PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
2014
年
の出版ですから、もう、そんなに新しいとは言えないのかもしれませんが、追いかけるような、そうでもないような調子で読んでいる 村田喜代子
の小説 「屋根屋」(講談社)
を読み終わりました。
表紙に使われているのは シャガール
の 「街の上で」( Above
the
Town
)
という絵ですね。女の人と男の人が空を飛んでいます。小説は、こんなふうに空を飛ぶ話ですよというわけでしょうか?
著者の 村田喜代子
が 講談社のホームページ
に 「屋根屋を捕らえる」
と題して、こんなことを書いています。
ある年の夏のはじめ、我が家の天井に小さな雨漏りの音がし始めた。まだたいした漏りではなさそうだったが、瓦屋の職人さんが一人やって来た。大男だった。彼は二階の屋根に登って、カタリ、カタリ、と何だかかわらけに似た懐かしい音を響かせながら、修繕を始めた。 購入して何年たったのでしょう、雨漏りが始まってしまった建売住宅に暮らしている主婦。夫はゴルフ三昧のサラリーマンで、息子は受験かテニスかというありがちな悩みを抱えている三人家族の屋根の上を、 「カタリ、カタリ」 と歩く音がします。台所で、その音を聞いている女がいます。
(村田喜代子 --- 屋根屋を捕らえる)
私はめったに夢を見ないタチである。また夢というものにことさら現実生活の深層の意味を読み取るような特別な興味も持たない。ただそんな自分の夢の一瞬に現われる、男と私の共同空間の不思議を思ったものだった。その夢の奇妙な水中は、この世界のどこにもない場所である。私が眼を覚ますと閉じられてしまう 「場所なき場所」 である。 「夢落ち」 という物語の型があります。作品の 第 6 章 の末尾にこうあります。
私はゆっくり息子に尋ねた。 第 1 章 から 第 6 章 までが、 「夢落ち」 の結末にたどり着いたところなのですが、 「なんだ、夢か、そうか、そうか」 と納得するのはまだ早そうです。 第 7 章 には何が書かれているのでしょうね。それは、是非、お読みになって確かめていただきたいと思います。 「うつつと夢」の境界 は、それほど簡単でもなさそうですよ。
「お母さんが京都に行ったのはいつだった?」
「ううん、いつでもないよ」 と彼は澄んだ声で答えた。
「お母さんは京都なんかには行かなかった」
追記2019・09・23
こんなことを言うと、作者に叱られそうですが、作品の始まり、「屋根屋」が屋根を歩く 「カタリ、カタリ」という描写がすごいなあ
、
と感心して引き込まれました。ただの屋根屋と主婦の会話もとてもいい。残念ながら、ラストシーンも頑張っておられるのですが、 「カタリ、カタリ」
は越えられなかったですね。
追記2022・12・21
村田喜代子さん
の作品の修繕をしています。ほかにもいろいろ案内したい作品はあるのですが、いつになるかわかりませんが、頑張ります(笑)。
週刊 読書案内 滝口悠生「たのしい保育… 2025.11.07 コメント(1)
週刊 読書案内 松家仁之「沈むフランシ… 2025.09.06 コメント(1)
週刊 読書案内 深沢潮「海を抱いて月に… 2025.08.16 コメント(1)