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宮城大学の「ビジネス情報論」の集中講義の二日目。この講義は4月から隔週で7回行い、残りの7回分は30日・31日の二日間での集中講義という初めてのやり方である。「日本の論点」(文藝春秋)の2008年版の90項目、全120の論文の一つづつをそれぞれがパワーポイントを用いて一枚の図にするという趣向である。昨日も、本日も全員が、一言も発せず一心不乱に課題の論文に立ち向かい、静謐な空気の流れる空間を形成した。不思議な時間だった。若者には集中力や根気がが欠けているとか、いうがそれは嘘だと思う。階段形式の大講義室を歩き回っていると、後ろからパソコンでパワーポイントの画面が一斉に立ち上がっているのが見えて壮観だ。パソコンの8割以上はパナソニックのレッツ・ノートだった。不思議に思って学生たちに確かめたところ、生協の推奨品というだった。他はソニーのバイオが中心。たっぷりと時間があったので、アンケートに書かれた内容も量が多く、この講義に対する受け止め方がよくわかった。二日間の集中講義で難しい論文ひとつをじっくりと読み図解するという形式についての感想に関する部分を以下抽出してみる。-----------------------------------------------------------------------・皆がひとこともしゃべらずに一心不乱に作業する様は大学に来て初めてで、異様な光景にすら感じた。しかし張りつめた感じが非常によかった。・この二日間でじっくりと一つのテーマについて考えることができ嬉しかった。・何回も考えて図にしていくことで考え方が深まっていくことが実感できた。・今回は長い時間をとって取り組めたことで、問題を自分の中でしかkり消化することができまhした。・テスト終了後ということもあり精神的には辛かったが、図解は一気に集中して行ったほうがはかどると感じた。・「事業構想学」に深く結び付くと感じました。一枚の紙、一面を使って書き上げた図解は事業構想の縮図そのものであり、どんあ壮大な話題でも、丸と矢印のみで表現できることに図解の偉大さを感じました。・何よりも楽しかった。一見小難しい文章でも表現方法によっては実にさっぱりすっきりした読みやすいものに変わった。・二日間の集中講義は少し疲れましたが、今までで一番いい図が描けたと思います。・とても頭を使った。精度の高いものをつくれたと思う。しかし何時間もの間、黙々と作業をするのは正直疲れた。その分達成感を非常に得ることができた。・今までより深くまとまった図になったと思う、とても楽しかった。・二日間も続けてできるか心配でしたが、今までの中で一番面白く充実していた。大変な作業であると同時にとても面白く、夢中になっているうちにあっという間に時間がたってしまいました。他の人に説明するときに、もう文章を見なくても筆者が何を言いたいのかを伝えることができ、自分でも驚きました。本当に理解するということはこういうことなんだと実感できた瞬間でした。・こんなに集中して、あまり興味のないテーマに取り組んだのは初めて。しかし図を完成さえると喜びというか快感があり、ぱわーぽいんとで作っているのも全然飽きませんでした。自分で納得いくまで一つのことを考える楽しさを実感しました。・一つの文章をこれだけ長く考えること自体ないことで新鮮でために「なった。・集中力だけではなく、読解力や論理力も試されたと思う。・とてつもなく疲れた。しかしそれなりにまとめることができた。限られた時間で集中すると流れよくさぎょうができると感じた。何度も描いて修正していくことで図解も進化していくし自分の考えも変わっていくような気がする。まったくわからない記事でも、試行錯誤して考えていくと、内容が頭に刷り込まれて、説明するときも、あたかも自分の書いた記事のように説明できたのが図解のパワーなんだなと身をもって感じた。一日一図を目指せたらいいな。・精神的に辛いかったが、最後にでjきた自分の図を見てやってよかったと充実感に浸っている。・正直、疲れたと感じることもあったが、それはいかに集中して取り組んでいたかという証拠だと思う。・座り続けるのが辛いということはありましたが、何物にも中断されず考え続けられるというのは気分がよかった。・かなり体力との勝負でした。一生懸命取り組むことで私の力になりました。・今回の「日本の論点」にしても、筆者の文章がよくわからない点や、こうするればもっとよくなるのにと思った点が多くありました。・まだ納得のいく図をつくれちない。今の自分のレベルで納得のいく図を完成させたい。・「早く終わらないかあ」と思っていた昔の自分と違う自分がいました。・二日連続で長時間一つのことについて考えるのは、なかなかしんどかった。しかし完全に納得がいくまで読み込んでから図解にとりかかることができてよかった・文章の難しさにや長さに苦戦したためちょうどいい時間となりました。充実した時間を過ごせた。・取り組んでみたらすごく集中して取り組めて、図も何パターンも改良を加えて書いていくうちに、突然納得できる図画できて驚きました。・長いな、疲れるなと思っていましたが、実際やってみるとあっという間でした。時間をかければかけるほど良いものができちくので、すごい達成感を感じる。・できた図に自分でもびっくりしました。どんな文章でもじっくり吟味すれば図にできると思う。・長い文章はもう怖くなくなった。・自分がれだけ集中できたことにまず驚いた。・グループでの議論で最後は「結局、筆者は何を言いたかったんだろう」となってしまう。文章を読んだだけではこのようなことにはならないだろう。・十分な時間の中でゆとりをもって文章を読み、図解で来た。「テロ特措法」などわからないことはひとつひとつネットで調べて知識を得ることができました。全員が違うテーマだったので、プレゼンのあとの議論が楽しかった。・とても集中して取り組めた。・もらった文章は、話の内容に筋が通っていない、起承転結がない。このような文章にある矛盾としっかり戦っていきたい。そしてこのような文章が発行されてよいのかと思ってしまった。・この二日間は頭の中でこのテーマが渦巻いていました。
2008/07/31
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朝7時36分の東北新幹線で東京から仙台へ。東京の暑さが嘘のように涼しい。そのまま宮城大学へ直行。10時半から、ホームページの打ち合わせで、デュナミスの岩澤君と小林君と12時までこまから改善と修正の確認を行う。4階受付の女性に前からあげようと思っていた拙著「働く女性の成功ノート」(成美堂)を渡す。12時50分からは、「ビジネス情報論」の集中講義。30日は3・4・5時限。明日31日は2・3・4時限。出席者は110名ほどだった。この二日間の課題は「日本の論点」(文藝春秋社)という厚い本の120にのぼる論文を図解することである。課題が政治・経済・文化など多岐にわたり、内容も難しいため真剣に取り組まなければならない。休憩時間に馬渡学長を訪問。わずかの時間しかとれなかったが、法人化を控えて本当に忙しそうだった。廊下で学長補佐と総合情報センター長の私の後任の梶先生に会う。また、秘書をやってもらっていた鈴木さんに偶然出会う。今は週3日ほど二人の教授の手伝いをしている。元気そうだったのでひと安心。宮原先生ともすれ違ったが、仲間の先生の体の具合が悪いというニュースをもらう。夕刻6時半からは仙山線の東北福祉大前駅のステーションキャンパスでNPO法人知的生産の技術研究会の仙台支部のセミナーで講演。テーマは「これまでの私、これからの私」。旧知の仲間、新しいメンバーとで30名ほど集まっていただいた。今回は、20代の無茶な生活を終えて、結婚した31歳から現在に至るまで作り続けてきた初公開の「人生計画書と実行計画書」をパソコンで見せながら振り返ってみた。これは計画を黒字、そして結果の総括を赤字で記すというように昨年整理しなおしたものだ。根拠や確信のない夢や希望も紙に書いておくといつの間にか近づいていくという感じがある。若い参加者には今から計画作りを始めることを薦めた。また、団塊世代前後の方に対しては、「人物記念館の旅」で出会った偉人たちの生涯とそこから得た教訓、特に「中年からの出発」の話をしてみた。会場に隣接している「郷(ふるさと)」というこの大学の福祉工房がやっている店を借り切って懇親会。ほとんど全員が残ったのではないだろうか。新しいメンバーでは、仙台放送の石原さん、大石さん、団代世代活動センターの瀬野尾さん、伊藤さん、平井さん、、、。所属が変わったりして名刺交換をしたのは、穴沢さん、阿部さん、小野さん、柏倉さん、我妻さん、志伯さんらだ。
2008/07/30
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昔の職場の仲間の浅山さんと品川の新高輪プリンスホテルで食事をご一緒する。仲間たちの動静がいろいろわかった。その後、品川駅の喫茶でいくつかの仕事の準備をする。16時半からは、D出版社の編集者のKさんと現在進行中の出版企画の確認と相談。18時にインターシティにある多摩大学の大学院に到着。18時半から21時40分まで連続2時限の授業。大学院の登録者は22名だが、全員が社会人なので仕事の関係で毎回15名ほどの出席者になる。今日は「日本の論点」の中で「医療」を中心に深い議論になった。日本の医療の抱える問題の大きさ、根深さ、困難さ、などががよくわかった。院生は全員が仕事を持つ社会人で30代が中心だが、大学病院の医師や看護師も院生にいて、現場の実情や医療をめぐる事実を説明してくれたので、全員が目が開かされた感じとなった。日本の医療の問題の奥は深い。(HP:http://www.hisatune.net/の「久恒サロン」に院生の書き込みがある予定)秋学期についてもいろいろな意見をもらったので、夏に検討してみたい。終了後、品川駅に出ると大雨と落雷で山手線がストップしていた。いつもと違うルートで、しかもものすごく込んでいて30分以上遅れてようやく我が家に到着。明日は7時36分東京発の新幹線で仙台なので、その準備も。
2008/07/29
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千葉県美浜区に市町村職員中央研修所がある。全国の市町村職員のあらゆる研修を一手に引き受けている立派な施設で「市町村アカデミー」が通称である。この研修所からは宮城大学で勤務するようになってすぐに声がかかり、今日に至るまでずぶんと長い間通っている。今日は、午前と午後、それぞれ別の研修講師をつとめた。午前は、専門実務研修課程で、クラス名は「財政運営」。北海道苫小牧市の財務部財政課主査から始まって沖縄県うるま市企画部財政課主事まで、そして自治財政局総務室係長、同財務局調査室事務官まで合計56人が受講生。平均年齢は約35歳。日程は8日間のプログラム。オリエンテーション、地方交付税の現状と改革の動向(総務省自治財政局交付税課長)、地方債制度の新展開(総務省自治財政局地方債課長)、行政評価の仕組み(富士通総研シニアマネジングコンサルタント)、分権改革と地方財政の展望(関西学院大学大学院教授)、課題演習、公会計制度の課題と今後の方向(千葉大学教授)、特別講演、図解表現の技法とポイント(多摩大学教授)、地方公共団体財政健全化法と財政運営(総務省自治財政局財務調査課課長補佐)、自治体の経営改革手法とアウトソーシング(日本総研執行役員)、行政評価の仕組み(富士通総研シニアマナエジングコンサルタント)、課題演習、市場と向き合う--自治体の資金調達の新たな潮流(市町村アカデミー副学長)、地方公共団体財政健全化法と第三セクター等の経営のあり方(中央大学法科大学院教授・弁護士)、課題演習、事例紹介・市町村合併と財政(鳥取市行財政改革課課長補佐)、課題演習、課題演習(発表)。夜はほぼ毎日自主研修。午後は、専門実務研修課程で、クラス名は「企画事務」。栃木県佐野市総合政策部政策調整課政策調整係主査から、岡山県総合政策局企画財政部企画課主事など合計25人。平均年齢は35歳。日程は8日間のプログラム。オリエンテーション、政策形成のマネジメント、(経営改革プロデューサー)、地域人口構造の変化と自治体政策(京都大学大学院教授)、政策形成における協働(早稲田大学教授)、地方分権の進展と政策形成(一橋大学法科大学院教授)、効果的なプレゼンテーション技法(宇都宮大学教授)、政策形成演習、図解表現の技法(多摩大学教授)、事例に学ぶ地域政(新潟大学教授)、ディベートの意義と活用方法(総合教育コンサルティングチーフ講師)、ディベート・フォーラムの準備、ディベート・フォーラムの準備、ディベート・フォーラム、政策形成のマネジメント(経営改革プロデューサー)、情報収集・調査のポイント(北海道大学大学院教授)、自治体事例紹介(熊本県水俣市企画課)。夜は自主研修。随分と充実した研修プログラムである。ここで勉強するだけでなく同じ仕事を担当する者同士が同じ釜の飯を食って人脈ができる。受講生はまじめで反応もよく礼儀正しいという印象である。12月の「企画事務」の研修も依頼得された。こういう研修は影響が影響が大きい。
2008/07/28
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夏の間に訪問すべき人物記念館の候補を調べている。東北地方はほぼ制覇したので、今年からは東京以西が中心になる。東京では、吉川英治、熊谷守一、いわさきちひろ、加賀豊彦、海音寺潮五郎、野口英世、川合玉堂、土方歳三、川端竜子、村岡花子、田河水泡、林家三平、、、。主なところでは、このあたりか。近隣では、山梨県では、河口湖周辺では、中原淳一、、。山中湖周辺では三島由起夫、、。長野県では、軽井沢で、画家の美術館・記念館を残している。新聞や雑誌などでも新しい記念館や未訪問の記念館の情報が目に入る。重光葵記念館、芦東山記念館、宮本常一記念館、横溝正史記念館、井上靖記念館、イサム・ノグチ記念館、東山魁夷記念館、川上善兵衛資料館、安達峰一郎記念館、榎本孝明水彩画館、橘曙覧記念文学館、、、などの資料を手にしている。東京は、JRと私鉄の駅名と人物記念館の場所の対応地図をつくる必要がある。まあ、どのくらい訪問できるかわからないが、計画がなければ実現はない、ということなので、まずは候補をあげることから始めている。
2008/07/27
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まぐまぐのジャンル別サイト「本のまぐまぐ」( http://hon.mag2.com/ )というコーナーがある。「話題の本から隠れた名作まで!レビューや見どころなど、本に関するメールマガジンを紹介します。」とあるから、そういうジャンルの一つとしても私のメルマガも詠まれているということだろうか。このコーナーは「話題の本情報」として毎週メルマガを1誌、スタッフが読んで「これは!」と思ったメールマガジンをご紹介するコーナーだ。桐野夏生の「東京島」について書いた書評をこのコーナーへの掲載したいという連絡を「まぐまぐ」からもらった。2008/07/25(金)~2008/07/31(木)の期間、「本のまぐまぐ!」の「話題の本情報」コーナー。http://hon.mag2.com/また7/29(火)配信のウィークリーまぐまぐ[エンタメ版]増刊号にて、「映画と本のおすすめ情報」というコーナーに掲載されるとのこと。------------------------------------------------------男31人、女1人の無人島…人間の本性を描く衝撃作!東京島* 著者:桐野夏生 出版社:新潮社 * 出版月日:2008年9月 ISBNコード:9784104667024 税込価格:1,470円* Amazon.co.jp で詳細データをチェック久恒啓一さんのレビュー31人の男と1人の女が漂着した無人島での共同生活。小さな島の中で起こる事件と人々の葛藤、原始生活と絶望の中で噴出する人間の本性、危ういバランスの喪失と異なった形での回復、女と男の複雑で非情な物語。現代日本に対する醒めた観察と痛切な皮肉が随所にみられ、また描かれる欲望丸出しの人間の愚かしさという本質に迫る構想力と、豊かな想像力と筆力に感嘆しながら最後まで一気に読み終えた。主人公の清子は、絶望的な原始生活を女という武器を携えて状況を有利に導きながら、利己的にそしてしたたかに生き抜いていく。思いがけなく訪れる妊娠との遭遇では、誰の子かわからない状況を逆手にとって最後までサバイバルしていく姿があさましく、かつ感動的でさえある。 つづきを読む(http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20080621) メルマガ: 久恒啓一の「学びの軌跡」(2008年06月22日号)より-------------------------------------------------------このところ、読んだ本についてかなり真面目に感想をこのブログに記している。「悩む力」(カンサンジュン)、「奇縁まんだら」(瀬戸内寂聴)、「問題は「数字で解できる」(望月実)、「泣いて笑ってホッとして」(浅沼ヒロシ)、「東京島」(桐野夏生)などの書評を最近書いたのだが、こういう申し出があるのは嬉しいことだ。自分の学びを確実なものにするためにも「書評メルマガ」もいずれ考えたいものだ。
2008/07/26
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今日も暑い。午前中は、前期試験の監督業務。1年生必修の「情報学基礎」は400人を超えるので二つの会場に分けて行われた。私は一番大きな会場で他の先生のお手伝いという役割。問題配布と監督で歩き回る。午後3時半から5時半までは、赤坂の野田一夫事務所で新規に始まる学内の重要委員会の初会合。突然の召集にもかかわらず12人が参集。9月末に中間報告というから忙しい。午後6時半からは、新宿の京王プラザホテルで年一回の非常勤講師との懇親会。100人を超える教職員が集合。田村理事長、野田学長代行、将来構想委員会の寺島実郎座長の挨拶が続く。8時半過ぎに終了した後は、同僚の樋口先生と西口のコーヒーショップで懇談。------------------------------------------------------------------------印税寄付プログラムChabo!が快調に走っている。参加著者はまだ7人なのに、7月の刊行本は5冊というから勢いがある。「仕事は『日曜の夜』から始めなさい!(久恒啓一) (まだ楽天には登録されていない)-----------Chabo!( チャボ )は、Charity Book Program( チャリティ・ブック・プログラム )のこと。心ある著者たちの厚意により実現した印税寄付プログラムです。http://www.jen-npo.org/chabo/Chabo!に登録されている本が売れると、その本の著者の印税の20%が 特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われます。本屋さんで、このマークが帯やカバーに付いている本を見つけたら、ぜひお手にとってご覧になって下さい。本が気に入ればレジへgo! 新しい国際協力のカタチです。
2008/07/25
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日本経済新聞に毎週連載している「奇縁まんだら」という読み物がある。瀬戸内寂聴の筆になる著名作家たちとの交友録で、意外で面白い人間的なエピソードが込められており、読むのを楽しみにしている。この好評連載が一冊の本になった。20007年分だが、今年の分は来年に後編として出版される。21人の登場人物のうち一人を除いて全員が寂聴よりも年上でそれぞれが文壇の大家たちだ。1872年生まれの島崎藤村から1923年生まれの遠藤周作までである。順番に並べてみると、島崎藤村、正宗白鳥、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、佐藤春夫、舟橋聖一、丹羽文雄、稲垣足穂、宇野千代、今東光、松本清張、河盛好蔵、里見恕s、荒畑寒村、岡本太郎、壇一雄、平林たい子、平野謙、遠藤周作、水上勉。それぞれが一家をなす歴史的人物といってもよい人たちだ。この連載を引き受けるにあって寂聴は、文芸年鑑に載っている作家たちの中で口をきいたことがある人の数は400人に達した。そのうちから40人強の人を選び一人につき二週にわたってその交友録を書いている。1922年生まれだから今年で86歳の寂聴は、長かった茫々の歳月で愉しかったことは人との出逢いとおびただしい縁だったと述懐している。長く生きた余徳は、それらの人々の生の肉声を聞き、かざらない表情をじかに見たことだたっという。先にあげた作家たちにこの言葉を当てはめるとそれは愉しい人生だっただろと深く納得する。寂聴は、毎回それぞれの人物の業績、その人と自分との縁、創作の秘密、そして自分の人生行路を重ね合わせながらユーモアたっぷりに健筆をふるっている。また女流作家でもあり、美男の作家たちの容姿をややミーハー的に活写したり、女流作家についても赤裸々にその行状を書くなど、またそれぞれの運命的な、あるいは濃密な男女関係をあたたかい目で観察していて、読んでいて豊かな気分にさせてくれる。たとえば「惚れ惚れするような美男ぶりであった。鼻筋が通って、、、、、白鶴のような、すがすがしい姿であった。そこだけ涼しい風が吹いているよに見えた」は島崎藤村の描写である。「小説家というより、現役の女優のように見えた。、、まわりには虹色のオーラが輝き、どの作家たちよりも美しく存在感があった」、豊かな恋愛体験の中でどなたが一番お好きでしたかという問いに、「尾崎士郎!、二番目も、三番目も四番目も尾崎士郎!」と言ったのは、宇野千代だ。これほどの人たちとの親交がなぜできたのだろうか。人懐っこい性格、機敏な駆動力、世話好き、そして本人の言うように美人でないことが警戒心を解き、幸いしたのだろう。また初対面の人には手相を観ることで一気に相手の懐に飛び込んでいくという若いころからの手練も中で明らかにしている。寂聴は、娘時代に藤村を見て小説家を志し、28歳で小説家になることを決心し、35歳で最初の小さな賞をもらっている。それぞれの節目には必ず、この本であげた作家たちとの縁がある。寂聴は、大作家たちとの交友、旅行などを楽しみながら、同業の先輩たちの創作の方法や秘密を鋭く観察している。松本清張の講演の見事さは口述筆記の訓練によるものだった」。舟橋聖一は63歳で書いた「好きな女の胸飾り」以降、すべての作品は、口述筆記になった。岡本かの子の作品は、夫の一平や同居者の手が入っている。その子の岡本太郎は、書斎を獣のように歩き廻りながら言葉を発し、養女の敏子がペンで口述筆記し、できあがった作品は敏子の名分で整えられ、わかり易く、高尚になっていく。それは合作といってよかったと書いている。そして絵もこの敏子との合作だった様子がわかる。これは岡本家の芸術造りの方法だったという観察である。51歳で出家のお願いに行ったときの今東光とのやりとりもすさまじい。「頭はどうする?」「剃ります」下半身はどうする?」「断ちます」それだけであった。今東光からもらった寂聴という法名は「出離者は寂なるか梵音(ぼんのん)を聴く」という意味だそうだ。寂聴の書くものは、常に人物がその対象になっているようだ。興味ある人物を調べ、取材し、それを評伝という客観的な形ではなく、作者の想像と創造が許される小説という形式に仕上げていく。これが瀬戸内寂聴の小説造りの方法だということもわかった。自分を中心に縁のあった大きな人物たちが幾重にも取り囲んでいる姿が寂聴の頭の中にあり、それは「まんだら」であり、この本のタイトルとなった。この本を読み切ったあとに感じるのは「奇縁まんだら」というタイトルそのものの内容であるということだ。横尾忠則の人物絵も楽しめる。人気連続テレビドラマ「家政婦は見た」に通じるところのある瀬戸内寂聴独特の表現が、興味をそそる面もある。連載中にかなり読んでいるつもりではあったが、改めて一冊の本として読み切るとそれぞれの仏たちが複雑に織りなす世界が総体として見えてくる。毎週の連載を楽しみながら、そして後編を読みたいと思う。
2008/07/24
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羽田空港から品川に出て、廣済堂の編集者と落ち合い、新刊の見本を受け取る。黒地に黄色の文字というデザインで、書店でも目立ちそうだ。滑らかな2センチ幅の線が横に入っているので聞いてみると、UV加工というのだそうで、やや重量感が出ている。オビの袖と裏表紙には、印税寄付プログラムChabo!のマークが入った。このプログラムへの参加は2冊目である。この本で私の著作も80冊に達したが、この本は「若いビジネスマンへの応援歌」というジャンルになる。タイトル:仕事は「日曜の夜」から始めなさい! ---一歩抜きん出るためのスピード仕事術出版社:廣済堂出版刊行日:7月30日価格:1200円+税目次 第1章 仕事は「日曜の夜」かた始めなさい! 第2章 一日を24時間以上にする仕事テクニック 第3章 ビジネス最前線を勝ち抜く「究極の時間活用術」 第4章 最新情報機器&ブログ活用で一歩先を行く 第5章 「その他大勢」から抜け出す思考法&人脈術 第6章 ビジネスパーソンよ、一流の職人になれ!-----------------------------------------------------------------はじめに「先んずれば即ち人を制し、後るれば即ち人の制するところとなる」(『史記』)という。相手の先を行けば、相手を支配することができ、相手に後れを取れば、逆に相手に支配されてしまうという意味だ。高校時代などに漢文の授業で習って、覚えている人もいるだろう。そんなこと習ったかなと思う人は、今、この言葉を知った。この言葉は、まさに至言(であると思う。現代人の私たちは、別に他人を支配する必要などないが、仕事や生活全般にこの言葉を当てはめてみると、古代の名言はとたんにいきいきと、鮮やかに私たちの前に立ち上ってくる。たとえば、早起きをすることも、先んじることだ。誰よりも早く出社することも、締め切り前に提案書をまとめておくことも、約束の時刻より早めに目的地に着いていることも、やはり先んじることだ。先んじれば、心にゆとりが生まれる。次の行動にも、じっくりと、余裕をもって取りかかることができる。ミスや忘れ物に気がついても、慌てることなく対処することができる。先を見て、早めに物事に取り組めば、仕事、ひいては人生はうまくいく。そのことをこの古代中国の言葉は私たちに教えてくれる。「先んずれば人生を制す」と言っても過言ではないだろう。先んじることは、私も実践している。早起きを心がけているし、幾つもの目標を掲げ、それに向け、先々まで計画を立てている。日本航空の社員時代は誰よりも早く出社するように努めていたし、大学教授の今も遅刻はもちろんのこと、何事も早めに準備し、早めに終えることを心がけている。そんな私から見れば、月曜の朝に出社して、そこで初めて仕事の準備に取りかかるようなビジネスパーソンは、いかにも“出遅れた社員”に見えてしまう。その人の一週間は、きっと後手後手になり、気がつけば、週末の金曜日。明日の予定が気になりながらも、仕事は山のように残っている。時計を見る。長針が差す数字は「9」。夕飯も食べていない。「仕方がない。これは来週の月曜に残業して片づけるか」……こんなセリフを独りごちて、同じく“出遅れた社員”とともに、ネオン街へと繰り出す。上司や取引先への不満やグチに同僚と花を咲かせ、気がつけば、終電間近。慌てて最寄りの駅へ。帰りの電車では、つり革をつかみつつ、器用にも立ちながら睡眠。帰宅後は疲れ果てた体をベッドにあずけ、翌日は昼近くまで熟睡。「しまった。約束があったんだ」。慌てて友人に電話をして、約束の時間を一時間遅らせてもらう。こうしたビジネスパーソンは、あなたの周りにもいるのではないだろうか。もしかしたら、あなた自身がそうかもしれない。しかし、このような生活を続けている限り、より良く生きることは不可能に近い。仕事で大きな成果を上げることも、趣味を存分に楽しむことも、充実した毎日を送ることも、叶わぬ夢に終わってしまうだろう。では、どうするか。その一つのヒントは、先んじることである。後手後手に回っていた仕事の仕方を改め、先手先手で行なう。このことを心がけ、実行するだけで、仕事の成果は飛躍的に増大し、プライベートの時間は充実、さらには人として大きく成長することが実感できるようになる。本当にそんなにうまくいくのか!? そう思った人には、私自身の体験をここで一つだけ紹介しよう。私は日本航空に入社して以降、数年間は、いつも始業時刻ギリギリに出社していた。当時の始業時刻は八時四五分。私のタイムカードの印字は、ほとんど「8:45」や「8:44」だった。一日の始まりから、まさに後手だ。席に着いてからも、仕事は後手後手。指示された仕事に振り回されて、アッという間に午前が過ぎ、昼食を食べたと思ったら、終業時刻も早い。残業したり、飲み歩いたりして、疲れ果てて家路に就いた。床に就いたら就いたで、アッという間に朝だ。学生時代と違い、時間の経つのはなんと早いと思ったことか。しかしそれでも懲りずに、毎日毎日、同じことを繰り返していた。「こんな生活ではいけない」。さすがにあるとき、私は大いに反省した。そして、一念発起して、始業時刻より一時間早く出社することを決意した。それ以降、私の人生は、仕事もプライベートも、少しずつ、しかし明らかに好転していった。“凡人”を自認する私でも、できたことだ。先んじることは決して難しくない。意識を変え、ちょっとしたコツを身につければ、誰でも確実にできる。それでいて、成果は莫大なのだ。今一度、書こう。「先んずれば人生を制す」と。本書では、さらに仕事のスピードを上げるとっておきの方法や時間の有効活用法、一流のビジネスパーソンになるためにすべきことなどを余すことなく披露したい。充実したビジネスライフを送りたいと思っている人は、そのヒントを本書でぜひつかんでほしい。
2008/07/23
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久しぶりの帰省で中津にいる。東京に転居してから初めてである。今までは仙台からだったが、久しぶりに羽田空港から福岡に飛んだ。羽田には京浜急行を使ってみたら、京浜蒲田、糀谷、穴守稲荷、大鳥居などの懐かしい駅を通り過ぎていく。京浜蒲田は、大学を卒業し最初に住んだ街である。蒲田はな街とかいう一角の飲み屋の二階の六畳間が私の部屋だった。泥棒が入ったり、見知らぬ男が闖入して一緒の布団に寝たり、いろいろなことがあったなあ。毎晩のように一階の飲み屋で食事をしていた、たしか「むさしの」という名前で、ビールと酒を飲み、最後に白ご飯の大盛りを食べるというのが私の決まったコースだった。あのとき知り合った大工さんとの交遊も楽しかったなあ。大鳥居には、航雲寮という工業高校卒業生の整備員たちの寮があった。この寮には入社後数年たった整備の先輩たちが一緒に住んで生活指導をするという仕組みがあった。彼らは寮兄と呼ばれていた。私は入社2年目だったが、文科系では初めての寮兄になり全国の工業高校を優秀な成績で卒業した18歳の若者と一年間過ごした。羽田の整備工場での仕事を終えて寮に帰ると、寮生たちが押し寄せてきて、いろいろな相談に乗っていた。この寮の寮祭のことも思い出す。「ちっちゃな村」というテーマだったか。打ち上げのとき、和服姿のまま胴上げされた。マツオ、リクロー、などあのときのメンバーは今はどうしているかなあ。初めて車を持ったのもここだった。当時の上司から2000ccのクラウンを5万円で譲り受けて乗り回した。リッター5キロという燃費の悪さで、金をバラまきながら走っているような感じだった。また掃除をしなかったので走るゴミ箱ともうわさされていたなあ。この空港線の風景も幾分変わっている感じはしたが、昔の面影があった。この線は短い時間だったが恐ろしく込んでいた記憶がある。朝は甘酒を売っていたので駅で飲んでいた。あれは1973年から1974年だから、もう30数年前になる。長い時間と膨大な空間を歩き、走ったのだという感慨をおぼえる。久しぶりの羽田空港では、航空会社のサービス改革を担当していた記憶がよみがえり、応対するスタッフの業務知識や態度が気になる。わずかな接触だったが、問題にも気がついた。福岡空港。この空港で働いていた仲間の顔が思い浮かんでくる。どうしているだろうか。地下鉄で数分で博多駅に到着。博多駅から電車に乗ると途中で川を越える。その川のほとりに大学の寮が今でも見える。あの寮ではマージャンに熱中した。同じ大学になった弟と同じ部屋に二人で住んだことも懐かしい思い出だ。その寮の前に住んでた下宿は今もあるだろうか。いろいろな思い出が次々と浮かんでは消えていく。みんあどうしているだろうか。郷里の中津は、山国川を越えてすぐだ。この大きな川では高校生の時によく散策した。そして夏にはよく泳いだ。おさな馴染みの顔がうかんでくる。駅に到着すると、母と叔父が迎えに来ていた。そのまま、こんこんと眠り続ける叔母が入院している市民病院にお見舞いに行く。母も叔父も80歳を超えている。子供時代のことを思い出しながら叔母を見舞うが、呼びかけても目は覚まさない。京浜蒲田から始まった帰省の旅は、就職直後から、大学時代、高校時代、子供の頃と時代を逆まわししていく映画のようだった。
2008/07/22
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異色の政治学者・カン・サンジュンが書いた「悩む力」が売れている。在日韓国人としてのアイデンティティの問題に30歳位まで悶々と向かいあってきたカン・サンジュンは、この本で夏目漱石とマックス・ウエーバーをヒントに生き方についてのメッセージをこの本で発している。「私」と何者か」という第1章では、まじめに悩み、まじめに他者と向かい合う。そこに何らかの突破口があり、自我の悩みの底をまじめに掘って、掘って、堀り進んでいけば、その先にある、他者とと出会える場所にまでたどり着けるという。「世の中すべて「金」なのか、という第2章では、できる範囲でお金を稼ぎ、できる範囲でお金を使い、心を失わないためのモラルを探りつつ、資本の論理の上を滑っていくしかないと自ら平凡とする結論を導き出している。「知ってるつもり」じゃないか、という第3章では貪欲に知の最先端を走ることも大切だが、熟練とでも言うべき身体感覚を通した知のあり方を大事にすべきと提言している。「青春」は美しいか、という第4章では青春の蹉跌を繰り返しながら、、何が何だかわからなくても、行けるところまで行くしかない」という結論を導き出している。「信じる者」は救われるか、という第5章では、自分でこれだと確信できるものが得られるまで悩みつづける、あるいはそれしか方法がないということを信じるしかない、という。何のために「働く」のか、という第6章では、他者からのアテンションを求めて働くのであり、自分が社会の中で生きていいという実感を持つために働くしかないとしている。「変わらぬ愛」はあるか、という第7章では、愛とはある個人とある個人の間に展開される「耐えざるパフォーマンスの所産」であり、絶えざる意欲を持ち、怠けていてはいけないとアドバイスをしている。なぜ死んではいけないか、という第8章では、人とのつながりを考え、つながりを求めつづけよと言い、自ら死ぬことを戒めている。老いて「最強」たれ、という終章では、福沢諭吉の「一身にして二生を経る」という言葉をあげ、目前に迫った60歳以降の夢を描いている。これまでの人生とはまったく違うものに挑戦したいとして、役者になること、映画をつくること、大型二輪の免許をとってハーレーダビッドソンに乗って日本縦断と朝鮮半島の南北縦断の旅をすることをあげている。そして横着者になりたいと結んでいる。以上が著者が述べていることだが、この本を読む中で、人間の性格というものを考えざるを得なかった。この人はある性格を背負っていてその性格が指し示す方向に沿って生きてきたのではないだろうか。物事の本質を見抜こうとして知識や情報を蓄積することを好む。分析力や洞察力に優れている。もの静かで冷静沈着。一人の時間を大切にする。わずらわしい人間関係は最小限にしたい。静かで知的な印象。集団の中では傍観者になる。周囲を常に観察して本質をつかむ。この著者はこういうようなある類型の性格を持っていると思う。このタイプは考えすぎて実際の行動をしなくなる傾向があるため、そこから逃れるために意識して実体験を重ねていくことが必要だといわれている。自分の内面に閉じこもりがちになるから、他者とのつながりを持つ中から多くの気づきを得る。このタイプにたいして有効なアドバイスは、「人は孤独ではない。愛の絆で結ばれている」「自己嫌悪に苦しんでいても、生きている価値がある」「「人間は一人で生まれて一人で死んでゆく。でも一人では生きていけない」などである。さて、こういうことを考えた上で、著者の言葉を拾ってみよう。・私が「心」をドイツに持っていった最大の理由は、この小説が「人と人とのつながり」というものについて、多くのことを語ってくれているからでした。・誰もが自分の城を頑強にして、塀も高くしていけば、自分というものが立てられると思うのではないでしょうか。・人とのつながりの中でしか、「私」というものはありえないのです。・自我に目覚めてからは内省的で人見知りをする人間になってしまいました。・自我の悩みの底を「まじめ」に掘って、掘って、堀り進んでいけば、その先にある、他者と出会える場所までたどり着けると思うのです。・貪欲に知の最先端を走ってみることです。、、、身体感覚を通した知のあり方にまで押し広げてはどうかと考えています。・私は「なぜ働かねばならないのか」という答えは、「他者からのアテンション」そして「他者へのアテンション」だと言いたいと思います。人と人とのつながりを強調するのは、この性格タイプがいい状態になっ時の特徴であるし、「誰もが自分の城を頑強に、、」というイメージはこの性格タイプ特有の考え方でもある。誰もが、という言葉は適切ではなく、あるタイプの誰もが、なら納得できる言葉だ。内省的で人見知りするこのタイプは生きにくい。だからしつこく考え抜いていくことになるのだろう。また、このタイプはいい状態であれば、強い人格に憧れるということがある。本にも出てくるが岡本太郎のような強い人物に関心を持つ。そして岡本太郎に代表される人たちは頭より体が勝つタイプだ。だから著者のようなあるレベルを超えた人は逆に、体に興味を持つのである。実生活とは正反対の役を演じたいというのはその現れであるし、映画をプロデュースしたというのは強いリーダーとしてまとめていきたいということだろう。ハーレーダビッドソンで飛ばすというのは、身体感覚への強烈な信仰と理解できる。要するに、性格というものが脳に与える影響が極めて大きいということになる。性格という基本ソフト(OS)の中で私たちは動いているといえる。「他人とは浅く無難につながり、できるだけリスクを抱え込まないようにする、世の中で起きていることにはあまりとらわれず、何事もこだわりのないように行動する、そんな「要領のいい」若さは、情念のようなものがあらかじめ切り落とされた、あるいは最初から脱色されている青春ではないでしょうか」と著者は言う。こういう読者にこの本は共感をもって受け入れらているのだと思う。人生論にはいろいろなタイプがある。それぞれいいことを言っているのだが、実は自分の性格に沿って弱い面を克服する方法を述べていると見ることができると思う。だからどの本も同じタイプの人にされる支持されて一定程度売れるのだろう。
2008/07/21
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世界的植物学者・牧野富太郎博士(1862年ー1957年)については、子供のころ伝記を読んだ記憶がかすかにある。学校に行かずに植物学を極めた大変偉い人という印象を持っていた。この名前は、朝倉文夫、昭和天皇などの記念館で何度か目にしたていたから、遅かれ早かれ訪問する予定だった。牧野富太郎が65歳で移り住んで天寿を全うするまで32年間にわたって研究を続けた自宅は、西武池袋線大泉学園駅から徒歩5分の地にあった。今は牧野記念庭園となっており、2189へーべの広さで、340種類の草木類が植栽されている。暑い日だったが、この庭園の木陰に入ると実に涼しい。保存するために鞘堂に収められている書斎と書庫は8畳間と4畳間である。シーボルトの弟子であった伊藤圭介(1803-1901年)の命名した「よう條書屋」と名付けられた書斎で、牧野は一日中過ごし万巻の書を読みふけった。うず高く積まれた書物の間で本を読み調べものをする晩年の写真が飾ってある。その上に「学問は底の知れざる技芸也」という牧野の座右の銘と思しき言葉が木片に書かれていている。となりの資料記念館陳列室では博士が探し求めた植物の押葉や竹の標本、植物に関する書物、そして博士愛用の日常品が展示されている。流れているビデオの映像を見ていると、逝去のときの新聞記事があり、「牧野博士 ついに死去す」とあった。「ついに」とはどういう意味だろうか。あの熱心研究に没頭していた博士がとうとうというような愛を感じるがどうだろう。この地は日本の植物学の聖地である。博士は小学校を1年生で辞めている。後は独学で植物学を学び、ついに世界的学者になった。日本や世界中から集めた標本は比較する必要があるため、常に新しい文献が必要であり、東京に出た牧野は一番充実している東大に出入りする。そして「日本植物志図篇」という雑誌を創刊している。このとき牧野は26歳だった。「日本の植物を、日本人の手で研究した成果を外国に知らしめる」ことが発刊の趣旨だった。その後、東大の助手、そして50歳を過ぎて講師になり、大学で自由に研究ができる環境を得る。77歳のときには「書斎を離れるのは食事の時と寝る時だけで、私は早朝から深夜1時過ぎまで本の中で生活している。書斎に居る時が一番生き甲斐を感じる」と述べている。まさに植物の研究に没頭した人生だった。博士は生涯において1600種類以上の新種を命名している。これはリンネに次ぐ業績である。「花在ればこそ 吾も在り」「楽しさや押し葉を庭の木で作り」「我が庭に咲きしフヨウの花見れば老いの心も若やぎにけり」。「植物に親しむことは、生命を愛する心を養う」と博士は言ったが、「私は草木の精である」という極めつけの言葉も残している。ここまで来ると何も言うことはない。ただうらやましく、そして尊敬するだけだ。
2008/07/20
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板橋区蓮根の商店街に「植村冒険館」という目立つ横断幕が見える。そこが数々の冒険を成功させた植村直己(1941年ー1984年)の記念館だった。梅村は兵庫県の出身だが板橋区には1984年に43歳で遭難する案で15年間をこの板橋区に住んでいた。思ったよりも立派なビルで、一階は「冒険図書館」」で冒険・探検・登山・アウトドアに関する図書が5000冊収容されている。「山と渓谷」、「岳人」など大学で探検部にいた私には懐かしい雑誌が並んでおり充実している。「ウエムラ・スピリット」を長く世に伝えるために1992年に設立された財団法人が母体となった記念館である。日本エベレスト登頂隊第一次アタック隊委員(29歳)、グリーンランド3000キロの単独犬ゾリ踏破(32歳)、北極圏1万2千キロ単独犬ゾリ旅達成(35歳)、北極点単独犬ゾリ行到達(37歳)、グリーンランド縦断単独犬ゾリ行達成(37歳)、そして世界五大陸最高峰登頂(エベレスト・モンブラン・キリマンジェロ・アコンカグア・マッキンリー)を世界最初に達成するなどその冒険人生は人々の記憶に深く残っている。植村は意外に小柄である。162センチ、66キロ。ドングリと渾名されたようにずんぐりした体型で、19歳のときの明治大学農学部(山岳部)の写真をみるとやさしい顔立ちの普通の青年だ。2階の展示室にいたる階段に植村の歴史年表と新聞記事が掲載されている。その中に興味深い朝日新聞の記事(2000.04.30)を見つけた。「この1000年「日本の大冒険・探検家」読者人気投票」という企画である。10位・川口えん海、9位:猿岩石、8位:白瀬のぶ、7位:間宮林蔵、6位:ジョン万次郎、5位:堀江謙一、4位:最上徳内、3位:毛利衛、2位;伊能忠敬、そして1位は梅村直己である。ほかにも野口健は17位、三浦雄一郎は19位、今井通子は12位、和泉雅子は14位、椎名誠は20位と、このランキングは当時の話題の人物が数多く登場しているが、それにしても植村はトップの評価を得ている。この新聞には「快挙連発した普通の人」として梅村を紹介している。植村はインタビューに答えて、「冒険かとか探検家ではなく、放浪家」と自分を定義していた。偉大な冒険家・梅村直己を記念した「植村冒険賞」が制定されており、ミャンマー最高峰登頂の尾崎隆一、ヨットマンの米子昭男、グレートジャーニー(東アフリカで発生した人類が南米に拡散した歴史を逆コースで踏破し続けている)の関野吉晴、北極海単独徒歩横断や南極大陸徒歩横断の大場満郎などが受賞している。2階の展示室では、最初に愛用のカメラが置いてある。ニコンF2チタン/ウエムラスペシャル。極限状況で使うカメラでありニコンと植村の双方の工夫が凝らされている。空回り防止、凍傷を避けるためのストラップ金具をはずす、フィルム切断防止のためのカウンターの色への配慮、チタンボディ、特殊耐寒オイル、低温時のシャッター速度の最適化、バネの強化などさまざまの工夫のあとがあり、厳しい条件下の冒険であることを感じさせる。これだけの冒険かでありながら、「人より怖がりですね。高所恐怖症」と意外な言葉が映像中から聞こえてくる。犬との会話など実に人間味のある言葉と表情だ。日本人としてのエベレスト初登頂時に先輩の相棒に先を譲ろうとした、他の隊員のために石を持って帰った、エピソード極限の中で仲間を思いやる人間性を表すエピソードなども「人間梅村」を髣髴とさせる。素朴で人懐っこい性格が多くの協力者を生みそれぞれおプロジェクトを成功させたのである。植村が使ったテント、犬ゾリ用のキャンバスバック(貴重品を入れる)には「いつも貴方といっしょ(公子)」という文字があった。公子は結婚後常に家を留守にした梅村の奥さんである。カメラマンから展示物を見ている姿の写真を撮られる。今日7月19日から「達成30周年 植村直己、北極点に立つ」という企画展示が始まったということで、その記録だそうだ。こうい冒険行には億単位の膨大な資金が必要である。梅村は応援者やスポンサーを求めて常に金集めにも奔走しなくてはならなかった。また帰ってくると毎日が借金返済のための講演会の連続だった。こあたりは南極探検の白瀬中尉にも通じる。浮世の中で金集めも含めた大プロジェクト遂行の能力と努力も必要なのである。植村が生涯の師と仰いだ西堀栄三郎(南極探検隊隊長)は、「君の成功は全く「君が人に好かれる男」であったことのたまものであると感じた」と語っている。葬儀で詩人の草野心平が自作の詩を朗読している。草野心平記念館で友人の植村が冒険行で持って帰ったおみやげの石が展示されていたことを思い出した。植村と草野の組み合わせを意外に思った。植村は詩人に贈られる歴程賞を詩人以外で初めてもらっている。「梅村氏は未知の世界の追求、探検において、ポエジーの本質に通じる絶対的精神を示している」が受賞理由だった。植村の行動自身が優れた詩であったという評価だろう。この賞の贈呈は草野心平の仕事だったに違いない。植村の有名人との対談集「植村直己、挑戦を語る」(文芸春秋)を読んだが、掛け合いが面白い。石原慎太郎は植村の年を聞いて「三十五!ほー、あんがい年齢(とし)だな。」、五木寛之「ほう、植村さん意外に小柄なんだな」、伊丹十三「ずいぶん小さくて、ほっそりしていますネ」、遠藤周作は銀座のレストランに遅れて現れて「ちょっと道に迷いまして」という植村に「北極より銀座のほうが難しいでしょうな」と答えているのが愉快だ。北海道の帯広に野外学校をつくり移り住む予定だったが、その直前に世を去った梅村直己。もう何もすることがなくなったから消えていったのではないかとも思わせる死であった。いくつかの本を買って読みながら帰ったが、植村の印象に残る言葉を挙げておきたい。・私の行為を自然への挑戦と言う人もいるが、私は調和する努力をしているのだと思っている。・命をかけるからにはやはりやりがいのある、言葉を換えれば人のまだやっていない、二番せんじでないことをやり続けたい・私は精神的に弱いので、逆にそれを人にさらけ出して、どうしてもやらざるを得ない状況に自分を追い込んでゆくのである。・敢えて動機を探ってみると、意識して行動するというより、やっているうちにこういうふうになってしまったというほうが現実です。
2008/07/19
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ビジネスマンとして本業の仕事以外の世界を持とうと考え、30歳でNPO法人知的生産の技術研究会(http://tiken.org/)に入会して以来、本の出版にずっと関わるという幸運に恵まれてきた。初めての共著は32歳の時の「自分学のための知的生産術」(TBSブリタニカ)で表紙に小さく名前を載せてもらって嬉しかった。40歳になって初めて「コミュニケーションのための図解の技術」(日本実業出版社)という単著を書き、これが話題になった。当時はつとめていた大企業で広報課長に昇進したばかりだったから、本業以外であまり話題にならないように気を遣っていた。最初の単著が縁で47歳で大学教員に転身したが、しばらくは学内業務に多忙で本をあまり書けなかった。52歳の時に出した「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)がベストセラーになり、それ以来さまざまの出版社の要望に応じて本を出しまくってきた。以上が私の出版に関する四半世紀の簡単な歴史である。分野別にみると、独自の領域である「図解コミュニケーション」に関する分野(http://www.hisatune.net/html/03-kouken/ichiran.htm)が中心だが、ここ数年は若いビジネスマンを励ます本の執筆依頼が多く企業の管理職経験者としての仕事論を語ってきた。また、ライフワークとなりつつある「人物記念館の旅」を題材とした本の準備も進んでおり、今年からこの新しい分野の本も出ていく予定だ。量的には、ビジネスマン時代には執筆を始めて以来の15年間で14冊、宮城大学時代は11年間で63冊、そして多摩大学時代は今年からだがすでに2冊となって計79冊となっている。http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/index.htm昨年から仕込んできた企画が今年の後半から形になってかなりの量出てくる予定だが、まず来週末に若いビジネスマン向けの本が一冊並ぶ予定である。廣済堂出版から初めて出す単行本で、タイトルは「仕事は『日曜の夜』から始めなさい!」。http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9B%9C%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84-%E4%B9%85%E6%81%92-%E5%95%93%E4%B8%80/dp/4331513297/ref=sr_1_17?ie=UTF8&s=books&qid=1216421224&sr=8-17この本で累積80冊となる。「塵も積もれば山となる」ということわざを思い出している。
2008/07/18
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マージナルマン(境界人)。狭間を生きる。パフォーマンスと評価。真剣、本気で。部品人生、消耗人生を拒絶する力。被害者という意識ではダメ。生きるために切り売りする仕事と自分を高めていく仕事のバランスの設計。収入と誇りの一致。地政学知と語学力を両方兼ね備えた人材。国際問題は常識に帰る(米軍駐留など)。アメリカと中国とのバランスの良い付き合い方。自立を目指す人間と国家。人の縁。産学官の磁場。------------------------------------------16時から行われる大学の重要会議の前に、多摩大の1・2年生10人による寺島実郎さん(多摩大リレー講座監修者)へのインタビューが品川キャンパスで行われた。私の関係する学生も3人ほど(宮城和也、阿部剛平、北辻巧太郎)がメンバーとなっていたので顔をだしてみた。一時間のインタビューの間に学生たちから出た質問(多摩大との縁、どのような学生時代を送ったのか、日本の進路、ワーキングプア問題など)に対する寺島さんの回答のキーワードを上に記した。このインタビューはNHKのラジオ番組アナウンサーだった木村知義客員教授の番組製作の授業から始まったもので、当日の司会者は寺島インタビューの言いだしっぺの清水君が担当した。教員は諸橋学部長と私が出席。故郷沖縄の活性化を目指す人、ミュージシャン志望者、消防士に興味、植木屋を継ぐ予定者、青森県三沢出身者、何か面白いことをやりたい人、、、。臆することなく自分の考えをストレートに述べることができる気落ちのいい若者たちであり、寺島さんも気に入ったようで、こういう会合を定期的に持とうということになった。
2008/07/17
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今回で7回目を迎えた日総研フォーラム。パネリストは東大のカンサンジュン教授。ファイナンス専門家で弁護士のアーサーミッチェル氏、そしてコーディネータは日本総研の寺島実郎会長。韓国、米国の視点を交えてアジア太平洋への新しい視界を語るフォーラム。東銀座の時事通信ホール。多摩大学の私のゼミ生も4人が聴講。--------------------------------------------------------アーサー・M・ミッチェル:日本はアジア随一の法治国家。グローバリゼーションの引き起こした問題について、新しいルールづくりに参加すべきだ。カン・サンジュン:北東アジア外交はなかった。その結果が北朝鮮問題。東アジアに対しビジョンを提起しかかわっていくべきだ。寺島:世界の無極化、全員参加型秩序の中、技術力で農業を再生するなど国造りの方向転換を図らねばならない。ミッチェル:法治国家モデル、これを輸出せよ。カン:最先端技術よりも生きるための技術である「中間技術」が日本の生きる道。6者協議の場で安全保障のメカニズムをつくれ。寺島:低炭素社会への対応策としてのシステム化された農業。新しいルールづくりに果たすべき役割。多国間安保フォーラムの形成を粘り強く。寺島総括講演・アジアダイナミズム:今年日本のGDPに並ぶ大中華圏。大ロシア主義でセンターラインに復帰しつつあるロシア。シーア派イランを中心とする中東の巨大なシーア派ゾーン。李インド。そして中国・ロシアを中心にこれらの国々がさまざまな形で参加する枠組みとしての上海協力機構の存在。・脱亜論と大アジア主義との間をバイオリズムのように揺れ続けてきた日本。アメリカをアジアで孤立させないためのバランス感覚。日米中トライアングル時代の認識、日本は米中の連携のもとで孤立してきた。アメリカを通じてしか世界を見ない日本というトラウマの克服。・日本の役割:アメリカをアジアで孤立させない役割(英国のように)。中国を国際社会に責任ある形で招き入れる役割。アジア太平洋に関する情報の全体知のプラットフォームとしてのアジア太平洋研究所構想(ネットワーク型・中立型・経済力にふさわしい情報力)。・アジア太平洋研究所構想。大阪駅北ヤード。エネルギー・環境・金融・交通交易・産業。関西財界プロジェクト(アジア太平洋研究所推進協議会の会長は下妻住金会長・寺島は議長。3年間でフィージビリティ・スタディ2011年春まで)----------------------------------------------------------ミッチェル氏。1947年生まれのアメリカの弁護士。1961年中学生のときに日本へ。1967年カリフォルニア大学バークレー校。日本のICUに留学。1970年大平総理の書生。ハーバードロースクール。京大法学部に留学。1975年日本人女性と結婚。2002年マニラのアジア開発銀行法務担当役員。2007年東京で弁護士。多様なものの見方ができる日本ウオッチャー。カンサンジュン氏。1950年生まれ。論壇にで異彩を放つ存在感の持ち主。早大大学院政治学研究科博士課程修了。東大大学院情報学環教授。近著「日朝関係の克服--なぜ国交正常化交渉が必要なのか」、「悩む力」(共に集英社新書)。-----------------------------------------今回のフォーラムは主催は(財)日本総合研究所だが、共催はアジア太平洋研究所推進協議会で関係企業の方も多かった。協賛は、全日空・TSUNAMIネットワークパートナーズ。NPO法人日本不動産カウンセラー協会、三井物産戦略研究所。後援は、岩波書店、共同通信社、ジャパンエフエムネットワーク、多摩大学、中日新聞、東京新聞、BS朝日、フォーブス日本版など。今回のフォーラムの狙い、寺島さんのネットワーク、メディアでの露出などがよくわかる布陣である。
2008/07/16
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話題の映画「クライマーズ・ハイ」を観た。横山秀夫(1957年生まれ)が書いた単行本を数年前読んだことがある。横山は御巣鷹山のある群馬県の地方紙「上毛新聞」の記者だった20代の最後の時代に日航機墜落事故に遭遇している。その時の経験を小説にしたてた作品である。タイトルの「クライマーズ・ハイ」は、登山時に興奮状態が極限まで達し、恐怖心が麻痺してしまう状態をいう。異常に興奮して、恐怖心が麻痺する。この興奮状態が解けたとき、溜め込んだ恐怖心が一気に噴き出して、一歩も動けなくなる。体中の筋肉が強張って、動くという意思決定を拒絶する。これがクライマーズ・ハイといわれる現象である。北関東新聞の日航全権・悠木(39)は、事故原因特定の大のスクープを出すか、出さないかの判断を迫られる。100%間違いないとは言い切れない状況で、「チェック、ダブルチェック」という言葉が頭をよぎる。そしてそれまでの戦う姿勢から一転して勝負をかけないという判断をする。ここが一番の勝負時なのに、悠木はひるみ、世紀のスクープを手にできなかった。どうして勝ち戦の局面で勝負をかけなかかったのだろうと不思議に思ったが、これがクライマーズ・ハイが解けたときだったのだ。異常な興奮状態がふっと消え、恐怖心が噴き出してきて判断を誤らせたのだ。主人公の悠木は39歳という年齢の設定である。当時日航の客室本部にいた私は35歳だったが、客室本部の事故対策本部担当としてさまざまな事件に遭遇していた記憶がある。乗客はもちろんだが、客室乗務員の殉職にあたってのエピソードが毎日入ってきていた。8月12日までの私の仕事は労務であり、組合との折衝が中心だったが、この事故で交渉するテーマが吹っ飛んでしまった。事故の当事者だった遺族やわれわれだけでなく、メディアも、自衛隊も、官庁も、村役場も、それぞれが暑い夏をたたかったのだ。日航機事故が題材ではあるが、原作は新聞社を舞台にした企業小説でもある。部署のせめぎあい、トップのいやらしさ、仕事に対する取り組みなどがリアリティをもって描かれていた。堤信一、堺雅人、山崎努、遠藤憲一、でんでん、などの演技が光っていた。映画では、死んだ親友の息子と二人の登攀と疾風怒濤の8月の数日が重なり合いながら進行していく。仕事と家族についても考えさせる作品に仕上がっていて、静かな涙も湧いてくる。1949年生まれの原田真人監督(脚本も)は、運命というものを考えさせる小説を脚本の段階から力を入れて書いてきた。主人公の堤真一と堺雅人のぶつかりあいを軸に物語を展開させていく。その狙いは当ったと思う。
2008/07/15
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有楽町の東京会館で行われた日本ペンクラブの7月例会に初めて出席した。定刻の17時半前に会場のエレベータに乗るとちょうど小中陽太郎先生(日本ペンクラブ理事)と一緒になった。先立って行われた理事会で私の入会申請が認められたことを知らされた。ある偶然から入会することになったが、推薦者は小中先生と八木哲郎さんである。会場に入ると、阿刀田高会長、浅田次郎専務理事などに紹介される。旧知の野村正樹さんにもご挨拶。100人ほどのメンバーで一家をなしている方が多いように見受ける。入会審査で小中先生が少し遅れたので代わりに説明をしていただいたという吉岡忍理事にお礼のご挨拶。NPO知研でもう20年以上前に講演をしていただいた方だが、「覚えていますよ」と言われた。毎回、冒頭の30分間は講演などがあるが、本日は講談師の神田松鯉さんの一席だった。神田派の宗家二代目神田伯山の隠居名の三代目を襲名した人物で日本講談協会の会長だである。出し物は有名な怪談のさわりだった。野太いだみ声で語りだすと会場はシーンとして音もなく聴き入った。神田さんの冒頭の説明によると、落語家は500人、浪曲師は200人、そして講釈師は47人で赤穂浪士の数と同じだそうだ。そのあと例会に移る。最初のご挨拶は阿刀田高会長。クリエイティブの重要性を説き、物まねはだめだという短い挨拶だった。乾杯は浅田次郎専務理事。そのあと、新入会員や初めて出席した会員の紹介があった。私はまだ入会金や年会費を払っていないので次回ということになるらしい。愛川欣也さん、松本幸四郎さんらが紹介された。染五郎という名前から伝統のある名跡を継いだ松本幸四郎さんは、舞台では台詞のないときが難しい、それが間であり、文章でも同じではないか、という短いが聞かせる文章論を述べた。スマートな挨拶だった。司会によると、松たか子さんも会員で親子会員だそうだ。また新田次郎、藤原てい、藤原正彦夫妻、その子供など三代にわたっての会員もいるとか。後は立食パーティ。野村正樹さんを見つけて情報を仕入れる。どのような人がメンバーなのか、例会の様子、日程、、、、。日本ペンクラブは3つの分野があり、どれかに登録する。ペンクラブの「PEN」は、ポエト(詩人)、プレイライト(劇作家)のP、エディター(編集者)、エッセイスト(評論家)のE、ノベリスト(小説家)のNを合わせたP.E.N.を表しているが、私はEのグループに入れてもらった。あとでホームページを開いて、会員ホームページ一覧を覗く。よく知っている名前が並んでいる。阿木曜子、天木直人、新井満、池田理代子、井沢元彦、伊集院静、井上ひさし、猪瀬直樹、江川詔子、紀田潤一郎、小中陽太郎、志茂田影樹、高野悦子、武田哲夫、立川談四楼、立松和平、俵万智、俵萌子、つかこうへい、筒井康隆、ドクター中松、中谷彰宏、中村桂子、西垣通、西木正明、野村正樹、林望、日垣隆、福島瑞穂、三田誠広、宮本輝、森村誠一など。世界が広がりそうで楽しみだが、私自身の書くものにも影響が出てくるかもしれない。(写真は浅田次郎さんの乾杯のあいさつ風景)1時間ほどいてそのまま赤坂の永楽倶楽部へ。NPO法人知研の新入会員との懇談会。医薬品会社の事業開発担当の稲がきさん、化学会社の労組書記長の大村さん、多摩図書館長の鈴木さん、骨伝導スピーカーなどのベンチャー経営の小坂さん、翻訳・通訳の遠藤さん、そして古い会員でBMネットワークの高橋さん、、秋田事務局長、八木会長と私でなかなか充実した楽しい会となった。21時半頃に私は引き揚げたが、他のメンバーは帰る気配がなく話し込んでいたが、いつまでやっていたのだろうか。
2008/07/14
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机の上に本が10冊ほど積みあがっている。ここ5-6年ほどはあまり本を読まなかった。本を書くのに忙しかったからだ。若いころ作家や学者、エッセイストなどの書斎を仲間と一緒に訪ねて取材し、それを本にしてたことがある。小室直樹さんにお気に入りのテレビ番組を聞いたとき「テレビは見ない。テレビというのは見るものでなく、出るものだ」との回答に驚いたことがある。ややそれに近いかもしれない。本を書くことを目的とした読書は続けざるを得ないが、これからは楽しみとしての読書にも時間を割いていきたいと思っている。しかしまだ読書計画を立てるまでには至っていない。机上の本を並べてみる。「奇縁まんだら」(瀬戸内寂聴、画・横尾忠則。日本経済新聞出版社)「山本五十六の大罪」(中川八洋。弓立社)「中国沈没」(沈才彬。三笠書房)「RURIKO」(林真理子。角川書店)「敗者復活戦」(高任和夫。講談社)「あなたも作家になれる」(高橋一清。KKベストセラーズ)「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日」(北野幸伯。草思社)「四百字十一枚」(坪内祐三。みすず書房)「日本の名著 二宮尊徳」(中央公論社)「僕は人生についてこんなふうに考えている」(浅田次郎。海竜社)芥川賞・直木賞の裏方を長くつとめた文芸春秋社の名編集長の手になる「あなたも作家になれる」(高橋一清)は、読みものとして実に面白いが、編集者の仕事の中身を垣間見ることができる。「(文芸)編集者が行う仕掛け技というのは、思想革命に近いかもしれないと思う時がある。誰ひとりその可能性を知らない無名の人の、何かの片鱗に触れて、この人には時代を先取りした何かがあると信じ、信じた自分を励まし、当人も励ましながら一つ一つの作品を大事に仕上げて、読者に渡していくこと、もしも編集者の喜びを一つあげるとしたら、私はそう答えるだろう。」この本全体や、この文章を読んでいて、ある編集者を想い出した。この人は私を世に出してくれた人だが、今は定年でなおかつ体を壊しているので、仕事はできない。この人には短い期間だったが意図的に育てられたという感慨がある。もっと早くから出会い、もっと長い時間を一緒に過ごしたかったが、今にして思えば運命の編集者との出会いだったのかもしれない。この本を読みながらそう思った。
2008/07/13
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問題は「数字センス」で8割解決する会計の本は読んだことがないが、NPO法人知的生産の技術研究会の会合で最近会うようになった30代半ばの若い公認会計士の望月実さんから著書をいただいたので読んでみた。「問 題は『数字センス』で8割解決する」(技術評論社)という本で、オビには「数字のプロ・公認会計士ならではの、数字を味方にして問題を解決する力が誰でも 身につく」、「数字から問題を発見し、数字をベースに解決策を考え、数字を使って相手の納得を勝ち取る」、「読む、考える、伝える」3つの力で数字を仲良 くなるのがキャリアアップの近道!」とある。著者のスタンスは会計を学ぶというより、問題解決のために道具としての数字を学ぼうということだ。第1章は、数字を「読む」力をつける。第2章は、数字で「考える」力をつける、第3章は、数字で「伝える」力をつけるという三部構成だになっている。「社 会人に求められるのは『現実世界の問題を解く力』です。」「問題を見つけるために大切なのは、現実を正しく見るということです。とはいえ、現実世界は複雑 な要素によって構成されているため、なかなか本当の姿は見えてきません。そこで、数字を使って違う角度から見てみると今まで気づかなかったことが見えてき ます。」というのが著者の主張である。具体例をもとにやさしく流れるように解説していくので読みやすく、短い時間で読み終えるこ とができた。フロー、テストマーケッティング、そしてスケジューリングやプレゼンのコツなどがなどがわかりやすく書いてある。こういう書き方なら若いビジ ネスマンも抵抗なくこういった世界に入っていくことができると思った。最近、若い会計士たちの書く本がよく売れているらしいが、彼らは同じように説明力に 優れているのだろうと推察する。この本のユニークさは、「読む」「考える」「伝える」というように構成したことだ。知的生産や仕 事については「読み、考え、書く」という流れや「理解、企画、伝達」という流れがあると思うが、これを著者は「数字」という武器で解いていこうとしてい る。仕事という問題解決の山を数字というルートから登ろうするのが著者の志である。確かに「数字」には現実の姿を一気に理解させ る力がある。30歳を過ぎたころ会社全体の中で問題部門と言われていた大きな組織に配属されたことがある。複雑怪奇で魔物のような組織の実態はなかなかつ かめず、群盲象をなでる状況だった。そのときに「データに見る○〇」という私家版のメディアを勝手に発行したことがある。仕事でまわってくる数字、組合の 出す情宣物の中の数字、など日常目につく数字をベースに部門を見ていこうという考えだったが、常に新しい視点や切り口や、そして解決策を提示できたと思 う。数字を用いて、現実を読み、問題解決策を考え、それを同僚に伝えて、全員で実行していく、こういうことだったから、著者のいう「数字センス」の意味は よく理解できる。独自の視点を持ち、信じる武器を用いて「仕事」を論じるのがビジネス書であるといってもよいと思うが、現実世界 を読み、それをもとに自ら考え、解決策を上手に伝えて、実行していく、そういう流れは同じだから、読者はそれぞれの著者の体系や世界から自分に役に立つヒ ントやコツを手にすることができる。そしてその中核は「考える」というところにある。性能の高い武器を持ち、その武器で独自の考えを育み、ゆるぎない世界を持つことが一番大切なことだが、その上で自らの体系をさらに進化させるためにも「数字」に関心を持つことが必要である。問題は「数字センス」で8割解決する
2008/07/12
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今年4月から始まった多摩大学「現代世界解析講座」(寺島実郎監修)も、10日で全12回が終了した。監修者の寺島さんの「前期リレー講座の総括と問題意識の確認」が12日にあった。この講座は経営情報学部の1年生は必修なのだが、社会人にも開放したところ、250名以上の方が受講された。全12回皆勤者は105名だったというからこの熱心さは大したものである。秋学期も継続するが、ラインナップの一部の発表があった。イスラム学の山内昌之東大教授、ロシア大使だった都甲岳洋氏、榊原英資早稲田大学インド研究所長、JT生命誌研究館の中村桂子館長、評論家の佐高信氏、同志社大学の橘木俊詔教授らと寺島本人が数回ということになる。秋も楽しみな布陣である。前回の寺島さんの講義は5月29日だったから一か月たったが、この間6月の上旬には欧州、下旬には米国東海岸を寺島さんはまわっている。世界の主要地点で潮流を定点観測しているのだ。アメリカの疲弊、求心力の衰退、アメリカなる仕組みの姿、、。21世紀最初の7年半で、9.11以降の米軍兵士の死者はイラク4112人、アフガニスタン533人で計4645人。この期間でドルは対ユーロで7割りの価値の下落、01年8月に27.25ドルだった原油は140ドルを超えるなどエネルギー価格が高騰。以上、世界は無極化、全員参加型秩序へと向いつつある。洞爺湖サミットは自国中心主義のブッシュ政権8年へのFAREWELLサミットだった。G8最後のサミットか。何も決められないG8。日本の食糧自給率39%は先進国では異常に低い数字(英74%、独86%、米100%以上、仏200%)、第一次就業者率4%であり、輸送エネルギー、農地によるCO2吸収、地方疲弊の原因などからも自給率の向上が必要だ。株式会社型農業というシステムとしての農業と団塊世代の生き方のマッチング。都心回帰と田舎願望は農業で満たす。日本はエネルギーと食糧で26.3兆の輸入。自動車・電子部品・鉄鋼などの主力製品で26兆の輸出。これらの産業でエネリギーと食糧を買っているという構造。エネリギーと食糧の価格が倍になったら?生真面目なおろかさという日本人の病。構造的に立ち向かわなければならない。ボーダーレスな問題には国別割り当てのような方法ではなく国際連帯税構想(53カ国が参加)のような新しい仕組みが必要だ。日本でも50名の議員連盟が発足。北朝鮮の拉致問題などはハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴えて、それ以外の問題の解決にあたるべき。目の前の現象にコマネズミのように動き回、個別問題の中でストラグルするのではなく、全体知が必要。そのためには情報基盤がいる。IAEA(国際原子力機関)の核査察予算の3割は日本のために使っていることからわかるように、世界は日本の核装備を疑っている。蓄積してきた平和利用技術という基盤をもとに発言していかねばならない。原子力のCO2排出は石炭の40分の1、石油の30分の1、LNGの20分の1だが、事故があったらとんでもないことになる。55基ある原発は20年で老朽化。隠れキリシタンのようにしている原子力工業の専門家も育成する必要がある。原子力は一次エネルギーの15%、電力の30%程度という絶妙のバランスに持っていくべき。終了後、寺島さんは自民党の古賀と谷垣両派の合同研修会のため箱根に向かった。始まる前の雑談で聞いたが、小沢一郎の一心会、山崎派研修会、鳩山由起夫・邦夫の兄弟の会などでも講演をすることになっているという。
2008/07/11
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平成元年前後に、日経連社内報センターの委員をつとめていたことがある。ここでいろいろな業界や企業の人たちと付き合いがあった。社内報コンクールの審査員をしたり(夏休みを数日つぶして応募社内報を仔細に評価)、札幌ビールの工場見学をしたり、新日鉄の施設での忘年会に参加したりした思い出がある。この当時のメンバーの集まりがあり、私にも声がかかった。きっかけは私のメルマガを幹事の方が読んでいて、東京に来たのであれば誘おうということになったようだ。場所は有楽町のライオンビル。もう随分と前なのだが、顔を見ると思い出す人が多かった。18名ほどの半分ほどは記憶にある人だ。企業名と名前をパッケージで覚えている人も数人いた。ほとんどの方が私より年上だったから、すでに定年でを迎えた人が多い。企業名が合併などで変わったりしているが、当時の会社名を用いて本人が語った近況のキーワードのみ記す。第一勧銀の中沢さん。シアトル。川鉄商事の阿南さん。山登り三菱商事の小林さん。ビデオ社内報の草分け。秩父三十四観音巡りを満願。日本国際政治学会で活動。田島ルーフィングの安藤さん。会社より社内報が有名だった。いつも賞をとっていた記憶がある。日商岩井の馬淵さん。NIライフ、トレードピア、「英語は度胸」(20万部超)、企業出版で30冊以上。東京ガスの柴田さん。小平のガスミュージアム。野外コンサート、映画撮影。ソニーの高橋さん。創業者。国際教育交流協会(三木睦子)で海外で500人。日本へ70人。ホストファミリー不足。日本鋼管の大木さん。無宗教の葬儀。新しい働き方研究会、シニア社会学学会。川越。象印マホービンの明石さん。歩こう会。南越谷阿波踊りで阿呆になる会。8月23日。パイオニアの黒板さん。佐伯孝夫の歌詞。有楽町で逢いましょう。現場尾。リクルートの福西七恵さん。26年間の社内報。会社11年目。月刊「総務」、出版機能も。「情報は一冊のノートにまとめなさい」25万部。伊藤忠石油の神田さん。甲南大学。東京ガスの渡辺さん。ホームページ。スケッチ教室。絵を描く。毎月の個展。東芝の赤松さん。CSR推進室。グローバリゼーション。野村証券の岩田さん。水彩画、パステル画。アイワの松沼さん。27年間の社内報センター千代田生命の川崎さん。当会の幹事。HP、メルマガ。18時から21時までたっぷりと皆さんの近況が聞けた。
2008/07/10
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ビジネスマンが仕事をしながら一年間で何冊本を読めるだろうか。週2冊のペースで100冊読む人ならかなりの読書家といえるだろう。「泣いて笑ってホッとして」(メディア・ポート)の著者の浅沼ヒロシさんは、このペースで書評ブログを3年以上にわたって書き続けてきて、それが編集者の目にとまり一冊の本に結実した。600字というコンパクトな内容の紹介、小さい文字、中くらいの文字、大きな文字という3種類の文字を用いてその本のキモとなる言葉を選ぶ手法、2行でその本の本質を表す歯切れの良い言葉、そして各章の命名「笑っちゃう!」「泣いちゃう・・・かも」「ホッとするなあ」「へえー、そうなんだあ」などもよく考え抜かれていて、楽しく優れた本に仕上がっている。浅沼さんはブログという手段を手にして書評を続けていくことによって、高野登、林文子、北野幸伯、吉岡英幸、松山真之介、久米信行、などの著者と知り合っていく。表現は力だということがよくわかる。世界がひろがる面白さを浅沼さんは知った、後は一直線にこの「ブログ書評道」をまっしぐらに進んでいくことだろう。「メール道」の久米信行、「早朝起業」の松山真之介、「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」の高野登、「音の雲」の富田勲、「父生術」の藤原和博、「どうもいたしません」の壇ふみ、「それでいいのか蕎麦打ち男」の残間理江子、「本がなくて生きてはいける」の岸本葉子、「生きる意味」の上田紀行、「「白洲次郎 占領を背負った男」の北康利、「無名」の沢木耕太郎、「かもめ食堂」の群ようこ、「踊る大捜査線に学ぶ組織論入門」の金井先生、など知り合いだったり、友人だったり、会っていたり、インターネットの世界で知り合っていたり、書評に取り上げてもらったり、食事をしたり、一緒に旅行したり、飲み仲間だったり、などの人がたくさんいた。これもビジネスマンとしての仕事、NPO法人知的生産の技術研究会、著書の出版、ブログ、などがきっかけで知り合いになった人たちだ。ここでも何かを続けることによる世界の広がりを改めて感じることになった。好きな本を読み、ブログに内容を紹介するという行為は誰でもできそうだが、3年という期間没頭し、継続し、面白さを目覚め、そしてそれが本に結実するという過程は、人間としての充実と外部からの評価が形になったという意味で素晴らしいことだ。「3年」は長いようでもあり短い時間でもある。どのような分野でも10年という壁があり、卒業とか入門とかのレベルに達するといわれているが、まずは3年を身近な目標とするのがいい。いずれブログで書評をやりたいものだ。
2008/07/09
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最近著「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP文庫)のアマゾンの書評が3つ掲載されているので以下に紹介する。図で考えれば文章がうまくなる------------------------------------------------------図解で考えをまとめてから文章を書く, 2008/6/11By フジキセキ (大阪)まず考えをまとめてから書く事にする、考える段階と書く作業との間に図解を設ける事によって解かり易い文章になるということが、本書の目的です。なぜ図解する段階が必要なのか?それは書くことと考える事を同時に行なうと支離滅裂な文章になりやすい。著者は従来の文章読本にはこの行為を省いていて役立たないと指摘しています。この方法の利点として文章を書く前に図というクッションを入れるとずっと文章を書くことが楽になる。実際私自身この手法を取り入れてから、文章を書きやすく、さらに解かり易い文章になりました。レビューを200以上書いているので、ご覧下さい。初期のレビューよりも現在のレビューの方が読み易い筈です。その方法としては○と→さえ描ければ誰にも図を描ける。これは 情報同士の関係を確認できる ○と→の関係を確認できる 図解は文章の設計図 なので非常に便利です。実際読書する場合には キーワードに印を付けて読む キーワードを白紙に書き出す 図を見ながら文章を読んでみる(確認) これをやり始めた段階では面倒に感じますが、慣れるとこの方法の方が 便利になってきます。 さらにキーワードから骨格を作ってみる 骨格に肉付けして図を豊かにする その際、キーワードがつながっているか否かを確認する。 ここまですると一種の遊びとしても面白い♪基本的な手法は以上です。もう少し水準の高い文章作成には以下の参考文献を挙げておきます。「考える技術・書く技術」バーバラ・ミント著「ロジカル・シンキング」照屋華子・岡田恵子著-------------------------------------------------------------------------------文章を書くのは後にして、まず内容をしっかり練るべきBy くろやぎ (神奈川県) 07/07「文章読本」マニアの私にとって、本書の主題は衝撃です。図を書いてから文章を書く、という文章術はまさに「目からウロコ」でした。 著者の久恒さんは、『図で考える人は仕事ができる』などの著作で有名な“図解”の第一人者です。図を使って物事を考える方法を学生に教えるなか、久恒さんは必ず「図を使って文章を書かせる」という時間をつくっています。 この講義への学生たちの反響は大きく、「生まれて初めて文章を書くのが楽しかった」「自分でも信じられないくらい、すらすらとペンを走らせることができた」と言ってくれるそうです。 なぜ学生たちにそんなに強い印象が残るのか。 それは、それまで学生たちが知らずに知らずに無理をしていた文章作成方法を、無理のないやり方に変えさせたからです。 文章を書くときには、「文章の内容を考える」という行為と、「実際に文章を書いてみる」という作業を同時に行っています。久恒さんの考えでは、「文章は考えるための道具としては弱い」という性質を持っています。 ですから、「文章を書きながら文章の内容を考える」という行為を行おうとせずに、実際に文章を書くのは後回しにして、まず内容をしっかり練るべきなのです。 そこで登場するのが「考える道具」としての図解です。 先に図を使って考えをまとめ、そのあと図の流れにしたがって文章にすることによって、革命ともいうべきことが起きた! ……と、久恒さんはこの手法を「図解文章法」と命名しました。 本書には、文章を書く前に作った図解と、図解を元に書いた文章の例がたくさん登場しますので、この手法のイメージが湧きますし、勘どころをつかむこともできるでしょう。 文書を書くことに苦手意識を持っている方に、特にお勧めです。-------------------------------------------------------------------本当の悩みにやっと届いた, 2008/7/8By きゃろらいん仕事をする上で、ことごとくつきまとってきたのは「文章を書く」ということ。書きたいが先に進めないのは、文章が下手なのだからだと思っていた。なんとなく伝えたいことを伝え切れていないのも、文章力がないからだと思っていた。しかし、この本を読んで、書けないのは文章を書く、ということそのものに力が不足しているのではなく文章を書くための中身を考える力が不足していることがわかった。文章を書いていると、考えながら書いているので最初と最後とで内容がずれていることはよくあるし結局何が言いたかったのかが伝わりにくい文章にもなってしまう。久恒氏が提唱する「図解文章法」は、地図を持って知らない土地に旅に出るような、そういう感覚がある。図によって進むべき方向とその道のりがわかっていれば途中で迷うことはない。助詞の使い方、一文の中の主語述語の組み立て方に悩んでいたわけではなかった。自分自身の本当の悩みに届く方法が、この1冊にあった。まさに、快刀乱麻を断つ。そんな1冊である。------------------------------------------------------------------------------
2008/07/08
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宮城大学での「ビジネス情報論」という講義は隔週で行っており、7月末には二日間の集中講義を行う。本日の講義で隔週講義の部分が終了した。集中講義では一人一人にそれぞれの分野の第一人者の論説文を与えて考えてもらう予定だ。受講生が120名ほどだから120の論文を用意する。どのような図ができてくるか、楽しみだ。2ヶ月半のこの期間を終えての受講生の反応を並べてみる。・物事をや文章を図として考えるようになりました。講義内容を最近図でノートをとるようになりました。・文章を読む時にいちばん重要なことを探し、そこから枝を広げるようにして理解するようになってきました。・誰もが納得するという点で武器になり得ると思う。新聞の社説なども図解する要領で読み込み、分析するクセがついた。・図で考えるということは、重要な部分をうまく抜き出して自分で理解することから始まるのだということに気づいた・毎回頭をフル回転できた。・何倍も頭を使うことなのだとわかった。・文章と図解をもっと上手に組み合わせることができればスキルとして役に立つ。ぜひ継続していきたい。・自分の生活に役立てたい。・いまレポートがたまっているのですが、図解してから書くという方法で、今までより速くできるようになり、自分でも何が言いたくて書いているのかまとめやすくなり、助かっています。・図解で考える力もだいぶついてきたと思う。この調子で頑張りたい。・図解力が身についてきた。これから様々な分野に生かしていきたい。・1年生のときの講義から1年たって図の威力に改めて驚かされた。レポートはもちろん、社会に出てから活かしていきたい。・作業が多く、疲れることが多くありました。しかし充実感が残っています。・最近、授業の課題などで自分の考えをまとめるために図を描くことが多くなった。・この講義を受けて「図」を使うことがもっと世間に広められるべきだと強く感じた。この手法により考え方がより整理されスムーズに物事が進む。・何を選び何を捨てるかはマネジメント上重要な部分なので、図解はマネジメントに必須ということを感じました。・優れた図をかける人間は優れた論客になることができるのでしょうか。3限のビジネス情報論のあとは、卒業論文の指導。4年生が中心だが、昨年3年生から飛び級で大学院に進学した二人の院生も参加している。トヨタ自動車東北に就職する学生は自動車メーカーの環境戦略をテーマとした論文を書くことになっている。資料もそろってきたし、自分の働く業界で、なおかつ自動車関連工場の進出が宮城で話題になっていることもあって、全体構想はまとまってきた。社会人学生のテーマは職場環境の改善にかかわる分野で自らのキャリアで学んできた「癒し」の重要性を具体的な事例を使いながら提案するという論文になりそうだ。正式には授業の受講生ではないが、ゼミ生であったから気になっている飛び級の院生たち。一人はある企業の経営者だが、その業界の進むべき方向を自社のデータを駆使しながら見つけ出していくというオリジナリティを出せる方向がいいとアドバイス。修士論文の完成にはまだ十分な時間があるし、問題意識も高いので優れた論文を完成させて欲しい。もう一人の中国からの留学生は、ある新規事業をやろうとしているが、それと地域活性化を組み合わせたテーマであればリアリティのある納得感の高い論文ができる可能性がある。こちらもまだ時間があるので時々アドバイスをしていきたい。卒業論文も修士論文も夏休みの過ごし方がカギとなることを何度も強調した。学部の集中講義の最初の日(30日)の2限は彼らの論文指導をすることにしよう。そうすれば夏休み前にもう一回指導ができる。縁のあった人はみな幸せになってもらいたいので、最後まで手を抜かずにきちんと指導していこうと思う。縁があり私の講義を手伝ってもらっている30歳のチョウ君に地下鉄の駅まで車で送ってもらう。8月末には子供が生まれるそうだ。それぞれ生きていくのは大変だ。
2008/07/07
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月曜日の宮城大学での講義に備えて前日の日曜日から仙台入り。今回は朝7時36分の東北新幹線で東京駅を発って9時17分に仙台到着。駅前に車で待っている富田さんのベンツに乗り込む。青葉通りの見慣れたけやきの並木が途中で途絶える場所がある。地下鉄東西線工事のために並木が切られたという場所である。20分ほど走って西仙台カントリークラブに到着。私のゴルフの師匠の富田さんと私のホームコースだ。このゴルフ場はJCB東北クラシックを開催していたところでもあり、大学と自宅のそばにありよく通った泉パークタウンゴルフクラブに比べて、距離が長く高低差もあるので私のような下手なゴルファーにとっては気が抜けないコースだ。10時14分から二人で西コースから回り始めたが、珍しく混んでいて、前の組が打ち終えてコースが空くのを待つことが多い。私は不精なので練習をまったくしないで、本番のコースで調整するという不真面目なゴルファーで、富田さんからフォームや球の位置、スタンスなどに毎回指導を受けながらのプレーとなるが、いつも同じアドバイスをもらっていることからわかるようになかなか進歩しない。緑が多いゴルフ場でのプレーは気持ちがリフレッシュされる。インでは最後の方にやっと調子がでてかろうじて50を切った。昼食をとるレストランでは珍しく隅の方に案内される。禁煙席だが、よくみるとこのレストランでは喫煙席が大半を占めていた。いまどき珍しい光景だとウェイトレスに嫌味をいいながらいつものカツカレーを注文する。ゴルフ談義をしながら互いの近況や考えていること、共通の友人の近況などを話題にする。食時にはビールを飲む人が多かったが、飲酒運転の取り締まりキャンペーン以降は飲む人もいなくなり、ゴルファーもずいぶんと行儀がよくなった。1時54分からの午後のインの東コースを回っていると、鳥の鳴き声が耳に入る。長くゆっくりと鳴き続けてなかなか終わらないのも愉快だ。後半は調子が悪くまた力を入れる悪い癖が出てしまった。体で振るのではなく気合を入れて腕力で打つという独自のスタイルに戻ってしまう。こうなると不安定になってショットは乱れる。いつものパターンだ。私の場合は力を抜くことが大事で、わかっていることとできることは別だということが改めてわかる。悪い癖がでると必ず一回は大たたきするはめになり、あれがなかったら、あれがうまくいっていれば、という「タラ・レバ」に陥ってしまう。今回もアウト、インとも一度あり、そのためスコアが平凡なものになってしまった。日差しが強かったので前もって日焼け止めを塗ってコースにでたが、汗も結構かいた。前に組が打つのを待っている間は、木陰をさがして待機する。このところ忙しかったのと暑く寝苦しかったので睡眠不足もあり、カーとの中で眠ってしまい富田さんから起こされてしまった。木陰に入るとずいぶんと涼しくなる。インに入ってから少し風も出てきたので気持ちがいい。最後のほうは遠くで雷が聞こえてきて夕立がくるかなと覚悟したが、最後までもってくれた。インは51となって、計100。一打及ばず100を切れなかったが、まあこんなものだろう。メンバーのハンディキャップ表をみると、私たちの仲間の安井さんは8でシングル、このあたりは人数がずっと少なくなる。また5以下のローシングルとなると10人くらい。メンバーが2000人いるとして0.5%くらいだから、このレベルになるのは相当難しいようだ。富田師匠は14、私もハンディはもらっているのだがボードにはなかったなあ。スコア表を最近は提出していないからだろうか。今日はこのクラブでは大きなコンペをやっていてスコア表をみるとハーフを30台で回っているプレーヤーが割りと多い。聞くと腕に覚えのある人たちの決戦の場だった。風呂に入ってさっぱりしてテレビを見ると、日米首脳会談を終えたブッシュ大統領と福田総理の記者会見をやっていた。常識的なやり取りだったこともあり再びうつらうつらする。富田さんと総括をしながら15分ほどのドライブで着く自宅へ送ってもらう。次は8月かな。(写真は東京に戻ってからアップ予定)
2008/07/06
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赤坂の有名な中華料理屋で小中陽太郎先生を囲む会に出席。以下参加者。詳細は後で報告。小中陽太郎http://home.c01.itscom.net/ykonaka/和泉育子http://ameblo.jp/izumi-salon浅沼ヒロシhttp://d.hatena.ne.jp/pyon3/樋口裕一http://www.higuchi-book.com/八木哲郎http://plaza.rakuten.co.jp/gendaiturezuregusa近藤節夫http://www.mr-kondoh.com/goikenban2.html三輪敏子秋田英澪子 ..http://plaza.rakuten.co.jp/emirun/久恒啓一http://www.hisatune.net/
2008/07/05
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全国カトリック学校の校長・教頭合同研修会の講師に呼ばれ、3時間ほどの時間をもらった。聖ドミニコ学園の佐野校長とのご縁がきっかけだが、全国に散在するカトリック学校の教育責任者らが90名参集していた。講演後の昼食会で、「目からうろこ」という言葉は聖書に目が見えなくなったパウロがイエスの使いによって目からうろこのようなものが流れ出て見えるようになったとの教えがあるといわれて、聖書の該当箇所をみせてもらった。前日のプログラムをみると、森一弘司教の「カトリック学校のアイデンティティとは何か」という講演に続き、「カトリック学校のアイデンティティの克服を求めて」というパネルディスカッションがあり、その後分科会に分かれて議論があり、夕食を兼ねた情報交換会となっていた。どの組織にも課題がある。そして翌4日は朝7時から「早朝ミサ」。講演と研修の合間に受講してる先生たちと交流することができたが、カトリックは戒律は案外厳しくなということだった。スペインやイタリアなどで盛況という事実などラテン系と体質があうのかもしれない。少し前までは、カトリック学校の校長らは修道女と決まっていたが、修道女の育成がなかなか難しいこともあって最近は男性の校長の進出が目立ってきたとのことだ。この世界では男女共同参画は逆の構造になっているらしい。よく知らない世界なので、なかなか興味深かった。-----------新潟の菊池功司教のブログから引用。http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2008/07/post_28d6.html研修会二日目の今日は、多摩大学教授の久恒啓一先生を講師にお招きして、「図で考える人は仕事(マネジメント)ができる」という講演を頂きました。目から鱗です。かなりたくさんの本を書いておられるようで、行政や司法や企業などから、セミナーの講師として引く手あまたの有名人です。初めてお話を聞きました。で、目から鱗です。文章でくどくど書き連ねても相手には伝わらない、伝えるためには「図解」することが大切だ。現状を大局的に把握するためには、図にするのが一番。方針を箇条書きにしても、それぞれの優先度や重要性や関連性がわからないから、図にするのが一番。確かにと頷く内容でした。教会でもやはり文書や箇条書きにしないと安心できないという側面がありますから。そして講演の最後には参加者一同に、「自分の仕事は何か実際に図にしてみなさい」という作業の指示。私も司教の仕事を「図」にしてみましたが、簡単ではありません。頭を使いました。これは自分でも利用しなくてはもったいないと思ったほど、久恒先生のお話は響きました。加えて、紹介された久恒先生のホームページの充実していること。ブログも毎日更新されているようで、今回も講演の一番初っ端に、演題から会場のデジカメ写真を撮っておられました。それにしても、仙台まで来た甲斐がありました。-------------------------------------------------カトリック学校の名簿をみると壮観である。日本の教育界に大きな足跡と貢献をしてきたことを感じる。旭川藤女子高等学校北見藤女子高等学校札幌聖心女子学院 中学校・高等学校函館白百合学園 中学校・高等学校藤女子中学校・高等学校札幌光星 中学校・高等学校函館ラ・サール 中学校・高等学校海星学院高等学校会津若松ザベリオ学園 中学校・高等学校青森明の星高等学校郡山ザベリオ学園 中学校桜の聖母学院中学校・高等学校聖ウルスラ学院英智 中学校・高等学校聖ドミニコ学院 高等学校仙台白百合学園 中学校・高等学校八戸聖ウルスラ学院 高等学校盛岡白百合学園 中学校・高等学校聖霊女子短期大学附属中学校・高等学校宇都宮海星女子学院 中学校・高等学校浦和明の星女子中学校・高等学校 光塩女子学院中等科・高等科晃華学園 中学校・高等学校白百合学園 中学校・高等学校聖心女子学院中等科・高等科聖ドミニコ学園 中学校・高等学校星美学園中学 高等学校田園調布雙葉中学校・高等学校東京純心 女子中学校・高等学校東星学園中学校・高等学校雙葉中学校・高等学校目黒星美学園 中学校・高等学校カリタス女子中学 高等学校函嶺白百合学園 中学校・高等学校湘南白百合学園 中学校・高等学校聖セシリア女子中学・高等学校清泉女学院中学校・高等学校聖ヨゼフ学園中学校・高等学校聖園女学院中学校横浜雙葉中学校・高等学校暁星中学校・高等学校聖パウロ学園高等学校サレジオ中学校(小平市)栄光学園 中学校・高等学校サレジオ学院中学・高等学校(横浜市)聖光学院中学校・高等学校静岡雙葉学園中学・高等学校長野清泉女学院高等学校浜松海の星高等学校不二聖心女子学院 中学校・高等学校聖カピタニオ 女子高等学校聖マリア女学院 中学校・高等学校聖霊中学校・聖霊高等学校南山中学校・高等学校 女子部光ヶ丘女子高等学校静岡聖光学院中学校・高等学校南山中学校・高等学校 男子部静岡サレジオ中学校・高等学校南山国際中学校・高等学校暁星女子高等学校京都聖カタリナ女子高等学校聖母女学院 中学校・高等学校セントヨゼフ女子学園 中学校・高等学校ノートルダム女学院 中学校・高等学校メリノール女子学院 中学校・高等学校愛徳学園 中学校・高等学校大阪信愛女学院(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)小林聖心女子学院 中学校・高等学校賢明学院 中学校・高等学校(大阪・堺市)賢明女子学院 中学校・高等学校(兵庫・姫路市)神戸海星女子学院 中学校・高等学校城星学園 中学校・高等学校聖母女学院中学校・高等学校聖母被昇天学院中学校・高等学校百合学院中学校・高等学校和歌山信愛女子短期大学附属中学校・高等学校海星中学校・高等学校洛星中学校・高等学校大阪星光学院 中学校・高等学校啓光学園 中学校・高等学校淳心学院 中学校・高等学校明星中学校・高等学校六甲中学校・高等学校日星学園高等学校仁川院 中学校・高等学校山陽・山陰 清心中学校・清心女子高等学校ノートルダム清心中学校・高等学校福山暁の星女子 中学校・高等学校広島学院中学校・高等学校ザビエル高等学校松徳学院 中学校・高等学校萩光塩女子学院 中学校・高等学校聖カタリナ 女子高等学校愛光 中学校・高等学校福岡雙葉学園中学・高等学校久留米信愛女学院(幼稚園・中学校・高等学校・短期大学)純心中学校・純心女子高等学校鹿児島純心女子中学校・高等学校泰星中学校・高等学校カトリック沖縄学園
2008/07/04
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メガバンク関係の主催の「青年経営者セミナー」シリーズも、関西、東京を終えて今回の岐阜で最終回。名古屋地区の中小・中堅企業の経営者が受講者で、今回は50人規模となった。20代から40代までだが、平均年齢は30代後半だろうか。リストをみると、社員数は数十人から数百人、最大で1000人だ。業種を眺めてみると、自動車部品、プラスティック、電気機械、道路、陶磁器、金属プレス、菓子、スーパーなどさまざまだが、「分類不能の産業」と分類されている企業がかなりあった。主催者側の副社長に聞くと、既存の業種分類では整理できない企業もあるが、業態が広がっていていくつもの業種にまたがっている企業も多くなっており、分類不能とう表示なっているとのことだった。今回は、関西や東京よりも熱心に聴いているという印象を持った。聴くとこの地域の風土として金をかけた分は取り戻したいという感覚が強く、セミナーでも熱心に勉強するとのことだった。後半の講師となった株式会社ISOWAの磯輪社長と昼食をご一緒した。この企業はダンボール製造の機械をつくっているメーカーで、売り上げは80億。アメリカやドイツ、中国にも事務所がある。日本の機械がつくるダンボールは品質が高いそうだ。終了後、そのまま東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで仙台へ。
2008/07/03
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講義とゼミを終えて、明日の講演のため品川から新幹線で名古屋へ。乗り換えて関が原行きに乗って20分ほどで岐阜に到着。そこからタクシーで15分かかって鵜飼で有名な長良川河畔の岐阜都ホテルに23時前に到着。途中、信長が拠点にしていた岐阜城のライトアップしていた姿が山上に見えた。岐阜は人口は41万人ほど。地方に来ると必ずその地方の新聞を読むことにしている。土地の雰囲気を味わうことができる。地方には実に多くの新聞があり、影響力もさまざまである。今回は短い滞在の中でそのこのホテルでは地方紙の岐阜新聞と、ブロック紙の中日新聞が置いてあった。岐阜新聞。一面は「古田知事が再選出馬表明」とあり、県議会で正式に再選への出馬を表明する写真が掲載されている。古田知事は通産省出身の60歳。「トヨタ、米販売21%減」という見出しで燃費の悪い大型車が4割近い減少と報じている。岐阜はトヨタの本拠に近いから関心が高いようだ。「飛騨トンネルを歩く」は7月5日に開通する東海北陸自動車道の待望のトンネルの姿を写真入で報告。「岐阜寸評」というコラムでは先日の全国小学校6年生を対象に行われた特定課題調査で、岐阜県の位置を正しく答えられたのが44.2%と低く正答率が低かった10県の中に入ってしまっていると嘆いている。長良川鵜飼や高山祭は全国区なのにといい夏の甲子園で岐阜勢が活躍すれば知名度があがるととらぬ狸の皮算用。一面以外は全国のニュース。中日新聞。一面では「岐阜・古田知事 再選出馬を表明」以外に、「見つけた街・ひと・心 志摩」という記事があり、英虞湾の華麗な幾何学模様を写真入で大きく紹介している。総合面では、「中部発」で盲目の子犬の話題。また連載の「この道」では宮城まり子が自伝をつづっている。宮城まり子は静岡で施設を営んでいるからだろうか。暮らし面の「みんなで応援」コーナーでは岐阜県図書館が取りあげられており託児サービスのある図書館として紹介している。社会面では愛知県蟹江署が産廃会社社長らを逮捕したニュースと名古屋市の防火不備のニュース。地方紙では秋田魁新報、大分合同新聞、北国新聞、などの名前が浮かぶが、それぞれ地元に密着した記事が多いが、新聞を媒介とした事業の多彩さなど、それぞれに特徴があって興味深い。
2008/07/02
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本日の夜の大学院の講義は日本をめぐる東アジアの状況をテーマとして、アメリカ、ロシア、北朝鮮、中国、韓国などに関する著名な識者の論考を深く読んで議論したのだが、想定以上の成果があった。以下は社会人大学院生の感想。-----------------------------------------------------------------非常に面白かった。東アジアにおける日本のポシションがいかにfragileなものであるか、米国依存がいかにむなしいことかが今日の皆さんの発表で再認識した。個人的には豪州との結びつきを深め、人口減でも生きていける道筋をゆだねてもらうことが良いと考えている。日本は中国や米国より、ロシアや韓国に目を向けて外交政策を進めていくべきであると思われる。近未来における「大朝鮮国」はアジアの中心となっていくであろう。複数の論文を突き合わせることで、一つの世界が完結することがわかった。またその中から問題点(韓国など)があきらかになった。日本を取り巻く諸外国との立ち位置が見えてきた。状況を俯瞰的に捉えるかによって物事の考え方に深みが増す。本日の授業ではロシアの内部事情や中国、朝鮮、アメリカなど世界中の出来事がわかった。逆に日本は国際的にかなりやばい位置にいることもわかった。意図している事をどのように関係を維持しつつ展開を図ろうとしているのか、特に最初の日米、北朝鮮と中国の構図に現在進行している状況がつながった。日本の外交の重要性を考えずにいられない。一つの文章からその国の関係性をあらわすより、他の国際関係をからめてみる事で、問題をより明確にとらえることができる。ロシアについて図にしたが新聞等では読んではいるが、頭に残っていなかったことが明確に記憶に残るプロセスを経験できた。他の方の発表を聞き一つの絵のようになっていく様がはっきりと感じられました。何冊も本を読むよりも一枚のぺ^パーの方が勉強になるのだと思いました。同じアプローチで世界地図を作れたら面白いですね。または歴史でも良いと思いました。文章から図解することによる思考力アップは目を見張るものがある。読むだけと比較し5倍の差があると言っても過言ではない。本日は国際事情がよく理解できた。他国の政治経済状況を図にすると日本の立ち位置が見えてきた。安全保障上の安定による経済的なメリットの方が各国の市民にとって恩恵は大きいと思う。日本の立ち位置を考えるよい機会になった。中国はすでに崩壊しかかっていると感じていたが、バブル、資源、共産党の腐敗などどんどん悪くなっていくと改めて感じた。韓国には不気味な印象を持った。今後核を持って統一することになれば日本はどうなっていくのか、不安に思った。図で説明されるとよく理解できるので本当によいと思った。関連テーマを複数並列に見ることで、それぞれの個別テーマの関連図が浮き上がってくる点が面白い。
2008/07/01
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