2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全16件 (16件中 1-16件目)
1
三鷹の森ジブリ美術館へいきました。JR三鷹駅南口から玉川上水沿いの「風の散歩道」をゆっくり歩いて約15分です。その道はなかなかに心地よく、白梅紅梅が咲き木々の芽が膨らみ始めて、だんだんに空がけぶってくるようでした。大きな鯉が泳ぎ、水鳥も見られました。遠近法のお手本の絵画のように並木や上水が一点に消失していく構図はなんだかしみじみとしてしまいます。どこか自分の行く末を見ているような、そんな感じがして。美術館は凝ったしつらえの建物でなんというか、ジブリの文化祭!という感じ。絵コンテやセル画、色指定、撮影手順などを見るとアニメって気が遠くなるほどの分業の世界なのだと思い知らされます。書斎風のセットにたくさんの本が無造作に並んでいました。資料となるものでしょうが、とても多岐にわたっていてデッサンの本やレオナルドダヴィンチの本のほかに司馬遼太郎さんや幸田文さんの本とか文学全集もありました。ひとを描くのですから、といわれたような気がしました。喫煙所のそばに井戸のくみ上げポンプがありました。これが人気あるんですね。大人も子どももみんなそのポンプ押すんです。力こめて。で、水がでるとうれしそうなんです。大人にとっては郷愁なのかもしれませんが生まれてからずっと蛇口をひねればいつでも水が出てくる生活をあたりまえとして送っている子ども、あるいは青年にとってそれはなんとも新鮮な出会いなのだろうなあと思ったのでした。ただそこにあるポンプ。そこにはトトロもナウシカもいません。押せば水が出る、ただそれだけのポンプ。幼子が去りがたくその押し手を握りしめます。少年は飽かず押し続けます。ポンプから出た水はブリキのバケツに落ちていきますどどっ、どどっ。その音がなんとも耳にここちよいこと。こしらえごとはこしらえごとでしかなくそのお約束のもとで、楽しんでいるのだけれどこしらえごとのむこうにあるたしかなものがそのポンプにあったのでした。言葉でなく、そんなふうになにげなくおかれたポンプが暮らしの実感のようなものを語りかけているのだと思ったのでした。
2004.02.29
コメント(2)
こんなことを喜んではいけないとおもいつつもあるんだよね、そういうこと、と安心してしまうことのひとつに漢字の読み違えってのがある。平将門を「へいしょうもん」失恋を「しつこい」執着を「しっちゃく」雑木林を「ざつぼくりん」雪崩を「ゆきなだれ」(これ、エースをねらえにあった)旧中仙道を「いちにちじゅうせんどう」とまあ、そんな読み違えを思い出すのだが、今日も朝からNHKのおねえさんが・・・車で20分を「ひがし」で20分と。きっと乱視にちがいないと思うが同じまちがいでもこれはちょっと恥ずかしい度が高い。そういえばうちの息子2はそのむかしひらがなも読み違っていた。「たかしまや」を「たかましや」と。ああそういえば、私は「ストリニキーネ」を「キニステローネ」と。うーん、そういえば、このごろはなかなか思い出せない名詞はみんな、あれ、それ、これ、だなあ。ああ、やっぱり落ち着く先はここなのか。だんだん切なくなってくる…。
2004.02.28
コメント(2)
自由が丘ってすごい名前なだあ、希望が丘もすごいな。幸福駅みたいなすごさだな。きれいなのは横浜の桜木町、紅葉坂、雪見橋京都の深草、藤森、桃山、観月橋も好き。長者町、黄金町、不老町はひとの願いでおもしろい。大歩危小歩危はこまるな。こまるけどおもしろい。それはそうと、碑文谷という地名が気になっている。なんだかわからないが口をついてでる。ひもんやひもんやなんだかいい感じがする。上馬とか松庵も悪くない。東京23区の地図もおなじみなった。だんだんたずねたエリアが広くなっていく。出不精極まりないわたしが、あれまあ、と感心するくらいよくお出かけするようになった。旅は得意ではないけれど美しい名の街にもそうでない町にもふつうにひとがいて、くらしがあって季節がめぐってそうして、やっぱりそれぞれにすべったころんだがあるんだと思うとうれしくなってしまう。<つづき>ああ、なんでこそで終わってしまうのか。まったく、われながら情けないのだけれど、文章の続きまでわすれてしまう。そう、わたしは山梨に引っ越す友人と自由が丘で合って彼女の引越し先の住所をみて、やややと驚いたのだった。南アルプス市!!天然水の町へ行ってしまうのかと。 そこで町の名前のことをいろいろ考えたのだった。そうして、どこへ行っても暮らしは暮らしだしと思っていたのだった。そこまで思って書き始めたというのに・・・わたしのおつむは最近どうも尋常ではない・・・。
2004.02.25
コメント(4)
今朝起きて、わたしは思ったのです。そういえば、わたし、ちっちゃいときからおおきかったなあ、と。小学1年のとき、近所のとしあきちゃんといっしょに通学する姿をみたひとが「あねおとうとのようだ!」と驚いたものでしたよ。頭ひとつ、わたしのほうが大きかったですよ。小学校卒業の時には155センチありましたもの。ええ、わたし、早熟だったんですね。つまり、いろんな成長がひとより早かったんだと思えば、なるほど、物忘れもそのせいであるのか、と思えてきたんですね。ええ、ええ、わたし早熟ですから、ひとよりはやく「ばさま」になるってことなんですね。ならば、いっそのこと、すすんで「ばさま」になっちゃろ!と決めたんですね。そして、不意に「そうだ!お寺へ行こう!」と思ったんですね。よくわかんないんですけど、天気いいし、あったかいし、そんな気分だったんですね。「ばさま」はきっと手作り弁当とか持ってくに違いない。水筒にお茶いれて、どんぐり飴とかおやつも持って、リュックにつめて、帽子かぶって運動靴はいて、さあて目黒の「五百羅漢寺」へ。いざいざいざ。いや、「ばさま」はゆっくりでいいか。東急目黒線の不動前でおりて歩いていると、ほんものの「ばさま」が歩行補助車を押していたんですね。わたし、ちょっと観察させてもらいました。ゆっくりゆっくり歩きながら、鼻歌歌ってるんですね。フンフンフンフンって、ご機嫌なんですね。ああ、春なんですねえ。お不動さんのほうを先にお参りしてると、境内にはやっぱり信心深い「ばさま」がおられるんですね。境内にはいっぱい御堂があって、そのひとつひとつを丁寧にまわって、それぞれにお祈りが長いんですね。何を祈ってるのかな。真剣な顔。信じるこころが大事。本堂ではそばにいた「ばさま」のまねをしてお線香あげたりして、その煙を頭に持っていったりもして、物忘れしませんように、とか思ったりして。「五百羅漢寺」は予想以上にモダンで、博物館みたいで、拝むというより、見学するという感じなのね。なんとなく「ばさま」ふりを忘れて見入ってしまう。羅漢さんはお釈迦さまのお弟子さんで実在したひと。おひとりおひとりのお顔が違っていて、羅漢堂は懐かしいひとの面影を偲ぶありがたい場所だったそうだけど、きびしいお顔をした羅漢さんも多いなあ。父に似た羅漢さんを探す。居そうでいないもんだなあ。整然とならんだ羅漢さんから私語は聞こえてこない。厳しい修行の末の静かなこころを感じる。それぞれの尊者の名前の上に言葉が添えてある。「いつも、すなおな心をもつ」うんうん。「苦労を乗り越え、人生を深く味わう」そうそう。「蓮華は泥中よえい生じて淨らかに咲く」そうかあ。「いま生きてゆくことを喜ぶ」はい。「多くを語る人が賢者とはいえない」ほほう。「ひとの長所を見る」ええ。「こだわりを捨てて、あるがままを喜ぶ」喜ぶ。「多くを聞いて、少しを語る」はい。「過去を自慢するのは、進歩の止まった証拠」そうかあ。「有頂天になってはいけない」はい。単純で奥深い言葉のひとつひとつが迫ってくるんですね。そして、ああそうかそうか、できてないよなあ、と反省したりするんですね。そう、早熟だったのは外側だけで、中身はそれに相応してなくて、ちっとも熟してはいなんだなあ。両の手を合わせてこうべを垂れて一心に祈る「ばさま」たちの中身には、はるかに及ばないんだなあ。年を取ることの意味は、その祈りの後姿なのかもしれないと思えてね。たくさんのことを忘れていくことも、できていたことができなくなっていくことも、みんなその祈りへ向かう道筋なのだと思えてきてね。「ばさま」道を極めるのも、なまなかなことではないようだなあ。でも、りっぱな「ばさま」になりたいんじゃなくて、ひとりでも、その日一日の暮らしを楽しめる「ばさま」なりたい。誰かのために懸命に祈れる「ばさま」、その日の陽気も体調もありがたいなと思えて、つい鼻歌なんかが出てきてしまう、そんな「ばさま」にね。
2004.02.19
コメント(0)
ああ、わたしはくさっておりますぞ。いや、腐敗してるわけではなく、まあ、なんというか、やりどころなく憂鬱っぽいわけですな。なんで?と聞かれて、これ!とひとつ答えられるようなもんでなく、なあんかさあ、こう、自分に対する信頼みたいなもんが、だんだん希薄になっていくような、そんな感じなんですよね。ふっとね、今年は平成何年だったかしらん、とわからなくなったり、風呂の栓をするのを忘れていたり、電子レンジや全自動洗濯機のなかになにかあるのを見つけたり、医者の予約を忘れたり、割合を求めるのは部分割る全体だと思ってもどうも自信もてなかったり、資源ごみの日と不燃ごみの日を間違えたり、葛藤という感じがフリーハンドでは書けなくなってたり、日曜日なのに寝過ごした!と大慌てしたり、あ、電車が来た!とあわてて乗ったら反対に動き出したり・・・。うわあ、思いつくだけでも、このていたらく!!!なあんか箍がゆるんでますよねえ。そんなことが重なったら、これはもはや「生来の粗忽もの」ではすまないような気もして、おボケ元年かあ?と危惧しとります。これってひょっとしたら電磁波のせいなんじゃないの?とか誰かのせいにしてしまいたい。ああ、あの白いひとたちもこんなふうに思ったのかと納得したりして。物忘れの競争なら負けないなあ、とか逆自慢してみたり。これが記憶の新陳代謝だとしたら、それはそれで納得していくしかないし、これから先の人生の必要なことが垣間見えてもくるのかもしれないとか思ったり。記憶に頼れなくなったら、知識が飛んでしまったら、正味の私しか残らなくて、そんなふうにまとうものがなくなった私はどうしたらいいんでしょうねえ。
2004.02.18
コメント(2)
恵まれた環境に生まれるということは,良くも悪くもその人生の色合いを決める。それは選ばれてあるということかもしれない。多くの人が望んで得られないことが、最初から用意されていることの幸せと不幸せがからまっている。伯爵家に生まれ、4歳から能を学んだという白洲正子さんの人生もまたそんなふうであるようだ。出会うひとの質がちがっていたのは事実である。吉田茂氏を吉田のおじさまと呼べるひとはそうはいない。女性としてはじめて能舞台にたったし、アメリカ留学をして、ハートリッジ・スクールを卒業したし、あの次郎さんと結婚したし、志賀直哉や柳宗悦の勧めで「お能」という本を書いたりした。その後文士集団「青山学院」で文学修業をし、古美術や古典、史跡などにその触手を伸ばしていく。正子さんの本は2,3冊読んだだけで、はっきりとはわからないのだけれど、「とらわれ」だとか妙な「こだわり」だとかのなさが、このひとをこのひとたらしめているように思う。見得や体裁からでた権威づけに対して、正子さんはすっと背を伸ばして、それは違うという。くだらない枝葉をすぱっと切り払えるのである。そうして、どんなものでも、自分で見て、自分に問うて、自分で思案して、そして、納得する。ひとすじに打ち込むひとにであったとき、人間として心が動いたとき、世の中の評価がどうであれ、素直にこうべを垂れる。ああ、そうだ、と自分の至らなさを反省する。会いたいひと、見たいもの、求めるものに出会うまで、どんなに遠くても出かけていって、自分の目で見て、自分の手でつかんで、自分の心で受け止める。今生きている自分にひきつけて飲み込む。それがどんなにかたいものでも、さぐりさぐりしながら、いつしかバリバリと噛み砕き、楔を打ちつけるような心意気で、たぶんに摩擦係数の高い借り物でない自分の言葉にして、差し出す。うーん、いったい、なにが言いたいんだい?と自分でもいいたくなるんだけど、なあんか、正子さんてかっちょいいなあと、わくわくしてるんですよ。たたらを踏みつつも読み進んでいると、わっ!と驚かすように、うなるような文章がたちあわられたりするんですよ。「日本人はとかく不完全はものにこころひかれがちです。たとえなシンメトリカルなものをすかないこともそのひとつです。いかにふたつの物が同じであろうとも、完全に同じものがふたつはありえません。同じ花をみるにしても、満開の花よりも散りかたの、またはつぼみのうちに美を求めます。それは「花のさかり」の美しさを事実よりもはるかに美しく想像させるからです。その想像の余地を残すということを日本人は生まれながらにして知っているのです。別のことばで言えば「人間が不完全である」ことをもっともよく知っているとも言えます」「なんでも物にはビギナーズ・ラックというものがあって、生まれてはじまてあたったものにはかえっていいかげんの経験をもつより成功することがあります。なぜならば、知識を持たないために直感にたよるよりほかないからです。人間の知識が発達するにつれてにぶくなった直感は、人が知識にたよれない場合にかぎり溌剌とよみがえるものです」「日本人はひとつのことをあらわすために他のありとあらゆる物を無視することができる特徴があります。たとえば室内装飾でも、持つ限りのもろを並べ立てるかわりに、ひとつの絵、ひとつの花に全てを代表させるとともに、そのほかの余分なものを無視してしまいます。どんなにその余分なもののなかに惜しくてたまらない物があっても、第一のものをひきたたさせるために第二第三のものは犠牲に供します。・・・余白は無言であるからこそ尊いのです」たくさんのことを教わりながらも、自分でお考えなさいよ、と言われているような気がしてくる。作文を書くときにも、その言葉が持つ姿勢、視線が必要なのかもしれないと思う。まず確かな技術、直感、省略。お能というものの奥の深さはそんなところにもあるのかもしれない。次は「対座」。しばらくは正子さんのそばにいよう。
2004.02.17
コメント(0)
うーん、つづきは明日にでもなんて書いたんだけどもうもう、ワタチオネムで、ロートルおつむがもう作文考えるのいやいやっていたしますもんで今日の日はさようなら、また会う日まで♪てことで・・・。
2004.02.15
コメント(0)
はー、やっとこさ、白洲正子さんの「お能」を読了。(併載の梅若実聞書はまだ)白洲正子というひと、前々から只者ではないとは思っていたのだけれど、読めば読むほど、スサマジイおひとである。ハンサムでハイカラで筋の通った、ちょっと口うるさいけどいい男である白洲次郎氏の夫人であるだけでも、すごいなあと思うのに、このひと自身として、次郎さんにひけを取らない人物なのだと思い至る。北大路魯山人を殴っただとか、次郎さんが薩摩を馬鹿にしたので思いっきり横っ面をひっぱたいただとか、さすがおじいさんが薩摩示現流の使い手だったというだけある。なべてこの心意気で生きておられたように思われる。そんな正子さんが「お能についての独り言だ」と自ら言われる文章を追いながら、ある種容赦のない文明批評に、そういう生来の潔さとかごまかしのなさとか凛とした佇まいが感じられてならなかった。正子さんは、お能は女には向かないということがわかるまでに50年かかったのだという。50年やって、百番も舞ってあれは骨格といい、精神といい、すべて男のためにできていると納得して、ぱっとやめてしまう。お能の魅力はロックなどそばによれないほどのノリのよさだと正子さんは言う。舞ったあとは別の国へ行ってこの世に還ってきたような夢のような気持ちになり、ぼーっとした感じが一週間続くのだそうだ。そんな境地になるまで、の修業はなまなかのことではなかっただろう。「物真似」というか、型というか、なにしろお能は型の連続なのだと知った。「型ツケ」というものがあるのだそうだ。サシ、右足一足 左足カケ 三ノ松ヲ見、扇オロシ、面ニテ正下ヲ見、正へ二足フミ込ミ・・・・つまりこれが「お能」の道順である。これが積み重なって一連の動きになってお能の型になる。そこへ笛、囃子、謡が重なって総合芸術となっていく。「お能」の筋書きとは別のところで分解写真の絵解きのようにそういう型が繰り返し修練されるのだ。それは何百年もかかって何千回何万回と舞われたなかで、ついにこれ以上理想的な表現法はないとまで定められた「能の型」である。正子さんはこんな風に書く。「お能という大きなひとつの絵画を絵であらしめるためにその小部分であるひとつひとつの模様は正確でなければなりません。型はそれゆえに方眼紙の上にでもうつしたくなるほど正確であります。お能の型をするためには、人間はひとつの機械となるよりほかありません。円は完全にまるくなくては、角はつねに直角でなければなりません。お能の型はこれほど厳しく、かつつまらないものであります」そして「お能のたましいは美しい幽玄のなかにも花のなかにもあるものではなく、こんな殺風景な技法のなかに見出せます」と続く。おお、そうなのかあ。お能には自分の心持など入れる余地はなく、次から次へ数々の型を無心に演じるとき自然に重なっていくものらしい。うーむ・・・今日はこのへんにしておきましょう。つづきは明日にでも・・・。ふう、疲れちゃった。
2004.02.14
コメント(0)
ああ、気がついてみれば、かれこれ5週間近く白洲正子さんの「お能」を抱えている。読み進めば進むほど、正子さんてすげえなあと思うし、決しておもしろくなくはないのだけれど、なかなか先へ進めない。まるっきりの門外漢は用語の一つ一つに躓く。へーなるほどそういう世界なんだなあ、と思いつつも、実感が湧かない。わかったようなわからんような妙な感じで、また元にもどてみたりするから、いよいよ先へ進めない。 なにより文章のリズムがどうも自分のと合わなくて、ととととと、とたたらを踏むような居心地の悪さがある。つっかえつっかえ、「お能」の言葉が脳みその戸を叩く。どっこいしょ、という感じでその難くて重たい言葉を押し込む。だんだん頭が重くなって、白旗を揚げる。まぶたが重くなって、居眠りをしてしまう。ほんと、頭悪いよなあ、と情けないこときわまりのないのだけれど、正子さんの本の活字を追うことがだんだんストレスになってきて、本を開こうとすると、目がいやいやをする。で、まあ、えーい!と放り出してみたりして、関川夏央さんの昔の文庫「貧民夜想会」を読んでみた。するとこれが、目が喜んでいるとしか思えないくらい、すらすらと読み進んで、うんうん、そうそう、いいないいないいな、なんてわくわくしながら、くやしいけど、うまいよなあ、なんちゅう斬新な比喩!とか、ああ、この言葉はこんなふうにも使えるのかとか、いつも不機嫌そうな先生だったけど、文章は別物だなあ、などと思いながらあらがいがたく次ぎ次ぎにページをめくっていた。これって重たい鉛入りリストバンドをはずしたヒーローみたいなもんかなあ。読書が作者とバトルだとしたら、私はとても脆弱なファイターであるなあ、と自覚する。知識の海では舵取りがままならず、おぼれてしまう小林秀雄は歯が立たなかったし、フォークナーにはノックアウトされたし、長編は体力が持たないし・・・。それにしても、関川さんの文章のここちよいこと。そのここちよさの向こう側にはきっと数え切れないほどの文章の素振りのような時間があったのだろう、と推測する。
2004.02.12
コメント(0)
音が聞こえてくる絵があるんだな、と思った。東山魁夷の屏風絵を見てそう思った。屏風絵の前で、はじめてそう思った。40分待ちの行列が続いた展覧会の会場は人で満ちそれぞれの私語が展示室に溢れた。「残照」も「冬華」も「花明かり」もたくさんのひとの頭越しに見た。そこここから聞こえてくるため息が耳障りだった。どの作品の前も足早に通り過ぎることになってしまう。そんなふうにして最後の展示室に入ると唐招提寺の襖絵の「涛声」が目に飛びこんできた。波の音が聞こえた。他の音が消えた。鑑真和尚を思って、盲目の人を思って描かれた絵から波の音が聞こえた。打ち寄せて消えていく、その繰り返しが聞こえた。しばらく動けなかった。その裏側には「揚州薫風」があった。風の音が聞こえた。風はほほを撫でて行った。鑑真の見えない瞳に残っているであろう中国の町に吹く風だ。東山魁夷というひとの思いの深さだろうか。それとも私の思いだろうか。何枚か絵葉書を買った。ひとりになってじっと見ているとやっぱり音にならない音があるような気がしてくる。
2004.02.11
コメント(6)
ほんとうにわたしは阿呆になってしもうたと思います。ものごと片端から忘れていきまする。ついこのあいだまで、なんでするかねえ、学歴詐称なんて!とあきれ果てて、その中条きよし似(しろむっくさんのとってもゆかいな日記参照http://plaza.rakuten.co.jp/jukeman/diaryold/20040121/ )のお顔を眺めておったというのに、ああ、それなのに、今日はその人の名前がなんとしても思い出せんのあります。記憶の回路からスコーンと抜け落ちてしまうのですね。昨晩も、ゴールデングローブ賞の発表を見ていて、これが悲しいくらい名前が出てこないのですね。ほらほら、あのひと、アレに出てた人よ。なんていっても皆目見当つかんですよね。テロップが出ると、ああそうそう、と納得するのですがスナップ風に会場を写したときは、いかんのですね。「ゴーストバスター」に出てたキューピーみたいなあのひと、髪薄くなったなあとか思いながら見ていて、またまた、その名前が出てこなくて、なんとか、って呼ばれてたんだけど、それを聞いて、ああ、そうか、もともと名前覚えてなかったんだあ、とか思い出したりして、なにがなんだかわからんです。で、思い出したんですね。この間の九十歳のおばあちゃまのお言葉。お若いかたが「私最近、物忘れがひどくって」といいますとおばあちゃまは言いました。「きましたか。それは年寄りの入り口ですよ。序の口序の口。やっと年寄りの仲間入りできたって証拠ですよ。これからですよ。どんどんどんどん忘れていきますからね。だって、年寄りになっていくんですもん。そういうもんですよ」物忘れに関してはどうやらそういうものらしい。だからといって物忘れしなくなるわけでもないのだけれど、逆らってもしょうがないということだろうと思うことにしましょう。が、しかし、私の場合理解力もないのです。だから阿呆だと思うのです。使用説明書のたぐいがうまく頭に入ってこなくて、こんなもんかなあ、で何ヶ月か使ってて、ある日、おおー!とびっくりするような発見をするんですね。こんなこともできるのかあ、と。全自動の洗濯機のいろんなコースの存在をやっと認められるようになったりするんですね。いやあそれにしても携帯の設定なんて、すごすぎますね。えっ?PC?日記書ければいいっす。
2004.02.09
コメント(0)
ぼんやりと日を送っていても、時々飛び込んでくる文字がある。いくら読んでもおおかたは忘れてしまう困ったおつむにかろうじて残っている文章がある。とりあえず、わすれないうちに書き留めておこう。「評価の決まったものについて、その評価とは要するに自分以外の人間の主観の集合体でしかないのに、それをそのまま受け入れて安心してしまうということが、よくあります。特に誰もが評価する有名な人の作品ほど、すべてを見ていなくてもすべてをわかっているような気持ちでいることが多い。それで、よけいに見る機会を、知る機会を自分自身で狭めることになったりする。だから、そうならないために、いろいろなものをはじめて見るような気持ちで見直すことが大切だと思います」新聞で見た、マガジンハウスの月刊誌「リラックス」のあどばたいじんぐである。「お能の専門家に必要とするものは、創造する力ではなくて、つきることのない忍耐と、お能に対する絶対の信頼と、技術家の位置にあまんずるだけの謙遜と、それから体力であります」これは白洲正子さんの「お能」の一節。正子さんて、突き抜けたひとだなあ。「魂の問題はひそやかなことなので本棚なんかに並べてはいけないものなのね。いかなる生活を営んでも恥ずかしくはない。しかし魂を本棚に並べるのは恥ずかしい。詩人って恥ずかしくないのかしら、特にベストセラーの詩人なんか」こっちは佐野洋子さんの「がんばりません」にある。ベストセラーの詩人とは、愉快。言葉はそれを発したひとの人生を背負ってるわけで同じ言葉でもそれぞれ重さや味わいが違ってくるわけで読むほうもその時その時のおのがうつわの大きさを問われるわけでこれらの言葉がすうと今の自分に入り込んできたということはきっとなにかしら意味があるにちがいないわけででも、だからといって、すんなりとはその意味がわからないので、戸惑ったりするわけでつまり、わけがわからない!ということになるわけで。えーっと・・・実のところ、自分はなにやってもうわすべりでちっとも身につかない人間であるなあ、と最近、ますます自覚するようになった。であるならば、いや、であるからこそ、おおー、そうだったのかあ、とか、なるほどなるほどとか、新鮮な驚きを持ち続けうるのではないか、と慰めのように思ったりする。まったくなあ、自分の作文にも驚いたりするんだもんなあ。こんなの書いてたんだー!って。時々、こわくなってしまう・・・。
2004.02.07
コメント(0)
B-WORKS展(第4回)を見に行きました。●会期:2004年1月28日(水)~2月9日(月) AM10:00~PM20:00●会場:渋谷西武百貨店B館8F・美術画廊ぬらりさんとkenさんの精密で愉快なお作が楽しめます。期間はのこりわずかです。よろしければ、どうぞ。さてさて・・・・どうも渋谷というところは、いつ行ってもなじめないところで、信号待ちをするひとの多さに戸惑う。これはたとえば北野天満宮の初詣みたいで、渋谷は毎日が初詣!なんだなあ、とか思う。渡りきったところに二人組みのヨーロッパふうの外人さんがデジカメを高く掲げて、その交差点に溢れるひとを撮っていた。気持ちわかるなあ。ここは毎日が牛追い祭り!とか思ってたかもしれない。ひとが固まりになっているから、流れにそって行動しないと、あっちでごつん、こっちでごつんということになる。車間ならぬ人間(じんかん)距離がとれない。こういうところではさすがの私も背中を伸ばす。しゃきしゃきと歩く。(自分比)なれぬこととて、大いに疲れる。で、ここからながーく山手線に乗って上野へ行った。そういうふうに思い立った日だからしょうがない。出不精の人間はまとめて出かけるのである。で、上野で私は気づくのである。あ、背中伸びてない!と。たらたらと歩いていると。人が固まらない安心感なのだと。街の空気はそれぞれで、上野も少々剣呑なのだけれど、それでもゆっくりと人の顔が確認できる安心感はある。視線が建物にさえぎられない開放感もある。やっぱり、ひととひととの距離は、大きく前にならえをしてもぶつからないくらいがいいな、とか思いながら歩いた。それでも、やっぱり、疲れたなあ。
2004.02.06
コメント(0)
私は新宿のカルチャーに通っている。その講義は午後一時からはじまるのでちょっと早めに行くとロビーで昼食をとっているひとを見かける。私も時々そのお仲間に入り、耳を大きくしている。応接セットがいくつか並んだロビーでは年配の方々がお手製のお弁当を広げていたり、おにぎりやサンドイッチを口にしていたりする。 昨日も何のお教室の方かは分からないのだけれど女性三人と男性一人がソファーに陣取り食事をしつつ歓談していた。「ほんとにお元気で、九十歳なんて信じられませんわ」と六十代くらいの女性が端に座ってサンドイッチをほおばっているおばあさんに声をかけた。えっ、九十歳?と思ってそのおばあさんを改めて注目したが七十歳そこそこに見える。相対的な意味で若い。化粧気のない顔だが、色白で長い髪をゆるく結い上げていてふわふわとしたほつれ毛が差し込む光に光っている。顔立ちは品のあるがしっかりものというふうな感じでどこぞのおかみさんと紹介されても違和感はない。「ほんとお若いわー、その秘訣教えてもらわなきゃ」ともうひとりの女性が言う。「秘訣なんてありませんよ。年寄りは年寄りらしくすればいいんですよ。だって年寄りなんだもん。若いもんにはまだまだ負けないなんて頑張っちゃだめよ。そんな無理したって若いもんに勝てっこないし反対に早死にしちゃうわよ」おばあさんはゆったりとした口調でそういうと、またサンドイッチをかじった。「そうねえ、ほんと見習わなくっちゃ。時々くたびれちゃうんですよ、私」とため息混じりに一人が言うとおばあさんはこう答えた。「年寄りになったらなーんにもしたくない日ってのが、かならずあるんですよ。年寄りなんだもん、ありますよ、そんな日が。そんな日はね、なーんにもしないの。そんな日に無理したってろくなことないのよ。それでもずーっとなんにもしないとねなんかやりたくなる日が来るんですよ。ちゃんと。それまで待ってればいいのよ」「あら、そうできればいいんだけど・・・」とお若い人は口ごもるそこで80歳くらいに見える男性が割って入ってこんなことを言う。「この年になると、約束ってのは一ヶ月単位でしかできんね。あんまり先の話しても、自分がいるかどうかわからんもんな。あの世で会いましょう、ってことになっちゃうよ」「それもいいじゃありませんか。わたしがお待ちしてますよ」とおばあさんが言うと、男性は大きな声で「はっははー」と笑った。カルチャーのロビーには時々こんな人生の達人がいたりするので、うれしくなる。
2004.02.05
コメント(0)
兄嫁が京都からやってきた。品川駅まで迎えに行った。これがまたとんでもなく広い構内である。一人で来る兄嫁がはぐれたらえらいことになると思い南乗り換え口で待つ、と連絡を入れたのだが兄嫁はなかなか姿を見せない。いらいらと、案じながら待った。新幹線到着時刻の10分後に、兄嫁は肉付きの良いからだを揺すりながらはーはーと肩で息をして、現れた。開口一番は「文ちゃん、おおきにおおきに」だった。で、「ここ、わかったか?」と聞いたら、答えがこんなふうだった。「そんなもん、どんな歩いたかわからへんでえ。ここにくるまで4人の人に聞きたおしたんや。はじめにちゃんと聞いてあっち行ったら、あっちの人はこっちとちゃうて言わはるししゃあないし階段おりてもとのホームでまた聞いたらえらい遠い階段へいかんならんて言わはるしだーとホームをせんど歩いて、ここ上がるんでっかて駅員さんにきいて、やっとやー。ほんまおっきな駅や」「そうかあ。大丈夫か」と私。「そやけど、この駅は止まるやつと止まらんやつがあるねんなあ。京都で切符売ってるひとに聞いたら、今のやつのあとはずっと止まらんやつやさかいに、これにしなはい、て言わはんねん。間に合いまっか、って聞いたら、走ったら間に合いますて言わはんねん。そらもう切符こうてしもてんさかいにこれに乗らなしゃあないがな。走ったでえ。この運動靴はいててよかったわー。ほんでぎりぎり間におうてんがな」「そうかあ。たいへんやったなあ」「一人旅はええもんやなあ。だれぞといっしょやったら気つかわんならんけど、気楽なもんや。眠たなったら寝たらええねんし、喉渇いてもお茶のみまひょか、て聞かんでもええし、好きなだけ食べて好きなだけ飲んで、景色も好きなだけみて、なんぞしゃべらんならんやろか、て思わんでもええし、けっこなこっちゃ」「そやなあ」「仲ようしてた友達のたかちゃんが脳梗塞で倒れはってなあ。ふたりでいっしょによう旅行しててんけど、それも行けんようになってしもたし、だれぞがさそてくりゃはるのん待っててもしゃあないし、これからは文ちゃんとこ来ることにするわ。ここいら探検しょうえ」「そやな、ええなあ」「それにしても今日はあったこうてよかったなあ。オーバー着てこうかなあて思てんけど、邪魔になるし、今日どこでも暖房きいてるし、なんちゅうたかて、わたし、肉襦袢きてるさかいなあ。お正月にお餅、たんと食べて肥えてしもてな、糖尿も気つけなあかんねんや」「そやなあ、気つけてや」とまあ、こんな会話が改札を出るまでに交わされるくらいに品川駅は広かったのである。
2004.02.03
コメント(0)
そうかあ、その手があったか!と思うことがよくあります。おつむのめぐりが悪いもんで、たいがいは、後の祭りってやつで、ほんと、悔しい思いをしてますから。前も書いたし、またまた書いてしまうんですけどわたしはやっぱり人の話は聞けるほうだと思うのですね。会話の分量から言えば、自分がしゃべるより誰かの話を聞いてるほうが多いと思うのですよ。しかしねえ、なんというか、えらそうに聞こえたら申し訳ないんですけど、聞ける不幸っていうのもあるって思うんですよ。その不幸もいろんなパターンがありましてね。しゃべってる言葉って文字にうつしてみたら、訳分かりませんよね。お互いの雰囲気だけで分かり合ってるけど、中身はなに言ってんだか、ってこと多いんですよね。本人はわかってるけど、こっちは知らないことを知ってるって決め込んで話されるの、困りますよね。それから、カラオケのマイクを離さない人みたいに、会話の主導権譲らない人っているんですよね。たいがいおんなじひとだったりしますが。聞く耳持たずってふうですよ。会話がキャッチボールになってなくて、壁打ちになってるひともいます。もう、とうとうと自慢話とかが続くんですね。うんうんって相槌うつしかないんですな。謙遜しながらの自慢も聞くのがたいへん。「そんなことありませんわよ」って言わにゃあなりません。これがつらい。それが面白ければいいんです。わたし、講演聞くの好きだし、落語も好きだし。笑わせてもらえればいいんです。でも、そういう話の面白いひとって相手の反応を意識していますから、引き際がいいんですね。きちんとまとめないと話は面白くなりませんものね。オチがつけば終わるんですね。問題は、悪い人じゃないんだけど、お話が長いかた。場の雰囲気とかおかまいなしにご自分の事情を、ずるずると、微にいり細にいり逐一お話になるんですね。ええ、決して悪いかたではないんです。誤解がないようにという配慮なんです。ね。やまなし、おちなし、(ほかの人にとっては)意味なしなんですね。それでもわたしちゃんと伺いますよ。でもそれがリフレインになってくると、ものすごくしんどいですね。でも、聞かないと悪いような気もするし・・・悪い人じゃないし・・・でもいらいらするし・・・もう、苦行になるんですね。で、今日ぼーっとテレビを見ていると、旭化成のCMが流れてたんです。めがねをかけたおじさんの人形か何体がでてきて、会話するんですね。旭化成・ラとか旭化成・建とかのお題でボケるんですね。ぼーっとみてたので詳しいことは覚えていないんですが、おおー!と思ったのは、そんなかのせりふなんです。この手があるんですよね。「それは、大事な話かな?」ああ、これが言えたらいいよなあ、ほんと。でも、なんか、ここまでだらだらと書いてくるとわたしも誰かにそう言われてしまいそうですね。
2004.02.02
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1

![]()
