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土日になると、酒が入るせいか、夢を思い出せない。昨日も酒を飲んだのだが、何度かフテ寝したせいか、今日のはなんとなく覚えている。 で、今日の夢は、霊能者江原啓之と、どこかの医師(白衣を着てたので医師だと思うが)と、一緒に、ある心身症の人の病状を話し合っているようなものをみた。その内容は忘れてしまった。 これからは、霊能者も医療に関与していくというような暗示なのだろうか?
2005年10月31日
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気がつけば、このブログも何気なしにトラックバックを受けていたので、その先を何気なしにみてみたら、上のタイトルが感化されてしまったので、書いてみることにする。 わが国の総理の靖国参拝で、愛国心がクローズアップされているが、私利私欲から何事も発している限りにおいて、何をやろうが、人類にとって実益になるどころか、有害、公害であることに変わりがない。 自己愛、自己利益、エゴから発するものは、悪魔の誘惑であり、決して、神の真心に叶うはずもない。ここら辺を大いに勘違いされている人々が多いように思える。 人間は独立した自由な存在なのであるから、私利私欲から害悪を行うことも許されてはいる。しかしながら、自由には責任が伴う。本人は意識してはいないが、無意識下に、その責任は倍となって本人に返ってくるであろう。 神から人間に自由な意志が祝福されているのだから、愛国心も指導者も、共に強制であってはいけない。 人間の自我は、神から出て、自らが自由意志で、利己主義を放棄し、自己犠牲として、自我を神に返すことで克服される。 それは、聖書に書かれた愛の体現でもある。 この宇宙が生まれたのは、意志の神が、叡智の神に、自らの火を自己犠牲として、跪き捧げることにより、時間が生じ、時間の神が生まれたからであり。その行為が共感を生じ、受け取った火を、叡智の神が、光として、時間の神に与えると、時間の神は、そっくりそのままその光を、数時間後に、大天使に与えるのである。大天使は、再びその行為を繰り返し、時間の神に光を与え返す。こうして、時間から空間が生じたとされる。 つまり、このやり取りを媒介しているのが、愛であり自己犠牲、与えるという行為なのである。 指導者は、自らを愛国心として、国民に与えなければいけない。そしてはじめて公人となるのだ! 私利私欲から生じるものは、神々が拒絶するものであり。大きな災いとなって、未来にもたらされる。時間がそれをうけとることがないように、時間が、受け取らなければ、空間が生じることもない。 空間とは生命を生かす場のことである。 指導者に私利私欲がある限り、生命は徐々に、この宇宙から失われていく。 愛とつくものは貰うものではなく、与えるものなのだ! そして、自由意志により行われ、決して強制であってはならない。 法より人を生かすべし。
2005年10月28日
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今日の夢は、いつのものようにうろ覚えだが、刑事もんだった。自分が、太陽にほえろの、ゴリさんあたりになったような感じだ! ゴリさん好きだったなぁ。太陽にほえろは、リアルタイムで、ジーパンあたりからみていたような気がする。だから、マカロニの殉職シーンは、再放送でみた(といっても、死ぬシーンだけ)。 太陽にほえろといったら、刑事ドラマの定番をつくったような気がする。ボス、ヤマさん、デンカ、チョーさん、ゴリと、いまでもアダ名を思い出せるくらいだ! そういえば、太陽のほえろの七曲署を真似て、よくケードロをやったもんだった!(当時、小学生)。 それから、特捜最前線、Gメン75、大都会と刑事ものばかりが、TVを賑わしたような気がする。考えてみれば、私はテレビっ子だった。小学校低学年では、ウルトラマンや仮面ライダー、ゴレンジャー、レインボーマン、ライオン丸、キカイダーとかの戦隊もの、高学年では、上の刑事モノや、赤いシリーズもみたな。 中学では、学園青春もの、ちょうど、金八先生の時代で、タノキントリオがブームで、女子は、その誰かのおっかけだったような気がするが、私はなぜか、金八は、リアリティがなく臭すぎて嫌いだった。あんな中学校あるかよと、ツッコミを入れたいくらいだった。現実はもっと過酷で厳しいもんだろう。いじめも凄かったし、中学の思い出で、いいものはない。野球部の活動とアルバイトをしたことぐらいだった。まぁ、所詮、金八はドラマだからといわれればそれまでだが…。 また、なめ猫ブームでツッパリが流行った頃だった。とにかくあのときは不良が一斉風靡し、荒れてたことは確かだったが、一方で刑事モノドラマが、流行ったのはどういうことだろうか? 不思議でもある。 海外ドラマもよくみたクチだ。チャーリーズエンジェルのシェリルラッドが好きだった。ラストアメリカンヒーローもよかった。ジョンアンドパンチも、一部の海外ドラマ通で話題だった。奥様は魔女も何気なしに見ていた。ファミリータイズは断片的にみたような気も。 いつのまにかTVの話になってしまったが、刑事ドラマの夢の話の内容は、あまり覚えていないから、これでよしとしたい。
2005年10月28日
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今日の夢はほとんど覚えていないのだが、昨日、ロッテの優勝をみていたら、そのまま寝てしまったので、確か夢のなかで、ロッテの監督ボビーバレンタインとその夫人らしき若い女性がでていたような気がする。 どこか南国の島か、避暑地のどこかのプールで、ボビー夫妻(たぶん妻だと思うが、愛人か?、娘か?)が、裸で優雅に過ごしているちょっとエッチな夢だった。勿論、男の裸など興味ないので、私の視線は、その女性の方に釘付けだった…。
2005年10月27日
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今日の夢は、至ってマイナーなものだった。大学-大学院時代の仲間と、草野球チームをつくっているのだが、ここんところはほぼ活動休止なのだが、いままでは、年に数回、合宿にいっていた。それが今日の夢である。 しかしながら、どこか矛盾したものであるのは夢さながらで、それは、野球場を借りてやる練習ではなくて、どこか屋内、屋内練習というよりも、家のなかでやっているようなもんだった。せまい家のなかでどのようにやったかはよく覚えていない。 恐らく、昨日の阪神-ロッテの日本シリーズをみて、ロッテの一方的強さと、阪神のあまりの不甲斐なさに、影響され、そのようなへんてこな夢をみたものだと思われるのだが…。
2005年10月26日
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最近、芸能人の登場が多いわが夢ですが、今日も芸能人登場でした。芸能人登場というより芸能人に無理やりあてつけ解釈してるのかもしれません。象徴だから…。 で、その内容は、杉田かおる懺悔慰労バスツアーみたいなものに、爆笑問題と一緒に参加しているようなものでした。しかし、ミーハー炸裂ですな。残念というか、幸いにもというか、内容は忘れてしまいました。よくある宴会のようなものだったような…。 近々、誰か離婚して、慰労会でもやるのかなぁ。憂鬱な予感…。
2005年10月25日
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至上6頭目の三冠馬ディープインパクト誕生の瞬間を、この眼に焼き付けるために、菊花賞が行われる京都競馬場に、脚を運んだ。 前日は御供の都合もあり、大阪に宿をとることになり、前々から、というより、ダービー2冠目達成のときから、それは計画されていたことなので、なるべく安くということで、早得ひかり往復に、格安宿で、合計2万6千円で行けた。 関西圏に1泊2日、3万以内、とは安くなったもんである。関東-関西がもはや連合したような関東西と、その他諸々といった感じか?。一度、日本列島を、このような料金別で、地図を作成してみると面白いだろう。それって何の得があるの?といわれても、暇つぶし以外に、こたえようがないが…。それはともかく、我々の我々による我々のための競馬旅行は、まずはじめに、ウインズ梅田へと突撃した。全国ウインズ制覇はまだまだだが、中央競馬場全制覇へ、残すは新潟、小倉の2場の私からすると、ウインズ梅田は、あまり面白みのないウインズだった。ウインズ京都の方が、関西弁が飛び交い、叫びまくりで、関西弁=漫才と錯覚している関東人は、いるだけで愉しさ炸裂かもしれない。残念ならがウインズ梅田は、関西弁度が低かった(なんのこっちゃ)。 ウインズ梅田の建物は、ウインズ新宿に近いつくりで、A館、B館とあるのだが、どちらもよいとはいえない。くつろんで競馬を楽しむなら、馬券は買えないが、近くのグリーンチャンネルをやっている喫茶店で見る方がよいだろうが、カネがかかるのが非常に難儀な話でもある。 どこか気の利いた昼食はないかと探したが、大阪といえばお好み焼きのイメージで、近くの店に入った。それはどこか東京の下町と共通する風情で、競馬中継をみながら、やんや、いいながら居酒屋のような感じでもあった。 お好み焼きの味はとくに美味い不味いという感じでもなく、そういう風情を楽しむような感じなんだろう。食べ物でなく、場を楽しむところに、大阪の風情の味があったという印象かな。とりあえず、書き込みが多くなったので、気力があれば次に続けたい。
2005年10月24日
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ちょいと、旅行にいっていたので、2,3日書き込むことができなかった。そこで夢の書き溜めをしたいぞ!一昨日の夢は、忘れてしまったが、昨日の夢は覚えていないので、その夢を書くことにする。その夢は、これまでとは全く違って、なんだか甘いスイートなもんで、スッチー(いまは客室乗務員と呼ばなあかんのか?)と、旅行をするものであった。 そのスッチーは、どことなく石山愛子(競馬ファンしか知らんかも?)似の美人で、大和撫子のようなマブい(古っ!死語?)感じだった。その旅行には、女性側にもう一人のお仲間スッチーがいて、2対2のダブルスコアー合コンツアー旅行のために、こちら男性側も、大学院時代の友人を伴って、いくものであった。 もう一人の女性は、ミズキありさ似のバリバリのプレイガールと呼ぶべき遊び人なのを、なぜだか自分は知っていて、友人のために知らないふりというか、愛ちゃん似のスッチーと一緒に、ボケをかます役割を演じていた。共同で、他人の秘密を握りながら、ボケまくるというのは、ドキドキ感があり、なんだか連帯感が生まれて、カップル成功の秘訣ではないかと、この甘いスイートな夢から教わったような気もするが、なんせ、相手が夢のなかですから、説得力ゼロですな…。 しかしながら、この甘々スイート旅行は、計画段階でポシゃってしまうというか、所詮夢なんで辻褄があってない展開で、ありさ似のスッチーが、仕事があるとかないとかで、1対2でいくことになった感じで、飛行機に乗る段(どうも海外旅行か飛行機でいく旅行のようだった)で、そのありさ似スッチーが、仕事として客室乗務員で現れた段階で、話がすったもんだして、内容は忘れてしまったが、飛行機に乗るか乗らないとこで、目が覚めた。
2005年10月24日
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今日の夢は、昨日と違い、盛り沢山だった(というか、よく覚えているだけかもしれない)!。というのも、3篇ものだったからである。 では、1篇目から書いていきたい。1.クラプトンにインタビュー 伝説の三大ギターリストのエリッククラプトンと、夢の中で対話していた(勿論、英語で)。それは、次のような内容だった、「今使っているギターはいくら?(100万とかいっていたような?、円か、ドルかは覚えてない)」とか、「赤ん坊のとき転落死した息子の悲しみは克服したか?(時間が解決してくれたが、決して愛がある限り忘れはしないとかいったような)」とか、もっと高度な質問もあったように思えるのだが、覚えていない。とにかく愛が大切だというようなことを力説していたような気もしたが、夢なんで定かではない。 クラプトンは愛の伝道師にでもなるのかも?、それとも、クリーム再結成ブレイクの予兆か?。2.ヴァンヘイレンとジョギング 至って健康な少しマッチョなサミーヘイガーの後を、追っかけるようにして、確か、ヴァンヘイレンのメンバーとなって、ジョギングしている夢をみた。場所は確かに米国で、ロサンゼルスあたりの陽気な天候のような気もしたが、居酒屋というかおしゃれなバーに入っていくところでその夢は終わった。 こちらヴァンヘイレンも、ヴォーカルにサミーヘイガーがカムバックっして、再活動はじめの予兆なのかも?3.高校時代の連中とドライブ 1と2の豪華メンバーに比べ、かなりのギャップであるが、高校時代の連中とドライブすることになり、そのうちの一人のカーマニアの車を使うことになったのだが、その車が、物凄いポンコツ車に変わっていた。しかし、本人は充分満足しているのがおかしいかった。そのポンコツ車には、「死ね」とか(なんと過激な!)落書きがしてあってスクラップ寸前のもので、結局、私は断って、自分で車を探し、乗ることにしたのだが、もう一人の高校時代の仲間は、俺は結婚しているからとかいう訳の分からないことをいって乗って行ってしまった。そういえば、ペーパーなのに、よく車を運転する夢をみる。それも、ラリーか、カーレースに出ているような運転で、普通の街を、交通規則を少し無視しているような感じのものである。夢だから事故が起こらない。 この夢のなかの高校仲間の発言の意味を考えると、何か結婚に関するものかもしれない。自分は独身ドライバーを続けるということなのだろうか?。ポンコツ車に乗るくらいなら、独身ドライバー、うむむ、納得!!。
2005年10月21日
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この間、深夜に爆笑問題がやっていた番組は面白かったので、それにちなんで、自分も勝手にマニフェストをつくって見たいと思った。 その番組は太田が総理大臣、田中が秘書をやって、ゲストを国会議員として、思いつきのマニフェストをつくり、国会みたいに討論するというような、まるでいまの御馬鹿な国家を劇場そのものにしたようなもんだった!。 結構というか随分笑えた!。パロディというよりもどちらがパロディかわからなくなるような、パロディが独自に動き出したようなもんだろうか?。 そのときの議題は以下のものであった。1.国会議員を推薦選出制度にする。2.ハリウッド映画を輸入上映禁止にする。3.結婚届けに、後でウソと判明しないように、結婚生活に関わるお互いの詳細をできるだけ記入する。 というようなもんだった。どれも、質が良ければ問題のないもの、1は国会議員の品性人格がよければ問題ないし、2はハリウッド映画があまりにも暴力的で空想じみてワンパターン化しているから問題であり、3は結婚の価値観が物質主義や地位名誉的な思い込みの強いものに変化しているというような、昔ならばさして問題にならないことが、いまや価値観の多様性とともに、問題になってきているという気がしてならない。 恐らく、現代人は、社会と個人のなかでどちらを優先させるべきかに悩みがちなのだろう。真の個人主義の目覚めの過程にあるのかもしれない。 個人主義とは押し付けであってはならないし、同様に社会に不適合であっても意味がない。それはチームプロスポーツのなかで、1個人プロ選手が何をもってチームに貢献できるのか?と同様な問いにつながる。 そこで、やはり、社会のマニフェストではなく、まず、個人の社会へのマニフェストアピールが必要なのではないだろうか?。 社会にマニフェストを求めるのではなく、自分にマニフェストを課せ!。 そういうわけで、夢日記をつけ、ブログで公開することは、私のまず最初のマニフェストとしたい(何をいまさらという感じかも)。
2005年10月20日
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本日の夢は、残念ながら覚えてない。朝、覚えているつもりだったが、いつの間にか忘れてしまった。やっぱりメモをとるべきだろうか?。
2005年10月20日
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今日の夢は、職場のある人(誰とは書けません)が、絶えず独り言をずっと言い続けるような状態(本人は正常と思い込んでいる)になり、周囲の人が、陰で「ついに、あいつもおかしくなったか?」というようなことを囁きあって、相手にしなくなっているのを、なるべく距離をおいて、社交辞令だけで観察しているような非情に生々しい現実的な夢でした。 なぜか、職場の人しか(それも配転する前の)登場しなかったのが印象的でした。結構、おかしくなった人もいたそうだから(キ印スレスレ?)…。正夢になったら怖いな?。
2005年10月19日
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靖国参拝について、はっきり、私はどうでもいいし、興味関心もない。信教の自由が保障されている限りにおいて、参拝もその個人の見識に委ねられるであろう。だからして、靖国参拝についてはその行為そのものが個人の見識の表明と受け取ればいいだろう。 しかし、こと、宗教事になると、神秘学を独学している身の上であり、かつ、現代は太陽の愛の時代なかばであり、その一員として生活し生きる上において、なんらかの理念を示しておく必要はあるだろうと思う。 とどのつまり、靖国参拝問題は、個人見解が、社会の公的規則、模範に反しているかであろう。つまり、言い換えれば、公的規則を守る意志があるかどうかである。 残念ながら、現時点では、公人のとくに為政者による靖国参拝は、政教分離の原則に反するという憲法違反の見解、理念が、高裁で、表出されている限りにおいて、法治国家を建前とする国家ならば、いかなる言い逃れも赦されず、もしその無責任体質が受け継がれるようならば、将来、国家の災厄を生むであろう。また、行政の長が、司法や立法の権利義務を責任回避するのならば、三権分立の原則にも反するであろう。 悪法も法なりという諺がある。法律とはそれを守る意志や勇気を試すためにあると、私はこれを解釈している。だから、どんな個人見解をも法律を超えることはあってはならない。政教分離の原則がおかしいというのなら、それこそ人類の理念に対する懐疑そのものであるだろう。 なぜならば、政教分離のその理念そのものが多大なる人類の命の犠牲の上になっているのであるからである。 では、参拝そのものの原点に返ってみると、参拝することは、霊魂を鎮めるということであり、未浄化魂を、浄化させることであるだろう。したがって、参拝のその意味は、霊能者でなくては、ほとんど見い出すのが困難であろう。 しかしながら、霊能者でなくても、人間である限りにおいて、祈るという行為は、念を生み、祈っている本人を通して、霊界にもその気持ちは充分に伝わるということであるから、祈るという行為をあながち否定的に捉えてはならないということは、どの宗教のお題目にもあることである。 そして、どの宗教にも見い出されるように、祈るという人間の行為は、その人の心掛けをそっくりそのまま本人に返すものである。単当直入にいえば、このような神に仕える私を見守っていてくださいと自らを奉納することである。だから、私という魂が日頃行う態度や行為そのものいかんにかかっている。つまり、参拝や祈るという行為は、本来、形式に拘ることなく、本人の意志の自由に委ねられるものなのである。 参拝行為そのものは、現界(この世)が、霊界(あの世)及びその上位の神界の活動の基にできているということを前提にして、子や孫を親にみせるような気持ちを代弁したものなのである。「あなたさまのお陰で、ほら、日々精進してここまで育った私をみてください」というような気持ち本心が肝要なのである。 形式よりはその気持ち、感謝の大切さ、どこまでこころをこめたかにあるのである。 一国の総理が心を砕くところは、国民の生活であり安定であって、いかに伝統であろうと、形骸化した偶像崇拝では決してありえない話なのである。 現代人は物的価値観は豊富だが、代わりにその物質をつくっている力の源や霊性を失った。なぜ自らがありえるのかもわからない儚い存在なのである。日常は欺瞞や錯誤で満ち溢れている。いつ悪魔に魂をさらわれるかわからない。だからこそ、日々、間違えを正して生きていかなければいけないこの世は修行の場なのである。しかし、あえてこの道を進まなければ人類は神の道へと前進しないのである。 神の道は、上にあるようにみえるが、下にあるのだ!。
2005年10月18日
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今年は楽天新規参入とかとにかく色々あったプロ野球だが、めでたく、ロッテに決まった!(にわかロッテファンに変身したのだった)。 やはり、これからのプロ野球はファン第一のものでないとダメだと思う。そういう意味では、セリーグも阪神優勝で、ダブルめでたしといったとこだろうか?。ファンの勢いがプロ野球の運命を握っているのだ!。オーナーなど、ファンの下請けでしかない。ファンのこころをつかめなければ、とっとと経営権を他に譲るべきだろう。 しかし、せっかくのロッテ優勝が、靖国参拝で汚されたのは少し頭にきた。太平洋戦争を忘れたわけではないが、国民の期待に応えられずに、税金ばかし絞りとるような国家に、愛国心などなく、かって、そのような弱き国民の命を、愛国心によって、戦場に送り、自分たちは贅沢優雅な暮らしをして、裁判にかけられて我に返るような戦犯たちに、何の思いももたない。 今も昔も歴史舞台の構図は変わらない。変わっているのは人のこころである。いまの若者に愛国心なぞ持ちえるわけがなかろう。日本人というより阪神ファンでありたいし、ロッテファンでありたい。その方が充分平和である。個人主義のいい面だと思う。 財政赤字を垂れ流しておき、国を破壊しておいて、何を今更という心境である。自ら人殺しをしておきながら愛をと叫ぶ偽善者とどう違うのか?。ちゃんちゃらおかしい。
2005年10月18日
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今日の夢は非常にわかりやすかった。わかりやすいというのは、大体、夢の大半は忘れているのだが、うろ覚えである特徴あるイメージが残り、後でその記憶を振り返ってみると、漠然とある解釈が浮かび上がるという感じなのだが、今日の夢は、割と具体的に思い出されたからである。 しかしながら、はっきりくっきりと分かった割には、その内容は非常にお粗末この上なかったのだ!。で、その夢というと、信長の野望というゲームをやっていただけだったのである(なんかゲームをやっている自分ばかしを夢にみるのだが…、ゲーマーではないぞ!)。そのゲームの内容もほぼ覚えているのだが、信長亡きあと、どの武将でプレーするかを考えている間に、なかば終わってしまったという感じだ。 現首相は、似非信長気取りだが(史実の信長とは違いすぎる)、その後の跡目争いの描像でもあったのであろうか?、普通なら明智、秀吉あたりだが、大和に潜伏していた服部を味方につけた家康か?、ともかくも、意外な人物が浮上してきそうな感じではあった!。
2005年10月18日
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最近、夢の覚えが非常に悪い。しかし、いままでで書いた夢が、結構、正夢になっているのには、我ながら吃驚ドッキリといったところでもある。 正確には当たってないのだが、まあまあといったところで当たりという感じ(おぉ、あの夢はこういうことだったのか…という感じ)。 で、昨日、本日の夢をおぼろげながら書くことにする。 昨日は、米国らしきところにいった夢をみたのだが、その夢を見る限り、米国っぽくない、どこか映画ブレードランナーの世界であるのだが、自分の意識は米国だという感じだった。そういう映画ブレードランナーチックな街を、なぜか人に会わないように逃走を続けるようなゲームをやっているという感じだった。追われているのか、あるいはある楽園を求めているのかそんな感覚のなか、非常な急坂(60度ぐらいの)を上るか上れないかするうちに目が覚めた。 本日の夢は、たしか、昔の自分の家に戻ったものだった。それ以上覚えていない。昔の自分の家にいるのに、いまの職場の人と住んでいるのは夢ながらの出来事なんだろうか?。
2005年10月17日
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昨日は夢をあまり覚えていないせいと、ある絶版の本を探していたせいで、書き込むのを忘れてしまった。では、本日の夢を書き込む。私は、一口馬主と呼ばれるクラブ会員制の馬主をやっているのだが、出資している馬(俗に一口馬主仲間では愛馬という)の出走ビデオを、必ずDVD(昔はビデオ)に記録してきている。なんやら今日の夢のテーマは、そのDVD記録をとり忘れて、魘され悩まされ、後悔するようなもんだった。最近、なにやら、上に述べた探し事や、ネットで検索ばかししているので、そういうような夢をみたのかもしれない。
2005年10月14日
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今日の夢は、残念ながら覚えていない。病院のようなところをうろちょろしていた記憶しかない。そんなわけで、今日は書けない。あしからず。
2005年10月12日
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休み中はどうも夢を忘れがちで、2,3日書き込まなかったが、以下のような夢をみたような気がした。1.なんかのゲーム、恐らく信長の野望のようなものを、信長ではなくて、また国取りゲームではなくて、なんか霊性化していくようなゲーム。唯物論者が沢山いるところを、霊能者を送り込んで、霊化していくようなゲームをやっていた、とくに覚えているところは、霊能者として、いま流行の江原ヒロユキ(だったかな?)を送り込むつもりが、間違えて、三輪アキヒロを送り込んだら、唯物論者が増えてしまい、ゲームオーバーになったところで、目が覚めた。2.昔通っていた大学にいくか、いまいっているところにいくかで、迷った挙句、なぜかいつも昔風のバス停や、宮崎駿のととろのバスや電車にのって、昔の日本の田園風景に、彷徨ううちに目が覚めた。というような2本だての夢を見たような気がする。
2005年10月11日
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昨日は、巨人の夢をみたような気がするが、内容の詳細は忘れてしまった。どうも巨人は二分化し、勝ち組と負け組に分かれたような夢だったと思う。私はもはや巨人ファンでもなんでもないので、どうでもいいが、入るとしたら、引き分け組に入りたいな。 で、本日の夢はというと、また過去を振り返る編のようなもので、高校時代の友人が出てきて、昔の長屋のようなところでドラマを展開したように思える。そういえばあの頃、三角関係やら思春期盛り沢山の出来事の毎日だったので、そのことが蘇ったような感じでもあったね。しかし、登場人物の一人にサッカー番組でヒロインな白石何某(名前忘れた)が出ていたのは、なんでだろうか?。別に好みでもなんでもないのだが…?。 その高校時代の友人は、まるで、巨人の星の佐門豊作を彷彿とさせていたので、佐門君とアダ名をつけさせていただいた覚えがある。高校から浪人以来会ってないので、いまはどこで何をしているのかは全く不明だ。 佐門君はとにかく早稲田大学信望者で、共産主義に凝って、よく仲間と議論していたのを思い出す。そのときはサッカー青年だったので、そんな話はどうでもよかった私は、まるで無関心人間だったので、どうしてそこまで熱くなれるのかわからなかったが、ちょうどそのとき、サッカーワールドカップスペイン大会があって、ブラジルだの、イタリアだの、ドイツだのと、サッカー論議を同じようにやっていたことを思えば、同じ穴のムジナだったようだ。とにかくあの時期は、何かに熱く何かにのめり込みたい衝動があったものと思われる懐かしき時代だったなぁ。
2005年10月07日
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昨日は、爆笑問題の番組をチラっと見て、ハマコーや宮崎がでているのでチャンネルを変え、その後、立川談志が、手塚治虫を語る番組をみた。爆笑問題の番組感想は、いまの教師は大変だな~!という印象で、同情したが、逆に政治家は、しかし、どうしょもないなと素直に思った。 同じセンセイと呼ばれる職業でも、一方はもはやセンセイという権威は失墜し、一方は特権階級かのごとく以前にも増して増強しているといった好対照な感じだった。いっそのこと、いまの政治家と教師を入れ替えてみたらどうなんだろか?と無責任にも思ったりもしたのだが、教育に関して一言いわせていただければ、教育とは忍耐なりよと思うのだ。 教育問題がこれほど世間の関心を集めるのも、みんな家庭で解決できることを学校に持ち込むからであると思う。親がいちいち言い過ぎると思う。少し観点が逸れてしまうが、巨人の星の星一徹と姉こそ、日本の理想の家庭だとも思う(ちょっとというか大分いいすぎかもしれん)ぞ。男は黙って拳骨食らわす。そしてなんで殴られたか考えろ!と言う。女はそんな子供を陰で支え見守る。これが理想なんじゃないだろうかねぇ?。 随分前に、なんかのCMに、勉強ができなくてもいい、逞しく育ってくれるだけでいいというのがあったのだが、それでいいんじゃないかと思う。あれこれと親が口出しするのは、軟弱モノを育てるだけなんじゃないか?とも思うよ。学校のことは教師に信頼して任せる。親はなるべく口を出さないで、家庭のことに全力を注ぐべきだ!。家庭のこととはなにより躾であろう。敬と恥としっかり教える。公私混同をしないように境界線のメリハリをつける。それが社会に出るための人間の基本だと思う。 家庭の事(私)と学校の事(公)のメリハリがないから、問題が生じるのであろう。長くなってしまい、手塚治虫を語るのは次回にしたい。 付け足しになってしまったが、本日の夢は、どこかの学校の教室で、心理学というか、性格学、気質学みたいなのを学んだ夢であったように記憶している。親と自分の年齢を足してかなんかして、色づけして評価すると、親の気質と自分の気質が一致するというような講義を、なぜだか大学院の後輩が先生となって、教えていた夢であった。 その後輩は数学科出身の帰国子女で、出会ったときから一風変わった性格だった。あまり数学とは関係ないと思われる三島由紀夫が好きで、その講義かなんかのテープを聞かされた覚えがある。そして、とにかくナルシスト的なとこがあり、そのときから自分だけの果てしない世界をもっていた。最近会っていないが、相変わらず昔のままなのだろうか?、夢のなかでは、全く昔と変わるどころか、よりパワーアップしていたが…。
2005年10月05日
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昨日の午後から、軽い胸焼けがする(念のため、恋ではないといっておく)。恐らく軽い肺炎のようなもんだろうか?、むせるので咳がよくでる。というわけで、風邪になってはたまらないので、葛根湯を飲んで、早く眠った。といっても11時半ぐらい。 そして、今朝の夢だが、なんだか怪物になった夢をみた。自分の身体の一部が巨大化し裂けるような感じで、まるで永井豪が描く悪魔の世界のようなものだった。巨大化して裂けたら、トイレにいって糞をしないといけないような使命感があり、トイレにいくのだが、出ないといった感じだ!(出てしまったら、寝糞になる?、ヤバイ!)。 このようなよくトイレにいくが糞がでないという夢は結構みるのだった。トイレもなんか水が絶えず流れていて、旧来の天然さ溢れるものだったような…。登場人物は親戚のいとこの子供で、なぜか、妹の子供に似てたりと相変わらず支離滅裂なよくわからない(まぁ、夢はそんなもんだが)設定だったような気がする。 そういうことで今回は非常に御下劣な夢であったが、きっと、軽いウイルス感染(仕事で腫瘍細胞を取り扱っているせいもあり)に対する自己防御の心境が、そのような夢を表出させたのだろうと解釈している。ウイルスが繁殖しないうちに体外から出してしまえというような暗示なんかと思うのだが、夢鑑定者の方いかがかな?。
2005年10月04日
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私は日本の侍を描かさせたら、藤沢周平か、山本周五郎かだと思っている。とくに最近は、藤沢周平作品が映画化されて、非常に出来がいいので、なんべんも観てしまった。それにくらべNHKでやられるドラマはあまりにも貧弱にすぎてイマイチだった。「蝉しぐれ」はまあまあだったが、「秘太刀馬の骨」ははっきりいってクサすぎで失敗だと思う。あれじゃ、格好だけ江戸期で、現代劇と全く同じである。水戸黄門、大岡越前レベルといわせてもらおう。 NHKドラマの愚痴はともかくおいておいて、その秀逸だと思われる「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」についてノベル。 「たそがれ清兵衛」は、やはり、藤沢周平作品の剣の凄みというか、剣のリアリティがよく出ていたように思える。俗に剣というと派手さや過剰な演出がみられがちだが(NHK、民放のが典型)、そのようなものがなく、いかにも、真剣という感じが全面に出ていたと思える。大体、一介の武芸者ならば、安易に剣を抜こうなどしないものである。やたらめったら剣をすぐ抜くところなど、どうみても軽薄さを免れない。抜くまでのプロセスの重厚さが藤沢作品の命なのである。なぜ、抜くに至ったか?、これが大切なのだ!。 抜きたくないが、人を切りたくないが、できれば戦いたくないが、日本男子やむにやまれず、面目面子丸つぶれの究極に至った場合に、武士に二言なし、一旦、決めたらとことん闘う、闘うのならばその宿命に沿って、どこまでも清く創造的独創的に剣を練り挙げるという決心、そこまでのプロセスが重要なのである。藤沢作品には全編にこのようなやむにやまれぬ無常さが流れているのである。 剣をとって闘ってたとえ勝ってみても、一抹の無常さが残る。この無常を墓場まで抱えて生きるというのが藤沢周平の描く因縁の武士の浪漫なのだと私は勝手に解釈している!。 「隠し剣、鬼の爪」で、昔の剣友と戦う宿命になって、主人公が、師匠のところに行くと、師匠は、その宿命を予感していたようなセリフを吐く。あのところに藤沢作品の無常の集大成がある。人間関係の無常さがある。勝負とは何なのか?、因縁とは何なのか?、何の為に闘うのか?、それは剣を握ったときからの剣士の宿命である。そして、師匠は、伝説、伝統を弟子に伝授する。そこには勝負を超えた悲劇の無常を背負って行かねばならない男の性の掟、悲哀の伝授がある。 男は弱いが、強く逞しく生きなければならない。そして、そのような性を克服するためにやさしさの許容量、器を広げないと生きられない。そこに剣があり、日々の精進がある。それこそ隠された男の浪漫、秘めた男の真の男根なのだ!。そして、戦いを終えた主人公は、そのような悲哀を抱え、母なる大地である女に母性を求め、その解消を望むのである。この世に男と女という生き物があるというのはいかに神が辛抱配慮の行き届いた存在かを暗示させるのである。男だけでは気が狂い新撰組のようになってしまうだろう。もし、そこに女の母性があれば、男はハタ(陽区ではない?)と現実に帰り得る舞台をもつ。 藤沢作品には、古きよき男の美学と女性との一定の緊迫した緊張関係が描かれている。男は強くやさしく、女は純粋で美しく。礼にはじまり礼に終わる。そのような映画が日本の侍映画の真髄だと思える。 次の映画「蝉しぐれ」もかなり期待してしまう今日この頃である。できたら、馬の骨も映画化してほしいぞ!。 私的には、勝海舟あたりを映画化してほしいな!?。福沢なんてもんもあったが、どうみても、慶応の宣伝フィルムとしか思えなかったな!。幕末もんは駄作が多いが、三谷幸喜脚本の「竜馬と妻とその愛人」はよかった!。しかし、あくまでも喜劇なとこが…、少し残念か?。
2005年10月03日
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昨日は、ヤフオクで、ヴァンヘイレンのサウンド再現のギターエフェクターを、入札するかどうか迷った挙句、とりあえず、知り合いのスタジオミュージシャンに、モノが再現できるのかどうか?、聞いてからにした。 その後、F1の特集をみたが、セナ、プロスト時代のホンダエンジン全盛の頃(あの頃のマクラーレンホンダマシンのデザインが最も気に入っている、プラモでも買ってつくればよかったといま後悔)は以来なので、タイムスリップ感覚だったが、そのころも出ていて、異様な懐かしさを覚えたが、今年のことなぞ全く無知なので、ホンダの全面支援があると思われる佐藤琢磨がなぜ、シートを失うのか?、そこらへんがよくわからなかった。そんなこんなで、夜1時ぐらいになり睡眠。 今日起きて、覚えている夢の光景は、明石さんまらしき人物と、江戸期のような居酒屋を転々として、巡った夢であった。話の内容は全く忘れてしまった。なんか芸をやったようなやらなかったようなそんな感じが残っている。そんなとこだ…。
2005年10月03日
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昨日みた夢は思い出せなかったが、今週はいよいよ秋競馬G1はじめのスプリンターSがあるので、予想に熱中していて、夢どころではなかったかもしれないが、そのかわり、今日の夢は割りと克明に脳裏に残っていた。 それは競馬をしている夢で、競馬といっても馬券を買っているのではなく、ジョッキーとして馬に乗っている夢だった。そういえば、よくこのような競馬をしている夢をみるのだ!。その際のコースはJRAの普通の競馬場とは違い、どこかヨーロッパの広くて自然に起伏の富んだ競馬場というよりは、田園や海岸を走っていたような気がする。競馬というよりも障害物競走に近い。 今日のコースは、果樹園を突っ切っていくようなもので、なぜだか武豊だけが登場している変な夢だった。武豊が乗っている馬の手前を、私は進んでいて、後ろを振り返るように武をみていたが、果樹園に差し掛かると、上からリンゴが落ちてきて、それを、武豊はうまいことにどこかからカゴを取り出してきて、キャッチする。それをみて私は「流石だ!」と賞賛するが、その後、武豊はレースに勝つために、そのリンゴとカゴを捨ててしまうのをみて、「武豊でも捨ててしまうのか?」と訳のわからない感嘆をする。 その後、ゴール前になって、皆が真剣に馬を追っているなか、自分の馬だけは反応が鈍く、置いておかれる形になり、気がつくと、いつのまにか武豊の背後にまわり、背中にしがみついて疫病神になっていた。そして、武豊が負けたのは自分のせいだと気がつく、そんな夢でした!。とにかく、武豊ばかりを賞賛しているへんな夢だった!。 これは今日の馬券の予知夢なのか?。武豊のアドマイヤマックスを買っても当たらないということか?、俺が買うと当たらないというジンクスなのか?、う~ん、とりあえず一応、買っておくぞ!。武豊ファンには悪いがね?。
2005年10月02日
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