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慌しい日々を過ごしていると、季節の移ろいさえもうっかりしてしまうけど、もう紫陽花が青い蕾をつけている。 そして雨の多いこの時季も、案外捨てたものではないと、紫陽花の艶やかさを密かに楽しみにしてしているのだけれど。 気がつくと、春の桜とハナカイドウ以来、大好きな鎌倉の花を見ていない。 それほどまでに、わたしの日常は慌しくゆとりがなかったのだ。 でも、今日一つの仕事が片付いた。 日常の仕事は諸々相変わらずなのだが、特別に忙しかった波は引いた。 そうなると、わたしの鎌倉虫はもぞもぞと動き出す。 やはりこの時季は、紫陽花を愛でたいと思う。 鎌倉の紫陽花で好きな場所の筆頭は、北鎌倉の明月院か極楽寺の成就院である。 しかしながら、この時季の両方とも人気のスポットなので、ものすごい人出で、愛でる余裕すらない。 うかうかしてると、時季を逃してしまうのだ。 今年はどうだろう。 行けるかなー。 紫陽花と言うと、わたしはどうしても青い方が好きである。 もっと好きなのは、しっかり蕾の緑色かもしくは木が枯れても尚、花を咲かせている残花も好きだ。 艶やかな美しさには確かに目を奪われるけれど、ひっそりと控えめな蕾の緑や、侘び寂びの世界のセピアな色も美しいと思う。 今年の盛りの紫陽花を愛でることができなかったら、最悪は残花でもいい。 枯れ際の美しさは又格別の憂いがあるから。
2008年05月31日
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亡き母にとって、わたしはどんな娘だったのだろうと、今思う。 わたしの青春時代は、長姉の結婚問題で家の中はがたがただった。 自暴自棄になった父は荒れ狂い、酒を飲んでは暴れていた。 今思うとなんでだろうと思う反面、きっと実の娘ではない(母は再婚なので)姉を、実子以上に愛した父なりの表現だったのだろうと推測するのだが。 それまで母は、連れてきた娘まで分け隔てなく愛情を注いでくれる父に対して、感謝の気持ちでいっぱいだった、といつか話してくれたことがあった。 でも、姉の結婚問題で勃発した家庭内争議において、実の娘ではないから反対し暴れるのだろうと、母の思惑は実際の父の気持ちとは真逆の発想に至り、それからの両親の関係は悪化し、毎晩のように罵り合う夫婦となっていった。 そのプロセスをずっと傍らで見ていたわたしは、痛いほど父の本心を感じていた。 子供達がみんな母の味方をする一方で、父の寂しさは背中一杯に溢れていて、わたしもみんなと同じように母が大好きだったのに、一人だけ父の味方をするようになった。 うな垂れた父の背中に、負けてしまったのである。 とにかくその時、わたしは両親に反対されるような結婚だけはすまい、と心に決めたことをはっきりと記憶している。 いつしか母との距離が離れて、少しギクシャクするようになった。 母のわたしへの愛情も、どう表現すればよいのか戸惑うようになっていた。 大好きなのに、父の手前遠慮をするというような、そんな素直ではないわたしも居たりと。 もう何もかも面倒くさくなっていたわたしは、両親に結婚しない宣言をして、故郷を後にしたのであったけれど、離れて数年で結婚相手を見つけた時の母は、心から喜んでくれた。 「あなたにはもったいない人」とまで表現し、彼を迎え愛してくれたのである。 今、適齢期の娘を二人もつわたしは、母の色んな気持ちが手に取るように分かる。 きっとわたしは、わたしの意に反して、母をうんと悲しませたのだろう。 母という人の役割は、持ちまわりなのだ。 こうして何年も経って、思いを知ることになるのだから。 今は亡き、大好きな母に、わたしは今でも母の日には心で礼をいう。 「母さん、ありがとう」 って、そっと、そっと言う。^^
2008年05月11日
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我が家はみんな、木の芽(山椒の新芽)が大好き。 あの感じをどう表現したら良いのかうまくは言えないが、何より春をかんじさせてくれるから。 幼い頃から、山椒の木はいつも身近にあった。 ディーゼルカーで1時間くらいの距離にあった祖母の家の裏庭にもあった。 鋭い棘をもったこの木に居たアゲハチョウが、羽化して飛び立つ瞬間に遭遇した時の感動は、昨日のことのようだ。 ただ折角出たばかりの木の芽を食べつくしたのも、この美しい蝶のせいではあるのだけれど、祖母はそういう自然と共存して一人で暮らしていた。 木の芽で祖母が作ってくれる料理と言えば、田楽や風呂吹き大根に乗せて食べる山椒味噌だった。 舌の先で少しひりっとした後に、口中に広がる清涼感は、本当に言葉を失ってしまう。 そして。 気がついてみると、わたしが育った家にも大きな山椒の木が台所のそばにあって、サンダルを突っかけては、母が朝摘みの木の芽を食卓に添えていた。 ウドや筍の木の芽和えや、やはり祖母から受け継がれてきた前述の料理などである。 身体の中にしっかりとその記憶を留めていたわたしは、結婚してからまず山椒の木を庭に植えた。 木は順調に育ち、祖母や母から譲り受けた山椒味噌をわたしはせっせと作った。 だから、我が家の娘達もこの味噌が大好きなのだろう。 春になると、ふんだんに木の芽を使って料理をしたい衝動に駆られるが、今はマンション住まいで、土がない。 通勤途上に、植木鉢に植えられた小さな山椒の木がある。 毎日眺めていると、なんだか遠い昔の暮らしぶりが思い返されて、この小さな鉢植えの山椒に愛情を感じてしまう。 新芽は少しずつ減っていくのであるが、果たしてどんな料理に使われているのだろう、と想像するだけで楽しくなる。 もう一度、大きな一本の山椒の木の持ち主になりたい。 なんか大金持ちになった気分がするだろうな。
2008年05月10日
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磯の匂いが好き。 山育ちのわたしが、磯の匂いを嗅いで安らかな気持ちになるのは、本当に不思議なことであるけれど、なぜか磯の匂いが好きなのだ。 もう五年も前の話だが、しばらく実家に帰っていたことがある。 一年足らずで横浜に戻った時、横浜は磯の匂いがした。 思い切り吸い込んだら、妙に落ち着いた。 昨日は、海辺で遊んだ。 磯の匂いはどこか懐かしい。 波が寄せたり返したり。 それを目で追いながら、心がとても満たされるのを感じた。
2008年05月05日
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四月はものすごい勢いで駆け抜けた。 殆どの物事を記憶してないような、そんな気さえする。 目まぐるしく、慌しく、姦しく、過ぎて行った。 時折、薄目をあけて見るのだけれど、物事の断片を目の端で捉えては忘れていった。 あれはいつのこと? 昨日のこと? 今朝のこと? それとも夕べ? 時間が平坦に過去も未来もそこら中にのさばっていて、頭の中が混乱している。 そんな感じに過ぎて行った四月は、きっとわたしにとって忘れたい月だからだ。 母が死んだのも、事件が起きたのも、何もかもが、あたかも桜の狂気のように。 でも。 辺りはすっかりと鎮まった。 新芽が青空に眩しい。 透きとおった生まれたての葉っぱが震えて、さざ波のよう。 もう五月。 風薫る月。 しっかりと目を明けて、深呼吸をしよう。 そしてこつんとひとつだけ、咳をする。
2008年05月01日
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先日まで某ギャラリーに出展していた作品。 三十年近く封印していたけれど、いつでも元に戻れると自負していたわたしが甘かった。 生み出す苦しみ、そして展示して白日の元に曝すという暴挙。 ただただ消え入りそうなほど、恥ずかしかった。 でも、もう恐いものはないぞ、という覚悟のようなものも生まれて、これからマイペースで作品を生み出したいと思う。
2008年05月01日
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