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清澄庭園の東屋には先客が居た。昼食を済ませたらしい老夫婦はデザートのバナナを半分こして食べていた。「おじゃまします」と声をかけると「どうぞどうそ」という。こちらも持参のお茶を口にする。呑み終えると知らないうちに「良いお日和ですね」と言っていた。「そうねえ、風もなくてね」とおばあさんがおじいさんのほうを見ながら言う。「おお、おお」とおじいさんも言う。東屋の陰から日向を見る。池を水鳥が進んでいく。真上から照る日が松の木の影を池に落とす。のびのびとした気分になる。「ここも東京なんですもんね」と言うとふたりも頷く。「浜離宮もいいねえ」とおじいさん。「ここのもいいけど。あそこの松は別格、殿様の松だね」「六義園もいいわよ」とおばあさん。「ここははじめてだけどね」それぞれの言葉がみどりのなかにとろりと溶けていくような気がした。この庭園には猫もいる。カメラを向けると逃げ出そうとするので、 にゃおんと甘えて鳴いてみると、しょうがねえなあというふうにポーズを取ってくれた。 庭園の前の通りにいたねこはこんなふうに寄ってきてくれたのだった。 この界隈の猫さんたちは堂に入っている。ひとがいて猫がいるのだ。ここいらの暮らしがふっと浮かんでくるようだ。なかなかに面白いところのように思う。深川資料館と現代美術館 へも足を伸ばした。ピカソ通りというピンクの幟がたっている道中で見つけて、おっ!と一瞬足を止めたもの。 年季はいってるなあ。この褪せた色のあわあわとしか感じがせつない。マネキンも長くなると魂が宿るような気がしてくる。 「変えるなら奥さんよりも壁の色」だって。上塗りするのは恥じよりペンキ、とかもありかな。 美術館ではそれはもうたくさんのピカソを拝見した。ピカソを見ながら鯉を思い出した。女の顔だったか頭だったかの塑像に色といいかたちといい、なんだかもうもう言うに言われぬ雰囲気が似ているのだった。
2004.10.29
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チラシ配りをはじめて一ヶ月が過ぎた。配り始めたころは、あまりに陽射しの強さに日傘をさしていたが、陽射しはだんだんに優しい光に変わっていった。昼間の時間は徐々に縮まっていき、街は路地の奥から暮れていくのだった。この一ヶ月、なんだか早かったなあと思う。まあ、それもそのはずなのだ。宅配された最初の千枚がなくなる頃合を連絡をしなかったものだから、次のチラシがなかなか来なかったのである。わたしはチラシというのは山ほど用意してあって、いつでも貰いに行けばあるのだと思っていたが、そうではなく、連絡を受けてから次のものを作成するのだという。だから、段取りを考えて山崎さんに報告しなければいけないのだと注意された。ぽかんとした想いだったが、そんなわけで10日あまり空白がある。ま、この一ヶ月は天候も不順で、台風もきた。手元にチラシがあっても配れなかった日が多かっただろう。空白の日が過ぎてまた配りはじめると、金属の郵便受けが鋭角的に跳ね返していた光が鈍く穏やかになっていた。古い家にまとわりつく植物の色がだんだん茶色を帯びていた。そうして日は過ぎて、20日〆で計算したら、1487枚配っていて、一枚5円で計算して、電話代や切手代を入れて7575円という請求になった。それは普通のひとが一日で稼ぐお金にも足らないような金額なのだが、とりあえずこの仕事での初収入だ。なんとなく面映いような誇らしいような、ふわふわっとした気分になる。はじめてのおつかいのように不安で頼りない思いの一ヶ月だったなと思う。まわりのひとたちもそう思ったことだろう。それでも目的を持って街を歩くと、家も人も違って見える。わたしにはそこに行く理由があり、そこに立つ意味もある。それはわたしのお仕事だから。請け負った責任を果たすのだから。チラシ配りの目線を味わった。郵便受けがこんなに気になるものになるとは思わなかった。まったく関係ないところに出かけても、ふっと郵便受けに目が行って、ああ、あのタイプね、とか値踏みをしていたりする。ただ歩いていると、思いがふっとそれることもあった。受け持ちエリアを回りながら、知らない街を巡る極小の旅を重ねているようでもあった。路地の奥の奥の見知らぬ世界に足を運ぶと、自分でも思いがけない感覚がわいてきたりもするのだった。打ち棄てられている家財道具や子供の遊具がなんでこんなにものがなしいのかと感じていた。ひとのぬくもりを失ったものが強く目をひくのだった。配られる側の視線は違うのだとも思った。「ああー、いらない。結構です。持って帰ってちょうだい」そんな台詞を何回も聞いた。歓迎されていないのだ。それでも働いているという意識を共有できるひともいる。一軒一軒配っているんだね、とわかってくれるひともいる。そういうことがわかってよかったなあと思う。開け放たれた窓やドアから、唐突に暮らしの一場面が目や耳に飛び込んできて戸惑うこともあった。大きなボリュームでテレビの音が聞こえたり、散らかった室内を一瞬見てしまったりした。わたしにも同じように暮らしがある。一万歩を歩いた足は重いのだが、さあ、帰って洗濯物取り入れて、夕飯つくらにゃあ、と思う。風が冷たくなる頃に家路に着く。チラシ配りに業務案内にこの仕事は一年契約であると明記してある。3ヶ月で首にならなくても一年でおわる。そのころにはわたしもいっぱしのチラシ配り人になっているにちがいない。・・・であったらよいのだが、と思う。これがわたしの「ポストからポストへ チラシ配りの日々」だ。この作文はひとまずここで終わる。またなんかめっけたら、スペシャルをお届けすることにしよう。
2004.10.26
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今日もおなじようにチラシを配るひとと出くわした。今日のひとはちょっと若い小柄なひとだ。一瞬目があったがそのあとは見ない。なぜだか視線を合わせてはいけないような気分になる。そのひとも動きがきびきびとしている。スタスタスタと歩を進め、サッサッサッとチラシを突っ込んでいく。そのひとが立ち去ったあとの郵便受けの蓋はその勢いが余ってゆらゆら揺れていた。地図を片手に郵便受けはどこじゃどこじゃときょろきょろしているわたしと違ってすばやく通りから通りへと渡っていく。気がつくと居なくなっていた。きっと自らが課したノルマのようなものがあって、能率よく動いているにちがいない。わたしは担当の山崎さんから「ブロックを崩していくように」と注意された。通りから通りに渡っていくと路地に入り損ねてしまうのだ。地図を見ながら路地に入り、また舞い戻る。路地から出てくると、一瞬自分の居場所がわからなくなって番地をみて地図を確かめ、ああこっちこっちと歩き出す。そりゃあ時間かかるわ。いやいや、時間がかかるのはそれだけではない。わたしはどうもなにかに見とれてしまう人間らしいのだ。小津映画に出てきそうな家、固定資産税の高そうな家、崩れそうな家、ゴミが溢れる家、ピンク色の洋館、大量の洗濯物が風に靡いているベランダ、貫禄のありすぎる面構えの良い猫、風呂屋の煙突、葬儀屋さんのエレベーター、路地を歩くあひる、そんなものに出会うたびにへえーと驚いたり感心したり、うれしくなったりして立ち止まって見とれてしまう。そして時にはそこにいるひとと言葉を交わしたりもしてしまう。「そのひとをまつねこ」 だとか、「どんぐりころころ」だとかのはなしはその折のことである。今日も今日とて、路地の突き当たりの手前で仕事をする畳職人さんに出会った。地べたに広げた青いシートの上で片ひざ立てて、大きな針でスイスイと縫い進む。肘をたたみに当ててキュッとしごく。それがカッコいいのだ。畳を切断する小刀がまたいい形なのだ。小さいときから畳職人さんの仕事ぶりを見るのが大好きだった。チラシを入れた後、例によってそのひとの手元を見つめていると、70歳くらいの職人さんが顔をあげて「何配ってんだい?」と聞く。こちらを向いたそのひとの帽子の下から白髪が見え、開いた口元から隙間の開いた歯が見えた。ちょっと笑っている。「不動産屋のチラシ」「へーそうかい」「一枚5円だよ」「へーいいじゃないか」「でもマンションとかアパートはいれちゃいけないんだよ。一戸建てだけだよ」「マンションだといっぺんに済んでいいと思ったけど、そりゃあたいへんだな」「畳の景気はどう?」「だめさ。今はどこもフローリングだからさ。畳なんていらねえのさ」「でも台風で浸水したとこじゃあ畳入れるのがが大変らしいよ」「ははっ、関西に行くかね。ま、あんたもがんばりな」うんうん、頑張るよと頷きながらまた歩き始める。そして、そういえば、と思い出す。改装中のお宅にチラシを入れたとき、中からなにやら建具を抱えた男の人がホッホッホッといいながら出てきたことがあった。大工さんか建具屋さんだろう。玄関先でこちらをチラッとみたそのひとは「おっ、ごくろうさん」と声をかけてきた。そのときもその言葉に励まされたのだった。一枚5円のチラシ配りを励ましてくれるひとがいる。手の仕事、体の仕事をしているひとの励ましはすーっとこころのほんとうのところに沁みてくるなあと思ったことだった。
2004.10.23
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郵便受けから郵便受けへと歩を進めていると、おなじみちを行くひとがいる。夕方配るときは新聞配達のひとに出会う。エリアや新聞ごとに人は違うが、バイクや自転車に乗ったひとがわたしを追い抜いていく。追い抜かれたと思っていたらまた違うところで出会ったりする。おにいさんだったり、おじいさんたっだりする新聞配達のひとはどのひとも、慣れた手順で家から家へと進んでいく。地図と家を見比べて、ブツブツ言いながら郵便受けを探すわたしを、自転車にまたがったおじいさんが案じるような顔で見ていたこともあった。その顔は、わからんとこがあるならワシに聞け、とでも言っているようだった。昼間に配る時は郵便配達のひとに出会う。赤い箱をのせたバイクの後をついていくと郵便受けのありかが即座にわかる。飲み屋の店舗には郵便受けがなくて諦めていると、その横の路地から郵便屋さんが出てきたことがあった。あっという顔をしていると、表情を緩めて「裏の奥に水色の郵便受けがありますよ」と教えてくれた。我が家によく来る宅配便のヒゲのおじさんのトラックにもよく出会う。大きなトラックを広い道に止め、そこからながい路地の奥まで重い荷物を運ぶ。チラシは一枚5円だが宅配便は一個100円だと聞いたことがある。路地の奥の奥まで行って留守だったら、何度も足を運ぶことになる。わたしと同じようにチラシを配るひとに出会ったこともある。眼鏡をかけたまじめな主婦という感じだ。わたしより少し若そうに見えるそのひとはわたしよりかなり有能そうでもある。PTAの役員にこういう感じのひとが多かったなとか思う。大きな麦藁帽子をかぶり長袖ジーンズスニーカーというわたしと同じようないでたちで、同じく財閥系の不動産会社のチラシを手にしていた。わたしとちがうのは地図をもっていないことと、進んでいく速さ、そして、なんといっていいのかわからないが淡々と仕事をこなすその無表情な感じだ。へえ、でかいうちだなあ、古いうちだなあ、家族が多そうだなあ、なんて感心しているわたしとはどんどん距離が離れていく。常にわたしの先を行く。門を回って、そのひとを見つけたかと思うと、こちらに気づいたふうもなく、どんどん進んで行ってしまう。慣れた道筋なのだろう。迷い無くすっすっとチラシを突っ込んでいく。行く先々で、先回りしてそのチラシが入っているのがわかる。ああ、ここももう回ったんだと感心する。新しい建売住宅のかまぼこ型の郵便受けを開けるとそのひとが入れたチラシがあった。わたしが配るチラシよりもサイズが大きいらしく、幅の狭いその郵便受けのなかに、クシャっという感じで突っ込んであった。そのクシャっという感じが頭を離れなかった。その日は土曜日の午後だったが、まだ小さい子供がいるから急いでいるのだろうか。そのひとも一枚5円で配っているのだろうか。この仕事をしなければ生活が苦しいのだろうかなどと思ってしまう。そのひとを見るわたしの視線はつまり、わたしを見るまわりのひとの視線だと気づく。それは郵便屋さんを見る視線とは違うものだ。わたしの場合は手術で無くした左顎の部分にテーピングテープを貼っているから、それが気になるひとの視線も重なっているのだろうなとも思う。ひとの視線はどこまでもぶしつけになれるものなのだと知っている。わたしの先を行くあの女性の無表情な顔やそそくさと歩を進めていくさまは、そういう視線を跳ね返すすべのようにも思えてくる。わたしも慣れていったら、あのひとのように歩くのだろうか。
2004.10.22
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大きな通りから横道へ入り、なおも細い路地から路地へと歩いていくと、だんだん家が小ぶりになっていく。足元の土の上には導くように飛び石が敷かれている。夏の名残の雑草がはびこる。長く曲がりくねった路地には崩れ落ちそうな木造の家がこっそり建っていたりする。剥がれかけた板塀が細い長方形に切り落とされている。そこが郵便受けだ。裏側はどうなっているのかわからないが、そこにチラシを入れる。煤けたガラス戸の向こうにどんなひとが住んでいるのだろう。板塀の中から植木が伸びる。手入れの行き届かない枝は路地に伸び、日を遮る。路地には湿気じみた土の匂いがする。壊れた傘が捨て置かれていたりする。なおも路地を進んでいくと、その突き当たりに思いがけなく空がひらけていた。長雨が上がった庭にコスモスが咲き、その前に立つ物干し竿に白いシーツが何枚も揺れている。家の引き戸が開いている。家の中に風が吹気抜けていくのがわかる。磨きこまれた玄関から室内が見える。きっと、ここは、もののありかがたちどころにわかる家だ。高価なものというより大切に扱われてきたものがあるにちがいない。玄関横に雨戸入れがある。雨戸のある暮らしはわたしにとっては遠い。昼から夜への幕引きのように毎日雨戸を閉めた。夜がきちんと夜であったころ。日々は今よりゆったりと明け暮れた。ここは昭和の香りがする。使い勝手はどうだかわからないが、住人と思い出を分かちあい、変わらず慈しまれている家だ。老婦人が家の前で腰を曲げて引き出しを干している。衣替えの準備か。藤色のエプロンと働き者の手が見えた。こちらをむいたそのひとは、しっかりした声で「なにか」と聞いた。一瞬口ごもる。わたしの持っているのは売り家募集のチラシだ。「古家が建っていても大丈夫」とも書いてある。目の前の、年を経たこの家にそのチラシを運ぶことがいいことなのかどうか、わたしにはわからない。それでも「こんにちは、チラシ配りなんですけど、ご迷惑だったら持ち帰ります」と答えた。そのひとは「いいですよ。もらいますよ」と言った。老婦人は受け取ったそのチラシを読んだだろうか。そんなことが気にかかっている。
2004.10.19
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「青少年に有害なチラシおことわり」と書いてある郵便受けがある。ああ、そうだ。チラシという語感のなかにはそういうイメージもある。相手の都合などおかまいなしに無遠慮に舞い込んでくる毒素のようなもの。でも、これはそういうものではないのよ、と胸を張っていうことはできるけれど、それでも「広告チラシお断り」とチラシの紙の裏にマジックで手書きされた貼り紙に出くわすと、ああ、このお宅にとってはいやなもんだな、と思ってしまう。犬にも吠えられる。ドキンとする。お前は誰だ?誰だ?誰なんだ?と問うように執拗に吠える。小型犬ほどよく吠える。犬は決して嫌いではないが、どうも具合が悪い。「あやしいもんじゃないってば」と言って通じる相手じゃない。さっさと通り過ぎるしかない。まあ、あやしいひとは「はい、わたしはあやしいおばさんです」なんて言わないよね。ちょっと高台の一軒屋があり、10段ほどの石段を上がって入れに行く。郵便受けに手を伸ばしかけたところで、後ろから「なにか?」と声をかけられた。これまたドキンとする。だから、あやしいものではありません、という言葉を飲み込んで、「失礼いたします。チラシを配ってます。よろしければ」と差し出す。しっかりしたおばさんなのだろう。こちらを値踏みしているのがわかる。チラシを一瞥して「あ、いらない」と突っ返してきた。「失礼しました」と言い、背中に視線を感じながら階段を下りた。散歩中のアフガン犬を並びながらチラシを配ったこともある。毛足も足も顔も長い優美な犬がゆったりゆったり歩く。ぷんとけもの臭がする。煙草を吸い過ぎたような声の中年女性がリードをひいている。「もういいの?気がすんだ?帰るわよ」と言いながら自宅らしい家のドアを空けた。そこも一軒家なのでチラシを入れる。「あのチラシなんですが」「あ、いらない。もったいないから持ってって」とドスのきいた声で言われる。「失礼しました」なんだか失礼ばっかりしてるなあ。一階がガレージで二階に住まいがある家があった。チラシを入れようとすると向かいの家の奥さんが出てきて、「そこは今は住んでないから入れないで」と言った。空き家は入れろといわれているのだけれどなあ、と思い、ためらっていると、「そこ寮かなんかだったのよ。引っ越しちゃったみたいよ」と奥さんは言葉を継いだ。寮なら入れなくていいや、と安心する。でもその奥さんは「うちもいらないわ」と言う。そう言いながら「ご苦労さんね」と言う。気分が上がったり下がったりする。関電工とかの電気工事のひとが道に何人もいた。おおきな重機を避けながらチラシを配る。路地を出たり入ったりするもので、何度も出くわす。そのたびにちらちらと見られているような感じがする。深い路地の先の先までいってまた舞い戻ってきたら、そのひとたちがお弁当を開いていた。地べたにペタンを腰を下ろして、黙々と食べている。それがちょうど門の郵便受けの前だったりする。うーん。また目があってしまう。こまったなあと思いながら「失礼します」とその後ろに回る。がっしりとしたからだの実直そうなおじさんのおおきなお弁当には、ぎっしりとご飯が詰まっているように見えた。ご飯をほおばった顎が大きく動いていた。ああ、お腹空いた。路地の先から別の道を行くと、だんだん自分がいまどこにいるのかわからなくなってしまう。地図を取り出して斜めにしたりさかさまにしたりして、来た道を探す。と、そのとき、油断したのか、手にしていた40枚ほどのチラシを落っことしてしまう。おおーいかんいかん、と慌てる。かがんで拾おうとすると風が吹いてふわりと飛ぶ。待て待て待てよ、と追いかける。晴れた日でよかったなあ。雨の日に配ってこんなふうに落として濡らしてしまったらどうしたらいいんだろうなあ。考えるとドキドキする。ちっともドキドキしなくなって、うつむくことも天を仰ぐこともなくなって、当たり前の顔でこの道を歩くようになるまでには、きっと、もっと、いろいろあるんだろうなあ。
2004.10.15
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9月23日午後2時からチラシを配りはじめた。記念すべき一枚目は公園の向こうの一軒家「柘植」さん。手入れの行き届いた庭の植木が門からのぞいている。それにしてもカッコいい名前だなあ。自衛隊員の敬礼とかが似合いそうな苗字、なんて勝手なものおもい。おおむねこんなことを思いながら配っている。そこいらは門に郵便受けが備え付けてある。道なりにスイスイと何軒か入れていって、おっと、と立ち止まる。一軒家に見えたが、これは小さなアパートだ。ここは入れてはいけないと自分に言い聞かせる。チラシ配り、一戸建ては1枚5円だが、集合住宅だと1枚2円だ。うーん、はかが行くということだろうな。でも管理人がいる時間帯には入れられないから、土日とか夜に配ることになるらしい。それもたいへんだな。うちのマンションには郵便受けのそばにゴミ箱が備え付けてあって、みなさん要らないものはそこで棄てていかれる。チラシ哀歌だなあ。地図を見てみると、マンションが立ち並ぶエリアにはポツンポツンとしか一軒家がない。わたしなどはその家にも入れに行くわけだから、ちょっと効率が悪いな。配っていると、家の建て方もいろいろあって、郵便受けがなかなか見つからないお宅もあって、まごまごすることもある。植木の陰に隠れていたり、背伸びしないと届かないようなところにあったりするのだ。もともとは赤かったのだろうけれど、錆び色に変わってしまってるものもある。家の古さと比例して郵便受けも古くなっている。それはそこに住むひとと世の中との関わりあいの象徴のようにも見えてくる。時を経て、打ち棄てられた家の前で、胸がいたくなったりする。新築の建売住宅には同じ郵便受けが並ぶ。家族全員の名前が並ぶ。これから新しく始まっていくのだという予感。がっちりとした大きな郵便受けにはすんなり入るが、細長い郵便受けには半分に折らないと入らない。新聞や郵便物でふさがっているときもぐいぐいと押し込む。入れ口を押す感触もいろいろある。重いと片方の手で押さえつけて入れる。雨ざらしで手が汚れたりする。アメリカ風のかまぼこ型の郵便受けは入れ口を開かなければならない。それを開けるのに抵抗があった。その家の郵便物を覗き見するような感じがいやだなと思った。担当の山崎さんに聞くと「開けていいです。ちゃんと入れてください」と言われた。ほんとにいいんですね!とこころのなかで念を押した。もうひとつ困ったのが、門に郵便受けがなくて、閉まった門扉のなかにあるお家だ。無断で門扉を開けてその敷地内に入ってチラシを入れる。うーん、これはいかがなもんだろう。これも山崎さんに聞くと、「いいんです」という答えだった。「し、しかし」と口ごもると「無理ならいいです」と言われた。うーん、と考え、門扉をあけるときは「失礼いたします、こちらはただのチラシ配りです。あやしいもんではござんせん」と唱えることにした。だれも聞いてないのにそんなこと言うなんてヘンかな、と思うが、わたしはこれで落ち着く。卑屈になってるかな、とちょっと苦笑したりもする。正直なところ、それもあるかな。迷惑かけてなければいいが、という思いがふっとわいてくる。山崎さんは「空き家にも入れてください。売りたいはずですから。二世帯住宅で二つ郵便受けがあったら両方に入れてください。喧嘩して売りにだすことがあるかもしれませんから」と言った。そうかあ、家にはドラマが絡むなあとか思いつつ、配り続ける。すると、「配達ごくろうさま」というシールが張ってある郵便受けに出会う。150枚配って、3軒ほど、その言葉に出合った。郵便屋さんや新聞配達のひとへのねぎらいだろうけれど、わたしもふっとなごんでいた。
2004.10.14
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宅配便で配るべきチラシが届いた。その包みを手に取って、まあ重いこと!と驚く。千枚はあるな、きっと。こりゃあ、たいへんだあとちょっと血が引く。ぺりぺりぺりとあけてみると、なかからB5サイズの黄緑色の紙が山ほど出てくる。うわあ、やっぱり、千枚だあ。その紙には、赤やら濃い緑の字で、こう書いてある。「売り家探しています。○○○3丁目から6丁目」これくらいの土地で、とか古家があってもいいとか、道路は何メートル、とかこまごま条件が書いてあって、「査定します。秘密厳守」とある。つまり、これを見て、ああ、うちも買い替えようかな、査定だけでもしてもらおうか、と思って電話をかけてくるひとがいたなら、それが例のリアクションてことなんだな、と納得する。しかし、こういうB5のチラシ一枚にそんなちからがあるのかなあ、とも思う。どこでもポイポイと棄ててしまうんじゃないのかなあ。そしたら、リアクションなんてないじゃんかあ。といいながら、まてよ、自分も同じようなチラシの裏側の求人に答えたのだったなと思い返す。チラシは表書きだけで、裏はなにも書いてない。もうチラシ配りの募集はしてないってことかな。リアクションなくて、わたしが首になったらまた募集するかな。それでも、まあ、なんとなく、偶然、それを手に取るひともいるかもしれないくて、仔細に読むかもしれなくて、たまたまそうことを計画していたひともいるかもしれん、と思うことにしよう。配布するべき町内の住宅地図が同封してある。手当たり次第に入れるのではなく。これを見ながら、1ブロックずつ確実に配っていくほうが残しがなくてかえって早い、と山崎さんは言った。いったいどれくらいの戸建てがあるのかしげしげと地図を眺めた。何枚かの地図がテープで張り合わせてある。自分のマンションを基点にして、視野を広げる。細い道に沿ってあっちむいたりこっちみたりする小さな家が密集している。いつも通る道の奥にこんなに家があるのだと知る。その1軒1軒に全て氏名が書き込まれてある。が、それはなんと細かい文字だろう。老眼乱視の目には判読不能である。ふっふっふっ。うちのプリンターはコピーも出来るスグレもの。拡大コピーすればいいのだ!。大きくした地図をがさごそかき集めて張り合わせて、作戦を練る。効率的に配る策があるはずだ。3丁目から行って、6丁目に足を伸ばして・・・行ったことのない道を頭の中でたどる。うーん、わたしは地図の読めない女であることを忘れてはいけない。向きを変えたらもうわからなくなるに違いない。迷子になるかもしれんぞ、とかも心配になる。ま、やってみなきゃわからんさ。案ずるより・・・大変だったことは山ほどあるけど、まあなんとかなってきたじゃないか、と自分を励ます。さても9月の23日からわたしはチラシを配るひとになった。チラシを配ってお金をもらう。つまり、ふふ、プロ!だあ。
2004.10.12
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おばさんはどんな恰好でチラシ配りの面接にいけばいいのだろう。まさかスーツではいけないしな。まだまだ暑いしな。汗かくしな。でもちょっとは決めとかんとな。落ちたらカッコ悪いしな。こういうところが我ながら困るところである。思案し始めるときりがない。白と黒でいこう。髪はきっちり縛って。ちょっときりりとした顔で。チラシ配りの面接に行こう。面接を受けるのは、こわい松浦教授に泣かされ、ハンカチを貸してくれた加藤先生が「あなたのほかにそういう学生をわたしはしりません」と年賀状に書いてきた、あの卒論の口頭試問以来かと思っていたが、いやいやと思い出したことがあった。精神対話師という講座をうけたことがある。そういう資格を取っても、メンタル協会というところに採用されなければお仕事はできない。が、その講座を終えた直後、わたしは病気になり手術した。退院して一年たつか、たたないかのころ、その協会の面接試験を受けたのだった。履歴書も書いたし、ふとったおばさんが問うことにあれこれ答えたのだった。結果は不採用だった。一緒に講座を受けた友人は採用だった。へこんだ。挙句、自分の外観の変化もその要因なのではないかと、ひとりで決め込んだ。もう、2度と面接なんて受けたくないなと思った。そうして、その面接を受けたことも忘れていた。そうやって平衡を保ってきたのかもしれない。我が家から15分。駅のちょっとむこうのビルの4階。エレベーターが開くといきなり商談机と椅子が並んでいる。そこに座っている中堅どころという感じの社員に「いらっしゃいませ」といわれる。一瞬、うわ!という感じになる。ひといきのみこんで、落ち着いて用件と伝えると、また担当者の名前を聞かれる。「山崎さんです」山崎さんを待つ間、きょろきょろする。机のそばに、白っぽい室内で、お愛想を言うように背の高い観葉植物の鉢が3,4個並んでいる。後ろはついたてになっていて、そのむこうにデスクがあり、何人かのひとが仕事をしている気配がする。ちょっとくずれた背広姿の二十代後半という感じの長めの髪の男性が出てきた。そういえば昔堀江淳というひとがいたが、そのひとのイトコみたいな顔つきだ。なんだ、若造だ、とか思いたいところだが、緊張してしまう。履歴書を出す。さーと一瞥して終わり。やっぱり関係ないんだ。山崎さんはいきなり「では」とチラシの説明を始める。えっ、わたしでいいんですかい?と思っているうちに話はどんどん進んでいくのだった。「チラシは宅急便でご自宅に送ります。戸建てのポストにチラシの上を向けて、はみ出さないで、まるまる入れてください。チラシ1枚につき5円です。一日に配る枚数の上限は400枚で、配った日には毎回、配った町名と枚数を電話で報告してください」毎回報告かあ。忘れんようにせんとな、とメモを取る。「毎月20日で〆て計算して、電話代、郵送代も入れて、25日必着で送ってください」計算ですかあ。電卓出しておこう。「料金は銀行振り込みにいたしますので、通帳をコピーさしてください」おずおずと差し出す。中身は見ないでね。「地道に配っていれば、3ヶ月でなにかしらのリアクションがあるはずですが、3ヶ月なんのリアクションもない場合はやめていただく場合もあります」リアクションと言われても、景気の問題もあるだろうになあ。他の会社だってあるんだし。「チラシを配っていただくということは、僕たちのチームの一員ですから、その責任を果たしてもらいたいと思います」うーん、たかがチラシされど、なのかな。その責任、と言われるとどきどきもするけど、ちょっと背筋が伸びるような気がする。引っ越してきて一年あまりなかった思いだ。「無理しないで自分のペースで頑張ってください」はい。頑張ります。肩透かしのように面接は終わった。近くのジューススタンドでメロンジュースを飲んだ。ふいーと息をついた。
2004.10.10
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思い立ったが吉日である。時間がたつとまた思いの振り子が舞い戻ってきて、やーめた!になるかもしれないから。受話器を取る。財閥系の不動産やさんだから、と自分に言い聞かせつつも、ちょっとどきどきする。実家が不動産やになったとき、ちょっとこわいひとも垣間見たからだ。おねえさんが出た。感じのよい声。そりゃあ客商売だもん、最初からこわくはない。「チラシ配布の件で・・・」とごにょごにょ言う。「担当者の誰でしょう?」と聞かれてあわててチラシを見直す。「山崎さんです」「今ちょっと席をはずしておりますので後ほどこちらからご連絡させていただきます。お電話番号お願いします」はー、気負った分肩透かし。それでもちょっと仕切りなおしでほっとする。しばらくして電話があった。「今はマンションを配る人は足りておりますので、一戸建てのほうをお願いすることになるのですが、できますか?」「できると思いますが、あの、それは違法ではないですよね」と、われながらお間抜けなことを聞いてしまう。でも、それは気になっていることでもあったのだ。「むろんです」と苦笑気味の答えだった。「18日に面接を行いますので、簡単な履歴書と、ご自分名義の銀行通帳と三文判をお持ちください」さても、履歴書。息子のは何度も見たが、自分が書くのははじめてのような気がする。いや一回あったかも・・・いずれにしろ新鮮なかんじだ。学歴のところ、自分が何年に卒業したとか書かねばならない。最終学歴かあ。遠い昔のことだ。結婚した年と同じだから、とか指をおる。職歴なんてない。専業主婦とか書きたくなる。資格、免許。うーん、つらいね。運転免許と中学1級英語教員かな。茶道や華道のお免状ではなんの役にもたたんね。精神対話師つうのもあったけどなあ。性格?うーん。パス!特技?パッチワークとも書けんしなあ。作文なんて書いても困るよね。志望の動機?運動不足解消のため、じゃだめ?どう書いていいのかわからない項目ばかりで、ほとんど白紙のままだ。こんなの関係ないもんな。写真もいる。運転免許更新のときの残りがあったので、それを貼る。貼ったはいいが、どうも印象が悪い。極悪人には見えないが、小心ものが切羽詰ってしでかした罪で捕まって、なんでこんなことになったのだろう、と思っている中年女みたいな顔である。きっと何回録ってもこんな顔になるに違いない。履歴書を書き終えるとなんだかため息が出てくるのだった。山崎さんてどんなひとだろう。若そうな声だったけどなあ。面接ってどんなこと聞かれるんだろう。一戸建てのポストにチラシを入れる。それは途方もなく大変なことのようにも思えてきたりした。そこで、かつて千鶴子さんが言った言葉を思い出す。新しいカルチャーに通おうかどうか決めかねているときに言った言葉だ。「ダメならやめればいいのよ。やってみなきゃわからないじゃない。ひょっとしたらおもしろいことがあるかもしれないじゃない」うんうんうん。そうだそうだ。ダメならやめればいい。そう思うとちょっと気が楽になる。ひょっとしたら、おもしろいこともあるかもしれない。
2004.10.09
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夏のおわりに50歳になった。ああ、年寄りになったのだと思った。自意識が過剰気味の自分にとっては、なにかが取っ払われたような、肩のあたりがふっと楽になるような感じでもあった。ではあったが、同時にこころもとなくもあった。更年期のこころは振り子のように振れるのだ。思いがけずよい出会いに恵まれながら、それを生かしきれず、何者にもなれず、ただ漫然とこのまま、実らない稲穂のままでよいのか、という感じは、病気をしてから10年という時間のなかで、いつも浮かんでは消えた思いだ。そんな思いがいったりきたりする9月のはじめに郵便受けにはいっていたチラシが家人の目に止まった。不動産会社の売り家募集とかいうものだ。その裏に、チラシ配り募集中とあった。「やってみたら?」と家人が言う。わたしは専業主婦歴27年である。今更という感じもあったが、ここでなにかを始めないと、どこにもいけないような気がした。ずっと家にいる息子1と距離を取るのもいいかもしれない、とも思った。チラシの裏にはこんなふうに書いてあった。「ジョギングや散歩の時間など有効利用してみませんか?」そんなふうに言われると、うん、それも悪くないわね、と思う。年齢と正比例して増加する体重をなんとかせねばと思っていたところだ。「☆主婦、ご年配、学生のかた大歓迎」そうかあ、大歓迎されるのかあ。主婦だし、年配だし。いいんだわ。「☆出社していただくのは最初の面接のみ。チラシはご自宅へ郵送します」ああ、それもいいね。わたし、人見知りするし。「お好きな時間にお好きな枚数配布できます」つまり、ノルマなしってことね。いいな。わたし体力ないし。「未経験者のかた大歓迎!!※経験者の方はお断りしております」全然働いたことないわたしでもいいのね。この近所を配るわけでしょ? 引っ越してきたわたしは土地勘もないんだけど、いいのね。「限定5名」これって、早いもん勝ちかなあ。面接して落っこちるのってつらいよねえ。親子してそれじゃあ、せつないわあ。「真面目にやっていただける方にお願いします」よし!わかった!合点承知のすけでえ!文面読んだだけでやる気になってしまっていたのだった。広告文はかくあるべしだと、後になって感心したりする。
2004.10.07
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興福寺国宝展へ行きました。10月の雨はしきりと降るのでした。降り続いては、上野公園の豊かな常緑樹の幹を濡らし、葉を濡らし、ホームレスのひとの水色のシートを濡らし、足元に澄んだ大きな水溜りをつくるのでした。今日、で、あったことを後悔しつつ、東京芸術大学美術館へを歩を進めたのでした。駅から800メートルと看板に書いてありました。いや、900メートルだったか。記憶もてんで雲っています。いっちゃん遠いなあ。博物館とか美術館にすればよかった、と思ったことでした。湿った体で地下一階の展示室にある曼荼羅を描いた掛け軸に向かいあうと、なんだか気が遠くなるような感じなのでした。興福寺というお寺の縁起や展示物の説明など、書いてあることがいつにまして、いっこうに頭に入ってこないのでした。いくら聞いても覚えられない仏教の言葉がそこここに溢れるその場所に、このわたしがいることを、体が納得せず、思いが後じさりしているような感じとでもいうのでしょうか。なんでこんな日にここなんだろうなあ、とまた思ったりしたのです。そうして3階に上がりました。そこで、ああ、とため息をついたのでした。慶派の仏像が並んでいました。入り口そばに無着、世親、二つの立像。十二神将。金剛力士立像。維摩居士(ゆいまこじ)坐像。法相六祖坐像。竜灯鬼立像。などなどなど。ああ、そうだ、これに会いたくてわたしは雨の中をここまできたのでした。八大童子立像を見て以来、運慶はずっと気になるひとですから。運慶、快慶の作品に対して言われた「精神性まで掘り出す 究極の写実」という言葉を噛み締めたのでした。目の前にあるひとのかたちの向こう側のものを思いました。無着と世親。並びあったふたりの懊悩とか静かでありながら強い意思のようなものを感じると、かんかんと晴れた日ではなく、こんな雨の日の見たことの意味もあるように思えてくるのでした。金剛力士立像の筋肉。背中で盛り上がる僧房筋。裳が風になびく瞬間。感情を一点に集中した表情。ふっとギリシャの神々の末裔を見ているような気分になるのでした。彼らは仏門に立って魔物を追い払い、信仰の有無を確かめ仏門を通すのだとか、裳が表すかぜは境内に鳴り響く仏法の声と仏法を求めに行くひととの間に生じる気合の象徴なのだとか。興味を持つと家に帰って調べてみたりするのです。あまりにその金剛力士像がかっこよかったから。歴史で学ぶ仏教、教養、知識の蓄積、仏像の芸術性、そういうものを、今の現実の世の中とどんなふうにリンクさせていくのがいいのだろうか、と思ったりもするのです。拝観とかお葬式とか法事とかお彼岸とか、仏教徒であるわたしはお寺と縁がないわけではないのだけれど、日々のくらしのなかで手を合わせることもなく、南無阿弥陀仏と唱えることもないのです。国宝として今に残っているあれこれをお金払って見ているのだけれど、彼らが心底願い伝えたかったことをほんとうに受け取っているのだろうかと、心配になるのです。
2004.10.03
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「もう元気になっちゃったの」と千鶴子さんから電話があった。この夏、千鶴子さんは、投薬の副作用で、重篤な状態になって緊急入院し、手術して一命をとりとめた。このことを告げるご主人の言葉を電話で聞いたときは、どうなるのだろう、とこころが硬くなったのだが、元気という言葉にほどける思いがあった。その顛末をもエッセイにして、これまでのものと短歌をまとめて冊子を作るというから、ただ起きないひとだあ、とまたまた感心する。10月半ばには出来あがるという。一冊500円。代理店になることにする。・・・ご予約お受けいたします・・・。通院して主治医と話しているうちに、入院中にシコシコと書いていたものはどうしましたか、と聞かれて、顛末を伝えたところ、一冊くださいと言われ、いや、あれ読まれると、この病院に通えませんと答えた、と言いますから、なにやら入院中の過激なこと書いているのかもしれません。さても、元気になって、家で血圧を計るといつだって平常なのに、病院にいくと50くらいあがる、という。「先生がハンサムなんでしょう?」と茶々をいれると「それならいいんだけど、先生がこわいの」と答える。こわい?「手術終わって、すぐに、歩け歩け歩け!って、ひとの顔みたら歩け!て怒鳴るひとなの。やんなっちゃう」「歩いたの?」「歩きすぎてもう歩くとこなくなっちゃったから、自分の病室でワルツ踊っちゃった」「ワルツ?」「それしか知らないから」千鶴子さんのワルツのステップを思い浮かべる。きっと真面目な顔で踊っていたんだろうな。そして、ふっと笑ったんだろうな。ほわほわほわと幸せな気分になってくる。
2004.10.01
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