愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

2004.05.03
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
2003年制作のアメリカ映画。
監督は『ヴァージン・スーサイズ』で面白いんだか面白くないんだかよく分からないガーリーな世界観を発揮したソフィア・コッポラ。
主演はビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソン。

この映画のタダ券をバイトの頃の先輩から頂いていたので、友人を誘って観に行くことにした。

観に行ったのがゴールデンウィークの真っ只中ということでもあったので混雑は予想していたが、私のその予想をはるかに凌駕する混雑ぶりであった。
渋谷のシネマライズに向かうと既に長蛇の列ができており立見だということなので、あきらめて次の回の1時間以上前に再度向かったら、これまた既に立見とのこと。

ということで、生まれて初めてのお立見映画鑑賞となった。
そんな私自身がロストイントランスレーション。


同じホテルに、カメラマンの夫に付き添う形で来日したシャーロットが滞在していた。仕事に追われる夫に置き去りにされてしまった彼女もまた言い知れぬ不安を感じていた。
偶然エレベーターで出会った2人は、その後ホテルのバーで初めて言葉を交わす。お互いに慣れない環境で淋しい思いをしていることもあり、2人の距離は徐々に近くなっていく…。


全編日本でロケーションされたアメリカ映画であり、新宿・渋谷、はたまた京都など見慣れた景色がスクリーン上に展開する。


「慣れない環境に置かれた寂しさ」というのはとてもよく理解できる。1人きりじゃないけど1人ぼっちである不安感というのは言いようもなく辛いものだ。
そんな環境で同じような境遇の人を見つけたら、距離を縮めたいと思うのは自然である。
この映画はそんな2人のラブストーリーのようでラブストーリーじゃない、微妙な距離感の映画である。

しかしこの映画はどうも面白くない。
はっきり言って、明確なストーリーが無いのである。
「何かが起こりそうで何も起こらない」という展開が私をヤキモキさせた。
観終わった後に「結局、この映画はガイジンによる日本ガイドだったのか?」と思ってしまった。

そして色々なところで言われていることであるが、ソフィア・コッポラの日本人の描き方がどうも気に食わない。
昔から外国人たちは映画やテレビの中で、日本人を偏見たっぷりに描いてきた。
さすがにこの『ロスト・イン・トランスレーション』ではサムライやらハラキリやらスシ・ゲイシャといったプロトタイプかつ時代錯誤な日本の描写はないが、それでもどこか悪意を感じてしまうのは私だけではないだろう。

「日本人は背が低い」

「日本人は挨拶がバカ丁寧」

間違っちゃいない。
しかしそこを強調されても困る。

この映画はソフィア・コッポラ自身が東京に来た時に感じたことを盛り込んだらしい。
ストーリー上は日本を訪れた主人公2人がストレンジャーなのだが、映画の視点は訪れた先の日本人がストレンジな存在である。


お互いの文化に歩み寄って何かを感じ取ろうというよりは、「サラッと傍観して、できるだけ関わらないようにしよう」というスタンスなのだ。
ユタ州をバカにされるケント・デリカットの気持ちが少しわかった気がした。

ソフィア・コッポラは「東京が大好き」だと言っているが、彼女が東京をリスペクトしているのかそれとも小馬鹿にしているのか、そこのところがハッキリしない。

よく外国人たちに「日本の素晴らしいと思うところは?」と聞くと「伝統を重んじているところ」と言う。
「日本の好きな場所は?」と聞くと「京都」と答える。

要は彼らにとっての日本の魅力というのは何百年も前の日本であって、今の日本ではないのかもしれない。
「今の日本が誇れるものなんてたかが知れている」という想いがどこかにあることは事実だろう。

『ロスト・イン・トランスレーション』の中に登場する、大都会・東京のネオンは主人公たちの不安の象徴であり、そしてまた「東京=空虚な街」という記号のようなモチーフである。
そこが日本人にとっては新鮮といえば新鮮である。

この映画が描いている、「見知らぬ土地での微妙な距離の関係性」には共感できるところが多い。
しかしそこには感情が乏しく、とても退屈な印象を受ける。
もっとドラマを盛り込むべきだったと私は思う。

しかしこの映画を上映しているのが渋谷だというのは正解かもしれない。
観終わったあとに渋谷の雑踏に足を踏み出した時、主人公たちの気持ちが日本人である私でも理解できた。

日本人を小馬鹿にしたような描写に腹は立つが、実際に東京の街を歩くと何とも言えない邪気に包まれる。
そんなジレンマを感じた。
私にとって日本という国はどう映っているのか、そんなことを考えてしまう映画である。

どうでもいいが、映画のラストがガーリーでインスタントな写真を数多く撮る某有名女性写真家のアップだったのは何故なのか。
締めが何故オマエなんだと「?」な気分で幕を閉じた。

正直に言えば、並ぶ価値があるほど面白くはない映画であった。

★★☆☆☆





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004.05.10 00:16:09
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

大嶋昌治@ 彼らは世々限りなく王として治める (つづき4) しかし、私達クリスチャン…
大嶋昌治@ 防腐剤として生きませんか (つづき3) 社長は日本を保守したいの…
大嶋昌治@ 舐められてませんか (つづき2) 本題に入る前に、先ほどの…
大嶋昌治@ 小泉進次郎さんは聡明で優しい方であり、イエス様が死なれるほどに愛している方 (つづき1) 私は、室伏さんとモーガンさ…
大嶋昌治@ 誹謗中傷やめてください! あきひこ827さんが悔い改めたら、チャンネ…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: