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@明月院(北鎌倉) 行き詰った時……。 わたしは大きく息を吸う。 そして、ゆっくりゆっくりと息を吐く。 それはまるでお部屋の空気の入れ替えのように、だ。 新鮮な空気が体内に流れ込んだ時、わたしは少しずつ自分を取り戻す。 だれかがテレビで言っていたけれど、不幸な人は不幸な出来事を呼ぶ素養を持っているのだとか。 だから、そんなものは自分で払拭すればいいのだ。 呼び込まないような強い意志で立ち向かえばいいのだ。 と、わたしは思う。 大きく深呼吸をしよう。 大きく、大きく。 もっと、もっと。 思い切り、深呼吸をしよう。
2007年05月27日
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ヤマボウシ(ミズキ科)@箱根 久しぶりに長女と語った。 ちょっと寄り道をしたけれど、月曜日から新しい職場へ出勤だ。 まんざら悪くもない職場を去らなければならなくなった時、わたしはものすごく腹立たしかった。 人生を舐めてかかるんじゃないよ、って怒鳴ってやった。 その後のらりくらりと、一月くらい次の仕事を探している様子がなかった。 内心では、このまま怠惰な暮らしに突入してしまうのではないかと心配になった。 些細なことで口論しながら、彼女は生涯できる仕事、本当に楽しくできる仕事を探しているのだと知った。 「今日ヤマボウシを見たよ。ポーラ美術館(箱根)の前に咲いていたから、この花は知っているんだ。でね、友達にヤマボウシの花だって言ったら、驚いていたよ。花の名前を知っている同世代って中々出会わないらしい」 「それって彼女も花が好きってことだね」 「そう。彼女はハナミズキとよく間違えるんだって」 「同じミズキ科だからね」 わたしは、花の話題で友人と会話が出来る長女を少し誇らしく思った。 ものすごく偏見だけれど、いまどきの音楽や食べ物で盛り上がることより、花の話題で盛り上がったことが、なんかわたしは嬉しいと思った。 これは少なからず、わたしが与えた影響かもしれない。 わたしが花を好きなのが、母親譲りだったように。 そういえば、このヤマボウシを見た旅からもう二年が来ようとしていた。 二年の間、長女の人生も随分変化した。 再びたったスタートラインは、ゆっくりと楽しみながら歩いてくれると良いなぁ。
2007年05月19日
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今日は、すぐ下の妹の誕生日だ。 わたしより二歳と三ヶ月若い。 わたしは地球上の誰かが、生まれた日を記憶してくれているという事実が、この上なく嬉しいから、憶えている限りの友人知人や親族に、おめでとうと言いたくてたまらない。 だから彼女にも例外なく「おめでとう」を言い、ささやかなプレゼントを家庭を持ってからもずっと贈り続けていた。 ところが、ある日のこと。 「ウチでは、こういうことに何も感じないからやらないの。だからもういらないから」 と言うのである。 そうなのか、人それぞれだからね。 その妹が高校生、大学生、社会人になってからも、ずっと交換していたプレゼントは、センスが良くて、わたしはとても大事に持っていた。 ある時は可愛いアドレス帳であったり、レースの小袋だったり、とにかく素敵な小物が多かった。 アドレス帳はぼろぼろになるまで使って、今でもまだ大切に持っている。 わたしには二人の妹がいる。 とても可愛くて、いつまでも守ってあげようと思っていたのに、何年か前、わたしの身の上に起きた不幸な出来事を境に、妹たちとは絶縁状態になった。 それは本当に身を切られるほど辛いことだった。 大人になったら環境や状況が変わるのだから、それも致し方ないことだと思って諦めているけれど、悲しかった。 でも、そうなってからも毎年やってくる誕生日には、一緒に年を数えてしまう。 まだ結婚する前の妹たちと、夏の信州を旅行したことがあった。 費用は全部わたしが持った。 三人でオソロのTシャツを着て、木曽路を、安曇野を歩いた。 松本から新島々へ向かう電車の中で、前に座っていた子供に 「あ、三つ子」 と指をさされたことがあった。 思わず顔を見合わせて、笑った。 当時、互いの友達も見間違えるほど似ていたようだ。 時が過ぎ、それぞれの環境も変わった。 もう似ているとは誰も言わなくなった。 でも、幸せで居てくれればそれで良いと思う。 わたしも、それなりに幸せだから。 今年もそっと。 わたしは「おめでとう」と密かに祝う。
2007年05月10日
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花がとにかく大好きだけれど、八重咲きを好まない。 桜も、山吹も、椿も、すべて一重の方に心が動く。 そういえば、薔薇もカーネーションも好まない。 花びらが重なり合う様が、嫌なのだろうなぁ。 だから、我が家の母の日は、カーネーションお断り。 画像はヤブデマリ@光則寺・鎌倉
2007年05月08日
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新緑に包まれた明月院は、紫陽花で賑わう日が訪れるであろうことをどこかに秘めて、静けさの中にあった。 わたしは一人で、この場所に佇めたことに感謝していた。 目を閉じると、喧騒の街はどこかに去って、心の中がしんと鎮まってきた。 時折、鶯がホーホケキョと啼いた。 去年のこの時季、わたしは病院のベッドで唸っていたし、一昨年は余命宣告を受けた末期がんの別れた夫と、東北の遅き春を見ていた。 その前は、もう憶えてはいなかった。 時は、いつも駆け足でわたしの前を通り過ぎて行き、わたしはそれが行き過ぎるのを、じっと待っていた。 それは、耐えがたき暴風雨であったりしたのだけれど、概ね不幸ではあり続けない現実があった。 ただ、それだけが救いのように、じっと待った。 いつか、きっと、笑い話で話せる日が来るはず、……と。 そんなことを、新緑の中で思っているのだった。 心は相変わらず、深き湖のように、鎮まっていた。 思い切り深呼吸をしたら、湖が少しだけ細波を打った、気がした。 でも、また、静かに何事もなかったように、鎮まったのは、この新緑のせい? きっと……。
2007年05月03日
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