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宮崎や愛知など、今年も鳥インフルエンザが発生をして 養鶏業者に大打撃となっている。鳥から人への感染力は 弱いとされながらも、感染をすると死亡率が極めて高いと 言われるが、これまでに人から人への感染例はないそうだ さらに鶏肉や鶏卵を食べて、人に感染をした例もないので 鳥インフルエンザの発生地などでは、風評被害の心配も されている。鳥や業者さんたちの為にも、早く収束します ように・・・・ そんな思いも込めながらの日記記入であるが、信州安曇野に お出かけをしたのは1月上旬の事。旦那の運転で娘と三人で 信州ドライブの最中であった 安曇野市豊科を流れる犀川に、水力発電用の取水ダムにより 川がせき止められて誕生した人造湖の犀川ダム湖は、通称を 犀川白鳥湖(さいがわはくちょうこ) ま~~~。いっぱいの鴨。白鳥はいずこに 私の出かけた時には、百羽以上がやってきているようで 他に安曇野市の犀川御宝田遊水池にもおり、周辺の田んぼ (特に穂高町狐島地区)で、餌を探す姿も見られるとか 最盛期には千羽もの白鳥が、安曇野に冬越しの為にやって きているのだが、これらは毎年10月中旬~3月末にかけて 遠いシベリアの地から飛来したというコハクチョウである 小白鳥(コハクチョウ)は、家族のまとまりが非常に強くて 家族は一緒に行動するそうだ。全長115~150センチで 翼開張180~225センチ。くちばしがの先端が丸みを 帯び角張って突出せず、オオハクチョウより少し体小さい 白鳥たちはシベリアで繁殖し、9月下旬には氷点下となり 氷がはって餌が取れなくなるので、餌を求めてサハリン (カラフト)方面から北海道に渡り、そこから全国各地の 越冬地に分散。ここ安曇野には昭和59年に初めて飛来し 毎年のようにやってくるようになった 今年はここにきて、5年ぶりに千羽を突破した模様であり どうやら新潟など日本海側の雪が多い年は餌が取れなくて 安曇野への飛来が多くなるようである。千羽の白鳥を見に また行きたいなぁ~。鴨より多いかな? 2月下旬頃から春の訪れとともに各地から、再び北海道に 集結し、そこからみんなでシベリアへ飛び立つのだとか 鳥インフルエンザの危険もあるので、餌付け禁止の貼り 紙がされていた 鳥も見たし、お昼ごはんでもと近くの信州安曇野スイス村で 私はこんなん食べました。ご飯はラーメンを単品で頼んだ 旦那に食べてもらう作戦だ 娘は松本&塩尻名物の「山賊焼き」の定食を頼んだ。鶏の もも肉をにんにくを効かせたタレに漬け込んで、片栗粉を まぶして油で揚げたものだ どうも駐車場に車が一杯かと思ったら、ここの多目的ホールを 利用をして、安曇野市の成人式が開かれるようで、煌びやかな 着物の若い女性、正装した青年が続々と。それを見守る親も ここでのお楽しみは、ワインやジュースなどの試飲も楽しい スイス村ワイナリーで、旦那は寂しくジュースをちびりちびり それを横目に娘とワインを楽しむ しかもお正月のお得な福袋が用意されていたので、我が家 でも、ワインとリンゴジュースがセット(数百円はお得)のを お土産に購入し、旦那も自宅で夜には楽しんだ 本当は新雪が積もったものが絶景なのだそうだが、そんな日は ドライブも控えるので。。。冬のさびしい風景がぴったりな 枝垂れ栗を見物しに行った 普通の栗の木と異なって、枝が傘状に垂れ下がっていているが 昔々、子供たちが楽に栗が取れるように、弘法大師が枝を下げて くれたとか、栗は天狗の食糧であって、天狗が腰掛けたため枝が 垂れたといった言い伝えがあるそうだ 実際は、普通の栗の木が突然変異によって変化をしたもので 信州辰野町の「小野のシダレグリ自生地」では、標高が950 メートルから1200メートルに及ぶ、約3.4ヘクタールの土地に、 800本以上の枝垂れ栗が自生をしている 国の天然記念物にも指定をされており、やはり雪のかぶった ものは絶景のようだ。諏訪湖の凍結や、安曇野の白鳥と共に 冬の信州の風物詩かも。あっ地獄谷の温泉猿も! なんかわからないが句碑もあった。検索をしたけどイマイチ どのようなものか判らなかった こんな道を行き来しなきゃいけないので、旦那の運転じゃ ないと、どうも行く気持ちにはならない。溶けてこうなら 新雪の朝などはさぞかし・・・ 以前に紹介をした辰野町小野宿にある、信濃国二之宮の 「矢彦神社」での御柱祭で使われる御柱が置かれていた 5月3日より5日にかけ御柱祭が行われるそうだ(お隣の 塩尻市小野の小野神社も) 平成22年1月9日に信州で撮影
2011年01月31日
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高山には、雪を見に行こうと思って出かけた訳で 街中は観光客の為にと、綺麗に雪も片づけられて いたが周囲は、ちょっとした雪景色も楽しめて 飛騨の国で一番格式の高いという、高山郊外にある 飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)に まだまだ三が日で、初詣の方の姿が多くみられてた その周囲はこんな感じで。近くにはスキー場なんかも あります。え? やっぱ雪少ないですか。そうかもね 昨シーズンは、木曽でもラッセル車に先導される積雪 などもあり怖かったなぁ~ ※ 参考写真。一昨年12月19日に木曽の国道19号で 私が運転で助手席の娘が撮影したもの。昨シーズンは 娘の就活があり移動も多く、どうしてもその日のうちに 行き来をしなきゃいけなくて大変でした そんな訳で「飛騨一宮水無神社」のうんちくを述べると すると、その創建の時期は不明だが、清和天皇の頃に 神社の記事が残っており、長らく飛騨国の一宮であり 総社を兼ねていた 鎌倉時代には「神仏習合」で、水無大菩薩と称しており 社僧(神社に所属して仏事を修した僧)が、奉仕をして いたそうである。戦国時代には祭祀が途絶えた事もあり 附近にあった寺が、その管理にあったていたとか 江戸中期より吉田神道系の神職が奉仕をしたが、飛騨国で 起きた大規模な一揆の一つである大原騒動で、水無神社が 農民らの集会の場所となったので、神主四名が捕らえられて 磔とされたそうだ また明治4年には、国の保護を受けた官社(式内社)のうち 国幣小社となり、明治7年から10年まで、島崎藤村の父の 島崎正樹が宮司を務めていたそうだ 「木曾路はすべて山の中である・・・」の書き出しでも有名な 島崎藤村の小説「夜明け前」の主人公で閉塞とした世の中を 憂う青山半蔵のモデルでもある 空襲を避ける為に昭和20年8月21日から、9月19日まで 三種の神器の一つで、名古屋の熱田神宮の御神体である 「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」が、ここに一時避難を していたそうだ 新しい殿舎の屋根がキラキラと輝き、その工事に携わった 人らが写真で紹介をされていた また雪深い飛騨の道に、新しいトンネル工事などもされて いたが、危険な個所が直されるのは有難い 昨日なども木曽の国道19号は路面が凍結をし、名古屋の 方の運転をする大型トレーラーが、緩やかな右カーブで ブレーキをかけた際に、車体がスリップをして反対車線に はみ出してしまった そのままガードレールなどを突き破り、8メートル下の 木曽川河川敷に転落したそうで、運転手さんは間もなく 亡くなられたそうで、現場付近の国道19号は2時間 30分程、全面通行止めとなっていた 冬の道はくれぐれも注意が必要だ さて高山の帰りには、天下の名湯の下呂温泉もあるのだが にごり湯が好きなので、飛騨小坂温泉郷で公営の日帰りの 温泉保養施設の「巌立峡ひめしゃがの湯」に立ち寄る事に その泉質は、ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物冷鉱泉だそうで 源泉の温度24.3℃。溶存物質8.297g。炭酸水素は 4.864gあって、半分以上が炭酸成分という日本有数の 強烈な炭酸泉で、しゅわしゅわ~と飲む事も出来る 駐車場の脇に、材木の運搬に使われていた森林鉄道の車両が 展示をしていた お正月の三が日のお祝いに先着で、かわいいイラストも入った 手ぬぐいをそれぞれに貰ったので、娘、さっそく使ってるし! ちなみに「巌立峡(がんだてきょう)」とは、木曽の御嶽山の 大噴火によってできた高さ72メートル、幅120メートルの 岩壁で岐阜県指定の天然記念物となっているが、中部の テレビで、パワースポットとして紹介をされていた 10周年を迎えて、映画も好調の人気ドラマの「相棒」であるが 今週の回で、シーズン最高の視聴率22・5%(ビデオリサーチ 調べ、関東地区)を記録したそうだ。交番でも相棒が犯罪防止に 社会貢献中! 高山に雪が無いとのご指摘に、街で見た「気になる景色」を 紹介をしたい。つららはあちらこちらの軒先で見る事が出来た ぼきぼきぼき~~と折ってみたくなる。まだこれはカワイイ方 高山の街中にもかわいらしいかまくらと、雪だるまなども 使えるかはわからないけど、古風なポストも雪に埋もれて 何やらわからぬが、トーテムポール? たった一日、日帰りの飛騨。でも楽しい盛りだくさんで あ~、楽しかった!(美味しかった?) 平成23年1月3日に飛騨高山で撮影 前回の日記にも沢山のコメントを頂戴し有難うございました 日記更新を先にさせていただきましたが、お返事を兼ねさせて いただき、皆さんのブログには本日中に伺わせていただきます
2011年01月28日
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娘がいたら、最後まで見ていたと思うのだけど 日本全体のイベントよりも、明日の仕事が一番だ という旦那も寝込んでおり「何時だと思ってるよ 仕事のない人間は気楽でいいなぁ~」と、嫌味を 言われるのは必至だと思い、延長戦は諦めて寝た そんな旦那も金曜の夜だけは、イ・サン見たさに 午前様なのだが。ま、次の日は休みだし。新しく 購入をしたブルーレイDVDで、スカパー!などの 7日間視聴サービスも、いよいよ最終日となった ちょうどWOWOWで、テニスの錦織圭の試合も見れ 旦那はアルペンスキー競技の中継も喜んでいた 録画をすると、画面の左下(左上の場合も)の文字 案内が消えるので、こりゃちょうど良いと映画などは 40本以上は録画をしているし、ちょうどスガシカオの ライブも撮れたので、いや~、お宝が増えた♪ テレビと言えば、年末来の知的熟女&戦場ジャーナリストの ごたごたを「三人で話し合う事。取り上げる事もない」と各局 ワイドショーのキャスターが、堂々と言い放っていたのに エリカ様だ、ダルビッシュだと追っかけまわすのは何故に それこそ、ど~でもいい話だし しかもサッカー中継局のみが、奥さま相手のワイドショーで トップから20分もサッカーばっかりで、あまりにも自局の 番組の宣伝が露骨じゃないのかな(他局はKARA分裂とか) その番組のある日には、朝から夜まで番組の出演者が延々と その局の他の番組に出ているのが、うっとおしくって・・・・ これだけ局が私物化した放送をするようでは、たとえタダでも 見たくは無くなる。最近、うちの旦那とかBS放送ばっか ま、旦那の好きな巨人の試合中継も地上波ではなく、BS放送 ばかりだし。鉄道や、城、温泉、歌など趣味的な番組も多いし 私はPCネット、息子は携帯電話、娘はPCでユーチューブ さて高山の続き。さるぼぼファミリーマートバージョン! そんな訳で午後になって、食べたのは街のレストランで飛騨牛 ステーキ丼で、お肉がおいしい~。やっぱね~、高山に来たの だからお肉食べなきゃ!と言いつつ、安さにつられて牛丼を 頼んだ娘に、横から二切れを奪取された。1280円位だった 高山陣屋の前には、幕末の思想家、山岡鉄舟(小野鉄太郎)の 銅像があった。第21代飛騨郡代を務めた小野朝右衛門の子で あった山岡鉄舟は、10歳から17歳を飛騨の高山で過ごした そうである 嘉永5(1852)年に父が亡くなり江戸へ帰って、講武所に 入り、千葉周作に剣術を学び「一刀正伝無刀流(無刀流)」の 開祖となる。また、山岡静山から忍心流槍術を学んでいたが 静山の急死で、その妹の英子と結婚し山岡家の養子となった 陣屋前のみだらしだんごも食べたし、さてアレを飲みに まいりますか~。無論、ドライバーの旦那には無縁のアレ 我が家の行楽にははずせない。ウィキペディアによれば >日本古語では酒々(ささ)、僧侶の隠語で般若湯 >(はんにゃとう)、江戸時代にはきちがい水、現代 >では俗にポン酒(ぽんしゅ)と呼ばれることもある 海外の日本食ブームに伴い、海外でもSAKEの認知度も 高まりつつあるそうで。この飛騨の高山も街中に幾つもの 酒蔵があり、有料、無料で自慢のお酒を楽しむ事が出来る 新潟県内のチェーン酒店舗ですら、地元の日本酒よりも 焼酎のコーナーの方が広くて驚いたものだが、全国的には なかなか流通をしない、その土地に行ってこそ飲める地酒 お土産にも最適だ 飛騨の寒さから生まれ、飛騨の寒さに鍛えられた、日本の 屋根とも言うべき北アルプスの雪解け水、伏流水で作られた 飛騨のお酒は、やっぱり美味しいです ここからは高野山真言宗の「醫王山飛騨国分寺」の紹介を 天平13(741)年に、奈良の大仏建立で有名な聖武天皇が 「国分寺建立の詔(みことのり)」を発した事で、天平勝宝9 (757)年頃に、名僧の行基によって建立されたという あまり広くない境内には樹齢1200年といわれる、名物の 大銀杏の樹がある。その葉が一晩で落ちてしまうとその年は 豪雪になるそうだ。また乳のない母親が樹膚を削って飲むと 乳の出が良くなると伝えられ、乳イチョウと呼ばれている その昔。天平の七重塔が建てられた時、大工の頭梁は誤って 柱を短く切ってしまって頭を悩ませていたところ、その娘の 八重菊のアイデアで、枡組で補って塔は見事に完成をした そうである 己の名声が高まるにつれて、頭梁はその秘密を守る為にと 娘の八重菊を殺して境内に埋め、塚の傍らに一本の銀杏を 植えたものだとか かつての天平の七重塔は礎石だけが残り、今の三重塔は 江戸後期に建てられたもの。本堂などは室町時代のもので 国の重要文化財に指定をされ、飛騨の円空仏なども安置を されているそうだ 平成23年1月3日に飛騨高山で撮影
2011年01月26日
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さて2011年のお正月。元日のニューイヤー駅伝に 続いての、2日の箱根駅伝(前半)で、更には3日の 箱根駅伝の後半を朝から見ていると、流石に家族も 見飽たようで。私はまだまだ見たいのに・・・ 昨日の都道府県駅伝でも、佐久長聖&箱根も沸かした スター選手の佐久長聖OBを擁する長野県が大活躍で 村澤明伸の力走がすごかったけど、佐藤悠基が出て なかったのはちと残念だったかも そんな佐久長聖を、駅伝の強豪校に育て上げた両角 速(もろずみはやし)監督が、春からは村澤&佐藤も 活躍をした東海大学の監督になるそうだ。箱根がまた 面白くなりそうだ ちなみに手相芸人の島田秀平も、この高校OBだとか せっかく帰ってきたのに、3日間も家にこもるのは 嫌だ~と娘がいうので、娘に弱い旦那はドライブに 行こうと同調し、家から車で2時間の日帰り行楽で お世話になる大好きな「飛騨高山」に出かけた ミシュランガイドでも紹介をされ、海外からのお客様 などにも人気の小京都の高山は、年に一度は出かけて いるのだけど何が魅力かって? 本家京都にも負けぬ日本文化を、様々な面から楽しむ 事が出来るから。伝統的な日本家屋、街並み。陣屋や 寺院などの歴史、朝市の庶民文化 なにより我が家がリピートする主たる理由は、日本酒 高山ラーメン、飛騨牛、赤カブなどなどグルメ! はずせないのは、お醤油味のシンプルなみたらし団子 え? 飛騨では「みだらしだんご」っていうの? 高価な飛騨牛は手が出ないので、手軽に飛騨牛肉を 楽しめる、あつあつの肉まんを片手に3人で1つ すんごいボリュームだ そして食べ歩き同様に、あちらこちらで試飲や試食が できるので、果たしてお昼ご飯を食べる事が出来るの だろうか? でも、あれも食べたい。これも食べたい いつものお味噌屋さんで、お味噌汁を試飲をさせて いただくと お味噌を使った、懐かしい和菓子も試食をさせて いただけたが、なかなか素朴な味わいだ かわいらしい大きな雑貨屋さんの奥には、中庭に面した 蔵の前にシックな喫茶コーナーがあって。冬だというのに 沢山の人が食べていたのが・・・ アイスクリームだったりして。フルーツなど2種類を選び トッピングしてもらうのだけど、娘はレーズンとナッツと 相変わらずしぶい好みで。私ならばマンゴーとイチゴとか こういった、年配者にも好まれるような定番のお土産も もちろんあるけど 若い子たちの好きそうな雑貨のお店が多いのも、本家の 京都とご同様で 町家のくぐり戸の先には色んなお店があり、腹ごなしに 見てまわるのも面白い にゃんこや、わんこ、ふくろうなど動物をテーマにした お店も観光地には多いが、ここは今年の干支がいっぱい さるぼぼならぬ、うさぼぼもいっぱい 街中を歩いていたら、大家族な鳥かごを発見! 果たしてお昼ご飯は食べれたのだろうか? そして 定番のアレを私と娘だけで飲んだのか? 後半に続く! 平成23年1月3日に飛騨高山で撮影
2011年01月24日
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昨日は、一年で一番寒いと言われる「大寒」であったと あるだけに、今朝は玄関の戸も雨戸も凍りついてしまい なかなか開ける事が叶わなかった。娘の熱も下がって やっと自宅にたどりついた火曜日の夕刻、今度は私の 方が39度の発熱をしていた あはは~~、そりゃそうだわな。8畳一間での2日間 一緒に寝起きをしてたんだから。市販の解熱剤を使って しのいで、次の日の朝に37.5度になっていたので 自分で車を運転をして、数キロ先の病院へ向かった インフルエンザかもという言葉に、すぐに奥まった別室の ベットでカーテンを厳重に閉め、そこでインフルエンザの 検査をしたら、やっぱインフルエンザA型で、会計なども そこですませ、帰りは通用口からだった お薬は娘の貰ったお馴染のタミフルではなくって、昨秋に 販売が始まったばかりの新薬の「イナビル」で、最初に1回 服用するだけでいいとは、ものぐさな私にはぴったりだ 他にも頭痛とか、咳など症状を緩和する薬もいただいて 症状も良くはなったが、まだ頭が重いなぁ・・(後半に続く) さて、そんな悪夢の始まりは、娘と二人で有名テーマ・ パークのペア招待券を使い、前回のディズニーは激混み だったので、がらがらのこの時期の平日に行こうと考え 実行した事からだった(その旅行の日記はいずれまた) その旅行から帰った次の日(日曜日)、娘を送って行き がてら温泉でもと思い、旦那の運転で舅も一緒に出か けると、前日の雪がまだ路面などに残っていた もちろん誰もが、12月には冬用のタイヤに履き替えている けど、急カーブの下り道は神経を使う。しかし雪道よりも もっと怖いのは晴れた日の凍結。こういった雪が圧縮をされ たりして氷になってしまうとタチが悪い 道がまるでスケートリンク。数年前に娘を高校に送って行く いつもの朝、そんな氷ですべって車体が横を向いたままで この電柱の手前の斜面に突っ込んだ日も、良く晴れていた 右カーブの先の、ほんの小さな水たまりが凍っての事だったが 対向車がなくて、逆側のガードレールでもなくて、この電柱に ぶつからずほっとしたものだ。行きがかりの通勤のお父さん 達が持ち上げて道に戻してくれて、無事に走行 おかげで娘も高校の皆勤賞をいただけて・・・。ま、見た目は ちょっとばかり、前のバンパーがひんまがっていたのだけど 話がそれたが、今回の目的の一つは凍結している諏訪湖を 見てみたいって事で、昼前には諏訪湖畔に着いた 全面結氷とは至らなかったようだが、氷のせり上がりなども 見られ始めたそうで、3年ぶりの「御神渡り(おみわたり)」の 出現も地元では期待をされているそうだ。そうなれば見にも 行きたいな 氷の厚さが10センチ以上で、零下10℃程度の冷え込みが 数日続くと、気温の上下により氷が膨張と収縮を繰り返され 遂には湖面の氷が大音響をあげて、山脈のように盛り上がる 諏訪大社上社の男神の「建御名方神(たけみなかたのみこと) ・諏訪明神」が、諏訪大社下社の女神である「八坂刀売神 (やさかとめのみこと)」に会いにゆく為に渡った恋の道と され、3年ぶりともなればさぞかし待ちかねている事だろう そんな訳で八坂刀売神の御神体が、毎年8月~翌年の1月に 祭られている「諏訪大社下社秋宮」に参拝をさせていただいた (毎年2月~7月には近くの諏訪大社下社春宮に祭られる) それにしても諏訪の名工、立川流の立川和四郎富棟による 見事な彫刻にはほれぼれする ちなみに春宮の方は、ライバルの大隈流の柴宮長左衛門に よるものらしいので、見比べるのも面白いのかもしれない 秋宮の巨大な注連縄でも有名な神楽殿は、平成の大修理として 工事中で見る事が出来なかった。古い優れた建築も定期的な メンテナンスをしてこそのものだ 昨春に建てられたばかりの御柱(秋宮一之御柱)も真新しく 諏訪大社や、諏訪明神、御柱、ほうとうなどについて詳しく 知りたい方は、下記の以前の日記をご覧ください 御柱と相撲は神代の頃より。諏訪大社上社本宮 残すは諏訪大社上社前宮と、湖畔をぐるりとミュージアム探訪 岡本太郎が絶賛、みのもんたもほっとけない!! 世にも不思議な石仏 信玄の隠し湯と、御柱(おんばしら) すらりと並ぶのは諏訪の名酒。そんな酒蔵にも立ち寄り 利き酒させていただき、お土産には一升瓶のつもりで あったのに、何やら娘の体調が思わしくなく立ち寄らず 寒い体を芯から温めてくれ娘の大好きな「ほうとう」ですら 食欲がないから私と二人で一食?(ご飯は全部私が食べ ました) これはかなりの重症に違いないと、早々に娘の 部屋に連れ帰り、体温を測ったら38度越え ネットで調べた休日診療の病院へ、旦那が連れて行って からのくだりは前回の通り。インフルエンザかもと判ると 旦那は舅を連れて逃げるように帰宅し、私は娘のもとに とり残されて・・・娘の体調が安定してから高速バスで 帰宅をしたのだけど なんで旦那と舅が無事で私がうつったのかは、ひとえに インフルエンザの予防接種を受けていたかどうかにかかる 舅と姑は老齢なので格安(もしくは無料?)で受けれるし 旦那は会社の補助で格安で、毎年受けている それに比べて私は、予防接種の4千円以上の高額な費用 (実際に治療の診療費、薬代の方が安い)にびびり受けず 娘は注射が嫌いなので大学受験の年すらも、推薦入試に 受かったら予防接種受けなくてよい?って有様で、今年も 受けず、息子は会社補助がありながら面倒なので受けず やっぱ予防接種は有効なのだなぁと改めて思うので、高齢 お子さん、リスクのある方、仕事や学校など支障の出る方は 是非とも、お金を惜しむことなく予防接種を受けてください 帰りの高速バスから眺めた、伊那谷の南アルプスを紹介して きたが、最後にオマケ。前から気になっている海のように 鮮やかな青い教習車が並ぶ駒ヶ根の自動車学校 旦那は会社の残業で迎えも期待できず、バス停から 寒い思いをして歩いて帰宅をしたら・・・あっ、39度! 平成23年1月中旬に信州、岐阜で撮影
2011年01月21日
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随分と時間があいてしまったが、昨年12月上旬の 静岡&山梨の旅日記のラストにあたる「身延山」を 紹介をしたいと思う 先週は娘と二人で、都会にお泊り電車旅を敢行したの だが、その2日目に出かけた某有名テーマパークでの 行列などで、げほげほと派手に咳まくる幼い子供に 3度は遭遇して・・・・嫌な予感はしたが 娘がお土産にもらってきたのは、インフルエンザ? 旅行の次の日には旦那の車で娘を送ってきて、食欲が ないという体調の悪さに、熱を測れば38度をゆうに 超えての病院直行で、まだ時間がたっていないので インフルエンザかどうかもわからないとの事で・・・ 旦那はうつるとまずいので速攻、自宅に帰宅してしまい 解熱剤とかもらって処方したけど、病状が悪化したり するとまずいので、私が看病で今は娘のところに残され 息子からは、ウィルスを持ち帰るなと言われているので 当分はここにいろと? そんなわけで昨日に続き今朝も38度超えで、再び インフルエンザ検査もして貰う為、これから娘を病院に 連れて行き看病は続きます。さて日記更新ができたのは 前に話した娘のPCを初売り価格で手堅く購入できたので こうやってネットもまたできますが 更には初秋に雷で壊れた自宅のDVDも、ブルーレイのを お安く買えましたし。そうそう秋に買い替えたテレビの エコポイントも、いつものスーパーの商品券として無事 到着をしたので、日々の食費購入にとなった 近況終わり!! そんな訳で、身延山久遠寺の話に参りますか。ちょうど その日は、お寺の大掃除の真っ最中だったので、若い僧も 仏具などを持ち出して、お寺のお堂の中を綺麗にされて いる最中をお邪魔して 山奥とはいえ暖かなのか、12月に入っても紅葉も見物 できて 更には冬の桜もちらほらと・・・ 山梨県南巨摩郡身延町の身延山(標高1152メートル)に ある「久遠寺(くおんじ)」は、日蓮宗の総本山(祖山)で その山号も身延山(みのぶさん)といい、高僧の日蓮はこの 山を釈迦が法華経を説いたとされるインドの霊鷲山になぞらえ 信仰の山としたそうだ 甲斐国波木井郷の地頭である南部(波木井)実長が、佐渡での 流刑から戻った日蓮を招いて、西谷の地に草庵を構えさせたのが 始まりであり、弘安4(1281)年には大坊が整備をされて 日蓮自身により「妙法華院身延山久遠寺」と名付けられたとか 翌年には湯治療養と、小湊の両親の墓参りに下山をした日蓮は 途中で武蔵国の池上宗仲邸(東京都大田区本行寺)に滞在中に 死去し、「いづくにて死に候とも、墓をば身延の沢にせさせ候 べく候」との遺言を残し、御遺骨は身延山に祀られている ロープウェイで登れる山頂には、日蓮が父母を偲んで建立を したという奥之院思親閣と3つの展望台があり、富士山が望め よく晴れた日には、駿河湾や伊豆半島も見れるそうだ 室町時代になって現在地に移転し、甲斐国守護の武田氏の他に 河内の穴山氏などの庇護を受けて門前町が形成された。更に 徳川氏をはじめとした諸大名の帰依を受けて発展しながらも 明治8年に西谷本種坊からの出火で、伽藍の全てが焼失した その後、七十四世日鑑上人の尽力と、その後の法主らの力に よって復興がされ、今では華麗な伽藍が立ち並び、その内部の 見学もすることができた 国宝や重要文化財、指定文化財を数多く所蔵をする身延文庫の 収蔵品などを拝見できる有料の身延博物館も見学し、入館者は 下のお経を写す簡単な写経がきるというので、娘もわくわく 樹齢三百年ともいわれる、久遠寺の境内の枝垂れ桜の他にも 寺の周辺には数百本もの桜が咲き乱れるそうで、次は桜の頃に 尋ねられたらいいなぁ・・・ 下部温泉の近くの「上沢寺」には、明治24年に白井博士に よって、葉の上に種子のできる銀杏が発見をされて、学界に 紹介された古樹があり、本国寺の「お葉付き銀杏」とともに 昭和4年には国の天然記念物に指定をされた珍しい銀杏だ 枝が下に垂れ下がっているので、「さかさ銀杏」とも呼ばる 日蓮の身代わりとなって毒死した白犬を哀れみ、寺の境内に 葬り、その上に日蓮が銀杏の杖を立てものに、根が生えて 成長した樹であるそうだ この樹に触れただけでも体の毒が消えると言われ、その実は 安産のお守りとなるという。更に銀杏の葉は消毒の秘妙符と され「毒消いちょう」とも称されている 平成22年12月5日に山梨県で撮影
2011年01月17日
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富士の続き。静岡ガンダムを見るのに旦那を引き 込んで車の運転をして貰うには、近くの温泉で 釣るしかない。って事で、前から気になっていた 信玄の隠し湯として有名な「下部温泉」へGO! 流石に「隠し湯」とあるだけあって、富士山麓の 本栖湖からは険しい山をぐんぐんと下り、まわりを 見ても山ばかり! 承和3(836)年に、熊野権現が現れて温泉が 湧いたそうで、鎌倉時代の日蓮の書状にも名前が 記されていたそうある 切り傷や骨折に効くそうで、戦国時代に川中島の 戦いで傷をおった武田信玄や、将兵が癒したとか 武田家が戦国大名の地位を獲得する上で不可欠な 豊富な資金力は、甲斐国各地にあった金山による もので、この下部にも、湯之奥金山(中山・内山・ 茅小屋)があって、金山の博物館があった 高浜虚子 裸子をひつさげあるくゆの廊下 この行や花千本を腹中に 近年では昭和の名優であった石原裕次郎もスキー中に 事故で骨折し、下部温泉で温泉療法を行ったそうだ そんな訳で怪我をしたわけではないが、我が家も激安 価格で御宿泊。ネットサイトで探した宿は休前日ながら 1泊2食で7千円台ですよ~。ほんと価格破壊の波は こんなところまで。頑張れ、温泉旅館 酒蔵なども日本酒以外にも活路を開くべく、こんな リキュールもお土産で売られていた(道の駅で購入) 井出醸造店は、江戸中期に始めた醤油醸造が前身で 江戸末期に、皇女和宮の婚姻の頃にに日本酒の製造を 始めた為、それにちなんで 「開運」 と命名したとか 奥の生一本はどこの酒蔵か?です それだけでは足りないと一升瓶? いえいえ、これは お宿で各部屋に用意してくれた、「下部の温泉水」で 胃腸病をはじめ飲むとその効果は絶大とされ、飲める 温泉として、全国の飲み湯番付で東の横綱なのだとか そんな秘湯で癒された次の日には、いよいよ静岡に南下 するぞ~~と元気よく、旦那の運転で出発。山梨県から まもなく静岡という道の駅には、大きな獅子柚子 タケノコの産地なのか、巨大なタケノコがお出迎えして くれる「道の駅とみざわ」にはクレープのお店があって 早くも娘が買い食いしてるし! 間もなく清水というあたりでは、頭上にたぶん建設中の 第二東名高速道路があった そしてお昼前には、目的の一つでもあった「清水港」の 市場で、うまいもんを食べるぞ~ やっぱ山国に生まれ育つと、新鮮な海産物はなによりの 御馳走だ。お魚~、貝~ 偶然でもキャンペーン中だったので、普段はもっと高い 味噌汁付きの一部の丼がわずか1コイン! 500円で 私や旦那はまぐろの中おち丼、娘はねぎとろ丼を食べた 更には生牡蠣をつるりと、こちらも1コイン500円で いいなぁ~。近くだったらいっつも食べに来るのに・・・・ そんな事を思いつつ、昼からは前にも紹介をした静岡ガンダム 見物も果たした 帰り道はお得な週末のETC千円料金で、東名高速を使い 途中で、浜名湖の風光明美なサービスエリアに立ち寄った 大きな果実も残るイチゴジャムがこぼれんばかりのソフト クリームをぺろり 一大ブランドの「三ケ日みかん」のジュースをごくり さすがに、これまでは食べれない おまけは静岡ガンダムの会場で、娘が食べた新名物の あったかコルネパンに、冷たいソフトクリームのコラボ! 平成22年12月4&5日に山梨&静岡県で撮影
2011年01月10日
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今年のお正月の旅の写真のダウンロードがまだ なので、1年前の膨大な東京関連の写真同様に 「お蔵入り」寸前だった、12月上旬の日記を そう前に紹介した静岡のガンダムの前日・・・ いつもなら甲府で降りて、一般道で峠越えなのを 週末の千円ETC料金を使えるので、そのまま大月 ジャンクションを使っての快適な高速道。したがって 初めての道。リニア実験線なんかもくぐれるのか! 都留あたりからは、富士山なんぞも前方に見える絶景 ドライブは快適だなぁ。いつものように助手席の窓を 開けての撮影に、「寒い~」と後部座席の娘がぼやく お昼時には河口湖について、テレビ番組でも紹介をされ 前から食べてみたかった「不動のほうとう」でお昼に! 河口湖周辺には幾店舗もあり、前から気になる店だった いつもは河口湖から、西まわりに富士を一周をするのだが 逆さ富士を求めて、富士五湖の外側(富士山の反対)の 湖畔の道を利用をするのだが、今回はいつもは使わない 樹海の近くの道を鳴沢にむかうと・・・・ 「こんな所に道の駅があるのかぁ」と立ち寄った道の駅 なるさわの建物の裏側から見た、富士山の大絶景に 脱帽し、娘も待ち受けにと富士山に携帯電話を向けた 富士山に降り注いだ雨や雪が、長い時間をかけて 伏流水となり、それを地下三百メートルからくみ上げた 「なるさわ不尽の名水」があった 美しい石には様々な効力があり、触ればそれぞれに 御利益もあるというので、すりすりと・・・。それにしても 綺麗だし、高価そうだ 無料の「鉱石ミュージアム・なるさわ富士山博物館」に入り しばし地殻の研究などを。何せ石には多少のこだわりのある 中津川市民なので・・・・ お~、地球の活動期に火山の爆発によって埋もれて しまった巨大恐竜、T-REXの喘ぎ声が聞こえそう・・・・ やっぱ地球の贈り物の宝石は、どれもこれもが美しくって 手軽な価格の石などを使ったキーホルダーが、売店に沢山 並んでいたので、娘はどれを買ってもらうか迷いに迷う 富士の青木ヶ原樹海には幾つもの溶岩洞窟があり、行く度 一つずつまわっており、最初は西湖コウモリ穴に行こうと 思ったけど12月から冬の間は、コウモリが冬眠中で閉鎖 されているというので・・・・ 富岳風穴 (フガクフウケツ) に出かける事に。溶岩洞窟は 溶岩流の外部が冷えて固まった際、内部の灼熱の溶岩や ガスが圧力で外部に噴き出した後に残った空洞である この富岳風穴は横穴式で総延長が201メートルと規模が 大きく、溶岩鍾乳石面や溶岩棚などが見られる。平均気温 3℃の洞窟内では、明治時代に蚕の卵などを貯蔵しており その跡も残されていた 何度となく爆発した富士山ではあるが、ここは千年以上前 平安時代にあたる864年、富士山側火山である長尾山の 大爆発で流れ出した、青木ヶ原溶岩流で出来たものだ そうで、国の特別天然記念物に指定をされている これは溶岩が冷える際に、ガスが抜けた跡だそうだ 噴火のたびに、溶岩が積み重なってできた溶岩棚も 近くの樹林の中に、同じく国の特別天然記念物に指定を 受けた「鳴沢の溶岩樹型」群があり、沢山の溶岩樹型が 溶岩樹型とは、溶岩流が森林帯を流れ下る時に樹木が 溶岩流中に閉じ込められて、木質部は焼失をするのだが 樹木の組織や外形が、溶岩流中に印されたものである スパイラクルとは、溶岩が流れたところに小さな池や川 など水があると、水が溶岩で急に熱せられて沸騰をして 水蒸気となって、膨張し溶岩を突き破って煙突を作った 跡であり、水分の供給元が樹木である場合に、溶岩樹型 スパイラクルと呼ぶ 鳴沢村には十数か所の溶岩スパイクルがあり、質や量とも 世界一と言われているそうだ 最後に紹介するのは、千円札にも描かれた本栖湖からの 富士山で! さぁ、富士も学んだし今夜の温泉街へGO! 平成22年12月4日に山梨県で撮影
2011年01月08日
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少しばかりお正月休みをいただいた。というのも元日の 朝からは「ニューイヤー駅伝2011」、2日と3日両日の 朝からは「箱根駅伝」の往路、復路のテレビ観戦をする 必要もある 年末から戻っていた娘を車ともども送っていき、あちらに 置きっぱなしだった私の車で戻ってくる(共に旦那の運転 帰路に温泉も)必要もあるし、更には2011年初の日帰り ドライブ旅行もしてきて、その報告は次回にでも 今回の紹介は年末の東京日帰旅行の後半だ。目的である 「相棒展」を見に六本木に出かけて、周囲をウロウロとした その後に向かったのは、恵比寿ガーデンプレイス。以前に サッポロビール&エビスを飲みに娘と出かけたのを紹介を した事があるが、今回の目的はご覧の通り キラキラと揺らめく、フランス・バカラ社製の世界最大級 シャンデリアを見物する為だ。その高さは約5メートル 幅は約5メートル、クリスタルパーツ総数8472ピース ライト総数250燈という代物だ 本来であれば夜にこそ美しさも増すのだろうが、いかんせん 帰りの高速バスは宵の口。昼間のクリスタルの輝きを堪能を する事にした。どうやら毎冬の恒例行事のようなので今年の 暮れにでもリベンジをしてみたい どことなく、隅田川の河畔のビルの屋上にある巨大な金色に 輝く○○○(炎であるらしい)にも似た、オブジェ ガーデンプレイスには、まるでフランスの城を思わせる 優雅な建物が。「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション」と いうシャトーレストランだそうだ ガーデンプレイスからも、東京タワーが遠くに望めた JR恵比寿駅には、やっぱり縁起の良い七福神の一員でも ある恵比寿様♪がおいでになった 時間が前後するが・・・午前中 相棒展は昼からだったので、六本木に向かう前にどこに 行こうかと考え、年末と言えば活気のある築地市場とか アメ横が思い浮かんだので、とりあえず上野駅で下車を する事にした 岩手から東京へ上京していた石川啄木が、詠んだというのが ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく いや~、やっぱ年末のアメ横はすごい人だ。JR東日本の 上野駅から御徒町駅 間の山手線の高架橋西側と、高架下に 沿った商店街で、 正式名称をアメ横商店街連合会という 既に迎春準備もされて、青空には日の丸。でも上などを 見上げていると人にぶつかる勢いだ。引揚者などによって アメリカ軍の払い下げ物資を安く売り捌く店(アメ屋)が 多かったからとか、普通に飴を売る「飴(アメ)屋」が 多かったからと諸説もある 第二次世界大戦の東京大空襲で、周辺一帯は焦土と化して バラック建ての住宅や店舗、屋台などの露天商売が集まり 国に許可を受けない「闇市」が、アメ横の始まりだった そんなアメ横の喧噪のなかに、数百年の歴史のあるお寺が 摩利支天山徳大寺、通称「下谷摩利支天」は、日月の光や 陽炎(かげろう)を神格化した仏教の守護神で軍神である 摩利支天(まりしてん)の仏像は、聖徳太子作と伝えられ 関東大震災や戦災にも無事だったという テレビでも良く取り上げられるお菓子屋さん。賞味期限の 近いものなどは半値以下で、とにかく安いし、種類も多い 私も帰りのバスのおやつを購入 日本三大商人の伊勢の松阪商人(他には三井財閥&三越の 三井高利)であった太田利兵衛が、1707年に上野に開業を した呉服店の「松坂屋」は江戸っ子に大人気となった 1611年に、尾張の清州より名古屋本町に移転をした 伊藤蘭丸祐道(祖先は織田信長の小姓)の呉服小間物 商い「いとう呉服店」が、1768年に「松坂屋」を買収し 現在に至るそうで、創業より400年 上野に来た目的のもう一つは、前からきたかったあんみつ 「みはし」。その名の由来は、上野広小路は江戸時代には 東叡山寛永寺の領地だったそうで、寺の参道は不忍池からの 川が横切っており三つの橋が架かっていたので、旧・町名 でもあった「三橋(みはし)」からだとか 北海道の十勝地方の小豆だけを使った餡、沖縄から二百キロ 南のある島の黒砂糖を使ったみつ、伊豆諸島や静岡県の海岸で とれた天草(テングサ) をさらしてブレンドをした寒天などと 素材にこだわるお店で、私は「白玉クリームあんみつ」を 東京都内で最も歴史のあるコリア・タウンが、上野駅の東に 位置する「キムチ横丁」で、戦後間もない混乱期でもある 昭和23(1948)年頃に、先ほどのアメ横から枝分かれ したものだそうだ 新大久保ほどではないが、本場の味が楽しめる焼き肉店や 名のごとくのキムチ、総菜、食材店、チマチョゴリを扱う 店など、約三十の店舗があるそうだ こうして移動時間往復6時間、滞在時間7時間程の年末 東京旅行は幕を閉じた。実は新宿に着く前には新大久保で 買い物(伝統茶)もしてたりする。あ~、疲れた 平成22年12月29日に東京で撮影
2011年01月06日
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西日本では年末より大荒れの天気が続いており、南国の 鹿児島でも10センチを超える積雪で、交通機関にも 影響が出て、車の中で年越しをされた方もおいでになる という そんな中で、太平洋側に近い関東や中部地方は晴天日が 続き、年も押し迫った29日に急きょ、東京へ日帰りを する事となった。前日の夜に娘のところに泊まった翌日 朝5時台の高速バスを使えば、午前9時前には新宿だ そして30分毎に、夜8時台までの高速バスがあるので 朝から晩まで、首都東京を満喫できるのは有難い事だ ちなみに交通費は往復で数千円程である 今回は行きは息子と二人、新宿からは息子と別行動となり 私は日帰り。息子は友達と2泊3日。どうやら有明方面に 出没をするみたいだが・・・・そんな訳で、2010年を 締めくくる旅を前後編として、年の初めに紹介をしたい 今回の日帰り旅の目的である六本木に向かうと、既に水仙? どうやら冬に咲くと言う「越前水仙」のようだが、なぜだか 1カップ、植え忘れ? そして、息子を高速バスに乗る娘のアパートまで前日の夜に 私が車で連れて行く必要があったとはいっても、そのまま のこのこ東京までついていってしまった理由が、コレだ・・・ 1.2.3・・・ってチャンネル違うか 人気ドラマ「相棒」が10周年を迎えた記念に1月中旬まで 開かれている「相棒展」には貴重な小道具や、衣装などが 惜しげなく公開されており、展示の前半は撮影禁止であるが 特命の部屋や、公開中の映画の資料などの後半は撮影OK 見る人が見ればわかる。このお部屋はただのお部屋ではない 特命係のお二人が暇されているのか、いつも紅茶を飲んで いたりするお部屋である なんと大盤振る舞いな。もう公開中の映画どころか、今夜 今夜9時に放送の「相棒」元旦スペシャル「聖戦」の番宣 だってしちゃいますよ~ そんな「相棒」は特命係の以外にも沢山のレギュラー陣で 支えられていて、鑑識の米沢さんのように映画の主人公に なってしまう名物キャラもあり、彼の指示によって展示を 見ながら推理をするシステムになっていた そして、さりげなく置かれた電話の受話器を取れば、長く 聴きなれたレギュラー陣の着ボイス(?)が幾つも楽しむ 事が出来た(相棒携帯サイトからも配信されているらしい) 英国のジェントルマンのような杉下右京警部(水谷豊)と 現在、相棒を組んでいるのは神戸尊警部補(及川光博)で お二人ともかっこよすぎます~♪ 長らく相棒を組んでいたワイルドな亀山薫(寺脇康文)は 息子がお気に入りなので、神戸さんになった新シリーズは もう相棒じゃないと一切見なくなった。けど旦那の方は 神戸さんの方が面白いそうだ こんなガチャガチャもあったりして・・・ せっかくテレビ局に来たのだから、誰でも見学ができる エリアに潜入だ~。もちろん判っているとは思うけど ここはテレビ朝日 その代表的な番組と言えば、僕、ドラえもん~~♪ そして年末に話題になった、最後の「M-1グランプリ」の トロフィーも。あの日は格闘技や、坂の上の雲などもあって かなりな激戦で、私はすいません。フィギュアスケート中継 他局で見てました~ そしてバラエティ好きな我が家なので、いつも家族で楽しみに しているのが「お試しかっ!」 大手ファミレスなどの人気 メニューベスト10を食べて当てるといった、帰れま10が なかなか面白い 更には、フィギュアスケートの選手の色紙などもあった さて森ビルが17年の歳月を掛けて、再開発事業を行った 国内最大規模の都市再開発である、六本木ヒルズの周辺は 江戸時代は、長府毛利家(長州藩支藩にあたる長門府中藩)の 江戸上屋敷があったそうだ その藩祖とは、毛利元就と側室との間に出来た(三本の矢は 正室の子供らの話で関係はない)穂井田元清の子で、毛利 輝元の養子となった毛利秀元である。乃木希典大将は、この 藩の侍医の家柄だそうだ 朝日放送の社屋の脇にある毛利庭園の下に、開発前にあった ニッカ池と親しまれた池の遺構が残されているそうである 新たにしつらえられた毛利池には、向井千秋さんが搭乗した スペースシャトルコロンビアで初めて、宇宙で誕生をした メダカの子孫が放流されているとか 更に討ち入り後の赤穂浪士四十七士のうち、岡島八十右衛門 常樹ら十人が長府毛利家にお預けとなり、元禄16年2月4日に この地で切腹をした もうお正月を迎えると言うのに、紅葉が色鮮やかであった 六本木けやき坂通りは、六本木ヒルズの中心を貫ぬく目抜き 通りで、その彼方に見えるのは東京タワー。最近は建設中の スカイツリーの方に話題が移りがちだが、東京のシンボルと して長らく親しまれている。それはこれからも変わらないと 信じる 謹賀新年。今年もまた宜しくお付き合いくださいませ 平成22年12月29日に六本木で撮影
2011年01月01日
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