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ミチコさんの別れたご主人が、「旅なんてもんは、違うベットで寝て、違う場所でものを食うだけだから、家にいたって大した変わりは無い」とかのたまったそうだが、そうではあるまい。やはり産地のものを、その場所で食べる楽しみは違う。景色の違う所で、その土地の人達と食べるのは、最高である。おにぎりでも遠足で違う場所で友達と食べるのと、家で食べるのでは違う。(ハワイアンレストランで出た、ロミロミ。こりゃ、化け物だ!) 今回の旅でも、カーメルで、みっちゃんやチューさんと食べた幕の内弁当は格別であり、デイリー・シティーで食べた、炭焼きのししゃもや茄子の田楽も、ラーメンも大変美味しかった。ふくろうさんの「お気に入り」カナダの中華レストランもグーッド!レディングと言う、シャスタ山に近い町の、つまらないチェーン・ストアの、脂っこいバーベキュー・リブや、ワシントンの辺鄙な山中の入り江で食べたカキフライでさえ美味しく思えたのも旅ゆえにだろう。ヴァンクーバーのクリフローズ亭でも、とれたてのカニ、タラ、甘エビなどは最高だったし、ビクトリアで、サービス満点の高級料理を暖炉の前で食べた時は金持ちになった気分であった。 そして、以外に美味しかったのが、ヴィクトリアからワシントン州までのフェリーの中で食した、「手作りです。一切科学調味料はつかってません」という野菜スープ。カナダ最後の紙コップの食べ物であったが心身共に温まった。 しかし、何が一番嬉しかったかと言うと、チエコさんの手作りの[ちりめんじゃこ]とか、[梅干]であった。チュウさんの選んだワインを飲み、こういうものがあれば、私は他に何もなくても、ご飯を何杯もおかわりするのである。(★Chu-hiさんは、ヴィンヤード勤務でワイン専門家) そして、デザート!! ノリコさんの手作りの練り羊羹は、味といい舌触りといい、『虎やの羊羹』も顔負けの玄人肌。これを、ふくろうさんからいただいた緑茶でいただけるのだから、私は何という幸せ者であろうか!「お土産に」と、チエコさんが、塩鮭の切り身やら、燻製、ちりめんじゃこ、山椒の佃煮、手作りのブルーベリー・ジャムなどを、大きな発砲スチロールの箱いっぱいに詰めて下さってまるで、玉手箱のようにきらきら光っていた。その光は、私の心のなかで、もっと、もっと大きく広がって行った。「ああ!旅っていいなあ~、人との出会いっていいなあ~」
2009.04.30
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旅の話は、ちょっと休んで、帰宅してからも毎日忙しく出歩いていて、写真がどんどんたまっているので、今日は日本からの泊り客の話をしましょう。30年くらい前に、ラグナ・ビーチに、はじめて日本からホームステイの学生達がやってきました。その頃学校で、活動していた私のところにも依頼が来て、講習会に出かけ、我が家でも一人受け入れることにしました。それが、ナオコです。その時は、3週間だけでしたが、いつか添乗員になって世界を周るのが夢だと言うので、「3週間じゃ英語など覚えないから、1年いらっしゃい」と言って、一度帰国して、又、短大卒業後に友達と、やってきたのです。その二人を、小学校のボランティアーとさせて、毎日まだ、小学生だった我が子供達と4人分のお弁当をつくってスクールバスで通わせたのです。その間、私は二人に運転も教えたので、免許をもって、英語も堪能になって日本へ帰り、旅行会社の添乗員となりました。その頃から世界を飛び回ってますからもうベテランです。そのナオコが10年ぶりで先週、我が家に来ていましたから、あちこち彼女に懐かしい場所に連れていきました。「私はシークスピアと同じ誕生日」というので、その日は、海の前にあるリッツ・カールトン・ホテルのお茶に連れて行きました。そして夜は、この辺でトップ10に入ると言われる日本レストランで、お寿司を食べたのです。私でも、たまには、おしゃれをするので、見てください。こんな格好、めったにしませんから、貴重品ですよ。きゃはは! でもね、こういう格好は苦手で、家に帰るとすぐジーパンに着替えます。こんな母親ですから、娘も全く同じです。★ナオコは、もう帰国し、これからスペインに行くみたいですが、折り返し今度はフランス、そしてまたスペインとか。。。。次々に仕事がまってるようです。それで、滞在中は「ヒロコさんフランス語教えてください」と、ノートをとって、毎日勉強していました。彼女は仕事用の言葉なら、少しずつイタリア語、スペイン語も話すみたいです。
2009.04.29
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旅の楽しみ・美やっぱり、旅の楽しみの一つは、景色だとか、異なる文化とか、美なども含まれるだろう。飛行機と違って、車の旅はその点、じょじょに変わる景色を充分楽しめる。乾燥した南カリフォルニアの砂漠風の景色から、雪山になったり、川が流れていたり、オレゴンに近づくにしたがって、材木を積んだトラックが目についたり、周りの野山が緑色に変わって来る。オレゴンから北の方は、やはり雨が多いのであろう、南カリフォルニアのような埃っぽさがない。カナダでは、スタンリー・パーク、クウィーン・エリザベス・ガーデン、ブッチャートゥ・ガーデンで、沢山の花を見た。ま、「百聞は一見にしかず」であるから、これ以上書くまい。(ミクシイには、この倍掲載してあります)
2009.04.28
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旅の楽しみ・道連れ一人で運転と言っても、途中から従姉妹のミチコさんと二人になったから、サンフランシスコからカナダの往復は道連れがあった。前にも書いたが、彼女とは二十歳位の時にJR周遊券を買って北海道を一ヶ月も旅したことがある。考えてみるに世の中を何もしらなかった、うら若き時代で半世紀も前の話だ。今では、彼女は三人の孫までい、二人とも英語の世界に日本で暮した倍以上の年月住んでいる。 二人だと、話し相手がいる楽しさは言うまでもないが、運転しながら、電話をとってもらったり、かけてもらったり、地図を見る必要もなく、前もって調べておいたものを読み上げてもらえる上に、モテルやガソリン代も半分になるから経済的でもある。モテルや、レストラン選択は全部彼女にまかせた。何故なら、私は5星ホテルでも木の下で寝袋でも寝られるが、彼女はちょっとの音でも駄目。カナダのクリフローズ亭では、素晴らしいアンティークの置時計が秒を刻む音で寝られなかったし、デレックの家でも、隣のバイクの音で起こされたそうである。私はどちらも知らなかった。彼女が電気をつけて本を読んでいようと、テレビをつけていようと、横になったら数分で寝てしまい、翌朝まで起きない。食べ物も私だったら、場末の屋台でも、5★リッツでも結構。一流でも手掴みでも楽しんで食べるからである。 ミチコさんは昔から責任感の強い優等生だったから、彼女と旅をすれば、迷子になることはまずない。気の毒に、間違えまいと地図と首っ引きのようであった。私なら、目的地10マイル前くらいまでは地図など見ず、のんびりラジオを聞いたり、本を読んだり、寝たり、CDで一緒にうたったり景色を楽しんだりするだろうが、彼女は律儀に、「もうちょっと行くと、○○という町を通って、その次が○○」「あと60マイルで、道が二つに分かれるけど、それを○○の方に行っちゃ駄目」「休憩所まであと○○マイル」と、詳しく報告してくれるし、質問も出来るから、カーナビより便利であった。ただし、オフにすることは出来ないから、もう分かっていることでも彼女の報告を何度も聞くことにもなる。 彼女のおかげで、無事にサンフランシスコからカナダの旅は終わったが、我が家から彼女の家までの往復1600キロは私一人。ところが、これが、ちっとも苦にならない。その理由は音楽という道連れがあり、さもなくば、何時間でも「ぼけー」っと瞑想にふけるのも好きだからである。 私の車には、CD6枚までが入るので、それを全部聞くと4、5時間かかる。二回目が終わらないうちに家についてると言うわけだ。そして、そのCDの、ほぼ全部、個人的に繋がりのある人のもので、例えば、娘のウクレレ・バンドのCDだったり、友達のアンジェリコが指揮するクラシックの交響楽団もの。彼がアメリカ公演に来た時に土産としてくれたものである。彼は、ユーゴスラビア一番のバイオリン奏者から、第一バイオリニストになり、やがて指揮者になり、交響楽団を引き連れてヨーロッパ中を回ってるが、アメリカに来た時に電話があって、招待された。私を「ママヤパンカ(日本の母)」とよぶ、クロアチアのジュリーの家で一緒にバーベキュー・-パーティーをしたり、一緒に小旅行をした仲間である。留学生のジュリーを一年預かって出来た繋がりで、同じザグレブ音大であったが、ジュリーは今音楽博士で、オランダ出身の音楽博士のマアテンと結婚してアイルランドにいる。他のCDとしては、ブログ友達のものも何枚か購入している。ハワイのジャスミンこと千代さんや、ニューヨークのChristeaこと、春日ひろみさん等のCDも車に入れてある。ひろみさんの、ジャズ・ピアノのタッチは、とてもパワフル。。。どこにあんなエネルギーを隠し持っているのかと思うほど、華奢な体であるが、彼女の弾くのを聴くと、いつの間にかウキウキして運転する手先も体も動いて来て良い眠気覚ましにも、運動にもなった。http://www.hiromikasuga.com/http://mixi.jp/view_community.pl?id=1678265千代さんのは、自作自演で、穏やかなスピリチュアル系で聞いてると、心が落ち着いてくるが、眠気覚ましには無理。www.chiyomusic.comこのように、自宅とサンフランシスコの往復の道のり、1600キロは、音楽という道連れがハンドルさばきも軽くしてくれたのだった。(あなたにも、おすすめで~す)
2009.04.27
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人との繋がり・ヴィクトリア(まず入ったお茶屋で、アッサムとアールグレーを買った)私の姑は、イギリス生まれカナダ経由のアメリカ人であった。母親が再婚してカナダのホワイト・ロックという所に住んでいたので、姑は毎年カナダに車で旅をし、その土産に必ず、英国の紅茶を沢山もって帰ってきた。丁度わたしが、日本へいくと緑茶を沢山持ち帰るのと同じである。その紅茶の一つに、タイフーという名前の紅茶があり、アッサムのように、とっても濃いものでこれを、彼女と二人で『お茶の時間』に何十年も飲んでいたため、義母が亡くなってからも、それが飲みたくて探し回った。30年住んでいた、ラグナ・ビーチのマーケットにあった時期もあるが、経営者がかわってからは無くなってしまい、去年、娘が「ハリウッドでみつけた」と言ってクリスマスにくれたのが、ちょっと残っている程度だったので、カナダで、どうしても1年分くらい手に入れたかった。「ヴィクトリアでは、エンプレス・ホテル以外にどういうとこが見たいですか?」とピーターに聞かれた時、「お茶屋です!」と、即座に答えると、「まかしといて!このダウンタウンにあるお茶屋なら全部知ってるから」と言った。(エムプレス・ホテルのお茶屋でも買った)(ホテル内のハイティーは、人がちらほら)ところが、4,5軒いっても、どこにも無く、ついにあきらめて、他の茶を買い「時間も、惜しいからもう結構ですよ」といったのに、彼が諦めず、「いや、英国のものばかりを売ってる店が、もう一軒あるから」と、最後に連れて行ってくれた所にあったので、4袋も買ってしまった。三箇所で買った分けだから、二年分くらいの紅茶になってしまったが、茶大臣になれてうれしい。(やっと見つけた、英国屋は、駄菓子やのようだったが、タイフーがあった)それにしても、初めてあう見ず知らずの私にここまで親切に、しかも、駐車する場所が大変だからと、彼らの車であちこち奔走してくれたのだから感謝の心でいっぱいだった。「お礼に、ケーキとお茶をごちそうしたい」と、平日でも込み合ってるティーハウスを選んでお連れした。込んでるところは美味しいのを知っている。「南カリフォルニアには、ちょくちょく帰るから、その時にはまた、是非おあいしましょう」と言って別れたが、短時間に沢山話が出て、翌日アメリカに渡るフェリーに乗ったときには、もうピーターからの「お会いできて、とっても嬉しかった。フェリーには間に合いましたか?」というメッセージが、ミチコさんの携帯に入っていた。旅が終わって帰宅したら、私のコンピューターにもメールが入っていて、会社を発足することになったかが、漢字で日本名をつけたいので、手伝ってくださいというメッセージが入っていた。私も、即、お礼と社名のアイディアをいくつか書いて送った。この新しい繋がりは、もう芽を出し始めたようである。人の繋がりは、人生の旅・・・・この世を繋げる見えない糸である。その繋がりいかんで世の中が変わって行くのであろう。そして、その秘密は、個々の手中にあるのだと、しみじみ思った。(人との繋がり編は終わり)
2009.04.26
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人との繋がり・ヴィクトリア・アイランド(★前回のブログで、スペンサー・パークと書いたのは、スタンリー・パークの間違いでした。失礼!)ビクトリア・アイランドと言えば、ButchartGarden(ブシャートゥまたは、ブッチャートゥ・ガーデン)と言う、巨大な植物園。クルーズ・シップの客も来るカナダ名物の一つ。長い、寒い、冬の寒さから春を待ちかねた花たちが一斉に咲き始めるのは、4月の半ばくらいからであるから、我々はちょっと早めに着いたが、決して安くない入園料も無駄ではなかった位、満足させてくれた。ここには、娘が一歳の時に来たことがあり、その強い印象が忘れられずに、今度の旅の目的地の一つとした。ミチコさんは、数年前に豪華船の旅で、アラスカに行く途中でここに寄った時の、ハイ・ティーが忘れられずに、どうしてももう一度、そのレストランで食事をしたいというので、入り口でお昼の予約をしておいた。そこで、ピーターとグレースという夫婦と待ち合わせることにもなっていた。実は、この夫婦に会うのは初めてであり写真すら見たこともない。ミチコさんの行く小さな教会に来る、イギリス人のアマンダと言う人から、「ヴィクトリアに行くのなら、もう絶対に会ってほしい人がいる、好きになること間違いなし」と、太鼓判を押されて紹介されたカップル。ピーターはイギリス人で、グレースは沖縄系三世だということの他は、どんな顔をしてるのか、皆目見当がつかない。ブラインド・デートのようなものである。(相手の顔も知らないで、初めてあうデート)近頃では、北米にはミックス・カップルが増えて来ているので、それらしき人たちが次々に近づく。30分過ぎて、「先に食べ始めましょうよ」と、ミチコさんが言った時、「あ、きっとあの二人だと思う」と、私がそれらしきカップルがレストランの入り口にアプローチするのを指した。ハワイに住んでいた時代によく見た、沖縄系の顔立ちの美人である。「はじめまして」まず、ピーターが日本語で言うと、「彼の方が、日本語がうまいのよ。ワタシは、チョットダケ、ヘンナ、ニホンゴです」とグレースが、自己紹介した。彼らはJPL(ジェット・プロポーション・ラボラトリーといって、宇宙に打ち上げるロケットなどの研究や設計をする研究所)で勤務していた人達で、10年くらい前に南カリフォルニアから引っ越したのだという。そこはIQが可なり高い人でないと入れないのを私は知ってるから、二人共頭脳はトップ級に属す筈である。グレースはオメデタなのでちょっと、ふっくらしていたが、若い頃はさぞ美人だっただろう。彼らは、この植物園の会員パスで、一年中いつでも来られるから、そこでは食事だけして、ヴィクトリアの町を案内してくれる事になった。(続く)
2009.04.25
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人との繋がり・北バンクーバー今にも、雨が降りそうなどんよりとした日だった。“Welcome! She has been waiting for you for a long time!”(ようこそ!彼女はあなたの事、首を長くして待ってますよ)クリフローズ亭から日帰りでフクロウというブログ名のMさんに会いに行った日、ハイウェイを出て左に曲がった途端に、こんな男性の声が、頭の中で聞こえた。「あ、どうやらフクロウさんのご主人が、ここまでお迎えに出てきたようだわ」と、ミチコさんに言ったら、「え?」と、不審な顔をした。 私は、小さい頃から、予知夢をみたり「さわっちゃだめ!」とか七曲の山道を運転中「次の角に動物の死体があるから注意」とか不思議な声を良く聞くのだが、どうやら、動物本能が進化してない部分があるらしい。その霊感には波があり、全く夢も予感も無い期間が長く続く事もあったり、反対に来だすと次々に押し寄せて来る事もある。近頃は、わりに飛び飛びになっていたので、この「声」にはちょっと驚いた。「あのね、フクロウさんのご主人、つい最近お亡くなりになったばかりなの。どうやら、彼女の家に近いみたい」「あら~、そうなの?それで、待ちきれなくてここまで知らせに来たってわけね」私の霊感のことは、昔から承知のミチコさんの事だから、別に驚きもせず、「じゃあ、もうすぐだわ」と言った。その通り、そこから100メートルもしないところに、彼女の家があった。(おおえてます?私は168センチですよ!)「こんにちわ~~~。来たわよ~。ついにあえたわね」「あ~~、遠路はるばると、ようこそ」とフクロウさんがドアを開けながら「どうぞ」と我々を招きいれた。「今さっきね、あなたのご主人の声で、ウェルカムって、聞こえたのよ。不思議でしょ」と言ったら、彼女も驚かずに「あ!それは主人でしょう。彼もヒロコさんに会うのを楽しみにしてましたから、きっと迎えに出たんですよ。私の事心配で、まだ、この辺にうろついている見たいですよ」と笑いながら答えた。カーメル編で書いたみっちゃんのように、このフクロウさんも、悲しみをぐっとこらえて、ポジティブな態度でいる。そうでなくば、本人も残された子供達もつらくなるのを私は知っている。日本から、お母様が二ヶ月ばかり訪ねていらしてるので、心身ともに可なり助かっていると思う。親とはありがたいものである。フクロウの置物が玄関の外側においてあるだけでなく、ドアを開けると、真っ先に目に入ってくるのは、おびただしい数の「ふくろう」のコレクション・・・・これで、彼女のブログ名になったゆえんが分かる。http://mixi.jp/show_friend.pl?id=230451フクロウさんは、昨日のチエコさんと同じ位のときに、日本語のチャットで知り合ったのだが、可なり重度なオペラ・ヲタクで、プロの解説者になれるのではないか、と思う程のオペラ知識がある。学校で、指圧の先生などもしていたが、兎に角医学に関しても、可なり詳しいので、私の「辞書」的友達であり、分からないことがあると彼女に聞く。私は、歳が下だから恥ずかしくて聞けない等と考えたことは一度もない。自分が成長するためには、知っていそうな人なら誰にでも聞く。話をしていて、分からなかったら、「それは、どういう意味ですか?」と聞く。知らないことは、知らないという。此れほど楽なことはない。人がどう思っても、私はかまわない。この世には、何億という人がいて、皆、何かしら考えているわけで、そんなこといちいち気にしてるほうがバカらしいではないか。何はともあれ、彼女に色んな事を質問しているうちに友達になっていた。そもそも、ミクシイに招待してくれたのも、彼女であるから、今回書いている紀行文のブログ仲間繋がりは、元はと言えば、この人から始まっているわけで、逆にいえば、この人とのめぐり合いを大事にしなかったら、ここに出てきた多くの人との繋がりも、これを読んでくださるあなたにも繋がらなかったのである。「私も、お会いしたかったなあ」リビング・ルームに飾ってあった、オーストリア出身の、苦みばしったハンサムなご主人のご遺影を見た時に自然にそういう言葉がでた。フクロウさんからは、もう、何年も前に、息子さんやお二人の写真を送ってきていただいているし、個人的にいろんなエピソードを聞いていたからである。日本ではないので、お線香を上げるとか言う習慣もないから、「おかげさまで、迷子にならずにすみました」と、心の中でご冥福を祈り、近所の中華料理やで昼食をした。「主人も私も一番すきな中華料理やです」と、彼女が勧めるだけあって、上等の味がした。帰りがけに、お母様から「すずかのお茶です」と、ミチコさんと私に、お土産をいただいて、スペンサー公園を見学しながら、クリフローズ亭に戻った。
2009.04.24
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人との繋がり・バンクーバー(国境)「あ、ちいさん。今ね国境にいるの。3時頃つくと思っていたけど、税関待ちに1時間かかりそうだから、遅れそう」デレックの家から、カナダはバンクーバーのクリフローズ亭http://www.cyanagitani.com/B&BCliffrosetop.htmまでの道のりを、食事や休憩もいれて計算し、午後の三時には着くと、チエコさんに知らせておいたが、国境近くの掲示板に[○○の入り口は待ち時間○○分]という出たのをみて、カナダは「外国」だった事を思い出す。無論パスポート持参ではあるが、メキシコに入る待ち時間はゼロなので、計算を間違えた。国境を越えても、メキシコに入るような違和感はなく、言葉も同じ、風景もワシントンの続きのようで、国旗を除けば全部英語の看板だし、アメリカと同じチェーン・ストアーも、あちこちに見る。ただし時速70/kmと書いてあっても、脳はそれをさっきまでの続きで70mileと読んで、115キロのスピードで走ってる自分に気づいて、はっとすること、しばしば。チエコさんは、「ここからアメリカが見える」という、自分のオフィスから、私の車を見たのだろうか、車を止めると空まで届くような階段の上の玄関前で手を振っていた。「きたわよ~!」と手を振ると、彼女は日本式にお辞儀をした。彼女のことは前にも書いたことがあるから、簡単に書くが6年くらい前に「ヒロコさんのウワテがいるよ」という紹介でチャットし始めた人である。彼女は、未亡人になり還暦前後にもなってカナダに移民をした。普通なら、もう自分の国から離れたくない歳であろうに、カナダに来て、英語を勉強し始め、絵を教え、大きな家を買って民宿にした。花園、菜園で沢山の草花を育てては、その野菜を使って料理したり、裁縫などは素人顔負け。ちょっとした家具の手作りなどもし、家のカーテンなども、全部自分で縫ったようである。その上、文学方面でも只者ではなく、本も数冊出版してるつわもの。少々セッカチのところがたまに傷だが、そのセッカチが元で友達になったのだから、人生は何があるがわからない。それは、ある時、私の美術一般論を誤解してかってに怒り、抗議文を書いて来たことがある。文章が立派だったので、そのままにしておくという手はないと思い、「一般論であって、あなたの絵の批評をするほど、あなたの作品など見てない。勘違いも甚だしい」と言うような説明をしたメールを送った所、「あ、なんだ、そういう意味か。怒ってそんしちゃった!」との返事が来たので、その場で噴出して即座に好きになってしまった。 ある日、彼女がカナダから食材持ちでやって来て、「あなたは、そこでピアノでも弾くなり、本を読むなり休んでいなさい。台所にははいらないように」と命令して、初めて見る我が家のキッチンと切れない包丁をつかい、一人で割烹なみの夕食を作ってくれた人でもある。「あなたのブログを読んでる人が、この辺にもいるから、その人達を招いてパーティーをやろうと思って」と言ってたように、ついた日の夜は、とれたてのカニのご馳走に舌鼓をうちながら、適当に酔いの回った9人で、わいわい、がやがや、大笑いをしながら、日本語だけでクリス・ローズ亭の夜は賑やかに楽しくふけていった。ここでも、二人のカズコさん、ノリコさん、セツコさん、マリエさん、マサキさんと、また新しい人間との繋がりがはじまった。それぞれの人生に、彼らだけの物語があるが、母国をあとに、海外に出てきた人々だけに通ずるものもある。それは独立心、辛抱強さ、たくましさ、開拓者精神などであり、どんな人種とでも、交じり合っていく社交性でもあろう。今後この繋がりがどう転回していくのかは、神のみぞ知るで、楽しいではないか。★クリフローズ亭の写真は、このサイトの日記をごらんください。ワシントン州の最南端からぶっ続けで運転してきたので、可なりむくれてしまい、目が腫れてますが、何枚か写真があります。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1136162989&owner_id=3657235★今、月曜から、日本からの泊り客があって、毎日楽しんでいます。
2009.04.23
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オレゴン北部からワシントン州に入ると、やたらと桜のようなピンクの木が増えてくる。それでいてそばで見ると、幹は桜でも、梅でも、桃でもない。我が家にはネクタリンの木があったから知ってるがネクタリンでもない。なんという木かしらないが、兎に角、桜並木を思い出させるものが野山にも、フリーウェイ、ハイウェイ、人家の庭、並木と、ふんだんに咲いていて目を楽しませてくれる。今日泊まるところは、デレックと言って、私のことを「ママ・ナンバー・トゥー」と呼ぶ子で、私も彼の事を「サン(息子)・ナンバー・トゥー」と呼んでいるが、このデレックが中学生位のとき学校では問題児として扱っていた。小学校までは、弱虫で、余り目立たなかったのだが、中学位からどんどん背が伸びたいていの先生までを見下ろすような大男になった。後で知ったが、その頃、両親が離婚したらしく、しかも可なり強烈な夫婦喧嘩の続く暗い毎日だったらしい。その辺から、この熊のようなデレックは勉強もせず、ガキ大将になり何人かの子分を連れて、校内をカッポし、他の生徒をいじめたり、物を奪ったりして全校を震え上がらせていた。他の父兄からも、その噂を聞いていたが、そのデレックがある日我が家の玄関先に現れた。「ブルックに会いたいけど、いる?」と、私を見下ろした。彼の後ろには、いつものように目つきの悪い子分達が控えていた。私の息子は彼とは正反対、品行方正で成績もよく皆から好かれていたから、このコネクションが分からなかった。息子の部屋に呼びに行くと、不思議な顔をしたが、別に嫌な顔もせずに玄関でデレックと話していた。どうやら彼の壊れた自転車を直してほしいと、頼みにきたようで、息子は快く、ガレージを開けて招きいれ、トンカチ、ぐいぐい、とものの数10分後には直してしまった。それからというものは、このガキ大将が、息子を崇め奉るようになり、我が家に出入りするようになったから、人生とは愉快である。(私が168センチだから、彼の高さがわかるでしょう)私は、私で、台所の手伝いをさせたり、力が必要なときはデレックの手を借り、段々家族の一員になって行った。私がピアノの練習などしていると、そばでじ~っと聞き入るようなこともあった。ドイツから移民してきた家族で、クラシック音楽がすきだったようで、ずっとあとになってクラシック・ギターを弾くようになった。その内に、我が家に住むような格好になり、子分は消えデレックが息子の子分になった。高校になると、休みのたびに二人でキャンプ道具を車につんで、アメリカ横断の旅など、何度もしていた。兎に角彼は成績がかんばしくなかったから、学校側から、「大学進学は無理でしょう」と、へんな太鼓判をおされていたが、「絶対にそんなことない」と、毎晩息子が数学や科学を教えて一つだけ受かった大学がオレゴンにあった。こういう成り行きで、デレックはオレゴンを愛するようになり卒業後、一年くらいカリフォルニアに戻って息子の家に住んだりしていたが、結局はオレゴンで結婚をし、離婚をし、住居をかまえることになった。本来のデレックは心優しく、正直、親切で、誰があっても一目で好きになるような男である。「何度も自殺しようと考えていた中学時代に、ブルックとヒロコにめぐり合って本当に感謝してる。それから、人生で初めてローンを出してくれたのは、ヒロコなんだ。覚えてる?」と、デレックが言った。金遣いが荒く、借金だらけになっていた頃、私の古いボルボを彼に譲り、「いくらでもいいから、毎月払える金額を決めて、必ず払い終わるまでつづけなさい」と言ったことがあるので、そのことかと思ったら、そのもっと前にどうやら、プラモデルの材料費を私が出してやった事があったらしい。すっかり忘れていた。(息子の妙名だそうである)そのデレックが、昨年、カリフォルニアから合流した母親の出費で一緒にコーヒー・ショップを開いた。ところが、まだ新しいショッピング・センターである事や、この経済不況も手伝って商売はかんばしくなく、我々に良いアイディアが無いかきいた。「店の片隅で、クラシック・ギター弾いたら?」とか、「どこかの団体に割引クーポンをくばったら?」とかミチコさんと二人で提供するアイディアを彼は、熱心にノートに書き留めていた。その時、ひらめいたのが、昨日ジェーンの家で予期せぬ再会をしたクリスの事である。「カイ覚えてる?」「覚えてるさ、中学時代の子分の一人だよ」「あれ、そうだっけか。カイがこの町に住んでるの知ってる?ハーレー・デービッドソンのスペシャリストだってよ」と言うとデレックがひっくり返るように驚いた。「え!信じられない!じゃ、明日早速あの店にいってみる。この町には、バイク・ショップ一軒しかないし、バイカーが良く立ち寄ってコーヒー飲んでくれるんだよ」と言った。「じゃ、バイカー割引とかいう、クーポンをつくって、カイのところに置かせてもらったら、どうだろう?」と、提案すると大喜びをしていた。 人の繋がりというのは、こういうことである。
2009.04.21
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(サラダを作るジェーンと飲み物を用意するアレック)(たくさんある、トイレの一つ)(オール・イン・ワンの大きな部屋)私には、毎年クリスマスと誕生日に、手作りのカードを送ってくれるジェーンという友達がいる。息子同士が同級生で、30年くら前から色々な行事で一緒にボランティアをやってた仲間で、特別仲が良かったわけでもない。だからどいういう、きっかけであったかは思い出せぬが、私の50歳のバースデー・パーティーに彼女も来た。そしてその時から、ジェーンは私に必ずバースデー・カードを送って来るようになったから、かれこれ17年も続けている事になる。 最初のご主人が歯科医で、彼女はインテリア・デザインの仕事をしており、いつも雑誌から抜け出たような素敵な家に住んでいた。彼女が離婚をした時は、町中でびっくりしたと言っても過言ではない程、小さな海辺の町だったから、のちに私が離婚したニュースも、電光石火のごとく広がってジェーンに報告するまでのことは無かった。その内に、ジェーンはアーキテクトの英国人と再婚し、海辺の町の家はそのまま借家にしてロンドンに引っ越してしまった。 私が30年の結婚に終止符をうって、一人になった時、自由の身で、ヨーロッパをあちこち歩き回った旅の一つ、スコットランドでの結婚式に参加した帰りにロンドンのジェーン達の家に泊まった。大きなレンガの建物で、「学校のようだなあ」と思っていたら、中央の入り口に「○○女学校」という銅版が掲げてあった。その建物を買った人が分譲した時、彼らは講堂に使ってた部分を買い、改築して住んでいた。老後は南フランスかオレゴンかどちらかに決めかねていたのだが、ある日、「オレゴンに土地を買った。ここに家を建てる予定」という知らせが来た。メールの度に「家が建ち終わったけど、いつくるの?」と聞くので、今回の旅は、ジェーンの家によることにした。本来なら泊めてくれるのだが、たまたま泊り客が来ることになっていたので、我々は昼食だけをしに立ち寄った。(遠くに見える森のところまでが、彼らの土地)大きな土地をかって、老後の家を建てたと聞いた時は、千坪くらいの土地にこじんまりした家を想像していた。オレゴンは雨が多いから、緑もおおい。熊や鹿が出そうなくねくね道を行けども行けども家らしきものが見えない。携帯で何度も連絡しあってやっとついて、驚いた。何の変哲もない簡単なゲートを下ると。20エーカー近くの、見渡す限り緑と森のなかに、これまた巨大な家が建っていた。「いくら、オレゴンはカリフォルニアより土地が安いと言っても、一体こりゃなんじゃ?」とふざけて質問したら、「隣、近所から覗かれないから」とは、恐れ入った。兎に角、プライベートな場所であるから、マスター・ベット・ルームには、カーテンもない彼と彼女用の大きなガラス張りのシャワー・ルームが左右にあり、真ん中にバスタブがあった。「私、シャワーだけは彼と別じゃないと、いやなの」と、ジェーンが贅沢な事を言った。クローゼットと言えば、まるで、モールのブティークのようで、ドアも無く気の遠くなるような数のジーパンやら、シャツ、セーター等ががかかっていた。「ねぇ、ちょっと、これ見て。どっちがジェーンの棚なの?なんか皆同じみたいねえ」と、ミチコさんが口を抑えて笑ったくらい、夫婦の着るものの差が少ないように見えるのも、現代の特徴だろう。「この家、ロンドンのあの女学校を改築した家に似てるわねえ」と、私が言ったら、ご主人のアレックが驚いて、「え?よく気づいたね。僕、あのデザインが気に入ったもんであれを頭にいれて、設計したんだ」と、得意顔になった。「ほら、あそこに小屋みたいなもんが、見えるだろう?あそこが境界線」ベランダに出て、望遠鏡が無かったら見えないくらい遠いところを指して、アレックが言った。「あそこに、ひらめいてる旗はなんなの?」と、私が、土地調査のしるしみたいに、ひらひらしてる小さな旗の線を指して聞いたら、その下に長波の電気が流れていて、ペットの犬サニーがそこより遠くへ行けないようになっているのだ、と言った。気取らない、チキン・サラダとフランス・パンだけのお昼がでるちょっと前に、もう一人のクリスという女性が入ってきた。「きゃ~~!とまり客って、あなたの事だったの?」と私が、ハグすると、「え?ちがうわよ。私達のほうが、ジェーンより先に、この土地に越して家を建てたのよ」とクリスが答えた。「実は、クリス夫婦と我々は仲良しだもんで、結局はオレゴンで隠居生活をすることにしたのよ」と、ジェーンがさえぎった。クリスの息子も、我々の息子達と同級生だったのである。「カイはどうしてる?」と、クリスの息子の消息を聞いたことから、又、これから目指すワシントン州での、不思議な繋がりが出来たのである。
2009.04.21
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(ミチコさんの孫)従姉妹のミチコさんとは、二十代の時、北海道の周遊券を買って、一月かけて旅をしたことがある。本当はおじいさん同士が兄弟なので、「またいとこ」になるのだが、ある理由で従姉妹でもあるので、従姉妹とよんでいる。戦争で疎開していたために、互いを見つけたのは高校時代からで、会った途端に仲良くなり、現在に至る。彼女の家に泊まりに行くと、同じ布団のなかで「将来アメリカに行こう」という夢を朝まで語り合い、叔母に「まだ起きてるの?早くねなさい」と叱られたものであるが、昭和のあの貧乏時代に、二人共、数年内にその夢を叶えたもので、夢の可能性を信じるようになった。(ミチコさんの息子一家)私は、アメリカに来る運命にあったのか、自分の努力のためかわからないが、筆頭の北海道旅行の観光バスの中で知り合った旅行中の外国人のグループの一人に一目ぼれされたのが始まりであった。その頃、ボーイフレンドはいたから、私はその男性から逃げるような格好であったから人生とは面白い。二年の文通後、私が結婚して1964年の春ハワイに引っ越した時、最初は私がホームステイをする筈だったサン・フランシスコのスポンサーの所に、同じ年の秋にミチコさんが行った。つまり二人共、もうアメリカに来て45年になる。そのスポンサーは、私の叔母の勤めていた銀行のクライエントで、ゴールデン・ゲート・ブリッジや、湾を見渡せる数十階建てのビルを持っている大富豪であった。私がハワイで大学生の夫と小さな一部屋で間借り生活をしていた時、ミチコさんのアメリカでの生活はその湾を見渡すペント・ハウスの一室から始まったのである。もし私が結婚せずに、そこに行っていたら二人はどういう人生になっていただろうか?と考えると実に面白い。このように叔母もサンフランシスコに住んでいたので、この45年間に私は何度もこの町に来ている。その上、明治時代にはカルテックスに留学していた祖母の兄(大叔父)が遊びにいったサンフランシスコで、大地震にあっているから、我が親族は1906年からこの町に縁がある。以来ミチコさんと私は互いの知人を紹介し合い、人との繋がりがどんどん広がって行った。そして十年もたてば、ミチコさんの友達は、私の友達にもなってくるので、シスコに行くたびに会う人が増える。今回は更に、彼女の教会で知り合った人からカナダの友達まで紹介されたのである。その話は後で書くとして、この町に来る時は、もうツーリストではないから、ミチコさんの日常にあわせ、彼女の子や孫に会いに行ったり、日曜なら教会にいったり、彼女が外出中は留守番をしたりする。(サシミさんの家からシスコの湾がみえる)ちなみに、今回もおなじみのミホコさんと、トシミさんに会ってきた。ここからは、カナダまでミチコさんと旅をするので、鉢植えの花のお守りをたのみに、トシミさんの家にもって行った。彼女は、日本で20冊くらいの出版物を出してる作家、この夏は英語でアメリカでも出版の予定がある。我が家に遊びに来た折、グレッグが、トシミでは覚えられないから「サシミ」というあだ名を付けられた人である。もう一人のお友達、ミホコさんは、日本では音楽学校で声楽を学んだ人。私達より一回り上で、私のことを妹のように可愛がってくださり、私のつたない電子本などでも、全部読んで「がんばってね」と、法外なお小遣いをくださる。行く度に、レストランに連れてって下さり、彼女もそれが楽しくて仕方が無い様子なので、いつも、ありがたくご馳走に預かっている。どういうわけか、ここでも「ろばた」という韓国人経営の日本料理屋に行った。我々は45年前のカリフォルニアの和食事情を知っているから、近頃のような日本食ブームは夢の又夢に近く、感謝のし続けである。こんなに長く外国に住んでいてもやはり日本食が一番好きだから・・・ さて、明日はオレゴン。どんなめぐり合いがあるだろう?「あ、私、まだ旅の仕度してなかった!これからバッグを詰めるのよ」とは、いかにもミチコさんらしい。
2009.04.19
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世の繋がり・1今の世の中は、自宅のパソコンの前で、指先一本で世界中の人々と知り合える。誰にも見えないのを良いことに、起きたての見苦しい格好で片手にマグをもってお茶を飲みながら、ロマンチックな事や、さも美しい光景などの話を書いたりする事もある。私にはブログをやる前から、大勢の友達がアメリカにいるが、ブログを始めてからは、その輪がさらに広がって行くのが分かる。今度の旅では、そういう昔からの友達やら、新しい時代の出会い方でめぐり合った人々を訪ねる事も目的の一つであった。そして、全く計画外の飛び入りの人々との出会いもあった。先月、メキシコの旅に出る前に、娘に勧められて、face Book(フェイス・ブック)というサイトの会員になったのだが、帰宅したら音信不通だった前夫の親戚や、友達に見つけられて短期間に40人くらいが仲間になっていた。私がカナダ旅行をすると書いたもので、「遊びに来て」「近所まで来るなら、会いに行く」という人が増えて、「会う人リスト」が長くなってしまったから、まだ知らせてなかったカナダや、オレゴンに住む友達には会わぬ事にした。(店内に入ると、ここがアメリカなのを忘れる) まず最初に立ち寄ったのは、クリント・イーストウッドが市長をやっていた、カーメルという海辺の町。カリフォルニアでも十指の中に数えられる高級地。間違ってメイン・ビーチのダウンタウンの方に行ってしまったが、不景気風もなんのそのツーリストでごった返していた。そこから南に逆戻りする形で一時間遅れてやっとみつけたのだが、「ろばた」という日本料理のレストランで、マネージャーをやっているみっちゃんから、我々はランチをご馳走になった。旅の初めから、もう美味しいものを食べ始めたから、帰宅したら2キロも増えていた。お気の毒な事にみっちゃんは勤務中だったので本来なら昼休みでも電話に出たりで、さぞ大変だったと思うがChu-hiさんと私は大声でしゃべりまくった。「主人は、生き物が大好きで、子供の頃・・・・・」と、ご主人の昔話を面白おかしく話してくれた。何でも、野原で見つけた天道虫があまりにも可愛く綺麗だったので、ポケットにいっぱい詰め込んで、それでも足りなくて鼻の穴にも詰め込んで呼吸困難になり、救急病院にかけつけたとか。その際、自分の命より、ドクターにピンセットで穿り出され死んでしまった天道虫が可哀想だと泣き出したのだそうで、今だから爆笑したが、当時、彼の母親としては気が気じゃなかっただろう。彼にもおあいしたが見るからに善人とう方で現在は水族館関係の仕事を手がけていらっしゃる。ユーモラスなChuさんは、そういう話を真面目な顔でたんたんと語ってはニヤリとする一緒にいて楽しい女性。みっちゃんは、普通の人だったら気が狂いそうな程悲しい目に何度もあっているのに、「泣いたって元に戻るわけでもないし・・・・ね。それなら笑って生きてる方が良いに決まってるもの」と、じょーだんまじりで笑い飛ばす、人生を悟った人。彼女の前では、私も微笑んでいたが車に乗って一人になった途端に、みっちゃんを思って涙が出た。彼女のようにスピリチュアルに強い人が大好きである。笑顔が私の祖母に良く似ていて、抱きしめたくなるように、愛おしい人。この飾り気の全くない二人との出会いからも、教わる事は沢山あった。スピリットの先生に年はない。「人間は、死ぬまで勉強よ」と、良く言ってた祖母を思い出した瞬間であった。この二人に幸あれと、心で祈って、サン・フランシスコの従姉妹の家へと向かった。
2009.04.18
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そりゃ変わるだろう 私は、40年近く前にアッシュランドという、小さな眠そうな田舎町を訪れたことがある。矢張りカナダまで車で旅をした時に立ち寄ったのだった。その時は、カナダに住む前夫のおばあさんを訪ねる旅で、娘のジュンがまだ一歳であった。アッシュランドはシャスタ山からちょっと北へ行ったオレゴンの町で、夏はシェークスピア祭で賑わい、現在、宿などは一年先から予約しないと無いと聞いた。 埃っぽいその町には、薄汚い家がちらほらと建っていて、汚れた格好の子供達が、自転車に乗ったり、犬を追っかけたり、フットボールなどをして遊んでい、デニーズのチェーン店が一番人気のあるレストランだったように覚えているが、今では色とりどりの新築の人家が行儀良くたっていて、洒落た高級ブティークや画廊が立ち並び、私などには手も出ないような商品が置いてあるツーリスト・タウンと化していた。この辺鄙な場所に、日本のすし屋まであるのには正直驚いた。 シェークスピア祭は、その頃からあったが、40年前は、その町の中央にあった、だだ広い何の変哲もない公園の隅に日本の祭りのときに一時的に作る舞台のようなものが建っており、そこで素人演芸のようなシェークスピア劇を見せていた。今ではその面影さえない。公園は、素晴らしく設計され、その舞台があった場所には鯉のいる池などがあった。その裏側のちょっと小高い丘に、イギリスのシェークスピア劇場をモデルにした、トゥルドー・スタイルのエリザベサン劇場がお城のようにそびえ立っていた。変われば変わるものである。そりゃそうだろう、40年とも言えば、その時赤ん坊だった娘が来月は40歳になるのだから。 そうか、私もあれから40も年取ったわけである。こりゃうかつにしてはいられない。考えれば、この旅を思い立ったのも、「我が人生に悔いなし」の方針を貫く一つであった。この町が変わるように、娘が変わるように、本に例えれば私は最後の章に入ってきているのである。どんな本でも「まとめ」が大事であるから、我が人生のまとめもおろそかにはすまいと、アッシュランドに来て、思った。
2009.04.17
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全走行距離5000キロ!ただいま~~!昨日、朝10時にサンフランシスコの従姉妹の家からやく800キロ、ぶっ通しで運転して帰宅しましたからリュウマチもあってハンドルを握っていた手がコチコチにかたまった感ありです。旅の半分くらいからグレッグから「食べるものがなくなったよ、いつ帰ってくるの?」というメールが毎日入っていたので、帰宅早々、荷を投げ出し二人でお寿司やに行ってきました。ま、兎に角、走った、走った!車のウィンドシールもフードも昆虫の死骸がべとべとに張り付いて、毎回洗い流しましたが、今日は洗車をしましょう。従姉妹の運転では怖いので(慎重過ぎて危ない)一人で運転したわけで、南北縦断じつに5000キロ近くつっ走って来ました。(3025マイル)一人で運転した最高記録です。「人間は死ぬときにやったことの悔いより、やらなかった事の悔いの方が多いと言うからね、やりたいことをやり遂げた!」と、板前さんとグレッグの前で言ったら、グレッグは「ウェル・ダン!よくやった!」と、喜び、板さんは、「え~~~~~!!そ~んな距離を一人で、ですかっ!」と驚いてました。これは自分の67の誕生祝いでもあったのです。人間、やろうと思えば結構、色んなことが出来るものですね。(ミクシィには動画も入ってます)旅の話は、じょじょに書きますが、まずはシャスタ山や、その途中の湖などを見てください。たまった仕事が山とあり、ピアノの生徒も来るし、月曜からは日本から妹分のナオコ(30年前に我が家に1年ホームステイした女性)が、1週間遊びにくるので、その仕度・・・といっても、大掃除があります。そういうわけで、出発前の書き込みへの返信は省かせていただきます。全部読ませていただき、感激しています。こういうお心使い、とっても、とっても嬉しいのです。ありがとうございました。
2009.04.16
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やっぱり古い女昨夜、大量のPeas & Oats soup(6,7種の豆と大麦のスープ)と、ビーフ・スチューを作っている時のことです。(8~10人分)「明日何時にでかけるの?」「明日じゃないわよ、あさってよ。だからグレッグの為に沢山食べるものをつくっておくのよ。もう冷凍庫には10種くらい電子レンジで出来るものも入ってるからね」「あさってか、さっさと出かけてくれればいいのに。ヒロコがいなくなったら、せいせいする」とにくらしい口をきいてます。でも寂しいのでしょう何度も何度もキッチンに入ってきては味見をしたり、じゃまをします。「それは、ディナー?」「いや、私が旅をしてる間のあなた用」「・・・・でいつ帰ってくるの?」「さあ、13,14,15日のどれか」「何だったら、もっといていいんだよ」「強がり言って。携帯に電話ばかりしてくるんでしょうに」「するもんか!」まあ、こんな会話でした。やっと作り終わって、私は洗濯物をしたり、ピアノの生徒のしたくをしていると、さっき朝食をすませたばかりのグレッグがお腹すいたから、シチューを食べてもいいかと聞いてます。「いいけど、私の留守中用なのよ」「いや、沢山あるから」ダイニングに行ってみたら、おおきなボールにいっぱい食べているところでした。そして、昨夜は「スープにするんだ」と、朝つくったスープを食べてます。何のことはない、4,5食、用意しようとおもっていたのに、冷蔵庫にしまおうとしたときはあと一食分しかのこってませんでした。どうやら私が見ていないときに、何度もおかわりをしたようです。(これも8-10人分くらい)それで、明朝はやく出発するので、また、今日は彼の為の食料買出しに行かなければならなくなりました。やっぱり、私は、古い日本女ですね。★明朝6:30くらいに出発して、ブログ仲間のみっちゃん、Chu-hiさんと、Carmel by the seaで昼食のよていです。家から、6時間ちょっとかかるでしょう。そこで、数時間休んで、従姉妹のいるサン・フランシスコ近辺に行きます。そこで二泊、かやさん、みーちゃん(ブログ前からの昔の友達)と逢い。従姉妹と、シャスタ山に向かいます。途中で、前夫の姪が会いたいというので、お昼。その晩は山の見えるところで一泊。翌日はユージーン・オレゴンにいる30年来の友達ジェーンと昼食して、ワシントン州の第二の息子の家に泊まります。その翌日は、カナダで、ブログ友のCliffrose亭に二泊。彼女がマイミクを集めオフ・パーティーをやってくれるそうです。日帰りで、ふくろうさんにも会いに行きます。そして、ビクトリア・アイランドに二泊。そこからは気の向くまま、海岸線をとおって、1~3泊自由に決め、又従姉妹の家に戻り、一泊。翌日帰宅します。合計10日くらいのたびです。では又。お元気で。
2009.04.03
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いいから、すぐ来い!こう書くと、皆さん「又、グレッグが何かやらかしたな?」と思うでしょう?私も、「また始まった!もう、昨日でこりごりよ~!」と二階から怒鳴り返しました。「いいから、来てごらん、いい香りだよ」「何が?」「中庭のジャスミンが花盛りだよ」グレッグの声が中庭から聞こえたので、窓をあけると、あま~~いジャスミンの香りがフワーっと部屋中に漂い、私の心もメロメロ。中庭に入って強烈な香りを嗅ぐより、ちょっと離れたところでほんのり香ってるほうが好き。これは、フロリダにお住まいのブログ仲間のメグさんが、数年前に送ってくださったものです。どんな理由で送ってくださったのか忘れましたが、2インチ四方の小さな鉢に入った10センチ位の苗だったのです。それが、グレッグの手にかかるとこんなになってしまいます。これは、私には真似出来ないのですよ。この中庭は二つの部屋と、ガレージから入られるようになってますが春になると、グレッグが色んな種を蒔き夏ごろはまるでジャングルのように、草花で一杯になります。例えば、お茄子とか、トマトとか、豆、野菜類は裏庭に植えるとリスと、ウサギに全部食べられてしまうので、ここで育てます。蛾や、青虫がはいらないように上に網の天井をとりつけたのは私ですが、去年、私が日本にいる間にねずみが穴をあけてしまったので、今日はその修理をしました。植木鉢の棚も私が一人で作ったものです。ね、うまくしたものでしょう?私が器用にあれこれ大工や便利屋する分、彼が「花咲かじいさん」で、私は庭には、一切手を出しません。時々、花瓶に花を入れといてくれるのも、グレッグです。旅支度をしようと思っても、次々に用事が出来てしまうものですが、やることは全部片付けて出かけるほうが楽しめますよ。人生すべてそう、伸ばし、伸ばしにしてやらないと、いつまでも気になるものでしょう。このように、時として嬉しい「今すぐ来い!」もあり、ジャスミンを数本手折って、台所の流しの前とか、トイレにおきました。ですから家中、ほんのりとした良い香りが漂っています。
2009.04.02
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ヒロコー!今すぐ来い!宇宙風呂の最後の仕上げで忙しいっていうのに、グレッグが呼びにきました。「なによ~、緊急じゃないなら、終わるまで待ってよ!」「ライトボックスが壊れたから、仕事にならない、今すぐ修理してくれ」このライトボックスは、娘が中学くらいのころから自宅でアニメを作っていたときに、前夫が桜の木で作ってくれた物ですからもう、かれこれ30年近いしろもの。彼はエンジニアでしたが手先が器用で、それは素晴らしい手鏡とか宝石箱とか良く作ってくれました。娘が2年生の時、郡のチェスのコンテストでチャンピオンになったときには、紫檀と紅葉の木でチェスセットまでつくったこともあります。娘が大学の映画部にはいったころは、もう、大学に本物のライト・デスクがあったので、使用しなくなったわけで、それをグレッグが貰い受けたわけです。そういうわけで、どうやら古いスウィッチがショートして、じゅうたんを焦がしたというのです。「コンセントをまず抜きなさい」と言ったら、それはもうぬいてあったのですが、白いじゅうたんが黒こげになってました。それで、いつもなら車で行くのですが、運動を兼ねて歩いて金物やまで部品を買いにいき、新しいコードに、スウィッチも取り付けて修理したわけです。「バッチリ直したわよ、でもね30年前と違って新しいのはオン・オフだけでなく強弱の3段階になってるから、そのつもりでね」「うん。ありがとう!」彼はソファーで横になって本を読んでます。「分かった?試してみてよ」「うん。分かった。この章を読み終わったら行く」そして、数10分後に・・・・「お!ついた!でも、問題あり!」「どこに?」「電気がうっすらとして暗い。これじゃ駄目だ!」「だから、強弱になってるって、言ったじゃない」「え?聞いてないよ・・・・おおおおおおおおおお!すごい!今までより明るいや!」「じゃ、早速つかうのでしょう?朝からせかすから、私の仕事ほっぽって途中で修理したんだから」というと、「いや、やっぱり本の読みかけだから」といって、グレッグはすたすたと、階下のソファーに戻ったのです。ぎゃ~~~~!!いつもこれだ。
2009.04.01
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