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盛夏から同じコースをすでに三度も辿ったことになる。 同じコースだからこそ、季節の微妙な移ろいを愉しむことが出来た。 秋分の日は、不定期なシフト勤務の次女の休みが重なったので、長女と三人で急遽鎌倉散策を企てた。 運よく、当日は久しぶりの快晴であった。 北鎌倉下車。 東慶寺、浄智寺を経て葛原が岡ハイキングコースの山道を歩き、化粧坂切通しから海蔵寺へと辿った。 このコースは桜や山吹の時季に、まだ小学生だった娘達を連れて元夫と歩いたものである。 その印象が濃いのか、娘達が当時の思い出を口にした。 早いもので、あれから悠に十年は経過し、娘達の顔から幼さは消えた。 元夫が生きていたなら、こんな時間を目を細めて喜んだに違いない。 歳月というものは不思議なもので、人生とは増してや儘ならぬものだと、つくづく思う。 わたしはすでに三度目の山道で、どこにどんな難所があるのかを熟知しており、わたしを気遣う娘達よりよほど身軽にひょいひょいと歩いた。 汗ばむ身体には心地良い風が通り抜けて、何度来ても飽きるということがない。 日ごろの運動不足を解消するには、又とない機会なのであった。 紫苑(キク科)@海蔵寺 海蔵寺の萩は終わり、山門をくぐると右手にあるシオンが満開であった。 ここのシオンはなぜか背丈が高く、花をまともに見ることができないのが残念なのだけれど、どこか気高くてわたしは大好きだ。 散策中、つい花や景色に夢中になってデジカメのシャッターを切っていると、本当に人間には興味がないみたい、という娘達に慌ててデジカメを向けながら、そういえば以前の被写体は娘達だけだった。 今は、それだけ時間を共有することが少なくなったということなのであろう。 だからこそ、こうして共に歩き小さな旅をすることは、たまらなく幸せに満ちていた。 そして。 旅の最後に飲んだビールの味は、至福の二文字。 美味しかった!
2008年09月26日
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豆を挽き、コーヒーメーカーでコーヒーをいれる。 これが、一日の流れの始めの一仕事なのである。 何気なく行うことに、ふと手を休めて思う。 なんて幸せな一瞬なのだろう、と。 挽いたときに漂う香ばしい豆の匂い。 そしてぼこぼこという音と共に立ち込める湯気。 どこにでもある些細な一日の始まりだ。 そんなことが、ある日たまらなく愛おしいと感じるとき、 わたしは、改めて幸せなのだ、と思った。 先日、たった一人で歩いた鎌倉のことを、ぼんやりと思う。 友人にもらった大好きなロイヤルコペンハーゲンのマグカップを両手で包み、思う。 花を見て、自然に触れて、四季を愛して。 些細な、ささいなことが、わたしを癒して元気をくれる。 この瞬間を大切にしたい、と本当に思う。 @海蔵寺(鎌倉) photo by sion
2008年09月18日
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もう二週間が過ぎてしまったけれど、先々週末、仕事で上京して来た姉と鎌倉を歩いた。 いつものことながら、急に思いついての鎌倉散策にアイデアも計画性もない。 「どこか行きたいとこない?」で始まって、「あなたが行きたいところでいいわ」と言う姉の意思を尊重し、ひとまず北鎌倉駅で下車。 人を案内する時は、どうしても食べて欲しくなるのが北鎌倉・光泉の稲荷寿司。 それを一折買い求めて、わたしは浄智寺辺りでランチを目論んでいた。 秋の花には少し早いせいなのか、この時期の観光客は意外と少ない。 東慶寺の境内では、二組の熟年カップルとカメラを提げた中年男性とすれ違っただけである。 まだまだ衰えない蝉時雨を浴びて、わたし達はゆっくりと歩いた。 湿度が高くて、照り付ける陽射しはじりじりと肌を焼く。 それでも時折、肌を掠めるように抜ける風が、あら秋なのね、と目を見張らせてくれた。 「静かでいいわね」と姉。 耳を清ませば、蝉時雨は意識から消えていた。 人が居ないということは、こういうことなのだろう、とわたしは思った。 「確か鈴木大拙のお墓があったよね?」 姉は墓地を見回している。 「そうそう。前回、知らないおばさんが有名人の墓を色々ガイドしてくれたよね」 同時に思い出して、二人で顔を見合わせて笑った。 東慶寺を後にして、次に寺浄智寺に向かった。 目印の赤い郵便ポストを右折すると、小さな太鼓橋の向こうに続く石段が見える。 「前回工事中だったよね?」 「そうそう。それで前まで来たけど端折ったのよね」 昨年か一昨年の光景が、昨日のことのように鮮やかに蘇った。 ここでも観光客は少なかった。 「さっき買ったお稲荷さん。食べようか」 一本の木を半分に切って作られたような、素朴で簡素なベンチが、石段の手前の広場でひっそりと座り手を待っていた。 「夕べ作った酢飯がね、あんまり美味しかったので、今朝おにぎりにしたの。食べる?」 わたしは姉に、先ほど買い求めた稲荷寿司の包みを渡しながら聞いた。 「食べる、食べる。本当に酢加減とお米の炊き具合が絶妙だったものね」 夕食に作った手巻寿司を思いながら、姉が目を細めた。 面倒なので大きく握って、ぱりぱりの海苔を巻いたその握り飯を、わたしは先に大きな口をあけて頬張った。 「うんめぇ~~」 思わず声が漏れた。 頂き物のお米が、本当に酢飯によく合ったのだ。 「この稲荷寿司も美味しいねぇ」 姉も同じく声を上げた。 美味しいものを、木立に囲まれた寺の山門前で頬張ることの、なんと至福なことだろうか。 二人に会話はいらなかった。 黙々と、頬張ってはお茶を交互に飲んだ。 ふと辺りを見回すと、そこここに初秋の風情が漂っていた。 ススキが、萩が、やがてこれから咲き揃うのだ。 蝉時雨も心なしか遠のいて、静かになった気がした。 「山を越える元気はある?」 「あるよ。いつも歩いているから平気よ」 姉もまだまだ体力的には問題はなさそうである。 「浄智寺の脇を抜けて山越えするハイキングコースがちょっと素敵なの。頂上が公園になっていて、そこから化粧坂切り通しを下ると、海蔵寺に行けるのよ」 ご利益がありそうな、布袋様の腹を撫でながら「いいわねぇ」と姉が同意して、わたしの提案のハイキングが始まった。 山越えはわたしも久しぶりだった。 (でもないか。ついこの間友人と行ったけ?^^) 「大丈夫?」 と、姉に何度も声をかけながら、こんなところで転ばせて怪我でもさせてはなるものか、と注意深く安全な道を探しながら慎重に登って下った。 「海蔵寺、いつかも来たよね」 「来たよ」 あれから何年になるだろうか。 長姉も一緒に来たことがあったのだ。 境内の入り口にある百日紅の麓で、紫苑の花がわたしの背丈をとっくに越えて揺れていた。 でも、花にはまだ早い。 「ちょっと早かったなー」 石段脇の萩も、まだ咲き始めたばかり。 本堂の前に腰をかけると、折りしも涼風がそよいだ。 「わぁ。気持ちいいね」 二人で、汗を拭った。 「なんか、また頑張れる気がしてきたわ」 近年、いろんな問題が勃発して低迷している姉が、何か吹っ切れたように言った。 「四季に癒されると、やっぱりそんな風に元気が出るよね。また頑張らなきゃね」 わたしも心からそう思った。 次に姉と歩くのは、どの季節だろうか。 また、近いうちに一緒に鎌倉を歩けたらいいな。 取り留めのない会話をぽつりぽつりとしながら、わたしは誘って良かったと、本当に思った。 帰宅途中で飲んだビールのなんて美味しかったこと。 生きているということは、こんな些細なことに感動をすることなのだなぁ。
2008年09月06日
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