法印が御見舞い致す。そう言って案内を乞う。 さてはおかちの祈祷をなされるか、一段、一段(忝ない、忝ない)、私は高槻の返事を急ぐ。お暇致すと表に出て、徳兵衛は宿に罷りある。早々のお出で忝ない。あれへお通りなされよ、と太兵衛が帰れば法印は端の間にこそ通ったのだ。 踏み締めもなく(だらしなく)世の中を滑り渡りの油屋與兵衛、売溜め銭は色に狂い、絞り取られて元も利滓(かす)も残らない油桶、重げに見せる汗は夏、中は涼しい秋ならぬ、空き樽を担って宿へ帰ったのだが、や、珍しいお山伏(ぶ)、こなたは見知った白稲荷殿、妹の病気祈りの為か。あの附き物(死霊・生霊が取り付いてなった病気)がそなた衆の祈りで退いたならこの與兵衛が首を賭けてやろう。 母じゃ人は薬を取りに行ったのか、耆婆(きば、古代インドの名医)でも治せない死病、無用の骨折りと申すもの、や、これ、親仁殿、おかちが煩いより何よりも大事が有ります。その当座には母じゃ人には伝えたのですが、それ以来ふっつりと忘れていました。今日、ふっと思い出して商いを止めて戻った。先月、野崎で伯父の森右衛門様に行き合い、わざわざ飛脚もやる所であった、幸いの伝手、親達に伝えてくれ、主人の金を四宝銀で三貫目あまり引き負い(使い込み、つまり、弁済の責任を負うの意)、今度の端午の節句前に弁償しなければ切腹か縛り首である、一生に一度の願いだ、兄の太兵衛は義理も法の知らぬ奴、太兵衛には内緒で三貫目を調えて與兵衛に持たせて下されと、折り入っての言伝でした。 貳貫目や三貫目で伯父に腹を切らせては、此方(こなた)衆の外聞、世間が立たないでしょう。今日は二日際(きわ)(節句前の支払い日)と言ったところで明日と明後日の二日しかない。万事を差し置いて今日のうちに三貫目を調えて渡しゃっしゃれ。 明日の夜明けに駆け出せば、昼までに行って戻れる、と言った。たった今直筆の伯父の文、その裏表(正反対)の事、憎く可笑しく、いかな伯父でも主の金を引き負うような侍なら、腹を切らせたら良い。何じゃと、三貫目とは仰山な金額だな。三匁もないぞ。お主の商いで去年から一文の銭も家には入れていないぞ。計算したならば三貫目や四貫目はお前の手元に残っているはず。 遣りたければ、その銀をやれ。追っ付け婿を呼び入れる。大事の娘が病気だ、馬鹿げた相談をしている暇などはないぞ。や、法印様、おかちの容態を見てくだされたか、と余の事を言って取り合わない。 おお、おお、手柄に婿を婿を呼ぶならば呼んでみろ。見物してやろうと、親の前に足を踏み伸ばし、算盤を枕に横になったが、計略はすっかり外れた形。 父がそろそろと抱き起こすおかちの顔の面窶れしたこと。法印がとっくりと見て、むむ、歳は幾つ。十五、病みつきは前の月の十二日、むむ、薬師如来の縁日じゃぞ。十五日は釈迦の忌日であると同時に阿弥陀の縁日、懐中の書籍を取り出して繰り広げ、指を折り仔細らしい声つきである。 そもそも宝蔵比丘の浄瑠璃(平曲・謡曲などを源流として、近世に盛行した音曲語り物。中世末の浄瑠璃姫物語に始まり、近世初期、三味線・人形舞わしと結合して、人形浄瑠璃が成立。以後古浄瑠璃の各流派が行われたが、元禄時代に近松と提携した竹本義太夫が集大成して浄瑠璃は義太夫節の異名となった。後、河東・宮園・常盤津・富本・清元・新内などが派生した)に曰く、阿弥陀と薬師は御夫婦と云々。即ちこの病は一日も早く婿殿を呼び入れて、夫婦になりたいと思う気病みに、ちと外の見入れありと言う。それに徳兵衛が尤も顔。 法印が図に乗って稲荷大明神の使いの白狐の教え、髪筋程も違わない祈りと加持(加は仏が衆に応じること、持は衆生がその仏の力を受けてうしなわないこと。真言密教で行う修行法、又は祈祷。行者が手に印を結び陀羅尼・だらにを唱え、心は三昧に住することで、これによって物事を清めたり、願いが叶うように仏に祈る)も薬と同然、神仏にもその役々があり、熱病を冷ますには冷えではないが、比叡山の二十一社、温めるには熱田明神、頭の病には愛宕権現、足の病は阿しく仏、走り人(出奔者、駆け落ち者)盗人を動かさないのは不動明王の金縛り、咳気を祈るのは風の宮、老人達の老い病みには白髭明神。白髪薬師、若衆の病の祈りには大慈大悲の地蔵菩薩、かるたの絵がつく祈祷にあざふの明神、釈迦牟尼仏、筒取り(とうとり、博奕の席を貸して歩合を取る者)の祈りは四三五六社(伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日を指す)大明神、八講(比良山で行う法華八講)七の社(六社に平野神社を加えて七社)、別してこの法印の得意とする祈祷は、銭小判俵物(ひょうもの)の相場商い、上げようと下げようと高下は自由。持ちのお方(現物、米を手元に持っている者)が値上げをした祈りには強気に、上り高天が原の八百万神、米を売り果たした衆が下がるのを祈るには、高いお山を時の間に麓に下がる坂、嵯峨の釈迦、安井の天神、持ちと果たとの両方の一度の祈りには、高からず安からず、中を取って河内の国、高安の大明神、法力の新たな事、棚から物を取って来る如くに、禮物(れいもつ)は大方は三十両、何時でも受け取る。いで、一祈りと錫杖を振り立てて苛高数珠(いらたかじゅず、粒の平たい数珠)をさらり、さらりと、押し揉んだ。 印をまだ結ばないないのに、病人が重たい顔を上げて、のう、祈りも要らない、祈祷も嫌じゃ、おかちの病気を治すのには婿取りの談合を止めてたもれ。あの與兵衛が若気の故に、借銭に責められる。その苦しみが冥途での苦患なのだ。それが呵責の攻めとなっている。 流れ勤めの女子なりとも與兵衛が契約した思い人を請出して嫁にして、この所帯を渡してたも。是非に婿を取るならばおかちが命はあるまいぞ。思い知ったか、思い知れと辺りをきょろきょろと睨め廻し、ああ、切ない苦しいと、悶えわななき、そぞろ言(取り留めもない言い具さ)、父は驚き顔色を変えて、法印は少しも少しも臆せずに、おかちに取り付いた死霊に、汝は元来何処より来たのか、さっさと去れ。去れ。行者の法力は尽きないぞと鈴錫杖をちりりんがらがらと急々如律令(山伏などが呪文の終わりに唱えて悪魔を駆り立てる語)と責め立てた。 與兵衛がむっくと起き上がって、何も知らない癖に疾く立ち去れだと。どう山伏め、置きおれ。と、落ち間(床の一段低くなった所)にがはと突き落とせば、やあ、山伏の法を知らないか。印(しるし)を見せないでは置かないぞと駆け上がり、鈴をりんりん、りんりんと、引き摺り下ろせば又駆け上がり、不動の真言、どたくたぎゃったり、ばったりだ(不動明王の慈救呪の なまくさまんだばさらだ をもじった)と、引き摺り落とされて山伏も錫杖をがらがらと引きずって命からがらに帰ったのだ。 與兵衛は親の傍に膝をまくり、これ親仁殿、今のそぞろ言は耳に入ったか。死んだ人を迷わせて地獄に落としても、この與兵衛の好いた女房を持たせ所帯をもたせる事は応か否なのか。 やい、喧しい。辺近所もあるのだ。巫山戯るのも大概にしろ。この徳兵衛は死んだ人の跡目相続をしなくとも五六人家族の生活ぐらいは楽に立てる手段は知っているが、年忌命日も弔い、地獄に落とさず迷わせまい為に、名跡を継いで苦労をする。和御料(わごりょう、そなた)が好いたお山請出して、女房に持たせ、半年も経たないうちに所帯を破って親方の弔いも出来ないようには出来ないぞ。
2025年04月22日
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友達を投げさせて見てはいない男だ(與兵衛の詞)。逆さまに植えてくれんと、むずと掴めば振り放し、や、猪口才なけさい六(大坂者を罵って言う)、鰓骨(えらほね)引き欠いてくれべえと、喰らわす拳を受け外して、撲(ぶ)ち返し、叩き合い、掴み合う。 のう、気が通りませんよ、これはどうしたこと、喧嘩とは無粋な仕方、と小菊が間に枷に入り、ああ、怪我さしゃんすな、大事の身と花車が囲えば下女も手を引き立てて庇う。 そりゃ喧嘩よと諸人の騒ぎ、茶屋は店を仕舞うやら、二人は絶体絶命のぶん殴り合い、取っ組み合い、堤の片岸を踏み崩して、小川にどうどう落ち別れ。藻屑、泥土、堤から舞い散って沈んだ砂、互いに投げ合い掴み掛け、打ち合い打ち付け、扱い手(仲裁人)がいないので一方が倒れるまで勝負がつかない喧嘩だ。根気比べと見えるのだ。 折も折り(折もあろうに)、島上郡(こおり)高槻(たかつき、永井氏領三万六千石)の家の子(家来)、お小姓立ち(小姓から引き引き立てられて出世した)の出頭(しゅっとう、主君に気に入られて、その愛顧を受けている者)小栗八彌が馬上で裃姿、御代参(主君の代理での参詣)に徒歩の若党が揃いの羽織の濃い柿(濃い渋染)に智恵の環(わ)の大紋(九つの輪違いの紋)手振り(道具を持たない先払いの供)の、はいはい、はいはい、の声も聞かないで與兵衛が手繰りかけて泥砂、出会い拍子に馬上の武士の袷(あわせ)上下(かみしも)皆具(かいぐ、馬具一切を言う)までにざっくと掛かってしまったのも時の運、栗毛は忽ちに泥附き毛、馬が驚いて躍り上がり馬上も安らかではない。 與兵衛もはっと驚く所に、それっ、逃がすなと徒歩の衆がはらはらと取り巻く中、相手は川を渡り越して小菊も花車も手ばしこく参りの諸人に紛れ込んで退いてしまった。 徒歩頭の山本森右衛門が両脛掻いてぎゃっとのめらせて膝を背骨にひしぎ付けた。 ああ、お侍様、怪我(過失、思いがけない事故)でござるよ、御免なりませ。お慈悲、お慈悲と吠え面をかく。此奴め、慮外者。お小袖や馬具に泥をかけて怪我だと言って済ますわけにはいかないぞ。面(つら)を上げろと言って首をねじ上げ、やあ、森右衛門殿、伯父じゃ人。むむ、與兵衛めか、と互いにはっと驚いたが、やい、おのれは町人、いかようの恥辱をとっても疵にはならない。旦那(主君)から御扶持を被り、二字(通称のほかに二字の実名を持つ者の意で、武士たる者がの意)を首にかけた森右衛門、慮外者(不心得者)を取って抑え、甥と見たれば猶の事助けられぬ。討って捨てるぞ、立ちませいと小腕を取って引き立てた。 馬上の主人が、やい、やい、やい、やい、森右衛門、見ればその方の大小の鞘口(刀の鞘の鍔口を受ける所、鯉口)の詰めようが緩いぞ。ふと鞘走って怪我でもして血でも見れば、殿の代参は叶わないで、帰らなければならいぞ。参詣を済ませて下向するまでは随分と鞘口気をつけて、森右衛門、供をせい。供をせい。 はあ、はっとお言葉忝く、おのれ、下向の際には首を討つぞ。暫しの命だと突き放して、出来るだけ伯父の目にかからないように身を隠せと言いたいけれども侍気質、声には出さずに手振りで合図する。先供が手を振って通行人を制する、はいはいはい、さすがにさっぱりとした武士の仕方だと馬上の武士もこのことに拘泥せずに、御馬の足を速めて先を急がれた。 與兵衛はぼんやりとして夢から今覚めた如くに、酒に酔っているかのようで、南無三方、伯父の下向時には斬られてしまうだろうか。切られたなら死ぬであろう。死んだならどうしようかと、心は沈み、気もうわの空、逃げてしまおうと駆け出して、はあ、ここを行けば野崎、大阪はどっちだ、方角が解らなくなってしまったぞ。 こっちは京の方、あの山は闇(くらがり、大和・河内の境にある闇峠、野崎からは東南に当たる)か、それとも比叡山か何処かに行ったならば逃げれるだろうか。眼も迷い狼狽えて、あ、どうしよう、何としょうか、加賀笠姿のお吉と見るより、地獄に地蔵様と声を掛ける。 やあ、お吉様、下向ですか。わしゃ、今切られるのです。助けて下されい。大阪へ連れて行って下さい。後生で御座ると泣き拝む。 いや、こちゃまだ下向ではないわいな。七八町行ったのですが大変な人混み。こちの人を待ち合わせに此処まで戻ったのです。ええ、厭らしい、身も顔も泥だらけですね。気でも違ったのですか與兵衛様。 尤も、尤も、喧嘩して泥を掴み合い、跳ね馬に乗ったお侍にその泥が掛かって、それで下向の折に斬られてしまう筈、頼みます、頼みますと、側を離れず立ち去らない。 ええ、呆れ果てた、親御達が病になるのがお気の毒です。町内での向かい同士です、無愛想な真似も出来ず、茶屋の内を借りて着物を洗って進ぜましょうよ。顔を洗い、とっとと大阪に帰り、これからは気をつけられたがよい。また、此処を借りますよ。お清や、父(とと)様が見えたら母(かか)に知らせなさいと、二人は葭簀の奥に。長い日影も午(ひる)に傾いた。 さぞや妻子が待つだろうと、弁当をかたげ片方に姉娘の手を引いて豊島屋(てしまや)の七左衛門は喉が乾いているが茶を飲む間も惜しんで道を急ぐ。茶屋の前では中娘が、あれ、父様かと縋り寄った。 おお、待ちかねたか、母(かか)は何処にいるかと尋ねると、母様はこの茶屋の内で河内屋の與兵衛様と二人で帯を解き、べべも脱いで御座んすと告げた。 やあ、河内屋與兵衛めと帯を解いて裸になってじゃと、ああ、口惜しい、目を抜かれた。そうして跡はどうじゃ、どうじゃと訊けば、そうして鼻紙でのごうたり、洗ったりと、聞くより急き立つ七左衛門、顔色変わり眼も据わり、門口に立ちはだかって、お吉も與兵衛も此処に出ろ。 出て来なければ、こっちから踏み込むぞ、呼ばわる声に、こちの人か、子供がお昼を食べたがっている時分なのも忘れて、何処で何をしておいででしたか。部屋から出て来た後から與兵衛が、面目ない七左衛門殿、ふとして喧嘩で泥にはまり、色々とお内儀様のお世話。これも七左衛門様のお蔭です。忝ないと言う小鬢先、髪の髷も泥まみれ、体は濡れ鼠状態。 腹立たしいやら、可笑しいやら、與兵衛にはろくに挨拶もせずに、お吉、人の世話もいい加減にしたほうがよい。若い女が若い男の帯を解いて、そうして後で紙で拭うとは猥褻極まるぞ、至極疑わしい。よその事はほったらかして、さあさあ、参ろう、日が闌けるぞ。 おお、待っていました、詳しい事は道すがらにお話致しましょうと、お吉は姉娘の手を引いて、末の娘を抱いて行く。 中の娘は父親が肩車に乗せて、法の教えも一つは遊山、群衆を分けて急いだのだ。 與兵衛一人が茶屋の見世、ぼんやりと気抜けしていると、茶屋の亭主を始め辺り在所の五六人が、先から此処にいる人は今から参詣するのか、それとも帰りがけなのか。一つ所にうろうろとしていて合点が行かない。さあ、通ったと追い立てる。 折りから、はいはいはいの声に混じる轡(くつわ)の音、小栗八彌が下向の徒立ちで馬を従えて帰るのである。 與兵衛は狼狽えて逃げ損ない、押し割る供先、伯父の目に、かかる。このような不運な出会い頭で、引っ捕え、捻じ伏せ据え、最前は御参詣の途中だったが、今は参詣が済んで御下向するので血を見ても遠慮は要らない。討って捨てるぞと刀の柄に手を掛けた。 待て、待て、森右衛門、その者を討って捨てるとは何故、何故なのだ。彼奴(きゃつ)は最前の慮外者、他人ならば少々は見逃しも致し、御免なされ下し置かれるようの執り成しをも申すべきなのですが、きゃつが母は拙者の兄弟、現在の甥、何とも助け難い。と申しも果てないのに、して、その科とは一体何事なるか。 御尋ねには及びません、御服に泥を投げ掛け、御身を汚しよごした科、、いやいや、この八彌の身を穢したとは心得ない。これを見よ、着類の何処に泥が付いている。いや、召し変えられる以前のお小袖。さればされば、着替えれば泥はかからなかったも同然ではないか。 御意とは申しながら、既に御馬の鞍鐙(くらあぶみ)も泥に染み、御徒歩でお帰りなされるのは旦那に恥辱を与えた慮外者と、申し上げれば、黙れ、黙れ、馬の皆具には泥がかかるものゆえに、障泥(あふり)と言う字は泥を障つと書く。泥がかからないものならば、どうして障(へだ)つの字は入るのだ。恥辱も慮外も科もないぞ。武士たる者の恥辱とはただ一雫の濁水(にごりみず)も名字にかかったなら洗っても落ない。濯いでも去らない。あの様な下賤の者は自分の目からはただの泥水、その泥水で名誉が汚される筈がない。泥から出ても泥に染まらない蓮の八彌だ。名字は汚れない、助けてやれ。 はあ、はっと、また有り難き御意でござる。それを大事にいたしましょうと、供先が振る手を揃え、行列を立てて進行する。 仲 之 巻 掲諦(ぎゃてい)、々々、々々、々々、波羅掲諦(はらぎゃてい)、波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい)掲諦、波羅掲諦波羅僧掲諦、唵呼嚕(おんころ)々々旋荼利摩登枳(せんだりまとうぎ)唵阿毘羅吽欠(おんあびらうんけん)。 おん油屋仲間の山上講(山上獄、大和国吉野郡蔵王権現、参詣の講中、信者同士の組合、当時、関西では伊勢参宮と共に若者がここに参詣する風があった)、俗体ではあるが数度のお山参詣、院號(峯入りに年功を積んだ者は、山伏格に準じて院號が許された)請けたる若手の先達(せんだち、先導者)に若手の新客が交じり、十二燈組(月々に十二灯・十二文の灯明料を集めている講中、山上講と同じ)が吹き出す法螺貝のかいがいしげである、金剛杖、腰には腰当てを、首に数珠、腰には巾着の代わりに水飲みを下げて、河内屋徳兵衛が店先に立ち寄り、何と、與兵衛、内にいるか、内にいるかとやって来た。 講中、何事もなくお山を勤めて有難い。今日の下向は知れたこと。懇ろな友達は桑津(天王寺の東南にある村)まで迎えに来てくれたぞ。お主一人が姿を見せなかったが気色(きしょく、気分、健康)でも悪いのか。忝ない、御利生(ご利益)を見て来た。これが何よりもの土産話だ。先ず話をしよう。 西国者とやらで両目が潰れた十二三歳の盲が、大願かけて山上し、行者様を拝む中で、両方共にくゎっと開き、小篠(こささ)の坂(山上獄の入口にあり、峯入りの者はここで身を浄めるのが例である)を杖も突かずにつっつと下がった。 お山の衆が考え、ああ、有難い、この秋から世の中が直る御告げだ、あれ、合点が行かないか。小さい盲は小盲、即ち、米蔵を開いて易々と坂を降るのは、下がり口(米価が)との教え、手隙ならば夕方におじゃ。色々とお山の噺で旅の疲れを晴らそうわい、波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい)、掲諦々々とがやがやといい騒ぐ。 親の徳兵衛が走り出て、若い衆、下向か、殊勝に御座る。此方(こち)のどら息子は山上参りの、行者講のと、今年も身どもの手から四貫六百、順慶町の兄太兵衛から四貫、以上十貫近い銭を取って一体何処へお参りをしたのやら、それどころか山上講の下向だと言うのに出迎えにも行かない。神仏の罰も思わない道楽者だ。友達甲斐に引き締めて異見をしてやってくれまいか。頼みますと言っている所に、奥から母親が両手に茶碗、のうのう、目出度い下向、まあ、一つづつ参れ。 こちらの與兵衛が山上様に嘘をついたその咎なのでしょうか、妹娘が十日ほど前から風邪を引いて枕が上がらない。医者は三人替えたが今に熱が下がらない。端午の節句は近づくし、婿を入れる談合が決まり、先からは急いで来る、何かにつけて夫婦の苦労、みんな與兵衛ののらくら者が行者様に嘘をついた祟(たたり)でお若い衆、お詫びの祈祷を頼みます。と、しみじみと語れば、講中の先達(せんだち)、いやいやお山の祟りであるから、與兵衛に罰が当たるはず、役の行者(文武天皇の頃の人。役小角、大和国に生まれ仏法に帰依して、呪術をよくした。後に葛城山に篭り鬼神を駆使したと伝えられる)とも言われる仏が、若輩らしく(未熟な者のように)何で脇かかり(罪のある当人を差し置いて、関係もない者に祟ること)をなされようか。 娘御の熱病は又外の事。そのような患いには薬も医者も要らぬこと、皆様は知りませんか、あんまり奇妙で異名を、白稲荷法印(ここは山伏の俗称)と申す今の世の流行(はやり)山伏、與兵衛も定めし知っているだろう。この法印を頼めば本腹(ほんぷく、病気の全快)は一度の加持で事足りましょうよ。
2025年04月18日
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女殺し油の地獄 上 の 巻 舟は新造の乗り心地、さよいよえ、君と我と、我と君とは図に乗った乗って来た。しっとんとん、しととん、しととんしととん、しっとと、逢瀬の波枕、盃は何処へ行った。君が盃、何時も飲みたや、武蔵野の、月の、月の夜すがら戯れ遊べ、囃し立てたる大騒ぎ。 北の新地の料理茶屋、主なけれど咲く花や、後家のお亀が請け込んで(引き受ける、飲み込む)客の替え名は蠟九(ろうきゅう)とて、生まれは陸奥会津であり、世間の評判を落とさない程度の程よい遊興ぶりだ。 この頃難波のこの里に上り詰めたよ、天王寺屋。小菊を思い、思われたさに鯰(なまず)川からゆらゆらと野崎参りの屋形船、卯月(陰暦四月)半ばの初暑さ、末の閏(うるう)に追い繰りてまだ肌寒い川風っを酒で凌いで、浮かれ行く。昔在霊山名法華(しゃくざいりょうぜんみょうほっけ)、今在西方名阿弥陀(こんざいさいほうみょうあみだ)、娑婆示現観世音(しゃばじげんかんぜおん)、三世の利益(りやく)、三年続き、去去年戊亥(つちのえゐ)の春は、裏屋背戸屋(裏長屋)に罪深く針櫛箱や数珠袋、底に日の目も見ず知らず、一文不通の衆生まで千手(せんじゅ)の御手の掴み取り、紫磨黄金(しまおうごん)の御膚(はだえ)に忽ちに成る、那智の観世音。 去年は和州法隆寺、聖徳太子の千百年忌、聖徳太子もまた救世(くせ)の大悲の化身。続いて今年はこの薩唾の沙汰、櫻の見頃が去った山里の、誰訪うべきもなかったのに、老若男女の花が咲いて(着飾って参詣する様)足を空に惑うではないが、そらそら、空吹く風に散らぬ色香の伊達参り、大人も童も謡うのを聞けば、行くもちんつ、帰るもちんつ、また来る人もちんつちりつて、ちりてって、傳(つて)を頼みの乗合船は借り切るよりは得、徳庵堤(寝屋川の北、徳庵村の堤)では艫(とも)に舳(へさき)を漕ぎ付けて他所も一つの舟の内、客はこれ見よ顔自慢、ややともすれば痴話事(色ばなし)になりがちだがそれを避けることもできない遊女の身の上、人も恥ずかしい、気詰まりだと小菊は陸(おか)に一飛びにぴらり帽子(女が外出時に笠の下に被った紫縮緬の帽子。額を覆って左右に垂れ、ひらひらと翻る所から名付けた)を深々と眉は隠しているが風采(とりなり)は町では見慣れない名古屋の胸高帯には、小笹に露が溜まらない如くに、小菊の艶姿を目にしてはとても堪らずに、始末算用世智辯、始末心も吹き飛んでしまう。人にこそより品により誰にでも応じるわけではない。 縒(よ)れたり縺(もつ)れたりして、道草に、人の言草が、ああ、難しく、煩く、憎く、厭らしい((道行く人が小菊に付きまとい詞をかける様)。我が供船を手招きして、これの見さんせな、愛宕の山にに、よえ、沈(じん)の煙が三筋立つ。煙がな沈の、沈の煙が三筋立つ。 四筋に分かれる玉鉾の道、これより巽(たつみ、東南)奈良街道、艮(うしとら、東北)隅は八幡道、玉造(たまつくり)へは坤(ひつじさる)。西は元来た京橋や野田の片町、大和川、此処は名に負う寿命の松、御代長久の岡山を歌では忍びの岡とも詠み、佐良々山口一つ橋を渡して救う御願力、無量無辺の聚福閣慈眼視衆生念被観音(じゅふくかくじげんじしゅじょうねんぴかんのん)、身得度者の御誓、問うも語るも行く舟も、陸路(かちじ)拾うも諸共に迷いを開く腰扇(腰に差した扇。当時、神仏に参詣の折は扇を開いて前に置き、これに神仏を勧請して礼拝する風があった。迷いを開く意と、扇を開く意をかけた)、御堂に念珠繰り返す。 所を問えば本天満町、町の幅さえ細々の柳腰、柳髪、とろり渡世も種油、梅花(髪油)紙漉(髪で漉した精製油)荏(え、えごま)の油(荏の実から取る油)、夫は豊島屋(てしまや)七左衛門で、妻の野崎の開帳参り、姉は九つ三人娘、抱く手、引く手に見返る人も子持ちとは見ない華盛り、吉野の吉を取ってお吉とは誰が名を付けたのであろう。お清は六歳の中娘、母(かか)様、茶(ぶぶ)が飲みたい、と声を出した。折節、傍の出茶屋見世に、此処を借りますと休憩したのだ。 こちらも同町の筋向い、河内屋(かわちや)與兵衛まだ二十三、親ががりだ。同商売の色友達(色里通いの仲間)刷毛(はけ、刷毛鬢)の彌五郎と皆朱(かいしゅ、朱塗は赤ら顔から来た渾名であろうか)の善兵衛、野崎詣りの三人連れ、万事を夢と飲み上げて、寝覚め提重(物見遊山などに用いる軽便な提重箱)と五升樽を坊主持(同行の者が途中で坊主に会う毎に荷持ちの役を変わること)して来た。 小菊が客と連れ立ってよしよしと下向する。この道筋、のさばり返って来る道、茶店の内から、申し、申し、與兵衛様、此処へ、此処へと呼びかけられて、や、お吉様、子供衆連れての参詣ですか。存じていたならば連れになりましたものを。七左衛門殿は留守をなされておられるのですか。 いや、此方の人も同道です。二三軒寄るところもあり、追っ付け此処に見える筈、お連れ衆もまあ、此処へ。平に平に(是非とも)と強いられて、煙草を一服致そうかと、腰を打ちかけたのも道楽者らしい。 何と與兵衛様、御繁盛なお参りではないかいのう。金満家の娘子達やお家(中流以上の商家の主婦)様方、あれあれ、あそこに桔梗染めの腰変わり(衣装の腰から下の染色や模様が変わっている物)、縞繻の帯、それ者(玄人)じゃわいの、わいの。それ、それ、それ、そこへ縞縮(しまちじみ)に鹿の子の帯、確かに中(大阪で、新町を指して言う。他の色里に対して一段高い格式を持った)の風と見た。また一位見事ではあるぞ。いかさま(成る程)若いお衆がこのような折に、あんな見事な者を引き連れて、人が羨む様な贅を尽くしたのは道理です。此方(こな)様も連れ立ちたい者がいるでしょう。 こんな折に、新地の天王寺屋小菊殿か、新町の備前屋松風殿か、どうです、図星でしょう。よく知っているでしょう。何故に連れ立って参らなかったのです、正面からおだてると直ぐに乗せられて、残り多い、どうぞ今日は物の見事なことで、参詣の群衆に目を覚まさせてやろうと、この間中から色々ともがいたが備前屋の松風めは先約があり、貰いも貸すもならぬと抜かした。 天王寺屋の小菊めは野崎へは方が悪い、どなたの御意でも参らぬと言い切った。それに、聞いてくだされ。小菊めが今日は会津の客に揚げられて早朝から川御座(かわござ、川を上下する屋形舟)で参りおった。 田舎者に仕負けては(張り合って引けをとっては)この與兵衛が立たない。小菊めが帰るのを待って一出入(一談判、一悶着)とは噺の内から二人の連れ、腕を押しもんで力みかけ、鬼とでも組もうという勢いなのだ。 それそれ、問うには落ちずに語るには落ちると、利口そうにそれが信心の観音参りかと、喧嘩師の野良参り。買わしゃんす、お山も傾城も、何屋の誰、何屋の誰と親御達がよく知っていとしぼ、愛おしい。そちへは與兵衛が間がな隙がな入り浸たっておる。異見して下されと、私等(わしら)夫婦に折り入って口説き事(嘆願)、こちの七左衛門殿も定めし意見もされたはず。きっと此方(こな)様の心には場所もこそあれ野天の掛茶屋で若い女子のざまで、人子鉢(大小数個組み合わせて、段々に中へ納まるように仕組んだ鉢)の様な自分の子供の世話ばかりを焼いておらずに、小差し出たと憎かろが、この諸万人の群衆を突き除け押し除けして目に立つ風俗、本天満町河内屋徳兵衛と言う、油屋の二番息子、茶屋々々の譯もろくに立てず(支払い勘定もろくにしないで)、あのざま見よと指差しをするのが笑止な。実直で手堅い兄御を手本として商人(あきんど)と言うものは一文の銭も徒(あだ)にせずに、雀の巣さえ少しずつ材料を運んでいても立派に形になる。随分と稼いで、親達の肩を助けよと心願を立てなさいな。脇へは行かないその身の荘厳(他人の為ばかりではなく、結局本人の身に幸福となって返ってくる)。はあ、気に入らないのか返事がない。お吉は中の娘に向かって、姉おじゃ、早く帰ろう。 道で此方(こち)の人に会われたら本堂で待っていると言って下さいな。茶屋殿、過分(お世話様)と言って袂から置く茶の銭の八九文、四分には重く、五分には軽々しげな物参りだ。別れてお吉は通りける。 悪性に上塗りする皆朱の善兵衛、あの女は與兵衛の筋向いのおか様(お内儀)ではないか、物腰もどこやら恋のある美しい顔で、さてさて、堅い女房だな。されば、年もまだ二十七、色はあるけれども数の子程に子供を産み広げても、所帯染みないで気が地味な、器量よしの女房に大変な疵だ。見かけばかりで旨味がない。飴細工(葭茎の先に飴の塊をつけ、他の端から息を吹き込んで膨らませ、鳥の形などに拵えてけばけばしく彩ったもの。大道で売った)の鳥じゃぞ。そう言って笑う。 このようであるとはどうして知ろうか、白人の田舎の客に揚げられて、連れて女主人の亀も混じって替え歌のちんつ、も国訛りで、やつしは甚左衛門、幸左衛門の思案事、四郎左の憂い事。ちんつ、ちんつ、ちんちりつてつて、日本一の名人様、やっちゃ、やっちゃ、と褒める歌よりも褒めさせる。金さえあればどんな芸でも上手で通る。 そりゃそりゃ来たぞと、三人が手ぐすね引いている顔の色。小菊が遠目にはっと驚き、申し、花車さん、同じ道ばかりでは気が尽きます。始めの舟に乗りたいと裾をかい取って立ち休らう。 先に與兵衛が真っ直ぐに帆柱の如くに立ち、跡には二王が張番立ち。與兵衛よ、急くな女郎と詰め開いて男を立てろ。会津の蝋燭客が光立ちしたら(とやかく文句を言ったなら)、こちらの二人が芯を切って踏み消してくれよう。草履を腰に腕まくり、客は顛倒、花車も下女も狼狽えて、小菊を囲って震えている。 小菊殿を借りたぞ、馴染みの河與が借りるからは動かせぬと、茶屋の床几(しょうぎ)に引きずり据えて、これ売女(ばいた)様、安お山様、野崎は方が悪い、どなたの御意でも参らぬと、この河與と連れになるのを嫌い、好いた客と参れば方も構わないのか。その譯を聞こうと理窟ばる。 目玉の鬼門金神(きもんこんじん)も柔らかく小菊は受け止めて、これ、河與様(さん)、角が取れませんね(ひらけない、野暮ったい)、小菊と言う名が一つ出れば、與兵衛と言う名は三つ出るほどに深い、深いと言い立てられた二人の仲です。連れ立って参らぬのもみなこなさんが愛しい故。 人におだてられ、けしかけられて何じゃいの、わしが心は誓文こうじゃと、ひたりと抱き寄せてしみじみと囁く。色こそ見えないが、よい香が河與を包む。河與は悦喜して、ええ、忝ないと顔の相好を崩して伸びた顔つき。 客は堪らず傍にどうと腰掛け、小菊殿、御身は聞こえぬか、如何なる縁であるのか会津様程愛しい人は大坂中にいないと言ったぞや。国許の外聞、身の大慶と、大事の金銀を湯水のように使い、川遊び、ちょがらかされに(嬲り者にされに)来たのではない。その男が聞く前で、昨夜の如く言わないか、そうでないととやとや通り、山中の道を越えて二度と郷里には帰らぬぞ。 どうだ、どうだと責め立てる。言い合わせていた二人の連れがつかつかと寄って、やい。もさめ(田舎者め)、この女郎はこっちに貰うぞ、置いて帰れ。但し、東土産に川の泥水を喰らわせようか。と、両方から立ち挟み、投げてくれんと凄む面構えだ。 坂東者はどう強く、何をさぶい、さぶい共、人脅しに腕に色々の彫り物をして喧嘩に事寄せて懐の物を取ると聞き及んでいる。貧乏と言う棒に脛を殴られて腰膝も立たない遊女狂い、上方の泥水よりも奥州者の泥足でも喰らえ、とつっと寄り蹴上げた足首、刷毛の方が頤(おとがい)を蹴られて筋が違い、どうと転んでころころころ、小川にどんぶと蹴落とされた。 これはと取り着いた皆朱は大事の命の玉(睾丸)縮み込む程に蹴りつけられて、しまった、鳶に物を攫われた。呆れて空を見い見い、地べたに這いつくばって逃げて行くへは知れないのだ。
2025年04月16日
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待てと知らせの合図のしわぶき、えへん、えへん、かっちかっち、えへんに拍子木打ち付混ぜて、上の町から番太郎が来る、来る、手繰る風の夜は、咳きが出る、しわぶく、急き急き廻る火の用心、ごよざ、ごよざごよざも人目を忍ぶ時分にとっては辛い、葛城の神がくれしてやり過ごし、隙を伺い立ち寄れば潜り戸が内側からそっと開く。 小春か、待ってか、治兵衛様、早く出たいと気を急けば、急く程に廻る車戸(下方に車のついた戸)が開く音を人が聞きつけるのではないかと、持ち上げるようにして掬うようにして開ければ、しゃくって響き耳に轟く胸の内。 冶兵衛が外から手を添えても心が震えているので手先も震え、三分四分五分と戸を少しずつ開けて、嬉しい戸が開く。先の地獄の苦しみよりも傳兵衛ら鬼の居ぬ間とやっとのことで明ける年の春。 小春は内を抜け出して互いに手と手を取り交わして、北へ行こうかそれとも南にか、西か東か、行く末はとても定まらずに、心の逸るそれではないが、早瀬の蜆川、流れる月に逆らって、東の方角を指して足に任せて急いだのだ。 名残の橋づくし 走り書きした謡の本は近衛流(近衛三疏院信伊が始めたもの)と決まっているもの。野郎帽子(歌舞伎俳優が用いる帽子)も若紫(紫縮緬)と決まっている。 悪所・色里狂いの身の果てはこのように成りゆくものと定まっている。釈迦の教えもあるものか、我が身の因果(不幸な運命)の次第を因果経に照らして読んでみたいものだ。今日か明日には世上の言種(ことくさ)に紙屋冶兵衛が心中したと絵草紙に摺られて根掘り葉掘りが世上に噂が広まるであろう。 桜木の版に剃る紙ではないが、神ならぬ死に神が絵草紙の紙の中に隠れているとも知らずに、商売を疎くした報いだと観念はするものの、ともすれば後へ心が惹かれて歩み悩むのは道理であるよ。 頃は十月十五夜の、月にも見えない身の上は頃の闇の印なのか。今置く霜は明日消える、儚い喩えのそれよりも先に消えていく。寝屋の内で、愛し可愛いと締めて寝た移り香も何となろうか。絶えず流れる蜆川を西に見て、朝夕に渡るこの橋は天神橋、その昔に天滿天神が管丞相(かんしょうじょう)と申せし時に筑紫に流されなされたのだが、君・ご主人を慕って太宰府へたった一飛びした梅、その梅田橋、後を追う老い松の緑橋、別れを歎き悲しみて跡に焦がれる、木も枯れる櫻橋、今に噺を聞き渡る。一首の歌の御威徳、このように尊い霊験のあらたかな神、その氏子として生まれた甲斐もなく、そなたを殺し我も死ぬ。元はと問えばあの小さな蜆貝の殻にも満たない思慮分別を持たなかったから、短いものは我々のこの世での住まい。飽きるまでもなく秋の日よ、十九と二十八年の今日の今宵を限りにて、二人の命の捨て所、ぢいとばばとの末までもまめで(無事で、達者で)添おうと契ったのだが、丸三年も馴染まないで此の災難に遭う大江橋(蜆川の南の川、堂島川に架かる)、あれを御覧よ、難波小橋から舟入橋の濱伝い、此処まで来れば来る程は冥途の道が近づくと、嘆けば女も縋り寄り、もうこの道が冥土かと見交わす顔も見えぬ程の滂沱の涙だ。 天満堀川に架かる橋も二人の涙で水浸しになるであろうよ。北へ歩けば我宿をひと目で見えるが見返らずに、子供の行方、女房の哀れも胸に押し包み、南へ渡る橋柱も数が数え切れぬほどにある。家の数も無数であるが、如何に名付けたのか八軒屋(天神橋と天満橋の間、大川の南岸にある。伏見通いの船の発着場)、誰と一緒に臥すではないが、伏見の下り舟が着かないうちにと道を急ぐ。 この世を捨てて行く身には、聞くのも恐ろしい天魔ならぬ、天満橋。淀と大和の二つの川が一つに合流して大川となる。水と魚とは一緒に連れて行く。 我も小春と二人連れ、一つ刃の三瀬川、同じ刃で死んで三途の川を渡る定めであるが、大川の水を手向けの水として受けたいものだ。何を嘆こうか、この世でこそは添わなかったが未来は言うに及ばず、今度の今度、ずっと今度のその先までも夫婦ぞや。一つ蓮の頼みには一夏(いちげ、仏家で陰暦四月の十六日から七月十五日までの九十日間、家に閉じこもって修行をするのを夏安日・げあご と言い、その期間を一夏と言う。また、その間に経文を、本文では普門品、又は仏名を写すのを夏書・げがき と言う)に一部を夏書した。 大慈大悲の普門品(ふもんぼん、法華経第二十五品、観音の利益を説く)、法蓮華経ならぬ、京橋を越えれば到る彼岸(かのきし)の玉の台(うてな)に乗るではないが、法(のり)を得て仏の姿に身を成す、成橋(なりはし、京橋を渡り、片町を経て網島に行く間の鯰川に架かる)、衆生済度(しゅじょうさいど)がままになるならば流れの人・遊女のこの後に、絶えて心中はしないように、守りたいぞと及び難い願いも世上の世迷い言・凡夫の愚痴、思いやられて哀れである。 野田の入江の水煙・朝靄、山の端白くほのぼのと、あれ、寺々の鐘の声、こう、こう、こうして何時までかとても長らえ果てぬ身を、最期を急ごうこなたへと手には百八つの玉の緒を、涙の玉にくり混ぜて、南無阿弥陀仏、網島の大長寺(網島の北端にあった浄土宗の寺)、藪の外面(そとも)のいささ川。小川、流れがみなぎる樋の口の上(水門の上流)に到着したのだ。 ねえ、何時までうかうか歩いても、此処が人の死に場所だと定まっている所もない。いざ、ここを往生場と手を取り合って土に座したところ、それについて話がある。 死場(しにば)はどこでも同じこととは言いながら、途中、歩きながら思うのにも、二人が死に顔を並べて小春と紙屋冶兵衛が心中したと噂が立ったならば、おさん様からの頼みで、殺してくれるな、殺すまい、治兵衛様とは縁を切りますと約束を取り交わしたその文を反故にして、大事の男を唆しての心中は、さすが一座流れ、その場限りで真実のない遊女だと、義理知らず、の偽り者、と世の人の千人万人よりもおさん様お一人からの蔑み、恨み、妬みもさぞと思いやり、未来の迷いはこれだけです。 私を此処で殺して、こなさんはどこぞ所を変え、ずっと離れて脇で自害して下さいな、と治兵衛にうち凭れて口説くと、冶兵衛も小春も共に口説き泣きする。 ああ、愚痴なことばかりだなあ、おさんは舅に取り返され、暇をやって離縁した以上は他人と他人、どの様な義理もない。道すがらに言ったように、今度の今度の、ずんど今度の先の世までも夫婦とちぎったこの二人だ、枕を並べて死ぬのに誰が謗るか、誰が妬むか。 さあ、その離別は誰の業でしょう。私よりこなさん、猶の愚痴です。体があの世に連れ立つか、別々の場所で死んで、たとえこの体は鳶や鴉につつかれて、二人の魂は附き纏わり、地獄へも極楽へも連れ立って下さんせ。そう言って又伏し沈み泣いたところ、 おお、それよそれよ、この体は地水火風、死ぬれば空に帰る。五生七生と何度生まれ変わっても朽ちたりはしない夫婦としての魂は一体で決して離れはしません。証拠は合点かと、脇差をがばっと抜く放ち、元結際から自分の黒髪をふっつと切って、これを見なさい小春、この髪のある中は紙屋冶兵衛と言うおさんの夫、髪を切った以上は出家の身、三界(もと、一切衆生が生死・輪廻を繰り返す三種の世界。即ち欲界・色界・無色界を言う。ここは娑婆、現世を言う)の家を出て、妻子珍宝不随者(係累のない)法師だ。 おさんと言う女房がないのだから、お主が立てる義理もない道理だ。と、涙ながらに投げ出した。 ああ、嬉しゅう御座んすと、小春も脇差を取り上げて、洗ったり梳いたり撫で付けたりした黒髪を、酷いことだが惜しげもなく、投島田、はらりと切って投げ捨てた。 枯野の薄、夜半の霜、共に乱れる哀れさよ。浮世を逃れし尼法師、夫婦の義理とは俗の昔、とてものことにさっぱりと死場を変えて山と川とに別れて、この樋の上を山に準えて、そなたが最後場。我は又、この流れにて首括り、最期は同じ時ながら、捨身の品も所も変えて、おさんに義理を立て抜く心の道、その抱え帯(細く絎・く けた帯。しごき)をこっちへと若紫の色も香も無常の風に散るそれではないが、縮緬のこの世あの世の二重廻り樋の俎板木にしっかりとくくり、先を結んで狩場の雉(きぎし)の妻ゆえに我も首を締め括る罠結び(帯の一端を引けば締まるように輪形に結ぶこと)。 我と我が身に死拵え、見るに目も昏れて、心昏れ、こなさんそれで死なしゃんすか、所を隔てて死ぬならば側にいるのも少しの間、ここへ、ここへと手を取り合い、刃で死ぬるはひと思い、首を括るあなたの方はさぞや苦痛なされましょう。そう思えば愛しい、愛しいと留め兼ねた忍び泣き。 首を括るのも喉を突くのも死ぬ苦しみが一通りのもので済むものか。由無い事に気を取られて、最後の念を乱さなくても、西へ、西へと行く月を如来と拝み、目を離さずに、只今西方極楽浄土を忘りゃるな。心残りの事があれば、言ってから死にゃ。何もない、何もない。こなさん定めしお二人の子達の事が気にかかろ。あれ、ひょんな事を言い出して、又泣かせるのか。父(てて)親が今死ぬとも何心もなくすやすやと可愛や寝顔を見るような、忘れないのはこればっかり。そう言って、かっぱと伏して泣き沈む。 冶兵衛の泣く声と鳴き声を争う群れ烏、塒を離れて鳴く声は、今の哀れを問うのかと、いとど涙を添えたのだ。 のう、あれを聞きなさい、二人を冥途に迎えの烏が牛王の裏に誓紙一枚書く度に、熊野の烏がお山にて三羽ずつ死ぬと昔から言い伝えているが、我とそなたが新玉の年の始めに起請の書き初め、月の始め月がしら書いた誓紙の数々、そのたびごとに三羽ずつ殺した烏はどれほどだろうか。 常には、可愛い、可愛いと聞いていたが、今宵の耳にはその殺生の恨みの罪。報い、報いと聞こえるのだ。そう言えば、報いとは誰故なのか、我故に辛い死を遂げるのだ。 許してくれと抱き寄せれば、いや、わし故と締め寄せて顔と顔とを打ち重ねて、涙に閉じる鬢の髪、野辺の嵐に凍りけり。 後ろに響く大長寺の鐘の声、南無三宝、長い夜も夫婦の命は短いと夜は早くも明け渡る。 晨朝に尋常の死は今ぞと引き寄せて、跡まで残る死に顔に泣き顔を残さじとにっこりと笑顔が暁の薄明かりに白々と浮いて見える。霜に凍えて手も震え、我から先にと冶兵衛は目も暗み、刃の立てども無くて泣く涙。 ああ、急くまい、急くまい、早う、早うと女が勇むのを力草にして風が誘い来る念仏は我に勧める南無阿弥陀仏、弥陀の利剣とぐっと刺されて小春をその場に引き据えておこうとしても、反り返り、七転八倒、こは如何に鋒は喉笛を外れて死にもやらず、最後の業苦に共に乱れて、苦しみの気を取り戻して引き寄せて、鍔元まで刺し通した一刀、抉るのも苦しい暁の見果てぬ夢と消え果てた。 頭北面右脇臥にして羽織を打ち着せて屍骸を繕い、泣いても尽きない名残の袂を見捨てて、抱え帯をたぐり寄せてから首に罠を引き掛けた。寺の念仏も切り回向(勤行の最後に唱える回向文)、有縁無縁乃至法界平等の声を限りに樋の上から一連託生南無阿弥陀仏と踏み外し、暫し苦しんだが、生瓢が風に揺られる如くで次第に消えていく息の道、呼吸を止める樋の口に、この世の縁は切れ果てた。 朝出の漁夫が網の目に見つけて死んだ、やれ、死んだ。出合え、出合えと声々に言い広めたる物語。直ぐに成仏得脱の誓の網島心中と、目毎に涙をかけたのだった。
2025年04月14日
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私や子供は何を着ないでも、男は世間が大事、請出して小春も助け、太兵衛とやらに一分を立てて見せてくだしゃんせ。と、おさんが言うのだが始終俯いて、しくしく泣いていたのだが、手付を渡して取り止め、請出してその後、小春を他に囲って住まわせておくか、内に入れるにしても、そなたは何となるのじゃ。そう言われておさんははっとして、行き当たり、おお、そうじゃ、はて、何としょう。子供の乳母か飯炊きか、隠居なりともしましょうと、わっと叫んで泣き沈む。 余りの冥加が恐ろしい、あまりに自分勝手の事になり天罰が下るのが空恐ろしい。この冶兵衛には親の罰、天の罰、仏神の罰が当たらなくとも、女房の罰ひとつでも将来は良くない筈だ。許してたもれと手を合わせて口説き歎けば、勿体無い。それを拝む事かいな、手足の爪を放しても皆夫への奉公・奉仕と思えば滿足です。紙問屋の仕切り銀、いつからか着類を質に入れて遣り繰りをして、私の箪笥は皆明き殻ですが、それを惜しいとも思っていません。何を言っても後偏では返らない。手遅れになっては取り返しがつきませんよ。 さあさあ、早く、小袖も着替えて、にっこり笑って行かしゃんせと、下に郡内黒羽二重縞の羽織に紗綾(さや、綾に似た絖地・ぬめじ の絹織物。稲妻・菱垣などの浮き彫りの模様がある)の帯、金拵えの(金具を金で飾った)中脇差(九寸五分までを小脇差、一尺七寸までを中脇差、一尺九寸までを大脇差と言う)、今宵小春の血で染められるとは仏様だけが知ろしめされけん。 三五郎、此処へと風呂敷包みを肩に負わせて、供に連れ、金も肌にしっかりと付けて立ち出でた門の口。冶兵衛は内におゐやるかと、毛頭巾(けづきん、毛皮製の頭巾。老人用の古風な被り物)を取って入るのを見れば、南無三方、舅の五左衛門である。 これはさて、折も折、ようお帰りなされたと夫婦は顛倒(てんどう、驚き慌てて、度を失うこと)狼狽える。五左衛門は三五郎が背負った風呂敷包みをもぎ取って、どっかと座り、刺々しい声、女郎下にけつかろう。婿殿これは珍しい、上下着飾り、脇差、羽織、あっぱれよい衆の金遣い、お金持ちの遊興姿、紙屋とは見えないぞ。新地への御出か、御精が出ますな。内の女房は要らないだろうからおさんに暇をやりな。連れに来たのだと口に針がある苦い顔。 治兵衛はとこうの言句(ごんく)も出ない。父(とっ)様、今日は寒いのによう歩かしゃんす。先ずはお茶を一つと、茶碗を差し出すのを機会に立ち寄って、主の新地通いも最前、母様と孫右衛門様がおいでなされてだんだん、色々と懇切な御異見があり、夫も熱い涙を流して誓紙を書いての発起心(仏語の一念発起から出て、ここは更生をちかったの意)、母様に渡したのですがまだご覧にはなられませんか。 おお、誓紙とこれのことか、と懐中から取り出して、阿呆狂い(放蕩、馬鹿遊び)する者の起請誓紙は方々先々、書き出し(掛売の勘定書)程に書き散らす。合点が行かないと思い思い来てみれば、案のごとくにこの様でも梵天帝釈に誓ったと言えるのか、誓紙を書く隙があったら去り状(離縁状)を書けとずんずんに引き裂いて投げ捨てた。 夫婦はあっと顔を見合わせて、呆れて言葉も出ないのだ。冶兵衛は手をつき、頭を下げて、ご立腹はご尤もとお詫び申すのは以前の治兵衛であった時分のことです。今日の只今よりは何事も御慈悲と思し召しておさんに添わせて下されかし。よしんば冶兵衛が乞食非人(こつじきひにん)の身になり、諸人の箸の余り(残飯、食べ残し)にて身命(しんみょう)を繋ぐように落ちぶれたとしても、おさんはきっと上に据え、憂き目は見せず、辛い目見せず、添わねばならない大恩があるのです。その譯に就いては月日も経ち、私の勤めぶりも変わり身代も持ち直してお見せ申すならば自然にお解りいただける筈。それまではどうか目を塞いでおさんに添わせて下さいませと、はらはらと零す血の涙。畳に食らいついて泣きながら詫びた所、非人の女房にはなおさせないぞ、去り状を書け。去り状を書け。おさんが持参した道具や衣類の数を改めて封を付けようと、立ち寄れば、女房は慌てて着物の数は揃うて有りまする。改めるには及びませんよと駆け寄って立ちふさがれば、突き除けてぐっと引き出して、こりゃどうじゃ、又引き出してもちんからり(空っぽの意を表す擬声語)、有りたけこたけ引き出しても、継ぎ切れ一尺あらばこそ葛籠(つづら)長持ち、衣装櫃、これ程に空になったかと舅は怒りの目玉も据わり、夫婦の心は今更に明けて悔しい浦島の子ではないが、縞の炬燵に身を寄せて火にも入りたい(穴にでも入りたい、と同義)風情である。 この風呂敷も気遣いだと引きほどき、取り散らして、さればこそ推量した通りだった、これも質屋に飛ばすのか、やい、冶兵衛、女房子供の身の皮を剥いで、その金でお山狂い(遊女狂い)するのか。いけどう掏摸め。老妻はそなたとは叔母と甥の関係ではあるが、この五左衛門とは赤の他人だ、損をするいわれ因縁がない。孫右衛門に断り(事情を語って)兄の方から取り返すぞ。 さあ、去り状、去り状と、七重の扉八重の鎖、百重(ももえ)の囲みは逃れられるにしても遁れ難い手詰めの段(土壇場に追い詰められて、手詰めは、手厳しく詰め寄せること)。 おお、冶兵衛の去り状は筆では書かない、是、御覧ぜよ、おさんさらばと脇差に手を掛けた。おさんは縋り付いて、のう、悲しや。父(とっ)様、身に誤りがあればこそだんだんの(色々と事をわけての)詫び言、余りに理運が過ぎました(自己の立場が有利なのを頼みに、我意を張ること)。治兵衛殿こそ他人なれ、子供は孫、可愛くはないのですか。わしゃ、去り状は受け取りません。そう言って夫に抱きついて声を挙げて泣き叫ぶ。それも道理なのだ。 よい、よい、去り状は要らない。女郎め来いと引き立てる。いや、わしゃ、行かぬ。飽きも飽かれもせぬ仲なのに、どれほど深い遺恨があって昼日中に夫婦の恥を晒すのですか。そう言って泣き詫びるのだが聞き入れず、この上に何の恥があるものか、町内一杯に喚いて行くぞと引き立てれば、振り放し、小腕取られてよろよろと、足の爪先に、可愛やはたと行き当った二人の子供が目を覚まして、大事の母(かか)様をなぜ連れて行くのです、祖父(じい)様め、今から誰と寝よう。そう言って慕い寄り嘆けば、おお、愛しや、生まれてから一夜さえ母(かか)の肌を離さなかったもの。晩からは父(とと)様とねねしや、二人の子供に朝の菓子を与えるのを忘れないで下さいな。必ず桑山(子供の万病に効くとされた丸薬。もと豊臣家の臣、桑山修理太夫が朝鮮から伝えたものと言う)飲ませて下されい。のう、悲しやと言い捨てる、跡に子供を見捨てる、藪に夫婦の二股竹、その竹ではないが長い別れとはなってしまった。 下 之 巻 恋情け、ここを瀬にせん蜆(しじみ)川、流れる水も行き交う人も、音せぬ丑三(うしみつ、午前二時頃)の空に十五夜の月が冴えて、光は暗い門行灯(かどあんどん)、大和屋傳兵衛を一字書き、眠りがちなる拍子木に番太(番太郎の略、夜廻り、夜番)の足取りも千鳥足で、ごよざ、ごよざ(御用心の略語、夜番が唱える語)の声が眠そうなのにも夜が更けたことが感じられる。 駕籠の衆、いこう更けたなと、上の町から下女子(しもおなご)、迎えの駕籠も大和屋の潜りくゎらくゎらつっと入り、紀伊の国屋の小春さんを借りやんしょ。迎えとばかりほの聞こえて、跡は三つ四つと挨拶の程なく潜りににょっと出て、小春様はお泊まりじゃ、駕籠の衆すぐに休すまっしゃれ。 ああ、言い残した(迎えの下女の言葉)、花車さん、小春様に気をつけてくださりませ。太兵衛様への身請けが済んで金を受け取ったりゃ預かり物、酒を過ごさせて下さんすな。と、門の口から明日待たぬ、冶兵衛と小春が土になる(死んで土に返る)種を撒き散らして下女は帰ったのだ。 茶屋の茶釜も夜一時、休むのは八つと七つとの間(午前二時から四時の間)にちらつく短檠(たんけい、丈の低い燭台)の光も細く、更ける夜の川風寒く、霜が満ちている。 まだ夜が深い、送らせましょ。冶兵衛様のお帰りじゃ。小春様起こしませ。それ、呼びませ、は亭主の声だ。冶兵衛は潜りをぐゎさと開け、これこれ、傳兵衛、小春に沙汰なし(自分が帰ることは黙っていてくれ)。耳に入れば夜明けまで括られる(引き止められる)。それ故によう寝させて抜けて往ぬる。日が出てから起こして往なしゃ。我ら今から帰ると直ぐに買い物に京へ上る。沢山の用事を抱えているので、中払い(盆と暮れとの中間、十月末の支払い)に間に合うように帰れるかは分からない。最前の金で、この家の勘定は済ませ、河庄の所にも後の月見(陰暦十月十三夜の夜)の払いと言って四つ百五十目(四宝銀を百五十匁)やって、その受け取りも貰っておいて欲しい。それと、福島の西悦坊(幇間の名前)が仏壇を買った奉加(祝儀)に銀一枚を回向してやってくれないか。その他に関わり合いは、はあ、それよそれよ、磯都(いそいち、盲目の幇間)への祝儀として小玉銀を五つ、それだけだ、仕舞って寝やれ。さらば、さらば、京から戻ったらまた会おう。と、ふた足み足行くよりも早く立ち戻り、脇差を忘れた、ちゃっと、ちゃっと(早く取って来てくれないか)、何と傳兵衛、町人はここが心安いぞ。侍なればそのまま切腹するであろうな。我ら預かっておいてとんと失念。小刀も揃ったと渡せば取ってしっかりと差し、これさえあれば千人力だ。もう休みゃれと立ち帰った。 早く京からお帰り下さいませ。ようござりました(よくいらっしゃいました)の挨拶の言葉もそこそこに跡はくろろ(くるる、戸が開かないようにする桟)をことりと差して、物音もなく静まった。 冶兵衛はつっと往ってしまった顔をして、また引き返す忍び足、大和屋の戸に縋り、内を覗いて見るうちに通りを間近に迫ってくる人影にびっくりして、向かいの家の物陰に相手が通り過ぎるのを待ってやり過ごした。 弟故に気を砕く粉屋孫右衛門は先に立ち、後には丁稚の三五郎が背中に勘太郎を背負って、行灯を目当てに駆けて来て、大和屋の戸を打ち叩いて、ちと、物問いましょう、紙屋治兵衛はおりませんか。ちょっと会わせて下されと呼ばわれば、さては兄貴だったかと、治兵衛は身動きもせずに更に身を潜めて忍んでいる。 内部では男の寝ぼけ声で、治兵衛様はもう少し前に京へ上られるとてお帰りになられました。此処にはおいでではありません。とだけ、重ねては何の物音もしないのだ。 涙をはらはらと流して孫右衛門は、ここを出て帰ったのなら途中で会いそうなもの。京へとは合点が行かない。ああ、気遣いで身が震える。小春を連れては行かなかったかと、思わず胸にどっきりと来て、心の底に横たわる不安に堪えかねている。 心苦しさに耐えかねて、又戸を叩けば、夜更けて誰ですか、もう寝ましたよ。御無心ながら(ご迷惑は承知しているが。申しかねるが)もう一度お尋ね致します。紀伊の国屋の小春殿はお帰りなされましたか。ひょっとして冶兵衛と連れ立っては行きはしなかったでしょうか。 や、や、何じゃ、小春殿は二階で寝ておられる。あっ、先ずは心が落ち着いた。心中の疑念は無くなった。それにしても冶兵衛めは何処に隠れてこの苦しみをかけるのだ。一門一家親兄弟が固唾を呑んで臓腑を揉んでいるとはよも知るまい。 舅への恨みから自分の立場も忘れて、無分別も出ようかと異見の種に勘太郎を連れて尋ねた甲斐もなく今まで会えないのはどうしたことか、おろおろ涙の独り言。 治兵衛が隠れている場所とあまり距離もないこととて、孫右衛門の詞が聞こえて治兵衛は息を詰め、涙を飲み込むばかりなのだ。 やい、三五郎、阿呆めが。夜々に失せる場所、外には知らないか。と、言えば阿呆は自分の名だと心得て知ってはいても此処では恥ずかしくて申せません。 知っているとは、さあ、何処じゃ。言って聞かせろ。聞いた後で叱らないで下さいな。毎晩ちょこちょこ行くところは市の側の納屋の下です。 おおだわけめ、それを誰が吟味する。さあ、来い。曽根崎新地の裏町を尋ねてみよう。勘太郎に風邪をひかすな。役にも立たないろくでなしの親を持って、可哀想に冷たい目をするな。今の冷たい思いだけで事が無事に済めば良いが。ひょっと憂き目を見せないだろうか。憎い、憎いの底心(そこしん)は不憫、不憫の裏町をいざ尋ねんと行き過ぎる。 冶兵衛は影が隔たったので駆け出して跡を懐かしげに伸び上がり見て、心に物を言わせては十悪人(極悪人)のこの冶兵衛を死ぬならば勝手に死ねとは捨てておけずに、跡から跡から御厄介、勿体無やと手を合わせ伏拝み、伏拝み、猶この上のお慈悲には子供ことを宜しくお願い致しますとばかりに、暫し涙で咽んでいたが、どうせ覚悟を決めた以上は小春を待とうと、大和屋の潜りの隙間をさし覗けば、内にちらつく影は小春ではないか。
2025年04月10日
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中 之 巻 福徳円満に、天満天神の名をそのままに借りて橋の名として、真っ直ぐに天神橋と行き通う。所も神のお前町営む業(わざ)も神ならぬ、紙の見世に、紙屋治兵衛と名をつけて、千早振るではないが客が降るほどに大勢買いに来る。 正直の頭に神宿るとか、正直商売を心がけているので所柄もあり、父祖の家業を受け継いで手堅く商売を続けている老舗である。夫が炬燵でうたた寝を枕屏風で風を防ぐ、外は十夜の人通り、店の商売と家庭の商売を一手に締めくくって、女房おさんの心配り。 日は短い、夕飯時に青物市が立っている天神橋北詰の川岸まで使いに行った玉は何をしているのだろうか。この三五郎めが戻らないこと。風が冷たい、二人の子供が寒かろう。お末が乳を飲みたがる頃だ、何が生まれ変わって阿呆になるのか、阿呆ほど始末に負えない者はない。じれったいと独り言。 母(かか)様一人で戻ったと走って戻る兄息子、おお、勘太郎、戻りゃったか、お末や三五郎は何とした。天満宮の境内でたんと遊んで乳を飲みたいと泣きやりました。そうこそ、そうこそ、こりゃ手も足も釘になった(寒さで凍えて冷たくかじかんだ様を言う)。父(とと)様の寝てござる炬燵にあたって暖まりゃ。この阿呆め、どうしようと、待ちかねて見世に駆け出せば、三五郎ただ一人がのらのらとして立ち帰った。 こりゃ田分け目、お末は何処に置いてきた。ああ、ほんに何処でやら落としてしまった。誰ぞ拾ったか知り申しません。何処か尋ねて参りましょうか。 おのれ、まあまあ大事な子を怪我でもあったらぶち殺すぞと、喚いているところに下女の玉がお末を背中に背負って、おうおう、愛しや、辻で泣いてござんした。三五郎や、お守りをするなら満足にまともにしなさいよ、と喚いて帰れば、おお、可愛や可愛や、乳飲みたかったであろうよ。同じく炬燵に添え乳をして、これ玉、その阿呆が身にしみるほどに叩いておやりよ。言えば三五郎は頭を振り、いやいやたった今お宮で蜜柑を二つ宛くらわしました。そしてわしも五つ程喰らいました。そう阿呆の癖に軽口叩くのでおさんも玉も苦笑いするばかりなのだ。 や、阿呆に気を取られてうっかり忘れるところでしたよ。申し、申し、おさん様、西の方から粉屋(こや)の孫右衛門様と叔母御(冶兵衛の叔母で、おさんの実母)様が連れ立ってお出でなされまする。 これはこれは、それでは冶兵衛殿を起こそう。のう、旦那殿、起きさしゃんせ。母様と伯父(勘太郎とお末の立場から言って)様連れ立って御座るげな。この短い日に商人が昼中に寝たふりを見せては又機嫌が悪かろう。 おっとまかせ、よしきたとむっくと起き上がり算盤を片手に帳を引き寄せて、二一天作の五(十を二で割ると五)九引が三引(くっちんがさんちん、九を三で割ると三)六引が二引(六ちんが二ちん、六を三で割ると二)、七八五十六、五十六歳になる叔母を打ち連れて孫右衛門が内に入れば、や、兄じゃ人、叔母様これはようこそ、ようこそ、先ずはこれへと招き入れ、私は今急な算用を致しておりまする。四九三十六匁三六が一匁八分で二分の勘定が立つ、勘太郎よお末よ。祖母(ばば)様伯父様がお出でじゃぞ、煙草盆を持っておジャ。一二の三、それおさんお茶を差し上げましょう、と口早である。 いやいや、茶も煙草も飲みに来たのではない。これ、おさんや。いかに若いとは言っても二人の子の親。結構なだけ人が良いだけが手柄ではないぞ、連れ添う夫が放蕩するのは皆女房の油断からじゃ。身代やぶり夫婦別れをするのは男の恥ばかりではない。夫にごまかされないように周囲に気を配り、心を引き締めるが良い。と注意すると、叔母様よ、愚かなことをお言いでない。この兄をさえ騙す不覚悟者、女房の異見などを大人しく聞こうか。 やい、冶兵衛、この孫右衛門をぬくぬくと騙し、起請まで返して見せたのに、十日もたたないのに何じゃと請出すだと。ええ、うぬはなあ小春の借銭の勘定をしているのか。措きやがれと、算盤を追い取り店先の土間にがゎらりと投げ捨てた。 これは近頃迷惑千万、先度より後は今橋の問屋へ二度と天神様へ一度以外は敷居より外へ出なかった私、請出すことはさておき、小春のことは思い出しもしていません。 言抜けはしないでおいて下さいな、言いやんな。昨夕(ゆんべ)十夜の念仏に講中の物語。曽根崎の茶屋紀伊の国屋の小春と言う白人(はくじん、公認の遊里以外の色里の遊女を言う)に天満の馴染みの深い大盡が外の客を追いのけて、直ぐにその大尽が今日明日にも請出すとの専らの評判だ。 物価高で暮らしにくい世の中でも金と田分けは沢山にいると、色々の評判。こちらの親仁(おやぢ)五左衛門は常々小春の名は知り抜いて、紀伊国屋の小春に天満の大盡とは治兵衛めに極まった。嬶(女房)の為には甥であるが、こちらは他人だ、娘が大事。茶屋者(白人に同じ)請出して女房を茶屋に売るだろうよ。衣類一切を傷つけられないうちに取り返してくれようと、沓を脱いで半分は降りられたのを、のうのう騒々しい、穏やかにも出来ることを明るい暗いを聞き届けた上での事とおし宥めてこの孫右衛門が同道して来たのだ。 孫右衛門の噺では、今日は昨日の冶兵衛ではない。曽根崎の手も切れて極上の真人間、そう聞けば跡からぶりかえる(一旦快方に向かった病人がまた悪くなるのを言う)、そもそもどの様な病気なのか、そなたの父(てて)御は叔母の兄じゃ。愛しや光誉道清(治兵衛の父親の戒名)が往生の枕を上げて、婿であり甥だ、治兵衛の事を頼んだぞの一言が忘れられない。しかし、そなたの心一つで頼まれた甲斐もないわいの。そう言うと、かっぱと伏して恨み泣きしている。 治兵衛は手を打って、はああ、読めた、読めた、取り沙汰のある小春はあの小春であっても請け出す大盡は大きに相違、兄貴もご存知の暴れて踏まれた身すがらの太兵衛だ。妻子眷属(親類)を持たない奴です。金は在所の伊丹から取り寄せる。とっくにきゃつめが請出すのを私に引き止められていたのに、この度時節到来と請出すに決まった。我らは存じもよらぬ事と言えば、おさんも色を直してホッとし、例え私が仏でも、男が茶屋者をうけだしたら、その贔屓をするはずもない。是ればかりは此方の人に微塵も嘘はない。母(かか)様、証拠には私が立ちまする。と、夫婦の詞、割符を合わせたようにぴったりと合い、食い違いはないのだ。 さてはそうかと、手を打って叔母と甥共に心休めたのだが、むむ、物には念を入れることが肝要。まずまず嬉しいが、とてものこと心を落ち着ける為に、かたむくろ、頑固一徹の親仁殿、疑いの念が無いように誓紙を書いてもらうが合点か。 何が何、千枚でも仕ろう。いよいよ満足だ。と、即ち途中で求めたのだと孫右衛門が懐中から熊野の牛王(ごおう、神社仏閣から出す護符)の群れ烏を取り出して、小春と比翼連理を誓って取り交わした、その誓紙とは打って変わって、今は天罰起請文(起請文は最初に、天罰起請文之事と書くのが例であった)、小春と縁を切る思い切る、偽り申すに於いては上は梵天帝釈(ともに仏法守護の神)下は四大(四大天王、帝釈天の下に属して、同じく仏法を守護する神)の文言に仏を揃え、神を揃えて、紙屋冶兵衛名をしっかりと書き、血判を据えて差し出した。 ああ、母様、伯父様のお陰で私も心が落ち着き、夫婦の間に子供までなした今日までついぞ見たことのない誓約、皆さん喜んで下さいませ。 おお、尤も尤も、この気になれば身持ちも固まる。商い事も繁盛しよう。一門中が世話をかくのも皆治兵衛に良かれと思ってのこと。兄弟の孫共が可愛いからだ。孫右衛門おじゃ、早う帰って親仁に安堵させたい。周囲世間が冷えて来ている、子供に風邪をひかしゃんすな。これも十夜の如来(阿弥陀如来)のお蔭、せめて此処からなりともお礼の念仏を唱えましょう。南無阿弥陀仏、と言って立ち帰る。心は直ぐに仏になる。 門送りさえそこそこに、敷居も越すか越さぬうちに炬燵に又も冶兵衛はころりとなり、布団を被った。布団には格子縞、まだ色里を忘れかねているのかと、おさんは呆れながら立ち寄って、蒲団を取って引き退ければ枕に伝う涙の滝だ。身も浮くばかりに泣いている。 引き起こし、引き立てて炬燵の櫓につき据えて、顔をつくづくと打ち眺め、あんまりじゃ治兵衛殿、ほれほどに名残が惜しいならば誓紙などを書かなければ良かったのです。一昨年(おととし)の十月中の亥の子に炬燵を開けた祝儀にまあ、これここで枕を並べた時以来、女房の懐には鬼が住むのか蛇が住むのか、二年と言うもの巣守(もと、孵化しないで巣の中に残る卵を言うが、ここは孤閨を守る意に用いた)にして捨てておいて、ようやく母様や伯父様のお蔭で睦まじい夫婦らしい寝物語もしようと楽しみ時間も与えずに、本当に酷い、つれない態度。それ程に心が残っているのでしたら泣かしゃんせ、泣かしゃんせ、その涙が蜆川に流れて小春が汲んで飲むでしょうよ。ええ、曲もない(面白くもない、詰まらない)、恨めしいと膝にすがって、身を投げ伏して口説き立ててぞ嘆いたのだ。 治兵衛は眼を押し拭い、悲しい涙は目より出て、無念の涙は耳からなりと出るならば、言わずに心を見せるのだが、同じ目から溢れる涙の色は変わらないので、心が見えないのは尤も、尤も、小春め、人の皮着た畜生女、名残もへちまも何ともないぞ、遺恨のある身すがらの太兵衛、金は自由、妻子はない。色々と小春を請け出す工面をしたけれども、その時までは小春めが太兵衛の心に従わず、少しも気遣いなさるな、たとえこなさんと縁が切れて、添われぬ身になったとしても、太兵衛には請け出されません。もし抱え主が金の力で、今の二人の仲を割き無理に私を太兵衛の手に渡すならば、ものの見事に死んで見せましょうと何度も言葉を発していたが、これを見よや、退いて十日も経たないのに太兵衛めに請け出される。腐れ女の四足め、心は夢々残らないが、太兵衛めと言う増上慢の悪口屋が、冶兵衛は身代が行き詰まり金に詰まってなんどと大阪中を触れ回り、問屋中の附き合いにも面をじろじろ見詰められ生き恥をかくかと思えば胸が裂け、身が燃える。ええ、口惜しい無念な、熱い涙、血の涙、ねばい涙を打越えて熱鉄の涙が溢れるとどうと伏して泣いたので、はっとおさんが興醒め顔。 やおうはう、それならば、愛しや小春は死にゃるぞよ。はてさて、なんぼ利発でもさすがは町育ちの女で女郎の気持などは分からない。あの不心中者が何で死んだりするものか。灸を据え薬飲んで命の養生をするだろうよ。 いや、そうではないよ。わしも一生言うまいと思っていたが、隠し包んでむざむざ殺すその罪も恐ろしく大事の事を今打ち明けまする。小春殿に不心中は芥子粒ほどもないけれども、二人の手を切らせたのはこの私小春の細工なのです。こなさんがうかうかと深みに入り込み死ぬる気色も見てたので、余りの悲しさ、弱い者同士の女は相身互い、お互いに相手の立場を思いやるのが本当だと思い、思い切れぬであろうがどうかそこの所をどうぞ夫の命を頼みます、頼みますと掻き口説いた手紙の文言に動かされたものか、身にも命にも代えられぬ大事な殿ではあるが、引かれぬ義理合思い切るとの返事。わしゃ、これを我が身の護符として、離さないでいる。これ程の賢女がこなさんとの契約を違えておめおめと太兵衛に添うものか、我も人も、女子と言うものは一度こうと決め込んだらなかなか後へは引かないものだ。死にやるわいの、死にやるわいの、ああ、ああ、ひょんな事、困ったことになった、さあさあさ、どうぞ助けて、助けて騒げば夫も敗亡(はいもう、驚き慌てて)し取り返した起請の中、知らぬ女の文が一通。兄貴の手に渡ったのはお主から行った文だったか。それならばこの小春は死ぬかも知れないぞ。 ああ、悲しい、この人を殺しては女同士の義理が立たない。まずはこなさん早く行って、どうぞ殺して下さるな。そう言って夫にすがり泣き沈む。 それであってもどうしたらよいのだ。たかだか身請けの金の半額を手付として一時食い止めるだけのこと。小春の命は新銀(享保銀)で七百五十匁を呑まさなければこの世に留まる事は適わない。今の治兵衛には四宝銀三貫匁の才覚、体を打ち砕いても出て来はしない。 のう仰山な、それで済むならば非常に易いことです。そう言って立ち上がり、箪笥の小抽斗を開けて惜しげもなく様々な糸を綯交(ないま)ぜにした紐附き袋を押し開いて投げ出した一包み。 治兵衛が取り上げて、や、金か、しかも新銀で四百目、こりゃどうしてと、自分が置いていない金に目が覚めるばかりなのだ。 その金の出所も跡で語れば解ることです。この十七日に岩国の紙の仕切り銀に才覚はしたけれども、それは兄御と談合して商売の穴は開けない。小春の事は急なこと、そこに四々の壱貫四百匁と、大引き出しの錠を明けて箪笥を開き、ひらりと飛ぶ鳶八丈(鳶色、茶褐色と黄色糸を縦横にして織った太織り紬)、今日散ってしまい明日はない京縮緬の様な夫の命が知れない、白茶裏(うす茶色の裏地)、娘のお末が両面(裏表共に紅の絹)の紅絹(もみ)の小袖に身を焦がす。 これを曲げて(質入れして)、勘太郎が手も綿もない袖なし羽織も混ぜて、郡内(ぐんない、甲斐の国都留郡を郡内と言い、そこから算出する絹布)の倹約からまだ袖を通していない浅黄裏(あさぎうら)、黒羽二重の一張羅定紋丸に蔦の葉の、退きも退かれもしない中は、内は裸でも外は錦、男飾りの小袖まで浚えて物数十五色。内端(うちば)にとって新銀三百五十匁、よもや貸さぬとは言うまいと思う物までもアリ顔に、夫の恥と我が義理を一つに包む風呂敷の中に情けを込めたのだ。
2025年04月08日
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天満に年経る、ちはやふる、神ではない紙様と世の鰐口(わにぐち、神前の軒に釣る銅製の楽器)に乗るばかり、世間の口に噂されるだけ。小春に深く逢う因縁で、大幣の腐り合った身、御注連縄(しめなわ)、今は結ぶの神無月、堰かれて逢われない身と成り果て、あはれや逢瀬の首尾があらばこそ、それが二人の最後日と名残の文で言い交わした仲、毎夜毎夜の死に覚悟、魂抜けてとぼとぼ、うかうかと、身を焦がすのだ。 煮売り屋(飯、又は副食物の似たのを売る店)では小春の沙汰、侍の客で河庄方と耳に入るより、さああ、今宵と覗く格子の奥の間に客は頭巾でおとがいが動くばかりで声は聞こえず、可愛や小春が灯火に背けた顔のあの痩せたことわい。心の中は皆俺のことだぞ。 此処に居るぞと密かに知らせて、連れて飛ぶなら梅田か北野か、ええ、知らせたいよびたいと心で招く気は先に、身は空蝉の抜け殻で格子に抱きつき焦り泣く。 奥の客が大あくび、心配事のある女郎衆の御伽で気が滅入る、門も静かだ。端の間に出て、行灯でも見て気を晴らそうか。さあ、ござれと連れ立ち出れば、南無三宝と格子の小陰に肩身をすぼめて、隠れて聞いているとも内では気もつかず、のう、小春殿、宵からのそぶり、詞のはしに気をつければ、花車が噺の紙冶とやらと心中する心と見た。違うまい、死神がついた耳には異見も道理も入るまいとは思えども、さりとは愚痴の至り、死んだあとで先の男の無分別は恨まずに、一家一門がそなたを恨み憎み、萬人に死に顔を晒す身の恥、親は死んでいないかもしれないが、もしあれば不孝の罰、仏は愚か地獄へも温かに二人連れでは落られぬ。 痛わしいとも笑止とも、一見(いちげん、初対面)ながら武士の立場として、見殺しには出来ない。定めし金で解決のつくことであろうが、五両や十両であるならば用に立ててでも助けたい。神八幡、侍冥利、他言は致さない。心底を残さずに打ち明けてくれないか。そう囁けば、手を合わせて、ああ、忝ない有難い、馴染み好(よしみ)もない私、ご誓言でのお情けの御辞に涙がこぼれまする。忝ないことです。ほんに色外に顯れるで御座んする。 如何にも如何にも、紙冶様とは死ぬる約束、親方に堰かれて逢瀬も絶え、差し合い(金の工面がつかないこと)があって今急には請け出すことも叶わずに、南の元の親方と此処にまだ五年ある年季の中、人手に取られては私はもとより主(紙冶のこと)は猶更一分が立たず、いっそ死んでくれぬか、ああ、死にましょと引くに引かれぬ義理詰めにふっと言い交わして、首尾を見合わせ合図を定め、抜けて出よう、抜けて出ようと何時何時を最後とも、その日送りのあえない(儚い)命、私一人を頼りの母様、南辺(島の内あたり)で賃仕事をしながら裏屋住み、私が死んだあとでは袖乞い、非人の飢え死にもなされようかと、これだけが悲しみの種。 私だとて命は一つです。水臭い女と思し召すのも恥ずかしいことですが、恥ずかしい思いは捨ててでも死にたくないのが第一です。死なずに事が済むようにどうぞどうぞ頼みやすと語れば頷く侍客の思案顔、外では聞いてはっと驚く、思いがけない男冶兵衛の心だ。木から落ちた者のようで、気も急き狂い、さては皆嘘だったか、ええ、腹が立つ。二年というもの騙されたぞ、化かされた根性腐りの女狐め。踏み込んで刀で一打ちに斬り殺すか、それとも腹が癒えるように有りっ丈恥を掻かせてやろうか。歯噛みしてきりきりきり、悔し涙。 内では小春がかこち泣き、卑怯な頼みごとながらお侍様のお情けで今年中一杯と引き続き来年の二、三月頃まで私に揚げ詰めに逢って下さんして、かの男が死にに来る度毎に邪魔になって期を延ばし、自ずからに手が切れてしまえば相手も殺さず、私も死なずに済みます。何の因果(不幸な巡り合わせ)で死ぬる契約をしてしまったのでしょう。思えば悔しゅう御座んすと膝に凭れて泣く有様だ。 むむ、聞き届けた、思案がある。風も吹き込む、人も見るだろう。格子の障子をばたばたと閉めた。立ち聞いていた冶兵衛は気も狂乱、ええ、さすがは売り物安物女郎め、ど根性見違えたぞ。魂を奪われたこの俺、巾着切り。切ろうか突こうかどうしよう。障子に映る二人の横顔、 ええ、喰らわせたい、踏み込みたい。何を抜かすやら、頷き合い、拝む、囁く、吠え(泣くを罵って言う)るざま、胸を抑えさすっても堪えられない堪忍ならぬ。心も急く、関の孫六(美濃の国関の刀工、孫六兼本が鍛えた)一尺六寸を抜き放して格子の狭間から小春の脇腹をめがけて、ここぞと見極めてえいと突いた。しかし、座は遠くて部屋の中では「是は!」と驚いただけで怪我もなく、間髪を入れずに侍客が飛びかかり両手を掴んでぐっと引き入れ、刀の下げ緒を用いて格子の柱に手早くがんじ絡みに括りつけた。 小春騒ぐな、覗くまいぞと言う所に亭主夫婦が立ち帰り、これはと騒ぐ。ああ、苦しゅうない、障子越しに抜き身を突っ込んだ暴れ者、腕を障子に括り付けておいた。思案があるので縄は解くな。人立があれば所の騒ぎ、さあ、皆奥へ。 小春、おじゃ。行って寝よう。あい、とは答えたものの見知っている脇差、突かれなかった胸にはっと貫かれて、酔狂のあまり色里では有る習いです。沙汰なしで(穏便に済ましてそのままに許して)去なしてやらんしたら。なあ、河庄さん、わしゃ良さそうに思いやす。 いかないかな、身次第にして、皆入りや。小春、こちへと奥の間の影は見えるのだが、括られていて、格子が手枷になりもがけば締まり、身は煩悩に繋がれる犬にも劣った生き恥をかく。覚悟を決めていた血の涙を絞り、男泣きしているのは如何にも哀れであるよ。 ぞめき戻りの身すがら太兵衛、さてこそ河庄の格子に立っているのは冶兵衛めだな。投げてくれんと襟をかい掴んで引きかずく、あ、痛たた。あ痛とは卑怯者め。ああ、こりゃ、縛り付けれれているのだ。さては盗みを働きおったな。や、生き掏摸(すり)めどう掏摸めと言ってははたたと喰らわせ、や、強盗め、や、獄門めと罵っては蹴飛ばして、紙屋冶兵衛が盗みをし縛られたと、呼ばわり喚けば行き交う人、隣近所も駆けつけて来て集まる。 内から侍が飛んで出て、盗人呼ばわりしているのはおのれか。治兵衛が何を盗んだのだ、さあ、抜かせと太兵衛をかい掴み土にぎゅっとはいつくばわせ、起きれば踏みつけ、踏みのめし踏みのめし、引っ捕えて、さあ、冶兵衛、踏んで腹を癒せと足元に突きつけたのを縛られながらも相手の頬げたを踏みつけ踏みつけされて、太兵衛は顔中土まみれ。立ち上がって周囲を睨め廻し、辺りの奴原よう見物して踏ませたな。一々に面は見覚えたぞ、返報する、覚えておけよ。そう減らず口を叩きながら逃げ出した。 立ち寄った人々はどっと笑い、踏まれてもあの頤(おとがい)が広言をはくことよ、減らず口を叩くことだ、誰か橋から投げて水でも食らわせてやれ。遣るな、逃がすな、と追っかけて行く。 人立ちが減ったので侍が立ち寄って縛り目を解き、頭巾を取ったる面体、やあ、孫右衛門殿、兄者人、あっあ、面目なやとどうと坐し、土にひれ伏して泣いている。 さては兄御様かいの、と走り出た小春の胸ぐらを取って引き据え、畜生め、狐め。太兵衛よりも先にうぬを踏みたかったのだ。そう言って足を上げると孫右衛門が、やい、やい、やい、その戯けから事が起こったのだ。人を誑すのは遊女の商売、今目に見えたか、思い知ったか。この孫右衛門はたった今一見(いちげん、初対面)、初めて会っただけで女の心の底を見る。二年あまりの馴染みの女、心底をみつけぬ狼狽え者(心の据わらぬ者、粗忽者)、小春を踏む足でうろたえた己の根性を何故踏まない。ええ、是非もない、弟とは言いながら三十におっかかり勘太郎とお末と言う六つと四つの子の親、六間間口の店を張りながら身代が潰れる弁えもなく、兄の異見を受けるとはどういう次第なのだよ。 舅は叔母婿、姑は叔母じゃ人、親も同然、女房のおさんはお前にとっても、その兄の自分にとっても従兄弟の間柄、結び合い血縁の濃い親戚の間柄だ。一家一門の参会にもおのれの曽根崎通いの悔みより外の事は何もない。可愛そうであるのは叔母じゃ人、連れ合いの五左衛殿はにべもない昔人、女房の甥に騙されて娘を捨てた。おさんを取り返して天満中に恥をかかせようとの立腹だ。叔母一人の気扱いで、敵になり味方になりして病になるほどに心を苦しめ、お前の恥を庇っているのだ。その恩も知らずに、この罰ひとつだけでもどうせ行き先に良いことはないだろうよ。こうして家も保てないだろうし、小春の心底を見届けて、その上でのひと思案、叔母の心も休めたく、ここの亭主に工面しておのれの病の根源を見届けようが為に細工をしたのだが、女房子にも見代えたのも尤もだ、誠に真実な女郎である。ああ、お手柄、結構な弟を持ち、人にも知られた粉屋の孫右衛が祭りの練衆か気違いか、遂に差した事のない大小をぼっこみ蔵屋敷の役人との触れ込みで下廻り役者の真似をして、馬鹿を尽くしたこの刀だが、捨てどころがないわいやい。小腹が立つやら可笑しいやらで、胸が痛いと歯ぎしりをして憤る。泣き顔を隠す渋面に小春は始終むせ返り、皆お道理とばかりにて詞もなく、ただ涙に暮れるのだった。 大地を叩いて冶兵衛は、誤った、誤った、兄じゃ人。足かけ三年前からあの古狸に魅入られて、親子一門妻子まで袖にして(粗略にして)、身代の手縺れ(破綻)も小春と言う家尻切り(やじりきり、家・蔵などの後方の板や壁を切って忍び入る盗人を言う)に誑されて後悔千万、ふっつり心残らないので決して足も踏み込まないでしょう。やい、狸め、狐め、家尻切め、思い切った証拠を見よと、肌にかけていた守り袋、月初め取り交わした起請文(男女の愛情が変わらないことを神仏にかけて誓った証文。神社・仏閣で出す護符に書くのが例)合わせて二十九枚を戻せば恋も情けもない。こりゃ受け取れと、はたと打ち付け、兄じゃ人、あいつが方の我らが起請、数改めて受け取り、あなたの手で火にくべて下されば、さあ、兄貴に渡せ、心得ましたと涙ながらに投げ出した守り袋、孫右衛門が押し開き、一二三四(ひいふうみいよ)、十二十九枚、数は揃っている。外に一通は女からの手紙、こりゃなんじゃ、と開くところを、あっ、そりゃ見せられぬ。大事の文よ、と取り付くのを押しのけて行灯で上書きを見れば、小春様参る、紙屋内さんより。 読みも果てないのに何食わぬ顔で、懐中して、これ小春、最前は侍冥利、今は粉屋の孫右衛門、商い冥利、我が妻をも隔てて妻にさえ見せないぞ。我一人だけが披見して、起請ともに火に入れる。誓約の文言に違いはない。 ああ、忝ない、それで私の面目が立ちますると、再び伏して沈み込めば、はあはあはあ、うぬが立つの立たぬのとは人がましい言い草だ、これ兄じゃ人、片時もきゃつが面を見たくもない。いざ、ござれ。さりながら、この無念、口惜しさはどうにも堪らない。今生の思い出に女の面を踏んで、ええ、しなしたり、我ながら大失策、兄に対して「御免あれ」と一礼して小春の傍につっと寄って地団駄を踏み、無念至極だ、足掛け三年、恋し、床しいも、愛しい可愛いも今日と言う今日は、たった一本の足の暇乞いと、額際をはったと蹴ってから、わっと泣き出し、兄弟連れで帰る姿も痛々しく、跡を見送り声を上げて歎く小春も惨(むご)たらしい。 その小春の心は不心中か、心中か、誠実なのか否なのか、小春の底意は冶兵衛の妻からのあの一筆の奥深くに秘められたままで、誰も見てはいないのだ。 孫右衛門と冶兵衛の兄弟は小春と別れて立ち帰ったのである。
2025年04月02日
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