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小学校の音楽教師が校長の君が代の伴奏を命じる指示を拒否した行為に対する懲戒処分の取り消しを求める行政訴訟に最高裁の判決が下されました。君が代の伴奏が音楽教師の思想信条の自由を侵すことにはならないと判断されました。 判決では小学校の入学式は単なる校内行事であり、入学式に君が代を伴奏するのは教職員の職務であるという判断です。教諭の君が代斉唱でピアノ伴奏をしないのは「歴史観、世界観」思想信条の自由だという主張は認められませんでした。 入学式はテープの伴奏で無事終了しましたが、都教委は、地方公務員法違反(職務命令違反、信用失墜行為)で教諭を戒告処分にしました。都教委の入学式、卒業式に国歌斉唱、国旗掲揚を強制してきた主張の一部を最高裁が追認した形です。 先の東京地裁判決では教職員に国歌斉唱、国旗掲揚を強制するのは思想信条の自由を侵し、憲法違反だとされています。判決では卒業式における君が代の伴奏は教職員の通常の職務と見なされ、個人の思想信条とは無関係とされました。 入学式、卒業式の会場を整え、式の運行を恙なく終わらすのは教職員として当然の職務であるという判断です。機械的な労働の提供であるということでしょう。言い換えれば派遣社員に請け負わせることのできる職務と見なされたようです。 現実にテープで代行できたのですから思想信条の自由を侵したとの主張は針小棒大な主張ともいえます。逆に思想信条を侵されたという主張は校歌斉唱に特別な意味を持たすものであり、戦前回帰を逆の面から肯定していることになります。 国旗、国歌が好きなのはアメリカ人ですが、多民族国家であるアメリカの統合の象徴は国旗、国歌でしかないのです。単一民族である日本人のアイデンティティは日本語の読み書きができることです。特に国旗、国歌が必要ではありません。 逆に日本人が国旗、国歌を必要とする時には政治的な意図があるのです。戦前のような全体主義国家を目指す兆候ですから、国旗、国歌を無視すれば良いのです。日教組が国旗、国歌を意識させるのは逆の意味での政治的な意図があります。 君が代、日の丸はオリンピックの時に使われるのは平和的で良いと思いますが、ナショナリズムと変に結びついた時には危険な兆候が見られます。君が代、日の丸を入学式、卒業式の形単なる式的な儀式にしてしまえば良いと思われます。 その意味では最高裁判決は国民の常識に適うものだと思います。教職員は肉体労働者として素直に機械的労働を提供すれば良いのです。君が代、日の丸を反戦、護憲の踏み絵にするのは時代錯誤です。平和を守るのは国民の意識だからです。 東京都知事選に浅野前宮城県知事が出馬するそうです。君が代、日の丸が争点になるかもしれませんが、両候補とも避けるような気がします。知事選での争点は現実的な政策になるでしょうが、知事が変われば教育現場も変わるでしょう。 愛国心教育の要は国が愛するに価するか、否かにあります。政治が国民の負託に応えていなければ愛国心は育ちません。安倍首相は造反議員を復党させ支持率を急降下させたのにも拘わらず、さらに造反議員を復党させようとしています。 安倍首相は祖父の岸元首相が国民の反対を押し切って安保条約を改定させたのを真の愛国国心だと思っています。支持率が低下した現在は岸元首相に倣い、支持率を無視した政治に乗り出そうとしています。政治の危機が到来しています。
2007/02/28
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日本の義務教育制度が制度疲労を起こしています。私立中学校への進学希望者が10人の内1人という数字は義務教育制度が事実上破綻していることを意味しています。私立校へのシフトは義務教育が社会の信頼を失っている証拠です。 社会の方向は結果平等から機会平等へ変わりつつありますが、機会平等は教育平等の上に成り立つ制度です。国家には高等教育を受ける権利を保障する義務があります。公立校出身者にも進学できるレベルの教育を施す義務があるのです。 団塊の世代は受験地獄と呼ばれましたが、公立高校から一流大学の入学者が輩出されていました。例えば東大合格者の出身校ランキングのダントツは都立日比谷高校でした。公立高校出身者が名門私立高校出身者を遙かに凌駕していました。 国立大学の授業料は月1000円でした。特別奨学金が8000円、下宿代が6000円でした。母子家庭の子弟でも自力で大学を卒業することができました。貧乏な家庭の子弟も公務員試験を通れば官僚になれ、政治家への道も開かれていました。 本人の能力と努力次第では「末は博士か大臣か」の夢を実現できる環境が整っていました。現代と比較すれば結果平等の世界であったかも知れませんが、組織の中においては機会平等でした。学歴社会が機会平等を保障していたからです。 しかし、現代の学歴社会では貧乏な家庭の子弟は教育を受ける機会が与えられていません。公教育だけではいかに能力があり努力をしても一流大学に入れるだけの学力を身に付けることができないからです。明らかに機会不平等社会です。 機会平等は公教育のレベルにより左右されます。義務教育でいかに最低限の教養、読み、書き、算盤を習熟させられるかに掛かっています。さらに能力別のクラスを編成し、能力のある子供の能力を育成する教育をする必要があります。 平等教育は能力のある人間と能力のない人間を落ちこぼれにしてしまいます。金持ちの子弟のみが私立校で能力に応じた教育を受けることができ、高学歴を手に入れることができるのです。平等教育が教育格差を再生産しているのです。 戦後の平等教育は国民が等しく貧しかった時代には機会平等の役割を果たしていましたが、豊かになるにつれて機会不平等をもたらしてきました。私立校だけではなく公立大学の授業料でも月5万円もします。独力で大学を卒業できません。 日本の社会を活性化するためには機会平等が保障される必要があります。そのためには公教育のレベルアップが必要です。公教育が受験競争に対応できなければ私立校に行かせられる家庭の子弟が断然優位に立つ不公正な社会になります。 学歴社会はかつてはカネもなくコネもない人間には有利な制度でしたが、誤った平等教育が私立校を迂回する金持ちルートを生み出しました。昔は東大生にも貧乏な家庭の子弟がかなりいましたが、今は金持ちの子弟だけだそうです。 格差社会にも上昇ルートがあれば社会は活性化します。再チャレンジが可能な社会ならばリスクに挑戦することもできます。アメリカのような超格差社会でもアメリカンドリームを実現する機会平等があるから移民が集まってくるのです。 教育は国力の要です。日本の公教育の平等主義を能力主義に改めなければ教育制度の改変も無意味です。さらに奨学金制度を改正し、奨学金だけで大学を卒業できる奨学金制度を拡充すべきです。投資に見合う経済効果は確実にあるからです。
2007/02/27
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日銀が利上げをしましたが、株式市場も6年8ヶ月ぶりに1万8000円台を回復しました。市場は利上げを好感を持って受け止めたようです。今月は政府、与党からの露骨な圧力も影を潜め、日銀の機能が取りあえず回復したようです。 金融政策決定会合は8対1で利上げを決めました。日銀法が成立以来初めて総裁と副総裁の票が別れたようですが、むしろ合議制が有効に機能した証拠です。現状認識では大差がなく、利上げに対するリスク判断で賛否が分かれたようです。 10~12月期のGDPは実質ベースで年率換算4.8%でした。前期の落ち込みを取り戻し、さらなる成長が期待されますし、アメリカの経済指標も落ち着いた価を示しています。政治の季節が始まりますので今月が利上の最後の機会でした。 世界の円安に対する懸念を考慮すれば利上げは妥当な線なのかも知れませんが、日銀の市場との対話能力に懸念を持たれたのを反省する必要があるでしょう。日銀の独立性に疑問を抱かれている点を克服するのが日銀の今後の課題です。 日銀が利上げできる環境に日本経済も進んでいますが、経済成長の目標をGDPで2%前後にするのか、政府の目標の4%近くにするのかで日本の将来像が大きく変わります。消費税率アップの議論を大きく左右する要因になるからです。 与野党は参議院選で掲げる公約から消費税を消し去っていますが、消費税アップが避けられないのは国民は覚悟しています。国民の第一の関心は社会保障だからです。現在の財政状況では老後の生活が破綻するのは明らかだからです。 安部内閣の高度成長路線には不安を抱いている者が少なくありません。庶民感覚では日本は既に格差社会に入っています。アングロサクソン流の略奪民族的市場原理主義では勝者劣敗が生じ、農耕民族である日本人には相応しくありません。 しかし、グローバル化は避けて通れない道ですから累進課税を強化し、最低賃金をヨーロッパに近づける努力をすべきです。北欧のような高福祉国になるのは無理ですが、消費税を10%台にして、ヨーロッパ並みにして欲しいものです。 高度成長路線にはリスクが伴います。庶民は増税、富裕層、企業は減税のレーガンスタイルは赤字をさらに増やします。国債の発行は既に限界に達しています。これからはむしろ無駄を減らし、自然と調和した省エネ経済に移行すべきです。 日本の過去の栄光を忘れ去り、資源小国らしい生き方を模索すべきです。例えばスイスのような資源小国ですが、高付加価値の製品を生産し、永世中立国を宣言している国が参考になります。重厚長大の産業から脱却することが必要です。 経済大国を維持するための膨大なエネルギーを供給する力は減衰しています。人的資源だけではなく、産業資源を獲得する力も落ちてきました。中国、インドのマンパワーには太刀打ちできませんので、産業構造を変える必要があります。 少子化が進めば創造性を発揮できる産業か高付加価値を生み出す産業しか生き残れないでしょう。市場原理主義ではマニュアルを創造する人とマニュアル通りに働く人との格差は拡大しますが、それを修正する政策が必要となります。 結果平等主義ではなく機会平等主義になる必要がありますが、セーフティネットを整備する必要があります。家族を養えるだけの経済水準が保障される必要があります。ワーキングプアーをなくさなければ日本社会が根底から崩壊します。
2007/02/22
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ある作業所が労働基準監督署から最低賃金を守っていないと指摘されました。福祉施設である作業所には最低賃金が適用されないとされていましたが、行政当局は労働の場と見なせる作業所には労働基準法を適用する姿勢を示しました。 作業所の中には障害者の施設が労働基準法の適用除外になるのを利用して障害者を搾取していた例も少なからずありました。障害者自立支援法を有効に機能させるためには障害者を労働者と見なし、労働三法を適用させる必要があります。 作業所が福祉の場であることが障害者の自立を妨げてきました。作業所が雇用主としての自覚を持たず、障害者も労働者としての自覚を持てない環境が温存されてきたからです。障害者側にも雇用されにくいという事情がありました。 障害者の生産性が低いのを口実にした差別があるのは事実ですが、生産性が低い部分を行政側が援助することを怠っていた面もあります。障害者には障害年金が支給されているのを口実にし、低賃金を強要してきた施設は少なくありません。 労賃に障害年金を加算したのが賃金として支給されるのが常識化していたようですが、障害年金と労賃は別枠で支給されるべきものなのです。最低賃金が適用されれば賃金に障害年金を加わえれば自立できる障害者が増えてくるでしょう。 福祉施設には利用料が入るのですから民間並みの生産性が必要ないはずでし、企業ならば障害者の雇用には助成政策がとられています。最低賃金、時給600円余りを支給できないはずがないと思いますが、必要ならば補助を考えるべきです。 障害者を一人の労働者、一個の人格を持った人間として扱ってこなかった社会に責任があります。欧米諸国ならば障害を理由にして最低賃金を支払わなければ重大な人権侵犯と見なされます。日本も少しは先進国に近づいたともいえます。 ノーマライゼーションとは障害者も健康な者も社会を構成する一員と見なすことから始まります。障害があるから社会参加できない社会を変革する必要があるのです。障害者にも人間として、一労働者としての権利と義務があるのです。 日本では障害者の人格を無視する風潮がありました。理由のない差別が障害者の自立を妨げてきました。障害がある人にも対応できる社会は老人にも優しい社会であり、子供にも優しい社会なのです。総ての人に優しい社会なのです。 日本では障害者の基本的人権が認められない時代が続きました。「福祉はただの世界」は障害者から「自己決定、自己責任」の能力を奪い去ってきました。障害者の労働を正当に評価しない世界は障害者に自立の機会を与えない世界です。 行政当局が作業所にも労働基準法を適用させる意思を表明したのは画期的な出来事です。福祉施設に障害者を一人の人間として対応することを求めたからです。福祉施設の福祉依存を許さない行政の姿勢は一罰百戒の意味を持つからです。 福祉の現場では障害者を子供扱いしているところもあります。ある施設では成人の障害者を家の子供達と表現していました。クリスチャンの職員でさえこのレベルです。障害者を一人の人間として認めさせるためには意識改革が必要です。
2007/02/22
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民主党の小沢代表は政治資金管理団体「陸山会」が平成17年分の政治資金収支報告書に4億円超を計上した事務所費の詳細を公表しました。公約を果たしたのは政治家として評価できますが、10億円を超す不動産には違和感を覚えます。 政治資金で不動産を取得するのは政治資金規正法に抵触しませんが、政治資金管理団体所有の不動産を個人名義にした場合の規定がありません。陸山会代表の小沢氏と小沢氏個人との間の契約の法的な有効性には不透明な部分があります。 閣僚、政治家が政治資金管理団体の事務所費に領収書のない経費を計上していますが、政治資金規正法に抵触しなくてもその使途が問題にされています。飲食費等、私用に政治資金が使われているのならば、国民の理解を得られません。 地方自治体の議会では政策調査費が私用に使われていることが明らかになり、納税者からの批判が集中しています。これらの問題は税金が免除されている政治資金、政策調査費が政治活動ではなく私用に使われていることに対する批判です。 政治家が政治に使う金と私用に使う金とを区別していないところに問題があります。政治家が資金管理団体をマネーロンダリングとして使う傾向が見られます。旧橋本派の1億円のヤミ献金にしても闇から闇に洗濯されてしまいました。 政治資金の流れの不透明さは国民の政治不信を煽っています。地方レベルでは知事の汚職が続きましたが、国政レベルでもそれに匹敵する不正が行われているのは暗黙の了解事項です。政界は政治とカネの問題にもっと敏感になるべきです。 小泉改革で身を潜めていた抵抗勢力が我が家の春に蠢いています。政治と利権は盾の両面かも知れませんが、それを許さない気迫が首相には求められます。安倍首相は利権では動かないでしょうが、そうではない政治家が多いようです。 安部首相の功名が辻内閣の閣僚には安倍首相を擁立した自負があるようです。彼らには首相に対する恐れがありません。中内幹事長が閣僚に自戒を求めたのは国民の多数の思いを反映したものです。閣僚の妄言?にはあきれ果てています。 アメリカのイラク参戦を批判するのは政治家としては自由ですが、閣僚としては問題があります。アメリカの副大統領に会見を拒否された久間防衛相は責任を問われるべきです。小泉時代の日米蜜月が微妙になる時期に不適切な発言です。 イラク参戦は国論を二分しました。イラク参戦の大義が否定された現在では久間防衛相の発言は民意を代表しているのかも知れませんが、閣僚としては許されません。アメリカの北朝鮮政策が変わる時に対日不信を持たれかねないからです。 日本の外交はパワーポリティクスの世界ではソフトパワーしか使えませんから、閣内不統一が明らかになればそこにつけ込まれます。金正日は日米を引き離そうと画策していますが、それに乗じられるような言動を閣僚は慎むべきです。 北朝鮮が核武装すれば日本はアメリカの核の傘の下に入らなければならない現実を最も知悉している防衛相、外相はもっと緊張感を持つべきです。安倍首相が北朝鮮に対して毅然とした態度を取れるか否かはアメリカ次第だからです。 安倍首相の起死回生の手段としては内閣改造が考えられます。さらに政治とカネの問題に大胆に切り込めば内閣支持率を上げられるかも知れません。レームダック状態から再生するためには思い切った手段を執らなければ駄目でしょう。
2007/02/21
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教育を再生させなくてはいけない思いは国民共通の思いです。イジメで中学生を自殺に追いやった中学生3名が書類送検され、2名が児童相談所に通知されましたが、同様の悲劇が繰り返されています。教育の崩壊を実感させられます。 公教育の崩壊を実感させられるのは私立中学校への受験ブームです。小学生の10人に1人は受験するそうですが、公立学校での教育を信頼できない父兄の不信感の表れです。私立中学校への進学の可否が新しい格差を生んでいます。 団塊の世代は最も競争の激しい時代でしたが、公教育だけで一流大学へ進学できるだけの学力が付きました。進学塾などは存在しませんでしたが、独学でセンター試験よりも遙かに難解な受験問題を解けるだけの実力を身につけました。 進学塾に行かなければ一流大学に入られないのならば、親の経済力が子供の進学先を決める重要なファクターとなります。これは格差の世襲化に繋がり、格差を固定化させてしまいます。公教育が格差を助長すれば社会が混乱します。 独学できるだけの学力を付けさせるのが義務教育の使命です。現在の義務教育がその使命を果たしていないから私立中学校への進学希望者が増大するのです。親が子供の教育に投資することは当然ですが、投資できる額には格差があります。 負け組の子供でも能力があり、努力する者には高等教育を受けさす機会を与えなくてはなりませんが、現在の学校教育のシステムでは英才教育を施せないようになっているようです。努力する者に機会を与える教育システムが必要です。 私立学校のみがエリート教育を担えば、貧しい家庭の子弟にはエリートになる機会が極めて少なくなります。学区制などの誤った平等主義は結果として格差社会を造り上げています。日教組の平等教育により日本から活力が奪われました。 格差社会はグローバル化の結果として良くても悪くても受け入れなくてはならない現実です。結果平等ではなく機会平等は時代の趨勢ですが、日本では経営陣と社員との給料の格差は2桁ですから、アメリカの4~5桁から見れば健全です。 アメリカへのアジアからの移民はどんなに貧しくとも子供に高等教育を受けさせるそうです。子供に社会の段階を上がる手段と機会を与えるためですし、社会はその機会を保障しています。アメリカンドリームは機会平等の結果です。 日本でも公立学校を選ぶ権利が認められるべきです。バウチャー制により競争原理が働くかどうかは分かりませんが、能力に応じた教育を受ける権利を保障すべきです。日本の教育が崩壊した背後には日教組の悪平等主義があると思います。 学校間格差は現実の反映です。能力のない子供、努力しない子供には社会の現実を子供の内から報せておいた方が社会に出てからの格差に戸惑うよりもベターでしょう。さらにノートレランスを導入し、イジメに刑事罰を適用すべきです。 公立学校の教育レベルの低下は私立学校との格差を生じさせます。富める者にしか高等教育を受ける機会が与えられなければ格差社会は固定化してしいます。平等教育は貧しくても能力のある者から機会を奪う点で不平等教育といえます。 日本の発展を支えてきたのは良質な教育でしたが、平等教育が不平等を生んでいます。国民には能力に応じた教育を受ける権利があるはずです。公教育はそれを保障しなくてはなりませんが、現状は貧しい者からその権利を奪っています。
2007/02/19
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麻原彰晃の上告審で控訴趣意書の提出を意図的に拒み、裁判の長期化を図った弁護士に対する処置請求を東京高裁が日弁連に求めましたが、日弁連は門前払いをしました。法廷の場で争うのも弁護士会としての選択の一つかも知れません。 しかし、国民からすれば割り切れないものを感じます。処置請求を受けた弁護士は人権派弁護士として知られているそうですが、彼らの死刑判決が想定される法廷での「裁判の長期化は被告人の利益」は国民感情から逸脱しています。 死刑廃止論はイデオロギーであり法廷の場で争う性質の問題ではありません。死刑を廃止している国は多く、EUは加盟条件にしているぐらいです。フランスのシラク大統領は憲法で死刑を廃止することを花道として引退するそうです。 国際的にも死刑廃止は穏当な主張ですが、日本の法体系の中では認められていません。僧侶である杉浦前法相は信仰上の理由で死刑を執行させる書類に判を押しませんでしたが、少なくとも法曹関係者は現行の法体系を遵守すべきです。 法曹界の人間が超法規的な手段を用いるのを法曹界自身が自己規制できなければ、法の権威は失墜します。宗教家である私には死刑廃止論には賛成できる面が多いのですが、個人の信条を法廷の場に持ち込むのはルール違反だと思います。 弁護士として法廷に立つ時と人権派の弁護士として死刑廃止を訴える時とを区別すべきです。それができないのなら弁護士バッジを外し、政治家として歩むなり、市民運動家として歩むべきです。ヌエのような二股膏薬は許されません。 麻原彰晃に訴訟当事者としての責任能力があるのか、ないのかついては専門家でも意見が分かれました。世論は早期の死刑判決を求めていたようですが、麻原彰晃に法廷の場で証言をさせ、事件の全貌を明らかにせよという声もありました。 いずれにしろ、弁護士の法廷戦術のミスで上告すら認められない結果に終わりましたが、弁護士自身が「裁判の長期化は被告人の利益」を侵したのです。少なくとも当該弁護士には被告の弁護の機会を奪った点で重大な過失があります。 国民は今回の処置請求を政治的な目で見ています。死刑廃止のためなら手段を選ばない弁護士の弁護士資格に疑義を覚えているからです。日本人には弁護士を依頼人のためではなく、正義のために働くと盲信しているところがあるからです。 アメリカの放送局で有名な弁護士が視聴者に向かって殺したいと思う人がいたならすぐ実行しなさい。目撃者が例えローマ法王、警察の本部長であっても無罪にして見せるからと挑発したそうですが、陪審員制度ならあり得るのでしょう。 日本とアメリカとでは事情が違いますが、殺人を犯した犯罪者を無罪にする点においては五十歩百歩です。裁判員制度が導入されれば素人の裁判員を錯誤に陥らせるテクニックを持った弁護士が重宝される時代になるかも知れません。 法廷戦術を駆使する点において極めてアメリカ型である当該弁護士を弁護士会が擁護するのならば、裁判員制度は陪審員制度に酷似してくる可能性があります。陪審員制度には長い歴史の積み重ねが必要ですが、日本には歴史がありません。 アメリカ型弁護士が日本の裁判員を誘導するのは簡単なことでしょう。被告人の利益のためならば手段を選ばない弁護士は裁判員制度を根本から破壊します。弁護士会が懲戒処分にできないのならば、裁判所が懲戒処分を科すべきです。
2007/02/17
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06年度10~12月期のGDPの速報値が年間に換算すれば4.8%の高率を記録しました。前期のマイナス成長を補って余りある成長ですが、政府からは悲観的な見解が流されています。日銀に対する政府からの恣意的な圧力を感じさせます。 日銀は先月の月例会議で公定歩合の引き上げを躊躇いましたが、総裁、副総裁を除いた賛否は3対3の同数になりました。福井総裁は早期の利上げで中央銀行の金融調整機構の回復を図りましたが、政治の圧力に屈したように思われました。 政府、自民党からの露骨な圧力が日銀の独立制を侵している側面が強く感じられます。自民党の中川幹事長の日銀が利上げに踏み切ったら日銀法の改正を考慮するするという発言は、日銀の中立性を侵しかねない政権与党のごり押しです。 前回の早見総裁の金利引き上げ時期は確かに時期尚早でしたが、結果論としていえることです。中央銀行の独立性には歴史的な背景があり、政治が干渉すべきではありません。政府委員もいるのですからルールに則って議決されるべきです。 国際的にはEUがユーロ高を問題にしていますが、アメリカは日本からの資金流入が続く方がよいのでしょう。国内では超低金利が少しずつ改善されてきていますが、銀行の国民からの搾取は続いています。銀行利子を正常に戻すべきです。 超低金利は世界の金利から余りにも懸け離れすぎています。銀行も政府からの借り入れを返済したのですから、国民に借りを返すべきです。老後のための蓄えが超低金利で運用先が見つからず、老人、障害者が金融詐欺に騙されています。 景気が回復してきたのならば点滴を外し、口から栄養をとることを考えるべきです。点滴に頼りすぎれば体力の回復がむしろ遅れます。企業は空前の利益を上げているのですから、政治も公定歩合を切り上げることを真剣に考えるべきです。 参議院選対策のために国策を誤れば日本の回復は遅れます。社会保障費を捻出するために金利を抑える政策には無理があるように感じられます。社会保障費には消費税を充てるのが正攻法ですが、その前に徹底した歳出削減が必要です。 安部内閣の高成長路線には無理が感じられます。企業には減税、サラリーマンには増税では国民の理解が得られません。企業に対して賃上げを要望しても本気なのか疑われます。サラリーマンの所得が上がらなければ個人消費は伸びません。 ワーキングプアー対策も景気回復が一番の対策ですが、個別の対策も必要です。日本にはアングロサクソンのような略奪民族的成果主義は馴染みません。農耕民族的な家族主義も必要です。格差の底上げがなされないと社会が乱れてきます。 最低賃金を上げることが必要ですし、スキルアップのための再教育も必要です。女性の社会進出、管理職登用を促進するのも必要ですが、少子化対策のためにも結婚、育児によりキャリアが失われないような社会を造り上げることも必要です。 経済政策は政治の要でしょうが、政治の過剰な干渉は護送船団方式を思い起こさせます。ブレーキとアクセルが上手く機能しなければ日本はまた暴走してしまいます。政府の経済政策と日銀の金融政策が牽制し合う姿が望ましいと思います。 バブル崩壊から日本経済が再生したのですから、日銀への政治の過度の干渉は控えるべきです。特に参議院選を控えた政治の判断には公正を欠く危険性を感じます。日銀の経済政策の方が政府、政権与党の政治判断よりも信頼が置けます。
2007/02/16
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6カ国協議が妥結しましたが、北朝鮮の強請りに国際社会が屈した感が否めません。クリントン政権時代の対話路線は原爆を製造するための時間とお金を与えたに過ぎませんでした。今回もウラン型原爆製造に協力するようなものです。 北朝鮮は核弾道を製造し、日本を強請ろうとしています。世界からお金と資源を強請り取るのが北の戦略です。拉致も強請りのネタとして温存しようとしています。強盗に対して対話が通じるとは思えません。圧力しか効果はないでしょう。 金正日はブッシュ大統領の後任に民主党の大統領がなり、クリントン政権時代のような甘い飴を用意してくれるのを待つ戦略でしょう。アメリカの金融制裁がボディブローのように効いてきたので、取りあえず持久戦に持ち込むつもりです。 100万トンの重油が手に入れば当座を凌ぐのには十分です。盧武鉉も北朝鮮を支援したくてしょうがないのですから名目さえ立てば韓国から必要な物資を手に入れることができます。ブッシュ大統領も民主党主導の議会に面子も立ちます。 中国も北の体制が維持されるのならば異存がないところでしょう。ロシアは基本的に北朝鮮には関心がないでしょう。日本以外の5カ国の利害が一致したと思われます。拉致は日本固有の問題にすぎず、安全保障に関係がないからです。 アメリカの建国の理念、自由、平等、民主主義は彼らの利害関係に影響を与える時にのみ有効のようです。アメリカのミーイズムは相変わらずですが、アメリカの負えるリスクの範囲内ならば日本のために働くのは国益に適うはずです。 拉致問題は人権問題であり、国権問題であることを否定する国はないでしょうが温度差があります。西欧諸国の理解を得ることができても、中国、ロシアには基本的人権の感覚がなく、 韓国には北朝鮮に対する政治的な配慮があります。 日本政府、与野党ですら拉致問題を否定し続けてきました。拉致の存在が明らかにされたのは拉致家族の捨て身の運動が世論を喚起してからにすぎません。小泉訪朝による平壌宣言で拉致が公式的に認められたのは想定外の出来事でした。 日本は拉致家族が世間の無理解の中で運動を続けたように、連帯を求めて孤立を恐れず!の姿勢で国際社会の中で拉致問題を愚直に訴え続けなくてはなりません。国際社会から孤立しても拉致の解決を求める方が倫理的に正しいからです。 外務官僚は国連での制裁決議の時も孤立を恐れて妥協しようとしたそうですが、今回も同じ轍を踏みそうです。あの時の安倍、麻生連合が甦ることを望みます。国家として譲れない点を譲らない方が国際社会から尊敬を集めるからです。 安倍首相が拉致問題で譲ったら安倍政権は瓦解するでしょう。世論は移ろいやすいものですから、毅然とした態度を見せつけることが肝要です。支持率を挽回するチャンスです。政治家の不祥事が続き、政治不信が高まっているからです。 国会審議がスキャンダル続きで低調です。与野党の政策の違いが明確になりません。北朝鮮問題が与野党の仕切り直しになれば禍が転じて福となります。参議院選を控えた大切な時ですから与野党の建設的な討論を国民は期待しています。 古い自民党も古い民主党も国民から愛想を尽かされています。安倍首相の求心力の衰えが無関心層の増大を引き起こしています。国民から離れた場で政治が行われていれば愛国心も希薄になります。国政の成り立つ基盤が失われるからです。
2007/02/14
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ある社会福祉法人の理事長が機関誌で精神障害者に対して労働による社会参加を訴えていましたが、精神障害者は「働きたいが働かれない」ジレンマの中で藻掻き苦しんでいるのです。自立を望みながらも自立できる能力がないからです。 障害者自立支援法の抱える最大の矛盾はこのジレンマにあります。自立のための訓練により自立できる人はごく僅かです。多くの障害者は自立できるだけの能力を病気により既に失っています。訓練が病気を悪化させる場合もあるのです。 病気で働く能力を失った人に障害年金が支給されるのですから自立を迫るのは自己矛盾です。むしろ障害者が住みやすい環境を整える方が先決です。労働は社会参加のためになされるのではなく、生き甲斐造りのためになされるべきです。 自立支援法では従来の福祉施設が訓練の場として定義されるようになりました。作業所での作業で僅かながらも労賃を得ていた障害者は利用費を取られるようになりました。障害者の側から見れば労賃を施設にピンハネされているのです。 さらに施設での労働には労働基準法は適用されず、労賃は最低賃金よりもかなり低いのです。施設での労働は福祉の対象であり、正規の労働とは見なされていないのです。多くの障害者は施設でスキルアップできずに施設に留まり続けます。 障害者の労働力を健康な人の労働力に換算するのは不公正です。労働を質ではなく量で評価すべきです。質が落ちる分を政府が福祉予算で補填すべきです。障害者に500万円を支給するために税金を5000万円も使う制度は間違っています。 社会福祉法人に膨大な税金が注ぎ込まれているのにも拘わらず、障害者が負担できないような自己負担を求める制度は不公正です。雇用対策としての使命を終えたのですから福祉政策の本道に戻り、障害者が使いよい制度に改めるべきです。 自己負担制度は「福祉はただ」の世界から「自己責任、自己負担」の世界へ変へたのは評価できますが、自己負担は0.5%が限度です。病院の体質が改善されたように、福祉法人も利用者に選ばれるようになれば質の向上が期待できます。 作業所を労働の場と定義し直し、労働時間を自由に定められるようにします。労働契約を結び、社会保険にも加入できるようにします。最低賃金(600円強/時)を保証し、生活保護受給者にも賃金の一定割合が加算されるようにします。 一方労働を望まない人には福祉の場、憩いの家などを提供すれば良いと思われます。病院のデイケアーを卒業した人、デイケアーに馴染めない人などが集える場を整備する必要があります。生き甲斐を見出せる場を創設する必要があります。 さらに回復した人のためのリハビリセンターが必要とされてくるでしょう。短期間で回復した人は復職のためのリハビリが必要です。療養休暇の後の職場復帰は健康な人でもストレスが掛かるので再発する人が非常に多いからです。 新しい薬で回復した人のリハビリには特別なメニューが必要です。脳の機能が回復しても心が回復していないからです。心の癒しが必要なのです。生きる目標が必要なのです。心の癒しは医療ではなく、宗教が扱う分野だと思われます。
2007/02/13
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今年は去年と一転し、記録的な暖冬になりました。ヨーロッパ、ロシアも暖冬になり、オーストラリア東部は異例の大干魃に見舞われています。21世紀に入り、世界各地で異常気象が続き、地球温暖化を身近に感じさせられています。 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の評価報告書によれば「地球の気候システムに温暖化が起きていることに疑いの余地はないとしたうえで、人間活動による二酸化炭素などの排出がその原因である」と断定されました。 温暖化による正のフィードバックが働き、地球の環境が人類の生存を許さなくなるまでに残された時間はあまりないようです。恐らく人類に残されている時間は数十年単位でしょう。炭酸ガスの濃度は危機的レベルに近づいています。 病める地球に処方する解熱剤として適切なのはエネルギー源を化石燃料から原子力にシフトすることです。原子力発電所が増えれば、火力発電所から排出される炭酸ガスを劇的に減らすことができます。それ以外の選択肢は考えられません。 原子力発電所で事故が起きれば最悪のケースでは炉心溶融が起きます。チェルノブイリ原子力発電所の事故が思い起こされますが、旧型の欠陥炉が起こした事故であり、現在の原電では炉心溶融が起きる可能性はかなり低いと考えられます。 最悪のケースで炉心溶融が起きれば人口が密集している日本では致命的な被害が予想されますが、適切な運転がなされていれば理論上は起きません。しかし、電力会社の利益を優先にしたマニュアル無視の運転管理は信頼できかねます。 電力会社が適切に運転していれば原電の周辺環境への放射能汚染は核実験による放射能汚染から比べれば僅かなものです。例えば周辺の海藻の放射能レベルは旧ソ連の1970代の小規模な核実験に起因するものの方が高い値を示しました。 アメリカのスリーマイル島原子力発電所の事故では炉心溶融は免れましたし、放射能は格納容器内に閉じこめられました。現在建設されている原子力発電所の安全システムはさらに高性能になっているでしょうが、運用次第でもあります。 エネルギー源を原子力にシフトするのは緊急避難です。取りあえず2~30年の時間を稼ぐには火力発電所からでる炭酸ガスを減らすしか考えられません。省エネ技術が進んでも炭酸ガス濃度の激増を僅かに抑えるぐらいが関の山です。 中国、インド、ロシアなどの高度成長が見込まれている地域では自家用車が激増し、ガソリン消費が鰻登りになるでしょう。産業活動も高まりますが省エネの余裕はないでしょう。電気製品も普及しますが、省エネ技術も焼け石に水です。 中国、インドなどと日本との間でエネルギー争奪戦も激化します。原油高は避けられないでしょうが、省エネの動機付けにはなります。ガソリンの価格が上がれば省エネ車が普及しますが、究極的な省エネは原電からの電力の活用です。 バイオマスの活用は廃棄物のリサイクルとしては有用ですが、農産物をエネルギー源にするのは食糧危機を加速するようなものです。風力発電は環境破壊のデメリットの方が大きいですし、ソーラーシステム技術もコストが掛かりすぎます。 数十年間の余裕があれば地球温暖化に対する技術開発の目処も立つでしょう。取りあえず対症療法として、地球温暖化が正のフィードバックに陥る前にエネルギー源を原子力にシフトする熱冷ましを処方して様子を見てみるべきでしょう。
2007/02/12
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教育基本法改正に反対の教師は少なくないのかも知れませんが、その責任の一端は教師としての責務を放棄し、政治路線を歩む日教組にもあります。授業時間中にプラカードを掲げてデモをする教師を子供や父兄は尊敬できるでしょうか。 国民の日教組離れは教師の職能組合なのに政治団体化しているからです。戦後の物のない時期に安い給料にも拘わらず子供達のために総てを投げ出した先生方は尊敬できましたが、教室を空け、政治活動に専念する教師は尊敬できません。 教師は政治活動で教室を空にしたり、学校を政治活動の場にしてはいけないのです。国旗掲揚、国歌斉唱の強制は信教の自由に反するという東京地裁の判決を支持しましたが、テレビの教師の相変わらずの団交シーンを見て興ざめしました。 彼らが国旗掲揚、国歌斉唱に反対したのは日教組の政治的なアピールにしか過ぎず、子供の思想信条を思いやっての行動ではないことが類推されました。子供に反戦教育をするのは大切ですが、政治的な思惑でなされるのならば反対します。 勤務時間外に組合活動をやるのは自由ですが、組合活動を教育の場に持ち込まないでください。イジメが社会的な問題になっていますが、教師、学校の取り組みが十分でないと国民は感じています。教育現場の意識改革が必要なのです。 学校の先生が忙しすぎるという問題は確かにあるのでしょうが、制度が変わる間にも子供はイジメで苦しむのです。教師としてのアイデンティティを労働者とする日教組は父兄の期待する教師像から著しく逸脱しているように思えます。 塾の教師ならば教育労働者で良いのですが、学校の教師は聖職でなければなりません。少なくともそう信じられる人間でなければ教師になるべきではありません。サラリーマン教師は子供からバカにされ親からも信頼されないでしょう。 教育現場では教育労働者としての力量がなく、聖職者としての使命感もない教師が割り当たえられた労働量を物理的に消化しているだけなのでしょう。子供の信頼に価する教師は僅かしかいません。冷静な目で教師を評価しているからです。 熱血先生はドラマの世界だけではないと思います。隠れた熱血先生はいると信じていますが、現在の評価システムでは駄目教師と評価されかねません。教員免許の更新がなされない危険性を感じます。校長、教委は信頼できないからです。 官僚制はクールな人間が評価されるシステムですから、ホットな人間は排斥されます。かといって規格品外にはとんでもない教師がいますが、懲戒処分すらできないのが現実です。新鮮な血液を輸血しなければ学校は衰弱死してしまいます。 日本の教育システムは世界に誇れる制度でしたが、制度疲労を起こしています。かつて教師はデモ、シカ先生と言われた時期がありました。教師に人材が集まらなかったからです。教育水準の高い北欧では教師は大学院卒だそうです。 聖職者としての使命感が疑われるような牧師さえいるのが現状ですから、教師が教育労働者だと割り切るのは仕方がないかも知れませんが、教育の崩壊は日本の崩壊に繋がります。社会が教師を聖職者として育てなければならないのです。 そのためには教師の教育システムを根本から変えなければなりません。大学全入の時代ですから教員免許は誰でも取得できます。教員免許は他学部を卒業した者にも教育学部の専門課程2年間を義務づけ、6年制、大学院卒に限るべきです。
2007/02/10
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「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度」は今国会には上程されないようになりましたが、ホワイトカラー、事務職に掛かるコストの上昇に対する経営側の危機感の表れです。リストラの第二陣は事務効率の向上のようです。 日本の企業風土として質より量が、結果より努力が評価されてきました。サービス残業も日本だけの風景でしょう。団塊の世代が退職するのですから、企業風土を根本から改善したいという経営側の意図も理解できますが時期尚早です。 労働時間規制除外が適用されたからといって自己裁量で勤務時間を活用できる社員は少ないと思います。その能力があったとしても周囲がそれを許さないでしょう。結局、サービス残業が合法化され、事務効率の改善はなされないでしょう。 私の叔父は一流企業の研究職で博士号も取得しましたが、終業のブザーが鳴ると共に退社していたそうです。在職中、マイペースを守り抜けたのは研究職であったからでしょう。事務職ならば残業を拒否することは許されなかったでしょう。 事務職ならば結果を出していても残業を拒否し続ければ上司からの評価は芳しくないでしょう。団塊の世代は残業が100時間を超えるのは常識でしたでしょうし、それが達成感をもたらしました。サービス残業が企業戦士の勲章でした。 リストラが企業から無用な管理職をなくさせましたが、団塊の世代が退職するので管理職のポストにも余裕が出たのではないでしょうか。裁量労働に移行するのは時代の要請でしょうが、職場の意識改革を先行させるべきだと思います。 女性の労働力を正当に評価しない悪習も改善すべきです。柳澤厚労相の発言からは女性を子育ての道具と見なし、2人の子供を持つ夫婦が正常だと見なす自民党保守派の本音が伺えます。女性の社会進出を妨げる論理があからさまです。 少子化に伴い労働力が不足することを憂いていますが、女性の社会進出を促進させれば労働力が倍増します。結果としてフランスや北欧のように出生率の向上が期待できます。子供を産んでも職を失わないで済むシステムが必要なのです。 男性が家庭へ寝に帰るだけていう日本の企業風土が出生率を低下させる原因の一つです。女性が子育てのための時間をとれないのも出生率に影響しています。子育てと裁量労働をリンクさせる制度ならば国民の支持を得られたかもしれません。 グローバル化は必然的にマニュアルを作成する勝ち組とマニュアルを実行する負け組とに二分してしまいますが、日本の報酬の差は2桁程度ですから健全だと思えます。アメリカ、中国、ロシアなどでは報酬の差が4桁以上になるからです。 韓国のIMF不況から立ち直るための構造改革では劇薬が処方されたようです。サムソン電気では年俸100万ドルを越す社員が100名もいるそうですが、定年は45歳だそうです。日本から見れば桁外れの成功報酬ですが、違和感を覚えます。 日本の国民感覚からすれば能力至上主義は受け入れがたい制度です。企業の利益は個人に対する成功報酬に偏るのではなく、社員にも還元するのが国情に合っています。アングロサクソン的な略奪民族ではなく農耕民族だからです。 派遣社員の給料も最低賃金もアングルサクソン主導のグローバル化から日本の国民を守る視点から再考すべきです。景気が回復してきたのでリストラ一辺倒から労働者への利益配分を高め、個人消費を増やして自力回復を目指すべきです。
2007/02/07
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公教育では学力が付かないと父兄が心配する教育の現状は異常です。私は国立大学の附属中学校、高校を卒業しましたが、授業料も僅かでしたし、それ以外の費用もなかったと思います。教育費は母子家庭でも負担できる範囲内でした。 団塊の世代では受験競争の勝者になれるか否かは本人の能力次第でした。国立大学の授業料は月1000円でした。特別奨学金と幼稚園の先生をしていた母親から仕送りで卒業できました。家内はアルバイトと奨学金だけで卒業をしました。 受験地獄と言われましたが、機会は平等にありました。国立大学では試験の結果が総てです。親の社会的地位は全く考慮されません。コネなどは効きませんから、富める者も貧しき者にもエリートコースに乗る機会が保障されていました。 一流大学には相対的に富める家庭の子弟が多くなりますが、能力が反映した結果です。むしろ貧しい家庭の子弟でも能力があれば国立大学を自力で卒業できるシステムでした。機会は平等、結果は不平等の社会が経済成長を支えたのです。 東大合格率1位は都立の日比谷高校でした。平等を求める声が東京都を始めとして学区制を採用されました。学区制の導入により公立の進学校が普通の学校になってしまいました。結果として金持ちしか通えない私立校が繁栄しました。 さらに平等を求める声が国立大学の授業料を私立大学並みにしました。授業料を考えれば、国立大学でも自力で卒業するのは不可能です。貧しい家庭の子弟は公立の進学校がなくなり、塾にも通えず、結果として受験競争の敗者になります。 平等を望む声が結果として不平等な社会を造り上げてしまったのです。人間の能力には差があります。能力のある人間には能力を発揮する機会を保障しなくてはなりません。東大合格ランキングに載る公立高校を増やす義務があります。 義務教育においても能力別のクラス分けが必要です。ホームルームは一緒に行う必要がありますが、算数などでは能力別に授業を受ける必要があります。能力のある子供にはレベルの高い授業を、能力のない子供には丁寧な授業が必要です。 日本の教育を破壊したのは根拠のない平等主義です。社会に出れば待遇は能力に応じて決まります。根拠のない平等主義を植え付けられた子供は社会に出れば混乱して当然です。大学を卒業するまで正当な評価を受けたことがないからです。 ニートの中には就職ができたのに離職をした若者が多いようです。子供の時から乳母日傘で育てられたので、社会の荒波に出会い難破したのでしょう。ゆとり教育は能力のある人間にしか意味がありません。落ちこぼれが増えるだけです。 義務教育では教育の原点に戻り、読み、書き、算盤を身に付けさせるべきです。受験勉強は単なる技術の取得であり、教育ではありません。子供の内から読書に親しませ、漢字を覚えさせ、計算を身に付けさせなければ子供が可哀想です。 教科書が随分薄くなってきたようですが、能力のある子供の勉学意欲を削いでしまいます。授業の内容を展開させる機会を与えるべきです。公立学校を卒業すれば塾に通わなくてもセンター試験に必要な学力が身に付くようにすべきです。 悪平等主義は富める者にさらに有利な場を提供します。義務教育にも競争原理を取り入れるべきです。公立の有名校を復活させるべきです。格差社会には負け組でも勝ち組になれるシステムが必要です。教育の機会均等が必要なのです。
2007/02/06
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地方首長選は自民党の1勝1敗でしたが、圧勝を予想されていた愛知県知事選では辛勝しましたし、北九州市長選では大差で負けました。無党派層の若者、女性票が民主党候補に流れました。柳澤厚労相の女性蔑視の発言の影響です。 柳澤厚労相の「(女性という)産む機械、装置の数は決まっているのだから、あとはひとり頭で頑張ってもらうしかない」という発言には内心で同調する男性もいるかも知れませんが、政治家が一度口に出してしまったらお仕舞いです。 野党の女性議員の金切り声は噴飯ものですが、怒りは理解できます。自民党の長老格の議員の女性蔑視の姿勢が思わず口からもれて出た言葉に表れています。あの発言は本心から出たものでしょう。古い自民党を表した象徴的な発言です。 安部内閣の支持率は逆転しました。安部政権は末期症状を示しています。閣僚の事務費問題、久間防衛相のイラク戦争批判など内閣の箍が緩んできています。安倍首相は柳澤厚労相を罷免し、防衛相には厳重注意を言い渡すべきです。 国民は柳澤発言に終止符を打ち、国会審議が正常化することを願っています。野党の審議拒否は55年体制への先祖返りです。自民党の支持率は下がりましたが、民主党の支持率も下がりました。民主党に政権政党の資格がないからです。 政治と金の問題にも早急に決着をつけなくてはなりません。事務費の不明瞭な使われ方には政治家の政治姿勢が表れているようです。事務費に何千万円もの支出を計上している議員もおればほとんど計上していない議員もいるからです。 民主党の小沢代表の事務費で自己名義の不動産を10億円以上取得しているのは庶民感覚とのズレが大きいと思われます。事務費に飲食費などの明らかにできない支出を計上する、不動産を取得するのを規制する法的な仕組みが必要です。 いずれにしろ、国会審議が停滞するのは好ましくありません。教育問題、労働問題などは喫緊の課題です。野党は審議に応じて、国会内で与党を追求すべきです。小沢代表の対立軸を造るための権謀術数は国民から愛想を尽かされています。 無党派層の若者が増えてきたのは政治不信の表れです。小泉前首相の側近であった安倍首相は世論の力を熟知しているはずですが、世論対策が余りにもお粗末なのには呆れます。首相が指導力を発揮するのを国民は待ち望んでいるのです。 首相就任時の高い支持率は戦後世代の首相への期待からでした。国民は古い自民党には愛想が尽きているのです。柳澤厚労相も論功行賞人事による抜擢でした。大蔵官僚に厚生労働省を任せた人事に違和感を覚えましたが的中しました。 柳澤発言は厚労相として不適であることを証明しました。安部内閣功名が辻内閣と言われ、適材適所とは言い難いのですが、総理官邸に戦後生まれの補佐官を集めました。古い自民党を象徴する内閣から権限を官邸に集中すべきです。 支持率がここまで下がれば居直るしかありません。古い自民党と決別し、新しい自民党を目指せば支持率は回復するでしょう。自民党、民社党も組織に頼る選挙では一人区は勝てません。無党派層の支持を集めた党が参議院選では勝ちます。 自民党も民社党も体制維持派と見なされています。抵抗勢力と見なされているのです。構造改革の道は半ばです。経済が回復してきた今こそ大胆な構造改革が必要なのです。特に、政界、官界の構造改革を国民は待ち望んでいるのです。
2007/02/05
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東京電力はデーターを改竄しただけではなく、検査官の前で検査を偽装さえしました。炉心緊急冷却装置のポンプが故障していたのにも拘わらず、集中管理室のメーターの回転計を作動させモーターが機能しているかのように装いました。 2002年に管や装置のひび割れなどのトラブル隠しで福島第1原子力発電所1号機が1年間の運転停止処分になっています。経営陣が事故隠しで引責辞任をしていますが、その教訓が全く生かされていないことが明らかにされました。 致命的なデーター改竄は見られないようですが、炉心緊急冷却装置のポンプが稼働しない状態で原子炉を稼働させました。これはブレーキが壊れた自動車を走らすのに等しい行為です。しかも原子炉が暴走したら致命的な影響が出ます。 原子炉の最後の安全装置は緊急炉心冷却装置です。原子炉が暴走しそうになった時に炉心に冷却水を強制的に送り込み炉を冷やします。炉心溶融を防ぐ最後の手段です。炉心溶融が起きれば炉が破壊され放射能が大気中に放出されます。 チェルノブイリ発電所が炉心溶融を興し、ヨーロッパを恐怖に陥れたことは記憶に新しいところです。もし日本で炉心溶融が起きればロシアとは違い人口密度の高い日本では数十万を越える犠牲者が出るでしょうし、経済活動は停止します。 原子炉の運転員は複数のポンプの一つが故障していても安全性が保てると判断したようですが、明らかに重大な事故に繋がる違法行為です。さらなる違法行為が隠蔽されていると地元住民、国民に疑心暗鬼が生じるのものも当然です。 私は若狭湾で日本での原子力発電所営業第1号炉、日本原電浦底発電所が稼働された時から原電の環境アセスメントをしていましたが、関西電力などの電力会社の隠蔽体質、「民に由らしむべし、知らしむべからず」を強く感じていました。 不二家で隠蔽体質が暴露され、会社は存続の危機に晒されていますが、電力会社も隠蔽による信用の損失を省みるべきです。国民の原子力発電に対する信頼感を根底から覆した責任は1企業の問題で収まらず国家的問題に発展しています。 地球温暖化が予測以上に早く進み、全地球的規模で異常気象が起きています。炭酸ガスの排出を減らすには新たなエネルギー源が必要です。火力発電に匹敵するエネルギー源は原子力発電しかありませんが、安全性に問題があります。 マニュアル通りでも安全性に疑問を感じられるのにも拘わらずマニュアルからの逸脱が隠蔽されているのならば、原子力発電所の安全性について一から議論し直さなくてはなりません。日本のエネルギー行政の根本が問い直されるべきです。 原子力発電所の情報が公開されないのならば運転を許可するべきではありません。炉心緊急冷却装置のモーターが故障しているのに原子炉を稼働させたのはレッドカードです。経済産業省は原子原子力発電所の営業許可を取り消すべきです。 世論は企業が不祥事を隠蔽したならば市場から退場させるのを求めています。電力会社は独占企業だから危機管理に甘さがあります。一罰百戒の意味で処分を受けても改まらない体質には厳罰が必要です。経営陣の引責辞任を求めます。 原子炉は運転停止処分にすべきです。東京電力に数百億円単位の損害を与えるべきです。株主訴訟で経営陣の責任が追及されるべきです。経営陣が数十億円単位の損害賠償を請求されれば電力会社の危機管理体制も様変わりするでしょう。
2007/02/02
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