2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全18件 (18件中 1-18件目)
1
電車の中で居眠りをする。カクンとなって目を開ける。すると、斜め前の座席の男性と一瞬目があう。30歳くらいの真面目そうなひと。問いかけるように見つめると、むこうが困ったように目をそらす。ああ。またか。あのひとずっと見てたんだなと思う。気になるんだろうな、頬のテープが。毎度のことさ。駅に止まると前の座席が空き、新たな乗客が座る。若くして頭髪の薄くなったサラリーマン風の男性が座り、ちらちらとこちらを見る。仕方なく目を閉じる。 しばらく気にならなかったのに、今日はどうもいけない。なんだか居心地がわるい。駅に止まったので目を開けると、斜め前のひとがまた目をそらし、前の薄髪男はじっとこちらを見ていた。やだな。この男の視線はなんふだか粘っこい。なんなんだ!と思い、目に力を入れて薄髪男を見返すと、ふいっと視線を外した。しかし、こちらが視線を外すとまた、ねばっこい視線を感じる。もう目を閉じないで、薄髪男のすぐ後ろの景色をじっと見つめた。微妙に視線は合わせないが、顔はまっすぐかれにむかっている。むこうがそわそわとしているのがわかる。ふん!だ。思いがけず、降りる駅が同じだった。ふっと座席から立ち上がって並ぶと、かれはわたしよりも背が低かった。ことさらに背筋を伸ばして歩いた。
2004.07.29
コメント(2)
有楽町へむかう電車の一番前の車両に乗り、運転士の後ろに陣取った。彼は白い帽子を目深に被ってまっすぐ前を見据えている。時おり計器を指差し、何かをつぶやく。後ろから頬のふくらみが見て取れる。若いひとだ。京浜東北線の運転士の右手はフリーでただ置かれているだけだったが、山手線ではコックを握っていた。白い手袋をしている。そう大きな手ではない。乗客はこの人の腕に命を預けているのだと気付く。無条件に信頼しているけれど、もしもこのひとの思いのまま、あらぬところへ暴走していったら、と想像してみると、ちょっとこわい。計器の中央にATSと書かれたボタンが見える。何かあったら、アレを押せばいいんだなと密かに思う。運転士の目線で景色を眺める。目の前には線路がはるかな場所へと伸びている。線路沿いの緑が目に飛び込む。夏の日差しを浴びた葉っぱが揺らぐ。バラスの間に緑が見えるのはしたたかな雑草だろうか。そばに立てば陽炎のゆらぎが見えるだろうか。線路は時に小さく、時に大きく曲がり、遠近法の絵画のお手本のようにかなたで消失する。障害物のない進路に胸がすく。線路わきに鉄さび色をしていたものが放置されている。古い線路だったり、器具や機器だったり、よくわからないものが転がっている。時をかけていずれ朽ち果てていくもの。鉄さび色はなんだか悲しい。ふっと、地下鉄の運転士を思う。暗いトンネルのなか、見えるのはライトに照らしだされた灰色のコンクリートの壁にさえぎられた世界。来る日も来日も変わることはない。季節のうつろいも、日の翳りもない。駅に近づいた時だけ、眺めが少し変わる。ホームで待つ乗客が見える。さっきの駅とは違う顔のはずだ。つらい仕事だな。線路を見つめていると、車窓からの景色を見ていて感じるスピードよりもゆっくり走っている感じがする。周りには高層ビルが立ち並んでいるのに、がったんごっとんと田舎の電車に乗っているような気分になる。思いが勝手に旅している。上を見ればアーチのようにややこしく電線が連なって車体の高さを示している。並行する線路に対向車がくる。互いが迫り行く感覚は少し、ときめく。むこうのスピードの方が早いように思う。ボン!という衝撃があってすれ違う。市バスなどで見られるような挨拶、手を上げ、ヨッ!と言ったりはしない。平然と何事もなく行き過ぎる。しかし、駅についてホームで合図する駅員さんにはゆっくりと手を上げる。それは厳かな儀式のような雰囲気だ。双方とも至極生真面目に見える。命を預かっている真剣さかもしれない。小学生の男の子が乗ってきてわたしの前に立ちふさがる。夏休みだ。やっぱり同じように運転士の手元や計器を見つめ、やがて線路に見入る。電車の振動のように身体を左右に揺らす。おいおいおい!わたしの特等席だぞ!と、こころのなかで文句をいって、睨んでみる。それに気付いたのか、彼は意地になったように両手を広げて陣取りをする。仕方なく、無言で空いているガラスの前に移動する。次の駅で子供が降りた。さあて独り占め!と思っていると、乗ってきた中年のおじさんがやっぱり運転士の後ろに陣取って覗き込んだ。うーん、もうー!とまたこころのなかで毒づく。わがままな電車おばさんだ。背広姿のおじさんは鞄を足元に置き、ガラスの下のバーに腕を組んだまま体重を預け、足を交差させた恰好でずっと線路をみつめていた。グレイのズボンの腰のあたりの肉付きがよい。半ズボンをはいていたのは遠い日だ。このまま大人の日々を突っ切って、どっか懐かしいところへ連れて行ってくれるといいのにね。その白髪交じりの後ろ髪を見ながらそんなことを思っていた。
2004.07.27
コメント(0)
たまに街にでると、人が新鮮だ。地下鉄の階段を歩いて上がっていた。ふとエスカレーターの方を見ると、若いカップルがお互いからかたときも目をそらさず、見詰め合っていた。話し声は聞こえない。キャップを被ったピップホップ系の男の子と茶髪でピンクのタンクトップを着た日に焼けたの女の子。若い恋人たち。エスカレーターを降りた二人はやはりお互いから目をそらさない。彼らの後ろを歩く。すると二人の手がせわしなく動いているのがわかった。手話をかわしていた。ぽんと手のひらを叩いたり、頬をつねったり、首を傾げたり。声のない口の動きがそれをサポートする。言葉にならない音(オン)が漏れる。身体揺れる。笑っている。見つめることがわかりあうことのはじまり。視線の先にある言葉。自分の眸が捕まえる言葉。視野から外れたら消えてしまう言葉。思いを形にした言葉。愛の形もかたどれる。指が語る言葉は以前も電車の中で見かけたことがあった。ご夫婦であった。奥さんが車窓から景色を眺めてはうれしそうにご主人に報告していた。ひらひらと舞う指先はその弾むこころを伝えていた。ほほえましい光景だった。ご主人がそれに応えた手話は、ゆったりとした間合いで、何もかもを包み込むような大きさだった。ハンディキャップのあるひとの細やかな肌合いのようなものを感じたのを思い出す。喫茶店でとなりに座ったおじさんふたりは互いの身の上を話し合っていた。知り合って間がない感じだった。「生まれは田園調布の病院で、蒲田で育った」とごま塩頭を角刈りにした粋なおじさんが言う。「あんたいいとこの息子なんだな。おいらは田舎もんさ」とずんぐりして眼鏡のおじさんが言う。「おふくろがしんだのが60歳で、そんなことになるなんて思ってもいなかったから、早く結婚していろんなこと見せてやりたかったと思うよ」おじさん同士が手探りでおたがいを知ろうとしているようで、なかなかはなしのつながりが上手くないのだけれど、心置きなく自分を話す機会に恵まれなかったひとがとつおいつ話しているように思えた。自分の人生を人に語ることで、あらたに思い出すことがある。角刈りのおじさんは「函館に行ってだんだ。帰ってきてぶらぶらしてる時代が長かったんだ。もうちょっと早くちゃんとしてたら親孝行できたのにな」と振り返る。ふたりの大人の男同士の会話はどこかぎこちなく、苦味があった。もう帰ってはいけない時間。もう若くはない自分たち。それでも生きてきたなにかを語りたい。自分のことを知ってもらいたい。会話の端っこを耳にしただけで、とんだ勘違いをしているのかもしれないが、それでも角刈りのおじさんのどこかくたびれたようなたたずまいが想像をかきたてる。初老とはつらい年頃だ。帰りの電車のなかの優先席に30歳前くらいの男性4人。いささか酔うているようだった。ピンクのシャツを着た小柄な男が「なんでおれにずっと電話してこなかったのか」と甲高い声で、ごねていた。「恩に着せるわけじゃないけど、おれはこいつの結婚式の時も、いろいろ面倒みたじゃないか。なのに、なんで電話一本してこないんだ。言い訳聞きたいんじゃない。これは気持ちの問題だ」聞き苦しい声が車内に響く。残る3人もだんだん気色ばんでくる。それでもその声をなおも高くして、しつこくしつこく言い募る。その性格がひとをためらわせるのだよ、だから、電話したくなくなるんだよ、なんて言いたくなって、うずうずする。家を一歩でればいろんなひとがいて、いろんな仕草でいろんな言葉を交わしている。それはなんとも新鮮だ。強烈な夏の日差しのなかで、それでも人は生きているんだなあと思う。
2004.07.25
コメント(0)
いてて、腰のあたりがなんだか痛い。ああそうだったと恥ずかしいことを思い出す。もろもろ含めて、暑く長い一日だったとほろ酔い気分で思い出す。13:30より芝公園のメルパルクにて桂文珍の独演会。やっぱりわたしの方向音痴は健在だった。振り返れば建物が見えているのに反対に向かってしまう。プリントアウトした地図を手にして。暑い暑いと唸りながら長い横断歩道を渡ってそこにいた人に問うてみれば、あれだよと今来た道の向こうを指差して教えられ、ええーうそー!あれですかあ!と力が抜ける。気を取り直して着物姿の粋なおねえさんの後を付いて行く。暑いのだけれど、涼しげに見える。着崩して楽そうだ。江戸っ子だねえと思う。正しい落語を聞くいでたちのように思う。きっと神輿とか担ぐおねえさんなんだろうなあ・・・。さても、桂文珍の落語は笑いのちからだめしのようなところがあるからおもしろい。今は亡き枝雀さんに通じる間のようにも思う。言葉がポーンと投げ出される。それはちょっと不親切のように思えるのだが、説明のない方が実は面白い。くくくと笑えたり、じわじわとおかしくなってきたり。面白がる能力があるかないかが如実にわかる。言葉が痩せていると文珍も言った。コンビに言葉が原因かと。マニュアルどおりの言葉しかいわないから。そのはしりはマクドナルドで、誰が来ても「大ですか、小ですか、お召し上がりですか、お持ち帰りですか」とくりかえす。「そこへうちのおふくろがトイレを借りにいったんですね」そこまでしか言わない。「みなさん落語は想像力です。わたしは説明いたしません」と。テレビで時事問題を扱う番組の司会を長く務めているため、枕で振られるのかどれもイキのいい話で、「こんなに暑いのは曽我さんのキスのせいかと思いました」といえば会場がどっと沸く。その昔、若手落語家としてヤングオーオーに出ていたなと思い出す。ちょっと不器用そうに見えたものだった。ああそうか、小染さんはもういないんだなあ。文珍は時を経て実力のあるクレバーな落語家になった。アラブの王様の前で狂言をする羽目になった商社マンが「天才バカボン」を狂言に仕立てて演じる噺はおかしかった。謡のあの間延びした音階で「やーなーぎーのーしーたーにーねーこーがーいーるーー、だーかーらー、ねーこーやーなーぎーー、そーれでいいーのだあーー」とやってしまう。よく通る声でその節回しでやられると無性におかしい。その会場で座席に座るとき目測を誤り、左の腰骨をしたたかに打ってしまった。幅寄せのミス。身体の幅が自分が思っているよりも広かった!!残念!しかしまあ、それも、笑っているうちにそれも忘れていたのだが・・・そのあと、横浜の友人たちと桜木町で暑気払いをすることになっていた。待ち合わせた友人と動く歩道に乗った時に事件は起こった。後ろを向いて話に興じてるうちに歩道の終わりが来て、うかつにも足をとられてすっころんでしまった。またも左の腰骨をしたたかに打った。・・・まだ一滴も飲んでないのに、である。痛いことは痛いのだけれど、それよりなにより恥ずかしい。前にいた背広姿のサラリーマンの集団がいっせいに振り向いた。ひえー!かっちょ悪くてならん。この体躯のわたしがこけたのですから、たいへんですわ。まことに、足腰きたえんといかんです。居酒屋で、飲めや食えや愚痴れやの3時間半。喋った片端から忘れていくようなおはなし。ふわふわと笑い、時が流れた。帰り道、ぐでぐでぐでで歩いたほうが転ばない。以外としっかりしたもんだった。12時前に何とか無事帰宅。そうして今頃、あいたたた、と腰がいたみだして、赤面したりしている。
2004.07.24
コメント(0)

暑さに負けて家の中にこもっている。サンショウウオになりそうだなあとか苦笑する。この気温では頭が動かない。なんか書きたいことがあったはずなのに思い出せなかったり、言葉が出てこなかったり、めりはりのない作文しかかけなかったりするので、うんざりする。で、頭ではなく指先を動かすことにした。このところのわたしはけっこう勤勉なキルト職人だったのだ。・・・針を握ったままウタタネしてたこともあったのだけれど、今日はようやくバッグが出来上がった。 着物地を使ったので、縫いづらいし、デザインが簡単そうに見えるが、これが結構手がこんでて、刺繍で縁取ったりもして、まあ、それなりに苦戦したわけで、いま、じわじわとわいてくる達成感!・・・これぞ究極のひとりよがり。それにしても、われながら移り気で、このバッグに取り掛かりながら、他の作品も同時進行している。頭の中ではもう全て完成形があるのだけれど、あれもこれも中途半端に手をつけて、どれもこれも仕上がらない。部屋に進行形の作品が積みあがる。・・・なんとも情けないことであるのだが、これはそうは簡単には仕上がらないのだ。世にキルト作家と呼ばれるひとがいる。その人たちの展示会を見ていると、デザインはそのひとで、制作はお弟子さんとかだったりすることがある。その作品作りに関わることは名誉なことなのだろうか。キルトは、手間隙のかかることだけれど、手間隙をかけることがその魅力なのだと思う。中国産の安いキルトが通販で売られたりしていると、悲しくなったりする。製品と作品の違いを思う。誰かのために作るもの。思いが添えられたものを作っていければいいなと思う。
2004.07.23
コメント(0)
同じく水曜のこと。帰りの山手線で、ドアの点検だとかで電車が止まった。待っている間中、隣にすわった女の子が前にたつ男の子に、鼻にかかった声で話す。「あたし、夏休み、一日に一冊本読むことに決めたの。おとうさんにそう言ったら一万円くれたの。でもね、文庫本で薄いので一冊500円として60日あるんだから3万円かかるから、足んねえよ、とか思ってんの」「へーおまえってお嬢なの?」「おとうさん、社長」「へっ?」「えーと、薬局やってんの。大田区のひとがみんな健康になったら倒産するかもしんないけど、春と秋はあんまりよくなくても、夏と冬は処方箋がいっぱいきて儲かるんだって」「病人で儲けるのか。そういえば医者も病院もそうなんだな」「あんまりよくしんないけど」聞くつもりがなくても聞こえてきてしまう。大学一年生同士の会話のようだった。電車内の明治大学の広告の反応していたので、そこの学生なのかもしれない。図書館で借りればタダだし、古本もあるし、そんなにお金かけなくても読めるよお嬢さん、とか言いたくてうずうずしてくる。そうこうしているうちは話はどんどん飛んでいく。「で、あたし、大学院いきたーい」「行ってなにすんだよ」「文学のお勉強」「ああそうですか。おれはわからんな」「ね、大学院って何年?二年?四年」「うーん。二年が三年かな。よくわからない」「絶対大学院でたほうがいい会社に入れるでしょ」「まあな」そうでもないこともあるみたいよ。話が途切れたなと思うと彼女は鞄から貯金通帳を出して眺めている。気になってこちらも、ちらと眺めてしまう。残金は6千だか9千だか、老眼ではしかとは読み取れないが、4桁しか打ってない。「一万もないんじゃん」「でもさあ、これからバイトしたらお金はいるし、使わなかったら10万円になるんだよ。10万円って打ってある通帳みたみたいじゃない」「でもやっぱ使うだろう?」「ううん。おかあさんとかに借りるの。10万円て打ってもらってから使うの」そういうもんかなあ、と思っているうちにいつの間にか動き出した電車がわたしの降りる駅に着いていた。「ねえ、読書会しない?」と話は続いていた。階段を上りながら「文学のお勉強」とつぶやくとなんだか頬が緩んできた。自分にもあんな時代があったのかもしれない。
2004.07.22
コメント(0)
あまりの暑さと紫外線が怖くて、ずっと引き篭もっていたのだけれど、本日は水曜にて、カルチャーの日なので、仕方なく新宿へ赴いた。本当になんという暑さだろう。脳細胞がいつもより余計に死んでいくような気がしてならない。ぼーとする。日本はもう熱帯になってしまったのかと思う。山手線で隣にすわったひとは小太りの男性で、ふっと汗のにおいがする。首筋に汗が光る。おもむろに小さなゲーム機を取り出してボタンを押し始める。ひたすらに押し続ける。その人が途中で降りると女性が座る。香水のかおりが漂う。夏はいつもよりも匂いに敏感になる。こっくりと居眠りしている。わたしも眠い。寝苦しい夜だったから。カルチャー終えて、お仲間とお茶を飲む。いつもいくその喫茶店は4時でいったん閉店して、夜はワインバーになる。たった1時間足らずで追い出されることになるのだが、文章を書くひととのおしゃべりはそれくらいの時間がちょうどいい。時には傷つくこともあるから。5人ほどのメンバーが、今では常連になっている。そこでは、壁に面した座席の上に鏡が張られている。手前の席に座ると、自分の顔が見える。ああ、自分はこういう顔でじゃべっているのか、と知る。けっこう真剣な顔をしてるなあとか他人のように眺める。その鏡は横に長く、隣にすわった人も映っていた。白髪交じりのショートカットのおばさんだった。化粧気はない。おしゃれでもない。ちらちらと観ていると、そのひとが笑う。もごもごと口が動く。首が傾ぐ。口元の動きが、いやあ、そうなのよ、と言っているように見える。話しかけ、相槌をうつ。そんな繰り返しが視線の先にあった。しかし、鏡から目をそらし、実際の座席を眺めてみると、そのひとのむこうには誰もいない。テーブルには一人分のコーヒーとデザートが置かれてあり、食べかけの白いアイスクリームが溶けはじめていた。会計を先に済ませてほしいと回ってきたウエイトレスに向かって、その人は「まだここにいてもいいんでしょ?久しぶりに出てきたもんだから、すこしゆっくりしたくて」と笑って言った。前歯が少し欠けているのが見えた。鏡の中のそのひとはなおも話を続ける。時に相好を崩し、笑い声を上げる。そこにはいない人と話している。そして楽しんでいる。以前、バスのなかで、自分の親指に話しかけるひとを見かけたことがある。親指に呼びかけ、頷き、時にたしなめたりしていた。あたかもそこに誰かが宿っているかのようだった。聞こえない声が聞こえることを幻聴としてその症状を訴えると、精神の病だと見なされる。脳内物質の加減によってそういうことが起こるのだ、と。そのひとがそうだとは限らない。ただ思い出に浸って、かつてあったシーンを再現しているのかもしれない。こころに残る忘れがたい情景に立ち戻っているだけなのかもしれない。わたしがここで決め付けることではない。それでも、それにしても、と思ってしまう。聞きたくなくても聞こえてきてしまう声を聞いているのだとしたら、それはいったいどんな感じがするのだろう。それは、現実とまぼろしのあわいにいるような感じなのだろうか。あるいははっきりと現実なのだろうか。それともはっきりと異界なのだろうか。その声を聞くことは幸せなのだろうか。つらいのだろうか。自分がひとりぼっちではないと思えるのだろうか。その声が自分を追い詰めることはないのだろうか。聞こえない人間にとっての当たり前と聞こえてくる人の当たり前とは、落差がある。それをすりあわせることは無意味かもしれないと最近思う。何も言わず血の通わないゲーム機に向かうひともいるし、そこにはいないひとと楽しく会話を交わすひともいる。それぞれがそれぞれの世界を持っている。病が嵩じていけばつらいこともあるのかもしれない。それでもそれがそのひとの個性であるのだと思いたい。
2004.07.21
コメント(0)
作文教室ではサンプル文のコピーが配られ、高井先生が朗読されたあと、講評があり、合評する。先だって、あるご婦人の文章に、「昭和28年ごろ、貧乏をして質屋に通った」というくだりがあった。その質草というのが「大島紬の反物、着物、時計」だった。「これは自慢か?」という評があった。その質草を書くのが問題なのだ。ほんとの貧乏人はそんなもん持ってはいない、と。「だって、ほんとうのことですもの」という本人の反論があったが、それでもそこをそのまま書かないのが配慮である、と。ことほどさように、何気ないことが自慢に聞こえてしまうのだ。いたるところに地雷がうまっているようなものだ。定年後の男性が語る往時の手柄話だとか、裕福な老婦人があちこちまわった海外旅行記だとか、成績優秀な子供の出身校だとか、幸福な風景は知らず知らず、反感を買うのだと知る。同じ教室で、「天井桟敷」という映画の邦題をつけたお父さんを書いた文章もあった。それはすごいなあ、世の中にはいろんなひとがいるなあ、と感心した。わたしは、年上の友人が多いせいか、みなさん自慢の種を持っておられて関心する。文章で読んだり、直接聞いたりした。お父さんがプロレタリア文学の作家で、自身も高見順の友達だったおじさんだとか、陶器作りの職人だったおとうさんが北大路魯山人の絵の具を作りに行っていたひとだとか、ご主人が亡くなったあと、何日も五木寛之から白い花が贈られてきたひとだとか。川端康成の棺を担いだなんてのもすごいなあ。宇野千代と家永三郎の親戚で岸恵子の隣人だったというひともいたなあ。パンダの名前の公募に当選したひともいたし、おばあさんがミスユニバースだったというひともいたなあ。松あきらの同級生というひともいたし、高見知佳と家族ぐるみの付き合いをしてるひともいた。っとここまで書いて、ふっと我に返る。わたし自身のことだが、こういうひとを知ってるということも一種の自慢に聞こえるかもしれんという気もしてくる。ええ、ええ、ことほどさように・・・・・・。
2004.07.19
コメント(2)
「サライ」の特集和菓子。思わず手に取る。ああ、いいなあ。表紙は清浄歓喜団。この喜び組みのような語感のするお菓子は日本最古といわれてる。奈良時代密教系のお寺さんへのお供えものだったそうな。歓喜天へのお供えと聞くとなんだか厳かでありながらも、こう晴れがましいような感じがする。販売しているのは、祇園の八坂さんからちょっといったところのお店で、亀屋清水という。1612年創業というからすごい。今でも作る人は精進潔斎するそうだ。なんというのか、時を越えた贈り物だ。形は小籠包の上にちいさな渦巻きが八つ乗っているという感じ。小麦とか米粉とか丁子とか白檀とか入れた生地で小豆餡を包んでごま油で揚げてある。お取り寄せもできて、一個525円。残念ながら、食べたことがない。清浄歓喜団、その名を唱えるだけで、なにやらうれしくなるようなちょっときはずかしいような。ページを繰れば、粽、酒饅頭、ジョウヨ饅頭、羊羹(ああ、夜の梅)菱はなびら、羽二重団子、きんつば、大福(岡野栄泉)かりんとう(花月)ああ、いいなあ。好きだなあ。ページを閉じると他の和菓子も浮かんでくる。わらびもち、柏餅、おはぎ、水羊羹、鮎、くず桜、道明寺の桜餅・・・嫌いな和菓子などほとんどないのだが。和菓子、特に餅菓子が、なんでこんなに懐かしく好ましいのかと考えると、そうだ、わたしの小さい頃は、家で作っていたんだと思い出す。百姓の家は、どれも上出来とはいいがたいのだけれど、何でも見よう見まねで手作りしてしまう。粽も柏餅もおはぎもあんころもちも一日がかりで一家で作った。まだかまどがあった時代のことだ。子供心に心踊る一日だった。葉っぱの類は父が調達してきて、母が蒸した。当日は朝からもち米を蒸したり、小豆を煮たり、混ぜたり、丸めたり、葉を巻いたり。薪のそばで父が火の番をする。時々籾殻を放り込むと炎が上がり、父の浅黒い顔を照らす。怖いように炎が父の顔を隈取る。時々軽い灰がくすんだ高い梁までふわふわと舞い上がる。汗をかきながらも父はいつもそこにいた。母が小豆をこねる。腕に力が入る。山ほどの砂糖が入った。味見をせがむわたし。甥や姪も並ぶ。つきたてのお餅はやわらかくて、おいしかったなあ。当たり前に百姓の生活をしていて、もっとも家族が多かったころのこと。廊下にこうじぶたがいっぱい並んでいるさまを眺めていると、豊かな心持ちになった。田舎の手作りものは大きい。それがごちそうだった。出来上がったら近所にくばる。町内の岩田さんと吉田さんと河田さんと今堀さんと親戚の藤井さん。その名前は忘れない。こんなことだけよく覚えている。「不出来ですけど、食べとくれやす」と口上を言うと、お為の半紙とお駄賃をくれる。「おおきに」。ニコニコして帰る。ああいうおつかいはよかったな。おとなになれた気分で、おばさんたちに褒めてもらって。兄の葬式の時にあのおばさんたちが手伝いにきていた。田舎では、いまでも町内会が葬式のあれこれを仕切る。いろい割ぽう着を来たおばさんたちが、忙しく立ち働く。いまでもわたしを懐かしげに、ちゃんづけで呼ぶひとびとがそこにいる。和菓子の味はそういう全てをひっくるめての甘さなのかもしれない。つらくて寂しくてこらえようがないと思ったとき、甘さはなにかを溶かしてほぐしてくれるのかもしれない。そういえば、うちは糖尿病家系だなあ。兄も姉二人も兄嫁までそうだった。どうしても食べ過ぎてしまう。きっと思い出の分もはいっているにちがいない。
2004.07.16
コメント(2)
こんな日はカバになって日がな一日水風呂につかっていたい。こんな日には、なんもかんもが汗になって流れていって、わたしはバカになりました。うー。
2004.07.15
コメント(4)
我が家は小さな坂の上のマンションの4階で、結構風通しよく、風が吹けば、ベランダ側から、国道を走る車の音や建築現場の音や社内アナウンス(*)などが飛びこんでくる。(* 再録 以前どっかに書いたアナウンス平日家にいると聞こえてくる。立ち並ぶビルのひとつからだろうか、あるいは裏にあるデニーズのとなりの消防署からだろうか、社内アナウンスが風に乗ってこちらまで響いてくる。気がついてみると、いつもおんなじ名前が呼ばれている。それは午前だったり午後だったりするが、呼ばれない日は少ない。昨年7月にこの地に越してきてからこれまで、それはもっとも数多く聞いた名前かもしれなくて、会ったこともないそのひとにだんだん親しみがわいてきたりする。「かわむら課長、かわむら課長。1番にお電話です」「かわむら課長、かわむら課長」と必ず2回くりかえす。女性の声のときは「かわむらさん、かわむらさん」と呼んだりする。それはなにか訳があるのかなあ。ちょっと憶測してみたりもする。今日も朝8時半から響いてきた。「かわむら課長、かわむら課長、整備なんとかのほうにおまわりください」おっ、今日もかわむら課長は大忙しだ、なんて思ったりしている)*******そして我が家は角部屋なので和室の窓を開ければお隣さんの物音も響いてくる。実はお隣さんは歯科衛生士の専門学校である。和室の窓の下は、並立する学生寮から教室への渡り廊下になっていて、そのそばのちいさなスペースにベンチが置かれており、休み時間になれば、そこは一息つく学生さんで満ちる。「あーアジー。たまんねー」「ほんと、これってありえなーい」「ね、ね、バックレル?」「それってヤバイし」「ほーんと、ちょーうぜえー」掃除機をかけながらのぞいてみると、茶色い髪のお譲ちゃまたちが、それぞれの名を呼び合い、灰皿代わりの赤く錆びた灯油のカンを囲んで甲高い声を上げている。言葉を追いかけるように笑い声も響いてくる。先生たちが通りかかることもある。「ちゃんと消してきなさいよ」とだけ注意する。「はーい」としおらしく頭を下げたりしている子もいるし、照れ笑いしている子もいる。これが休み時間ごとに聞こえてきて、越してきた頃はなんということか!と思ったが、不思議とこれが慣れてくる。今日も元気だわとも思えてくる。学生寮のお風呂から夜中の2時3時に歌が聞こえてくることもあった。これがものえらく調子はずれで、ほんとにへたくそなのに英語の歌の一つ覚えのフレーズを大声でくりかえす。響く響く。思い立ったように「最後に愛は勝つー!」と叫ぶこともあった。これにはいささか参った。それで目が覚めてしまうと困ることになる。今度は国道をバリバリと走るゾクのバイク音が気になる。うるさいなあと思っていると、いきなり消防署からは救急車が発進する。ドキンとする。街は24時間生きとるワイ、とかぼんやり思う。その「愛は勝つ」青年の声は今年3月を境に聞こえなくなった。ああ卒業したんだなと気付く。「じゃあ、9月にね。元気でね」「はーい。先輩も」「親知らず、直すのよ」「はーい。わかりましたー。さよならー」寮の先輩が後輩に声をかけている。名残惜しげに聞こえる。寮生活をすると、4月からの3ヶ月半くらいでそんなふうな関係になるのか、と思う。それが若さなのか。都会で適応していくとはそういうことか。同じ目的を持つもの同士に生まれる特別なものなのか。その交流が少し眩しい。ふっと気付くと若い声が聞こえない。ああ夏休みなのだと思う。蝉の声が大きく聞こえてきた。
2004.07.13
コメント(2)
神奈川県民から東京都民になって一年がたつ。月並みな言い方だけど、月日のたつのは早いものだなあとしみじみ思う。二十年住んだ住まいにあふれていた荷物と格闘したあの暑かった日々は、もう一年前のことだ。この一年はなんと頼りなく過ぎて行ったのだろう。毎日はそれなりに過ぎていくのだけれど、どことなくよそよそしく、実感が伴わないままでいた。旅に出たまま帰りそびれている、という感じがもっとも近いかもしれない。自分の居場所はここじゃないんじゃないかという感じ。住まいに不満があるわけではない。以前の古い団地に比べれば格段に暮らしよいスペースだ。交通も便利だ。それでも・・・なにやら落ち着かない一年だった。家族の都合で、老人を長年住み慣れた土地から離れさせると惚けるひとが多いという。家族以外に思い出を共有するひとがいない土地に住むということの切なさのようなもの、ここにいる誰も自分のことをまったく知らないんだと気付いたときの寂しさ怖さ、一からはじめることへのためらい、そんなものがこころに渦巻くと、だんだん気力が萎えていく。それは実感した。どこへいこうとわたしはわたし!と若いときは思っていた。転勤族はいつだって見も知らぬ土地で暮らすのだから、きっと今度も平気だろうと思っていたのだが、さすがに二十年の歳月は長い。平気ではなくなったのだ。更年期もあるし、息子2との同居もあった。友人はみな横浜にいて、なにやら遠いように思えてくる。外見の変化もある。わたしの顔のテーピングテープは人目を引く。はじめてのところでは自分がどう見えるかを考える。いつだってそれが結構しんどいのだ。こまったもんだ。それでも、一年がたってなんとなくここの空気に慣れてきた。わたしがわたしを開き始めてきたこともある。わたしをわたしと知ってもらえる場所ができたこともある。 ゴールにたどり着いてみればなあんだと言える迷路も、迷っているうちは必死だ。のちに一笑に付してしまえることも、その瞬間はたいていなことではない。わたしはここに納得するのに一年がかかってしまった。すっかり納得したとはまだいえないのだが、そろそろとここいらでなにかを始めようかと思ったりもしている。
2004.07.10
コメント(4)
あまりの暑さに乗ったタクシーの運転手は「あんまり暑いんで風邪ひいてしまいましたわ」と言う。待ち時間の冷房がこたえるそうだ。その言葉のイントネーションが関西風だった。「どちらですか?」「京都です。二条城の前あたりですわ」「堀川高校ですか」「そうや」「わたしは伏見で桃山高校、月桂冠のネオンと淀の競馬場が家から見えますねん」「そうかあ、あんまり知らんけどな」「つれがこっちのひとやさかいに、こっちにきたんや。もう二十年になるかなあ。あんな、やっとこのごろ納豆食べられるようになってんや」「ええー、そうですか。わたしは未だにあきませんねん」「においがたまらんけど、身体にええて言われてな。やっとや」そういって笑うと白髪の混じった小さな後頭部がゆれる。薄い肩。長袖のシャツの下の細い腕。初老だろうな。笑った頬に縦じわが深いのが後ろから見て取れる。「京都のこと、誇りに思たはりますか?」「うん。思てるで。お客さんによう関西のどこ?大阪か?て聞かれて、いや京都です、ていうたら、みんな、へえ、ええとこやねって言うてくりゃはるしな」「食べもん、どうですか?」「この季節はハモやけど、こっちで売ってるのんはなんや水っぽうて、うもないな」「そやけど、目が欲しがってこうてしまうでしょう」「そうやな」「おとふはどうです?」「うもないな」食べ物の話は人の距離を縮める。「ぼくのつれのひとはこっちのひとやし、食べるもんがちょっとちがうし、焼きなすは僕が作ったげるねん。皮むいて、生姜すってな」「ほんまだいじなひとですねんね」「そんなこともないけどな」好きな人と住むために生まれ育った土地を離れる。その土地に誇りを持ちながら、そこにはもう住まないと決める。この穏やかそうな男性はそう決めた。つれのひとと離れがたく、強い思いでそう決めたのだろうか。この背中をつれのひとに見せて台所に立って、なすを焼き、あちちといいながら皮をむく。これがうまいねん、と言いながら皿を運ぶ。そんな勝手な想像が次々にわく。駅に着く。「おおきに。きいつけて」さりげない声だった。久しぶりにそんな言葉に送られた。「つれのひとによろしゅう」と言うと「うん」と微笑んだ。
2004.07.08
コメント(2)
このところ毎日どこかしらでうたたねをしている。電車でも病院の待合室でも、MRIやシンチ検査中も寝てしまった。カルチャーの前から2番目の席に座りながら、こっくりしてしまう。食事のあとは特に知らぬ間に意識がなくなる。例えば月曜日の7時半、食事を終えて「名探偵コナン」を見る。名探偵の行くところ常に殺人あり、で、毎回必ず、人が死ぬ。その死んだあたりでこちらも意識がなくなる。ふっと気がつくとエンディングテーマが流れて「コナンズヒント」とか言っている。えっ?犯人は誰だったの?と息子に聞く。ああ、あいつかあと納得する。そうだと思ってたのよ、などと言っている。うそばっかり!!困ったことに活字を読むとまぶたが下りてくる。いかんいかんと思いつつ同じ行を何度も読む。はっと気がつくと明かりがついたまま午前4時とかになっていたりする。こんなふうで、一冊の本がなかなか読み終わらない。千冊だなんて、考えただけで、気が遠くなる。こんなに寝ているのにわたしは夢を見ない。いやそんなはずはないだろうが、覚えていない。速読術というのがあるそうで、その訓練をつむとたいがいのひとは読書の速度が上がる。しかし、なかには上がらないひともいる。上がらないタイプのなかに「見た夢を覚えていないひと」というのがあって、わたしはうなだれてしまった。そうかあ、そういうことだったのかあ。そうなのだ。わたしはそういうひとなのだ。それでも、今まで見た夢でくっきり覚えているのが3つある。ひとつは、朝起きて朝御飯のしたくを全部済ませた夢。目が覚めて、うそー、さっきやったのにー!と思いながら同じことをやることになった。何度も同じ日をやり直す映画があったが、これはほんとやるせない。ふたつめは、大竹まことに叱られて追いかけられた夢。追う方も追われる方もなぜかハイハイだった。これは非常に疲れた。みっつめは寝言をいった。息子が聞いていた。おかあさん、サルはキンピラ食べるかしら?って言ってたよ、と言う。ああそうだ。息子2の成績があまりに悪いので、サルに家庭教師を頼んだのだった。サルが夕飯食べていくことになって、献立を考えて、その台詞が出たのだった。なんだかなあ・・・。ついでにRYTHEMという女性デュオのアルバム「ウタタネ」好きです。と書いたところで意識が・・・。
2004.07.07
コメント(0)
きつい言葉は苦手とか言ってる自分の言葉がえらくきついなあ・・・。反省しつつ誤解なきよう補足するなら・・・たとえばね、昔あった、底抜け脱線デームみたくにね、頭に針をつけた模型電車みたいなのが毎日ぐるぐる回ってるのね。その線路の途中に自分の思いの風船があるのね。普段はさあ、ひょい、ひょいってタイミングよく持ち上げてかわせているんだけど、ときどきね、それができなくなるのね。針つき電車みたいな言葉が数珠つなぎにがんがん来た日にゃあ、うまくないっすよ。昨日は、まあ、そんな日だったわけで。で、パン!て堪忍袋みたいなのが割れちゃうのね。すると、希望なきパンドラの風船からは、たまらんぞ!ちう思いが、あとからあとから、あふれ出てくんのね。さかのぼって出てくるからこまったもんなのね。あんなこともあった、こんなこともあった、みたいにね。そんな日にくいくいくいのビール飲むとね、これが、いかんのね。厭世的になるのね。なんもかんも、いやじゃ、いやじゃ、いやじゃって。実におとなげないんだけどね。ものごとは両面あって、自分の言い分はそんなふうだけど、相手にしてみれば、それなりの言い分もあるのだろうし、稼ぎのない専業主婦はうなだれるしかない部分も多いのだけれど、それでも、それでも、それでも、っと思ってしまうのね。でまあ、あんなふうだったのですよ。ほんと、かっこ悪いよなあ・・・。べつに今更、かっこつけることもないんだけどね。
2004.07.05
コメント(10)
もうれつに人間がいやになるのね。自分自身も含めていやになっちゃうのね。あんなセリフもこんなセリフも、もうあきあきなのね。くどくどといわれるとたまらないのね。もうわかったからさ。あなたはえらい!わたしはだめだめ!それでいいじゃない。だめだめでもさそれでもなんとか生きてるんだからさそれでいいじゃない。ほっといてくんない?
2004.07.04
コメント(2)
「停車場」4号も11月の発行に向けて始動しました。文章メンバーは6人(男1、女5)他にカットの画伯がひとりいます。少々平均年齢が高くて、戦争を知っている先輩たちがいます。今年は、会計や印刷所との折衝を一手に引き受けていた千鶴子さんが一身上の都合で辞めてしまわれて、なんだかこころもとなくもあるのですが、本日は会合があり、とりあえずこのメンバーで行くことになりました。あの、「停車場」は詩でも短歌でも俳句でもエッセイでも小説でもOKの文芸総合誌なんですが、神奈川近辺にお住まいの書き手さんがおられたら、勧誘するよう言われています。われこそは!というかた、「停車場」に参加してみようよいうかたがおられましたら、どうぞメールをくだされませ。(ただ、同人による審査とかがあるんですけどね)さても、まことにローカルなおはなしなのですが、6月25日付け神奈川新聞の文化面、金子昌夫氏の「かながわの同人誌評」にその「停車場」のメンバーの杉本茜さんの小説が取り上げられています。(付け足しのようにわたしもちょっとだけ載ってます)杉本さんは文学界にお名前が載ったこともあります。と、宣伝。
2004.07.02
コメント(2)
京浜東北線ですわっていると、前に上司と女性部下が並んで立った。上司は50半ば、女性は30前半というところだろうと見当をつける。上司が「あれはどうなってる?」と聞く。女性はすかさず「カジワラさんに連絡済みです」と答える。上司は続けて「何日はどこそこで、何日はだれそれがきて、何日は半日休む」とかいう予定をぺらぺらぺらと話し続ける。いかにも切れそうな顔つきの女性は低い声で、「あれは、それは」と確認をしたあと、「はい、はい、はい、わかりました」と答える。その会話の途中、ぱらんぱらんという乾いた音が聞こえた。女性が定期入れのプラスティックの部分を爪ではじいている音だった。上司が喋る間中それは続く。わたしがその指先を見つめているのに気付いた女性は、顔色も変えず、それをやめた。上司の話は「伊香保温泉がいいらしいぞ」と続いている。「ああ、そうらしいですね」と答えながら、女性はブラウスの縫い目の端っこを指の間にはさんで小刻みにこすり続ける。「今度行こうじゃないか、みんなで」と上司が言うと「ええ、いいですね。カジワラさんやモリタさんもいっしょに」と同意する。しかし、その言葉を裏切るように、こすり方がだんだん大きくなり、今度はズボンの腿のあたりをつねり始める。細身の腿の辺りに皺ができはじめる。数回、身体の横を軽く叩き、またブラウスをこする。場所を変えながら止まるこことなく指先が動く。ああ、これは放電だ、と思う。身のうちにたまったストレスをこうやって放出する儀式だ。ビートたけしが首をふるのや、高井先生が貧乏ゆすりをするのとおんなじだ。派手なネクタイの上司は、休むことなく話しかける。ひっつめの髪で口紅もない、歳を重ねた菅野美穂がだまりこんだような雰囲気のするこのひとは、にこりともせず、てきぱきと返事しながら、いつまでもいつまでもブラウスのはしをいじっていた。
2004.07.01
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1