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「親学」、耳慣れない言葉が造られた背景には子育てができない親の存在があるのでしょう。母親は出産、育児を経験することにより母親になると言われますが、母子の間のコミュニケーションが母親を母親にし、子供を成長させるのです。 現代の母親は団塊の世代の子供に当たりますが、核家族化が進み、曾祖母から祖母、母親へと繋がる子育てのノーハウが伝わっていないのでしょう。団塊の世代では仕事人間が当たり前でした。擬母子家庭で育った後遺症もあるでしょう。 しかし、根本にあるのは戦後の民主主義教育が破綻した結果といえるでしょう。団塊の世代が教育を受けた教師は戦前の教育を受けたのにも拘わらず、価値観が正反対に違う教育をさせられました。民主主義、自由主義、基本的人権の根本思想を理解することなく、日教組のイデオロギー教育に従わせられたのです。 定年を間近にして感じさせられるのは、日本の教育が日教組の共産主義イデオロギーに躍らさせらていたことです。 子供の時にたたき込まれた平等主義は個人の能力を高めることを悪とし、低きに合わすことを強要しました。 まだ団塊の世代には戦前の教育を受けた使命感に溢れる教師がいました。教師を聖職だと信じ込んでいる教師もいたのですが、次の世代になると教師は労働者に成り下がり、教師は就職先がなかった「でも、しか先生」時代になりました。 日教組は政治路線化が進み、共産主義革命を目指す前衛党の下部組織になりました。教師の使命は革命の闘士を育成することに変じてきたのです。革新首長の誕生が教育の左傾化を促進し、組合運動が本職の教師、組合専従が顕れました。 団塊の世代は全共闘時代に爆発、炎上しましたが、学校教育が抱えている問題が表面化したのだと思います。今から振り返れば学校教育にノーを突きつけたのが全共闘運動でしたので、政治運動化、セクト化した時点で終了していたのです。 私たちの子供達が親になりきれない症候群である背景には個人主義と利己主義が間違えられ、さらに結果平等が悪平等を生み出したことがあるのでしょう。非常識な親の暴力に学校が脅かされている原因もその当たりにあるのでしょう。 例えば給食費の未納は経済的な問題から派生したのではなく、単なる親の我が儘に過ぎませんが、学校、行政が毅然とした態度にでられないのも戦後教育のトラウマがあるからです。子供よりも親にルールを教えなければ社会は異常です。 学校教育がルールを守ることを教えなかった付けが次の世代に顕れてきているのです。体罰禁止が金科玉条になり、教師の躾、あるいは親の躾が悪者にされてきましたが、赤ちゃんや子供の躾には体罰が必要になる場合もあるからです。 虐待と躾の違いは愛があるか、ないかの違いですが、虐待と躾を勘違いする親も増えてきました。両親、学校、地域社会から躾を受けたことのない親には躾が分からないのでしょうから、学校が親に変わり躾をすることも教育なのです。 躾を受けたことのない親に躾を教える機会がないことが問題です。核家族化が進んできたので祖父母は余りあてになりませんが、団塊の世代がフリーになってくるので彼らをボランティアーとして活用するのも一つの方法でしょう。
2007/04/30
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バイオガソリンが地球温暖化の特効薬になるかの報道がありますが、基本的に誤っています。炭酸ガス収支だけを考えても、サトウキビを栽培のために伐採される森林の炭酸ガス吸収を越える炭酸ガスが燃料化されるのかは分かりません。 むしろトウモロコシ、サトウキビなどの市場価格が高騰した結果転作が進み、果樹園までもが伐採されています。数億人を越える人々がその日にも食べるものがないのにも拘わらず、先進国は食物を燃やして車を走らせているのです。 人間にとって最も大切なのは食物です。食物を大切にしない国は滅びます。ローマの貴族が美食、飽食を楽しむために食べた食物を吐き出し、さらに食べたそうですが、食物をガソリンの変わりに燃やす神経はそれと同等か、それ以下です。 現代文明も末期を迎えた感じがします。飽くなき食欲を満たし、メタボリックシンドロームで早死にするのは勝手ですが、貧しい人たちから食物を奪い、飢えで苦しむ人たちを放置し、好き放題に生きる現代人は神の裁きを受けるでしょう。 バイオガソリンは廃棄物から生成する場合にのみ初めてエコ製品になるのです。日本で捨てられるゴミは信じられない量に達しています。輸入された食料の半数ぐらいはゴミとして捨てられるそうですが、これらを発酵させれば燃料になります。海外から輸入するのではなく、国内のゴミから燃料を造るべきです。 バイオガソリンは貧しい人から奪った食料ですから、輸入するべきではありません。タンカーが消費する重油も馬鹿になりません。商品作物化したトウモロコシ、サトウキビに用いる肥料に使われる石油の量も馬鹿にならないでしょう。 アメリカがバイオガソリンにシフトしたのは形を変えた農家の保護政策です。貿易自由化交渉が進み、アメリカも農家を保護する政策を取りにくくなりました。大統領選のために共和党が支持基盤である農家へ利益誘導をしているのです。 食糧の過半数を輸入している日本が農業国のアメリカに追随する必要はありません。食糧危機が叫ばれているにも拘わらず、バイオガソリンに傾斜する日本は自らの足を食うタコのようなものです。関連投資も馬鹿にはならないでしょう。 化石燃料を節約するためには原子力に頼るしかありません。地球温暖化が進めば、放射能汚染を云々する以前に人類は滅亡してしまうからです。子孫のことを考えるのならば食糧の節約に心がけ、エコロジカルな生活をすべきでしょう。 ガソリンとして燃やされる食糧があればアフリカ、アジアの貧困で苦しむ人たちに分け与えるべきです。先進国の我が儘放題が許される世界は異常です。人権外交を標榜するアメリカが足下では貧しい人たちから食べ物を奪っています。 日本人は戦後の飢えで苦しんでいた時以上に飢えで苦しんでいる人たちが世界には大勢いるのです。トウモロコシ、サトウキビをバラ撒いているのが分からないだけでインディ500では見せ物のために食べ物を燃やして走っているのです。 私たちはバイオガソリンの美名の裏に隠されている真実を知るべきです。透明なバイオガソリンの向こうには飢えで苦しむ子供の顔があるのです。バイオガソリンは地球温暖化対策の切り札ではなく、悪をばらまくジョーカーなのです。
2007/04/28
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拉致問題が国民の関心を集めてきたのでようやく公安当局も動き出しました。北朝鮮の工作員が日本国内で公然と活動でしていたようですが、公安当局はそれを黙認、荷担していました。政府も北朝鮮の拉致の共同正犯といえるでしょう。 公安当局は拉致問題をかなり以前から把握していたはずですが、拉致家族の懸命の訴えにも耳を貸しませんでした。むしろ権力を背景に沈黙させようとしてきました。政治家も同罪ですが、特に旧革新政党の堕落は目を覆いたくなります。 政治家は与党野党を問わず北朝鮮を陰に日向に支援してきました。彼らは北朝鮮の出先に買収されていたといえるでしょう。旧革新政党は朝鮮総連を支援してきました。彼らは北朝鮮の事実上の奴隷売買である帰還事業を支援しました。 脱北者が語る帰還者の生活は奴隷以下です。日本から持参した資産がなくなれば御用済みでした。日本から送金を受けられる者、日本の親戚から資産を上納させられる者は骨の髄までしゃぶり尽くされたあげく、強制収容場へ送られました。 日本は朝鮮半島を植民地化したことには責任がありますが、だからといって彼らが日本人に何をしても許されることになりません。彼らは歴史認識を対日カードに使いますが、日本の忍耐にも限度があります。双方の譲り合いが必要です。 戦後60年が経っています。団塊の世代までは戦争責任を強く感じて生活してきましたが、戦後世代は戦争責任から解放されても良いのではないかと思います。日朝、日韓双方が歴史認識に拘り続ける限り、友好関係を結べないでしょう。 拉致問題は北朝鮮が主犯ですが、日本は従犯です。日本政府は拉致を公然の秘密として見逃してきた過去の誤りを率直に認め、過去を清算すべきです。朝鮮総連、万景峰号が拉致を支援できたのは公安当局の暗黙の了解があったからです。 日本が国際社会に拉致問題を訴え続けるためには自らが過去のブラックボックスを開けなくてはなりませんが、最近の公安当局の積極的なアプローチは評価できます。北の工作員、日本の協力者の傍若無人の振る舞いには呆れました。 在日朝鮮人社会の中には北朝鮮と縁を切りたくても親戚が人質に取られている人も大勢います。北朝鮮から解放されることを願っている人も少なくないでしょう。日本には例え国籍が違っても在日朝鮮人社会に対する法的な責任もあります。 日本は二重基準から脱する必要があります。アメリカに北朝鮮が拉致問題を解決しない限り、北をテロ支援国家の指定から外さないように要請するのならば、日本自らの姿勢を正さなければアメリカ人の理解は得られないでしょう。 安倍首相のアメリカ訪問は遅きに失した嫌いがありますが、ブッシュ大統領にも日米同盟堅持は利益になります。日本の頭越しの対中国、対北朝鮮政策の変更を阻止するのが首相の使命でしょうが、安倍外交には一抹の不安を感じます。 中国、在米コリアの反日キャンペーンが拡がっていますが、慰安婦問題も政治的解決を急ぎすぎて問題を先送りするのは危険です。アメリカに対しても安倍首相の「主張する外交」に寄せる国民の期待を裏切らないようにするべきでしょう。
2007/04/27
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ロシアのエリツィン元大統領が亡くなりましたが、時代の区切りを感じさせられます。エリツィンの功績はゴルバチョフが手がけた民主化を後戻りさせなかった行動力にあるでしょうが、権力の座に座ると権力の亡者になってしまいました。 旧ソ連を崩壊させた功労者ですが、民主化が逆に共産党幹部の腐敗を招きました。自由化は、急激に生産力を減少させ、桁外れのインフレを招き、ロシア経済を破綻させました。国債のデフォルトは世界経済にロシア危機を招きました。 一方共産党の幹部は国有企業の払い下げで巨利を得ました。社会主義国から新興財閥が勃興してきました。権力の腐敗は甚だしく、無政府状態に陥りました。司法が機能しなくなり、マフィアが裏世界から表舞台へ進出してきました。 急激なインフレは年金生活者の生活を直撃しました。旧ソ連時代は年金生活は保障されていましたが、インフレにより年金の実質的な価値は急減し、老人達の生活は危機に瀕しました。深刻な物不足は闇のマーケットを繁盛させました。 エリツィンは庶民的な生活をしていましたが、クレムリンに入り人が変わったようです。側近政治が幅をきかし、行政府も機能しなくなりました。立法府も大統領が独裁し、議会制民主主義も形骸化しました。ツァー、皇帝の再来でした。 しかし、ロシアで史上初めて権力を禅譲したのは評価できますが、後任のプーチン大統領は極めて有能なツァーでした。KGB元大佐のプーチンはテクノクラートであり、KGBの組織的なバックアップもあり国内の混乱を収拾させました。 さらに石油が急騰し、それにつられてLPGも値上がりをしました。ロシアは膨大なオイルマネーで経済再建を果たしました。エリツィン時代に急増した膨大な債務も全額返還しました。ロシアはエネルギーを戦略兵器化しています。 プーチンの大ロシア主義はスラブ民族の国民性から来ています。プーチンはロシア正教を統治の道具化しましたが、国民には宗教回帰現象が起きています。ロシア人には宗教を否定する社会主義よりも、民族主義が似合っています。 プーチンの二期目の大統領就任式はツァーの戴冠式と見違えるばかりでした。ロシア正教式の戴冠式は聖俗の一致、母なる大地ロシアを体現するものでした。プーチンは皇帝としてロシアの統一を図っているかのように感じられます。 プーチンは新興財閥にロシアの経済資源を集中し、彼らに皇帝が君臨する新しい王朝を建てようとしているように感じられます。プーチンは、憲法の規定で三選はできないのですが、後継者を指名するのか憲法を改正するのか微妙です。 いずれにしろロシアには自由主義、民主主義は似合わないようです。絶対権力者が君臨しなければスラブ民族を統治できないのでしょう。国民もそれを望んでいるように思えます。西欧型民主主義はロシア、中国には根付かないと思います。 西欧、特にアメリカには自由主義、民主主義こそ人類普遍の真理だと思い込む欠点があります。ロシア、中国には皇帝が相応しく、イスラム教国には首長が相応しいのでしょう。ブッシュドクトリンの欠点は正義の押し売りにあります。
2007/04/25
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東洋町の町長選挙では核廃棄物最終処分場誘致推進派の前町長が敗れ、反対派が勝利しました。東洋町は生活保護受給率が60%という町です。前町長が処分場を誘致し、財政再建、雇用確保を目指す方向に舵を切ったのは理解できます。 しかし、住民は誘致反対を選択しました。処分場が住民の生活を破壊するとは思えませんが、核アレルギーも被爆国としては当然の反応でしょう。さらに電力会社の原子力発電所の臨界事故すら隠蔽した体質が事態を悪化させました。 私たちの住む地球は喫緊に地球温暖化対策を採らなければ正のフィードバックを起こし、地球は人類の生存を赦さなくなる可能性が非常に高くなりました。地球温暖化で先ず被害を受けるのは富める国、日本ではなく貧しい国々です。 温暖化の最大の要因は炭酸ガスだと言われていますが、炭酸ガスは化石燃料を消費する限り、付随して輩出されます。人間の社会活動はエネルギーを消費しますので、エネルギー源を化石燃料に頼る限り炭酸ガス濃度は上昇し続けます。 経済が急上昇しているBRICS諸国は大量の炭酸ガスを排出し続けます。日本の省エネ技術を導入しても焼け石に水です。エネルギー源を化石燃料から原子力にシフトしない限り炭酸ガス濃度の上昇を抑えることはできないでしょう。 日本が京都議定書を守るための残された手段は原子力発電でしょう。省エネ技術が進んでいる日本では炭酸ガスの排出を抑える手段は限られています。エネルギーは必要ですから、絞った雑巾をさらに絞るようなものでしかありません。 日本の原電建設、維持、管理の技術は世界のトップレベルにありますが、最近の電力会社の事故隠蔽は国民の信頼を根本から裏切るものでした。経産省には電力業界の既得権を擁護する姿勢しか見られず、処分は国民の期待に反しました。 電力会社を擁護する官僚はバブル時代の護送船団方式に先祖返りをしました。経営陣は総退陣、原電は運行停止を命じられない官僚は日本の原発の未来は水から狭めたといえます。バブル時代の経営者のモラルハザードを再来させました。 原電を正常に維持、管理できない日本の電力会社は人類の未来に対する重大な犯罪を行っています。地球に残された時間は限られています。人類を救うためのカンフル剤は原電です。核融合技術が完成するまでの時間稼ぎが必要だからです。 日本が国内でも重大事故を起こす原電を輸出すれば重大事故が起きる可能性が増大します。チェルノブイリ原電は欠陥炉でしたが、管理技術にも欠陥がありました。輸出先では日本以上のヒューマンエラーが起きる可能性があります。 地球を救う手段として確実に効果が上がるのは原子力ですが、地球を破壊するエネルギーも桁外れです。放射能汚染から回復するには地質年代を要しますから放射能汚染は許されません。毒を薬として用いるには細心の注意が必要です。 原子力関係者にはモラルハザードを感じます。臨界事故すら隠蔽し、その責任を取ろうとしないからです。政府が原電を停止させ、電力会社の経営陣が株主訴訟にあう事態が起きなければ原電の未来、人類の未来はくらいものなるでしょう。
2007/04/24
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全国学力テストが43年ぶりに復活しますが、この間に日本の教育は下降線を辿り続けました。日教組の学力テスト反対闘争は日本の愚民化教育に結実しました。共産主義革命を目指したイデオロギー闘争が日本の教育を疲弊させました。 日教組の根本的な誤りは子供に能力の差があることを認めなかったところにあります。それの極めつけが運動会の競争で手を繋いでゴールする風景です。非科学的なジェンダーフリー教育も男女を平等に扱う愚かしさを見せつけています。 「ゆとり教育は」は愚民化政策の仕上げでした。文部省、日教組は日本の国際競争力の増大を恐れた外国から買収されたのではないでしょうか。学力の裏付けのない「ゆとり教育」は子供の教育を受ける権利を侵害する憲法違反行為です。 ゆとり教育が必要なレベルの子供には特別なクラスで教えるのならば理解できますが、基礎学力が付いていない子供の授業時間を一律に減らすのは本末転倒です。私は教科書を独学だけで大学に合格しましたが、今の教科書では不可能です。 平等教育は教育の機会均等を破壊しています。能力のある子供からより高い教育を受ける権利を奪い、能力のない子供から丁寧な教育を受ける権利を奪っているからです。子供、親には自分の客観的な学力、能力を知る権利があります。 団塊の世代では高等教育を受けられるのは選ばれた人間でしたが、公立学校で受けられる教育だけでも一流大学に進学ができました。東大合格クランキングの圧倒的な首位は都立日比谷高校でした。東大以外は都落ちとされていたそうです。 あの当時の入試問題のレベルからすればセンター試験レベルは独学でもクリアーできるレベルです。受験産業が盛んですが、基礎学力があれば独学で十分です。義務教育で独学できるだけの基礎学力を付けられれば必要にして十分です。 センター試験は教科書を独学すればクリアーできるはずですが、現在の教科書のレベルではとても無理でしょう。教育のレベルを低きに合わす政策は愚民化政策でしかありません。落ちこぼれに配慮しすぎて逆の落ちこぼれを造っています。 根本的な対策は学校間格差を積極的に造り、能力に応じた進学先を確保することです。義務教育では読み、書き、算盤を徹底的に教え込みます。鉄は熱いうちに鍛えよと言われますが、作文、読書、古典の素読なども取り入れるべきです。 日本語力の低下は目に余るようです。日本語ができなければ何もできません。逆に言えば日本語ができれば何でもできると言うことです。日本語ができればどんなスキルも身に付けられます。独力独歩で未来を拓くことが可能なのです。 格差社会は教育格差を生み出し、教育格差が格差社会を再生産しています。格差は機会が平等ならばむしろ社会を活性化させますが、その前提は公教育の充実にあります。学力テストには停滞した公教育を活性化させる可能性があります。 学力テストの弊害は考えられますが、日本の教育の崩壊は重症です。カンフル注射が必要です。心臓が停止しかねません。先ず現状を把握するのが第一です。当事者能力がない文科省、日教組抜きにした議論を国民の前でなすべきでしょう。
2007/04/23
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白昼の市内で暴力団組員が暴力団組員を射殺し、アパートに立て籠もりました。結局犯人は拳銃で頭部を撃ち、自殺を図りました。先日は長崎市長が選挙期間中に暴力団組員に射殺されました。拳銃が乱射される事件が2件続きました。 アメリカでは韓国系移民のバージニア工科大学の学生が大学で銃を乱射し、32名が犠牲になりました。銃社会のアメリカの現実を知らされましたが、日本でも裏社会には拳銃だけではなく、ミサイルなどの重火器も出回っているそうです。 アメリカの合衆国憲法には銃器の所有が市民の権利として認められています。銃器は自由、独立、基本的人権を保障する市民の権利なのです。アメリカでは銃器は平等を実現するための手段なのです。女性でも男性と同等に闘えるからです。 しかし、日本では明治維新に廃刀令が施行され、武士階級から刀剣類、銃器が没収されました。徴兵制が施行され、銃器は軍隊、警察が独占しました。戦後は銃刀法が施行され、銃器、刀剣類の所持は厳罰に処せられるようになりました。 日本は明治維新から1世紀半、市民は無防備の状態でしたが、治安が維持されてきました。女性が夜一人歩きできる社会が日本の誇りでしたが、バブル以降、裏社会に大量の武器が流れ込み、銃器が使用されることも珍しくなくなりました。 山口組が全国制覇に乗り出した時から、暴力団同士の拳銃の乱射事件が激増してきました。市民が巻き込まれることも珍しくありませんでした。暴対法が施行され、暴力団に圧力を加えられるようになりましたが、暴力団はなくなりません。 山口組の全国制覇の野望は現実となり、裏社会も組織化されてきました。バブル時代の企業、特に銀行との癒着は企業社会にモラルハザードを起こさせました。政財官の癒着構造が裏社会を増長させ、表社会にも影響を持たせてしまいました。 この国のエスタブリッシュメントも裏社会抜きには存在できなくなりました。裏社会の企業舎弟が表社会で公然とビジネスを行うことも珍しくなくなりました。古い暴力団と新しい暴力団との摩擦が銃乱射事件を生み出す背景でしょう。 あるいは不法滞在者による外国系暴力組織も力を増してきました。麻薬、銃器の密輸入は日常のビジネスになってきたようです。素人でも簡単に拳銃を手に入れることができる時代になってきましたが、取り締まりが追いついていません。 警察が銃器の摘発をノルマ化した時代には警察官の不法行為が続出しました。拳銃の密輸入、隠匿が巧妙になってきたせいか、あるいは拳銃の摘発がニュースにならないせいかもしれませんが、拳銃の取り締まりが甘いような気がします。 日本は国民が無防備でいられるのが社会の基本認識です。そのためには治安の維持が国の急務であるはずですが、警察に対する信頼感を失うような事件が続出しています。警察国家になるのは困りますが、治安の回復が最優先課題です。 日本には交番制度があります。外国でも真似をされているようですが、地域の治安を交番が守る姿勢が肝要です。地域社会が崩壊しつつある現代には交番を地域の核とする地域社会の再生が必要です。交番のお巡りさんの復権を望みます。
2007/04/21
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長崎市の伊藤市長が選挙事務所前で2発の凶弾に倒されましたが、犯人は暴力団幹部でした。この犯人は前島元市長も脅迫して実刑に処せられていた人物でした。長崎市にトラブルを持ち込む問題市民のようですが、確信犯のようです。 アメリカでもバージニア工科大で韓国人学生が銃乱射事件を起こし、大量殺人を起こしました。日本と海を隔てた銃社会のアメリカとでは事情が違いますが、銃器の恐ろしさを実感させられました。日本も銃社会になったきたようです。 伊東市長は市長選のただ中でした。候補者は選挙期間中には市民の輪の中に入り込むことが多く、市民の前に無防備で身をさらします。さらに警察は選挙の邪魔にならないように警備を自粛していたようですが、その隙を狙われました。 どこの市町村にも問題市民はいます。役人の事なかれ主義が暴力を助長したのです。前島前市長が毅然と犯人の暴力を排除し、犯人に実刑を科すようにしましたが、彼は懲りていなかったようです。伊藤市長は暴力の犠牲になりました。 健在報道されている範囲では犯人が凶行に及んだ動機が分かりません。市が数百万円単位の強請に応じなかったからといって市長を殺すのは常識を逸しています。市の職員はトラブルを県警と相談の上で部内で処理していたからです。 むしろ、伊藤市長は長崎からの平和アピールで世界的に有名でした。反核、平和運動がらみの政治テロも考えられます。安倍首相持論の戦後レジームからの解放がらみの政治テロと思えないこともありませんが、考えすぎかもしれません。 しかし、現在の政治の閉塞感がテロの可能性を思い浮かべさせたことは事実です。過去のテロはテロリストの思惑とは関係ない方向に政治を押し流しました。特に被爆市の市長へのテロは海外の日本へのイメージダウンに繋がります。 単なる一暴力団員の凶行では説明できない暗部を日本が抱えているような気もします。被爆地の市長として自民党の中川政調会長の核保有議論への批判、北朝鮮の核実験への批判などがテロに繋がったとすれば日本の民主主義の危機です。 長崎市長は本島前市長、伊東市長と2代続けてテロに遭いましたが、偶然とは思えません。被爆市固有の問題を抱えているのかも知れませんが、30年は草木も生えないと言われた瓦礫の山から復興させた市民を裏切る行為は残念です。 テロに拳銃が使われたのは別の面で驚きでした。日本には銃器取締法があり、拳銃所持は重罪なのにも拘わらず、暴力団員が政治家に拳銃を発射したのは銃の取り締まりが甘くなってきた証拠です。裏社会には銃器が蔓延しているからです。 アメリカでは銃器は平等を実現させる道具だそうです。体力に関係なく殺傷できるからです。合衆国憲法では市民の抵抗権、自治権を保証するために銃器所持が認められています。独立戦争、西部開拓に加え、民兵の歴史があるからです。 日本は廃刀令、廃藩置県で武士階級を無力化しました。徴兵制、警察制度の確立により市民階級は無力化されましたが、治安は向上しました。治安の良さは日本の誇りですが、銃器の蔓延は市民生活を脅かします。警察の奮起を期待します。
2007/04/18
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アメリカの対北朝鮮政策の急変はアメリカのユニラテラリズム、一方的外交を日本国民に強く印象づけました。アメリカが日本の頭越しに対中国、対北朝鮮政策を変更したのは枚挙に遑がありません。日米同盟は死活問題ではないからです。 アメリカが金融制裁を解除しても北朝鮮は約束を反故にしました。原発の停止に向けた動きが見られるようですが、北が契約を遵守しなかったのですからペナルティを課すべきです。ブッシュ政権の対北朝鮮政策が問われています。 ジュンイチロウ、ブッシュの日米蜜月関係に気を緩め、対中、対EC関係に気を取られていた付けを払わされた感じがします。安倍首相は日米同盟が生命線だと主張しながらもアメリカ訪問を意図的?に遅らせた感じがします。 国連の対北朝鮮制裁は日本外交の勝利でしたが首相は当事者として勝利の美酒に酔いしれ、アフターケアーを疎かにした観がします。ブッシュ政権から対北朝鮮強硬派が離れ、ライス長官などのハト派に外交の主導権が移りました。 日本政府はアメリカに対北朝鮮制裁を続けるように働きかけるべきでした。ブッシュ大統領の拉致問題支持のリップサービスに酔わされていました。アメリカには中東、東アジアでの両面作戦を維持する能力がないのは常識だからです。 さらにアメリカには北の核実験は安全保障上の喫緊の課題ではありません。北がテポドン2号の発射実験に失敗しましたから、北の核開発は対岸の火に火事しか過ぎません。アメリカのデッドラインは核開発ではなく核拡散だからです。 アメリカは北朝鮮、金正日というババを中国に押し付けたような感じがします。中国も北の核開発を許容できないと判断したからです。ブッシュ政権、中国は日本の核開発を恐れましたが、日本の核三原則を巡る議論を見て安心したのです。 中国も北朝鮮の金融制裁を自国に有利に導き、アメリカに貸しを作ると共に北の生殺与奪の権利を万全にしました。日本のみがバスに乗り遅れた観がしますが、拉致問題を解決しない限り対北制裁を強行する姿勢を見せる機会ができました。 拉致問題を主張し続ける限り、正義は日本にあります。6カ国会議に一喜一憂するのではなく原理原則を主張し続けるべきです。日本外交は日本が譲歩すれば相手も譲歩することを盲信し、譲歩し続けて何も得られなかった歴史です。 謙譲の美徳は少なくとも中国、北朝鮮、韓国には通用しません。彼らは歴史問題を対日カードとして活用しているだけだからです。国会で温家宝首相を熱烈歓迎した国会議員は日本の外交施設まで破壊した反日運動を忘れたのでしょうか。 日本は中国、朝鮮半島の中華思想に付かず離れずの姿勢を貫いた方がよいようです。彼らには東夷である日本を認められないからです。日本も朝鮮半島、中国の人知主義に馴染めないからです。お互いの文化を尊重し合う関係がベターです。 日本も貿易立国、海洋国家として生きる道を模索すべきです。アメリカ、中国の覇権争いからは身を引きくべきでしょうが、自由主義、民主主義陣営の一員としての義務は果たすべきでしょう。その意味での日米同盟を堅守すべきでしょう。
2007/04/17
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高校3年を対象に行われた文部科学省の「教育課程実施状況調査」の結果が公表されました。「ゆとり教育」での学力低下に歯止めが掛かったと言う声も聞かれますが、文科省の自画自賛でしかなくむしろ基礎学力の低下が目立ちます。 理数系、古典だけではなく日本語力の低下が高校生の基礎学力を低下させています。義務教育のカリキュラムが読み、書き、算盤の習熟を軽視した結果でしょう。国語、算数の授業時間の減少が如実に高校生の学力低下に反映しています。 大学、東大でさえも高校過程の補習をしなければならない日本の教育は異常です。その根底には義務教育に子供を躾ける姿勢が欠如していることでしょう。義務教育の段階での自由放任主義教育は子供の育児放棄に等しい国家的愚挙です。 さらに学力の二極化が目立ちましたが一流大学へ進学を希望する層と勉学を放棄した層とが分離し始めたのでしょう。その根底には社会から勉学を動機付ける要素が失われてきたからです。社会からチャレンジ精神が失われてきたからです。 日本の教育の欠陥は思考力、創造力を軽視し、記憶力、問題処理能力に偏重しているところにあります。子供の時から教えられるのはマルバツ式に対応する知識のみです。自然はデジタルな世界ではなく、アナログの世界であるからです。 この世には答えが得られない問題が多いことを教師すら理解していません。むしろ第3の答えに気付く生徒は変わり者とされます。国立大学の理学部生物学科の入学生ですら総ての生物に名前が付いていると信じ込んでいるくらいです。 教育は丸暗記から始まりますが丸暗記で終われば脳に知識を蓄えるだけに過ぎず応用ができません。日本型秀才は与えられた問題の処理能力には優れていますが、問題を作成する能力に劣ります。欧米から猿まねと軽蔑される所以です。 日本のシステムは年功序列、終身雇用が特徴ですから、問題を設定できる地位、マネージメントができる地位に昇るまでには時間が掛かります。さらに官僚主義が横行しているので要求されるのは問題設定能力ではなく問題処理能力です。 日本株式会社と揶揄されながらもバブル時代には国際競争力一位を誇りましたが、システム疲労を起こしてしまいました。ネズミ講のようなシステムでしたからいつかは破綻したのです。パイが無限に拡大することはあり得ないからです。 旧来の日本のシステムを支えていた教育制度は根本から改革しなければなりません。知識偏重教育はマニュアル人間を造り出すだけでマネージメントができる人間を造り出さないからです。マニュアル人間の変わりはどこにもいるからです。 グローバル化の世界で勝ち組になれる条件は思考力、創造力にあります。日本得意の物作りも高付加価値を生み出せなければ中国の安い労働力に席巻されます。伝統的な技術力と創造的なアイデアとを統合して製品化する必要があります。 教育が破壊されたのは日教組の自由、平等教育にあります。個人の能力の違いを認めない教育は愚民化教育です。義務教育にも能力別クラスを取り入れ、能力のある生徒には高い教育を受けさせ能力の低い生徒には丁寧な教育を行うべきです。
2007/04/16
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厚労省が世論に後押しされて終末期医療のガイドラインを作成しました。富山県射水市民病院の外科医が末期患者の人工呼吸器を独断で外したとして告発されました。家族の同意の上での決断でしたが、殺人容疑で捜査されているからです。 (1)患者と医療機関の合意内容を文書にする(2)患者本人の意思が推定できない場合は家族と話し合い、患者にとっての最善策をとる(3)方針が決まらないときは複数の専門職による委員会を別途設立して助言するの三点です。 日本尊厳死協会の尊厳死の宣言書(リビングウィル)では(1)延命措置の拒否(2)苦痛緩和措置の依頼(3)生命維持装置の使用停止の三点を求めていますが、誰が死期の診断、植物状態の認定をするかが明らかにされていません。 現在の法体系では例えリビングウイルがあったにしても主治医は刑事告発をされかねません。トラブルを避けるためにはリビングウイルを無視しても生命維持装置を使用し続けるしかありませんが、それに対する批判が出てきているのです。 人には人間としての尊厳を保ちながら死ぬ権利があるはずですが、日本では患者を一分一秒でも生かし続けるのが医者の義務だと考えられています。生命維持装置により生かし続けられるのを望まない人もいますが現状では認めらません。 今回のガイドラインでもリビングウイルが認められる保障はありません。主治医がリビングウイルを倫理委員会に提出し、尊厳死を認めたのにも拘わらず院長が拒否した例もあります。医者が尊厳死を実行するのには高いリスクが伴います。 良心的な医師は刑事告発をされるのも覚悟の上で尊厳死をさせているのです。病院には延命治療は医療費を稼ぐ打ち出の小槌でしょうし、刑事告発のリスクを冒すのは馬鹿げたことでしょうが、患者の意志を尊重する医師もいるのです。 終末期医療が問題にされる背景には病院でしか最期を迎えられない現状があります。患者は家庭で最期を迎えることを望みますが、日本では許されない贅沢なのです。家庭医制度が崩壊した日本では訪問医療は望めなくなったからです。 不必要な終末医療がなされている背景には日本の皆保険制度があります。医療費が自己負担ならば終末医療を拒否し、家庭で最期を迎える人が増えるでしょう。老人医療費の増大の一因には終末医療に掛かる経費の増加が考えられます。 時代は老人医療、終末医療に掛ける膨大な保健医療費を現役世代に回すべき転換期に差し掛かっています。老人の多くは元気な老後を送り、人間らしく死ぬことを望んでいるからです。認知症は現代科学の進歩が生んだ文明病だからです。 死はキリスト教徒には神の国への乗換駅に過ぎず、仏教徒には此岸から彼岸へと移るだけに過ぎません。非宗教、無宗教の人には肉体の死にすぎません。いずれにしろ人は必ず死ぬのですから、自分らしい死を迎える権利があります。 医学の進歩は延命技技術を進化させますが、それを活用する権利もありますが、拒否する権利もあるはずです。医学の進歩に生命倫理は対応できていません。医療技術は進歩しましたが、生命倫理は未成熟ですから議論の積み重ねが必要です。
2007/04/11
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