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総務省に行政評価局という組織がある。「政府部内における行政の改革・改善機能」を担う局で、政策評価、行政評価・監視、独立行政法人評価、行政相談を担当している。本省には209人の職員がおり、地方支分部局に877人の職員がいるから、総勢で1000人を越える部隊である。地方は7つの管区行政評価局と38の行政評価事務所などがある。仙台第二合同庁舎の10階にある東北管区行政評価局で講演を行った。この管区内には、青森、岩手、秋田、山形、福島の5つの行政評価事務所がある。人数は30-40人ほど。この役所には宮城大学の卒業生も働いているとのことだった。今話題になっている年金記録の確認のための第三者委員会という仕事も担当しており、「本人の立場に立って、申立てを十分に汲み取り、様々な関連資料を検討し、記録訂正に関し公正な判断を示すことが任務」となっており、現在の時点ではこの業務が大きな負担になっているようだ。10年ほど行政改革に関わった経験から見えてきたもの、行政改革と行政評価の失敗が今日の政府と自治体の財政破綻状態をもたらしたこと、住民ニーズに基づかない政策立案の多さ、全国の自治体の長期総合計画は作りっ放しであること、などを初めに述べる。その後、政策評価の仕組み、政策評価・独立行政法人評価委員会、総務省行政相談の仕組み、行政相談、年金記録確認宮城地方第三者委員会、などパンフレットにある具体的な図を材料に改善策や疑問点を解説した。厳しい内容だったが、笑いも多かったように感じた。一番後ろでよく笑って反応が強かった年配者は後でわかったが、局長さんだった。終了後、局長室で今回の講演を企画した女性担当者を交えてしばらく歓談する。昼食は、友人の富田さんと野口さんと宮城県庁の最上階のレストランで摂った。石巻の名産をあしらったウイークメニューのランチを食べながら歓談する。----------------------------------------------------後日届いたアンケートから。・これまでもいろいろな講師の話を聞いてきたが、ここまで胸にぐさりとささる内容の話しはなかったような気がする。まさしく物事の本質を突いており、果たしてこれまでやってきた仕事はいったい何だったのだろうといいう原点にまで戻されたような気がした。・講師の図を利用して、行政として行っている仕事が本当に国民にとって必要なのかどうか整理してみる必要があると強く感じた。国民が必要性を感じていない、国民の理解できない仕事を整理していけば、このやり方からも行財政改革は進むのではないでしょうか。・当局の業務は、図で考え、改善点を見出すことが、とてもマッチしていると個人的に考えています。・目からうろこが落ちた(2名)・盲点をつかれたような研修だった
2008/02/29
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最高裁判所で講義のため東京日帰り。平成19年度採用の一種試験採用職員(いわゆるキャリア採用)に対する講義。受講生は人事局、経理局、判事部などの各局に配属されていて、今後は書記官研修で地方の裁判所に散っていく。その後、7-8年経つと再び最高裁に戻り重要な職責につき幹部になっていく。これが彼らのキャリアである。新卒はいなくて全員が20代後半の男女だった。「本研修は、採用1年目の職員に対する仕上げの研修であり、この1年を振り返るとともに来年以降への動機付けを図ることを目的としています。そこで図解による仕事の振り返りを行うことにより、この1年を振り返るとともに、図解思考法を体験させることにより、今後の執務に役立てることとしたい」これが最高裁事務総局人事局能率課からの依頼の文書にある目的である。最高裁での講義も4年ほどになるだろうか。東京高等裁判所、仙台高等裁判所、宇都宮地方裁判所など、司法への出講もあり、様子がだいぶわかってきた。司法行政の目下のテーマはまじかに迫った裁判員制度の導入である。最高裁を頂点とする司法行政機関は、私が攻撃する「文章と箇条書き」を中心とする体制の本丸ともいうべき役所であるが、そこに図解コミュニケーションという考え方を打ち込んでいくいい機会なので、こちらも気合が入る。受講生も最初は驚きながら聞いているが、全員熱心に実習に取り組んでもらった。「腑に落ちた」という顔をした職員も多かったように感じている。
2008/02/28
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知的生き方文庫に加えてもらった「通勤時間「超」活用術」(三笠書房)が好調のようだ。先週水曜日の2月20日発売だが、今週初めには大きな増刷がかかった。出足がいい。30代の編集者によるとこれほど出足がいいのは初めての経験だそうだ。25日(月)には毎日新聞、27日(水)には日経新聞で、割合と大きな広告が打たれたが、両日ともアマゾンの順位の変動をウオッチしてみた。毎日新聞の広告はあまり影響は感じなかった。日経の広告の後は、7000位ほどだった順位が急速にアップしている。647位、465位、385位、403位、そして28日の早朝には188位と上がってきている。文庫であること、首都圏のビジネスマン向けのタイトルであること、などから日経新聞を読む若いビジネスマン層にメッセージが届いているということだろうか。来週は「R25」というフリーマガジンにインタビューが載ることになっているが、ここでもこの文庫の紹介もしてくれることになっている。------------------------1年で50時間得する通勤時間「超」活用術あなたを毎朝、バージョンアップする法!この「考え方」のすごい効果!例えば 一週間は十日ある!--平日は五泊六日、週末は三泊四日 通勤時間は長いほうがいい--私が発見したかけがいのない時間 連絡事項は、始業前---後手にまわると作業が二倍 残業は、しない---やる気と集中力をつける一番の方法 先を見ながら「いま」行動---遠くを意識する人は揺るがない 希望は三割かなえば儲けもの---イチローでも四割を達成できない!------------------------http://item.rakuten.co.jp/book/5455143/
2008/02/27
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宮城大学での私のゼミは「顧客満足ゼミ」という名前で呼ばれていた。事業構想学部では基本的には業界別の縦割りのゼミを開いているのだが、私のゼミはどの業界にも通じるCSという考え方を身につけるゼミである。ゼミ生は8年間で80名だから、年平均10名ほどいたことになるが、東京組と仙台組とに分けると東京組の方が多い。いずれ東京でもゼミ同窓会を開き、年に東京と仙台で一回づつ開催することにしたい。仙台にいる一期生から九期生(現在3年生)までを中心に20名ほどが集まり、私の東京への異動をテーマに一晩楽しく歓談した。ようやく念願だったゼミ同窓会が実現した。社会人入学を除くと一期生が30歳に到達したから、全員30歳以下。近況を聞くと、民間から公務員への転職、海外留学が日程にのぼっている人、大手企業にずっと勤めている人、現場から本社への異動で張り切っている人、なくてはならない役割を担っている人、、、など。大学卒業後の各人の数年間のキャリアを直接確認できた。転職、異動、結婚、、、など若者の悩みは多いが、この年代層は最近私が書いている若いビジネスマン向けの本の対象者でもある。また、私とはずっと縁のある一期生を中心に起業した会社のメンバーも来てくれて、OBと現役が入り混じって実に楽しい時間を過ごした。会の冒頭は、私からは念願のゼミ同窓会の設立、宮城大からの転出の経緯、日経新聞文化欄、私とゼミ生の30歳ほどの年齢差のとらえ方などを話した。会の最後は人物記念館の旅から得た教訓のエキスをしゃべり、人間として「本物」になれというメッセージを伝えた。みんな幸せになってもらいたい。iPOD用の便利なイヤホン、名俳句や心にひびく日本語の手紙などの入ったCD、ネクタイなどをプレゼントされた。二次会は8人ほどのメンバーが残り、遅くまでいろいろ語り合った。こういう時間は教師という職業の醍醐味だ。
2008/02/26
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日経新聞の文化欄で「人物記念館の旅」を取り上げてもらったことで旧友たちからの連絡が入り始めた。高校の同期生、ビジネスマン時代の同期生、知研の仲間、仙台でお世話になった方々、新聞社の知人、雑誌社の編集者、出版社の編集者、音楽界の重鎮、記事で初めて名前を知った方々、、、。中でも高校時代の友人からもらった便箋の手紙には心を打たれた。高校を出てから、ビジネスマン時代に一緒にゴルフをしたこと、九州での私の講演に来てくれてそこで少し話をする機会があったことがあるから、40年間で2回しか会っていない。手紙を読むと今は乗り越えたが、随分と苦労や挫折もあったようだ。そういえば、先日の朝、東京の丸の内を歩いていたら高校の同級生と思し人物がビルを眺めながら歩いてくるのが目にとまった。「ヤマモト!」と声をかけたら驚いていたが、何でも再開発の仕事をしていてウオッチングをしていたそうだ。彼も先ほど手紙をくれた人と同じ中学だったか。運勢によると今年は「再会の年」だということだが、東京に出ることもあり、旧友たちと再会する機会が多くなりそうだ。ホームページでは「人物記念館の旅」は、「真・日本人」紀行というテーマであることも表示することにした。シンセサイザーの富田勲先生の「新日本紀行」にならってテーマソングもつくって流してみたい。
2008/02/25
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つくった短歌を朝、歌人である母親にファックスで送ったら、夕刻添削されたファックスが届いた。 アクセルをふかして 受験に娘(こ)は発ちぬ 父の貌となり 凍て道に佇(た)つうーん、やはりこっちの方がいいなあ、、、。
2008/02/24
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娘が大学卒業後、3年間看護専門学校で学んだが、本日は看護師の国家資格の試験日だった。早朝から家族全員で動き始め、9時から午後5時までの試験を終えて、全員で泉ケ岳の「やまぼうし」で打ち上げの食事をして、泊まった。土日にNHKで短歌と俳句の全国大会をやっていて素晴らしい歌や句を何となく眺めていたが、温泉につかって間に、娘の受験の日のことをテーマにひとつ俳句か短歌をものしてみようかと考えながら湯に入る。隣のおじさんが話しかけてくるが、上の空で応えながら想を練る。 慎重に アクセルふかす 受験日の朝 妻は母なり 我も父たり自分の心を見つめ表現しようとする時間は実に豊かな時間だった。
2008/02/24
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一人で九州に住む80歳の母親から、「私の伊勢物語」(久恒啓子著・短歌新聞社)が届いた。母は歌集を3冊ほど出しているのだが、10年前の70歳になって初めての著作「万葉集の庶民の歌」に続く2冊目の単著である。60代の10年間を費やした本と、70代の10年間を使った本である。60代から70代の半ば過ぎまで脳溢血で半身不随となった父の介護があったから、この本の価値は大きいと息子として思う。どちらも季刊の同人誌に書き綴った文章をまとめたものだが、テーマ(志)を持つということの意味と、一歩一歩と歩んでいく継続することの重みを改めて感じた。今からこの書を読もうと思うが、まず「あとがき」を書いておきたい。---------------------------------------------------------- 昭和六十二年から、歌誌「地脈」に「万葉集の庶民の歌」を連載して十年、それをまとめて短歌新聞社から平成九年に出版しました。そのあと次の連載に「伊勢物語」を選びました。 「伊勢物語」は在原業平をイメージさせる物語です。それぞれの愛のかたちを、男の元服から終焉に至るまで、時には誇張され、時には矛盾し、時には驚くべき発想を持って、虚構の中に存在するきらめくような真実を垣間見せてくrます。私の好みでドラマ性のあるものを選んで、歌誌「地脈」に連載したものを、さらに修正し、書き加えたりして、同人誌「邪馬台」に載せそれを纏めたものであります。 紫式部は光源氏の口を借りて「本当の人生、本当の人間というのは物語の嘘の中にある。嘘も悪も、よきもの美しきものと同じように人間や人生を表現するものだ」と玉鬘(たまかずら)に教える箇所があります。「更級日記」や「蜻蛉日記」は実人生を描いているようではありますが、それはその人の人間としての一面にすぎないのかも知れません。もっと普遍的な真実は物語の中にこそあると言えるのではないでしょうか。 元駐クエート大使愛甲次郎氏は「我々の世代の後、文語を使える人は絶滅する」と言っております。彼は海外勤務五回、計十三年になりその間、英、仏、中国語と九ヶ国の日常会話に通じるようになりましたが、海外の要人と話すとき、語学力より日本文化の話をすれば身を乗り出してくるというのです。 「外国に暮らすと日本の伝統や豊かな言語文化を再認識し、日本語の奥深い歴史、文学を知ることこそ大切なのです」と言われ、現在文語文の復活に取り組む勉強会をされているとのことです。 「伊勢物語」は各段が非常に単純化され短く、しかも深い内容と底知れぬ面白味のある物語です。この「私の伊勢物語」を読んで少しでも古典に親しんで頂ければ幸いだと思っております。------------------------------「あとがき」を写したら、「まえがき」も書いておきたくなったので記す。 「伊勢物語」は、和歌を中心とした一二五段のきわめて短い物語から成り立っている。にもかかわらず質的にみると「源氏物語」にも勝るとも劣らぬと言ってよいほど面白い物語の集まりとなっている。 平安時代の初期は、中国文化の圧倒的な影響を受け漢詩が中心となっていた為、和歌は閉め出されていた。しかし、和歌は女の心を射止めるための武器として、貴族たちの公でない場で、したたかに生きていたのである。 「伊勢物語」のモデルといわれている在原業平は「スタイル容貌は抜群だが、行動は勝手気まま、官人に必要な漢学はないが、和歌を作る事にはすぐれていた」と書かれてある。 「伊勢物語」はある男の「初冠(元服)の物語から始まり、最後は辞世の歌 ついにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとはおもはざりしをで終わっている。 物語の中には、自分を亡ぼしても悔いのない激しい恋があるかと思うと、初々しい思いもある。悲恋、失恋、成就した恋、片思いなどさまざまな恋愛感情だけでなく、親子の情、主従の信、友情の美しさ、老女へのいたわりなどなど、美しい貴石、宝石の連なるネックレスのような物語の集まりとなっている。そこには人間の真実の美しさがあり、すぐれた和歌の世界を通して、思いがけない現実味を帯びていて、虚構の中に人間の心の真実を見事につむぎ出しているのである。以下私の好みによって段を選んで書いてみた。---------------
2008/02/23
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日本経済新聞の最終面の文化欄にこの3年没頭してきた人物記念館の旅を載せてもらった。---------------------------- 人物館 見えた縁の糸 全国220館以上を巡り、生き方と志に触れる旅 日本の成り立ち知る つながり、縦も横も 「もう一花」に励まされ 写真は、福沢諭吉旧居(大分県中津市) 文章の中で触れた記念館 福沢諭吉、後藤新平、杉原千畝、北里柴三郎、朝倉文夫、双葉山、瀧廉太郎、辻村寿三郎 最後 「本物の日本人の足跡と志に触れる旅の魅力を広く世に伝えていきたい。」--------------------------------------------------------------------この「日経の文化欄」は憧れの場だったが、今回縁があって取り上げていただいたのは本当に嬉しくありがたいことだ。記事を読んだ人や知人たちから、連絡が入り始めた。「私も人物記念館を訪ねたい」という人が多いのは嬉しいことだ。一つ間違いがあった。紹介した後藤新平の言葉。 人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そして救いを求めぬよう最終行の「救いを求めぬよう」は「むくいを求めぬよう」だ。このミスは引ずりそうだ。
2008/02/22
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突然ですが、開学以来11年間勤務した県立宮城大学を3月末で退職し、仕事の拠点を東京に移すことになりました。1年後の法人化を控えた大事な時期でもあり、心苦しい点もあるのですが、転出先の事情、家族の事情もあり、考えた末の結論です。転出先は、東京の私立の多摩大学です。愛する宮城大学では「有終の美を」を飾るべく、学内の仕事は直前までこなしますので、引越は3月下旬となります。大学での「さよなら講義」や地域で親しくおつきあいいただいた各界の方々の「壮行会」もいくつか予定されており、その場で総決算の資料を配るべく、現在編集中です。その資料をもとに、講義や挨拶をするつもりです。97年からの「建学」の段階の取り組み、学部での講義やゼミ、そして大学院での「教育」、図解コミュニケーションやキャリアデザインを中心とした「研究」、行政の審議会や委員会、NP0法人の設立や運営などの「地域貢献」、学内で携わった管理職としての仕事や各種委員会での業務などの「管理運営」。単行本、文庫本、また東アジアでの翻訳出版などの「出版」、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど「メディア」への登場、産業界や行政、教育分野などでの「講演や研修」、3年間没頭した「人物記念館の旅」そして、とうとう上手にならずに終わったゴルフの総スコア表、、、、。
2008/02/21
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新著の発刊日。三笠書房から出した本を書き改めて、知的生き方文庫に収録してもらった。タイトルは「通勤時間「超」活用法」。部数も比較的多く、書店での仕掛けも準備しているとのこと。本日、発刊。
2008/02/20
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「知研フォーラム」が300号に達した。NPO法人知的生産の技術研究会は1970年から38年目になる勉強会だが、「知研ニュース」「ちけんだいがく」「知的生産の技術」「知研フォーラム」と名前を変えながら、ずっと会誌を発行してきた。平均すると年8回の発行ということになる。今号は112ページと充実している。東京セミナー:寺島実郎・2月18日ニュースのページ「人物記念館の旅」(久恒啓一)--辻村寿三郎・山田かまちセミナー録「整備士のプラスアルファ」--小林尚衛「地図に残る仕事をして30年」--小野恒図解「空間から思考まで、目指すは3レベルのクリア」--本山賢治「情報産業基礎理論」--加藤栄一「世界エスペラント大会横浜 参加記」--林周行「巨人小田実を追想する」--近藤節夫「一冊の本との出会いから」--諏訪仁「松下竜一氏について書かれた文献」--高階時子「村木多津男のユーモアページ」「イスラム研究6」--八木哲郎「J.Lフォーラムなぜ医師が消えてゆく?」私の「人物記念館の旅」は、74歳の現役人形師・辻村寿三郎と、17歳で夭折した芸術家・山田かまちをとりあげた。ジュサブロー「見る人が元気の出るような人形をつくりたい」(ジュサブロー館)山田かまち「幸せな人は幸せでない人を幸せな人にする」(山田かまち水彩デッサン美術館)今回は、高階時子さんの「松下竜一氏について書かれた文献」(楽しい事典の話)が役にたった。松下竜一さんは「豆腐屋の四季」で有名になった作家で、私の高校の先輩にあたる。ここでは、人物について調べる方法が述べられている。 国会図書館の蔵書目録 NDL-OPACの一般検索と雑誌記事索引「現代日本執筆者大事典」(日外アソシエーツ・1978-2003) 国内で執筆活動を行っている人物を選定し、簡単なプロフィールと文献情報を掲載 人物の著作文献を掲載した人名事典「日本人物文献索引」(日外アソシエーツ・1994-2006) 政治・経済・社会と、文学に分かれている 文学では作家4452人に関する伝記・日記・回想・人物論・作品論・報道記事・年譜・著作 古代から現代まで その人物について書かれた文献も掲載「人物文献目録」(日外アソシエーツ・1981-2005) 日本人編と外国人編「人物書誌索引」(日外アソシエーツ・1979-2003) 古今の日本人、外国人の参考文献、著書目録、年譜の書誌情報「追悼記事索引 1991-2005」(日外ソシエーツ・2006) 新聞記事・雑誌記事も含めた訃報・追悼記事
2008/02/19
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東京東中野のテラハウスでNPO法人知的生産の技術研究会のセミナーがあったので、日帰りで参加。講師はNPOの顧問をお願いしている寺島実郎さんで、テーマは「208年の世界潮流を予測する」。毎年恒例となったセミナーである。事前に寺島さんとくつか案件を相談したあと、セミナーの冒頭に理事長としての挨拶と講師の紹介。21時32分の新幹線で仙台へ戻る。・ロシアと北海道は双生児的に発展してきた。ウラジオストックの農業者はウクライナからの移民が多い。スタルヒン投手や大鵬の父親は実はウクライナ人。・ロンドンのホテルはポンド高で一泊10万円は下らない。東京は今や半額。円が下落。・21世紀の7年間で世界GDP成長率(実態経済)は3.5%、貿易(物流経済)は7%、株式市場時価総額(金融経済)は14%の伸び。金融経済の肥大化という悩ましさ。・石油。99年は17.20ドル(1928円)、2007年12月は89.09ドル(10008円)。5倍以上の高騰なのになぜパニックになってないか。第一次オイルショック時と比べて為替の円高シフト(2倍)で半分は吸収。エネルギー効率の改善(省エネ)37%のエネルギー効率の改善。日本のガソリン税の50.9%はアメリカ18.3%、ドイツ72.4%の中間。日本のガソリン税は53.8円で内暫定税は25.1円。この25.1円をどう使うかという知恵と議論が重要。例えば15円は地方還元、5円は環境対策、5円はエネルギー効率向上のインセンティブなど、、、。・世界経済悪化の原因に日本ファクター。低金利と円キャリー。0.5%という異常な低金利。米3%、欧州4%、豪8%。正常な経済活動ができない。利ざやを稼ぐため日本の賢い主婦(ミセスワタナベ)のミニ円キャリーが外貨へ動く。円キャリー1兆ドル。・日本の金融資産1500兆ドルは海外へ向かい、マネーゲームの一翼を担い、外資が日本企業のを買収する資金源になっている。(ブルドックソース)。もし2%の金利がつけば30兆円となる。これが内需に向かうとどうなるかという視点も。・日本株は外人依存。日本の資金が次世代産業育成に使われていない。金融の正常化が必要ともいえる。ガバナンスに欠けた愚かな構図。・企業物価指数。2000年=100として素材原料217.6、中間財115.0、最終財91.3.川上と川下で極端なギャップ。インフレとデフレの混在。
2008/02/18
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福岡市美術館で開催中の「安宅コレクション 美の求道者・安宅英一の眼」を観た。総合商社安宅産業は経営危機から昭和52年(1977年)に伊藤忠商事に救済合併されたが、残っているのは会長だった安宅英一(1901ー1994年)がつくりあげた東洋磁器の1000点に及ぶ安宅コレクションだけである。安宅コレクションは曲折あって今は大阪市立東洋磁器美術館になっている。戦後のシャウプ税制のよって美術品の大量流出が起こった。その動きの中で速水御舟(1894-1935年)の作品を一括買い上げたところから、このコレクションが始まる。そして速水御舟の作品に加えて韓国陶磁、中国陶磁という3つのジャンルからなる安宅コレクションが完成していく。20世紀の始めの年に生まれた安宅英一は神戸高商を出て、父の安宅弥吉の安宅商会に入る。弥吉は禅の研究家・鈴木大拙の援助者としても有名で生涯にわたって大拙に資金援助を行った。「君は学問の道を貫き給え、私は商売に専念して一生、君を支える」。英一は26歳でロンドン支店長となり、帰国後の30代半ばから陶磁器や音楽に関する活動を始めている。35歳で双葉山の後援者になった英一は、50歳のとき安宅産業の事業の一環として美術品購入が認められると本格的な蒐集を開始する。54歳で会長になった英一は、58歳で中村紘子に会い、60歳では日本音楽コンクールに安宅賞を設けている。64歳、相談役。67歳、最大の理解者となった日経新聞の後の社長・円城寺次郎と出会う。74歳のときに起こった巨大な債権の焦げ付きで75のときにコレクション購入を停止。79歳、コレクションを大阪市に寄贈。93歳、死去。音楽の安宅賞は、年間12-16名で500万円の規模の賞であるが、英一は若い音楽家に対して海外留学や滞在の支援をしている。声楽家の中山悌一、バイオリニストの辻久子、声楽家の大橋国一、声楽家の五十嵐喜芳、ピアニストの田中希代子、柳川守、中村紘子、チェリストの堤剛、ピアニストの野島稔などが安宅英一の援助で巣立った人たちだ。もの自身をして語らしむことを念じていた英一は文章をほとんど残さなかった。 人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です。 ものは、三顧の礼をもって迎えるべし 人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。 ものに向かってはいくらお辞儀してもし過ぎることはありません。安宅英一に美術品購入で仕えた伊藤郁太郎によると、大きな戦略を立て、決して急がない、入念な戦術、考えられる限りの手を打つ、というからコレクターとしての執念の塊だった。金があればコレクションができるわけではない。伊藤は、「もっと静かなもの、声高にはしゃべらないもの、正統的なものにこそ本物があり、ものの姿が潜んでいるような気がするのです」と陳列の最後で述べている。安宅は本物を蒐集しようとしたのである。以下は印象に残った作品。「青磁陽刻 牡丹蓮花文 鶴首瓶」--立原正秋が気品ある三十女にたとえた「粉青白地象嵌 条線文 祭器」--英一が「弁慶」と名付けた逸品「青花 草花文 面取瓶」--深い乳白色の朝鮮時代のやきもの売店で「安宅コレクション余聞 美の猟犬」(伊藤郁太郎)を読みながら、コレクターという人生を全うした安宅英一のことを思った。猟犬は伊藤本人のこと。この企画展が「安宅英一の眼」となっているのは、その眼が選んだものを展示するという意味で、ものの背後にある安宅英一の眼を感じてもらいたいということだろう。コレクターという人々にも興味が湧く。
2008/02/17
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福岡。私にとっては博多といった方がしっくりと馴染む名前だ。今回の帰省では、母と博多に出かける。午後、福岡市美術館で行われている「美の求道者・安宅英一の眼 安宅コレクション」を観て、夕刻はキャナルシティのシネマで山田洋二監督の「母べえ」(かあべえ)を楽しみ、その後中州の屋台で天ぷら、焼き鳥、などを食べる。宿泊はホテル日航福岡。「母べえ」(かあべえ)は、1940年(昭和15年9から1941年(昭和16年)にかけての東京郊外のつつましい家庭が舞台。太平洋戦争の始まろうとする時代に翻弄されながら生きる、貧しく暖かい家庭の物語。母親役の主演は吉永小百合。短い生涯だった竹内浩三(1921-1945年)の詩に山田監洋次監督が興味を持って調べていたところ、一緒に仕事をしていた野上照代さんが詳しいことがわかり、「父へのレクイエム」(「母べえ」に改題)という野上書いた本を手渡される。それがきっかけで映画化された。吉永小百合さんが好演していたが、山田監督は「母べえは違います。考える力を持っていた。つまり、個、自分という考え方を持っていた人です。その意味で吉永小百合さんいふさわしい役でしたね」とパンフレットの中で語っている。この物語に出てくる二人の姉妹、初べえと照べえは当時10歳前後だったが、私の母と同じ世代だなあと思いながら観たが、終了後パンフで野上照代さんの略歴をみるとまさに1927年(昭和2年)だから母と同じ年だった。この映画の時代背景は、赤紙、言論統制、贅沢品撲滅運動、治安維持法、転向、灯火管制、特高、隣組、といった言葉で想像できる。また、音楽は富田勲先生だった。「この映画が描いているものは、あのどん底の時代に必死になって家族を守った「母」なんですね。」「ピアノの透明な音によって、その、内なるエネルギーを表現したいと思ったのです」「夫が政治犯で捕まり、二人の子供を女手一つで育てていかなくてはならなくなったという、あの時代においても更にどん底にあった母親像でした。」「山田さんの映画作品における音楽の立場とは、風景でいえば山であり、月であり、星であり。一歩離れたところからじっと人間模様をやさしく見つめ続けるような存在である、というのが僕の持論です」「武士の一分」の時に出ていた、壇れい、坂東三津五郎、笹野高史が重要な役割で出演している。壇れいは父べえの妹の野上久子役、キムタク演じる武士の敵役だった三津五郎は今回は学者の野上滋役で吉永小百合演じる母べえの夫、笹野高史は「武士の一分」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞したが、今回は特高を好演している。
2008/02/16
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中津に帰省。鷹匠町の大江医家史料館を訪問。中津は蘭学発祥の地であるが、この史料館は村上医家史料館と並ぶ施設だ。初代大江玄仙以来、代々御殿医を勤めた大江家には「医は仁術ならざるの術、務めて仁をさんと欲す」という戒めの言葉が残っている。大江雲沢(1822-1899年)は華岡青洲の弟子筋。前野良沢(1723-1803年)・杉田玄白らは、中津藩中屋敷の良沢の住まいで「ターヘル・ナトミア」の翻訳を行い4年後の1774年に「解体新書」として刊行した。中津の蘭学は前野良沢に始まり、福沢諭吉で終わる。「解体新書」、大槻玄沢(1757-1827年)の「重訂解体新書」の本物、「華岡青洲所診画帳」などが展示されている。明治に入っても、日本最初の洋式歯科医・小幡英之助、外科学のパイオニア・田代基徳、整形外科の開祖・田代義徳、心臓の神経伝導系に関する研究で有名な田原淳などが出ている。敷設の薬草園もある。前回の帰省の折に訪ねた「村上医家史料館」と一緒に整備された施設である。中津の医学・蘭学の関係は、一度整理する必要がある。夜は高校時代の仲間と夜遅くまで。毎回帰るたびに恒例のとなっているが、今回は10名。医者、建築事務所、弁理士、ハム製造会社、ビル管理会社、建築資材、保険業、、、など定年がない仕事をしているメンバーが多い。結局、三次会まで付き合ってもらって、楽しい時間を過ごした。二次会のバーで、評点が出るカラオケで久しぶりに歌った「コモエスタ赤坂」が91点で同点二位となったのが面白かった。
2008/02/15
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はらからはみな床辺にありがとう我れ逝くもこの秋空は変わりなし底のなき大空に向けはばたかんゴミばかり残して天寿を全うすこの句は92歳で亡くなった横松宗先生の辞世の句である。この先生は90歳の卒寿のお祝いの会で、新しい著作を配った人だから、本や評論を多数残している。一生かけて書いた文章を「ゴミ」という表現をしたのが面白く味わいがある。
2008/02/14
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朝日新聞、日経新聞、読売新聞が共同してつくった新聞読み比べサイト「あらたにす」をigoogleに登録して見始めた。朝日と日経は自宅でとっているが、読売の記事もこのサイトで読めるので少し便利になった。このサイトの特徴は「比べる」という点である。「くらべる一面」、「くらべる社会面」、「くらべる社説」というコーナーがあって、それぞれの面の構成やテーマのアクセントもわかるから、頭がある方向に固定しなくていい。そういう意味では朝日、日経、読売というそれぞれ独特のカラーを持つ新聞の集合は、なかなかバランスがいい。またこのサイトでは、夕刊も読むことができる。仙台では夕刊があるのは地元のブロック紙・河北新報だけで、他の新聞の夕刊は売っていない。そういう不便はこのサイトで補完できるから、そういう地域の人にはメリットがある。このブログを書いているのは14日の早朝だが、朝刊の記事が掲載されているのは11日までで、12日と13日は夕刊のみの掲載となっている。メインの朝刊の記事は2-3日遅らせて載せている。11日の一面。朝日:岩国市長選、NOVA前社長本格捜査、インドネシア介護士日経:新日鉄鋼板値上げへ、岩国市長選、ヤフー提案拒否へ読売:「運慶」米で競売、岩国市長選、迷惑メールに罰金一面だけのある一日の比較だが、それぞれの新聞の選択眼が違うことがわかる。選挙報道なども、新聞によって選挙結果の勝ち負けの印象まで違っているのが現実なので、一紙のみ読んでいるのは危険である。最近の学生は新聞をとっていない人も多く、大人はそれを非難するが、このようなサイトを読むことによって、バランスの良い見方ができるようになるかもしれない。もう少しウオッチしてみたい。
2008/02/13
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NPO法人知的生産の技術研究会の仙台支部は、「団塊世代シリーズ」と銘打ってセミナーを開催している。統一テーマは、「これまでの私、これからの私」である。毎回、団塊世代を中心として興味深い話が聞ける。今回は、仙台放送取締役の志伯知伊(しはく)さんを講師に招いた。日経新聞の仙台支局長だった篠原さんの送別会に呼んでいただいて最初にお会いしたが、その後お誘いを受けて何度かお会いしている。何となく自分と同じ匂いを感じていたのだが、その理由が講演を聞いてはっきりわかった。志伯さんもネットワーカーだったのだ。本業でのテレビ局での仕事の話はもちろん興味深かったが、「仙台はなもく会」という39歳の時(1989年)に始めた会が、その後の仕事人生にも個人としての生き方にもじわじわと大きな影響を与えていることがわかった。この会は毎週木曜日の朝7時半にセミナーを実施してきて、現在まで20年続いて800回のセミナーを実施しているという素晴らしい会だ。この会で地域のさまざまな人と知り合い、企画や金集めに奔走し、遊びに熱中する。この中で得たものが仕事のスケールを大きくしていく。そういう循環の中で充実した時間を過ごしてきたと感じる。仙台はなもく会も、ネットワーカーにとって先がけであり憧れだった「丸の内朝飯会」(1963年発足、現在までに2000回のセミナーを実施)に影響を受けて、仕組みをとりいれた。この会の名前や「知恵の輪」という勉強会ネットワークの名前も懐かしい。私が30歳から参加した「知研」での活動もよく似ていて、話に深く共感した。終了後は、例によって二次会で愉快に10人ほどで飲みながら、続きを楽しむ。写真は、私のゼミ一期生だった伊藤恵くんや、市議の佐藤わか子さん(二次会のみ)、栗駒自然学校の佐々木さん、富田さん、岩澤君、横野さん、粟野さん、講師の志伯さんと私。そういえば、仙台知研も10年たった。
2008/02/12
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この3年の私自身の最大のトピックは「人物記念館の旅」を始めたことだろうか。200館を越えたところだが、先日嬉しい申し込みがあった。日本経済新聞の最終面の文化欄へ、このテーマでの登場の依頼があった。この欄は面白い人が毎日のように出て好奇心を刺激される。私も永年のファンである。記者によると、この欄の登場者は奇人・変人が多いという。私もその一人に認定されたというわけだ。この文化欄の記事は、随分と長い文章という印象があるが、字が大きくなったりしたこともあって、今では400字詰原稿用紙で4枚半だそうだ。意外に少ない。その中で人物記念館の旅の魅力と面白いエピソードを語るのはなかなか難しい注文だ。写真もいっぱい撮っているのだが、いざとなるとぴったりの写真はない。今、急いで手に入れているところだ。掲載された記事を読んで、賛同者が現れるといいなあ。
2008/02/11
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書斎の片付けをしていたところ、昔の日記が出てきた。31歳から32歳にかけての毎日の事柄や感慨が数行程度記されていて、懐かしくなった。仕事のこと、知研活動のこと、異動のこと、事故のこと、出版のこと、などが書かれている。結婚して、仕事がようやく忙しくなってきた時代であり、当時のことがよみがえってきた。最初の子どもの誕生のことが書いてあり、本人も含めみんなで笑いあった。-----------------------------------------------1月14日。 恭子からTEL 子どもが生まれる。9月初め。 できたかあ、親になるのか、という感慨がある。 夜は、知研。「危機管理のノウハウ」(佐々淳行先生) 新宿で二人で祝杯をあげる。ひどい風邪。8月26日。 午前5時40分頃、電話に起こされる。 「女児誕生、母子ともに元気」意外にあっけない。 空ろな意識の中で、奇妙な、新鮮な、唐突な、おどろきをおぼえる。 不思議な感じの中にいる。 2時に厚生病院へ。 体重が2495gと少ないので、未熟児病棟の方に入れられていた。 「ハナが高い」」のはわかるが、あとは、誰に似たのか、さっぱりわからない。 元気が良い。8月28日 「梓」と命名する。9月4日 出生届。 梓は、ぐんぐん大きくなっていた。 丸顔に近くなった。 恭子の乳がよく出るので、どんどん飲む。------------------------------------------------その他。10月24日 本社勤労部への異動の話あり。しかし、仕事が最ものりきったところなので、断る。11月24日 この日記を書き始めてから丁度1ヶ月。勤労部への異動の話が終わったところから 書き始めたのだが、何と1ヶ月後には、又、異動の話。 羽田。客室本部業務部予算定員グループ。、、、、12月21日 客室本部へ初出勤。 夜は、中村課長、村林さん、小野瀬さんとかまたで飲む。 挑発にのって、しゃべりすぎてしまったようだ。 意外、朝の電車は座れる! 有効活用が決め手だ。2月9日 羽田沖にて事故。 9時頃から朝の2時過ぎまで羽田東急ホテルにて事故対策に没頭。 自宅帰着は、午前3時。7月30日 「自分学のための知的生産術」(八木哲郎、久恒啓一、久保秀寧、竹内元一 著) TBSブリタニカ。8月14日 東京都武蔵野青年の家の研修会における講師を依頼される。9月1日 知研会議 四谷ルノアール。 「自分学のための知的生産術」(1200円)9月20日発売。9月22日 知研講演会。加藤秀俊先生。 「自分学のための知的生産術」 ついに本の本物をみる。 1200円にしては少し安っぽい感じはするが仲仲良い本。 32歳で処女作か。さて、がんばるぞ。------------------------------------------------当時はやった三年連続日記で重厚な造りの日記だが、最初の1年目のみ書き込んである。当時は、結婚し、異動があり、子どもが生まれ、初めての本が出る、という疾風怒涛の日々で、ひたすら毎日を忙しく生きていたという気がする。
2008/02/10
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三笠書房から2月末に出る文庫本の見本が届いた。この文庫本は「知的生き方文庫」というシリーズの中に加わる。以前出した本の内容を書き加えてバージョンアップしたもので、「通勤」というテーマを扱っているが、基本は時間の使い方の本である。モノトーンのおしゃれなデザインで、オビにもコーティングがかかっている、感じのいい本に仕上がっていて嬉しい。文庫という本の形態には、値段が安く手軽に読めるという利点がある。この本も5百円強という値段がついているからワンコインで買えるという魅力がある。最近は出版各社が「新書」で競っているが、文庫も健在で、一般の単行本よりは売れる部数が断然多い。また単行本を読む層とは購入層も違うらしく、新しい読者がつく楽しみもある。三笠書房の「知的生き方文庫」という名前には若い頃からあこがれていた記憶がある。ビジネスマン時代から「知的生き方」に関心があったから、この文庫にある偉い先生たちの本は随分と読んだし、ためになったから、このシリーズに入るのもある種の感慨がある。著者にとっての文庫や新書のよさは、いつでも自分の本が本屋にあるということである。単行本の場合は、すぐに無くなってしまうので、なかなか見つからないことになる。かなりの量の本を出していても、すぐに店頭から消えるのでむなしく感じることもある。今まで書いた本の中にもあまり売れなくても、自分の気に入っているものもある。そういうものが文庫本となって人の目に触れるのは嬉しいことである。文庫本というジャンルにも意識的に取り組んでみようか。
2008/02/09
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六本木の国立新美術館で開催されている「没後50年 横山大観--新たなる伝説へ」を観る。大観は明治元年生まれで、1958年に90歳で亡くなっているから2008年の今年が50年目である。無我、村童観猿翁(卒業製作)、迷児(釈迦・孔子・老子の三教にキリストを加えた絵)、月夜の波図(ボストンからの里帰り作品)、雲去来、焚火、荒川絵巻、生々流転(霧・露・川・大河・海へと続く。万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変ってゆくこと)、洛中洛外雨十題(大気の変化)、夜桜(ローマ日本美術展出品)、紅葉、正気放光(1944年)、南冥の夜、秋色、そして四時山水。富士の堂々とした姿を描いた「正気放光」が良かった。また、夜霧がやがて海に通じていく「生々流転」、79歳の時の作品「四時山水」も良かった。四時山水は、27メートルに及ぶ絵巻で一日の中に日本の絶景の四季を入れ込んだ名作である。大観記念館でも部分をみたが、今回は最初から最後までずべて鑑賞できた。-------------帝劇の中にあるビルに出光美術館があり、「描かれた伊勢物語 王朝の恋」が開催されている。「むかし男ありけり」で始まる125段の短編である。この男は在原業平。い。館内の展示は6つに分かれている。1.むかし男ありけり--業平の肖像2.描かれた恋の行方--絵巻3.描かれた恋の行方--宗達色紙紙44.東下り--ある男の旅愁5.恋白露--運命(さだめ)と哀歌6.伊勢物語を描く3の東下りでは、酒井抱一、尾形光琳、俵屋宗達、4では山口逢春、5では江戸時代の絵入りの伊勢物語の嵯峨本のヒット本、土佐派・狩野派・宗達派の伊勢物語絵など。奈良絵本、、。大観展も伊勢物語も中年女性が圧倒的多数を占めている。後は高齢の夫婦といったところ。伊勢物語は、今年千年紀を迎える源氏物語よりも100年ほど前にできた物語だが、この時代の男女の短歌を介したやりとりは実に優雅だ。
2008/02/08
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丸の内の日本工業倶楽部で行われた寺島実郎さんの「脳力のレッスン2」の出版記念会に出席した。岩波書店の総合雑誌「世界」に連載中の作品を書籍化したものである。「脳力」(のうりき)とは、物事の本質を考え抜く力、と定義されている。寺島さんの本は単著としては17冊目だが、いずれも密度が濃く、この本も緊張感が漲っている。司会はNHKの木村アナ。重々しいつくりの会場は300人の、これまたマスコミ、政治、企業などの第一線で活躍中の重厚な人々で埋め尽くされていた。挨拶は、版元の岩波書店の山口社長、朝日新聞の箱島元社長、米国弁護士のアーサー・ミッチェル氏だった。箱島氏とは20代からのの付き合い、ミッチェル氏とはワシントン時代からの付き合いだ。いくつかのキーワードを挙げてみる。虫の目と鳥の目。時間軸と空間軸。著書等身。30分ほどの短い講演だったが、会場全体が静かに聞き入る独特の雰囲気である。以下、キーワードを少しだけ。3位となった中国。海の中国と陸の中国の合計が日本を凌駕。人流の変化は7年間で一変。為替の魔術。中国、韓国、豪、露から日本へ。ニセコ(オーストラリア人)、苗場(ロシア人)、別府(韓国人)。空海。知的基盤の劣化を克服して、知的インフラづくりをすることが自分が集中してやるべき役割と認識。懇親会は、野田一夫先生の挨拶、日経連の元会長の根本さんの乾杯の挨拶で始まる。寺島さん、野田先生、沈さん、知研のメンバー、、、、。このところ、寺島さんはあらゆる講演で「世界潮流と日本の進路を考える基本資料」という10ページほどのレジメを使う。世界情勢をみる基本的な数字の最新版を網羅したものである。21世紀に入って7年間の世界潮流2008年、パラダイム転換の予兆21世紀初頭に関する5つの視点資料・世界情勢について--「高成長の同時化」の特徴・米国について------「脱9・11」へのパラダイム転換・日本について----ポテンシャルの生かし方・アジアダイナミズム・ユーラシアダイナミズム・21世紀の世界潮流---日本の選択肢「統計数値は一瞬を切り取ったものにすぎず、「行く川の水」のごとく変化している動体を便宜的に止めてみせたものである。それでも、時代の観察者は自分の足や耳目で実感した現場のフィーリングや勘のよなものを、絶えず数字で検証・確認する作業を怠ってはならない。そのための素材としての統計数値は重要であり、東洋経済新報社発行の「統計月報」などを身近に置き、暇があれば数字の変化の背景にある意味を考えている。」(「世界」2008年3月「脳力のレッスン・71」)この本もそうだが、寺島さんは人との付き合いも、書き物も長く続けることで、現在の高みに至っていることを痛感する。
2008/02/07
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火曜日は、卒業論文(学部)発表会。水曜日は、修士論文(大学院)最終試験。指導している学生と院生は、準備が十分だったのでいい発表となったと思う。
2008/02/06
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「著作物の電子書籍配信のお願い」という文書がある出版社から届いた。すでに発刊している書籍を、電子書籍、あるいはウェブまたはモバイル上で配信するとのことである。電子書籍は、コンテンツプロバイダーの増加、取次店、取次代行店の増加で、以前よりも多くの読者へ配信されるようになったのがその背景にある。出版社としては、読者の支持があった本を、電子書籍としても多くの読者に届けていきたいのだ。「コンテンツプロバイダー」とは、売り場である書店に相当する。電子書籍の場合は「読者」は「聴者」とでも言うのだろうか。この文書の中では、ユーザーという言葉と読者という言葉があった。また、「読書」ではなく、「音(オト)読書」とでもいうことになるのだろうか。あるコンテンツプロバイダーを覗いてみると、著者、価格、時間、製作元、出版社、出版日、ナレーター、そしてサンプルという欄があり数分間中身を聴けるようになっている。1冊分は、3時間ほどの時間がかかる。また価格は書籍の場合とあまり変わらない。ナレーターという項には、本を読む人の名前が記されている。サンプル版を何本か聴いてみたが、一般に早口でしゃべる傾向にある。目で読むより音読は時間がかかるのでそうなるのだろう。クリック一つでダウンロードできるから、現金払いやカード払いよりもバリアが低いから「衝動買い」はリアル書店よりも多くなるかもしれない。今まであまり知らなかったが、電子書籍のビジネスモデルも洗練されつつあるという印象を持った。なかなか興味深い。出版ビジネスの未来のひとつかもしれない。febeというコンテンツプロバイダーの今週のダウンロードランキングは以下のとおり。小説や実用書よりも、ビジネス書の方が売れ筋のようだ。--------------------第1位 『大人のスピード勉強法―時間がない人の66の具体例』第2位 『職場の法律知識を学ぶ第3位 『なぜあの人の話に納得してしまうのか―説得力を磨く52のヒント』第4位 『1週間は金曜日から始めなさい』第5位 『なぜか好かれる人の話し方 なぜか嫌われる人の話し方』第6位 『女子大生会計士の事件簿<前編>』第7位 『原因と結果の法則』第8位 『P.F.ドラッカー経営論第31章「「すでに起こった未来」への準備」』第9位 『会社に行くことがツラくなったら読む本第10位 『超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ!』
2008/02/05
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「R25」という首都圏のフリーマガジンの取材を受けた。このマガジンからの取材は、2005年に続いて2度目である。首都圏の鉄道、コンビニ、飲食店などに置かれているが、発売と同時に一気になくなってしまうというほど人気が高い。60万部に達するというこら凄い発行部数である。発行元はリクルート。先日東京出張時に駅で観察していたら、通勤者が争って手にしていく光景をみた。このマガジンの成功によって25歳から35歳の男性ビジネスマンを指す「R25世代」という新語が生まれた。団塊ジュニア世代の別名である。女性用にL25というフリーマガジンも創刊されているという。今回のテーマは「あなたの成長の素はなんですか? たった3時間で振り返る 自分発見ノート術!」「自分史」「ライフデザイン」「キャリアデザイン」などをキーワードにいくつか本を出していることが今回の取材の契機となった。特に30代に向けた本が取材中に話題になった。フリーマガジンは広告とのタイアップ企画で成り立っている。ある商品の販促企画があって、それにあわせて企画を考え出し、結果的にその商品が浸透することに寄与するから、読者は無料でマガジンを読むことができる。編集者は頭を使いながら、商品と読者対象の接点を探り、企画に結実していく。そして商品を売る企業は媒体としての効果を厳しく査定するから、継続的にヒット企画を出し続けなければ、こういう雑誌は成立しない。あからさまな内容ではなく、記事として書くから、こういうマガジンの編集者には力量が求められるし、力量がしだいに上がっていくと思う。私もこの世代に向けての本の出版が最近多いから、そのどれかをプロフィール欄で紹介してもらうことになった。1月に出した「勉強はやめて、けもの道を走ろう!」(ビジネス社)か、2月に出る予定の「通勤電車 超活用法」(三笠・知的生き方文庫)か、どちらかにしたい。-------------------------------------------------------媒体概要 : 誌名『R25:アールニジュウゴ』 毎週木曜日発刊 /発行部数60万部(首都圏)「25歳以上のオトコの情熱誌」をテーマにしたフリーマガジンです。R25世代(=団塊Jr.世代)の「変わらなきゃ」という気持ちを勇気づけ、行動を支援するための情報を、毎週無料で提供しています。版型 :A4変形(287mm×210mm)・右開き 編成 :オールカラー52ページ配布 :2004年7月1日より毎週木曜日 掲載企画 :今週の招待状(4P) 部数 :60万部発行 :株式会社リクルート配布場所 :首都圏(鉄道、コンビニ、飲食店等の個店etc)ウェブサイト :http://r25.jp---------------------------------------------------------
2008/02/04
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水戸藩の藩校として有名な弘道館を訪ねた。日本最大規模の藩校というだけあって敷地は広い。5万4千坪というと、私の勤務する宮城大学が6万坪だから、ほぼ同じ面積である。東京ドーム4個分という。長州萩の明倫館の4倍、加賀藩の明倫堂の3倍のスケールである。この当時の総合大学ができたのは1841年だから、明治維新の27年前だ。幕末をまじかに控えた時期であり内外の危機の打開のための人材育成が目的だった。つくったのは名君として知られる九代藩主・水戸斉昭(1800-1860年)である。激しい性格だったからだろうか、烈公と呼ばれる。在位中に数々の改革を15年間断行したが、やりすぎて幕府から注意があり、引退する。この烈公の七男が慶喜で、後の最後の将軍・徳川慶喜である。尊王攘夷の水戸学の地であり、「尊攘」と書いた気迫あふれる書が架けてあった。背の高い、そして動きの多い、志の高い武者のような書だった。水戸藩の藩士は15歳になって弘道館に入る。身分によって登校日が決まっており、30歳までは義務、そして40歳までは自由という決まりである。「遊於芸」という書もあった。学問尚武に凝り固まらず、ゆうゆう楽しみながら勉強するという意味だ。この藩校では基礎科目として六芸を教えた。礼(礼儀作法)楽(音楽)射(弓術) ?(馬術)書(習字)算(算術)。弘道館の弘道は、道を広める人を育てるという意味だ。正庁、至善堂、詰所、文館、武館、医学館などの建物があった。建学の精神を示した「弘道館記」には神儒一致、忠孝一致、文武一致、学問事業一致、治教一致の5つの方針が示されている。水戸学と呼ばれる体系は、儒学(朱子学)を中心に国学・神道をも総合したものである。後期水戸学は国内製jの改革を断行し、国家統一の必要性を説き、頂点に天皇を位置して大義名分論を特色としていた。そのイデオローグが、会沢正志斎と藤田東湖である。水戸学は多くの志士たちに影響を与えた。真木和泉、吉田松陰、久坂玄瑞など。傑物・斉昭が熱心に教育した慶喜は、退勢覆うべくもない状況下で将軍となる。英邁と言われた将軍であったが、薩長の官軍に対してあっけなく大政奉還を行い、歴史を回転させたあとは、ひたすら静かに暮らした。一時水戸で謹慎してりいたが、駿府(静岡)で晩年というにはあまりに若く隠棲してしまう。その住居跡の名園を訪ねたことを思い出した。慶喜に生涯仕えた渋沢栄一は、明治34年頃に伊藤博文との交わした会話を記している。伊藤は、「今にして始めて其非凡なるをし知れり」といい、慶喜公に「維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問い試みたり」、「唯庭訓を守り氏ひに過ぎず。、、、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめわすること勿れ、万一の為に諭し置くなりと教えられき、、」。慶喜の行動はこのような教えに基づいていたならば理解できる気もする。慶喜は水戸藩の後継者だったのである。
2008/02/03
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黄門様という名前で知られている水戸光圀(1628-1701年)は、実は諸国を漫遊してはいない。光圀の業績の最たるものは、「大日本史」の編纂事業を始めたことだ。この本は着手から完成するまで実に250年の歳月がかかっているから、空前絶後の大事業だ。歴史書編纂のために使いを出し諸国の歴史資料を収集した。これが黄門様の諸国漫遊の物語につながっていく。すけさん、かくさんは、この編纂事業の重要な仕事師だった。水戸市の「義烈館」を訪問したが、あいにく休館日だったが、常盤神社とそれに連なる偕楽園を少し見学できた。偕楽園は「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子)からとったものだ。義烈館の「義」は水戸藩2代藩主・水戸光圀が義公と呼ばれていたこと、また9代藩主・斉昭が烈公と呼ばれていたことから、つけられた名称であるこの二人の名君と斉昭の七男で一橋家にに養子に行った後の徳川慶喜がよく知られている。さて、水戸光圀の偉業・「大日本史」について興味を持ったので記したい。光圀は18歳のときに司馬遷の「史記」を読み、発奮し、日本書紀などの編年体の史書ではなく、本紀(天皇一代ごとの事跡)、列伝(天皇や皇后、臣下などの伝記)、志(文化史)、表(年表)とで構成される日本の「史記」をつくろうとした。編年体ではなく、紀伝体の歴史書の編纂が光圀の大いなる志だった。史料の蒐集と吟味・復元を始め12年経って基本的な史料が集まったので、編纂所をつくり本格的に事業を開始する。光圀が30歳の時である。その後、小石川に移り彰考館(古を明らかにして未来を考える、の意)と改名する。1.館に会する者は辰の半に入り未の刻に退くべし1.書策は謹んで汚壊紛失す可からず1.、、、若し他の駁する所あらば則ち虚心之を議し獨見を執る勿れなどが仕事の方針だった。この史書は、神武天皇から後小松川天皇までとし、文章の中に出典を割り註にして、研究の過程を後世に明らかにした。また南朝を正統としたことが特徴である。彰考館はその後、水戸に移る。光圀は73歳で亡くなるが、完成しない。列伝は没後15年目にやっとでき、それから修正が始まる。明治維新で水戸藩が無くなってからは、徳川家の私的な事業として続けられ、明治39年に、397巻、目録5巻の合計402巻が完成した。この間、実に250年の歳月がかかっている。徳川幕府の長さに匹敵する膨大な時間である。この大プロジェクトは、着想し、構想し、計画し、実行していくという順序に250年かけた。このプロジェクトのデザインをしたのが、義公・水戸光圀である。「大日本史」編纂のこの事業は、プロジェクトデザインという観点からみると大いに参考になるのではないだろうか。
2008/02/02
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毎年、千葉県幕張にある全国市町村職員中央研修所(市町村アカデミー)に出講している。この大きな研修所は総務省(旧自治省)所管で、全国の市町村の職員を継続的に教育してきた機関である。立派な建物、整った設備で、宿泊設備も整っており、2ヶ月程度の長期研修も行われている。国や地方という膨大な行政機構は、この国随一の巨大な教育研修機関でもある。変化しない部分、変化する部分を、研修という形でフォローするから、この研修所のような全国機関、ブロックの研修機関、各県の研修所などが重層的に存在していて、壮観である。今回は、専門実務研修という枠の中で、企画事務という分野の研修の一部を受け持った。全国の各県から1-2名ほどの受講生がいて、総勢47名だった。平均年齢は35歳。所属を見ると、企画、政策、総務などの文字が並んでいるから、それぞれ自治体の中核的人材である。企画財政課、産業経済課、企画商工課、企画管理課、総合政策課、行政経営推進室、まちなか整備課、生涯教育課、介護保険課、市長公室、経営企画部、人権推進課、政策推進課、地域振興課、経営戦略課、総務課、、、、。役職は、主任、係長、主査、主事、主任主事、専門員、、、、。いろいろな市町村名が並んでいる。津別市、白老町、八戸市、広尾町、三沢市、山元町、白鷹町、宇都宮市、川口市、蕨市、船橋市、習志野市、厚木市、長岡市、黒部市、長野市、垂井町、沼津市、焼津市、名古屋市、豊田市、犬山市、長久手市、四日市市、茨木市、三朝市、南部市、倉敷市、呉市、福山市、東広島市、防府市、香南市、那珂川町、久山町、鳥栖市、五島市、雲仙市、熊本市、都城市、和水市、沖縄市、全国知事会。長期総合計画という10年計画をつくるとき前回の計画の総括と反省はあらゆる自治体はまったくしていないこと、この10年の行革の失敗で全国の自治体の財政が破綻状態になったこと、説得型行政という仕事ぶりが住民とのトラブルの原因であること、行革は仕事のやり方の変革と考えるべきこと、企画という名の部門は調整をしており企画ができる人は少ないこと、文章と箇条書きによる仕事のやり方が限界にきていること、考える自治体職員が求められていること、公務員の勉強病から脱皮すべきこと、、、、などを講義。若手から中堅の職員層だが、やる気もあり、熱心だ。今回も私の故郷の大分県中津市からは受講生がきていない。研修担当者にデータをみせてもらったが、研修にもっとも不熱心な県の一つのようだった。残念なことだ。私の講演では必ずアンケートを書いてもらっているが、終了後すぐに書いてくれたので反応を読みながら帰る。今回も「目からウロコ」という言葉を使った感想が一割以上あった。行政研修の場では、初めて聞く考え方ということのようだ。行革、長期総合計画などの実務にすぐに生かしたいという感想も多かったから、それぞれの自治体で頑張って欲しいものだ。夕刻、東京に戻り、出版社と新企画の相談をした後、仙台へ。予約していたはやての1時間前の便に飛び乗ったが満席だった。幸い一席だけ空いていたので、座って帰れた。
2008/02/01
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