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辻井達一「日本の樹木」(中公新書)
秋になりましね。紅葉した街路樹の道を歩くのですが、肩に降りかかる葉っぱの名前なんて気に書けしなかった徘徊老人が、ふと、立ち止まって散っていく風情に気を取られている自分に驚いたりします。
そういえば
「鈴懸の径」という戦前の流行歌があったはずだと思いついたりもするわけです。
♪♪友と語らん鈴懸の径 通いなれたる学び舎の街 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ鈴懸の径♪♪ 若い人は歌そのものをご存じないでしょう。歌われている鈴のような実をつけるらしいスズカケの木(鈴懸?)がそこらにいっぱい植わっているプラタナスという街路樹だということなんて、もちろん、ご存じない。ぼくもそうでした。
辻井達一
という 北大の植物園長
をしていた人が書いた 「日本の樹木」「続・日本の樹木」(中公新書)
という本がある。
日本の樹木についてのカタログか図鑑のような本なのですが、ただのカタログとはすこし違いますね。何より文章がいいんです。気取った学問臭がなく、学者の書く生硬さがない。素人には分からない学問用語を振り回す、かしこぶった態度がない。本物の実力を感じさせますね。
たとえば 「
プラタナス」
のページは4ページ分です。上にコピーした手書きのイラストと名前の由来が記されています。ちなみに、 「プラタナス」
の 和名「スズカケ」
の由来についてはこんな様子。
牧野博士 篠懸(すずかけ) というのがあるのを、そこに付けてある球状の飾りの呼び名と間違えてつけてしまったもので、もし強いて書くなら 「鈴懸」 とでもしなければ意味が通じないそうだ。 ちょっと解説すれば、「篠懸」というのは、たとえば歌舞伎の「勧進帳」で、山伏姿の弁慶や義経の丸いポンポンが縦についている、あの装飾のことで、「プラタナス」とはなんの類似もないということらしいですね。
立地への適応幅はたいへん広くて、地味が痩せた、そして乾燥した立地でも十分に育つ。しかも ロンドン での例で述べたように煤煙など 大気汚染にも強い ときているのだから都市環境にはもってこいなのである。その意味では プラタナスが育っているから安全だ、などと考えては困る 。 プラタナスが枯れるくらいだったら、それは危険信号を通り越している と考えなければなるまい。 締めくくりかたが、なんとも、鮮やかなものでしょう。「環境問題」もここから考える方がきっと面白いと思いますね。
次いでなので、 「スギ」 の項目はこんなふうです。
悲劇の武将、 源義経 が鞍馬寺の稚児として 牛若丸 と呼ばれていた頃、夜な夜な木っ端天狗が剣術の指南をした、ということになっているのも鬱蒼たる杉木立がその舞台だ。 こう書いて、つぎに、こう続けています。
これが明るい雑木林で栗の実が拾え、柿の実が赤く染まりというのではとんと凄味がなくて餓鬼大将の遊び場である。実際にお相手をしたのは田辺か、奥州の手の者か分からないが、山伏装束でもしていれば間違って通りかかった坊主、村人、杣人いずれにしてもよく見ないうちから天狗の眷属と踏んで足を宙ににげさったことであろう。そもそも怪しげな噂を撒いておいたということも十分あり得る。
スギの材は建築材に重用されるが、その葉は油を含んでいてよい香りを持ち、どこからの由来か 造り酒屋のマークになっていた 。スギの葉を球状にまとめたものを軒先にぶら下げるのである。 つまり「文化人類学」ならぬ「文化樹林学」とでも呼ぶべき時間の奥行と、世界を股にかけた幅で書かれているわけなのです。
スギで酒樽を作るから、それから来たものかどうか。 これに似た風習はオーストラリアにもある。 ここではマツだが、同じように葉を丸くまとめてぶらさげるのが造り酒屋のシンボルだ。
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