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新居に住んで4日目。住民登録家具購入書斎の机や椅子の発注大型テレビ搬入病院のチェック電話オープンインターネット開通書店の規模と品揃え渋谷のアップルストア新職場に挨拶 本日は、郵便局で、残高確認銀行で、口座を開設近所の整骨院役所で印鑑登録と発行警察署で免許の住所変更犬をアニマルクリニックに連れて行くやっと一息ついたところ。4月1日の夕刻から、新しいホームページをオープンする予定。(http://www.hisatune.net/)
2008/03/31
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3月31日と4月1日。年度の変わり目は、気分は一新し新しい計画が実行に移されていく。一方でシステムは継続していかねばならない。組織の仕事においても個人の生活においても、私たちは継続と廃棄と更新によるシステムの進化を遂げていく必要に迫られる。中止と断絶によって古いシステムと新しい要素の混合によってあいまいなゆるい体系になっていくのか、新しい要素を組み入れよりシャープなシステムに変貌していくのか、重要な岐路に立たされるのが、こういった変化の時期だ。住む場所が変わる、勤め先が変わる、家族構成が変わる。こういった中で長年築きあげた仕組みは、変化をチャンスとしてさらに進化を遂げていきたい。ブログ、メルマガ、ホームページというITの仕組みを組み合わせながらウェブ時代を生きているのだが、これをどのようにしていくのかを考えている。メルマガは「久恒啓一のビジネスマン教授日記」というタイトルで長く発行してきたが、この名前でいいのだろうか。ブログの「今日も生涯の一日なり」と同じというのも芸がない。名前の変更は本質を考える機会でもある。何のために出しているのか(目的)。どういう情報を出そうとしているのか(内容)。いくつかアイデアを吟味しているが4月7日の配信日までに決めたい。ブログは、「楽天」で書き続けてきた。昨年から同時並行で使い勝手がいいという「はてな」でも同じ内容を記して実験を重ねてきた。どちらか一方にするというよりも、メインとサブをどのようにデザインするか、という問題にも直面している。これもそろそろ結論を出さねばならない。また今までの内容でいくのか、という問題も考えている。ホームページについては、職場が変わることによる変化をどのように組み入れるかという大きなテーマを突きつけられている。活動の柱をどのようにするか、デザインの変更はどの程度までにするのか、今まで変革できなかった部分を今回を機会にどのように変えていくか、今後大事にしたいものは何か、何を目指すのか、新しい技術をどのように組み入れるか、、。ホームページの大きなデザイン変更を意識することによって、今後の人生の過ごし方について考えることを迫られる。表現しようとすると中身ができてくる、ということだ。4月1日から4月7日にかけて、すべて結論をだして、新しいステージに立つことにしたい。
2008/03/30
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・20世紀は主題の時代、21世紀は方法の時代。・西行は歌枕を一人で一つづつ訪ね歩いた。芭蕉は西行をまねて日本中を旅した。・自分自身が体験してきたことを端緒に組み合わせていけば日本や世界を語れる。・千の単位で繰り返された習慣が臨界値に達して何かを創発すること・普遍性や真実はテーマや領域にあるのではなくそれを扱う方法にある・日本という方法。日本は主題の国ではなく、方法の国だ・芸術にとって大事なことは関係だ。「ひと」や「もの」のあいだ。・ある設えをしてその中で子供の生命力が勝手に枝葉を伸ばすようなアプローチ・オーガニズム(有機的組織体)とメカニズム(機械的組織体)・メソッドは世界とのかかわりの方法そのもの・マンダラ的に、多神多仏的に議論するシステムが必要。統合。衆議。・複数の物事や人間や世界観を様々な角度や意味合いから見て新しい関係を発見すること松岡正剛(1944年生)と茂木健一郎(1962年生)の対談「脳と日本人」を読んで、特に印象に残る部分を抜き出してみた。これらの言葉は自分の考えに近いもの、触発されるものということになる。ピックアップした言葉は結果的に一つを除いてすべて「編集」というキーワードで物事を見ている松岡正剛の言葉だった。考えや体質や方向が近いのだろう。引っかかった、その他のキーワード。総合的な才能と視点、場面と局面、芸風、脈絡、出会い、来歴を含めた多様性、浄土と穢土、持続、空撮り千回、グーグル的なものは生命現象に近づけない、断念、略図的原型、多様で一途な日本、引き算という方法、コミュニケーションと創造性、「空」は隙間、酸素は毒だった、毒出しの行為が創造、つまらないきれいさ、垣間見せる、曖昧、、、、。引っかかった人物群。西行、芭蕉、湯川秀樹、村上隆、三木成夫、白川静、内藤礼、土門拳、イサム・ノグチ、畠山重篤、中村元、、、、。----------------病院、ショッピングセンターの能舞台、書店、整体、見事な桜並木、行政の出張所、、、。新しい街を一人で探索する途中で、喫茶や待ち時間を使って一冊の本を読んだ。
2008/03/29
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キャリアの面では私は二度大きな決断をしている。最初は11年前に、20年以上勤めた日本航空を早期退職して、40代で大学教員への道を選択したときである。最初に雲をつかむような話があり、それが次第に形と実質を伴っていったのだが、実際の転身まで3年あったから気分はあがったりさがったりの連続だった。このとき頭の中にあったのは、これまでのビジネスマン生活の来し方であり、これからの人生の過ごし方だった。この3年間は、毎日会う人の人生を観察して参考にしていたから、最もライフコンシャス(人生を意識する)な時期だったと思う。これまで何をしてきたのか、そしてこれから何をしたいのか?この問いに自問自答しながら、ビジネスマンから教育者への道に大きくカジを切って宮城大学のある仙台へやってきた。今回は逆に東京(多摩大学)への転出であり短期間に決断する必要に迫られたが、その間私の頭の中にあったのは、最初のときと同じく、「これまで何をしてきたのか、そしてこれから何をしたいのか?」だった。10年という月日に、自分は何を目指して、何をして、どういう成果をあげたのだろうか。今回は50代になっており、妻や子供、親などの家族という存在のこれまでとこれからも重要なファクターにもなった。「これまで」については、この間にウェブ時代に突入したおかげで、ホームページという強力な記憶媒体を手にしていたこともあり、あらゆる分野のデータが整理されていたのは前回と違うところだ。ウェブ時代は、ライフコンシャスが強くなる時代でもある。「これまで」というより、「今日まで」という感覚である。今日まで何をしてきたかが明らかになっているので、「今日から」すべきことがみえている、というように感覚が鋭くなっているようだ。何度かあった送別会、壮行会では、「これまで」と「これから」という切り口で宮城での10年を総括した。「さよなら講義」のタイトルが、「これまでの10年 これからの10年」となったのはこういう経緯があったからだ。私たちは人生の旅人であるが、どの時点においても、「これまで」と「これから」を関連付けて説明できることが重要である。大学生の就職試験でも「これまでの大学生活」と「これからの社会人生活」つまりその会社での仕事をしたい動機が強く結びついていれば、面接官の心をつかむことができる。組織内部での転勤のときも、これまでの仕事の総括とこれからの抱負を語ることができることが大切である。組織の命に従うという受動的な姿勢ではなく、自分なりに「これまでとこれから」を意識的に総括する必要がある。キャリアの充実は実はこういった習慣によるところが多いのだ。転身の場合は、もっと強烈に、そして深く考えないと失敗する可能性が高い。私たちの世代の多くが定年という人為的な区切りで企業を去っているが、ここでもその後の人生が充実するかどうかは、この点にかかっていることは間違いがない。とすれば、「これまでの自分」と「これからの自分」は普遍的な問いということになる。人生を常に意識しながら毎日を送ることを「ライフコンシャス・ライフ」を名づけてみたいが、ダイエットと同じく意識が現実を変えていくようになっていく。ホームページ上に「これまでの10年 これからの10年」の講義の配布資料(総ページ数50ページ弱)の半分近くを掲示してみた。---------------http://www.hisatune.net/html/01-kyouiku/saisyu.htm使用した資料の一部がこちらからPDFでご覧頂けます---------------
2008/03/28
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最終日。書類の片付け。総合情報センター長と学長補佐の後任の梶先生と引継ぎ。退職関係の手続きと来期の授業関係の確認。秘書の鈴木さんと岩澤君と、近所のゴルフクラブのレストランで昼食。天気と景色の良い場所で大学での思い出や二人の今後を話題にする。タクシーで仙台駅に向かう。顔見知りの運転手だったが、今から東京に行くんですと告げると驚かれた。多分大学では私がもっともよくタクシーを使ったから、知り合いの運転手が多い。乗るたびによく話をした記憶がある。タクシー会社の職場で私のことをよく話題にする運転手さんのこと、時間がないときなど少々の違反を承知の上で走ってくれた人などが話題になった。この運転手さんは、「淋しくなります」「残念です」と何度も言ってくれて、降りる時には、わざわざ降りてきて握手を求められた。いろいろな人と交流があったなあ。こういうこともあって、最後はいい感じで仙台を後にした。東京ではそのまま赤坂に向かう。日本総合研究所の評議員会に出席のためだが、この財団は理事長が野田一夫先生で、会長が寺島実郎さんである。寺島さんは少し遅れてきて私の隣に座ったので、「今日、仙台から引き上げてきました」と小声で報告する。いくつか未来へ向けてのプロジェクトの話題がにぎやかだった。
2008/03/27
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宮城大学で最後の会議。8時40分から広報室ミーティング。10時:岩澤君といくつかのプロジェクトの進行確認の打合せ。11時半:デュナミス塩田君とホームページの打合せ。12時:税理士事務所との打合せ。13時:人事予算委員会13時半:改革委員会14時半:評議会評議会では、21年度8月に更新する予定の次期ネットワークに関する検討委員会の答申である基本方針を説明する。(学長からは、最後まできちんとやっていただいた、とのコメント)また、この2年間の図書館とネットワーク担当の総合情報センター長としての総括を報告した。18年6月に立てた方針と目標がどのくらい達成できたかという自己点検の報告である。図書の量と質の向上のための施策と成果、経営系データベースの導入、ネット障害の継続的減少の目標と達成、各種基本規程の整備、、、、。(学長からは、久恒先生らしく数字を使っての報告だったとのコメント)最後の評議会で、名誉教授の称号付与の議案が通り、4月からは「宮城大学名誉教授」という肩書きで仙台・宮城を中心に使うことが可能になった。この称号は終身使えるということなので、お世話になった東北で活動するときは活用し恩返しがしたい。18時45分からは、ホテル仙台プラザで評議会メンバーの歓送迎会。送られる人は、開学以来の同僚教授の生嶋先生(名誉教授)、病院局長に栄転する千葉事務局長と私の3人。評議会メンバーは、学長、副学長、各学部長、各研究科長、各センター長、各学部選出のメンバーで構成される。大学の最高意思決定機関である。今日の評議会も議題が多く、また議論が分かれる場面もあったが評議会としての判断もきちんと合意できた。私の挨拶では、まず仙台に中学3年できた娘が、本日の評議会の途中に看護師試験に合格したという連絡があったことを報告。11年前に会社を辞めて宮城大学に赴任するときは、まず私の転身の決意があり、妻がそれにしたがい、中3と小6の子供たちを引っ張って仙台にきたこと。そのときは千葉の家を売って背水の陣できたこと。今回の転出は、まず子供たちが東京にでることになり、妻が淋しがり始めたこと、両方の親が年をとってきたこと、その先に多摩大学の話が出てきたこと、そして宮城大学での立場や法人化直前という時期であったことなども考慮に入れた上での大きな決断であったこと。東京から仙台にきたときは、仕事(公)を優先して家族(私)も大きな影響を受けたが、今回は家族(私)の動向から仕事(公)の場も影響を受けることになり、それでいいと私も思ったこと。公から私への変化がこの11年の変化。大学も、公立大学から私立大学へ。これも公から私への流れかもしれない。というような話をしながら、これまでお世話になったことに感謝した。白石副学長、山田副学長、千葉事務局長、金子学部長、小林学部長、高木副局長、馬渡学長、鈴木副局長、遠藤教授、桑名教授、加藤教授、、などと個別に歓談し、ねぎらいの言葉や互いの本音を交わし、いい形でのお別れの挨拶ができた。
2008/03/26
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朝食は新任の菅野さんと一緒にとりながらよもやま話。9時からは、昨日野田代行から提起された「学生満足」という方向に沿って、4つのグループに分かれてディスカッションに入る。昼食会場になっているレストランは海の眺望が素晴らしい。午後からは、各グループの発表と全体議論、そして各参加者からの今回のティーチインに関する総括と続いた。県立大学と私立大学との違いなども感じながら議論に参加したが、現状把握と問題点の確認、そして解決の方向が見えてなかなか面白かった。大学創業のDNAの存在、教員と職員の一体感、学長の交代、など未来へ向けて材料はそろっていると感じた。今回のティーチインの成果の全体像と具体的な推進課題と実行手順が連休前までにまとまることになった。午後3時にティーチインは終了。熱海駅から東海道新幹線で東京に出て、そのまま東北新幹線に乗り換えて仙台へ。仙台駅前のメトロポリタンホテルで友人と待ち合わせて食事をする。本拠地が既に東京に移っているので、景色の見え方が少し違うように感じた。
2008/03/25
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車で町田まで送ってもらって、樋口さんの車で熱海へ。ホテルニューアカオで行われた多摩大学のティーチインという名前の合宿に参加。経営情報学部の先生たち、私を含めた4人の新任の教員、そして事務局の総勢30人ほどが参集して、外部講師の講話を聞き、それについての意見交換を行った。夕刻からは、初代学長でこの4月から学長代行として十数年ぶりに復帰する野田一夫学長代行の話があった。野田先生の創業の精神に関するお話や学生満足に関わる指針は素晴らしく、またユーモアにあふれているので、1時間半にわたって全員がいちいち納得しながら聞いていたように思う。相変わらず「野田節」は冴えている。またこの大学で野田先生とご一緒するのとは奇縁である。食事会、入浴を終えて、今回の企画側である学部長、次期学部長、そして担当の先生らと午前一時まで話し込んだ。参加した先生たちも事務局の職員も、人柄もよく、そして熱心に議論に参加していて気持ちがいい。
2008/03/24
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今日だけがスケジュールがない日だった。新居の片付け。犬の散歩。府中に住む八木さんが来訪。そして午後は買い物。いろいろとトラブルがあったが、インターネットがようやくつながった。やはりインターネットは、生存のためのインフラであると改めて確認。明日からは、熱海での合宿、仙台二泊、東京での会議と続く。
2008/03/23
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11時に東中野のテラハスウスに到着。NPO法人知的生産の技術研究会の理事会と総会と講演会、そして懇親会に出席するためだ。11時半から理事会。15時時班からは総会。理事長として理事会の司会、そして総会は2007年度の報告と決算報告。2008年度の方針と予算の報告。17時からは、「整理学」「取材学」などの著書で有名な加藤秀俊先生の講演会。加藤先生は78歳とのことだが、お話を聞くと切れ味の鋭い頭脳は健在だった。「知的生産と知的道楽」というタイトルだった。知的なものの生産という概念は存在するのか、知的なものに消費という概念は存在するのか、という根本的な疑念から出発。知的生産が何か新しいことを考えることだとしたら、自分の一生は先人が必ず前に言っているという絶望の連続だった。八木さんのイスラム研究も、久恒さんの人物記念館の旅も、知的度道楽ではないか。夏目漱石が「私の個人主義」という本を出している。人のためにするのが職業で、自分のためにするのが道楽である。学問というのは道楽である。道を楽しむ。今日もひとつ知って安らかに眠れる、今日の自分は昨日の自分ではない、という自己変革。「一次情報を大切に」。一次経験、現地踏破。体力と金銭的余裕。日本をもっと。今でも月1回は旅行する。足で歩くことが大切。加藤先生が、私の人物記念館の旅を材料にして何度も話題にしたのには驚いたし、知研の機関誌をよく読んでおられたのには恐縮した。質問の時間には、「職業の道楽化と道楽の職業化」について私も質問してみた。実に含蓄のある名講演だった。18時からは、二次会だったが、20数人の参加者で大いに盛り上がった。加藤先生も参加された。また新しいメンバーも数人いて仲間になってくれた。
2008/03/22
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新宿の京王プラザホテルで行われた多摩大学の教職員懇親会に参加した。この3月で職を退く中谷巌学長、4月から再登板する野田一夫学長代行、今年で退任する北矢教授などとも話ができた。教務、入試、就職などを担当する事務局職員の多くとも挨拶。新任の樋口裕一、菅野、沈の3先生ともじっくりと話ができた。多摩大学は教職員が仲ががよく、和気藹々とした雰囲気で、気持ちがいい。終了後は樋口さんと喫茶でコーヒーを飲みながら、よもやま話。
2008/03/21
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20日に仙台を発って途中群馬県で一泊し、21日の早朝に出て、東京の住居に到着。家族4人と愛犬との車での長旅だった。車2台での長旅である。愛犬が車が苦手で、ずっと泣き通しでかわいそうだったが、なんとか持ちこたえてくれた。早速新居に荷物を搬入し、なんとか住めるようになった。新しい生活が始まる。
2008/03/20
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宮城大学第8期生の卒業式。卒業式の日は、大学がもっとも華やかに彩られる日である。女子学生が色とりどりの和装で飾るので、とても明るくなる。卒業式では役職者は壇上にあがる。私は今年は総合情報センター長としての立場で参列した。最後の卒業式だなあとこの11年を思い出しながら、式典に参加した。式典の終了後は、全卒業生と教員が一同に会して恒例の写真撮影。父兄の撮影も非常に多い。学科単位の終了証書の手交式。卒業生は解放感にあふれていて実にうれしそうだ。教員がひとことづつはなむけの言葉をおくることになており、私は「最低ね3年は辞めてはだめだ。一心不乱に働き、信用を貯金せよ。そうすると自由が得られる」と激励。大学近くの仙台ロイヤルパークホテルでの謝恩会。女子学生は一転して洋装で大人びた雰囲気。普段あまりしゃべれなかった先生たちとも、話をする機会があってよかった。宮城大学における大きな行事はこれで終わり。ーーーーーーーーー夕方6時からの仙台放送(テレビ)で「名物教授が宮城に残したもの」というテーマで、私のさよなら講義の様子や県民サービス向上委員長会委員長としての仕事(パスポートの日曜交付。県立図書館の祝日開館。定禅寺ジャズフェスの歩行者天国、、)などが紹介された、河北新報の記事やコラム、テレビの番組など、惜しんでただいた。本当にありあたいことだ。
2008/03/19
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仙台のSS30という高層ビルの最上階のレストランを借り切って、仙台・宮城の友人たちが集まって送別会を開いてくれた。NPO法人知的生産の技術研究会仙台の会員、NPOキャリア開発研究機構の会員、県庁関係者、大崎市、多賀城市など地元自治体関係者、野田FC関係者、仙台放送、河北新報などのマスコミ関係者、地元企業経営者、開学時の仲間、宮城大学卒業生で構成する企業の役職員、宮城大学後援会関係者、県会議員や市会議員、、、、。東京や岩手県から駆けつけていただいた方も。開会の挨拶は富田秀夫さん、激励の言葉は、野田一夫初代学長、そして私のご挨拶、乾杯は古川電気工業の茂泉社長、スピーチは大崎市の高橋副市長と河北新報社の宮田記者、途中でのスピーチは、宮城大学の日野教授、くりこま高原自然学校の佐々木豊志代表、株式会社時空の檜野社長,株式会社デュナミスの渡辺一馬社長。最後の締めは、パスポートフィルの横野洋卯子社長。全員がこちらで知り合った親しい友人であり、いい雰囲気で皆さんと挨拶を交わすことができた。終盤で妻・恭子の挨拶、そして私からの御礼。会場の出口で、全員と握手をしてお別れをした。二次会では野田先生の切れ味の良いお話にみんなで感心し、笑いころげた。実に嬉しく楽しく愉快な壮行会となった。出席していただいた皆さん、この壮行会を準備運営していただいた皆さん、本当にありがとうございました。---------------------------------------------------ちょうどこの日の河北新報夕刊のコラム「河北抄」が私のことをとりあげてくれた。これもありがたいことだと感謝。 ある大学の教授にコメントを求められたら、手厳しく叱責されたことがあった。奥深い学問の世界をちょっとのぞき見て、分かったような口を利く記者が気に入らなかったのか、不勉強をなじられた。 そんな学究肌の先生も得難いが、今は市民に向かって分かりやすく情報発信できる教授が社会をリードする。 宮城大学事業構想学部の教授を三月で退き多摩大学に転出する久恒啓一さんもそんな一人。図解コミュニケーションや自分史などユニークな話題を幾つも提供してもらった。 忘れられないのが数年前、集団食中毒を起こした有名企業への提言書。学生らが会社の信頼回復の方策を独自にまとめたという面白い話だった。取材に行った時は、東京本社での説明会の日程がすでに決まっていた。 地域や住民、企業に直言する学問。まさに「実学」を広め実践した十一年間だった。 大学の仕事の質が一層問われる時代だ。「自分の仕事と社会がどうつながっているか理解することがもっとも大切」。先日の最終講義で久恒さんが話した。 針路が見えない会社や自治体の人たちへの警句でもあろう。---------------------------------------------------------------
2008/03/18
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ブログを毎日書いているのだが、優れた情報を発信する人々のブログも毎日読む習慣がついてきた。どの世界でも動いている人のブログは興味深いのだが、特にIT世界で活躍するブロガーの日常と情報には触発されることが多い。今日紹介するのは、アメリカ西海岸のシリンコンバレーで仕事をし、日本と行き来するDave Takeuchiという人のブログだ。「日本出張中--空港に荷物を置き忘れて思うアウトソーシング業の方向性」というタイトルで、自分の体験から事業の考察を行うという内容であるが、私の古巣についてのいい話題だったので、楽しみながら読んだ。----------------------------------------------------------成田空港でターンテーブルを回ってくる荷物をPick-Upしていた際に、スーツケースはPick-Upしたのだが背広のバッグを取り忘れてそのまま都内まで来てしまった、というオチ。ショック。このままでは翌日、某超大手メーカ企業様で取締役殿以下20名を前に、今着ているJeansをはいてプレゼンをする羽目になる。。。取り敢えず問い合わせ先を探さねばということで、財布の中をあれこれ見ると、JALのGlobal Clubのカードが出て来た。裏面に航空チケット予約の番号が書いてあったのでとりあえずここに電話してみる。電話口に出て来たオペレータの男性は、おそらくその日何十件も処理して来たであろう航空機チケット予約の話ではなく、いきなり成田空港に置いてきてしまった荷物の相談を持ちかけられて一瞬面食らったようだが、すぐに体勢を立て直して相談に乗ってくれた。彼は、大阪のJALのコールセンターでこの電話を今受けていることを説明した後、すぐにJALの成田空港内関係部署に連絡して当方宛電話する旨約束してくれた。また、何か手違いがあった時のため、ということで彼の名前と直通の電話番号を伝えてくれた。大変気持ちの良い対応。そして待つこと15分。携帯が鳴る。電話口に出て来たのは、JALの成田空港内遺失物関連の管理部署の女性。当方の背広バッグが成田にいる彼女の手元にきちんとあること、今晩使う必要がある荷物なのであれば、これからハイヤーを飛ばして都内の指定場所まで直接すぐ届けてくれること(無論、ハイヤー実費1~2万円がかかるが)、翌日のAM着でよければ宅急便(福山通運)を使ってホテルまで届けてくれること等を、てきぱきと説明してくれた。ハイヤー飛ばしてすぐ届けます、の提案には感心しきり。それにも増して感心したのは、本件の処理に際して彼らの組織内で横の連携が見事に機能していたこと。本件と全く関係の無い窓口に問い合わせたにも関わらず、たらい回し的な扱いが一切無い完璧な対応だった。最初の電話から15分で全て片付いてしまった。翌朝、宅急便で無事荷物がHotelの部屋まで届けられたのは言うまでも無い。ケースバイケースではあろうが、アメリカではなかなかこうは行かないことがある。そもそもコールセンターにつながる迄に、かなり待たされる。そして、やっとつながってもオペレータが自らの業務範囲以外の知識・情報を持っているケースは少なく、結果、幸運にもそのオペレータ個人に何らかのサービス精神があった場合でもイレギュラーなリクエストに実際に対応するのは難しい。オペレータは相当の確率で外部のアウトソース先の所属であろうし、そもそも当方のコールを受ける人が米国内にいるのか、という点からして怪しい。えてしてインドだったりもする。そして、たらい回し対応が始まる。-------------------------------------------------Name: Dave Takeuchi米国西海岸シリコンバレーにてITベンチャーへの投資業務に従事。システム開発プロマネ、商品デリバティブ取引のリスク管理、ASP事業の立ち上げ、日本国内のベンチャー投資業務を経て2004年11月に人事異動に伴い渡米。ソフトウェア工学(オブジェクト指向分析分野)専門。 e-mail dave.takeuchi@gmail.com
2008/03/17
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大和書房から新刊「仕事は頭でするな、身体(からだ)でせよ!」が3月18日に出る予定だ。一年前に出てまずまずヒットした「残業をするな、前業をせよ!」に続く本で、最近増えてきた若いビジネスマンへの応援歌という私のシリーズの一つという位置づけになる。前作よりもさらにいい本になったと思う。以下、見出しをあげてみる。三十歳までの脳はタテに伸ばせ頭を使う前に、無一文になるまで金を使え失敗してもいいから高みを目指せ成果を狙う前に「小さな信用」を貯金せよ意表をついて「バケる人」の四つの条件がむしゃらに働くほど自由になれる行き詰ったら人に会いに行け「師匠」を見つけて、朝から晩までマネをせよ「人の知恵のモザイク」で脳ミソは拡大するできないことは人に「お願い」せよ人に会うとは、情報の掛け算である人間関係という「クモの巣」を張り巡らせる凡人が秀才を追い抜く「時間テクニック」すべての仕事は「出会い頭」に片付けろ日付を切れば、やらない言い訳がなくなる計画は「希望表」程度でいいスケジュールは平面でなく「立体」として眺めよ「ムチャな締め切り」が神業を生む変化なき進化など、この世にはないチョウの羽ばたきが竜巻を起こすような働き方「永遠のミーハー」として走り回れ会社選びは「探検に行く!」心意気で「アイデア=変化+関係性」の公式を使え絶体絶命のトラブルには「淡々・ニコニコ」でいけ身体が頭をリードしたとき「習慣」になるホームランよりヒットを狙え呼吸するように「最新機器」を取り入れろ身体のコンディションも「プロ」の責任脳を刺激する「行動習慣」」を持つビジネスと人生に役立つ!読書術
2008/03/16
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先週の「さよなら講義」終了後に、東京を往復した。19時過ぎに東京駅に着いて最終の21時32分で仙台に向かった。もう18年も続いている仲間との久しぶりの会だった。この会だけはどんなことがあっても無理して仙台から駆けつけてきた。今回も皆の近況を聞いて刺激を受けた。この会は、各業界の代表的企業の広報や宣伝を担当する課長クラスの勉強会として出発したが、京都(ワコールの塚本社長の自宅での桜鑑賞会)や軽井沢(トイ・ミュージアム)への旅行、話題のレストランでの食事会、和服専門店とのタイアップでの和装の狂言鑑賞会など多彩な企画で毎回が思い出に残る会合となっている。今回は最近登場した「ホテルメトロポリタン丸の内」のレストラン「天空」だった(翌日の仙台での歓送会の会場の名前も「天空」だった)。夜景の眺望が素晴らしい。線路の上に建っているビルで、左手にグランタワーサウスがあり、右手には丸ビルなどが見える。今回の出席者。JR東日本の常務、東京ガスの副支店長、個人事務所代表(ワコール出身)、ビルサービス会社常務(日経新聞記者出身)、NTT関連企業副社長、マーケッティング・アドバイザー(小学館の名編編集者出身)、有名な写真家、ディズニー系企業社長(ソニー出身)、ニッポン放送常務、大手出版社社長、人脈と企画をテーマとする企業経営者(サントリー出身)、評論家、フランスの企業経営者、そして私である。今まで互いの年齢をよく知らなかったが今回わかった。50代後半から60過ぎまでだから、まさに団塊の世代の会である。それぞれ相当な人物なので話題が多く、また最新のトピックスも聞けて、本当に愉しい時間を毎回過ごしている。今回は、評論とコンサル活動で著名な波頭亮さん(マッキンゼー出身)と著作「プロフェッショナル原論」「就活の法則」を話題にしていろいろ考えを聞いた。私のブログでいただいたこれらの本の書評を書いて送っていたので、それも話題になった。また、パリから出張で一時帰国していた「日本の頭脳」といわれる今北純一さんともいろいろと意見交換ができた。今北さんはCVAというフランス企業のトップだが、同時に素晴らしい本を定期的に出しており教えられることが多い著名な論客である。今北さんは私の著作活動もフォローしているようで、話題にしてもらった。4月からはこのメンバーとも日常的な交遊が始まるのが楽しみだ。
2008/03/15
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今年度最後の、つまり宮城大学での最後の教授会。退職にあたり御礼の挨拶。 これまでの10年は冊子「宮城大学「時代の総決算」を参照されたい 創業期のメンバーが去り、これからの宮城大学は新メンバーで法人化に挑戦を教授会のあいだ中、一人ひとりの顔を改めて眺めて時間を過ごした。夜は事業構想学部の歓送会。本来なら対象者は4人だったが、それぞれの事情で3人が参加できなくなり、送られる側は私ひとりになった。学長、数人の事務局幹部、事業計画学科とデザイン情報学科の総計教員30人ほどでパーティ。私の挨拶は以下。一人だったのでやや長めの挨拶。 出処進退の哲学(特に辞め方が大事) 有終の美を飾るべく10月から半年間の精励 開学以来、充実した11年だったと総括 宮城大では頭と心の活性化=人づくり 人づくりの延長としての多摩大学・大学院での講義 母親の80歳での「私の伊勢物語」出版の話題 日本探検 そろそろライフワークに着手 日本の変革への参画 宮城大学へのメッセージ 高度な実学=問題解決の最前線に立つ(学歌「風上の息吹」) 公立大学法人化=自立=自由と自律学長以下数人からは、激励のメッセージ(挨拶)をもらう。古い教員とは、激動の11年の思い出を本音で語りあって、意外なこともわかるなど、楽しかった。若い教員、新しい教員からは、私の考えていること、やっていることに関心や期待も高いことがわかった。組織を出る時にようやくわかることもある。
2008/03/14
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13時半から事業計画学科主催の「さよなら講義」を行った。「これまでの10年 これからの10年」というテーマで1時間半ほどの講義となった。司会は宮原先生、冒頭の挨拶は金子学部長。全員に配布した「宮城大学時代の総決算」という48ページの冊子を使いながら話をしたが、来ていただいた方は顔見知りが多く、リラックスした雰囲気だった。教壇の側からみると、大崎市や多賀城市などの行政マン、民間企業の経営者や管理職の方々、ゼミの卒業生の社会人、現役のゼミ生たち、事業構想学部の先生たち、看護学部の先生たち、知研やキャリアなどのNPOの仲間などの顔がよくわかった。仙台放送(テレビ)の取材が入った。来週の「スーパーニュース」で長めの特集を予定しているそうだ。宮城県に残したもの、というような内容になるらしい。河北新報の記者や論説委員も参加していたので、記事になる可能性もある。探検精神計画魔と記録魔新・孔子の人生訓宮城大学時代の時代区分教育者研究者--図解コミュニケーション・キャリアデザイン地域貢献・社会貢献人物記念館の旅ウェブ時代をゆく図解ホームページ日本探検宮城大学へのメッセージ終了後は、大崎市の柏倉総務部長と宮城大学後援会の野口初代会長に挨拶をいただいた。そして学生や元秘書からの花束贈呈、参加していた妻と娘と並んでの御礼の挨拶と続く。多くの人の支えでここまできたことを改めて実感した。参加していただいた皆さん、そして準備をしていただいた皆さん、ありがとうございました!1時間ほどの余韻のあと、新幹線で東京へ。久しぶりの仲間との懇親会に出席、東京での最初の歓迎会となった。最終便で仙台へ戻る。-------------------------------------------14日の河北新報の朝刊に早速写真入り(最終講義をする久恒教授)の記事がでていた「最後の授業 エール熱く」「自治体の行革 民意が出発点」という見出しだった。「地域の問題の最前線に立ち、高度な実学を掲げる宮城大の存在意義を見出そう」「図は内容を理解していないと描けない。図にする作業で思考が動き出す」「計画は住民に向かって書かれておらず、途中での見直しもない。行政改革も民意から出発していないから失敗する」記事によると聴講は約百人だった。------------------------------------アンケートより・「怒涛の仕事量」、この先10年をますます楽しみにしております・今の日本の将来に対しての楽しく納得できる批判的メッセージ とても心強く感じました。・あらためてアウトプットの量に感じ入りました・先生との出会いで私自身大きく成長することが出来たと思っています。・特に全体をみる鳥瞰図を創る能力向上は、仕事にもプライベートにも大変役立っております・著者はすべて拝見させていただきました・私の壮年期もがんばろうと決意を新たにしました。・全体を俯瞰し関係性を見ながら社会の問題解決に貢献したいと思います・先生の密なる教授人生がよく理解できました・異動があるとき、餞別かわりに「前業」をすすめています・先生の場合、節(ぶし)ではなく、説とかメソッドというほうが合うように思う・「変わらない」というとことが大切なのだと感じました・パワーをいただきました・人はどこから来て、どこに行くのか(ゴーギャン)に通じる心に残る講義でした・先生はいつ寝るのでしょうか?ヒョッとして24時間働いているのではありませんか?・引継ぎ書に先生から学んだ図解の手法を使いました・全体像、関係性、コミュニケーション、、大切なことを学ばせていただきました・私の持ち歩くノートは、常に〇や△だらけです・私のこれまでの考え方を180度変えるものでした・オノの考え方、モノの見方は勉強になりました・考えうこと=図解すること、、この根本が革新的です・「仰ぎ見る師匠」、、。久恒先生を師匠にします
2008/03/13
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今年最後の入学試験。入試本部長の馬渡学長の挨拶では、今年度9回目の入試だそうだ。推薦、社会人、外国人留学生、センター入試、大学院入試、前期、後期、など数えてみるとずいぶんと多いことに改めて気づく。今回は、試験監督業務で、注意事項等を読みあげる主任監督員という係りだった。他の監督員二人は、同じ学部の最近赴任したばかりの若い教員だった。初めてのチームだが、清新でな雰囲気で気持ちよく業務ができた。正確な時間、きちんとした誤解の無い説明、会場内で起きていることの細かい観察、など試験監督業務はなかなか気を使う仕事だが、受験生の大事なチャレンジの場所と時間であるから、気を抜けない。入学試験関係が1年で9回なら、全部出たと仮定して、この11年では単純に計算すると99回という数字になるなあ、、、などど頭が勝手に動く。赴任した当初は、自分の娘と息子の年齢と比較して、受験生をみながらいくつ年上だなあと思っていたが、いつの間にか上の娘と同じになり3年後に息子と同じ年齢になり、そして今年は息子が大学を卒業するから現在の受験生は4つも年下ということになる。ずいぶんと時間が経ったことを実感する。受験生の皆さん、お疲れ様でした。
2008/03/12
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今まで読んだ中で、若い人が読んだらいいと思う自伝・伝記をあげてみた。どうだろう。---------------------------------------------福沢諭吉『福翁自伝』(岩波文庫)――著者の人柄が伝わってくると同時に、日本近代史も見えてくる。軽妙で飾らない語り口が魅力。フランクリン自伝と並ぶ世界の自伝の傑作。フランクリン『フランクリン自伝』(岩波文庫)――今なお読み継がれる世界最高峰の自伝。どんな困難にぶつかっても自分の頭で考え、行動する精神に勇気をもらう。本多静六『本多静六自伝 体験八十五年』(実業之日本社)――努力の素晴らしさに励まされる、処世術分野の大スターの冒険譚。東大教授としての本業、独自の蓄財投資法、優れた生活哲学を実践。梅棹忠夫『裏がえしの自伝』(講談社)――いくつもの可能性で自己を豊かに語る名文の楽しみ。名著『文明の生態史観』『知的生活の技術』の著者で国立民族学博物館初代館長のユーモアあふれる自伝。横松宗『大正から昭和へ』(河出書房新社)――戦前・戦中・戦後の時代の激動を生きる行動力と眼力。恐れずに人に会い続けることの凄み。鈴木健二『30代に男がしておかなければならないこと』(大和出版)――出世や行動力、転職、妻や子どもとの関係、親の老後まで、人生のあらゆる局面をカバー。実践的な内容。名アナウンサーの生き方に学ぶ。ドナルド・キーン『渡辺崋山』(新潮社)――小藩をひとりで切り盛りした辣腕の家老・当代きっての蘭学者・後世に名を残す優れた絵描き。江戸のマルチ人間の人生と生活のすべてがわかる。渋沢栄一『渋沢栄一 雨夜譚/渋沢栄一自叙伝』(日本図書センター)-----500余りの企業設立に携わった日本資本主義の父。その考え方・生き方から学ぶことは多い。ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』(日経ビジネス人文庫)――GEを率いた名経営者の波乱万丈の回顧録。自らの本質を見抜ける人間は物事の本質も見抜けることを力強く語る。志を持って働く人の基本図書。マーガレット・サッチャー『サッチャー回顧録』(日本経済新聞社)――英国初の女性宰相。イギリス経済を復活させた「鉄の女」の迫真の回顧録。「幸運だったのではない。私はそれだけの努力をしてきた」。
2008/03/11
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大崎市行政改革推進委員会の本年度最後の委員会が開催された。この委員会は18年度に6回、19年度に6回で合計12回だから割合頻繁に開催した委員会である。ほぼ毎回、伊藤康志市長や二人の副市長も出席し議論の行方を聴いていて、幹部が熱心な委員会だった。この2年間で行革の考え方(行革とは仕事のやり方の変革である)、3つの方針(市民ニーズの把握・事務事業にプライオリティをつける・組織内外のコミュニケーションを良くする)、そしてあらゆる施策を全体像の中に適切に位置づけ常に全体と部分の関係を意識しながら取り組むという手法、などが完成した。すでに実行の段階に入ってもいるが成果も数字でも見えてきた。来年度からは本格的な実行の段階に入り、大崎市の行革は正念場を迎える。今回は庁内の若い職員10数名が取り組んだ市民ニーズの把握のための定性分析のトライアル報告があった。このやり方でやっていくことで行政施策がゆるぎないものになると同時に、感度の高い人材育成にもつながっていくだろう。会議室の窓から「負けるな。うそをいうな。弱いものをいじめるな」と書かれた小学校の垂れ幕が見える。これこそ大崎市の行革の精神だと話題になった。各委員がこの2年間を振り返っての感想や要望を話した後、最後に私が総括した。「委員が指摘したキーワード(行政用語、市民への説明、協働、情報、、、)はすべてコミュニケーションの問題指摘だ。マネジメントの本質はコミュニケーション活動にあること、そしてマネジメントの役割は成果を出すこと、そのために問題解決に取り組むべきこと」などでまとめてみた。最後の委員会になってようやく薄い資料、図解を駆使した内容になった。これも「仕事のやり方の変革」の成果だ。終了後は懇親会を開催した。2年前に大崎市の副市長らが行革委員会の会長への就任依頼に研究室に見えたとき、「なぜ私なんですか?」と「本気でやるつもりですか?」という二つの問いを発したことを挨拶で紹介されて思い出した。当時は行政のアリバイづくりに時間と労力を割く余裕はないので、私個人にこだわってくれるところ、真剣にやろうとするところとだけ付き合いたいと思った。大崎市側の市長、副市長、総務部長、市民協働部長、行革関係者、そして委員たちと交流。農業審議会以来親しくなった柏倉総務部長に車で自宅まで送ってもらい、いろいろ話をしながら帰る。大崎市にはぜひ成功してもらいたい。
2008/03/10
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「iPod touch」で、ituneやFebeで手に入れたオーディオブックを聞きながらウオーキングするのが楽しみになっている。いま聞いているのは陳瞬臣の「ものがたり史記全話」で、全部聞くには6時間半近くかかるしろものである。春秋戦国時代、秦の始皇帝の時代、項羽と劉邦の争った時代。聞いたことのある名前の数々、合従連衡の意味、あらゆるタイプの英雄・覇者の事績と言葉など中国の歴史は実に面白い。いままで断片的に知っていた歴史がひとつの物語となってつながってくるのが愉快だ。歩き始めると1万歩などはさして苦にはならない。最近は歩くことが目的ではなく、オーディオブックを聞くという知的な楽しみが主となって、健康が目的のウオーキングはサブになった。今日はいつの間にか書店に足が向かい、いくつか雑誌や本を仕入れてきた。出張特集が役に立ちそうだった「Dime」寺島実郎さんが「脳力のレッスン」の連載を続けている「世界」4月号梅田望夫さんが推薦文を書いていた斉藤孝「働く気持ちに火をつける」昭和的価値観を痛罵している「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」(城繁幸)午前中は、引越しのための書斎の片付け。昼から名古屋国際マラソンで高橋Qちゃんの失速と新星・中村の優勝をみて時代の移り変わりを感じる。そしてウオーキングというスケジュール。
2008/03/09
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サヨナラ講義で配布する「宮城大学時代の総決算」という48ページの資料の編集が終わった。以下、数字でみる11年。講義総受講者数:2607名授業評価平均点:3.9(5点満点)授業アンケートのまとめ枚数:1096枚受講生の人生鳥瞰図:200枚受講生の自分史:1000本ゼミの新聞記事:44本ゼミ生:80名卒論指導:57テーマ大学院修士論文指導:7名メディア露出:854本(新聞367本・雑誌438本・テレビラジオ23本・ウェブ26本)連載:17本著作:62冊講演:400回(産262回・官115回・学23回)収集した「私の仕事図」:5000枚参加した行政等の委員会:27委員会訪問した人物記念館:221館ホームページ訪問者数:76万人メルマガ発行:586号。購読者8000人ブログ連続記入記録:1280日。訪問者28万人。ブログ自費出版3冊収集した格言:412個経験した学内の部局長:3ゴルフスコア平均:103-------------------------------久恒教授「サヨナラ講義」 これまでの10年、これからの10年3月13日(木) 13:30より宮城大学本部棟400講義室問い合わせ:久恒ゼミ kh@myu.ac.jp 022-377-8269 どなたでも参加できます。http://www.hisatune.net/html/01-kyouiku/saisyu.htm-------------------------------
2008/03/08
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4月から赴任する多摩大学で、寺島実郎監修リレー講座「現代世界解析講座--いま、世界潮流と日本のあり方を考える」が始まる。この講座は大学の前期の科目で経営情報学部1年生350人は必修で、社会人の受講生も300人募集している。http://www.tama.ac.jp/寺島実郎・多摩大学将来構想委員会座長「いま、我々が生きている時代を認識することは、自らの生き方を構想するために不可欠である。しかし、自分が生きている時代を的確に認識することは容易ではない。そのための基本的作業のために企画したのがリレー講座である。この人の話を聞くべきであるという人物を厳選し、その人物の専門性に裏付けられた時代認識に耳を傾けることで時代への眼を開いてもらいたい。」私は「現代世界のつかまえ方--図解思考のすすめ」というタイトルで4月24日に登場する。「「現代世界」を把握しようとするとき、私たちは個別・具体的な事実や数字を組み合わせ、自問自答しながら一貫した物語をつくる必要に迫られる。そのためには、体系化、構造化、相対化、全体像、位置づけ、遠近法など、「関係」を表現する技術が求められる。図は全体の構造と部分同士の関係を表せるため、「わかった!」という腑に落ちる感覚を味わうことができる。本シリーズを血肉化するための「図解思考」の考え方と技術を学ぶ。」寺島実郎「21世紀に入って7年間の世界潮流の変化について 「21世紀の日本の内なる変化について」 「前期リレー講座の総括と問題意識の確認」久恒啓一「現代世界のつかまえ方--図解思考のすすめ」酒井啓子「イラクを巡る国際政治情勢」沈才彬 「中国の台頭と世界の潮流」金美徳 「いま、朝鮮半島をどう考えるか」明石康 「アジアにおける紛争解決と平和」江川詔子「新聞の読み方・テレビの見方」浅野史郎「地方から変わる日本」中谷巌 「日本文明の将来」堀田力 「地球規模での少子高齢化を解析する」
2008/03/07
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リクルート発行の「R25」という若者向けの人気フリーマガジンがある。首都圏の駅でこのマガジンをピックアップできるが、発行日には通勤客が争ってとるので、膨大な数の部数も一気にはけるそうだ。「25」は、25歳からという意味で若いビジネスマンを主な対象としていて、企画がいいので若者の心をつかんでいる。3月6日の182号に、監修をした記事が出ている。「今週の招待状 INVITATION アナタの成長の素はなんですか? たった3時間で振り返る自分発見ノート術!!」このR25のサイトでは記事の現物を見ることができる。実際の雑誌の2大きさの25%から250%まで縮小・拡大が自由にできるようになっていてとても便利だ。全体像と、実物の大きさと、そして部分の内容もくっきりと目にすることができる。いいつくりのサイトで参考になる。「自分発見ンートはこう作る!」ということで、小学生時代までから社会人時代まで「アナタが今までに影響を受けたものは何ですか?」という問いに答えていくという趣向である。重荷「カルチャー」分野に絞っている。6人のR25世代にトライしてもらったことを実況中継しているのだが、「R25世代で盛りあがった話しランキング」をみると、以下の結果となった。写真が出ているが、みな楽しそうな顔をしている。1位「ビックリマン」2位「光GENJI」3位「ジブリ映画」4位「新世紀エヴァンゲリオン」5位「AIR MAX95」30代向けの自分発見ノート、女性向けの成功ノート、ビジネス自分史のすすめ、ライフデザイン、などの私の著作をみて監修の依頼があったものだ。全体で4ページの企画。私は写真と経歴、そして最新刊の「通勤時間「超」活用術」を紹介してもらっている。このマガジンへの登場は二度目。今号のロングインタビューは「市川団十郎」で、「宇宙と歌舞伎は同じこと」というタイトル。早く現物を読みたいものだ。
2008/03/06
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9時から、3月の総合情報センター会議。センター長(私)、二人の副センター長、そして大和・太白両キャンパスの図書館と情報ネットワークの担当部局との会議で、毎月第三週に開催される総合情報センター運営会議につながる会議である。終了後、企画情報班の班長と昨年6月に立てた方針が今年度はどの程度達成できたかを細かく確認する。8割方は実現できたということになった。事務局も頑張ってもらったと感じた。ペーパーをつくり3月の運営委員会と評議会で発表することにした。12時からは臨時の大学院教授会。博士課程の入試関係の議事。13時からは今年度最後の学科会。来年度に向けての確認。13日の「さよなら講義」で配布する「宮城大学時代の総決算」というペーパーの編集も大詰めの段階。教育、研究、地域貢献、建学、管理運営、などの面からこの11年をまとめるという意味のある作業になった。ホームページにあらゆる情報やデータを入れ込んできたが、これが大いに役に立った。本、講演、役職、ゼミなどの細かな事実の記録の積み重ねがなくては、こういう資料は作れない。「記録の蓄積に基づく総決算」が次のステップにつながることを改めて実感。総ページ数は48ページ。この資料を使って「これまでの10年、これからの10年」というテーマで話をすることにしたい。仙台では手に入らないが、夕刊で三笠書房から出した新刊の文庫の広告が出ている。アマゾンの順位にもすぐに影響が出てきているようだ。
2008/03/05
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毎日書き続けているこのブログの1年間の文章をまとめた2007年版の冊子「今日も生涯の一日なり 3 2007年版」ができてきた。657ページとなってかなり分厚く、辞書のような体裁となった。昨年の1月1日の「謹賀新年」から、12月31日の「加茂神社(仙台)と宇佐神宮(大分)の今年の二つのおみくじの結果は?」までの日記が一覧できる。2004-2005年版は471ページ、2006年版は513ページ、そして2006年版は657ページと分量がだんだん増えつつある。文章だけではなく昨年は写真を入れる技術を覚えたので、後半は少し賑やかである。自費出版であるが、商業出版とはまた違った愛着がある。日々の記録が一冊の本になっているから手にした感触はひとしおである。印刷部数は10部ときわめて少ない。配布先は、私の日常や考えていることを知ってもらいたい人たちということで、九州の母、横浜の弟、千葉の妹、そして数人の師匠に限定している。昔の人は、原敬、樋口一葉、坪内逍遥、などを挙げるまでもなく、日記を生涯にわたって書き続けた人が多かった。その日記を読むと彼らの日常や事件、考え、同時代の人の観察や評価などがわかり実に興味深い。一日一日を大切に刻んでいきたいものだ。
2008/03/04
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「ウェブ時代 5つの定理」(梅田望夫)を入手しざっと読んだ。シリコンバレーでビジョナリーと呼ばれている影響力の強い天才たちの発する切れ味の良い言葉に接し、その意味を考える。これが梅田望夫が渡米以来16年間続けてきた勉強法だった。このビジョナリーたちは、アップル、グーグルなどIT産業の旗手やそれを育てる目利きの投資家、天才的技術者たちである。本を読み、人と会い、インターネット上の情報を丹念に読む中で、梅田は新しい世界を築きつつある人々の世界観をあらわす言葉を膨大に収集した。人が感銘を受ける言葉はその人を表している。この本の中で、私自身が感銘を受けたり共感した言葉をいくつかあげてみたい。------------------パラノイア(病的なまでの心配性)だけが生き残る、---アンディ・グローブ世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。---ロジャー・マクナミー好きな人と働かなければならない。---ロジャー・マクナミーAクラスの人は、Aクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人は、Cクラスの人を採用したがる。------シリコンバレーの格言政治的になるな、データを使え。---マリッサ・メイヤー(グーグルの女性副社長)グーグルでの採用のポイント 地頭がいいこと、実績があること、コミュニケーション能力、グーグリネスがあること「ニューノーマル」時代における成功とは、タイムマネジメントに尽きる。この時代における通貨は、時間なのである。---ロジャー・マクナミー君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい。---スティーブ・ジョブズ自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。----ビル・ジョイ私自身もこれからは本書を座右に置き、歳を重ねるごとに押し寄せてくる「守りに入る誘惑」に抗していきたいと思っています。----梅田望夫--------------------------以上が私の心の琴線に触れた言葉だ。ホームページをつくった1999年あたりから、心に沁みる格言を少しづつ集めてきた。いずれ365まで収集し、「今日の格言」として自分自身を励まそうという意図だった。現在では400を越えるまでになったが、この格言集を眺めると自分がどんな人間かがよく見えてくる。私の場合は、本で刺激を受けた言葉、過去の日本の偉人の残した言葉などが中心となっている。こういった作業は、本物の日本人の魂に迫っているという感覚がある。梅田望夫の場合は、世界の最先端に立つシリコンバレーで、新大陸を切り拓いている革命家たちの頭と心の中を覗く言葉をさがしてきたから、私たちはこの最先端で格闘する人たちのエネルギー源や獲得した地平を垣間見ることができる。毎日の勉強は、IT世界という新大陸の建国の精神を理解しようとする作業なのだった。
2008/03/03
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「伊勢物語」の主人公と思われる在原業平の没年は紀元880年で享年は56歳だった。この125段の独立した非常に短い物語は作者不詳だが、成立は10世紀の初め頃と推定されている。内容は209首の和歌を中心とする物語である。「源氏物語」は今年が千年紀というから、完成したの1008年である。伊勢物語の100年後あたりだから、紫式部はこの伊勢物語の主人公である在原業平の物語も参考にしたであろう。「むかし男ありけり。」で始まる伊勢物語の男、在原業平は色好みと評されている。全編にわたり和歌を通じた男女のやりとりが中心であり、そういう印象が強い。実際、中学・高校時代にこの名前に接したときはプレイボーイという印象しかなかった記憶がある。しかし、「私の伊勢物語」(久恒啓子著・短歌新聞社)の解説を読みながら古文を読むと、この男の屈折した心も見えてくる。平安初期という藤原家全盛の時代に権力に迎合した父を許せない業平は、自分の信じた生き方を貫き、権力に関わる女性(高子)に近づく。そのため都においてはある時期に13年にわたる出世の異常な停滞を経験している。また京におれなくなった業平は「東下り」(あずまくだり)を行い、その途中や東北でも数々の物語を生んでゆく。高子とのかなわぬ恋、そしていろいろな女との交渉に目を奪われがちだが、「私の伊勢物語」はその物語のいたるところに権力に抗し、苦しみ、もがく人物の苦悩やその時代背景を垣間見せてくれる。「伊勢物語」の和歌には知っているものも多い。名にしおはばいざこと問わむみやこどりわが思ふ日人はありやなしやとつひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを(辞世の歌)名前と断片的な知識しかなかった伊勢物語や在原業平だが、「私の伊勢物語」の歴史的事実に基づいた簡潔でかつ平明な解説と、細やかな情感や人情の機微を察する著者の歌人として観察眼によって、私たちは1000年以上も前の社会の様子(例えば、女の家に男が入るのが普通で、女の親に男は養ってもら)を身近に感じることができる。和歌を詠みあいながら恋愛をすすめていくという文化の高さ、優雅さには驚きを禁じえない。当時は漢詩が主流で、和歌は重きをなしてはいなかったが、心を歌う和歌を得意とした業平の心情には心を打たれるものがある。この本は236ページにわたって一貫した流れとトーンで、伊勢物語を描ききっているところがいい。著者は主人公を暖かく見守りながら解説をしていくが、その視点は揺るがない。10年以上にわたって同人誌を舞台として発表してきたものをまとめなおしたものであるから、細部もきめ細かく配慮がきいている。著者は60歳から70代の前半に及ぶ長い夫の介護生活の中でその合間に伊勢物語と向き合い、80歳になってこの書物にまとめた。この本は著者にとっては歌集を除いては2冊目の単著である。「万葉集の庶民の歌」も60代の10年間をかけて研究したものを70歳で出版している。楽しみながら長い時間をかけた丁寧な研究は素晴らしい成果に結実した。名前しか知らなかった古典に親しむきかっけにしたいという著者の願いは少なくとも私には届いた。-------------------------後日、伊勢神宮の方から横松夫人に届いた葉書から。・久恒先生は歌人であり、著作もされて、すごいお方ですね。実は御子息の啓一様の図解の本は仕事に大いに活用しています。まさに親子鷹ですね。
2008/03/02
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家族が全員いないので一人で家をまもる(?)役割になった。まず、6時半からはテレビ体操。我が家には愛犬ちょこらという生き物がいる。今回は私がちょこらの面倒を見なければならない。朝はまず、娘に習ったとおり、ちょこらのトイレの掃除と紙の入れ替え。その後、一緒に散歩に出る。自宅に隣接する公園を一回りする。帰ってからは風呂場で足を洗ってやる。そしてキッチンの引き出しからドッグフォード、冷蔵庫から肉を取り出して与える。ちょこらはあっという間にガツガツと食べてしまう。冷蔵庫にサランラップでくるんである米飯をレンジで3分半ほど温めて、納豆と卵の朝食。ちょうど食べている時に東京にいる家族から電話があった。ちょこらの世話がうまくできているかという様子伺いだった。「順調」である旨を伝えると、予定よりもう一泊延長したいという提案だったが、すぐに了解する。ituneからiPod touchに落とした脳に関する講演、岡倉覚三の「茶の本」、陳舜臣の「ものがたり史記」などを聴きながら一人で散歩。割合と暖かく気持ちがいいこともあって、小山を二回ほど上り下りしてみて、書店に入る。「本は10冊同時に読め!」(成毛真)という知的生きかた文庫を一冊買い、喫茶でコーヒーを飲みながら読了する。極端な言い方が売れている原因だろうか。約5万冊の蔵書を持つ著者は、松岡正剛、森山和道、福田和也の書評を参考にして本を選んだらいいとアドバイス、またコツコツ貯金などせずに本に費やせという主張などをしている。読みやすく薄いので簡単に読んでしまった。帰ってみると万歩計は1万2千歩という表示になっていた。疲れたのでちょこらを腹の上に乗せて、寝ころびながらテレビ。朝日ニュスターという愛川欣哉が司会をして識者が本音で語る時事解説の番組が気に入っていて、週末はここにチャンネルを合わせることが多い。今日もイージス艦、道路暫定税率、韓国新大統領の発言などが話題になっていた。来年度の放送大学の「問題発見と解決の技法」という科目の10回目の「図解による表現」に出演することになり昨年取材を受けたが、そのビデオをが届いたので視聴する。宮城大学でのゼミの撮影やインタビューなどが中心だが、自分の話しぶり、表情などをなどを反省しながら見る。3時頃から、思いついて近所の温泉施設に出向き、ゆっくりお風呂で疲れを癒す。韓国アカスリ、整体と足裏マッサージの組み合わせのコースをやってもらう。帰宅後、「私の伊勢物語」を読み始めた。源氏物語はそれぞれ異なる美点と魅力をもつ女性群像を描いた女の物語であるのに対し、伊勢物語は全くの男の物語だそうだ。少し読んだが実に面白い。
2008/03/01
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