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1 二〇二〇年三月 石原優子
九年前のあのときは、今日より寒かったような気がする。
石原優子は、対向車線で信号待ちをする白いBMWに何となく視線を向けながら思った。
九年前の今日。
できたばかりで、妙にぴかぴかしたセレモニーホールでの祖母の葬儀の光景はよく覚えているが、寒いと思ったのは生地の薄い喪服のせいだったかもしれない。
昨日、空いたところが目立つスーパーの棚を見て、あのときを思い出した。東京に住む妹や友人から携帯に届いた画像。たしか、妹には電池を買って送った。近所の店をいくつか回って、単一、単二、と種類ごとに何パックか。それから、東京に戻る自分の荷物を用意した。結局それは無駄になってしまったが。(P5)
2 二〇二〇年五月 小坂圭太郎
電車の窓って、開けないものだっけ。
小坂圭太郎は、十センチほど開けられた窓から勢いよく流れ込んでくる風が髪に当たるのを感じながら、記憶をたぐろうとした。
各駅停車の車両は、空いている。
空いている、どころではなく、ほとんど空だ。自分と、かなり離れた場所に一人、学生っぽい大柄な男子が座っているだけだ。東京でこんな空いた電車に乗るのはいつ以来だろう。もしかしたら、初めてかもしれない。十八歳の夏に東京に住み始めてから十五年で、初めてのこと。
窓の先は、嘘みたいな青空だった。(P31)
3 二〇二〇年七月 柳本れい こういう調子です。 2020年の3月 から 2022年の2月 まで、この三人の視点人物を順番に登場させながら2年間の出来事が描かれます。各章ごとに名前の出てくる視点人物ですが、 石原優子 はの夫の実家のある滋賀県で七歳と三歳の子を育てながらパート勤めをしている女性、 小坂圭太郎 は高校卒業後、飲食店で働き、五歳年上の妻との間に四歳の娘がいる男性、そして、 柳本れい は専門学校を出て、カメラマンとして東京で暮らしている独身の女性です。
連絡通路の窓から渋谷のスクランブル交差点を見下ろすと、人はまばらだった。
半年前までは、この連絡通路も歩道の植え込みも、時には地下鉄入り口の屋根にも、信号が変わるごとに押し寄せる人の波を撮影する観光客が何人もいた。自分も撮影したことは何度かある。ここに立って眺めるたびに、誰もぶつからないのが不思議だった。四方から押し寄せる大勢の人が交差点の真ん中で混ざり合い、対岸になめらかにたどり着いて散らばっていく。混ざり合って、と見えるのは錯覚で、彼らはそれぞれ別の場所にいる。同じ場所で、この交差点で、同じこの瞬間に居合わせているのに、お互いにそのことを知りもしないまま、離れていく。ここで出会っていたことは、おそらく一生気づかないままなんだろうな、とガラス越しに見ると音も聞こえないので、その光景はいっそう現実味が薄く見えた。
いつきても人が大勢、ほんとうに大勢いたとき、あの光景をこの場所から眺めるたびに、柳本れいは、パチンコ玉を思い出した。(P59)
「今この時の私」に「過去」と「未来」という時間を重ね込んでいく描き方のすばらしさ は、ちょっと、比べようのないの作品に思えましたね。作中人物の煩悶を越えて、
読み手自身の記憶を揺さぶっていく小説的時間を体験する作品 でした。
追記
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