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法事供養の帰り道、家の近くの道路脇で蝋梅の花を見つけた。花がほとんど無いこの時季に咲く不思議な?花、「蝋梅(ロウバイ) 」。花びらは透き通るような黄色で、正に蝋細工のよう。蝋のように油分が多いため寒さに強いのだろうか?写真の花は『素心蝋梅』という種類のようだ。『素心』とは 『いつわりのない心。かざらない心。』花びらが透き通る黄色から名付けられたのだろうか。こうありたいものだ。そして『沈丁花』も赤い蕾をつけている。1月末から2月に花を咲かせることから、春の季語としてよく歌われるという。 つぼみは写真の如く濃紅色であるが、開いた花の内側は淡紅色でおしべは黄色、強い芳香を放つはずだ。枝の先に20ほどの小さな花が手毬状に固まってつく。花を囲むように葉が放射状につく花だ。水仙、木瓜、蝋梅、沈丁花と春を告げる花が増えてきた。これらの花を見つけると何となくうれしくなり春が待ち遠しい『アラカン』の男である。
2009.01.31
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今日は母の17回忌の法事。平成5年2月9日に亡くなった。家事と農業と子育てにあけくれた母であった。父を追いかけるように逝ってしまった。親戚一同が集まってくれ、檀家寺の妙善寺で営まれた法要であった。この檀家寺は日蓮が滝の口の法難にあい命をたたれかけ、その後佐渡に流罪となったがその途中立ち寄ったと伝えられる歴史ある寺である。法事とは、亡き人を縁に勤められることから"亡き人のため"に勤めるものと思っていたが違うらしい。「故人の霊魂(たましい)を慰めるためにお経を上げる」とか「法事を勤めることによってご先祖を安心させて上げる」といった認識の、いわゆる追善供養の意味合いではないという。 亡き人は如来さまのお救いによって、すでに浄土にいる。よって、亡き人のために善をふり向ける(追善)必要もなければ、またそんなことができる"りっぱな"私でもない。 法事というのは「仏法の行事」ということで、この仏法は、ほかでもない"私自身のため"のもの。すなわち、法事の場に参集した家族、縁者の一人ひとりが仏法を自分のこととして聞き味わってこそ、意義あるとのこと。亡き人を偲(しの)びつつ、この私が仏法を聞く行事-これが仏法の法事とのことだ。
2009.01.31
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今日は朝から雲一つない晴天。日の出も少しずつではあるが早くなってきていることを実感できる。農園から富士山が見事な景色を見せてくれた。今日の発電量は27KWH/日。今年になっての最大発電量の日となった。年始から25KWH/日の壁があったがついにこの壁を突破。この時期、去年に較べて太陽光がたまらなく恋しい陽蜂家がここにいます。
2009.01.25
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秋にトレイに種を蒔き、ビニトンの中で育てたパンジーが大きくなってきましたので、ポットに移植しました。赤、黄、青、白、混合と5種類のパンジーの種を蒔きました。『パンジー』という名は、花が人間の顔に似て、8月には深く思索にふけるかのように前に傾くところからフランス語の「思想」を意味する単語パンセ(pensée)にちなんでパンジーと名づけられたと言う。パンジーなどスミレの仲間は、秋まきの草花の中では比較的発芽適温が低いので、10月に入ってから播かないとよく発芽しない。プロは年内に開花させ、出荷したいため、種を冷蔵庫の野菜室に保管しておき、8月末に浅鉢に丁寧に播き、風通しの良い日陰において管理する。彼岸頃までは病気が出やすいので、なるべく涼しい日陰に置き、本葉が出てきたら一度仮植えし、10月に定植し、11月中旬頃から出荷するようである。さすがにここまでは出来ないため、晩秋に種蒔きした天然物の花を楽しんでいる。小型のパンジーである『ビオラ』も大きくなってきたのでこれも移植したかったが、大阪女子マラソンも見たかったので来週に延期とした。
2009.01.25
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空豆も霜と冬の寒さを克服して順調に骨太に育っています。今年も敢えてビニトンで保護しませんでしたが、今朝の朝日を反射したシルーバーマルチの上で眩しそうです。同じくスナップエンドウも、北風対策の風除けもないままに頑張っています。3~5粒で寄り添って冬の寒さに耐えています。
2009.01.25
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我が家の農園の隅に植えてある紅梅に花が付き今満開状態です。紅梅が咲き出すと、まだまだ、寒さはこれからなのに、何となく春の訪れを感じうれしくなっててしまう。万葉時代には、花といえば梅のことで、百花の長、松竹梅として長寿の印にもされてきた。また、今ではお花見というと桜のことだが、当時は梅の方が人気があったようである。近くの畑にある白梅は未だ咲いていない。白梅の場合は、果実が美味しい梅干しとなり、梅雨の頃に収穫する。江戸時代には、各藩が非常食として梅干しを作ることを奨励したため、梅林が全国で見られるようになったようである。ちなみに「梅雨」の名の由来は、梅の果実がなる頃に雨が多いからだそうである。梅の字は「母」の字を含むが、中国ではつわりのときに、梅の果実を食べる習慣があるらしい。「人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける」 紀貫之 古今集 百人一首
2009.01.24
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長野のお土産屋の屋台にいろいろな種類の蜂蜜が売られていました。アカシア、トチ、リンゴといろいろな種類の蜂蜜が『100%純粋はちみつ』として売られていました。この時の外気温は4℃程度にもかかわらず下に白いものが沈殿せず、透明を維持しておりさすがに純粋蜂蜜だな・・と感じて感心しました。家に帰り、一昨年中国の九寨溝の近くで購入した蜂蜜がまだ残っており、これを出してみたところ(既に賞味期限切れですが・・・)下に白い沈殿物が出来ていました。これも『100%純粋蜂蜜』との、若い女性の売り込みに負けて?重いながら買ってきたものでしたが、やはり添加物が含まれており『騙された・・・』と感じました。ところがインターネットで調べたところ、『100%純粋蜂蜜』でも白い沈殿物が出来ることがあるようです。これは、蜂蜜に含まれているブドウ糖が結晶して全体に影響を与えるものとのこと。蜂蜜の種類によっても結晶しにくいものとしやすいものがあり、これもブドウ糖の割合が高いか低いかによるもの。例えば、アカシヤ蜂蜜の場合はブドウ糖の割合が低いため比較的結晶しにくいのですが、ブドウ糖の割合が高いナタネ蜂蜜の場合は気温が低下しなくても結晶するとのことでした。逆に低温で固まれば『純粋蜂蜜』で、固まらなければ『加糖蜂蜜』といわれることもあるようで、『純粋蜂蜜』でも不純物を濾過しているものは結晶しにくいため、白い結晶の有無で『100%純粋蜂蜜』か否かを見分けることはできないと説明されているHPもありました。600g入りで1500円程度、この金額は、今年幸い蜂蜜が売れるほどたっぷり採れ場合の参考価格になると思い忘れないように写真を撮ってきました。相変わらず欲の深い、養蜂予備校生ですね。
2009.01.23
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長野のお土産屋で『蜂の子』を売っているのを見つけました。若い頃、伊那に出張した折、天竜川沿いの飲み屋で『下手物?』に挑戦した記憶があります。熊のサイコロステーキ、ウミガメの刺身、鹿刺し、イナゴの佃煮、ザザムシ、そして蜂の子でした。牛や豚の肉食をあまりしなかった時代の人間の主な動物性タンパク質の摂取源は、海があるところでは魚介類であり、海のないところでは蜂の子やイナゴなどの昆虫たちときまっていたようです。 『蜂の子』を捕るには、夏から秋にかけて、目印の真綿に餌である蛙、川魚、イカ、エビなどをつけて、それを蜂に銜えさせ、目印の白い真綿を目安に、野山で蜂を追いかけたり、蜂の飛んでいる姿を目を皿のようにして追いかけたり、トランシーバーで連絡し合い、その巣を探し当て、老いも若きも男達が夢中になって、地蜂の巣を発見するのです。地蜂の巣を発見すると、入り口で杉の葉等を燃やし煙を立て、蜂の対人攻撃性を鎮めてから、蜂の巣を掘り出すのです。経験と努力にもとづく蜂追いと蜂の巣いっぱいに詰まった幼虫やさなぎ、成虫を何時間もかけて、つぶさないようにピンセットでそーっとむく(取り出す)作業は非常に楽しいものであり、砂糖・醤油・酒で煮込んだ蜂の子の味は、病みつきになる最高の食べ物であるようです。同時に、遠い祖先から受け継いでいる多様な食習慣があるということは、信州の食文化の豊かさを証明しており、誇るべきものだとは思いましたが、さすがに買って食べてみる決断までは出来ずに帰ってきました。
2009.01.22
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『北斎館』の敷地内に、珍しい『半鐘』が最上部に設置された『火の見櫓』がありました。た江戸時代、火の見櫓の上部などに取り付け、火災・洪水発生時などに鳴らし、地域の消防団を招集するとともに、近隣住民に危険を知らせたものでした。私が小学生の頃は、我が実家から100m程離れた旧道沿いにも設置されており、鐘の音を聞いた記憶があります。我が地域でも鐘の打ち方が定められ、火災の大まかな場所や災害の種類が分かるようになっていたと記憶しています。また他にも時報や慶弔など様々な情報を伝えるために使っていました。二つ半(二つ半鐘)-ジャーンジャーンと二度叩くのを繰り返す。一番遠い火災。三つ半(三つ半鐘)-ジャーンジャーンジャーンと三度叩くのを繰り返す。もう少し近い距離四つ半(四つ半鐘)-ジャーンジャーンジャーンジャーンと四度叩くのを繰り返す。さらに近い。擦り半(擦り半鐘)-連続して間断なく叩く。これは直ぐ近くであるという合図。でした。擦り半が聞こえてくると慌てて何処が火事かと外へ出たことを思い出します。現在では、火の見櫓の多くはサイレンや防災無線などに役目を譲っており、現存するものは消防団が活躍する一部地域を除いて地域のシンボル代わりに残されている場合がほとんどなのでしょうか。消防署のコンクリート製の火の見櫓も今や周囲のビルの高さに埋もれており、その機能を発揮できない状態ですよね。しかしながらこの様な古き時代の『火の見櫓』は大切に次の世代に残しておきたいものです。
2009.01.22
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仕事で長野/千曲に行ってきました。その帰路、新幹線の時間の調整のため、帰り道にある葛飾北斎の絵画が展示されている『北斎館』に立ち寄ってきました。北斎がこの地小布施を初めて 訪れたのが80歳を越えていたと言うこと!今でこそ東京から小布施までは2時間ちょっとくらいですが、江戸時代は新幹線なんてありません、徒歩で江戸から 小布施まで!信じられないほどパワフルな行動でした。北斎は浮世絵師として有名ですが、ここには浮世絵はありません。版を刷る浮世絵とは違い、掛け軸、屏風、肉筆画など、巧みな筆さばき、色彩の美しさ、どれもが生き生きしています。とりわけ『北斎漫画』は圧巻でした。人物や、風俗図、動植物、妖怪にいたるまで、多彩な図柄が含まれており、ゴッホやフランスの印象派など海外の芸術家へ影響を与えたとの説明でした。 下の写真は、祭り屋台の天井画として描かれたもので、左が「男波(おなみ)」右が「女波(めなみ)」というタイトルがついていました。左の「男波」は「激しく左に巻いて」いて、右の「女波」は「優しく右に巻いて」いるそうですが、私には両方とも右巻きに見えました。「陰(女波)と陽(男波)が相対立することによって、世の中の全ての現象が永遠であることを象徴しているとのことです。
2009.01.21
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箱根の仙石原にある我が社の保養所に温泉につかりに行ってきました。久しぶりの家族四人での1泊旅行でした。朝十時過ぎに車で自宅を出発。新湘南バイパス、西湘バイパス、箱根ターンバイクを経由して、大観山へ。道路脇には雪が残っていましたが、道路面には一切なく快適なドライブでした。大観山からは、少し雲が出ていましたが、芦ノ湖を手前に素晴らしい富士山を見ることが出来ました。この後山を下り、箱根関所跡、箱根駅伝ゴール地点、箱根駅伝ミュージアムを見学し、箱根神社へ。駐車場に車を止め、階段を上がり本殿に参拝。参拝客がかなりおり列が出来ていました。参拝後、階段をひたすら下り芦ノ湖湖上に立つ大鳥居へ。風もあまりなく、鳥居の鮮やかな朱色が水面に映えていました。箱根には何回も行っていますが箱根神社を訪れるのは初めてでした。箱根神社は、交通安全、心願成就、開運厄除のご利益の高い運開きの神様として、多くの人々に信仰されているとのことでした。この後、群生するススキ草原を眺めながら、仙石原にある保養所で硫黄泉三昧、料理を堪能し、久しぶりに家族4人での旅行、皆日々の繁雑さを忘れ、白いにごり湯の天然温泉に浸かって、身体の疲れを癒すことができたのではないでしょうか。
2009.01.18
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正月2日に箱根駅伝の応援に時宗総本山遊行寺に行った。駐車の関係で早めに行ったため選手が通過するまで時間があった。初詣と骨董市を散策したが更に時間があったため境内をぶらぶら歩いていると大きな銀杏の木がありその下に銀杏が数多く落ちているではないか。これを拾わないてはないと考え、車の中にあったビニール袋に入れて持ち帰った。拾ってきたギンナンは手間を掛けて下準備しないと、すぐには食べられない。強烈な匂いのする果肉部分をむいた硬い殻の中にあの翡翠色をしたギンナンがあるのだ。バケツの水の中に10日間程漬けて、果肉を腐らせてから水の中で果肉を取り除いた。好天に恵まれた先週天日干しにし今日完成した。昨秋、紅葉見物に岡崎城に行った折拾ったものよりもやや小粒であるが数は多い。天然銀杏は、甘味があるので素材の風味を活かし、「そのまま炒って食べる」のが王道のようである。何も付けなくても美味しいですが、塩を付けて食べると甘味が増す。酒のツマミに、とても良く合い絶品である。食べ過ぎは厳禁!嘔吐や呼吸困難を起こすことがあると聞く。
2009.01.17
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今日は花金。同僚3名と大崎ゲートシティーの飲み屋へ。大崎ゲートシティーのある大崎は、山手線の駅の中で1、2を争うマイナーな駅であった。もともと目黒川の傍ということで、品川などと共に、戦前から工場街として発展してきた。少なくとも大崎ゲートシティーが出来るまでは。ところが今や大崎ゲートシティーは、東京都の計画の中で定められている「副都心」なのである。そして、大崎ゲートシティーは、東京都・品川区が、共同で再開発を積極的に推進してきた東京南部の再開発の期待の星でもある。そしてゲートシティー大崎の特徴としては、象徴となるタワー棟のビルの高さが低いことである。デザインは、多角形を組みあわせたデザインとなっている。目黒川も以前はどぶ川であったが、環境整備が進み今や清い流れを取り戻しつつある。
2009.01.16
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今日は職場の同僚と韓国料理で新年会。品川の港南口にある『わかなし』という店である。以前はビルの裏の狭い路地に面したところにあったが、人気が高まり儲かったようで今では駅前広場の正面に移転している。人気が高く、予約は電話では受け付けてもらえず店まで行かなければならないほどの人気店である。今日は2時間飲み放題のコースに挑戦した。ワタリ蟹の韓国式刺身である『ケジャン』は絶品であった。辛味だけではなくワタリガニの旨みと潮の味が濃厚だ。酒はビールの後『マッコリ』に挑戦。米で作ったアルコール6%の韓国固有の酒だ。乳酸菌発酵による、ほのかな甘味と酸味が特徴の飲みやすい、いや飲み過ぎてしまう酒である。黒豆,おこげ,かぼちゃ、緑茶等などいろいろなブレンドがあり一通り楽しんだ。あっと言う間の2時間を大いに楽しんだ。韓国人の客も数多く店員も多くが韓国人のようで韓国語が飛び交っていた。私も一言、次の料理を持ってきましょうかの問いに『チャンカンマンキダリセヨ』と。次回はサンゲタンやブルコギ、トッポギ等に挑戦したい。
2009.01.14
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今日は近くの公園でどんど焼きが行われた。今年は日程の関係か何故か平日に行われた。正月の門松やしめ縄、お守り、破魔矢、祈願成就した「だるま」などを持ち寄って焼き、その火にあたったり、餅や団子を焼いて食べて無病息災を願うものだ。正月にお迎えした神様をお送りする日本の伝統的な行事である。今日は平日のため妻の出番。我が地域では、先端が3本に別れている木の枝を用意し、この先に上新粉で作った赤、白、緑の丸い団子を刺し、これをどんど焼きの火で焼いたものを食べるとこの一年無病息災で過ごせるとの言い伝えがある。よそのお宅の団子をご馳走になると更に健康になると。我が家も木の枝を用意したが平日開催で私が参加できないため団子焼きは断念した。この木の枝は魔除けとして門の横に立てかけておく風習もある。最近は野焼きの禁止等でこの風習を批判する方もあると聞くが、日本の古き伝統行事でもあり、大切に受け継いで子供達に残していきたいものである。
2009.01.14
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先日のテレビ番組COOL JAPANのテーマは『迷信・縁起』についてであった。海外から日本に滞在している方が集まり日本の迷信・縁起担ぎについて語り、自国のものを紹介するものであった。日本の迷信や縁起担ぎについてすぐ思いつくものは以下のものであろうか。子供の頃祖母からよく言われたことを覚えている。★茶柱が立つとその日に良いことが起こる★敷居を踏んではいけない★3人で写真に写った場合、真ん中にいた人が一番早く死ぬ★風邪は人にうつすと治る★靴下を履いて寝ると親の死に目に会えない★雷が鳴ったらヘソを直ぐ隠せ★シャックリが100回以上連続で出ると死ぬ★ワカメや昆布を食べると、毛髪が増える(今実行中!!!)★夜に爪を切ると親の死に目に会えない★霊柩車とすれ違ったら親指を隠せ。隠さないと親が亡くなる★葬式の後は塩で清めなければ家に入ってはいけない★3月3日以降にひな壇をかたずけると婚期が遅れる★食べて直ぐ横になったり寝たりすると牛になる★北枕は縁起が悪いまだまだあるし、食べ合わせにも迷信らしきものがいろいろあるが、外国人にとっては日本には迷信・縁起担ぎが多いとのこと。これも宗教の違いによるものか。外国のものは以下のようなものがあると、各国の外人が紹介していた。☆13日の金曜日に不吉なことが起きる。 ☆鏡を割ると7年間悪いことが起きる。 ☆黒猫が前を横切ると不吉なことが起きる。 ☆ウサギの後ろ足が魔よけのお守りになる。キーホルダーなどにして持ち歩く人もいる。 ☆鳥の叉骨を折る。鳥の二股の骨を二人で引っ張って折った時に、長いほうを持っていた人の願いがかなう。 ☆梯子の下を歩く。梯子の下を通ると不吉なことがおきる。 ☆家の中で傘を広げるのは不吉。 ☆傘を贈り物にするのは不吉☆新居に入る時に花婿が花嫁を抱いて敷居をまたぐと、花婿が幸せになる。 この中で興味のあるのは、『家の中で傘を広げるのは不吉』である。私もたまに、自分の部屋の中で折りたたみ傘を開き乾かしているし、職場のフロアーの通路の隅で傘が開かれているのを見かけることもある。ドイツ人?の説明によると『傘を家の中で開くと近所のbad luckを全部集めてしまう』というのが言い伝えであるとのこと。「晴れの日に傘を開くと雨を呼ぶ」とも語っていた。身近にはない(日本にない)迷信であるが、聞いてしまうと何故か気になってしまうものである。知人から何かのお礼で傘をもらったこともあるが・・・。いずれにせよ海外の迷信、縁起の成り立ちについて調べてみるのも面白そうだ。
2009.01.14
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昼間の時間が一番短いのは、冬至(12月21日頃)だが、日の出の一番遅いのは今日1月13日とのことである。逆に日没が一番早いのは12月初旬で、冬至を挟んで前後に半月程ずれている。つまり今日1月13日あたりを過ぎると、朝も夕も「昼間が長くなり始めている」ことが実感できるわけである。我が家の太陽光発電は南東向きに設置されているため、この時期午前中いかに発電量を増やすかが勝負の時間である。今日も朝から晴天に恵まれ24KWHを発電してくれたが、朝の7時過ぎから発電を開始し、8時の時点では1.1KWH発電したことをモニターは表示している。ということで我が家の太陽光発電も明日から心機一転しての健闘を大いに期待したい。
2009.01.13
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最近の専門誌情報によると、使用済みペットボトルの国内リサイクル網が崩壊の危機にあるという。昨年秋、大手化学メーカーが使用済みペットボトルからペットボトル樹脂を再生する『ボトルtoボトル』事業の休止を発表。川崎市のペットボトル再生事業者も昨年、自己破産し秋に漸くある製罐メーカーが事業譲受したとのことである。後者の川崎市の業者は藤沢市の回収全量を随意契約にて引き取っていた業者であると記憶している。前者の大手化学メーカーは100億以上の投資をし、環境部門の『看板』事業であり、当事は華々しく報道されていた事を思い出す。原因は、原油価格の高騰で、中国の使用済みペットボトルの需要が急激に高まり、国内で回収されたペットボトルが中国へ皆流れてしまい、原料を確保できなくなり、更に国内再処理業者より高く買い取る認定外業者に売却する市町村が増えたことによると言う。以前は市町村から使用済みペットボトルを引き取る入札において、委託料を受け取っていたが、現在では逆に金額を支払う『マイナス入札』に陥っているという。藤沢市では、分別回収が徹底され、ペットボトルも表面のラベルをはがし、キャップを除去したものをペットボトルとして出すことを市民に要求しているが、国内再生のリサイクルが現状機能しているのか甚だ疑問である。ある市では、分別回収が進み、焼却炉で燃焼するものの熱量が不足(燃えるペットボトル、ビニール、紙等が分別回収されるため)してしまい、生ゴミだけを燃やさざるを得ず、補助燃料の油を大量に消費し、市民には内緒で再度分別集したペットボトルを生ゴミと一緒に混ぜて燃焼しているところもあると聞く。ペットボトル再生事業は品質劣化が無く完全循環型の理想的なリサイクル事業として、国が積極的に後押しして来たが、その後の中国問題等に国が積極的に関与せず事業者の自主努力に頼り、有効な対策を取らなかったことが今の状況になっていると感じているのは私だけではないであろう。藤沢市のリサイクル状況も知りたいものである。
2009.01.13
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今朝のNHKのテレビ番組で『招き猫』を紹介していた。 招き猫は東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説があるという。 江戸時代に井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。招き猫の生産量の8割は愛知県常滑市で造られており市内には巨大な『とこにゃん』と名付けられた招き猫が"守護猫"として親しまれているという。そして招き猫の色や上げている手に意味があるという。・白は福招き・黒は除難免災・赤は疫病除け・金色は金運を招く・右手を上げる猫はお金を招く・左手を上げる猫はお客を招く とのこと。我が家の玄関にも、右手を目一杯高く上げた『招き猫』を一つ置きたいものである。それとも我が家に餌を求めに来ている野良猫を訓練しようか?
2009.01.12
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今日は1月11日。鏡開きの日です。正月に神棚と、床の間に飾っておいた鏡餅を下げました。鏡餅はお供えとも呼び、神様が宿るところだと考えられているので、鏡餅を開くことで年神様をお送りし、お正月に一区切りつけるのです。 神様の力が宿った鏡餅をいただくことでその力を授けてもらい、1年の一家一族の無病息災を願います。供えて、開いて、食べてこそ鏡餅の意味があるようです。今年もお汁粉にしていただきました。子供の頃父に言われ重い金槌で叩いて餅を小さくした記憶がありますが、これはもともと武家から始まった行事なので、刃物で切るのは切腹を連想させるため、包丁などの刃物で切るのは禁物で、手で割り砕くか、金槌で割るようになったとのことでした。今はプラスチックでできた鏡餅の形をしたケースの中に小さな餅が入っており、それを購入しましたが、昔の風情がなくなっているのが少し残念です。
2009.01.11
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今日は朝9:30から(農園+養蜂)仲間3人でサティアンで新年会。畑の白菜、ネギ、青梗菜等で湯豆腐鍋です。話題はやはり養蜂についての夢。O社長は巣箱を10個に増やしたいと。私は今年は元気で強いミツバチ群に育てること。あまり貪欲に蜂蜜を採らないことを。でも採蜜する方が蜜蜂は蜜を多く集めるとのこと。夕方からは、湘南地区に居を構える会社仲間の新年会でした。毎年関係会社の方の息子さんがやっている平塚の店で行っています。今年はOBの方も含めて12人の会でした。話題は景気、退職金、健康等の話で大いに盛り上がりました。 平塚の店の名前は『いしけん』です。新鮮な材料で、洒落たアットホームな店ですので是非一度訪ねてみて下さい。http://www.ishiken-fs.jp/
2009.01.10
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先日のブログに、昔『納豆』と『豆腐』は逆ではなかったかと書き込みましたが、昨日妻から『泊まる』と『晒す』も同じように逆であったという説があると聞きました。goo辞書によると★さらす【晒す】:布・紙などを水洗いして日光に当てたり、薬品で処理したりして白くする。 漂白する★とまる【泊まる】:自分の家以外の所で夜を明かす。とのこと。なるほど、水洗いをして白くするのが「さらす」ならサンズイに白『泊』、日が西に沈めば旅人は「とまる」のでヒヘンに西『晒』、のほうがぴったりですね。でもこれにも反論が必ずあると思いますが。この様な指摘のある漢字がまだまだあるのでしょうか?これを探すのも面白そうですね。以前は川や雪の上で布を『晒している』ニュースを時折見ましたが最近でもこの様なことは行われているのでしょうか。下の写真は昨年行ったスペインの夕日です。夕日を見た後にバルセロナのホテルに『泊まり』ました。
2009.01.10
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3月から『陽蜂農業⇒陽蜂農家』を目指すことになる。 今日からブログタイトルも『JINさんの陽蜂農園日記』に変更です。陽:太陽光発電蜂:採蜜を目的とした養蜂農:休日菜園太陽は、我々地球に住む生き物にとって必要不可欠な存在。もし地球に降り注ぐ太陽の光を全部エネルギーに換えることができたら、世界で使われる1年間分のエネルギーを1時間で作れるという。この冬の寒い日、雲の切れ間から太陽が出てきたらパッと明るくなり、暖かく感じる。植物も光合成という太陽のエネルギーを利用 して成長している。果物や作物は太陽の光をいっぱい浴びて花を咲かせ実を太らせて熟し、葉を成長させていく。そしてその花にミツバチが招かれ蜜を集めるのです。太陽は電気を作りだし、野菜をおいしく育てて、蜜を生み出してくれるのです。太陽の恵みを丸ごといただいての『陽蜂農業』。すばらしいではありませんか。
2009.01.10
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新幹線軽井沢駅通過直後の車窓からの浅間山です。今年は雪が少なく、頂上近くにも未だ山肌が赤く残っています。かなりの量の噴煙を上げ、それが東の方向にたなびいており現在火山活動がかなり活発な時期のようです。日本国内で現在火山活動が活発で噴煙を上げている山は、九州の桜島、霧島山と永良部島、北海道の雌阿寒岳とこの浅間山とのことです。標高は2568mの世界有数の活火山です。浅間山で思い出すのが、大学二年生の時の『連合赤軍浅間山荘事件』です。連合赤軍のメンバー5人が、浅間山荘の管理人の妻を人質に10日間に渡って立てこもった事件です。人質は9日間も監禁され、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録でした。警察が浅間山荘に強行突入。死者、重軽傷者を出したが、人質は無事保護され、立てこもり犯5人は全員逮捕されました。この突入の様子は、テレビで生中継され、これをテレビにかじりついて、見ていたことを思い出しました。 平均50%以上の視聴率を記録し,これは現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録のはず??です。このあと連合赤軍でのリンチ事件などが次々と発覚し、更にこの年の沖縄返還などにより日本人のアメリカや政治に対する不満が薄れ、日本社会が豊かになるにつれ、学生たちは潮をひくように学生運動から遠のいていったわけですが、当時は一傍観者の大学生であったことも含めて覚えています。現在 学生運動が存在するのは、ごく一部の大学のみとなり、それもごく一部の学生に限られた運動となっている場合がほとんどで、大部分の学生とは無縁の存在になっていると認識していますがどうなのでしょうか。
2009.01.09
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寒い時期の湯豆腐は最高であるが昔『豆腐』は『納豆』と呼ばれ、『納豆』は『豆腐』とよばれていたと言う説がある。豆腐は豆を腐らせるのではなく、箱に納めて作る。納豆は箱に納めるのではなく、豆を腐らせ(発酵させて)て作るからです。『豆腐』と『納豆』は昔中国から輸入されたもので、木の大きな箱にそれぞれ入っており、『豆腐』『納豆』と 書いた紙が貼ってあった。日本の港に到着したとき、ちょうど台風の季節だったので船がゆれ、名前を書いた紙がはがれてしまった。どちらがどちらの名前なのか当時知らなかった日本人は、本来の豆腐に『納豆』、納豆に『豆腐』と間違えてその紙を貼ってしまったと言うのである。一方、逆ではないと反論する方もいる。「腐」は柔らかい食べ物の意味で、中国ではヨーグルトのことを「乳腐」と言う。このように中国では「腐」とい う文字は「くさる」という意味ではなく、「固まる」とか「柔かい固体」を意味すると。よって豆腐も、「豆を固めたもの」という意味になると。又昔は『豆腐』は豆乳を腐らせて作ったのだと。牛乳が古くなると凝固するのとおなじ(ヨーグルトなど)であり、苦汁で固めたのは後生になってからと。そして『納豆』は皇帝への献上品として納めた豆だから、納豆と言われるたのだと。同じように『お七夜』と『初七日』。赤ちゃんが生まれてから7日目が『初七日』であり、人が亡くなってから7日目が『お七夜』であったのではないかと。何故この世に生を受けての7日目が『夜』となるのかと?私もこの方が理解しやすいと思っている。しかし仏の世界では、現世は仮の姿であり、亡くなってから本当の生が始まるようであるので、亡くなってから7日目が『初七日』でも不思議はないが・・・・・・・・・。さてさて真実はいかに。
2009.01.09
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インターネット情報によると世界中の食料を生産する農業大国アメリカで、昨年来ミツバチの大量失踪が頻繁に起こっているという。CCD(群れ崩壊症候群)と名づけられ、アメリカのミツバチの半分近くが姿を消したとも。CCDには特徴があり、まず働き蜂がいなくなる。そうすると残された女王蜂や幼虫も死んでしまい、巣があっという間に全滅してしまうとのこと。さらに、方向感覚に優れたミツバチが巣に戻ってこないことや、死骸がほとんど見つからないことも共通する特徴。アメリカ連邦議会では異例の公聴会が開かれ、直ちに特別調査チームが編成され、原因究明に乗り出しているという。調査チームによると、畑にまかれる殺虫剤などの農薬や、干ばつ、寄生虫のダニ、遺伝子組み換え作物、有害作物、巣箱の長距離移動にともなうストレス、地球の温暖化などが複合して原因となっているという見解もでており、今のところ不明と。また、死骸が見つからないのは、ウイルスに感染したミツバチが仲間を守るために巣を離れたためとも、失踪に見合う死骸がミツバチの行動圏で発見できないので、帰巣できないのか死んだのかも分らないのだと。さらにスイス、イギリス、スペインなど欧州各国でもCCDが発生しているいう。 ドイツの大学研究チームは、携帯電話の電磁波がミツバチの方向感覚を狂わせて、最大70%のミツバチが巣箱に戻らなかったと報告している。携帯電話の電磁波の影 響による可能性が示されたのは初めてだが、研究は限定的で、携帯電話を大量に使用しているカナダや日本では、まだCCDが確認されていないことも事実とのこと。 いずれにせよ働きバチの集団失踪事件、原因はストレスによる職場放棄か、携帯電話の電磁波か、それとも・・・・・??まだわからない。よく聞かれるのが、携帯電話の他に高圧線の電磁波も人間の体にもよくないとも。我が家から50m程度の上空を高圧線が走っているのも事実。いずれにせよ自然の摂理が狂い始めているのは確かなようだ。3月からは我が農園での携帯電話の使用を禁止にすべきか思案中である。
2009.01.08
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今日は1月7日 七草の日でした。我が家も手作りの『七草粥』を朝食に食べました。七草はスーパーの『七草かゆのキット』購入品ではありません。もちろん我が農園から。しかしながら全部はそろいません。ゴギョウ、ハコベラ、スズナ(カブ)、スズシロ(大根)の4種類に餅もいれたものでした。昔は神事として食されていた「七草かゆ」ですが、実は正月のごちそう(お節料理等)で 疲れきった胃腸を癒したり、冬のビタミンやミネラル不足を補うという体の事も考えられていたとのこと。実に合理的である。子供の頃、『セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ これぞ七草』と教えられ、覚えたものだ。昔は『穀類』であったが 、野草へと姿を変えたのは、鎌倉時代のようだ。それぞれ名や形から縁起物とされ、尊ばれていたのだ。 セリ ...競り勝つ ナズナ ...なでて汚れをはらう ゴギョウ ...仏体 ハコベラ ...繁栄がはびこる ホトケノザ ...仏の安座 スズナ ...神様を呼ぶ鈴 スズシロ ...汚れのない純白さ 私自身も中国に行くと、どん欲にいろいろな料理を試しますが、朝はこのお粥で白酒で疲れた胃袋を休めます。上海、蘇州、合肥、重慶でも。もっとも日本の白粥とはずいぶん違いますが。クコの実やナツメの実が入ることもあります。どちらも薬になるもので、クコは肝臓や腎臓の機能を保全して、目によいとされますし、ナツメは胃の調子を整えるそうです。また鳥のスープで味付けしたり、鉢の底に白身 魚の薄造りを何枚か張りつけて、上から熱い粥を注いだり干し貝柱を加える場合もあります。いろいろな種類の粥があってこれも楽しいものです。
2009.01.07
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今日のGOOGLEニュースによると、神奈川県の08年の県内年間交通事故死者数が189人となり、1948年に統計を取り始めて初めて200人を割り、過去最少となったと。県警などが目標としていた「200人以下」は4年前倒しで達成されたと。昨年娘が交通事故に遭い幸い打撲のみの軽傷で済んだ経験を持つものとしても朗報である。日本国内でも2008年1年間の交通事故死者数は5,155人で、「死者数を5,500人以下」とする政府目標を2年早く達成したと先日報じていた。ところで昨年秋の中国に出張時の飲席での会話の中で、中国では交通事故による死亡者は11万人弱にも上っていて全世界で最も交通事故が多発している国であると。さもありなん!!!。もちろん人口が比べものにならない現実はありますが・・・・・。ただし日中両国の統計調査の違いがるとのこと。日本の場合、交通事故死亡者は事故から24時間以内に死亡した人のみを数えているが中国では24時間以降に死亡した人も数えていると。上海や蘇州でタクシーなどに乗車していると、車間距離の狭さや頻繁な車線変更、赤信号でも右折可能な交差点での強引な右折,異常なまでのクラクション攻撃等々、車対車だけでなく、車対歩行者、車対自転車にもまだまだ衝突の危険がたくさんあるのです。『金額は倍払うからもっとゆっくり走ってくれ』と言いたいのが本音でした。また、歩行者も平気で信号無視して横断歩道を渡るため、車が急停車して青信号でも車の通行が妨げられる日常茶飯事。歩行者には信号機は関係なしなのです。運転者も歩行者も、より安全のためのマナーを守る必要が急務であるが、マナー向上は一朝一夕には改善できない難しい問題。数十年前の日本の姿もこうだったのでしょう。バイクに家族全員を乗せてノーヘルで走っているのが当たり前の光景なのです。下の写真は4人(一番前にピンクの服の幼子が乗っています)ですが、ナップサックが更に赤ちゃんに変わって、5人の光景はもっと驚きです。一人っ子政策の中国で子供が3人?これも理解できませんが親戚の子供でも乗せていたのでしょうか?理解不能です!!!!郊外では交差点の中央に1.2m前後の高さの信号機が1台あるのみ。青→青点滅→赤と機能は果たしているが、『信号機は上にあるもの』と思っている人間にとってはカルチャーショックであった。ただし市内の信号機は日本と同じ。おまけに青信号の上にしっかりあとどのくらいのカウントで青信号が変わるかを示しているのです。これはせっかちな中国人にどのようにルールを守らせるのかのアイデアなのでしょうか。日本でもこのように残りをカウントダウンで表示している信号機が存在するのでしょうか?いずれにせよ、今年一年家族の交通安全を願っています。下記は平成20年交通安全スローガンの内閣総理大臣賞(最優秀作)です。<運転者(同乗者を含む)に対するもの>広げよう どうぞの気持ちと 車間距離茨城県鹿嶋市 高田 彰さん<歩行者・自転車利用者に対するもの>歩行者を 気づかいやさしく 踏むペダル三重県桑名市 小林 秀夫さん<こども部門>点めつだ 一度止まって 次の青浜松市立県居小学校6年生 丸山 真由さん
2009.01.04
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昨年も年末ジャンボ宝くじを2SET(連番&バラ)購入しました。何故か??毎年買うのです。当然のことながら??いつも1等が当たると思って買うのに、なぜだか当たりません。知り合いは「もし当たったら人生が変わるから買わない」と言うし、妻は『今年もまた他人に寄付したのね』と。1等の当選確率は1,000万分の1とのこと。「万が一」のさらに千倍当たらないのだが、『買わないと当たらない』と妻に反論するのが年末恒例の会話。やはり今年も『半額近く』!!他人に寄付してしまいました。久しぶりに 6等3000円下2桁78番が1枚当たったのです。何年ぶりのことでしょうか。今年はジャンボ宝くじが発売されて30年目にあたり、ジャンボ30年感謝賞(100万円)もあったようだが全く関係なし。会社の同僚には、『1月5日に私が出社しなかったら3億円当たったと思ってくれ』と冗談に(いや本気!!)年末に言って別れましたが、明日からやはり出社し懸命に働くことを決心しました。『牛の歩みのように、謙虚に小刻みにゆっくりと着実に一歩一歩を大切に歩んでいきたいと考えています。』と元旦のブログに書き込んだのは何処の誰?との声が聞こえてきました。でも一度でいいから、当たらなくてもとりあえず『ドキッ』としたいものです。来年こそ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。
2009.01.04
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我が家の近くの旧道沿いの材木屋さんが今年も新年飾りの巨大絵馬を飾っています。高さ約4m、幅約7mとかなり巨大な年賀状ですが、これ一体どうやって描いてるんでしょう?テンプレートにスプレー塗装で作るのでしょうか。材木からも心地よい香りがして、通る人を楽しませています。この後この材木の絵はどうなるのか気になります。縁起物ですのでそのまま出荷するのでしょうか?簡単に絵の具は落ちるのでしょうか?それともプロの技でカンナで削るのでしょうか?今度材木屋さんのご主人にお会いしたら聞いてみたいと思っています。来年も楽しみにしていますのでよろしくと言葉を添えて。
2009.01.03
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穏やかな正月の晴天に恵まれ、我が太陽光発電が発電量4000KWHを達成しました。3000KWH達成が11月1日でしたので1000KWHを64日間で達成したことになります。発電モニターからお祝いの花火が打ち上がりました。元旦:23KWH、2日:23KWH、3日:24KWHと順調な滑り出しです。
2009.01.03
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初詣先の寺の境内においてある告知板?によると私は今年は『前厄』とのこと。厄年は数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳・61歳をいうようです。これらの年齢が「本厄」です。「本厄」の1つ前の年を「前厄」、「本厄」の次の年を「後厄」。厄年は昔は「役年」といって一定の年齢になるとお寺や神社の役をした事が起源だそうです。迷信だという人もありますが、医学的にも体の変調が起こりやすい時期であり、社会的にも大きく環境が変わる時期、との説明書きでした。19歳、25歳は青春期に当たる事から、何事にも向こう見ずになりがちであり、それゆえ無茶な行動により病気や事故に遭う事も多く、また33歳、42歳は青春期を過ぎ、中高年期への過渡期に当たる事から、人生のうちでも曲がり角でもあり、男性の場合は社会的にも責任が重くなり、それゆえ精神的・肉体的にも疲労などが多く、女性の場合は子育てあるいは主婦として非常に多忙な時期でもあり、いずれにしても体調や精神的に不安定になりやすいとされているのでしょう。そのため、不慮の事故やけが、病気なども起こりやすいのでしょうか。特に男性の42歳は「死に」・女性の33歳は「散々」といわれ『大厄』といわれているようです。ところでこの数え年は、私の生まれた昭和25年に出来た法律で、数え年によって言い表わす従来のならわしを改めて、満年齢によって年齢を言い表わすことになったとの事です。数え年とは、何月何日に生まれようとも、1月1日に日本国民全員が1歳年をとるという風習でした。極端な話、12月31日に生まれた子は、31日には1歳ですが、翌日にはなんと2歳なんですよ。と言うことは昔は、日本では誕生日にお祝いをしなかったのでしょうか???。昔からこの告知板?は毎年あそこに飾られていたのでしょうが、それに気がつき関心を持つ年齢になったことに『まちがいなし』。
2009.01.02
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我が家の12月の太陽光発電(京セラ 5.76KW)状況は以下の通りでした。発電量 522kw消費量 1280kw 売電量 295kw自給率 41%年末クリスマス以降快晴に恵まれ連日20~23KWHを発電してくれたため11月実績を100kwh弱UPしました。統計的には11月よりも12月は日が短くなりながらも、日照時間は長くなる傾向ですので統計通りの結果になったことも事実です。しかしながら寒さが増す中、年末休暇による在宅、正月準備及び電気ストーブを各自の部屋で使用し、又エコキュートの消費量も、水道水の温度低下及びタンクの放熱により、大幅に増えたこと等により消費量は1000KWHを大きく超えました。天気予報士の森田さんの話によると、今年の『丑年』は夏が猛暑になり、冬は寒冬と暖冬を12年周期で繰り返しているらしい。ちなみに今年は寒冬だそうで、日照時間が平年より長いことが、過去9回の丑年の観測数値でわかっているようである。 これは私にとって極めて朗報。太陽光発電、週末農園、養蜂を太陽光に感謝しながらENJOYできる今年1年としたいものです。
2009.01.02
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今日は初春の1月2日、もう何十年以上になるでしょうか、毎年車で15分程度で行く時宗総本山『遊行寺』への初詣を兼ね、箱根駅伝の応援に行ってきました。沿道に大勢の応援者が新聞社の配る小旗を振って声援する情景は、国道1号線の久しく続く年中行事の風物詩であり、力走する選手を見て、今年も正月を迎えたことを実感するのです。箱根駅伝は、「東京箱根間往復大学駅伝競走」と云う長い名前で呼ばれ、第85回を迎えています。コースは、大手町をスタートして、鶴見、戸塚、平塚、小田原の中継所を経て箱根町芦ノ湖までの往復217.9kmを10人でタスキをつなぐ駅伝競走であり、今年は記念大会でもあり23校が出場して母校の名誉を賭け、上位10位までのシード権を争います。 選手が来るまで遊行寺での初詣と境内で毎年行われている骨董市を見物しました。警察官が沿道の応援者が道路にはみ出さないようロープで規制。これはその為のロープ代わりの『箱根駅伝』と印刷されたビニールテープで私の応援する横の電柱に縛り付けたものです。終了後に持って帰りたいファンが多かったのではないでしょうか。16年ぶり総合優勝を目指す『荒ぶる早稲田』は北京五輪男子長距離代表で左アキレス腱痛が懸念された竹沢健介(4年)を前回大会区間賞の3区に今年もエントリーしました。遊行寺の下り坂で応援する私の目の前を、ものすごい勢いで1位の山梨学院大学を追っていました。史上最多23チームが参加した85回箱根駅伝。往路は、最終5区ルーキーの柏原 竜二の驚異的な走りで、東洋大が初の往路優勝を果たしました。各区安定した走りでつないだ結果が見事往路初優勝となりました。東洋大・佐藤監督代行は、(不祥事が起きてから)感謝の気持ちを持って行こうと、選手たちには毎日のように伝えたと言う。チームは結束し、きょうはチーム全体にいい風が吹いたと。駅伝とは団結力の競技を今更ながら感じたのは私だけではないでしょう。早大が前評判通りの力を発揮して惜しくも2位。日体大、中央学院、山梨学院と続きました。優勝候補に上げられていた日大は8位とやや不振。駒大は15位と思わぬ結果に終わりました。また順大も下位に低迷。箱根の怖さを示す往路順位となりました。明日も臙脂の襷の選手の勇姿を見に妻と行くことにしました。母校の応援場所があるとのことですので久しぶりに校歌を歌ってきたいと思っています。
2009.01.02
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初日の出を迎えに妻と湘南江の島海岸まで2年連続で行った来ました。朝6時に家を出、小田急線で20分。車内は同じ目的の客で朝の通勤時と同じくらいの混雑。海岸は既に人でごった返していました。待つこと約20分。海岸は快晴。三浦半島の山からですが今年も見事な初日の出でした。願いも忘れデジカメ連写。朝日が水面をじわじわと赤く染めていく光景は早起きした甲斐あり。7時半には既にあの混雑が嘘のように。あの人達はどこに消えたのでしょうか。人のいなくなった砂浜に長身の我が陰。今年も自分の陰をじっくり見つめながら歩んでいきたいと考えています。富士山も朝日を浴び、白い衣も映え見事な風景でした。 初日の出豆知識• 日の出とは、太陽の上端が見かけ上地平線(または水平線)に一致した時刻を指します(日の入りも同様です)。 • 地平線近くの太陽は、大気の影響(大気差)で実際よりも浮き上がって見えます。このため、実際にはまだ地平線の下にある太陽が、大気の影響がないと考えた場合と比較して4分ほど早く「日の出」をむかえます。 •日本でもっとも早く初日の出が見られるのは、日本の東端である「南鳥島」で5時27分です。本州では「富士山山頂」(6時42分)、平地に限れば千葉県の「犬吠埼」(6時46分)になります。なお、日の出のもっとも早い場所は季節によって変わります。 • 一方、日本の西端である「与那国島」の初日の出は7時31分で、日本の東西で実に2時間以上の差があることになります。 日の出の時刻は、標高が高いほど早くなります。また当然ながら、日が上ってくる方向に山やビルがあればそれだけ遅くなります。
2009.01.01
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皆さん明けましておめでとうございます。穏やかな新年となりました。昨年までは足早、大股で一生懸命に歩いてきた気がします。その中で、何か足早、大股故に、良い悪いは別にして跨いで来てしまった事柄がいくつも有ったように思います。今年は『おじさんアラカン(around KANREKI)』として、牛の歩みのように、謙虚に小刻みにゆっくりと着実に一歩一歩を大切に歩んでいきたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2009.01.01
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