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山崎與治兵衛 壽(ねびき、根引き、身代金を出して遊女を遊廓から請け出して妻妾とすること)の門松 上 之 巻 筑波根の峯より落つる、それではないが、瀧の白玉、一二三四(ひいふうみいよ)、五六七八(いつむうななや)、九軒の町(新町遊郭の一劃)に羽を突き交わす、それではないが、比翼の鳥、羽子板・木患子(むくろじ、木患子の実は羽子の玉となる)ならぬ少女の禿も磨きをかければ美しい遊女となる。 恋の二葉の禿(かぶろ)松、枝と枝とを遣羽子(やりばね)も、三四(みいよう)、いつも末長い(禿の返事はいつも語尾を長く引いた)返事に馴れる門の松、抱えの松・遊女の大夫もある。 客も待つ、先づ新町の初子(はつね、正月の初めの子の日、この里には生きた松・大夫がいて根引き・身請けが絶える事はあるまい。 これこれ、新介、嫌と言う物を無理に突いちゃって、それ見やの。羽子(はね)を突いて門松にかけてしまった。元のようにして返しておくれよ。そう言って袖に取りつく禿ども。 取りつかないでくれよ、男に突かしたらあのように止まるとは頭から知れたことだ。分かり切ったことを今更らしく言う物だと振り離し、手を叩いてほっほらほ、こちゃ知らぬぞ。安倍川のしんこと洒落を言いながら、新介は走って奥に駆けこんだ。 そりゃそりゃ、逃がすな、捕らえよと羽子から起こって諍(いさか)いは飛ぶが如くに追って行く。 情・口説(くぜつ、口喧嘩)の萌え出る、雪間に素足(遊女は雪の有る冬でも足袋をはかなかった)、雪間の若菜とは事変わりこの里では新春早々から痴話喧嘩の種が尽きない。 伽羅香が薫る霞の袂、虹の帯、雲の上着をゆったりと着なして、新艘・突出の遊女たちがきらびやかな衣装をつけて一段と美しく見栄えがする。紺に欝金(うこん)に薄染め浅黄、織物・縫物・染物尽くし。小紋・三重染・二重染、浅黄・鹿の子に鶸(ひわ)鹿の子、紫鹿の子に古い年の憂さも忘れて消す、芥子の紅鹿の子、極彩色の絵の様な越後町、廓の三筋町に年と月と日の三つの初めである元旦がやって来たので、松・大夫は若緑、若葉の色も瑞々しく、梅・天神は時節を迎えて益々あでやかな姿を競い、遣り手が前垂れに茜(あかね)色で美々しく飾り、天も酔ったが人も酔う。 初盃の内祝い、過ぎて諸礼の妓揃(よねそろえ)、雪駄の音のしゃらしゃらと春めく中に、紫の色は古代から色の司(つかさ)であり、藤屋の内、吾妻と言う名木(めいぼく)の松に続く花もない。 恋と利発を目の張に情にこぼれる道中姿は、往来(ゆきき)の人も立ち止まり、花を見捨てる雁がねも帰りくるであろう、廓での晴れ所。身にも年にも恥もせずに七十ばかりの古婆が古綿帽子(真綿を平たくして作った帽子)の頬被り、春知り顔に七つ屋・質屋の蔵から請け出して来た鴬茶色の婦人着物、布子の袖を摺れ縺れ附き纏行く足元、遣り手のかやが声高に、これ、ここな婆様、この広い道を何ぞいの、高砂の尉が姥と離別した様な形で大夫さんに摺れ縺れて、えい、嫌らしい、こじたたるい(甘ったるい様子)。あの跡から同じようについて来る若い男はまんざら駕籠舁きとも見えないが、こなたの連れですか。とっととのいてもらいましょうか、押しやったのだが腹も立てずに、おお、お道理さまや、御免なされませ。音に聞こえた吾妻様、お慮外ながらしみじみとお話申したい事が御座いまして、廓の中をぶらぶらと致して居りました。どうぞお聞き入れなされてお情けに預かれば、婆の後生も助かります。 大事な、大事な大夫様に塩の辛い梅干し婆が酔狂で物好きと思召しなさろうが、お恥ずかしい事です、と言ったところ、おお、いや、柄にもなく駄洒落を言う、この女郎さん達の全盛を見かけて、姥の祖母のと言う騙り事は古い、古い。その為の遣り手じゃ、これ目が黒いであろうに。見ておきなさいよ。 ねえ、怖い事を言わないでくださいな、騙り事を言うように見えますか。ああ、貧乏はしたくない。亡き夫は船場で隠れもない、千貫目の廻しもした難波屋の與左衛門。為替の金が滞(とどこお)って大阪を仕舞、八幡(山城の国の綴喜・つづき郡・こおり)に引き込み果てられた。その難波屋の婆で御座る。 あの頬被りの男は独り息子、いたって裕福な環境の千貫目の大釜の湯気で育った奴ではあるが、今では銭の一貫目さえ融通が利かない。難波屋の與平と呼ばれるべきなのを貧窮して軽んじられ、難與平、難與平と軽蔑されて、その日暮らしの日雇人夫ゆえ騙り見えるのも道理です。と、老いの繰り言目に涙、問わず語りに古を思い出した風情である。 曳き舟禿(大夫が連れた供の遊女)が遠慮なく、むむ、踊り唄に謡うのは婆のことか、えいえい、山崎な、山崎な、八幡山崎、難與平のお婆。 やあ、この誠に金を出せさ。盆にござれと笑ったのだ。 吾妻は始終貰い泣きして、皆の衆は何を笑うのですか。恋故の没落であろうがなかろうが、勤めする身の習い、落ち目と聞けば見捨てられない。吾妻を見込んで頼むとは、愛しい婆(ば)さん、傾城冥加ですよ。聞く気でごんす。此処は人立ちが多い。引き舟や、ちょっと横町の小店(こだな)を借り上げて下さい。どうぞこちらへ、こちらへと、手を取れば、涙を流して忝なや、忝なや。お話し申すことと言いましてもこの婆がこの年で、何の願いが御座いましょうか。月とも星とも思うのはあの與平め、いつぞや人に雇われての新町に文の使いのついでに、吾妻様を見初めて、ほほほほほほ、親の口からああ、おはもじ、恋病に患います。家主や隣への聞こえもあり、乞食になる前兆かと、叱って叱って追い出しても、退けようと存じたのですが、ああ、昔の身ならば若い者の手かけ、妾と言う最中に、口幅ったいことですが大夫様達を一年や二年買いつめたとしても、びくともする身代ではなかった。その気で育った奴のこと、ああ、可愛い、どうにかしてやりたいと母親の痩せ我慢も我が子の望みも、金銀という兵(つわもの)にはまたしても圧し付けられて見殺しにする子の命。 気になさるな、情けを商売になされる吾妻様だ。お願い申してお盃を頂かせましょう。それで思い切りなさいな。彼奴(あいつ)を連れて大夫につきまとうのも子が可愛いため。母の命が一夜さの傾城代になるものなら、今でも死んで見せましょう。押しつけがましい事ではありまするが、ちょっとばかりのお盃、これで上がって下されと、袖から取り出した小半(こなから)入り(二合五勺、一升の半分を更に半分にしたもの)の徳利には余る親心、欠けた盃の蒔絵の猩々、みすぼらしい徳利と盃に思わず笑いが込上げたが、その親心の切なさにやがてそれが涙を誘う種となった。泣くことを知らない遣り手でさえ横を向いて涙を隠すのは実に哀れだ。 話を聞くほどに吾妻はおし俯いて、恋に思いやりのある捌けたお婆さんですね。私には言う言葉が見つかりませんよ。與平様は何処にいらっしゃいますか、御顔が見たい。いらっしゃいな、と呼ばれて婆も急に生き返ってようになり、千歳を祝う門松の陰に隠れていた難與平、指をくわえて這いだしたのだ。 袖口取って引き寄せ、惚れた、惚れたと人毎に心にもない口先でけの決まり文句を言われても、相手をする身にはまずは誉、豪勇無双の公平(きんぴら、寛文頃に流行した公平浄瑠璃の主人公)の様な男を煩わしたのはこの吾妻です。嬉しゅうござんす、忝い、命にも替え身にも替え、逢い通したいものですが恋と言っては、少しの詞も交わされない深く言い交わした男があるのですよ。山崎の與次兵衛様と申して、新艘(しんそう、禿から一本になったばかりの遊女)の初床から、面白いのと、悲しいのと、およそ男女の情愛の全てを経験し尽くしたお方、勤めとは名ばかりで、夫婦同然の仲。他には誰ひとりとして真情を傾ける人はいません。と、言っても母御様の御真実、切ないお前のお心入れ、立ちながらのお盃に汲み流すのも本意ではない。これ、重山や、預けた物を此処へ。あい、答えて引き舟が袂の内の袱紗物、山吹色の小判で十両ばかりの一包み。此れも可愛い山様故の譯のある金ではあるが、母御様に進ぜます。與平様の身の廻り立派な大尽に仕立てて下さい。普通一般の客に身を売るのは、傾城の身の習い。枕をこそ交わさずとも年月の物思い、酒で流してくださんせと、渡した小判を難與平、吾妻の膝にどっと投げつけ、酷い仕打ち、情けない仕方。おりゃ、金には惚れぬぞ。貧な者と侮って金で口を塞ぐのか、我等が宿は庭も入れて七畳半、貧乏神の御旅所と言えそうな住居、師走正月も同じ布子一枚だけであるが、傾城から金を貰って揚屋に行ったと言われてはこの與平、人の中に面が出せない。 恋と見せかけて、内実は金をせびると見たのは目利きが狂ったぞ。吾妻様、七十に余る母まで騙りの同類かと人から顔をじろじろと見られ無念で御座る。許して下され母者人と声を忍んで泣いたのだが、ああ、よく思えば恨んだのは不調法、こちらのしくじりだった。追っ付け與次兵衛殿に請け出され奥様に直る御身、我等は日傭取りなので内方に雇われて、沙汰でもすればお身の為に悪いと、将来の事を先繰りして大事になされるのは御尤もです。御尤も。気遣いなされるな、ふっつりと思い切りましたぞ。口先だけの恋でない証拠はこれですと、腰の小刀を引き抜いて既に小指に引き当てれば、吾妻は取り付いて、待ってくださいな。私が誤りを致しました。と、ようように押しとどめて、金を進ぜたのは誤りですが、将来の身の落ち着きを予想して、金で事を済まそうなどと考える、そうしたさもしい根性の吾妻ではない。 與次兵衛様には幼馴染の本妻があり、父御様は隠れもない石の如き堅物です。わしから起こる御宿のもやもや、與次兵衛様のお家のごたごた事は、悋気やら御異見やら、去年の十二月の二十日前にちょっと逢って、それからは無首尾(都合が悪くて会えない)、無首尾の文ばかり、文使いの駕籠の者や揚屋への附け届け、正月初めの物日(廓の祝日)にかかる莫大な諸費用もわし一人の胸算用、廓へ奉公の年季がまだ残っている上に、更に年季を増して金を作り、男の恥を包んでいる始末。廓から足が抜けないこの苦患((くげん)、廓で婆になる吾妻ですから可哀想と思って下されいと、恥も哀れも打ち明けて思わずも漏らした正月の涙だ。 顔に憎からず、絞る袂の上、単衣の打掛を脱ぎ帯解き、逢う夜の床の温まり、また逢うまでは冷まさないと深い仲のそれではないが、中着は烏羽玉の黒羽二重、蛇の目の紋、與次兵衛様のお小袖、しばしも身を離していないが、これが私の心の精一杯、是を着て表向きの客になって下さいな。 そう言って小袖を渡せば難與平は、これが誠の御情けです、私の恋の思いが届いたも同然です、押し頂いて泣くばかりなのだ。 母は始終つっくりと、のう、御傾城の委細を尽くしての談判は難しそうなことやと、耳を澄ましていたのは殊勝である。 與平は涙を押し拭い、お前様に逢って真実の涙を覚えました。金の草鞋で尋ねて二人とはいない女郎に思われます。與次兵衛殿は羨やむべきもの、着物も戻しましょう。代わりには以前の御金を頂戴いたしたい。と、小判を受け取る手を母がはったと打ち、やい、卑怯者め、今の詞がもう違ってしまったぞ。難波屋の家に疵をつけるのか、下卑た奴め、と叱られて、與平は頭を振り、いやいや、自分の欲から貰うのではない。吾妻様と與次兵衛殿はこれ程の深い仲、聞き捨てにしては男が立たない。この金をこのままおけば揚屋の庭銭(遊里で客が祝儀として出す金。此処は、紋日に遊女から揚屋の主人に渡す心づけ)、埃になって廃るでしょう。小判と言えば小判ですが、元はと言えば吾妻様の苦労の塊です。金を俺が預かって、こっちも身から油商い(身から脂汗を流して働く事)、どか儲けもすればどか損もする。 身軽にすっと江戸に下って、十両を百両、百両を二百両に、弐百両から五百両、段々ととんとん拍子に金を儲けて千両にするのは三つ羽(ば)の征矢(そや、矢の柄に走り羽、外懸け羽、弓摺り羽の三羽をつけた矢、速力が速いことにたとえている)、関東方面への商品輸送の経路は我が家の先代が開拓している、吾妻様を身請けして與次兵衛殿と添わせ、お二人の悦びの顔を見て、今日の情の御厚恩に報じなければこの難與平、男が立たない、男が立たない。
2025年02月28日
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手柄、手柄、のう市之進、敵討ちの門出にこれほどの吉左右(きちそう、左右は結果、状況についての知らせ、便り、音信)があろうか。忠太兵衛の指図だ、甚平を連れて行かれよ。 尤も、言うに及ばぬことです。助太刀して本討手の市之進の名に傷を付けないようにしなさいよ。畏まった、お暇申すと立ちい出んとしたところに、十ばかりである旅人が門柱の陰に隠れて奥を覗きながら姿をちらつかせるのを、市之進が厳しく目をつけて得心がいかないと走り寄ると、中息子の虎次郎が凛々しげな旅姿である。おのれはこの様で何処へ行こうという心入れだ。小癪者め、と小腕(こかいな)を取って引き出した。いや、父様(ととさま)の供をして行きます。姉さまやお捨は女子(おなご)です、わしは男、敵討つ親を一人で遣るのは武士でないと、先に立って走り出そうとするのを引き止め、さてはおのれを産んだ母を斬るつもりなのか。母様(かかさま)を何で斬ったりいたしましょう。母様を連れて行った権三めを切りまする、どうでも行きますと意地張(いぢば)った。 やい、聞き分けがない。叔父様も父(とと)も出ていけば、祖父様(ぢいさま)祖母様(ばばさま)はお年寄り、姉や捨は女郎(めろう)の子、そちを後に残すのはもしかして権三めが姿を現した時に切らせようと思って、その用心の為に残すのだぞ。随分と休齋から茶の湯を習い、時々は此処へお見舞い致し、祖父母のお二人に孝行をして、兄弟達に気をつけて、権三めが来たなら斬って捨てよ。それとも、一人で残るのが怖いのなら、連れて行こうかと、宥めすかせば、虎は、如何にも一人残りましょう。跡のことは気遣いせずに必ず手柄を遊ばせと、聞き分けの良い利発者、舅夫婦は目も昏れてしまい目先が暗くなってような思いで、女子や男がうち揃って選りすぐったように良い子に成人したのに、見たいと思う心も持たない母めはどのような畜生なのか。不憫とは思わない、切るなり、突くなり、結局は本望を遂げて貰いたいぞ。涙ながらの暇乞い。 兄弟三人は声々に、権三めは斬り殺し、母様(かかさま)は息災でお連れしてくださいな。さらば、さらば、父様(ととさま)と言うのだが、父親の方はさらばと言おうとすれば目も昏れてしまい、胸には様々な感慨が湧きふたがり、八色の雲が閉じてしまう故郷を後にして分かれていくのだ。 月に誰、寝てみよとてか臥す、それではないが、伏見とは、舟に託して里の名を挙げてみたのだが、その伏見の里の夕暮に来てみれば、涼の字に似せて、その偏の三水を取った京の字を持つ、京橋に、一つ流れの禊川(みそぎかわ)、下流のあたりを吹く風も、袂が涼しい権三とおさゐは三日とも同じ場所に足を止めて、居るに居られない梓弓、伏見にしばらく住み、墨染の秋の桜か、入相(夕暮れ)の鐘にも、明日を知らずとにかく今日一日も命がつなげたと、今日を限りの命と聞き捨てて、難波の方に思い立って、人目を忍ぶ乗合船、空居眠りの舟を漕いでいると、側に茶船(ちゃふね、上り下りの川船に飲食物を売る船。うろうろ船)を漕ぎ連れて饂飩(うどん)・蕎麦切り、きりきりきりと押廻し、豆腐・奈良茶と茶を売るのも此処がほかならない宇治川であり、川水が落ち添って昔を胸に思い返して涙ぐむ女、心中が思われて実に哀れである。 市之進は御幸(ごこう)の宮(伏見の東方)で、甚平は三栖(みす)の里(伏見の西南方。三洲天王の祠がある)にいて、毎日そんじょうそこそこと、示し合わせて甚平一人が京橋の夕日影に船どもを見廻して、思い切り早く出る船があれば、乗客に目をつけて見廻している。早いのが好きならば此の船、初夜(そや、午後の八時頃)が鳴ると出しますよ。おう、大層狭そうだな、狭いことはありませんよ。若い旦那殿とおか様(おかみさん、の略)とが苫の陰で屈んでおられたぞ。あの傍が広いのでお乗せしましょう。 いや、居場所は何処であっても構わないが、初夜ではもう遅いぞ、どうせ遅れるのなら明日の昼船に致そう。そんなら御勝手になさいませ。船はこっちの物で、乗る身はそちら、強制はしません。と言っている間に甚平は船中をとっくりと見廻して、顔は見えないが十のうち十までこれに決まったなと、嬉しさで足も飛び上がる。相手の両人が自分の姿を見つけてはいけないと、急いで立ち去ると不信を招くかも知れないので意図してゆっくりと橋の上を涼むような顔をして、二三遍行ったり来たりを繰り返して、心中で密かに神占をしてほくそ笑み、市之進の宿所へ足を飛ばして走ったのだ。 苫を押しのけて、はっあ、大事の物を忘れた、これ、船頭殿、こちの二人は上げてもらいます。人に頼まれていた大事な買い物、銀まで受け取り、慌てて乗船したのでとんと忘れていました。上げて下さいな。して、それは何処まで買いにいかっしゃる。おお、あれは何と言う町じゃ、おお、それそれ、橦木(しもく)町(京橋の東北にある)のあちらで、藤の森先じゃ、はあ、こなたもとんでもないことを仰る、此処から何れ程の距離があると思いますか、一里半はござるよ。そのうちに船は出てしまう。上げることは出来ませんよ、情もなく取り合おうとしない。いや、遅くなったなら構わずに出してくださいな。二人分の運賃は払ってから上がります。平に頼むと言いながらも、北や南の店先や橋の上から目を離さない。 此処な旦那殿はそわそわとつまらない事を言う人じゃな、乗せもしない船賃を取っては一分が立たない。やはり乗ってくださいな。それは酷いぞ、船頭殿。今のように後から乗り手があれば狭くなりますぞ。平に上げてくだされよ。頼みますと詫びるけれども、狭いことを気遣いしないで下さいな。明日の朝大阪まで満足に届ければよいこと。今宵一夜はおか様も胴切りにして、旦那殿も細々(こまごま)に刻んで片付けて乗せまする。しかし、これは冗談で、そんな事は気にせずに思う存分に手足を伸ばして、這いずり廻ってお休みなさい。そういう言葉も二人には心に掛かるひとつなのだ。 おさゐは萬に気に掛かり、のう、船頭さん、物には情けということがありまする。人を乗せずに運賃を取れば船頭の一分が立たぬとかや。我々とても人から銀を事づかり、その買い物を渡さなければどうにも一分が立ちません。これ、このように手を合わせます。是非とも上げてくだされい。そう言葉を尽くしたところ聞き分けて、そんなら早く上がりなさいな、ああ、過分、過分、二人手を引き気も急く足元、此方衆は怪我でもしそうな、雁木(がんぎ、船着場に備え構えた階段)にけつまづき、おか様の大傷にまた傷がつかないように用心、用心と、常日頃の船頭の冗談も今日こそ胸に堪えるのだ。 川岸にある旅人の休憩所の床の陰に身を潜めて、甚平がここにあるのだから市之進もこの近辺にいることは必定、さあさあ、二人の望は叶った。覚悟しようと言ったところ、ああ、それは前から覚悟しています。国を出たその夜から夫に進呈したこの命です。惜しいとは思わないのですが、もしもおとうとの甚平の手に掛ったならば残念な犬死です。甚平を見たならば出来るだけ逃れるのが市之進殿への誠実というもの。それは私ばかりではなくてそなたの気持でもある筈、こうしてもいられない、今夜は何処かに泊まりましょう。 はて、三栖(京橋の南、中書島の対岸)の端(はな)か油掛(あぶらかけ、撞木町の入口にある町の名)か、そろそろ京へなりと入ろうかと言う、夕べの空も早暮て、軒端、軒端に点す火は、切子灯篭(きりことうろう、枠を切籠の形に組み、四方の角に造花をつけて、紙や布などの細く切ったのを飾りに垂れた灯篭)種々の花の絵や判じ物が描かれているもの、見世には涼みの芝居噺や踊り子の十二三から八つ九つの娘、優しや黒い羽織の腰巻に、野郎帽子(やろうぼうし、歌舞伎役者が前髪を落としてから月代・さかやきを隠すために用いた帽子。後に一般に流行した)の濃紫(こむらさき)揃う拍子や形(なり)振りもよく、それ、それそれ、やっとせ、はえいはえい、難波江(なにわえ)の蘆を刈るそれではないが、仮寝の一夜さえ長い契と結びはしたのだが、許されぬ恋の関の戸を、いっそ止めようと思う山部だが、一期(いちご)猿丸との誓詞があるので、天智天皇、罰恐ろしく、親の勘気ではないが、管家もそこはかとなく他所の人丸は頼まれずに、直(じき)に大江の千里を越えて、凄き深養父(藪)の中を押し分けて、たんだ、ふれふれな、此処で切れな、踊る姿の懐かしや。 ねえ、あの踊り子を見るにつけて、国の子供もあの年配、生きているのか死んだのか。それとも病で患ってるのか。可愛や今年は踊らないだろう、離れ離れに成り果てて何処で死んでも浅ましい。子供に死に水はとってはもらえまい。湯灌葬礼(ゆかんそうれい)も誰がするのか、いっそのことに今死んで、この灯篭を六道の中有の灯りと迷いを晴らして、せめて未来が助かりたいと歩き歩きの口説き言。 男も心かきくもり空は今年の日照にも袖には誰が雨乞いをしてくれたのか、袖の上にはわが身の運命を知る涙雨がしきりに降る。 市之進が大事にかけて佩く備前国光、運こそ来たれ我妻にこの世の縁は薄いのだが、渋柿で染めた帷子を高く捻りからげて、甚平とは後先になって引き別れて、夕べの雲、時は冥途の鳥ほととぎす酉の下刻(今の午後七時過ぎ)運こそ来たれ、北の橋詰で行き合ったのだ。 笹野言三よ、浅香市之進の妻敵、覚えたか、と言うより早く打ち掛った。おお、待ち受けていたぞ、と差し上げた弓手の小腕を水もたまらずに切り落とせば、飛びひさって、武士の役目として形ばかりにお相手致そう。一尺八寸を抜き合わせて刃向かったのだ。 すは、暴れ者、切ったはったは、喧嘩よ、棒よ、踊り子共に怪我をさせるな。お吉様、おせん様、半兵衛よ、権介よ、と人を呼ぶやら逃げるやら、隣町八町九丁町、蘇我兄弟が富士の裾野で仮屋に討ち入った際にもかくやと感じさせる。十番斬りの五月闇、夜討ちが入った如くである。 女は甚平をちらりと見て、望みは夫の切っ先、先に弟に切られては犬死、と暫く身を引いた橋の陰。 權三が踏み込んで打つ切っ先が欄干に切り込んで、そのまま食い込んだ刀を捨てて、ええ、竹が一本欲しいところだ。一手を使って鑓の權三と名を取っている印。諸人の形見に残したいものだが。せめて足の運びなりとも見物せよと、刃を潜る無刀の働きはさすがな手負いぶりだ。 市之進が一生に一度の業を振るおうと一念を込めて切り込んだ右の肩先、胸板を筋交いにはらりずんど切り下げられて、猶も身を引かない最後の身振り、まるで紅葉を散らした如くに橋は一面に血が飛び散ったが千載一遇の敵同士、踏み込み、踏み込みして五刀切られて仰向け(のっけ)に返したが、武士の死骸の見事な事よ、逃げ傷はまるでなかったのだ。 市之進は女を見失い、南無三宝と北に走り、南に戻り、何処へ失せたと小隅を唐猫が鼠を捜す眼の光具合い。橋の上では死骸がのたうっている。 折しも、七月中旬で血はとうとうと流れて、月が浮かんでいる伏見川、紅葉の名所の竜田川ではないかと見紛う程だ。 甚平が姉を引っ立てて来たので、ええ、助太刀のそちに討たれるのは口惜しい、夫の手にかけてはくれまいか。や、市之進ほどの仁、誰が助太刀を討つものかと橋の中に突き出せば、のう、お懐かしやと寄るところを片手なぐりに腰の番(つがい、腰骨の関節)きゃらりずんと切り下げられて、あっとばかりに臥したのだ。帯をひっつかんで頬(つら)を見れば子供が不憫であり、憎し憎しの恨みの涙、胸に浮かぶのを打ち払ってずんど容易く切り下げて取って引き伏せ、肝先を踏んでぐっと突いた我が切っ先、右の踵をあなうらかけてずっぱと切れども夢中で気が付かず、直ぐに男は胸板を踏んで、留めはいずれも一刀。鑓の權三の古身の鑓、瑕も古傷、話も古い。 歌も昔の古歌であるが、谷の笹原、一夜噺(ひとよさばなし)、その鑓の柄も長き世に御評判となって伝えられた。
2025年02月25日
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娘を母につけるのは離別の作法、こちらには男女で孫に差別はつけない。孫三人を朝夕に見たならば心の憂さも忘れられると言うもの。この子は父御(ててご)が四十二の二つ子(父親が四十一歳の時に生まれた子は翌年父は四十二歳、子は二歳になり、年齢の和が四十四が死々に通うのを忌み、一旦子を捨てて人に拾わせ、これを貰い受けると謂う風習があった)であり、祖母(ばば)がお捨てとつけたが、今は父母兄弟が世の捨て者になったかと、口説き、繰り言、身もしおれてぐったりと力なく、枯木のような祖父(ぢい)の顔はやはり涙で一杯である。 泣くな、泣くな、大事はないぞ。なんぼ母めが捨てても祖父(ぢい)や祖母(ばば)が可愛がるぞ。甚平と言う叔父もある。さあ来い、さあ来い、と手を引いて泣く泣くも奥にぞ入ったのだ。 茶筌髪(ちゃせんがみ、髷を巻いてその先を散らした形が抹茶に用いる茶筅に似ているので言う。武士の結髪の風)、結い甲斐もない小身の身ではあるが、武道を磨く霰釜(あられがま、茶釜の表面に霰のような疣を一面に散らして鋳出したもの)ではないが、妻の不義を知って心も煮え返る想い出が、さて首尾よく妻敵を討てるかどうかは運次第だ。 浅香市之進は帰国すると直ぐに門出であると、三人の子を片付けて一応は気が楽になったが、先ずしばしお国の内は憚りがあり、笠を深々とかぶり舅の門をくぐる。今までとは事が変わり、案内を乞わないのは無礼であり、さりとて「物申す」と挨拶するのも角が立つ。仇討ちに出発の挨拶に来たが、誰か取次の者はいないものかと玄関を見入って立っているところに、舅の忠太兵衛が袴の股立ちを高々と取り、痩せて骨ばった脛を出して、鍋の弦ほどに反り返った朱鞘の脇差をぼっこみ、まっしぐらに駆け出して来た。 ああ、申し、申し、と袖を引き止めて笠を取って捨てると、やあ、市之進、今朝は畜生めの諸道具と孫娘二人を受け取り申した。旅の出で立ち姿は暇乞いと見受けた。わざわざのお出で忝ない。追っ付け吉報を待ち申しておる。そう言い捨てて駆け出そうとする。 いや、申し、御顔色も常ではない。気遣い千万、委細の事情を承らないうちは失礼ながら放しません。のう、市之進、貴殿が江戸より下着の節に娘さゐめが提げ首をお目にかけられずに口惜しい。倅の甚平はその日からおさゐと権三の行方を探しに出ている。年寄りでも忠太兵衛腰や膝が立たない身でもなし、刀の刃に血も付けずに高枕でのんびりとも暮らしてはおられまいよ。気狂いも一人では狂わず、相手が欲しいと存じていたところ、最初に不義の証拠を取り、我らにも知らせ、国中に沙汰した噂の広め役の川側(かわづら)伴之丞、彼奴(きゃつ)を切って老後の思い出にする、お放しやれと駆け出そうとする。 ああ、これこれ、御無念は尤もながら御老人の腕先、万一にも伴之丞に返り討ちにでも遭ってしまっては、この市之進は先ず妻敵を差し置いて舅の敵を撃たなければならなくなるでしょう。妻敵討ちと敵討ちとが重なって当惑するのは拙者だけです。是非とも思いとどまって頂きたい。そうして下されば御恩に着ます。そう言って差うつむくと、のうこれ、市之進、根性の腐った女房の親でも、忠太兵衛が討たれたなら舅の敵を討つつもりなのか。 これは曲もない意外なお尋ねですね。たとえ女は畜生に成り果てたとしても、舅は舅にきまっておりまする忠太兵衛殿、敵があれば討たないでおきましょうか、それについてお尋ねになる必要はありません。 市之進、ああ、その御心底、現在の自分にとっては身に余る御厚志で忝ない。そう言って、大地にどうとばかりに老体を蹲らせて感涙している。市之進もこれはとばかりに手を束ね、涙に暮れる聟と舅である。武家の道はまさしく正しいのだった。 さあさあ、婆にも会ってやってくれないか、暇乞いの盃。兄弟の娘の顔をもう一度見たいであろう。草鞋掛けの旅姿だ、わざわざ奥にまでとは言わない。やいやい、市之進のお出でだ、みな来いやいと呼ばわれば、や、申し、小さい奴によく申し付けたのだが、何と泣いたりは致さなかったでしょうか。 いやいや、利口な者どもで、そこは気遣いなされるなと、玄関に座した所、母は二人の孫娘を左右に具して立ち現れた。中で盃、酒に肴、盆正月の節(せち)振る舞い、三人の子の誕生日、一家が寄り合う祝日の座敷は座敷に変わらないが、揃わぬものは人の数で、忠太兵衛夫婦・市之進・お菊・お捨の五人が顔を見合わせて物を言わずに目礼で、場所と場合を憚って涙を堪える顔付きは泣き叫ぶよりもまだ哀れであり、お酌をする下女でさえ零さない酒ならぬ、涙で袖を濡らすのだ。 母は涙を堪えて精魂尽き果ててわっと泣き、可愛や、この子供達、父御(ててご)の言いつけを覚えていてか目には涙を湛えていても、大人しくしているのを見るにつけてあの業人(ごうにん、前世での業報によって受けて恥辱をこの世で晒す者、業さらし)の畜生の人でなしめ、その腹からこのような利口な子をどうやって産み出したか、人並みの根性を持ってくれたならば、母も子も揃っていたであろうに、忠太兵衛夫婦は子も孫も産み揃えた、果報者だと世間で噂されたであろうに。娘の子は母方付きと二人だけを送って虎を残されたのは岩木の苗字を疎み、こちとは縁を切る心ですか。情けない仕方、市之進、恨みに御座ると声を上げて積もる涙を一言に泣き尽くした。それも道理なのだ。 いやいや、御恨みは相違しています、隔てる気持ちは微塵も御座らぬ。この度我らに御殿様から御暇を頂戴して世の散人(世間に用のない人、閑人)となりましたが、親より伝え来て今日まで楽しみと致していた茶の道は忘れがたく、虎次郎を千野休齋の弟子分として預け申したのです。お恨みを晴らされて出立を祝ってのお盃も頂きたい。そう言えば、成程、そうであったか、と打ち解けて、隔てずに交わす盃に言う事と言えば首尾よく追っ付け本望、本望、その本望とは、子供の母、我が妻を切る事。それを身の喜びとなすとは、いかなる運、如何なる時、如何なる悪世の契なのかと、思えばはったと胸がふたがり、鉄石の如くになってしまう市之進の心、掻き昏れて覚えず涙に咽ぶのだった。 女房おさゐの弟岩本甚平は宿無しで野宿を続けて、旅の姿もやつれて一僕を伴って立ち帰った。忠太兵衛は伸び上がって、やいやい、甚平、戻ったか。首尾はどうだったか、市之進もたった今の門出、何と、何とと言いながら期待に胸を弾ませながら一同は思わず立ち上がった。 やあ、市之進、留守の間に不慮のことが出来(しゅつらい)、お帰りない先に不義者共の下げ首をこなたに見せ申せと親どもの心が急き、我らはもとより彼奴(きゃつ)らの駆け落ちの暁から、直ぐに出立して食べ物を腰にひっつけて、海道筋の旅籠屋、馬次(街道で馬の継立てをする所、宿場)、舟場(船着場、港)を詮索し、山陰にある片山里まで近郷を残らず尋ねたのだが、いやいや、弱足を連れて気の遅れたる迷い者だ、特別奥まったところを目指して隠れることもあるまいと存じ、普通の旅人が辿る伯耆路にかかって詮義したが出会わなかった。つくづくと存ずれば、出発の前に当番仲間に断っただけで番頭(武家の番衆の頭、甚平の直属の隊長)へも断らず日数を重ねるのは不調法と存じて引き返して、只今は帰りがけ直ぐに断りも相済み、ちょっと立ちながら両親にも会うためにこの有様です。 御自分も我らも互いに遅いか早いかで、お目にかかれなかったなら残念でした。折りよくお目にかかれたのも本望を達するべき吉兆です。いざ、御同道仕らんとぞ勇み立っている。 市之進は手を打って、さてさて、お骨折り御苦労千万です。親子揃っての御懇情は心肝に徹して忝なし。もはやこれからは御同道には及びませ。我らが一人で参るからは外を頼むこともなし。甚平殿は御休息頼み入りまする。と言ったところ、いやさ、要らぬ遠慮ですぞ、心だけ逸っても人数が無ければ手の回らぬこともある。それなればこそ、留守の内、よもや何事も御座るまいと落ち着いても、このような事件も起こったではないか。権三も他国に親類知音(ちいん)もある筈、どんな処置を廻らしているかも分からない。三日路、四日路とも踏み出し、思いがけない事情が生じて助太刀が欲しい場合もあるだろう。是非ともに御同道致したい。 いや、これ、御心底は頼もしいのですが、女房の弟に助太刀をさせ、妻敵討っては立派に本望を遂げたとは言えないのではあるまいか。 いやさ、助太刀と決めなくとも、ただ力になるだけのことですよ。と声を高くしたので市之進は機嫌を損じて、さては茶人は釜の蓋を取るよりほかの、人の首を取る仕方も知るまいと思し召すな。弓矢八幡の神に誓って言うけれども、身こそ小身ではあるがちぎれてはいても見事に鎧の一領は用意しており、すはやと言えば、手並みの勝れたお歴々にも負けはしない。 甚平はからからと笑い、ああ、腹筋が縒れるほどにおかしいぞ、然らば足元に居る妻敵を何故に討たないのだ。むむう、足元の妻敵とは、むむう、川側(かわづら)伴之丞のことだな。 そなたが直ぐに思い当たる妻敵を何故即座に討ち取らないのだ。市之進ははっと驚き、如何にも彼が横恋慕の書状数通を女の手箱の中に見つけている。彼奴(きゃつ)にも一刀とは思っているが、一時には手が廻らない。先ずこれは後日の沙汰と考えている。言い終わるのも待たずに甚平は、それそれそれ、鼻の先に置きながら二人の敵は手がまわらない。始めの妻敵と後の妻敵、と言う分ちは知らない。そなたは助太刀は要らないと言い切ったが、市之進の妻敵の一人は岩本甚平が助太刀で討ち取ってしまったぞ。これを見なされ、腰兵糧(当座の食料を入れて腰につける容器)の器を引きちぎって押し開けば、伴之丞の首、洗い立てて持っていたのだ。 市之進がこれはと手を打てば、舅夫婦は大いに喜んで、腹の底から憎んでいた敵とは彼奴(きゃつ)の事。但し御扶持人(お上の奉公人)だ、上には何と訴えたのか。 いや、訴えるには及びません。彼めも身に迫る蜂を払いかねて、お暇乞いもせずに逐電致そうとしたところを伯耆と因幡の国境で打ち取りました。
2025年02月21日
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ええ、是非もない。もはやこのふたりは生きても死んでも廃ってしまった身、東(あずま)に御座る市之進殿は女房を盗まれたと後ろ指を指されては、御奉公は愚か、人に面を合わせられまい。どうせ生きてはいられない我々二人、只今二人は間男と、密通したという不義者になりきって、市之進殿に討たれて男の一分立てて進ぜて下さるなら、のう、忝ないことですとまたもや臥し沈むばかりなり。 いやこれ、不義者にならずにこのままで討たれても、市之進殿の男としての面目が立ち死後に我々の生前の汚名をそそぎ、不義の事実がないことが判明すれば、二人も共に一分が立つというもの。どう考えても不義密通者にされてしまうのは口惜しい。 おお、愛しや口惜しいは尤もではあるが、跡で我々の名が清められたとしても、市之進は女敵(妻と密通した姦夫を夫の立場から言う語)を討ち誤り、二度の恥辱(始めは妻を奪われたと言う恥辱、次にはそれが誤解であったのに事を早まったと言う恥辱)と言うもの。心にはそまずにお嫌ではあろうが今此処で女房じゃ夫じゃと一言言ってくだされよ。思いがけない災難で浮名を立てられて命を果たすお前も愛しいことに変わりはないけれども、三人の子供をなした二十年の馴染みの夫にわしゃ替えられぬぞと、わっとばかりに嘆き、心が弱り気を落としている。 権三も無念の男泣き、五臓六腑の腸を全部吐き出し鉄を溶かした煮えたぎる熱湯が喉を通る苦しみより、主の有る女房を我が女房と言う苦患、百倍千倍も無念ではあるがこう成り下がった武運の尽き、是非もない、権三の女房、お前は夫、えいえいえい、忌々しいと縋り合い泣くより他にはしようがないのだ。 さあ、家内が目を覚まさない内に、夜は短い。早立ち退こうと権三がおさゐを引き立てれば、可愛や、三人の子供が、母が今この様で住み慣れた屋敷を立ち退くとも知らずに、何事か夢に見てすやすやと眠る姿に暇乞いをしたいと泣いたところ、ええ、未練じゃ、市之進に首尾よく討たれるよりほかに浮世での願いは何があるかと引き立てる。 門を開けようとすると、門外に提灯や人の足音、扉をがたがた大音を上げて、岩木甚平(おさゐの弟)が笹野権三に会いに来た。誰も皆臥せってけつかるか。開けよ、開けよと呼ばわったのだ。 はああ、弟の甚平じゃ、門からは出られない。裏門はなし、塀は高い、飛んだり押したりしてうろつく間に家内は起きる、門は叩く。 前後の目を付けて茨垣、やあ、悪人めが抜け穴を、我が身にとっては神の御利生(りしょう)とばかりに二人は手を組む、生死の分かれ道、命の境、四斗樽の中に六道(斗)四生(升)二人が同時に飛び込んだのでぎゅっと詰まって動きが取れない。そのまま樽と共に外へ転がり出た。 時刻は既に暁、時は夜明けの七つ頭(午前四時をまわったばかり)、頭が二つに足が四本、胴は一つの酒樽に入れた侭で歩く無明の酒の酔い、これぞ冥途に通う樽、偕老同穴と言えばめでたいのだが、これは同じ同穴でも生きながらに同じ棺桶に入れられたも同然で、どうせ何処かの穴に埋められるよりほかはないのだ。事の様子が自然とそのことを語っているようだ。 下 之 巻 権三おさゐ 道行(男女が連れ立って駆け落ちすること) 鑓(やり)の権三は伊達者でござる、油壺から出すような男、しんとんとろりと見惚れる男。どうでも権三は好い男、花の枝から溢れる男、しんとんとろりと見惚れる男。愛しい男、元の夫が愛想を尽かしたわけでもないのに妻の方から思いもかけぬ男の方に引かれて行ったが、これも元はと言えば一人留守寝の床の中、心も澄んで目も冴えて、浅香の妻でありながら、ふとした弾みで笹野と思わぬ縁を結んで、ついには故郷を出奔する羽目になってしまった。 二人の涙は湧き出て、出石(いづし)の山はあるのだが、恋の病には効験のない但馬の湯、その湯桁(浴槽)の数を唱えれば、我とそもじは五つと七つ、十二違いの見かけが老けていて、姉とも言えば言える岩枕、岩の根を枕に契を結べば岩やあたりの草が思うであろうのが恥ずかしい。そなたは人の女郎花(おみなえし)、俺の口からは女房とは身が恥ずかしい、それではないが櫨(はじ、ロウの木)楓(かえで)いたずらに染めぬ浮名の村萩の乱れ、身には覚えのない汚名に泣くのは哀れであるよ。 振り上げ見れば源の頼光が鬼神(きじん)を退治した大江山、峯は青葉に包まれ谷も尾上(おのえ、山の峰)もしんしんと山のふりさえ愛想がない。陰気に構えている。 松の下陰、藪の小陰の一在所、あれあれあれあれ、麦搗(つ)く嬶等、隣の姉か、三十ばかりで歯白振袖、それでも恋の一節や、大工殿より、のう、鍛冶屋が憎い、閨(ねや)の掛金は鍛冶屋が打つ、しょがえ、のう、鍛冶が打つ。閨の掛金は鍛冶が打つ。しょがえ、のう、掛金は関の鎖(とざ)し、解けそめて迷い始めたのは誰のせいですか。若い殿御をわれ故に侘しい姿にしてしまった。二本の刀もその一本の脇差は道芝の露の値と消え果てて、一本薄を刈り残しているだけ。腰の廻りは秋の暮、寂しい、悲しい、愛おしい。互いに抱きあって泣くばかりだ。 国に親と子、東に夫、思いは千筋、百筋の、我は涙の苧桛(おがせ、麻を巻く桛・かせ)繰る。間男の噂をせき止めることはできない相談だ。 川水に洗う帷子を張る、それではないが、播磨潟、ろくに寝ていない目をしょぼしょぼとさせて、埃まみれの髪形、盬焼く浦の蜑にも劣る山田畠の案山子同然のなりふり、まさに鳥威し、粟を啄む鶉(うずら)や澤の田鶴(たづ)、ひよひよと鳴くのは鵯(ひよどり)、小池に住むのは鴛鴦(おしどり)、鴛鴦の、しかも鰥夫(やもめ)の夫(つま)の留守もり、男やもめの憂き住まい、鳥の上にも嘆かれて、いとど涙の種であるよ。 二人の行く後から夕立雲がむらむらと、風に乗ってさっと吹いてくる。風の音、野辺の薄のそよぎまで、我を追い来る追っ手かと、露の笹原、やっとんとん、連れ立ち走る、踏み分け走る。 磯の千鳥を追いかけて石突(いしづき、槍の柄の下端を包んだ金具)を掴んでずんずんと伸ばす。伸ばす。さあ、えいさっさ、えいさえい、笹葉形の槍の槍先に突き損ねる小鳥もなかったのに、今では羽風さえも空恐ろしくて、舟は乗合、人目も窮屈に感じられ、徒歩路を急げども捗(はか)がゆかず、何を導(しるべ)に難波津の名は住吉も住み憂しと、世の憂き節も伏見山、身に墨染の衣は着ていないが心だけは出家のつもりで、伏見の墨染の里に落ち着き住み着いたのだ。 さりともと、昔は末も頼まれた。老いは憂身の限りだと古歌の詞も思い知る。岩木忠太兵衛は玄関前で浅香市之進方より小袖箪笥・挟箱・葛籠(つづら)長持、その他の嫁入り道具を一式、積み重ねて不義人の諸道具返納と呼ばわり散らして帰ったのだ。 母は持病の血の道で、おさゐの事件が起こったその日から、癪の閊(つかえ)に胸が痛んで、とても枕が上がらない。何じゃと、道具類が戻ったか。婿とも孫とも縁が切れたか。情けなや、とよろぼい出で、のう、聞くことも見る事も悲しいことばっかり、と葛籠(つづら)にかっぱと抱き付き、絶入るばかりに見えたのだが、如何なる天魔の障礙(しょうげ、妨げ)ぞや、このような事をしでかす。さもしい気は微塵もなく真情者(まじょうしゃ、正直者)の孝行者、子も尋常に育てて、母様(かかさま)聞いてくだされ、私は娘を持ちたいと持つ。嫁入りの時の諸道具を一品も散らさずに子供をしつける頼りにしようと、小身の我が夫にあまり苦をかけてくないと、言う言葉が違ってしまい、二十年にもなる道具類は古びもせずに、持ちなすこの心で、何で自分からその様な悪事をしでかそうか、悪魔にでも見込まれたのか、それとも何かの応報か。と、叉口説き立て泣いたのだが、市之進の身になっては口惜しい筈、あまりにもこれはつれない。無情な仕打ちだ。女の子に譲ってもよいはずなのに、それもせずに、見苦しく門に積ませて、おさゐを母とする自分の子供の恥となるのに、それを考えもせずに、やい、中間共、下女どもよ。あまり人が見ないうちに早々内に運んでおくれ。嘆きあせれば忠太兵衛、これこれ、お婆、聞いていればぐどぐどと何を役にも立たぬこと。市之進には誤りがない。いずれは姦夫と共に討って捨てる女の諸道具を、市之進が留めていて何とする。人間外れの女、穢れた道具、武士の家が汚れるぞ。中間どもよ、片端から叩き割り火をつけて焼いてしまえ。 畏まったと、棒・才槌・鋤・鍬(くわ)・鉞(まさかり)をひっさげてひっさげ立ちかかった。母は堪えかねて両手を広げ、待ってくれ、待ってくれ、のう、祖父(じい)様、道具は惜しくはないのですが、今生でも来世でも、おさゐの顔はもう見られない。おさゐの手が触れた道具、せめて一色(いっしき)は老いの形見に残したい。 屋敷を駆け落ちする時も、現在何処にいるとしても子供のことは気にかかるだろう。常々この諸道具を子供達に譲りたいと思っていた。思っていた念も不憫である。一色づつも残して子供に取らして下されいと、箪笥を引き寄せ、葛籠にすがり、悶え悲しみ泣きければ、これ、お婆、これが悲しいとは御身も我ももう一度は大きな悲しみを聞かなければならない。おさゐが市之進に討たれて死ななければならない。その時には二人はどうしようか。 年が寄ったら憂き事を聞くのが役割だと覚悟して、じっと涙を堪忍なされよ。わしも我慢をする、堪忍、堪忍、と一図に朴直な田舎武士、咽に涙が詰まるのだった。 どう思案してみても、この道具を受け取っては朋輩中の思惑、他国への聞こえ、若党中間共が同時に火を付けて煙が高いのは憚られる。一色づつ取り分けてから焼いて捨てよと命じれば、迷惑ながら主命である。葛籠・箪笥・挟箱などを引き散らし打ち壊して、蜑の焚き火と燃え上がらせて、その煙は漢の武帝が李夫人の死を悲しんで反魂香を炊いてその顔を見たいと言う故事があるけれども、目の前の煙はそれではないから娘の俤は見えない。 母はなおも身悶えさせて、可愛やおさゐが嫁入りの時に、まあ、此処で門火を焚き、千秋万歳と祝ったその道具類だ。門火を焚いたちょうどそのあとで、灰となす母の体ともろともに、薪となしてくれないかと嘆く姿を見て下女やはした、若党、小者に至るまで皆々袖を絞ったのだ。 残ったのは長持一つ、取り壊して燃やせと開く蓋、二人の孫娘と兄弟が抱き合って泣いている。 祖父(じい)も祖母(ばば)も夢見心地で、やれやれ、危なや、命冥加な命運のよい孫達だ。もしも火をつけたならとんでもない事になるところだった。堅い父御(ててご)の言いつけか、何故声を立てなかったのだ。利口に生まれついたな、花紅葉の様な子供を母はよくも見捨てたなと、髪をかき撫で泣いたのだ。 お捨は何の頑是もなくて母様(かかさま)に会いたい。母様を呼んでと泣く。姉のお菊は大人しくて、父(とつ)様は母様を切りに行くと仰る。祖父様祖母様、お願いです、代わりに私を殺して母様を助けて下されい。と父様に詫びごとをと膝に縋って伏したところ、おお、よく言ったぞ。母はさほどには思っていまいに、虎次郎は何故によこさなかったのだ。
2025年02月19日
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あんまり拭い過ぎて顔が痛いですか、せっかくのおいでですが奥様は今朝より親里へ参られて、ゆるりと御逗留あるはず、何なりと私にお語りなされませと言ったところ、それならば此方に頼みましょう。私が乳母として養い育てたお雪様と申すお方と、笹野権三様とが言い交わしたことがありますが、仲人がないで御祝言が遅くなっています。殊にこの乳母の尽力で一夜の枕を交わさせています。その礼に権三様より雪駄一足と銀一両、これが証拠です。侍の妹に侍が傷をつけてはのっぴきならない大事です。此処の奥様がちょっとお口を添えてくだされば、いざこざは無しに直ぐに事が運ぶように、権三様とも内々にちゃんと打ち合せが済んでいます。お子様方もいらっしゃるので、御病気ともなればお金を出して山伏にご祈祷などを頼まれる筈、他人のために図られればお子様たちの上にもきっと良いことがある。すれば山伏を頼まなくともそれと同等のご利益が得られるでしょう。首尾よく相済んだならば相応のお礼を致しましょう。そこは乳母が飲み込んでいます、お取次ぎのそなたにも無駄骨は折らせません。上辺だけの仲人役、ひとへにお頼み申し上げまする。初めての長口上、ほほ、ほほ、ほほ、おう、恥ずかしいことですよ、と話したのだ。これねえ、当人が長いと思う程ならば聞いている方はもっと長く感じます。こちらの奥様は礼物を受け取って縁談の取り持ちをするようなお方ではありませんよ。殊に酉のお年であなたのようなお喋り者を忌み嫌われる。早く帰ってくださいな。そう言い放って愛想がないので、決まりが悪くて引っ込みがつかないので、むむう、わしはちょうど六十で戌年、狼狽え歩いて棒に当たらぬ様に長吠えしないで早く帰りましょうと、逃げ吠えしてぞ帰ったのだ。 奥では待っていたとばかりに嫉妬の炎を燃え立たせて、錨の綱が切れて、怒りの感情を静めかねている丁度その時に、父親の岩木忠太兵衛がただいま参上致したしましたぞと若党が先に告げたところ、家内は恐れ静まっておさゐも内心では面白くはないのだが、親に対して愛想の笑顔を向ける。 おお、市之進の留守に皆が機嫌が良くて満足じゃ。虎や捨めがよく遊んで、昼寝も出来なくて眠い。早く帰って寝たいと言うので連れ立って帰ったぞ。夜が短い、早く寝かせて、疾く起こし、昼間はぞんぶんい遊ばせるのが身の薬だ。つまり子供にとって万病に効く特効薬の万病圓(まんびょうえん)。姉のほうは奥にいるのだろうか。娘の子は十三四からは端近くには出さない方が良いぞ。姉や捨めは御前に似たが虎めは市之進に生き写しだ。こりゃ、市之進が江戸から帰ったと言って母(かか)の側にちゃっと行け。そう言って孫を寵愛の戯れ。 おお、久しく遊んだことですね。祖父様(じじさま)祖母様(ばばさま)さぞ煩かったで御座いましょう。奥へ行って姉と一緒に並んで眠りなさいな。乳母や、寝冷えをさせないように気を配ってくださいな。やい、角介や、戻ったなら何故石灯篭に火を付けないのです。日が暮れたのが目に見えないのか。女子ども、祖父様のお慰みにさっきの銘酒を少し差し上げなさいと、もてなせば、いやいや、銘酒よりも何よりも数寄屋の庭がよい。毎日見ても見飽きないぞ。市之進が数寄を凝らして作っただけに面白い。や、兼ねてないないの意向として話しておいた笹野権三、新の台子の願いには来なかっただろうか。 如何にも、懇望なされましたので、巻物を渡す約束を致しました。それは出来した、よかった。若い男だが殊勝な事だ、諸芸の心がけが素晴らしい。仕損じがあったりしたら市之進の誤りとなり、強いては殿様に恥辱ともなる。秘伝を残さずに伝授しなされ。さりながら、お家の大事じゃ、たとえ聞いたとしても分かりはしまいが下々の召使達にも一言一句漏らしてはならないぞ。隠密、秘密だ。夜が更けぬ先に帰ろう。提灯を灯せ。皆を宵から休ませて、何かあったなら直ぐに目を覚ますようにさせなさい。又、明日には見舞いに参ろう。やい、角介、男はお前だけだ。家の背面にも注意しなさい。何と言っても昼間でもいびきをかく角介の事だ、そう老いの戯言を言いながら夕闇に帰れば、跡は門の戸を鎖す。流石に数寄者の庭の表面、若葉の木立物古りて爐路も仄暗い灯篭の、火影がうつる熊笹の露は蛍かと見まがう、蛙の声、かまびすしく響くのだった。萱屋の軒に音づれてしょろしょろ流れる水の音、夜もしんしんと更けたのだ。 おさゐは庭先にいて、家内は寝入ってほっしりとどんな物思いに沈もうが誰も咎め立てをしないのがこの家の取り柄で、涙も袖に落ち次第。ええ、思案するほど妬ましい。なみ大抵の男を、可愛く大事な娘に添わせようか、我が身が連れ添う気持で吟味に吟味して思い込んだ希男であったからこそ、秘蔵の娘を添わせようと思っていたのに、悋気しないでいられましょうか。昼に来た婆めが抜かしおったわ、お雪様と権三さんとが内証しゃんと締めてある、ええ、腹が立つ妬ましい。悋気者とも法界者とも言いたければお言いなさいな。傳受も瓢箪もありはしない、台子も茶釜も糸瓜の(へちま)の皮で何の役にも立たない。ええ、恨めしい腹が立つ。自分の身を縁側に打ち付けてこぼす。涙で濡れた袖が雫を垂らして茶巾の如くであるよ。はおうああ、こうまでに嫉妬深いのも前世からの因縁なのか、それとも病気なのかしら。これ程に悋気深くては我ながら自分の夫を長い期間手放しておいて海山を隔ててよくもいられたものですよ。それを我慢しているのも殿様のお言いつけで出向いているのだと思えばこそ。そうであれば、悋気というものはみな自分の気ままから起こるもの。姑が婿に対して悋気とは悪い評判が立つもと。さらりと思い忘れましょう、と邪念を払うのだがそれでもやはり胸が焦がれる。涙は癖となっしまった。 約束であるから笹野権三は供をも伴わっずに静かに門の戸を叩いた。内側では答えもしないで走り出て、誰じゃ、笹野です。門の戸を開けると直ぐにはたと締めて、こちらへ数寄屋へ数寄屋へと、手燭を片手に傳受の箱、二人が忍んで姿を消した様子は人の疑いがかけられても仕方がないと、当然に考えが及ぶ筈なのだが、当人の身としては気がつかづに障子一枚だけを開けたままで数寄屋の部屋に入ったのだ。 これは絵図の巻物、祝言・元服・出陣の台子、これは御簾の中の茶の湯の図、誠の真の台子とはこの行幸の台子の図。三幅が対の掛物、三つ具足・中央に香炉、左右に花瓶と燭台のひと揃い。床脇の棚に茶壷を飾る方式、印可巻・許しの巻、これを読めば口伝は必要ありませんよ。心静かにゆるゆるとお読みなさいな。 権三は押しいただいて読めば世間も静まり返って、蛙の声も夜が更け渡ったのを知らせる様な顔である。 折しも川側(かわづら)伴之丞が四斗入の空き樽を下人に持たせて、市之進の屋敷の廻りをうろうろ、きょろきょろと耳をそばだて、小声になって、やい、波介、内では寝静まっているぞ。おさゐの寝間に忍び込んで口説き落として、積もる念を晴らして色の上で誑(たら)し込み、真の台子の巻物をまんまと手に入れ、権三めにあんぐりと口を開かせてやろうぞ。もしも人が起きて来て出会ったとしても女や小者だ、口に砂でも頬張らせて息の音、声を出させるな。それ樽の蓋を突き抜け。おっと承知しました。足で踏みつければ蓋も鏡もすっぽりと抜けた樽を枳穀垣にぐいぐいと押し込んで、葉山茂山は茂っているが、どんなに人目が多かろうと、思い込んで会うのには妨げにはならない、抜け穴道が完成した。 おのれは四方を見合わせ後から来い、と伴之丞はそろりそろりと這い潜って、庭に入れば数寄屋の内部に灯火が、障子の影は男と女で忍合う夜の私語(ささめごと)。頷きあって顔と顔を寄せ合ってしっぽり情事の濡れの露。寝てしまったあとなのか、これから寝るのか、しみじみと上手い花ざかり。 伴之丞も気は上ずり上気して、腰から下の無様さを気にかける余裕もなく、先陣越された宇治川の川水に押し流されて膝をぶるぶると震わせて、流れ武者の恰好で喉を渇かして立っていたが、権三の声で、はあ、誰かが庭に来たようですね。はて、昼でさえ人が来ない場所です。夜更けてから誰が来るものですか。いいや、今まで鳴いていた蛙がひっしゃりと鳴き止みました。ああ、蛙も少しは休まなくてはいないでしょうよ。きょろきょろとしないで先ず巻物類をお読みなさいな。あれ、また蛙が鳴き始めましたなと権三。 そうこうしているうちに、波介が樽をくぐり抜けて庭に降り立った。そして、主従が一緒に立休らう。 あれ、又、鳴き止んだ。どう考えても誰かが居るのは間違いない。ちょっと吟味しようと、権三が脇差をおっ取り出ようとした。これ遣りませんよ。三方は高い塀で北は茨垣です。犬や猫でも潜れないのに人が来るはずもありませんよ。一人で気を揉む所を見ると、さてはお前と私がこうしているのを妬む女子がいて喚きに来る覚えでもあるのですか、 これは迷惑な、その様な覚えは微塵も御座いません。いや、ある、いや、ある。仲人が口を添えれば直ぐに埓があくように内証をしゃんと締めてありまする。ええ、ええ、ええ、女の身の浅はかさなどは表面だけに目が行ってしまい、騙されて目がくらみ胸の中を知らなかったと、わっとばかりに腹立ち涙。これ、宵のうちから心の中がくらくらと煮えたぎるのを、姑が聟に悋気と浮名が嫌さに笑顔作って、堪忍袋の緒がぷっりと切れてしまった。 これ見よがしのその帯は、定紋の三つ引きと裏菊と、甘ったるい比翼紋は誰が縫ったものですか。誰が呉れたのです。噛みちぎってしまいましょうか、飛びついてむしゃぶりつく。 はてこの帯には様子があります。おお、様子がなくてはおさまらない、様子があるに決まっていますよ。様子と言うのが妬ましい。互いに泣くやら、叩くやら。帯をぐるぐると引き解き、続けざまに殴り、打ち、ええ、厭らしい手が汚れたと、帯を手元に手繰り寄せて、庭にひらりと投げやって拾いなさいとでも言いたげな風情。 嫉妬で分別をうしなったと言うことは仕方がなくて、障子に映った影は両者共に髪を振り乱した様に見える。どのようにしてもこの様子であるから、帯を解いたままではいられないと、庭に出ようとした所を、ああ、ああ、帯に名残が惜しいのか。お気には入らないでしょうがこの帯、お締めなさいと、この一念が蛇となって腰に巻きつき離れぬと、おさゐが自分の締めていた帯を投げつけた。 権三は余りな事にむっとして、腰を二重に巻いて締める女帯、まだ致したことは御座らぬと、同じく庭に投げ出した。 手早くそれを拾った伴之丞、声を立てて、市之進の女房と笹野権三、不義の密通、数寄屋での床入り、二人の帯が証拠だとばかりに、岩木忠太兵衛に言いつけると言い捨てて、通路の樽を抜け出した。 南無三宝、伴之丞め、弓矢八幡、逃さじと、刀を引き抜き障子を蹴破って飛んで出て、灯篭の火の影薄く捜し廻れば波介が狼狽えまわるのをしっかりと捉えて、伴之丞はどうしたのだと脅すと、私を捨てて出られた。え、せめて貴様を冥土の供にしてやろうと、臓腑の真ん中をぐい、ぐい、ぐいと抉れば、ぎゃっとばかりに二刀で息の根が止まった。直ぐに逆手に取り直して左手(ゆんで)の小脇に突っ込む所を、おさゐが縋って、これはどうしたこと、不義者は伴之丞、身に曇りのないお前が、何の誤りがあって死のうとは。 ああ、愚かだった。二人の帯を証拠に取られて寝乱れ髪のこの姿。誰に何と言い訳しようか。もう侍が廃った。こなたも人畜の身になってしまった。ええ、ええ、無念と泣きければ、さては、お前も私も人間を外れた畜生に成り果ててしまったか。如何なる仏罰、三宝の冥加には尽き果ててしまった。浅ましい身に成り果てたか、はあっとばかりにどうと伏して消え入る様に嘆いた。
2025年02月17日
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お菊はさすがに姉だけに、母様(かかさま)いかいお世話ですね。少しおやすみなさいと差し出す薄茶(挽茶の一種。分量を少なくして湯に立てて飲むもの。濃い茶の対)茶碗の音羽山、それではないが大人ぶってませた様子を見て、おお、孝行者だね、よく言ってくれましたね。随分としっかりして来たね。妹のお捨は乳母と遊びに出たそうですよ。行水も終えましたか、この髪は誰が結ってくれたのです。女中の萬の手並みと見た、髷が思いなしか少し下がって額が険があるように感じる。愛想がない、つとの出し方一つ鬢(びん)付きで器量が良くも悪くも感じるもの。顔の道具、目・鼻・口相応に眉が女子(おなご)の大事なもの。前髪もこうでないほうがよい、母(かか)が直してやりましょう。そう言って開く櫛箱と鏡台の本物の鏡よりも世の中は、他人こそが人の手本となるもの。諺に、人のふり見て我がふり直せと言っている。善くも悪くも身の手本、絵に描いた物を見れば京大阪の美人の様も見られる。心で見れば今ここに吉野や初瀬の桜の花も見る。殿御を持っての朝寝髪、湯上り顔や洗い髪、人には見せてはいけない乱れ髪。寝乱れ髪の枕にも寝顔はやはり嗜みが肝要で、憚られるもの。容儀(整った姿かたち)は生まれつきであるから仕方がないとしても、黒髪が魅力的であるのは女にとって安心な要素だと、徒然草にも書かれているそうですよ。兎角、女子(おなご)は髪形、千筋も生えよと撫でさする櫛の歯に、髪の注意に事寄せて身持ちの注意をする。子を思う母の手に艶々と、見違える程に美しくなったので、それご覧よ、格別に見目好い子になりましたよ。嘘だと思うならその鏡を覗いてごらんよ。親の目は贔屓目、他人が証拠です、萬よ、来なさい。飯炊きの杉も一寸おいでなさい、菊の髪の具合を見てみなさい。 はいはいと走り出て、これはこれは、奥様、とてもお上手に調整なさいましたな。額つきと髪つきで下地のよいお顔が尚更に美しくなられましたよ。女子でさえ心が惹かれてもやもやします。裸身をむっくりと抱いて寝てみたい。そう言って褒める者さえいる。杉ははたと手を打って、ああ、そうじゃ、日頃の不審が今はれました。わしが鏡で顔を見て、素顔は随分とよいのですが人が惚れない、不思議だと思っていたが髪の結いようでこうも印象が違うのですね。せっかくの器量を備えていながら残念ながらわしは埋もれ木じゃ。憚りながら奥様の手に二三日かかったなら、お国中の男は秋風に薄の穂で、気を持たせてやろうと声を立ててはしゃぐのだった。 親が子を褒めるのはいやらしいけれども、このような娘を普通の男に添わせるのは残念だ。常々つくづくと思うのは、家中で婿を取るならば表小姓の笹野権三様に添わせたいもの。男振りはお国一番、武芸がよくて、茶の道でもお弟子衆でも後に続く者がないほどに飛び抜けている。そして、気立てが素晴らしく万人にも好かれて誰にも憎まれない。心を引かれる性格は男の中の男。そう言えばお菊はまだ童気(わらべぎ)で、申し母様(かかさま)権三様は大人で小父様です。わしゃ、いやいやと頭を振る。 ああ、譯もない。母(かか)は三十七の酉(とり)、父(とと)様は一廻り上の酉で四十九、これ、十二歳違って見事お身達のような子を持った。権三様は一廻り下の酉で二十五、そなたは酉で十三、十二の違いはちょうどよい。似合い頃、後二三年して顔も化粧をして作り、着物の脇を詰めるなら(幼少の折は着物の袖を身ごろに縫い付けずに脇下を明けておくが、成年と同時にそれを塞ぐのを脇を詰めると言う)しっくりの長門印籠(蓋と身がしっくりと合うところから、似合いの夫婦の意にたとえた)、本に四人は酉の年、これも不思議。栄耀の贅沢を言わないで殿御に持ちなさいな。そなたが嫌なら母(かか)が男にしますよ、ほんに市之進と言う男を夫に持っていなければ人の手に渡す権三様ではないわいな。 我が子は可愛いの思いからつい不謹慎にもその場での座興の悪ふざけが過ぎて、これも過去世での悪縁なのであろうか。 さあ、この上に衣装を着せかえて打掛(帯をした上に着る小袖。婦人の礼服)を着せて見せましょう。娘自慢の鼻脂を引く(自慢そうにゆったりと事を行うことに言う)ではないが、娘の手を引いて奥に入ったのだ。 玄関で、物申す、御免下さいましと誰か来客があった。茶の間の萬が、どれい、と答えて出迎えれば、笹野権三が一樽を持たせて、岩木忠太兵衛殿は此処にいらっしゃいませんか。 ああ、毎日留守見舞いに参られまするが今日はまだ見えておられません。むむ、然らば奥様に申してくださりませ、最近はめっきりご無沙汰いたしてしまいました。御留守に何事もなくて珍重(ちんちょう)に存じまする。少しばかり申し上げたい事が御座いまするが委細は忠太兵衛殿まで申し入れましょう。この一樽は上方の銘酒、幼い方へのお慰み、御見舞いの印です。おついでに申してくりゃれ。言いおいて帰ろうとすれば、ああ、申し、しばらくお待ちをと急いで奥に走りいる。 女房は早くも立ち聞いて、口上は聞いた聞いた、まるで待ち受けていた様な折からのご来訪です。苦しゅうないから直ぐに奥にお通りなされと申しなさい。櫛笥(化粧道具を入れておく箱。櫛箱)鏡台を片付けて塵を掃く羽の二枚羽も、比翼の悪因縁は底が深い。 笹野権三は遠慮がちに常の居間に通ったのだ。これはようこそ、御見回りと称して子供方へのお心つき。珍しいご持参品を携えて折々玄関までおいでなされても、態(わざ)とお目にかかることもしない、それで御用とはどのような事柄でしょうか。親の忠太兵衛までもなく直接にお話なされませと、親しそうな挨拶も心の底から出たもの。 権三は手をついて、御親切忝なし忠太兵衛殿か、ご舎弟の甚兵殿を以てお願い申すはずでした。甚だ不躾なる願いながら、今度ご祝言お振る舞いの御馳走、真の台子の飾り、市之進の弟子中からとの仰せ渡しとか。常々、市之進殿のお物語、一通りは聞き覚え、いまだ指図や絵図の巻物、印綬口伝の許し印可を受けておりませんので、表向きは晴れて真の台子を覚えたとは申されませんが、天下泰平長久の御代。かような事を勤めなければ武士の奉公で秀でること難し。多年の願いでもあれば、またこの度の機会に手並みを示す望みも果たしたく、巻物の拝見を許されますならば、生々世々(しょうじょうせぜ)の御厚恩と額を畳に押し付けて師弟の礼儀が見えたので、さてもさても御執心、御奇特(ごきどく)なお心入れ、此の伝授は一子相伝であり、我が子の外には伝えられない。どうでも伝授しなければならない弟子がある場合には親子としての契約があった上でなければなりません。絵図巻者は渡しましょうが、それにつき、事のついでに持ち出すようで近頃粗相がましいのですが、藪から棒と申そうか、寝耳に水と申そうか、思し召しも如何とは思えども、何か良い折がないものかとかねがね心に込めていたので申し出してみます。姉娘のお菊をこなた様に進ぜたいと常々私の望み。今も今とてお噂を致していた折柄でしたよ。こう申しては何やら台子の伝授と交換条件にするようで、娘の箔(はく)も落ち、大事の伝授も有り難みが薄れてくる。それはそれ、これはこれで、談合致したい。菊をそなたに進ずれば聟は子供も同然、すれば一子相伝の決まりにも背かないので、傳受の事も容易になります。市之進もそれを聞かれたなら満足でしょうし、第一に私の恋している聟です。まだまだ世間に押し出して、これこそ美人だと言いふらすには備えるべき条件が多く有り、それを言えば切りもないこと。先ず大抵は目鼻が揃っている器量よしの秘蔵娘ですよ。添わせる殿御はそなたを除いては他にはいない。なんと承諾して下さいますかと言うのだが、相手は恥ずかしそうにさし俯いて返事をしない。 さあ、どうでござんすぞ、はて、何のこれが恥ずかしいのです。さては、娘がお気に入らないのか。むむ、頭を振られるのは嫌でもない。ええ、分かりましたよ、とうから外に約束があるのですか。そうじゃ、そうじゃ、主のある花は是非がない、もったいない男に恋が醒めてしまったと立ち退けば、ああ、これは迷惑ですぞ、誰とも我らは約束がない。木石ではない人間、殊に若い男です。当座の出来心で相手をした者(お雪を指す)は別として、決めている相手はゆめゆめありません師匠の聟と言えば聞こえは良し、娘御のお菊殿は私妻にきっと申し受けましょう。 はあう、忝ない、お嬉しい、さあ、望みが叶いましたぞ。お侍の言葉ですから、底念を押す(しつこく念を押す)のは憚られますが、仲人なしの縁組の証拠のために、ちょっと御誓言をお聞きしておきたい。 お念入れはご尤もです、二度と鎧具足を肩にかけず、市之進どのお差料(腰に差す物、佩刀)に刻まれ、屍(かばね)を往還に曝す法もあれ、と言い終わらせないで、もう、よござんす。勿体無い。今日は吉日、今宵台子の傳受の書、印可の巻物を渡しましょう、と言い、それ、お供の衆を戻しなさいな。まだ娘には会わせません、私に似たのならば定めし悋気深かいでしょうから、脇に心を散らさずに一筋で頼みます。浮気などがあったならばこの姑が悋気の後押ししてやりますよ。お持たせの銘酒、お前と私がこうして樽に手を掛ければ、契約の盃事をした心。橋が無ければ渡りがない、物事には段取りを踏むことが必要です。台子が縁の橋渡し、この樽も橋渡し、橋にて祝う鵲(かささぎ)が天の河に橋を架けると言うが、その鵲が血を流すようにやがて権三とおさゐのふたりが橋上で血に染まって死に、世上に謡囃される事になる前兆だったのだ。 再び玄関で老女の声がした。女子衆よ、ちと頼みましょう。川側(かわずら)伴之丞の妹お雪と言う者の乳母ですが、ついぞ一度もお目にかかってはいない。お慮外ながら奥様に、密かにお話致したきことがありましてお雪の使いやら何やらと押しかけて参りました。その旨を奥にお伝え頂きたい。そう言い入れたのだ。 権三ははっとばかりに顔色を変えて、さてさて、思いもよらない奴が何の用があって参ったのか、われらには大禁物、見つけられては迷惑。こっそりと相手の目に付かぬように帰りたい。そう言ってうろうろ眼(まなこ)に成ったので、はて、伴之丞の侍畜生、その妹の乳母、何の気にすることがあろうか。侍畜生と言う訳を聞いてくださいな。主ある私に執心かけ度々の状文、夫が有る身を踏みつけにする不義者です。使用人衆にも訴えて恥をかかせたやろうと思ったのですが、侍が一人廃る事ですから、市之進殿が帰れては人の生死の問題にもなるいことですから、中を取り持とうとした下女に隙をやりまして、兄の不義の使いに妹の乳母が来たのでしょうよ。直ぐに会うのも口惜しい、留守を使って奥から様子を立ち聞きしてやろう。女中の女子ども、挨拶して、相手の言いたいだけのことを言わせて、そのまま帰してしまえ。権三様をあの婆が姿を見ないようにしてそっとお帰ししなさいよ。権三様、夜に入ってから人も静まってから必ずおいでなさいな。傳受の巻物をお渡し致しましょうから。そう言い捨てて奥に隠れるように入った。 萬は機転が利いて才覚のある者、無言で権三に合図を送り、袖屏風で権三を囲い、のうのう、お乳母殿とやら、この暑いのにお年寄りが御大儀ですね。どれ、大汗を拭って進ぜましょうと顔にぺったりと手拭いの縮の布で相手の皺だらけの顔を揉む草の、どさくさ紛れに忍ぶ草、権三は抜けて帰ったのだ。
2025年02月13日
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槍の権三(ごんざ) 重ね帷子(かたびら) 上 之 巻 君八千代、国は治まる、主君が江戸詰めで御留守であっても、弓馬を嗜む梓弓、馬の庭乗り、遠乗りなどと遥かにいでし浜の宮、鳥居通りの流鏑馬(馬を走らせながら矢を射る武芸)馬場、並木に落ちる風の音、とどろとどろと打つ波も、海中に乗り込むこともできそうな力量と思われる、表小姓(武家で、奥向きの侍女を奥小姓というのに対して、表勤めの近侍を言う)が大勢いる中でも笹野権三とて武芸の誉れも高く世人から槍の権三は、身なりも身振りも目につく、どう見ても良い男だと謡い囃される美男草。女色と男色の二道の恋草に身を任せながらも馬を飼い慣らし、飼い慣らしして、赤みがかった葦毛の駒。前脚を上て勢いよく跳ねる疳が強い癖馬、雪を噛み砕く白泡に、三焦(さんしょう)よしの良馬である。尾は青柳のように垂れている、しったりしたり、したしたした、かっしかっしかっし、と歩行する。大坪流(室町初期、大坪慶秀が始めた馬術の一派)の鞍のうち、稽古に心を染め、手綱をかいくり、かいくり、乗り拍子、はいとかけたる一声に、両口を離す奴の頬にぴんと跳ね上がった鎌髭も、共にはねたる俊足や、袴の裾に風を受けて小波(さざなみ)が寄せる須彌の髪の鬣(たてがみ)、しっしっしっと乗り戻し、引き回し乗る。袖摺りの松も、女松十八公(松の字を分解するとこうなる)その年頃の振袖の京染め模様に外出時の菅笠姿、家中の誰の娘であろうか。 お乳母らしいが小風呂敷、権三見る目の美人顔の糸薄のように細い目、ちらりほらりと馬の先を避ける振りをして邪魔をする。 権三はそれだと見た人を心に覚え、風呂敷、これ、この帯の刺繍見て下さんせ。丸に三つ引き、お前の御紋、私は裏菊、良くはないけれども私の細工したもの。大小の両刀を差しても緩まぬように、帯芯に念を入れたけれど、絎(く)け口(絎け縫いは合わせ目が見えないように縫うこと)がお気に入るまい、さりながら、末永く縫い仕立てて召さねばならない。どうぞ本式の仲人を頼んで正式な結納はお前の方からしてくださいな。此れはまずそれまでの心頼み、この帯の如くに何時までも、お腰元を離れずに添い纏って下さいませ、きっとですよ。と言いながら、鞍の前輪に打ちかける、その手を取ってじっと締め、何とも言えないほどに嬉しい心、八幡の神にかけて我らも心底は変わらないぞ。この馬も聞いているぞ、畜生の心は人よりも恥ずかしい。こりゃ、証拠に立て、馬よ、聞いたか。聞いたかと言うのだが、どうしてそれどころか馬の耳である、風に嘶くだけなのだった。 権三は帯を畳んで、懐に押入れ、あれあれ、浜の方から栗毛馬(馬の毛並みがたてがみや尾共に赤褐色なのを言う)の遠乗りは、舎兄の伴之丞だ。はあ、本当に乳母兄様がそれそこへ、 やあ、旦那様か、これは大変だぞ。見つけられたりしたら後の邪魔になる。先ず、こっち、こっちと本社の方へと走ったのだ。 程もなく伴之丞が走り来たって、や、権三、御身も遠乗りか、ひどく精を出して馬持ちが良いので、その月毛(つきげ)も一両年でめっきりとよくなった。買い手があれば売ってしまい、五両も七両も利鞘を稼いで、また後から安馬を買い置き調教して売りさばいたならば、金持ちになれるぞ。よい調教の芸を覚えて幸せだと人を貶す口癖、権三、気立てをよく知って、おおさ、小心者の馬の手入れ、満足に飼料もろくに与えないから、見かけばかりでいざという時の役には立たない。御身達は大身ゆえ人手は多く飼料もよい。すは、という時に癇が強く他の馬を駆け抜くのはお身の馬だ、大事にかけられ秘蔵なさるがよいと言ったところ、むむ、その言い分は先ごろニの丸(城郭で主将のいる本丸の外側の郭)の桜の馬場でその月毛にこの栗毛が歩み負けたあて擦りか。 さあ、一馬場攻めて勝負をしよう。さあ、さあ、乗れ乗れ、と気をいらだたせている。いやさ、心得たと言いたいところだが、今まで乗って試みたところでは人馬共に疲れて、もう帰宅致す所存だ。後日の次の機会に勝負いたそうぞ、小者どもついて来いやい、と言ったのだがどうしても聞き入れずに、いや、草臥れたとは負け用心の卑怯な言葉だ。勝負せねば堪忍できない、と言って手綱を繰り出した。 権三も、今は力なく仕方なくて馬には一息つかせたのだ。我が身の汗も引いたところで、月毛の駒に櫻狩り秘密の手綱(馬の息遣いを測って走らせる鞭の当て方で、武術の秘伝である)を繰り控えて、繰り緩めて互いに左右から輪状に乗り回して、馬の鼻を並べて駆け出させる競馬の作法。ともに相手に負けまいと二三遍、入れ替え入れ替え、乗ったのだが、権三の馬は駿馬で出発の際に手綱を緩めて角(かく)を入れ(鐙・あぶみの絞具・かこで馬の脇腹を蹴ること)、はうっ、とかけた声のうちで一散に駆け出した。 伴之丞の栗毛が鞭影に尻込みして、打っても引いてもひゃくっても前脛掻いて高嘶き、躍り上がり、跳ね上がったので伴之丞は鞍の上に身を支えていることができずに屏風返し(あおのけざま)にどうとばかりに落馬してしまった。木の根に腰骨を打ち当てて、あ痛、あ痛、という声で、馬取り中間草履取り等が主人の恥を打ち忘れて、一度にどっと笑ったのだ。 権三は驚いて飛んでおり、怪我はないかと立ち寄れば、こりゃ権三、相手はお主の月毛馬だぞ、こっちへ渡せ、斬って捨てるわ。馬を渡せ、あっ痛い、あ痛。腰を揉め、中間共め、うぬ等も首が危ないと権三の方を尻目にかけて相手知れずのむかっ腹。 権三も謂れのない言い掛りなので相手をするには及ばないと、身を控えて立っていたところ、進物番(下から進物、上からの進物を扱う役)の岩木忠太兵衛、六十八歳でも生来堅固な身体、赤銅色の月代(さかやき)は剃りたててで、や、御両人は此処においででしたか。御宅にでも参るべきところでしたが、良い所で御意を得た。江戸詰めの御家老方から御状が参って、この度の若殿御祝言につき目出度くあい済みお慶び、お国において当月の下旬に近国のご一門方への御振る舞い、御馳走の為に眞の台子(だいす、正式の茶の湯に用いる棚。その台子を飾る方式に真・行・草の別があり、真を最も重視した)の茶の湯なさるとのこと、是れによって我らが聟(むこ)の浅香市之進も江戸にいて留守であるから御家中の弟子衆の中で真の台子を伝授なされていらっしゃる方へ、御広間での本式の飾り(床に三具足、脇棚に食籠や盆栽などを飾ること)物等勤めさせ申せと、御留守御家老衆より仰せ付けられたとは申せ、一体どなたが伝授なされれておられるのかを存ぜぬ故にお尋ね致す。この度の御用に立てば第一には御主君への御忠勤ともなり、その身の手柄、聟の市之進も本望、何と御両人、聞き覚えがあって茶の湯での名をあげるつもりなら、この機会が絶好ですぞと語ったのだ。 強情で高慢な男である伴之丞は、はああ、真の台子などは簡単なこと。伝授の許しは受けてはいないが、秘事は睫、秘伝など言えば大層らしく聞こえるが知ってみればわけもないこと。色々と私は心得ておりまする。これまでの数年の稽古もこの度の御用にたとうがため。この度の御用は拙者が承りました。ご安心なされて下さいな。 これは先ず珍重、権三殿はご存知ないのですかな。されば存じたとも申されず、存じないとも申されない。総じてこれは茶の湯の極意、家々の傳は多いけれども師匠の市之進の一流は足利将軍義政公よりの正統な嫡傳であり、一子相伝の大事であるから権三體(てい)が茶の湯で伝授の許しを受けようはずもないけれども、師匠の話を聞きかじった儀もあり、大体は他からの非をうけぬ程度の御用の間には合わせられましょう、その権三の言葉が終わらない内に伴之丞は、はて、か程に大事な晴れの御用に間に合せで済むものか。この御用は伴之丞が一人で勤めるぞ、忠太殿、そのように心得召されよ。そう言ったところ、いや、我一人の勝手にも成りもうさない。娘ながらも市之進の女房、彼女の所存もある事故に、仮初ではない真の台子の伝授事。誤りがあったりしたならば殿の恥、諸事について談合づくでの仕儀が良いはずじゃ、さあ、御両人、お帰りですか、同道致そう。ともかくもと伴之丞はびっこを引きながらちがちがと腰を引く。 忠太兵衛は頬憎(つらにく)く、こなたは腰をお引きなされるが疝気(漢方で大・小腸または腰部などが痛む病気の総称)でも起こったのかな。 さればされば、拙者ほどの馬の名人ではあるが龍の駒にも蹴躓き(弘法も筆の誤り)ありで、馬から落ちて落馬致した。と、片言(かたこと)やら重言(じゅうごん)やら、忠太兵衛は可笑しくて此奴をからかったやろうと思って、馬から落ちて落馬したとはいかく念が入った落馬じゃな。痛むのが道理、いづかたも落馬が流行る、生駒新五左の瘧(おこり、熱病のひとつ。一、二日の間を置いて間欠的に熱が起こる)も妙薬一服で影もささずに落馬致す。我らは今朝他所に参り、大事の精進をつい落馬致した(うっかり魚・鳥の肉をくちにしてしまった)。このように落馬の流行るときであるから、うっかり口論などはなされぬがよい。首が落馬致すやも知れぬ。渋口(しぶくち、重い洒落)言うのも茶の湯者を聟に持った身の習いじゃぞ。 昨日は今日の昔とか、初昔(はつむかし、3月21日に摘むので言う。昔は二十一日の合わせ字)の世の人の口に合う茶の名所。人は氏より育ちとか、浅香市之進の留守中の宿、おさゐはさすが茶人の妻である、趣味もよく、気も派手で、三人の子の親であるが華奢(きゃしゃ)で骨細、生まれつき形振りが慕わしく自然に床しく思われて三十七歳とは思われない。 数寄屋造りの茶室の周りを掃き拭い、下女や中間にも手を触れさせず、箒を手から離さない綺麗好き。爐路(ろじ、茶の湯で腰掛けや雪隠などを設けてある区域)の飛び石、敷き松葉、石灯篭は苔むして巌(いわお)となっている手水鉢、植え込みの木の下陰の落ち葉を掻く、このように成るまでに夫婦として生ながらえた。子供の末を高砂の松の栄を祈っているのであろうよ。 中息子(なかむすこ、三人兄弟の中の男児)の虎次郎が棹竹を横たえて、年季奉公の角介は杖をひっさげて爐路の中に走り入った。景清はこれを見て、物々しやと夕日影に打物をひらめかして切ってかかれば堪えずして刃向いたる兵(つわもの)は四方にぱっとぞ逃げにける。えい、やっとう、えい、やっとうとぞ撃ち合いける。 やい、やい、やい、巫山戯るのもたいがいにしなよ、そこなぬく奴(め、愚か者)、見事に男の数に入りながら、江戸へのお供の中にはよう入れないで、小さい子を相手にして怪我でもさせないでおくれよ。お数寄屋の壁に疵でもつけたらどうするのですか。これ、虎次郎や、あの馬鹿を相手にして日がな一日を悪あがき(悪ふざけ)してばかり。ひとつひとつを帳面に記入しておいて父様(とつさま)がお帰りなされたらきっと告げるので待っていなさい。 叱られて虎次郎は、いや、母様(かかさま)、悪あがきはしていませんよ、わしは侍ですから槍遣いを習っておりまする。これのう、そなたももうじき十歳じゃ、それ程の事も分からないのか。侍は侍で知れていることです。さりながら、父様をご覧なさいな。御前での首尾もよくて御加増まで下されたぞ。武芸は侍の役目で珍しくもない。茶の湯を上手になされるので、人から立てられて大事にされている。小さい時から茶杓(ちゃしゃく)の持ち方や茶巾(ちゃきん)捌きなども習っておきなさい。長々の留守の間に子供が悪く育ったなどと言われたなら母様がどのような躾をしたのかと、母が悪い評判を立てられるのも恥ずかしい。男の子は男の子です、祖父(じい)様の所に行って大学でも読み習いなさいな。ばかよ、お供をして暮れ方には連れ戻しなさい、と内外までも気を配るのだった。
2025年02月11日
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その烏丸で酒に酔って忘れて、ひょっと言ってしまったら困る。この春はもう烏丸には行かないでくださいな。来年の正月には私が上って目出度く祝いましょう。烏丸の代わりに、此処で盃を出したいのだが折悪しく酒を切らしている。これで飲んでくだされと、二三匁の豆板(指頭大の銀貨)を二つ、飲ませぬ酒樽の代わりの口止め料。 はあ、何でこれで申しましょうか。酒の入った樽よりも酒の入らない木樽の酔い心地の方がよい。却って木樽に酔いました。こうしてうまい目にあった漫才が、舌鼓を打って帰ったのだ。 おさんも憂き世が恐ろしく、茫然としているところへ茂兵衛も青い顔をして立ち帰った。ええ、さっさと戻りもしないで、今更に運勢が開けるわけでもなく、恵方参りをしていたのですか。たった今、毎年京に来る顔馴染みの漫才が、不審がったのでもっともらしく嘘をついて帰すことは帰したが、どうやら此処でも恐ろしくなって長くいられるとは思えない。そう語ると茂兵衛も、呆れ果て、さあさあ、盆も正月も一時に来ました。天知る、地知るでこっちは知らなくとも、今の漫才と同じ類で、栗売り、柴売りのと丹波から京に出る者は大勢いる。あれが言い、これが聞きして我々の所在が知れたとしても不思議はありません。助右衛門を始めとして旦那の一家が隣在所に宿をとっているそうです。その上にたった今、但馬の湯治客を乗せて通る駕籠舁きが不思議なことを言いました。大経師のおさんが奥丹波に隠れている様子が知れて、京のお役所からここの代官所に解状(げじょう、罪人召し取りの公文書)が着いて、在所在所を尋ねるその使いを乗せた早駕籠が、老いの坂下から二里の間を一貫四百匁、一人について七百匁の賃金に預かったとたった今通りました。そう、身を震わせながら言う。 はて、何としましょうか。今までが不思議な命。しかし、今ここで死んだりしたら父様母様の嘆きがお愛おしい。一日でも生きながらえるのが親孝行です。今夜のうちに退散しようではないか。 如何にも、如何にも、あの道順様のお志の一貫目のうち、二百目を使って、残る八百目をこの家主の助作に預けて置きました。大事のお慈悲のその銀をこなたと私でしっかりと抱いて死ぬ金であるにせよ、それは仕方がないにせよ、みすみす他人にくれてやっては罰が当たります。そう思って、先ほど帰りがけに寄って申したところ、追っ付け持っていこうと申す。その銀を腰につけて、丹後の宮津に兄弟同様にしている者がいる。そこまでどうにかして逃げましょう。それまでに運が尽きていよいよ最後となった時には日頃申している通りに、悪縁と思ってください。私ゆえに大事なお身を捨てさせましたと涙ぐみ、打しおれて見えたので、また同じ事ばかり、それは互の不運な因果づく。ただ、忘れられないのは二人の親、さて愛しいは幼馴染の以春様。こなたも私(わし)も微塵も曇ってはいないこの心、言い訳してから死にたいと、またさめざめと泣いているのだ。 家主の助作は案内も乞わずにつっと入り、やあ、新六様、先程はようこそおいで下さいました。預かりの八百目ですが、ただ置いておくよりはと少し手廻し致しました。急にはどうも整わないのです。一両日待って頂きましょう。こな様もあんまりです、あの様な傾城を受けだした上に、更に銀を使うというような昔の大尽気質はお止めなされ、と言ったところ、いやこれ、助作さん、あのお方の入用ではないのです。皆私の必要なのですよ、勤めの身はな、全盛するほどに世間が張って、辛いもので御座んす。懇ろな客から借りた金で、今宵中に返済しなくては義理がすまないのです。その代わりにはあのお方の勘当がとけて大阪に往きましたなら、夜でも夜中でも言って来てくださいな。八百貫目や八千貫目は誓約に背くのならば身体が腐ってもよい、無利子でいつでも用立てましょう。 あの通り、あの通り、近頃御苦労千万ながら、どうぞ頼み申したい。むむ、如何にも聞き届けましたぞ。それ程に急な話とは知りませんでした。七つ過ぎ(午後の四時)暮れまでには必ず持ってきましょう。御夫婦の手元に入れておいた借用証文も金と引き換えに返して貰います。必ず内にいらっしゃい。 おお、動きも致しませんよ。と、約束も堅く銀が敵とは知らなかったのだ。身のなる果が浅ましい。さてさて、とろりと一杯騙してやったぞ。今の遊女の真似も普段から芝居が好きでよく見ていたから出来た事。助作から銀を受け取ったら直ぐに、駆け出して急いだら、夜の内に七八里は楽に行ける。宮津に落ち着いたなら天の橋立の南にある文殊菩薩の知恩院様には母方の縁があるので、頼んだなら嫌とは言わないだろう。 そろそろ用意をしようと、帯を締め直し、身拵えするうちに、鉄棒(鉄の棒の頭に数個の鉄の環をつけて地面に付き鳴らして行くもので、捕手などが道を警戒し、威を示すのに用いる)の音がして人の足音が頻りに近づくのだ。 やあ、気味が悪い、はあ、南無三宝、口惜しい。助作めに出し抜かれたのだ。おさん様、もう逃れられない、未練卑怯な働きはなさらないことです。おお、覚悟した、合点じゃと表を見れば捕手の役人が助作を先に立てて、捕った捕った、捕った捕ったと乱れ入る。 茂兵衛は臆せずにつっと出て、見苦しいぞよ、お侍、合口(鍔のない短刀)一本差してはいない町人です。手向かいは致さない。伜の時代から柔当身(人の急所を拳で突き、一時気絶させる柔術の手)を稽古していざと言う緊急の際には腕は細くとも、お侍の五人や七人は失礼ながらキャッと言わせて地に這わせる術も心得てはいるが、元を言えば主人の勘気に触れるようなことをしたから。主人に歯向かうも同然と心得て手向かいは仕らぬ。ここいる女性について申し訳はあるがそれも今は無用である。不義ならば不義にしてさあ尋常に括れ、捕った捕ったと、引き伏せ引き伏せ、高手小手、顔色も変えずに縛られた男も女も健気なので、捕手の武士は我を折って、哀れだと言わぬ人もいない。 おさんは涼しい目の中に、助作をはったと睨み、ええ、さもしい土百姓、おのれは少しの欲に目がくらんでよくも訴人してくれたな。申し殿様、あいつに八百目の銀を預けてあります。こうなった身に金銀は不要ですが、これは親の情けの銀です。京に上せて黒谷のお寺に戻して下さいませ。 言い切らない内に助作は禍々しい顔つきで、ああ、恐ろしい女め、何時おのれに銭三文も借りた覚えはないぞ。五十日ばかり家を貸して、その上に宿賃だ、米だ、味噌だと算用したならば銀二三百匁は当然にこっちに引き取ってよいはずだぞ。八百目を預けたとは、この生き騙りめ、と争うところを茂兵衛が罪人として役人が引き立てる縄をかいくぐって助作の横腹をはったと蹴り倒した。 たかがこれくらいの目腐れ金のことで、おのれ風情に偽りは言わないぞ。よいよい、おのれにくれてやろう。八百目の銀、貴様の根性相応に、今のうちはせいぜい偉い金持ちになったとほくほくしているがよい。閻魔の前では勘定をしろと頬桁の三つや四つ踏みつけて、何食わぬ顔でいるのだった。 私はこの度お願い申し上げました御領内の助作の従兄弟の、京の大経師以春の手代助右衛門と申す者、御苦労千万におさん茂兵衛を絡め取って下さいました。我々主従は本望で大悦でござりまする。縄付きの二人を請け取りて早々に京に立ち帰りたい。お渡しくだされますようにお願い申し上げます。と、謹んで述べた所、役人は顔色を変えて、そいつを引きずり出せ。無礼千万であるぞ、縄付きを渡せだと。貴様等に頼まれたから捕縛したのではないぞ。京都かたの解状(げじょう)により搦め捕ったのだ。直ぐに京の牢屋に引き渡す。とりわけこの罪人は色々と問いただすことのある者達だ。慮外を申したならおのれも一緒に搦めると叱責されて助右衛門は揉み手をして退いた。 そこへ赤松梅龍が早駕籠で駆けつけ、首桶を引っさげてつかつかと姿を現した。我らは大経師以春の下女の玉と申す者の請け人であり、伯父でもある赤松梅龍と申す者、この度おさん茂兵衛の駆け落ちの事については、少しも両人には不義の意思はなく、この玉が謂れのない確たる証拠のない言葉を聞き違えて、嫉妬の心が余って、聞き違いの誤りであって思わずも不義の虚名を取ったこと。詮ずるところ玉めが口からなした業、科人は玉一人、即ち玉の首を討って参ったからは両人の命は助けて下さるべくと、桶の蓋を取れば玉の首。 おさん茂兵衛は一目見て、はや先だったかや、儚やと心も消え消えになり半ば気を失ったようになった。 代官の役人は意外な事態が生じたので手を打って、はああ、早まった梅龍、この両人の囚人は科の実否が定まらずに、京都において仲立ちの女、その玉を証拠に詮議があり、事の次第が明らかになり、おさん茂兵衛の他に玉も加えて三人ともに助かることもあったのに、肝心要の証人の首を取って、何を証拠に詮議有るべき手段もなくなったぞ。残念、残念、二人の罪過は決まってしまったぞ。首も一緒に京都に渡せ。早々、罪人を引っ立てい。下役人達が、承けたまわりましたと引き立てれば、梅龍はつっ立ち地団駄を踏み、ええ、ええ、早まった、仕損じた。七十歳に及ぶ老齢の梅龍がしでかした一生の誤り。此処でむだむだと腹を切るのも我ながら気違いじみている。死の道ずれが欲しいものだなあ。 やあ、助右衛門、おのれを斬って人を殺した誤りと、共に罪過に行われんと、するりと抜いて打ち付ければ、額の真ん中を切られて朱に染まって逃げ出したのだ。首を取らないではおかないぞと、駆け出したのを大勢が取り付いて、乱暴はさせぬ、狼藉ならぬと抱きついた。乱暴は承知の上でやることだ、放せ、放せと駆け出しても自然に止まってしまうのも、老人の力の限界で、ただ、止まらないのは罪人を引いて行く駒の目にさえ涙が浮かび、轡にかかる白泡の哀れを残すばかりなり。 おさん 茂兵衛 こよみ歌 乗る人も、乗せたる駒も、遂に行く道とは知れども最期の日が今日か明日かと迫ってみれば、自分だけがこの世から露の命と儚くも消えるのかと、あまたの人の命乞い、それを杖とも柱とも頼みにしているが、柱暦の紙が破れてしまい、京都は今年の恵方だが二人にとっては不吉の方向だ。思い返せば胸が塞がる。月により特定の方角に向かって事をなすのを忌む月塞がり、駒の足は速く進む。光陰矢のごとくで、立春から八十八日は思いも及ばない。年は十九と二十五、名残の霜を見上げれば、空に知られない露の雨がはらはらほろほろと縄目に伝い、鞍坪にまで落ちる涙の十方暮れ。 泣く泣く引かれて行く姿、よその見る目も哀れである。人の目を盗んでしたことが露見して、不義だの何だのと噂されて、庚申は今日で、明日は甲子(きのえね)、木の上の身とは知らずに男女で逢った夜の報い。世上の口に謡われて、合わせてみても合わぬ中、丸い苧小笥(おごけ)に角の蓋、眞苧績(まおう)み貯めて綯い混ぜて今は我が身の縛り縄。謗りを受ける情けなさ。 おさんが茂兵衛に言うことには、由のない女の悋気のせいで何の科もないそなたまで、不義者と呼ばせてしまい命まで失う目にあわせてしまった。湯殿始めに身を清め、新枕した姫始め、彼(か)の着衣(きそ)始め、引換えて引かれる駒の蔵開(くらびら)き、天一天上の八方塞がりで心の休まる暇もない。五衰八専間日(まび)もなし。ただ何事も坎日(かんじつ、凶日)と声も涙にかき暮れるのだ。 茂兵衛は次第に顔を上げて、それは愚かですよ、おさん様、火に入り、水に入るのも定まっていた前世からの悪因縁です。そう諦めて未来の黒日(大凶の日)の苦労を遁れ、春秋の二季の彼岸にいたらんと念じましょう。南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏、の太布を帆に掲げて、共に弘誓(ぐぜい)の船(仏が衆生を導いて生死の苦海を越え、涅槃の彼岸に達するのをたとえた)に乗り、紅蓮の井戸掘り、焦熱の地獄の釜塗り、仕方がないと急ぎもしない道をいつの間にか、過ぎて冬至の冬枯れの、木の間木の間にちらちらと、抜き身の槍の恐ろしや、あれでそなたの身を突くのか。これでそもじを殺すのかと、血忌み(鍼灸・殺生などを忌む日)も今は偽りだと二人は顔を打ち合わせて、口説き、焦がれて、なく涙は馬の尾髪まで浸すであろう。また冴え返る夕嵐、雪の松原此の世からかかる苦患に遭う、往亡日(おうもうび)、島田が乱れてはらはらはら、顔には何時の半夏生(はんげしょう)、縛られた手の冷たさは我が身一つの寒の入り、涙は指の爪取りよし、袖に氷を結ぶのだった。 つくずくと物を案ずるに、我は劔の金性(かねしょう、人の生年月日によりその性を木火土金水・もくかどきんすい、の五行に配当して吉凶を説いた。陰陽家の説)で、刃にかかる約束なのか。わしは土性で墓の土、どうして墓に埋められないで遂に木性の木の空に、屍を晒し、名を晒し、何度も小唄に作られて強いい処刑で粟田口、蹴上げの水に名を流すのか。 おさん茂兵衛の新精霊、不躾ではあるが手向けの草。同じ罪科の下女の名の、魂も冥土の通うのだが、魂魄はこの世に留まって、共に浮名をくだされても冥土では主従がともどもに、娑婆で手馴れていた玉の業、無間の釜で茶を沸かし、往来の人の回向を受けて、我が身の悟り開く日(にち、外出・移転・雇人などに吉の日)、ああ、嘆くまい今更に、何をくよくよと凶會日(くゑにち、一切のことに凶の日)で、悔やむも由無し。引き寄せて結べば露の命であり、解けば元の道の芝、やがて往こう亥の子や、五里六里、十死(黒日に次ぐ大凶の日)の過ぎて、これぞこの小川通り三途の川、牢の町さえ近づけば、見物の群衆がとりどりにこの身ならぬ、暦の噂を繰り返す。思えばわしの嫁取りよし、わが昔の元服も良かった。その吉ではないが蘆に鷺、裾の模様も絵に写して、筆に連ねて末の世に語り続けて聞き及ぶ。 道順夫婦、群衆の中を押し分け押し分けして、犯した罪が重ければそれだけまた慈悲と言う名も重くなる。磔にも獄門にもこの爺媼を代わりに立て、二人を助けてくだされや、とおさん可愛やと縋り付けば、警固の者が寄ったならばぶつぞと追い払う。 黒谷の東岸和尚が袖をまくりあげて、韋駄天(俗に足が速いとされる仏法守護の神)の如くに走り寄って来て、出家に棒を当てたならば五逆罪だ、五逆罪だ、さあ、おさん茂兵衛、この東岸和尚が助けたと、持っていた衣装を打掛け、打掛して、肘を張って立ったのだ。 役人頭が腹を立てて、罪過が決まった召し人を助けるとはお上の威光を軽んじる行為だぞ。御坊の仕方は許されない、許されない。それ、衣を引き剥げ、引き剥げ、とどっと寄れば、これこれ、出家と侍とは悟りについて同様だ。助けると言う意味は、過去・現在・未来の三世に渡って変わることのない僧衣の徳によって言うのだ。愚僧の念願を相叶えて二人の命を下さるならば、衣の威徳によって両人の未来は救われたことになる。もしまた罪に沈んでも、愚僧が弟子になすのであるから、未来を助ける衣の徳だ。現世でも未来でも、助かることは同じだ。文字は二通りはないぞ。さあ、助けたと呼ばわる声、諸人がわっと感動する声。尽きることなく万年暦(特定の年に限らず、いづれの年にも通じる暦)、昔暦、新暦、当年正徳五年の干支は乙未(きのとひつじ)の初暦は目立たく開け始めたのだ。、
2025年02月07日
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血筋の繋がっている親子の縁というものは不思議なもので、おさんの親の道順夫婦、娘の浮名は隠れもなく、なまじい生きているのが辛い老後の恥、人に面も合わせられない。月の出ぬ先の暗い夜道を辿って子を思う故の心の闇、黒谷の菩提所へ徒歩で向かう夫婦連れ、伴につれた少女に風呂敷包みを持たせて、包む涙でとぼとぼと行き過ぎる軒の下、二人がしくしく泣く声が耳に止まったので立ち止まり、おばば、あれは合点がいかないぞ。何者であろうかとよく見えない老眼で、あたりの闇をすかしてみた。 行灯の陰に茂兵衛の方が先に姿を見つけて、あれ、おさん様、下立売りの親仁さまですよ。ねえ、父(とつ)様かいな、と走りより、取り付くところをついと退き、やい、畜生に父様と言われる覚えはないぞ。と言っても泣きながら、泣きながら、手を振り上げて娘を打とうと藻掻く杖の下で、母親は気が気ではなくく、行灯の火を吹き消して、娘を袖に押し囲い、ねえ、親仁殿、おさんめは逃げました。もう我慢してくだされと、おさんの姿を隠すのは母の慈悲。打とうとするのは父親の慈悲。両親の心に違いがあるとはおさんはとても思っていない。 哀れは同じ涙の闇、煩悩の多い人間は子供のこととなると更にその悩みの迷いを重ねるものだ。道順は不覚の涙にくれて、はあ、道順の未来成仏も最早叶いそうにない。一人娘のことであるから婿をとって、家を継がせるはずであったが、近年は諸国への問屋への借金の支払いも出来ずに家屋敷をも人の手に預ける零落の身の上、この後始末を娘に引き継がせて苦労をさせる可愛さに、自分ひとりきりで家を潰し、嫁入りさせた親心。先方の以春にしてもその事は承知の上、道順の娘であれば嫁入り道具も持参金も要らない。育てた親に見込みがある、娘の心が土産だと慕われた根性に、畜生の魂がいつの間に入れ替わったのか。情けないやら、恨めしいやら、あの池に住む鴨や鴛鴦を見よ、軒に巣を組む燕(つばくら)も牡鳥一羽に雌鳥一羽、女男とが一番(つがい)であるのは生き物一般の習いだぞ。多くの雄と交わって毛色の変わった子供を産むのは犬や猫でなくて何処にいるか。親は犬には生まなかった、猫になれとなどは誰が育てたか。畜生に対しては言葉を交わさないぞ。これから言うことはわしの独り言じゃ。所詮こうなってしまったからにはやまの奥にでも身を隠して、逃れられるだけは逃れるべきなのに、そうしないで京近辺をうろついて瞬く間に召し捕られ、洛中を引き渡されて、親が大事に撫で育てた体を槍で突かれて死にたいのか。体にも恥をかきたいのか。生きようが死のうが、この道順は悲しいとも思わず、涙の一滴もこぼさないが、ばばが泣きやるのが悲しいぞ。わっとばかりに堪えかねて余所をも恥じずに大声挙げて、夫婦は老いの息切れに、噎せ返りながら嘆くのだった。 茂兵衛はひれ伏して、とかくの言葉もなく泣くばかり。おさんは母親に抱きついて、我々二人に不義の誤りは微塵もないのですが、これこそは不運な運命に操られたと言うべきことで、言い訳が立たない羽目に陥り、京洛中に畜生の名を流し、罰が当たってしまったからには、今更に不義では無かったなどと誓文を立ててみたところでしょうがない。父(とつ)様のお腹立ち、母(かか)様のお恨みも、私が可愛いゆえですから来世をかけて形見の言葉、我々は天網恢恢として粗にして漏らさずと言う天罰に当たったのに、命があるうちに親たちに会えたのですから、高い磔柱の上に縛り付けられて人目に晒されて槍で突かれても思い残す事はありません、と口説き嘆くと、まだ抜かすか、と道順は、その槍で突かせまい、木の空に上げまいと思うてやきもきして胸を焦がしているのだ。また絶えいって泣沈む。 母は涙の数珠袋、袱紗物を取り出して、これ一歩判金が二つと白銀(しろがね)も少しある。可哀想に肌薄な、路銀に窮して脱いだのですね。これを茂兵衛に渡して駕籠に乗り、京の地を一刻も早く立ち退いて必ず、必ず、悲しいことを聞かせて、泣かせておくれでないよ。そう言って泣きながら渡せば、押し頂き忝のうございまする。中に着ていた浅黄縮緬は奈良の町で売り放し、その上に着た蘆に鷺、今年の秋にお前様が下さった物、未来までも母様の形見と思って着ていましたので、寒いとも思わずに、見つけられたが最後でそれまでしか生きられない私の命は、たとえ乞食をしてでも生きていけましょうが、気になるのは来世のことです。この着物はこのままで留め置いて死んだあとの弔いにと、嘆けば母も、ああ、悲しい、また死に支度ばっかりをと尽きぬ涙の、露霜の白いのを見れば夜も更けて、夜空に出ている月は冴えかえっているが親子の袖は時雨れているのだ。 茂兵衛は千万無量の思いに心も乱れて、物も言えずにいたのだが、私は男でありながらこのような仕業をしでかしてしまい、のめのめと命を永らえることも考えておりません、おさん様のお命を何とかお助け致したいと存ずる故に、お宿許におさん様を御同道なされてお命お助け下されば、科は私一人が受けまして、立派に死にたいと思います。どうか、この申し出をお聞き届けください。そう言って手を合わせて泣きければ、ああ、愚かしい事を言う人じゃ。私一人が生きながらえ言い訳が立つほどであるなれば、二人がこのまま生きても言い訳が立つ筈ではないか。取り違えようがどうしようが、以春と言う男を夫に持ちながらそなたと肌触れて寝たことは事実、たとえ別の人間に生まれ変わることができるとしても、この悪名は削り取れない。そなたは酷く狼狽えてしまったようだ。言う事までもが軽はずみだ、そう言い窘められて茂兵衛も、ああ、そうですね、はあ、あれ、三条通りの車の音。夜明けまでには程もないでしょう、行先の当て所はないけれども、私の在所である丹波の柏原(かやばら)まで落ちてみましょう。さあ、暇乞いをなされませ。そう言ったのだが親子の一生の生死を争う今はの別れである。月が出ない前には顔が見えない。いっそ思い切るべきですの言葉に、なまじ月が出て、親子が互いに見交わすだけ、却って思い切りがつかない。生半可で月も恨めしかろう。 母は悶えて、これ、親仁殿、もはや脈が止まった死病の者でももしやと薬は盛ってみるもの。天にも地にもたった一人の大事な娘。見つけられれば殺される、手放して遣られようかいな。さあ、一緒においでなさい、爺婆が付き添って死ぬならば親子が一時にと、気も狂乱の口説き事、道順も耐えかねて、それは口に出して言うまでもないことだ。如何なる大病や難病でもちょっとした配剤の加減では、助かるのもある習いだが、息の絶えて死人でも二十四時間は待ってみる。唐天竺日本国の名医の薬を浴びせても、天下の法に背くと言う大病に勝つ力はないぞ。たった一つの頼みは以春の方に手を入れて、心を宥めて見ることだ。もしそのうぬちに召し捕られ、すわ最後と言う時には白髪頭を大地に擦り付けて命乞いもしよう、身代わりを願うのもその時だ。なまじっかに親が手を出して匿ったと知れたりしたら、先方も意地を張って許したくても許せなくなってしまいだろう。親や召使からも見限られて、憂き目をしていると評判が立っては先に憐れみがある。やい、おさん、畜生よ、犬猫よと叱っても恨むなよ。願を懸けなかった神もなく、祈らなかった仏もいない。日・月・星の三光天を拝むので七十になる道順が朝毎に垢離(冷水を浴びて心身の汚れを去って神仏にい祈る)を取る時には、総身の骨は氷っても娘が処刑にあいならば、この苦しみを百千万重ねても娘の苦しみに比べたら物の数ではない。堪えながらも月日を拝するのは、あの月天子(がつてんし)も照覧ある。よもやご利益を下さらないわけもあるまい。茂兵衛、頼むから煩わさないでくれ。これ、此処に銀子一貫目、家を抵当にして借りた金に対する利息の不足分を補うために黒谷の和尚から借りたのだが、今更に世間体を張ったところで仕方がない、家を町会所に託して抵当流れの処分をとってもらう。そうなればこの一貫匁も不要となり、再び寺に返すことになるが、思い切ってここへ捨てようぞ。遣ると言っても遣れないし、貰うと言っても貰われまいし、道順が狼狽して道に落としたのだ。諺で落ちているものは拾った者の拾い徳と言う、罰が当たれば落とした者にあたろう、拾った者に罰は当たらないぞ。おばば、おじゃ、帰ろうと夫婦は涙で咳上げ、咽び入り、二足三足立ち去れば、おさん茂兵衛はわっと泣き銀を取り上げ額に押し当てて、あまりに深い親の慈悲、却って冥加(もとは神仏の冥々の加護の意。ここは罰の意味)が恐ろしい。ねえ、父様母様、と呼びかければ振り返り、何も言うな何も言うな、さらばさらばの泣き別れ、父が戻りかければ母が止め、母が戻りかければ父が止めして、おさんと茂兵衛は歩み兼ねて名残惜しさに立ち止まり、小高い土手で伸び上がり、二人が見送る影法師と二本の物干し竿とが重なって民家の壁に月の光でありありと写り、まるで二人が磔にあったように映じている。 憂身の果は捕らわれて罪科は逃れない天のお告げのようだ。母は驚き、のう爺様や、情けない、此処に磔の姿が。悲しや、お婆、おさん茂兵衛の影法師は天道の力にも叶うまいとの知らせかや。又もや堪えかねて泣く声で、内から玉が潜り戸を開けて、顔を差し出す。その影が同様に壁に映じたのだ。あれ、こっちにも獄門首が。浅ましや、この首の主の名は誰が知らないはずがあろうか、白露の玉ではないか。玉は、おさん様さらば、さらばと手を振って別れを惜しむ。 早くも黒谷の後夜(午前四時ころにつく寺の鐘)の鐘が寂滅為楽と響き来る。果は、寂滅為楽、死の境地にこそは真の楽境があると名残惜しい響きを周囲に響かせているのだった。 下 之 巻 春立つと、去年の雪消(ゆきげ、雪解け)をそのままに、霞んで見える山でも奥丹波、軒のつららも溶け渡り、谷の水音が鼓のごとくに、しったんしったんと、ほんほんほんと鳴る鼓。徳若に御万歳と栄えます、ありきょうあり、新玉や、年が立ち帰る朝(あした)より、水も若やぎ木の芽もさし栄えるのは実に目出度く候。 京の司は関白殿、退位の帝の日の元内裏、諺に、王は十善で神は九善(前世で十善の徳を積んだ者は現世では帝王となり、九善の者は神となる)と言う。 萬に安安と、浦安の木の下で正月三日の寅の一点(寅の刻は午前四時から六時までで、一刻を四分して点と言う。午前四時ちょうど)に誕生ましまする。 若戎(わかえびす)商神(あきないかみ)と現れ賜いて商繁盛を守らせなさるのは非常にお目出度いことでありまする。やしょめやしょめ、京の町の、やしょめ、売ったる者は、やしょめ、売ったる物は何々、大鯛小鯛、鰤(ぶり)の大魚(おおうお)、鮑(あわび)に蠑螺(さざえ)、蛤子(はまぐりこ)、蛤子、蛤子うと、売ったる者は、やしょめ、京の町の、やしょめ、そこをば打ちすぎ、傍の見世店を見たりゃ、そばの棚見たりゃ、豆に小豆、大根蕪(かぶら)、加賀の牛蒡(ごんぼ)毛牛蒡(けごんぼ)、辛子の粉、山椒の粉、辛い山椒を召し上がれ、やしょめやしょめ、京の町のやしょめと売り溜めて銭千貫、繋ぎ立てて万貫、恵方(その年の吉方、歳徳神のいる方角)に建てた蔵にずっしりと納めて、家も福々祖父様祖母様父様母様、和子様姫御前(ひめごぜ)産み並べて、福々福々、ほほんほんとと囃したのだ。 おお、目出度い、目出度い、よく祝った、父様母様が無事なら万歳祝いましょう。なお御寿命はは九年も続くようにと銭百文を包んで祝儀として、盆に入れて差し出すおさんの顔を不思議そうに、はあ、これは奥様、お久しぶりで御座いまする。ご機嫌よう変わったところでお正月を過ごされまするな。ああ、恙無もない、とんでもない、私は漫才を業とする人に近付きはいない。どうして私らを見覚えておられる筈もないし、しかし私らは毎年お庭で舞いまして、お前様がお上の方のお座敷で結構な御布団を敷いて、腰元衆をずらりと並べてご見物なさりました。京烏丸の大経師の奥様、よく覚えておりまする。田植え唄がお好きで御座いましたな。なんと一つ舞いましょうかと言われておさん、胸が驚き、目の鋭いお方じゃな。毎年のことでも、こちらはさっぱり覚えておりません。必ず必ず、どこででも私の噂をしないでおくれよ。私の里の父親が去年からこの場所に逼塞してござる。いま頃になってやっと見舞いに来た。この在所では私は島原の傾城が請け出されて来ていると、庄屋にも誰にも言ってある。もし人が聞いたりしても島原で見た女郎だと言って下さいな。ちと事情があるので、京では尚の事噂をしないで下さいね。
2025年02月04日
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