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図書館で『文学界 5月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 5月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 5月号』特集「追悼 大江健三郎」から横尾忠則さんの大江評を、見てみましょう。p241~243<散歩中の会話:横尾忠則> 画家の谷内六郎さんが生前よくわが家に遊びに来られた。玄関から、いつもプーンとポマードのいい香りをさせて入ってこられると、僕は急にうれしくなるのだった。「今、大江健三郎さんとコオヒー屋で会ったばかりで、その帰りにお邪魔しました」と、あの年齢の方には珍しい長身の谷内さんが、応接間のソファーに身を丸めて座られた。「へェー、大江さんと谷内さんは一体何の話をするんですか?」「エッヘッヘッヘ、大江さんは子供の頃の話をされます」「谷内さんは?」「僕は政治の話をします」「エェ―ッ、逆じゃないですか? 大江さんと政治の話なんて、随分難しい話になるんでしょ」「ハイ、僕はインテリゲンチャーですからね、ハッハッハッハ」 僕はこんな谷内さんの、大江さんとの意外な出会いの不思議な光景を想像して、イイナーとうらやましい気持ちになるのだった。大江さんはきっと、四国の生地で子供の頃に経験された神話的な世界の話を、また谷内さんも千葉の漁村での、あの絵に出てくるような、子供の楽園的な世界を話されるのだろうか。 異次元に旅立った健三郎少年と六郎少年が語り合う風景が応接間の天井の辺りに映し出されるのを空想して、再びイイナーと思うのだった。「横尾さんも大江さんと話されるときっと楽しいですよ」と谷内さんは言うのだが、「僕は谷内さんみたいに政治の話など全く関心がないので、大江さんの好みではないと思うなあ」と、ちょっと淋しくなって話す。「一度試しに会われたらどうですか」と谷内さん。 そんなことがあって、しばらくした頃、一度も会ったことのない大江さんに電話をしてみた。「ハイ、大江ですけれど、今は勉強中で、時間がありません」という返事で、電話を切られたあと、僕はしばらく、ボーッとしながら、「勉強中か」と大江さんの言葉を頭の中で反復した。この、「勉強中」という言葉が僕の心に突き刺さってきて、勉強とは無縁の無為な時間を毎日むさぼっている自分を心なしか恥じた。 大江さんの家はわが家から徒歩で275歩ほどの近さで、自転車でアトリエへ向かう通り道である。大江さんの家の近くで大江さんに会うことはほとんどなく、一度、家族ぐるみのような来客と家の前で楽しそうに歓談されている姿を見たことがあるが、大江さんと出会うのは、ほとんど成城の街角で、鉢合わせするように偶然出合うことが何度かあった。 谷内さんのように二人でゆっくり会うような場面は空想の域で、もっぱら全く偶然に道でお会いするぐらいであった。そんな時の大江さんは駅に向かう途中であったり、駅で降りて帰路につかれる時で、たまに息子さんの光さんと、肩を組んではしゃぎながらの、実にほほえましい親子の情愛の瞬間に立ち合うことがあった。 そんな時はなるべく挨拶もしないようにしていたが、人目をはばからない大江親子の瑞々しい姿はそこだけ光のスポットが当たっているようで、その瞬間、何とも例えようのない幸せな気持ちにさせられた。(中略) 大江さんと初めて道で偶然会ったのは、成城の今の家に引っ越してきて間もなくのことことだった。多分、その時が初対面であったと思うが、挨拶する間もなく、先に大江さんから声を掛けられた。「この間の朝日ジャーナルの時評の絵は、まるで三島由紀夫が歩む道を、横尾さんが箒でさっさっさっと掃いて行く感じの印象を受けました。どうも失礼しました」 このことを早口で話されて、僕の前からさっと去って家の方に向かわれた。僕にとっては一瞬のできごとで、大江さんの中にある記憶の断片が、一気に言葉として発せられるのが、まるでアカシックレコードの中から瞬間芸的に引き出された思考の早技のようで、僕はただ呆然として、その場に立ったままであった。 大江さんとは成城の街角で、偶然に出合うのが常であったが、会った瞬間にいつも間髪を入れず、いきなり、話の主題から始まる。例えばこうだ。「横尾さんはアメリカの画家のエリック・フィッシェルをどう思われますか」 まるで禅の公案を投げられるような衝動にとまどうのだが、大江さんの質問には一瞬に答える必要がある。「エリック・フィッシェルは現代の病めるアメリカの社会を描いているように思います」「それを聞いて安心しました。では失礼」 とその言葉を残して大江さんは、そのまま僕とすれ違いざまに消えていかれる。エリック・フィッシェルは日本の美術家でも誰もが知っている画家ではないが、僕が特に関心を持っている作家のひとりである。エリック・フィッシェルの1枚『文学界 5月号』1:多和田葉子さんの大江評
2023.09.30
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図書館で『文学界 5月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 5月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 5月号』特集「追悼 大江健三郎」から多和田葉子さんの思いを、見てみましょう。p209~211<個人的な思い出:多和田葉子> 高校生の頃に早熟な友達がいて、夏休みにくれた絵葉書に『万延元年のフットボール』を今読んでいるところだ、と書いてあった。背伸びしたい年齢でもあった。いっしょに文芸誌をやっていた仲間でもあり、読まなければ恥ずかしいという気がして買って読んだ。 その時に感じたことは様々で、その様々のほとんどは忘れてしまったことも事実でだが、一つ驚いたのは、身体というものはしっかり迫ってくわしく描写しようとすると解体して連続性のない、どこか機械部品のようなものになる、ということだった。 しかしそれを機械部品のままにしておかないために、尿など身体から出る液体に充分まみれさせる。このような肉体に小説の中で出会ったのは初めてだったかもしれない。 それからもう一つ、英雄ではない、いわば「失敗者」の姿を全く同情心抜きで容赦なく突き放して語る、それは神話の口調だと思った。神話の口調にはには残酷なところがある。そもそも口調というのは個人のもので、個人ならどうしても同情してしまうだろうし、それが出来ない場合は嫌悪するかもしれないが、神話は嫌悪さえ含んでいない。欲望に満ち、しかも冷たい。(中略) 大江さんご本人と初めてお会いしたのは、1993年に芥川賞をいただいた時だった。その十年ほど前からドイツで暮らしていたわたしは何となく出版界など日本社会の一部に大人として参加するのが恐ろしかったので、沖縄に寄り道して時間をつぶし、授賞式の寸前やっと覚悟を決めて東京に向かった。 選考委員の一人であった大江さんが『犬婿入り』が異類婚姻譚を小説のベースにしたことに二つの効果があったと言ってくださった。一つは文体への効果、もう一つは社会、家族での人物の新しい位置付けだと言う。確かに異類婚姻譚のような昔話も神話と同じで、人間というものをわたしたちが日常生活で感じているところの女、男、きょうだい、母親、父親、姑、舅、先生、飼い犬、などの位置付けとはずれたところへ運んでいき、個々の存在とそれらの関係性に異様な光を当てる。 授賞式のあとで大江さんにギュンター・グラスをどう思うかと訊かれた。ドイツ文学もあれこれ読んでいたが、ギュンター・グラスには今ひとつピンとこないところがあった。その理由をわたしは自分で誤解していたので、彼は社会的なことに関心を向けすぎているのではないか、というようなことをわたしはこの時、答えたようだ。その時、大江さんが何を思ったのかを知ることになるのは2001年になってからのことだった。 大江さんがベルリンにいらして講演などなさり、わたしが紹介の言葉をドイツ語で述べ、そのあと同時通訳付きで日本語で対談をした。大江さんにいろいろ質問をした。大江さんは芥川賞授賞式の時、わたしが社会的なことに関心がない作家であると思い、祝賀パーティにも出ないですぐに家に帰ってしまったのだ、とその時お話しされた。(中略) わたしはもちろん政治的発言の意味を認めていなかったわけではないが、文学者としてどんなところが面白いかについて語りたかったのだ。いずれにしてもこのイベントでも大江さんを失望させてしまったようだった。 それから数年して大江さんがリービ英雄さんやわたしのエクソフォニー的な仕事を評価しているようだ、とある知人から聞いた時は意外に思った。 福島原発事故が、そんなわたしの意識に変化をもたらした。世界から原子爆弾をなくすこと、原爆だけでなくできればあらゆる武器をなくすこと、戦争をなくすこと、そうなってほしいと理解できる言葉で語るのは文学者らしくない、という考え方が日本には存在することを知った。 戦後民主主義は戦争体験から生まれた感傷的な反戦主義に過ぎない、という声を聴いた。日本の問題を海外で話すのは自分の巣を汚す鳥のやることだ、という考え方、更には作家は政治的発言をしない方がいい、というアドバイスまであって、大江さんのような作家の方が貴重な少数派だということに遅ればせながら気がついた。 2012年、パリのブックフェアに日本からたくさんの作家たちが招待され、福島原発事故にまつわるイベントが多数行われた。わたしはグックフェア会場で、大江さんとフランスの作家と三人で鼎談を行った。大江さんはぷりぷり怒っていた。幸いわたしに対して怒っていたのではなかった。こんな事態にあっても人の気を引くような気のきいた単語を探してきて理論のようなものを紙上で、又ステージで展開する人間は犠牲者が目に入っていない、というようなことをおっしゃっていたように記憶しているが、その批判が何にあるいは誰に向けられているのか分からなかった。つぶやきがちな怒りが耳に残っている。それがお会いする最後になってしまった。
2023.09.29
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図書館で『うっかり鉄道』という文庫本を、手にしたのです。能町さんと言えば相撲の解説で知られているが・・・その独特なテイストに惹かれるわけでおます♪【うっかり鉄道】能町みね子著、幻冬舎、2018年刊<商品レビュー>より能町さんの本は大好きで、しかも文庫サイズは持ち歩けてとてもいい!面白くて読むのがもったいないです。<読む前の大使寸評>能町さんと言えば相撲の解説で知られているが・・・その独特なテイストに惹かれるわけでおます♪rakutenうっかり鉄道鉄道・廃墟・工場を併せ持つ岳南鉄道を、見てみましょう。p39~43<富士と工場のテーマパーク>(前略) で、岳南鉄道のクライマックスは岳南原田駅と比奈駅の間なんです。道をまちがったせいでいきなりクライマックスシーンから乗っちゃって、ちょっともったいない。 なぜここがクライマックスかというと、工場と工場の真ん中を縫ってくねくねと電車が走るのです。電車の上を平気で工場のパイプがまたいだり、大きなタンクの横を通ったり、まるで工場の中を運ばれていく気分なんです! 電車が向上に呑みこまれてる感じなんです! ディズニーランドのアトラクションみたい! あのワクワク感、文字じゃ表しきれないよ。 いきなりクライマックスが終わると電車は比奈駅に着く。ここでもう私たちは降りました。なぜか。ここにオシャレカフェがあるからさ。 ここにも木造駅舎(意外にも無人じゃなかった)がぽつねんとあり、大きな富士が見え、その前にめちゃくちゃにパイプのはりめぐらされた工場があり、「喫茶美人」というボロッボロの看板(本体はどこだか不明)がある。駅のそばにはいつ打ち捨てられたのか分からない、塗装が完全に錆び切った古い電車(?)がいくつも置いてある。あとは殺風景な工場の寮のようなものと砂利の敷かれた空き地しかない。そしてやっぱりくさい。 なんなんだこの荒涼とした地は。ゴーストタウンなのか。でも、富士が見えるからアメリカ西部の雰囲気は皆無。日本で唯一と思われるこんな独特の雰囲気の地に、ローカル・オフィシャルカフェが!奇跡の立地なのです。 駅を出て空き地をつっきり、人通りが全くなくてトラックだけがごくたまに通る道を渡ると、小さな四角いふつうの家がありました。よく見るとテラスにテーブルが置いてあって小さな看板があって、そこが「比奈カフェ」なのでした。 どこにでもある油断だらけの駅前喫茶ではありません。家具のひとつひとつがかわいく、だるまストーブがあるすてきなカフェです。ここにオープンしてまだ5年程度らしい。 なによりこのとんでもないロケーションだけで、私はここに百点満点以上与えてしまう。だってここ、21時半で終電が行っちゃう駅と、工場しかないんだよ。そして富士が見えるんだよ。ここにカフェを作ろうっていう意気に花束だよ。私は2カ月に1回くらい、自分へのごほうび(OL用語)としてここに来たいね。ここでだらだら本読んだり仕事したり、するんだ。ふふ。 長く歩いた疲れもあって、私とイノキンさんはそこでだいぶだらだらしてしまったが、岳南鉄道にはまだ1駅分しか乗ってないんだった。もっと楽しまなきゃ。 ちなみに、岳南鉄道の乗り放題券は400円という採算度外視の価格でございます。終点まで片道320円なのに! ひどい安さだよ、だいじょうぶなの?ネットを覗いたら、乗り放題券は‛23年10月1日から720円から750円に値上げするようです。では、お口直しに岳南電車の写真をひとつ。ホッとするローカル線「岳南電車」で行く懐かしい風景より『うっかり鉄道』1:土佐電鉄の駅間距離84メートル
2023.09.29
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図書館で『うっかり鉄道』という文庫本を、手にしたのです。能町さんと言えば相撲の解説で知られているが・・・その独特なテイストに惹かれるわけでおます♪【うっかり鉄道】能町みね子著、幻冬舎、2018年刊<商品レビュー>より能町さんの本は大好きで、しかも文庫サイズは持ち歩けてとてもいい!面白くて読むのがもったいないです。<読む前の大使寸評>能町さんと言えば相撲の解説で知られているが・・・その独特なテイストに惹かれるわけでおます♪rakutenうっかり鉄道(勝手ながら)先ず私の故郷・高知の土佐電気鉄道を、見てみましょう。p190~208<あったか土佐の小さすぎる日本一> 土佐は異国だと思っている。 南国特有のゆるさという点で、土佐は沖縄に次ぐ異国だろうと私は見なしておる。 ということで、すごく行ってみたかった土佐です。今回もスケジュールはタイトで、私たちは夜の飛行機で高知龍馬空港(正式名称)に着いて翌日の夜に帰京する予定です。(ここで大きく10ページほど中略) ということで、初めて到着した沢田マンション。感想を何と言ったらいいのでしょう。 写真では見たことがあったけれども、いざ着いてみると予想以上に漂う「紙粘土で作りました」感。6階建ての建物で実際に人が住んでいるのに、紙粘土で作ったような感じがするんだよ! すごいことだよ! もちろん数十年ここに鎮座しているんだから、鉄骨造りで基礎はきちんとしている(はず)ですよ。でも、壁の塗り方とか、急造した感じの一部の階段とか、すごい紙粘土っぽいんだよねえ。今はクリエイティブ()な若者が好んで住みついていることもあって、住人がどんどん増築したりもしているらしい。 しかし、残念ながら今日の私たちのメインは鉄道。あまり時間がないのです。とりあえず1階にある「チャビーズキッチン」でお昼ごはんです。今回のオシャレカフェはここです。 お、お昼時なので、けっこう混んでいる。伊野まで行って戻ってきたのに、この時点でまだ12時過ぎくらいだったのだ。沖縄のウチナータイムを思い出す時間の流れ方だね。のんびり。(中略) さすがにのんびりしすぎて予定の時間が迫り、沢マンへの再訪を誓って私たちはそこを出た。沢マンは素泊まりもできるし、ウィークリーマンションとしても使えるとのこと。冬、東京の寒さが嫌になったらちょっと滞在しちゃおうかな。 強くなった雨の中を薊野に戻る。いよいよ傘がないとつらいのでローソンで買ったら、レジのおばちゃんに「晴れるって言うとったのにね~」と話しかけられました。個人商店ならともかく、コンビニで意味もなく話しかけられるなんて初めてかもしれないよ。さすがあったか高知! 「あったか押し」してますね! 雨の中、JRで薊野から土佐大津という駅へ。駅舎のカラーが南国調でかわいい無人駅。さあここから歩いて、いよいよ念願の「駅の間が日本一短いところ」に行きます。 土佐大津駅から歩いて数分、土電の「一条橋」と「清和学園前」のあいだ。ウィキペディア情報によると、その距離は衝撃の84メートル。ウサイン・ボルトなら9秒切る! その不条理ぶりを自分の目でみたかった。 川を渡ると、土電の線路が見えてきました。ここも遠慮がちに道の脇を通ってます。さあいよいよ例の駅・・・「能町さん! すごい階段がありますよ!」 イノキンさんの声のほうを見ると、確かに線路の対岸にすごい階段が。 古い石段が小山の上に向かって伸びてます。てっぺんがよく見えないくらい長い。踊り場が一切ない。粗く削られた階段。「のぼってみましょうよ!」 え~。私、最近はすっかり老人気分で、階段はちょっと・・・「え!? のぼりますよね?(当然という顔で)」 北海道で酷寒の逆風の中、私につきあわせて歩かせたことを思い出した。イノキンさんは「なぜならそこに階段があるから」という理由で階段をのぼる人のようだ。分かりました。やりましょう。 駅探訪の前に階段をのぼるのぼる。うげぇめっちゃきつい。雨で足もとも危ないし、急だし、造りも雑だし。147段という段数だけならインパクトは弱いけど、途中に休み場がひとつもないのはつらい! のぼったら、森の中に小さな祠があった。それだけ。それだけか! いや、でも景色はすごくよかったです。雨じゃなかったらもっとよかったね。駅間距離探訪に来る人(いるのか?)は、ぜひこの石段にも挑戦してほしいものです。ちなみにこの階段のせいで、翌日は信じられないほどの筋肉痛が私たちを襲った。 さて、階段から下りて、いよいよ例の駅へ。 カーブを曲がると、あら、一気に二つ見えた。そりゃそうだよなー。84メートルだもんな~。 片方の駅からもう片方の駅が見えるのは当然。向こうの駅にいる人数まで把握できる距離です。人通りもほとんどな田舎の集落なので、叫べばふつうに隣駅と会話できそう。 うーん、これ・・・どっちか要らないでしょ。ははは。沢田マンションといえば、以前に読んだ『沢田マンションの冒険』に詳しくレポートされております。香港の旅行雑誌に沢田マンションが掲載されたとのこと。
2023.09.28
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・うっかり鉄道・漢字と日本語・『文学界 5月号』<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【うっかり鉄道】能町みね子著、幻冬舎、2018年刊<商品レビュー>より能町さんの本は大好きで、しかも文庫サイズは持ち歩けてとてもいい!面白くて読むのがもったいないです。<読む前の大使寸評>能町さんと言えば相撲の解説で知られているが・・・その独特なテイストに惹かれるわけでおます♪rakutenうっかり鉄道【漢字と日本語】 高島俊男著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 「漢語」のはなしから/2 やさしいことばはむずかしい/3 「空巣」「人脈」など/4 中国の「ドーダ」/5 日本語と国語/6 『かながきろんご』/7 江戸のタバコ禁令<読む前の大使寸評>漢字といえば、東アジアの共通言語でもあるわけで・・・私のツボとなっております。rakuten漢字と日本語【『文学界 5月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 5月号』図書館大好き610
2023.09.28
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在20位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在2位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在13位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在8位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在34位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在421位・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、副本?、予約57)現在27位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在318位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在153位・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、副本?、予約46)現在34位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在121位・村上春樹『うずまき猫のみつけかた』(9/26予約、副本?、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・斎藤環『社会的ひきこもり』・原田ひ香『図書館のお夜食』・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・松里公孝『ウクライナ動乱』<予約分受取:6/16以降> ・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取)・阿川佐和子『 老人初心者の覚悟』(7/18予約、7/26受取)・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、8/16受取)・カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(8/31予約、9/06受取)・小松左京『大震災'95』(9/02予約、9/06受取)・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、9/06受取)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【白鶴亮翅】多和田葉子著、朝日新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>よりベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。さまざまな文化的背景の人びととの出会い、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれ、名作を女性の視点で読み直す。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/2予約、副本?、予約57)>rakuten白鶴亮翅【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【リスペクト】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より2014年にロンドンで実際に起きた占拠事件をモデルとした小説。ホームレス・シェルターに住んでいたシングルマザーたちが、地方自治体の予算削減のために退去を迫られる。人種や世代を超えて女性たちが連帯して立ち上がり、公営住宅を占拠。一方、日本の新聞社ロンドン支局記者の史奈子がふと占拠地を訪れ、元恋人でアナキストの幸太もロンドンに来て現地の人々とどんどん交流し…。「自分たちでやってやれ」という精神(DIY)と、相互扶助(助け合い)と、シスターフッドの物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、9/06受取予定)>rakutenリスペクト【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【うずまき猫のみつけかた】村上春樹著、新潮社、1999年刊<「BOOK」データベース>よりアメリカのケンブリッジに住んだ‛93年から‛95年にかけての滞在記。ボストン・マラソンに向けて昴揚していく街の表情、「猫の喜ぶビデオ」の驚くべき効果、年末に車が盗まれて困り果てた話、等々なごやか(?)なエピソードの中に、追悼特集で報じられたニクソン元大統領の意外な一面や、帰国後訪れた震災後の神戸の光景がキラリと光る。水丸画伯と陽子夫人が絵と写真で参加した絵日記風エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/26予約、副本?、予約0)>rakutenうずまき猫のみつけかた【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.09.27
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図書館で『内モンゴル紛争』という新書を、手にしたのです。著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。【内モンゴル紛争】楊海英著、筑摩書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より2020年夏、中国政府は内モンゴルの公教育からモンゴル語を排し、中国語を母語として押しつける決定を下した。なぜ中国は民族同化政策を採ろうとするのか。それを理解するにはユーラシア史の中でモンゴルを見る地政学的視点が必要だ。遊牧民の世界、チンギス・ハーンのモンゴル時代、イスラームとの関係、近代国家形成・民族自決問題、日本による植民地化、ソ連・中国による分断などのモンゴルの歴史の要所を明快に解説。そこから現在の内モンゴルにおける紛争の深層を照射する。<読む前の大使寸評>著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。rakuten内モンゴル紛争「エピローグ」で現代の分断が述べられているので、見てみましょう。p201~202<現代の分断は対日戦後処理から> 戦勝国のモンゴルは日本と真逆の運命を辿った。日本は戦争に負けても、戦後はいち早く復興を実現し、世界第二の地位を獲得した。インフラ整備の点から見れば、実際、日本は世界一の先進国といえる。もちろん、それは大勢の日本国民の命、血と汗の努力のたまものであることは言うまでもない。 モンゴル人の領土はゴビ草原という自然環境を境界に南北二つに分かれる、と本書冒頭で述べた。南モンゴルの一部は日本の植民地満州国に組み込まれ、一部はモンゴル自治邦となっていた。どちらも実質上は日本の支配下にあって、日本型の近代化の道を歩んでいた。もう一部、北モンゴルは清朝からの独立を実現してからはロシアの援助で存続し、次第にソ連の衛星国に変わっていった。 北モンゴルすなわちモンゴル人民共和国はソ連と共に対日戦争に参加し、南モンゴルの同胞たちを解放しようとした。日本と中国の支配から解放し、民族の統一を実現しようとして参戦したのである。 しかし、参戦し、勝った後も民族統一の夢は葬られた。実は1945年2月に米英ソの三大国が秘密の裏取引を交わしていたからである。米英はソ連のスターリンと1943年末からイランのテヘランなどで密談を積み重ね、戦後の勢力圏の分割を決定した。その際の対日敗戦処理の一環として、モンゴルを二分して、南モンゴルを中国に統治させるという決定である。民族地政学が大国によって利用された結果である。 その頃はすでに、民族自決権を尊重し、新たな植民地と勢力圏を開拓しないという思想が国際社会に浸透していた。三大国の決定はそうした世界情勢と明らかに逆行していた。 ユーラシアの西ではドイツの弱体化、東では日本の南樺太と千島をソ連に引き渡す密約が交わされた。連合国側についていたモンゴル人民共和国の同胞たちの居住地、内モンゴルを中国に売り渡す内容が織り込まれた。このヤルタ会談に当のモンゴルも日本も参加していなかった。当事者のいない「協定」、しかも秘密の取引は国際法に違反していると認識しなければならない。 繰り返し指摘しておくが、第二次大戦後の世界秩序を決定づけたのは、秘密協定の「ヤルタ協定」である。その主役たち、ルーズベルト元米大統領とチャーチル元英首相の亡霊が復活しつつある。墓から引きずり出したのは、アメリカの価値観を二分するトランプ前大統領とロシアのプーチン大統領という、相思相愛の指導者たちだ。『内モンゴル紛争』3:中華の過酷な同化政策『内モンゴル紛争』2:モンゴル族の悲哀『内モンゴル紛争』1:無策の21世紀の民族問題
2023.09.27
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ウクライナ侵略戦争が長引いているが、つい最近、アルメニアとアゼルバイジャンの間で紛争が起きているように・・・ソ連崩壊前後の領土地図が興味深いので、以下の通り復刻して眺めてみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『60年前と現在の世界地図 くらべて楽しむ地図帳』という本を、手にしたのです。ウクライナ侵攻で吹き荒れる昨今、領土問題の変化を見てみようと思うのです。【60年前と現在の世界地図 くらべて楽しむ地図帳】関眞興編著、山川出版社、2021年刊<「BOOK」データベース>より植民地の独立、地域紛争、宗教戦争、交通網の発達ー新旧の地図を並べて現代世界の変化を体感する!国名、領土の変化にまつわる事件や戦争、領土問題、民族問題などを地図の変化とともに解説、現代史への理解も同時に深まる。変遷がひと目でわかる国名一覧付き!<読む前の大使寸評>ウクライナ侵攻で吹き荒れる昨今、領土問題の変化を見てみようと思うのです。rakuten60年前と現在の世界地図 くらべて楽しむ地図帳まず、ロシア周辺あたりを、見てみましょう。P78<ロシアと旧ソ連邦地域> ソ連崩壊後、旧ソ連邦の多くの国で民族問題が頻発している。そこからも現ロシアと革命以前のロシア帝国とのつながりがリアルに浮かび上がってくる。■ソ連の崩壊と「共和国」 新旧2枚の地図で見られる変化では、ロシア周辺がダントツだ。バルト海奥のエストニアからカフカス山脈南部のジョージア、中央アジアのカザフスタン、キルギスまで新しい国家が並んでいる。いずれもロシア帝国以来、ロシアが支配下に組み入れてきた地域だ。ただし、ロシア共和国の中央部、ウラル山脈からさらに東方地域はほとんど変わりない。 1917年に成立したロシアの革命政府は、ロシア帝国から連続する支配を正当化するため、支配地に「ソビエト社会主義共和国」をつくらせ、ロシアを中心にした15の共和国の連邦体であるソ連をつくった。62年版の地図にある黒文字で示されている「共和国」はすべてそれである。 現在の地図では、ほかの独立国同様に赤文字になっている(ただし、共和国が付いてない国がある)。 そんななかで、白ロシア(ベロルシア)はベラルーシに表記が変わっている。前者はロシア語、後者はベラルーシ語による発音の違いによる。頭の「白」は、かつてモンゴルが襲来した頃、ロシアの地域を黒ルーシ、ウクライナの辺りを赤ルーシ、ベラルーシの辺りを白ルーシといったからという。赤と黒は消えて白だけが残ったことになる。 元ソ連の共和国に共通して出てくる問題が、現在のウクライナに集約されている。2014年、ロシアはウクライナ領だったクリム(クリミア)半島を占領し、ロシア領とした。この結果は地図には反映されていない。ケルチ海峡にロシアとウクライナの国境線が惹かれているが、今後、国際的に認められればクリム半島がロシア領になる。 このような問題が出てくる背景にはソ連時代の民族政策がある。のちに紹介するが、ウクライナの地図を凝視しておいてもらいたい。■コーカサスから中央アジア コーカサス(ロシア語ではカフカス)地方を見てみる。カフカス山脈は黒海とカスピ海の間に横たわり、アジアとヨーロッパの境といわれてきた。5000m級の山もあり峻厳で、地形が入り組んでいることもあり、周辺国家で迫害された人々が逃亡してきた結果、民族構成は複雑だ。 この山脈の南部にはソ連から独立したジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンがあり、それぞれ3民族を中心に居住地などをめぐって問題が起きている。とくにジョージアの場合、コーカサス北部のロシア領内の民族との関係が複雑になり、対立が続いている。この点からも改めてロシア共和国とロシア帝国の類似性が認識される。 さらに目を東に転じると旧カザフ(カザック)共和国に5つの新国家が生まれている。一番広いカザフスタンから反時計回りにウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスが並んでいる。これらの諸国とロシアの関係は微妙で、アフガニスタン問題を機に、アメリカとの関係を密接にする国もある。 アラル海はかつて世界第4位の面積を有していたが、1950年代から始まったソ連の農業政策で周囲に縦横無尽に運河が掘られ、周辺では綿花や水稲栽培が可能になった。しかしこの結果、アラル海への流入量が著しく低下し、かつ蒸発によって塩湖化し、消滅しつつある。人間による自然破壊の最悪の例になる。
2023.09.26
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図書館で『内モンゴル紛争』という新書を、手にしたのです。著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。【内モンゴル紛争】楊海英著、筑摩書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より2020年夏、中国政府は内モンゴルの公教育からモンゴル語を排し、中国語を母語として押しつける決定を下した。なぜ中国は民族同化政策を採ろうとするのか。それを理解するにはユーラシア史の中でモンゴルを見る地政学的視点が必要だ。遊牧民の世界、チンギス・ハーンのモンゴル時代、イスラームとの関係、近代国家形成・民族自決問題、日本による植民地化、ソ連・中国による分断などのモンゴルの歴史の要所を明快に解説。そこから現在の内モンゴルにおける紛争の深層を照射する。<読む前の大使寸評>著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。rakuten内モンゴル紛争「第4章 言語の民族問題」でモンゴル人が使うキリル文字が述べられているので、見てみましょう。また、中華の過酷な同化政策が語られています。p114~118<社会主義制度下の言語問題> 中国政府は2020年6月末、あたかもモンゴル語教育に安楽死を命じるような政策を公表した。このような政治的目的を帯びた秘密の公文書は、特別なルートで内モンゴル自治区に届けられた。公文書は、それに不満を抱くモンゴル人幹部たちの手で外の世界に漏洩された。 政府公文書は、2020年秋の新学期から、小・中・高校におけるモンゴル語教育を停止するという内容である。具体的には小学校では「道徳」の科目の授業を中国語で行い、中学以上では「モンゴル語」以外をすべて中国語に切り替える。モンゴル語による理数系の授業がすべて停止を命じられ、代わりに中国語の使用が決定された。小学校でも三年生からモンゴル語だけでなく、中国語と英語の併用は以前から導入されてきたが、実質上は中国語一辺倒である。 中国政府の口実もまた傲慢であった。中国語をマスターすれば、将来の進学と就職に有利だと政府は公的なメディアを動員して宣伝する。いわく、モンゴル語は先進的な科学技術や中国流の思想道徳を教えるのに不向きで、「優れた言語」である中国語こそがIT時代に相応しいという。同時に裏では「モンゴル語は立ち遅れた少数者の言語で、近代化に不向きだ」と中国人幹部たちは説得して回っていた。 最初は大勢のモンゴル人教師が失職の危機感から抵抗を始めたが、次第に民族文化そのものが消されるという同化政策に対する怒りが拡大していったのである。自治区最西端では、ソメナという若いモンゴル人の女性公務員が自殺でもって抗議した。中央部のエレーンホト市でも、ウラーンというモンゴル人女性校長が自らの命を絶って政府の命令に抵抗した、それでも、中国政府は弾圧を緩めなかった。解放軍と警察を動員して学校を閉鎖したうえで、中に閉じ込めた児童らに対し、予定通りに中国語教育を強行している。 ここで、筆者が提唱する民族地政学の中でも、特に重要な成分である民族言語、具体的にはモンゴル語・モンゴル文字の使用状況について、振り返ってみる必要があろう。 モンゴル人は統一国家こそ建立できなかったものの、せめて言語の統一性を維持しよう、と1949年以降も努力してきた。内モンゴル自治区の指導者ウラーンフーは1954年に、言語学者で、満州国時代に教育を受けたエルゲニトクトホとガワーらの知識人を動員して『モンゴルの歴史と言語』という雑誌を創刊させた。 国立のモンゴル語研究所の研究者たちは、近代化時代のモンゴル語の役割についても、熱心に議論した。新しい概念を言い表すのに、「一に発掘、二に創造、三は借用」との三原則を設けた。 それは、まずは豊富な古典から発掘するが、限界があれば、創造する。それでも、新語彙にならない場合は、ロシア語などヨーロッパ系の言語から借りる、との原則であった。モンゴル人はユーラシアの民族であり、中国語よりもヨーロッパ系の言語が発音しやすいからである。(中略) 言語の面での統一はまた広く実践されていた。それは、1957年まで、内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区でもキリル文字が使われていたということである。モンゴル人民共和国はソ連一辺倒の政策を採り、次第に伝統的なモンゴル文字を使わなくなって、ロシアのキリル文字に切り替えていた。キリル文字の方が、社会主義ソ連型近代化のシンボルだったからである。 中国もソ連を「革命の師」、モンゴル人民共和国を「社会主義の先輩」として仰いでいたので、キリル文字が教育の現場で用いられるのに最初は反対しなかったのである。要するに、中国とソ連、それにモンゴル人民共和国のモンゴル人は共にキリル文字による表記を共有していたのである。当時、中央ユーラシアのチュルク系諸民族もソ連邦に編入されていたので、彼らもまたキリル文字による教育を受けていたのである。 1950年代後半から中ソが反目し合うようになると、中国は域内のモンゴル人とウイグル人のキリル文字使用を禁止し、促進派を粛清した。それ以降、中国・内モンゴル自治区は伝統的な縦書きのウイグル文字を守り続け、中国政府も奨励していた。筆者の親の世代の多くがキリル文字で読み書きができたので、子どもの頃から羨望の的であったのを覚えている。『内モンゴル紛争』2:モンゴル族の悲哀『内モンゴル紛争』1:無策の21世紀の民族問題
2023.09.26
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪rakutenそのうちなんとかなるだろう「第2章 場当たり人生、いよいよ始まる」でフランス語の先生となる内田先生を、見てみましょう。p128~131<神戸女学院大学へ> 神戸大学の話が流れた後、山口先生は責任を感じたのか、僕を引き受けてくれる大学をご自身で探してくださっていました。 その翌年、山口先生が非常勤で行っていた神戸女学院大学で、フランス語の先生がお一人定年でお辞めになることになった。 後任を公募しても良いのだけれど、何十人も応募が来ると、論文を読んだり、面接したりするのが大変だから、最初から候補者を数人に絞って選考するということになった。 そこで「誰かいい人いませんか?」と聞かれた山口先生が「都立大の助手に一人いいのがいます」と売り込んでくれたのです。 選考に当たった神戸女学院大学の先生方の中に歴史学者の清水忠重先生がおられました。その清水先生が僕の書いた反ユダヤ主義研究についての論文をずいぶん評価してくれました。 僕が提出したのは、のちに小林秀雄賞を受賞することになった『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)の基となるものでした。 「反ユダヤ主義というとふつうは批判的に論じるが、内田くんの論文は『どんな妄説にも主観的には合理性があるはずだ』という視点から見ている。予断を持たずに史料を読むというのは、歴史を研究する者には非常に大切なことだ。僕はこういう論文の書き方は好きだ」と言ってもらえました。 清水先生のその断定的な一言で面接会場の流れが決した感じがしました。 こうして、日本中の教員公募に落ち続けた末に神戸女学院大学に拾ってもらえたのでした。ご尽力くださった先生たちには足を向けて寝られません。 <内田樹の奇跡のフランス語> 神戸女学院大学ではフランス語とフランス文化論とフランス文学を教えることになりました。 もっともしばらくすると、「何をやっても怒られない」ことがわかったので、哲学や記号論や映画論など、教える範囲をどんどん広げていって、最後は合気道や杖道を正規の科目として教える「体育の先生」まで兼務しました。 都立大の助手のときは、非常勤講師として神奈川の大学と高円寺の予備校でフランス語を教えていました。 特に予備校で大学受験のためのフランス語を教えたのは面白い経験でした。 多くの大学は外国語の受験科目として英語以外にドイツ語とフランス語が選択できました。 私立の中高一貫校ではフランス語を6年間教えるところもありますので、英語よりフランス語のほうが得意という受験生もいます。 でも、そんなのは少数で、ほとんどは転部科受験生でした。 大学の転部・転科試験というのはだいたい小論文と外国語の2科目です。現役で夜間部に入学したけれど、2ねんからは昼間部に移りたいという大学生が来るのです。 英語で受ければいいのですけれど、なぜか彼らは英語に病的な苦手意識を持っていて、フランス語を選択する。 フランス語ができない人がフランス語ができるわけがないと僕は思いました。だって、文法規則は英語とだいたい同じだし、発音も綴り字もフランス語のほうがだいぶ面倒なんですから。 中一から高三まで6年やって英語が身につかなかった学生たちに4月から1月まで、10カ月でABCから始めて、受験問題を解かせるところまで持ってゆくことなんかできるのか、と最初は思いました。 でも、できるんですね、これが。 外国語の学習は本来はゆっくり繰り返して身にしみ込ませてゆくのがふつうなのですけれど、時間がないからそうも言ってられない。 最初に大急ぎで文法の基礎だけやって、夏休みからはどんどん受験問題を解いてゆくという「速習フランス語」です。 これがやってみるとうまくゆきました。 文法の説明も、受験問題の解説も、やってみたら特異だったんです。 合格者がどんどん出て、予備校では2、3年後から「内田樹の奇跡のフランス語」というタイトルの授業になりました。 予備校では結局10年間教えましたけれど、最後は東大合格者まで出しました。『そのうちなんとかなるだろう』3:翻訳会社アーバン・トランスレーション『そのうちなんとかなるだろう』2:大検や大学受験『そのうちなんとかなるだろう』1:SFに没入
2023.09.25
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世界各地に覇権の競合関係が生まれている昨今であるが・・・内田樹×姜尚中という組み合わせの対談を復刻して読み直してみようと思うのです。*********************************************************図書館に予約していた『アジア辺境論』という本を、待つこと3ヶ月でゲットしたのです。日韓の両政府はともにナショナリズムを煽るので、日韓同盟が成立する気運は見えないのです。で、お二人の対談でバカな両国政府につける薬を模索しようではないか。【アジア辺境論】内田樹×姜尚中著、集英社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりアメリカ、欧州で排外的な政治勢力が台頭する中、ロシア、中国の影響力が日増しに拡大している。米ソ対立の冷戦終結から四半世紀経ち、世界各地に複数の覇権の競合関係が生まれている。はたして、その狭間で日本が生き残るためには何が必要なのか?その鍵は日・台・韓の連帯にあり。アメリカとの一方的な従属関係を見直し、中国、ロシアなど、スーパーパワー間にある中小民主主義国家同士の協力関係の構築はいかにして可能か。世界史レベルの地殻変動と戦後の平和国家的な国のあり方を蹂躙する近年の日本の政策を目の前に、リベラルの重鎮ふたりがその理路を提示する。<読む前の大使寸評>日韓の両政府はともにナショナリズムを煽るので、日韓同盟が成立する気運は見えないのです。で、お二人の対談でバカな両国政府につける薬を模索しようではないか。<図書館予約:(9/20予約、12/26受取)>rakutenアジア辺境論「第4章 不穏な日本の行く末」で“貧困な政治”が語られているので、見てみましょう。p181~186姜:本来政治というのは、金儲けができない、身動きもできない、そういう弱い人たちでも、ちゃんとある程度安心した生活ができるようにしますよという、セイフティネットを敷く社会的な営みですが、今は逆にそういう人たちを締め出しにかかっている。2017年1月に発覚した小田原市の生活保護なめんなよという話も、ひどかったですね。市の職員が「保護なめんな」と書かれたジャケットを着ていた。Tシャツやボールペン、マグカップなどのグッズにも、その恫喝フレーズが書きこまれていて、保護受給者を威嚇していた。内田:ひどい話ですよね。<政治の消滅――公的資源の私物化>姜:そういう締め出しが頻繁に起きていることが、政治が消滅して、私物化されている象徴だと思うのです。今おっしゃったように、ナショナリストが公的に物を言うときは、公的な資源をできる限り私的に利用しようという魂胆がある。そして、おためごなしの大義名分をふりかざして、金を出さずに儲けは自分のところにという腹なんですね。旧ソ連解体のときに、マフィアが公共財を全部持って行ってしまったでしょう。あれと同じです。内田:規制緩和という口実の下で今、日本の指導層がやっているのは、旧ソ連の解体過程で、目端の利いた連中が国家財産を私物化したのとそれほど違うわけではない。姜:そうでしょう。内田:社会福祉を減らせとか、教育に金をかけるなとか、病気になるのは自己責任だとか、基本的人権など配慮するに及ばないなどと言う人間が言っているのは、要するに生産性の低い国民のためには金を使わない、それは強者、つまりオレたちのような生産性の高い人間たちに優先的に配分されるべきだ、それが国益増大につながるのだから、ということに尽きるわけでしょう。 国民全員が何世代にもわたって積み立ててきた国民資源を、「オレが活用して、どかんと増やしてやるから、いいからオレに回せ」と言っているに過ぎない。それではあまりににべもないので、「オレたちのような強者に優先的に国民資源を配分すれば、それだけ国益が増大する。すべては国益のためだ」という、ナショナリスト的な言い訳を装飾的に利用しているだけです。姜:うん、税金は取るだけ取って、再配分はしぶる。行くべきところに行かない。内田:社会的弱者が弱者であるのは自己責任なんだから、弱者救済に公的資金を投じる必用はないということを言い立てる人間が本当にたくさんいますけれど、それは要するに「社会的強者である自分にこそ公共的な財を優先的に分配しろ」ということです。 人工透析を受けている人に向かって、自己責任なんだから死ねという暴言を吐いた人間を候補者に選定したのは、まさにそれが彼らの本音だからです。姜:あれもすごかったですね。でも内心同調していた人も結構いるんじゃないのかな。オレたちの税金をそんなやつらに使うなって。内田:小田原も全部根っこは同じだと思います。議員であれ、市役所の職員であれ、公的な機関に属する人たちが、弱者支援をどうやったら「しないで済ませられるか」、その理屈を考えている。 この社会ではフェアな競争が行なわれていて、その結果、高い格付けを獲得した人間には国民資源が分配され、格付けの低い人間は努力が足りなかったのだから、その不幸は自己責任であり、いかなる公的支援も請求すべきではない、そういうことをメディアやネットで発信する人間がたくさんいて、それこそがフェアネスだと信じている人間がどんどん増えている。姜:それを彼らはトリクルダウンと言っているんです。今の日本に本来の意味のトリクルダウンなんかないですよ。内田:『仁義なき戦い』で金子信雄演じる山守組長が子分たちを指さして「こいつらが集めてくるこまかい銭をわしがどーんと張って、儲けてやっとるんです」という場面がありますけれど、まさにあれがトリクルダウンの論理ですね。姜:『仁義なき戦い』でもそうでしたか。そうすると、トリクルダウンは、「ザ・ヤクザ用語」ですね。内田:とにかくオレのところに金を持って来い。オレがうまく運用して、儲けてやる。お前たちはいずれその恩沢に浴するんだからがたがた言わずに金を出せ、と。 社会福祉とか、健康保険とか、公教育とかに「こまい銭」を使っていると、どかんと張るコマがなくなってしまうから、四の五の言わずにオレによこせ。山守の場合は他の組としのぎを削っているんだから、「まず組のため」というのが大義名分ですけれど、今の日本の場合は「お国のため」です。よそが「うちのシマ」を狙っているから。姜:うん、北朝鮮とか韓国とか中国とか…。内田:ロシアとか。潜在的には日本は常に仮想敵国に囲まれているということになっている。だから、お国のためを思ったら、オレのところに金を持って来い。そういうロジックです。そうしないと経済成長できない、そうしないと国際競争力が低下する。「欲しがりません、勝つまでは」ですよ。彼らの私腹を肥やすために「ナショナリズムのようなもの」が大義名分に掲げられている。(中略)姜:メディアがそうだから人々もそれに乗せられて、平気で弱者たたきをするような風潮になっていますよね。「生活保護なめんなよ」の話にしても、驚くべきことに、生活保護の不正受給率って、たったの0.5%なんですよ。ほかの99.5%は正当に受けとっている人たちなんです。その0.5%に向けて、職員がこぞって不正受給を阻止しろと気炎を上げるって、極端じゃないですか。多分、あの怒りは不正受給だけでなく、正当な受給者にも向けられているんでうしょね。 僕がカフェでお茶を飲んでいたら、4、5人の女性客がしゃべっているのが聞こえてきたんですよ。「生活保護の不正受給って嫌だわね」「何であんな人たちにお金をあげるのよ」と、不正受給の話で盛り上がっていて。内田:なんでそんな話で盛り上がるんでしょうね。姜:多分、その人たちは自分たちが話している不正受給者が0.5%という数字なんだということも、当然知らないでしょうね。なのに、メディアやネット情報でそういう話が持ち上がると、小さな遵法意識みたいなところで、天下の一大事のように話すわけです。これは抑圧移譲なのかどうかわかりませんが、為政者がわざわざ言わなくても、日本の土壌にはもうそういう状態がつくられているんです。内田:そうなんです。一般市民が公務を代行して、正義の鉄槌を下している気分なんでしょうね。そういう人たちは、医療や教育を、車とか洋服とかと同じものだと思っている。それを手に入れて「いい思い」をするのは本人なんだから、受給者負担の原則を適用しろと本気で考えている。ウーム 『仁義なき戦い』を俎上に乗せて、トリクルダウンやナショナリズムを解明するとは、卑近というか面白いでぇ。『アジア辺境論』1:独裁者『アジア辺境論』2:トランプのアメリカ『アジア辺境論』3:東アジアの辺境国家『アジア辺境論』4:韓国での漢字復活『アジア辺境論』5:日韓の対立『アジア辺境論』6:日韓のナショナリズム『アジア辺境論』7:国民国家の統合
2023.09.25
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図書館で『内モンゴル紛争』という新書を、手にしたのです。著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。【内モンゴル紛争】楊海英著、筑摩書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より2020年夏、中国政府は内モンゴルの公教育からモンゴル語を排し、中国語を母語として押しつける決定を下した。なぜ中国は民族同化政策を採ろうとするのか。それを理解するにはユーラシア史の中でモンゴルを見る地政学的視点が必要だ。遊牧民の世界、チンギス・ハーンのモンゴル時代、イスラームとの関係、近代国家形成・民族自決問題、日本による植民地化、ソ連・中国による分断などのモンゴルの歴史の要所を明快に解説。そこから現在の内モンゴルにおける紛争の深層を照射する。<読む前の大使寸評>著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。rakuten内モンゴル紛争「第2章 分断政治の人生」でモンゴル族の悲哀が述べられているので、見てみましょう。p74~76<国民国家が民族の統一を阻む> 1935年冬に、南国出身の毛沢東が紅軍を率いて陝西省北部とオルドス南部に到着し、周辺を「革命的根拠地」にした。彼らは罌粟(けし)を栽培して軍資金を増やし、前線で日本軍と戦う国民政府軍を背後から襲撃した。 我が一族の中からもアヘンに手を出す者が続出し、家畜を失って貧しい生活を送るようになった。モンゴル人たちも、一部の青年は国民政府軍に、別の人たちは共産党軍に入って、銃口を向け合うようになった。 内モンゴルと満州国がソ連とモンゴル人民共和国連合軍によって解放された時、モンゴル人たちは1912年の春のように喜んだ。民族統一ノチャンスが再度、到来したと確信していた。私の父親も青年軍人としてモンゴル人民共和国から来た将校たちを暖かく迎えた。モンゴル人民共和国から到着した各種の「国づくり委員会」の話に耳を傾け、真剣に真新しい国を創設しようとの熱い夢を胸に抱いて昼夜を問わずに働いた。 しかし、モンゴル人たちの夢はヤルタ密約によって裏切られた。早くも1945年春にソ連のクリミヤ半島にあるヤルタで米英ソ三大国がきたる対日戦後処理の一環としてゴビ草原以南の地域を中国に引き渡し、日本の北方四島をソ連に統治させる密約を交わしていた。当然、クリミアにはモンゴル人も日本人もいなかった。当事者不在の形で、他人によって民族の分断と国土喪失が蹴ってされたのである。モンゴルは戦勝国で、日本は敗戦国とされたが、どちらも悲劇に襲われたのである。 ゴビ草原の南北で暮らしていたモンゴル民族が、近代国家の神聖視する国境線によって政治的に分断されるのは、これが初めてである。満州国時代も南モンゴルとモンゴル人民共和国の間に境界線は引かれていても、いつかは統一するという信念は消えなかった。ところが、共産党が1949年に中華人民共和国の成立を宣言した時から、統一の理念はまたもや否定された。<「モンゴル族」としての悲哀> 筆者一族も、すべての南モンゴルのモンゴル人同様、内モンゴル自治区の一員として、「中国籍モンゴル族」として、社会主義建設に参加した。モンゴル人は世界中に分布するが、中国籍を選択しなければならなかった人たちは、「モンゴル族」と呼ばれるようになり、中華人民共和国の「五十五の少数民族」の一つとして位置づけられた。内モンゴルのモンゴル人はどこにいても、「モンゴル族」と自称するよう強制される。それは、中国への帰属意識を植え付けるためであるが、モンゴル人は「モンゴル族」という表現に抵抗感を抱く。 1958年に人民公社が成立した際には、個人の家畜もすべて没収されて「国有財産」とされた。紀元前の匈奴の時代から、歴世の遊牧民たちは草原を「天からの賜物で、万人が共同で家畜を放す地」として捉えてきたが、それも「中国の国有地」とされた。史上初めて、中国人たちは大挙して長城を突破して移民し、それまで「草地」や「荒地」と呼んできた草原を農耕地に変えていった。大規模な開墾が進められた結果、1970年になると、我が家周辺は一望無尽の沙漠に化してしまった。 あえて繰り返し指摘するが、草原に遊牧民は匈奴の時代から暮らしてきたものの、一度も沙漠にならなかったのである。どの時代の遊牧民も、最大の賛辞でもってゴビ草原以南の地、すなわち今日の内モンゴルの草原を謳歌した。それほど、美しいところだった。 筆者自身も、満州平野から大興安嶺を経て、オルドス高原を通過して遥か西のアナトリア高原に至るまでの内陸アジア世界を観察してきたが、内モンゴルは良好な草原地帯の一つであった。それが、中国人農民によって、たったの30年で荒涼たる沙漠に変えられてしまったのである。『内モンゴル紛争』1:無策の21世紀の民族問題
2023.09.24
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図書館で『内モンゴル紛争』という新書を、手にしたのです。著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。【内モンゴル紛争】楊海英著、筑摩書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より2020年夏、中国政府は内モンゴルの公教育からモンゴル語を排し、中国語を母語として押しつける決定を下した。なぜ中国は民族同化政策を採ろうとするのか。それを理解するにはユーラシア史の中でモンゴルを見る地政学的視点が必要だ。遊牧民の世界、チンギス・ハーンのモンゴル時代、イスラームとの関係、近代国家形成・民族自決問題、日本による植民地化、ソ連・中国による分断などのモンゴルの歴史の要所を明快に解説。そこから現在の内モンゴルにおける紛争の深層を照射する。<読む前の大使寸評>著者は内モンゴル出身のモンゴル人で、静岡大学の教授とことであるが・・・内モンゴルで起きたジェノサイドを告発してやまないのです。rakuten内モンゴル紛争プロローグから、見てみましょう。p7~14<無策の21世紀の民族問題> 2020年8月末。 コロナ禍と異常な猛暑日の中、突然、中国内モンゴル自治区の民族問題が日本と世界に伝えられてきた。具体的に言えば、中国政府が9月から導入しようとした言語政策が現地のモンゴル人たちの強い反発を招き、抗議デモが各地で発生したことである。直前までに日本人と各国の市民が注目していたのは香港情勢と新疆ウイグル自治区の問題であったから、内モンゴル自治区の紛争を意外に思った人も多かったのではないか。 香港では数年も前から学生たちの「雨傘運動」が起こり、その後、大規模な抵抗へと発展していったが、北京当局の意向をくんだ地元特別行政区政府に容赦なく鎮圧された。そして、2020年7月には国家安全委時法が成立し、イギリスから「祖国」たる中国に返還された当初に約束されていた「高度の自治」は事実上、完全に否定された。 新疆ではウイグル人が百万人単位で強制収容所に閉じ込められ、イスラームを信仰するムスリムたちは厳しい取り調べと拷問を受けている。女性たちは強制的に避妊手術を施されたり、中国人すなわち漢人と結婚させられたりしている。子どもたちは孤児となり、故郷の路頭をさまよっている。ウイグル人のものと思われる褐色の髪から作られたかつらが欧米に輸出されたことで、かつてユダヤ人がナチス・ドイツから受けていたホロコーストの悪夢が蘇り、世界の世論は一変した。 アメリカは香港とウイグル人を弾圧する中国新疆ウイグル自治区の関係者を制裁する法律を制定して発動したが、ジェノサイドは止まらない。中国が何をやっても、国際社会は無策のままである、と半ばあきらめに近い雰囲気が酷暑の夏を一段と過ごしにくくした。 内モンゴル自治区(以下、内モンゴルと略す)はチベット自治区同様、民族問題はすでに終息しただろう、と世界中からそう認識されていた。それだけに、突如として現れた内モンゴルに暮らすモンゴル人たちの抗議活動は再燃した民族問題だとして、国際社会からそう位置づけられた。 静かだった草原地帯に何故、民族問題が再発したのか。原因がもし、中国政府にあるとすれば、どうしてそれについて善処できなかったのか。北京当局はまたどうして内モンゴル問題をかくも重視するのか。どうしてモンゴル人が生来的に有してきた母語による教育の権利を廃止してまで、中国語一辺倒の同化教育を公然と急ぐのか。モンゴル人はもうとっくに同化したのではないか、と思っていた中国人や日本人も多かったのではないか。 そこからさらに踏み込んで思索すると、そもそもどうして、中国領域にモンゴル人の自治地域があるのか。隣のモンゴル国とはどんな関係なのか。いつから、モンゴル民族は分断されて、異なる国家に暮らすようになったのか。これらの問題について、モンゴル人自身も含め、大方の読者は知らないのではなかろうか。 そして、「内モンゴル」との表現だが、「内」は「うち」なのか、それとも「ない」か。誰にとっての「内(うち)」ないしは「内(ない)」なのか。「うち」があれば、「外(そと)」や「外(がい)」もあるのであろうか。内外の区別があるとすれば、それはどこの何を指すのか。どうして、誰によって、モンゴルが内外で分けられるようになったのか。特定の地名に政治性と民族性が注入されることはよくあろうが、内モンゴルの場合、その政治色と民族色は誰によって、いつ、塗られたのだろうか。<栄光の残影> 上で示した疑問はすべて、未解決の政治問題にして民族問題である。政治問題は、何かの起爆剤があれば、瞬時に激化する。内モンゴルの場合だと、それが今回は言語教育という起爆剤によって、民族問題として爆発してしまったのである。 民族問題は、民族という集団が存在し、民族同士で異なる文明と歴史、違う価値観を有しているがゆえに、それらの要素がぶつかり合った際に出現する。 異なる文明は違う風土と環境の中で培われる。そこから培養された人間の価値観は簡単に変わらない。風土はさらに政治と一体化して、特定の地域に政治力を誕生させたり、あるいは逆に空白を作ったりする。精神風土と地理学的領域が政治的に一体化すれば、領土と呼ばれる。 領土と政治、それに民族問題等をトータルで捉える学問を地政学とでも呼んでおこう。そうなると、内モンゴルは地政学上、中国や世界にとって重要な存在となってくる。当事者のモンゴル人もまた、世界を舞台に主役を演じ続けようとする。 モンゴルの北隣はシベリアの森林地帯で、草原の道をシックすれば、モンゴル高原から西へとつながる広大なユーラシアである。日本人はともすれば中国を過大評価しがちだが、そうした思想の是非は別として、ロシアやユーラシアから東を見渡しても、内モンゴルは重要である。さらに言えば、世界戦略を立てるアメリカにとっても同様である。
2023.09.24
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図書館で『地球生まれで旅育ち』という本を、手にしたのです。ヤマザキマリといえば、今ではメジャーとなっているが・・・ヤマザキマリの出自を知りたいではないか、ということでチョイスしたのです♪【地球生まれで旅育ち】ヤマザキマリ著、海竜社、2019年刊<「BOOK」データベース>より母や北海道という土壌、衝撃を受けた世界中の“いい女”、表現者としての覚悟、生きる意欲をもたらした芸術、複雑でパワフルな古代と現代のローマ人たち…。ヤマザキマリをつくり上げたバックボーンはここにある!!<読む前の大使寸評>ヤマザキマリといえば、今ではメジャーとなっているが・・・ヤマザキマリの出自を知りたいではないか、ということでチョイスしたのです♪rakuten地球生まれで旅育ちキキと藤田「第4章 芸術論」で、写真家マン・レイが語られているあたりを、見てみましょう。p144~147<芸術家達を育んだ、女神のような女性>■木枯らしの吹くパリで出会ったマン・レイの写真集 14歳で初めて欧州を一人旅した時、最後に訪れたパリでの4日間は凍てつくような寒さが印象的だった。 あてどもなくパリの街を徘徊し、フランス人は心細さを露わにした東洋人の小娘に対して決して親切というわけでもなく、私は木枯らしの吹くリュクサンブール公園の、誰も座らない冷たいベンチに腰掛けて「なぜこんなところに来てしまったのだろう」と心底から寂しさを噛み締めていた。 それでも私にとってパリは訪れてみたい街だった。憧れだったルーブル美術館を訪れたり、書物や栄華を通じてではなく、実際自分の感覚でパリという街を感じてみたかった。そういった意味では、葉の散った寒々しくも高貴さと退廃の入り交じった街の趣は、自分の抱いてきたイメージにぴったりでもあった。 そのパリでの滞在中、私はふらっと入った書店で1冊の本を買った。それは20世紀初頭パリに暮らしたユダヤ系アメリカ人の写真家マン・レイの写真集で、考えてみればこの1冊がきっかけとなって、その後の私の欧州における美術や文学への関心が更に広がり始めたのだった。 シュールレアリズムやダダイズムが活性化するパリの芸術界で、マン・レイも時代の寵児の一人として斬新なテクニックを使った様々な写真やオブジェを生み出していたが、その写真集にはそういった新技法の試行錯誤的写真から、当時のパリの文壇・芸術界に携わっていた様々な人達のポートレートが沢山載っていた。 アンドレ・ブルトン、マルセル・デュシャン、ピカソにコクトー・・・。作品は知っていても、そこに作者の顔が見える事でやはり見方は多少なりとも変わってくる。ピカソの絵もあの強烈な目力の男をイメージするのとそうでないのとではおそらく全然違う。■当時の芸術家達にとってのミューズ マン・レイはその本人の独特の目線でそういった表現者達の写真を数多く撮ってきたわけだが、そんな写真の納められたその本の中でも私が最も気になったのは、とある女性のポートレートだった。 椅子の背もたれに肘を載せ、黒いベールで顔を半分覆っている。大きな鼻に太い腕、なのに儚さと憂いが重なり合った美しい表情。磁力に満ち満ちた目。それは当時のパリの芸術家や作家にとってのミューズ、「モンパルナスの女王」キキで、ピカソにモディリアーニ、藤田嗣治といったそうそうたる画家達が彼女を描いてきた。 そして写真家マン・レイにとってのキキはモデルだけではなく、愛人でもあった。マン・レイの撮影したキキで一番有名なのは、「アングルのバイオリン」というタイトルの、彼女の背中をバイオリンに見立てたものだろう。女性の背中のヌードを楽器に見立てるというのはとてもセクシャルな解釈だ。キキという女性の芸術家達を虜にした豊かな官能性を見事に表した作品でもある。 キキ、本名はアリス・プラン。貧しい家に私生児として生まれ、彼女自身も兵器工場や兵隊靴の修理工などをしながら飢えを凌いでいたようだ。14、15歳でパリへ出てからは彫刻家のモデルをするようになり、以降彼女は徐々にその人生での黄金期へと上り詰めていくわけだが、晩年はその体は麻薬と病に蝕まれ、酷い貧困の中で孤独を強いられる無残なものだった。『地球生まれで旅育ち』2:チベット旅行の女性ガイド『地球生まれで旅育ち』1:この母にしてこの娘あり
2023.09.23
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪rakutenそのうちなんとかなるだろう翻訳会社でアルバイトする内田先生を、見てみましょう。p99~103<翻訳会社アーバン・トランスレーション>■翻訳会社でアルバイト アルバイトは学生時代から実によくやりました。 大学1年生のときには日本進学教室という小学生相手の中学受験予備校のスタッフに採用されました。 日本進学教室は当日中学受験の最大手で、児童数3000人、学生スタッフ70人が作問、採点、進路指導などをして働いていました。 働いている学生の半分くらいは活動家崩れでした。中核派、叛旗派、情況派、ML同盟、革マル派、第四インターと各セクトの諸君がいました。 最初のうちこそ角突き合わせてつかみ合いの激論ということもありましたが、一緒に仕事をして、マージャンやったり、居酒屋で飲んだりしているうちに、たちまちみんなすっかり仲よくなってしまいました。 学内ではなんであんなにいがみあっていたんでしょうね。 大学3年までそこでバイトをして、3年生のときに翻訳会社の翻訳者兼デリバリーボーイというものになりました。 呼んでくれたのは、パリで一緒だった竹信悦夫くんです。彼がその翻訳会社で働いていたのですが、3年生の秋に「内田、オレはしばらくパレスチナに長いわらじを履くから、オレがやっていた仕事を引き継いでくれよ」と、その穴埋めにお声がけいただき、深い考えもなく引き受けたのです。 デリバリーボーイというのは、クライアントである勝者やメーカーから出る翻訳原稿を取りに行き、それを訳者のところに届け、それを回収して、タイピストのところに届け、タイプアップしたものをクライアントのところに届けるという仕事です。 仕事が立て込むときはけっこう移動しますけれど、何もないときは一日何もない。クライアントがかたまっている丸の内や東京駅近くの喫茶店で終日読書して、それでおしまいということもありました。 翻訳もずいぶんやらせてもらいました。これはちゃんと別料金でバイト代がいただけます。 学生ですから、あまり難しいものや重要なものは回ってきませんけれど、なにしろ当時は総合商社が音頭取りをして、日本のメーカーがダムやら火力発電所やら鉄道やらをプラント輸出していた時代ですから、関連書類の翻訳が出るときはほとんど「キロ単位」で出ます。 国際入札の前などは、短期間にダンボール何箱分のドキュメントを翻訳しなければならないというようなことが起きる。そうなるともう「猫の手も借りたい」ということになります。 ですから、70年代の中ごろから、雨後のタケノコのごとく翻訳会社が生まれ、75年ごろ、東京だけで翻訳会社が600社ありました。 僕が働いていた翻訳会社も、「これから翻訳の需要が増えるぞ」とビジネスマンから教えられた女性が立ち上げたものです。 翻訳会社といっても訳者を雇い入れるわけではありません。 訳者たちは全員がフリーランス。タイピストもフリーランス。翻訳会社といっても、実質は「受注して、ピックアップして、訳者・タイピストに仕事を放り込んで、回収して、納品」というデリバリー業でした。■無職から二足のわらじ生活へ 翻訳会社の仕事は大学を卒業してからも、しばらく続けました。 仕事が増え続ける業界だったので、「猫の手」でいいからと社長に頼まれて、友だちを次々とリクルートして、会社にアルバイト要員として入社させました。 その中の一人が小学校時代からの友人の平川克美くんです。 彼は早稲田大学の理工学部にいたのですが、学生運動の退潮気から大学に寄り付かなくなり、渋谷の「ライオン」に通って、ひがな一日詩集を読むという非生産的な生き方をしていたので、「来ない?」と誘ったら、すぐに来て、働くようになりました。 僕は3人バイト学生を紹介した後にバイトを辞めましたが、僕が誘い入れた諸君はそのままそこに残り、それぞれ卒業した後には正社員に採用されました。 僕が辞めて1年ほど経ったころに、その平川くんから声がかかりました。「あそこを辞めて独立するから、一緒にやんない?」 僕は院試の受験勉強をしているころで、この次も落ちたらそろそろ身の振り方を考えなければいけないと思っていました。 でも、僕たちのような特技もないし、新卒でもない、「過激派学生」崩れを採用してくれるまともな会社なんかないだろうから、「自分たちで会社を創立する」というのは、コロンブスの卵的な発想に思えました。 そこで平川くんと、前の翻訳会社にいた二人と4人で、渋谷の道玄坂に「アーバン・トランスレーション」という会社を立ち上げました。 会社ができたのは1076年の暮れでした。 会社を始めてしばらくして都立大の院試に合格したので、4月から会社と大学院の二足のわらじを履くことになりました。 それまでぼんやり「無職」だったのが、いきなり忙しくなりました。 村上春樹の『1973年のピンボール』という小説には、大学を出た後、友人と二人で渋谷で翻訳会社を経営することになった若者が出てきます。 平川君はよく知り合いから、「この小説のモデルは平川さんたちでしょう?」と聞かれたそうです。『そのうちなんとかなるだろう』2:大検や大学受験『そのうちなんとかなるだろう』1:SFに没入
2023.09.23
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このところ、蒸し暑い日が続いたが「暑さ寒さも彼岸まで」ということで、やや涼しくなりそうですね。彼岸花をまだ見ていないが、今年の開花は遅れているようです。***********************************************************************<二十四節季の秋分に注目>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、秋分のあたりを見てみましょう。和暦p24<秋分>太陽が真東から昇り、真西(西方浄土)に沈む日 秋分は、現行暦では9月23日ころから始まる15日間の節である。秋分に入る当日が「秋分の日」となり、国民の祝日になっている。秋分節季の期間は秋分の日から次節「寒露」の前日までである。 ちなみに、春分の日と秋分の日は共に「彼岸の中日」にあたる。 彼岸は雑節のひとつで、春分の日と秋分の日を中日として前後に各3日ある。つまり、春秋の彼岸は各7日間あり、「彼岸」は年間合計で14日間であることになる。この期間に行う仏事が彼岸会であり、最初の日は「彼岸の入り」、最後の日は「彼岸明け」と呼ばれている。 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるが、春秋両彼岸に適応した言葉となっている。 また、『暦便覧』に「陰陽の中分なれば也」と説明があるためか、秋分の日は昼夜の時間がほぼ同じと思われてきたが、実際には昼のほうが約14分長いという科学的な裏付けがあるという。 秋分の期間の七十二候には、次のものがある。 初候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」雷が鳴り響かなくなる。 次候「蟄虫ふさぐ戸(むしかくれてとをふさぐ)」虫が土中に掘った穴をふさぐ。 末候「水始涸(みずはじめてかるる)」田畑の水を干し始める、がある。 西洋占星術では、秋分の日が天秤宮(てんびん座)の始まりとなっている。二十四節季の処暑に注目(復刻)
2023.09.22
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図書館で『地球生まれで旅育ち』という本を、手にしたのです。ヤマザキマリといえば、今ではメジャーとなっているが・・・ヤマザキマリの出自を知りたいではないか、ということでチョイスしたのです♪【地球生まれで旅育ち】ヤマザキマリ著、海竜社、2019年刊<「BOOK」データベース>より母や北海道という土壌、衝撃を受けた世界中の“いい女”、表現者としての覚悟、生きる意欲をもたらした芸術、複雑でパワフルな古代と現代のローマ人たち…。ヤマザキマリをつくり上げたバックボーンはここにある!!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten地球生まれで旅育ち「第3章 表現論」で、チベット旅行が語られているあたりを、見てみましょう。p114~117<浅はかな動機の旅でも出会えるものがある>■思い立って出かけた青蔵鉄道旅行 昨年の夏、シカゴから日本へ帰国していた私は突然思い立ってチベットへ出かけることにした。 仕事の量が積載量過剰になり、それまでいくらか頼りがいのあるものと思い込んでいた精神力ですら毎日軋みの悲鳴を上げている感覚が募ってきて、突発的な逃避欲がさえぎる間もなく芽生えてしまったのだ。ちょうどチベット仏教の死生観を綴った『チベット死者の書』という本を読んでいた事もあり、何も迷わずに中国の旅行代理店に旅のコーディネートを要請していた。自分を頼れられなくなりつつあるその危機感の中で、見えてきたのがこの場所だけだった。 しかし、それだけ切羽詰まっていたわりには、いざネット上で旅程のやりとりがはじまった途端私の意識は、「どうせラサまで行くのなら、四川の成都から青蔵鉄道の上級寝台で行きたい」というような俗物化したものになっていた。 世界一標高の高い場所を走るこの列車の車窓から見えるチベット高原の、余計な物が一切排除されたような草原と空の景色を目にするところから、心の栄養素を供給したいと思い立ったからだ。■高山病で死にそうなときに出会った聖母 ところがいざ念願の青蔵鉄道に乗った私は、間もなく健康上の不調を感じ始めた。コンパートメントをシェアしていた内蒙古からの夫婦が、顔を蒼白にして脂汗を浮かべ、全身を襲う強烈な倦怠感に立っている私を見て、ノートの切れ端に「高山病」と書いて見せた。早速乗務員がビニールチューブを持ってきて、それを備え付けの酸素吸引装置に取り付けて私の鼻の穴に挿入したが、私の体調は悪化するばかりだった。 チベット高原の美しい景色や動物を堪能しているどころの騒ぎではなかった。私は駅で迎えてくれた漢民族の楊さんに、初対面であるにも拘わらずすがりつくように倒れかかっていた。 楊さんは、この列車から私と同じような様子で降り立つ客を見たのは初めてではないらしく、全く動じない穏やかな表情で「すぐに医師に来てもらいましょう」と今にも死にそうな表情で腰を丸めている私の肩を担いだ。 年齢は私と同じか、それよりも若いくらいだが、長身ですっと姿勢が良く、視線が真っすぐで説得力がある。あまり瞬きをしなさそうな、強くて逞しい、切れ長で整った美しい目だ。 普段は我が家の夫すらも頼らないで生きている私が、この時ばかりはそんな楊さんに全身全霊を一切託してしまっていた。 言葉も土地の事情も知らない場所で、軽い気持ちで難易度の高い旅をさっさと決めてしまったバカな自分に対する嫌悪感と、失調した健康状態の中で、楊さんは私にとってそれら全てを包み込む聖母のような存在に思えた。 点滴を打っている間、痺れる私の手を握りながら、楊さんは彼女が重慶の美術大学で勉強していた話などをしてくれた。 ラサに生まれ育った漢民族の彼女はチベットとチベット族には大いなる敬意を抱いていて、毎年一回チベットのどこかを一人、または何人かで旅をするのだという。 時には標高5~6千メートル級の山々を何ヶ月も掛けてわたり歩いたり、秘境と呼ばれる地域にも一人で出かけるのだそうで、今年はチベット高原を馬に乗ってやはり一人で1ヶ月も旅をしてきたと言う。 野宿をしたり、遊牧民に泊めてもらったり、ラサに帰ってきた時は日焼けで白いサングラスを掛けているような顔になっていたのだと笑う。 時々、私は旅の途中で自分が結局は表層的な一観光客であるという自覚を強いられる事があるが、このときも同じだった。 楊さんの放つチベットという土地に加護されたオーラを私が纏うことは一生ない。しかしそんな女性に出会えた事だけで、私は自分を襲った高山病も、自分の浅はかな旅の動機もすべて許せる気持ちになるのだった。『地球生まれで旅育ち』1:この母にしてこの娘あり
2023.09.22
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図書館で『地球生まれで旅育ち』という本を、手にしたのです。ヤマザキマリといえば、今ではメジャーとなっているが・・・ヤマザキマリの出自を知りたいではないか、ということでチョイスしたのです♪【地球生まれで旅育ち】ヤマザキマリ著、海竜社、2019年刊<「BOOK」データベース>より母や北海道という土壌、衝撃を受けた世界中の“いい女”、表現者としての覚悟、生きる意欲をもたらした芸術、複雑でパワフルな古代と現代のローマ人たち…。ヤマザキマリをつくり上げたバックボーンはここにある!!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten地球生まれで旅育ち「第1章 私の原点」で、お母さんが語られているあたりを、見てみましょう。p32~35<この母にしてこの娘あり>■可愛い子に旅をさせたかった 何年経っても不思議に思うのは、まあ世の中に14年しか生きた経験のない子供を、1ヶ月間も日本から遥か遠く離れた土地へ一人で旅行へ行かせようと思い立った母の心理だ。やがて自分も子供を持つ立場になり、果たしてそんな思い切りと勇気が持てるかどうかシュミレーションしてみたが、子どもがたとえ平気だと言っても、その間留守をしなければならない私が抱えるであろう不安のことを思うと、簡単に「行ってこい」とは言いがたい。 それでも母は、あの時空港で飛行機に乗り込む私を毅然とした態度で見送った。やせ我慢の得意な人だから、内心では様々な思いがひしめき合っていたのだろうけれど、それは私の留守中も、一切言動や表情に露見させることはなかったらしい。 そんな母が中2の娘を海外へ一人旅に出したことで、周辺の人々からの非難を避けられずにいた頃、私は“Heavy”という航空会社のタグが結ばれた巨大なスーツケースの滑車を石畳の上に滑らせながら、身にも心にも一抹のゆとりも許されない緊迫状態で、フランスの街やドイツの街を徘徊していた。 スーツケースの中身は母から託された、私の滞在先となる人々へのクリスマスプレゼントでいっぱいに満たされ、申し訳程度残されたスペースに、自分の着替えが2枚ほど押し込まれていた。肩からななめに掛けた鞄には、パスポートや航空券のほかに、英語の辞書と成田空港で買った玉村豊男さんの『パリ 旅の雑学ノート』、母に託された古いカメラなどが入っていたが、気持ちにゆとりがなさ過ぎて、本を1ページもめくることもかなわず、目の当たりにしている景色を写真に撮る、なんて発想は全く脳裏をよぎらない有り様だった。 真冬の北ヨーロッパの朝は暗い。手元に握りしめられた交通公社刊行の『六ヵ国語会話集』は、思いを言葉に転換させる速度にページをめくる速度がついていけず、さっぱり役に立ててもいないのに、全てのページがくしゃくしゃになっていた。 フランスにもドイツにも厄介になった家には私と同じ年頃の女の子達がいたが、皆信じられないくらい大人っぽく、美しくて、かっこ良かった。食べ物は朝も昼も夜も、それまで食べたこともないようなものが毎日続いたが、言葉が不自由な代わりにせめて食べ物越しに私を受け入れてくれている人々への感謝やシンパシーを表明しようと、どんなに不味いものであろうと、何でももりもり食べることに尽くした。 気を緩めると「私はなぜこんな自分と関係のない土地にいるのだろう」という疑問で飽和するから、とにかく余計なことは考えないようにする。為すべきことをこなそうと心に固く決めて毎日を送るのみ。 滞在先で熱が出て寝込んでも、予約が間違っていたせいで連泊するはずのホテルから突然追い出されても、とにかく泣いたら終わりだと思って耐えぬいた。泣いたって何も解決しなさそうなのは、誰一人自分に気を留めているわけでもない周辺の様子を見れば、一目瞭然でもあった。 そうしているうちに、ふと、自分というのは、実は思っているよりかなり頼りがいがある人間なのではないか、もっと頼ってみてもいいのではないか、という思いが湧き起ってきたのを覚えている。 こんなに心細くてたまらないのに、今にも泣き出しそうな心地なのに、それでも両足で大地を踏みしめて歩いている自分が、母よりも誰よりもたくましい存在に感じられてきたのだ。
2023.09.21
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・地球生まれで旅育ち・非正規介護職員ヨボヨボ日記・内モンゴル紛争・マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【地球生まれで旅育ち】ヤマザキマリ著、海竜社、2019年刊<「BOOK」データベース>より母や北海道という土壌、衝撃を受けた世界中の“いい女”、表現者としての覚悟、生きる意欲をもたらした芸術、複雑でパワフルな古代と現代のローマ人たち…。ヤマザキマリをつくり上げたバックボーンはここにある!!<読む前の大使寸評>ヤマザキマリといえば、今ではメジャーとなっているが・・・ヤマザキマリの出自を知りたいではないか、ということでチョイスしたのです♪rakuten地球生まれで旅育ち【非正規介護職員ヨボヨボ日記】 真山剛著、三五館シンシャ、2021年刊<出版社>より当年60歳、排泄も入浴もお世話させていただきます。56歳から現在まで非正規の介護職を続ける著者による、怒りと悲哀と笑いの記録。ベストセラー日記シリーズ第7弾!!今回も実話の生々しさ。介護職は最後の手段<読む前の大使寸評>追って記入rakuten非正規介護職員ヨボヨボ日記【内モンゴル紛争】楊海英著、筑摩書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より2020年夏、中国政府は内モンゴルの公教育からモンゴル語を排し、中国語を母語として押しつける決定を下した。なぜ中国は民族同化政策を採ろうとするのか。それを理解するにはユーラシア史の中でモンゴルを見る地政学的視点が必要だ。遊牧民の世界、チンギス・ハーンのモンゴル時代、イスラームとの関係、近代国家形成・民族自決問題、日本による植民地化、ソ連・中国による分断などのモンゴルの歴史の要所を明快に解説。そこから現在の内モンゴルにおける紛争の深層を照射する。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten内モンゴル紛争【マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉】コリン・ジョイス著、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より「イギリス人はかなり変わっているが、そのことに気づいていない。日本は日本人が気づいていないところでじつに面白い」-二つの国を行き来する英国人記者が、日英両国の食、言語、文化、歴史などを縦横無尽に比較しながら綴る。日本びいきでもイギリスびいきでもないユーモアあふれる「日英論」で、新たな景色が見えてくる!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenマインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉図書館大好き609
2023.09.21
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ロシア、中国、北朝鮮が関係を深めている中で、日本の安全保障は危機ともいえる状況にあるわけで。そして、あまりあてにできない韓国とちがって、台湾は最もあてにできる協調国ではないか・・・ということで『タイワニーズ』と言う本を復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『タイワニーズ』という本を、手にしたのです。温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。【タイワニーズ】野嶋剛著、小学館、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は台湾を二度も捨てた。それでも彼らがいたから、強く、深くつながり続けた。在日台湾人のファミリーヒストリー。<読む前の大使寸評>温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。rakutenタイワニーズ女優の余貴美子が気になるので、見てみましょう。p180~184<客家の血をひく喜び 余貴美子>「総理、ご決断を!」「総理、撃ちますか、いいですか、総理!」 ゴジラの襲来に右往左往する内閣のなかで、ただ一人、決然と実力行使を迫った映画『シン・ゴジラ』の花森麗子防衛大臣。戦闘準備を進める自衛隊に「頼んだわよ!」と呪文のように念じ、攻撃が失敗に終わると「うーん、総理、残念ですが、これまでです!」とスパッと言い切る潔さ。怪獣が主役の作品で、短いセリフしかなかったにもかかわらず、怪獣並みの迫力が、頼りない男性陣のなかで異様に際立っていた。 どの映画でも、役柄は違いこそすれ、画面の中の存在感がやけに濃い。だから脇役でも光る。映画『おくりびと』では、「お願い、行ってあげてよ!」と、本木雅弘が演じた主人公に懇願する葬儀会社の事務員を演じた。『あなたへ』でも、失踪した夫の影を感じさせながら高倉健と出会う食堂の女将役としての演技が光った。 女優・余貴美子は『おくりびと』『ディア・ドクター』『あなたへ』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に輝いた。同賞の3度の受賞は彼女しかいない。 画面に出るとスクリーンが引き締まる。美と迫力と影が同居する。そして、背骨に一本、何か太いものが通っている受有。 これらが、余貴美子に対する私のイメージだった。 明るさの裏側に何かの「物語」があることを予感させるキャラクター。俳優たちの演技力が落ちたといわれる今日の映画界で、監督たちにとっては、ぜひともキャストに加えたい女優となっている。 実際に会ってみると、「アマリさんと今でも呼ばれますよ」とけらけらと笑い、聞いている方が拍子抜けするようなキャラクターだ。自分のことを誇張するような発言は、2回の計3時間におよぶインタビューで一度もなかった。聞き手としてはもう少しアピールしてくれても、と思わないでもないほど自然体で、控えめである。 そんな人柄と、演技の力強さは、なかなか一つの像を結ばない。<流浪の民の末裔に生まれて> 彼女の一族は、戦前、台湾から日本へ「生きるため」にやってきた。 そして、「流浪の民」と呼ばれる客家である。 自分が客家であると対外的に語り始めたのはこの5年のことにすぎない。 自らの源流に、余貴美子は、いま、自覚的に向き合おうとしている。客家の血について、余貴美子の言葉は、予想以上に明瞭だった。「ニホンや台湾、中国というより、私は客家。そんな風に思っています」 当代きっての名脇役の女優の心に、何かが起きている。 客家は、中国の漢民族のなかで、独自の文化とアイデンティティを有する特殊な人々である。「客」には、お客さんという意味のほか、よそ者、というニュアンスがある。客家について「東洋のユダヤ人」といったたとえもある。 その由来は、かつて中国の「中原」と呼ばれる、現在の河南省や山西省などにあたる地域に暮らしていたが、北からの異民族の襲来や内乱で故郷を追われ、定住の地を求めてさまよったグループであると伝えられている。 日本社会では客家をめぐる一部の著書が世界中の客家が連携して何か国際的なビジネスや陰謀を展開しているイメージが根強く、「三大中国系国家のすべての権力者に、客家人が就いている。数百年前に中原を追われた客家が、今、中国人社会の中心へと戻ってきたのである」(高木桂蔵著『客家』)という「客家優秀論」に言及する傾向があった。 この三大中国系国家とは、中国、台湾、シンガポールのことで、それぞれ鄧小平、李登輝、リー・クアンユーという客家の血統を持つリーダーを指している。 確かに客家は学歴重視の価値観を持ち、勤勉で優秀な人材を多く輩出している。しかし、実際の客家は、慎ましやかで、控えめである。どちらかというと、社会の片隅にひっそりと生きている人々というイメージだ。 統計上、台湾には人口比で客家人は1割強ぐらい存在していることになっている。だが、それほど客家人がいる感覚はない。社会のなかに溶け込み、消えているのである。 総じて言えることだが、台湾ではエスニック・アイデンティティは必要がなければあえて問わない。なんとなくわかっている、という距離感がいいようだ。他民族、多族群(グループ)を抱えた土地の知恵だとも言える。『タイワニーズ』5:客家の血をひく余貴美子『タイワニーズ』4:台湾人と日本語文学『タイワニーズ』3:陳舜臣(続き)『タイワニーズ』2:陳舜臣『タイワニーズ』1:温又柔
2023.09.20
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図書館に予約していた『クララとお日さま』という本を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロには変わらずフォローしてきたが、最新長篇とあればチョイスするしかないでぇ♪【クララとお日さま】カズオ・イシグロ著、早川書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱の少女ジョジーと出会い、やがて二人は友情を育んでゆく。生きることの意味を問う感動作。愛とは、知性とは、家族とは?ノーベル文学賞受賞第一作、カズオ・イシグロ最新長篇。<読む前の大使寸評>ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロには変わらずフォローしてきたが、最新長篇とあればチョイスするしかないでぇ♪<図書館予約:(8/31予約、9/06受取)>rakutenクララとお日さま語り手の「わたし」クララは人口親友(AF)である。AFはアクセサリーや食器なども扱う店で売られている。AFはそれぞれ独自の個性を持っていて、クララは最新型のB3型ではなくて旧型のB2型である。病弱な少女ジョジーは店頭ではじめてクララと出会った時から惹かれ合ったのだが・・・「第1部」でクララの語り口を、見てみましょう。p29~31 当時のわたしに、ローザほど一緒にウィンドーに立ちたかった相手はいません。でも、一緒にいたその時間こそが二人の違いを際立たせたと思います。わたしのほうがローザより外の世界を知りたがっただけ? いえ、たぶん、それだけとは言えません。 ローザもローザなりに外の世界にわくわくし、観察もしていました。親切で役に立つAFになるため、できるだけの準備をしたいという想いは、わたしに劣らずあったと思います。ただ、わたしは観察を重ねるほどにもっと知りたくなり、目の前で通行人が見せるさまざまな感情の不思議に困惑しながらも、そのたびに興味を搔き立てられました。それがローザと違った点でしょうか。 人の感情という不可解なものを前にしたら、その一部だけでも理解しておかねば、いざ相手を助けようというときに最善を尽くすことができません。ですから、歩道上に、通り過ぎるタクシーの中に、横断歩道を渡ろうと待つ人の群れの中に、わたしはいろいろな行動を積極的に探し、学んで理解しようとつとめました。 最初はローザにも同じようにしてほしいと思っていましたが、すぐにその無意味さを悟りました。一度こんなことがありました。ウィンドーでの三日目、お日さまがもうRPOビルの背後に隠れてしまったあとのことです。二台のタクシーがお店側の路肩に止まり、どちらからもドライバーが出てきてケンカをはじめたのです。争いごとを見たのは、これがはじめてではありません。お店に来て間もないころ、犬を連れた物乞いの人と三人のお巡りさんが、向かいのビルの騙し戸口の前でもめていたことがあって、わたしたちも目を丸くしてウィンドー越しに見物していました。でも、あれは怒ったあげくのケンカというより、酔った物乞いの人を、心配したお巡りさんが助けようとしていたのだ、と店長佐賀あとで説明してくれました。 でも、今度のドライバーどうしのケンカは、お巡りさんのときとは違います。どちらも相手を本気でひどく傷つけようとして殴り合っていました。二人の顔は恐ろしくゆがんでいて、生まれたてのAFだったら、人の顔とにんしきできなかったかもしれません。しかも殴り合いながら、ずっとひどい言葉を投げつけ合ってもいました。 通行人は最初こそショックを受け、二人を遠巻きにしていましたが、やがて会社員風の人たちやジョギングで通りかかった人が割って入り、ケンカをやめさせました。ドライバーの一人は顔面に出血していましたが、そのまま二人とも車に乗り込み、あとはいつもどおりの風景に戻りました。ケンカのあとなのに、二台のタクシーは同一車線に前後して並び、信号が変わるのをおとなしく待っていました。 問題は、いま見たことをローザと話し合おうとしたときのことです。ローザは怪訝な顔で、「ケンカ? みなかったわよ、クララ」と言ったのです。「そんなはずないでしょ、ローザ。いま、目の前で起こったことよ。ドライバーが二人・・・」 「ああ、タクシーの人のこと? あの人たちのことだとは思わなかった。見たわよ、クララ。もちろん見たけど、でも、ケンカしてるなんて思わなかった」 「ローザ、あれがケンカでなくて何?」「あれはケンカのふりでしょ? ふざけてたのよ」 「ローザ、あれはケンカです」 「ばか言わないで、クララ。妙なこと思いつくのね。あれは遊び。二人で楽しんでたじゃない。通行人だっておもしろがってたわよ」 わたしは根負けしました。最後に「そうだったかもね、ローザ」と言い、ローザはそれきり忘れたと思います。 でも、わたしはあのタクシードライバーをそう簡単には忘れられませんでした。通りかかった人を目で追っては、あの人もあのドライバーのように怒ることがあるのかしらと思ったり、あの人が怒りで顔をゆがめたら、いったいどんな形相になるのだろうと想像したりしました。そして何よりも(ローザに話しても絶対に理解してもらえなかったでしょうが)あのドライバーの怒りを自分の心の中で再現してみようとさえしました。 わたしとローザが互いに怒り、ああいうケンカになって、本気で相手の体に傷を負わせようとすることなどありうるだろうか、と。そんなばかな、とは思います。でも、実際にあの二人のドライバーはやっていましたし、わたしの心にもそんな感情の兆しがあるのでしょうか・・・。結局、無駄な試みでした。わたしは自分のばかな思いつきを笑いました。
2023.09.20
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1970年代の歌謡曲黄金時代について・・・2011.05.26『歌謡曲黄金時代』を以下のとおり、復刻して読んでみます。********************************************************* NHK-BSで「カラオケ」興隆期のお話を放映していた。また、筒美京平の特集も近々オンエアされるそうである。「カラオケ」興隆期といえば日本が右肩上がりの時代であり、大使もブイブイ言わせていた時期ですね(どうでもいいけど) カウンターに100円玉を積んでリクエストするわけだが、当時のカラオケ機器は8トラックのカセット式でした。(この頃に、東京、大阪、博多と同時発生的にカラオケ機器が生まれたそうです) レーザーディスク式カラオケの出る前だから、歌詞の本を持ち、歌いだしのタイミングを間違えないように歌うわけで・・・・かように身銭をきりながら、カラオケ訓練中の良き時代だったのかも。 ところで、歌謡曲黄金時代とは1970年代を言うんだそうですね。 岩波新書「歌謡曲」にそう書いてありました。【歌謡曲】高護著、早川書房、2011年刊<出版社>より日本に生まれた独自のポピュラー音楽「歌謡曲」.それは誰が,どのように作り,どう歌われたものだったのか.時代を象徴するヒット曲を手がかりに,作詞家,作曲家,編曲家,歌手の各側面から,その魅力の源泉に迫る.制作の背景,楽曲・歌唱の音楽的分析,作品の与えた影響など,初めて書かれる本格的ディスコグラフィである.<読む前の大使寸評>追って記入iwanami歌謡曲<1970年代概説>p102~111 1970年代はニューミュージックが誕生~発展~定着した10年間である。ニューミュージックは自作自演が前提で、職業作家による作品を基本とする歌謡曲とは大きく異なる。ニューミュージックはフォーク、ロック、ポップスに細分されるが歌謡曲も10年の間に細分化が進んだ。 71~72年にかけてアイドル歌謡が誕生し、演歌はジャンルとしてより強固にその位置を確定させた。そのどちらにも属さない歌謡曲の本流はポップス系の作品を中心に隆盛を極めたが後半は徐々に空洞化に向かう。70年代のレコード大賞受賞曲は次のようになる。 菅原洋一「今日でお別れ」(70年),尾崎紀世彦「また逢う日まで」(710年),ちあきなおみ「喝采」(72年),五木ひろし「夜空」(73年),森進一「襟裳岬」(74年),布施明「シクラメンのかほり」(75年),都はるみ「北の宿から」(76年),沢田研一「勝手にしやがれ」(77年),ピンク・レディー「UFO」(78年),ジュディ・オング「魅せられて」(79年)。 わずか10曲を列挙しただけで幅の広い豊かな作品群に圧倒されるが、アイドル、ニューミュージック、演歌がほどよくブレンドされ、阿久悠、筒美京平に代表される職業作家の優れた作品が量産された記念すべき年代である。(中略) 71年のレコード大賞新人賞を獲得したのは小柳ルミ子「わたしの城下町」、南沙織「17才」、本郷直樹「燃える恋人」、欧陽フィフィ「雨の御堂筋」、シモンズ「恋人もいないのに」の五組で最優秀新人賞は年間チャート一位の小柳ルミ子だった。 演歌ではビクターの森進一、青江三奈とクラウンの美川憲一は引き続き好調でRCAビクターの内山田洋とクールファイブ、藤圭子も精力的に新作を発表していた。「全日本歌謡選手権」を10週勝ち抜いた五木ひろしが3月に「よこはま・たそがれ」でデビュー。演歌シーンはその幅を広げることに成功した。 69年のベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」の後をうけて、70~71年にかけてのフォーク・シーンはソルティー・シュガーの「走れコータロー」や同じくアマチュアのチェリッシュ「なのにあなたは京都へゆくの」といったヒット曲が生まれ、ザ・フォーク・クルセダーズをきっかけにした関西フォークからは、シモンズ「恋人もいないのに」、ジローズ「戦争を知らない子供たち」、はしだのりひことクライマックス「花嫁」が大ヒットとなった。(中略) よしだたくろう、井上陽水、チューリップ、キャロルの四者のうち前二者はフォーク、後の二者はロックの範疇に入るが音楽的にはどれもかなり異なる。共通しているのは、自作自演であること、それ以前の「歌謡曲」とは無縁の活動をしているところである。テレビの芸能番組やバラエティ番組の出演、芸能誌での露出といった、それ以前のノウハウをあまり踏襲せずに深夜のラジオ番組やライブ活動を中心にプロモーション活動を展開。シングル盤が中心となっていた歌謡曲に対してアルバム志向を前面に打ち出していた。 73年にはフォーク/ロックの台頭を象徴するかのようにガロの「学生街の喫茶店」、「ロマンス」やチェリッシュ「てんとう虫のサンバ」、「白いギター」、南こうせつとかぐや姫「神田川」、チューリップ「心の旅」という楽曲がヒットした。(中略) 70年代半ばの太田裕美と岩崎宏美という二人の新人はどちらも筒美京平作品でヒットを放ったが、太田裕美は松本隆が本格的に歌謡曲に取り組んだ最も初期の歌手であり、岩崎宏美は筒美京平が「スター誕生!」出身者にはじめてシングル曲を提供した歌手である。75年の岩崎宏美「ロマンス」や太田裕美「木綿のハンカチーフ」はアイドルとしては破格ともいえるミリオンに手が届く特大のヒットとなった。見方をかえればアイドル・ポップスは空洞化しつつあった歌謡曲の本流に近づいていたということである。(中略) 78年には矢沢栄吉が「時間よ止まれ」で首位を獲得。他にも松山千春の「季節の中で」、アリス「チャンピオン」といった大ヒットが生まれていた。また「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズが79年3月に発売した第3作「いとしのエリー」はデビュー曲を上回る大ヒットを記録した。この年の首位獲得曲は11曲だが、うち6曲は次のようにニューミュージック勢が占めていた。アリス「チャンピオン」、甲斐バンド「HERO」、岸田智史「きみの朝」、さだまさし「関白宣言」、さだまさし「親父の一番長い日」、久保田早紀「異邦人」。 これらはいくつかの例外を除いてほとんどが自作自演で、プロの作詞家作曲家の活躍する機会は明らかに減っていたが、筒美京平は健在だった。松本隆とコンビを組んだ桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」は文字通りNo.1ヒットとなり、阿木耀子の作詞によるジュディ・オング「魅せられて」は9週連続で首位を独走。79年のレコード大賞を受賞した。 沢田研二は1980年1月1日に「TOKIO」を発表。ピンク・レディは79年にアメリカ進出を果たしながらも失速。山口百恵は80年3月7日に引退宣言する。80年代をリードすることになる松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」が発売されるのはその4週間後の4月1日のことだった。<ジョニーへの伝言>p156~159 阿久悠の第2期黄金時代のはじまる72年の作品は次のようなライン・アップだった。 藤圭子「京都から博多まで」、鹿内孝「本牧メルヘン」、尾崎紀世彦「ふたりは若かった」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、山本リンダ「どうにもとまらない」、研ナオコ「京都の女の子」、森昌子「せんせい」、内山田洋とクールファイブ「恋唄」、水前寺清子「昭和放浪紀」、森進一「放浪船」。 先立つ70年の北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」はタイトル、設定、言葉の配置とどれも斬新で、その後の作品に大きな影響を与えた阿久悠にとって重要な作品である。このときに阿久悠がレコード大賞作詞賞を望んだことはよく知られる。「ざんげの値打ちもない」は47年の大ヒット曲である菊池章子「星の流れに」(清水みのる・利根一郎)に近似した世界であるが、「星の流れに」と「ざんげの値打ちもない」の決定的な違いは、そのドラマ(現実)の原因を社会(外面)に求めるか自己(内面)に求めるかである。(中略) 星野哲郎の84年の著作「歌、いとしきものよ」の第5章として星野哲郎と阿久悠の対談が掲載されている。このときが二人のほぼ初対面という興味深い読み物だが、星野哲郎が阿久悠に訊ねるといった形式で進むなか、「やっと謎がとけた。やっぱり阿久さんの詩は映画なんだ」と星野哲郎の言うように詩というよりはきわめて脚本的である。そして同時に佐伯孝夫のもつメディア的な時事感覚をテレビを通じて展開させたプロデューサーとしての視点も大きな特徴である。(中略) “ジョニーが来たなら伝えてよ 2時間待ってたと 割と元気良く 出て行ったよと お酒のついでに話してよ”は「ざんげの値打ちもない」のドラマ性を推し進めて「また逢う日まで」で描いた別離を視覚的に物語化した「旅立ち」の歌である。 ペドロ&カプリシャスはペドロ梅村をリーダーとするラテン・コンボで、71年に前野曜子をヴォーカルに迎えたデビュー・シングル「別れの朝」(訳詩・なかにし礼)がチャートの一位を飾る大ヒットを記録したが、前野曜子が脱退。「ジョニーへの伝言」は高橋まり(現・高橋真利子)が二代目ヴォーカルとして加入した第二期ペドロ&カプリシャス時代の作品である。 AABの二ハーフだがAパートが12小節のブルース形式。メロディー・メーカー戸倉俊一の代表作であり自身による編曲は抜群の完成度である。洗練されたオーケストレーションやコード・ワーク、高橋まりのナチュラルな歌唱は、旧来の「演歌」に属する別れの人間模様をオリジナルのポップスとして成立させた。まさに日本のポップスのスタンダードの誕生を告げる記念すべき作品である。<ルビーの指環>p190~191 この年、松本隆は大滝詠一の「ロング・バケイション」からシングル・カットされた「君は天然色」、「恋するカレン」がヒット。南佳他孝「スローなブギにしてくれ」も好調で、細野晴臣とのコンビによるイモ欣トリオ「ハイスクール・ララバイ」も7週連続の一位を獲得。松本隆は年間6曲のNo.1ヒットでトータル26週を独占して、まさに黄金時代を迎えていた。 “曇りガラスの向こうは 風の街”ではじまる「ルビーの指環」は、情景描写と回想を織り交ぜた「青春ノスタルジー」の手法を用いつつアーバンな世界を演出。指輪を「指環」と表記したのは松本隆独特のこだわりである。寺尾聡はザ・サベージのメンバーとして、「勝ち抜きエレキ合戦」に優勝して66年にフォーク調の「いつまでもいつまでも」でデビュー。俳優に転向後、人気刑事ドラマ「西部警察」でレイバンのサングラスと44マグナムの「リキ」が当たり役となった。音楽活動は活発ではなかったが、80年に「SHYADOW CITY」、「出航 SASURAI」の2作のシングルで再始動して、翌81年の「ルビーの指環」は続く3作目となる。 シティ・ポップス/AOR歌謡の決定打ともいうべき「ルビーの指環」は10週連続の首位を獲得する特大ヒットとなり、ミリオン・セラーを記録して日本レコード大賞を受賞。松本隆は作詩賞、寺尾聡は作曲賞、井上鑑は編曲賞をそれぞれ受賞した。シングル3作を含むアルバム「Reflection」は12週連続で首位を獲得。81年の年間第一位セールスに輝いた。■ルビーの指環 / 寺尾聰 (歌詞入り) https://www.youtube.com/watch?v=cJhz-EVkaHY
2023.09.19
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在27位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在3位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在14位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在9位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在37位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在432位・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、副本?、予約57)現在30位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在339位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在159位・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、副本?、予約46)現在45位・坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・斎藤環『社会的ひきこもり』・原田ひ香『図書館のお夜食』・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・村上春樹『うずまき猫のみつけかた』・松里公孝『ウクライナ動乱』<予約分受取:6/16以降> ・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取)・阿川佐和子『 老人初心者の覚悟』(7/18予約、7/26受取)・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、8/16受取)・カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(8/31予約、9/06受取)・小松左京『大震災'95』(9/02予約、9/06受取)・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、9/06受取)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【白鶴亮翅】多和田葉子著、朝日新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>よりベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。さまざまな文化的背景の人びととの出会い、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれ、名作を女性の視点で読み直す。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/2予約、副本?、予約57)>rakuten白鶴亮翅【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【リスペクト】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より2014年にロンドンで実際に起きた占拠事件をモデルとした小説。ホームレス・シェルターに住んでいたシングルマザーたちが、地方自治体の予算削減のために退去を迫られる。人種や世代を超えて女性たちが連帯して立ち上がり、公営住宅を占拠。一方、日本の新聞社ロンドン支局記者の史奈子がふと占拠地を訪れ、元恋人でアナキストの幸太もロンドンに来て現地の人々とどんどん交流し…。「自分たちでやってやれ」という精神(DIY)と、相互扶助(助け合い)と、シスターフッドの物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、9/06受取予定)>rakutenリスペクト【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.09.19
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中華を語るなら陳舜臣さんということで、『実録アヘン戦争』という本を復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『実録アヘン戦争』という新書を、手にしたのです。かなり古い本であるが、毎日出版文化賞受賞の本ということで・・・期待できそうである。【実録アヘン戦争】陳舜臣著、中央公論新社、1971年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データ無し<読む前の大使寸評>かなり古い本であるが、毎日出版文化賞受賞の本ということで・・・期待できそうである。amazon実録アヘン戦争英メネシス号の中国兵船砲撃アヘン戦争開戦前夜あたりを、見てみましょう。p128~130<実力行使> 公行は大へんな問題を背負い込んだ。 夷人がこの国に来るのは、アヘンを売って、茶葉を買うためである。 アヘンを持ち込めば殺されてもよい。・・・そんな誓約書に、夷人たちがおいそれとサインをするはずがない。 そのうえ、現在夷人が〇〇沖にストックしているアヘンを、ぜんぶ没収されるために供出せよというのだ。 困ったことに、天朝である中国には対等の国家がなく、したがって外交関係もありえないという“たてまえ”である。したがって、外交を担当する役所もない。夷人のことは、すべて公行というルートを通してなされる。たとえば、すべての外国船が広州にはいるとき、公行のメンバーの誰かが保証人とならねばならない。国家の外交と通商事務を、民間の同業組合が一手に引受けているという変則的な形態である。商売のうえでは独占ということになって、大そうけっこうであるが、こんどのような難題がもちあがると、たちまち頭が痛くなるのだった。 期限と定められた三日のあいだに、公行総商の伍紹栄はげっそりと痩せてしまった。問題が解決する見通しはまったくなかった。 いったい、公行は正式の特許商人だから、アヘンは扱うことができない。それなのに、アヘン問題から起こったゴタゴタで、こんな苦しい板挟みになるのだから、割の合わない話である。 かつて公行のメンバーであった同泰行という店が、自分が保証人になった外国船からアヘンが発見されたというだけで、貨物の50倍の罰金刑を受けたことがあった。 …弛禁論が実現しておれば、こんな苦労もなかっただろう。 そんな愚痴がメンバーの口からもれたであろう。 夷人たちは、公行から示された諭帖を、頭から拒絶した。話し合いの余地もないという態度であった。 約束の期限は2月7日であった。新暦では3月21日で、春分にあたる。そのためか、林則徐はその日、なんの行動も起こさなかった。翌日も代理の役人を十三行街に派遣いただけである。 伍紹栄はけんめいに夷人たちのあいだを説いてまわった。 …どうせこの国の役人のことだ。こけおどしにすぎない。賄賂をはずめということだろうが、そうはさせないぞ。 夷人の大部分は、そんなふうに考えていた。これまで清国の役人は、ソデの下をつかませると、どうにでもなったからである。 伍紹栄は、「欽差大臣」という役職を説明し、これは非常のときにしか任命されないもので、最近では7年まえの台湾叛乱にさいして、福州将軍瑚松額が任命された一例のみだから、ことは重大だ、と熱っぽく説く。やっと夷人たちも、こんどは金で解決できそうもないとわかったようだ。 欽差大臣ともあろう者が、いったん言い出したことを、かんたんに引っ込めることはできないだろう。では、すこし奮発して、面子を立ててやるか。…こうして、夷人たちもちょっぴり譲歩した。 誓約書のことにはふれずに、ストックのアヘン1037箱を供出しようと答えたのである。だが、林則徐は各方面の情報を検討して、アヘン母船にストックされているアヘンは、約2万箱あると推定していた。 …千箱などでは問題にならん! と、その申し出は一蹴された。 追い打ちをかけるように、欽差大臣から夷館内の一英人に逮捕状が出された。 デント商会のデントである。 もともと林則徐は代表的アヘン商人としてジャーディン・マセソン商会のジャーディンを逮捕して、みせしめにするつもりであった。ところが、かんじんの本人が、林則徐着任五日まえに、イギリスに帰国していたのである。デントはその身代りであった。この本も陳舜臣アンソロジーR12に収めておくものとします。なお、東インド会社については『東インド会社とアジアの海賊』という本が面白いのです。『実録アヘン戦争』3:アヘン戦争開戦前夜『実録アヘン戦争』2:東インド会社の退潮『実録アヘン戦争』1:貿易品としての茶とアヘン
2023.09.18
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<横尾忠則を観に行こう♪19>異常に蒸し暑い昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。Yokoo in Wonderland―横尾忠則の不思議の国より横尾作品のなかの「不思議」に着目し、現実の延長にあるもうひとつの世界をルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」になぞらえて紹介する展覧会。第1章「不思議の国」では、地底や海中、宇宙を舞台にした作品が、第2章では「鏡の国」と題して鏡やミラーイメージを用いた作品が、私たちを異世界へと誘います。そして、第3章「夢の国」では、横尾自身の夢をもとに描いた《夢枕》全43点を一堂に展示します。期間 2023.9.16 sat. - 2023.12.24 sun.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館、9月19日(火)、10月10日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円鑑賞後のレポートは追って追記する予定とします。横尾忠則を観に行こう♪18
2023.09.18
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いろんな視点で82作品を読みとく『文学的商品学』という本が良かったので、以下のとおり復刻してみたのです。*********************************************************図書館で『文学的商品学』という本を手にしたのです。膨大な数の書評を書いている著者だから、商品学と銘打つのは・・・いいんじゃないか。【文学的商品学】斎藤美奈子著、紀伊國屋書店、2004年刊<「BOOK」データベース>より商品情報を読むように、小説を読んでみよう。庄司薫から渡辺淳一まで、のべ70人の82作品を自在に読みとく。【目次】はじめにー商品情報を読むように小説を読んでみよう/1 アパレル泣かせの青春小説/2 ファッション音痴の風俗小説/3 広告代理店式カタログ小説/4 飽食の時代のフード小説/5 ホラーの館ホテル小説/6 いかす!バンド文学/7 とばす!オートバイ文学/8 人生劇場としての野球小説/9 平成不況下の貧乏小説<読む前の大使寸評>膨大な数の書評を書いている著者だから、商品学と銘打つのは・・・いいんじゃないか。rakuten文学的商品学「9 平成不況下の貧乏小説」でいくつか、見てみましょう。p228~233 全部が全部ではありませんが、プロレタリア文学の多くは三人称、いわゆる全知全能の神の視点で書かれています。だれか特定の個人というよりは、群像としての労働者=労働者階級を描くのがこのジャンルの目ざすところだからです。したがって、物語の外側にるいる語り手はみな、たいそう自覚的なマルクス主義者です。もう一作、よく知られた作品を読んでみましょう。 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。 北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」といっている。蛸は自分が生きて行くためには、自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜け目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。(『蟹工船』) 小林多喜二『蟹工船』の一節です。そういえばこれもマドロスものですね。船というのは他から分断された独立空間ですから、物語の舞台に適していたのかもしれません。『蟹工船』にも特定の主人公は存在しません。(中略) しかし、この理屈っぽさはどうでしょう。貧乏の構造を語ろうとするあまり、登場人物をさしおいて、ここでは語り手が「搾取」だの「国家」だのいう語をふりまわして演説をぶっちゃってる。描かれる対象(労働者)と描く人(語り手あるいは作者)との間に知的な距離があること。それがこのジャンルの隠れた特質ともいえましょう。<貧乏小説はダメ男としっかり者の女の物語である> さて、というように、同じように貧乏を扱いながら、私小説とプロレタリア文学のベクトルは一見まったく逆を向いています。内向きに閉じていく私小説と、外に向かってアジテーションするプロレタリア文学。トホホの私小説と、怒れるプロレタリア文学。 しかし、この二つには大きな共通項があります。 元祖貧乏小説とは、「知識階級=インテリゲンチャの貧乏小説」なのです。 自分自身をモデルにした私小説の場合、主人公は必ず作家か、または作家志望者です。家を追い出され、子どもをつれて街をさまようことになっても、書きかけの原稿は後生大事に抱えている主人公。これが「インテリ貧乏」でなくてなんでしょう。 この種の「インテリ貧乏」な男たちを間近に見ていた女性作家は、こんな風に書いています。 小山は、二度の監獄生活に懲りて社会運動から逃避し無名な原稿を書き、4年もつづけている男であった。彼の原稿は、不思議に、どんな大作を、どんなに根気よく書いて持込んでも、糸をつけておいたように、次から次から戻って来てしまうのである。 私と一緒になる動機にも、女を働かせる、という狡猾な考えを第一の理由としてひそませなければならない、みじめな男であった。「ね、お前、今度だけでいいから誰かに頼んで、少しつくって来てくれないか」 生活が窮して来ると、彼は、その切れの長い目を細くして、まじまじと私の表情をうかがいながら、今度こそ、今度だけだ、という風に、私に哀願するのであった。(「嘲る」) プロレタリア文学作家で、同時に私小説作家でもあった平林たい子の短篇の一節です。こんな男と結婚したのが運の尽きですが、女性作家の貧乏小説にはこの手が少なくありません。 ちょうど私小説やプロレタリア文学が文壇内部で話題になっていたころ、大衆に支持されて、ベストセラーになった貧乏文学がありました。林芙美子『放浪記』です。女学校を出て上京した林芙美子は、それからの5年間、日々の雑記をノートに書きためていました。その一部を編集して出版されたのが『放浪記』です。それは全編、こんな記述であふれています。 私は朝から何も食べない。童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が1ヵ月のどへ通るわけでもなかった。お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。ああ私の頭にはプロレタリアもブルジョアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。(『放浪記』)『文学的商品学』3:平成不況下の貧乏小説『文学的商品学』2:フード小説『文学的商品学』1:浅田次郎『プリズンホテル』
2023.09.17
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図書館で『くもをさがす』という本を、手にしたのです。西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。<図書館予約:(5/10予約、9/06受取)>rakutenくもをさがす最後に「第5章 日本、私の自由は」でがん仲間との交流が語られているあたりを、見てみましょう。p238~240<5 日本、私の自由は> がんサバイバーになって、トレイシーの人生観は大きく変わった。人生は一度きりで、一切の保証はない。だからこそ、春に芽吹く木の葉の一枚一枚に奇跡を感じるようになった。友人や家族を以前にも増して大切にしようと決め、子供を持つ決意を固めて、ディランとローガンという素晴らしい双子を授かることが出来た。 彼女は毎日忙しそうにしている。双子の子供たちと遊び、車で出勤して、バリバリと仕事をし、夫のショーンの管理人業務も手伝っている。私は、近所を散歩する彼女をよく見た。彼女は会うと、いつも立ち止まって、私の体調のことを聞いてくれた。私が、いろんな人に助けられている、特に、あなたのような乳がんサバイバーの意見はありがたかった、そう告げると、彼女は言った。「キャンサーシスターフッドやな!」 その一員として、私も、誰かのためにありたいと思う。 マリに、アナリサという友人を紹介してもらった。彼女は、5月に両胸の乳がんと宣告され、10月に全摘手術を受ける。私はすぐに、アナリサとコニーとのグループメールを作った。 初期の、そして進行の遅いがんなので、抗がん剤治療は今のところ不要だと言われているが、確実ではないと言う。彼女は今、一人で暮らしている。どれくらいで仕事に復帰できるのか、そもそも、一人で身の回りのことが出来るのだろうかと、彼女は不安に思っている。手術の日がなかなか決定しないのもストレスだそうだ。 私とコニーは、自分達が知る限りのことを彼女に伝えた。術後、マリがオーガナイザーとなってMeal Trainを始めるそうなので、参加するつもりだ。そして今から、3人でコーヒーを飲みに行く。彼女の恐怖がなくなることはないだろう。でも、そばにいることはできる。それだけは出来る。 がんを告知されてから、あらゆる人とハグをした。体が折れそうになる程強いハグもあったし、柔らかい毛布で包まれているようなハグもあったし、私の体を壊れ物のように扱ってくれる優しいハグもあった。 カナダに来て、自分が「ハグ好き」であることが判明した。日本にいたときは、体を触れ合うのが嫌いな人もいるだろうし、セクハラになったらどうしよう、そんな風に、いつも遠慮してきた。というより、そもそもハグをしようと思い至らなかった。そんな習慣がなかったからだ。 でも、カナダに来て、いろんな人とハグするうち、ああ、私はハグがしたかったのだと思い至った。大好きな人に会ったとき、笑って挨拶をするだけでは、そして、改札前で「また会おう」と手を振るだけでは、どこか足りないような気がしていた。私は、大好きな人を抱きしめ、抱きしめられたかった。 がんになった後、それを言い訳に、たくさんの人にハグをしてもらった。中には、私が日本人であることを、そしてコロナのことを考慮して、「ハグしても大丈夫?」 そう聞いてくれる人もいた。もちろん、大歓迎だった。誰かを抱きしめることは、そして、誰かに抱きしめられることは、その行為以上の何かになった。お互いの体温を交換し、お互いが「生きている」のだと感じるその時間が、私にどれほどの力を与えてくれたか。 アナリサに会って、彼女にハグをしていいか聞こうと思う。そして、もしOKしてくれたなら、力一杯抱きしめようと思う。みんなが私に、そうしてくれたように。『くもをさがす』3:術後の運動『くもをさがす』2:怒涛の検診ラッシュ『くもをさがす』1:がん告知
2023.09.17
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翻訳家の柴田センセイが「大和言葉と漢語の対比」などについて語っているので・・・以下のとおり復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『柴田元幸の意見100』という本を、手にしたのです。おお 翻訳に関する100の意見てか・・・大使のツボが疼くのでおます♪【柴田元幸の意見100】柴田元幸著、株式会社アルク、2020年刊<「BOOK」データベース >より近現代の英米文学作品を、独自の視点で選び抜いて翻訳し、日本の読書界を動かしている翻訳家・柴田元幸が、翻訳に対する考え方や自身の翻訳手法について述べたとっておきの100の言葉(と、なぜか本人のボケツッコミ)を集めた一冊。東京大学での翻訳の授業や、講演、対談、インタビューなど、さまざまなシーンのシバタセンセイが登場。柴田訳のファン、翻訳に興味のある方、英語を勉強中の方、言葉について考えるのが好きな方、そして、なぜだかこの本を手に取ってしまったあなた。-どなたにもおすすめの一冊です。<読む前の大使寸評>おお 翻訳に関する100の意見てか・・・大使のツボが疼くのでおます♪rakuten柴田元幸の意見100ラテン語と英語の関係が述べられているので、見てみましょう。p114~115<48 漢語と和語のせめぎ合い> 漢語と和語のせめぎ合いという問題は、現代の翻訳でも、少なくとも英語の翻訳に関する限り変わっていません。 英語は種に二つの言語から成り立っていて、ブリテン島でもともと使われていたシンプルなアングロサクソン語がまずあって、そこに征服民族のラテン語、フランス語が入ってくる。たとえば「得る」はアングロサクソン系の英語だとgetですが、ラテン語起源の語ではobtainとかaquireなどがある。 この対比は、大和言葉と漢語の対比とほぼ同じだと思います。だから、英語から翻訳する時に、getやhaveだったら「得る」「持つ」ですが、aquireだったら「獲得する」、possessだったら「所有する」と訳し分ける。 もちろん文脈でいくらでも変わってきますが、そういう原則はしっかりあるべきです。案外問題にされないことですが。翻訳するスピードを、見てみましょう。p138~139<59 読むスピードで訳す> (翻訳するスピードは)意識して速くあろうともしているんです。ゆっくり訳すとどうしてもセンテンス単位で訳してしまうけれど、読者は文章の流れで読むわけだから、個々のセンテンスが自己完結していてはダメなんです。読むときの感覚、ノリを訳文で再現するためにも速く訳すべきで、速いから雑ということではないですよ。村上春樹さんの凄さが述べられているので、見てみましょう。p198~199<87 外国語で書き始める> ご存知の方も多いと思いますが、村上春樹さんも第1作『風の歌を聴け』の最初の数ページを英語で書いていました。 まだ『風の歌を聴け』というタイトルも付いていなかった時点で、生まれて初めて小説を書いてみたはいいが、いかにも日本文学という感じがして嫌だなあと思った村上さんは、オリベッティのタイプライターを引っぱり出してきて、書き出しの数ページを英語で書いてみた。そうすると、凝った表現を使えず、シンプルに語らざるをえない。 それで日本文学臭さを抜くことができて、自分のスタイルに行き着くことができたと村上さんは言っています。二葉亭が1880年代にやったことを、村上さんは1970年代にやっていた。 二人とも、彼らから見て手垢の付いたスタイルから逃れようというときに、まず外国語で自分の文章を書いてみることを始めたというのは興味深いことだと思います。『柴田元幸の意見100』3:村上春樹さんの凄さ『柴田元幸の意見100』2:「!」やコロンについて『柴田元幸の意見100』1:翻訳の勘所
2023.09.16
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図書館で『くもをさがす』という本を、手にしたのです。西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。<図書館予約:(5/10予約、9/06受取予定)>rakutenくもをさがす「第3章 身体はみじめさの中で」で術後の運動が語られているあたりを、見てみましょう。p136~139<3 身体はみじめさの中で> 木蓮に、蕾がたくさんついていた。 蕾はアーモンド形をしていて、ふわふわとしたグレーの毛がついている。毛虫と猫の間みたいで、とても可愛らしかった。地面を見ると、スノードロップも芽を出し始めている。まだまだ寒く、雨も降り続いているが、確実に春は近づいてきていた。 術後のドレーンケアの講習を、Zoomで受けた。 乳がんの切除手術の後、傷口からチューブ状のドレーンが飛び出している。その先に排出バッグがついていて、術後に傷口から出た浸出液や血液がそこに溜まる仕組みになっている。それらの液体が少量になってきたら、ドレーンを外す。日本では、ドレーンが外れたら退院、という目安になっているようだ。つまり、術後はもちろん入院する。でも、カナダは違う。 少なくとも、バンクーバーは違った。手術は日帰りなのだった。看護師からそれを聞いた時、私は思わず笑ってしまった。「えっと、両乳房切除なんやけど、それでも日帰り?」「そうやで!」「あははは!」 渡されたスケジュールでは、手術の開始予定時間は12時、退院予定時間は15時15分だった。いや、この15分はなんやねん、と思った。それからすぐ、いや、突っ込むのはそこと違うやろ、そう思い直した。両乳房全摘手術から退院までおよそ3時間とは。目を疑った。 日帰りということは、ドレーンケアも自分でやらなければならない。そのやり方を、Zoomで説明するということだった。本来なら、病院でレクチャーを受けるのだが、コロナのこともあって、この形式なのだそうだ。 予定時間にZoomに入ると、他にも何人かの女性が待機していた。ハイ、と軽く挨拶をしあって、看護師が現れるのを待った。何人かはバンダナを頭に巻き、何人かは豊かな毛を生やしていた。年齢は見る限り幅広かった。人種も様々だった。でも皆、胸にがんを持っている。この画面に入る人皆が、告知された日の、あの夜を過ごしたのだ。それだけで、画面越しの結束感があった。 看護師のホリーが現れた。一通りの挨拶をして、皆の出席確認を取ると、早速説明が始まった。丸い排出バッグに溜まった液体を、計量カップに入れて8時間ごとに測る。内容は記録しておかなければいけない。大体30ミリリットル以下になったらドレーンチューブを抜く目安だそうだ。まさか、抜くのも自分で? と戦慄したが、それは流石に、看護師がやってくれるらしい。「術後は、ドレーンがある側を下にせんといてな。寝返りは反対側にして、リンパを取る人は腕が痺れることがあるから、傷口側にクッションを置いて、そこに腕を置いて寝たら楽やで。」 私は思わず、ホリーに質問した。「あの、うちは両乳房の切除なんやけど、その場合はどうしたら・・・。」 ホリーは、うーんと唸って、「しばらく寝返りは打たれへんなぁ。」 と言った。そうやんな、と思った。 数日後、今度は術後のリハビリテーションのレクチャーがあった。Zoomに参加すると、前回よりさらにリラックスした雰囲気だった。看護師のシェンのジョークに、皆が笑っている。ここまできたら、もう笑うしかないのだろうな、と思った。腹を括るなら、笑って括りたいのだ。「手術したら、当日からとにかく動いて。術後の回復にはそれが一番やから。」 シェンが言った。当日から出来る運動から、ドレーンが取れた後にする本格的な運動まで、一通りのレクチャーがあった。驚いたのは、術後数日は、運動をする前に、痛み止めのタイレノールを飲んで、と言われたことだった。 つまり、痛み止めを飲んでまで運動した方がいいということだ。最近は、ぎっくり腰も安静にするのではなく、なるべく動かした方が治りやすいと言われていると聞いた。私たちの体は、自分達が思っているよりも治癒能力が高いのだ。ウーム、両乳房全摘手術から退院までおよそ3時間、痛み止めを飲んで運動やて・・・カナダでの治療には驚くが、もう笑うしかないのだろう。『くもをさがす』2:怒涛の検診ラッシュ『くもをさがす』1:がん告知
2023.09.16
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いい技術を持っていたのに、いまだに切り売りを続ける東芝である。その東芝がWH(米国ウェスチングハウス)を買収した時には、競合会社はホントに驚いたものだった。・・・ということで、WHの買収、売却のいきさつを書いた『アディオス! ジャパン』という本を復刻して読んでみたい。*********************************************************図書館で『アディオス! ジャパン』という本を、手にしたのです。真山仁さん初の社会派エッセイてか・・・週刊誌連載の書籍化とのことで興味深いのです。【アディオス! ジャパン】真山仁著、毎日新聞出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より「ハゲタカ」の著者、初の社会派エッセイ。日本は終わった国なのか。「週刊エコノミスト」の人気連載が待望の書籍化。【目次】外からの視点でニッポンを見つめてみる/変凹君ニッポン漫遊記/ミャンマーは民主主義の学校か/先進国への狼煙 TOKYO1964/ビバ!富士山/ワインは語る/さらば築地のはずが/地熱は日本を救えるか/銀座でお金の重みを考える/IRは日本復活の成長産業となるのか/問われる震災復興/韓国は近くて遠いのか/沖縄は可哀そうな場所なのか/ニッポンの“国技”野球の底力/トランプ大統領は、民主主義の申し子なのか/ものづくり大国はいずこにー阪神工業地帯盛衰/大政奉還150年ーその探訪遠慮と誤算/言葉とは裏腹の平成時代/名門・東芝は何を失ったのか<読む前の大使寸評>真山仁さん初の社会派エッセイてか・・・週刊誌連載の書籍化とのことで興味深いのです。rakutenアディオス! ジャパン東芝の転落あるいは凋落を見てみましょう。・・・団塊世代にとっては見るのが辛いのだが。p290~295<製造業として原発ビジネスを見誤ったツケ> 東芝の転落は、2006年(平成18年)2月6日に始まったと、私は考えている。 この日、東芝は英国の国営企業・英国核燃料(BNFL)から原子力関連企業の雄、WH(米国ウェスチングハウス)を54億ドル(約6400億円)で買収した。 BNFLが当初想定した売却額は18億ドル程度だと言われているので、東芝は約3倍で買収したことになる。 日本では、東芝のWH買収に喝采を送ったアナリストが多かった。なぜならWHは、原子力発電所の軽水炉の一つであるPWR(加圧水型軽水炉)を開発した企業だからだ。 近年では、WHが直接携わっているのは原発の設計管理のみで、実際の建設は、ライセンス生産によって各分野で高い技術力を培ってきた企業に委ねられている。東芝が買収するまでは、三菱重工業がプラント部分のほぼ全てを、そして、基礎工事は大成建設や清水建設が担ってきた。 ところで原子炉には二つのタイプがあり、世界の原子力発電所のほとんどはPWRとBWR(沸騰水型軽水炉)のどちらかである。そしてBWRタイプの原発は、GE(米国ゼネラル・エレクトリック)が開発し、日立製作所と東芝がライセンス生産していた。 要するに、原発建設は、日本企業がほぼ独占受注し、世界の原発の安全を担保してきた。だが、それらは全て下請けであり、原発プラントの受注ビジネスはWHとGEの両雄が山分けし、共に大きな富を得ていたのだ。 設計から完成までの全てを自社で行うことは、日本の原発メーカーの悲願だった。だから東芝がWHを買収した際に関係者はみな喝采したのだ。 しかし、原発関係者は、正反対の反応を示した。 拙著『ベイジン』の取材中、「東芝は、PWRを製造するつもりでWHを買収したのだろうけど、それは無理」という声を何人もの関係者から聞いた。それどころか、「PWRを世界で独占的に製造している三菱重工が適正価格で買収しようとしたのを、東芝は大枚をはたいて奪取した。それによって失った国益は計り知れない」と憂う声も聞いた。 なぜか…。BWRを製造するノウハウと技術力と、PWRのそれとは全く別物だからだ。 原発は核燃料を利用し、核分裂によって水を沸騰させてタービンを回す。つまり放射能汚染された水蒸気で発電するのだ。しかし、原子力潜水艦用に開発されたというPWRは、200度以上に熱した水を、蒸気発生器という強靭かつ極薄の金属の配管に注入し、タービンを回すのだ。つまり核汚染されていない蒸気が電気を生む。 この蒸気発生器の製造には、豊富な知識や特殊な金属の製造技術などが必要だ。もし、その条件が満たされない場合、破断事故が起きる。実際に、関西電力美浜原子力発電所では、蒸気発生器の破断による死亡事故が過去に発生している。そうした事故も踏まえ、WHと三菱重工は改良を重ねて、他社が真似できない技術を蓄積してきたのだ。そして東芝はそのノウハウを知らなかった。 地球温暖化が問題視されたことで二酸化炭素をほとんど発生しない発電方法である原発が見直され、さらに沸騰水型より安全だというイメージもあって、世界からPWRの新規原発プラントの発注依頼が相次いでいる。WHを手に入れても、それらの新規建設が可能になれば、初期投資など安いもの…。当時の東芝経営陣あそう踏んだのだろう。 しかし、WHが受注し、東芝が製造したPWR型の新規原発は、建設中も含め一基も存在しない。 結果、宝の持ち腐れとなった。 メーカーとしての技術力の実績を踏まえて、自社の製造能力をしっかり測っていれば、PWRの新規受注の独り占めなどという夢は、取らぬタヌキの皮算用だとわかったはずだ。 製造業としての本分を失い、ビックビジネスに目がくらんだのだろうか。現在の東芝を見る限り、そう批判されても致し方ない。 経営危機に瀕する東芝は2018年1月、経営破綻したWHを、カナダの投資ファンドに46億ドル(約52000億円)で売却することを決めた。ウン 小説『ベイジン』を執筆しただけあって、原発ビジネスに関する知見は実に詳しいのである。(かく言う私も在職中は原発関連装置に関わっていたんだが)『アディオス! ジャパン』
2023.09.15
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図書館で『くもをさがす』という本を、手にしたのです。西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。<図書館予約:(5/10予約、9/06受取予定)>rakutenくもをさがす「第1章 蜘蛛と何か/誰か」で怒涛の検診ラッシュが語られているあたりを、見てみましょう。p34~36<1 蜘蛛と何か/誰か> がんであることは、母には内緒にしておこうと思っていた。最初は。やはり私の楽観性のなせる業で、がんであっても、腫瘍を取ればそれで終わりだ、などと考えていたのだった。でも、抗がん剤治療を始めるとなると、髪も抜けるだろうし、体重も減るだろうし、どうやったって黙ってはいられないだろうと思った。 母は泣いた。でも、私が思っていた以上に、冷静に受け止めてくれた。きっと、わたしの気持ちを慮って、そうしてくれたのだろう。感情的な母が、どれほど自分を抑制しているのだろうと思うと、胸が詰まった。カナダで治療を受けることを決めていることにも、彼女は動揺を見せなかった。コロナ禍で、こちらにやってくるのが困難なことを彼女は知っていて、その上で、彼女は言った。「お母さんには、祈ることしか出来ひんから。」 それは私が、望んでいることでもあった。私は母に、祈って欲しかった。私は彼女の祈りの強さを信じていた。 弘法大使贔屓だった祖母の影響だろう。母も般若心経を諳んじ、四国八十八箇所には父と何度も出掛け、私が長年の不妊治療と流産を経て今の子を妊娠したときは、子の無事を祈って、お百度を踏んだ。 母に蜘蛛のことを告げた。祖母が蜘蛛になって噛んだのだと思う、と言うと、母は言葉をなくしていた。この電話がかかってくる前日に、彼女も洗面所で、大きな蜘蛛を見たのだそうだ。 そしてその翌日、母はもっと大きな蜘蛛を見ることになる。母の掌ほどもある蜘蛛が、トイレの壁にじっと貼り付いていたそうだ。おばあちゃんが来てくれた、と、母は泣いた。「カナコ、だから大丈夫やで!」 そしてすぐに、お百度を踏みに行ってくれた。 それからは、怒涛の検診ラッシュだった。MRI、PET検査、針生検。担当してくれた看護師は、皆カジュアルだった。それに何故か、腕に大きなタトゥーをしている人が多かった。 PET検査の時の看護師は、「待ってる間Spoyify聞く?」と聞いてくれた。「私ので良かったら!」 いや、ええよ、と断った。あなたは優しいね、と言うと、彼女は何故か爆笑した。 針生検は、8月に受けたものより、精密なものだった。担当の医師はインターンのマークで、サムという先輩の医師が付き添った。マークは、「今日の医師は全員男性だから、もし居心地が悪かったら言ってね」 と言った。そんなことを聞いてくれることに驚いた。大丈夫やで、と伝えた。彼が針を刺すと、サムがモニターを見ながら、「そうじゃないマーク、曲がっている、まっすぐ!」などと言う。まるで、バシケットボールの試合を見ているコーチのようだった。「そう、そこだ、行け!」 私の胸に、何度も針が刺された。バチンッ、バチンッ! あんまり時間がかかったので、最後の2刺しはサムがした、麻酔が切れかかっていたのか、とても痛かった。うう、と唸ると、「君はタフだね!」 と、マークが言った。『くもをさがす』1
2023.09.15
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今、西加奈子さんのがん闘病記『くもをさがす』を読んでいるところだが・・・まあ、外国でがん治療を行うことの大変さがよく分かります。その点で私の場合は、全摘ではあったにしろ、術後にフルマラソンに挑戦するなど、がんを軽くみるあまり怖いのは肺がんだけでおます。ということで、私のがん闘病記のひとつ『予定どおりに退院しました』を復刻して読んでみます。*********************************************************2010.12.22予定どおりに退院しましたより本日、傷跡の痛みは残っているけど、ほぼ予定どおりに退院しました。いちばん心配だった検査結果は「摘出した部位は早期癌の段階であり、転移は見られない」とのことで、不幸中の幸いのような結果に安堵しました。・・・・これで、心置きなくリハビリ、練習に励むことができるというものです♪ところで、手術はこんなでした。手術室に歩いて入り、装着していたウォークマンを看護婦に渡して、ベッドに横になったのです。さり気なく(そんなに感じた)、麻酔用のマスクを付けられて「ちょっと匂うけど呼吸してみてください」と言われて呼吸を数回繰り返していたら・・・・・麻酔が効いたらしく、起されたのは手術の終わった約5時間後でした。「あれ?数字を数えてくれと言われるのではなかったのか?」全身麻酔は2回目の体験であったが、前回と様子が違っているのです。これだと、なんかだまし討ちにあったような気がしないでもない。腹のあたりが痛いので、意識のない間に肝を抜かれたことが分かるのであるが・・・・(胃と胆嚢を抜かれたのです)医学の恩恵を受けていることに感謝こそすれ、だまされたなどと文句をいえる筋合いのものではない。(ま~文句言ってももう遅いけど)徐々に回りの様子が分かってくるのだが・・・・出入りのチューブが点滴用チューブを含めて都合6本もあり、ベッドに釘付けされたような有様である。とくに鼻と尿道の2本が煩わしかったが、手術の翌日にはこの6本のチューブを点滴スタンドにぶら下げて歩かされるわけです。とにかく、最近の手術ではベッドから追い立てるように歩かせるのが主流のようです。*********************************************************
2023.09.14
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図書館で『くもをさがす』という本を、手にしたのです。西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。<図書館予約:(5/10予約、9/06受取予定)>rakutenくもをさがす「第1章 蜘蛛と何か/誰か」でがん告知が語られているあたりを、見てみましょう。p17~19<1 蜘蛛と何か/誰か> 宣告は、電話でされた。 クリニックの医師から電話があった時、私は整体をしてもらっているところだった。キックボクシングと柔術で、体がボロボロだったのだ。 柔術は、1年前から続けていた。コロナが蔓延して、半年ほど休まざるを得なかったので、久しぶりに復活したところだった。それから、キックボクシングも始めた。それぞれ週3、計6回ジムに通い、それ以外にも柔術は、パーソナルトレーニングもつけてもらった。 私は特に、柔術に夢中だった。先生のベルナルドと1時間のスパーリングをやっていると、指の皮がむけて血が出た。首を絞められ、体重をかけられ、足をすくわれている時、私はこの瞬間どうするか以外、何も考えていなかった。やることはたくさんあり、とても複雑なのに、それに対峙する自分の気持ちは、この上なくシンプルだった。私はそれに魅せられた。 どれだけ通っても、私はずっと弱いままだった。いつもこてんぱんにやられた(〇)。自分がどうして、こんなに向いていないことを続けているのか、訳が分からなかった。でも、とにかく強くなるために、私はご飯をたくさん食べ、家で筋トレをして、休日はランニングをした。あとから夫が、あの頃の鍛え方は尋常じゃなかったと言っていた。私の体がどこかで、今後治療することを予見していたのではないか、そのために備えていたのではないか、と。 そういえば私は、5月の自分の誕生日から、酒をピタリと止めていた。何か決意した訳ではないし、もちろん自分の体のことを知っていた訳でもない。でも、誕生日にワインを飲んで、その翌日から、なんだかもう、いらなくなったのだった。 私は酒が好きだった。大好きだった。特にカナダに来てからは、ブリチッシュ・コロンビア州産のワインが美味しいものだから、毎日ガブガブ飲んでいた(NARRATIVEという赤ワインが、特にお気に入りだった)。コロナ禍になってからは、ウォッカやジンにも手を出すようになった。夕ご飯を作りながら、ウォッカのレモンソーダ割りやジントニックを飲むのが日課だった。本当に、酒のない日常なんて考えられなかった。それなのに、突然、パタリと要求が止んだ。とにかく私はその時、私史上最強に健康で、最高にクリーンな体をしていた、はずだった。 整体師の先生に断って、電話に出た。前回の女性医師とは、また違う男性医師からだった。ウィル、と名乗った。彼は優しい声で、針生検の結果が出ました、と言った。「あなたの病名はInvasive ductal carcinomaです。」 カルチノーマ、という言葉が、何を表すものなのか、分からなかった。だから、こう聞いた。「それはがんですか?」 彼は、「そうです」 と言った。「私から教えられるのはここまでです。来週の月曜日か火曜日に、がんセンターから電話があります。もし、かかってこなければ、クリニックの私のところに、電話をしてください。」 8月17日 今日から日記をつけようと思う。 日記は久しぶりだから、何を描いていいのか分からない。今日、乳がんと宣告された。自分がこんなことを書かなければいけないなんて、思いもしなかった。乳がん。でも、それ以外は分からない。ステージはどれくらいなのか。私は生きられるのか。タリバンが、アフガニスタンを制圧した。流れてくるニュースは、絶望的なものばかりだ。アフガニスタンの女性のために祈ります。このあと加奈子さんのつたない英語の電話で、右往左往することになります。それはさておいて・・・柔術やキックボクシングのトレーニングに通い元気印のような加奈子さんであるが、元気の源がワイン、ウォッカ、ジンなどの酒だったとは・・・わりと体育会系の人なのかも♪
2023.09.14
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪rakutenそのうちなんとかなるだろう家出と大検受験に明け暮れた内田先生を、見てみましょう。p41~44<大検のために猛勉強> 親に頭を下げて家に戻ったのは1967年の12月です。 翌年の元日から受験勉強を再スタートしました。半年以上「勉強」ということをまったくしていませんでしたが、大検の試験日は8月初旬。7ヵ月しか準備期間がありません。 そのと当時、大学入学資格検定に合格するためには16科目で60点以上をとることが必要でした。僕が高校2年までに履修して受験免除になった科目はわずか3つ。ですから、13科目の試験勉強をしなければならない。 試験そのものは高校受験に毛が生えた程度で簡単なものでしたし、60点とれば合格です。2年前の9科目受験の都立高校の入試の受験勉強のストックがまだ残っていますから、勉強の負荷そのものはそれほど厳しいものではないのですが、それでもうっかり1科目でも取りこぼしたら、大学受験が1年遅れます。試験当日に風邪を引いても、電車がストで止まっても、「はい、おつかれさん」です。 それでいきなりねじり鉢巻きで受験勉強に取りかかりました。午前中3時間、午後5時間、1日8時間ペースで朝から晩まで日曜も休日も勉強していました。 ある日、テレビをつけると忘れがたい画面に遭遇しました。 1月に佐世保で起きた「エンタープライズ寄港阻止闘争」(佐世保闘争)です。このニュースの画面を見て「あ、これだったのか」とため息をつきました。 夏に僕が家を出たときは、学生運動にコミットするという選択肢は念頭にありませんでした。(中略) もし僕が「ニューポート」で仕事を仕事を始めたのがあと半年遅ければ、大学生たちも「猫の手も借りたい」という運動の拡大期でしたから、「そこの高校生の君、ちょっとこっち来て」と頭にヘルメットをかぶせられて、デモやキャンパスのバリケード封鎖に動員されていたかもしれません。 幸か不幸か、少し時期が早すぎた。 ですから、テレビの画面でヘルメットをかぶり、自治会旗を翻し、ゲバ棒を手にデモをしている佐世保の学生たちを見たときに、「あ、僕はこれに加わりたくて高校をやめたのか・・・」と気がついたのです。 でも、時すでに遅し。親たちに「これからはまじめに勉強します」と手をついて家に入れてもらってまだ半月ほどしか経っていない。 実際には、その前年の10月に羽田闘争があり、それが三波系全学連登場という政治史的転換点なのですけれど、僕は10月は極貧生活のさなかでテレビも見ず、新聞も読まずに過ごしていたので、その闘争の「画像」を見ていませんでした。(中略) そのままおとなしく受験勉強すること7ヵ月。8月に無事に3日間にわたる大検を受検でき、10月には合格の知らせがありました。 68年の10月に同級生たちはまだまだ高校生だったわけですから、僕は高校2年で中退したにもかかわらず、同期より半年早く高校を卒業したことになります。 うれしくて、日比谷高校に「高校生諸君、あとまだ半年通学しないと卒業できないんだね。はい、ご苦労さん」といやがらせを言いに行って、クラスメートたちに嫌な顔をされました。『そのうちなんとかなるだろう』1:SFに没入
2023.09.13
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<仏文書籍あれこれR3> 最近、図書館で借りた本と、古い蔵書なんですが、仏文書籍について適当に集めてみます。なお、辞書や専門書は除外します。(●は蔵書です)・『TOUR DE FRANCE』2019年刊・『Voyage au centre de la Terre』2009年刊・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』2008年刊・『Apres le tremblement de terre』2002年刊●『Bernard et Bianca au Pays des kangourous』1999年刊・『KAFU Le Bambou nain』1998年刊・Polaroids de Jeunes Filles(1994年刊)●LE JACASSIN(1970年)●Le Petit Prince(1968年)●L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege(1963年)R3:『TOUR DE FRANCE』を追加【TOUR DE FRANCE】駿河台出版社編、駿河台出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より【目次】La Bretagne-Point de grammaire:形容詞の最上級/La Normandie-Point de grammaire:関係代名詞quiとque/Les Hauts-de-France-Point de grammaire:受動態/Le Grand-Est-Point de grammaire:国名の冠詞と前置詞/La Bourgogne-Franche-Comt´e-Point de grammaire:関係代名詞o`Ù/L’Auvergne-Rh^One-Alpes-Point de grammaire:形容詞tout、toute、tous、toutes/PACA(Provence-Alpes-C^ote D’Azur) et la Corse-Point de grammaire:不確かなニュースや出来事を表す条件法/L’Occitanie-Point de grammaire:直説法単純未来/La Nouvelle Aquitaine-Point de grammaire:中性代名詞en/Les Pays de la Loire-Point de grammaire:「思い出」を述べる直説法半過去/Le Centre-Val de Loire-Point de grammaire:関係代名詞dont/Les DROM(La Guadeloupe/La Martinique/La Guyane/La R’eunion/Mayotte)-Point de grammaire:depuis/il y a<読む前の大使寸評>錆びついたフランス語を学びなおすには打ってつけの本だろうということで、チョイスしたのです。rakutenTOUR DE FRANCE『TOUR DE FRANCE』1:INTRODUCTION***********************************************************************【Voyage au centre de la Terre】Jules Verne著、Livre De Poche、2009年刊<商品の説明>よりFollows Professor Lidenbrock, his nephew Axel, and their guide Hans as they venture deep into a volcanic crater in Iceland on a journey that leads them to the center of the earth and to incredible and horrifying discoveries<読む前の大使寸評>なんと言っても、l'edition originale の挿絵が大量に載っているのが嬉しい♪amazonVoyage au centre de la Terre***********************************************************************【Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil】村上春樹著、Distribooks、2008年刊<カスタマー・レヴュー>よりEcrit alors que Murakami est toujours en exil (a Princeton aux Etats-Unis), "Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil" n'est publie que quatre ans apres son predecesseur, le tres fumeux "Danse, danse, danse".En lisant la quatrieme de couverture, je prends peur: on craint le Murakami sentimentaliste qui avait a mon sens completement echoue dans "Norwegian Woods/La ballade de l'impossible".Heureusement, "Au sud..." n'a rien a voir.D'abord parce que le style est profondement resserre, et la chronique des 37 ans de la vie de cet homme, Hajime, ne prend que 200 pages environ. Pourtant on sait beaucoup de choses de lui a la fin du roman, et le lecteur est devenu, un peu, son intime.<読む前の大使寸評>おお 村上春樹作品の仏訳版ではないか・・・ということで借りたわけでおます♪尚、太子の借りたペーパーブックは、BUSSIERE CAMEDAN IMPRIMERIES社、2002年版のものでした。amazonAu sud de la frontiere, a l'ouest du soleil【太子注】この本の日本語原題は「国境の南、太陽の西」で、村上春樹の7作目の長編小説です。***********************************************************************【Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre】Haruki-Murakami著、10*18、2002年刊<カスタマー・レヴュー>より①Un simple battement d'aile de papillon en Amazonie peut-il declencher par une reaction en chaine un tremblement de terre au Japon ? Cela tombe bien, Murakami nous le prouve dans cette suite de nouvelles, toujours aussi subtiles, profondes et surnaturelles ! Oui, un evenement peut bouleverser votre vien comme la lecture de mon commentaire et l'achat de ce roman que vous ne regretterez pas !②この短編小説集は、阪神淡路大地震の闇と少なからず孤独な心が通ずる主人公達の魂の再生の物語だと私は理解しました。最後の「蜂蜜パイ」の淳平は西宮市夙川出身で早稲田の文学部を卒業した短編専門の小説家、つまりそれはもう一人の有り得たかもしれない村上さんの姿でした。本書は読者の人生経験に即して深いメッセージを伝えることが出来る優れた短編小説だと思います。<読む前の大使寸評>「神の子どもたちはみな踊る」が含まれた短篇集であるが、「Apres le tremblement de terre」(大震災後)という書名の日本版なんてあったかな?amazonHaruki Murakami-Apres le tremblement de terre『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』2:「蜂蜜パイ」の冒頭『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』1:「神の子どもたちはみな踊る」の冒頭***********************************************************************【Bernard et Bianca au pays des kangourous】Les classiques Disney編、France loisirs社、1999年刊<商品の説明>よりAmmareal est une librairie professionnelle specialisee dans le livre d?occasion. Nous expedions partout dans le monde. Nous avons plus de 250 000 ouvrages en stock dont un grand nombre de livres techniques et academiques. Nous reversons jusqu?a 15% du prix de vente de chaque livre a des organisations caritatives, des bibliotheques et des associations luttant contre l?illettrisme. Ce que nous ne vendons pas nous le donnons, ce que nous ne donnons pas nous le recyclons.<読む前の大使寸評>おお フランス語版のディズニー絵本が200円で売られているが・・・持ってけ泥棒価格が嬉しいのです。abebooksBernard et Bianca au Pays des kangourous***********************************************************************【KAFU Le Bambou nain】Ccatherine Cadou訳、Picquier poche、1998年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>この本をチョイスしたのは表紙の浮世絵がキレイだったこと、それと錆びつきかけたフランス語のブラッシュアップになると思ったからです。amazonKAFU Le Bambou nain***********************************************************************【Polaroids de Jeunes Filles】Jean-Philippe Delhomme著、光リン社、1994年刊<商品の説明>よりフランスのイラストレーター、ジャン・フィリップ・デロームの作品集。1988年から1992年の4年間にわたり、フランスのファッション雑誌『グラムール』に連載された中から後半に掲載された作品95点をショートストーリーとともにまとめた一冊です。<読む前の大使寸評>日本の新書より大きくて細長い特殊サイズである。各ページの構成は。上半分にカラー画像、下半分にストーリー文章となっていて、これまた独特でおます。なお、私が借りた本の表紙はモノクロ(左側)の方です。yahooPolaroids de Jeunes Filles『Polaroids de Jeunes Filles』1***********************************************************************【LE JACASSIN】Daninos Pierre著、Le Livre De Poche、1970年刊<大使寸評>皮肉、かつお笑いの辞典であるが、この本だけで仏語を修めるものではありません(当然です)本屋ではHacshtte社のLE LIVRE DE POCHEシリーズがすぐ目に付くが、このシリーズは日本の角川文庫、岩波新書などよりもっとシェアが大きいシリーズなんでしょう。AmazonLE JACASSIN***********************************************************************【Le Petit Prince】Antoine De Saint-Exupery著、HEINEMANN EDUCATIONAL、1968年刊<「BOOK」データベースより>ふるさとの星を出発した星の王子さまは、命令好きの王さまの星や、うぬぼれ男の星などを旅します。最後に地球にやってきて、サハラ砂漠で飛行機を修理中のパイロットに出会います。心をとらえて離さない不思議な物語。 <大使寸評>私が買ったのはHEINEMANN EDUCATIONAL社(英国)のハードカバーであるが、さすがにこの本はアマゾンで出なかったので、アマゾンのMariner Books社の情報を載せました。AmazonLe Petit Prince***********************************************************************【L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siege】Marabout社、1963年刊<裏表紙説明>よりEn 500 photos et 100 000 mots, cet ouvrage uni-que en son genre nous presente la -guerre 1940/45 comme une experience humaine complete, tant a l'echelle des nations que des individus. Chacun des quatre volumes forme un tout, mais, ensemble, ils tentent une exploration en profondeur de l'epoque contemporaine. L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale donne une vision immediate et saisissante des divers aspects de la plus complexe, la plus tragique et la plus heroique epopee que l'humanite ait enduree.Ce deuxieme tome de l'histoire vecue de la seconde guerre mondiale s'ouvre sur la resistance acharnee de la Grande-Bretagne contre les as-sauts de la machine de guerre nazie. II se pour-suit par les hostilites dans l'Atlantique Nord et la Mediterranee, l'invasion des Balkans et de la Grece, le combat-poursuite dans les deserts d'Afrique, l'attaque-suicide de l'Allemagne contre la Russie et l'inhumaine cruaute des batailles d'hiver. Pearl Harbour et la suite des victoires japonaises en Extreme-Orient terminent le volume.<大使寸評>第2次世界大戦シリーズで日本にも言及しているので、軍事オタクにとって見過ごせない本である。フランスの書籍ECは古書に関しても、いけてるやん♪bibliopocheL'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siegeフランス語リンク集/All Aboutフランス関連の蔵書
2023.09.13
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図書館で『日本語の乱れ』という文庫本を、手にしたのです。日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書いたり、茶化すことにかけては第一人者なので興味深々なのでおます。【日本語の乱れ】清水義範著、集英社、2003年刊<「BOOK」データベース>より日本語に未来はあるのか!ラ抜き言葉、意味不明な流行語、間違った言葉遣い、平板なアクセント、カタカナ語の濫発…日本語の現状を憂う聴取者からの投書の山に、ディレクターは圧死寸前!?(「日本語の乱れ」)。その他、比喩の危険性、音声入力の可能性と限界、宇宙を蹂躙する名古屋弁など、言葉をテーマにした傑作12篇。<読む前の大使寸評>日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書いたり、茶化すことにかけては第一人者なので興味深々なのでおます。rakuten日本語の乱れ「2001年宇宙の恥」あたりを、見てみましょう。これもまた名古屋弁に関する自虐モノになっています。p248~253<2001年宇宙の恥> スペース・クルーザーは無事にピッグフード空軍基地のⅭ滑走路から飛びたった。ただし、自力で飛びあがったのではない。 全長12メートルと小型のスペース・クルーザーは、大型ジェット機スカイロードF3の腹部に抱きかかえられるように取りつけられており、飛翔したのはそのスカイロードF3のほうだった。巨大なエイの腹に小判鮫がとりついているような格好だと思えばよい。 スペース・クルーザーの機内には15人の人間が乗っていた。主パイロットと副パイロットとフライト・アテンダントが乗務員。いずれも男だった。 残る12人が乗客である。男性が10名に女性が2名。女性は二人ともアメリカ人。 10名の男性客のうち、5人がアメリカ人であり、1名がインド人だった。インド人は頭にターバンを巻いている。 そして、なんと4人もが、事もあろうに日本人だったのである。 2001年12月吉日のことだ。 スペース・クルーザーとは、この年からフライトを開始することになった、民間の商業スペース・シャトルである。アメリカのゼビウス・ソルダム社が企画した、一般人が気楽に宇宙へ行き、無重力体験を楽しんでみようというツアーなのだ。登場チケットは一人につき9万8千ドル。それだけ払ってでも、宇宙へ実際に行きたいと思う人は世界中にたくさんいるに違いないという判断のもと、週2便のフライトが開始されたのだ。 その、第1回フライトが今始まった。 世界中から客が押し寄せ、今のところ7回目のフライトまで予約は満杯という状態だった。約10万ドルを払ってでも、宇宙へ行って無重力を体験し、地球を自分の目でながめてみたいという人は大勢いたのだ。これぞ21世紀の究極のレジャーだ、という人人もいた。 だから、日本人だって乗客となるのである。金さえ払ってくれ、健康診断さえパスしていれば、商業フライトなのだもの、どの国の人間だろうが客にするのだ。 しかし、その日本人はただの日本人ではなかった。4人全員が、日本の名古屋という都市に住む人たちだったのだ。ゼビウス・ソルダム社は、日本の名古屋という都市がどんなところで、そこに住む人間がどんな人たちであるか、ということまでは知らなかった。 飛翔してすぐは、乗員乗客ともシートにすわり、シートベルトを着用している。タバコはこの飛行の間中禁止されている。2時間半のフライトであり、機内はジェット機と違って密閉されているのだから、ノー・スモーキングで我慢せいということなのだ。 ジェット機に取り付けられて、空港から飛びあがるのだから、普通のフライトとまったく同じである。スペース・シャトルのように真上に向けてロケット噴射であがっていくのなら、大きなGに耐える訓練などもしなければならないが、そういう必要はなかった。これは一般人の観光宇宙ツアーなのだ。 だから、客たちは自由に談話していた。そしてもちろんのこと、4人の名古屋人は興奮して名古屋弁でしゃべりまくっていた。 「すっげぇわ、やっぱり。どえらけねゃあスピード出しとるがや」 「まんだ興奮するのは早あて。ただジェット機で飛びあがっただけだわ」 「そんでも普通より早あがや。ガンガン上昇しとるど」 「普通だて、こんなもん。まんだロケットふかしとれせんのだで」 前の席で後藤商事の社長後藤章司51歳と、中邦オート部品の鬼頭武則49歳とがそんな会話をしている。 そしてその後ろの席には、長谷川メンテナンス社長長谷川幸一53歳と、丸山製菓会長の丸山喜助62歳が並んでいた。(中略) ロマンチックな海外の都市に憧れて、ツアーでそこへ行く人は多い。花の都パリ、霧の都ロンドン、音楽の都ウィーン、そのほかにも、スイスヤドイツやスペインの古都。 海外旅行にそういうロマンを求め、美しい異郷に自分を立たせてみることが何よりの楽しみだという旅行者は決して珍しくない。 そういう旅行者にとって最大の不幸は、同行メンバーの中に、名古屋人のグループがいることである。 大阪人のグループというのも、かなりムードをぶち壊しにするが、それでもまだ大阪人のほうが害が小さい。めっちゃきれいやん、とか、うまいこと考えたるわ、とか、ごっつい入場料とるねんなあ、と言いながらも、一応異文化を楽しんでいる。 名古屋人は傍若無人であり、ヨーロッパだろうが、オーストラリアだろうが、栄や今池へ出た時と同じ気分で見るのだ。どこへ行っても緊張することがなく、大声でほんとのところを言ってしまうのである。あまりにも経済的合理性のことばかり考えている。文化に対する畏敬の念というものがない。『日本語の乱れ』2:2001年宇宙の恥『日本語の乱れ』1:日本語の乱れこのところ、以下のように日本語に拘りを見せています。2023.09.09『日本語のこころ』(復刻) 2023.09.07『気になる日本語』(復刻)
2023.09.12
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囲碁の女流棋士における大谷翔平との高い評価もある(?)仲邑菫さんであるが・・・韓国棋院に拠点を移し武者修行を行う予定とのことです。以下のとおり朝日新聞より引用します。*********************************************************2023年9月11日囲碁の仲邑菫女流棋聖、韓国棋院に移籍の意向より 囲碁の仲邑菫(なかむらすみれ)女流棋聖(14)が、活動の拠点を日本から、何人もの世界王者が輩出している韓国に移す意向であることが関係者の話でわかった。すでに韓国棋院に棋士登録を申請しているという。認められれば、現在所属している日本棋院から離籍することになる。海外に移籍して活動する棋士は日本初となる。 仲邑は2019年4月、日本棋院が「世界一になる逸材」として特例の採用制度を設けてプロ採用。当時史上最年少の10歳0カ月で棋士になり、4年目の今年2月、これも史上最年少の13歳11カ月で初タイトルの女流棋聖を獲得した。ここまでの通算成績は147勝82敗。日本の女性棋士で五指に入るトップ棋士に成長したが、さらなる棋力向上を求めて移籍を決意したようだ。 韓国は世界最強といわれる申真諝(シンジンソ)九段、女子最強とされる崔精(チェジョン)九段ら多くの世界チャンピオンが輩出している囲碁強国。仲邑はプロ入り前の小学生時代、長期にわたり現地の道場で修業していた。半年ほど前の記事に、彼女の「努力と根性」を見てみましょう。2023年2月25日「努力と根性」で得た囲碁最年少タイトルより 前世紀まで囲碁最強国だった日本は現在、中国と韓国の後塵(こうじん)を拝している。日本棋院は「世界で戦える棋士」を求め、韓国で修業中の“天才少女”に白羽の矢を立てた。天才の大成には、できるだけ早くプロの真剣勝負の場に投じるべきだ。そこでしか得られない経験がある。小林理事長はそう考え、通常のプロ試験を免除する英才枠を新設して迎え入れた。「強くなるには技術のほかにメンタルも上げなきゃいけない。若い彼女はそれがほかの人の何倍も速かった」と語る。成長スピードは想像を超えていたという。 年齢で区切れば、男女通して過去最強の13歳といわれる。もはや「日本女子のホープ」ではない。「日本のホープ」として女流棋戦の枠を超えた活躍が確実視されている。強い相手がいる環境でプレイしたいのでしょうね。大谷翔平と同じやんか♪韓国出張時に観た韓国のテレビの囲碁番組が充実していて・・・そのうち日本の囲碁界もやばくなると思っていたが、予想どおりでした。
2023.09.12
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東京嫌いというか、東京にコンプレクスを持つ大使なので、関東vs関西の味の違いに関心があるのです。・・・で、以下のとおり復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『上方食談』という本を手にしたのです。・・・おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたい大使でおま。【上方食談】石毛直道著、小学館、2000年刊<「BOOK」データベース>より京都・大阪四十余年の東男、鉄の胃袋・石毛直道が京都・大阪・神戸 関西の食の真髄を語り明かす。【目次】上方食談(上方と江戸・東京/カツオとタイ/上方うまいもん尽くしその一/関西の味は淡色文化)/浪花の食(着倒れから食い倒れへ/にぎりと箱ずし/上方うまいもん尽くしその二/上方落語とざるそば/食べもの上手の大阪文化)/京の食(京都ブランド/上方うまいもん尽くしその三/「簡素」と「豪華」の京の食文化/錦市場探訪/東西対抗われらが懐かしき食)<読む前の大使寸評>おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたいわけでおます。rakuten上方食談 大使の好物にバッテラがあるのだが、そのあたりが載っているので見てみましょう。p132~133 <サバずし>より 関西人の好物に、サバの棒ずしがある。大阪ではバッテラというが、これはポルトガル語でボートをあらわすバッテーラに語源をもつ。コノシロの姿ずしが舟の形をしているのでバッテラとよんだが、のちにサバずしの名称になってしまった。 海外からの輸入物のサバがおおくなったが、近海のサバに脂がのって、いちばんおいしいのは秋だ。 いまでは新鮮なサバに塩をして、サバずしをつくることもおこなわれるが、冷蔵技術が発達しない時代には、塩サバを原料とした。京都へは若狭の塩サバが山を越えて、いわゆる鯖街道を経由して運ばれ、大和、大阪には熊野の塩サバが船で運ばれてきた。 京都の祭りのごちそうは、サバずしだ。五月の葵祭はまだしも、サバの脂のぬけた七月の祇園祭にも、ハモ料理とならんで、サバずしがないと承知できないのだ。 秋の京都では、すこしずつ時期をたがえて、さまざまな祭りがある。そのたびごとに親戚や知人のあいだで、サバずしの贈答がおこなわれる。 もともとは、祭りのさい、人を自分の家に招待して、自家製のサバずしでごちそうをした。家庭でお客をしないようになった現在、秋祭りにサバずしを贈答することが、新しいしきたりとなった。 サバずし、赤飯、かまぼこ、卵のだし巻きなどに酒の小瓶を添えて、とどける。近頃では、自家製ではなく、近所のすし屋で買ったサバずしである場合がおおい。京都の食文化について、石毛さんと森谷さんの対談を見てみましょう。p161~162 <京都人の朝昼晩>より石毛:わたしみたいに関東で育った人間は、朝、みそ汁を飲むのは当たり前だと思ってたわけですね。ところが京都へ来たら、塩からいみそ汁なんて年に何回もつくらない。森谷:しませんな。まあわたしのうちではみそ汁よくしますけど、だいたい白みそです。石毛:白みその上等なのは半麹でつくるんですね。あれは味がたいへん濃厚なもので、一種のリッチなポタージュっていう感じです。だから塩からいみそ汁を毎日飲むのは、農民の感覚だというような、一種のコンプレックスに陥る。森谷:京都はおすましがおつゆですから、みそ汁に慣れている人はひじょうに頼りなく思うんじゃないですか。石毛:もともとみそというのは、みそ汁にするものではなくて、調味料なんです。みそのいちばん重要な役割は調味料だった。それが近世になって、しょうゆが調味料の役割をはたすようになり、みそは汁物専用になってくる。江戸時代から、それまでいちばん重要な調味料だったみそにしょうゆがのっかってきて、とくに明治以降は全国的にしょうゆがのしてえきて、みそで煮るのが煮物だったのが、しょうゆで煮るようになった、そういう変わり方をするんです。森谷:そうですね。だからみそ汁というのはいわば調味料が敗退した姿ですね。しょうゆに侵略されて、そういうかたちで残った。石毛:女房は京で二代目なんですが、毎食みそ汁を要求するというのはどういうことか、ほんとにあんたはみそ汁が好きだっていわれます(笑)。そんなわけで京都の食生活は身をもって知ったりするのですが、ちょっと前の時代の、京の町屋の朝昼晩というのはどういうものだったのでしょう。森谷:朝から平気でお粥を食べますし、お茶漬けを食べますね。石毛:そのときはおもなおかずは漬物ですか。森谷:お漬物。これはどういうわけかそういうふうになっております。 おもしろいことばがあって、「西陣の粥腹、室町の茶漬け腹」っていうんです。だいたい中世はお粥がおおく、強飯はあんまり食べない。コワメシいいますけどね。お粥の伝統はあるんです。だからお粥を食べることはべつに不思議じゃない。 これがだんだん発達してくると、ふつうのご飯をいただく。これは少しずつ経済が豊かになっていくバロメーターでもあります。で、西陣がお粥腹で、室町はお茶漬けだとしてもふつうのご飯が食べられるというのは、それだけ経済の格差があるんですな。対談の続きです。p171~173 <江戸を席巻した京料理>より石毛:東京は現在まったく京料理に席巻されていますが、それは関東大震災以後ですね。そして、高度成長期に京料理とか、関西料理というものが全国制覇をする。この時期に入り込んでいった料理は、本膳料理が懐石料理になったときと同じような省力化がおこなわれていて、本格的な茶懐石風なものでもなく、もうひとつ崩したかたちだったし、大阪との交流で海の魚も使うようになったものです。それがまた大いに受け入れられて、東京に京料理が定着するということになったようです。森谷:なるほどそうかもしれませんな。その前の段階になりますが、江戸時代に京料理が江戸に行っておりますね。それは京の包丁人が江戸城に雇われたというかたちですね。将軍様は京風料理を食べはった。綱吉、家宣などは好んで京風のものを真似し、とり入れています。石毛:しかし、それがただちに江戸の一般の料理に入り込んでいくというまでにはいたっていませんね。森谷:それはなかなかすぐにはいかないんですね。江戸というのは、いったいに独身者ばっかりの街でしょう。女がすくないという点ではアメリカの西部と一緒や。だから独身のための料理、すぐ食べられる単品料理みたいなものが発達して、いうてみれば煮売り屋さんの世界ですがな。19世紀になると多少事情がちがってきて、お江戸の文化が発展するにしたがって〈八百善〉のようなものが京都の影響を受けてできあがっていきます。石毛:江戸の単品料理というのは、いっぽうではたいへん現代的なものとつながるんですが、スナックの系統がひじょうに発達するんです。すしだとかそばとか天ぷらだとか屋台物が発達する。京料理の本質はそういうものとちがって、あくまでワン・セットの料理であるということですね。森谷:そうですね。そばではなくそうめんというものがありますが、そうめん屋という独立したものにはすぐにはならないんです。そうめんもあくまで料理のワン・セットの中にあるんです。『上方食談』2:関西人の好物『上方食談』1:寿司の好み
2023.09.11
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図書館で『そのうちなんとかなるだろう』という本を、手にしたのです。神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>神戸にも関係を持った内田先生が、これまでの半生記を語っているので・・・読むしかないでぇ♪rakutenそのうちなんとかなるだろう内田先生はSFがお好きだったとのこと、そのあたりを見てみましょう。p22~25<SFファンクラブ> もう一つ夢中になったのがSFです。中1のときに同級にいた清水くんと大沢くんという二人が『SFマガジン』を購読しており、SFがいかにすばらしい文学ジャンルであるか熱弁をふるって語り、SFの世界に僕を誘ってくれました。数冊の『SFマガジン』のバックナンバーを借りて読んで、たちまち僕も夢中になりました。 決定的だったのは、その中の一冊に収録されていたフレデリック・ブラウンの『電獣ヴァヴェリ』という短編です。宇宙から飛来した電気を食べる生物のせいで、地上から電気がなくなって、人々がまた馬車に乗って行き来し、新聞を木版で刷り、夜はみんなで弦楽四重奏を愉しむようになった世界の話です。世の中にこれほど面白い作物があるのかとびっくりして、一夜にしてSFファンになりました。 SFは1950年代のアメリカに誕生した新しい文学ジャンルです。背景にあるのは、原子爆弾の発明によって核戦争による人類滅亡というシナリオに現実味が出て来たという歴史的現実です。人間が自分たちを豊かにするために創り出したテクノロジーによって人間が死滅するという不条理が現実になりつつあったのです。 でも、伝統的な文学形式はそのような悲劇的なまでにナンセンスな現実を叙することができなかった。SFはほとんどそのためだけに発明された特異な文学ジャンルだったのだと僕は思います。ですから、SFはその荒唐無稽さと娯楽性にもかかわらず、底にはある種の絶望感が伏流していました。 中学生は文学的な素養では大人たちには太刀打ちできません。でも、「最新のもの」に対する感度の高さでなら勝てる。ビートルズもそうでしたけれど、SFも中学生の僕にとっては「大人たちがまだ知らないまったく新しいもの」でした。 そのときに大阪に本拠があるSFFC(SF Fan's Club)という組織が中学生のSFファンを全国的に組織していることを知って、僕はそこに入会しました。主宰していたのは池田敏さんという大阪の青年で、彼から毎週のように郵便で「指令」が届きます。 SFというのはそのあまりの前衛性ゆえに弾圧された地下文芸活動であるというのが僕たちが採用した物語でした。ですから、SFがどれほど素晴らしい文学であるかをひそやかに全国の少年少女たちの間に広め、いずれ純文学や中間小説の覇権を覆すという「SF伝道活動」が僕らの主務でした。ほとんどレジスタンスです。 SFFCで僕は大阪・天満の中学生だった山本浩二や上野の中学生だった松下正己のような超絶生意気少年たちと知り合うことになりました。 会員が増えてきたので、池田さんから、各地に支部を作り、ファンジンを出版せよという指令が届きました。東京支部の結成はぼくと松下くんに命じられました。 僕はそのときには、まだ手紙のやり取りだけで、松下くんには会ったことがありませんでした。手紙から知る限りでは、「琉璃薔薇欝彦」名義でヒトラーと第三帝国を賛美する不気味な文章を書き、異様に精密な点描で兵器を描くまことに怪しい少年でした。負けてはならじと、僕もまた自分がいかにエキセントリックな少年であり、まわりの中学生たちから怪物視されているかを(嘘ですけど)書き送りました。 ウーム 若き日の内田先生は『SFマガジン』を読みふけるだけでなく、松下くんと二人でファンジンを創刊し、ガリ版セットを購入し、鉄筆でガリを切っていたほどのマニアックだったそうです。 なお、内田先生の近況は内田先生かく語りき(その59)で見られます。
2023.09.11
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その59):「宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て」を追記2023-08-22宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観てより 物語のあらすじを大雑把に言うと、「少年が母を探しに黄泉の国に行って、さまざまな〈母の代理表象〉たちと出会い、彼女らと共に黄泉の国を冒険した後、母を断念して、現実世界に帰還する」ということになる。 少年が母を探して「黄泉の国」を旅するという物語はたぶん世界中の神話にある。それは世界中のすべての集団に少年のための「通過儀礼」があるからである。 子どもたちはそれまで心穏やかに暮らしていた「母親との一体化した楽園状態」からある日暴力的に引き剥がされて、タフでワイルドな「リアル・ワールド」に送り出される。その経験は子どもたちに深い痛みと悲しみをもたらす。その傷は癒されなければならない。その癒しのための装置が「母との決別/幼児期との決別」の物語である。 この苦痛はあなた一人のものではない。世界中の子どもたちもまたあなたと同じようにこの苦痛を味わったのだ。苦しんでいるのはあなた一人ではない。その「共苦」の思いが毒性の強い苦痛を少しだけ緩和させてくれる。 多くの物語では、決別すべき自分の幼児期は「アルターエゴ」として表象される。純粋で、脆弱で、繊細で、道徳心が欠如し、利己的で、魅力的な「友人」がそれである。その「友人」と「僕」は胸ときめくような一夏の冒険を共にする。けれども、夏が終わると、「友人」は何も言わずに「僕」から立ち去り、「僕」は深い欠落感を抱えたまま一人で生きることを決意する。イノセントで甘えん坊のアルターエゴとの別離を通じて少年はタフでクールな「大人」になる。 アラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』も、スコット・フィッツジェラルドの『ザ・グレート・ギャツビイ』も、レイモンド・チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』も村上春樹の『羊をめぐる冒険』もどれも「そういう話」である。少年時代との決別はふつうはそういう説話的定型をとる。 ふつうはそういう定型をとる。だが、『君たちはどう生きるか』はそれとは違っていた。たしかに、これも少年が母との離別を受け入れて大人になる物語ではある。けれども、それは幼児的アルターエゴとの別れの物語ではなく、母親との別れの物語という直接的なかたちをとる。 少年は「死んだ母親を探しに冥界へ下る」。少年のアルターエゴはどこにも登場しない。出てくるのは「母親の代理表象」たちである(継母ナツコ、母の少年時代であるヒミ、少年の守護者であるキリコさん)。彼女たちはそれぞれに少年が探し求める母の「断片」である。断片であるから、どれも少年が探している「母」そのものではない。 その三人の「断片的な母」を足したら、「母」の手触りはもう少し確かなものになるのかも知れない。いや、たぶん、それでも少年の手元には何も残らなかったと思う。映画の最後の眞人の非情緒的なたたずまいは「母との再会」がついに果たせなかったことを暗示している。2023-06-29平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評より 出だしはいささか重い。平川君の語りはいささか抽象的で、堅苦しい説教口調である。当然、こんな話を聴いても中山さんは簡単には頷いてくれまい。平川君の困っている顔が目に浮かぶ。そこで平川君は方針を改めて、具体的な事例を出したり、他人の本から引用するという手立てを使うようにした(引用の一部は加筆の時に「これも入れておこう」と後知恵で思いついたのだと思うけれど、引用はどれもぴたりとはまっている)。 そのやり方が奏功して、人生相談の諸問題はそれぞれに奥行きと深みを増した。そして、「だから、あなたの問題に単一の正解はないのです」という平川君の回答にいい具合に着地した。 言い遅れたけれど、平川君のこの人生相談には「回答」がない。答えを出さないで、問いを深めるだけである。「問いを深める」というのは、相談してきた人が、そもそもどういう歴史的文脈の中で、どういう個人的事情のせいで、「こんな問題」に直面することになったのか、そのことを相談者自身に考えさせるということである。これは姿勢としてまことに正しい。平川君はその趣旨をこう書いている。「人生は、問題解決のためにあるわけではない。ですから私は、質問者ご自身においても、安易に答えを出すことをせずに、問いを抱えながら生きてゆく術を学んでほしいと思うのです。」(4頁)「解決できない問題の前で、私たちはどうすればいいのか。問題の立て方を変更する必要があります。『どうしたら解決できるか』ではなく、『解決できない問題を抱え込んだまま生きていくためには、人はどうすればよいか』というふうに。」(36頁) 解決できない問題を抱え込んでいても、人は生きていける。生きていけるどころか、その問題を足場にして人間的成熟を遂げる。これはまったくその通りである。人は葛藤を通じて成熟する。葛藤を通じてしか成熟しない。「解決できない問題に遭遇したら、もう泣くしかないということになります。泣いたり、立ち止まったり、ためらったり...。それでいいんだと思います。 これは、実は時間稼ぎなんです。泣いている間に、なぜ泣いているかわからなくなる。泣いている間に、心の中で肥大化していた問題が、だんだんと実寸大に戻る。実寸大に戻ったときはには、たいした問題じゃなかったとわかる。」(36頁)以降の全文は内田先生かく語りき38による。
2023.09.10
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図書館に予約していた『大震災’95』という本を、待つこと6日ほどでゲットしたのです。阪神・淡路大震災の震度7を体験した被災者としては、小松左京のレポートが気になるのです。【大震災’95】小松左京著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より巨大災害に直面した『日本沈没』の作者は、この私たちの体験を風化させないためにという祈りを込め、責任感に突き動かされるように、その全貌の記録と総合的な解析を一年間にわたり精力的に行った。阪神・淡路大震災の歴史的ルポにして、未来への警鐘を鳴らす名著。単行本未収録「阪神大震災の日 わが覚書」他を巻末に収録。<読む前の大使寸評>阪神・淡路大震災の震度7を体験した被災者としては、小松左京のレポートが気になるのです。<図書館予約:(8/31予約、9/06受取)>rakuten大震災’95「第1章 1995年1月17日午前5時46分52秒」で大震災当日が語られているので、見てみましょう。p47~52<混乱から年が変わった1995年> かくして、1月最後の三連休の最終日16日は暮れた。・・・この夜は満月で、ものすごいような赤い月を、多くの人が見たであろう。 夜が更け、日付が変わるころから、都市は、そして大部分の人々は深い眠りにつういて行く。終電車が車庫にはいり新聞朝刊の最終版の下版が終わり、テレビの深夜番組が終わり、数少ない夜勤、宿直の人々も仮眠につく。・・・神戸市中央区元町にある毎日新聞神戸支局の三階では、その夜の泊まりは三人だった。 将棋好きのⅯデスクとN記者は、午前3時近くまで将棋を指し、それからベッドルームで横になった。翌朝は、差し迫った取材もなく、平日通りなら午前8時ごろに起きて、ゆっくりスタンバイすればよかった。ただ一人、Oカメラマンだけが起きていて、現像室で午前4時過ぎまで、前日撮影したセンバツ高校関係の写真を現像し、そのまま現像室で4時半ごろ仮眠に入った。 同じころ、市内三宮の北、中山手通りのNHK神戸放送局の三階で泊まっていたS記者は、いったん目をさまし、ぼつぼつ配達されてきた全国紙の朝刊に目を通した。・・・1月17日火曜日の毎日新聞朝刊の1面トップは、横一段抜きで、「30人で新会派結成」と凸版大見出しが入り、その右下に「山花氏に離党届一任」「社党から24人参加」と縦五段ぶち抜きで、山花貞夫氏による超党派「民主リベラル新党準備会」が、この日全員の会派離党届を社党執行部に提出する記事をかかげ、いよいよ社会党は分裂の危機に直面したことを告げていた。(中略) 午前4時すぎになると、今度は「早番」「早朝出勤」の人たちが、そろそろ職場に向かい、また作業の準備にかかり始めた。・・・私たちの社会は、だいたい朝5時から動き始める。鉄道の始発は、おおむね午前5時から5時半である。車両を車庫、操車場からひき出しにかかり、始発駅止の車両には電気が入り、暖房も動き始める。工場も操業の準備にかかる。 ラジオ、テレビは宿直アナ、キャスターがスタンバイし、担当ディレクターは副調室に入る。その「立ち上がり」の状況は、関西電力本社、中央給電指令所の大きなグラフィックパネルの一角に鮮やかに見られた。電力需要曲線は午前4時が最低になり、それから5時、5時半と次第に上がっていく。ベースロードは原発が引き受け、上昇につれて各地の火力発電所が徐々に出力を上げていく。指令所では、指令をはじめ5人の所員が詰めていて、その有り様を見守っていた。(中略) 午前5時45分、ABC(朝日テレビ)の「おはよう天気です」の放送が始まった。・・・気温は摂氏2度、近畿北部では雪になりそうだが、南部は風はなく穏やかな日になりそうだった。日の出まではまだ1時間10数分あり、雲の少し残る暗い空の西には、まだ満月が煌々と輝いていた。 午前5時46分・・・あとで通報があったが、このころ、天空に奇妙な光を目撃した人が何人もいたという。 そして、1月17日午前5時46分52秒・・・それは突然、淡路島北端と阪神間の地下から襲ってきた。<たった十秒間のできごと> それは、「たった十秒間」のできごとだった。・・・あの震源地明石海峡、マグニチュード7.2の「兵庫県南部地震」の激しい揺れは、そんな短い間だったのだろうか? 私自身は、実感的には、最初の激しい上下動から、引き続いて襲ってきた強烈な、みそすり運動型の横揺れが一応収まるまで、最低20秒ぐらいは続いたように感じられたのだが・・・。震源地にもっとも近い所に住んでいた友人は、「三十秒」は続いたと、直後に語った。 だが、地震計に記録された「主震」の持続時間は、「十秒間」を示しているのだ。 1月17日の午前5時46分52秒までは、神戸市、そして阪神間は、西空に傾いた満月の光に照らされた、美しく、スマートな住宅地帯、そして高速道路や高層ビル、無数のガントリークレーン、巨大な工場施設群など、ダイナミックな近代産業の象徴が、これから新しい年の、新しい活動に入ろうとして、静かに覚醒前の息遣いを始めたところだった。 阪神高速、湾岸道路の高架上には、オレンジ色のナトリウムランプの明かりが連なり、その間を乗用車ヤバス、トラックの光が動いていた。幹線道路の辻々には青、黄、赤の信号灯が明滅し、少しずつ数の増えつつあった車のヘッドライトや赤いテールランプが、生命の脈動のように止まったり、流れ出したりしていた。(中略) 穏やかな、冬の夜明け前の大都市圏の風景を見ていた人は、誰も、それが襲って来てからわずか十秒後に、その風景が、この世のものとも思われない、無残で、めちゃくちゃなものに変わってしまう、などということは、想像もしなかったろう。
2023.09.10
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図書館で『日本語のこころ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・日本語関連ももちろんで、なかなか読みどころの多いエッセイ集になっています。【日本語のこころ】日本エッセイスト・クラブ編、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>より非論理的にみえる日本語の表現にこめられた日本人特有の心づかいを解き明かす表題作をはじめエッセイの楽しみ満載の珠玉の61篇。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・日本語関連ももちろんで、なかなか読みどころの多いエッセイ集になっています。rakuten日本語のこころ ベスト・エッセイ集00年版満州の高粱畑このところ旧満州が大使のミニブームなんですが・・・宮尾登美子さんの旧満州の思い出を見てみましょう。p87~90<飲馬河の米:宮尾登美子> この秋、9月26日の朝、私が下り立った旧満州国吉林省九台県飲馬河は、いまから53年前、私どもが襲撃されたあの9月8日の日と同じく雲ひとつなく空晴れわたり、吹く風はさわやかだった。 昔、ここは無人の寒駅だったのに、いまはコンクリートの建物に変わり、駅の周辺には15、6戸の人家も見える。 昭和21年に、私どもが引揚列車に乗ってこの地を去って以来、中国との国交回復が成るや、ずい分各方面から再訪がすすめられたが、いつも決心を固めようとするたび、妨げとなるのはこの地で襲撃された記憶ばかり、その恐怖からずるずると計画を先延ばししているうち、とうとう半世紀以上も経ってしまったのである。 長い年月を経たからこそ恐怖の経験は風化されるかといえばさにあらず、汽車が飲馬河駅に近づくにつれ、私は息苦しいまでに緊張が高まり、そして駅舎のうしろにある昔ながらの給水塔を仰いだとたん、まるで噴き上げるように涙が溢れてきたのだった。 私がこの地に住んだのはまだ18歳のころ、当時は何も判らず、小学校教師だった夫に従い、ひたすらお国のため、生後50日の長女をおぶっての渡満だったのである。 駅舎を出、昔のようにもんぺをはき、付近を歩いてみると、前にはどこも40人ほどの大家族だった住民たちはいま夫婦単位で分かれ、小さな家が増えていることを除けば何もかも昔のまま。 水たまりのような泥の池で、以前と同じくあひるを飼っているし、暖房はなおオンドルで、燃料は農作物の根っこをかまどで焚いている。 雨の降ったあとの泥濘の凸凹はジープも通れないほどで、そして家畜のものか人間のものか、糞は至るところに落ちている。まだ露天の井戸もあり、水を汲む見馴れた柳の籠もそのままあった。そしてこのなつかしい風景のなかで、私どもの住んでいた宿舎や小学校なども、目印の大きな柳の木こそないものの、ほぼこの辺りだと掴むことができたのである。 50年何も変わらぬ、というのは驚嘆に値いすることだが、反対に大いに変わっていてこれも驚嘆したこともいくつかあった。 そのひとつは、物見高く集まってくる村の人々の表情がいとも柔和に物腰もとてもやさしくなっていたこと。この人たちに取巻かれていると、私はあの襲撃の日の恐怖もすっかり遠のき、そしてのんびりと、時間の流れるのさえ忘れ去っていたのだった。(中略) そして私は、駅舎の裏に立って見渡したとき、視界の限り黄金の波のうねっている光景に驚いたが、近づいてみるとこれが全部、陸稲のみのりの穂なのであった。 元来、満州には米は作れず、地のある限り高粱(こうりゃん)を植えていたもので、この高粱はかつて人間や家畜の飼料にするばかりでなく、燃料として貴重な資源だった。 それに、春播いた種は夏ごろ人の背丈以上も伸び、この畑のなかに一旦逃げ込めば容易に捜し出せぬとあって、不気味な隠れ場所にもなり、高粱の伸びるころが匪賊の跳梁跋扈の季節だと恐れられていたことがある。 そういえば、今度の旅で大連から瀋陽を経て長春へと陸路を車や列車で入ってきたが、その沿道で高粱の栽培を見かけることはほとんどなかった。 大ていが代わってとうもろこしだったが、ここ飲馬河だけは陸稲を作っていたのである。 しかも、黄金一色のなかに黒い点々が見え、それらはすべて、天へ続くほど広大なこの陸稲の畑を、日本の昔のやりかたと同じく一株一株、鎌で刈っているのだった。 私はこの風景を見たとき、深い感慨をおぼえた。 満州に何故稲が作れないかといえば、稲は水がなければ栽培できず、水の乏しい満州ではまず不可能であうのを、改良研究して水の要らない陸稲栽培に成功したのは、日本の開拓団のみなさんだと聞いていたからである。 これについては、この技術を伝えたのは朝鮮人移民であると主張する人もいるが、私がこの地に住んでいたとき、開拓団の人たちが日本から持ってきた籾を播いて陸稲を作っていたのを知っている。それまで穀物といえば高粱かとうもろこし、一部で小麦だけだった土地の人が、陸稲栽培に大いに興味を抱いたのは当然のことであろう。 終戦後の引揚げで、満州に日本の農民は一人もいなくなってしまったが、技術だけは土地の人に伝えられ、いま飲馬河は豊かにたっぷりと日本の米を実らせている。 聞けばいまや飲馬河米というのは有名ブランドとなっており、高値でよく売れるという。 昼どきになり、昔の隣人王さんの家に立寄って私はこの飲馬河米を茶碗に一杯、ごちそうになったが、これはなかなかのもの、いわゆる日本で食べられる外米ではなく、あくまでも日本の米だった。『日本語のこころ』1:旧満州の思い出『日本語のこころ』2:日本語のこころ『日本語のこころ』3:関川夏央のエッセイ
2023.09.09
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図書館で『空飛ぶヘビとアメンボロボット』という本を、手にしたのです。表紙の副題が「動物たちのスゴ技から生まれたテクノロジー」となっているが・・・どのアイテムをとっても画像付きの解説がプロ仕様となっているのが凄い。【空飛ぶヘビとアメンボロボット】 David Hu著、化学同人、2020年刊<「BOOK」データベース>より水の上を歩く昆虫、壁を這いあがるヘビ、自在に泳ぐ魚。動物たちの“動き”はエレガントで、すばやく、多様性に満ちている。かれらの動きを可能にしているものは何なのか?われわれは、そこから何を学ぶことができるだろう?…さあ、アニマルモーションの世界を巡る旅へ出発だ!行き先は、MITの地下の実験室から、パナマの熱帯雨林まで。動物たちがいかに独創的な方法で自然の法則を利用し、環境に適応し、進化してきたか。そして、それにインスピレーションを得た科学者が動物の動きを真似たロボットやデバイスをどのように開発したのか。そのドラマを見にいこう。<読む前の大使寸評>表紙の副題が「動物たちのスゴ技から生まれたテクノロジー」となっているが・・・どのアイテムをとっても画像付きの解説がプロ仕様となっているのが凄い。rakuten空飛ぶヘビとアメンボロボット「第1章 水の上を歩く」で、アメンボ型ロボットが語られているので、その続きを見てみましょう。p34~36<第1章 水の上を歩く> 設計でいちばん頭を悩ませたのは、アメンボの動力源をどうするかだった。とにかく軽くなくてはいけない。飛行機の場合、期待が重ければ、揚力を生み出す翼も大きくする必要がある。同じように、アメンボの体重が増えるほど、水上でそれを支えるためにより長い脚が必要になる。たくさんのエンジニアがここでさじを投げてきた。ブライアンもいったんは行き詰まった。 翌朝着替えているとき、ブライアンにひらめきの瞬間が訪れた。運動用ソックスを使えばアメンボロボットを動かせる。いまどきの運動用ソックスは現代技術の結晶だ。かぎりなく軽量化されていながら、ずれることなく脚にしっかりフィットする。これを可能にする、綿密に設計されたポリマーと綿のブレンドは、繊維工学者、化学者、材料科学者の長年にわたる共同研究の賜物だ。 ブライアンは靴下を分解し、伸縮性バンドの部分からピンセットで小さな繊維を抜き取った。そして繊維をアメンボロボットの後部に結びつけると、前方に伸ばし、中肢を動かすプラスチック滑車に丁寧に巻きつけた。コンセプトは簡単だ。小さく軽いアメンボ型のボディに、ぜんまい式のおもちゃの構造を組み合わせたのだ。 アメンボロボットを組み立てたブライアンは、脚を回転させて滑車にゴムを巻きつけ、動かないよう脚を指でつまんだまま、そっと水面に置いた。彼は息を殺して僕に目を向け、そして指を離した。いくつかの波紋と、動きの残像。アメンボロボットはゆったりと体ひとつぶん進み、まだ水面にとどまっていた。成功だ!僕らは大喜びで記録装置を準備し、次の水上歩行に備えた。 本物のアメンボの撮影と同じく、今度もハイスピードカメラを使った。ヒトがまばたきに要する時間は3分の1秒だが、カメラの撮影速度は1秒間に1千フレーム。まばたきの300倍だ。映像を確認すると、アメンボロボットは確かに水面を割ることなく歩いていた。こうして、いっさい濡れることなく水上移動できる、世界初の「ドライボート」が完成した。『空飛ぶヘビとアメンボロボット』1:アメンボ型ロボット
2023.09.09
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図書館で『村上ソングズ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると…英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪【村上ソングズ】村上春樹著、中央公論新社、2010年刊<商品説明>より厖大なレコード・コレクションの中から、ビーチボーイズ、ドアーズ、H.メリル、T.モンク、B.ホリデイ、S.クロウ、スプリングスティーンほか、ジャズ、スタンダード、ロックの多彩なアーティストをピックアップ。「中国行きのスロウ・ボート」「酒とバラの日々」などなど、訳詞とエッセイで紹介するお気に入りのあの曲、知る人ぞ知るこんな曲。和田誠さんのカラフルな絵も満載。<読む前の大使寸評>英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪rakuten村上ソングズもうひとつ「酒とバラの日々」を、見てみましょう。p160~163<酒とバラの日々> 美酒とバラに彩られた日々は遊びに興じる子供たちのように草原を抜け、閉じかけた扉にむかって笑い声を残して走り去っていく。その見覚えのない扉には「もう終わった」と記されている。孤独な夜が運び来るのはあなたの微笑みの記憶を孕んだ一陣の夜風でしかない。美酒とバラとあなたの日々に私を導いてくれたあの輝かしい微笑みであったのに。<The Days Of Wine And Roses> The days of wine and rosesLaugh and run awayLike a child at playThrough the meadowlandToward a closing doorA door marked "nevermore"That wasn't there beforeThe lonely night disclosesJust a passing breezeFilled with memoriesOf the golden smileThat introduced me toThe days of wine and rosesAnd you<酒とバラの日々> ニョニー・マーサーとヘンリー・マンシーニが1962年に、同名の映画のために作った名曲。前年の「ムーン・リバー」に続いて、このコンビが2年連続でアカデミー主題歌賞をとった。 映画自体は、アルコール依存症になって人生の坂を転げ落ちていく若い夫婦を描いたかなりシリアスな内容で、妻リー・レミックのお父さん役を演じたチャールズ・ビッグフォードの演技が秀逸だったが、後半の「これでもか」という暗さにはいささか辟易させられた。 高校時代にリバイバル上映されて、ガールフレンドと二人で見に行ったんだけど、映画の選び方を間違えたかもしれない。映画館を出たあと、あまり雰囲気が盛り上がらなかったような気もする。しかしその話の暗さとは裏腹に、繰り返し流れるテーマ音楽はどこまでも美しく哀しく胸を打った。レコードを買ってきて、歌詞の全文をそのまま暗記してしまった。そんなに長い歌詞ではないので、今でもそっくり覚えている。 音楽の流れに乗って英語の歌詞を聴いていると、とてもすんなりと自然にイメージが紡がれていく。使われている言葉も、どちらかというと素直で平明なものだ。両義性や気取った仄めかしのようなものはどこにも見あたらない。しかしその歌詞をいざ日本語に置き換えようとすると、一筋縄ではいかないことがわかる。 簡単な言葉ほどむずかしいということもある。それからたとえば関係代名詞が多くて、「・・・するところの」という感じが続き、文節の入れ替えにも苦労することになる。当たり前のことかもしれないけれど、歌詞が磨き抜かれていればいるほど、その美質を損なうことなく、しかも内容に忠実に日本語に翻訳するのは至難のわざになる。 この歌詞を、今の僕の年齢になって読むと、それなりの実感はある。歳を重ねるにつれて、若いときには開いていたいくつかの扉が閉じられていくし、その多くには「もう終わった」と記されている。それらの扉が開くことはおそらく二度とあるまい。それはもちろんある意味では悲しく切ないことだ。 しかし不思議なことなのだが、この歌詞を読んで17歳の頃に心の内で感じた悲しみや切なさの方が、僕が今こうして現実に感じている悲しみや切なさよりも、より深く切実であったように思う。どうしてだろう? 歳をとって、僕の感受性が衰えたからだろうか? いや、そうではあるまい。たしかに僕はいろんなものを失ってきたけれど、失ってきたものの記憶が、今となっては逆に僕という人間を底から温めてくれているからだと思う。ウーム 映画の方はさることながら、翻訳家の苦労話にもなっていて、興味深いのです。『村上ソングズ』1:中国行きのスロウ・ボート『村上ソングズ』2:酒とバラの日々
2023.09.08
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図書館で『本当のたばこの話をしよう』という本を、手にしたのです。長年たばこを吸っているのだが・・・年金暮らしという中で、たばこを止めることも選択肢に挙がってきたわけです。【本当のたばこの話をしよう】 片野田耕太著、日本評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりたばこをめぐる矛盾や素朴な疑問に対して「(可能な限り)科学的」に答えます!たばこを吸う方も吸わない方も、たばこについての、健康のこと、病気のこと、家族のこと、美容のこと、そしてたばこ産業がこれまでやってきたことーを広く知ることで、たばこに対する考え方が変わってきます。<読む前の大使寸評>長年たばこを吸っているのだが・・・年金暮らしという中で、たばこを止めることも選択肢に挙がってきたわけです。rakuten本当のたばこの話をしよう「第1部 たばこを吸う人の話」から、見てみましょう。p36~40<5.禁煙で得られるもの、失うもの> ■たばこをやめると体の中で何が起こるか ヘビースモーカーでいつも顔色が悪かった友人が、ある日久しぶりに会うとすごく血色がよくなっていてびっくりしたことがありました。本人にははっきりとは言えませんでしたが、以前は土のような色の顔だったのが、薄いピンク色に変わっていたのです。どうしたの?と聞くと「たばこをやめた」と教えてくれました。 その友人は薬などを使わず自力でやめたそうですが、禁煙したときどうだったかと聞くと、とにかく眠くて仕事中でも居眠りしてしまったと言っていました。2章のドーピングの箇所でたばこが興奮剤に分類されていることを紹介しましたが、ニコチンには覚醒作用がありますので、その効果がなくなって眠くなったのだと考えられます。その友人は「たばこを吸っている時は感じなかったけど、あれはホントに薬物だ。こんなに体の感覚が変わるなんて」と語っていました。 たばこをやめたときに体の中で何が起こるかを時間ごとに見ていきましょう。たばこをやめて20分後 血圧と脈拍が正常まで下がり、手足の温度が上がります。これはニコチンの短期的な影響である血管の収縮作用がなくなってくるからです。逆にたばこを吸うと数分で手足の温度が下がります。これらの変化は、禁煙の効果というより喫煙者の体で繰り返し起こっていることです。8時間後 血中の一酸化炭素濃度が下がり、酸素濃度が上がります。これは血液が酸素を運ぶ能力が回復することを示しています。そして丸1日で、心筋梗塞や狭心症など心臓の病気のリスクガ下がります。2日後 味覚と嗅覚が正常に戻ります。禁煙すると食事がおいしくなるというのもよく知られる効果です。(中略) 人によっては落ち込んだりする場合もあります。これらは決して異常な反応ではなく、体がニコチンへの依存から抜け出そうとする正常な反応です。3日後 呼吸が楽になり、体にエネルギーを感じるようになります。2週間から数ヶ月後 この頃には心臓と肺の働きが相当回復し、息切れや咳などが減り、スタミナが戻ってきます。1年後 心筋梗塞など心臓病のリスクが劇的に減ります。実際、欧米人でも日本人でも禁煙後1年でこれらの病気のリスクが喫煙者の約半分になると報告されています。2~4年後 心筋梗塞だけでなく脳卒中のリスクも喫煙者の約半分に低下します。5年後 がんのリスクも下がり始めます。10年から15年 心臓病のリスクは非喫煙者と同じレベルになります。約20年後 がんのリスクも非喫煙者と差がほとんどなくなります。■高齢でも禁煙は間に合う 禁煙して20年も経たないとがんのリスクがなくならないとなると、高齢者は禁煙しても間に合わないのか、とあきらめてしまうかもしれません。決してそんなことはありません。図は禁煙した年齢別の肺がんの死亡リスクを示したものです。60歳代で禁煙してもたばこを吸い続けた人と比べると大幅に肺がんのリスクが減ることがわかります。 このグラフでは、禁煙した人の肺がんリスクがもともとたばこを吸っていなかった状態にまでは下がっていません。しかし、日本人を対象とした最近の研究では、肺がんでも禁煙後5年以内にリスクが半分に、20年を超えると非喫煙者のレベルまで下がっていました。肺がんだけでなく、食道がん、胃がん、膀胱がんなど、喫煙で引き起こされる他のがんでも、同じように禁煙でリスクを減らすことができます。■楽に、安く禁煙する方法 何度も禁煙にトライしたけど失敗した、という人は多いでしょう。たばこに含まれるニコチンが、コカインなどの違法薬物に匹敵する依存性を持つことは2章、4章で紹介したとおりです。禁煙がつらく、難しいのは、決して意思の弱さではなく、ニコチンの強い依存性によるものです。では、楽に禁煙する方法はないのでしょうか。あります。禁煙補助薬という薬を使う方法です。 薬で禁煙?と抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、たばこに含まれるニコチン自体が依存性のある薬物ですから、それをやめるのに薬を使うのは実に自然なことです。
2023.09.08
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図書館で『気になる日本語』という本を、手にしたのです。目次を見ると「気になる日本語」もさることながら、クリント・イーストウッドとか映画「ゴールデンスランバー」が出て来るのがいかにも小林信彦ふうで、ええでぇ♪【気になる日本語】小林信彦著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>よりアマチュアの時代はこまったものだー徹底した個人主義を守りつつ、世間にきっぱり物申す。映画の話題も満載。「週刊文春」好評連載単行本化第13弾。<読む前の大使寸評>目次を見ると「気になる日本語」もさることながら、クリント・イーストウッドとか映画「ゴールデンスランバー」が出て来るのがいかにも小林信彦ふうで、ええでぇ♪rakuten気になる日本語ゴールデンスランバー「ゴールデンスランバー」とか、見てみましょう。p39~42<映画「ゴールデンスランバー」と奇妙なイーストウッド論> 珍しく気分の良い日があったので、どこかの映画館へ行ってみようかと思った。 渋谷で「フローズン・リバー」を上映しているので、電話をすると、今日は夜まで一杯だと答える。単館の封切りらしいし、初日でもあるので、まあ、どうでもいい。 何年か前まで、良さそうな映画はほとんど観てやろうなどと、間違ったことを考えていたのだが、いまはのである。観られるかどうか、縁みたいなものだ。 それに、十年ぐらい前からか、小さな劇場なのに、客に席を指定させたりする。あれはなんだろう。 こんなことは往年のスバル座だけの特権であって、何週間も前に、こちらが席を指定する。入場料はとんでもなく高かった。その代わり、上映しているアメリカ映画は半年ぐらい待たないと、巷の映画館におりてこない。これをと称した。「フローズン・リバー」を断られたので、日劇に行くことにした。「ゴールデンスランバー」という邦画で、予備知識はまったくないが、題名がいい。 適当な時に、映画の途中からフラリと入って、次の回の途中まで眠る、とか、空席がなくても立って観る、といったことが、法規なのか何なのかできなくなった。これで映画館はかなりの観客を失っていると思われるが、そのことを注意するする人はすくない。 観そこなったらDVDで観ればいい、といわれるかも知れないが、絶対に映画館のスクリーンがいい。DVDは記憶の確認のための道具と考えている。「ゴールデンスランバー」は不思議な魅力のある映画だった。 サスペンス映画の一種なので、筋はいっさい書けないのだが、仙台の町を舞台にしたの物語である。 総理大臣暗殺の罠にはめられた主人公(堺雅人)はひたすら逃げる。なぜ、そんな目にあうのか、誰を信用したらいいのか、主人公にはわからない。といえば、ヒッチコックの「三十九夜」「北北西に進路を取れ」を思い浮かべる人も多いと思うが、ああいう直線型のストーリーではない。主人公の青春が何度も挿入され、それがゴールデンスランバー()であると同時に、プロットにからんでくる。 なぜ総理大臣が暗殺されたのかという説明はなく、主人公はただ逃げまくる。この場合、主人公が殺されてしまうか、逃げきってハッピーエンドになるのかの二つしかないのだが、映画は第三の道を示す。 原作はあとで読んだのだが、映画は…中村義洋監督はちがうというかも知れないが…「パルプ・フィクション」のテイストがあるように感じた。それに、劇団ひとり、柄本明、伊東四郎といった脇のキャスティングが良い。香川照之のこわさをふくめて、監督のセンスが光っていた。 家に帰って、夜中「クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説」という五百ページ弱の本を手に取る。マーク・エリオットという人が書いたもので、題名を直訳すれば、「アメリカの反逆児 クリント・イーストウッドの人生」。 イーストウッドはたしか「おれの伝記は自分で書く」といっていたはずで、世のイーストウッド論というのは、後年の作品から彼の人生を眺める形になっている、ところが、イーストウッドは自己を語らない人だから、謎の部分が多くなる。 その点、この本はイーストウッドの私生活に踏み込んでいる。 マーク・エリオットという人も、著者紹介を見ると、いろいろなスターの伝記を書いているようで、どうものライターのように思われる。 ひとつ言っておくと、この本は作品論ではないということ。日本にはイーストウッドを神格化している人が多いから、そういう人にはすすめられない。 ぼくが読みすすめたのは、これがであるからだ。「ニューヨーカー」の故ポーリン・ケイル女史が、ぜったいにイーストウッドを認めなかったのはだったからである。実は、ぼくもそんな風に軽視していたのだが、「荒鷲の要塞」(1968年)で演技者として、「恐怖のメロディ」(1971年)で監督としての彼にめざめた。『気になる日本語』3:映画「ゴールデンスランバー」『気になる日本語』2:「インビクタス/負けざる者たち」『気になる日本語』1:という歌
2023.09.07
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・クララとお日さま・大震災'95・くもをさがす・そのうちなんとかなるだろう<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【クララとお日さま】カズオ・イシグロ著、早川書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱の少女ジョジーと出会い、やがて二人は友情を育んでゆく。生きることの意味を問う感動作。愛とは、知性とは、家族とは?ノーベル文学賞受賞第一作、カズオ・イシグロ最新長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、9/06受取予定)>rakutenクララとお日さま【大震災’95】小松左京著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より巨大災害に直面した『日本沈没』の作者は、この私たちの体験を風化させないためにという祈りを込め、責任感に突き動かされるように、その全貌の記録と総合的な解析を一年間にわたり精力的に行った。阪神・淡路大震災の歴史的ルポにして、未来への警鐘を鳴らす名著。単行本未収録「阪神大震災の日 わが覚書」他を巻末に収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、9/06受取予定)>rakuten大震災’95【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/10予約、9/06受取予定)>rakutenくもをさがす【そのうちなんとかなるだろう】内田樹著、マガジンハウス、2019年刊<「BOOK」データベース>よりやりたいことは諦めない。やりたくないことは我慢しない。たどり着く場所は、結局同じだから。直感に従って生きてきた思想家の悔いなき半生記。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenそのうちなんとかなるだろう図書館大好き608
2023.09.07
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図書館で『オーストラリアはいかにして中国を黙らせたのか』という本を、手にしたのです。福一の処理水放出に対して、中国が水産物全面禁輸で対抗となったが・・・オーストラリアならどう対応するかということでチョイスしたのです。【オーストラリアはいかにして中国を黙らせたのか】西原哲也著、徳間書店、2021年刊<「BOOK」データベース>より中国圏駐在13年、在郷10年ジャーナリストの現地リポート。政治・経済・教育・文化まで中国の浸透工作に侵されていた豪州はどのように中国と対峙し、強圧をはねのけたのか。媚中派が巣くう日本の反撃法がここにある!<読む前の大使寸評>福一の処理水放出に対して、中国が水産物全面禁輸で対抗となったが・・・オーストラリアならどう対応するかということでチョイスしたのです。rakutenオーストラリアはいかにして中国を黙らせたのか「終章 日本の外交は変わるか」の論調がええので、そのラストあたりを、見てみましょう。p292~295<世界の外交の現実とは> ところで、オーストラリアとフランスは近年、良好な関係を保ってきたわけではない。南太平洋で核実験を実施してきたフランスは1985年に、核実験に抗議するレインボー・ウォーリア号をオークランド沖で爆破し、オーストラリアやニュージーランド国内でフランスに対する大規模な反発が広がった。1996年に核実験を再開したときも、フランスに対する激しい抗議活動が広がり、豪仏の外交関係は劇的に悪化した。 そんな過去がありながらも、オーストラリアは新型潜水艦開発でフランスを選んだ。そして長年良好な関係を築いてきた日本を「裏切った」。すると今度は、アメリカとイギリスを引き入れ、フランスを土壇場で「裏切った」。またフランスは、実はオーストラリアが契約を破棄する瀬戸際にあることに気づいていながら、背中から突然刺された「演出」をして、外交上の実利を求めた。中国に至っては、その傍若無人の振る舞いは、あえて言及するまでもない。 中国の戦狼外交ぶりには呆れるほどだが、オーストラリアのドライな転身ぶりやフランスのしたたかさにも舌を巻く。それが世界の外交の現実だろう。 筆者は、オーストラリアがこれまで示してきた日本を特別視する姿勢は、アジアで抑圧的に振舞う中国共産党の存在があるための「相対的な」重要性が要因だったことを、オーストラリアのメディア報道などから再三述べてきた。重要な貿易相手であり、最大の投資国の一つとして日本を尊重してきただけだ。 今後の中国共産党の状況いかんでは、万が一ではあるが、オーストラリアの対中強硬姿勢が一転して柔軟化する可能性があることは覚悟すべきだろう。そもそも巨大市場の中国を、オーストラリア自身が経済的に必要としているためだ。 その一方で、日本はアジア太平洋地域の中で、オーストラリアとの緊密な関係をことさら求めてきた。実際に、オーストラリアと日本は経済や産業、政治、文化・人的交流面、すべてにおいて実に相性が良く、安全保障でも極めて重要な関係になり得るのはまったく疑いようがない。だからこそ、首脳どうしが外交面でも政策で議論できる関係が必要だ。 それなのに日本の場合、国会議員などの要人は、さまざまな国際的な場での交流が非常に苦手なケースが散見される。一部には、精力的にテレビや新聞などの地元メディアに露出する外交官もいてその役割を果しているが、それは少数派と言っていい。 むしろ海外で往々にして伝わる日本人像は、堅苦しく、日本人どうしで固まり、西洋人に委縮しがちなおとなしい存在である。それは、日本語という「特異な言語」、島国の閉鎖的国民性の因果な宿命かもしれない。 また日本では、ディベート教育などを受けないどころか、自己主張さえ好まれず、ペーパー試験対策だけの教育を受けさせられる。年齢や入社年次による頑丈なヒエラルキーにも縛られる。日本人を形成するそうした土壌が、海外で主張できない日本の政治や外交政策に如実に反映されている。 だが魑魅魍魎がうごめく外交の舞台で、そんなことは言っていられるはずがない。不幸にも常に安全保障の危機にある日本は、海外に出たときに国益をどう守るか、そのために相手国の要人の前で、もしくは海外メディアを前にどう振る舞うべきかといった訓練を、政界や霞が関で取り入れるべきだと思われる。それは「外交帝王学」のようなもので、一部先進国ではエリート教育の一環として採り入れていることだ。 以前、日本のあるキャリア官僚から「前任者を否定することにつながる政策は取りにくい」と聞いてあっけにとられたことがある。そうした因襲は、国内政策では実害が露呈しにくいかもしれないが、世界を相手にした外交では国益を失うケースもある。国内だけで通用する永田町や霞が関の旧態依然とした官民人事や年次ヒエラルキーなどに固執していると、何か国際的に問題が起きるたびに、だんまりを決め込み、嵐が過ぎるだけのを待つだけの日本外交をいつまでも展開することになる。(中略) オーストラリアはこれまで中国に対して、また日本に対してさえ、意見の相違があれば声高に主張してきた。それは捕鯨問題でも、潜水艦事業でも日本自身が経験したことである。オーストラリアはそうしながらも、中国から受けた貿易上の制裁さえ克服しつつある。 中国が世界で繰り広げている外交戦略に対抗するには、日本はそれを上回る緻密な外交戦略しかない。諸外国の要人と膝を交えて議論することができる外交プロフェッショナル人材の育成を強化し、「特別な戦略的パートナー」としてオーストラリアと強力に手を結びながらも、時に厳しく苦言を呈するくらいの発言力や外交力が望まれる。『オーストラリアはいかにして中国を黙らせたのか』2:オーストラリアの原潜導入『オーストラリアはいかにして中国を黙らせたのか』1:きしむ豪中関係
2023.09.06
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図書館で『TOUR DE FRANCE』という本を、手にしたのです。なんか小学校の教科書のような本であるが・・・錆びついたフランス語を学びなおすには打ってつけの本だろうということで、チョイスしたのです。【TOUR DE FRANCE】駿河台出版社編、駿河台出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より【目次】La Bretagne-Point de grammaire:形容詞の最上級/La Normandie-Point de grammaire:関係代名詞quiとque/Les Hauts-de-France-Point de grammaire:受動態/Le Grand-Est-Point de grammaire:国名の冠詞と前置詞/La Bourgogne-Franche-Comt´e-Point de grammaire:関係代名詞o`Ù/L’Auvergne-Rh^One-Alpes-Point de grammaire:形容詞tout、toute、tous、toutes/PACA(Provence-Alpes-C^ote D’Azur) et la Corse-Point de grammaire:不確かなニュースや出来事を表す条件法/L’Occitanie-Point de grammaire:直説法単純未来/La Nouvelle Aquitaine-Point de grammaire:中性代名詞en/Les Pays de la Loire-Point de grammaire:「思い出」を述べる直説法半過去/Le Centre-Val de Loire-Point de grammaire:関係代名詞dont/Les DROM(La Guadeloupe/La Martinique/La Guyane/La R’eunion/Mayotte)-Point de grammaire:depuis/il y a<読む前の大使寸評>錆びついたフランス語を学びなおすには打ってつけの本だろうということで、チョイスしたのです。rakutenTOUR DE FRANCE先ずINTRODUCTIONから、見てみましょう。p8~9<INTRODUCTION> Àvez-vous remarque que la France a une forme plutot geometrique? Èn effet, si bous tracez un HEXAGONE,vous pourrez assez facilement dessiner les contours de la france comme ci-dessous : Les medias emploient regulierement cette expression,«l‛HEXAGONE», pour eviter de repeter «la France». Cette reference a un hexagone n'est pas seulement dans le langage. Certaines societes, associations ou federations flancases lutilisent dans leur logo. Èt puis, on retrouve aussi l‛hexagone sur les pieces flancases de 1 et 2 euros. Mais la France, ce n'est pas seulement l‛Hexagone. l‛Hexagone ne designe que la France metropolitaine. Il faout y ajouter la France d'outremer:les territoires francais situes en dehors du continent europeen. Leur designation officielle est les DROM—COM(Departement et regions doutre-mer-collectivites doutre-mer). Cependant, dans la conversation courante, on les appelle souvent de leur ancien nom, les ROM—TOM(Departement doutre-mer-collectivites doutre-mer).ここまで綴ってきた仏文は、以下に示すフランス語の綴り字記号を無視しているわけだけど・・・気にはしているのです。そのうちフランス語のフォントを取りこめるかな?***********************************************************『フランス語の綴り字記号とアクセント』よりcafé(カフェ)やgarçon(ギャルソン)のように、日本でもメジャーなフランス語の中には、文字の上や下になにやら記号のようなものがついていますよね。これらは「綴り字記号」(Signes orthographiques)と呼ばれるもので、忘れられがちではありますが、それがあるために「なんだかフランス語っぽい!」というオーラを放っているフランス語の名脇役でもあります。今回は、これらの愛すべき「綴り字記号」とお友達になるべくお勉強に励んでみましょう。<目次>・アクサンテギュなど……フランス語の「綴り字記号」の種類とは・アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号・アクサン・グラーヴは同音異義語の識別に役立っている・歴史の生き証人アクサン・スィルコンフレックス■アクサンテギュなど……フランス語の「綴り字記号」の種類とはまず最初に、「綴り字記号」の種類についてみてみましょう。 「é 」 : accent aigu(アクサン・テギュ)「à,è,ù 」 : accent grave(アクサン・グラーヴ)「â,î,û,ê,ô」 : accent circonflexe(アクサン・スィルコンフレックス)「ï ,ü,ë」 : tréma(トレマ)「ç」 : cédille(セディーユ)「'」 : apostrophe(アポストロフ)「-」 :trait d'union (トレ・デュニオン)一般的にフランス語の「綴り字記号」と見なされているものは上記の7種類です。それでは、ちょっと「綴り字記号」についての理解力を診断するテストがあるフランス語のサイトFrançais correctif の診断ページで復習とまいりましょう。「綴り字記号」でないと思うものの上をクリックしてみてください。「Bravo!」と出れば正解ですいかがでしたか? それでは、「綴り字記号」について一つ一つみてみましょう。アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号です。 ■アクサンテギュとは「e」の上にくっついて、発音を変える記号まずは、上の3つaccent aigu(アクサン・テギュ)、accent grave(アクサン・グラーヴ)、accent circonflexe(アクサン・スィルコンフレックス)がアルファべの「e」の上につくとどうなるか?ということから話をはじめたいと思います。フランス語の「e」は、アルファベット読みすると、「ウ」となります。この「e」の読み方は複雑なので、いろいろ読みの規則があり、「ウ」と読んだり「エ」と読んだり、発音しなかったりとかいうパターンがあるのですが、この「e」の上にaccent aiguをつけて、「é」と表記すると読み方は「エ」となります。café(カフェ/コーヒー)、opéra(オペラ)などがその例です。このaccent aiguは「e」の上にしかつきません。また、「e」の上に他のアクサンがついて「è」、「ê」となった場合にも、père(ペール/父)、tête(テット/頭)という風に、発音は日本語で言えば同様に「エ」となります。ただし、フランス語では、前者は[e]という発音記号で、e fermé(狭いエ)、後者は[ε]という発音記号で、e ouvert (広いエ)と区別されます。豊富な音声ファイルがうれしいLanguage guide.org のページで、音の違いが聞けますので聞き比べてみましょう。いかがでしたか? 最初はちょっと聞き分けにくいかもしれませんね。[e]の方は日本語の「イ」の口の形のように口の両端を左右にひっぱるようにして「エ」という音をだします。[ε]の方は、横ではなくあごと舌を下にひっぱるような感じで「エ」と発音するとうまくいきます。[e]は日本語の「エ」より狭く、[ε]は日本語の「エ」より広い感じです。ちなみに、sakéとか、karaokéのようにすでにフランス語になっている日本語は、accent aiguで表記されています。まあ、「細かいことはいいわ。」とおっしゃられる方は、「e」の上になにかしらくっついていたら「エ」と発音すると覚えておきましょう。 (長くなるので以降省略)
2023.09.06
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在36位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在4位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在17位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在11位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在40位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在449位・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、副本?、予約57)現在36位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在345位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在170位・小松左京『大震災’95』(9/05予約、副本?、予約?)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、副本?、予約46)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・斎藤環『社会的ひきこもり』・原田ひ香『図書館のお夜食』<予約分受取:6/13以降> ・和田秀樹『70歳の正解』(9/14予約、6/13受取)・言葉の周圏分布考 (8/15予約、6/13受取)・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取)・阿川佐和子『 老人初心者の覚悟』(7/18予約、7/26受取)・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、8/16受取)・カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(8/31予約、9/06受取予定)・小松左京『大震災'95』(9/02予約、9/06受取予定)・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、9/06受取予定)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【白鶴亮翅】多和田葉子著、朝日新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>よりベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。さまざまな文化的背景の人びととの出会い、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれ、名作を女性の視点で読み直す。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/2予約、副本?、予約57)>rakuten白鶴亮翅【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【クララとお日さま】カズオ・イシグロ著、早川書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱の少女ジョジーと出会い、やがて二人は友情を育んでゆく。生きることの意味を問う感動作。愛とは、知性とは、家族とは?ノーベル文学賞受賞第一作、カズオ・イシグロ最新長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、9/06受取予定)>rakutenクララとお日さま【大震災’95】小松左京著、河出書房新社、2012年刊<「BOOK」データベース>より巨大災害に直面した『日本沈没』の作者は、この私たちの体験を風化させないためにという祈りを込め、責任感に突き動かされるように、その全貌の記録と総合的な解析を一年間にわたり精力的に行った。阪神・淡路大震災の歴史的ルポにして、未来への警鐘を鳴らす名著。単行本未収録「阪神大震災の日 わが覚書」他を巻末に収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、9/06受取予定)>rakuten大震災’95【リスペクト】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より2014年にロンドンで実際に起きた占拠事件をモデルとした小説。ホームレス・シェルターに住んでいたシングルマザーたちが、地方自治体の予算削減のために退去を迫られる。人種や世代を超えて女性たちが連帯して立ち上がり、公営住宅を占拠。一方、日本の新聞社ロンドン支局記者の史奈子がふと占拠地を訪れ、元恋人でアナキストの幸太もロンドンに来て現地の人々とどんどん交流し…。「自分たちでやってやれ」という精神(DIY)と、相互扶助(助け合い)と、シスターフッドの物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/02予約、9/06受取予定)>rakutenリスペクト【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.09.05
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