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自己嫌悪といっても、私の話ではない。そういえば遠い昔の懐かしい会話。「俺、このごろ自己嫌悪なんだ」なんのことはない、最近そんな言葉を覚えたということにすぎない。だいたい中学生ぐらいでそういう会話は終わらせたいものだ。もっとも、このごろは流行らない言い回しなのだろう。「俺様、こんなにすごいんですが、何か?」こんな手合が多いようだ。かかわりたくないものだ。いや、そういう話でもない。陽水さんの「自己嫌悪」という曲のことなのだ。「桜三月散歩道」を聴き較べるために古いCDを引っ張り出して気づいた。あれ? 曲が足りない?昔のLPには、もう一曲あったじゃないか。それが「自己嫌悪」。 ♪ めくらの男は静かに見てる 自分の似顔絵この歌詞が災いして、CD化される時に抹殺されたらしい。手元のCDを眺めている分には、オリジナルのアルバムにそういう曲が入っていたという事実さえ、わからない。今の自主規制は、昔の墨塗り検閲のような愚かな真似はしない。そんなことはまったくなかったかのように、本当に消されてしまうのだ。ところが、検索してみたところ、2001年に出た紙ジャケ[LIMITED EDITION]では、この曲が復活しているらしい。どんどん自主規制による「言葉狩り」が進む中で、珍しいことだ。ダブってしまうけど、これは注文しなければならんなあ。吉田拓郎さんはSONY時代、井上陽水さんはポリドール時代のアルバムがいい。もちろん、それを聴いた当時の自分が高校生だったという事情もあるのだろう。そんなに枚数が多くないので、復刻CDを簡単に揃えることができる。と思ったら、拓郎さんの『今はまだ人生を語らず』(1974年) は入手不能になってしまった。一方、陽水さんの『氷の世界』(1973年)は、曲が削られたのだが、ちゃんと完全な形で復刻された。これがSONYとポリドールの違いだ。もちろんその姿勢は、直接担当者の意志によって決められた姿勢だ。おそらくたった一人の決断が、こんな大きな違いを生んでしまう。おい、『今はまだ人生を語らず』(1974年)の再プレスを認めないあんたは誰なんだ。言葉を狩っているのはお前だ。井上陽水『氷の世界』は、紙ジャケ[LIMITED EDITION]でない盤も現行商品なので、ご購入の際はお気を付けあれ。プラケースの通常盤には「自己嫌悪」が入っていません。楽天市場の店では、紙ジャケ版は見つかりませんでした。amazon.co.jpには在庫ありました。井上陽水『氷の世界』(1974年)1. あかずの踏切り2. はじまり3. 帰れない二人4. チエちゃん5. 氷の世界6. 白い一日7. 自己嫌悪8. 心もよう9. 待ちぼうけ10. 桜三月散歩道11. Fun12. 小春おばさん13. おやすみ
2005.08.31
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雑誌『まんがNo.1』1973年3月号の付録ソノシートに収録された「桜三月散歩道」と、アルバム『氷の世界』(1973年12月)の「桜三月散歩道」を聴き較べた。もちろんCDで聴けるアルバム版の方がずっと音が良いのだが、アレンジはかなり近い。歌詞も思っていたほど変わってはいなかった。言葉の順序を入れ替えた箇所が多い。 ただ、ソノシートの三番で「町へ行けば 革命だ」と歌っているところが「町へ行けば 人が死ぬ」となっているのが、とても大きい。でも、曲の印象を大きく変えたのは、語りの違いの方が大きいだろう。声が違うということもあるが、2回あった朗読を1回にまとめてしまった。キャッチボールや健康ボールが消え、江戸川や帝釈天といった具体的イメージを喚起するような言葉も消えている。健康ボールというのは、時代を背負った言葉だったとも言えるだろう。夏の日の夕方だけに絞り、時代や場所を表す具体的な言葉が消えたことによって、影踏みの幻想的なイメージが強調されたように思える。長谷邦夫少年に残っていた戦後民主主義や革命のにおいが消えて、見事に「氷の世界」を構成するようになったのだ。 →健康ボール-------------------------------------------------------【語り部分の異同】[まんがNo.1版] (一番と二番の間) 夏の日の夕方 水泳から帰った僕たちは みんな真っ白なシャツを着ると 色の剥げた貨物船のような倉庫のある 細い道に集まるんだ 僕らがキャッチボールを始めると 道路は瞳の中の涙のように急に広がって 白シャツも影の中に沈んでしまい 白く光るのは たった一つの健康ボールだけになっちゃうんだな (二番と三番の間) 秋 やっぱり夕方近くになると 僕たち子供は家の窓を開け 涼しくなった空を見上げてから 江戸川の堤に駆け登るんだ みんなで影を連れてね 帝釈天の向こうの夕日が 太い煙突に吸い込まれるまで 影踏みをして遊ぶんだ 影を踏もうとすると 影は驚いた魚のように逃げたっけ[氷の世界版] (二番と三番の間) 夏の日の夕方 学校から帰ると僕たちは みんな真っ白なシャツを着て 色の剥げた貨物船のような倉庫のある 細い道に集まり それから川の堤に駆け登るんだ みんなで影を連れてね 夕日が 太い煙突に吸い込まれるまで 影踏みをして遊ぶんだ 影を踏もうとすると 影は驚いた魚のように逃げたっけ【歌詞の異同】★一番 [まんがNo.1版] だって人が狂い始めるのは だって狂った桜が散るのは三月[氷の世界版] だって君が花びらになるのは だって狂った恋が咲くのは三月★二番 [まんがNo.1版] 町へ行けば 人が死ぬ 町へ行けば 人が死ぬ 今は君だけ 思って走ろう だって僕が狂い始めるのは だって狂った恋が咲くのは三月[氷の世界版] 町へ行けば 風が舞う 町へ行けば 風が舞う 今は君だけ追いかけて風になろう だって僕が狂い始めるのは だって狂った風が吹くのは三月★三番 [まんがNo.1版] 町へ行けば 革命だ 町へ行けば 革命だ 今は君だけ想って風になろう だって君が花びらになるのは だって狂った風が吹くのは三月 [氷の世界版] 町へ行けば 人が死ぬ 町へ行けば 人が死ぬ 今は君だけ想って生きよう だって人が狂い始めるのは だって狂った桜が散るのは三月-------------------------------------------------------
2005.08.30
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赤塚不二夫さんが出していた『まんがNo.1』の1973年3月号を探していたのだが、やっと入手した。付録ソノシートはまだ聴いていないのだが、一見したところではきれいだ。針飛びなどないことを祈る。当時の高校生にとってはずいぶん高い雑誌だったのだけど、ソノシートを何度も繰り返して聴いた。実家に置いておけば今も残っていたのだろうけど、井の頭のアパートに持って行き、1977年鶴巻町に引っ越す時に捨ててしまったのだ。とりあえず本誌のマンガを懐かしく読み返すことにする。赤塚さんは2002年の4月に脳内出血を起こして、それからずっと眠り続けているそうだ。 →井上陽水研究所 青いリンゴ →『まんがNo.1』大特集 !!!! →幻泉館過去日録:漫画に愛を叫んだ男たち →幻泉館過去日録:井上陽水「桜三月散歩道」(1973年)
2005.08.29
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すごいよすごいよと、ディランは香具師のようにまくしたてるのですが、私には実際の演奏のイメージがつかめないので、そのすごさがわかりません。-------------------------------------------------------This is definitely a style that benefits the singer. In folk oriented and jazz-blues songs, it's perfect.-------------------------------------------------------う~ん、とってもおいしそうです。なんといっても完璧なんですよ。わからんなあ。ディランが考えていたのは、とにかく自分が歌う上で最も効果的な演奏法です。全音階であれ、5音音階であれ、偶数に基づいていては古臭い月並みなものになってしまうと感じていました。そこで、力強い効果を生むことができる演奏法に変えようとしたのです。でも、時間が足りないと感じていたようです。あの自信家ディランが、自分の楽器の音は周囲の演奏に埋もれて聞こえない方がいいのかもしれないとまで言っています。それは、歌の骨格から抜け出て自由に歌いたかったからなのです。-------------------------------------------------------Ideally, I would have liked to have taken a song, played it more than a few times for a musicologist who would then write the basic parts for an orchestrated version. The orchestra could even play the vocal line. I wouldn't even have to be there.-------------------------------------------------------これではもう本末転倒です。だいたい、ディランが満足するように編曲してくれる「音楽理論家(musicologist)」なんぞ、この世に存在しないでしょう。過去の自分の録音を振り返ります。どの曲にも動的なアレンジ(kinetic arrangement)がまったくなかったと反省します。スタジオでは、歌はざっとスケッチされるだけで、その影からは何も生まれませんでした。それに対してこのシステムは、と新しく採用する奏法をまた説明するのですが、ここでやっと具体的な描写が出てきました。-------------------------------------------------------The total effect would be physiological, and triplet forms would fashion melodies at intervals.その全体的な効果は生理的なものであり、時に三連符が旋律を形成する。-------------------------------------------------------やっぱり音程だけではなく、リズムにも奇数3が用いられるようです。p.160に入りました。
2005.08.28
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ディランは奇数に基づいた演奏法を讃えます。しかし、どうも具体的な部分がよくわからないんですわ。-------------------------------------------------------I'm not a numerologist. I don't know why the number 3 is more metaphysically powerful than the number 2, but it is.僕は数秘術師ではない。どうして理論的に3という数字が2という数字より強力なのかわからない。でも、そうなのだ。-------------------------------------------------------三位一体(Trinity)説以前に、ヨーロッパには3を神秘的な数とするが見方があるようです。ふっとピタゴラスの名前が浮かんだのですが、キリン秋味でいい気持になってしまったので、もう頭が回りません。ピタゴラス学派の禁忌に「豆」があったそうなので、それについて書いた寺田寅彦さんの随筆にリンクを張って、今夜はおやすみです。豆はいいよな、豆は。 →ピタゴラスと豆:寺田寅彦
2005.08.27
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「偶数と奇数」ということを読んでまず思い浮かべたのは、和音やハーモニーのことです。四弦楽器の一五一会はキーの第一音と、その五度上の音に合わせます。ギターは普通は「1・3・5」の音でコードを鳴らしますが、一五一会の場合は三度の音を省くので、長調(major)も短調(minior)もありません。でも、これは奇数が基本だから違うよなあ。と思って、成毛滋さんのギター教本を思い出したのでした。4ビートも8ビートも2の倍数ですから、偶数システムではなかろうかと。-------------------------------------------------------The system works in a cyclycal way. Because you're thinking in odd numbers instead of even numbers, you're playing with a different value system. Popular music is usually based on the number 2 and then filled in with fabrics, colors, effects and technical wizardry to make a point.-------------------------------------------------------"fabrics"や"colors"は「構造」や「音色」といった読み方もできますが、そのまま比喩として「織物」や「色」もいいですね。いや、比喩ですらなく、ディランは本当に質感や色を感じたりしているように思えるのです。「2」という数字を基本にすると、無難だけれど結果として貧弱なものしかできあがらなくなってしまった、もうそれでは懐古的なものしか作れないと言っています。あれあれ、ピッキングの問題ではありませんね。やっぱり音程を問題にしているようです。-------------------------------------------------------In a diatonic scale there are eight notes, in a pentatonic scale there are five. If you're using first scale, and you hit 2, 5 and 7 to the phrase and then repeat it, a melody forms. Or you can use 2 three times. Or you can use 4 once and 7 twice. It's infinite what you can do, and each time wouild create a different melody. The possibilities are endless.-------------------------------------------------------"diatonic scale"は全音階、"pentatonic scale"は5音音階のことです。あれ、全音階は7音じゃないのかな。ディランさん、頭の中で「ド」を二回数えてないですか。 →移調の限られた旋法可能性が無限に広がるというこの奏法、私にはまだ具体的なイメージがわきません。ただいまp.158です。
2005.08.26
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ディランの言っている偶数と奇数とは何のことなのかなと考えていたら、成毛滋さんのことを思い出した。そうか、あれかな、ピッキングのことなのかな。僕は70年代にグレコのギターを持っていたことがある。おまけに、「成毛滋のロックギター・メソッド」といったようなタイトルの薄い教本とカセットテープが付いていた。レッド・ツェッペリンの「移民の歌」なんかがレッスンに使われていた。かっこいい!のだが、どうもピックの空打ちができなかったのだ。成毛メソッドでは、右手のピックは常に8ビートでダウン&アップを繰り返す。弦を弾かない時も、必ずダウン&アップの空打ちをしなければならない。音だけ追いかけてのったりもったりしないよう、リズムが崩れないように、そうしていたのだろう。これが実に難しくて、いわゆるエレキの世界とはおさらばしてしまった。短音弾きの時には小指をギターのボディにつけて右手を支えていたのだが、それも絶対にダメだと成毛先生はおっしゃっていたなあ。お、すごいサイトがありました。これです、これです! →[グレコ]いや知らなかった。成毛さんは手が小さくてフェンダーやギブソンが弾けなかったんだ。ああ、そういうことを知っていれば、もう少しがんばったかもなあ。サイトのギター開発話はプロジェクトXみたいなんですが、ちゃんとその後の現実も書いてあるところが、NHKの回顧番組とは違います。ずいぶんおもしろいサイトですなあ。Dr. Shigel's Archives 成毛滋のレア音源というんですね。音源満載なんですが、写真もおもしろいですぞ。 →Photo Albumちょっと諸行無常。そうそう、「ナルモ・シゲル」さんですよ。
2005.08.25
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ディランはその奏法を自分で考え出したものではないと書いています。1960年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)が弾いているのを見たんだそうです。ロニー・ジョンソンは1930年代から活躍していたブルース・ギタリストで、ディランがグリニッジビレッジでレコーディングを夢見ていたころも、現役だったのです。 →ロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)ロバート・ジョンソンも、ロニー・ジョンソンから多くのことを学んだギタリストでした。 →ロバート・ジョンソン(Robert Johnson) そうそう、ロバート・ジョンソンは悪魔に魂を売り渡してギターの腕前を上げたという伝説のある人ですね。中島らもさんも芝居でそのネタを使ってましたっけ。ディランはロニー・ジョンソンから直接実際に奏法を教わりました。-------------------------------------------------------Lonnie took me aside one night and showed me a style of playing based on an odd-instead of even-number system. He had me play chords and he demonstrated how to do it. -------------------------------------------------------ロニーがいつもそういう演奏をしていたというわけではありません。プロですからいろいろな演奏を知っていて、その一つをディランに教えてくれたのです。「役に立つことがあるかもしれない」とまで言ってくれます。ディランは秘密を教えてもらったとは思ったのですが、歌を歌うためにギターをかき鳴らすということが必要だったので、当時はあまりそれが意味を持っていませんでした。しかし、「偶数ではなくて奇数に基づいた演奏法」とは何なんでしょうか。ピンと来ませんね。もちろん、その説明が始まります。たぶん。
2005.08.25
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僕が小学生の時なのだが、高校生だった上の従姉ちゃんの好きな男の子の名前が松山千春によく似ていた。順序は逆で、松山千春という歌手の名前を初めて耳にした時、従姉ちゃんの好きだった人の名前に似てるなあと思い出したのだ。後年従姉ちゃんにそのことを言うと、やっぱり似てると思ったそうだ。でも、それ以上にその男の子の名前を僕が覚えていたことに驚いていた。もう忘れろと言われても、それは無理というものだ。大脳皮質の最古層にしっかりと刻み込まれてしまった。松山千春のオールナイトニッポンはエンディングに「大空と大地の中で」を流していた。番組は聴いていなかったのだが、そのエンディングだけよく耳にしたものだ。この曲は好きな人が多いようで、google検索するとすぐにmidi音源が見つかる。 →「大空と大地の中で」 →「大空と大地の中で」 →「大空と大地の中で」大隈講堂の前の広場で夜中にサークルの仲間たちと酒盛りをして騒いだ時、「長い夜」の物真似で盛り上がっている連中がいた。テレビを見ていなかったので、その物真似はなんだかよくわからなかった。「月の法善寺横丁」を持ち歌にしている大阪出身の先輩がいたのだが、いつも♪包丁い~っぽん♪の「ぽん」で大きく音を外していた。その先輩が、「ええ歌やなぁ」と録音してもらっていたのが「旅立ち」だった。そう、千葉県の千倉で春休みに合宿をした時のことだ。それから5年ぐらい経ったころだろうか。第三の故郷とでも言うべき高田馬場の街で、夕刊紙の記者になっていた友人と飯を食った。僕は零細出版社に籍を置いていた。北海道の国会議員が謎の死を遂げた直後だ。友人に訊いた。「あれは他殺じゃないのか?」「自殺だ」それじゃそうなんだろうなと思った。自民党総裁選で敗れた中川一郎議員である。その後、長男中川昭一と秘書鈴木宗男の間で壮絶な跡目争いが起きることとなった。1983年、今から二十年以上も前のことだ。元読売巨人軍の新浦寿夫投手がテレビ番組で好きな曲だと言って、松山千春の「恋」を歌っていたなあ。選挙?自民党の内紛だろ。それで衆議院を解散してしまうなどというのは、本当に傲慢だ。内紛を独裁に転化しようというのか。小選挙区によって、日本国憲法の外堀は完全に埋められた。総評は高野孟と津村喬の父親高野実の時にニワトリからアヒルに変わったけれど、連合はずっとニワトリのままなんだろう。
2005.08.24
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怪我とか病気の時は気持が弱くなるものです。ディランも腕を怪我して、ずいぶん気分が落ち込んでいたようです。-------------------------------------------------------Now I was staring into the dark where all things seemed to be coming from. Like Falstaff, I'd been heading from one play into the next, but now fate itself had played a nightmarish trick. I wasn't Falstaff anymore.-------------------------------------------------------"Falstaff"という人物は誰なのかしらと思ったら、「リーダーズ英和」に載っていました。-------------------------------------------------------Falstaffフォールスタッフ Sir John Falstaff《Shakespeare の Merry Wives of Windsor および Henry IV に出る大兵肥満の騎士, 陽気で頓智があってずぼらな喜劇的人物》.-------------------------------------------------------別の劇に出ている登場人物なんですな。このキャラクターは知りません。ああ、順番が逆なんですな。『ヘンリー4世』に登場させた老騎士フォールスタッフをエリザベス女王が気にいって「彼の恋物語が見たい」と言ったので、『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれたんだそうです。きっとディランも好きなキャラクターなんでしょう。 →ウィンザーの陽気な女房たちさらに「リーダーズプラス」の方には、シェークスピアの劇を元にしたヴェルディのオペラも載っていました。-------------------------------------------------------Falstaffn. 『ファルスタッフ』 《Verdi の 3 幕のオペラ (初演 Milan, 1893); 台本は Boito, 原作は Shakespeare の Merry Wives of Windsor_ および King Henry IV》.-------------------------------------------------------ディランはうめくばかりでしたが、この辺りから具体的な演奏の話が始まります。自分の歌を再生するために一所懸命新しい歌唱法と取り組んでいたディランですが、ギターの奏法に関しても、何か新しい発見があったのでしょう。-------------------------------------------------------I played in the casual Carter Family flat-picking style and the playing was more or less put of habit and routine. It always had been clear and readable but didn't reflect my psyche in any way. It didn't have to. The style had been practical, but now I was going to push that away from the table, too, and replace it with something more active with more definition of presence.-------------------------------------------------------ちかごろ路上で弾いている人達はひたすらがちゃがちゃとストロークしていることが多いようで、カーターファミリーピッキングはあまり見かけませんね。ウッディ・ガスリーやボブ・ディランというより、なんといっても70年代初めの吉田拓郎さん、それから晩年の高田渡さん。カーターファミリーピッキングは私にとって、ギターの基本奏法であります。自分で夜泣きする時にかっこよくベース音が走ったりはしませんが、ドスンとベース音を弾いて、ちゃら~んとストロークさせています。 →カーターファミリーピッキングさて、もっと存在感をはっきり際立たせてくれる奏法とはどんなものなんでしょうか。ただいまp.157です。
2005.08.24
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思潮社から「詩の森文庫」という名のシリーズが出ていたのを知らなかった。試しに谷川雁さんの本を注文してみた。『汝、尾をふらざるか―詩人とは何か』 思潮社 詩の森文庫 (002) 谷川雁著 新書版 本文221p 定価 980円+悪税70年代に潮出版社から復刊された雁さんの著作を買い揃えたり、80年代以降の新刊もだいたい買っていたので、おおむね読んだはずの評論なのだ。ところが、ちょっと読んでみると実に新鮮。まったく覚えていないんだなあと愕然としてしまいました。文化大革命以前の「毛沢東」という言葉がいったいどれだけの輝きを放っていたのか、今ではまったくわからなくなってしまいました。一緒に買ったのが松本健一さんの『谷川雁 革命伝説』。『谷川雁 革命伝説―一度きりの夢』 河出書房新社刊 松本健一著 四六版上製 本文221p 定価 1800円+悪税井上光晴さんが亡くなった際に谷川雁さんが読んだ弔辞から始まっている。そうだ、『全身小説家』(1994年原一男監督)を見た時に不思議に思ったことはそういうことだったんだ。映画では、井上光晴さんの文学的テーマ「天皇制の否定」は、カットされていた。井上光晴さんは確かに「嘘つきミッチャン」であったが、なんだか女装して踊るのが好きなセンセイといったような印象ばかり残っている。残しておいてほしかった部分だと思う。雁さんがぽんと放り出す象徴的な比喩は、非常にわかりにくい。元々韜晦であったものが、四十年の年月を経て、さらに実感しにくくなっている。60年当時の生活を説明できる人さえ、もう減りつつある。「解説」が必要なんだろうなと思う。
2005.08.23
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ディランは「せめて二十歳若かったら」と、らしからぬ言葉を吐く前に、音楽ジャーナリストに対する不信を述べています。-------------------------------------------------------Most music journalists had become nothing more than a public relation staff anyway.-------------------------------------------------------音楽ジャーナリストのほとんどは宣伝マンにすぎないものになってしまっているので、新しくやりなおそうというディランは、観客の口コミに頼らざるを得ないのです。とにかく春まで待たなければなりません。学生時代同じサークルにいた人物のことを思い出しました。前にも書いたかもしれません。深夜番組で、数十秒の映画宣伝枠を賭けて何か必死にやっていました。「表現者」であったはずの彼は外国映画配給会社の宣伝マンでした。映画産業に関わることができて幸せだったのかしら。自分の映画を作るはずじゃなかったのかい。二行空けて話が変わります。-------------------------------------------------------Returning form the emergency room with my arm entombed in plaster I fell into a chair -- something heavy had come against me. It was like a black leopard had torn into my tattered flesh.-------------------------------------------------------そうそう、ディランは腕に怪我をしていたのでした。また豹が出てきましたね。最も身近な猛獣が豹だということでしょうか。"entomb"は"tomb(墓)"の派生語ですね。"tomb"は[tu:m]と読みます。"comb"は[koum](櫛)。"bomb"は[bam](爆弾)。英米語の綴りと発音の関係はまったくめちゃくちゃで困ります。"en-"を頭に付けて動詞化すると、「墓に入れる」。ここでは「閉じ込める」ぐらいの感じで使っているのでしょう。ギプスをはめられては、確かに使い物になりません。おまけにひどく痛むのです。"tatter"は「ずたずたに引き裂く」。"flesh"は「肉」です。"fresh"(新鮮な)とは違いますよ。そういえば、有名なSFマンガ"Flash Gordon"のタイトルをもじった、"Flesh Fordon"という映画がありましたっけ。1980年に"Flash Gordon"が映画化される前のパロディ版。実にばかばかしくもお下品な映画で、結構人気があったように思います。一説では"Flash Gordon"より面白いということになっております。 →Wikipedia: Flash Gordon →FLESH GORDON
2005.08.22
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izumatsu君の回顧シリーズに触発されて、CDを発掘した。 →番組構成師 [ izumatsu ] の部屋もちろん、『今はまだ人生を語らず』(1974年)だ。90年代初めに出た廉価版CD選書で、定価が1500円(3%悪税込み)。東京で食うや食わずの生活をしていたころなのでこの値段でもキツかったのだが、SONYで出した拓郎さんのシリーズはなんとかCDで揃えることができた。ペニーレインでバーボンではなくて、幻泉館書斎でヱビスビールを飲みながら聴いている。つまみは隣町の叔父さんが届けてくれたトマト。以前ならトマトでビールを飲むなんて考えられなかったのだが、高田渡さんがよく吉祥寺いせやで冷やしトマトを注文していたと聞き、真似をしているうちにくせになってしまった。拓郎さんのSONY(ODYSSEY)時代のアルバムは、受験勉強をしながらよく聴いたのだと思う。友人から借りたLPをオープンリールのテープに録音して、繰り返して聴いたのだ。拓郎さんはベスト盤がとてもたくさん出ているのだが、繰り返して聴いたアルバムは、丸ごとそのままでないとなんだか妙な感じがする。『今はまだ人生を語らず』は傑作アルバムだと思う。いや、傑作ではないのかもしれない。でも、僕にとってはかけがえのないアルバムなのだ。SONYの担当者が面倒を恐れて抹殺してしまうなんてことは、絶対に許せないアルバムなのだ。だって、それではあの頃の僕が全否定されてしまったみたいじゃないか。 よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』(1974年)1. ペニーレインでバーボン2. 人生を語らず3. 世捨て人唄4. おはよう5. シンシア6. 三軒目の店ごと7. 襟裳岬8. 知識9. 暮らし10. 戻ってきた恋人11. 僕の唄はサヨナラだけ12. 贈り物 → 「ペニーレーンでバーボン」(1974年)
2005.08.21
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ああ、あと二十歳若かったらなあ。およそディランの言いそうにないことです。ところが、一からやり直す決意をしたディランは、ふとそんな言葉をもらします。-------------------------------------------------------I wished I was at least twenty years younger, wished that I had just dropped on the scene all over again. But what could you do? I would have liked some help, but I didn't expect any.-------------------------------------------------------実際のディランは既に大御所で、名声を勝ちえています。だからこそ好きにツアーを組むことができるのですが、それでも以前のトラブルから、かかわりたがらないプロモーターも多かったそうです。当時のディランは四十代後半にさしかかったところです。そうか、今の私より若いんだ。全部ご破算にして一からやりなおしたいという気持はわかります。でも、既に頂点を極めたように見える人物が、同じ「歌」で最初からやり直したいというのは、想像を超えたところにあります。それも、岡林信康さんのように過去の自分を清算してしまおうというわけでもないようなのです。せめて二十歳若かったら。新しく登場したばかりだったらよかったのに。ディランがふともらした言葉が、妙に心に残りました。
2005.08.20
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]トム・ペティとのツアーを終えると、引退の意志は覆っていました。あの自然な歌唱法ではなくて、ロカルノ広場でひらめいた表現方法、それで一からやりなおそうという気になっていたのです。グレイトフル・デッドとのコンサートを突っ込んだエリオット・ロバーツと、ロンドンのセント・ジェームズ・クラブで会いました。トム・ペティとのツアーも、この人がやっていたんですね。 →The St James's Club-------------------------------------------------------I told him I needed to work two hundred show dates the next year. Elliot was pragmatic, said that I should take a couple of years off and then come back. " The picture is perfect like it is," he said. "Let it be." "No," I said. "It's not perfect and I have to correct this."-------------------------------------------------------日本語でも計画を立てることを「絵図を引く」と言ったりしますが、それに似てますね。しっかりと長い休みをとって、じっくり計画を練ってからツアーをすべきだとエリオットは言うのですが、ディランは聞きません。トム・ペティとのツアーが終わったのが12月。その直後に、二人はビールを飲みながら相談をしています。エリオットは、せめて春まで待てと妥協案を出します。確かに、エリオットに考えてもらう時間も必要でしょう。ディランはそれで納得します。エリオットはバンドを準備しておこうと言ってくれます。これにディランは喜んでいます。他の誰かが自分のためにバンドを用意してくれるなんて、考えたこともなかったのだそうです。アルバム"New Morning"を録音した時はおまかせだったような気もするのですが、スタジオ録音とツアーは違うということなのかしら。さらにディランは、その翌年と翌々年、つまり三年間に渡って同じ場所でコンサートを行なうスケジュールを要求します。年間200回のコンサートツアーを、三回繰り返すというのです。すごいですね。ディランの心積もりでは、最初の年にはまだ新しいことは始まらないのです。三年経てば、年配の古い観客が来なくなり、新しい若いファンに入れ替わるだろうと考えました。つまり、ディランは未来のことを真剣に考えるようになっていたのです。三年というのは、妙にリアリティがありますね。泉谷しげるさんのエレック時代の曲、「帰り道」を思い出しました。 ♪ 三年たったら楽になれるというから ♪ 僕はがまんして働いてきた ♪ いろんな人にどなられても ♪ こずきまわされても ♪ 三年たったらというから ♪ 三年たったのに 三年 三年たったのに ♪ もうもう三年たったのにつらい歌です。私の場合はだいたい三年ぐらいでいやになって会社を辞めることが多かったですね。ダメじゃん~。p.155に入りました。
2005.08.19
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別に写真撮ってくれなんて言ってないわさ。あたしはお刺身を見てただけ。おいしいわよね。最初の何年かは教えてくれなかったのよ、こんなおいしいものがあるなんて。ふん。ちょっとすねてみせたらあわててご機嫌とろうなんて、浅いわね、G主人。だいたい、番猫なんてありえない話。あたしはあたし。自由に生きるのよ♪
2005.08.19
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幻泉館の玄関で暮らすようになった「少年」だが、なにせ人なつこくてじゃれまくるので、番犬としては用をなさない。いつも誰か来ないかしらと人を待っている。姫として君臨するヒナは、鎖に繋がれた「少年」を馬鹿にしているフシがある。そういえば先代の大物猫チビ君は、柴犬程度なら喧嘩をふっかけていたものだ。私は普段非常に温厚な性格なのだが、どうも「番犬」を見かけるとカッとなるようだ。修業が足りんな。気をつけねば。ネット右翼とかプロ奴隷という連中は自分の頭でモノを考えないので、いわゆるメディアリテラシーが極端に劣る。楽天広場に巣くう某を「ネズミの糞未満」と罵ったのに、「ネズミの糞」と言われたと怒ったりする。そりゃあんた、自意識過剰や。ネズミの糞は有機物としていつか役に立つかもしれんが、憎悪を煽るだけの言葉は何の役にも立たない。そういう連中はあまり「番犬」ではない。あくまでも「番犬志願者」程度のものである。番犬になったつもりでも、餌は貰えないだろう。それでは番犬とはどういうものかというと、たとえば以前楽天広場にいた自称ゴーストライター氏である。フリーの立場を装っていたが、与党を構成する宗教政党のヒモが付いていて、しっかり餌をもらっている。ゴーストどころか、ちゃんとそのスジの自著がある。腐ってもプロなので、まき散らす害毒は、どう見てもアホな素人とは比べ物にならないほど大きい。そういうのがうらやましくて、自分を論客と勘違いしているのが、「番犬志願者のようなもの」なのだ。「少年」は番犬になろうなどと思ってはいない。暑さにごろごろしながら、遊んでくれる人を待っている。[ポルノサイト、マルチ商法、ネット右翼(プロ奴隷・番犬)宣伝のコメント及びTBは、削除します。]
2005.08.18
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夕方浜に出ると、波打ち際に結構な数の人たちがいた。急深で危ないので、ちょっと水につかる程度だが、最後の海水浴気分を味わっているのだ。もうすぐ夏休みも終わるね。譜面台を立ててギターを弾きながら、大きな声で歌っている青年がいた。ああ、奥田民生君の「イージュー★ライダー」だ。お気に入りの楽譜集を何冊も持参しているようだった。近くに寄って聴いていた若者たちが、「青いベンチ」はできるかと尋ねている。きっぱりと「それはできない」と返事をしているのがおかしい。好きでないのか、楽譜がないのか。浜風はギターに悪いよ。でも、気持よさそうだなあ。僕が四畳半の下宿で弾き語りをしていた時は、あんなに大きな声では歌えなかったもの。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
2005.08.18
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引退するつもりで、それでも船を進めていたディランですが、突然その船がバラバラに壊れてしまいました。スイスでのコンサートの最中に、突然声が出なくなってしまったのです。-------------------------------------------------------Then, one night in Locarno, Switzerland, at the Piazza Grande Locarno, it all fell apart. For an instant I fell into a black hole. The stage was outdoors and the wind was blowing gales, the kind of night that can blow everything away. I opened my mouth to sing and the air tightened up -- vocal presence was extinguished nothing came out.-------------------------------------------------------あれま、例の歌唱法もまったく役に立たなくなっていたそうです。ところがところがぎっちょんちょん。3万人の観客の前で声が出なくなったディランは、ここでまた新しい技法を思いついて実行するのです。おお、何がなんだかわからんぞい。-------------------------------------------------------Everyhing came back, and it came back in multidimension. Even I was surprised. It left me kind of shaky. Immediately I was flying high.-------------------------------------------------------なんとも忙しい話でして、大観衆の面前でディランは大変身を遂げたのだそうです。三十年以上も歌い続けてきて、初めて見た地点でした。いったいディランに何が起きたのでしょうか。問題の場所グランデ広場は、ロカルノ映画祭が開かれるところですね。3万人の観衆はすごいと思います。
2005.08.18
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夏も終わるというのに、電器蚊取りを買ってしまったのである。スイッチは光るしっぽ。もちろん形に騙されて衝動買いしたのである。もっとも、うちは真冬でも蚊が出るのだった。
2005.08.17
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柴犬の名前はどうしましょうとおっ母さんに尋ねたところ、「もうあるじゃないか」と意外な返事がかえってきた。もらってきた時のメモに「少年」と書いてあったのだという。え、少年ですか?一応「ボーイ」ではだめかと聞いてみたのだが、半端なので取り下げた。いつのまにか決まってました、うちの犬の名前。「少年」です。生活スペースが違うのでヒナはあまり変わらないが、多少あまえ度が増したかもしれない。うちにいる本当の犬猫と接してやらなければならんので、ネットに現われる番犬どもの相手なんぞしているヒマはないよ。ブログ検索が充実したので、ヒットしたところへやたらなコメントやらトラックバックやら張り付ける番犬が増えているようだ。楽天のストーカー某と同様、女性のブログには特に粘着するようだ。相手をしてもらいたいかわいそうな連中なのだが、かわいそうと思ってやる必要はありませんよ。さっさと削除しましょう。それが連中には一番つらいことのようです。嫌がらせのようなコメントやトラックバックは即刻削除しても、何も恥ずべきところはありませんから。挑発に乗らないことをお勧めします。
2005.08.17
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デッドとのコンサートで歌唱法に関して天啓を得た後、ディランは再びトム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーに戻りました。バンドのメンバーに、やりたい曲を聞きます。そして、イスラエル(テルアビブ、エルサレム)、スイス、イタリアと4回のコンサートで、重複せずに80曲を歌います。この技法を試すためでした。-------------------------------------------------------It seemed easy. The angles I was using were unwieldy but highly effective. Because of this different formulaic approach to the vocal technique, my voice never got blown out and I could sing forever without fatigue.楽に感じた。僕が採用した視点は扱いにくが、とても効果的だった。歌唱の技術に対する新しい新しい原理のおかげで、僕の声は消えることもなく、いつまでも疲れずに歌うことができた。-------------------------------------------------------まったく無理をせずに歌えるようになったということらしいですね。ディランはその時、歌うことで疲労を感じていたのです。技法を変えることで復活しつつありましたが、まだ観客との間に繋がりを見いだせずにいました。ツアーに客は入っていたが、どうせトム・ペティを観に来た人達だ、僕の聴衆などあまりいない……御大がそんなふうに感じていたとは驚きです。観客が射撃場の人形標的に見えたとさえ書いています。-------------------------------------------------------It had become monotonous. My performances were an act, and the rituals were boring me. コンサートは単調なものとなっていた。僕の演奏は演技であり、その儀式に僕はうんざりしていた。-------------------------------------------------------歌い方を変えたおかげで引退を決めた時のように歌って消耗することはなくなっていました。でも、ディランはツアーが終わったら引退するつもりでいました。-------------------------------------------------------I was sailing along.-------------------------------------------------------
2005.08.17
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らもさんを初めて知ったのは、カネテツの宣伝だったと思う。80年代の雑誌、たぶんバンドブームのころの「宝島」だったのではないだろうか。面白い人がいるものだなあと思った。「中島らも」は、株式会社日広エージェンシーという広告代理店の社員だった。その時代の広告企画書をまとめた本が出ていた。これがおもしろい。この会社の社長さんが、あの懐かしいらもさんの絵と字を、そのまますべて残していてくれたのだ。普通ならそんなことはしないだろう。「中島らも」の生みの親だったのかもしれない。帯の言葉がいいなあ。-------------------------------------------------------電通がなんだ!博報堂がなんだ!一対一なら負けないぞ!-------------------------------------------------------らもさんの娘さん、中島早苗さんが後書きを書いているのですが、春一番に出ていたFATHER'S GIRLSのメンバーだそうです。びっくり。株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之著者: 中島らも双葉社刊 A5判上製 157p2005年7月30日発行定価1470円(悪税込み)
2005.08.16
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ただいま夏休み中。ビールを飲んではごろごろ寝ております。高校の時、文化祭用に結成したバンドの名前が「いこいバンド」でした。当時のお父さんたちが吸っていたタバコが、「いこい」→「ハイライト」→「セブンスター」とと変化していった、その懐かしいパッケージから採ったのです。四分休符が、いかにもお休みという感じでした。
2005.08.15
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生後3ヵ月の柴犬をもらってきました。名前はまだありません。車の中では実におとなしくしていました。組み立ててテラスに出してあった犬小屋を玄関の中に入れて、おまえの小屋だよと教えています。ヒナは遠巻きに興味津々。どのような関係を築けるのか、まだわかりません。
2005.08.14
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ニュース番組を眺めていたら、ふと梅木三郎作詞、高木東六作曲の軍歌の一節が頭の中を流れたのだ。 ♪ 見よ落下傘 空に降り ♪ 見よ落下傘 空を征くおお、財務官僚があちこちに降ってくるわ。コイズミ内閣が誕生した時、うかれていた若者に私が吐いた迷言は「ファシズムは、さわやかに登場する」というものだった。まさかそんなに長続きはするまいと思っていたのだが、主に2ちゃんねら~的なる人達の圧倒的な支持に支えられて、この危険な内閣は存続してきた。2ちゃんねら~的なる人達の可哀相なところは、いくら支持しても報われないということだ。君たちが思う彼の人物は、君たちの方なんか見ていない。きっと君たちとは対極にある、財務官僚の方ばかり見ているのだろう。利権をめぐる権力者の暗闘など、見ていて何も楽しくはない。軍靴の音まで聞こえてきたぞ。
2005.08.13
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ディランが天啓を得たのは、歌い方という技術的な問題でした。-------------------------------------------------------I used to do this thing, I'm thinking. It was a long time ago and it had been automatic. No one had ever taught me. This technique was so elemental, so simple and I'd forgotten.僕も昔はこうしていたのだと思う。ずっと昔のことで、自動的にやっていたのだ。誰にも教わったことはなかった。この技術はとても基本的なことで、とても簡単なことだったのだが、僕は忘れていた。-------------------------------------------------------「ズボンのボタンのかけ方を忘れてしまったようなものだ」とも書いています。そんなに基本的な技術を、いつのまにか忘れてしまうものなのでしょうか。改行して、ディランは何事もなかったかのように、リハーサルに戻ります。そして、早速あの年老いたジャズ歌手が歌っていたのと同じ方法で歌えるかどうかを試してみます。-------------------------------------------------------At first it was hard going, like drilling through a brick wall. All I did was taste the dust. But then miraculously something internal came unhinged.煉瓦の壁に穴を空けるように、最初はうまくいかなかった。埃の味しかしなかった。でも、それから奇跡的に僕の内部にあるものが外れたのだ。-------------------------------------------------------何か余計な技法を身につけてしまっていたということなんでしょうか。最初は思うように声が出なかったけれど、脳を経由せずに身体の下の方から歌声が出るようになったそうです。そういう言葉は使っていないのですが、なんだか「丹田」とか「チャクラ」とか言い出しそうです。これでディランは歌を、言葉の世界に限定することなく歌えるようになったんだそうです。デッドとのコンサートは、その転回点になったということですね。「もしかしたらデッドが僕の飲み物に何か入れたのかもしれない」という冗談まで書いています。この時のツアーのライブ盤が"Dylan & The Dead"(1987年)だと思うのですが、選曲はデッドのリクエストだったんですね。不思議なアルバムだと思います。amazpn.co.jpだと1279円(悪税込)で買えるので、お勧めです。試聴もできますよ。Dylan & The Dead [Live, 1987] [LIVE] [FROM US] [IMPORT]Bob Dylan / Grateful Dead1.Slow Train2.I Want You3.Gotta Serve Somebody4.Queen Jane Approximately5.Joey6.All Along the Watchtower7.Knockin' on Heaven's Door
2005.08.13
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リハーサルを抜け出したディランは、通りを少し歩いてから、ジャズコンボの演奏が聞こえるバーに飛び込みます。-------------------------------------------------------It was raining and there were few people inside. One of them was laughing at something. It looked like the last stop on the train to nowhere and the air was filled with cigarette smoke. Something was calling to me to come in and I entered, walked along the long, narrow bar to where the jazz cats were playing in the back on a raised platform in front of a brick wall. -------------------------------------------------------何かに呼び寄せられるように、ディランは中に入っていきます。ステージから4フィートもないところに立って、ジントニックを注文します。4フィートというと約120cmですから、ステージから1メートル程度と考えればいいのでしょう。その距離で歌手と向かい合います。-------------------------------------------------------An older man, he wore a mohair suit, flat cap with a little brim and shiny necktie. The drummer had a rancher's Stetson on and the bassist and pianist were neatly dressed. They played jazz ballads, stuff like "Time on My Hands" and "Gloomy Sunday." The singer reminded me of Billy Eckstine.-------------------------------------------------------ジャズミュージシャンはお洒落ですよね。「brim」というのは帽子の「つば」のことです。あたしはモヘアというのがよくわかっておりません。「Stetson」というのは商標で、縁の広いフェルト帽、つまりカウボーイハットのようです。 →モヘア&ウール"Time on My Hands"はamazon.co.jpでDuke Jordanの演奏が試聴できます。"Gloomy Sunday"は「暗い日曜日」ですね。自殺ソングとして有名ですが、ビリー・ホリデイもヒットさせたようです。 →Gloomy Sundayビリー・エクスタインは伝説的なジャズシンガーで、白人でいえばちょうどフランク・シナトラに相当するようなビッグネームです。 →Wikipedia: Billy Eckstineまるで気取ったところのない、おなじみの曲をどこかで聴いたような感じで演奏して歌ってくれる小さなジャズバーといったところでしょうか。-------------------------------------------------------He wasn't very forceful, but he didn't have to be.; he was relaxed, but he sang with natural power. Sudenly and without warning, it was like the guy had an open window to my soul. It was like saying, "You should do it this way." All of a suden, I understood something faster than I ever did before.-------------------------------------------------------明らかにディランの方が格が上だと思うのですが、こんなふうに天啓を受けてしまうのが、御大のおもしろいところです。もちろんディランは自分でディランを取り戻したのです。ただ、そのきっかけを求めていたのでしょう。
2005.08.12
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ディランとトム・ペティの18ヶ月に及ぶ長いツアーは、間に中休みの期間がありました。そこにエリオット・ロバーツ(Elliot Roberts)が、ディランとグレイトフル・デッドのツアーを突っ込みました。自分の歌に自信をなくしていたディランなのに、大変ですね。ロバーツは、ニール・ヤングのマネージャーをやってる人なのかな。 →The Official Home Page of Grateful Deadリハーサルのために、ディランはサンラフェルに行きました。リーダーズプラスより引用します。-------------------------------------------------------San Ra・fael1 サンラフェル 《California 州西部, San Francisco の北西にある住宅都市, 4.8 万; Dominican College of San Rafael (1890) の所在地, 北に Hamilton 空軍基地がある》-------------------------------------------------------軽い気持でリハーサルに行くと、デッドのメンバーはディランが予測していなかった数多くの曲を練習したがっていました。トム・ペティとのツアーでやっていない曲です。-------------------------------------------------------They wanted to run over all the songs, the ones they liked, the seldom seen ones. I found myself in a peculiar position and I could hear the brakes screech. If I had known this to begin with, I might not have taken the dates. I had no feelings for any of hose songs and didn't know how I could sing them with any intent.-------------------------------------------------------一度録音しただけで、ほっぽらかしていた曲です。いろいろな曲の歌詞が混ざってしまってさえいたそうなんです。もちろん気持を込めて歌うことなんてできません。そこでディランがとった行動が驚きです。ホテルに忘れ物をしたとか言って外へ出てしまいました。そのまま歩き出して、もう戻らないつもりでした。あれま。バックレちゃいましたよ。担当編集者にウソをついて外に出て映画など観に行ってしまった手塚治虫さんを思い出しました。p.150に入りました。
2005.08.11
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"Another Side of Bob Dyaln"の曲ができないことで苦しい言い訳をしながら、ディランはこう感じていました。-------------------------------------------------------Actually, I don't know who was making excuse, for I had closed the door on my own self. The problem was that relying so long on instinct and intuition, both these ladies had turned into vultures and were sucking me dry. Even spontaneity had become a blind goat. My heystacks weren't tied down and I was beginning to fear the wind.実際は誰が言い訳しているのかも、僕にはわからなくなっていた。というのも、僕は自分に付いているドアを閉ざしてしまっていたのだから。問題なのは、僕はとても長い間本能と直感に頼ってきたのだが、今ではこの貴婦人たちがコンドルに姿を変えて、僕を吸いつくそうとしていることだった。自然な行動も、目の見えない山羊になってしまっていた。干し草の山はほどけ、僕は風を恐れるようになっていた。-------------------------------------------------------実に詩的な表現なのですが、「vultures(猛禽)」や「goat(山羊)」にどのような寓意があるのかは、わかりません。まるでミュージシャンとしての自我が崩壊してしまったような書きぶりですが、でも今まで「本能と直感」に頼ってきたからいけないのであって、やはり技術的に解決できると言っているようにも見えます。技術の問題点はこの後に書いてあるのでしょうが、純粋に技術的な問題なのか疑問です。自分のやっていることが実感を失って、現実感が希薄になっていたのではないかなと思います。まあ、天才の考えることですから、凡人には結局わからないのかもしれませんが。ただいまp.149です。
2005.08.10
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FirefoxとThunderbirdがバージョンアップされてます。どちらも「1.0.6」が最新バージョンです。Windows版、Linux版ともに最新のものに置き換えました。セキュリティに関わる部分ですので、お早めにどうぞ。 → → これだけだと寂しいので、ミラー「幻泉館日録@teacup」のアクセス解析の一部をメモしておきましょう。検索サイトから、こんな検索語で御来館くださった方がいらしたということです。この一週間分だけです。-------------------------------------------------------横浜土産素晴らしき新世界スマイリー松本葦原将軍石綿付金網ジョーヒル乾いて候dylan 五行戯詩横浜土産好きにならずにハリーベラフォンテ歌横須賀線爆破忘れられた皇軍夕凪の街桜の国火浣布オルグひねもす庵透明人間Righteousトンネルの唄 イルカ 写真 水牛楽団 僕は透明人間さイラク 茨木のり子小さな空歌 キティ1965-------------------------------------------------------タイトルは、以前検索語のメモを書いた時に「夜の訪問者」を使ったので、今回は「雨の訪問者」。中学生の時に友人と見に行った映画のタイトルです。テーマ曲「雨の訪問者のワルツ」はヒットしましたよ。
2005.08.09
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テンチがディランにせがんだ曲は"Chimes of Freedom"や"My Back Pages"や"Spanish Harlem Incident"だったそうです。 →"Chimes of Freedom" →"My Back Pages" →"Spanish Harlem Incident"おやおや、例に挙げてあった曲は、3曲ともアルバム"Another Side of Bob Dylan"(1964年)に入っていた曲ですね。これはどういうことなんでしょうか。 →bobdylan.com: Another Side of Bob Dylanひとつは、テンチは他にも古い曲をやろうと言っていたのに、ディランの記憶が特にそのあたりに集中してしまったという可能性があります。"Another Side of Bob Dylan"を、ディランは自分の「フォーク時代」の象徴のように感じているのかもしれません。もうひとつは、実際にテンチがそのアルバムの曲をやりたがっていたということ。テンチは1953年生まれですから、私と同様にだいぶ後になってから"Another Side of Bob Dylan"を聴いたのかもしれません。ディランがライブで歌う曲は、20曲程度に限られていたそうです。その20曲以外は、もう自分の曲として歌う気がなくなっていたのです。テンチは、たとえば"My Back Pages"をディランが歌うところを見たことがなかったんでしょうね。レコードで親しんだ曲を、ディランと一緒に生で演奏したかったのだと思います。 ♪ Ah, but I was so much older then, ♪ I'm younger than that now. ♪ ああ、あの頃の僕より ♪ 今の方がずっと若いさ
2005.08.09
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このごろ寝酒にビールを飲んでいる。ちょっと奢って、ヱビスビール。これに海洋堂のフィギュアが付いていた。「九州物産展」と題して、長崎ちゃんぽんや西郷隆盛像とバラエティに富んだおまけが14種類付いているのだそうな。画像はなんだかわかりにくいと思いますが、これがムツゴロウなのです。ムツゴロウというと、NHKの『新日本紀行』を思い出します。有明海の干潟で、潟スキーで行なうムツゴロウの引っかけ漁を見ました。名人技を、すごいカメラワークで撮ってました。いい気分になったところで、翌日の昼間飲むコーヒーを仕掛けて寝ます。ぽとりぽとりと一滴ずつ水滴を落として淹れる、ウォータードリップです。ペーパーフィルターが不要なところがいいですな。それではおやすみなさいませ。 →水出しコーヒー用器具 →コーヒー焙煎用器具
2005.08.08
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トム・ペティ&ハートブレイカーズのベンモント・テンチは、よくディランの昔の曲をやろうよと言ってきたそうです。その度にディランは下手な弁解を考えるのです。 →The Unofficial Benmont Tench Site →Benmont Tench(日本語)キーボード奏者です。ベンモントというより、ビンマンに近い音らしいです。ツアーの曲なんてディランが勝手に決めてそうな気がするのですが、「マイ・バック・ペイジズ」やりましょうよとか言われて、しどろもどろに言い訳をしているディランを想像するとおかしいです。この人は1953年生まれですから、かなり私の年齢に近いですね。リンクは張っていませんが、あちこち覗いたサイトに書かれていることから読み取れるのは、ロックのピアニストとしてのキャリアが長く、なおかつ数多くのミュージシャンからリスペクトを受けていることです。二番目のリンク先はトム・ペティ&ハートブレイカーズのファンサイトなんですが、テンチの参加したセッションを掲載しています。 →Benmont Tench セッション参加作品すごい経歴ですわ。ああ、そうなんだというアルバムがいくつもあります。ディランだと"Shot Of Love"(1981年)にはもう参加してるんですね。私としてはU2の"Rattle And Hum"(1988年)や、ジャクソン・ブラウンの"I'm Alive"(1993年)、"Looking East"が「へぇ~」というところですが、たぶん他の皆さんの場合は別のセッションのところで「へぇ~」と思うのでしょう。というか、私がモノを知らないだけなんですな、きっと。ついつい辞書を引いてしまいました。-------------------------------------------------------tench n (pl ~, ~・es) 【魚】 テンチ《欧州産のコイ科の食用魚の一種》-------------------------------------------------------おぉ。「Tinca tinca」というやつですな。もちろん食べたことありません。 →Tinca tinca - Tench
2005.08.08
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トム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーは、ディランにとって精神的に相当きついものだったようです。-------------------------------------------------------Tom was at the top of his game and I was at the bottom of mine. I couldn't overcome the odds. Everything was smashed. My own songs had become strangers to me, I didn't have the skill to touch their raw nerves, couldn't penetrate the surfaces. It wasn't my moment of history any more.-------------------------------------------------------おれの時代は終わった宣言をしちゃってますな。このツアー終わったらお金をもらって引退だぜなどとも書いてます。これは、本当にそんな気持になっていたのでしょう。-------------------------------------------------------The mirror had swung around and I could see the future -- an old factor fumbling in garbage cans outside the theater of past triumphs.-------------------------------------------------------やっぱりディランの文章はおもしろいです。"fumble"というのは「手探りする」「探し回る」という意味なので、過去に数々の栄光を刻んだ劇場の外で、ごみ箱を漁っている老俳優なのだと言っているわけです。鏡が揺れて、その中にそんな自分の姿が見えるんですよ。なんだか身に覚えがあります。何かの折に、自分の未来の姿が見えることがよくありました。だいたい二つのパターンですね。一つは今で言うホームレスの姿です。もちろん私に過去の大勝利なんぞはありません。吾妻ひでおさんの『失踪日記』のようなことを自分がやっている姿が、ふと見えたのです。つげ義春さんのようなと言った方がいいでしょうか。それはとても恐いことなのですが、なんだかとても楽になれるような気もしました。ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィッチの一日』のような毎日かもしれません。ただただその日の食い物と暖を取ることだけを考えて、なんとか切り抜けようとする時間の連続なのです。もう一つの姿は、「平凡な家庭」を築いている自分の姿です。それも、老夫妻なのです。特に関わりもない女性と話をしながら、突然齢を重ねた二人が日の当たる廊下でお茶を飲みながら、「いろいろなことがあったねえ」などとしみじみしているのです。田舎町の食堂の親父かなんかになってる自分の姿なんてのがつげさんのマンガにありましたね。もちろんディランの場合は実現しなかった未来です。私の場合、このごろそんな想像はしなくなりましたが、これからどうなるのかまったくわかりません。
2005.08.07
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昨夜PCに向かっていたら暑さでクラクラと来たので、扇風機を引っ張り出す。といっても、実は昨年の夏から寝室に出しっぱなしだったのだ。バラバラにして羽根を洗い、物干し台で乾かす。シーツや枕カバーも洗って、実にいい夏の一日だ。布団も干して買い物に出る。犬小屋。遠出をしなければならないかと思ったが、すぐ近くのホームセンターにあった。プラスチックの成型で作ってあるやつは、カプセルホテルや仮設住宅みたいでなんだか寂しい。それで、木でできたやつにした。これから一週間の間に組み立てないといかんのです。私はエルという柴犬の雑種と一緒に育ったので、柴犬が好きなんです。ヒナはうまいことやってくれるだろうか。エルの犬小屋は、今は亡き棟梁が作ってくれたんだったか。しっかりとした作りで、小さかった弟は中に入って遊んでいた。あいつはエルより格下だったのだ。畑に行くと、雑草がすごいこと。ほどほどのところで引き上げざるを得なかった。トマトは全部引き抜いて、今年はこれで終わり。柿の枝が、実の重さに耐えきれず、一本折れていた。やっぱり少し落としておくべきだったなあ。夕方、空全体に霞がかかったようになり、浜に行くのはあきらめる。どこからか炭坑節などが聞こえてくる。そうか、町内の祭りだった。私も本来はいろいろやらなきゃいかんのだろうが、未婚子供なしだと、オミソ扱いなのだ。半人前は気楽なもんです。しかし、炭坑節か?結局おっ母さんがその祭りに顔を出してきた。くじ引でお米が当たる。焼きそば、焼き鳥、缶ビールなどのお土産で、結局今私が一杯やってるわけです。愛犬エルが元気だったころ、つまり私が小学生のころは、この祭りはなかった。和歌山カレー事件のあの祭りと一緒で、新興住宅地で新しく始まった住民の祭りなのだ。私が東京で暮らしている間に始まったので、まったく馴染みがない。でも、もちろん今の子供たちにとっては、初めからあるお祭りだ。昔は周りが田圃ばかりだった。町内会の祭りはなかったが、家の中に蛍が飛んできた。今の子は蛍なんて見たことないんだろうな。
2005.08.06
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ウチナーグチの使用を禁じて「方言札」というチンケな標識をでっちあげたヤマト。その卑劣なヤマトの軍隊が、沖縄の住民をどのように扱ったのか。今、歴史を消そうとしてる亡霊たちがいる。沖縄守備軍司令官牛島満中将は摩文仁司令部で自決する。最後の命令が「最後の一兵まで戦え」。実に無責任である。これが、丸山真男が分析した、天皇制の無限無責任構造だ。米軍の上陸がなかった久米島でも、住民の犠牲者が出た。誰が殺したのか?もちろん日本軍である。日本軍は、国民ではなくて軍を守るために、国民を殺した。沖縄戦では、民間人の犠牲者が戦闘員の死者よりもずっと多かった。この犠牲者の多くは、本当は死なずに済んだ人達だ。これを「犬死に」と言う。「なかったこと」になんてできないんだよ。 →Wikipedia: 沖縄戦
2005.08.06
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二行空けて話が変わります。-------------------------------------------------------I'd been on an eighteen month tour with Tom Petty and the Heartbreakers. It would be my last.-------------------------------------------------------最後のツアーになるのだと言っています。これでもうライブツアーは終わりにしようと思っていたのでしょう。歌が自分から離れていってしまったから。やっぱりトム・ペティが出てきましたね。私にとっての80年代のディランは、まさにこれです。他にはまったく聴いたことがありませんでした。トム・ペティというと私はなんだか若手のような印象があるのですが、1950年生まれなので、55歳になるんですね。お、穴沢兄貴や五黄の寅兄貴とタメですわ。 →トム・ペティ →TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS →WikiPedia: Tom Pettyよく参考にさせていただいている最初のリンク先サイトでは「過渡期的作品」と書かれていますが、"Southern Accents"が私には一番おなじみです。つまり「南部訛り」ですね。よくアメリカの小説の翻訳で南部の黒人言葉が東北弁らしきズーズー弁になっていたりするのが、実に不思議です。けっしてでんがなまんがな関西弁や、どってんばってん九州弁になっていたりはしません。農業や素朴さというステロタイプな思い込みが反映されているのでしょうか。それでいて南部の白人言葉、つまり「南部訛り」は「標準語」で翻訳されていたりするのです。以前深夜に見たタモリさんの番組に大叔父がアルベール・カミユだというセイン・カミユが出ていて、南部訛りの真似をしてくれました。とてもおかしかったので、よく覚えているのです。なんだかのどかな県のずらだら弁が少し酔っ払っているような感じでした。ただいまp.148です。
2005.08.05
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本屋さんで高橋留美子さんの新刊を見つけて買った。高橋留美子劇場『高橋留美子傑作集 赤い花束』と、『高橋留美子劇場副読本 Oの悲劇、Oの喜劇』。まんまと、「副読本」まで買わされてしまった。マンガの方は、ほとんどがおじさんが主人公となっている短編集。表題作「赤い花束」は、自分の葬式を見つめるおじさんの話だ。宴会で裸踊りをしている最中に死んだので、ネクタイを鉢巻きにして、腹に顔が描いてある。この話、結構来る。同時発売の『Oの悲劇、Oの喜劇』の方はまだ読んでいない。「おじさん、オヤジ、お父さん、男の…バブル以前以後…」40代、50代の、1730万人の"O"へ捧げられているのであった。高橋留美子さんは同世代なんです。新宿区、文京区、豊島区の境界近く、坂の下に僕たちの学校があった。都電の駅からizumatsu君の下宿の方へ少し歩いて細い坂道を上ると、そこには角栄御殿や女子大があった。まるで黒澤明監督の映画『天国と地獄』だ。「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない。」坂の下は、夏場にクソ暑い学生下宿が多かった。鶴巻町の下宿は小学校に隣接していたのだが、夏の夜に近くの下宿から小学校のプールへ生ごみを投げ込んだ馬鹿たれがいた。その学生は逮捕されて新聞ダネになったのだが、少しだけ気持がわかった。区画整理が進んで、今ではそのあたりの風景はすっかり変わってしまったと思う。そう、あの頃高橋留美子さんは在学したままマンガ家としてデビューしていたのだ。すぐに『うる星やつら』の連載が始まった。70年代末のことだ。五十代のおじさんたちの悲哀を達者に描く高橋さんも、同じように齢を重ねてきたんだなと思った。高橋留美子傑作集 赤い花束定価1100円(悪税込)高橋留美子劇場副読本-Oの悲劇 Oの喜劇定価1300円(悪税込)
2005.08.04
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突然死を迎えたかに見えたサーバ機(旧型DynaBook)ですが、一日の休息でなんとか復活しました。かわいいやつじゃ。私だったら、そんなもので何年間も働きたくはないもんなあ。とか言いながら、ちょっと忙しいのです。あと一週間で、やっとあたいの夏休み。
2005.08.04
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2002年10月21日より連続して稼働してきた幻泉館サーバですが、サーバ機(旧型DynaBook)の故障により、停止しました。代替機(旧型ThinkPad)は用意してあったのですが、しばらく忙しいことと、httpサーバの設定などをまったく忘れてしまったために、しばらく復旧できません。幻泉館サーバに置いてあった画像を表示できない他、サーバ御利用の皆様にはしばらく不自由な思いをさせてしまいますが、御容赦くださいませ。申し訳ございません。
2005.08.03
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ディランのスランプの話が続きます。本当にそう思っていたのなら、おそらく引退を真剣に考えていたような内容です。今はツアーを続けていたので、その状態は脱したのでしょう。まだそこまで読んでいませんが、おそらくは"Oh Mercy"というアルバムはその立ち直りのきっかけとなったはずです。-------------------------------------------------------Many times, I'd come near the srage before a show and would catch myself thinking that I wasn't keeping my word with myself. What the word was, I couldn't remember, but I knew it was back there somewhere. I tried to figure this out, but there didn't seem to be any formula. Maybe if I had seen coming, I could have fixed it in its tracks, but I didn't.-------------------------------------------------------歌詞が、自分から離れてしまっているのを、ステージの直前に感じているのです。忘れてしまったというような書き方をしているのですが、実際は言葉を覚えていても、実感がなくなっていることに気づいたのではないでしょうか。今の日本のヒットチャートに名前が並ぶような歌手が、ステージに上がる前にこのような苦悩を感じるものなのか、私は知りません。でも、ディランのように歌詞を自分で生み出した歌手がステージの直前にこんなふうに感じることは、致命的だったのではないでしょうか。「僕は歌手だ」というのが、ディランの自己規定です。それが本当に「唄を忘れた金糸雀(かなりや)」になってしまっては、まさに自分の身を「後の山に棄て」なければならないと感じたことでしょう。 →金糸雀(かなりや)もちろんディランはそんなことはしません。自分の中で行方不明になった人物がいるので、その人を見つけなければならないと思っただけです。いいなあ、やっぱりポジティブだなあ。-------------------------------------------------------Wherever I am I'm a '60s troubadour, a folk-rock relic, a wordsmith from bygoine days, a fictious head of state from a place nobody knows. I'm in the bottomless pit of cultural oblivion. You name it. I can't shake it. -------------------------------------------------------なんだか前の章と似たようなことを言ってますね。結局ディランはデビュー以後、ずっと自分の虚像と戦い続けなければならなかったということなんでしょうか。
2005.08.02
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毎年夏祭りの花火大会の時には、スケジュールの都合からコンコンと眠り続けることが多かったのですが、今年は少し歩いてきました。小さな頃はビルの屋上や河原に作られた桟敷席で眺めました。どすんずしんとと全身を揺るがすような打ち上げ音が、恐くもあり、楽しくもありました。ゆっくり歩きながら会場に近づいていくと、ある場所からその重低音が感じられるのですね。みんな歩行者天国になった大通りにしゃがみこんで、頭上の花火を見上げています。浴衣や甚平にもいろいろな流行があるんですな。いいかげんに歩いて眺めているので、ビルの間から見える花火だったりしますが、それもいいものです。これから毎週、近隣のどこかの町で花火大会があるようです。のんびり市では8月末に、夏に別れを告げる「サンセット・ページェント」という花火大会が浜であります。海上に舟を使った花火もあるようですが、それはまだ見たことがありません。それまでの一ヵ月、短い夏です。
2005.08.01
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