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刈谷市美術館で開催していたチェコ絵本とアニメーションの世界展を見てきました。(相変わらず最終日すべりこみで)チェコのアニメといえば、芸術的な人形アニメで有名なトゥルンカだということで、楽しみに行ったのですが、2004年にトゥルンカの展覧会をここでやったそうで、今回の展覧会では、その周辺および流れをうけた作家の、絵本や原画、アニメを中心に展示していました。ほのぼのとした挿絵の作者のヨゼフ・チャペックのチャペックって、どこかで聞いた名前だなあと思ったら、「ロボット」という言葉を初めて使ったカレル・チャペックのお兄さんでした。カレルの書いた「長い長いお医者さんの話」という童話の挿絵を描いていたのでした。場内では、NHKのプチアニメなどの愛好家としては、懐かしい感じのアニメがいくつも上映されていました。気のいいアリが、困っている虫たちを助けてあげるお話や、飼っている犬がものすごく大きくなってしまう話とか言葉がわからなくても楽しめるところがいいです。現代のチェコの絵本も紹介してありましたが、子供の読む絵本というより、大人が見ても鑑賞に耐える、とてもアートな作品でした。特に印象的だったのは、ペトゥル・シースという人の「三つの金の鍵~魔法のプラハ」という絵本の原画です。3枚、大きな絵が壁に並んであったのですが、そのまま不思議ワールドに引き込まれてしまいそうな迫力でした。グッズ販売のコーナーで、その絵本の日本語版が置いてあったので、買ってしまいました。 もう一冊そこでヤン・シュヴァンクマイエルという人の「不思議の国のアリス」の本を見て、それも釘付け。それこそ不思議な国が、コラージュなどの手法を用いて現代アートで表現されているのです。散々迷ったのですが、これも買ってしまいました。(すごい散財をしてしまいました。でも一期一会と思ってつい)もう気分はホクホクで美術館を後にしたのでした。
May 28, 2007
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子供も大きくなってくると、逆にいろいろな情報を教えてもらうようになります。娘とは、アートやクラフト、本など、趣味が似ているのでなおさらです。装丁家、鈴木成一の名前を教えてもらったのも娘からでした。私が本を買うときは、書評か、友人のお勧めで選ぶことが多いのですが、娘はけっこう本の表紙で選んでいたのです。そしてそこに同じ装丁家の名前を見たというわけです。「なんかこの人すごい!」と話してくれました。言われて見ればあの本もこの本もという感じで、ベストセラーが数え切れないほどあります。娘はすっかり夢中になって、自分もできたらこういう仕事がしたいと言っていたのですが、大学進学の段階であきらめたようでした。(実技の勉強にめげたらしい)22日のNHKプロフェッショナルという番組で、鈴木成一氏のことをとりあげていました。その仕事の様子を見て、感動しました。まず、原稿をちゃんと読んで、内容を把握してイメージを出しているところ。1ヶ月に60冊以上もの仕事をこなす超多忙な人なのに。朝5時起きて、ゲラを読んでいるのです。村上龍氏が、センスのある装丁家はいっぱいいるが、鈴木成一さんの装丁は本の内容をしっかりつかんで表現している。そういう人を他には知らないというようなことを番組内で言ってましたが、それがわかる村上龍氏もすごいけど、それを伝える鈴木成一氏もすごいです。また、すべての装丁に自分でチェックを入れているのです。自分の名前がついているのだから当たり前といえばそうかもしれませんが、本のタイトルのロゴのちょっとした角とかも自分で地道にパソコンで直しているのです。あんなにたくさんの仕事をこなしていながらも、ほとんどの部分を自分の手で作っているようでした。根っからの職人気質なんですね。そして本を読んでその本質を把握する能力の高さ。いくつもの本の装丁を同時進行させながら、スパッ、スパッと決めていく手際。もちろん悩むときもあるようですが、こういう絵が欲しいというイメージがはっきりしていて、ぐいぐい作業を進めていくところに、切れるような才能を感じました。すごく忙しそうなのに、わくわくして仕事しているとか言っていて、鈴木成一氏は、なんだか楽しそうでした。その気持ちがないと人の目をひきつけ魅力あるデザインにはならないそうです。鈴木成一氏の言葉はおもしろく、番組を真剣に見てしまいました。これからのお仕事も、とても楽しみです。
May 23, 2007
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久しぶりに何かを思い出したりするのって、空気に気配が含まれて漂ってきたりするのでしょうか?しばらく連絡をとっていない友達に、ちょっと電話しようかなと思いながらも、つい先延ばしにしていたら、向こうからかかってきたとか、伝えたいことがあると思っている人と、ぱったり会ったりとかってありませんか?先回の土人形の話題を書くときに、確認したいことがあってサイトを検索していたら、以前お世話になった人が郷土玩具のサイトを作っているのを発見しました。あいかわらず土人形に夢中なんだと思って見たのですが、その翌日、今度は新聞にその方が土人形の展示会をしているという記事が載っていました。地方版のコーナーなので、小さな記事なのですが、そこで何十年ぶりかのお写真を拝見してしまいました。不思議な偶然です。以前、セト・ノベルティの0722よしさんが同じようなことを書いていらっしゃいましたが、やっぱり虫の知らせのようなものってありますよね。なんだか懐かしいです。大学の美術部の写生旅行で近江八幡のユースホステルに泊まった折、そこのショーケースに土人形が飾ってあったのです。私の母が土人形でお節句を祝う土地柄の出身だったので、興味を持って聞いたのが縁でいろいろ教えていただきました。そのこともあったし、また近江八幡の美しい風景にも魅せられて、その頃はちょこちょこ遊びに行きました。ヨシがずっと続く先に湖が見え、さらにむこうに山々が見えるあの水郷の風景は本当にいいです。年をとったら、琵琶湖の辺でのんびり風景を眺めて暮らしたいと、真剣に思っていました。近頃はめっきり有名になって、この間行ったら、八幡堀のあたりがとてもきれいになっていました。古い家を生かしたお店もいくつかできていたし、なんといっても和菓子の「たねや」さんのお店がすごい人気でした。(私は丁稚ようかんの、あまり甘くない味が好きですが。でも「たねや」の洋菓子部門のバームクーヘンもおいしかったです。)まあ寂れてしまうよりは、元気があっていいですよね。それにわりといい感じになってましたし。近江八幡は、水郷などの風景もいいですし、(メンタームの)近江兄弟社を興したり、日本のあちこちに洋風建築を作ったヴォーリーズゆかりの土地で、ヴォーリーズの居宅をはじめ、彼の建築がいくつかあります。それと近江商人ゆかりの町並みもあって、町を見て歩くのも楽しいです。うちの辺からはみょうに近いので、かえって最近はゆっくり訪れることがなく、とても残念なのですが、またスケッチなどしてみたいと思います。それといちど船頭さんが手でこぐという、水郷めぐりの舟に乗ってみたいと思っているのです。
May 17, 2007
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近頃、新聞(愛知県では絶大なるシェアの中日新聞です。)を読んでいたら、続けて3つもマイブームな記事が載りました。始めに土人形の記事。愛知県あたりでは、もう土人形を作る人はいないのかなあと思っていたら、碧南市で80歳を過ぎたおじいさんが作っていらっしゃるとのこと。彩色したカラフルな土人形の写真が大きく載っていました。題材は昔ながらの歌舞伎ものや節句ものなのですが、おもしろいことにアクリル絵具で彩色していると書いてありました。言われてみればなんとなく艶が・・・でもお年なのに、すごい細い穂先の筆でお顔を描いていて(写真で見て)驚きました。本物の職人さんですね。ちょっとでこぼこした感じの仕上がりが、また素朴でいい味出しています。いつまでもお元気で、がんばってください。次の記事は小泉八雲のひ孫にあたる小泉凡さんのインタビュー。明治時代、外国に追いつけ追い越せと富国強兵に力をいれ、国が教育を進めたことを、八雲は憂えていました。今の時代もそれに近く、八雲の言っていたことが大切になっているのではというお話でした。凡さんは、子供たちに本物の木の下駄をはかせ、歩かせてみて、そのカラコロという音の響きを子供たちに体験させたりします。そうすると、本を読んだりしたときに、共感することができるから。今の子供たちには実体験がないので。夏のヒグラシの声、夕方になるといっせいに鳴くカエルの声、草むらから立ち昇る草いきれ。私はああ懐かしいと思い浮かべることができますが、うちの子供たちは、親の怠慢もあって、なんの感動もないような気がします。その場の空気を知らないと、本や映画を見てもとらえ方が違ってくると思います。こうしてだんだん共通認識がなくなっていくのでしょう。3つ目の記事は豊後高田市の観光記事。豊後高田市は六郷満山、国東半島の入り口です。熊野磨崖仏のすごい石段の記事に「そうそう、大変だったわー」とうなずいたりして。この磨崖仏を見に行ったころは、ふもとには民家しかなくて、バス停近くの家の人に「ご飯を食べられるお店はありませんか?」と聞いたら、「この辺はなんにもないよ」と気の毒そうに言われ、仕方なく腹ペコで石段を登り、石仏を見て降りてきたら、先ほどのおばさんが、おにぎりを家の縁側で振舞ってくれたのでした。そんな人情のある土地でした。(交通も不便なので、けっこう車に拾ってもらったりもしましたが、今の世の中ではとても勧められませんね。)新聞の記事の方は、仏教文化の史跡についても書いてありましたが、メインは、豊後高田市に昭和30年代の町並みが数多く残っているので、「昭和の町」というコンセプトで町おこしをしているという記事でした。テーマパークではなく、今生活しているままに、再現しているところが面白そうでした。昔行った頃は本当に田舎で、仏像好きな人が史跡めぐりに行くぐらいの土地でしたが、だんだん観光を考えて発信していくようになっていくんですね。それはそれでアクセスがよくなればいいと思いますけど。でもあの圧倒的な山々と自然は残して欲しいと思います。これまでマイナーだと思っていたマイブームですが、こうしてみると、けっこう同じような方向を見ている人がいるんだなあと思ったことです。だいたいこうしてインターネットを通すと、本当に同じ趣味の人っているんだなって感じることが多いですし。そうか自分の趣味ってけっこう一般的なんだって思っちゃいました。
May 14, 2007
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長々と旅行について書いております。なかなか四国はおもしろい。全体がテーマパークと言ってもいいのではないでしょうか。もともと八十八ヶ所めぐりという伝統がある土地柄のせいか、地元の人が旅人に暖かい気がします。そしてまだ自然も豊かだし、懐かしい風景もいっぱい残っています。気候もおだやかというのもいいですね。さぬきうどんめぐりもすっかりゲーム化して、有名店は休みの日にはすごい人出になり、近隣の住人にも迷惑をかける騒ぎになったとか。駐車場が少ない所が多いので、うどんめぐりタクシーなどもあったりします。(もともとお遍路タクシーがあるくらいなので。)若い人はレンタサイクルでがんばっていました。さて我が家の二日目ですが、まずは栗林公園へ。ここは早朝から開園しているので早起きの人にはぴったりです。園内に讃岐民芸館があって、讃岐の民芸品の紹介のほか家具館というのがあり、そこにジョージ・ナカシマの家具が置いてあるのです。昔、雑誌でジョージ・ナカシマの椅子を見てあこがれていたら、ここにあって感動したのですが、まだちゃんと置いてありました。ナカシマ・チェアーとして、地元の桜製作所で作っているようです。この桜製作所とジョージ・ナカシマの縁についてのサイトを見つけました。(特集「木の仕事」)栗林公園を後にして、またうどん屋「あたりや」へ。ここも10時半の開店前から行列でした。さすがなんというか、きりっと澄み切ったおいしさのうどんでした。今回私たちは日、月(祝日)という日に行ったので、製麺所の横でやっているようなタイプの所はほとんど休みだったのですが、「穴吹製麺所」という所が一軒開いてそうだったので行ってみました。これまた狭い道を行く、わかりにくい店だったのですが、それでもぽつぽつ来ている人がいて驚きました。3台くらいしか入らない駐車場へ車を寄せ合いながら止めて、机がひとつしかない店内へ。素うどんが一杯100円という安さで(てんぷらをのせると、+100円)、讃岐の人たちが、マックのかわりにうどん屋へ入るというのがわかるような気がしました。お父さんと子供が二人、うどんを食べて「さあ図書館へ行こうか。」と出て行きました。この辺で高松を後にして自動車道で鳴門大橋へ向かいました。途中引田という町で休憩。ここは昔からの港として、醤油や和三盆の産地、お遍路さんの街道としてにぎわったのだそうです。今はすっかり寂れてしまったのを、古い町並みを利用して町おこしをしているようでした。 イベント中だったのでマップをもらって町歩きをし、レトロな郵便局跡の喫茶店でお茶をしたり、お屋敷跡でイベントをのぞいたり、そしてまたうどんを食べました。ここは「かねびし」という醤油さんがやっている、土日祝しかやっていないお店です。もろみ入りのうどんというのがありました。味噌っぽいのかと思ったら青じそやゆずなどの香りが高く、さんざんうどんを食べた後でも新鮮でした。引田はなかなかすてきな町並みだったので、あと10年もしたらすっかり有名な観光地になっているかもしれません。素敵な風景があって、手作りのよさを残す産業があって、本州からちょっと不便な、海外気分の土地。すっかり四国ファンになって帰って来ました。主人はもう次に行くことを考えているようです。
May 6, 2007
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連休ももう一日のみとなりました。これまでは渋滞はいやだと、連休はひっそりと過ごしていた我が家も、珍しく遠出をしました。なんと四国までさぬきうどんを食べに行ったのです。主人が以前から、麺通団なるところの讃岐うどんの本を買って楽しみにしていたので。(「恐るべき さぬきうどん」という本を読むとなかなか面白いですよ。)行きは夜中に高速を走ったので、渋滞もなく、瀬戸大橋を渡って、朝の7時ごろには四国入りをしていました。(1人で運転した主人に感謝)本を頼りに、始めはちょっと奥まった所からと、琴平の先の「やまうち」といううどん屋へ。近頃は、車にナビがついているので便利です。ここは山の中にあって、薪でお湯を沸かしてうどんを出していました。まだ8時ごろでしたが、すでに何組か来ていました。素うどんだけなら出せるというのでいただきました。本当にもちもちっと歯ごたえのあるうどんで、お汁もとてもおいしかったです。 つぎに琴平をまた通り過ぎて丸亀へもどり「なかむら」へ。この時間になると有名店だけあって、開店40分前でしたが行列でした。さっそく列に並び待っていると、後ろにもどんどん並んで最後尾ははるかかなたになりました。しかし並んだかいあってここもおいしいおうどんでした。微妙に麺の固さや舌触りが違い、他のお店はどうなんだろうとがぜん食べ歩きをする気分になりました。(そうは食べられないと思っていたのですが。)次に狙った店はお休みで、その先「白川」という店へ。ここは道から一本はずれてわかりにくいのと、新めの店のせいか、それほど人もいなかったのですが、うどんはなかなかおいしかったです。そこの店で地元の人でご主人がうどんの食べ歩きを趣味としているご夫婦とお話をしました。あちこちお店を教えてもらいましたが、この白川もお勧めのお店だとのことでした。さすがにお腹がいっぱいになったので、金比羅さんへ登って腹ごなしをしました。古くからの門前町琴平は、まるで取り残されたような古びた建物が、あちこちにあっておもしろいのです。わざと商店街をはずれて路地に入ってみたりしました。金比羅さんで丸山応挙の襖絵や高橋由一の絵、田窪恭治の描きかけの壁画を見ることができました。若冲は見られず残念でした。その後宿のある高松へ向かい、時間があったので、その先の牟礼にある、イサム・ノグチ庭園美術館を外から眺めてきました。ここは完全予約制で、火・木。土しか開館しないのです。でも公園のようになっていて、外の道を歩いていても様子は見えました。そもそも牟礼という町は石が出るので、加工された石がここかしこにあり、町中がアトリエのようで、とてもいい雰囲気のところでした。イサム・ノグチの美術館、今度はちゃんと見学したいと思います。一日目の最後は美術館近くの古い建物が有名な「山田」というお店で、うどんを食べました。ここは湯づけうどんが有名らしいです。さすがに本場だけあって、どの店もおいしいうどんでした。 しかし、ここまでくると、食べ盛りのはずの息子も「もう、うどんはいい!」と言うので、夕飯をうどんにするのはやめました。長くなったので続きは次の日にします。
May 5, 2007
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友人たちと話をしていたら、「普通においしい」という言い方は、肯定的なのか否定的なのかという話題になりました。私もよく知らなかったのですが、たとえば何か食べていて、「これって普通においしいじゃん」と言ったら、見た目はいまいちと思ったけど、けっこうおいしいというニュアンスで、一応ほめているんだそうです。友人によると、「全然大丈夫」とか「全然○○できる」とかという言い方は、おかしいと言われているけれど、うんと昔は「全然~ある」の方が正しかったんだそうです。「全然~ない」の方が、後から出てきて、やがてそれが正しい日本語ということになったとか。確かに言葉は生き物なので、長い年月とともに、どの使い方が正しいかも変化してくるのでしょう。今、目くじらをたてておかしいおかしいと言っていても、やがてそれの方が正しくなってしまうかもしれず、実際「全然~ある」は、私たちの世代でもかなり普通に使っています。それで思い出したのがちょっと前に読んだ新聞のコラム。今は離婚率が高いというけれど、意外と江戸時代も高かったという話です。一度結婚したら1人の人と添い遂げ、別れたりしないというようなイメージは、明治以降にできたもので、江戸時代は武士でさえけっこう離婚・再婚をしたそうです。江戸時代のある藩の戸籍のようなものが残っているので調べると、そういう事実がわかるのだそうです。結婚式の形でも、若い人はだいぶ自由なようですが、私たちは一般的に神前式をイメージします。でも昔は近所の人や親戚が集まって飲んで騒ぐようなのが普通でした。今のようにあれこれしきたりを言うのは昭和に入ってからでしょう。日本人はほとんどが仏教徒と言うけれど、それも江戸時代に幕府が戸籍代わりにお寺に登録させたから徹底したのでしょう?最近読んだ杉浦日向子さんの本でも、落語が今の形で演じられるようになったのは、江戸も後半になってからだとありました。そうやって考えると、私たちがこれは伝統だから、しきたりだから、文化だからと思っていることのかなりが、案外短い歴史のような気がします。それなのに、昔の日本人に対して、家を大切にするとか、男尊女卑だったとか、貞淑だとかいった生真面目なイメージが出てくるのは、思うに明治時代以降に、学校制度が整っていって、いっせいにおなじ授業を受けるようになったからではないかという気がします。(そう思うと教育って恐ろしいですよね。)学校で、立派な人々の行いや、こうあるべき姿などを教えていき、何十年も経てば、その歴史やイメージが本物になるのではないでしょうか。今の私たちは、けっこうそういったイメージに縛られている部分があると思います。なので、いろんな情報を手に入れ、様々な視点から見た姿を想像してその情報を考えることが大切だと思います。この年になってもへえーそうだったんだと思うことがたくさんあるので。そしていろいろなしきたりや伝統など、歴史的には意外とたいしたことないんだと知った上で、改めて日本の文化、しきたりや伝統について考えてみるといいのではと思います。
May 3, 2007
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この辺はもうすっかり新緑の風景になりましたが、弘前城では今が桜の満開ですというニュースをテレビでやっていました。かつての同僚に青森出身の人がいて、弘前の桜祭りの話を聞いてことがあります。お祭りにいくと、毎年見世物小屋が来ていたのだそうです。それも人魚とか蛇娘とかタコ女とかを見せる見世物小屋です。私とほぼ同い年の彼女が中学生くらいまで見たと言っていたので、昭和40年代まではあったということになりますが、とても同じ時代のこととは思えず衝撃でした。ちょうど「ダレンシャン」という子供向けファンタジーを読んだ頃だったのでよけい印象が強かったのです。ダレンシャン少年が、あやしいチラシに誘われてサーカスに行くと、そこはフリークサーカス、いわゆる見世物小屋にいるような人々がショーをするところだったのです。ダレンはそのサーカスに出ていたクモがどうしても欲しくなって夜中に盗みに入りますが、見つかってしまい、バンパイアにされてサーカス団と一緒に旅にでることになってしまいます。それが第1巻で、そこからりっぱなバンパイアになるため修行をしたり、バンパイアの敵と戦ったりしたりと波乱万丈な話が続きます。ダレンの父親役をつとめる気難し屋のバンパイアやその友人たちとの交流、年をとらないダレンと大人になっていく人間たちのかかわりあいなどもいい味を出して、全13巻の長い話ですが、あきさせずに一気に読めます。私は第1巻のフリークサーカスのシーンが一番好きですが、これも映画になるといううわさを聞きました。楽しみです。日本の見世物小屋についての本が図書館にありました。やっぱり昭和の頃には見世物小屋が全国をまわっていたようです。本によると、愛知県も岡崎公園あたりに来ていたとありました。その頃には、もう見る人もいんちきとわかっていたでしょうが、演芸としてみれば、やはりおもしろかったと思います。手品や、金魚を飲んだり出したりするような、いろんな見世物もあったようです。大掛かりなイリュージョンや、特殊メイクもいいですが、見世物小屋のような、人間くさい出し物もおもしろそうですよね。
May 1, 2007
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