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売文を生業としているとは思えないような悪文ばかりですまぬ。だが、美文ばかりがいい文章ではないのだ。むしろ悪文・醜文を以って伝えたいことを表現する方が文章力はつく。これは教えられて覚えることではなく、物書きを目指す人種なら肌で感じ取って身につけるべきスキルである。それを願って、このブログでは美文を避ける傾向にあるのだ(ぇーどんどん悪文を書き散らせ。そして表現の方法を知り尽くせ。書けば書くだけ身につくのを忘れるな。
2010/08/31
慌ただしさに流される日常。●●進行の真っ只中よりも何もないはずの今の方が慌ただしい。何かが間違っている。そんな気がする。本来なら今は一番羽根を伸ばせる時期である。だが、前倒しで入ってきた来月分がいくつかあるため、意外と慌ただしい日々を送っている。こんな状況の中にあるからか、近頃は躁鬱が激しい。もちろん深刻な状況にはない。深刻なほど鬱状態が酷かったら、こうして書くことは叶わないだろう。むしろこうやって書けるうちは心配の必要はない。それよりも慌ただしいために行なうべきことを行なえないことが心痛となっている。こちらの方がストレスである。
2010/08/30
長いこと文章を書いていると苦手な分野というのがわかってくる。その苦手な分野も大きく分けて二分できるだろう。ひとつは生理的に苦手で手をつけられないというもの。そしてもうひとつは技量的に書けないというもの。後者は残念ながら自身の技量が向上するまではどうしようもない。だが、前者なら克服することができるかもしれない。かくいう私も生理的にダメな分野があって、かつてはその分野の映画すらもスルーしていた。当然文章も書ける訳がない。しかし、生理的にダメだからといって敬遠していたら永遠に書けない。ある時から、そう考えるようになった。無論だからといってすぐに書けるようにはならない。まずは慣れることから始めた。生理的にダメな分野の映画を観るように心がけたのだ。もちろん生理的にダメに分野であるから観るのはつらい。耐えがたい心痛に耐えながら観ている。少しずつだが、何が生理的にダメなのか、その原因を考察したのだ。私の場合は、感情移入の度合いだった。登場人物に少なからぬ感情移入をしている自分に気付いたのだ。自分がその場にいたらと考えてしまうことが生理的嫌悪の原因となっていた。これがわかれば一歩前進である。可能な限り感情移入せず、絵空事と割り切ることで、以前と比べたらかなり改善することができた。完全に生理的な嫌悪感を払拭できた訳ではないが、少なくともその分野も書けるようになった。そう克服可能なのだ。
2010/08/29
日中はそうでもなかったのだが、夕刻から著しく体調悪化。暑さ負けだと思われる。たいしたことはないのだが、大事をとって今日は早めに休む。早く過ごしやすい季節になることを祈りつつ。
2010/08/28
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/08/27
別段取り立てて書くこともなく、思案に暮れる。こんな時こそ更新を休むべきなのだが、元来の性格が災いして休めない。ならば何を書くのか?それがわかれば苦労はしない。何を書いたものか迷っているから、こうして取りとめのない文章を綴っているのだ。それもまた一興。
2010/08/26
先日から報道されている新宿駅の突き落とし事件だが、マスコミは一斉に加害者を責めたてる報道し、その論調を世論の声と勘違いした警察は過失致死を傷害致死に切り換えて送検するという。こんな暴挙が許されてもいいのか?確かに過失とは言え、結果的にひとりの人間を死に至らしめた行為は許されるものではない。だが、加害者は酔っていたのだ。ビール1本とチューハイ1本程度でそこまで酔わない?なるほどアルコールにある程度の耐性を持つ人はそうかもしれない。しかし、加害者は普段ほとんどアルコールを飲まなかったという。つまりアルコールに対する耐性は、ほとんどなかったらしいのだ。下戸の人間がいきなりビール1本とチューハイ1本を飲んだら、どんなことになるか想像してみれば結果は自ずとわかるだろう。正常な判断力を持っていなかった可能性が高いのだ。つまり警察が過失致死を傷害致死に切り換えたのは些か勇み足であったかもしれない。もし勇み足でないとしたら、冒頭に書いたように大衆迎合したと見なされても仕方ないと言えるだろう。確かに無駄に日数をかけてなかなか送検しないよりは早く送検した方が心証はいいかもしれない。とはいえ、人ひとりの人生がかかっているのだ。例え加害者であっても故意でない以上、もっと慎重にことを運ぶべきであったと思う。あまりに性急過ぎて危険な気がする。【追記】この報道でマスコミが真に訴えるべきは、鉄道会社の安全対策に対する怠慢であろう。何年も先に完了するような悠長なことを言ってる鉄道会社を叱責し、利用者の安全に関わることなのだから計画を前倒しにしてでも最優先に実施しなければいけないと訴えるべきなのだ。それを言えないようでは、報道機関としての資質が問われても仕方ない。
2010/08/25
いや、マジですまぬ。ホビー系のブログが更新できないまま、日付が過ぎていく。どうにもモチベーションが上がらないことから、おのずと処理できることが限られ、その結果ホビー系のブログまで手が回らないのである。そんな自分自身にじれったさを感じつつも、どうすることもできずにストレスは溜まるばかり。それがモチベーションの回復にブレーキをかけているという悪循環。徐々に回復しているという手応えも今は感じない。こんな時にどこからか聞こえてくるのは「やめてしまえ」という悪魔の囁きである。だが、そんな声に屈したりはしない。やめるやめないを決めるのは誰でもない、私なのだ。他人に言われてやめるほど自分をなくしちゃいない。大きなお世話である。
2010/08/24
このブログに書くつもりでCSで放映されていた日本映画を観た。某テレビドラマのスピンオフ映画である。結論から言うと、ここに書くに値しない。はっきりいって及第点以下の映画であった。というか、映画として公開してお金を取ったこと自体、大いに問題ありだと思った。どんな物語であっても主人公には、その作品に惹きつける華が必要だ。それが見事にないのだ。あるのは個性ばかりである。そう、まさしく“華”と“個性”を取り違えたような映画なのだ。見終わって感じたことは「だから何?」に集約される。無論、全てのスピンオフ映画がそうだとは言わない。しかし、スピンオフ映画ならではのプラスαが求められることを送り手は決して忘れてはならない。
2010/08/23
日中の暑さにモチベーションが削がれてしまう。少しずつ回復しているはずなのに、もう少しで回復するところまでいくと一気に低下する。そんなことを繰り返している気がする。まだ少し復活までには時間を要しそうだ。それはそうと、文面がURLだけの間抜けなメッセージを送ってくる輩がいる。言うまでもないが、その手のメッセージはゴミ箱直行である。いい加減うざいので、今後もしつこく送ってくるようなら発信元のメアドを晒すかもしれない。覚悟しておくように。
2010/08/22
少しずつモチベーションの回復を図っている。もう少しで回復しそうなところまできているように思う。だが回復する前に見切り発車すると、一気に低下することが多いため、まだ予断は許さない。気は焦るが、こんな時こそ焦りは禁物なのだ。
2010/08/21
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/08/20
例によって昨日の補足。目が覚めたら忘れてしまうような夢は、綺麗さっぱり諦めろ。覚えていないと言うのは、それだけ記憶に薄いということである。夢として体感した本人がそうなのだから、それを文章として読む人には更に印象に残りにくいはずだ。そんな印象の薄い内容を文章に起こしたところで何になろう。同じ着想を得るなら、より鮮烈な印象を残す夢から得るべきだろう。忘れたら、その時はその時である。今は覚えている必要性がないから忘れるのだ。こんなものにいつまでも未練がましく拘っていてはいけない。無論そうして忘れることにも意味がある。おそらく本人が覚えていないだけで脳は記憶しているのだ。その記憶しているものは、見た夢のカタチではなく、いろんなシーンの断片だろう。それがより印象に残る組み合わせで新たに夢として見る可能性は高い。ならば不完全なカタチで無理に思い出すよりも、そのまま寝かせて熟成させた方が得策ではないか。そう、焦る必要はないのだ。
2010/08/19
時々昔の夢を見る。その多くは学生時代のものだったりするのだが、自身の学生時代とは違う。夢で見ているからかもしれないが、居心地の悪さを感じる。何か自分がその場にそぐわないような感覚と言うか…おそらくは、どこかに現在の自分を認識している部分があって、夢とは自覚していないまでも違和感を感じるのだろう。とはいえ、その夢の中で起こる様々な出来事に着想を得ることもあるので、決して悪夢ではない。むしろ起きたら忘れることが多い中、覚えていたりすると得した気分になる。忘れないうちにメモを取っておく。もちろん辻褄なんて合ってなくていい。ありのままに記録しておく。必要な時に必要な部分だけ使うのだ。そのまま使うようなことは、まずない。先日は、編集者時代の夢を見た。急遽現場復帰することになった夢である。親しかった同僚の作業を手伝い、それを終えて自分の担当個所に取りかかるのだが、上司が気を利かせてその担当個所は印刷所への入稿が済んでいるという。何ということはない、かつての日常である。無論、そんな気の利く上司ではなかったし、入稿も全部揃ってから行っていたから、現実には有り得なかった日常なのだが…所詮は夢である。流石にこれは着想を得る部分はなかったし、メモに取る必要も感じなかった。
2010/08/18
ここにきて尚一層厳しくなる暑さ。軽く体温を上回る気温は、最早猛暑と呼ぶのも生易しい。じっとしているだけでも玉のような汗が浮き上がり、滝のように流れ続ける。何もしなくてもどんどん体力が奪われていく。大慌てで水分補給を試みるが、状況は変わらない。身体から奪われていく水分・塩分が多過ぎて補給が間に合わないのだ。このままでは熱中症になる。そんな予感が脳裏に浮かぶ。急いで冷房をつける。だが無情にも冷房は効かなかった。いや、冷気は吹き出しているのだ。ただ気温が高すぎて吹き出した冷気は焼け石に水状態となってしまい、全く冷えないのである。これには、閉口した。結局シャワーを浴びて強制的に体温を下げることで発汗を抑えて水分補給を間に合わせた。熱中症の危険はすぐそばに潜んでいるのだ。
2010/08/17
相変わらず無駄に気温の高い日々が続く。この気温を何かエネルギー対策に有効利用できないものかと思う。ソーラー発電以外にも活用できそうな気がしてならない。これだけの熱量を無駄に地表に降り注がせるのは勿体無い。少なくとも私はこんなに高い気温はいらない。何よりこの気温は折角モチベーションが高くてもそれを根こそぎ奪ってしまうのだ。それがメンタルな職種の人間にとって如何に致命的かわかるだろうか?だから体温より高い気温はいらない。20℃を上回った気温は、そっくり提供したい心境である。
2010/08/16
以前「技術は後から付いてくる。臆することなく書け」といった内容のことを語ったと思う。このことを曲解した愚か者がいる。これは「技術がないからと書かなかったら上達はない。だから書きまくれ」といった意味で語ったものだ。決して文法を疎かにしていいという意味ではない。文法…文章表現する上での最低限の約束事…は、文章を書く上での基本である。これだけは、ルールに則る必要がある。何故なら、これは文章を理解するために必要な事柄だからだ。他人が文章を読んだ時に書き手によってそのルールがバラバラだったら本人にしか理解できないものになってしまう。つまり他人に読んでもらう上での決まり事なのだ。だから文法だけは守らなければならない。そして「文法は技術にあらず」ということも忘れないように。いうまでもないことだが、日本人であるなら改めて(日本語の)文法を学ぶ必要はないだろう。これまで生きてきた年月、日常生活の中での会話や読んだ本から自ずと身についているはずだから。万が一にも身についてないと思うなら、世にいう名作文学と言われるものを一通り読破するといい。理解できたなら、間違いなく身についているだろう。全く理解できなかったと言うのなら、それは今まで人として身につけるべきことを怠ってきた証拠だ。理解できるようになるまで何冊でも読むといい。この読解力をつけるということは、同時に文法を理解しているということなのだ。文法を(例え皮膚感覚であっても)理解していなければ、読解はできないのだから。
2010/08/15
すまぬ。ホビー系のブログが更新できない。本来なら「お盆進行も終わり、うちのお盆は7月に既に済ませたのでお盆休みはまるまる休みに費やせてウハウハ」となるはずだったのだが…どういう訳がやらなければならないことが山積していて、全然休めない。とりあえず優先順位の高い順に片付けている次第。ブログの更新は、かなり優先順位が低いので、まだまだそこまで手が回らないのだ。というか、掛け持ちでブログやってるのが間違いなのかもしれん。うーむ。困った…
2010/08/14
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/08/13
天気予報によれば、台風の影響で関東も激しい雨に見舞われるはずであった。だが14時現在まだそんな様子はない。時折パラパラッと小雨が天気雨のように地面を濡らすだけで、すぐ乾いてしまう。本当に激しい雨は降るのだろうか?空を見る限り、降りそうに思えないのだが…
2010/08/12
世の中には救い難い愚か者がいる。殊に他人の迷惑になることを誇らしげにやるような輩。決して誰も誉めないというのに。むしろ軽蔑されるだろうに。そんな唾棄すべき連中に罰が下ることを予見しておこう。それ即ち“因果応報”である。
2010/08/11
時折降る雨。このまま天候は回復するのかと思うと、また降る。そんなはっきりしない天気の繰り返し。雨の分、気温が低いかと言えば、さにあらず。湿度が高いため、蒸し暑さが倍増したように感じる。まったく鬱陶しいことこの上ない。疲労困憊した身体にこの陽気は辛すぎる…
2010/08/10
夕方某局の報道番組を見ていて驚いた。そのニュースは「中央区にある重要文化財に相当する建築物が解体されようとしている」というもの。例によって役所の文化遺産に対する認識のなさを示す内容である。問題なのは解体作業が明日からという点だ。世論に訴えて区政を動かしたいという意図あっての報道のはずなのに、何故今頃報道するのか?相手はお役所である。夕方のニュースで知らされてもその日はもう終わっている。翌日には解体作業が行なわれる。せっかく世論に訴えたにも関わらず、これでは間に合わないではないか。もっと前から報道できなかったのか?いや、できたはずである。おそらく彼らはわざと報道しなかったのだ。とりあえず世論に訴えたというポーズだけ残したかったのだろう。無論そこには「お上とことを構えたくない」という放送局の意図が感じられる。それゆえに世論が動けない時間を狙っての報道としたのだ。実はこの放送局、以前にも問題報道をしている。近隣住民に危険を伝える報道で、あろうことかその危険の原因となった神社の利益を優先して地名を伏せるという本末転倒な報道をしたのだ。しかも良識ある視聴者がその旨を注意しても謝るどころか開き直る始末。こんな調子では、この局の他のニュースの信頼性も著しく落ちると言わざるを得ない。せっかく報道を売りにしているのだから、もっと公正な報道を心がけてもらいたいものである。
2010/08/09
さて前回まで書き連ねた触発(インスパイア)されて書き出した作品だが、その発表のタイミングは熟考しなければならない。例えばAと言う作品があったとしよう。そのAと言う作品にインスパイアされて書いた作品を仮にBとする。同じようにAと言う作品にインスパイアされて書かれたCと言う作品が既に発表されていた場合、発表のタイミングを見誤るとCと言う作品にインスパイアされたものと思われてしまう。一度そんな印象を持たれたら、いくら作者がAと言う作品にインスパイアされて書いたと主張しても受け入れてはもらえない。本来ならCと言う作品と同列に語られるべき作品がそれよりも一段低く捉えられるのだ。これは作者にとっても不本意だろう。同人誌的な言い方をすれば、二次創作に位置付けられるべき作品が三次創作と見なされる訳である。それでは、本来インスパイアされたAと言う作品への思い入れが充分に伝わらないばかりか、不当に評価される可能性が高い。そのような状況は、可能な限り回避すべきだろう。つまりはタイミングである。誤解を招く時期の発表は避け、発表時期を遅らせるのだ。無論それでも誤解する輩はいるに違いない。しかし、他のインスパイアされた作品と競合するよりはいい。インスパイアされたと思われるならまだしも下手をしたら盗作したという、あらぬ疑いをかけられる可能性も否めないのだ。そういうことも含めてリスクは避けるに越したことがない。焦らずとも必ず発表の機会が訪れることを信じて堪えるのだ。
2010/08/08
前回の補足だが、誤解のないように言っておく。模倣がいけないのではない。インスパイアが模倣で終わることがいけないのだ。模倣したなら、そこで終わらずに、自分自身の中でそれを血肉とし、己の言葉で再表現する。それが大切なのだ。そこまで至らないのなら、模倣する意味はない。それは単なるコピー、わざわざ読むほどの価値はないだろう。そうならないためにもインスパイアされたものから自分が惹かれたエッセンスを吸収して、自分なりに再構築することが重要となってくるのである。そこに至るまでは、おそらく山のように読む価値もないコピーをこしらえるかもしれない。だが、臆するな。それは、誰もが通る道なのだ。どんどんインスパイアされよう。それは感性のよさの証しなのだから。そして、いずれ読む価値のある、コピーでない代物を産み出せるようになった時、その道を通らなかった人に大きな差をつけている自分に気付くはず。
2010/08/07
おおよそ物書きと呼ばれる人種は、普段の生活の中で常にアンテナを張り巡らせていなければいけない。そして素直に感動できる心と、喜怒哀楽をモチベーションに昇華する術、更に視覚と聴覚から入ってきたものを自分の糧として再構築できるだけの引き出しを備える必要がある。これらを育むためには、ある種の知的鍛錬が効果的かもしれない。それは「書くこと」である。なんだというなかれ。当たり前のことを当たり前のようにする。それこそが力をつける近道なのだ。この時にできるだけインスパイアされたものを自分のスタイルで再表現することを心がけよう。よく「模倣から」というが、あれは間違いだ。模倣しているだけでは先に進まない。大事なのは、それらを如何に咀嚼して自分自身のものにできるか、なのだ。同じものを表現するにしても100人いたら100通りの表現がある。それを忘れることなく、自身の表現を志して欲しい。
2010/08/06
本日及び明日の二日間、諸事情により更新休止。
2010/08/04
暑さというのは容赦なく体力を奪う。熱中症に備えて防備を固めていたが(熱中症にこそならなかったものの)大きく体力を消耗した。聞けば、この暑さしばらくは続くという。当分体温と同じかそれを上回る気温が続くという訳だ。この陽気に正面から立ち向かうなんて無謀なことはしない。残された体力を温存し、消耗した体力の回復に努めるべく、当面は「睡眠」を最優先事項とする。
2010/08/03
暑い日が続く。気付けば、来週には残暑見舞いへ切り替わる時期である。慌ただしく過ぎていく日々の中、時折どうしようもなく不安に駆られる。これはフリーランスならではの宿命であろう。己の技量一本にすべてがかかっているのだ。そこには何の保証もない。どうなっても自己責任となる世界なのである。だからこそ、機会は逃してはいけない。堅実な一歩を踏むことも忘れてはいけない。例えその歩みがどんなに遅くても…
2010/08/02
最近は世の中が慌ただしく、人々の心も荒んでいるように思えてならない。こんな時代だからこそ風流とか粋を楽しむ心を持ち続けたい。そして、そういった伝統や風物詩を行政は全力で守らなければいけない。そこに住む人を守るというのはそういうことだ。それが税金を取っている者の使命のひとつだということを忘れてはならない。人の心を忘れた行政に文化を語る資格はない。放っておいたらどんどん失われていく、そういったものをそのまま失わせてしまってはいけないのだ。それは人の心が失われていくのに等しいことだから。
2010/08/01
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