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福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)
ぼくの枕もと、つまり、寝転がったままで手の届く範囲には手に入れたけれど読まないままの本が、ちょっと口に出して数をいうのがはばかられるほど、もう、積み上げることが出来ないから箱に入れて何とか背表紙だけはこっちを向けて並べてある。
あまりのことに同居人に叱られて、アレコレいいわけしながら並べ替えたり、いろいろ、まあ、動かして、さてと寝転んで、で、下から見える背表紙が妙に目新しいのがうれしい。
まぁ、簡単にいうと 「アホか!?」
状態。「ああ、こんなのあったっけ?」そう思って手にとった一冊にはまってしまった。
この本に関するこの出来事は、もう、かなり昔のことだ。本も、話題になって10年以上たつが、その頃の話。著者も今や有名人。
著者 福岡伸一
は分子生物学の学者。手にとって、パラパラやりながら最初の感想はこれ。
「うーん、ブサイクな人やなあ!」
著者の紹介が講談社新書の場合は表紙カバーの裏にある。写真もついている。1959年東京生まれ。
「フムフム、五才年下か」
京都大学医学部卒業、ハーバード大学研究員、京都大学助教授、現在、青山学院大学教授。
「なかなかエライ!」
さて、顔写真をしげしげと見る。「うーん、ブサイク!」と、よろこんだぼく ― 何がうれしいねン? ― は横に寝転んでいる同居人に話しかける。
「なあ、一寸この人見てみ、なかなかブサイクやとおもわへんか?」
「ンッ?フツーちゃう?でも、なんの関係があるん?」
「イヤ、まあ、賢い人がオトコマエやとくやしいやんか。」
「アホか!」
まぁ、なんの意味もない会話なんだけど、そういうことがあって、読み始めてみるとこのブ男の文章が実にシャープ。実際、まったく、人間、顔じゃない!
この本のテーマは 《生命とは何か》
。読みはじめると、著者が最初に研究生活を始めたニューヨークにあるロックフェラー大学が紹介される。
千円札の顔、 「野口英世」
という人がかつて所属した研究所だそうだ。本書はその野口英世の成功ではなく、失敗から語り始められる。
野口は二十世紀の初頭、黄熱病や、梅毒、狂犬病の研究成果で日本人としては最初に、それも数回にわたってノーベル医学賞の候補に上がった科学者で、ぼくたちの世代の科学好きは必ず少年向け伝記を読んでいたような人だ。お札のデザインになった理由はその辺にあるのだろう。
にもかかわらず、現代の高校生や大学生は誰も知らない。世界の科学界でも非常に評価が低く、無視されているのが現状だそうだ。
その原因は何か? 答えは「ウイルス」なのだ。
野口は、当時の光学顕微鏡では見ることのできなかった「ウイルス」の代わりに、目の前に見える細菌を追いかけている犯人だと信じた。そして、新病原菌の発見者の名誉を手に入れた。
しかし電子顕微鏡の登場と共に虫メガネの迷探偵は舞台を追われた。犯人は別にいたのだ。では真犯人のウイルスとは何者なのか。
ウイルスは、単細胞生物よりもずっと小さい。大腸菌をラグビーボールとすればウイルスはピンポン玉かパチンコ玉程度のサイズとなる。
栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていない。ウイルスを、混じり物がない純粋な状態にまで精製し,特殊な条件で濃縮すると,「結晶化」することが出来る。これはウエットで不定形な細胞ではまったく考えられないことである。結晶は同じ構造を持つ単位が規則正しく充填されて初めて生成する。つまり、この点でもウイルスは鉱物に似た紛れもない物質なのである。
しかし、ウイルスをして単なる物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性がある。それはウイルスが自ら増やせるということだ。ウイルスは自己複製能力を持つ。ウイルスのこの能力は、タンパク質の甲殻の内部に鎮座する単一の分子に担保されている。核酸=DNAもしくはRNAである。 さて、野口英世の名声を奈落の底に突き落としたウイルスとは、果たして生き物といえるのだろうか。それが著者の本書でのメインテーマ。
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