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連休も近づき、何をして過ごそうかという話になっている我が家なのですが、息子と話していて唖然としました。うちの息子は中学生。普通なら部活で忙しいお年頃なのですが、部活がパソコン部(実態はロボコン部)なので、活動も少なく暇にしています。毎日学校から帰ると、おやつもそこそこ、自分の部屋に行ってパソコンに向かっています。(一応フォローしておくと、無口とかじゃなくて愛想はいいんですよ。)休みの日もほとんどパソコン三昧です。息子は学校から近いのですが、友達は遠方から通ってくる子も多く、普段はなかなか行き来をしません。そこで「連休中に遊びに来てもらったら?」と言ってみたところ、「インターネットで一緒に遊べるんだから、うちに来てもらう意味がないよ。」との返事。友達とメールで時間を合わせて、オンラインゲームに入って遊んでいるのです。「???なんかそれでいいの?」そりゃ学校で毎日顔合わせているだろうけど、でも友達の家に行ったり、ゲーム以外のことをしたりしないのかい!! この子ってどんな子って考えたりしないのかなあ。なんかちょっと怖いですよね。私のお気に入りの本のひとつに、アシモフの「鋼鉄都市」から始まるロボットシリーズがあります。(確か4部作だったと)その2作目の「はだかの太陽」は、第1部で活躍した地球の刑事が、ソラリアという惑星から頼まれて、そこでおきた(その社会では初めてともいえる)殺人事件を解決するというものです。そのソラリアという世界が、今のというか、今私たちが向かっている社会に似ているのです。ソラリアという惑星は、地球からの移民が国家をなしているところです。移住してから長い年月が経っていて、地球よりも高度な技術が発達し、人口抑制により人口密度は限りなく低く、人間1人あたりロボットが1万体ともいわれる世界です。人々は広大な敷地に1人づつ住んで、他人との接触を極度にきらいます。すべてのコミュニケーションを三次元映像ですませ、雑用はすべてロボットが片付けるのです。そして、どうしても人間とじかに会わなくてはならない医者のような仕事は、たいへん嫌われているし、結婚すら嫌われているのです。一方、人が部屋にある人形を意識しないのと同様に、ロボットの視線も、それどころか三次元映像の他人の視線ですら(直に)見られていないからと気にすることなく自宅で過ごしているのです。現代のネットワークに依存した生活、携帯にのめりこむ若者とかインターネット依存症とかの話を聞くと、人間らしいぬくもりのような感覚がどんどんなくなっていくような気がします。アシモフの洞察力は恐ろしいばかりに文明の流れる先を読んでいたと思うのです。
April 22, 2007
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日曜日はいいお天気で、お出かけ日和でした。友人と二人、朝から夕方まで、展覧会を4つも見て回りました。友人はトンボ玉の制作をはじめ、ガラスのプロなので、まず知り合いの方のガラスの個展からスタート。栄のタケガビルにあるガレリア・デ・アルテ で「森 新介 ガラスアート展 ─失われた花の記憶─」展を見ました。思ったより大きい作品で、蘭のような熱帯植物っぽい花を幾重にも重なったガラスで表したランプや花瓶の作品でした。友人より技法などのレクチャーを受けながら見ることができて勉強になりました。次に、これまた知り合いの方が出品している「一陽展」へ愛知県美術館まで。ちょうど知人にもお会いすることができ、アクリル水彩の限界や、マチエールの工夫についてなど、作者ならではのお話を聞くことができました。そしてちょうど上の階でやっていた「若冲と江戸絵画」展へ。今話題の若冲。私は初めて見ました。鶏などはものすごいリアルで、ほかの江戸絵画の作品がかすんでしまいそうな迫力でした。そして有名な「鳥獣花木図屏風」。まるでイスラムのモザイクのような表現。すごいモダンでした。この現代にも通じるデザイン性が、昨今、若冲が注目される所以でしょう。昨年秋に見た日比野克彦展のワークショップで、色紙の小さな四角を3色重ねて張り合わせたものでモザイクをした作品がありました。(この展覧会については「アートはおもしろい」の方を見てください。)それを思い出しました。しかし江戸絵画の画家たちの、植物を見つめる目の確かなこと!本当に正確に見て、それを実に美しい構成で表現しています。ここでやっと遅い昼食を食べ、元気になったので、中村公園のほうにあるガラスの美術館「大一美術館」まで足を伸ばしました。アール・ヌーボーのガレやドーム兄弟の作品と現代のアメリカのガラス作家、デイル・チフーリという人の作品が飾ってあります。アール・ヌーボーの作品を見ると、まるで先ほど見た江戸絵画がガラスの作品になったよう。そういえばこの時代の人々は、日本の美術にとても影響を受けたのでしたっけ。チリーフは一転して、まるでレースのようにみえるガラスの大きな花をいくつも咲かせていました。ベネチアのガラス工房で修行したとかで、色鮮やかで軽やかな表現でした。友人はチリーフの作品が好きだとかで、とても喜んでいました。そうそう売店にはガラスの作品も置いてありましたが、なぜだかセト・ノベルティの人形とその説明が展示してありました。ちなみに今回一緒に展覧会めぐりをした友人は、短大を出て1年ほど尾張旭にある陶器屋さんでセト・ノベルティのデザインをしていたと言ってました。(小さいとこだったので、型に流し込んだり、色をつけたりといろいろ手伝っていたそうです。)ひたすら歩き回った一日でしたが、心は満足して幸せな気持ちで帰ってきました。4つも見たとはいえ、みんなどこかつながっているような印象の展覧会でした。
April 17, 2007
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ときどきお邪魔するblue--rira2さんのブログで、「国家の品格」を書かれた藤原正彦氏が福田平八郎について語った話を読み、小泉八雲の文を思い出しました。小泉八雲は「耳なし芳一」とか「雪女」とか、息子が「日本人だと思っていた」などど言うぐらい、日本人的な情緒あふれるお話を書いています。(ちなみに息子は、最近私が薦めた「坊ちゃんの時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人 」関川 夏央著 という漫画を読んでわかったのだそうです。この漫画も5冊シリーズで漱石、鴎外、啄木、といった明治の文化人をめぐるお話になっており、おもしろいです。)そうした民話のような話も美しいのですが、八雲のエッセイは、今の私たちにも通じる内容のような気がして考えさせられます。明治時代、日本が西洋文化を目標に社会を変えていくさなか、それ以前の日本人の道徳心、他人に対する細やかな心遣いがだんだん失われていくことを憂えていたのです。「日本人の微笑」というエッセイの中では、日本人は他人に対していつも微笑を浮かべて対応する。外国人から見たら笑うべきでない場面でも微笑んでいるので、それが不謹慎であるという誤解を招いたりしている。でも日本人の微笑は、自分を押さえ、周りの人に気持ちよくすごしてもらいたいという気持ちの表れであると言っています。また「停車場にて」という話の中では、列車で護送されてきた殺人犯が改札口のところで、自分の殺した警察官の妻と赤ん坊に対面します。群集が見守る中、連行してきた警官が、赤ん坊に「これが坊やのお父さんを殺した男だよ。今坊やを可愛がってくれるお父さんがいないのはこの男のせいなんだよ」と静かに語りかけます。赤ん坊が泣きながらもじっと男を見つめると、いきなり男がものすごい悔恨の情を表して身をなげだし赤ん坊に謝ります。ここで八雲は、罪人もまた人の親であるという意識が日本人にはあり、子供に対する潜在的な愛情にうったえたという点に心ひかれています。八雲の目を通した明治の庶民の心は、本当に暖かく、憧れます。同じ日本人かと思えるほどです。昔はよかったというのは、単なる懐古趣味かもしれませんが、「国家の品格」があれほどブームになったし、いにしえの日本人の考え、美意識、道徳心は、大切にすべきもののような気がします。明治の富国強兵といって西洋化へと突き進む以前の、日本人について考えてみるのもいいのではないでしょうか。
April 14, 2007
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児童文学ではありますが、お気に入りの本が相次いで映像化されました。(今頃何をと言われそうですが・・・)どちらも入れ込んでいたので、映画やアニメになったと知って、見るべきか見ざるべきか悩んでいます。映画の「バッテリー」の方は、うっかりすると終わってしまったりして。だって「バッテリー」の主人公の野球少年のイメージが、本の中の描写と全然違うんですもの。これはCMを見て、娘とブーイングでした。ストーリーも家族愛や友情の物語となっていますが、「えーっ、そんなほのぼのとした話じゃなーい!主人公はもっと自分勝手な奴だー」。相方のキャッチャー役の子は雰囲気だったけど。小説は、才能もあり努力もする天才ピッチャー巧が主人公なのですが、彼は威力のある球さえ投げれば、チームなんて関係ないというような傲慢な性格です。小学校を卒業した春休み、中国地方の片田舎に引っ越してきて、そこの野球少年たちと知り合います。そのメンバーのリーダーであるキャッチャーの豪が、巧の剛球に惚れ込み、一緒にバッテリーを組んでやっていこうとするのですが、巧のゴーイング・マイウェイな性格のため、中学校の部活などでごたごたするのです。作者はあさのあつこさんと言って女性ですが、ずしんとミットに球が入る様子など、球を投げ、受けるといったような描写がとても力強いのです。まあ心理描写などは、中学生ってここまで考えているんだろうかと思わなくもないですが、大人に従順だったり反発したりする少年たちの感じがリアルです。そしてにこりともしない巧と、彼を取り巻く少年たちのさまざまなキャラクターの対比がおもしろいです。そんな感じの青春ドラマなのに、なんか違うような気が・・・と思ってなかなか見にいけません。どんなもんでしょうか?次に「精霊の守り人」ですが、NHKBSで7日から放送されるのだそうです。この本については「アートはおもしろい」のBOOKのコーナーで前に書いたのですが、主人公が30過ぎの女用心棒という渋い設定のファンタジーです。よく子供向けのアニメで、経験も何もないような少年とかが、やたら強くて敵を倒したりするのがありますが、そういのってやはりある程度は修行というか、経験によって強くなるっていうのが本当じゃないかと、つい突っ込みをいれたくなります。そういう点で、この主人公は納得がいきます。この本の作者上橋菜穂子さんは、アジア的な世界観が独特です。挿絵も日本の神話世界のような髪型とか出てくるし。この世に重なって、もうひとつの世界があるという設定もおもしろいです。その裏の世界の生き物の卵を体に産み付けられた皇子を、無事卵がかえるまで守って旅をするファンタジーです。この話も登場人物や、戦いの場面など要所要所の描写が細かくて、雰囲気をリアルに感じる事ができます。やはり物語りは、ストーリーや会話ももちろんですが、人物や情景描写がしっかりしていると、引き込まれていくような気がします。こうしてどちらの本も映像化されたのをみると、私だけのマイブームでなかったんだなあとうれしく思った反面、原作とあまり離れてしまったら原作が誤解されそうで心配だなあと複雑な気持ちです。まあBSはうちは見られないので、世間の評判を楽しみにしています。今回は、ずいぶん大人気ない話でしたが、どうしても一言(?)言いたくて。P.S. ようやく「精霊の守り人」のシリーズ最終巻、「天と地の守り人」第3部を読み終えました。やっぱりぐいぐいと読ませて一気読みでした。「精霊の守り人」で主人公バルサが守った皇子が成長し、様々な苦労をして(再びバルサと出会い助けてもらいながら)海の向こうからやってきた敵国を防ぐという話です。皇子が戦いの醜さ、残酷さを体験しながら国をまとめる人となっていく様子が描かれています。
April 5, 2007
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今日から4月、早いものです。桜もこのところの暖かさですっかり咲きましたね。昨日まで御殿場から下の子の友達が2人来ていたので、出歩いておりました。御殿場の辺はあまり桜の名所がないようで、富士霊園あたりに屋台が出てちょっとにぎやかなぐらいです。咲くのも一ヶ月は遅れる感じでした。友達たちが初めて木曽川の枝垂桜の並木を見たとき、まだ小学生だったのにすごく感動しました。広々とした木曽川の風景、夕方の光の中で、満開の枝垂桜の古木が並んだ様子は、きっと見たことがない感じだったのでしょう。もう5年になりますが、毎年「桜はどうですか?」と聞いては楽しみに来てくれます。(男の子なのに風流だなあと思います。)今年は妙に暖かかったので、行ったら枝垂桜はだいぶ終わっていました。ここのは彼岸桜なので早いのです。そしてソメイヨシノがだいぶ咲き始めていました。 今回は、そのまま堤防沿いに明治村へ行きました。久しぶりいったらなにやらすごい人で、入場券を買うのに行列でした。小中学生は土曜日は無料とか。それで混んだのでしょうか。明治村も、昔は建物を見て回るだけだったのですが、今は、探検隊というクイズ形式になったイベントがあったり、展示している建物を使って駄菓子屋や写真館、お茶処やお土産を売る店などを営業したり、ボランティアガイドの人が説明してくれる所があったり、昔の遊び体験や、暮らし体験ができたりと、いろいろ参加して楽しめるようになっていました。以前からある蒸気機関車や、ちんちん電車も健在で、園内を動いていました。また、スタッフの人も、おまわりさんや、女学生、書生さんなどの明治風の衣装を着ていて、雰囲気を出していました。まあほとんどテーマパーク化していますが、園内にある建物が、みなかつて普通に日本の風景の中に建っていて、使用され、さまざまな人間模様があったと思うと、感慨深いものがあります。今のところ、子供たちは歩き回って疲れただけのようでしたが(とにかく広いので)、いつかこの価値がわかってくれるといいなあと思います。(でも中2なんだから、もう少し感動して欲しかった母でした。)
April 1, 2007
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