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愛は時間を忘れさせ、 時間は愛を忘れさせる。古いドイツの諺です。
2010/11/30
昼過ぎ何気に地上波を見ていたら野沢那智追悼特集で「アラン・ドロンのゾロ」を放映していた。懐かしくなって観ていると、いきなり吹き替えが違う。どうやら1989年に吹き替え直されたバージョンのようだ。旧吹き替えの方が馴染み深い私には、どうにも聞いていて居心地が悪い。結局途中で観るのを止めた。ちなみに舞台となる地名の“ニューアラゴン”までイタリア語読みの“ヌオーヴォ・アラゴナ”に改められているのには呆れた。原語に忠実にするのは結構だが、既に定着している地名の読み方まで変えるのは如何なものか。かえってわかりにくくなってしまうのではないだろうか?こういう部分は杓子定規に処理せず、臨機応変に対応してもらいたいものである。
2010/11/29
昨日は、とある立食パーティースタイルの集まりに出席した。普段から散歩を日課とするぐらいだから健脚には自信がある。会は5時間近くに渡って行なわれるが、それぐらいどうということはないはずだった。だが、現実は違っていた。ほとんど歩き回らずに立ちっぱなしというのが、これだけ堪えるとは…会が終わる頃には、すっかり疲労困憊してしまった。初めて立ちっぱなしの仕事をした時のことを思い出した。そんなことから今日も一日中足が疲れた状態で過ごす。明日には回復するよう祈りつつ…
2010/11/28
infoseekというレンタルサーバーを持っているのに競合他社のレンタルサーバーの広告を載せる楽天の真意がわからない。敵に塩を送るほど繁盛しているようには思えないのだが…
2010/11/27
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/11/26
毎年のことだが、年賀状の準備が見事に年末進行と重なる。どちらも自分ひとりで決められるものではないので、時期をずらそうにもずらせない。どうにもならないのだ。こればっかりは職業上の宿命かもしれない。他の物書きも同じ苦しみを味わっているのだ、そう考えて頑張っている。
2010/11/25
こんなことを書くと意外に思われるかもしれないが、私は図書館や古書店をよく利用する。これは、物書きを生業にするようになってからも変わらない。よく「自著が売れないのは図書館や古書店のせいだ」とわめき散らす馬鹿者を耳にする。本当にそうだろうか?いや、違う。売れないのは作品自体に魅力がないからだ。自著の魅力のなさを棚に上げて他人のせいにしているだけである。本当に作品に魅力があったら、手元に置きたいと思うはずだ。しかも他人の手垢にまみれていない新品で欲しいと考える。それが普通である。そこまで至らないのは、間違いなくそうするだけの価値をその作品に見出せないからなのだ。少なくとも私はそうである。図書館で初めて存在を知った作品が気に入って書店を何軒も梯子して捜し、ようやく発見して購入に至るというケースが何度もある。もちろん捜しに捜しても見つからず、実は絶版ということもある。その場合は、やむなく古書で我慢する。或いは、古書店で初めてその作品の存在を知って、試しに買って読んでみたら面白かったので、新刊で買い直したということもある。そう、図書館にしても古書店にしても入口なのだ。普通の書店では気付かなかった(当たり前だ。刊行される書籍全てが並ぶ書店なんてない。書店の仕入れ担当の眼鏡に叶ったものしか店頭には並ばないのだ)作品に巡り会う機会だと思う。そのチャンスをみすみす握りつぶすなんて、愚か者のやることである。図書館や古書店を否定する物書きは、自分で自分の首を締めていることに気付いていないのだ。
2010/11/24
今日は、妙に慌ただしい。だが悔しいのは、この慌ただしさが年末に進行由来した慌ただしさではないことだ。よいことではないかと思う人がいるかもしれない。とんでもない。「仕事以外の雑事で慌ただしい」というのは「一銭にもならないことで慌ただしい」ということなのだ。決して誉められたことではない。昨日も書いたが、エンジンがかかるまで時間のかかるスロースターターなのだ。そして今まさにエンジンをかけるべき時なのである。ホラー映画によくある場面で喩えれば、迫ってくる怪物から逃げ出すのにエンジンをかけなければいけないのになかなかエンジンがかからない、そんな場面だろう。早くエンジンがかかるよう共に祈って欲しい。
2010/11/23
年末進行に突入した。が、実感はない。無理もない。まだ11月である。しかも初日だ。実感などなくて当然であろう。そのせいか、今のうちはまだ余裕がある。問題は余裕がなくなってくる後半だ。そうならないように今のうちから進めておけばよいのだが、そう簡単にはいかない。頭の中で考えるようには進まないものなのだ。ましてやスロースターターな私は、エンジンがかかるまでに時間がかかる。さて今回の年末進行はどうなることやら。
2010/11/22
「LOST」ファイナルシーズンの最終回「終幕(後編)」を観た。まだ観てない人もいるだろうから物語の内容には触れないでおくが「なるほど、こんな終わらせ方もあるのだな」という締め方であった。ある意味反則ではないかと思わせる部分やなぜこうなったのかと思う部分はあるものの、そして描かれずに終わった部分も多少はあるものの、それらは想像して楽しむ余地を残してくれたと思いたい。そして、何より多くの余韻を残した感動的な終わりでもあった。先週の「終幕(前編)」と通しで観ていたら、もっと深い余韻が残ったのかもしれない。前後編通しで観れる環境にある人は、ぜひ連続して観てみて欲しい。その方が感動は大きいに違いない。
2010/11/21
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/11/20
文章書きを生業にしていると、普通の人では気にかけないような何気ない言葉にも心を巡らせてしまい、なかなか言い出せないことがある。殊に普段から言葉の重さを自覚しているだけに余計その傾向は高い。言葉や文字を操る職業ならではの職業病だ。こればかりはわかっていてもどうにもならない。いや、どうにかなるようではプロ失格なのだ。それぐらいに言葉の重さを自覚し、言葉を大切にする。そういったことが物書きの資質を左右すると言ってもいい。そんな物書きの立場から言わせてもらえば、最近の政治家の言葉の軽さには呆れ返る。「その発言がどんな意味を持ち、周囲にどのような影響を及ぼすか、考えて話せばいいものを」と思えてならない。物書きであるなしに関係なく、もっと言葉を大切にして欲しい。想いを伝える、かけがえのない手段なのだから…
2010/11/19
百貨店と観光地の飲食店は、手放しで誉められる店が少ない。そんな中にあって、なかなか美味しい店を見つけた。このエントリーのタイトルにもした「そば処 天信」である。初めて行く蕎麦屋では大抵ざる蕎麦を食すのだが、店内に漂う蕎麦つゆの香りは何を頼んでも問題なしと本能に告げる。経験上、蕎麦つゆの出汁の香りが一定の基準を満たしていれば、ざる蕎麦を頼むまでもないのだ。で、今回は揚げものの完成度を測るべく「穴子天丼御膳」を頼んでみた。これは、穴子の天丼に小鉢の蕎麦が付属したもの。注文からおおよそ15分程度で出てきた。比較的空いている時間帯を選んだのが幸いしたようだ。蕎麦は見たところ、更科であった。が、見た目に反してかなりこしがある。聞けば新蕎麦だとか。どうりで美味い訳だ。さて続いては天丼である。穴子は大きめのが3切れ、大葉と茄子の天ぷらも乗っている。油はかなりよいものを使っており、思ったほど油っこくない。たれが少し甘い気もしたが、これは個人の好みだろう。容器がかなり大きく感じたが、ご飯を浅く敷いているので第一印象ほど量は多くない。手頃な分量である。ちゃんと食後に蕎麦湯を出してくれるのも好ポイント。よく注文と一緒に出す店があるが、あれはよくない。食事し終えて蕎麦湯を飲もうとすると、すっかり冷めているのだ。やはり食事が終わるのに合わせて出してくれるような心配りができる店を選びたい。そうそう。書き忘れていたが、出されたお冷が水ではなく、水出しの蕎麦茶だった。これが実に美味い。口当たりは麦茶に近いものの、ほんのりと蕎麦の香りがする。レジのところで売っているのも欲しいという人が多いからだろう。久々によい店に巡り会った。また行きたいと思う。
2010/11/18
昨日今日の二日間とある報道を見てて呆れ果てた。某俳優の妻が自殺した件である。妻の自殺にも舞台に穴を開けないその俳優をさも役者の鏡であるかのような論調。おまえらの目は節穴か?仕事に勤しんで家庭を顧みず、結果的に妻を自殺に追い込んだ男がそれでもまだ仕事をしていることを平気で誉める神経。良識を疑った。同情の余地などないではないか。自業自得だろうが。むしろ同情すべきは残された子供だろう。母は自殺し、父は仕事で家にいない。他人に委ねられる養育。その残された子供の気持ちを察したら、舞台に穴を開けないことが決して誉められたものではないことは明白だろう。いや、むしろ舞台を放り出して子の元へ駆けつけるのが親ではないのか?応援してくれるファンや共演者、それに舞台の関係者を思って続けるというのは一見すると美談のように聞こえるが、とんでもない。役者である前にひとりの人間なのだ。そんな人間として当たり前のことができない役者に本当の演技ができるのか。大物ぶって偉そうにしているが、本当に大物なら舞台を放り出して子の元へ駆けつけているに違いない。どんなに周囲の人間に迷惑をかけようが、どんなに多大な損失を出そうとも、誰も責めはしないはずだ。故人を、そして我が子を少しでも大切に思うのなら、そうして欲しかった。それゆえ、今回の報道を見て、その役者を誉める気にはなれない。一連の報道を見て、私は気分が悪くなった…
2010/11/17
ベランダの植物の手入れがてらベランダの清掃作業をした。普段はやらないところまで徹底的に清掃した。作業終了時に疲労困憊して何もできなくなるほどだったことからも察して欲しい。疲れたがやり遂げたという達成感はあった。たまにはこんな日もいいものである。
2010/11/16
今月分の入稿を終えた。早め早めの前倒しで片付けてきたのが幸いした。それゆえ、昨日は最終チェックのあと、別途執筆に時間を割くことができた。その執筆の影響で興味深い夢を見ることができた。無論この夢は、その執筆作品を彩るだろう。いい意味での循環である。こういうのは大歓迎だ。
2010/11/15
情け容赦ない時間の流れに翻弄される日々。かつて無限にあった時間は失われ、刻々と残り時間が減っていく。焦り。そして、後悔。だが今更どうなるものでもない。毒を食らわば皿まで、である。信じる道がやがて開けることを信じて進むのみ。その積み重ねが展望を開くのだ。
2010/11/14
先日深夜こっそりと地上波で放映された「超能力名探偵ボビー」なる作品、鑑賞した方はいるだろうか?ひき逃げされて死んだ男の霊が憑りついたために超能力が使えるようになったボビーが元刑事の探偵と事件を解決するという、割と安直な題材のコメディである。とりあえずミステリーの体裁をしているので、あらすじは書かない。だが、何よりすごいのは、この作品全体を貫くセンスである。極めて自主映画っぽいのだ。特撮にしても(それなりにお金はかけているものの)使い方にセンスがなく、これまた自主映画を髣髴とさせる出来であったりする。もちろん、れっきとした商業映画として作られているのは言うまでもない。ただ、そんな中にあってラストシーンはきらりと光る。見てよかったなという気分にしてくれる締めくくりなのだ。このラストシーンを見るためだけに自主映画的な物語を我慢するのもたまには悪くない。
2010/11/13
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/11/12
今日は、モチベーションが高い。今朝見た夢が実にインスピレーションを刺激する内容だったことが大きい。こんな日はそうやたらとない。機を逃すことなく、今宵は執筆に勤しむとしよう。
2010/11/11
このところの朝晩の冷え込みは、本格的な冬の到来を思わせる。だが、日中の暖かさには、冬と呼ぶには抵抗がある。これだけ気温の高低差が激しいと、自律神経には多大な負担がかかる。そう、体調を崩しやすいのだ。殊に世間では風邪が流行っている今、うっかり体調を崩して抵抗力が減退したら、あっというまに風邪のウィルスの餌食である。躊躇せずに朝晩には暖房を使って体調の維持に努めたいものである。
2010/11/10
どうしようもなく眠い。現在、睡魔と激戦中。もはや文章を書く余力もない。これを脱するには睡眠しかない。仕方ない、仮眠しよう。
2010/11/09
ようやくホビー系ブログの更新ができた。この三ヶ月に隠された受難のエピソードを簡単に書いただけだが、更新しないよりはマシだろう。何となく吹っ切れた、そんな気がする。ようやく前方を覆っていた霧が晴れ始めたというべきか。何にしても再始動である。
2010/11/08
近所のマンションの防災訓練で貴重な睡眠を妨げられた。それゆえ、必要以上に眠い。防災訓練が必要なのはわかる。だが、朝っぱらからやる必要はあるのだろうか?せめて昼過ぎからにしてもらいたいものである(何
2010/11/07
例によって激しく眠い。昨日は深夜映画を見ながら寝てしまった。それだけ疲れているのかもしれない。今日も日記を書いているうちに気がつくと舟を漕いでいる始末。こんな日は、ぐずぐずせずにとっとと寝るべきだろう。
2010/11/06
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2010/11/05
妙に慌ただしい一日であった。一息ついたのが今さっきなのだ。朝からどれだけ慌ただしかったのか、察して欲しい。一息ついたとはいえ、慌ただしさはまだ終わっていない。おそらくこの日記を書き終えても終わらないだろう。この慌ただしさが後日蓄積する疲労の第一歩と化すのは言うまでもない。
2010/11/04
昨日早めに床に就いた甲斐もあり、今日はすこぶる体調がいい。そんな中、今朝も着想を得られる夢を見ることができた。そういう意味でも幸先がいい一日だった。毎日こうあってくれると有り難いのだが。
2010/11/03
このところ体調が不安定である。よいと思えば急に悪くなったりする。その原因は、おそらく気温と思われる。自律神経が気温の変化についていかないのだ。こればかりはどうすることもできない。せいぜい室温をなるべく一定に保つぐらいである。あとは抵抗力が落ちないように大事をとって休養に努めるぐらいか。いずれにしても用心に越したことはない。今日も早めに休むとしよう。
2010/11/02
某有名SNSに日記を書いていて極めて不愉快なことを体験した。システム的なものかもしれないが、だからといって決して承服できるものではなかったため、本日は休筆とした。こちらのブログでも以前似たようなことがあり、書く気をなくしたこともある。メンタルな仕事柄、気を削がれることはどんな些細なことでも受け流せるものではないのだ。それゆえの休筆である。
2010/11/01
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