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大阪地検特捜部が枚方市の清掃工場発注を巡る談合事件で現職の府警捜査二課警部補を逮捕しました。現職刑事の捜査情報漏洩などは過去にも見られましたが、談合の実行者として逮捕されたのは異例です。 日本に高度成長をもたらしたのは護送船団方式、政府主導の官製談合ともいえますが、小泉改革が護送船団方式を否定するところから始まりました。経済のグローバル化は規制緩和を不可避としました。 日本を再生させた構造改革は自由競争を経済成長の原動力と考える市場原理主義に基づいています。談合は経済システムの根幹を揺るがす犯罪ですから、税金の無駄遣いというレベルの犯罪ではありません。 談合をワークシェアリングと主張し、誰にも損害を与えていないと居直る人もいるようですが、経済システムの根幹をなす自由競争を妨げる点で、通貨の信用を破壊する偽札と同じレベルの重大犯罪です。 官製談合が立て続けに摘発されましたが、行政が率先して自由競争を妨げる行為は納税者に対する裏切り行為であるばかりではなく、経済システムを破壊する点において反国家的行為といえるでしょう。 日本の隅々にまで談合組織が根を下ろしているのでしょうから、摘発された事件は氷山の一角かもしれませんが、頂門の一針として厳罰に処するべきです。談合が重大犯罪であることを知らしめるべきです。 緑資源機構の元理事、あるいは松岡農相も官製談合に深く関与していたと思われますが、罪の意識はなかったでしょう。捜査の手が身の周りに及び、自殺をするしか身の処し方がなかったのでしょう。 官製談合を許せば公務員にモラルハザードが起きます。官僚の天下り先に甘い汁を吸わせるための談合は財政、行政の規律を歪めます。国民からの血税を財布代わりにできると錯覚しかねないからです。 さらに現職刑事、警部補が談合に加わる構図は行政だけではなく司法すらモラルハザードを起こしていたことを明らかにしました。二課の班長、エリート刑事だったそうですから組織的関与も疑われます。 自社対立の55年体制では政権交代がありませんでした。自民党の族議員の利権構造を支えてきたのは談合の調停役としての役割です。政権交代がなければ政、財、官の膿を出し切れないのかもしれません。 しかし、民主党の小沢トロイカ体制は55年体制への先祖返りですから、国民には選択肢がありません。安部政権が長老閣僚の力を削ぎ、戦後世代の補佐官が主導権をとれれば55年体制から脱皮できます。 民間企業は若返りを終え、戦後世代がトップになってきています。官僚も既に戦後世代ですが、政界は長老議員が幅をきかしています。政界からバブル戦犯議員を追放し、政界も若返る必要があります。
2007/05/31
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社会保険庁が不祥事のデパートといわれるのは、職員にプロ意識が欠如しているからです。5000万を超す記録が散逸していること自体が信じられない不祥事です。それにも拘わらず再調査すらしないのは組織的サボタージュです。世論が盛り上がる前に適切な対応をするのが官僚の使命ですが、厚労省、社会保険庁には無駄飯食いの官僚しかいないようです。さらに組合員にサボタージュをさせるのが組合の使命だと思いこんでいた自治労幹部も同罪です。民主党が暴いた不祥事ですが政治的な思惑が見え隠れします。社会保険庁は5000万人分の記録の再調査という膨大な仕事を請け負うことができたからです。大幅な人員削減が求められるに対して雇用の創出ができたからです。民主党の参議院選のための標語造りと自治労の焼け太りを目的としたできレースのような感じがします。今回も内部から情報がリークされたのでしょうが、政治家の知恵が回るのと官僚、小役人どもの保身術とには脱帽させられます。安部首相も反転攻勢をかけなくては泥仕合になりかねません。国民が望むのは安心できる年金制度の創出であり、年金を管理する人間のモラル向上です。国民年金が厚生官僚の財布代わりに使われ、膨大な欠損を計上したばかりです。国民の納付した年金の杜撰な管理は業務上横領に等しい犯罪行為です。年金が官僚、小役人の懐を肥やすため使われているから納付率が危機的水準を脱しきれないのですし、ノルマを課せば役人は帳尻合わせしかしないからです。官僚組織の腐敗の原因は自社対立で明け暮れた不毛の55年体制にあるのでしょう。安倍内閣では55年体制の重鎮が閣僚となっていますし、小沢トロイカ体制は55年体制に先祖返りしていますから国民には選択肢がありません。小泉改革により自民党の土台が崩されたと言われましたが、安倍首相は族議員の復活を許してしまいました。松岡農相も林野庁の官僚出身で農林族の特攻隊長であったそうですし、業界から数億円単位の政治献金を集めていました。戦後世代の安倍首相、補佐官には期待する面が大きかったのですが、国民の期待を裏切ってしまいました。小泉前首相のようなカリスマは期待していませんでしたが、構造改革の継続、清廉な政治を望みましたが力不足のようです。雇用も回復し、リストラの波もひとまず収まりましたが、不正規雇用が社会問題化しています。最低賃金は労働生産性を反映させるのではなく、生活維持、結婚し、家庭をもてるくらいの生活を保障する福祉の観点から定めるべきです。個人消費が伸びないのも企業は史上最高益を稼ぎ出しても労働配分率が低く、庶民にまで恩恵が届いていないからでしょう。アングロサクソン流市場原理主義は略奪民族の論理ですが、農耕民族である日本人に馴染めない論理です。バブル崩壊で日本型村型システムは崩壊し、グローバルされた世界に組み込まれましたが、日本人としてのアイデンティティーまで失ってはなりません。日本人は実業、物作りには長けていても虚業、金融投資には不向きだからです。
2007/05/30
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松岡農相が自殺しました。公人ですから死者を鞭打たなければならないのは当然ですが、任命権者としての安倍首相の責任も追及されるべきでしょう。政治資金規正法違反ではないにしても政治的、道義的な責任は重大だからです。 松岡氏は政治資金の集め方、使い方には不透明な部分が多かったようですが、功名が辻内閣に抜擢されました。農林族の特攻隊長といわれるぐらい行動力があったようです。農林族のミニ鈴木宗男として辣腕をふるっていたようです。殺しても死なないような鉄面皮に見えましたが、鈴木代議士のようにはいかなかったようです。後知恵になりますが、首相が罷免すれば命までも失うこともなかったと思います。政治家は出処進退を間違えれば汚名のみが残ります。 私人ならば死をもって償えば許されますが、公人としての説明責任は死んだ後も残ります。首相は松岡氏が刑事事件の被告にはならなくても彼の政治資金、何とか還元水問題、緑資源機構問題の真相を明らかにする義務があります。 松岡氏が死を選んだのは緑資源機構の官製談合に関与していたからでしょう。政治家の関与、特に林野庁出身の松岡氏の関与がなければあれほど巧妙な官製談合が続けられたとは思えません死、逮捕者もそう暗示しているようです。 官製談合を始めた元理事は特捜部の事情聴取を受けた後、大臣の自殺の記事を見た直後に飛び降り自殺をしました。特捜部の最終ターゲットは松岡氏ではなかったかと類推できますが、それが覚悟の自殺をさせたのかもしれません。 松岡氏は業界から数億円単位の政治資金を集めていたようですから、疑惑の中心人物として集中砲火を浴びせられることは当然予測されました。佐藤元首相の造船疑獄からすれば桁違いに小さな汚職ですが、時代の厳しさが違います。 なんとか還元水を法に基づき適正に処理したと強弁した人間らしからぬ最期でしたが、首相、与野党は情に流されて真相を解明することを怠ることのないようにしてもらいたいと思います。特に与党には強く真相解明を求めます。 単に政治と金の問題だけではなく官製談合も巻き込んだ松岡氏問題は与党の利権構造の一端が明らかにされた点で意味がありました。松岡氏の死を悼むならば、参院選を前にして自民党だけではなく民主党も襟を正すべきでしょう。 民主党も小沢代表の不動産取得問題、朝鮮総連からの献金問題などがブラックボックスの中に入ったままです。民主党が松岡氏を攻めきらなかった一因は与党だけではなく野党にも政治資金がアキレス腱になっているからでしょう。 安倍首相は小泉改革で兵糧攻めにあった族議員を復活させました。功名が辻内閣の閣僚は族議員の集合体です。内閣補佐官が安部カラーを出してくれるかと期待していたのですが、旧世代の魑魅魍魎に振り回されているようです。 参議院選は政治と金、年金問題が焦点になりそうですが、安部カラーを強く打つ出すことが出来なければ自民党は惨敗するでしょう。国民には小泉改革が忘れられないのですから、抵抗勢力と決別する覚悟がなければ勝利できません。
2007/05/29
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ゆとり教育、土曜半ドンは日本の愚民化政策の総仕上げのように思えます。旧ソ連のコミンテルンのスパイがGHQに関与していた疑いが濃厚ですし、日教組の幹部がコミンテルンから直接か間接かは分かりませんが指示を受けていたのは明らかなようです。 旧文部省主導までが愚民化政策を率先実行していたところに日本の教育界が社会主義イデオロギーに冒されていた現実が如術に表れています。理念としの平等思想は理解できますが人間の能力には差があるのが現実です。現実を無視した教育はあり得ません。 公教育の劣化は格差社会を固定化します。公教育に絶望した親は子供を私立校に進学させようとします。小中学生の10名の内1名が有名校に進学を希望しているのは公教育に希望がもてないからでしょう。公立高校は落ちこぼれの進学先になっています。 日本の教育レベルの水準は子供たちにゆとりを与えるだけの余裕はないはずです。資源のない日本は教育立国が国是のはずですが、教育界自らが率先して教育放棄している現状は日本崩壊の危機を予測させます。教育改革こそが日本の喫緊の政策課題です。 子供たちを本当に愛するのならば義務教育で読み、書き、算盤を徹底的に教え込むべきです。読み書き算盤が出来ない人間が就職できる時代ではないからです。知的障害のある人でも養護学校で適正な教育を受ければ読み書きが出来るようになるからです。 人間の能力に差があるのを明らかにするのが差別だとされているようですが、社会に出れば能力の差に応じた待遇を受けるが当たり前です。運動会の競走を能力別にクラス分けをし、手を繋いでゴールさせるのは現実逃避をさせているのに過ぎないからです。 グローバル化した社会は競争社会です。自分の能力を早く見極め、能力に応じた職を選んだ人間が勝ち組になれます。知的労働に向かない人間でも手に職を付ければ勝ち組になれますが、若い内にその決断が出来なければ技術を身につける時機を逸します。 大学全入時代は職業選択の時期を遅らせてしまいます。知的労働で勝ち組になれる人間はきわめて限られているからです。かつて中学、高校で就職をした程度の能力しかない人間が大学に入り、卒業しても大卒に相応しい職を得られない可能性が高いからです。 格差社会では再チャレンジが出来なければなりませんが、高等教育の機会も保障されなくてはなりません。教育の機会均等は公教育でも一流大学に入学できる学力を保障しなくてはなりませんし、大学を卒業できるだけの奨学金を保障しなくてはなりません。 団塊の世代は受験地獄だと言われましたが、都立日比谷高校が東大合格ランキング一位でした。国立大学の授業料は月1000円でしたので仕送りがなくてもアルバイトだけで卒業できました。アルバイトだけで国立大学を卒業し、公務員になれる時代でした。 能力のある人間は努力さえすればエリートになれたシステムが高度成長を可能にしたのですが、国立大学の授業料が100倍にもなり、苦学生が存在できない社会になったから崩壊したのです。一流大学、東大が上流家庭の子弟に独占されてきたからです。 格差社会は負け組が勝ち組になれるシステムを備えなければ、不公正な社会です。努力するものが報われるシステムが機能しなければ不平等社会です。アメリカ、中国、ロシアはそれでよいのかもしれませんが、日本では受け入れられない社会システムです。
2007/05/28
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社会保険庁では5000万人分を超す納付記録が宙に浮いているらしいのですが、政府の対応は不可解としかいえません。金融庁の保険会社に対する処分は前例のない程過酷なものになりそうですが、役所にはお咎めなしでは承伏できません。先ず早急に全記録を調べ直すのは当たり前のことですが、役所には常識というものがないようです。保険会社、消費者金融には過去の記録を強制的に調べ直させ、不適当な処置を改善させたと同様な処置を取らすのが法の下での平等です。今回の財務相の答弁には最初から自己申告がなされないものは放置し、これを機会に記録そのものを廃棄しようとする態度が露骨に現れていました。さらに過失のない年金受給権者の申請を時効を盾にして却下してきたのが役所仕事です。これから年金を受給し始める団塊世代は終身雇用の恩恵を受けてきた世代ですが、何回も職場を変わった人たちも少なくありません。特に結婚を機に仕事から離れた女性が再び就職をし、職場を転々とした例も少なくないでしょう。いずれにしろ現在の日本では職場を転々としてきた人たちは経済的弱者と見なされます。おそらく退職金、年金も十分ではなく、老後の生活はかなり苦しいと推測されますが、過去の年金納付記録、年金証書は逸散していると考えられます。そのような人たちに対して自己申告しか認めなければ、社会保険庁の小役人が期待するように記録の再検討をしなくてすむ例がほとんどでしょう。民主党から責任を追及されたのですが、役人はお茶を濁すだけですましたいのでしょう。さすがに首相も事態を放置すれば参議院選に差し障ると判断したようですが、政府の対応は社会保険庁の焼け太りとも言えるような甘いものでした。国民年金を徴収している社会保険庁には民間以上の厳しい対応を望んでいるからです。保険会社を選ぶのは自己責任かもしれませんが、国民の選択肢は国民年金を納付するか、しないかしかありません。社会保険庁は不祥事のスーパーマーケットだそうですが、納付した年金の記録さえ紛失する年金事業は信じられません。国民年金の納付率がレッドゾーンに入っていますが、掛け金を払っても年金が支給されない保険を信じる方が馬鹿だと言われかねません。自己決定、自己責任であるのなら、政府ではなく民間の保険会社と契約するのも選択肢の一つです。さらに若者が感じているのは国民年金を払い続けても年金だけでは生活できないのならば、むしろ国民年金が支給されなければ生活保護を受けられるという制度の矛盾です。生活保護の方が年金生活よりも質の高い生活を送られるからです。ワーキングプアーは働いても働いても生活保護水準の生活を送られないのです。国民年金の掛け金、月1万円数千円の負担は彼らには重すぎるのです。彼らからすれば衣食住を保障され、医療費を含めた公的負担がない生活保護は天国です。首相は彼らを結果平等に与しないとして切り捨てるようですが、結果平等の最たるものである生活保護を上回る生活は保障すべきです。働く者と働かない者との間には区別があるべきです。最低賃金の水準を生活保護以上にすべきです。
2007/05/27
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安倍首相の「21世紀環境立国戦略」は日本の歩むべき進路を示しています。グローバル化はBRICsを初めとする発展途上国を工場化し、廃棄物は発展途上国、製品、果実は先進国が手にするという点で新しい形の帝国主義です。 アメリカは京都議定書から離脱しましたが、温暖化対策抜きにした経済成長は世論が許さないでしょう。中国、インド、ロシアはかつての日本のように環境汚染による人的被害が顕在化し、政治が放置できなくるまでは無理でしょう。 しかし、中国も飲み水すら汚染され、ペットボトルしか飲めなくなってきたようです。公害、黄砂などが都市生活を脅かしています。中国が対日政策を豹変したのも、日本の環境対策技術を導入せざるを得なくなったからでしょう。 中国、インドも急激な工業化が伝統的な農業を破綻させようとしています。土地を奪われた農民の怒りは爆発寸前のようです。農業では生活できなくなり出稼ぎに出ても、低賃金で酷使されるだけで富の再配分がなされていません。 世界で出だされる産業廃棄物、ゴミの多くが低開発国に廃棄されています。エネルギーの多くは効率の悪い旧世代の石炭火力発電所から供給されています。グローバル化はエネルギーを非効率に消費させ、炭酸ガスを放出させています。 低開発国でもエネルギー消費は鰻登りに上がるでしょうが、エネルギー産業が発達していません。エネルギー効率を高めるだけでも化石燃料の消費量は減りますが、エネルギー源を原子力にシフトしなければ炭酸ガスを減らせません。 日本には過去のエネルギー危機を乗り越えてきた省エネ技術とノウハウがあります。原子力産業の実績もあります。アメリカと協力すれば原子力発電所を建設する技術と実績、ノウハウがありますから原電を世界各地で建設できます。 化石燃料に頼っている限り、炭酸ガスの排出は増加し続けます。核分裂型原電は文字通り地球の熱を冷ます頓服です。毒も使いようでは薬になります。核融合炉が開発されるまでは原電を活用する以外の選択肢は考えられません。 核廃棄物は将来に先送りするしかないでしょうが、20世紀に行われた核実験で大気中に放出された放射能に比べれば原電の核廃棄物による環境汚染はたかがしれています。原電事故も地球規模で考えれば致命的とはいえません。 致命的なのは地球温暖化が正のフィードバックに入ったときです。地球温暖化を直接的に防ぐ技術は現在のところありません。新しい技術が開発されるまでは対症療法しかないのですから、環境対策の正否が人類の未来を決めます。 日本は中国とは文字通り一衣帯水です。中国からの汚染物質は日本周辺の大気、海水を汚染させていますが、中国本土の人たちの生活を類推させられます。産業廃棄物の排出源から浄化しなければ、広範囲の環境汚染は解消できません。 日本のエネルギー産業の持つ技術、石炭発電所のエネルギー効率を高め、排出ガスを浄化する技術の移転は効果的でしょう。コピー文化の中国への技術移転はリスクが大きいですが、瀕死の患者へのカンフル剤供与と見なすべきです。
2007/05/26
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農林水産省の独立行政法人「緑資源機構」の官製談合にはあきれかえりました。小泉改革の元でも官製談合を平然と行っていた職員の神経が理解できません。国民ではなく天下り官僚のために働くのを職務と思いこんでいたようです。 彼らはたたき上げの職員でしたが、天下り官僚の利権を守るために奔走したようです。緑資源機構が農林省技官の天下りのために造られた証拠といえるでしょう。技官の技術を生かすためではなく、利権を守るための機構でした。 農林技官の技術は特殊ですから、民間企業に就職できない事情を考慮しても許されない行為です。官製談合は落札企業の技術力ではなく、天下り官僚の人件費の趣が濃厚だからです。丸投げなどは税金泥棒であり、言語道断です。 小泉改革で省庁丸抱えの特殊法人が解散させられましたが、独立法人化し生き残っていることが明らかにされました。緑資源機構が特殊なのではなく、むしろ運が悪かったのでしょう。大なり小なり同じことが行われているからです。 官製談合を行った本人には罪の意識はないでしょう。むしろ職務に忠実であり、能力があったからです。報道された範囲から推測すれば、税金の配分システムが実にシステム化されています。システムは有効に機能していたようです。 国民の血税が博打場の寺銭を公平?に配分するシステムのようにばらまかれているのは許し難い暴挙です。次官以外は定年前に退職させられる官僚システムは異常ですが、天下りが血税により特殊権益化しているのは許されません。 天下りは霞ヶ関のシステムを根本から変えないとなくなりません。少なくとも技官は定年まで働けるようにすることが必要でしょう。民間との人事交流を盛んにし、官僚の世界でしか通用しない欠陥官僚を淘汰することも必要です。 官僚の待遇を民間並みにする努力が求められますし、実力主義の導入も必要ですが、官僚の資質の低下、使命感の欠如を正すことが先決です。天下り先での厚遇を求めて政策を歪め、税金の無駄遣いをする官僚は辞めさせるべきです。 社会保険事務所が5000万人を超える記録を紛失したようですが、民間の保険会社は記録を総ざらえさせられているのですから、彼らにもやらせるべきです。旧厚生省の官僚は国民年金を財布代わりに使い、不良債権の山を造りました。 官製談合も社会保険事務所も国民の血税、納付金を扱っている意識が欠如しているからこのような不祥事が次から次へと出てくるのです。公僕意識、プロとしての自覚が欠如している官僚、役人には容赦なく鉄槌を下すべきです。 民間は文字通り血の出るようなリストラをし、自殺者すら輩出しました。自殺者の数は年間3万人を超えましたが、リストラ自殺も少なくありませんでした。公務員だけが蚊帳の外に置かれたのですが、少しも反省をしていません。 バブルの責任は政界、官界にあるのですが、責任を取った者は一人もいません。彼らは天下り先を転々と渡り歩き、1億円単位の退職金を受け取っています。バブルの付けを回されたのはフリーターなどの次代を担う若者たちです。
2007/05/25
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裁判員制度も後2年もすれば始まりますが、日本人には裁判はお上がすることであり、下々には関係がないという風習が色濃く残っています。陪審制度、裁判員制度は裁判権を市民の手に移すための制度、民主主義の象徴なのです。 しかし、日本の民主主義は市民革命により得られたものではありません。アメリカに与えられた民主主義ですから、戦争犠牲者300万人の血で贖われた権利かもしれませんが、市民革命、市民の血で勝ち取った権利ではありません。 アメリカの開拓時代には開拓地には裁判所がありませんでした。判事が巡回してくるのを待っていては治安が保たれません。政府の力が及ばない地方では自分たちの身の安全を自分たち自身の力で守らなくてはなりませんでした。 西部劇に出てくる保安官も政府の役人ではなく、町が雇った役人でした。日本人の感覚からすれば、民間人のガードマンに公権力が与えられているのです。アメリカが銃社会であるのも自己防衛の感覚が行き渡っているからです。 裁判もリンチを防ぐためには市民に公開された裁判、市民が参加できる裁判制度が必要でした。開拓地は無法地帯から町に成長し、法が支配するようになりますが、個人が権利と義務とを自覚した市民社会が形成されてきたのです。 ヨーロッパは君主の圧政に対抗して市民革命が起こりました。フランス人権宣言では自由、平等、博愛が謳われましたが、革命、反革命の嵐の中で血みどろの戦いがなされて自由主義、民主主義、基本的人権が勝ち取られたのです。 いずれにしろ自由主義、民主主義、基本的人権が棚ぼた式に与えられた日本人とは歴史が違います。さらに裁判員制度も上からの改革ですから市民感覚とは遊離しています。裁判員制度が必要と感じているのは法曹界だけでしょう。 日本では裁判は公的機関が独占してきましたし、それで不都合も感じませんでした。裁判員制度の対象となる凶悪犯罪では中国、ロシアのように裁判官により黒が白となるようなケースは考えにくく、裁判員制度の必要を感じません。 裁判員制度は政、財、官の黒い霧を晴らすためならば有効に機能するでしょうが、そうはしないでしょう。民意が反映されなければならない裁判ではなく、民意で左右されては困る凶悪犯罪だけに裁判制度を適用するのは不可解です。 これでは裁判員に選ばれても国民の義務であり、権利であることを理解できません。さらに死刑の判決はプロの裁判官でも一生涯重荷になるようですから、素人の国民に背負わすのは理不尽です。第二の進駐軍に侵略されたようです。 裁判員制度は国民が望みもしないのに国民に重荷を一方的に担わす制度です。殺人、放火、婦女暴行などを素人が審議できるとは思えません。もし有罪判決を下ろしたらその重荷を生涯背負い続けて生きなければならないからです。 裁判員制度こそ民意を反映していません。法曹界の一部の者の愚行に反対します。理解ができない制度、必要とは思えない制度のために負担を強いられるのはゴメンです。戦後の陪審制度のように立ち消えになることを望みます。
2007/05/25
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バブルは市場経済の副産物なのかもしれません。オランダのチューリップバブルから日本のバブル崩壊まで歴史上何度もバブルが弾けました。自由主義、民主主義で歴史が終わると主張したネオコンも凋落の一途をたどっています。 中国はバブルの渦中であると思われます。日本のバブル崩壊の二の舞を演じないようにしているでしょうが、北京オリンピックが花道になるかもしれません。中国のバブルが崩壊すれば、人民解放軍の台湾侵攻の可能性が高まります。 中国経済はグローバル化した国際社会に組み込まれています。中国でバブルが崩壊すれば世界経済が麻痺しかねません。世界の工場としての機能が中国に一極集中している現状は危険です。リスクの分散を図らなくてはなりません。 中国も名実共に開発途上国ではありませんから、国際経済システムの中に加わらなくては中国自身の国益を損なうでしょう。人民元の自由化は国際社会の一員としての義務ですし、バブル対策にも有効に機能すると思われます。 プラザ合意が日本のバブル崩壊の嚆矢になった例を警戒しているのかもしれませんが、経済のグローバル化の勝ち組である中国には国際協調が不可欠だからです。アメリカを敵に回せば日本の二の舞になる可能性が大だからです。 アメリカもバブルの渦中にあります。バブルは人を酔わせます。経済的な裏付けのない投資が実経済と混同されるからです。ヘッジファンドなどが世界経済を左右できるのは現実の世界が虚構の世界に蚕食されているからです。 自動車のビッグスリーは虚構の世界に踊らされましたが、トヨタは現実の世界で実績を積み重ねました。ビッグスリーは略奪民族、アングロサクソン型経済を代表し、トヨタは農耕民族、日本型経済の代表していると思われます。 バブルに踊らされ、世界に進出し、世界の資産を買いまくった日本企業は敗退しましたが、島国育ちの日本人には投資、略奪は向かないのです。農耕民族型の堅実な物作りこそが世界に誇れる素質なのですし、国際競争力なのです。 日本でもヘッジファンドが獲物を探して暗躍していますが、グリーンメーラーはハイエナのようなものです。油断をすれば襲いかかられますが、健康な獲物に飛びかかることはありません。経営陣が隙を見せないことが肝心なのです。 日本は外国から侵略を受けた経験がありませんから、安全保障に対して甘さがあります。国家、企業に危機管理の発想がありません。コンプライアンスの甘さから不祥事を起こした企業は一流企業でも市場から退場させられています。 拉致問題も人道上の問題として矮小化されてきましたが、国家の安全保障上の重要な問題です。拉致された人たち、拉致家族が可哀想だからという側面もありますが、北朝鮮に原状回復を要求するのは国際法上の義務だからです。 日本人の謙譲の美徳は島国の中では美徳でしたが、国際社会では主張しなければ無視されます。大きく主張し小さく譲歩するのが外交ですが、日本の戦後の外交史はその逆のようです。外交でも正論を主張し続ける勇気が必要です。
2007/05/20
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長久手市の立てこもり事件は容疑者の身柄は確保できましたが、SAT隊員の殉職という最悪の結果を招きました。SAT隊員は流れ弾に当たったようですが、重傷の警察官が玄関の前に5時間も放置されていたのは異常な光景でした。 幸いこの警察官の生命は保たれたようですが、負傷者を放置し続けた警察の対応には違和感を覚えました。夕方のニュースでは遺体が置き去りにされているのかと錯覚したぐらいですから、警察の人命軽視は批判されるべきでしょう。 犯人と警察官の命の重さは等しいとはいえ、出血を続けている警察官を見殺しにする現場の姿勢は理解できません。もし警察官の救助が手遅れで死亡したり、民間人を見殺しにしたりすれば警察は世論の矢面に立たされたと思います。 暴力団員の発砲事件が目立ちますが、銃器の取り締まりが疎かにされているのか、銃器の隠蔽が巧妙になってきたのでしょう。銃器を摘発するノルマの厳しさが警察に不正を横行させたのがトラウマになっているのかもしれません。 銃社会のアメリカでは学園内の銃乱射事件でも、学生が拳銃を携帯していたら被害を抑制することが出来たと言われるそうですが、日本は市民は拳銃をもてない社会ですから、銃器が完全に社会から取り除ぞかられるのが前提です。 暴力団員は拳銃一丁ずつを隠し持っているそうですが、市民は無防備です。明治時代から続いてきた銃、刀のない社会は世界に誇れる社会ですが、治安の悪化が目立ってきました。司法が制度疲労を起こし始めたのかもしれません。 北朝鮮から大量の覚醒剤が輸入されていたことは確かですが、銃器も輸入されていたのかもしれません。国産の銃器は厳重に管理されていますので、密輸入しか考えられないのですが、日本の海の防備に制度的な綻びがある証拠です。 戦後、海洋国家なのに海洋法がありませんでしたので、日本の海は他国から侵略を受け続けてきました。中国、韓国との摩擦を恐れ、見猿、聞か猿、言わ猿を続けてきた付けが拉致問題、薬物、銃器の氾濫に繋がっているのです。 日本の治安の水準をかつてのように高めるためには、海からの侵入を阻止するシステムを構築する必要があります。北朝鮮の工作員、蛇頭などには日本に侵入するのは手軽な旅行だったそうですが、海防意識のなさを象徴しています。 中国は国力を揚げて海洋権益を確保しにきていますが、日本は無策です。中国には話し合いは時間稼ぎに過ぎず、日本が無為無策な間に実効支配をしてしまいます。東シナ海の海上油田は海洋国家、中国の嚆矢にしか過ぎません。 韓国との竹島領有問題、日本海の名称問題でも日本は主張すべきところは主張すべきです。かつて韓国は国際法を無視して一方的に李承晩ラインを設定し、日本の漁船を不法に拿捕しましたが、現在は盧武鉉は口をぬぐったままです。 台湾問題は日本の生命線、シーラインに関わる問題ですが、国民には中国の内政問題としか映っていません。日本が島国であり、外国からの侵略を受けたことのないことが、海洋国家でありながら海防意識のなさを生み出しています。
2007/05/19
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本来野党が与党に申し込むべき党首会談を与党が段取り、実現しましたが、小沢民主党代表のやる気のなさには失望させられました。小沢代表の地方行脚にばかり時間を割き、国会を軽視している政治スタンスには疑問を感じます。 参議院選で与野党逆転を計る戦略は正しいでのしょうが、国会活動を疎かにしてまで地方組織の再編に力を注ぐのは本末転倒です。国民は小沢代表の口から憲法改正論議、政治と金の問題の追及がなされるのを期待していたからです。 小沢代表がこの問題を避けたのは、彼自身が憲法改正論者である点、政治と金の問題では自らが当事者である点を認めたと思われても仕方がありません。国会の喫緊の課題であるこの二点から離れた議論は国民を白けさせました。 国民投票法が紆余曲折を経て制定されました。同法案は自民党と民主党が共同提案してもおかしくありませんでしたが、小沢代表の参議院選向けに与党と対立軸を造る国会対策、55年体制への先祖返りが強行採決を取らせました。 憲法が改正されるべきである点については国民的合意が既にできていると思いますが、安全保障に関する点、前文、九条については国論が二分されています。与野党は憲法改正論議の最大の争点を国民に対して丁寧に訴えるべきです。 世論調査では平和憲法を支持する国民が過半数ですから、平和憲法改正論議が先行する現在の国会の審議は民意を反映していません。先ず21世紀に必要不可欠な環境権、プライバシー権、地方分権などの諸権利を先行討議すべきです。 国民投票と平和憲法改正とがリンクされている憲法改正論議から脱却すれば、自民党案には国民の支持が得られる法案が多く見られます。国会でも野党、護憲派からも支持が得られる法案を先行審議して改憲の経験を積むべきです。 平和憲法も国民の明確な支持を得られない現状では、政府の常識外れの憲法解釈の変更が積み重ねられ、有名無実化されています。憲法が制定されてから60年が経ったのですから、国是とされてきた平和憲法にも国民の審判が必要です。 憲法が不磨の大典であったのが常識外れであり、憲法も時代の変化に対応すべきでしょう。むしろ憲法に新しい条項を加えるのは自然であり、国民投票法の成立は遅すぎたといえますが、平和憲法の維持には国民の審判が必要です。 改憲論議が平和憲法護持、改正に矮小化されてしまい、21世紀に必要不可欠な条項に対する論議がなされない危険性を感じさせられます。平和憲法改正論議を一時棚上げし、国民生活に密着した諸権利について議論を集約すべきです。 平和憲法は進駐軍から押しつけ憲法だとする視点も理解できますが、日本にも自由民権運動からの議論の積み重ねがありました。戦争放棄は先の戦争で疲弊した国民の声を代表し、国民の圧倒的な支持を得たものも事実だからです。 安倍首相は戦後レジームからの解放は自主憲法制定により完結すると考えているようですが、歴史の流れを逆流さようとしている気もします。日本の戦後60年の平和と繁栄は平和憲法を抜きにしては考えられないと思われるからです。
2007/05/17
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赤ちゃんポストに三歳児が捨て去られるとは想定外でしたが、児童相談所がいかに機能していないかの裏返しでもありました。今回のケースは育児放棄になるのでしょうが、道ばたに放棄されるよりもよかったと思うしかありません。 病院が子供のプライバシーに関することを一切公表できない立場にあるのは分かりますが、何が起きたのかが明らかにされないと今後の対応に差し支えます。育児放棄をする親よりも福祉施設で成長させた方がよいのかもしれません。 母親は赤ちゃんにより母親にされるとも言われますが、代理母は子供が小さいほど実母の代わりになることができるそうです。生まれたばかりの赤ちゃんを育てることのできない実母よりも代理母に育てられた方が幸せだと思います。 日本人には代理母に実母の代わりができないと思われがちなのですが、西欧では養子制度が普及しています。キリスト教文化の影響もあるのでしょうが、養父母や実子と肌の色の違う養子を実子と共に育てる養父母もいるくらいです。 核家族化した現代では育児放棄、幼児虐待をする親も少なくないそうですし、子育てに一生懸命な親は育児ノイローゼに罹る率も高いようです。子育ては家族の問題として放棄してきた社会、福祉行政の根本的な改革が望まれます。 赤ちゃんポストが望ましいわけではありませんが、育児放棄をされた赤ちゃんには生涯トラウマが残り続けるでしょう。出産後間もなくであれば乳幼児福祉施設の保母さんが代理母になり、愛情を込めて育てれば健全に発育します。 むしろ、問題なのは福祉施設がハード、ソフト共にきわめて貧弱だと言うことです。財政が逼迫しているのは分かりますが、時代を背負う子供たちを健全に育てるためのマンパワー、予算があまりにも貧弱な社会は美しくありません。 赤ちゃんポストは公的機関の無策に対する民間の知恵だと思います。医療者が目の前で育児放棄される赤ちゃんを見過ごさず、毅然と対応した姿には尊敬させられました。算盤だけを弾いている医者にはできないことだからです。 赤ちゃんポストはヨーロッパで産業革命が起き、都市化されると共に捨て子が蔓延した時代からあるそうですから、ずいぶんと長い歴史の積み重ねがあります。日本の都市化、核家族化が同じ歴史を歩ませるのかもしれません。 ヨーロッパでも初めは様々な問題が起きてきたようです。赤ちゃんポストが捨て子ポストと変わらず、人買いが跋扈するような時代もあったようですが、教会、修道院などのシスターの働きで正常に機能するようになったようです。 赤ちゃんポストを批判することはたやすいですが、社会が育児放棄される赤ちゃんを見捨てる限り赤ちゃんポストは必要です。国会の赤絨毯の上からしたり顔で批判する政治家が彼らの義務を果たせばポストはいらなくなるからです。 首相の教育改革に込める熱意の1/10でも貧弱な施設で育てられている子供たちに向ければ、日本は確実に変わります。この世でもっとも弱い立場にある子供に目を向ける政治は日本の政治の質を飛躍的に改善させるでしょう。
2007/05/16
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国民投票法が国会で可決されましたが、護憲派、改憲派共に観念論の世界から脱却し、憲法論議を国民の前で展開すべき時がきました。自民党時代から改憲派であった小沢代表の55年体制への先祖返りには失望させられました。 社民党、共産党の護憲論を支持するオールドリベラリストもいますが、多くの国民は公開の場で憲法が論議されることを望んでいます。60年間不磨の大典であり続けた憲法は現代社会に適応できず、制度疲労を起こしています。 先ず環境権、プライバシー権、地方自治などに関して明確な規定が必要とされています。護憲派の改憲阻止のためならば憲法論議も否定する政治姿勢には21世紀に必要とされる権利、義務も考慮できない思考硬直を感じさせられます。 安倍首相からは戦後レジームからの解放という標語は聞こえますが、戦後世代の憲法論、憲法観が感じられません。祖父の岸元首相の怨念しか感じられないのは、団塊の世代から共感を得られないのは理論的根拠が薄弱だからです。 中曽根元首相らの戦前派からは進駐軍に対する怨念を感じますが、多数派からは血で贖われた平和憲法維持の姿勢も感じさせられます。団塊の世代には悲惨な戦争体験が色濃く残っていますから、平和憲法維持が多数派だと思います。 21世紀の日本の進路を決めるのは戦後世代ですから、戦後世代の憲法論を知りたいのですが、戦後世代から憲法論が発信されていないように感じます。世論は改憲を支持していますが、平和憲法は維持する意志のように感じられます。 国民投票法イコール憲法九条改正と決めつけるような論議は理性的ではありません。自民党案では前文、安全保障に感する条項は国民の多数の意志からかなり離れているように感じられますから、さらなる議論の積み重ねが必要です。 一国平和主義か集団安全保障主義かどちらの方向に日本が進むべきかという点にあります。北朝鮮が核武装を始め、日本を射程距離に入れる新型中距離ミサイルを配備し始めましたから、従来の自衛隊の対応能力を超えてきました。 中国の中華思想、拡張主義に対する対応も自衛隊、自衛隊法では対処できなくなってきましたが、平和憲法を改正すれば行き着くところは核武装でしょう。アメリカの核の傘の下か、自前の核兵器かの二者択一を迫られるでしょう。 一方、平和憲法維持は国際社会の良識に国を委ねるのですからかなりハイリスクともいえますが、高度に発達した自由主義国家、民主主義国家に対する武力侵攻を常識ある国家はとれないでしょうが、北朝鮮は例外だといえます。 日本は日米同盟を基軸にして、アメリカの核の傘の下での平和を選択するのが賢明だと思われます。資源小国の日本はアメリカの友好国としての役割を果たし続けることにより、アメリカから切り捨てられないようにすべきでしょう。 そのためには平和憲法を歯止めとして利用することです。イラク駐屯でも感謝されたのは憲法九条があるからです。日本はこれ以上の拡大主義を取るべきではありません。バブルから身の丈にあった生活の大切さを学んだからです。
2007/05/15
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世界的なメディア再編の流れが日本にも押し寄せて来る前兆を感じます。既存のメディアはインターネット社会から取り残される可能性が大です。産経新聞がインターネット新聞の世界に積極的に乗り出そうとしてるのを支持します。 産経新聞の姿勢が明確に変化したのは、インターネットでの紙面購読料を一挙に1/10、315円に値下げしたときです。朝日新聞のダイジェスト版は月525円でした。産経新聞のネット上での全紙面公開はネット時代の先駆けでした。 産経新聞はネット新聞izaを創刊し、日本のネット新聞の嚆矢となりました。私はizaが創刊されてからほぼ連日、産経の社説にコメントを投稿しています。社説と比べれば量が倍以上あるのにも拘わらずアクセスは25000を超しました。 団塊世代の私は「真実を伝える朝日新聞?」を無条件で信じていましたが、産経新聞を読み始めてから、以前とは異なる視点を持つことができました。産経新聞は保守的な色彩の強い新聞なので読まず嫌いのところがあったようです。 インターネットで、しかもコーヒー一杯の出費で読める料金設定が誰もが読める新聞としての価値を高めています。一般庶民がいつ、どこでも気楽に読める新聞として、オピニオンリーダーとしての資格は十分にあると思いました。 一方朝日新聞はネット上にダイジェスト版をいち早く公開しましたが、最近は10時更新に変更になりました。営業政策からくるのでしょうが、仕事に入る前に読めなくなりました。オピニオンリーダーの座を自ら放棄したのです。 両紙の営業政策の妥当性については素人には分かりかねますが、オピニオンリーダーとしての産経新聞の地位が上がったのは事実でしょう。我が家では高知新聞を購読していますが、地方のニュースを拾い読みする程度です。 新聞は宅配からネット新聞に変わるのが時代の趨勢です。読売、朝日、毎日のような全国紙でも購読者が減ることはあっても増えることはありません。新聞の収入源は宅配新聞の購読料からネット新聞の購読料、広告料に移ります。 営業面から考えれば従来の体制を維持することは困難です。海外でビッグネームのメディアが買収されているのは時代の趨勢です。インターネット時代に新聞に付加価値を付けられないメディアは市場から退場させられるでしょう。 メディアの信頼度では新聞が圧倒的な一位です。民主主義には新聞は欠かせませんが、新聞が積極的に構造改革に取り組まなければ他のメディア、企業の下請けに成り下がります。西欧のメディア再編は日本でも必ず起こります。 新聞がオピニオンリーダーとしての使命に目覚め、インターネット時代に適応できなければ日本の民主主義は死にます。インターネットは情報のカオスです。情報を正確に伝えるメディアがなければ一億総白痴、衆愚政治に陥ります。 新聞界には宅配に頼る前時代的経営体質から脱却し、インターネット時代に相応しい経営体質を構築する義務があります。楽天のような新興財閥に乗っ取られれば言論界は死滅します。日本の民主主義は危機に立たされているのです。
2007/05/12
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小学生低学年でも八つ、一つぐらいは読み、書きできるだろうと思うのは大人の浅はかさなのでしょう。学習指導要領に従えば学年による制限漢字が多く、子供たちは漢字の熟語を漢字とひらがなを混ぜて読み、書きしているそうですが、言語道断です。 漢字は図形認識ですから子供の方が認識、識別力があります。子供のうちから漢字を図形として認識させればよいですので、成長に従い漢字の構成などを教えればよいのです。アメリカ人から見れば漢字は理解不能ですから漢字を制限させたのでしょう。 中国、朝鮮半島でも漢字文明は廃れてきましたが、漢字仮名交じり文は日本の貴重な文化遺産です。中国から輸入された書籍を仮名交じり文に置き換えることで日本文化は発展しました。日本人は漢字を元にしてひらがな、カタカナを創作しました。 日本文化は漢字仮名交じり文の創作により飛躍的に進歩しました。たとえば漢字仮名交じり文ならば漢字を拾い読みすれば速読が容易にできます。同音異義語の多い日本語は漢字の読み書きができなければ意味不能になる場合が少なくありません。 子供の教科書を見ると意味不明な漢字仮名交じり単語に出会います。漢字の熟語を一つの文字、図形として視覚的に覚えさせればよいと思います。個々の漢字の意味は成長してから覚えても何ら差し障りがないはずですし、それを実践している教育者もいます。 子供の学力が落ちるのには落ちるだけの理由があります。教科書が低きに流れすぎています。低学力教育は愚民教育に過ぎません。エリートの養成を忘れた国はやがて破綻します。資源のない日本には教育しかありませんが、それが破綻を来しているのです。 私は今でいえばブー太郎でしたので、高校卒業前3ヶ月になり勉強を始めました。高校1年の時の教科書を持ち出し、高校3年間の課程を独学しましたが、国立大学に現役で入れました。教科書のレベルは大学の入試をクリアーするのに必要にして十分でした。 国立大学の付属校でしたが、中学受験も高校受験も教科書で十分でした。学習塾などに行かせる親と黙って通う子供の気持ちが理解できませんが、教科書のレベルが受験に必要とされる知識や応用力を身につけるためにはレベルが低すぎるからでしょう。 中国、インドの教育熱は半端ではありません。教育は貧困から抜け出るための武器だからです。日本でも団塊の世代には教育は万民に開かれていた登竜門でした。公教育だけでも東大に合格することはできました。エリートへの門は開かれていたのです。 しかし、公教育が愚民教育に堕してしまったので私立校への受験熱が高まり、学習塾は繁盛しています。教育費が一家の支出の大部分を占める家庭も少なくないそうですが、教育をお金で買えるとすれば、所得格差が教育格差に繋がり、格差社会が現出します。 再チャレンジが可能な社会は機会が均等にある社会でなければなりませんが、親の所得格差からくる教育格差が格差を固定化します。負け組の子供は十分な教育を受ける機会が与えられず、資質に恵まれ、努力を惜しまない子供でも可能性は閉ざされています。 日本の急務は先ず公教育を充実させることです。教育の機会均等が保障されない社会は不公正です。努力する者が報われるためには教育の力が占める比重が大きいからです。自立できるだけの能力、独学ができるだけの能力を持たせるのが学校教育の使命です。
2007/05/09
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イラク安定化会議がG8のメンバーも加わり、拡大外相会議として開かれました。具体的な成果は上がりませんでしたが、関係諸国、特にアメリカとシリア、イランが一堂に会したのは画期的でした。アメリカ外交の転進が感じられます。 アメリカ人には自由主義、民主主義が普遍の真理だという思いこみがあるようです。さらにアメリカには独裁主義、全体主義国家を解放しなければならないという義務感があります。建国の理念、自由、平等に殉じる国民性があります。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の背景には政治的、経済的な背景がありますが、素朴な正義感が彼らを動かしているのです。ブッシュ大統領は日本の民主化を成功例として喧伝しますが本心なのです。 アングロサクソン的正義感には略奪民族特有のバタ臭さを感じますが、私利私欲だけでアメリカが動いているわけではありません。ネオコンの背景にはユダヤ人をホロコーストにしたナチスドイツの再興を許さないという決意があります。 ナチスの強制収容所で虐殺されたユダヤ人同胞の苦しみ、悲しみを二度と繰り返させないという強い意志があります。さらにキリスト教原理主義とも思える非妥協的な面も合わせています。神の国を地上に造る使命感が彼らの活力源です。 「自分を愛するように隣人を愛せよ」がキリスト教的な愛ですが、日本的な愛、「己が欲せざることを人に施す事なかれ」とは対照的です。イスラム教は「左手にコーラン、右手に剣」ですから、一神教的な妥協を許さない厳しさがあります。 キリスト教もイスラム教もユダヤ教から生まれましたが、中世の十字軍が両者の関係を険悪にさせました。イスラム原理主義の根本には貧困問題があります。宗教というよりもアメリカの世界支配に対するイデオロギー闘争のようです。 アメリカが9.11テロに過剰に反応したのはアメリカのアイデンティティ、自由主義、民主主義を真っ向から否定された怒りからきたのでしょう。アルカイーダとサダム・フセインは敵対こそすれ手を結ぶことはあり得なかったからです。 サダム・フセインもアメリカが武力行使するとは考えてもいませんでした。彼は大量破壊兵器を持ちたかったでしょうが、その能力はありませんでした。情報を冷静に分析すればフセインの挑発に対する対処法は別に見い出せたでしょう。 さらに致命的なミスは戦後処理のシミュレーションが根本的に間違っていた点にあります。アラブ世界の特殊性、部族社会を考慮していなかったからです。日本では敗戦後も統治機構が存在し、天皇制、官僚制も機能していたからです。 自由主義、民主主義はキリスト教の価値観です。多神教の日本では神様が一つ増えただけでしたが、一神教のイスラム世界ではそうはいきません。キリストとアラーとの闘いにならざるを得ませんから、民主主義は根付かないのです。 アメリカのアラブ専門家でさえもサウジアラビアに民主主義を根付かせたいと真剣に考えているそうです。日本人には理解できない正義感、衝動がアメリカ人の心の深奥にあるようですから、第三者、日本の仲介が必要とされています。
2007/05/06
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日米中韓4カ国の高校生の意識調査の結果、日本の高校生の「偉くなりたい」という意識の低下が目立ったそうですが、マイペースの人生を送ることを積極的に選ぶのではなく、高校生らしからぬ人生に対する諦観から来ているようです。 現代の高校生はバブル崩壊を身近で経験しています。エリートが会社の一方的な都合でリストラをされるのを見せつけられれば、厳しい受験競争を勝ち抜いてエリートになる意味を見失うのも当然です。むしろ楽な道を選ぶのも当然です。 さらに「ゆとり教育」、「大学全入時代」は子供達から向上心、競争心を奪い取ってしまったのではないでしょうか。子供に健全な競争心を植え付けるのも教育の使命ですが、競争は子供を序列化してしまうという論理がまかり通っています。 例えば運動会の競走競技では手を繋いでゴールするという信じられない風景が見られるようです。リンピックで日の丸を揚がれば出身校では日の丸を振り万歳を三唱するにも拘わらず、競争を認めないのならばスポーツは成立しません。 日教組、文部省の愚民化政策もここに極わめりという観がします。教育の二分化は当然です。意欲のある親が子供を私立校に進学させ、一流大学に進学させようとするのも無理はありません。競争を放棄すれば負け組になるしかありません。 アングロサクソン的競争社会は日本人には合わないと思いますが、刻苦勉励は日本人の美点でした。「末は博士か大臣か」は戦前の話ですが、戦後の日本は、焼け野原から国民が一丸となり努力し、経済力が世界2位にまで成長しました。 しかし、努力の結果がバブル時代でした。一億総白痴化時代でしたが、バブルが弾けて日本経済は崩壊しました。失われた10年では表現しきれない不景気が日本を襲いました。リストラが流行語になり、自殺者は3万人を超えました。 リストラされたサラリーマンは何十年と会社に尽くしてきた人たちでした。バブルを崩壊させたのは官僚、政治家、経営陣の無能力さです。リストラされた人たちに責任はなく、一方的な被害者ですが、責任を押し付けられたのです。 自己決定、自己責任の世界ならば納得もできたでしょうが、上がミスを下に押し付け、構造的に責任逃れを諮りました。バブルが弾けても官僚は問題の先送りを諮りました。小泉前首相が財政出動を拒否し、財界が自立更生に目覚めました。 バブルは政、財、官の構造的な癒着が引き起こしました。日本のエスタブリッシュメント、支配層のモラルハザードは目を覆いたくなるほどでした。バブルには利益誘導型政治は頂点を極めましたが、政、財、官に腐敗が横行しました。 小泉改革は自民党の利権政治に大きくメスを入れましたが、安倍首相はバブル戦犯の復権を許しました。官僚も責任を取らされることはなく、天下り先での生活を謳歌しています。経済界だけが企業のトップの若返りを果たしました。 安倍首相の唱える美しい国は努力する者が報われる社会、自己決定、自己責任の世界では信賞必罰が必須条件ですが、政治家は免責されるようです。バブルを謳歌していた政治家を見れば、子供は馬鹿馬鹿しくてやってられないでしょう。
2007/05/04
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日本国憲法が施行されたから60周年の節目の年になりましたが、憲法改正の手続き法、国民投票法案が成立する見込みです。憲法改正は96条に衆参両院の2/3で発議され、国民の過半数の賛成で承認されることが明記されています。 国民投票法がなかったのは立法府の不作為ですが、55年体制がもたらした与野党の不毛の対立の結果です。発議に両院の2/3の賛成が必要であることを裏返せば、護憲勢力がどちらかの院で1/3の議席を占めればよいことになります。 万年野党、社会党の教条主義が国会での憲法論議を妨げました。55年体制が終焉し、民主党が野党第一党になってからは、改憲論議へのタブーがなくなりました。国民投票法案も自民党、民主党が共同提案できる雰囲気になりました。 しかし、小沢トロイカ体制は党利党略のために反対に回りました。民主党の55年体制への先祖返りが起きました。世論は憲法改正を支持しています。憲法九条に関しては国論は二分されますが、21世紀に相応しい憲法を求めています。 環境権、プライバシー権を明記し、地方自治を明確にするなどの時代的要請があります。これらの国民の合意が得られやすい項目から発議し、憲法に書き加えることから始めれば、国民の間で憲法論議が起き、憲法に対する関心も増します。 憲法改正論議が平和憲法論争に歪曲化され、21世紀の社会に必要不可欠な国民の権利と義務に対する論議が疎かにされています。自民党案の社会保障に関する部分、前文、九条を除けば、国民の合意が得られるものであると思えます。 従来の改憲論議は憲法九条を巡る争いに終始し、国民の生活に密着する諸権利について論議がなされてきませんでした。もし憲法九条を改憲の目玉にすれば国内は混乱します。いきなりゴールを目指すのではなく、足元を固めるべきです。 憲法に対する思いには世代間で大きな差があります。戦前戦中派、中曽根元首相などの軍隊経験者、改憲派のようにアメリカの占領政策の象徴と感じる人もいるでしょうが、多くの国民は国民の血で贖われた平和憲法だと感じています。 団塊の世代までは戦争の血の臭いを身近に感じていましたから、民主主義、平和主義の象徴だと素朴に感じています。戦後世代、安倍首相、前原前民主党代表などは平和な社会しか知りませんから、平和を守るための防衛力を強調します。 いずれにしろ、先ず世代間に横たわる憲法観の差を埋めるためにも憲法論議が活発になされるべきです。憲法論議をタブー視するのは核三原則を議論しなければ核問題は存在しないと錯覚してしまう日本人的思考の貧困さの表れです。 護憲派は改憲論議に堂々と応じ、憲法前文、九条以外では是々非々を通し、21世紀に必要とされる諸権利についたは憲法改正に応じたらよいと思います。憲法を不磨の大典に祭り上げて後生大事に拝む姿は護憲教の信徒のように見えます。 護憲派、改憲派共に憲法改正を国民生活に身近な面から初め、最終的な局面で九条を国民投票に掛けるべきです。世論調査の支持率からすれば護憲派が勝利する可能性が高いと思われますが、国民の判断を仰ぐ時期にきていると思われます。
2007/05/03
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高野連が野球部員の特待制度を自主申告させた結果300校近い申告がありました。横浜高校など、甲子園のスター校からの申告が続出しているそうです。日本学生野球憲章に抵触するそうですが、高野連首脳の時代錯誤振りに呆れました。 高野連は未だに四丁目の赤い夕日の世界に存在しているようです。甲子園出場選手とは関係のない不祥事にも団体責任を取らす姿勢はアナクロニズムだと感じていましたが、スポーツ選手を特待生にするのはスポーツ界の常識でしょう。 社会は一芸に秀でている者を特別入学をさせたり特待生にすることをむしろ求めています。画一化された教育制度に風穴を開ける意味でも特待制度は社会の合意を得ています。サッカー、柔道、卓球などの選手が特待生なのは普通です。 むしろ野球だけが特待生制度を認められないのならば、それなりの理由を示すべきでしょう。プロ野球球団との闇契約の責任を一方的に高校生側に取らすのは不公平、不公正です。プロ野球界とアマ野球界との間で解決すべき問題です。 松阪大輔投手の1億ドルショックが日本を走り抜けましたが、松阪投手も横浜高校の特待生であったでしょう。日本の高校野球が1億ドルプレイヤーを育てたのですから、高野連は雑音に囚われず、大所高所から柔軟な判断をすべきです。 戦前にできた野球憲章を金科玉条のごとく守ってきた高野連幹部は辞職すべきです。高校が甲子園球児がプロ野球で活躍するのを夢見るのは自然ですし、野球少年の甲子園への夢を叶えるための機会を用意し、人材を集めるのも自然です。 プロとの癒着ならばサッカー選手も同列ですが、サッカー選手を特待生にしたのを非難した話は聞いたことがありません。オリンピック選手の中で特待生でなかった選手などはいないでしょう。むしろ報奨金が用意されているくらいです。 戦前のスポーツ界は純粋のアマチュアでも活躍できましたが、現代はスポンサーがいなければ不可能です。甲子園へ出場するには人的資源だけではなく、財政援助も必要なのです。公立高校が甲子園に出場すればニュースになるぐらいです。 アマチュアリズムはヨーロッパの貴族たちがスポーツ界を独占していた名残です。一時代前はアメリカのセミプロと社会主義国のステーツアマとが金メダルを独占していました。スポンサーのいない日本のアマチュア選手は問題外でした。 現代のスポーツ選手には二種類に分けられるでしょう。世界を目指す者、プロの道を目指す者とスポーツを純粋にスポーツとして楽しむものですが、前者にはスポンサーが必要不可欠です。スポーツを根性論で論じる時代は過ぎたのです。 高校野球を楽しむ学生はその辺を割り切って考えているでしょう。能力のない選手もそれなりに高校野球を楽しんでいるでしょう。甲子園球児は良くても悪くてもエリートですからエリートに相応しい待遇が保障されてしかるべきです。 高野連のアマチュア感は野球憲章と同じく、スポーツが貴族に独占されていた時代の遺物です。能力のある人間に能力を発揮する機会を与えるのが高野連の仕事であるはずです。時代遅れの老人の戯言で左右させられる高校生が可哀想です。
2007/05/02
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児童虐待防止法が改正されますが、子供を養育できない親が増えてきた現状からすれば当然だと思います。従来の体制は子供を親元で育てることを前提にしていますが、虐待を受けている子供を養育施設で受け入れる体制を創るべきです。 「親学」の必要性が叫ばれる時代ですから、養育放棄の実体は常識を越えているのではないでしょうか。虐待を受けている子供を親元に帰しても同じことの繰り返しではないでしょうか。養育放棄をする親は親権を停止させるべきです。 福祉行政の場では子供は親元で育てられるのが良いとされてきましたが、現状はその段階を越えているようです。福祉施設を緊急避難の場から養育施設へと変えるべきです。福祉施設で子供が自立できるまで養育すべき時代になっています。 そのためには児童相談所、養育施設に対する福祉予算を増額すべきです。現在の施設は人間らしい生活が営めるような場ではないようです。心身共に傷ついた子供は孤児院の暗いイメージから脱却していない養育施設では癒やされません。 職員がいかに努力しても狭い施設ではプライバシーすら守ることができないようです。親から見捨て去られ、社会から見捨て去られた子供が順調に成長するのは至難の業です。マンパワーだけでは解決のできない施設面での欠陥があります。 さらに児童相談所に専門職員が配置されていない現状は行政の不作為と非難されても仕方がありません。行政職が順繰り人事で児童相談所に配置されているのが現状です。2,3年間辛抱すればよいのですから問題を先き送りして当然です。 強硬手段を執れば責任問題になりかねませんから、使命感のない職員は見ないふりをするでしょう。児童相談所に専門職員を配置し、マンパワーを強化しなければ仏を造っても魂を入れないことになるでしょう。笛を吹けど躍らないのです。 警察も民事不介入の姿勢を取り続けてきました。現場の警察官には強制手段の執行は荷が重いでしょう。児童虐待防止特別班を編制し、心理学、福祉を専攻した専門職を養成すべきでしょう。早急にマニュアルを作成すべきでしょう。 いずれにしても法の改正だけでは解決できない問題が山積しています。行政から意識改革されなければ、福祉の現場だけではとても対応し切れません。日本では児童虐待、配偶者虐待は家族の問題として、行政、警察が介入してはいけない問題になっていましたが、何らかの強制手段が執られるのは世界的潮流です。 カナダの大使館員の奥さんを診察した医師DVを疑い、警察に通告したので警察が奥さんを保護する事態になり社会問題化しましたが、欧米ではそれが当然なのです。日本では医師が通告を躊躇い、事態を悪化させる場合が多いようです。 地域の情報が児童相談所に集まらないといわれていますが、情報が活用されていないのが現状のようです。虐待死に至る前にも虐待の兆候を地域の人は感じていたはずですが、地域住民の無関心、行政の怠慢が虐待死を招いています。 児童虐待防止法を改正したのですから、政府は児童福祉に関する行政システムをハード、ソフト両面で根本的に改善しなくてはなりません。虐待の報告を受けても機能しなかったシステムを質、量共にパワーアップしなければなりません。
2007/05/01
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