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普通に人生を営んでいたならば、今月27回目の結婚記念日を迎えるはずだったけれど、人生は思うようには運ばない。 なぜならば怒涛の荒波を紆余曲折し、すでにわたしの戸籍はバツイチだし、別れた後相手はあの世の人となってしまったからだ。 ふと、思う。 こういうのって、どの辺りで決まっていたのだろう、と。 それとも結婚する前から、今の現実まで見えていたのかもしれないけれど。 付き合い始めた頃。 「俺の人生の晩年は相当辛いらしい」と、彼が言った。 「どんな風に辛いの?」 「なんでも晩年は、男やもめになっているらしいんだよ。二十歳の頃占いで、そう言われたよ」 「それってわたしと結婚したとしたら、わたしが先に死んじゃうってことかなぁ」 「それがね、違うんだよ。どうやら生き別れるんだってさ」 「へぇ。わたしと出会う前の占いでねぇ。でも、生憎様でした。わたしは絶対に別れてあげませんから」 こんな会話をしたことを今でも、わたしははっきりと記憶している。 そのせいかどうか、わたし達夫婦は、結婚記念日をとても大切にしたものだ。 毎年、毎年、その日がやってくると互いがプレゼントを用意し、まだまだその日が遠いことを確信するのだった。 だから、隣に相手が居なくなる日が来るなんて、当時は全く想像もつかなかった。 16回目の記念日だったかしら。 子育ても一段落したので、久しぶりに二人で箱根に行った。 話しても話しても、話し足りるということがなく、この人を選んで、そして選らばれて良かった、と心から思った。 この夜、彼はわたしの為にサプライズを用意してあった。 「俺が大好きな仕事に打ち込めるのは、あなたとたしのいうパートナーがちゃんと家を守ってくれているからだ。ありがとう。これからもよろしくね」 と前置きをし、得意な歌を一曲プレゼントしてくれたのだ。 偶然居合わせた他の客からも拍手喝采を浴びて、彼は半ば得意そうに半ば照れて笑っていた。 この夜の出来事は、わたしにはこの上ないプレゼントだった。 それから数年後の結婚記念日のこと。 何か欲しいものを買えば、と言ってくれたので、わたしは清水の舞台から飛び降りたつもりで、高価な陶器を買ってもらった。 わたしが選んだのは、食器にも生け花にも使える刷毛目がとても美しい一品だった。 時には部屋のインテリアとして、そしてまたあるときは、わたしの得意な料理が盛られたりと、大活躍をした。 わたしはそれを大事に、大事に扱った。 でも、仕舞いこむのは惜しい一品なので、最近はオブジェとして活躍させていた。 ところが偶然にも結婚記念日に、その器が少しだけ欠けていることに気付いたのである。 もしやさっき吸い込んだ欠片は、この器の欠片だったのでは? なんでこんなところに?と見つけた瞬間、掃除機が吸い込んでしまった。 欠片が見つかれば、瞬間接着剤でどうにか補修できるかも、と慌てて掃除機の紙パックをひっくり返してみたけれど、後の祭りだった。見つからなかった。 少し残念で悔しかったけれど、今日は何の日か知ってるの?って、彼に問われたような気がした。 別れた相手。 そしてあの世の人になってしまった相手との結婚記念日。 今でも数えてしまっているわたしに、なんだか笑えてくる。 皮肉なもので、晩年が辛いのはわたしの方じゃないの。 だけど、思い出は日に日に美しくなっていくんだね。 ※右奥に見える陶器
2008年07月31日
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気付いたら七月も真ん中を過ぎていた。 月日が勝手に暴走をしていくみたい。 一月が、一週間が、否、一日が目くるめくように通り過ぎていく。 今年は紫陽花の季節をゆっくりと味わう暇もなく、やがてうだるような暑さと蝉時雨だ。 もう二週間が過ぎてしまったけれど、鎌倉・光則寺に大好きな半夏生を見に行った。 三年前、春にはハナカイドウを楽しませてくれるこの寺で遭遇した半夏生の群生には、思わず息を呑んだ。 まるで白い蝶々の大群が一面に舞い降りてきたか、はたまた今まさに一斉に飛び立とうとしている瞬間に出くわしたような、わたしにはそんな鮮烈な印象の半夏生だったのである。 同じ年。 別れた夫の命の期限を、主治医からあと一月と告げられた日のことだった。 病院からホテルへと続く道すがら、民家の庭先に半夏生を見つけた。 長い年月、半夏生の存在すら知らなかったのに、「あ、こんなところにあったのか」と、とても懐かしい思いがした。 半夏生(はんげしょう)とは、夏至から数えて十一日目のこの頃、カラスビシャク(漢名:半夏)が生える時季という意味らしい。 そして白い蝶々を思わせる白い葉は、盛夏に向かうにつれ緑変するので、この一瞬を逃すと夏草に紛れてしまうのである。 その半夏生をぼんやりと眺めながら、先ほどの主治医との会話を反芻していた。 「わたしはもう妻ではありません。だから元夫の死とどう向き合っていいかわからない。今のわたしの存在が彼にとってどうなるものでもないと思います」 わたしは正直な気持ちを吐露した。 「そんなことはないのですよ。今患者さんが望まれているのがあなたなのですから、家族として接するだけでいいのです。もしもの時、患者さんは延命措置をしないと決められています。相当痛むはずですから、すこしでも気持ちを楽にしてあげて穏やかに看取ってあげてください」 ただうな垂れて、主治医の言葉に耳を傾けた。 目の前に見せられたレントゲン写真には、もう生きる為の臓器は存在しなかった。 膝で組んだわたしの手の甲に、ぼたぼたと熱いものが堰を切ったようにこぼれ落ちた。 何がどう悲しいのか、自分の気持ちの整理もつかぬ間に、物事だけが急速に展開していくような、そんな思いだけが錯綜していった。 「分かりました。どうかよろしくお願いします」 そういうのが精一杯だった。 その病院では、看護師さんたちがわたしの扱いに苦慮していた。 元奥さんと呼ぶわけにも行かず、それでもそう言うしかないといった様子であったけれど、 「奥さんがくると元気になるんですよ」 と、嬉しそうに報告してくれるのだった。 きっと非情な元妻に映ったことだろう。 まさか、こんなに早く連れ合いと永遠の別れが訪れるとは思ってもみなかった。 彼はいつも自分の手相の生命線を見せては、 「絶対に俺の方が長生きするぜ。だからお前を看取ってから追いかけるから」 と、冗談を言っていたのだ。 久しぶりに光則寺の半夏生を見て、わたしは亡き元夫へ思いを馳せていた。 人生は何があるか分からないなぁ。 絶対に生涯添い遂げようと決意した相手と離婚して、そして先立たれてしまったのだから。 そういえば、死ぬ前に生命線はどうなっていたのだろう。 見せてもらっておけば良かった。 そして、思い切り「嘘つき。詐欺師」と悪態をつけば良かった。 でも悔しいけど、後から後から素敵な思い出ばかりが湧き出してくる。 ※画像は、初めて遭遇した年のものである。 今年の光則寺の半夏生は、トップ画像に使用。
2008年07月17日
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